影武者華琳様   作:柚子餅

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53.『劉岱、舞台に立つのこと』

 

 

 人和は、木の棒の先端に取り付けられた卵大の翡翠の塊に触れる。舞台の直前は気が張り詰めるものだったが、今日はいつもよりも緊張が強い。呼吸を数回、意を決して握り込むと、拡声の妖術が掛けられている翡翠は中心より淡い光を放ち始めた。

 

「今日は、私たち『数え役満☆姉妹(しすたぁず)』の舞台に来てくれてありがとう。舞台を始める前に、みんなにお知らせすることが二つあります。……ごめんなさい。天和姉さん、ちい姉さんは、今日この舞台に来れなくなってしまいました」

 

 舞台の左右に配置された箱から増幅された人和の声が響くなり「始まった!」と客席が沸き立つ。そして続く内容にざわめき始めた。理解に及ぶと重なり漏れるのはため息ばかりで、舞台から見える観客も気落ちしているのが大多数である。おそらく彼らは天和と地和を主に応援している者たちなのだろう。

 最近、黄巾党では三姉妹のうちの一人をお気に入りとして応援し、その派閥を大きくすることが流行っているらしい。しっかりと調べ上げたことはないが姉妹全員を分け隔てなく応援しているのがおよそで二割。天和が三割。地和が三割。人和は全体の二割ほどと数こそ控えめだが、富裕層が多く金払いが非常によろしいという特徴があった。ある意味それで釣り合いが取れていたが、しかしこういった状況ではどうしたって数が物を言う。壇上の人和は、姉たちとの人気の差を目の当たりにして思わずたじろいだ。

 

 済南は中央通りにある広場の舞台に、公演衣装をまとった人和は立っていた。壇上に天和・地和の二人の姉の姿はなく、一人きりだ。人和自身、こうして一人で舞台に立った記憶がない。いつも三人一緒だったからだ。

 元々、芸人となると決めたのも天和・地和の二人が言い出したことで、人和はそれに巻き込まれる形だった。歌は好きだし、観客いっぱいの舞台は夢見ていたけれど、人和一人であれば邑を出て芸人になる決断は出来なかっただろう。控えめな性格の人和は、活動的な姉たちに引っ張られてここまで来た。巡業するようになってから今まで、舞台の上ではいつも姉たちが盛り上げ役になってくれていた。情けない話だが、姉たちの真似をしようにも同じことを上手くこなせる自信がない。盛り下がっていく観客を前に人和はどうしていいかわからない。巡業を続けて数年、今や人和は大陸屈指の歌手となったが、客席を温めたりといった芸人としての技術は未だ素人同然なのであった。

 

「聞いて。もうひとつのお知らせは、本当は、全員揃った時に発表したかったんだけど……新しく私たちに加わって、一緒に舞台を作り上げていくことになった子がいます。上がってきて」

 

 己一人で観客を盛り上げることは難しい。人和はそれを理解していたから前もって策を用意していた。そしていくつかある策の中で、最も大掛かりで頼みの綱となるのが『彼女』だ。

 人和の声に従い、壇上に上がってくる少女を見る。若草と桃色の舞台衣装にはところどころに彼女が趣味で作っていたという、『麗衣透(れえす)』なる透かし模様の白い布地が縫い合わされていて、美しく豪奢ながらも軽やかな印象を見るものに与えている。彼女の穿いている裙子(スカート)も大陸に広まっている肌に密着するものとはまるで違っている。ふんわりと花が咲いたように持ち上がって、空を飛んでいるかのように鮮やかである。そして耳上で二つ結びにした金髪は日光を反射してキラキラと輝き、その突飛ながらも幻想的な衣装とあいまって、人和をして現世の者とは思えずに仙女の類かと見間違えてしまう。

 控えめに手を振り、笑顔を振りまいている姿からは緊張と僅かな怯えが見て取れる。黄巾党の男たちは物語の中から飛び出てきたような装いの見慣れぬ少女の登場に顔を見合わせるばかりで、突然のことに声もなく困惑を隠せない様子だ。

 

「こんにちはー! 私、公山といいます! よろしくお願いします!」

 

 人和の隣に立ち、顔を真赤にした劉岱がやけくそ気味の声を上げて頭を下げると、客席からようやくどよめきが返ってきた。

 ――そう、これこそが人和の講じた奇策。天和・地和・人和の三姉妹に新たな『義妹』を加えることであった。

 

 

 

 

 

 面接の日から早くも一月が経とうとしていた。拓実の姿は、今日も酒家『垂木(たるき)亭』の二階にある黄巾党事務所にある。

 

「ひーん。こんなの、絶対おかしいよぅ……」

 

 日暮れ時、薄暗くなった部屋の中に虚しく声が響く。その声は震えていた。すこしばかり涙声であった。拓実は一つの仕事を終わらせ、次をと見やった途端に耐えきれず机の上に崩れ落ちたのだった。そこに積まれた山からは一向に終りが見えてこない。

 執務机にしなだれかかってぼんやり部屋の中を見渡すと、まず机の上に高々と積み上げられている紐解かれていない竹簡が目に入る。隣には棚が併設されていて、ここに天地人三姉妹の活動資金からの支出資料やら、青州の地図やら、過去に州軍がまとめていた主要都市ごとの資料やらが乱雑に置かれてあった。

 部屋の反対側には今座っているものとは別に大きな作業机があり、そちらの上には針と糸、はさみ。横には三着のスカート、そして作りかけの上着や型紙が置かれている。色とりどりの布が衣桁に重ねて掛けてあり、質、量ともに下手な布問屋よりも良い品揃えで拓実は圧倒されてしまって気後れするばかりだ。

