BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

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因縁

ああ 死が満ちている

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――……滅却(クイン)(シー)――――?」

 

 翠の光が、水面に揺れる。

 広大な砂漠が広がる虚圏に霊圧の砂嵐が吹き荒れている。

 醜く太った脂肪のような生物的黄色の霊圧だ。大気を()いて嫌な臭いを残す圧力は、並みの大虚(メノス)を遥かに凌ぐ力で物言わぬ霊蟲を、石英の木々を根の沈む砂漠ごと破壊している。

 その霊圧の嵐の中に、三つの人影があった。

 一つは棘が人の形をした黒い闇。一つは白い衣を靡かせる(おお)きな男。

 そして最後の一つ、巨きな男の後ろで倒れる女性型(ホロウ)、ティア・ハリベルは掠れた声でそう呟いた。波打って焦点の合わない瞳には、不動の月光に輪郭を崩す男の横顔が浮かんでいる。

 

 ハリベルはその男を知っている。名を大神御蔭丸、髪は白く瞳は深紅、そして職業・死神の男――

 ――そうである筈なのに。今しがた耳にした言葉は、彼の責務と真っ向から対立する破壊者達の呼び名だった。

 滅却師。それは大雑把に言えば、虚を憎悪する復讐者の集団である。元々は生前の御蔭丸のように人間でありながら霊力を持つ者達が、虚に殺された仲間の仇を取る為に生まれた退魔の眷属とされている。

 力の源を違えるものの、虚と戦い(たお)すという点で彼らは死神と同じである。

 しかし滅却師は虚の斃し方に問題があった。

 

 死神は虚を殺さない。死してなお未練に囚われ、本能を剥き出しにする虚は人間を喰らう罪を犯す。その罪を洗い流し、尸魂界(ソウルソサエティ)に昇華させるが死神のやり方だ。

 だが滅却師は、虚を滅却(ころ)す。仲間を喰らい死に至らしめた怪物共を、霊子の根底から消滅させる。

 許せないのだ、滅却師(かれら)には。中心(こころ)の孔を埋めるという身勝手な理由で仲間を食い殺した虚達が、尸魂界でのうのうと生きるその事実が。

 故に滅却師は、虚を滅却す。それは世界の理たる生と死の循環を阻害する行為であり――果ては世界を滅亡へと螺旋させる、盲目の使徒達による弔いの祈り。

 故に彼らは相容れず、故に彼らは矛を交える。世界の大儀を護る者と、仲間の祈りを護る者。どちらが正しいかと問えば、どちらも正義に違いなく。どちらも正義であるが故に、彼らは争わねばならなかった。

 

 最上級大虚(ヴァストローデ)の一角であるハリベルにしてみれば、どちらも敵に違いないが。少なくとも死神の側に属する御蔭丸が、滅却師と呼ばれる道理はない筈だ。

 だが現実に、あのアルヴァニクスと呼ばれた闇は御蔭丸を滅却師だと断言した。そして彼もまた、これまで見せた事がない憤怒と憎悪を滾らせている……それは二人の間に何らかの確執がある証左だった。

 一体、何があったのだろう――暗闇に揺蕩(たゆた)う心の淵にそんな思いをよぎらせる、濡れる彼女の瞳の中で。御蔭丸は表面のみ冷徹に、煉獄のような音色を奏でる。

 

「…………今は死神だ」

「ギエヒャアハハハハハハアッ!!! それはそうだ!! 貴様のような滅却師は白に誇りを持っているからなァ、そんな繭にも絹にも鱗にも劣る薄汚れた白など纏う筈もない!!

 それに貴様が握っているのは斬魄刀だろう? 斬魄刀は死神の戎具(じゅうぐ)――例え死覇装を纏わずとも、それを担うは死神以外に存在しない!!

 ああ、それにしてもこんなにも滑稽で頓狂で無様な喜劇が在ろうか!! 貴様のような百万をも超える虚を滅却して滅却して滅却し続けた、(わたし)よりも虚に近い鬼であった貴様が!!

 今や轢き砕かれた砂にも劣る死神と成り果てているのだからな!!!」

 

 砂漠に佇む細身の闇――アルヴァニクス・エヌマニュエルは(たの)しそうに身を捻じ曲げる。骨が軋む程に関節という関節を歪ませて、それでも眼だけは二人から離さない。

 

(わら)わずにはいられんよ! そうなって(なお)も私を殺そうとする貴様の妄執は、もはや虚と呼ぶ事すら烏滸(おこ)がましい!!

 その上で塵の如き死神へと堕ちた貴様を、哂わずにいられるものか!!

 ギャハ、ギャハハハハハハギイイイィィイィイヒャハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 闇は嗤う。仮面が裂ける程口角を広げ、狂った性質を惜しみなく曝け出す。

 そればかりか手首の無い右腕を抉れた肩に突き刺し始める。突き刺し、突き刺し、何度も何度も、肩が肺まで抉れ、肘から先が無くなっても嗤い叫びながら突き刺す。

 狂気だ。それ以外に言いようがない。己の身体を嬉々として挽肉にする者を他にどう形容すればいい。

 ハリベルは怖気を抱き、御蔭丸は冷静だった。目の前の光景を無視しているのではなく――もう見慣れたものだと言わんばかりに平静を保っている。

 

「――――いやいやしかしこれは一体どうした事だろうな!?」

 

 唐突に、闇は突き刺す事を止める。

 

「その虚を憎み嫌い滅却(ころ)す貴様が、何故(ホロウ)を庇う様な真似をする!? 御丁寧に私の右腕を斬り飛ばし、剰え貧弱な霊力を無意味に消費(つか)ってまで癒す!?

