第110話
「お邪魔するでありますよチヌ殿」
「どうぞ、あきつ丸殿。大したおもてなしもできませんが、どうかお寛ぎください」
家の中にあきつ丸殿を招き入れ、ちゃぶ台の前に座ってもらう。お茶と茶請けのせんべいを出すと、彼女はお茶を一口飲み、ホッと息を吐いた。
「いやぁ、温まるでありますなぁ。この時期の船出はやはり寒いもので……チヌ殿の鎮守府に寄港できたのは幸いであります」
「確かにこの時期になるときついですね。どうぞ、十分な休息を取ってください」
彼女の言葉を肯定しつつ外を見る。今日突然あきつ丸殿を含む艦隊がこの鎮守府へ寄港すると聞いた時には何事かと思ったが、こうして目の前でお茶をすする彼女を見ると大した事は起きてないのだろうと安心する。
「しかし、予定外の訪問になったのは事実でありますから……チヌ殿、何かさせていただけないでありますか?」
「うーん、急にそのようなことを言われても……」
突然のあきつ丸殿の申し出に俺は困ってしまう。普段から自分の事は自分でしてるし、まさか仕事を手伝ってもらうわけにもいかないし……。
「……ム。チヌ殿は耳かきをされているのでありますか?」
ふとあきつ丸殿の視線が棚の上に向けられる。そこにはペン入れの中に交じって耳かきを入れていた。
「ええ。一応自分の分ぐらいはしていますが、それがどうかされましたか?」
「いや、もしチヌ殿が良ければ自分がチヌ殿の耳かきをしようと思うのでありますが」
これは意外な申し出だな。とは言え……。
「いえ、あきつ丸殿のお気持ちだけで十分ですよ。そのようなことをしていただかなくとも……」
「いや、是非ともさせていただきたいのであります。まるゆ殿はまだこちらの鎮守府へ寄港したりするので交流はありますが、チヌ殿はほとんど交流がないのでありますから。お願いであります」
そう言われると俺としても断りづらいものがあるが、かといってあきつ丸殿に無理にやってもらおうという気もないし、どうするか。
「……チヌ殿、自分の耳かきでは信用できないでありますか?」
……流石にここで断ると、あきつ丸殿の事を信用してないと取られかねないか。仕方ない、もしあきつ丸殿が下手だったとしてもただの耳かきで俺の鼓膜が破られる事もないし。
「……いえ、そこまで言われるならお願いします」
「わかりましたであります。ではチヌ殿、少しお待ちを」
俺が了解の意を伝えると、あきつ丸殿は笑みを浮かべ席を立った。そして少ししてお湯の張ったタライとタオル、それに耳かきを持ってきた。
「ではチヌ殿。自分の膝の上に来るであります」
「では、失礼します」
あきつ丸殿は自分の膝を叩いて俺を招く。それにこたえて俺は彼女の膝の上に頭を置いた。
「どうでありますか? 自分、柔らかさには自信があるでありますよ」
確かに彼女の言う通り、膝は柔らかく、心地よい弾力で俺を支えてくれている。
「確かにこれは……良い弾力ですね」
「ふふ。チヌ殿に褒められると嬉しいでありますな。では、失礼するでありますよ」
あきつ丸殿はそう言うと、俺の耳の表裏をお湯で濡らしたタオルで拭いてきた。
「チヌ殿、熱さは大丈夫でありますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
暖かいお湯で温められたタオルで拭かれるのは気持ちいい。その気持ち良さに少しの間浸っていると、タオルは離れていき、代わりにあきつ丸殿の手が添えられた。
「では、掃除開始であります。んー……チヌ殿の耳はそんなに汚れてなさそうでありますなぁ」
少し残念そうに聞こえる彼女の声だが、それでも耳かきでは耳の外側をコスコスと擦っていく。お湯の水分と熱でふやけた耳垢が掻き取られていく。
「やっぱりこの辺はあまり汚れてないでありますなぁ。では、奥を失礼するでありますよ」
あきつ丸殿の声が近くなり、彼女の息遣いが聞こえ、微かに吐息が耳に届いてくる。
「奥は~……お、耳垢発見でありますよ~。さっそく取り掛かるであります」
声の調子が楽しそうな、少し音程が上がった様子になり、耳かきが入ってきて、そのまま耳垢を削り始めた。
カリカリカリ……ガリガリ……。
「むぅ。チヌ殿の耳垢は中々に固いでありますな。提督殿の耳垢に比べると中々に手ごわいであります」
「……あきつ丸殿は朝野提督にも耳かきを?」
「そうであります。提督殿はよく耳かきをねだってくるので、自分も上手になったでありますよ」
なるほど、朝野提督がか。確かに他人に耳かきをしていれば上手になるのも必然だろう。
コリコリコリ、カリカリカリ。……ペリッ……ペリッ……。
そうやって話している間にも耳の中には気持ちの良い音が木霊する。そして、徐々に耳垢が剥がれる音も聞こえてきた。
「んー、半分ぐらいまでは剥がれてきたでありますなー。チヌ殿、痛かったりはしないでありますか?」
