BLEACH Fragments of Remnant   作:ヴァニタス

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治せども救えはせず

 季節は巡る。春が息吹き、夏が訪れ、秋が過ぎ去り、冬に終わる。年月は大河の如く悠久に、何者にも縛られず流れていく。時間の奔流に呑まれる人々は、さながら折れた流木のようだ。激流の(いわお)に崩されるまで、人は止め処ない時間に流されるしかない。

 止められない世界のスピードを果ての無い大河に例えるなら、人の生涯は桜にも似ている。長い(とき)をかけてゆっくりと成長し、培った全てを(つぼみ)に蓄える。そして人生に一度だけ、美しい華を咲かせるのだ――その夢が短く、諸行無常に散ろうとも。

 

 季節は春。雪に鎖された長い冬も終わり、眠りについていた生命が目覚めの歌を高らかに張り上げる頃。春一番が吹き抜ける尸魂界(ソウルソサエティ)には、美しい桜の花があふれていた。

 瀞霊廷(せいれいてい)の通りにも、流魂街(るこんがい)の荒れ道にも、艶のある黒い木々の先には桜色の花びらが鮮やかに輝いている。道を通る誰もが桜の美しさに見惚れて微笑み、気の早い者は日も明るいうちから花吹雪の下で酒盛りに興じていた。尸魂界はうららかに、春の訪れを喜んでいる――送り火の(とも)る夜道で、さめざめと啜り泣くように。

 

 桜は芽吹く。長い年月の中で、一度だけの謳歌を精一杯に飾り立てる。そして儚く散っていくのだ。始まりと終わり、誕生と終焉――まさしく人生そのものの華は、今年も綺麗に咲いてくれた。

 その景色に満ちる桜色を、死神統学院に通う院生は一抹の寂しさと共に眺めていた。近しい過去に面影を残す、苦楽を共にした学び舎との決別を惜しみながら。桜の季節は別れの季節――今日は、死神統学院・六回生の卒業の日だった。

 

「卒業生諸君! 六年に及ぶ長い研鑽(けんさん)、御苦労じゃった! 諸君らの血の滲む努力の末に迎えたこの卒業の日、儂は心からの祝意を述べる! 諸君らの道程は今だ険しく、辛労辛苦に満ちている事は想像に難くない。されど諸君らの積み重ねた研鑽は、必ずや邁進する助けとなるじゃろう! 己を信じ、友を信じ、将来に向けてこれからも努力を怠らぬよう、強く肝に命じて――――」

 

 静けさの積もる式場には元流斎の厳正な声が朗々と響いている。壇上の前で並ぶ卒業生は皆、誰一人気を緩めずに言葉を一心に受け止めていた。

 その中で一人、慇懃(いんぎん)に姿勢を正しながら、儚げに微笑む男が居た。身長順に並ぶ卒業生の一番奥、他より頭二つ分高い御蔭丸だ。卒業生の多くが瞳を涙で濡らす中、彼だけが笑っている。だけど思う事は一緒だ――死神統学院で過ごした六年の日々。その場に居た全員が、一つの思い出を共有していた。

 

 ――思えば、あっという間だったな。

 この日ばかりは厳しさの中にも優しさを混じらせる元流斎の声を拝聴する彼の脳裏に、切り取られた憧憬が次々と張り出される。入学初日の事、アシドとの出逢い、卯ノ花の授業や元流斎の扱きなどなど。時には朽木銀嶺がやって来て殺意混じりに訓導してくれたりもした。少しばかりひどい目にあったりもしたけれど、眩い結晶のような日々だった。そんな煌く思い出の中にいる友人知人を、思い出の()から彼は見つめる。その美しい過去には御蔭丸という男など、いないとでもいうように。

 

 御蔭丸の奇妙な懐古は誰にも気付かれない。気付かれぬまま卒業式は進み、卒業生一同は代表の言葉に合わせて宣言した。

 六年を過ごした、この学び舎にお別れを。友と共に過ごし、教鞭を取ってくれた先達から受け継いだものを胸に、彼らは死神統学院を卒業した。

 

 

 

