鹿狩りの料理人 作:ガチャ敗者
ミラーは家の鍵を開け、刻晴をリビングへとあげる。
「ここが……」
相も変わらずの面白みに欠ける、モノの少ない無味乾燥と言って差し支えない空間。だが、刻晴はまるで目に見えない何かを感じ取っているかのように、あまり使われていない家具のひとつひとつに優しく触れる。
「なんというか、安心したわ。ちゃんと掃除もしてるみたいだし」
「はは、なんだそれ。俺は一人じゃ暮らせないとでも思ってたのか?今でも朝は7時に起きてるんだぜ?」
「あら、それはいい心掛けね。……貴方の寝室も見てみたいんだけど、いいかしら」
「?いいけど何もないぞ」
前置きをしたうえで言われた通りに自室まで先導したミラーは、刻晴とともに部屋に入る。中にあるのはなんの変哲もないシングルベッドと、短剣やらナイフやらを並べた机。
この場所を語るにはその二つの家具だけで事足りる、「何もない」は伊達ではなかった。
「ほらな、言っただろ?何も出てこないからここに用は「やっぱりね」……え?」
退室を促していたミラーの言葉を気にすることなく、刻晴は迷いのない足取りで机の前に立ち、
その瞬間、彼は一瞬呆けたのちに冷や汗が背筋を伝うのを感じた。私室の引き出しを開けられる程度、刻晴相手に咎める気なんて起きはしないが、そこの中身を見られるのだけは勘弁願いたい。
「貴方は二段目に大事なものとかを入れるわよね?」
「おまっ、待て落ち着いて話をしよう!つかその口ぶり、さては俺が使ってた部屋漁ったな!?」
「銀鏡につながるヒントを得る為にはしょうがないでしょ?だって勝手にいなくなったんだもの」
「うぐ、いやあまぁそれに関しては誠に申し訳なく……ってそれだけは見ないでくれ!マジでおねがいします!」
懇願するミラーに、刻晴はいたずらっぽい笑みを浮かべて、取り出すのは中にあった『一枚の紙』。裏向きに伏せられていたソレは、サイズは彼女の手を少しはみ出る程度で、質感には硬さがある。
ミラーにとってソレはなにも、後ろめたかったり立場が悪くなるようなものでは無い。ただどうしようもなく恥ずかしく、見られようものなら汗顔の至り。それを彼の眼から感じ取った刻晴は、僅かな黙考ののちに「えい」と表向きに返した。
「うわあぁぁぁぁ!」
「……………えっ?これって、私?」
刻晴の瞳に映ったのは、
正確には、そんな刻晴の一コマを精巧に切り取った似顔絵。
紙面に居る彼女は、弾けるような笑みでありながらも、信念と気品を忘れてはいない。見る者の心に明るい日の光を刻み込む、人を惹き付けて止まない、いつまでも真っ直ぐに進み続ける刻晴という人間が、
神と仙人に頼るばかりの璃月を変える為に、奔走する彼女のそばで、彼女の想いが成就することだけを願って支えていた銀鏡が、一番好きだった顔だ。
「ミラレタ……オワリダ……」
「えっ、と」
「何だ、俺を56せ」
「その、絵もうまいのね」
「ありがとう、頼むから56してくれ」
「なんて言うか……勝手に見てごめんなさい」
「いや、うん……勝手に描いてすみませんでした」
それから少しの間、ミラーの部屋には何とも言えない沈黙が満ちる。ミラーは、絵を見られた事に腹を立てている訳では無いし、刻晴は刻晴で、別に勝手に自分の絵を描かれていようが特段思うところは無い。
ただ、そんなフォローに気を回す余裕が無いくらい、互いに感情がキャパオーバー寸前だった。刻晴が似顔絵をそっと引き出しにしまったのを合図に、ミラーは話を戻すべく軽く咳払い。
「……えー、オホン。まぁ、俺の部屋はこんな感じだよ」
「んんっ……そうね。物が少ないのは変わってないけど、それも貴方らしくていいのかもしれないわ」
まるで愛おしむように、ゆっくりと机を撫でる刻晴は、名残惜しさを感じつつもその場を離れる。そしてミラーの前に立つと、彼女はポケットからあるものを取り出し、彼に差し出した。
それは『鍵』だった。ミラーにとってその鍵はとても大事で、決して見覚えがないなんて言えないもの。
銀鏡として刻晴とともに過ごした、璃月港にある彼女の自宅兼仕事場の鍵。
「受け取りなさい」という事だろう、だが自分にこれを預かる資格があるのか。最悪の別れ方を選んだ自分に、再びあの場所へ足を踏み入れる資格があるのか。