 義務か!? 情か!? はたまた愛か!! よもや貴様、その女に惚れているとでも云うのか!?

 ――――ああ、それならばなんと心地の良い気色悪い反吐が出る傑作なのだろうなあ!!! 死神を名乗った貴様が虚に恋慕するなど、とんだ哂い話にも――」

「――破道の五十四、『廃炎(はいえん)』!!」

 

 推論を並べる金切音を潰したのは、抜け目なく詠唱していた御蔭丸の鬼道だった。

 破道の五十四、『廃炎』。

 高い熱量を持つ円盤状の炎だ。『赤火砲』と似通っているが内部熱量は『赤火砲』の比ではなく、当たれば大虚であろうとも塵も残さず廃滅する。

 『廃炎』は回転しながら空気を吸い、炎を更に猛らせて闇の頭部へ飛来する。狙いは正確、『廃炎』は確実にアルヴァニクスを撃ち抜くだろう。

 しかし駆け引きを伴わない一撃など、赤子の手をひねるより容易(たやす)く避けられる。撃ち放った御蔭丸(ほんにん)でさえ、(かわ)されるのは前提だった。

 

「――――ギャハッ!!」

 

 だが、あろう事か。

 一声嗤ったアルヴァニクスは、避けずに『廃炎』を噛み砕いたのだ。

 それだけならば、まだ分かる。いくら大虚を屠る鬼道でも、所詮は最下級(ギリアン)の話。最上級大虚に簡単に通じる筈もない。

 だが、乱杭歯に食い破られた『廃炎』は、貯め込んだ熱を一気に放出させ。

 棘だらけの闇の頭部を呆気なく吹き飛ばした。

 

「…………!?」

 

 破裂した熱風が過ぎ去った後、首のない闇を見たハリベルは目を疑った。

 ――避けられた筈なのにわざわざ()みついて、自爆した?

 ――あれはそんな蒙昧な最期を迎えたというのか?

 グラリ、と頭部を失くした人間そのままに膝をつく闇の姿が、彼女に疑念を植え付ける。

 あの熱された闇はたかが鬼道一つで倒せるような存在ではない。それは闇の醜悪さに真っ向から立ち向かい、その悍ましい狂気と馬鹿げた強さを死ぬ寸前まで味わったハリベルがよく知っている。

 だからあの程度で死ぬ筈がないと――ハリベルの心に刻まれた恐怖が、目の前の光景を否定していた。

 

 ――――しかし。何をどう考えようが闇の頭部が爆散したのは事実。千切れた右腕も肩の損壊もそのままに、首の無い闇は見た目通りの軽さで砂漠に臥す。

 如何なる虚であれ、己を制御する中枢を失えば生きてはいけない。例え生きたとしてもそれは御蔭丸の左腕に寄生した中級大虚(アジューカス)のような、意志のない肉塊にしかならない。

 それにアルヴァニクスと呼ばれた闇は間違いなく最上級大虚だ。最上級大虚は身体構造がほぼ人間と同じであり、それ故中枢は脳髄に限定される。それを失えば――どんな最上級大虚でも死は避けられない。

 …………やはり、死んだのか、と。動く様子の無い闇を見据え、納得のいかないままハリベルは結論付ける。納得はいかないが、世界で納得のいく事象など高が知れているのだ。それにこの様だ、考える力も残ってない。

 だから死んだ筈だ(・・・・・)と、時期尚早を感じながらも判断した、その瞬間――ビキリと黒棘の左腕が跳ね上がり、膿の如き色合いの虚閃が間髪入れず射出された。

 

「なっ――――!?」

 

 “死体”の、絶対に在り得ない挙動にハリベルは愕然と声を漏らす。だが――分かっていた筈だ。あれがあの程度で死ぬわけがないと、分かっていた筈なんだ。

 疑念もあった。警戒もしていた。だからこれは予想できた事だった。普段のハリベルならば事も無げに避けてみせ、反撃も出来ただろう。

 だが……今の彼女は敗北者なのだ。アルヴァニクスに一切歯が立たず、意識を繋ぐのがやっとなまでに追いつめられている。そんな彼女がいくら警戒しようとも、それはしている気になっていただけに過ぎない。

 だから反応が遅れた。気付けば禍禍しい霊圧の濁流は眼前に迫り、彼女は為すすべなく光に塗れる。

 

 砂の海が、削られる。生物的な黄色の、耳を啜る嫌悪を混濁させた虚閃は砂漠を一直線に抜け、燃えぬ筈の虚圏の砂を液体にまで腐食させた。

 溶解した砂の臭気が辺りに広がる。漂う濁った黒の煙は、吸い込めば喉が爛れそうだ。こんな風に大地を汚染する虚閃に飲み込まれたら、とても生きていられないだろう……遠く離れた砂丘の上に、ハリベルを抱えて着地した御蔭丸は、破壊の痕をそう分析する。

 

「……すま、ない……助かった……」

「礼には及びません」

 

