やはり俺の青春ラブコメはデートからしてまちがっている。   作:現役千葉市民

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第8話 こうして、比企谷八幡は責任を果たすための約束を交わす

 休憩を終えて二階を見て回る。ハーブや野菜が植えられた屋上菜園や、花や木についての博物館的な展示がされたコーナーを巡っていくと、一階と同じような作品展を開催している展示室を見つけた。

 

「へぇー、陶芸ですか」

「ふむ……いい仕事してますねぇ」

 

 陶芸教室かなにかの作品展らしく、個性ある皿やら花瓶やらの陶芸品が並んでいた。せっかくなので往年の有名鑑定士のモノマネをしてみたが、一色には「突然なに偉そうなこと言い出してんだこいつ?」みたいな顔をされてしまった。どうやら火曜九時にテレ東を観たことがないらしい。俺らが生まれる前からやってる番組のはずなんだがな……。

 

「ん?」

 

 家庭内キー局の違いからくる文化差に軽いカルチャーショック受けて遠い目をしていると、ふと展示室の壁ガラスになっている一面の一部がドアになっていることに気づいた。どうやらここから外に出られるらしい。よく見れば屋上庭園という案内表示もある。

 

「こっちにも庭があるってよ」

「へぇー、ちょっと行ってみましょうよ」

 

 一色に促されて外に出ると、左側に松や竹の植えられたミニチェアみたいな日本庭園があり、そこからさらに奥へ進んでいくと日当たりのよい開けた空間に出た。そこには来た人を導くように設置されたウッドデッキの通路があり、どうやらその突き当たりは展望台になっているようだ。

 

「あ、先輩先輩! ここいい眺めですよ!」

 

 通路の突き当たりに立つと、そこから『花の美術館』の正面に広がる綺麗に花を植え並べた庭園が一望できた。この庭を背景にテンション高めに写真を撮り出した一色が、「ほら先輩も」と顔を近づけてツーショット写真を撮りにくる。温室でも撮ったがまたしても鼻孔をくすぐるいい匂いで、やはり慣れんなこの距離は……。

 

「ここ日当たり良くて気持ちいいですねー」

 

 一通り撮りたい写真が撮れて満足したか、一色はウッドデッキの通路をトントンと下りていくと建物側に置かれたベンチにストンと腰を下ろし、「ほら、先輩も」とその隣をパンパンと叩いて俺にも座るよう促してくる。

 

「ここって、あんまり人が来なそうですね」

 

 隣に座ると一色は辺りを見回しながらそう言った。

 

「そうだな。ちょっとよく見ないとあのドアは気づきにくい感じだったからな」

「じゃあ、ここいい感じの場所じゃないですか」

 

 「何が?」と問う前に、一色は俺の耳元に顔を近づけ、内緒話でもするように手を口に添えて小声で囁いた。

 

「……キスする場所です」

 

 ビクッとして身体を離す。一色が唇に指を当てて微笑む。その唇の色が異様に艶めかしく光って見え、俺はどぎまぎして目を逸らす。何回やられてもこれだけは慣れない。耳は弱いんだよなぁ……。

 

「まあ、まだ先輩たちには早いかもですけど――でも、そういうのも考えるのがデートですよ?」

 

 どうやらこれも授業の一環らしい。小悪魔教師のいろはす先生は俺の反応にふふんと勝ち誇ったように笑いながら、そう教示を述べる。

 確かに一色の言う通りではあるのだ。交際という関係で俺は雪ノ下との関係を繋いだ。つまりそれは男女としての関係を進めるということで――つまりそういうことなのだ。そういうことなのだから考える必要があるのだが……あるのだが……ダメだ。さっぱり想像つかん。キスどころか、おててつないでキャッキャウフフと街を歩く姿すら想像できん。手を繋いで歩こうなんてものなら確実に両者顔面沸騰のドローゲームになること請け合いである。