 壁には木板がいくつか据え付けられており、主に拓実の仕事上の覚え書きに使っているものだが、三姉妹や付き人全員分の予定が書かれているものも混ざっている。また、暗くなってからでも仕事が出来るようにと灯りに使う油はたっぷり常備されている。夜間は冷えるため、暖房に使う薪も一緒だ。部屋の隅には椅子が四つ積み重ねてあって上から毛布が掛けられており、並べると簡易寝台にもなったりする優れものである。なんと、限界が訪れても宿に戻らずにこのまま仕事場で仮眠が取れてしまうのだ。

 ――ごちゃごちゃと物の溢れかえっているこの部屋が、拓実の仕事部屋だった。なんと付き人の中でも唯一拓実にだけは事務所に個室が与えられている上、事務所の敷地の三分の一を占める大部屋である。特別待遇と言えば聞こえはいいが、拓実はまったく嬉しくない。それだけ与えられている仕事の種類が多いというだけである。

 

 さて。三姉妹の付き人である拓実、霞、子義の三人であるが、姉妹それぞれに一人ずつ専属で付くという訳ではなかった。得手不得手がはっきり分かれている為に、その時々に三姉妹が適した付き人を連れて行くという形に落ち着いた。

 霞は、子義の言っていたように三姉妹の身辺警護と三十人弱からなる親衛隊の指揮を主に任されることとなった。付き人と聞いても何をすればいいのかぴんと来なかった霞は、そちらのほうがよっぽどわかりやすいとやる気を見せている。外出の際には基本的に霞が護衛として付き添うこととなり、なんだかんだ三姉妹と打ち解けてからは食事を一緒にしたりと一番おこぼれに預かりやすい。

 子義は、護衛の任を霞に譲って後援会の統制を受け持つことになった。まとめ役として会内での決まり事を作り、それを守らない輩を締め上げる役目である。主な仕事は公演前後の告知、注意事項の徹底。また有志を募って済南周辺の警邏、及び黄巾党を騙る悪漢の捕縛を行っている。しかしそれでも毎日のことではないので手隙になりやすく、よく護衛に加わっては三姉妹や霞と一緒にご飯を食べて帰ってくる。

 そして残る拓実の仕事であるが、溜まっていた過去数ヶ月分の収支計上を引き継ぎ、その上で今後の予算計画書の作成。後援会からまとめられた三姉妹への手紙の検閲・今後の公演要望等の集計、三姉妹及び付き人全員の予定管理。そして舞台衣装の製作――――に留まらず、公演舞台を含めた公共施設の建造や使用手配、済南の環境改善政策の実行、人材登用の窓口等々、枚挙に暇がない。仕事の分担が偏ってはいないだろうか。そこのところが拓実は腑に落ちない。

 

 天地人三姉妹は、公演に使う予定の舞台を見に行きたいと朝方に出て行った。ついでに買い物してご飯を食べて帰るとのことである。いつものことだった。それはそれは上等な服や小物なのだろう。それはそれは美味しいご飯なのだろう。被服・雑費と飲食費の額面がえらいことになっているのを、他ならぬ拓実は知っていた。

 霞と子義は三人について行った。荷物持ちと護衛と街の警邏を兼ねてだそうだ。付き人だから当然である。いつものように三姉妹と一緒にご飯も食べてくるのだろう。場合によってはお酒だって飲んでくるのかも。それは付き人としてどうなのだろう。

 拓実は留守番だった。付き人の筈なのに、拓実はいつも事務所に置いてけぼりなのだった。それというのも溜まりに溜まった仕事があるからだ。やってもやっても終わりが見えない。それどころか朝を迎える度に増えていく。それに追われる毎日だ。最近の拓実の楽しみは、一階垂木亭の日替わり昼定食である。大盛り無料か、サービスで甘味をつけるか選べるのだ。

 

「あー、う゛ー……」

 

 人和に溜まった事務を頼まれ、天和から舞台衣装の細かい指示を受け、地和からは次回公演の予定のすり合わせをするようにと急かされる。そうして寄越される仕事をこなしていると日が暮れているのである。しかして仕事は終わらない。

 うなだれながら拓実は頭を抱える。やることが多すぎてどうしたらいいのか、どこから手を付ければいいのかがわからなくなっている。とにかく人手が足りていない。なにせ拓実一人での孤軍奮闘状態である。

 

 金遣いの荒い三姉妹はこれまで、黄巾党内外有志からの付け届けで興行活動をしていた。店などにも結構な額のつけ(・・)が溜まっている。そうして調べてみれば、なんだかんだ一勢力として見劣りしない規模の青州黄巾党だが、なんとまったくお金が足りていない。役人不在の青州を支配下におく黄巾党が行っているのは三姉妹が活動拠点にしている済南周辺の治安維持ぐらいのもので、税収はなく街の運営にはほぼ手付かずの状態なのである。拓実が付き人となる以前より地主や商会、住民からは街の整備の要望が上がっていたのだが、しかし三姉妹は公演活動以外のことはしたくないとそれらを放置していた。つけの精算もあって税の徴収を条件にして引き受けざるを得ない拓実は、帳尻を合わせるために政務に手を付けなくてはならなくなってしまった。

 こういった方面に強そうな人和も、肩の荷が下りたとばかりに拓実に一任して事務所に顔を出してくれない。自分が姉二人にやられてイヤだったことをそのまま拓実に押し付けているのはどうかと思う。

