影武者華琳様   作:柚子餅

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9.『拓実、許緒と顔合わせするのこと』

 

 華琳と春蘭に呆れた目で見られている中、大鎌の下から何とか這い出た拓実だったが、立ち上がることなく座り込んだままでいた。手の中の鎌をぼんやり見つめているが、拓実は実のところ途方に暮れていた。

 これをどうしていいものかわからないでいた。最終的にはこの大鎌を武器として扱えるようにならないといけないのだが、どうにも上手く扱っている自分の姿が想像できないのだ。

 

 実際に握り、振ってみて、拓実自身が扱う上での問題点はいくつも見つかった。まず挙げられるのはこの鎌が結構な重さを持っているということ。鎌自体からして金属の塊であるからそれは当たり前なのだが、ここまで重たい長柄のものを振るう機会は拓実の人生において一度もなかった。長さだけということなら掃除のモップやほうきでチャンバラしたことはあったが、それら木やプラスチックとは比べものにならないほど重たいのである。

 だがこれでも重さという点で見れば然程のものではない。春蘭の大剣は言わずもがな、兵士が使っているという剣の方がいくらか重たいくらいである。しかしその重量差を差し引いたとしても、拓実にはこの大鎌は扱いにくくてしょうがなかった。直剣などの棒状の物よりも刃先に重さが集中しすぎている為に持ちにくく、腕力だけでなく握力もないと刀身の重量で刃先が勝手に下へ向いてしまう。

 拓実は演劇の大道具を運んだりしていたので人並みの筋力を持っているつもりだったが、これについてはまるっきり勝手が違っている。運用のとっかかりからして掴めない。ちょっと練習した程度で扱えるような武器ではないことは確かだった。

 

 筋力不足に、経験不足。加えて今の拓実には、武を学ぶ熱意が不足してしまっている。他は鍛えればなんとでもなる。しかし最後のひとつはその鍛錬に必要なものであって、改善についても如何ともしがたい。

 桂花の演技をしている拓実はどうにも武術を熱心に習う気になれない。武の才を持たなかった桂花の根本には『荒事は他に得意とする者に任せればよい』という思想があった。もちろん才があったなら戦働きもしていたかもしれないが、現実に桂花は持たざる者。それがわかっているから桂花は内政能力を磨き、知識の吸収に全力を注いでいるのだ。

 だからもし近い将来に桂花の身に危険が迫るとわかっても、彼女は自身の武を磨いたりはせず身辺を護衛で固めることだろう。いや、そもそもそんな機会を相手に与えないように頭を働かせるだろうか。どちらにせよ、自身の武力で状況を打開しようなどとは考えないはずだ。

 

 桂花は軍師であることに誇りを持っている反面、武の才能を持たない反動から荒事を嫌っている。そして桂花になりきる拓実は、そんな価値観までを共感してしまっている。相手の価値観を理解することは演技をする上で不可欠であり、自身であるように共感して演技する拓実は、自身が桂花とは別人であるとわかっていても思考が引きずられてしまうのである。のびしろが小さいとわかっている武を熱心に習う桂花など、最早別人物である。そんな根幹に矛盾がある人格に拓実は共感できず、共感できなければ演技することだってできない。

 たとえ拓実が武を学ぶ意欲を持っていようと、どれだけ必要なものだとわかっていても、桂花の演技をしている以上はあまりに逸脱した行動はできないのだ。他人になりきることが出来る演技力は多くの利点を生むが、ここに至ってはその弊害が目立ってしまっている。

 

 結論として、どうやら桂花の姿をしている時に調練をするのは適さないということになるのだが、しかしそれでは困ったことになる。しばらくという条件付であったが、城内では桂花の演技をしているように華琳に命を出されたばかり。演技をしていない素の南雲拓実であればまだマシなのだろうけど、その姿で春蘭より調練を受けることは華琳より許されていない。

 拓実はしばらく頭を働かせてみたのだが、打開策が見つからない。どうにも八方塞のように思う。

 

「仕方がないわね。貸してみなさい」

「あ、華琳様……?」

 

 大鎌を眺めながら思考に沈む拓実を見て、華琳が近寄ってきた。つかつかと歩み寄り拓実の手にある大鎌へと手を伸ばす。それを受けて拓実は、無意識に手に持っていた柄の部分を華琳へと手渡していた。

