影武者華琳様   作:柚子餅

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20.『許定、于禁と共に買い物するのこと』

 

 華琳らが蜂起した賊徒の討伐に向かってから一週間が過ぎていた。

 その七日の初日、拓実は曹仁の秘書を任されていたのだが、これは桂花の補佐を延長させたような仕事だった。補佐対象である曹仁の元に訪れてみれば、彼女は責任者の認可書類やら華琳が戻ってきた時のための報告書作成やらに追われ、執務室であたふた右往左往していた。どうやらやることが重なり過ぎると混乱してしまって、逆に手が止まってしまう性格であるらしい。とはいえ拓実の方で案件に優先順位を付けて順番さえ作ってやれば難なくこなせるようで、溜まっていた仕事も二人で取りかかれば夜には曹仁一人で処理できる量にまで減らすことができた。ともかく、拓実にとって久々の頭を使った仕事であったから体を酷使することもなく、それほどの苦労はなかった。久しぶりの内務の仕事にはりきっていたぐらいだ。

 残った六日は当初の予定どおり警備の仕事であった。華琳が不在だからといって直接的な影響はない筈なのだが、街はどうにも不安げに揺れていた。出動回数も平常時より増えていたように思う。とはいえこちらも許容範囲内である。いつもどおり街中をあちらこちらへと駆けては伝令役をこなして回った。

 

 戦力外通告を受け、置いていかれる形になった拓実は戦働きが出来ないことを不甲斐なく思いながら、今自分に出来る仕事を必死にこなしていた。監督していた華琳たちがいないからこそ(たゆ)まず朝から晩まで動き続けた。彼女たちがいない今だからこそ、拓実は少しでも求められている能力を身につけておきたかった。今もきっと華琳たちは黄布の賊を相手に戦っているはず。だからこそせめて次の機会には彼女の力になれるよう、自分も頑張らなくてはならないと考えていた。

 そう考えていた拓実は業務が終わった後の時間を使って、ある場所で人知れずの特訓を自身に課していた。華琳より近いうちに出陣することを告げられ、このままでは同行もできないことにようやく気づいたのだった。

 

 この時代では、主な移動手段は馬である。乗馬でも馬車でもいいが、兎にも角にも馬を制御できなければ話にならない。拓実の失念していたのはこれだった。いくつか突飛と言える特技を持つ拓実でも、流石に乗馬経験まではなかったのだ。このままではいざ出兵だ、遠征だとなっても歩兵に混じって歩きどおさなければならない。仮にも武将の身の上では行軍速度、指揮精度からいってもあってはならないことだった。

 ならばこそ、拓実はこの一週間のうちに練習してでも乗れるようにならなければならないのだが、そう簡単に済む話でもなかった。後世のような補助器具のほとんどが存在していない。(あぶみ)もないため鞍に腰を下ろして両足で馬を挟み、手綱だけで馬を操らねばならないというのは素人にはあまりに厳しい。

 また肝心の馬にしても半ば放し飼いされている為かはわからないが気性の荒い馬ばかりである。さらに馬に対してどう接していいかを拓実は知らない。厩舎にいる兵士に注意点こそ聞いたが、細かい部分は完全に手探りである。

 

「止まってってば! どうどうどうー、そうそう、落ち着いてーって、うわあ!?」

 

 情けない声と共に、逸った馬を制御しきれずに拓実は落馬した。横に体勢を崩した拓実が馬の背から転げ落ちるが、これも慣れたもの。体を捻ってなんとか受身を取った。

 

「ぎ、あぐっ……ううー!」

 

 しかし衝撃は殺しきれずに背中を打った拓実は呼吸が出来ず、草むらに転がっては悶絶して涙目になっていた。厩舎の警備を任された兵士たちが密かにその様子を伺っているのだが、拓実が落馬すると「あぁ……」と残念そうに声を上げる。しかし、痛みにそれどころではない拓実は気づかず、うめき声を上げるだけだ。