 躊躇いがちな言葉に素っ気なく返した御蔭丸は、未だ動けぬ彼女を横たえて視線を首の無い闇に向けた。ハリベルもそれに倣い――眼前の光景に息を飲む。

 ――――超速再生。ズタズタの首から頭が生え、抉れた左肩に肉がならされ、肘から先の無い右腕が瞬く間に再生する。

 時間にして十秒かかったかどうか……それ程の再生速度で肉体を取り戻した闇は、倒れた身体を緩慢に立ち上がらせ――ギシリと歯を、軋らせた。

 

「相も変わらず素早いなあ……ギャヒヒヒ、お前は貴様は汝はかつての見る影もないが、脚の速さだけは損なわなかったか。

 …………――――それで良い、それでこそ下らぬ余興に成り下がる。今の貴様なんぞ徒花(あだばな)にもならんが、死に交わらぬ日々に曲がり迷い惑い出でた今宵が澱――

 ――故に意味も無く。貴様の命を終わらせてやろう――ギャハ、ギャハハハハハハッ!!」

 

 致命傷が揺籃(ようらん)に消えた身体を歪曲させて、アルヴァニクスは悦と嗤う。

 一度死んで甦った、という雰囲気でもない。脳髄が消えた程度で何を驚くと言わんばかりの嘲笑を仮面に縫い付けている。

 その暗黒と相対する白過ぎる死神は「やはり効かんか」と小さく呟き、斬魄刀を抜いて構えた。

 

「――奴の狙いは今の所、僕のようです。ハリベルさんは此処で身を潜め、隙をみて逃げてください」

「……おま、えは……どうする、つもりだ……?」

「戦います。奴は――“アルヴァ”は一度そうあれかし(・・・・・・)と決めた獲物を殺すまで追い、その間他には目もくれませんから。僕が生きている限りは安全でしょう。

 ただし攻撃に巻き込まれたらその限りではありませんので、出来るだけ早く退避してください」

 

 途切れ途切れの問い掛けになんて事のないように答えるが、ハリベルはそれが無謀にしか思えなかった。何せあの熱業の闇はほぼ間違いなく最上級大虚――それもハリベルを(くだ)すほど強い。

 それに先程の超速再生――あれ程の再生速度、それも急所すらも再生する能力などハリベルと戦った時には見せなかった。ただ強いだけなら勝機もあるだろうが、ただでさえ強い上に殺しても死なない存在にどう立ち向かえばいい?

 そんなモノに彼女よりも弱い御蔭丸が挑んだ所で勝ち目などある筈もない。それなのにアルヴァニクスに立ち向かうのは……ハリベルを護る為だとでも、言うのか。

 

「……フフフ、違いますよ。貴女を護る為でもありますが、それが全てではありません」

 

 結論に達し怒りにも似た激情を発露させる彼女に気付いて、御蔭丸は困ったように微笑む。いつも通りの慈母の笑みは一瞬で、すぐに憤怒と憎悪に塗り替えられる。

 

「アルヴァは、僕が殺さねばならないのです。それこそ僕の命に代えても、存在全てを滅却せねばなりません」

「……何故、お前が……」

「今はもう、口にするべきではないのでしょうが……それでも()いて云うのなら――

 

     ――――滅却師(クインシー)の、誇りにかけて」

 

 そう、誇りと口にする彼の何処に、誇りある者の面影があっただろう。ハリベルの眼に写るのは使命に燃える騎士ではなく、呪いの焔を灯す復讐鬼だけだった。

 斬れた赤眼に心を埋めて、天覇の恒星よりなお高く。まるで絶え間ない銀河のような殺意を纏う彼に、どうしてか胸が疼くような痛ましさを覚えてしまう――――

 

 

 ――――きっと、それは。頬を伝わる悲しみさえも、眼に視えぬ仮面に鎖して戦おうとする彼が。

 

 錆び折れた刀剣か、剥がれ墜ちる星の姿と、重なったからだろう。

 

 

 苦しげに眼を狭める彼女は、摩れ果てた白い死神の背へ手を伸ばす。表面上は傷の無い、けれど幾重もの傷に覆われた孤独な背中に、せめて言葉だけでも託そうと、弱弱しく。

 しかし距離は近くとも心遠く、遠過ぎる彼に届く事は無く――伸ばされた手は命の淀む熱さを伴う、霊圧によって砂漠に叩きつけられた。

 

「――――……ヒギャヒャ、話は終わったか?」

「……ああ」

「そうかそうかそうか……なれば音を超え光を超え流星よりも猶速く、開幕の音を告げるとしようか――なあ、轢き砕かれた滅却師よ!!!」

 

 粘つく闇は狂笑する。鬼の狼は心を棄てる。穿たれた鮫は、取り残された。

 御蔭丸は刃を携え、戦場へと離れていく。暗黒よりも深き闇へ、死者の生臭い風よりも熱き殺戮者へ、憎悪を憤怒に変質させる復讐鬼と成り飛び込んでいく。

 その背を彼女は、ただ見送る事しか出来なかった。漠然と不安を煽る、正体の見えぬ喪失の予感に苛まれながら。誰よりも戦いを厭うあの男を戦わせてしまう、己の弱さを悔しげに恥じ――

 

 ――大神御蔭丸を失いたくないと強く想う、己の心を確かに認めて。

   ティア・ハリベルは無事を願い、戦いの行く末を見届ける。

 

 

 

「縛道の七十九、『九曜縛(くようしばり)』!!」

 