 華琳はそれを受け取ると大鎌の柄を持ち替え、上下を入れ替える。鎌が綺麗な弧を描いて、その手に再び収まった。筋力を使っての動きではない。遠心力を利用し己のものとして、華琳は結構な重量を持つ筈の大鎌を軽々と扱って見せた。

 

「拓実、とりあえず私の動きを今後の手本として覚えておきなさい。桂花の演技をしているあなたでは模倣することは出来ないのでしょうけど、せめて私の動きをその目に焼き付けておくように」

 

 華琳にとっては何気のない、気にも留めないような一連の動きだったが、拓実は直前まで同じものを握っていたからこそ見た目通りに簡単に扱えるものではないことを知っている。その芸当を目の当たりにして、拓実は言葉もなく、こくこくこく、と頷き返した。自分があんなにも苦戦した大鎌をあっさり扱ってしまう華琳の手捌きに、見惚れてしまっていたのだ。

 

「それでは春蘭、相手をしてもらえるかしら」

「はっ!」

 

 華琳と春蘭、両者が己の武器を手に構える。途端に張り詰める空気。見ている拓実の肌がひりつくような緊迫感が二人を中心に放たれた。

 春蘭の火傷してしまいそうな戦意と、華琳の冷たいと感じるほど研ぎ澄まされていく集中力。自然と拓実は喉を鳴らしていた。

 

「では、私からっ!」

 

 そんな中、動いたのは春蘭だった。愛剣――七星餓狼を駆けながら振りかぶり、大鎌を構える華琳に向かって渾身の力で振り下ろす。春蘭が行った動作としてはたったこれだけのものであるが、それは拓実を相手にしていた時とは比較にならない程に速く、そして鋭かった。

 なるほど、手加減していると言っていた時は思わず疑念の目を向けてしまった拓実であったが、正しく春蘭の言う通りである。虚などなく、己の力のみで叩き潰す。小手先の策や生半可な小細工などは、この圧倒的な力の前にしては物の役にも立たないだろう。

 

 春蘭の超重量の一撃は、拓実と同程度の体躯しか持たない華琳では受け止められる道理がない。全てを叩き切らんとするこの大剣は、受けようとも防御ごと弾き飛ばし、或いは相応の力量を持たない者であれば得物ごと両断するだろう。女性の細腕から繰り出される一撃だというのに、春蘭のそれは成人男性を軽く越える威力を持っている。それを知っていたつもりであったが、春蘭の力は尚、拓実の理解の外にあった。

 

「でぇぁぁあああっ!!」

 

 瞬間、春蘭の気勢に大気が揺れ、そして確かに大地もが揺れた。

 春蘭の七星餓狼が振り下ろされ、結果として地面に突き立っているのだが、その有様があまりに異様。周囲の地面は陥没し、罅割れたような亀裂を入れ、春蘭が振るった軌道上には大きく裂傷が走っている。

 地面に刃を入れるのは漫画などの中ではありがちな表現であったが、常識的に考えるならば不可能なことだと認識していた。そんなことがまさか現実に、それも目の前で起こり得るものだとは拓実は思ってもなかった。

 

 だが、そんな必殺の一撃を、華琳は無傷で捌いていた。華琳は前進した春蘭に対応できるよう、片足を引いた。半身の体勢で手にある大鎌の刃を振り下ろされる七星餓狼へと当て、逸らしていなす。荒々しい春蘭の一撃を、常人離れした動体視力と集中力を以って見極めてみせた。だがもちろん、逸らすといっても華琳の細腕ではその衝撃を殺しきることは出来ない。このままでは手の中の大鎌は大きく弾かれてしまい、決定的な隙を見せることになってしまうだろう。

 そこで更に華琳は妙技と云える冴えを見せた。向かってくる力に抗わず、自身の得物を回転させることで力の向きを変えてやり、後方へ流したのだ。そのまま手元を支点に、ぐるりと春蘭の力を残して一回転した大鎌の刃は、攻勢をかけた春蘭本人へと返っていく。

 防御から攻撃へ。間髪入れずに返すそれは、剣を振るったばかりの春蘭に対応をさせない、不可避の一撃だった筈だ。

 

 だが、春蘭も然る者である。反射されたかのように上段から返ってきた華琳の大鎌を、上体を横に倒して避けてみせた。

 傍から見ていれば予知していたかのような身のこなしだが、春蘭の表情からそれは違うことがわかる。春蘭は驚いていた。予想外の攻撃だったのだと、その顔は物語っていた。今の回避は本能的な危険察知か、人間離れした反射神経か。もしくは、その両方であるのか。事前に察していての行動ではなく、その場での咄嗟の対応に過ぎなかったということだ。