 桜花爛漫咲き乱れ、時の如くに道を刻む。

 春一番に攫われる桜の花びらは、陽光の舞う小川で煌く龍鱗のように道を彩る。左右に並ぶ天然の花道をくぐり抜けていく卒業生の目には、景色一杯の桜色が大自然からの祝福に見えただろう。

 だが、その美しき光景は彼らの未来を暗示している。ともすれば一歩先も見えない桜吹雪は、定まらない未来を映し出している。切り開いた今を切り刻み、目の前に時の扉を無数に作り出す。

 

 選べる道は、一つしかない。だからこそ進む一歩の決断はとても重い。死神統学院を卒業した彼らは別たれた道を歩いていく。後で隣の芝を羨んでも、選んだ自分の未来を変えられはしないのだから。

 しかしまあ――こんなめでたい日くらいは、後の事など後回ししてもいいだろう。先の見えない未来を暗く考えようが、生涯を決める決断に不安がろうが――精一杯に花開く桜並木は、きっと皆の心を奪ってくれる。

 

 瀞霊廷の賑やかな街並みと死神統学院を繋ぐ大きな道。その道から分かれる小川に沿って造られたはずれ道に、二人の男の姿があった。白髪の大男、御蔭丸とその横で赤錆の髪をざんばらに切ったアシドだ。

 

 

「さて、とだ。これからどうする? お前は予定、あるのか?」

「いえ、僕は特にありません。貴方こそどうなのですか?」

「俺もからっきしだ。みんな誘ったんだが、どいつもこいつも付き合い悪くてな」

「めでたい日ですからねえ。皆さん家族と過ごされたいのでしょう」

 

 水面に散って重なった花筏(はないかだ)を眺めながら、御蔭丸は優しく笑った。死神統学院の制服を颯爽と風に任せる彼の手には、卒業証書入りの黒筒が握られている。祝いの品や花束と一緒に大事そうに抱える御蔭丸とは対照的に、アシドは黒筒をぞんざいに肩に担いで、反対側の手で首を押さえてごきりと鳴らした。

 

「だから身寄りのいない俺達は男二人で寂しく歩いているわけだ。全く、花がないのはいかんな」

「おやおや、そんな事をおっしゃいますか。では誰か、女性の方をお呼びしましょうか? 何人か心当たりがありますよ」

「か、勘弁してくれ……」

 

 なんでこんなめでたい日にお前と過ごさにゃならんのだ、と遠回しに嘆くアシドに、御蔭丸は意地悪く唇を吊り上げる。するとアシドはすぐに青くなって呻いた。それがおかしかったのか、御蔭丸はクスクス笑う。

 

「ふふふ、相変わらず女性嫌いは治りませんか」

「お前に助けを求めた手前、申し訳ないんだがな……こればっかりはどうにもならん」

「弱気はいけませんよ? ここはやはり、強制してでも女性の方と……」

「この話題はもういいだろう! 話を戻すぞ!」

 

 楽しそうにからかいの言葉を口にする御蔭丸にアシドは咆えた。周りの桜もびっくりして一塊ほど花びらを落とす勢いだ。それでも御蔭丸は「はいはい分かりましたよ」とちゃかしながら笑って、大声でずれてしまった花束を抱え直した。

 

「えっと、確かこれからどうするかの予定でしたね。僕としては無難に食事処で祝いの席を設けたいですが、何か案がありますか?」

「そうだな……俺としては見晴らしのいい場所で酒盛りをやりたい」

「酒盛りですか――中々悪くないですね。こんなにも柳暗(りゅうあん)花明(かめい)なのですから、暫し酔いしれるのも風情があります」

 

 ひらひらと舞い降りる桜色の花片を手に落として、御蔭丸は嘆声をもらす。

 こんなはずれ道でも情緒ある華やかさが透き通って見えるのだから、花見の席ではもっと心を打つ花鳥風月の世界に出逢えるだろう。瀞霊廷に限らず、流魂街に出れば白から紅の彩りを放つ梅、柳のように垂れ下がる麗らかな藤、春疾風に慎ましく揺れる木蓮などがある。山笑う緑の丘で千紫万紅の春望にひたるのも良い。