「銀鏡」
その呼び声に、彼の視線は彼女の手のひらに釘付けになりながらも、「刻晴……?」と小さく返す。
「私はいつまでも貴方を待ってるわ。だから、いつでも帰ってきていいのよ」
「!───ごめん、ありがとう」
軽く自己嫌悪だ、ここまで言われないと踏み出せないだなんて。ミラーは不甲斐ない自分を恥じて、そっと鍵を手に取った。一年前、掌に収まるこの小さな鍵を諦めた時の辛さが、心の奥から顔を覗かせていた。
「隙ありね」
その瞬間を狙い、刻晴はミラーの手首を掴んで引き寄せる。
そして、若干前のめりになった彼が反応するよりも先に、刻晴は踵を上げた。
素早く離れる彼女がミラーに残したのは、一瞬だけ頬に感じた柔らかな
「え……ぁ」
一拍遅れて腑抜けた声を漏らすミラーは、自分の頬に残された感触を間違っても消す事のないように、ゆっくりと手を添える。そして、先ほどの不意打ちにどういった意図があるのかを訊ねるべく、3歩程度距離を取っている刻晴の方を見た。
部屋の中央で、彼女はしてやったりといった風な微笑で余裕を飾っていた。だが、そんな刻晴の視線はミラーとかち合わず、微妙に直視を避けているようだ。
想定以上の羞恥に襲われ、用意していた言葉が吹き飛び、年上としての矜恃だけが表情をそれっぽいものにしている刻晴。
そして、そんな刻晴の見てわかる取り繕われた平静と、彼女からもらった一撃で、ミラーは『自分の中の何かが決定的に切り替わった』のを実感した。
「ふ、ふふ……どう?びっくりしたかしら、1年も姿を晦ましたり、その間に沢山の女の子と知り合ったりしてるのはこれでチャラにしてあげるわ!まったく銀鏡ったら、人付き合いの男女比率がちょっと傾き過ぎてるんじゃない?そういうお年頃なのは大人として理解してあげられるし、貴方の人となりは知ってるからそもそも下心が無いのは分かるけど!」
そのまま黙っているのに耐え切れなくなったのか、一転して早口で捲し立てる刻晴に、ミラーは胸の内に生まれた衝動のまま、ふらりと距離を詰める。
「大体、璃月に居た時からいろんな人と仲良くなるのが早いのよ!素晴らしいことではあるにしても、いつの間にか凝光にまで気に入られ「刻晴」……え?」
そしてミラーは、ようやく彼の接近に気付いて呆ける刻晴を、抱きしめた。
「?……!?!?ちょ、ちょっとどうしたの銀鏡!?」
「なんか、色々と我慢の限界がきたみたいだ」
珍しく慌てた様子を見せる刻晴に、それとは対照的な落ち着きを見せるミラーは、そう囁くと腕に込めた力を少し強める。
前触れなく掻き抱かれる刻晴は、耳に触れる彼の微かな息遣いと、溶け込んでくるような体温に、否応なく安らいでしまう。
「あっ……我慢って……急にこんな事、心の準備くらいさせてくれてもいいじゃない」
「だよな、すまん」
とは言いながらも抱擁を解くことはしない。やがて刻晴は観念した風に、ゆっくりと彼の背に腕をまわした。
斜陽が射す部屋にあった2つの影は1つになり、甘く暖かい鼓動が同調する。
互いの心音から感じる想いは静かに通じ合い、言葉は不要とばかりに刻晴の懐中時計の音だけが耳に届いている。
「……ねぇ」
「ん?」
「私、いつまでも待ってるって言ったけど……なるべく早く帰ってきてくれると嬉しいわ」
「あぁ、俺もそのつもりだよ」
ミラーは、刻晴を抱き寄せていた腕を惜しむようにゆっくり放し、代わりに彼女の肩にそっと手を置いた。それを合図に、刻晴も彼の胸に埋めていた顔を上げて目を合わせる。
「ところで、さっきは
そう言ってミラーがトントンと指差すのは自分の頬。
「う……だって、貴方にもし気になる子が居たら悪いじゃない。だから、
少し拗ね気味に肯定する刻晴は、頬を赤らめてそっぽを向いた。彼女なりに『ミラー』としての1年を尊重した結果が、先ほどの頬への口づけだ。
そんな彼女にミラーは苦笑する。モンドで沢山の人と出会い仲を深めはしたが、心の真ん中に居る人間はこれまでも、これからも変わらない。
「はは、やっぱりか。んー、そっちからしてくれたって事は、俺がお前に同じ気を遣う必要は無いよな?」
それだけ言うと、ミラーは依然として顔を背ける刻晴の柔らかい頬に手を添え、優しく自分の方へ向き直させる。