 先手を取ったのは御蔭丸。黒い右手で印を結び、左の刃を正面に差し向け、禁封の呪言を強く叫ぶ。眼に視えぬ呪いは眼に写る漆黒と化し、八つの首に別れ闇の周囲を喰い穿つ。そして闇の胸の孔の代わりに、九つ目の漆黒を刻み込んだ。

 御蔭丸とアルヴァニクスの力の差は天地の隔たりよりも広いが、それでも七十番台の縛道だ。完全に縛られずともそれなりに行動を制限されただろう。だが鼻のない仮面の狂笑は、無礼なまでの余裕に満ちている。

 

「――――君臨者よ 血肉の仮面・万象・羽搏(はばた)き・ヒトの名を冠す者よ――

 ――――散在する獣の骨 尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪――――」

 

 その余裕を好機と捉え、御蔭丸は二つの口上を同時に行う。二重詠唱――鬼道の高等技術を難なくこなし、脚部に巡らせた霊圧を最速の瞬歩に変え、爆発的な速度を以てアルヴァニクスへ飛来する。

 動作は一瞬、完了も刹那。雷光の如く飛来した彼は闇の眉間を貫いていた。余波で後頭部の肉が吹き飛び、仮面に無数の亀裂が奔る程の一撃――それを喰らうが依然として、壊れた仮面は狂った笑顔を裂かせている。

 

「『蒼火墜(そうかつい)』!!」

 

 それに構わず、貫いた刃の裡で詠唱を終えた鬼道を発動させる。夢の壁を焼き散らす蒼い炎が仮面から溢れ、アルヴァニクスの上半身を巻き込んで炸裂する。

 

「――『雷吼炮(らいこうほう)』」

 

 次いで残った半身を落雷の渦で粉々に砕く。炎と雷の衝撃に包まれたその場からハリベルの反対側に着地した彼は、噴煙の上がる爆心地を油断なくねめつけた。

 脳髄を突き剥がし、上半身を焼き壊し、残骸も一片まで砕いてやった。だが――その程度でアルヴァニクスは滅びない。塵一つ残さなかったにも関わらず、気付けば白濁の砂塵に実体として現れている。

 (かお)を覆うは狂った嘲笑、その身に宿すは数多の死。屍の泥土から這い出たような腐り果てた血潮をへばりつかせ、アルヴァニクスはギィィ(・・・)と軋みを上げて嗤い狂う。ただ破滅を受け入れながら死に堕ちぬ狂気は、さながら吟遊詩人のように五つの指先を宙に差し出した。

 

「――――虚閃」

 

 怪音波が掻き鳴らされ、五条の光が吐き出される。ただでさえ一本の攻撃範囲が広い虚閃だ。それが五閃も放たれれば、闇の正面が全て破壊で埋め尽くされる。

 逃げられるのは上か下か、あとは奴の後ろのみ。闇はそのいずれにも対応できるよう指先をくねらせていたが――虚閃に呑み込まれる寸前に死神は三体に分裂し(・・・・・・)、それぞれ三方に散らばった。

 

「ほう、中々の芸じゃあないか!」

 

 霊圧さえも三つに増殖した彼に、闇は壊れた嘲笑をかける。蟻が三匹に増えたところで、(にじ)り潰すに変わりはない。

 歪んだ仮面は慢心を剥き出しにし、背後に回った御蔭丸へ虚閃を乱射する。狙いが雑で当たる気配がないが、闇は構わず撃ち続ける。

 他の二体に隙を晒しても嗤いは止まらない。それが己の致命にならないと言わんばかりに歯を鳴らし――仮面は額から生えた刃によってまたも罅割れた。

 三つに別たれた一つ、溶けるように砂漠へ沈んだ御蔭丸が股から脳まで貫いたのだ。

 正確に脊椎を狙った刃は闇の中枢神経を全て切断したが、闇は何事もなく御蔭丸を踏み潰す。だが手応えは無く、されど貫かれた感触は確かなものだった。

 

 その不可解な現象を再生しながら嘲って、今度は刃を振りかぶって真上から接近する御蔭丸へ舌先から虚閃を放つ。直撃するが、肉片一つ降ってこない。

 あれも偽物なら、残る一つが本物か――弾けるように背後へ反転した闇は、無謀に迫る白狼の影に白く長い舌をなめずる。闇の乱杭歯は己の舌さえ削り血を流させるが、それすらも悦びに変え虚閃を撃たんとして――

 はたと眼の火を丸くして、収束させた霊圧を霧散させた。

 気付いたのだ、迫る死神の左の掌に宿る、鋭く光る鬼道の色に。

 黄色い横縞の三本線に、潜む悪意と死の予感に。

 闇は気付き――頭蓋まで砕けるような凶笑を浮かべ、御蔭丸を暖かく抱擁した。

 

 ――改造鬼道『断人(だんじん)黄火閃(おうかせん)』――

 

 その瞬間、アルヴァニクスに突き立てられた掌が淡く閃き、三条の光が背中へ抜ける。

 心臓と胃と太腿に血飛沫の線を描いたそれは、圧縮された霊圧の剣だ。本来ならば扇状に広がる霊圧の光を薄く鋭く変質させ、斬撃として叩き込んだのだ。

 三つの斬線に切断されたアルヴァニクスは十一の肉塊と化して崩れていく。それを見下ろす御蔭丸の冷え切った眼には、高温の火を吹き、電流が纏わりつき、封印されたアルヴァニクスの断面が写っている。