 しかし雪ノ下も普段の澄ました人間力のない態度からは想像しにくいが、意外と男女交際に普通の女の子らしい夢というか結構月並みなイメージを抱いているようで、最近はストッパーが外れたように不意打ちで男女交際的行動を見せてくるようになってきてるんだよなぁ……急に「好きよ」とか言ってきたり、テーブルの下からそっと手を握ってきたり……まあ、大概が後先考えてない体当たりな攻撃で本人も自爆しているのだが。俺? 即死ですよ。死因は恥ずか死で何回も殺されました。ギャップ力がね、半端ないんですよ。そこがいいというかそれがいいというか……まあ何度も殺されたんですけどね。男女交際がこんな死にゲーだとは思わんかったわ……。

 さて、ここまでぐねぐねと思考を進めて到達する結論は、雪ノ下も男女としての関係の進展を求めているだろうということだ。っべー……プレッシャー半端ねぇ……。キスとかするの? 雪ノ下と? もうそれ結婚の誓い的なものになってない? ウェディングドレス姿で上目遣いに俺を見る雪ノ下と、その後ろに狙った獲物を捕らえた猟師(ハンター)のような目をして微笑んでいるははのんとはるのんの姿が鮮明に思い描ける……。

 

「先輩、どうしたんですか? 急に顔が赤くなったり青くなったり……」

「――はっ」

 

 いかんいかん。想像できないものを想像していたらなにやら人生の墓場みたいなところにまで到達してしまった。何故にキスの想像から京成線の快速特急並みの速度で結婚にまで至り、そのまま成田空港からハネムーンしてしまうような勢いになってしまうのであろうか? 恐るべし雪ノ下雪乃……というか雪ノ下家。それにしてもやはり現実的な想像ができんな。うーむ……そもそもこのあたりをうまく想像できるなら、一色にデートの相談なんてしてないんだよなぁ……。

 

「ああ、気にするな。色々と思うところがあっただけだ」

「はぁ……」

 

 手をかざして大丈夫をアピールしても怪訝な表情のままの一色であったが、そこで何かを思いついたのか急に「ふふっ」と妙に艶めかしい微笑みを浮かべ、俺が取った距離をじりじりっと詰めてきた。な、なんだ……訳もなく冷や汗が流れてくるのを感じる。

 

「でも、そうですね……経験がないと色々考えちゃうものですよね」

 

 そうこぼす言葉の息にそこはかとなく混じるのは、獲物を誘うような甘い蜜の匂い。さらに身体を近づけてくる一色の手が、さりげなくベンチに置かれた俺の手に触れる。しっとりとした指の感触が熱とともに俺の手の甲に伝わってくる。

 

「……キスの練習もしちゃいますか?」

 

 その言葉に押されるように仰け反る俺。それを追いかけて正面から窺うように顔を近づけてくる一色。かぐわしい亜麻色の髪がはらりと視界に揺れ、そのやわらかそうな唇が答えを求めるように薄く切なげに開いて吐息を漏らす。

 

「…………」

 

 いやいやいやいやいやヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! あまりのことに一瞬脳みそがフリーズしたが、この状況はヤバイ! 本気か冗談かわからんが、ともかくヤバイ! なんだこの小悪魔、俺をどうしたいんだこんちくしょう! 俺は脳みそをフル回転させて、この状況を打開するための方策を探し出し、そしてたどり着いた渾身の一手を撃ち放つ。

 

「――はっ、もしかして口説いてるんですか気持ちは嬉しいですけど俺には既にパートナーがいるんでそういうのは本命のために大事にしてあげてくださいごめんなさい!」

「なんですかそのムカつく断り方は……」

 

 ぺこりと下げた頭を上げると、氷点下にまで冷え切った一色のしらしらしらーっとした視線が突き刺さった。いや、キミがいつもやってる断り方なんですが……。

 

「いや、マジでそういうのは葉山のために取っといてやれよ……」

 

 一色の圧に押されながら、なんとかそう言葉を絞り出す。『男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる』とは誰が言ったかよく聞く名言だ。こういうのはやはり大事なことなのだ。軽率に練習なんかで使うものではないだろう。それにここから万が一にも一色が葉山とゴールすることがあったりしたら、この先二人と会うことがあったとき二人の顔をまともに見れなくなる気がする。なんというか、そういうのは嫌なのだ。

 

「先輩って本当に責任お化けですよね……」

 