 

「はぁ!」

 

 驚愕した春蘭だったが逡巡はしない。予想外であろうが、硬直だけはしない。すぐさまに地面に突き立った七星餓狼を引き抜き、華琳へと薙ぎ払った。

 拓実からすれば充分に強烈な一撃であるが、やはり先と比べると見劣りしてしまう。明らかに直前の無理な回避が足を引っ張っていた。

 

「せぇっ!」

 

 華琳もまた体勢の崩れた春蘭に対し、攻めに打って出ていた。膂力という点だけで見るならば春蘭と大差をつけられてしまう華琳だが、体勢を崩している春蘭を相手とすれば充分に渡り合える。春蘭との空間を詰めながら、胴を空間ごと刈り取るような鋭い一振り。

 

 二つの軌道は衝突――――鈍い金属音が響いた。

 遅れてひゅんひゅん、と風を切る音。上空から何かが飛来し、程なくして拓実の足元に突き立った。拓実が視線を下ろしてみると、それは鉄の刃であった。

 

「……はぁ、駄目ね」

 

 目を瞑り、天を仰いだ華琳が呟く。そして興が削がれた様子で、その手に残った鉄の棒を見下ろした。

 

「春蘭と渡り合うのに、こんな重さだけを似せたような紛い物では。やはり【絶】でもなければ春蘭の一撃は耐えられそうにないわ」

 

 残った柄を地面へと転がして、華琳は肩を竦めてみせた。いや、刀身部分だけが折れたのかと思えば、その柄もまた少し歪んでいる。

 

「いえ! 華琳さまも更に腕を上げられておられました! 私の初撃を利用してのあの反撃は、思わず肝を冷やしました。【絶】をお持ちであったなら勝負はわからなかったことと思います」

「そう言う貴女がかわしてみせたのは、一撃が鋭ければ鋭いほど相応の反撃を返してみせる、私のとっておきだったのだけれど。巧く流したつもりだったのに、受けた手が痺れてしまったわ。まだ改良の余地はあるわね」

 

 手をぷらぷらと振ってみせる華琳。笑顔で称える春蘭。張り詰めていた空気は、今は弛緩している。拓実は、呆然とそんな二人を見ていた。

 一瞬の出来事。あまりのことに拓実はまばたきすることも出来なかった。二人のうち特に注意して華琳のその動きを追ってはいたが、目の方がついていかなかった。

 春蘭の一撃を鎌を当てて逸らしたことまではしっかりと見えた。だが、その後の攻防がどう至り、決着へと結び着いたのかわからない。三国志における英雄といえど、人は、本当にここまでのことを為し得るものなのか。立会いが終わった今も尚、拓実の常識を揺さぶっている。

 

「それで拓実、どうなの? 私になりきった貴方は、今の技術を模倣することは出来るのかしら?」

 

 そんなことはわかりきっている。拓実が模倣できるのは『拓実が理解できる』ことだけだ。性格にしても、在り方にしても、技術にしても。理解、共感ができなければ、演技など出来よう筈がない。

 

「あ、あの。華琳様のお手を煩わせてしまった後で申し上げるのは非常に心苦しいのですが、華琳様の技術までを模倣することは私では無理なようです。私の力量では、華琳様や春蘭の武を見極めることなど出来る筈もなく、今の攻防とて理解の外でございました」

 

 せっかく華琳が機会を与えてくれたというのに、その期待に沿うことはできそうにない。華琳も怒っているだろうと、拓実は跪き、深く頭を下げる。しかしそんな拓実に向けられたのは、くすくすと鈴を転がしたような笑いである。

 

「ふふっ、拓実。何も全てを完全に真似ろとは言っていないわ。そんなことが可能ならば、私や春蘭のように研鑽に励んでいる武人たちがあなたを許してなどおかないでしょう? 私が聞きたいのは、参考になったかどうか。それを元に鍛錬すれば、少しは違うでしょう」

「はっ。そう言った意味でありましたならば、独学では至れぬ境地を見せていただけたのですからこれ以上のものはありませんでした。しかし、華琳様が仰ってくださいましたように、桂花に扮している今の私では軍師であるべきという意識が鍛錬の邪魔をしてしまいます。これならば南雲拓実としての方が効果が望める物かと……」