「ぁ……」
いつでも自らの成すべき事を見据える、迷いのない真っ直ぐな彼女の瞳は、今はその奥に期待をにじませてミラーを見上げている。
そして、2人は一度だけ唇を重ねた。
「……必ず帰る」
「うん、待ってるから」
「この続きは、俺が璃月に帰ってからかぁ……」
「続き?……っ!?そ、そういうこと言わないの!」
「え?あ、ごめん声に出てた」
数日後の夜、璃月港の刻晴宅にて。
「はぁ、ちょっと疲れた……」
凝り固まった肩を揉みほぐしながら、刻晴は今日処理すべき案件を全て片付けたのを確認し、仕事部屋を出てキッチンに立つ。
元々は銀鏡のものである少しサイズの大きいエプロンを身に着け、食材を準備したところで、彼女はいつも通り『銀鏡の手記』を開いた。
「ふむふむ……よし」
銀鏡が帰ってこなくなってすぐに、家の中の何から何までをひっくり返す勢いで、彼の居場所を見つける手がかりを探していた時。
銀鏡の部屋にある机の、上から二段目の引き出しにあった手記には、『各料理ごとの最適な味付け』が纏められていた。
「……できた」
刻晴の前で皿に盛られている『揚げ魚の甘酢あんかけ』は、お世辞にも「美味しそう」という表現には届かないものだ。
だが、口に運んでみれば評価は一変。目から入る出来栄えの微妙さと、舌が伝える味覚の喜びが、脳を軽く混乱させる。
「ほんとにどうなってるのよ」
それが銀鏡への賞賛なのか、はたまた自分自身の料理の腕に対する絶望なのかは、彼女のみぞ知る。
なんの問題もなく完食した刻晴は、さっさと洗い物を終えて銀鏡の手記を仕舞う。
「ありがとう、今日も美味しかったわ」
当然その言葉に応える者は居ない。1年前であれば、少し照れながらも誇らしげに、「どういたしまして」と返してくれる青年の姿があったのだが。
しかし、以前まで心をチクリと刺していたそんな静寂も、今となっては何でもない。彼を見つけた時に、変わらず着けていた髪留めもその一因。
銀鏡は自分の事を忘れておらず、嫌っている訳でもなかった。そしてこの瞬間も、続く夜空の下で呼吸をして、彼なりの生活をちゃんと送っている。それだけで不安なんて何も感じない。
「お風呂に入ろっと……」
私室に入って着替えを手に取る……前に、刻晴は机の上に飾っている一枚の『写真』へと意識を向けた。
特注の写真立てに収まっているのは、
写真機と呼ばれる製品の試作品を預かっていた彼女が、馬車の御者に頼んで撮影してもらった一枚だ。
「……ふふっ、そろそろ届いた頃かしら」
刻晴と再会してから数日後の夜、モンドにて。
物の少ない寝室でベッドに横たわり、封筒から取り出した一枚の写真を眺めるミラー。
そこに写る刻晴はとても穏やかで、眩しいものでも見るかのように目を細めている。
ミラーとしてはその表情が、彼女の隣に写る自分の照れ笑いを見て浮かべたものというのは、若干複雑な心境だが。
「さて、届いたのはこの写真と……」
璃月港から送られてきた封筒には、写真以外にもう一つ。『ヘアピン』だった。
「へぇ……頑丈なのは助かるな」
つくりがシンプルな分、かなり丈夫なようで、これならば多少派手に動き回っても破損する事はなさそうだ。
細かな傷が目立ち始め、だいぶボロくなってしまった髪留めを、写真と一緒に2段目の引き出しにしまう。
そろそろ眠る時間であるミラーは、その前に窓辺に立ち、夜空に散らばる星々を見繕って、続いて目を閉じるとそれらを線で結んだ。
まぶたの裏に浮かぶのは『紫金錘重座』。柱のような一念が傾かぬよう常に自らを律する、紫がかった黒の色彩が美しい赤銅の下げ振りは、刻晴を象徴するのに不足無い命ノ星座。
「すぐに帰るからな」
ミラーは刻晴の待つ家へ帰るために、公子との因縁に決着をつける覚悟を決めた。
注意:刻晴の命ノ星座に関する描写は、あくまで一個人の身勝手な解釈によるものです。公式が「こういう意味やで」と言ってるわけではないので、そこんとこよろしこ。
そして申し訳ない話、ここからは不定期での更新になるかと思われ。溜まってる諸問題やら詰みゲーを片付けねばならぬ……チカレタ
適当にポチポチ書いてるので、暇なときにチラ見してくれるとありがたいです。