 言われた一色はため息を吐きながら呆れ果てたような顔をして身体を離した。責任お化けってどういう意味だよ……。取れない責任は可能な限り取らずに済むよう努力を惜しまず生きているつもりなんですが……。

 一色は少しふてくされたように膝に両手で頬杖を突いて、しばらく無言で空を眺めていた。俺は居心地の悪さを感じながら、その様子を横目に窺う。うーん……怒っちゃったか? でもなぁ……今の断る以外の選択肢あったか? まあ断り方は怒られても仕方ないですけども。しかし困ったな……ここからどう機嫌を直してもらえればこの場を脱することができるのだろう――、

 

「そういえば先輩って、どんな告白したんですか?」

 

 そんな思考をつらつらとしていたところで、一色がぽつりといった感じでそんなことを聞いてきた。「告白? 誰の?」ととぼけてみたところでここには俺しかいない。つまりはあの日、稲毛陸橋で雪ノ下にした、あの思い出すだに恥ずかしく、情けなく、また不甲斐なくて仕方がなくなるアレのことを指しているのだろう。

 

「ええ……それ話す必要ある……?」

「的確な恋愛アドバイスには正確な情報が必要なんです」

 

 一色がこっちを向いてピッと人差し指を立てて言う。いや、デートの相談の一環のように話しているが、絶対さっきの腹いせ的なヤツだろ……。苦い顔で渋っていると、一色はスチャッとスマホを取り出して、その画面に映る写真を俺に見せてきた。

 

「教えて下さいよセ・ン・パ・イ~。教えてくれないとこのツーショット写真、雪乃先輩と結衣先輩に送っちゃいますよ~?」

「ちょそれ脅迫」

 

 冬に一色と千葉に行ったときもこいつの撮ったツーショット写真を雪ノ下と由比ヶ浜に見られ、めちゃくちゃ気まずい空気になったのは記憶に新しい。あの頃でも針のむしろだったのだから今なら針山地獄どころかアイアンメイデンまである。つまり死ぬ。

 

「それと先輩のコスプレリクエストも伝えておきましょうか~?」

「まてまてまてわかった話す話すから勘弁して」

 

 そしてやはり性癖は他人に知られると脅迫に利用されるのだ。残念ながら抵抗は無理のようである。俺は降伏の白旗を上げたが、無条件で話すにはかなり精神的負担が大きいので気休めの念押しをする。

 

「話すが……クソ恥ずかしいから笑うなよ?」

「先輩が恥ずかしいのはいつものことですから大丈夫です」

 

 どういう意味だよ……。真顔でそう答える一色に、俺はため息を吐きながらぽつぽつとあの日のやり取りを話し始めた。

 

「……という感じだ」

 

 聞くも恥ずかしい、語るも恥ずかしい、思い出すのも恥ずかしい、この世のすべての恥ずかしさを煮詰めて凝縮した羞恥の煮こごりのような話を終える。はてさてどんなリアクションをされるやら……と聞き手の反応を窺うと、そこには呆れるでも笑うでもなくぽけーっとした顔で放心している一色がいた。

 

「……全部やる……? 人生を私にください……?」

 

 そしてこぼすようにそう呟く。うぐぅ……そこは俺の人生の中でも暫定トップに立つ恥ずかしいやり取り。声に出して言わないで。羞恥と後悔に苛まれて死にたくなるから。

 

「なんだよ。文句でもあるのかよ」

「いや……ちょっと想像の斜め上というか、お二人の拗らせ具合を読み違えていたというか……これであそこまで掻き回してやっちゃうとか……えぇ……これはちょっとマジでどうしよう……」

 

 恥ずかし紛れにぶっきらぼうに言うと、返事とも独り言ともいえない呟きが返ってくる。そのまま顎に手を当てて何か考え込む一色。八幡メンタルに傷が付くから、そんなマジでどうしようか困ったときに出す声で「マジでどうしよう」なんてセリフ吐かないで……。

 

「うん……まあ、その、頑張って下さい」

 

 5分くらい長々と考えていた末に一色が述べた感想はそれだけだった。こ、こいつ……俺が嫌々ながら傷を抉って語った話の感想がこれだけとはどういうことだ。

 