「へぇ、やはりそうなのね。ならば逆に、勇敢で武に長けた人物の演技をしていれば伸びが良いということかしら」

「演技をしながら他の技術を学んだ経験はありませんが、心構えという点では間違いはないかと思います」

 

 顎に手を当てて、華琳はしばし熟考する。何か閃いたようだが、どうにも拓実は、自身の苦労が増える予感がしていた。

 

「……そうね。ならばいっそ、拓実には複数人の演技をしてもらいましょうか」

「複数人、ですか?」

「ええ。一つに、必要な時は私の影武者を。一つに、軍学、政務を学ぶ為に軍師の姿を。一つに、武を磨き、統率力を鍛える為に武将の姿を。つまり有事の際は私の姿を。学を得る際には桂花の姿を。そして武を学ぶためには、春蘭、秋蘭は無理そうだから……そうね。拓実に背も近い、季衣の姿を借りれば。そうして身元を作り、個人として扱ってしまえば、無理をして身を隠す必要もなくなるわ。しかし、そうなると問題は名門である荀家かしら。流石に私の手の及ぶところではないし」

「あの、華琳さま。仰られている意味がわかりかねるのですが。もしや、それは拓実に、季衣の演技までさせるということでしょうか」

 

 視線を地面に向けて思考に耽っていた華琳は、横からかけられた春蘭の声に顔を上げた。不安そうに見る春蘭に向けて、華琳は微笑んで見せる。

 

「半分当たり、というところかしら。拓実には桂花と季衣の演技をしてもらうけれど、それぞれに身分と名を与えるつもりよ。そうすれば影武者としての拓実を必要としていない場面でも実際に軍を率いることが出来るし、公の政務も、春蘭と調練していても何ら不自然はない」

「桂花の奴はともかく、季衣がどう思うかは置いておきますが、それは流石に拓実の身が持たないのでは……」

「三役演じさせるからといって、別に他の二倍、三倍働かせるわけではないわ。不足した部分を必要な技能で穴埋めする役目を負ってもらうつもりよ。有事の際にしか動かせないのでは宝の持ち腐れだもの。もちろん二役同時には存在できないけれど、もう一役には私から使いに出しているとでも言えば疑う者もいないでしょう」

 

 本人が関与することなく、華琳の中でどんどんと拓実の処遇が決まっていく。あっという間に固められていく案に拓実は止めることも出来ない。

 

「まぁ、拓実のことは心配などしていないし、そんなことをしている暇があるなら拓実が十二分に働けるだけの環境を整えてあげないといけないのだから、早急に手は尽くさないとね。拓実であれば、その手間を上回る成果ぐらいは遠からず見せてくれるだろうし」

 

 華琳が笑みを浮かべながら発した言葉を受けた拓実は、反射的に「ひゅっ」と空気を吸い込んで顔を引きつらせた。そのままどんどん血の気を失っていく。

 

 拓実にはこれまで人を率いた経験などはない。この大陸の文字だってまだ習い始めたばかりで、武に至っては明らかに幸先の悪いスタートを切っている。だというのに、華琳はどうしてか拓実が当然のように出来ると信じて疑っていない。そんなにも華琳に気に入られるようなことを自分はしていただろうかと拓実は考えてみる。しかし、どうにも思い当たらない。演技の才については評価してくれているようだけど、果たしてこれはその延長なのだろうか。どうにもいくつかの意図が絡み合っている気がしてならない。

 とにかく、華琳のその期待が重い。まだ何も成果を出していないというのに、重責ばかりを次から次へと背に乗せてくる。そのうち拓実は、押し潰されてしまいそうだ。その上やるべきことは沢山あるというのに、今の自分ではこなせないことばかりである。しかし華琳は悠長に待ってくれなどはしないだろう。拓実はその重圧と焦りから、自身の顔が青く染まっていることを感じていた。

 

「そうね。そうと決まれば午後の仕事は、休養予定だった明日午前に回しましょうか。春蘭、ここにある武器を片づけた後、至急秋蘭と季衣を玉座の間に呼び出しなさい。拓実、あなたは桂花よ。今私から任せてある仕事については早急に欲しているものでもないから、明日以降に遅れても構わないと伝えなさい」

「はっ! お任せください」

「……は、はいっ! かしこまりましたっ!」

 