 桜の浮かぶ花酒の味を想像して、御蔭丸はにんまりと目を細める。アシドはアシドで一升瓶一つ分の酒をなみなみと注げる大盃をあおる真似事をしていた。二人とももう酒宴をしている気分だ。

 

「酒盛りをしましょう」

「ああ、そうだな」

 

 始めから決めていたかのように御蔭丸が断言し、一瞬たりとも迷わずアシドは追従した。彼らの考えは鏡で写したように一致している。

 すなわち、酒。

 酒がとにかく呑みたい。飲まれるくらい呑みつくしてやりたい。

 そうと決まれば善は急げと言わんばかりに、二人は一旦帰路についた。邪魔な手荷物を置いて大量の酒瓶を仕入れるためだ。ぶらぶら当てもなく歩いていた足先を寮の方向に向けて――そこではたと、本当なら卒業する前に考えておかなければならない重大な事実に、気付く。

 

「そういえば俺達、帰る場所ないな」

「あー……そうですねえ。もう統学院を卒業してしまいましたし、寮もおそらく出ていかねばならないでしょうから」

 

 そう――身寄りがない彼らは瀞霊廷以前の家が流魂街にある。それも御蔭丸は区画外れのあばら家で今はもう住めなくなっているだろうし、アシドの方は共同住宅だったため、空きが出てすぐに別の人が住みこんだ。その上で寮を追い出されてしまったら、彼らの寝床は今日から寒空の下になってしまう。

 もちろん、流魂街出身の死神候補生の為に寮滞在延長の申請制度はあるのだが、アシドがそんな細かい規約まで読み込んでいるわけもなく、その辺りがしっかりしている御蔭丸はめでたい日だから少し気が抜けてしまっていた。心が緩んだ結果地が出て(・・・・)しまい、珍しいへまをした御蔭丸はアシドと額を寄せ合って頭を悩ませる。

 

「うーん……どうしましょう。一晩くらいなら泊めてくれそうな伝手はありますが、流石に一週間ともなると当て所がありません」

「俺もだな。一晩二晩ならどうとでもなるが、それ以上は少し厳しい……どこか間借り出来る手頃な場所はないだろうか」

「宿屋ならそれなりにありますけど……僕達はそこまで金銭に余裕があるわけでもありませんし」

 

 うーん、と道の真ん中で二人は悩む。ここがはずれ道でなく人の多い往来の最中だったら邪魔物扱い半分、もう半分は奇異の眼で見られた事だろう。幸ある船出を迎えた死神統学院卒業生が卒業直後から寝床の心配をしている姿は、やっと飛べるようになった鳥のヒナが巣立ちもせず親の脛に齧り付いているくらい変だった。

 と、そんな感じで十分ほどあれこれ案を出し合っていた二人だったが、いい案は出なかったようだ。あれも駄目これも駄目と言葉を交わして、ため息で会話を締めくくっていた。それからまた十分くらい黙って考え続けていた二人だが、ここでアシドに妙案が閃く。

 

「そうだ、あそこならいいだろう! どうせ一人暮らしだろうし、昔はよく泊まっていたからな。よし、そうしよう」

「何かいい場所が思いついたのですか?」

 

 突然ポンと手を打ったアシドに御蔭丸が尋ねると、「ああ!」と返事して地面に降ろしていた手荷物を肩に担いだ。御蔭丸もアシドに倣いつつ、思いついた場所が何処か聞いてみる。

 

「それで一体どこに宿泊するつもりなのでしょうか?」

「お前もよく知っている場所だ。というかこの前も飯を食いに行っただろう」

「食事をした……? あ! まさかアシドさん、あそこに御厄介になるつもりなのですか!?」

「勿論だ! さあ行くぞ!」

 

 アシドは妙に自信のある断言をしてその場所に向かう。少々困惑しながら後ろをついて行く御蔭丸は、一波乱ありそうな気がしてならなかった。

 なにせアシドの言う場所とは、御蔭丸の知る限り最も苛烈な女性が切り盛りしている食事処。生半可な考えで間借りさせて欲しいなどと言えば、鉄拳が飛んでくるかもしれない店だ。

