変遷信仰 / Everlasting_Blanc 作:宇宮 祐樹
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大樹の内部には、巨大な空間が広がっていた。
円形の塔、と言えば分かりやすいか。円柱状の空間は頂上にまで達しており、その時点でこの大樹が通常のそれとはまったく違うことを、ネプテューヌは理解した。
この樹の形が何を表徴しているのかは分からない。否、あるいは心のどこかで理解できているのかもしれない。そんな曖昧な認識の中、ネプテューヌが正面の
宏闊な広間の中央、そこに鎮座していたのは氷の祭壇だった。
とはいっても、外見はただの台座だった。装飾も何もない。ただ、ネプテューヌが相対している面に階段が掘られている、たったそれだけのもの。
では何故、彼女がそれを祭壇と認識したかというと。
「……ブラン」
頂きに祀られた、ブランの姿を目にしたからだった。
呼びかけに応えはない。気を失っているのか、はたまた眠っているのかは分からないが、その双眸は閉じられたまま。まるで、糸の切れた人形のように座り込んだ彼女は、一切の反応を示さなかった。完全に外界との接触を絶っているようでもあった。
「無視するの?」
なんて声をかけても、沈黙が返ってくるのみ。
呆れたように息を吐いてから、ネプテューヌが階段を昇り始めた。
「別に、無視したいならしたいでいいけどさ」
「…………」
「ずっとそのまま、何もしないでいるつもり?」
やはり返答はない。しかし、苛立ちもなかった。
頂上に至り、ブランと同じ場所に立つ。
そこでネプテューヌは初めて、彼女の身体に何が起きているのかを理解した。
「これは……」
根だった。彼女の背中から、幾本もの根が伸びていた。
吸われている、と直感で分かった。この大樹は、ブランの中に存在する何かを糧として、ここまでの成長を遂げたのだ。その糧となるものが何かは分からないが、そこからのネプテューヌの行動は早かった。とにかく、大樹とブランとの接続を多少強引でもいいから絶たねばならない。
太刀を正面に構え、ブランの背後に繋がる根へと振り下ろす。
彼女の視界が黒く塗りつぶされたのは、同時だった。
「うわっ」
小さな悲鳴をかき消すように、轟音が響く。
巨大な枝の槍だった。大樹の壁から撃ち出されたそれは、ネプテューヌの頭上を通り過ぎ、その背後の壁を貫いた。崩れ落ちた壁からは吹雪が入り込み、二人の間を冷たい風が抜けていく。
乱れた髪を治しながら、ネプテューヌがぼそりと。
「起きてるでしょ、ブラン」
少しの沈黙を置いて、彼女の唇が動いた。
「……ネプ、テューヌ」
「待っててね、すぐに助けてあげるから」
「どうして……あなたが、ここに?」
「みんなに言われたんだよ。ブランをどうにかして、って」
「……そう」
瞼は閉じられたまま。ブランがすぅ、と片腕を彼女へ向ける。
それに応えるように、今度は無数の槍が表れ、ネプテューヌへと襲い掛かった。
「っ!」
枝というよりは最早、自在に伸び縮みする蔓のようであった。それらは宙を翻るネプテューヌを取り囲むが、しかし彼女の持つ太刀によって切り落とされる。しかしそれよりも先に、新しい槍が次々と壁から生み出され、ネプテューヌの方へと向かっていった。何とか受け止めきれてはいるが、攻めに転じるのも難しい。それに身体の凍結の問題もある。明らかに不利な状況であった。
剣戟の最中、今にも消えてしまいそうなブランの声が聞こえてくる。
「……あなたには」
「え!? なに!?」
「あなたには、来てほしくなかった」
「どういうことさ、ブラン!?」
叫ぶネプテューヌと対するように、ブランが静かに語る。
「いつもそうよ。あなたはいつも、私を置いて行ってばっかりで……どうやっても、追い付けないところにいる。それなのに、今になって私のところに来るなんて、本当に」
「ちょっとブラン!? 何言ってるの!?」
「叶うなら、私はあなたみたいになりたかった。あなたのように、自由でありたかった。あなたの在り方に憧れてたの。でも、私は私。だから私には、こうすることしかできない」
