その前に苦痛を与えた人間が、何を言っているのだとは思うけれど。
「…これで騒動は終わったが…シャル、一回テスタロッサに帰るか…?」
ナズナが恐る恐るしたその提案に、あたしは思い切り縦に首を振る。
それを見た彼はがくりと肩を落とし、ダーカンさんとユキヤ君に慰められていた。
◆◆◆
あたしは一時帰宅のつもりで、テスタロッサの家に帰ってくる。
メイド達から全身のお手入れをされ、髪も肌も艶々にされた。
誰に見せる事もないので、されるだけ無駄な気がするのだが。
「お嬢様がお嫁に行っちゃうんですねぇ…寂しくなりますぅ…」
あたしについて来ず、テスタロッサに残ったシンシアが、しみじみと言う。
「シンシア…別に帰って来ないってわけじゃないのだし…そんなに寂しがらなくても…」
「でもぉ…ナズナ殿下と蜜月を過ごすんですよねぇ? お嫁に行っても、私達の事忘れないでくださいねぇ?」
忘れないから、と彼女には言うけど。
蜜月、蜜月かぁ…。
初めてって痛いって聞くけど、大丈夫かしら?
それで合わなくて別れてしまう人達も多くいると、中学の時のクラスメイトの人達が言っていたっけ。
「不安だわ…」
「不安なら結婚は取りやめにしましょう、お嬢様。えぇ、ナズナ殿下に無理に嫁ぐ必要性はございませんとも」
シンシアに髪のケアをしてもらっていた時、ターニャが部屋に入って来るなりそう言う。
あたしは鏡越しに、呆れた目を彼女に向けた。
「いやね、ただの戯言じゃないの。それに、ナズナに嫁がなかったら、あたしは誰のお嫁さんになれば良いのかしら?」
「お嬢様が他所に行く必要が? テスタロッサで一生過ごせば宜しいのです。ここなら、お嬢様を害する物は全て駆除致します」
こういうのなんて言ったかしら?
強火担だったっけ?
そして同担拒否ってやつも入ってるのかしら、ターニャ。
全部、親衛隊時代のミーハーな子達から教えてもらった用語だけど、多分合ってる、はず。
「もう、ターニャってば。貴女とお義父様の間に生まれた子が、肩身の狭い思いをするのは分かりきった事ではないの? こんないかず後家なんて、目の上のたんこぶ並に厄介じゃない」
あたしはシンシアから差し出されたハーブティーを飲んだ。
とても落ち着く香りだったので、あとで茶葉のブレンドを教えてもらおうと決める。
「お嬢様は尊いのだと、我が子にも教えますとも」
「やめなさい」
本気の目で言うものだから、あたしはターニャを止めた。
その狂信者ぶりは、ちょっと怖いのだけど。
「…と、冗談はこのくらいにして。お嬢様、何が不安なのでしょうか。私で良ければ相談に乗りますが」
「えーと…」
あたしは少し頬を染めながら、ターニャを手招きで呼ぶ。
傍に来たターニャに耳打ちで、しかも小声で先程考えた事を話した。
成程、と彼女は言い、
「男性次第ですね」
と宣う。
取り敢えずレクチャーして貰ったが、顔から湯気が出るんじゃないかと思うくらい濃い内容で、何回か倒れかけた。
その度に、シンシアなりターニャなりが介抱してくれたが…あと二ヶ月後にこうなるのかと、目を覆いたくなったのも事実で。
「ナズナとまともに顔合わせられないー…」
「なら、婚約破棄致しましょう」
嫌だ、とあたしは首を横に振る。
「嬉々としてその提案をしてこないで、ターニャ。貴女本当に、ナズナ並にあたしを溺愛しすぎていてよ」
そう言うと、当たり前です、と返された。
「お嬢様は私の大事な主人であり、大事な娘であり、私の宝物のようなお方です。お嬢様を傷つけるモノは、誰であろうと何であろうと無惨に切り裂き、引き千切り、畑の肥やしにしてやりますとも」
「惨すぎるわ、ターニャ…なら、お義母様って呼んでもいいじゃないの…」
それだけは、とターニャに縋りつかれてしまったので、その話は早々に諦める。
そして一晩経ち、あたしは寮の部屋に転移した。
早朝に帰ると伝えていたので、ダークグリーンのワンピースと、黒のブラウスに着替えさせられる。
また服が増えたなぁ、なんて苦笑しながら、あたしは部屋の中を見回した。
あと一月で、この部屋を去る。
ナズナと過ごした二年間。
彼と笑って、泣いて、愛情を伝え合った部屋。
とても、寂しいと思ってしまう。
「シャル? 帰ったのか?」
寝室から、ナズナが寝ぼけ眼で出てきた。
そんな彼に、あたしは微笑む。
「ただいま、ナズナ。城にいると思っていたのだけど、こちらに居たのね」
「あぁ。尋問やらなんやらで、時間がかかりそうだったんでな。それに、ここにはシャルの匂いがあるから…」
あたしの匂いって何なの。
安心出来るからって意味なのかしら?
本人が目の前にいるのに?
あたしは少しムッとなって、腕を広げる。
その動作に、ナズナはいつもの彼の微笑みとは違う、ふにゃっとした笑顔であたしを抱きしめてきた。
首筋に顔を埋め、甘えるように動かしてくる。
くすぐったくて、あたしはクスクス笑ってしまった。
「シャルの甘い匂い…本当に好きだ…」
「今日は甘えん坊さんね、ナズナ? まだ寝ぼけているの?」
彼の頭を撫でると、うん、と彼は頷く。
暫くそうしていたのだが、段々覚醒してきたようで、ナズナが動作を止めた。
あたしからゆっくり離れ、顔を真っ赤に染めて目を逸らしながら、忘れてくれ、と懇願されてしまう。
可愛かったので、あたしは一生忘れる事はないだろうな、と思った。