光彦との一件から一夜明け、三連休の最終日。
繁華街から少し離れた、静かではあるが雑多で古びた街中をコナンは歩いていた。
安価なワンルームマンションや格安ホテルに零細企業の事務所などが所狭しと立ち並んでおり、狭い道幅のわりには車の交通量もそこそこ多い。
そんな一画に物々しい雰囲気が漂う狭小な雑居ビルがあった。入口は三角コーンで封鎖されており、警官らしき男性が周囲に目を光らせている。
第四の事件の遺体が発見されたのはこのビルの空き室だった。
「う~ん、やっぱ簡単には入れそうにねーな……」
子どもの姿の頃ならこういう現場にはたいてい高木刑事や千葉刑事がいて、なにか適当な理由をつけて現場に入り込むことも簡単だった。
工藤新一時代なら目暮警部とズブズブであり、なんなら向こうから請われて駆けつけることさえあった。
しかし今見当たる警官の中には顔見知りはいなさそうだし、あの有名な名探偵の毛利小五郎がそばにいるわけでもない。一介の高校生を通してもらえるとは思えなかった。
どうしたものかと案じているうち、突然背後から肩を叩かれる。
「うおっ」
驚いて振り返るコナン。そこにいたのは、あまりに見知った顔だった。
「あなたこんなところで何してるの?」
呆れた顔でため息をつく哀。
「なんだ灰原じゃねーか。おめーこそ何してんだよ」
「ここに来れば誰かさんに会えるんじゃないかと思って」
「な、なんでだよ」
「あら、私のために例の事件の捜査をしてくれてると思ってたんだけど、うぬぼれだった?」
"私のために"を妙に強調していたずらっぽく微笑む哀。コナンは思わずドキリとしてしまう。
「バーロ、別におめーのためってわけじゃ……。第一、オレはもう探偵はやめたって言ってるだろ」
「ま、そういうことにしておいてあげるわ」
「あのなー」
「そんなことより、こんな所でウロウロしていてもらちが明かないでしょう? ちょっと私に付き合ってくれないかしら?」
「? どこに行くんだ?」
「来てくれたらわかるわ」
哀は返事も聞かずにコナンに背を向け歩き出した。
「……こんなことは言いたくねーけどよ灰原。今お前が出歩くのは安全とは言えねえ。おそらく組織の人間ではないとして、単なる異常な殺人犯だったとしてもおめーみたいな容姿の女性が狙われてるのは確かなんだぜ」
「……ま、それは確かにそうでしょうね。でもあなたのそばにいる方が、1人で引きこもっているより安全かもしれないじゃない」
「え……」
哀が振り返り、コナンに向けて微笑む。心なしか、彼女は照れているようにも見えた。
「守って、くれるんでしょ?」
「あ、ああ……」
コナンはただうなずくしかなかった。別に哀に見惚れたわけではない、はずだ。
「で、こっちとこっち、どっちが似合うと思う?」
両手にデザイン違いのニット服を手に取って見せてくる哀。さっきから似たような質問を何度もされていて、コナンは完全に辟易していた。
「おめー、呑気すぎねーかオイ……」
「別にいいじゃない。そもそもこれだけ人目の多いショッピングモール、これ以上に安全な場所はそうそうないでしょ?」
2人が来ていたのは都内でも指折りの大型商業ビルだ。連休中の今日は無数の若者や親子連れで大いに賑わっている。哀の言う通り、こんなところで物騒な事件が起きるとはかつての米花町でもない限り想像できない。
「まあそれは確かに……。っていうか、右の服は露出度高すぎだろオイ、こんなもん高校生が着る服じゃねーって!」
「あら、博士みたいなこと言うのね」
「あのなー……」
「まあいいわ。それじゃあこっちの方を試着してくるから」
試着室に入っていく哀をコナンはぼうっと見送った。
どうも今日やりたかったことからかけ離れてしまった気がする。
「お兄さんお兄さん、彼女さん超~~~美人っすね!」
ギャルっぽい店員女性がハイテンションで話しかけてくる。