 拓実が跨っていた青鹿毛の若い馬は、落っこちてしまった拓実の頭を鼻でぐいぐい押しやるとチャイナドレスの裾をはむはむとあまがみする。最初こそ見慣れぬ姿、嗅ぎ慣れぬにおいのする拓実に警戒していたが、許定の物怖じしない態度が幸いしてか、今となっては馬たちもいたずらに不安を感じることはない。

 

「……っ、つ、続きいくよ。ごめんね、もう少し付き合ってね」

 

 じゃれついているのか、心配されているのか、ともかく拓実はそれを受けて何事もなかったようにすっくと立ち上がった。覗き込んでいる若い馬の首をさわさわと優しくさすってやる。

 馬たちにしても日中に演習で走っている。拓実に無理に付き合ってもらっているに過ぎないのだ。ならばこそ気遣われてもいられないと奮起して立ち上がったのだが、拓実の顔は強張ったまま涙目で、痛みはまだひききっていない。体はプルプルと震えている。なんのことはなく、単なるやせ我慢であった。

 

 こうして地面に転がるのは今日になってもう何度目だろうか。とりあえず片手では足りないのは確かだ。拓実も気をつけてはいるのだが、一度体勢を崩すと持ち直すことができない。激しい上下運動に馬を挟む足の力が中々長続きしない。

 だが、もう少しでコツが掴めそうなのだ。現に乗って軽く走らせるだけなら、直線のみだが何とかなっている。あとは速度。それに転回や進路方向変更に耐えられる姿勢作りである。とはいえ、上下に揺れる馬上では、それこそがなかなかに難しいのである。

 

 ともかくそんな訳で、警備での仕事を終えた後拓実は厩舎へと直行し、飼葉を与える兵がはらはらと見守る中で乗馬訓練を行っている。それは遅くまで続けられ、体力の限界まで近づくと拓実はそのまま厩舎で眠ってしまう。

 未だに満足には乗れないものの拓実がそのまま自分たちの寝床で一緒に寝てしまうものだから、長時間一緒にいる馬たちは拓実がいても緊張せずに過ごせるようになっていた。

 

 

 拓実が内股の筋肉痛やら、鞍にこすれてひりひりする腿の痛みやらでひょこひょことした変な歩き方になり、それを邪推した兵士たちの間で相手を探すための調査隊が結成された日。また、拓実が三週間に渡る警備隊での任期を終えた日。一週間の討伐を経て、華琳たちが陳留へと悠々と凱旋した。

 伝令から事前に戦果は聞いていたが、文句のつけようがないほどの快勝であった。被害は少なく、だが成果は大きい。拠点を奪取したことで、領内の黄巾の賊徒もしばらくは鳴りを潜めることだろう。加えて、村に駐屯して黄巾の賊徒に抗戦していた楽進、李典、于禁を筆頭にした大梁義勇軍が華琳に仕えることとなったようである。

 その日は戦勝祝いに街を上げての酒宴が開かれ、拓実も許定として華琳の立会いの下で楽進、李典、于禁の三人と顔合わせをした。驚くべきかこの三人もまた少女であった。そのうち李典はいつか街の視察で見かけた竹かごの物売りをしていた少女であり、面識があった拓実であるが、やはりというか李典は許定と荀攸を同一人物だとは看破できなかったようである。

 警備での仕事を無事に終えていた許定は、新たに傘下に入った義勇兵の隊長である楽進を、李典や于禁と共に補佐するよう命じられる。そしてこれから共に部隊を指揮する仲間として、拓実と三人は杯とともに真名を互いに交わし合ったのだった。

 

 

 

 いくらか慌しいものの平時の姿を取り戻した陳留に首都洛陽より勅命が下った。

 長々とした前置きを省いて要約してしまえば、黄布の賊の討伐へと赴く官軍を助け、または合流し、共に駆逐するように促す旨が書かれている。朝議の場にて華琳によって公表された要旨は至って簡潔であったが、しかしそこに含まれている意味は一つではない。