 

「詠ちゃん、桂花ちゃーん、助けてぇ……」

 

 生憎、ここ青州で事務仕事を手伝ってくれそうな人材にも心当たりはない。にっちもさっちもいかなくなって途方に暮れた拓実はめそめそと泣き言を漏らす。劉岱に詠や桂花との面識はないが、過労と眠気により朦朧としていて演技が少し剥がれていた。

 仮にここにいたのが荀攸であったとしても毎日の残業は避けられないが、劉岱では泊まり込みしても終りが一向に見えてこない。荀攸時と比べて極端に計算などが遅いとかいう訳ではないのだが、手順や段取りを効率的に組み立てられず、さらに集中力が持続してくれない為に作業能率が悪いのだ。

 非常に失礼な物言いになるが、劉岱の元としている人物――劉備も政務を得意としていない。人(たら)しの才能は華琳をも凌ぐが、それ故に人に助力を乞うて事を成す、適材適所を知る人間である。このような事態になれば、自力ではどうにもならないと見切りをつけてそれに長けた人間に手伝ってもらったことだろう。そして残念ながら、劉岱の側には助けとなる伏龍や鳳雛はいないのだ。

 だからか、拓実は今いる環境がひどく心細い。大事な物がぽっかりと欠けたままで、拠り所がない。じくじくと胸のうちに巣食っているのは、利き腕と利き足がなくなってしまったかのような不安定さばかりだ。――仲間がいない。劉備にとって義姉妹である関羽に張飛、そして北郷一刀はかけがえのない精神的な支柱であったのだ。劉備を写し取った劉岱には、当然ながら代わるものがなにもない。

 

「……ううん、ダメ。街の人たちも困ってたみたいだし、私にだってできることがあるなら頑張らないと! 弱音なんて吐いていられないよね!」

 

 机に顔を埋めたまましばらく目をつむっていた拓実は、慢性的に苛まれている眠気に白旗を上げそうになったところで気を取り直し、ぱちんと頬を叩いて頭を覚醒させにかかる。

 一人なのは大変だけれど、街の運営に携われるのは決して悪いことではない。上手くやれたなら、きっと多くの人の助けになれる仕事だ。それは劉岱にとっての本懐であり、願ってもないことだった。

 

「何やってるの?」

「あれ? 人和ちゃん?」

 

 なかなか眠気が晴れてくれないものだからそのまま両頬をぱちぱち叩き続けていたところ、珍しい人物が部屋を覗き込んでいた。怪訝そうな顔をした人和である。夕暮れで薄暗いからだろうか、いささか色を失っているように見える。

 三姉妹が堅苦しいのを好まない上に年もそれほど離れていないということで、面接では敬語を使っていた拓実もいつからか砕けた口調になっている。

 

「帰ったわ。劉岱は夕飯まだでしょう? はい、これどうぞ」

「えっ、ありがとう人和ちゃん! わあ、美味しそう!」

 

 人和から蓋付きの小さな竹かごを受け取ると、中には様々な具材が練り込まれている色鮮やかで美味しそうな焼売が敷き詰められていた。まだ温かいご馳走を前に表面上は喜色満面の拓実であるが、(この特注の竹かごは済南にも支店のある高級店『一報亭』のもの、お値段も相当に高級だった筈)と脳内で銭勘定を始めている。事務所で経理仕事ばかりしている弊害であった。

 さらに言えば、貰い物のお菓子を事務所に置いていったりしてくれたことはあっても、普段は出掛け先から直接帰宅していた三姉妹がわざわざおみやげを買って事務所に戻ってきてくれたことはなかった。特に、三姉妹の中でも人和は経理の仕事を拓実に任せて事務所に寄り付かないものだから、こうして一人だけ戻ってきたことがますますもって不可解である。

 

「それで、言い難いのだけれど……」

「ふぁい? っん、なあに?」

 

 拓実はそれらの疑問をあっさり放棄していた。ここ最近は四六時中あれこれ悩んでいるのでせめて食事の間ぐらい考え事から離れたい、無意識の逃避である。

 そうして頭の中を空っぽにして目の前のお土産に箸をつけていると、それを見計らっていたように声がかかる。口の中にある焼売を急いで咀嚼し飲み下した拓実は瞬きして声の主である人和を見ると、あまり感情を顔に出さない彼女が珍しく眉尻を下げて申し訳なさそうにしていた。

 

「その……四日後、午後に公演が入ったから」

「公演?」

 

 それはまたなんとも奇遇な。ぼんやりそんな感想を浮かべながら二つ目の焼売を箸で摘んで、口に運ぼうとしたところで拓実は停止した。

 

「あれ? それって以前からみんなにお話しておいた、済南名士の方々を招いてお披露目する四日後の公演のこと、だよね」

「いいえ。別の公演の話」

「別の公演って……」

 

 拓実の言う四日後の公演は正午からの半刻を予定している。その後には懇親会があるので、人和の言う別の公演の開始が午後からではいずれにせよ都合が合わない。

 

「ええっと、済南から税収を得る条件って言ってたから、なんとか全員の予定を空けられるようにって前々から調整していたのに? それなのに予定入れちゃったの?」

 

 それというのも、済南を取り仕切っている商家の当主や地主、有力氏族、漁業組合の顔役たちを招いて以前から予定していたものだ。公演それ自体は三姉妹の人気をわかりやすく知らせる為の余興みたいなものなのだが、目的はその後の顔合わせである。もちろん、肝心の三姉妹がいないのであれば話にならない。