「べ、別に彼女ってわけじゃ……」
「またまた~、そんなわけないっしょ! お互いからラブラブ光線出てるじゃないっすか」
(どこらへんがだ……)
そうこうしてるうちに着替えた哀が出てきた。
「ど、どうかしら?」
本人は少し照れているようだったが、キャメル色の上品でスリムなニットが哀のスタイルの良さと美肌を一層引き立たせていて、どう見ても相性抜群だった。
コナンは口をぽかんと開けて「あ、ああ……」としか言えなかった。
「超々お似合いっす! パないっす! モデルになってほしいぐらい! そうでしょお兄さん!」
「え、お、オレ?」
「他に誰がいるんすか」
「ま、まーまー……似合ってるんじゃねーかな多分」
哀に目を合わさず適当にごまかすコナン。
「ハァ~、最近のオトコどもはこれだから。お姉さん、たまにはちゃんと褒めろって言ってやったほうがいいっすよ」
「ふふ、そうかもね」
「またのご来店お待ちしておりま~す!」
ショッピング袋を片手に(持たされたのはコナンだが)店を出た2人は、とりあえず当てもなくモールをぶらついていた。
「ん……?」
ふとコナンが後ろを振り返る。
「どうかした?」
「いや、今一瞬誰かに見られていたような……」
「監視されてるってこと?」
コナンは慎重に辺りを見渡したが、普通の家族連れなどはいくらでもいる一方で怪しい人影はどこにも見当たらない。
「いや、やっぱ気のせいだな。一応ずっと警戒はしてるから過敏になっちまってるんだろーな」
「ええ、そうね。私も念のため気をつけてはいるけど、やっぱり江戸川君に見張ってもらうと頼もしいわね」
「お、おう……」
いつからだろう、哀がコナンのことを「江戸川君」と、2人きりの時でさえ呼ぶようになったのは。
かつては人目のない場所では必ず「工藤君」だった。工藤新一が死んだことになってからも、しばらくはそうだったはずだ。いつの間にか、コナンを工藤と呼ぶのは身内を除けばもはやとある西の色黒男だけになっていた。もしかしたらおかしいのはそちらなのかもしれないが。
(でも一昨日……バイクに追われていた時の灰原は「工藤君」って言ってたような気がする。とっさのことで昔の呼び名が出ちまったってことか? でもそうだとしたら灰原にとって、オレは今でも工藤新一なんだろうか? それとも江戸川コナン?)
考えて答えの出そうな問いではなかった。
「そういえば」
哀がふとつぶやく。
「今ってゴメラの新作やってるんじゃない? 初代のリメイクだったっけ?」
「リメイクっつーか、初代の精神を現代の視点で再構築……とかなんとか言ってたかな。まさか観たいのか?」
「買い物は済んだし、時間もちょうどいいんじゃないかしら。それにほら、私達はゴメラに思い出もあることだし」
「思い出っつったって殺人事件だぞ」
「あなたとの思い出は殺人事件ばかりじゃない」
ぐうの音も出ないコナンだった。
新作ゴメラの映像や演出は過去のシリーズよりはるかにパワーアップしていた。
しかし新一としての子ども時代に初期三部作に親しんだコナンにとっては、どうも肝心の中身が軽くなってしまっているように感じられた。
ふと隣の座席の横顔を見る。退屈な表情だ。あまり映画を楽しんでいるようには見えなかった。
(彼女さん超~美人っすね、か……)
客観的に見て、哀が美人でないとはどんなに好みのうるさい男でも言えそうにない。スクリーンの光によって色とりどりに照らされる哀の横顔を、コナンはぼうっと見つめていた。
若い男女が2人並んで映画を観ているのだから、きっとまた周りからはカップルに見られていることだろう。そんなふうに勘違いされて哀は迷惑に感じないのだろうか。もう10年近くもそばにいるというのに、コナンにとって彼女の内心は謎だらけだった。
「なんだかいまいちね」