手のひらへ収束する光へ、ブランが息を吹きかける。
表れたのは、氷の波だった。結晶を続けながら進行する氷が、冷気と共にネプテューヌへと襲い掛かる。瞬時にネプテューヌが真上へ跳躍するが、遅かった。足先から纏わりついた冷気は瞬時に全身へと広がり、やがて彼女の体を凍てつかせる。
自由落下。内臓が浮かび上がるような感覚がネプテューヌを襲う。
「な……っ」
地面へ激突する寸前、彼女の体を氷の槍が貫いた。
それは瞬時にネプテューヌを包み込み、一瞬で氷塊となって崩れ落ちる。舞い上がる冷気が霧となり、ブランの立つ祭壇の頂までをも白く塗り潰した。
静寂が訪れる。そして。
「――三十二式」
白銀に、紫電が迸る。
「エクスブレイド――βッ!」
撃ち出されたシェアエネルギーの剣が、ブランの頬を掠めた。
流れ出した血が頬を伝う。それでも、彼女は瞼を開かない。
「……さっきのお返し、のつもりなんだけどな」
口の端から赤い液体を漏らしながら、ネプテューヌが呟いた。
満身創痍であった。体には大きな穴が空いているし、体は既に半分ほどが凍り付いている。なのに技を撃てたのは奇跡にも近い。それでも、彼女は決して目を開かないが。
膝をつく。全身から力が抜けていくような感覚。どうやら限界が近づいてきたらしい。しかし、後悔はなかった。ある程度、この結末は予想していた。そうでなければ、あの二人を先に行かせてはいない。考えうる限りの最善は尽くした。それでも届かなかっただけ。
「そっか……だめ、だったかー……」
不思議と、やりきったような感傷がネプテューヌの中には残っていた。そのまま息を吐いて、聞こえるかも分からないけれど、ブランのことを見上げながら語り掛ける。
「いつもの私なら、勝ってたんだけどな」
「…………」
「強くなったね、ブランも」
「……あなたが弱くなっただけよ」
「自分は変わってないつもり?」
問いかけに答えはない。沈黙に、ネプテューヌが笑った。
滑稽だった。ここまで変わり果てておきながら、不変を謡うこと。明らかに異常でいるのに、それを認めようとしないこと。どこまでも、自分は変わらない存在だと思い込んでいること。その全てが、ネプテューヌにとってはひどく冗談めいた、趣味の悪い妄言だった。
だが、彼女の抱くそれらの感情は、ネプテューヌにも理解できるものだった。
「ブランはさ、みんなに置いて行かれるのが嫌だったの?」
「…………」
「だから、この国のみんなを凍らせようとしたんだよね。時間を止めて、何も変わらないようにした。そうすれば、誰にも置いて行かれないから。みんな、ブランの知ってるままのみんなでいてくれるから」
返答はない。だが、沈黙が肯定となった。
「……わかるよ。寂しいよね、みんなが変わっていっちゃうのは」
その言葉に、ブランが口を開く。
「分かるはずがない。あなたには、絶対」
「いや、分かるよ。私はずっと、みんなが変わっていくのを見てきたから」
「……それは、あなたが変わり続けているからじゃないの?」
「私? 私は変わらないよ。今までもこれからも、私はずっと私のまま」
そこで一度、会話が途切れた。ブランは何か言いたそうにしていたが、口を噤んだままで、語ることはなかった。そんな彼女に聴かせるように、ネプテューヌがまた言葉を繋いでいく。
「ロムちゃんもラムちゃんも、もう子供じゃない。前まではブランにつきっきりだったのに、今ではブランのためにそれぞれが違う選択をしてる。驚いたよ、あんなに変わっちゃうなんて」
「……あの二人が?」
「あの子たちだけじゃないよ。ミナさんやフィナンシェだってさ。私を頼ってくるなんて思ってもなかったもん。最初にあった時には考えられなかったよ、そんなこと」
語る彼女の表情は、ブランにとっては初めて見るものだった。それが変わってしまったのか、あるいはただ知らなかっただけなのか、それすらも分からない。ただ確かなのは、それがネプテューヌの心からの言葉ということだけだった。
「みんな、変わってくんだ。ノワールもベールも。きっとネプギアだって、私の知らないところで、私の知らないように変わってる。そうやって考えるとさ、やっぱり寂しくなっちゃうんだよね。私だけ置いていかれてる、って思っちゃう」