 拓実もついつい棘のある物言いになってしまっているが、致し方あるまい。好き勝手する三姉妹の予定調整は難航していて、拓実をここ数日の間寝不足にさせていた原因なのである。

 

「四日後、泰山で東岳(とうがく)大帝を祀る大きな催しが開かれるの。たまたま導師様が済南に来ていて、話をしたら参加させてくれるというのよ」

「はぁ」

 

 東岳大帝――宗教に関連するので深く理解出来てはいないが、別名で太山府君とも呼ばれる泰山信仰を象徴する神と拓実は記憶していた。生死を司る伝説があり、泰山自体も道教における聖地と定められている為に大陸を代表する岳のひとつである。

 そんな考え事しながらの、半ばふてくされているような気の入っていない拓実の相槌に、人和が言葉を詰まらせた。

 

「その、泰山の催しってすごい影響力があって、今回参加できたなら太平道に繋がりができるから、他の地方での活動が格段にやりやすくなるのも確かなのだけど。それを知って、ちい姉さんが乗り気になっちゃって」

「……わーかーりーまーしーた! もうっ! 地和ちゃんがそっちの催しに行くなら、明日にでも街に告知をし直さないと………」

「それが天和姉さんも……。えっと、流石にまずいと思って私は済南に残れるように話はつけたから」

「えっ! こっちに残ってくれるの、人和ちゃん一人なの!?」

「……」

 

 自分で言っておきながら、以前から取り決めてあった顔合わせに一人だけで参加というのは無理があるとは思っていたのだろう。人和は拓実から目を逸らした。

 

「でも、人和ちゃん一人だけじゃあ。せめて天和ちゃんはこっちに……」

「それが、最初はちい姉さんが勢いに任せて三人全員で参加するって導師様に言ってしまってて、あちらも私たちが参加することをすごい喜んでくれていたの。なんとか私は外せない予定が入っているってことで辞退させてもらったものだから、さらに天和姉さんも参加しないというわけにはいかないし、ちい姉さんも一人なんて絶対嫌がるだろうから……」

 

 言葉を濁しているが、乗り気である地和にとって優先順位はそちらが上で、天和と地和は動かせないということらしい。それはつまり、天和・地和の不在で普段よりも盛り上がりに欠けるだろう観客を相手に、人和が話術で場を繋ぎながら三曲ほど歌を披露して観客をおおいに沸かせ、三姉妹の威勢を招待した有権者たちに見せつけその後の会合で可能な限り高い税率を引き出させなければならないということになる。

 

「え? それじゃ、ど、どうするの? 人和ちゃん一人で公演、できる?」

「せめて天和姉さんかちい姉さん、どちらか一人が一緒にいてくれないと場が持たないわ。……劉岱、顔合わせはともかく公演の方だけでも中止には?」

「いまさら無理だよう……。だって、三姉妹の人気を直接見てもらういい機会だからって人和ちゃんから聞いてたから済南中どころか近隣の邑にも告知しちゃってるもん……」

「そうよね……」

 

 付け加えれば、天和・地和の二人が不在と告知を出し直せば多少なり動員数は減り、三姉妹の人気を見せつけるという目的を達成できなくなるかもしれない。歯抜けになった客席か、大合唱からのブーイングか、無策で挑めばどちらかが現実の光景となるだろう。当然ながら、程度の差こそあれどちらも失敗には違いない。

 あまりの難題を前に、人和が頭痛をこらえるようにこめかみに手を当て、深く溜め息をついた。しかしながら溜め息をつきたいのはむしろ拓実の方で、正直なところ喉まで文句が出掛かっていた。基本的に温厚な劉岱ではあるが、数日掛かりの仕事を台無しにされたとあって心がささくれだっている。

 

 もはや食事どころではなくなり手に持っていた箸を置いて――――ふと手元のかごを見る。この高級なお土産は、予定調整を台無しにしてしまったことへの人和なりのお詫びだったのだろう。色々と言いたいことはある。あるのだが、それに気づいたら胸に巣食っていた怒りはみるみる萎み、代わりに同情が湧いてくる。今回のように好き勝手する姉二人の下、末っ子に生まれたばかりに振り回されてきただろう人和の苦労を想像してしまったのだった。元凶は姉の方であり、多少なりこちらの都合を考えて動いてくれていた人和ばかりを責めるのは酷だろうと、やり場のなくなった不満を無理矢理に飲み込んだ拓実は気を取り直した。

 とにかく、今は四日後に迫る公演を乗り切る方法を考えなくてはならない。しかし、拓実が考える限りでは成功の目は薄く、人和一人という条件では建設的な案すらも浮かんでこない。正直に言ってしまえば手詰まりのように思う。

 

「こうなったら、でっちあげるしかないわね」

 

 それでも打開策はないものかと拓実が頭を捻っていると、人和が呟くようにそう口にした。彼女にとって出来るなら避けたい選択で、それを押しての苦渋の決断だったのだろう。その顔には未だに躊躇(ためら)いの色が残っていた。

 

「でっち? 何を……?」

「姉さんたちの不在が霞むような重大発表を、よ」

 

 言葉の意味を飲み込めず、拓実はひたすらに首を傾げるばかりである。そうして人和に両肩を掴まれ真正面から見据えられて、拓実は思わず顔をしかめた。肩が軋んでいる。その握力が、まるで捉えた獲物は逃さないとばかりに力強かったからだった。

 

 

 

 