「で、恋愛アドバイスは?」

 

 憮然とした顔で聞く。アドバイスが欲しかった訳ではないが、なんとも釈然としないので敢えて聞いてみる。すると一色は嫌そうな顔でこっちを向くと、救いようのないアホでも見るようなまなざしで投げやりに答えた。

 

「あー……もうそこまで行っちゃってるなら、もう行けるところまで行っちゃえばいいじゃないですか?」

「なんじゃそら」

「ほら、ここの公園にグランピングのテントできてたじゃないですか、白いヤツ。アレに二人で泊まるとか」

「は?」

 

 ――グランピングとは “魅力的な、華やかな”という意味の「Glamorous(グラマラス)」に「Camping(キャンピング)」を組み合わせた、直訳すれば“豪華キャンプ”という意味の、最近旅行業界などがこぞって押し出してきている新しいキャンプの一種であり、今までのキャンプとはひとつ上のキャンプ体験を――と、テレビや冷暖房にシャワーやトイレまで備えた既設のテントやコテージで、森や川などの自然に接した場所でキャンプの初心者でもキャンプっぽい体験を何不自由なく過ごすことができる、流行の最先端を行くキラキラインスタ映えオシャンティしゃらくせぇアクティビティである(王様のブランチ調べ)。

 ここ稲毛海浜公園にもこの春から園内の林の中にカフェと併設して何張りものグランピングのテントが建てられているのを今日のボランティア清掃中に見たが、どうやら現在千葉市が海浜公園の砂浜から海に張り出す形で建設中の巨大ウッドテラスと合わせて、新しい千葉市のオシャンティスポットとして育て上げる計画らしい。まさかこんなキャンプを舐めくさったしゃらくせぇものが我が学び舎のすぐ近くにまで出現しようとは千葉市はパリピに魂を売り渡したか――――などというのは心がスペースキャットした俺のただの現実逃避であって、そんなどうでもいいことよりも今は一色の発した大問題発言である。

 

「ととと、泊まるぅ?」

「二人で」

 

 俺の動揺をよそに当然のようにそう付け加えた一色は、興味なさげに自分の爪を見ながらバカバカしそうに話す。

 

「夏休みに受験勉強の息抜きに二人で……とかクソみたいな理由つけて夜の海でも見ながらしゃらくさく盛り上がったらいいんじゃないですかー? それでそのまま雪乃先輩のゴールにインして、合同プロムやったところで式でも挙げて『ここは二人が付き合いだして初めての共同作業をした思い出の式場で……』とかクソみたいなスピーチでもすればいいんじゃないですかー? そうしたら『クソだな』って思いながら拍手で祝福してあげますよー」

 

 ど、どこのゴールに何をインして式を挙げろだ? 投げやり過ぎて発言の雑さがおっさんの猥談レベルにヒドいんだが……。この子、クソって三回言いましたよ、クソって三回。やずやでさえ二回なのにっ!

 

「いやいやいや展開が早過ぎる」

「告白どころかプロポーズまで済ませてる人には、明るい家族計画ぐらいしかする話がないでーす」

 

 一色の暴論にタンマを掛けようとして強烈なストレートをボディに喰らう。ぐふぅ……明るい家族計画……なんて重いパンチだ……。

 

「いや、プロポーズとかそういうつもりで言った訳では……」

「はっ」

 

 俺の弁明を息ひとつ吐き捨てるだけで吹き飛ばす一色。ひぃ……いろはす怖いよぉ……。

 

「はぁー……先輩って色々考えてるようで、意外と全然考えてないですよね」

 

 一色はそんな俺の様子を横目に深々とため息を吐いて、しみじみとしたどことなく諦念の滲んだ声でそう言った。

 

「当たり前だろ。でなきゃこんな無様な生き方しちゃいない」

 

 思い返せばいつだって俺のやることは、どこかまちがっていてどうしようもなく無様だった。カッコよくできたことなんてひとつも覚えがない。俺だってもうちょっとスマートに生きたいし変わる努力は必要だと思いながら、どうにも変われる気がしない生き方だ。もうすでに手遅れな気がするし、だからこそある意味で覚悟のいる生き方だ。

 なのでこういう答え方しかできない。この開き直りにも聞こえる俺の言葉に、一色はまたまたため息を吐いて呆れてみせる――かと思いきや、意外なほど真剣な表情で俺の顔を覗き込むようにまじまじと見てきた。な、なんでしょうか……?

