鎮守府へ戻った俺たちは急ぎヴェールヌイを入渠させ、事の次第を提督へ報告する。報告を聞いた提督は思い悩む表情を見せ、当分の間のヴェールヌイの出撃を禁じる命令を出した。当然だろう、今日の結果はそれだけ酷い物なんだから。
報告を終えた俺たちはそのまま解散。俺は予定よりも早く戻ってきたこともあって今日やる予定を繰り上げてこなしていく。幸い任務のような時間が固定されてる予定もなかったので繰り上げは問題なかったんだが、その分全てを予定より早く終わらせてしまった。
「さて……後の時間はどうするかな」
家で時計を見ながら俺は呟いていた。時間は二一○○。寝るには早い。普段から泊まりに来るメンバーは明日の任務のために自室で早めに休んでいるのもあって今日は久しぶりに一人だ。本でも読んでも時間を潰すか?
そんな事を考えていると戸が叩かれた。こんな時間に何かあったのか? 緊急事態なら警報がなるはずだが……そんな事を思いながら戸を開けると、そこにはヴェールヌイの姿があった。
「こんばんはチヌ。こんな時間にごめんなさい」
「ヴェールヌイ!? どうしたんだこんな時間に? それに傷のほうはもういいのか?」
「傷のほうはもう大丈夫さ……それより、今日は誰も泊まっていないのかい? それなら好都合だ……相談があるんだ」
そう言って俺を見上げるヴェールヌイの顔色は相変わらず悪い。本来なら自室に帰して療養するように言うべきだが……こんな時間にわざわざ来たんだ。何か理由があるんだろう。
「良いだろう。取りあえず中に入れ」
中にヴェールヌイを招くと俺は茶を用意してちゃぶ台の上に置く。彼女はそれをゆっくりと飲み、少しの間を置いて俺を見てきた。
「チヌ……私は、どうすればいいのかな?」
「……何がだ?」
「私は……響に戻ったほうがいいのかな?」
質問の意図がわからず俺は首を傾げる。戻るとはいったいどういうことだ?
「……チヌ。私は響からヴェールヌイになった。でも、鎮守府の皆は私を響として扱う……わかっているんだ、皆に悪意があるんじゃないって事は。でも……痛いんだ、私を否定され、響だけを肯定されているようでとても痛いんだ」
俯きそう語るヴェールヌイの頬を涙が伝い落ちる。そして不意に彼女は顔を上げ、俺を見てこう言った。
「チヌ……ヴェールヌイは……ここでは必要じゃないのかな……? 私は……響だけじゃないとダメなのかな?」
そう言ったとき、今までより大きくヴェールヌイから響がブレた。そして二人の視線は深い悲しさを称えて俺を見ていた。
(……名は体を表すという言葉がある。人間じゃない、人の想いから生まれた艦娘である彼女にとってそれは文字通りということなのか……?)
俺はこの時やっと思い至った。ヴェールヌイから響がブレて見える理由を。それはこの鎮守府の艦娘が響を意識しているからだ。ヴェールヌイではない響を……もしかしたら彼女たちは無意識のうちにでもヴェールヌイという存在を消そうとしていたのかもしれない。ロシアの賠償艦として名前を変えられた彼女の事を。だが、それは彼女に影響し、体に影響を与えていたんだ。それは……人の想いから生まれた艦娘だからこそ起きた現象なのかもしれない。
ヴェールヌイの近くに居るが故にその想いの影響は大きく、重いんだろう。もしかしたら、多くの人の想いによって生まれた艦娘からの思いだからこそ影響を与えたのかもしれない。
そして俺にだけ見えるのは……俺がヴェールヌイを意識しているからなのか、それとも俺が艦娘と別の存在だからなのか……。いや、今はそんな事はどうでもいい。今重要なのは、ヴェールヌイが助けを求めている事であり、それに応えられるのが、今は俺しかいないと言うことだ。
「ヴェールヌイ。俺はお前を必要としている。でもそれは……ヴェールヌイとしてでも響としてでもない。お前だからだ」
「どういう……意味……?」
今の彼女の名前を、力を入れて呼ぶ。それを聞いた彼女は困惑の表情を浮かべた。