 四日後、拓実の姿は舞台の上にあった。何の事はなく、天和・地和の不在を新人加入という告知で相殺させた上、舞台を盛り上げる手助けを頼みたいとのことだったのだ。

 本公演限定の特別参加ではなく、以後も『数え役満☆姉妹』に正式加入させるとしたのはその方が今後の活動を大きく左右する為に衝撃的な発表になる、ただただそれだけの理由であった。今回の地和の勝手には人和も腹を据えかねていたのか、公山の加入に関して地和には事後承諾だということである。天和にはきちんと事前に伝えて快諾を貰っている。

 さて、三姉妹よりよっぽど多忙な劉岱がこうして舞台に立つようになったのはただの消去法であった。確かに最初に声がかかったのは拓実だったが、現状ですら業務過多のてんてこ舞い状態なので当然のこと断った。しかし続いて霞と子義に声を掛けたところ三姉妹の歌う歌の歌詞すら覚えていない上、フリフリした衣装を着て観衆の前で歌を歌うなんて柄じゃないとにべもなく断られてしまったのだった。他に頼るあてもなく困り果てた人和は再び拓実の元に話を持ってきて、そして困っている人を放って置けない劉岱は最終的に引き受けてしまった。ほんのちょっぴりだけ、劉岱が密かに胸中にしまいこんでいる歌手への憧れが後押ししたのは否定できない。

 

 代わりに、拓実への罪滅ぼしか人和が事務仕事の大半を受け持ってくれるようになった。拓実一人では一向に減ることのなかった仕事は人和の手際の良さも手伝って、あっさりと終りが見えだした。

 なんと公演の二日前には空いた時間も作れるようになったのだが、しかし飛び入り参加となる拓実の分の舞台衣装を一から作る余裕まではなく、今着ているものも済南の店で売っている服を組み合わせて改造したものである。こつこつと練習していた白糸刺繍のレース生地を片っ端から縫いつけてみたり、試作品であるペティコートでスカートを膨らませたりと、悪あがきした結果として少女趣味全開の代物が出来上がってしまったが、隣に立つ人和の衣装と比べて出来はともかく間違いなく派手ではあるので、ある意味釣り合いが取れていると言えるだろう。

 

「えっと……」

 

 突貫作業ながらなんとか公演に漕ぎ着けることが出来たが、それより肝心なのは義妹として紹介された拓実が黄巾党に受け入れられるかということである。

 三姉妹は数年に渡る大陸中の巡業という下積みを経て名声を得てきた。一度は膨れ上がった黄巾党の暴走によって張角・張宝・張梁としての活動は困難になり、名を捨ててまでいる。そこまでの事情通が黄巾党内部にどれほどいるかわからないが、地道に活動してようやく人気を博してきたところにどこの馬の骨とも知れないぽっと出の新人が混ざるのだ。観客を惹き付けるだけのよほどの『何か』を示せなければ歓迎されるとは思えない。

 拓実はそのとっかかりが掴めないままだった。現代日本のアイドルたちの振る舞いを真似てみようか、それとも駆け出しだった頃の三姉妹に倣って何か大道芸の一つでもしてみようか。しかしそれも、新参者である拓実が人和を飛び越えて出しゃばることができない為に実行には踏み出せない。

 

「うおおおおお! 公山ちゃーん!!」

 

 事前の打ち合わせでは、曲と曲の合間では人和が主導で拓実に話題を振っていくということになっている。助けを求めるように人和をちらちら盗み見てまごついていると、ざわつく客席の中から野太い声が上がった。聞き覚えのあるその声は、いつぞやに履物を直してあげた黄巾党の青年――あの宿屋に口利きをしてくれた『組』の徐和のものだ。視線を送ると客席にいる彼と目があった。顔を上気させて、拓実に向けて大きく手を振っている。

 

「いくぞー! せえーのっ! やさしさいっぱいー!」

『公山ちゃーん!!』

 

 続けて徐和から上げられた声に、その辺り一帯から数人がかりで布が掲げられ、名前が返ってくる。そこに書かれた文面は『やさしさいっぱい 公山ちゃん』。

 三姉妹にはそれぞれ『みんなだいすき 天和ちゃん』『みんなのいもうと 地和ちゃん』『とってもかわいい 人和ちゃん』という決まり文句がある。三姉妹の舞台の際にはお決まりのやり取りで、前半部分を舞台上から声を投げかけると、客席から名前部分を呼び返してくれるというものだ。この文言もおそらく拓実が加入するに当たって急遽作られたのだろう。驚きから目を見開いて人和を見やると、意味ありげな薄い笑みが返ってくる。どうやら、拓実にも知らされていなかった人和の『仕込み』のひとつのようだった。

 

「それじゃ、彼女の詳しい紹介をする前に。さっそくだけれど、一曲目を」

 

 拓実も、そして観客たちも混乱から醒めやらぬ前に、人和から声が上がる。続けて指を鳴らすと妖術の符が貼られた胡、鼓、琵琶から音が発され、それらは組み合わさって音楽となり会場中に流れ始めた。

 それは拓実にとっても馴染みのある曲で、いつかに許定であった時に季衣と一緒に歌っていたあの歌である。歌の邪魔をしてはいけないと、客席のざわつきも収まった。舞台の上、やることが定まった瞬間に拓実の意識は切り替わる。

 

「人和、公山が歌います。聞いてください『YUME 蝶ひらり』」

 

 

 

 

「おどろいた……。公山、あなたって歌、上手かったのね」

「人和ちゃんいまさらそこなの!?」

 