 春蘭が勇ましく声を上げ、そこらに散らばっていた武器をまとめて抱え上げ、駆け出した。おそらく総重量にして二十キロ前後。それを抱えていても速度は落ちるわけでもなく、背はあっという間に見えなくなる。

 考えていて反応が遅れた拓実も桂花の部屋へと向かう為に駆け出そうとするが、まだ身体のあちこちが痛くて、春蘭のように全力で走ることが出来そうになかった。

 

 

 

 

 

 ひょこひょこと走る拓実の後ろ姿を眺め、華琳は口の端を吊り上げる

 自身では気づいてなかったようだったが、ふるふると身体を震わせて顔を青くしていた拓実の様子は、本当に桂花のそれに似ていた。頭を下げて謝罪を向けてきた拓実についつい意地悪をしてしまったが、これぐらいならば許されるだろう。桂花であったなら、本気で可愛がっていたところだ。

 

 拓実を眺めながら華琳が考えているのは、彼の適性についてだった。

 政務や識字の適正については応対した桂花に聞いてみなければ詳しくわからないが、恐らくそれほど悪いものでもないだろう。元々拓実は、教育を長年受けているようだ。頭の作りとして、知識を吸収する下地が出来ている。

 それに武についても、理解できないから演技が出来ないといっていたが、ならば理解できるほどの技量を持つまで拓実自身を底上げすればいいだけのことだ。もしそこまでいくだけの潜在能力があるなら、拓実は化けるかもしれない。もちろん拓実自身が持つ才にもよるし、身体能力が演技する者と同じところまでいくことはないだろうから、二番煎じの劣化したもの止まりとなってしまって、大成しない可能性も大いにあるが。

 残すところは軍務だが、華琳はこれについてはそれほどの心配はしていない。人を率いる資質は、その人間の性質や性格、持っている知識によってある程度量ることが出来る。正しく人間としての性質、心の機微まで演技してみせる拓実であれば、状況によって兵の運用を変える事だって出来るかもしれない。

 

「拓実と会ってから二日目だけれど……一時たりとも退屈しないわね。それに、まだまだ面白くなりそうだわ」

 

 華琳は拓実が宿舎へと去っていったのを見送り、笑みを浮かべて玉座の間へと足を向けた。

 

 

 

「華琳さまっ、春蘭さまが急いで来いって言ってましたけど、もしかして賊が村を襲っているんですかっ!? あいつらっ、また罪もない人から……!」

 

 華琳が玉座に座り、今後のことを考えていたところ、声を上げながら駆け込んできたのは季衣だった。顔を険しく歪め、怒りを露に声を荒げている。

 最近、華琳はこんな季衣の姿をみることが多い。普段は元気で心優しく、明るい可愛らしい少女であるのだが、略奪を働く賊が相手だとこうなってしまう。

 

「落ち着きなさい、季衣」

「でもっ!」

「今回は賊がどうこうといった話ではないわ。新たに臣下に加わった者がいるから、顔合わせをするだけよ」

「あ……そーだったんですかぁ。なーんだ、ボク、てっきりまた賊を討伐する話だと思ってました」

 

 先ほどまでの激憤が嘘のように、朗らかに笑みを浮かべる季衣。

 出会った時からして賊に襲われていたのだから、その気持ちはわからないでもない。むしろ、華琳とて賊を憎む気持ちはよくわかるが、季衣のそれは少しばかり度が過ぎている。近いうちに、どこかで諭してやらないと暴走してしまうだろう。

 そんなことを考えていると、季衣から華琳へ向かって声が上げられた。

 

「あ。そういえばお昼に桂花に会ったんですけど、調子が悪いんですか? 昼食の後、華琳さまに呼ばれてるからって急いでましたけど、なーんか変だったんですよねぇ」

「私が、桂花を? そんなことを言った覚えは…………ああ、そういうこと。季衣はあの子に会っていたのね。どうやらバレてはいないようだけれど」

 

 どうやら華琳の知らないところで、拓実は季衣をその演技で騙し通していたらしい。流石に華琳の演技をさせている時ほどには似ていない為、あまり細かいことを気にしない季衣であっても違和感があったようである。わかりきっていたことであるが、やはり桂花として城内をうろつかせるのは無理がありそうだ。

 