 その店の名前は――

 

 

 

「――……という訳だ、射場のばあさん。一週間だけでいいから、部屋を貸してくれないか?」

「そうかそうか……よう分かったわ」

「本当か!」

「おうよ……それがおどれの遺言じゃと云うのがよう分かったわこの馬鹿たれが――――!!!」

「うおおおおっ!?」

 

 ――「射場ちゃん屋」店内、厨房と客席がお見合いになっている入り口付近で、アシドは現在進行形で命の危機に直面していた。他ならぬ「射場ちゃん屋」の店主、射場千鉄(ちかね)手によってである。

 

「な、なにするんだ射場のばあさん!」

「あァ!? 何するかじゃと!? それはこっちの台詞じゃけぇ!! ババアゆうなとわちが何べん言ってもおどれが聞く耳持たんから、そげな使えん耳、親切で切り落としてやろうとしとるんじゃ!!」

「恐ろしい事を考えるなあんたはっ!? 止めてくれ! 昔っからばあさんって呼んでいたから身に染みついているんだ! だから射場さんって呼ぶのに慣れるまで待ってくれと言ったじゃないか!」

「そうほざいて六年経ったんじゃぞ六年! おどれはわちの堪忍袋が鉄か何かと勘違いしとるのじゃろう!! ええ加減にせんか――――!!!」

 

 アシド目がけて怒号と調理器具が飛んでいく。お玉や箸なら腕で防御すれば何とかなるが、流石に包丁が飛んでくるとアシドも青い顔で叫びながら避けていた。御蔭丸は最初に来店した時と同じように、一人取り残されている。違うところはただ目を白黒させているわけじゃなく、困りながらも笑っているところだ。

 

「いやー……相変わらず凄まじい方ですねえ。元気の良い人は好ましいですが、流石に殺意混じりの制裁を下されるのは勘弁願いたいものです。まあ、仲が良いのはとてもよろしいのですが……そろそろ止めないと、本気でアシドさんの命が消えてしまうかもしれません」

「そう思っているならさっさと助けてくれ――――っ!!!」

「ああ、ごめんなさいアシドさん。止めると言いましたが前言撤回させていただきます。僕には怒り狂う射場さんを止めるなど出来そうにありませんから」

 

 にっこりと、向日葵(ひまわり)が花を咲かせるような晴れやかな笑顔で、御蔭丸は平然とアシドを見捨てた。「この薄情者――――っ!!!」とかなり必死な悲鳴が響いてきたが、笑ったままの白髪の大男は既に耳を塞いで見て見ぬ振りをしている。アシドの悲鳴に一切合切一反論できない、薄情者であった。

 そうして御蔭丸が眼前の大立ち回りを無視して五分、どたばたと揺れていた地面の振動がやみ、ついに悲鳴すら上がらなくなった。あらぬ方向を向いていた御蔭丸がそーっと紅い眼を向けると、そこにはボロボロになって倒れたアシドと、赤錆の頭を踏んで勝鬨(かちどき)を上げるようにお玉を振り上げる千鉄の姿があった。

 

「ああ、これは……ご愁傷様です」

 

 御蔭丸はぴくりとも動かないアシドへニヤけながら合掌した。絶対に気の毒だと思っていない憐れむ気無しの顔だ。こんな男を親友に持った結果、窮地を救って貰えなかったアシドであった。半ば自業自得な話なのだが。

 と、ここにきてようやく千鉄は御蔭丸も居ると気付く。アシドに「ばあさん」と呼ばれた瞬間、脊髄反射で()りにいったので気付かなかったようだ。千鉄は少し汗がにじんだ額を手の甲で拭うと、お玉で御蔭丸を指した。

 

「それで、おどれもこいつと同じ理由でここに来たんか?」

「ええ、まあ、その通りでございます。住いを失ってしまったので、一週間ほど部屋を貸していただけないかと愚考し、ここまで参りました」

「つまり、おどれらの見通しの甘さをわちに拭わせようって腹積もりか」

「恥ずかしながら、言い訳のしようもなくおっしゃる通りです。恥の上塗りは承知の上、どうか御一考願いたく存じます」

 