 そうして歌が終わり、客席からの歓声が落ち着くのを待ってからの人和の第一声がこれである。三つにパート分けされていた歌を歌うにあたって二人用にパートを作り直し、数回ながら事前に二人で歌の練習をしていた。拓実の歌声を聞いたことがない筈はない。当然観客たちもそれは承知の上だろう。

 それでも大仰に驚いて見せる拓実の姿に、客席からは思わずといった風に失笑が漏れた。三姉妹の追っかけたちはまだ素性のしれない公山を三姉妹の義妹として受け入れてはいない。歓迎していると見られないように構えていたからこそ、反応が失笑という形になったのだろう。

 

「それじゃ、改めて。この子が新しく私たち三姉妹に加わった公山です。で、公山。あなた、なにか芸はできる?」

「……え? なあに突然? 芸?」

「そう。長姉天和、次姉地和、そして三姉にとってもかわいいこの私、人和。大陸を渡り歩いた私たちは芸人としてもそれなりの腕を持つわ。公山、芸が出来ないならあなたを末妹に加えるわけにはいかないの」

 

 眼鏡のつるに左手を当てて、いつもの抑揚のない声ではなく芝居がかった振る舞いで指を突きつける人和。突如始まった茶番劇に拓実は何度かまばたきをして目を白黒とさせた後、左右を見渡してからこそこそ人和に近寄っていく。

 

「え? えっ? ちょ、ちょっと……人和ちゃん、こんなの打ち合わせしてないよ……?」

 

 耳打ちするように小声で話しかけるが、無情にも拡声の妖術は拓実の声を拾って会場中に広げてしまう。その声色から事実と察したのだろう、先程よりも大きな笑い声が観客席より上がった。

 

「それはそうね。だって打ち合わせしてないもの」

「そんなぁ……。……えっ? やるの? 本当に?」

「もちろん。芸が出来たら合格。挑戦して出来なくても面白ければ合格。可愛ければ可愛さも芸として認めて合格にしてあげる。審査員は観客のみんなに任せましょう」

「無茶振りだよう……」

 

 眉をハの字にして泣き笑いしている拓実に、人和は満足げに頷いた。観客席からはくすくすと声が漏れ続けている。

 

「さあて、芸と一言で言っても色々とあるけれど、公山は何が出来るのかしら」

「そんなこと言われても、芸なんて…………。あっ! そうだ! 人和ちゃんが今着てる衣装! 私が縫ったやつなの! これって一芸じゃない?」

 

 続いて「私の衣装もお手製だよー」とくるりとその場で一回転してみせる。

 

「ねえ、みんなー、今日の人和ちゃんかわいいよねー?」

 

 拓実が客席に向けて人和を手で示すと、あちこちからは「かわいいー!」「最高ー!」「おおー!」「すごーい!」と感嘆の声が上がった。人和を褒める為の呼びかけだったからか、拓実の声がけにも大きく反応が返ってきた。

 これまで作り手が公表されたことはなかったが、天和にせっつかれて作った三姉妹の舞台衣装や小物は三姉妹たちにはもとより、黄巾党内でも好評のようであった。それを手掛けている針職人を兼任しているとなれば悪感情は出てこないだろう。

 

「やったぁ! どう? これで合格でしょ?」

「駄目。不合格ね」

 

 突然話題振りをされたにしては上出来な答えだろうと少なくない自負を覚えていたのだが、何故なのか間髪入れずに人和より不合格が下された。予想外の判定に驚いて拓実が見れば、人和もまた想定外という風にひどく焦った様子で言葉を探している。

 

「……そう、『今日は』じゃないわ。『今日は』じゃなくて、私はいつでもかわいいもの。だとしたら、衣装がかわいいのか私がかわいいのかわからないでしょう? 残念ながら一芸とは認められません」

「えっ!? だって、人和ちゃん審査員は観客のみんなだって言ってたし。今、みんなも……!」

「はい。それじゃ、そのみんなに聞いてみましょう。私はいつでも、『とってもかわいい~~?』」

 

 すかさず、観客席全体から揃って「人和ちゃーん」と返ってくる。黄巾党員は壇上から三姉妹が呼びかければ、いつだって阿吽の呼吸で返答が出来るようにしっかりと訓練されているのだった。人和の裁定に食い下がろうとした拓実も、その大音声の前には口を(つぐ)まざるをえない。

 

「……ということなので、今日もいつものとってもかわいい人和ちゃんなので認められません」

「なにそれー! そんなのずるーい!」

 

 ふくれっ面を作って不満の声を上げると、またも客席から笑いがこぼれた。登場当初よりも観客の反応が柔らかい。ただしその代償として、人和と拓実二人共に歌手というよりは漫談をするお笑い芸人になっている気がしてならない。

 

「さ、それじゃ公山に出来る芸はなにかしら? 今度は客席から案でも募ってみる?」

 

 観客の盛り上がりを確認して安堵の息を吐いた人和は先程と調子を変えずに無茶を振ってぶつけてくる。だが、咄嗟に理由を探してまで不合格にされた拓実は彼女の意図が見えてきていた。もちろん公山がどういった人柄なのかを見せる為ということもあるのだろうが、人和の狙いは無理難題を公山に言いつけて、黄巾党員の同情を誘おうというのだろう。新人である公山に対して芽生えるだろう大小の不満を、あれだけ苦労させられているのだからと溜飲を下げさせる為のようである。