「えっと、華琳さまー?」

「大丈夫よ。桂花はいつも通りだわ」

「よくわからないけど……えーと、それで、新しく入った人って、どんな人なんですか?」

「ええと、そうね。拓実のことは何と説明したらいいのかしら。私と桂花にすごい似ているのだけれど……」

「えー? 華琳さまと桂花に似ている人ですか? 何だか全然想像できないんですけど……」

 

 首を傾げる季衣だが、ここで話して説明するよりも実際に会わせてしまった方が早いだろうと華琳は考えた。言葉で説明することがむずかしいのだ。男なのに華琳や桂花の姿に似ていて、しかも本物らしく演技が出来るなどと、いくら言葉を重ねても嘘くさくなってしまう。

 

「ただ今参りました」

「おまたせしましたっ!」

 

 季衣に遅れて数分、秋蘭、春蘭が入室してくる。どうやら、一番最後は桂花と拓実のようだ。最後の拓実の様子を見ていれば、それも仕方がないのだが。

 

「ああ、春蘭。伝達自体が早かったのは褒めてあげたいけれど、せめて季衣にきちんと用件を伝えておきなさい。季衣ったら混乱していたじゃないの」

「あ、も、申し訳ありません!」

「それで秋蘭、どういった話になっているかは理解できている?」

「はい。いささか解読に時間はかかりましたが、おおよその事情は把握できているかと」

 

 秋蘭の口振りを聞く限りでは、また春蘭は説明を省いたようである。深く深く頭を下げている春蘭を置いて、華琳は再び季衣へと向き直った。

 

「華琳様、失礼致します」「華琳様、失礼致します」

 

 とりあえず説明できるところまでしておこうかと口を開いた瞬間、同音程で重なる声が入り口から届いた。ありえない多重音声に華琳はつい何事かと気を乱してしまう。

 視線を向けてみると、肘でお互いのわき腹をつつきながら歩いてくる、頭巾を被った二人の姿があった。

 

「ばかっ! あなた、何でわざわざ私の声と揃えるのよ! 華琳様がびっくりなさっているじゃない!」

「何ですって!? あなたが勝手に声を合わせたのでしょう! 変な言いがかりはやめなさいよっ!」

「言いがかりとはなによ!」

「その通りじゃない!」

 

 桂花と拓実の二人は何やら口喧嘩をしているようだが、傍から見ているとどちらがどちらの科白を話しているのかわからない。髪色もあって区別はつくが、あまりに共通点が多すぎて、華琳には最早双子の姉妹のようにしか見えないでいる。

 華琳の隣に立っている春蘭、秋蘭もその二人の様子を複雑な表情で見ている。見ていてかなり興味深い光景ではあるのだが、とにかくきゃんきゃんとやかましい。

 

「え? えぇ? ええぇぇぇぇー!? 桂花が二人いる!? どうして!? 何で!?」

 

 上げられた悲鳴のような季衣の声。さらに騒がしくなる玉座の間に華琳は思わず、頭を抱えたくなった。

 ここは静謐としているべき、玉座の間なのだ。君命を授け、報告を聞き、軍略を交わす場である筈なのだ。兵には立ち入りを禁じておいたが、玉座の間がこうも騒がしくては覗きに来る者も出てくるかもしれない。

 それに、混乱している季衣に説明するのも骨が折れそうである。桂花の時のように一から説明しなければならないのだろうか。瓜二つの拓実を見て驚く反応は、知っている者としては見ていて面白いのだが、連日ともなると説明の方が億劫になってくる。

 とりあえずこの場の混乱を収めようと華琳が息を吸い込んだところで、喜びに溢れた季衣の声が響く。

 

「すっごーい! そっくりだ! あ、そっか、華琳さまが言ってた新しく入った人ですね! ボク、許緒っていいます。字は仲康で、真名は季衣です。よろしくお願いします!」

 

 信じていた。いや、それどころか真名まで躊躇なく預けてしまっている。拓実を目の前にして信じるも信じないもないのだが、もう少し相手の素性を探るとか前段階が必要なのではないのか。

 華琳は肺まで吸い込んでいた空気を、そのまま吐き出していた。

 

「あなたが、許緒……。あ、私は拓実。姓は南雲で、名が拓実ね。大陸の生まれではないから字も真名もないわ。拓実と呼んで。それと、お昼はお饅頭、助かったわ。一応、改めて言っておくわね」

 