「ええ、大丈夫……です」
俺の返事にあきつ丸殿は気を良くしたのか、「では、一気に剥がしていくでありますよー」と答え、耳かきは動きを早くしていく。
「我は~官軍我が敵は~♪」
いつの間にか歌まで歌い出したあきつ丸殿だが、耳かきを動かす手は止まらない。
コリコリ……カリカリカリカリ。ペリッ、ミヂッ。
あきつ丸殿の歌声と、耳かきが耳垢を剥がす音とが一緒に聞こえてくる。それが思った以上に心地よく、俺は徐々に心が緩んでいるのが自分でもわかった。
(ダメだ。気を緩めた姿をあきつ丸殿に見せたりなどはできない、しっかりしろ)
自覚したゆるみを引き締めていると、不意に耳の中の音がひときわ大きくなった。
「よっし、取れたでありますよ、チヌ殿」
そう言ってあきつ丸殿は耳かきを引き抜き、ティッシュの上に耳垢を捨てた。耳垢の取られたところは空気に触れて、少し涼しさを感じる。
「いやぁ、チヌ殿の耳垢は取り甲斐があるでありますなぁ。これからもこちらに立ち寄った際は毎回チヌ殿の耳かきをするのもいいかもしれないでありますな」
「いえ、流石にそれは……」
「遠慮など無用でありますよチヌ殿。同じ陸軍の仲間同士、変な遠慮などせず、頼っていただきたいのであります」
同じ陸軍の仲間。そう言われると、心の中に潤みが生じるのを自覚してしまい、思わずそれもいいかもしれないと思ってしまう。
「ふふふ、考えておいて欲しいでありますよチヌ殿。さ、他には耳垢はなさそうですし、粉を取っていくでありますよ」
そう言って、あきつ丸殿は梵天を耳の中に入れてきた。
ゴシュゴシュ……ザッザッ……ゴシュゴシュ……
耳の中を梵天が上限左右に擦れる。柔らかいその感触に眠気を感じ、思わず息を吐いてしまう。
「ふふ、チ~ヌ~ど~の。眠くなったら寝ても大丈夫でありますよ~。自分、鍛えているでありますから、チヌ殿が起きるまで正座して問題ないでありますよ」
「そういうわ……けには……」
拳に力を入れ、眠気に耐える。だが、そうしているとその握った拳を包むようにあきつ丸殿の手が被さってきた。
「チヌ殿、不要に力を入れる必要はないでありますよ。さ、反対を向くであります。ああ、このまま反対側に向くでありますよ、立ち上がる必要はないであります」
「しかし……」
体をそのまま反対側にするのは流石に抵抗がある。だから、体を起こそうとしたのだが、いつの間にか頭を押さえられていた。
「チーヌ-どーの。ダメでありますよー、体を起こすんじゃなくて……反対を向くでありますよー♪」
そう言ったかと思うと、あきつ丸殿は俺の体のを引っ張り反対側に向けようとする。それに抵抗しようとするが、抵抗しようとしたその動きを利用され、クルン、と反対側を向かされてしまった。
「あきつ丸殿、この体勢は流石に……!」
反対側を向いたことで、俺の視界にはあきつ丸殿の腹部……はいいとして、彼女の短めのスカートまで目に入ってしまう。俺自身にその気はないが、もし誰かに見られよう物なら要らぬ誤解を与えてしまう。
「大丈夫でありますよ~。ギリギリで見えそうで見えないと朝野提督も言ってるでありますからな~。それに、見えそうであるなら、目を瞑っていればいいでありますよ~」
そんな笑い声を聞いていると、再び耳かきが始まった。
「こっちは……そこそこ汚れてるでありますなぁ。さぁ、こっちも掃除していきますでありますから、チヌ殿はゆっくりリラックスしていてくださいであります」
そう言ってくるが、先程よりも視覚的な情報が刺激的すぎる。艦娘達のあられもない姿等は戦闘や、家に泊まりに来た艦娘達を通じていくらでも見てきたはずなのに……陸軍であるあきつ丸殿にはなぜか、心が穏やかでなくなってしまう。
「んー……外側の掃除は終わったでありますよ~……チヌどのー、どうしたでありますか?」
「い、いえ……なんでもありません」
動揺を押し隠し、俺は目を閉じる。流石にこの状態で目を開け続けていたら、動揺を抑えきれない。あきつ丸殿にそのような事を知られるわけにはいかない。
「おや……ふふふ、それでいいでありますよチヌ殿、目を閉じて……ゆっくり……自分の耳かきを堪能するであります。
ガサガサ……ぺりぺり……
目を閉じていると、耳の中の音がより一層鮮明に聞こえてくる。その音が心地よくて、気が付けば体の力が徐々に抜けていっている。
ガサガサ……ペリッ……ズゾゾ……
コリッ……カリカリ……ズッ……ズッ……
「これは……いい……です……ね」
「そうでありますよチヌ殿。でも、寝るのはも~少し待って欲しいであります、寝ながらの耳かきは危険でありますから」
「いえ……自分……は……せん……しゃ……で……すから……ためして……みたの……で……」
眠気で意識が飛びそうになりながらもなんとか答える。だが、この辺りで限界だった。耳かきが終わるよりも早く、俺の意識は深く沈んでしまっていた。