お義父様に、ナズナの護衛に戻る事を伝え、あたしは再び別荘へと戻ってきていた。
深呼吸、深呼吸。
ナズナの自室の扉の前で、あたしは深呼吸を繰り返している。
今日も今日とて、陛下達は遊び呆けているらしい事に、若干苛立ちを覚えたが。
コンコンと扉をノックする。
どうぞ、と声が返ってきて、あたしはそっと扉を開けた。
こちらを見ず、ナズナは書類に向き合っているようで、人が入ってきたというのに顔を上げもしない。
「…随分仕事熱心ですこと。そんなに重要なものなのですか、ナズナ殿下」
「そうだな。お前が抱きついてくれたら、もっと効率が上がるかもしれないが」
そんな笑えない冗談言わないでもらいたい。
抱きついたところで、作業効率が落ちるだろうに。
「…テスタロッサの家の人達に、幸せになれって後押しされたわ。でも、ごめんねナズナ。カヅキを見つけるまで、貴方と婚約出来そうにないの。あたしの決意が揺らぐ事はないから。それに、貴方は王太子じゃない? 喪が明けても、誰とも婚約しなかったら周りが煩くなりそうよね。貴方の事は好きだけれど、やっぱり」
「しつこいぞ、シャル。俺は、お前以外を娶るつもりはない。周りが煩い? そんなもの黙らせてやる。王太子の座を降りろというなら、降りてやるさ。俺は、お前以外の女を妻に迎えるつもりはない。覚悟しておけ、シャル。俺は、決めた事を覆すつもりはないからな」
顔をあげ、ナズナはあたしの方を見るとニッと笑った。
とても清々しい笑顔。
年相応に見える微笑み。
あたしが、愛してしまった笑顔。
「ありがとう、大好きよナズナ」
「俺もだ。愛してる、シャル」
好きと愛は同じに見えて、許容が違うのではないだろうか。
だとしたら、あたしからナズナへの気持ちより、ナズナからあたしへの気持ちの方が大きいという事になりかねないのでは?
なんてくだらない事を、ナズナの隣に椅子を引っ張ってきて座りながら思う。
「そういえばナズナ。いつからあたしを好きだって思ってたの?」
「…あの感覚を覚えたのは、お前に初めて出会ってからだな。あれ以来、俺は少しおかしくなった。俺から触れられても、お前は嫌な顔一つしなかっただろう。だから調子に乗ってしまっていた、というのもあるな」
ナズナに触れられるのは心地いい。
あたしより大きい手のひらに、触れられるのは。
「お前はどうなんだ、シャル。いつから俺を好ましいと思っていた」
「あたしは…貴方の笑顔を見た時から、かな。王太子としての顔も、その時の笑顔も見ていた。でも、素の笑顔は違うの。それにとてつもなく惹かれてしまった。その顔をあたしにも向け始めてくれた時から、あたしは貴方を…愛してしまっていたわ」
左利きの彼の腕とは反対方向、右の肩に頭を乗せる。
この時間がずっと続けばいいと願ってしまうのは、贅沢な望みなのだろう。
今はまだ、あたし達の関係を周りに知らせる事は出来ない。
でも、いつかは。
「そうか。嬉しいものだな、お前の言葉は」
「あたしも嬉しいわ。貴方に愛情を向けてもらえるのは」
二人で顔を見合わせ、笑う。
あぁ、幸せだなぁ。
これでカヅキが見つかれば良いのに。
なんて、そんな奇跡がすぐ起こるはずがない。
それはわかっている。
でも願ってしまう。
なんてあたしは強欲な人間になってしまったのだろう。
前世のお父様達が見たら、呆れてしまう事でしょう。
でも、あたしは今幸せです。
「…そう言えば。前世の家がどうなったか、ターニャに聞くの忘れてたわ」
「ターニャ…あぁ、テスタロッサ家のメイド長か。中々優秀な人物だと記憶している。シャルと同郷だったのか?」
暫くナズナとイチャイチャした後、彼の仕事を覗き込みながらあたしは前世の事に思いを馳せる。
あたしが亡くなってから、あたしの責は妹が継いだ事だろう。
申し訳ない事をした。
「あたしの前世である、篠原家のメイド長だったの。あたしの育ての親的存在の人でね。あたしの礼儀作法も全て、ターニャが仕込んでくれたの。社交界に出ても恥じないようにって。教え方は厳しかったけれど、根はとても優しい人なのよ。カヅキは、それを理解しないまま亡くなってしまったけれど」
今度家に帰ったら、篠原家がどうなったかターニャに聞かないと。
別に未練があるわけではないが、妹がどうなったかだけは知りたい。
「そうか。喪が明け、婚約の打診をする際挨拶に伺おう」
「…実質、プロポーズを受けたんだものね、あたし」
今更ながらに、少し恥ずかしい。
「まぁ、保留にされて終わりだろうがな。早くそのカヅキとやら見つけ出せよ、シャル」
ツンツンと頬をつつかれ、あたしは彼の手を掴む。
正直それは鬱陶しい。
「わかってますー。ナズナこそ、他の女に目移りしたらその足叩き折ってやるから」
「誰が目移りするか。目の前に、初恋の女がいるんだ。他の誰にも渡すつもりはない」
待って、それは初耳なんだけど。
ナズナと恋人になった事より、そちらの方が衝撃すぎてあたしは暫く固まったままだった。