 ただ斬るだけなら鬼道である必要はない。だがただ斬っただけでは、この闇は無限に再生する。ならば再生できぬよう傷口に細工すればいい――彼はそう考え、実行した。しかし、アルヴァニクスが避けなかったという事は……

 

 その思考が決着した瞬間、バラバラになったアルヴァニクスの棘と云う棘から虚閃が放たれ、御蔭丸を塗り潰す。至近距離からの全方位攻撃だ、いくら素早くともあれをくらえば無傷で済まないだろう……

 白煙を帯びて彼方に消える己の影を見送って、分析を重ねる御蔭丸は斬魄刀から霊力を補給する。次の鬼道を仕込む為だ――どうせあの闇は、傷口に纏わりつく呪いなど露ほどにも感じないだろうから。

 

「――――……ギャハハハハハ! 懐かしいなァ、その動き! 飛廉脚にある一定の規則をつくる事で残像を生み出し、それに霊子を加えて残像を実体とする歩法――確か“尸舞(かばねまい)”と云ったか。

 クククッ、今の貴様に飛廉脚など扱えまい。ならば使ったのは瞬歩だろうな。霊子の収束も出来ぬだろうから、影には鬼道を混ぜ込んだか……キヒ、キヒャヒャ、キハヒャハハハッ!!」

 

 断片の一つから生い茂り復活したアルヴァニクスは、嘲笑に満ちた顔で御蔭丸を指差した。同時に爪のない、ただ尖っているだけの指先から固まった霊圧が打ち出される。

 

「塵の如き死神でありながら滅却師の技を使うか! 御丁寧に全ての死神が扱えるであろう形に落とし込んでまで!」

「……使うさ。俺はずっとそうだった。それはお前が一番よく理解(わか)っている筈だろう」

「ゲハハハハッ! 貴様にはつくづく、誇りというものが無いのだな!!」

 

 霊圧の固まりを嘲笑ごと斬り捨てて、返す刀で赤火砲を斬撃状に振り抜く。紅い飛炎はアルヴァニクスの指先から肩口まで一気に分断し、遠い砂丘にぶつかって爆炎を上げる頃には、焼き断たれた腕は再生していた。

 

「だがどうする!? かつて(・・・)の技をいくら振るおうと、かつて(・・・)敗北した貴様に勝機は微塵もない!! それでも私の前に立ったのだからあるのだろう!?

 ――――この私を、灰燼に還す必滅の術が!!!」

「…………」

 

 彼は答えぬまま、赤火砲の斬撃を三度振り抜く。火の尾を引く紅い斬光がアルヴァニクスの胴を斬り、腱を裂き、両目を抉り取り、それらがすぐさま再生した後、闇は再び縛道によって封じられていた。

 『六杖光牢(りくじょうこうろう)』『五柱鉄貫(ごちゅうてっかん)』『鎖条鎖縛(さじょうさばく)』……両目を抉られた隙に封じられたアルヴァニクスは、それを全く意に介さない。初めから変わらない、濁った白炎の眼を向けて――初めから変わらない、歪んだ三日月を裂かせていた。

 

「――――……どうやら、その術はないようだな」

「…………」

「ギハハッ、初めから理解っていた事だ。貴様には以前ほどの力がないなど、初めから理解っていた。

 それは貴様も理解っていただろう? いや、望んでいたと云うべきかな?

 ――この戦いは原初(はじ)めから、生き延びる為ではなく死に逝く為に在ったのだ」

 

 心の内を言い当てられても、御蔭丸に動揺はない。彼とアルヴァニクスは既に、互いの深淵を解するまでに殺し合っている。

 だからこそ御蔭丸に動揺はない。ただ事実を受け入れるだけだ。無邪気な子供のような凶笑を軋らせるその言葉の意味する末など、とうの昔に経験しきっている。

 

「なれば良し。お前の望む通りにしてやろう――――」

 

 すなわちそれは、手向けの花。死者に指差す散華の音。

 その証明は流星のように、引き千切られた縛道によって証明され。

 

「――――さあ、死ぬがよい」

 

 天地の隔たりは覆る事なく。闇の腕が御蔭丸を貫いた。

 

 

 

   φ

 

 

 

 ハリベルが自力で動けるまでに回復したのは、御蔭丸とアルヴァニクスが戦闘を始めてから二四一秒後だった。

 こんな短時間で動けるまでに回復するとは流石最上級大虚といったところだが、戦闘能力は目も当てられぬ状態だ。ただ動けるようになっただけ――戦いなんて出来る筈もない。

 それでもハリベルは自らの仮面の刀身を握り、霊圧が吹き荒ぶ戦場へ駆けた。

 死神に救われる事を虚の矜持が許さなかったのか、敵前逃亡を恥じたのか、ただあの男を救いたかっただけなのか。

 それは彼女にも分からなかったし、元より見出すつもりもなかった。

 

 虚には、心など無い。

 だから自分の意志を確かめるなんて不毛だ。所詮は人の魂を無為に貪るだけの存在。その虚共が喰らい合う血の(おり)から産まれ墜ちた彼女には、意味どころか価値もない。存在するだけで犠牲を強いる己には、初めから何もありはしないのだ。