「……艦娘であるお前は響であると同時にヴェールヌイだ。ヲ級のように、最初からもう一つの名前をただ持っているだけじゃない。ヴェールヌイとして長い間ソ連の人々に認識され、想いを受け止めてきたお前は、響であると同時にヴェールヌイなんだ。どっちかだけじゃダメだ……どっちもがお前なんだ」
「名前が二つあるから変な状態になってるんだろうが……お前はお前だ。どっちかだけじゃない。どっちもあって初めてお前なんだ。だから……片方だけなんて絶対にダメだ。それを認めてしまったらきっと……お前はお前でなくなってしまう。だから胸を張って言ってやれ、自分は響でもありヴェールヌイでもあると。響だけで見るのはやめてくれと」
「私は……そう言ってもいいの? チヌは……認めてくれるの……?」
「認めるさ、ヴェールヌイ。お前は響でありヴェールヌイだ、と」
俺はヴェールヌイの両肩に手を置き、力を、想いを込めて彼女に告げた。それが俺にできる事だったから。俺の言葉を聞いたヴェールヌイはそのまま俺の顔を見つめ……不意に大きく顔を歪ませたと思うと、彼女は不俺の懐に飛び込み、そのまましっかりと俺の腰に手を回し、抱き着いてきた。
「ひぐ……ウェ……あり……ありが……」
嗚咽を漏らし、俺の懐で泣くヴェールヌイ。俺は彼女を抱きしめ返し、頭を撫でてやる。
(……こうして泣かれると、不思議と今までの彼女へのイメージにはあまりなかった、子供をあやすような気持になるな……あきつ丸殿もこんな気持ちで俺を慰めてくれたのだろうか?)
しばらくの間、俺は彼女の好きなようにさせる。普段の彼女からは見られないような、見た目相応の泣きじゃくる姿はきっと暁達には見せられないだろう。
「チヌ……抱きしめて……もっと私の存在を感じて……強く抱きしめて……!」
泣き顔を上げて俺に言うヴェールヌイに答えて俺は頭を撫でるのをやめて力を入れて……それでも痛くないように注意しつつ抱きしめる。
「うああああああ!」
再び俺の胸に顔を埋め泣き続けるヴェールヌイ。俺は静かに抱きしめ続けた。
それからしばらくして、嗚咽の収まったヴェールヌイがゆっくりと俺を見上げてきた。その表情は涙と鼻水でヒドイ有様だったが、とても晴れやかで、青白くなっていた顔色も赤みを取り戻している。
「ありがとう……もう……大丈夫」
「そうか……それは良かった……。ほら、取り敢えず顔を拭け。凄い状態だぞ」
俺が近くにあったタオルを取るとヴェールヌイの顔を拭いていく。それに身を任せてるヴェールヌイを見てると……なんか、猫を連想するなぁ。響の時に猫の姿で甘えてきたのも原因だな。
そんな事を思いつつ俺はヴェールヌイの顔を拭き終える。が、ヴェールヌイは未だに俺の腰に手を回したまま動こうとしない。
「おい、もう大丈夫なんじゃなかったのか?」
「それはそれ、これはこれだよ。私は今幸せなんだ。私という存在の全てを認められて……暁達にもう一度会えた時と同じぐらい嬉しいんだ。だから、今はこの幸せを噛み締めさせてほしい。離せなんて無体な事言わないでくれると嬉しい」
「待て待て、取りあえず一度離れろ。と言うか、今更だが暁とかはお前がここに来るのを……」
そこまで言ったとき、勢いよく家の戸が開かれ、暁と不知火が入ってきた。
「チヌ! 響見てない!? どこにもいな……」
「……チヌさん……何をやっているんですか……」
俺たちを見た暁はそのまま硬直し、不知火は思い切り俺を睨み付けてくる。まぁ傍から見たら……俺にしがみつく響とそれに困った顔をしている俺だ。邪推の余地は十分にある。
「……二人ともいいところに水を差さないで欲しい。私は今チヌの温もりを堪能しているんだ」
「おい誤解を受ける言い方をやめろ。マジでやめろ、二人が俺を殺しかねない視線を向けてるからやめろ」
ヴェールヌイの言葉を聞いた二人の視線が殺気を帯びている。俺はヴェールヌイを引っぺがすと二人に急いで事情を説明することとなった。