 鋭い目付きでドスをきかせる千鉄に対し、御蔭丸もこの時ばかりは笑わず真剣な面持ちで深々と頭を下げた。普段は身体が大きく皆が皆御蔭丸を見上げる形になるため、お辞儀すると誠意が誇張されて見える。そうでなくとも彼が生半可な意志で頭を下げているわけではないのは一目瞭然だった。

 千鉄はしばらく、無言でじっと御蔭丸を見ていたが、やがて心の中で折り合いがついたのか、面倒くさそうに長~いため息をついて、アシドの頭から足をどかした。

 

「しょうがないのう~……土蔵の隅を貸してやるけえ、それで十分じゃろ?」

「はい! ありがとうございます!」

 

 心底面倒そうな顔をしながらちょっとだけ微笑む千鉄に、御蔭丸は教本に書かれている通りの完璧なお辞儀をした。アシドとは対照的な真面目さがありありと浮かぶ姿に、千鉄も少し若い頃を思い出す。「我ながら、あの頃はまだケツの青いガキじゃったな~」なんて死神統学院時代を思い出して、ある事に気付いた。

 

「あン? そういや統学院の寮は、滞在延長の手続きさえやっとれば卒業後も住めたはずじゃがのう」

「え、ええ!?」

「なにィ!?」

「今は制度が変わっちょったか?」

「い、いえ、そんなはずは……ああ、思い出しました!」

 

 千鉄の何気ない一言にアシドと御蔭丸の声が重なる。特に御蔭丸はすぐさま死神統学院寮の規則を思い出し、はっと額を押さえた。そうだ、そう言えばそんな寮則(もの)あった――自分がとんでもない失敗をしていた事に気付いた御蔭丸は落ち込みそうになるが、肩を下げるかたわらで安堵もしていた。

 少なくともこれで、例え千鉄の気が変わって追い出されても――鉄筋の如き一本筋が通った人なのでありえないだろうが――住まいを確保する事が出来る。その場合、千鉄に余計な罪悪感を持たせなくてすむ――そんな事で罪悪感を抱くような華奢(きゃしゃ)な人物では断じてないが。

 

 「いやあ、良かった」と白い前髪を手櫛(てぐし)でさらりと流しながら、彼は安心した微笑みを浮かべた。これで一件落着と言う雰囲気を出す御蔭丸には、もう何の気がかりもない。安心して前に進めるというものだ――

 ――――なんて。そうは問屋を降ろさないと言わんばかりの殺意を放つ存在が、彼の足元で這いずっていた。前髪を手櫛で流した姿勢のまま御蔭丸は硬直し、髪を流す代わりにだらだらと大量の冷や汗を流し出す。

 

「み~か~げ~ま~る~……」

「あ、ああ、アシドさん!? どうしてそんな幽鬼のように恐ろしい声をお出しになっているのでございますでしょうか!?」

 

 まるで足元に地獄の釜が開いて、そこから這い出した鬼の腕のように足首を掴むアシドに、御蔭丸は慌て過ぎておかしな敬語になる。それでも死神統学院で取り戻した本能から、何とか後ろに引き下がってアシドの腕から逃れようとした。が、足首を締め付ける力はまるで万力そのもので、とても逃げられるものじゃない。

 

「…………御蔭丸」

「は、ははははい! 何でしょうか!?」

「お前が……お前が先に、寮の規則を思い出していれば、俺は射場のば……射場さんにここまでやられなかったんじゃないか……?」

「た、確かにそ、そうかもし、し、知れませんが……!」

 

 おどろおどろしい声色で問うてくる赤錆の影に――「射場のばあさん」と言おうとしたところで、鋼鉄製の箸が目先の地面を貫いたのですぐに言い直した、締まらないと言っちゃあ締まらない男に――怯える御蔭丸は身体が震えて声が上手く出せない。

 掴んだ足首を支点にゆっくりと――ゆっくりと立ち上がるアシドは、凄まじい殺気を漂わせている。自分ではどうしようもない無力感を煽るように、緩慢な動きで動くアシドに、御蔭丸は覚悟を決めた。

 