「へ? お饅頭? ……あー!! お昼に会ったのは拓実で、桂花じゃなかったんだ! 何か変だなーとは思ってたんだけど、全然わからなかったよ! あ、桂花と並んでいると、ちょっとだけ拓実の方が背が低いんだね。髪の毛も金色だし。んー、でも、背はおんなじくらいだけど華琳さまに似ているようには見えないけどなぁ」

「ああ、それはね……」

 

 会って早々に季衣は拓実の存在を把握したらしい。しかも何やら拓実に懐いている様子。一から説明しなくても良くなったのは助かるのだが、華琳は何やら腑に落ちない。

 

「あの、華琳様。季衣に、私が華琳様の演技をしているところを見せてあげたいのですが、よろしければ許可をいただけますでしょうか?」

 

 しばし呆然と、二人の様子を視界に入れていたのだが、いつの間にか拓実が近づいていた。どうやら話しているうちに、華琳に似ていると言われているのは何故か、と問われたらしい。

 とんとん拍子に、勝手に話が進んでいく。肩透かしを食らった気分ではあるが、滞りなく話が進んでくれるのはいいことである。だが華琳は同時に、言われたことを頭から信じてしまっている季衣の将来が少しばかり不安になった。

 

「……そうね。私もここにいることだし、構わないわ。それにその方が、季衣も拓実の立場を理解し易いでしょうし」

「はい、ありがとうございます。それでは着替えて参りますので、しばしお待ちください」

 

 言って、拓実は一礼。足早に自身の部屋へと戻っていく。

 そうして拓実の姿が完全に見えなくなってから、華琳は季衣へと振り向いた。

 

「季衣、言い逃すと機会がなくなるから先に言っておくわ」

「はい? 何ですか」

「拓実は男よ」

「へ? あ、それ、嘘ですよね? 流石にボクだってわかりますよ。だって、あんなに桂花に似ているのに男の人だなんて……」

 

 流石に、拓実が男とまでは信じることが出来なかったようだ。混乱する季衣の姿に、華琳は心の中でやりきれずにいた部分が解けていくのを感じていた。

 追随するように、春蘭が疑っている季衣に向かって声をかける。

 

「うむ。季衣がそう思うのも仕方がないが、華琳さまの言うとおりなのだ」

「え……、それじゃ、本当に?」

「ああ。あれが女であれば、どんなによかったことか。せっかくの容姿であるというのに、世の中は理不尽なことばかりだ」

「まったくよ。私にまでそっくりで男だなんて、今まで見たどんな悪夢よりも酷いものだわ」

 

 くうっ、と額を手で押さえ、嘆く春蘭。苦虫を噛み潰したような表情で、珍しく春蘭に同意の声を上げる桂花。

 華琳とて、桂花と似たような心境である。容姿に自信を持っていただけに、それを知った時の衝撃も大きかった。

 

「あのー、それじゃ桂花も?」

「……季衣、私も、というのはどういうことよ?」

 

 怪訝な顔で聞き返すのは桂花本人。今の話から、自身の名が出てくる理由が見つからないようだ。自然と残る華琳、春蘭、秋蘭の視線も季衣へと集まることになる。

 言っていいものか迷っていたようだが、注目されてしまって言わざるを得なくなってしまった季衣は、恐る恐る口を開いた。

 

「だから、その、実は桂花も男の人だったり、とか」

「ぶッ!?」

 

 その季衣の言葉に、華琳と春蘭、秋蘭は揃えて、はしたなくも噴き出した。

 『桂花に似ている拓実が男、だから桂花も男』――この発想に至るとは、この場にいる季衣を除く全員が思ってもみなかったことである。

 

「な、な、なんですってぇ! 季衣! 貴女言って良い事と悪い事があるわよっ!」

 

 当たり前だが、自身が最も嫌悪している男かと疑いをかけられた桂花は激昂した。わなわなと身体を震わせて、顔を真っ赤にして季衣を睨みつける。怒りのあまり、目尻には涙まで浮かんでいる。

 

「ごめんなさい! 言ってみただけですからぁ! だって、あんなに似てるんだもん! 仕方ないじゃないですかぁ」

 

 桂花の形相に、引け腰になりながら必死に謝る季衣。しかし、覆水盆に返らず。言ってしまった言葉はなかったことにはならない。周囲の様子が、それを物語っていた。

 