 

「なんで先輩って先輩なんですかね……」

 

 それは俺に言っているようでいて自分にも言っているような、答えなんてないと知っているのに心にわだかまる疑問の存在を確認するためだけに声に出した言葉のように聞こえた。

 

「なんだよそれ? 禅問答? 八幡考える故に八幡ありってそんな感じのヤツか?」

「そういうくだらないことはぽんぽん言えるのに、肝心なことは全然言ってくれないところとかってヤツです」

「……よく言われる」

 

 だから返す答えもなく、一色の真剣な表情にそぐわないと知りつつも敢えて軽妙な態度ではぐらかすように応じると、ぐさっと胸に刺さる言葉を返された。ああ……雪ノ下にも由比ヶ浜にも、さらには平塚先生にも似たようなこと言われたなぁ……。ここまで多くの人から同じアンサーをいただくと、我ながら短所が明確過ぎて、このめんどくさい性格も一周回って単純に思えてくる。

 心当たりの多さに俺が苦り顔で頭を掻くと、それに一色はふっと口許を緩めて何故かどことなく満足気な顔で笑った。

 

「だったら、それがわたしからの恋愛アドバイスです」

 

 そしてそう言うと、手を軽く握って俺の胸をトンと小突いた。

 

「お、おう……」

 

 それはとても軽い当たりで全然痛くないのにどうしてか俺の胸に強く響いて、もう少し頑張らないといけないなという気持ちにさせられた。依然として何をどう頑張ればいいのかは具体的によくわからず、手探りも手探りの暗中模索もいいところだが……。

 

「頑張って責任とってくださいね☆」

 

 そんな俺の心中を見透かしたのか、一色がにっこり笑顔でダメ押しのように言ってくる。ノーとは言わせない圧の強い笑顔だ。これに「前向きに善処します」とか返したら、このままノーモーションでグーパンを顎に決めてきそうな笑顔だ。俺はコクコクと何度もうなずいた。

 俺のこの恭順な態度に満足していただけたのか、笑顔の圧を下げた一色はそこで目を細めると、今度はいたずらっぽい軽やかな微笑みを見せた。

 

「で、どうします?」

「何が?」

「雪乃先輩と二人でグランピングしますかー?」

「勘弁してくれ……」

 

 突然何を言い出すかと思えば……。蒸し返された話題に俺が泣きを入れると、一色はやれやれと芝居がかったモーションで肩をすくめてため息を吐く。

 

「はぁ、しょうがないヘタレの先輩ですね。だったら、またわたしと練習しますか?」

「悪い冗談だ……」

「もちろんです♪」

 

 俺の苦り切った顔を見て、一色は上機嫌にそう笑う。すっかりいつものからかい上手のいろはちゃんだ。まったくため息しか出ない後輩である。このため息は呆れでもあり感嘆でもある。つまり敵わないということだ。

 

「ですから大切なことは、きちんと大切だってわかるように言ってください――」

 

 そして最後にそう付け加える。俺がうなずくと、一色は「約束ですよ?」と小指を立てて俺の顔の前に出してきた。

 俺と一色の小指が絡む。

 

「これで嘘ついたら針千本か……」

「その前にゲンコツ一万発ですね♪」

「容赦ねぇなぁ……」

「そのぐらいの責任が先輩にはあるんですよ――」

 

 そして小指が離れる――その瞬間、一色の瞳に切なげな光がよぎったのを見た気がした。

 

「だから前にも言いましたけど、もっとちゃんとしてくださいね?」

 

 しかしそれも一瞬のこと。そういつか俺を叱咤した言葉を口にしたときには、もうそんな光は幻ででもあったかのように微塵も見えず、キリッと真摯なまなざしで俺を見る一色いろはの顔があるだけだった。

 本当に一色いろはは俺には過ぎた後輩である。

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