 が。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいアシドさん!!」

 

 白い右腕を突き出して決死の「待った」を宣言する。でかい体格の割に往生際の悪い男に呆れたのか、動きを止めたアシドに対し、御蔭丸は最後の機会と捉え、怒りの矛先を回避するために食い千切りそうなくらい舌を回した。

 

「確かに僕が早期に思い出していれば、この事態も回避できたでしょう! ですが! しかし! あえて反論させていただくとすれば! 貴方が言葉遣いを改めない以上、今回の事態はいずれ避けられぬものだったと考えます! ですから僕の非は認めますが、それは今回の事態が少しばかり早まっただけの事であり、直接的な原因は貴方にあると――――ひィッ!?」

「言いたい事はそれだけか?」

 

 詐欺師も驚くほど舌を高速回転させていた御蔭丸の肩を、血管の浮かぶアシドの腕ががっしりと掴んだ。青い顔をして、半ば涙目になっている白髪の大男を見上げながら、本当に幽鬼さながらに犬歯を剥き出しにして、恐ろしい声を響かせる。怯えながらそれでもなお、言い訳を重ねようとする御蔭丸に、アシドは肩を掴む腕の反対側の拳を握り込んだ。

 

「で、できればもう少し、納得のいくまで反論を重ねたいのです、が……」

「 問 答 無 用 」

「ええ、ちょ、そんな殺生な――――ぎゃふんっ!」

 

 御蔭丸の端整な顔に、アシドの拳が炸裂した。

 今回、御蔭丸のせいで(半分は自分のせいで)千鉄にやられた怒りと、女に会いたくないのに無理やり会わせる怒りと、必死に努力しているのに涼しい顔で自分を超える怒りと――そんな、今までの色んな鬱憤がつまった、一撃だった。

 まあ、流石にそこまでされては御蔭丸も黙っておらず、いつもならそこから掴み合いの泥仕合に発展するのは必至なのだが――今回ばかりは場所が悪い。

 

「わちの店で暴れるな、この馬鹿たれ共が――――っ!!!」

 

 店にビリビリと響く千鉄の怒号と一緒に、アシドと御蔭丸は仲良く店から蹴り出された。その際店の入り口の戸が壊れてしまったため、更に怒り狂った千鉄に二人揃って理不尽な説教を受ける羽目になる。

 それからとっぷり日が暮れるまで、千鉄にこき使われた二人は、もはや殴り合う気力も体力もなかったのであった。

 

 

 

「あ~~~…………疲れたな……」

「ええ…………本当に、疲れました……」

 

 天道も水平線の果てに沈み、夜桜が舞う瀞霊廷の一角にある、それなりに賑わう「射場ちゃん屋」の裏口手前。楽しそうな宴会の声と美味そうな料理の匂いがする壁を背に、二人は疲れ切った声でへたり込んでいた。

 死神と云う、(ホロウ)と戦う戦士を目指している以上、体力にはかなりの自信を持つ二人であったが、戦うために使う体力と、飲食店を切り盛りするために使う体力は別種のものだ。衛生面に気を遣い、客に失礼のないよう注意を払い、細かで単調な掃除や料理などの作業を繰り返すのは、そういった仕事に慣れない二人には結構辛いものがあった。

 

 瀞霊廷の人々が夜桜を楽しむためにそこいらで宴会をしてくれていたおかげで、店に入る人影がまばらだったのがせめてもの幸いであったが――それでも少し天候が悪かったのでそれなりに客は居たが――ちょっとの休憩を与えられた二人は、ボロ雑巾(ぞうきん)もかくやというくたくたっぷりである。少ない休憩時間では体力が回復しそうにない。

 

「仕様がありません――あまり使いたくはないですが、さっさと体力を回復させましょう」

「なに? ……ああ、何かと思えば鬼道か。お前は医療系にも長けているからな、自分の体力を回復させるくらいわけないか」

「貴方の体力も回復してさしあげますよ」

「そうか、悪いな」

 

 無気力な口調で会話しながら、御蔭丸は手の平に弱い霊力の光を灯して、暖かな力で自分とアシドの身体を包む。淡い燐光は優しく、疲れを徐々に癒していった。ちょっとした疲労をとるには丁度いい鬼道だ。