 諸侯に助力を請うということで官軍独力で討伐するだけの能力がないことを自ら露呈している側面もあったが、ともかくこれより黄布を持つ暴徒たちは正式に朝敵として定められられたのである。これにより、きな臭かったこの時勢に沈みかけていた大陸各地がにわかに活気付く。ただの暴徒の鎮圧とは違い、相手が朝敵ともなれば倒した功績によっては今まで腕っ節にしか取り柄がなかった者でも地方を任される役職に封ぜられることもある。

 

 真に大陸の平穏を求めてか、それとも富や権力を求めてかはそれぞれだろうが、この日を境にして義勇軍が各地で蜂起し、賊相手に快進撃を続け始めた。黄布の賊と関わりを持たない民からすれば、略奪者を倒す彼らは正義の徒である。その噂は英雄譚のように旅人や民を通して市井へ広まっていく。現に華琳たちが住まう陳留にも各地で活躍する領主や豪傑の名が聞こえてくる。噂の中にも拓実が知った名がいくつか出てきていた。

 

 有名どころを首都周辺より挙げていくなら、まず洛陽の東、(エン)州には曹孟徳こと華琳の名が轟いている。その北に隣接している()州には、膨大な資金力を用いて大軍を有する袁紹の存在があった。

 更にその北には幽州を治める、白馬義従で名高い公孫賛。また、その領地からは南下していくように劉と丸十字の旗を並べた義勇軍が賊を破って躍進を続けているという。

 洛陽の西部で内部の賊や外敵を押さえているのは馬一族。それによって功を立てた馬騰は洛陽へ出仕し、征西将軍の座へ。またその子である馬超の武勇も旅人からはちらほらと聞こえている。また同じく西部から官軍へと仕官した董の旗を持つ軍勢があったという。官軍の大将軍何進の下、彼らは主に洛陽の防衛を任せられているようである。

 大陸南部では江東の虎孫堅の名は久しく、袁術の配下にいるという小覇王孫策の勇名が届いていた。

 

 そうして周囲の噂話を集めて拓実がことさらに驚いたのは、孫堅が既に死去していることであった。

 孫堅とは海賊退治や黄巾党の討伐で名を上げて反董卓連合へと参加し、その半ばで没してしまう人物である。おおよそ百年に渡る三国時代では序盤で退場してしまう人物ではあるが、しかしこの存在が孫呉に与えていた影響はあまりに大きい。端的に言えば、黄巾党蜂起直後に既に不在というのは考えられない。彼の功績によって後の孫呉の土台が作られているのだ。下手をすれば一国が欠け、諸葛亮が説いていた三国鼎立どころの話ではない。

 だがそれを補うように、精力的に賊を討伐して回っているという孫策や孫権の活躍も届いている。本来ならば二人合わせて二十に届くかといった歳のはずなのだが、ここではどちらももう妙齢の女性のようである。おかしなところで均衡がとられている不思議にしばらく思い悩む拓実であったが、違和感を覚えているのが己のみという状況でこの差違の原因などわかる筈もなく、数日経ったころに考えることを放棄した。

 

 また、危うく孫堅が没していることに目がいってしまって流してしまいそうになったが、噂に聞く孫堅、孫策、孫権、袁紹、公孫賛、馬騰、馬超らはみな女性であった。

 毎回のことなので最近は目新しくもなくなっていたが、それでもやはり拓実の常識からすればこれは異常なのである。出来る限りでその規則性を調べてみたが、曹操、孫策らの有名どころを始めとして、馬騰や劉表など現代である程度の知名度を持っている人物は大抵が女性になっていることがわかった。また年齢もおおよそ十代後半から三十代ほどまでとなっており、史実では年配の者でもここではそう歳を取っていない。

 身近な例でいうならば、いずれ華琳の下に集うであろう四十を軽く超えている筈の程昱などもおそらくは年頃の少女となっているのである。旅人から伝え聞いた情報と照らし合わせても今のところ例外は見つかっていない。おそらく、この話の信憑性は低くはないだろう。