哀が視線を前に向けたまま話しかけてきて、コナンは一瞬驚く。顔を見ていたことに気づかれたのか? ただ、どうやらそういうわけではなさそうだった。
「怪獣映画というメタファーを使って、科学を溺愛した愚かな人間の末路を描いたってところが良かったのに。これじゃ安っぽい色恋ドラマじゃない」
「ま、まあ確かに……。配役もとりあえず人気のタレントに頼りましたって感じだしな」
「最近の日本映画の悪い癖ね」
結局、映画は終盤に向けてそこそこ盛り上がりつつも初代の精神の再生のようなものはまるで感じられないまま終わってしまった。
退出時の哀のテンションがすこぶる低かったことは言うまでもない。
「今日は付き合ってくれてありがとう。映画はつまらなかったけど」
日が傾き薄暗くなった頃、2人は自宅の近くにまで戻ってきていた。
「そんなことより、全然事件の捜査ができなかったのがな……」
「別に焦らなくてもいいじゃない。今ごろ蘭さんか高木警部が手がかりを見つけているかもしれないし」
「そりゃそうだけどよ……」
そう言った瞬間、コナンの背筋に緊張が走った。ゴクリと唾を飲み込む。今度は勘違いではない。誰かに
「おい、灰原」
コナンは前を向いたまま、極力抑えた声で、しかし力を込めてささやく。
「え?」
哀にもコナンの様子の急変はすぐに伝わった。
「何者かはわからねーが、誰かに尾行されている」
「そんな……」
「いいか、今のままペースを変えずに歩くんだ。そしてあの角を右に曲がったらすぐに走れ。近くの交番まで逃げろ。オレが時間を稼ぐ」
「ちょっと待って、まさかあなた……」
「なあに、オレは大丈夫だ。今なら博士の道具だってある」
「何言ってるの、あなたを置いていけるわけないじゃない」
大きな声を出さず、なるべく平常通りに振る舞おうとする哀だったが、焦りの感情と拒否の意思ははっきりしていた。
「いいから言うとおりにしろ。狙われているのはおめーだ。なあに、無茶までするつもりはねえ。クソヤローの面さえ拝めれば後は逃げたっていいんだからな」
「……本当に……無茶はしないでよ……」
「ああ、約束する」
コナンがうなずく。そのまま2人は目的の角を曲がり、それと同時にコナンが哀の背中を押した。
「行け!!!」
哀が全力で駆け出すのを確認し、コナンは後ろに振り返る。
おそらく尾行者も異変に気づいたはずだ。間違いなく走って追いかけてくる。
(この角を曲がってきた瞬間、思い切りぶつかって突き飛ばしてやる!)
予想通り、誰かが全速で走ってくる足音が聞こえてくる。これが尾行者だ。哀を狙っているに違いない。
組織の生き残り?
単なる異常者?
どちらでもいい。今ここで決着をつけてやる。
コナンは固唾を呑んで身構え、次の瞬間前方に飛び出した。角から現れた人影と己の体が交錯する。
(!!?)
次の瞬間、コナンは宙を舞っていた。何が起こったのか理解する間もなく、一瞬薄暗い空が見えたかと思うと、背中を衝撃が突き抜けた。
「ぐはっ……!」
受け身を取る間もなくアスファルトに落下したコナンが悶絶する。
綺麗に背中から落ちたことはまだ幸いだった。頭を打っていれば命が危なかっただろう。
(ちくしょう、一体何が……)
痛みと呼吸の苦しさで意識が混乱するコナンだったが、必死で目をこじ開け尾行者の姿を目に焼き付けようとする。
だが意外にも、その相手はコナンの目の前に近づいてきていた。
「ご、ごめん! 大丈夫、コナン君!?」
「え……」
数秒経って視界が鮮明になってみると、その顔はあまりに馴染み深いものだった。卵型の輪郭、くりくりした大きな瞳に、切り揃えられた綺麗な黒髪とヘアバンド。
「あ、歩美ちゃん!?」
「ごめんね、つい思わず投げ飛ばしちゃって……。だってコナン君がいきなり飛び出してくるんだもん」
「ハハハ……」
コナンは脱力してがっくりと肩を落とした。