 だからいつものように、虚の魂を喰らい永らえるように。そこに意味など無いと信じて、ハリベルは駆けた。

 まだ、五分は過ぎない。戦いはまだ続いている。彼女が戦場に辿り着くまであと十秒とかからない。

 

 …………だが、間に合う事はなく。

 辿り着いた彼女が目にしたのは、血の雨に倒れる御蔭丸だった。

 

「――――ッ!!!」

 

 軋みを上げたのが高笑いを上げる闇の仮面だったのか、噛み締めた己の頭蓋だったのか、彼女には分からなかった。

 認識できたのは自分の意識が血の如き紅蓮に染まった事だけ。身体が発する痛みの信号を激高で塗り潰し、霊圧を剣先に集中させて自らの能力を発動させる。

 剣先から迸る澄んだ金色の霊圧から顕現したのは“水”。虚圏の乾いた空気に水の分子が生まれ、それは粒となり水滴となり、仄かな流れとなり濁流へと変貌する。

 

「――ギャハッ!」

 

 濁流は山をも呑み込む鮫の如き威容となり、低く轟く唸りを上げる。その瀑布を統べるハリベルの圧もまた深海の淀みを纏い――一心不乱の殺意に襲われる闇は、歓喜で身体を震わせる。

 そうして嗤いながら虚閃を撃ち――その虚閃ごと、水の爆塵にかき消された。アルヴァニクスの居た砂丘ごと、なんて生半可な真似はしない。眼前の全てを地平線の彼方まで押し流すつもりで残った力を一撃に籠める。

 放たれた水は砂漠を喰らい、巻き上がる砂塵さえも貪欲に呑み込んでいく。砂漠を白い泥濘へ変えていく水の暴力は、天高き月さえも食い尽くそうと身をよじらせて茫漠の果てまで蹂躙していった。

 

「ハッ……ハアッ――」

 

 ザンッ、と地面に突き立てた刃に寄りかかるハリベルの頬に苦痛の汗が流れる。もう刃を担う力もない己の震える手を見ながら、らしくもないと心中で呟いた。

こんな、自分の命を削るような真似をした所で何の意味もないというのに……やはり死神に関わるとロクな事にはならんなと、徒労の滲む眼で近場に倒れる御蔭丸を見遣る。

 ハリベルの与えた白い装束を紅く濡らす彼は、うつぶせに倒れたままピクリとも動かない。魄動(はくどう)はかろうじて感じるが、絶えるのは時間の問題だろう。ハリベルもまた満身創痍、今他の虚にでも襲われたら一溜まりもない。

 だから早く、御蔭丸を担いで逃げなければ(・・・・・・・・・・・・・)、と。淀みなく生じた言葉に耐え難いものを感じながら、無い力を振り絞って御蔭丸の傍へ寄る。

 よろめきつつも近寄り、倒れる男の傍らに立った時、ハリベルは苦々しい顔で視線を切った。そして何かを考える前に、さっさと担いで逃げようと手を伸ばし。

 

「うむ、善き(かな)善き(かな)。力在る者の最後の一撃というのは、いつ味わっても褪める事がない」

 

 何時の間にか御蔭丸を挟んで闇が顕現していた事さえ分からず。

 鋼鉄を引き剥がす金切声で(ようや)く、行動が真に無駄だったと知ったのだ。

 

「な……!?」

 

 に、と続く言葉は、黒い棘に引き裂かれた。仮面の鎧の残骸が宙を舞い、殴り飛ばされたハリベルは遠い岩場に直撃して血反吐を吐く。

 

「ぐっ……ぐぅ、う……!」

 

 咄嗟に刃で凌いだはいいが、今ので中程から叩き折られてしまった。鎧は完全に破壊され、腹を深く抉られたが、防がなければ今頃大穴が空いていただろう。

 ――……だが、もう次は無い。

 朱色が溢れる腹を押さえて喉にせり上がった血を吐き出すハリベルは、断続する意識の中で絶望を理解する。もう、打つ手がない。逃げる事も戦う事も、降伏さえも許されない。次にあの闇が前に立った時、私の最期が訪れるだろうと、嫌にはっきりした諦観が心を支配する。

 ――……あの男の言う通り、逃げてしまえば良かったのだろうか。

 ――……戻ったところで、助けられない事は分かっていた筈なのにな。

 

 末期(まつご)に及んで考える事は、あの男の事ばかりだ。半年ほど一緒にいたが特にそれらしい会話もしていない、互いに胸の裡を隠しながら奇妙な共存を続けてきたイカれた死神の事ばかりが、思考の海に浮かんでくる。

 何故だろう、とは思わない。その理由はつい先ほど、はっきりと掴み取れた。

 ――……あんな、笑ってばかりの奇妙な男でも。

 ――……それでも私は、失いたくなかったんだ……

 死にかけの身体で、自嘲的に笑う。一人で逃げる事も考えなかったわけじゃない。でも逃げられなかった。また独りで生きていくのかと、想像しただけで――彼女にはもう耐えられなかったのだ。

 

 だから無意味と知りながら、あの男を助けようとした。手段は無いと知りながら、あの醜悪な闇に立ち向かった。己の行為が諦めの上に築かれたまやかしの城であると知って、それでも二度と、独りになりたくなかったから。

 ――轢き潰される砂の音がする。緩やかに、死に追いすがる時のような足音が、一歩ずつハリベルへ近づいていく。

 