「あなた……」
「結局、一人ぼっちなんだよ。どうしたって私は変わることができない。変わり続ける
ふらふらと階段を昇りながら、やがてネプテューヌがブランのそばへ腰を下ろす。身体はほとんど凍りついていた。かろうじて動く唇を震わせながら、ネプテューヌが語りかける。
「……でもさ、それが一番楽なんだよね」
「ネプ、テューヌ?」
「変わっていく現実を眺めているよりも、目をつむって過去を振り返るほうが、幸せなんだ」
そうやって彼女が、ブランの肩へと寄りかかる。
「私、もう疲れちゃった」
「ネプ、テューヌ……あなた……」
「もう、誰かに置いて行かれるのも嫌。みんなが私の知らないみんなになるのも、嫌。だから私、ここにいることにするよ。そうすれば、ブランも私も寂しい思いをしなくて済むでしょ?」
「そんな……そんな、こと……!」
「大丈夫。ブランだけ置いてったりしないよ。ずっと一緒だから」
「そうじゃない、あなたは……ここに、いては……!」
「ああ、でも……少しだけ、寂しいかもね」
瞬きすらできなくなった瞳で、彼女は空を仰ぎながら。
「変わっていくみんなを見届けられないのは、やっぱり……」
そこで、言葉は終わった。
「ネプテューヌ……?」
「…………」
「だ、め……起きて……!」
返答はない。ただ、変わらぬ沈黙が返ってくるのみ。
伸ばした指先が頬に触れると、薄く張られた氷の膜が、地面へ落ちていった。
「……あなたに残ってほしい、わけじゃない」
独白は続く。
「あなたには、変わってほしかった。変わり続ける存在で、いてほしかった。いちばん、遠い存在だと思ってた。いつまでたっても届かないって思ってた。それなのに……!」
失望にも安堵にも似た、酷く曖昧な感情だった。
「分かってほしくなんて、なかった! 寂しいなんて言ってほしくなかった! 寄り添ってほしくなんか、なかったのに! いつもみたいに私を置いて行けば、それでよかったのに!」
吐き出したその言葉は、しかし決して彼女に届くことはなかった。銀雪が彼女を埋め尽くしていく。二度と変わらぬよう、彼女を白く染め上げていく。
「いやだ……いやだ! お願い、だから……!」
抱きしめたその体に、温もりはもう存在しない。
「目を醒ましてよ、ネプテューヌ……」
叫びには、誰も答えなかった。
全てが凍り付いた世界では、誰も――
「違う」
崩壊。あるいは、枯死が訪れた。
根は枯れ果て、落葉に至り、肥大した欲望はやがて終わりを告げる。
崩れ落ちる世界の中で、ブランはゆっくりとその双眸を開き、
「目を醒ますのは、私」
夢から醒める刻が来た。
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蒼色の瞳が見上げるのは、見知った天井だった。
「………………」
重く痛みを発する頭を抱えながら、ブランがゆっくりと体を起こす。壁にかけられた時計は、午前六時を指していた。外はまだ暗く、冷え込むような空気が上体を包む。何たることはない、いつも通りの変わらぬルウィーの朝だった。
「あ、起きた!」
起き抜けに、彼女の言葉が響かなかったら、の話であるが。
「ネプ、テューヌ?」
「おはよ、ブラン! 遊びに来ちゃった!」
「……ネプテューヌ!」
はたと気づいたブランが、彼女の体を押し倒す。
「ちょ、ちょっとブラン!? 朝からお盛んが過ぎない!?」
「いいから黙って腹見せろ!」
「ねぷっ!? まさかのご乱心!? ってか、ブランってそういう趣味だったの!? それにしたってこんな朝イチの、ムードもへったくれもない空気で……」
「ウダウダ言ってねえで、大人しく言うこと聞きやがれ!」
「あ、本気……だッ、誰かーッ! 誰かたすけてーッ! ロムちゃん! ラムちゃん! ミナさん! フィナンシェー! 誰でもいいから早く―ッ!」
ぎゃあぎゃあと喚き倒すネプテューヌをベッドへ押し付けて、ブランが無理矢理彼女のパーカーを下ろしていく。
「……ない」
「ああ……もうお嫁に行けない……」
「ネプテューヌ、お前……傷は?」