 

 いよいよもってこの世界のことがわからなくなってきた拓実であったが、それを気にしている余裕はない。現状、許定と荀攸とを比較すれば、圧倒的に荀攸が大きな働きを見せている。ようするに役割の釣り合いが取れていないのだ。

 武と智。二つを兼ね揃えている華琳だからこそ、その代役をこなすには全てにおいて一定水準以上の能力を求められる。せめて自衛を満足にこなせるだけの力量を身につけないと、本来の役割である影武者としての責務を果たすことができないのである。それを身につけるため奔走する拓実に、悠長に物事を考えているだけの時間などは存在していなかった。

 

 

 華琳にしばらくは許定として鍛錬に専念することを告げた拓実は、午前は楽進――凪の補佐をしながら兵の指導を学び、午後は春蘭や季衣、凪と共に調練。夕刻からは乗馬訓練と休む暇なく動き回っている。

 そのうち、ようやく乗馬については目処がついた。馬上槍や騎射などの片鱗は影も形もないが、とりあえず身一つでならば行軍についていくことは出来るだろう。ただその代わりというのか、桂花より書簡を渡され、華琳の筆跡を真似るようにと言いつけられてしまったので相変わらず多忙には変わりなかった。筆跡を真似終えたとしてもおそらく拓実に空白の時間などは訪れはしない。一つこなせば二つ三つ次の課題が出てくることだろう。果たして、その規模は違えど華琳とどちらが多忙なのだろうかなどと、拓実は書き取りをしながら益体もないことを考えた。

 

 

 

「……むぅ」

 

 姿見の前で拓実は首を捻る。髪の毛を持ち上げ、下ろし、両手を眺めてはまた首を捻る。姿見の中の拓実の姿は、多少日焼けし、ところどころ擦り傷がついているものの一ヶ月前と大して変わりはない。ちなみに日焼けといっても秋蘭より日焼けを抑えられる油を渡されているので、城の中に篭りがちな華琳と比べても多少健康的といった程度である。

 余談ではあるが、秋蘭は許定状態である拓実に対して異様に過保護になる。もしかしたら小さい頃の春蘭に似ているらしいということが関係しているのかもしれない。

 

 さて、それはともかく今日は久方ぶりの休日。朝廷からの要請に従い、数日後には黄巾の賊徒討伐遠征が控えている為、華琳が特別に休みを作ってくれたのだ。

 休みにされ、しかしやることがない拓実は許定の着ている白い無地のチャイナドレスに花模様でも刺繍しながらのんびり過ごそうかと思っていたところ、于禁――沙和より買い物の誘いを受けたのだった。警備隊や兵の指導など、連日の野外での仕事に前述の日焼け止めの油も切れ掛かっていたところだったので応じたのだが……。

 

「髪の毛や爪が伸びるのが遅いような……」

 

 出かける前に、爪が伸びていたので爪を切る道具を探したところ爪切りばさみが出てきた。現代ではお目にかかったことのないそれに四苦八苦していたところ、おおよそ二ヶ月に渡って爪を切っていないことを思い出したのだ。そうして注意してみれば、髪の伸びも以前に比べて遅くなっている気がする。未だに生え際がうっすら黒味を帯びている程度だ。

 よくも今まで染髪していた髪色について考えが及ばなかったものだ。このまま地毛である黒髪が生え続ければ、それは華琳の知るところになろう。そういえばと思い返せば、拓実も染髪しているということを打ち明けたことはなかった。

 これはかなりよろしくない。どうすべきか。金の髪を持つ人間から髪を買い、かつらを自作するという手もあるが、はたして事が露見する前に完成してくれるか。なれない環境によるものかはわからないが、髪の毛の伸びが異様に遅いのは拓実にとって願ってもないことである。実のところその事実に気づいた時は脂汗が止まらなかったものだ。

 

 ともかく、買い物である。衣装以外に使い道もなく、溜めていたお金を巾着に移しておく。金の髪を売っている人がいるならば買って帰らないとと心のメモに残しながら、拓実は部屋を後にした。

