やはり俺の青春ラブコメはデートからしてまちがっている。 作:現役千葉市民
「由比ヶ浜、疲れたか?」
「あれ? ヒッキー、みんなは?」
トイレに行っていた由比ヶ浜を、俺は子ども動物園の入口の前で待っていた。
「雪ノ下と小町はこの中でウサギやヤギのエサやりに夢中だ。一色はなんか飲み物買いに行った。俺にはここで目印に立ってろだと」
一色が言うには「普段は立っているぐらいしか使い道がないんですから、しっかり目印やって下さいね」だそうだ。まったく、あいつは俺のことをよくわかり過ぎている。
「とりあえず俺は一色が戻ってくるまでここいるから、先に雪ノ下たちの……」
「ヒッキー」
由比ヶ浜が近くにいた。お団子髪をくしくしと弄りながら俯き加減にこちらを窺って、由比ヶ浜が俺に一歩距離を詰めていた。その表情は真剣で深刻で、だから俺は彼女の正面にむかい直して続きの言葉を待った。
この俺の態度の変化に由比ヶ浜はうなずいて、今日までずっと内に抱えていたであろう言葉を吐き出した。
「あたし、邪魔じゃないかな……」
由比ヶ浜の瞳が揺れている。不安が瞳に映っている。
「いいだろ。みんな楽しんでる。雪ノ下だって――」
「自分で選んだことだけど……」
三人の関係性の継続を望んだのは由比ヶ浜だった。けれどそれが正しいことかどうか迷っている。近くにいればいるほど、その気持ちが大きくなる。やがて自分の決断が間違っていたのではないかと疑い出す。あの日の決意より疑う心が大きくなれば、この関係性はかつてのように偽りに満ちていく。それを由比ヶ浜が危惧している――。
これは全部俺の想像だ。俺が彼女の立場だったらそう心を動かすだろうというだけの想像だ。だが確証を与えるように、揺れる瞳の由比ヶ浜が俺の目を見て言った。
「迷惑だったら言って」
俺は一息吐くと、由比ヶ浜の少し震えている手を見やりながら口を開く。
「……三人だったから」
間違わないように。そう意識しながら言葉を選ぶ。
「三人だったからこうなった。だからどうのこうの言っても、こうにしかならなかったんだろうし、これが由比ヶ浜の心から望んだことなら、最後までどうなるか見届けなくちゃいけないことだと思う。でなきゃ、きっとなにか間違う」
由比ヶ浜は黙って俺の言葉を聞いている。俺を見ている。俺の言葉を待つ彼女は、いつだってこうして俺を待っていた。この優しさに今までどれだけ甘えてきたことか。だから――、
「これは雪ノ下にも言ったんだが――」
だから俺は言うべきことを言わないといけないのだ。
「いらなくなったら捨ててくれ」
くしゃっと笑った彼女の目尻から涙が流れた。
「……なんかズルい」
涙を隠すように俯いた由比ヶ浜が、俺の胸に握った手をポスンと突きつけた。
「ごめんな。だから、好きにしてくれていいんだよ」
「そういうのも……ズルい」
もう一度パンチを喰らう。その通りだと思った。けれど傷付けてでも、傷付いてでも、たとえそれが本当の正解でなくても言わなければ、あの紅茶の香りが消えた日のときのように、間違いを嘘で塗り固めた関係が続いてしまうのだ。それが、この一年で俺が学んだすべてだった。
「先輩」
そこで、泣く由比ヶ浜の後ろからスッと一色が現れた。俺と由比ヶ浜は跳ねるように驚いて、一色の顔を見る。
「い、いろはちゃん」
「い、一色、これは――」
「なにこんなところで女の子を泣かせてるんですか? サイテー」
問答無用で俺に蔑みの視線を加えると、一色はハンカチを取り出して由比ヶ浜の涙を拭いてあげていた。
「い、いろはちゃん、大丈夫、自分で拭けるから――」
「ハンカチくらい用意しといて下さいよ。女の子はいつ泣くかわからないんですからね? 本当に立ってることしかできないなんて……」
由比ヶ浜の言葉に一色はハンカチを手渡すと、俺を見て呆れた声でそう言った。ぐうの音も出ないとはこのことか。まったく面目ない次第でございます……。
「……うん、もう大丈夫。ありがとう、いろはちゃん」
泣きやんだ由比ヶ浜は手鏡を取り出して泣き痕をチェックしてうなずくと、一色にハンカチを返して俺に向き直った。
「ヒッキー」
その声はなにかふっ切れたような爽やかさを響かせていて、
「辛いけどヒッキーの言う通りだと思った。だから――」
もう揺れていない瞳で彼女は俺の目を見ると、
「好きにするね?」
そうすっきりとした笑顔で言って、雪ノ下と小町のいる方へ走っていった。
「ゆきのん! あたしもエサやりしたい!」
抱きつく勢いで二人に合流した由比ヶ浜を見る俺の前に、いきなりマッ缶が突き出される。突き出された方向に目をやると、一色が含むような笑みで俺を見ていた。
「……言いたいこと言えました?」
「まさかお前……」
ちょっと背筋がぞくりとした。まさかこれ、狙ってやったとか言わないですよね? どんな策士? 司馬懿も泣いて土下座するレベルの孔明の罠ですよ、コレ。
「そう思うなら後でお返しをお願いしますね?」
マッ缶を突き付けるように俺に手渡すと、一色は「飲み物みなさんの分も買ってきましたよー」と、さっきの諸葛孔明バリの策士笑いなどなかったようなトーンの声を出しながら、三人と合流していった。
「いろはす、恐るべし」
マッ缶を一口飲む。マッ缶の甘さが毒の蜜のように舌に広がるのを感じた。