「ギハ、ギハハ!! ギハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 不自然な夜の静寂を罅割る嗤い声。肌が根こそぎ剥がされるような凶音が、動けぬハリベルを圧迫する。

 あと二十歩――その距離を闇が渡り終えれば、待つのは己の死だ。だが何をしようと意味はなく、そもそも何も出来はしない。この身はただ、死を待つだけの存在……生まれた時から死を目指す他ない、中心の欠けた(うろ)の大木――――

 

「――()める、な……!」

 

 その、己を死に至らしめる諦めを、彼女は高潔な魂をもって踏破する。尽きた霊圧を心の大海から溢れさせ、痛んだ身体を意志の力で持ち上げる。

 霊体の戦いは精神の戦いだ。例え腕が()げようと腹が抉れようと、身体が構造として繋がっている限り意志の力で動かせる。精神が肉体を凌駕する――最上級大虚に相応しい魂を持つハリベルが、その死の間際まで諦める事はない。

 血と傷に塗れながらなお美しいハリベルに澄んだ黄金の霊圧が満ちる。白と黒の地平を鮮やかに彩る黄金の光は心奪われる程痛ましく、目も当てられぬ程美しい。静かな海の煌めきにも似た色を纏って立ち上がるハリベルは、散り際の花のように儚い。

 

「ほう、此処まできて立ち上がるか!」

 

 その儚い彼女を焔に写すアルヴァニクスは狂喜する。何に喜んでいるか分からないが、最早純粋とさえ云える悍ましい狂気に蠢く棘の肉塊。吹き上がる膿の如き霊圧に気圧されず、ハリベルは折れた刃を(しか)と握り立ち向かう。

 

「ヒャハハハハハッ、ヒャハハハハギャハハハハハハッ!!

 ――――素晴らしい(マラヴィロッソ)!!

 やはり貴様を殺そうとした私の眼に狂いはなかった!! 貴様程の力を持つ者と出会い、そして死に至らしめる!! それこそが私の存在理由だ!!!」

「…………私ほどの力、だと? 私の力の底など――まだ貴様に見せた覚えはないぞ」

「ほう!? ならば見せてもらおうか――――貴様の命の神髄を!!!」

 

 棘の闇は最高潮に狂乱し、高まる霊圧が乱気流の如く叩きつけられる。凄まじい圧に本能から恐怖が滲み出るのを彼女は自覚し、それをあまさず己が物とする。

 勝機も無く、手段も無し。あるのは底冷えする恐怖と我が身のみ。

 ――だが、それで充分。

 ――この身体が動く限り、私は戦える――

 そうして最期の時が来る。

 動くは同時、されど勝敗はその瞬間から決していた。

 いくら魂を振るわせようと、命を懸けても届かぬものがある。死の淵に立つ者と、死の淵の底へ追いやる者。死にかけのハリベルにアルヴァニクスの動作は何一つ捉えられず、生臭い闇は悠然と、命を刈り取る形を閃かせた。

 

 その一撃は世界からあらゆる音を奪い、ただ一個の旋律を残響させる。

 響いたのは、命の折れる鈍い音。人の身体が壊れる時の、血肉の爆ぜる鈍重な福音。

 

「――――ナニ?」

 

 だが、世界に音が戻ったその時。

 最初に彼女が耳にしたのは、闇の発した軽い驚きと困惑の混ざった声だった。

 

「――――……おま、え……」

 

 眼に写る白の陽炎に声が掠れる。折れた刃を構えた形で立ち竦むハリベルの一歩先に、孔の開いた男が立っている。

 ズタズタになった内臓と神経の垂れ下がる背骨の見える孔だ。つい先程遠目に見て、もう助かるまいと心の何処かで判断してあえて無視した致命傷。天地の隔たり程の強大な敵に挑み、そして天地の理に従い敗れた男が今、目の前で闇の一撃を防いでいる。

 いや、防いでいるというのは語弊だ。右手に鞘を、左手に斬魄刀を携え、死の爪を受け止めた両腕はどちらも醜く歪んでいる。骨が折れ、肉が裂けているのだ――それでも握られた斬魄刀と鞘が、大地に落ちる事はない。

 

「貴様、どうやって……私は確かに貴様の(はら)を抉り、背の骨ごと髄を抜き取った筈だ。どう足掻いた所で、物理的に立つ事など出来ぬ筈だ!!」

 

 アルヴァニクスの絶叫も無理はない。

 霊体の戦いは精神の戦いだ。構造として繋がっている限り、腕折れようが致命傷を負っていようが死ぬまで動き続けられる。

 だが肉体が繋がっていなければ動きようがない。一度我が身から離れた身体はただの物であり、それすらも自在に操れるのは神でもなければ不可能だ。滅却師ならば塵となるまで戦う術もあるが……一握りの天才にしか扱えない。

 そして御蔭丸はもう滅却師ではない。霊力が尽きた今、鬼道で動かす所か発動さえ困難な筈だ。

 

「なのに何故、貴様は立っている。何故私の爪を受け止められる。答えろ、何故だ、何故――――!?」

 

 返答は、折れた腕が振るった斬撃だった。闇は避けもせず斬り裂かれたが困惑を崩さず、神経の繋がっていない筈の脚に蹴り飛ばされた事で驚愕を強くする。

 それはハリベルも同じだった。姿形も、発せられる魄動すらも塵のような存在が、どうしてこうも動き回れる。どうしてこうも、(ハリベル)を守ろうと立ち上がる。どうしてこうも――こんなに弱く、儚い男に。例えようのない安心を感じてしまう。