 

 

「へぇー。拓実ちゃんってば、元々の髪の毛の色、黒だったんだー。でも、やっぱり金髪のほうが似合ってるかもなのー」

 

 待ち合わせの城門にて、沙和は拓実が染髪していたことに大きく声を上げた。ファッションに詳しく人一倍お洒落に気を遣う彼女だから、普通の人ならば気づかない拓実の髪の生え際に気がついたのだろう。気をつけねばと思っていたところで一発で露見したことに、拓実は思わず頭を抱えていた。

 んー、と人差し指を顎に当て、沙和はこてんと首を傾げてみせる。一緒に横でまとめられた明るい茶髪のお下げが大きく揺れた。めがねの奥でぱっちり開かれた目が宙を見つめ、そのままで何度か瞬きしている。何事かを考えているのだろう。

 その様子を呆然と見ていた拓実は、ふとここが二世紀中国だということを忘れそうになっていた。スカートにキャミソール、細工の入った髪留めや指輪などお洒落にこだわりがあるのが一目でわかるだろう。戦闘する際に着用する装備はともかく沙和の普段着に関して言えば、現代日本でも辛うじて見かけそうなものである。

 

「でも染髪剤って使い心地はどうなのかなー? 阿蘇阿蘇にも載ってたけど、読者の声では髪の毛が痛むから注意って書いてあったしー」

「へ? 売ってるの?」

 

 そのままぼんやりと沙和を眺めていた拓実は、思わず呆けた顔で間の抜けた声を返してしまう。

 

「? 売ってるよー。確か、陳留だったら『壱丸級』に置いてあると思うけど……拓実ちゃんもそこで買ったんでしょ?」

「え、うん。そーだけど……」

 

 とりあえず話を合わせなければという思いで相槌を返す。沙和は不思議そうな表情を浮かべた後、会得がいったように頷いている。

 まさかまさかとは思ったが、染髪剤まで存在しているとは。あまりの出鱈目にいつもならば頭が痛くなる拓実ではあるが、この時ばかりは素直に染髪剤を開発した者に感謝した。

 

「あ、そーだよね。最近になって滅取(メッシュ)とか入れてる人も出てきたし、もしかしたら売り切れてるかもなの」

「メッシュ……」

 

 またも呆然と声を上げる拓実の頭の中では、警備隊で巡回している時のことが頭によぎった。そう言われれば、スカートやらの洋服意匠の物を身につけている女性がちらほらメッシュを入れているのを見たことがある。赤、青、黄と頭髪の色がばらばらだから生来からのものかと気にせずにいたが、メッシュに限っていえば染髪によるものだったようだ。

 

「んー、凪ちゃんも真桜ちゃんも付き合ってくれないから私も最近行ってないしー。良かったら拓実ちゃん、付き合ってくれないかなぁ?」

「うん! ボクも欲しいものあるし、一緒に行こー!」

 

 正に沙和の誘いは拓実にとって渡りに船である。飛びつかんばかりに沙和の申し出に返事を返す。『壱丸級』なる店の場所ぐらいは警備の仕事上把握していたが、店構えがあまりに女の子女の子し過ぎていて気後れしてしまい、入ったことはない。

 流石に一人で入るのは、この姿をしている拓実といえど勇気がいった。元々許定のモデルとなっている季衣がお洒落に気を使う性質ではないこともあるかもしれない。だが一緒に入ってくれる人がいれば居心地も多少良くなるだろう。

 

「やったー! それじゃ早速行くよー。今日はいっぱいいーっぱい見て回るのー!」

「おー!」

 

 にこにこと笑う沙和に、拓実はぴょんぴょんと飛び跳ねて続く。道中、阿蘇阿蘇の特集内容を話す沙和と、その内容にふんふんと頷いている拓実。話を聞いて期待を膨らませた拓実はテンションを上げていくのだが、しかしその元気が続くのも始めの二時間までだった。

