「……ふふ、意外でありますなぁ。チヌ殿がこんなに簡単に寝てしまわれるなんて」
自分の膝の上で、上を向いたまま穏やかに寝息を立てるチヌ殿を見下ろしながら、思わず苦笑が浮かぶ。まさか、あのお堅いチヌ殿がこうもあっさりと寝てしまうとは。
(んー……でも、仕方ないのかもしれないですなぁ……鹵獲した敵の世話、海戦で置いていかれないための特訓、陸軍への出向、歩哨としての仕事……チヌ殿は色々とやることが多いと聞いていますからなぁ)
体を屈め、チヌ殿の顔を覗き込むと、目の下に薄っすらとだが隈が見える。付喪神であるとはいえ、疲労とは無縁ではないのだろう。勿論、人間よりは頑丈だが、それでも限度がある。
(本当、自分がこっちの鎮守府に来て、チヌ殿のサポートができれば一番なのでありますが……朝野提督を見捨てるわけにもいかないでありますし……まるゆ殿はまだ自分の事で手一杯らしいでありますからなぁ)
だからこそ、今こうしてチヌ殿が自分の膝の上で寝ているのが、嬉しい反面、複雑な気持ちになる。こんなあっさりと寝てしまうほど疲れているなら、彼にはゆっくりと休憩をしてほしい。でも、彼自身はそれをまったく望んでいない。
(困ったものでありますなぁ。まるで、手のかかる子供を心配してるようでありますよ、チヌ殿)
揚陸艦である自分にとって、戦車とは自分に搭乗させ、安全に運ぶ……まさに守るべき存在。だからこそ、今の状態がとても嬉しい。自分にこんな無防備な姿を見せてくれる彼がとても愛しいのだ。
「このまま……しばらく眺めるのも悪くないでありますな」
顔を近づけたまま、そんな事を呟いていると、ふと玄関の方から気配を感じ、顔を向けてみるとまさに戸が開かれ、飛鷹殿と不知火殿が家の中に入ってきた。
「チヌ、少しいいか……」
「チヌ……さ……ん?」
ああ、こちらを見た二人がポカンと、口を開いたまま固まっているであります。大声を出されてチヌ殿を起こすわけにはいかないので、しーっ……と、唇に人差し指をやると、二人は口を閉じ……そして、恐る恐る、こちらに近づいてきたのであります。
「これ……どういうことよ……」
「チヌ……さん……」
近づき、改めてチヌ殿の寝顔を見つめる二人に、自分は優越感を感じずにはいられないであります。おそらくこの二人はチヌ殿にとっても親しい艦娘であるのに、この二人が見たことのないチヌ殿を見せつけたのでありますから。
「お疲れだったのでありますなぁ。自分が耳かきをしてる最中に寝てしまったでありますよ」
「うそ……チヌが耳かきで寝るなんて……」
「信じられません……」
ああ、やはりチヌ殿はこういう姿を他人には極力見せないのでありますな。
「おや、その様子では……お二人もこのようなチヌ殿の姿を見たことはなかったのでありますか……お二人はけっこうチヌ殿と親しいと思っていたのでありますがなぁ」
ニヤリ、と意識して笑みを浮かべてみると、二人ともなんともいえぬ表情になりました。そろそろからかうのもやめとくでありますかな。
「まぁ、冗談はこの辺にして……二人とも、チヌ殿の事はよく見ていて欲しいでありますよ。疲れが溜まっていなければ……こうはならなかったはずでありますから」
そう言うと、二人とも悔しそうに口を噛み締めている。ふふ、からかうのはやめるつもりでありましたが……、もう少しいいかもしれないのでありますなぁ。
「さ、取り合えず用事は後にしてほしいでありますよ。チヌ殿が起きたらお二人が家に来たことはお伝えするでありますから……」
「……そうね、不知火、後でまた来ましょう」
「そう……ですね」
そう言って二人が家を後にしたので、自分は改めてチヌ殿の顔を眺める。ふふ……チヌ殿……今はゆっくりと、お休みしてください。
「……むかつくわね、不知火」
チヌの家から出て寮までの道を歩いている中、私はそう呟かずにはいられなかった。
「むかつく……? その、あきつ丸さんは間違ったことを言っては……」
「違うわよ、あきつ丸もまぁ……思うところあるけど、チヌよチヌ。不知火、あんたチヌに耳かきした事あったでしょ? その時のチヌはどうだったのよ」
私の問いに不知火は少し考えこんだ。
「えっ、えっと……特に普段と変化はなかったと思いますが……」
「でしょ。私の時もそうよ、普段と同じ、気を抜いてもらおうと思っても全然そんな気配もなくて……なのに、陸軍ってだけで全然交流のないあきつ丸に対してはあれよあれ。あっさり寝落ちしてるじゃないの。ふざけるなって話じゃない」
ああ、苛々が落ち着かない。本当、私も不知火も、いや、この鎮守府に居る他の娘だってあんたの事気にかけてるのに、なんで気を許さないのよあいつは。耳かきしてる時ぐらい、気を抜いて膝の上で寝るぐらいしなさいよ。
「不知火、もうこうなったら意地よ。絶対、絶対、ぜーったいに! チヌを振り向かせるわよ!」
「も、勿論です。不知火だって、このまま引き下がりはしません」
「よく言ったわ不知火。なんとしても、チヌを振り向かせるわよ」
不知火と力強く握手を交わしながら、私は改めて誓う。あの堅物を、絶対に振り向かせるのだと。