 

「貴様、一体……」

「――――……お前の言う通りだ、アルヴァニクス・エヌマニュエル」

 

 砂をはべらせて再生した闇の言葉を(さえぎ)って、御蔭丸がはっきりと口を開く。

 

「お前の言う通り、俺はただの塵に過ぎない。……所詮は己の意志も無く、誰かに願われた何かになるしかなく、その何かにすら成れず面影としてしか存在出来ない――土塊(つちくれ)の人形だ」

 

 語る言葉は懺悔に近い。本当に己に近づこうとする者以外には明かさず、ずっと隠してきた本性。虚ろな心の有り様を口にする彼の顔は深い暗闇で見えない。

 

「誰かに影響を与える者では在ってはならない。誰かを傷つける者で在ってはならない。

 ただそこに在るだけの(うろ)のように、何も果たさず死んでしまえればいい」

 

 振り抜いた姿勢で止まる腕から、斬魄刀が滑り落ちる。重力に従い真っ直ぐ突き刺さった刃は月を写し、淡い黄金色に反射する月光が(うつむ)く御蔭丸を照らす。

 暗闇の晴れた顔は死者のそれだった。血色がなく、蒼白く、感情の無い――摩れ果てた戦士の貌。最後の力を振り絞って、そのまま死んだような表情。斬魄刀を落としたのは、握る力も無くなってしまったからなのか。

 今までの饒舌が嘘のように沈黙する闇が見据える巨きな身体は、もう生きていないのかも知れない。

 それでも闇は、狂喜した。

 

「――――そう思っていた」

 

 砕けた腕が、斬魄刀を確と握る。淡い黄金の刃が持ち上げられ、反射する月光が乱流し、顔ばかりが見える男の全貌を露わにする。

 その白い髪は砂と血の(べに)に汚れ。

 その白い肌は傷と死の色に塗れ。

 ――その紅い双眸は、燦然と輝く傷の無い、黄金の刀身の如く。強く強く滾る戦いの本能が、絢爛に煌めいていた。

 

「だが、どうやらそれは違ったらしい。もう俺と云う存在など何処にもないと思っていたのは、俺だけだったようだ」

「……どういう意味だ?」

 

 闇が嗤いながら問う。仮面を砕く凶笑は何かを期待するような眼差しを御蔭丸に差し向けている。

 その問いには答えず独り言のように、御蔭丸は手にした斬魄刀を見つめて呟く。

 

「……母上は、俺に誇りを覚えさえてくれた。

 兄上は、俺に言葉を教えてくれた。

 あの少女は、俺に笑顔を与えてくれた。

 卯ノ花隊長は、俺に人を助ける術を施してくれた。

 雅忘人(アシド)は、俺に錬磨を思い出させてくれた。

 元柳斎様は、俺に力の使い方を叩き込んでくれた。

 ただ願われ、その面影を演じてきた俺だが、それはいつしか一つの真実になったらしい。壊れた俺の心を、皆が一つずつ埋めてくれた。

 こんな俺に――生きる意味を授けてくれたんだ」

 

 吐き出す言葉は、確かめる為に。己が受け取ってきた願いと、その面影が重なる果てに産まれた己の虚像を、斬魄刀を通して見定める。

 

「――――……だからもう、戦わないのは止めだ(・・・・・・・・・)

「ほう――――……?」

「俺は、戦う。

 例えそれで、また誰かを亡くしてしまう事になろうとも――それでも皆が、戦いを望むなら。俺が戦い、生きて帰る事を望むなら。

 俺は皆の願いの為に、お前を必ず討ち果たす。

 そして――お前の望み通りにな(・・・・・・・・・)、アルヴァニクス・エヌマニュエル」

「――――……ギハッ!」

 

 言葉と共に突きつけられた斬魄刀に闇は嗤い、初めて余裕の態度を崩した。昼行燈のような戦意のない立ち姿から、爪を尖らせ目をぎらつかせ、獣の如く四足で大地にへばりつく。

 そこに知性は無い。理念も無く技術も無い――純然たる本能から産声を上げた戦いの構え。獣のようで獣でない、ただ殺すと云う思念がかろうじて人の形をしているような刺々しい姿を以て――アルヴァニクスは、歓喜の咆哮を轟かせる。

 

「嗚呼、その眼だ!

 百年前に私と対峙した眼だ! 百万の虚を殺し尽くした眼だ!! 貴様の師を私が殺してやった時の眼だ!!!

 ギハハハ、ギャハハハハハハ――――やろうじゃないか大神御蔭丸!!!

 百年前のあの日のように、もう一度私を塵すら残さず殺してくれ!!!」

「ああ――――()くぞ!!」

 

 御蔭丸が、刃を構える。

 右に斬魄刀を、左に鞘を――虚圏を縁取る二刀の(かたち)もまた、本能より産まれし構え。

 並みの斬魄刀より遥かに長い刃を縦に、鞘を横に重ね――魂に背負う十字架のように重ね合わせ。

 

(さば)け――――――――『天獄(てんごく)』!!!」

 

 煌めく黄金の霊圧が、天高き月を貫いた。




原作より六八四年前の出来事。
半年かけてやっと投稿できました。
色々といっぱいいっぱいなので、後書きも特に書かずに次話執筆に取り掛かります。
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