「ごめんねネプギア……私、今日からルウィーの女神になっちゃう……」
「いや、だから……」
「でも大丈夫! あんなことやこんなことされても、私の心はプラネテュー」
ばちんッ。
「いったぁ! ブラン、いま本気でぶったね!?」
「いいから私の質問に答えろ!」
「質問って何さ!」
「だから、腹の傷はどうした、って――」
「やっぱり、覚えてるんだ」
鳥の囀りが、とても遠くに聞こえていた。
「……どういう、ことだ?」
「一応、話しておこうかと思って。ま、もう終わったことだから関係ないけどさ」
「話、って……どういう……」
扉を叩く音が、ブランの言葉を遮った。
「ブラン様、お目覚めですか?」
「……フィナンシェ?」
「あー、フィナンシェ? ちょっとお茶とお菓子持ってきてくれる?」
「その声は……ネプテューヌ様?」
「うん。ブランとちょっとお話したくて。お願いできる?」
「か、かしこまりました!」
足音が去っていく。
「なんで私のメイドに命令してるのかしら?」
「あの子には貸しがあるからね。向こうは覚えてないだろうけど」
「……覚えてなかったら意味がないでしょ」
「まあまあ。そんなことはいいから、とりあえず聞かせてよ」
そして彼女は、ブランの隣へ腰を下ろして。
「樹になった気分は、どうだったのさ?」
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白いティーカップを一度傾けてから、ネプテューヌは語り出した。
「きっと、あれは夢だったんだよ」
「……夢?」
「そう」
少し考えてから、ブランが答える。
「同じ内容の夢を見るなんて、ありえない」
「そうじゃなくて。ブランが私に同じ夢を見せたんだ」
「……だったら、あれは私の夢ってこと?」
「最初からそう言ってるよ。ま、私の考えに過ぎないけど」
たとえば、とミルクポットを手に取りながら、ネプテューヌが続けた。
「私たちは夢を見る。それは、人間とは変わらない。でも違うのは、それがシェアエネルギーによって拡散するかしないか。逆流、って言えばいいのかな。みんなから信仰っていう管がブランに伸びていたとして、今回はブランの中にある何かがその管を伝って、逆流していった、みたいな」
「……何が言いたいの」
「私たちの見る夢は、現実世界にも干渉しうる、ってこと」
注がれたミルクが、紅茶と混ざり合っていく。
「……そんなの、夢か現実かなんて、分からないじゃない」
「うん。私も最初から最後まで分かんなかった。ブランが目を醒まさなければ、あれは現実の延長になってたのかもね。あるいは、ブランが目を醒ましたせいであの現実が夢になったのかも」
危険がる様子も見せず、ネプテューヌが答えた。
「まあでも、そんなことは正直関係ないんだよ」
「え?」
「全部、終わったことだしさ」
そう言って、彼女がまたカップを傾ける。
「……違う」
「ん?」
「終わったんじゃない。終わらせたのよ、あなたが」
思い当たるものはない。うんうんと思考を巡らせるネプテューヌに、ブランが続けた。
「確かにあなたの言うとおり、変わっていく現実を眺めるよりも、目をつむって変わらない過去を振り返る方が幸せかもしれない」
「あー……そんなこと、言ったような……」
「でも、それって死んでることと変わらないって、あなたが最後に寄り添った時に気づいたの。あなたには死んでほしくなかった。生きて、変わり続ける姿を、私に見せてほしかったから」
「……そっか」
「もう、目をつむって逃げるのもやめた。これからまた、寂しくなるかもしれない。同じ夢を見るかもしれない。それでも、変わっていく
青色の瞳には、ネプテューヌの姿がしっかりと映っていた。
「結局、私は変われなかった。きっと、これからも変わらないんだと、思う」
「そうかもね」
「でもね、それでいいの。変わる必要なんて、どこにもなかったのよ」
語る彼女の横顔に、淡い日差しが照らす。
「あなたのお陰で、目が醒めたわ」
朝焼けが、ルウィーに訪れた。
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