 

 

 

 午前に出発して、空はもう赤く染まり始めている。出発から七時間後、城門をくぐった拓実は酷い有様であった。

 よれよれの状態で両手に荷物を抱え、拓実は行きとはうって変わって消沈していた。その隣を歩く沙和は、どうやら不完全燃焼なようで少し眉を寄せている。拓実は疲労から口数が少なくなっているが、沙和はおそらく別の意味で黙っている。

 

 あの後、『壱丸級』にたどり着いた二人はハイテンションで店内を見て回った。シンプルだが品のある店内に、小洒落た商品。若い女性客ばかりで、なかなかに盛況である。

 そのうち、アクセサリーなどの小物の区画を見て回っている時はまだよかった。お互いに似合いそうなのを探しては合わせて、似合うだの少し違うだのと話して盛り上がる。化粧品も話についていけないところがあったが、勉強にはなった。問題はその後、相変わらず何度来ても二世紀中国の品揃えとは思えない服屋である。

 まさに沙和の真骨頂といった様子であった。自分に似合う服を探すのもそうなのだろうが、それ以上に他人の服をコーディネートするのが好きなようなのである。あれこれと試着させようとする沙和から拓実は人ごみに紛れて必死で逃れ、物陰に息を殺して隠れた。

 最初こそ数着は試着して見せていたが、最終的には下着から何から着替えるように促されたのだ。服だけならまだいいのだが、下着関連まで持ち出されてしまえば拓実としては逃げるほかない。「拓実ちゃんっていっぱい食べるし動くから、すぐおっきくなっちゃうから」とは言われても、拓実が大きくなる予定などはない。あったら怖い。

 

 数時間に渡る攻防に拓実の精神はがりがりと削れていったが、とりあえず当初の予定であった染髪剤は予備を含めて複数買い込み、切れ掛かっていた日焼け止めも買い足した。予定外の出費としては、無くしがちなヘアピンをいくつかと、あとは沙和が薦めてくれた淡い感じの花の香りがする香水が一つ。

 沙和は沙和で気に入った様子の服を数着に、小物をいくつか。加えて社練(シャレン)抜具(バッグ)とやらを購入。記憶違いでなければこれらの代金だけでも拓実の給料の半分を超えている。拓実にはちょっと理解できないが、本人が満足気なのだからいいのだろう。

 買い物自体は楽しかったし色々勉強にもなった。沙和が薦めるだけあってセンスがいい店だった。また行こうとは思う。けれども今日のようなのはごめんだった。一人でならいいけれど、沙和と一緒の買い物はしばらく控えたいというのが正直なところである。服屋という場所に限り無尽蔵ともいえるバイタリティを発揮する沙和に付き合うには、英気を養ってからでなければこちらが潰されてしまう。

 

 定まらぬ足取りで城内を歩き、ようやくといった体で部屋の辺りまで着くと、少し先を歩いていた沙和がくるりと振り返った。反応の鈍くなった拓実は一拍遅れて沙和が向き返ったことに気がつき、ぼんやりとそれを見る。

 

「今日回れなかったところは、次のお休みの時に回ろうねー。本当は明日にでも行きたいけど、拓実ちゃんお休み今日で終わりみたいだし。それじゃ拓実ちゃん次のお休みにねー。今度は逃げないで服合わせに付き合ってほしいのー」

 

 ぶんぶんと笑顔で手を振り、荷物を抱えながらも元気に自室へと駆けていく沙和。対して、もはや疲労はピークで、帰ったらそのまま眠るつもりだった拓実は部屋の前で身動ぎすらできなくなった。自室に辿り着くための最後の気力は沙和のその一言で絶たれ、瞳からは光が消えていた。

 今日あれだけつきあったというのにまだ足りていないというのか。次の休みも、一日買い物で潰れてしまうのだろうか。凪や李典――真桜が、沙和との買い物をあれやこれやと理由をつけて避けているのは何故なのか、体で理解させられた拓実だった。

 

 

 


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