「ぶわっははははっ!! そ、そうか! くっく……桂花が男だとは、この夏候元譲といえども今の今まで見抜けなんだ! うくっ、季衣は天才だな! く、腹が捩れる!」

「あ、姉者、駄目だ。そんなに、笑うものでは……くっ! くく、駄目だ。笑っては……く、ふふふ」

 

 大きく口を開けて笑い転げているのは春蘭。秋蘭も言葉では姉を諫めているようだが、顔は決して桂花へと向けないし、口元はひくついている。我慢しているようだが、堪えきれずに笑い声が漏れている。

 

「……くぅぅぅぅ! こっ、これ以上は、あはっ! 桂花が男ですって!? あんなにも男を嫌っているのに! あはははははっ!」

 

 華琳も顔を後ろへ向け、必死に堪えていたようだったがすぐに耐え切れなくなり声を上げた。玉座に向いて顔を見られないよう大笑いしながら、華琳は拓実が来てより声を出して笑うことが多くなったことを自覚していた。

 

 一方で、それらと相対した桂花はうろたえていた。最早何に対して怒っていいのかもわからないでいる。なのに、周りは笑いっぱなしで、桂花一人だけ置いていかれてしまったようだった。

 だからだろう。この事態を収めるつもりだったというのに、そんな迂闊な言葉を言ってしまったのは。

 

「華琳様! 私が男だと季衣に言われたことでお笑いになってますが、拓実が本当にそっくりに似せられるのは華琳様ではないですか! その理屈では、私ではなく、華琳様こそが男だということに……」

「……なんですって? 桂花、貴女、この私に向かって男である、とでもいうつもりなの?」

 

 瞬間、笑い声がぴたりと止まり、部屋の空気が息絶えた。何事かと、思わず桂花は辺りを見回す。

 季衣は顔を青ざめさせていた。ぷるぷると小動物のように震えている。秋蘭は、瞑目している。普段から何を考えているかわからなかったが、今ならば桂花にもわかる。『我関せず』だ。春蘭は、桂花に哀れみの視線を向けていた。今から屠殺される鶏を見るような表情だった。

 そうして気づいた。気づいてしまった。己の失態に。

 

「あ……ち、違います! 私は」

「昨夜に可愛がってあげたばかりだというのに、そんなことを言うだなんて。ふふ、面白いことを言い出すものね」

 

 そう言いながら、確かに華琳は笑っていた。しかしその瞳はそうではなかった。喜びも悲しみもない。怒りだけが真っ赤に燃え盛っている。

 桂花は、気がついたら既に平伏していた。秒を待たずに、身体が華琳に頭を下げていた。

 

「ごめんなさい! 華琳様、どうかお許しを!」

「桂花は何故謝り、そして私が何を許すと言うの? 確かにその理屈でいうならば、私も男だもの。なんらおかしなことは言ってはいないわよ」

「違うんです。本当に、そんなつもりはなくて……」

「ま、とにかく桂花はしばらく一人寝でも大丈夫ということよね。少なくとも数ヶ月は呼ぶことはないから安心なさい? ああ、それとも男の私がいいというならば、演技を止めさせた拓実に私から添い寝でも命じましょうか?」

「無理です! そんなことになったら私、妊娠させられてしまいます!」

「すればいいじゃない」

 

 ふん、と華琳の視線が桂花より切られた。そうして不機嫌そうに玉座で足を組む。

 

「そ、そんなぁ……なんで、こんなことに」

 

 視線を切られてからも、桂花は頭を上げられない。項垂れて、身体を起こす気力も今はない。

 確かに、自身の過失であった。悪いのは桂花だ。それを遡れば、季衣の発言。しかし、季衣は謝っていたし、その後の桂花の発言までには責任を持たせることなどできない。笑い転げていた春蘭。あれの所為で怒りで頭が一杯になってしまった。秋蘭はまだ抑えていたから許せないこともないが、怒りを覚えたのも間違いはない。だが、この怒りを向けるほどかといえば、筋違いだった。

 華琳にしても理不尽ではあった。人に言っていたことをそのまま自身に向かって言われて、この沙汰はないのではないかと思う。しかし、華琳が悪いとは、桂花は絶対に言わないし、思わない。

 

 そうしたら、元凶は残るただ一人となる。理不尽だと自覚はしていたが、そんなことは桂花には関係なかった。

 

「それもこれも、全部アイツの所為だ。覚えてなさいよ、拓実ぃぃーーーー!!」

 

 

 


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