 なるほど、それ自体は人間心理に訴えかけた上手いやり方であった。けれども当の拓実は堪ったものではない。どんなに優れた芸を披露しても不合格にしかしないという筋書きを、人和が勝手に作ってしまっているからだ。更に言えば、人和は拓実に気の利いた返答など期待をしていないというだけでなく、むしろ失敗を前提にしているということでもある。

 会場を盛り上げる為に面白い芸をすれば、不合格と決め打つ人和の反応は観客たちの目に不自然に映ることだろう。かといって不合格相応のことをして且つ公演の成功を目指すのは困難に過ぎる。個性豊かな三姉妹に対抗できる公山の強みにだってならない。新人なんて加入させないほうが良かったと一度でも思われたらおしまいだ。三姉妹の人気自体にも陰りが出かねない。

 人和自身も気づいていないのだろうが、この公演を乗り切ることばかり注視し過ぎていて短期的にしか物を見れていない。公山を一度限りの参加ではなく、三姉妹へ加入させると言い出したことからも伺える。拓実にしたら出たとこ勝負での即興劇、どちらかが一歩足を踏み外せば二人まとめて真っ逆さまに落ちる綱渡りを強制的にやらされているようなものである。

 

 そうこうしてる間にも、観客席からは「即興でも舞なら踊れるかな」「一人で歌ってもらうのはどうだ」と思い思いに声が投げかけられている。それを聞いて人和は小さく笑みを浮かべていた。今のところ彼女の計画通りに進んでいるからだろう。

 

「ひとつめだし無難そうなのにしておきましょう。そうね。まず一人で歌ってもらいましょうか」

「わ、わかりました! そういうことなら、歌いながらとっておきの芸をしますね!」

 

 悩んでいる時間はなかった。拓実は半ば反射的に芸を披露すると宣言していた。今、確かに人和は「ひとつめ」と言った。このまま放っておいたら、どんな無茶な芸をやらされるかわかったものじゃない。

 

「……大丈夫なの? 振っておいて我ながらどうかと思うけど、そんな大言壮語してから盛大に外されたりすると私じゃ助け舟も出せないのだけど」

 

 今度は人和の小声を拡声の妖術が拾い、それを聞き届けた観客席がどよめいた。会場に響いたのは公演を進行する時の作った声ではなく、黄巾党の追っかけである彼らもそう聞いた覚えのない、人和の素の声色だった。だからこそ、人和にすら知らされていない即興の出し物なのだと察したのだ。

 

「任せて! 絶ーっ対にみんなおどろくはずだから!」

 

 拓実は、胸を張って会場全体に向けて高らかに宣言してやった。手持ちの中から切り札を切ると決めたのだ。

 今回の催しが成功しなければ黄巾党の活動資金はすっからかんなままだし、済南の整備も出来ずじまいだ。民心の安寧を目指す劉岱にとって青州での地盤固めは必須。手を抜くという選択肢はない。

 

「一番、公山! 声まねしながら歌います!」

 

 

 

 ――人和は公演成功に向けていくつもの作戦を用意していたようであったが、拓実もまた盛り上げ役に不慣れという人和の手助けに臨む上で事前に準備をしていた。それは、場を持たせる為に三姉妹にまつわる話題を用意していたこともそうだし、一人でもできる演芸の練習でもあった。

 そうしていくつかの芸を用意していたのだが、しかし今この場で出来るものは限られていた。というのもある程度派手であり、その上しっかり観客を楽しませ、かつ人和に芸と認めさせるものを披露しなければならないからである。つまり『観客にも人和にも、不合格と言わせない芸』である。

 まず、相手の反応を見て嘘を言い当てる読心術の真似事を却下した。簡単なカードマジックなど手品も同様で、モニターで手元を映せない以上これらは舞台映えがしないからだ。ジャグリングや動物の鳴き真似は驚かせることは出来ても観客に受けるかまでは不明である。パントマイムならばそれなりに反応をもらえる自信はあったが、見慣れない芸なだけに人和に不合格と判断されかねない。ダンスや剣舞なども覚えてはいたが、許定ならともかく劉岱時では失敗する可能性が高かった。

 観客の受けが良く、人和が合格とする他にないだけの完成度を誇る芸となったら、拓実にはやはりものまねしかない。ただし、現代と違ってこの時代では有名人とされる人物の露出が少ない。そのほとんどが伝聞のもので、名前や偉業は知っていても声も顔も知らないということがままある。例え大陸中に名を轟かせる呂布のものまねをしてみせたところで、ここ青州では一人にだって通じるか怪しい。見てわかってもらえなければ、ものまねの意味がない。

 つまり黄巾党のお膝元である青州で、三姉妹の舞台を見に来ている観客を相手に通用する有名人なんて、当の三姉妹以外にはいなかったのだ。

 

「……は?」

 

 今しがたに人和と二人で歌った曲を、拓実は自分のパートは先と変わらずそのまま劉岱として、人和の歌っていたパートを地和の声色を真似て、一人二役で歌ってみせた。

 場繋ぎに使える出し物の一つになればと、三姉妹全員の声帯模写の練習をしてあった。人和は普段の声色と歌声が違っており、ちょっとした真似をするだけなら呟くようにして喋ればそれっぽく聞こえてしまう為、拓実は彼女の歌声の方まで練習はしていなかった。天和は口調と会話のリズムからすぐ誰の真似しているのか察してもらえるだろうが、声色自体はそこまで似せられなかった為に歌となっては難しい。拓実が似せられると確信が持てたのは地和の声色だけだ。そもそも地和の声質は拓実のそれとよく似ていて、演技をしていない時の音程で女性らしいしな(・・)を作り、音域の起伏でクセを作って喉にかからないよう発声すると、地和そっくりの声色になる。声だけならば、桂花を真似ている時よりも似せられた。地和本人と並んで声を出しても聞き分けが困難であろう自信がある。

 

「どーお? 私ってば、ちぃにそっくりでしょ?」

 

 歌が終わって最後に地和の声色を使って声を掛けてみれば、驚きのあまり人和は目をまんまるに見開いて、拓実を凝視している。口をパクパクと開いたり閉じたりしているが言葉もないようだ。

 結果から言えば、『不合格と言わせない』という拓実の試みは大成功に終わった。芸として紛うことなく最高峰の完成度であった。会場の誰もが度肝を抜かれて言葉を発せない。流石の人和もこれで芸ではないなどとは言えないだろう。

 しかし果たして、これは盛り上げに成功したと言えるのだろうか。息を殺したかのような会場の雰囲気を前に、拓実はにっこりと笑顔を作って内心で反省していた。

 やりすぎた。

 

 

 

 

「失礼致します。華琳様、劉岱なる者から封泥のされた書簡が届いておりますが」

「劉岱からですって? 入りなさい」

 

 秋蘭が書簡を手に、執務室の扉から内へと声を掛けるとすぐさまに返答があった。

 政務の手を止め、入室を許した華琳は椅子から立ち上がり、入り口にいる秋蘭の元へと足早に歩み寄る。そうして秋蘭の持つ書簡を受け取るとその場で紐解いて中身を検めていく。

 余程の危急の内容でないなら作業の手を止めることなく、秋蘭が執務机まで持っていって読み上げるのを聞いているところだ。気が急いた様子で書簡を読み、そして開いたまま微動だにしなくなった華琳など、官位叙任の知らせを受けた時にだって見たことがない。

 

「あの、華琳様。どうされたのですか?」

「……ああ。拓実と霞を、青州の動向を探らせる為に向かわせたでしょう? 黄巾党と接触することも考えて拓実には劉岱という偽名を名乗らせているの。そちらでの生活がある程度落ち着いたら連絡するようにと伝えておいたのだけれど……」

「拓実が……! 左様でございましたか。書簡の方にはなんと?」

 

 劉岱という名までは知らされていなかったが、拓実を青州の動向調査に向かわせたという話は聞いていた。あれは帝を陳留に迎えてすぐのことだったので、二月ほど前のことだ。先の出征で華琳の影武者を務めた人物がいることが知れてしまい、中でも討伐隊に配されていた者たちには荀攸がそうであろうという状況証拠までが揃ってしまっていた。拓実は出征の間に怪我を増やした為、療養のために郷里に帰っている許定として振る舞うわけにもいかず、ほとぼりを冷ます為にしばらく外に出されたという経緯があった。

 

「それが、一読しただけではちょっと意味を掴みかねていて……」

「は……、はっ? 意味、ですか?」

 

 華琳は、はぁ、と肺の中から大きく空気を吐き出し、頭痛を堪えるようにこめかみを抑えた。

 

「……声に出して読んでご覧なさい。書き出しの挨拶の類は飛ばしていいから」

 

 ぞんざいに寄越された書簡を受け取り、秋蘭は目を通す。

 

「では――黄巾党の活動が活発であるという済南へ到着直前、筵の行商として黄巾党員に接触。そのまま三姉妹の付き人にと推薦されて面接を受け、件の三姉妹が張角・張宝・張梁であると確認し、これに合格。半月ほど出納係として拠点である済南を含めて治めていたところ、公演に欠席した長姉と次姉の代役として舞台に上がることに。公演は成功し、現在は『数え役満☆姉妹』なる『天地人公四姉妹』の末妹として公演にも参加、同時に済南の行政者として活動中――なんでしょうか、これは」

「どうやら、一月の間にそこまで上り詰めたらしいわ」

「意味がわかりません」

「そう。どうすればそうなるのか、この私の頭脳を持ってしてもまったく想像すらできないのよ」

 

 拓実から二月も連絡がないことに密かに気をもんでいたのだろう。その中でこんな内容の手紙が届いたものだから、溜まっていた気苦労がどっときたというところか。華琳は疲れた様子を隠そうともしない。

 秋蘭は開いていた書簡を丸めた。空いた手でうなだれるようにしている華琳の背を優しく擦る。

 

「華琳様、どうかお気を確かになさってください」

「……秋蘭、あなたは随分と冷静ね」

「はい。まぁ、あの拓実がしたことと思えば、このような結果となったのも今更という気が致します」

 

 なにせ、軍師として援兵と共に送り出してみれば、一騎当千と謳われる敵将と一騎打ちを果たして満身創痍になって帰ってくるような奴だ。

 動向調査に向かわせたら成り行きで敵勢力に潜入しても何ら不思議ではないし、その中で信用を得て重要な役職を得ていてもおかしくない。更に言えば血縁関係で繋がっている三姉妹に混ざって舞台に立ってても拓実であれば「もしかしたら」と思わされるし、済南の行政を任され有権者と懇意になって実質的に実権を得ているのもありえないとは言い切れない。

 

「――――そうね。改めて考えてみれば、拓実ならば、確かにやりかねないわ」

 

 秋蘭は自分で発言しておいてなにか常識の秤が誤作動を起こしているような気がしたが、まるで思考をすべて放棄したかのような様子の華琳が同意してくれたので、それも気のせいだろうと思い直した。

 


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