 本来は戦いの技能である鬼道をこんなしょうもない事に使うのは好ましくないかもしれないが、鬼道の日常生活への応用は昔の文献にも存在する。というかアシドがあやまって大量に買ってしまった死神統学院代々の教本にさえ、「二日酔いの時に発動」とどこかしらに書かれているのだ。何と言うか、夢もへったくれもない技能である。

 数十秒ほど鬼道の光で照らして、何とか今日を徹夜でしのげるくらいには体力を回復させた。へたり込んでいた二人はとりあえず立ち上がり、首や肩をごきりと鳴らして壁にもたれかかる。

 

「ふう……だいぶ楽になった。ありがとな」

「いえいえ、お礼を言われるほどでもありません。店もそろそろ営業を終える時間ですし、あと一踏ん張りですね」

「そうだな……」

 

 少し疲れた笑顔で御蔭丸がそう言うと、アシドは歯切れの悪い返答をする。それに気付いた御蔭丸がどうかしたのだろうかと意識を傾けると、「……なあ、御蔭丸」と、どこか上の空な声が聞こえてきた。

 

「なんでしょう、アシドさん」

「俺達……死神になるんだよな」

「ええ、そうですね。死神になるためには一週間後の試験を突破しなければなりませんが……貴方に限って、その心配は杞憂でしょうし」

 

 視線はうっすらとしか見えない雨夜の月に投げかけたまま、信頼に満ちた言葉を呟く。

 試験とは、護廷十三隊へ入隊するための入隊試験の事である。死神統学院を卒業した者だろうと、卒業していない者だろうと、そもそも通っていない無頼者だろうと、護廷十三隊へ入るためには入隊試験を受けなければならない。

 試験内容は斬拳走(ざんけんそう)()――即ち死神の基本戦術にして奥義まで突き詰められる四つの能力の査定だ。どれも一定の水準に達している必要はあるものの、例えば鬼、鬼道が苦手でも、斬と拳――斬魄刀戦術と白打――に精通している場合は生粋の戦士として合格になる。斬魄刀戦術が駄目でも鬼道が優れていれば、医療・後方支援の裏方として試験を通れる。どちらかと言えばアシドが前者で、御蔭丸が後者だ。死神統学院卒業生の中でも好成績を残している二人は、確実に入隊するだろうと自他共に認めていた。

 

 彼らが住居を探していたのは、一週間後の試験を終えて死神になるまでの寝床が欲しかったからであり――逆に言えば、死神に必ずなれるという確信があったからだ。そうでなければ古い知り合いという理由だけで、行きつけの飲食店に転がり込むような真似はしない。御蔭丸のみに限定して言えば、本当はやらなくてもいい事だったのだが。

 

「まあ、卒業前から入隊が確定していたお前には関係のない事だがな」

「卒業前に試験を受けられる機会が与えられただけでございますよ。もし貴方も受けていれば、必ず合格していたでしょう」

「フッ、相変わらずおだてるのが上手い奴だ」

「いえいえ、それほどでもありません」

 

 軽口を叩きあいながら笑い合うが、すぐにアシドの顔から笑みが消える。六年苦労を重ねて研鑽を積んで、ようやく目指していた死神になれるというのに――彼が浮かべる表情は、どこか空虚なものだった。

 

「なあ、御蔭丸――」

「はい、何でしょうか?」

「――死神になるって、なんだろうな」

「……? 死神になる、という事ですか?」

「ああ――」

 

 吐息を零すようにぼんやりとしながら、アシドは遠い夜空に目を細める。まるで昔を懐かしむ老人のような表情をする彼に首をかしげながら、御蔭丸は当たり障りのない、統学院で習った優等生の答えを返した。

 

「それは、現世を守り、尸魂界(ソウルソサエティ)を護り、虚を(たお)す――それが死神の仕事でしょう。現世と尸魂界の魂の天秤を司る、調整者(バランサー)としての役割もありますが……それも世界を護る大儀には変わりありません」

「そうだ。そしてその大儀を為すためには、命すら惜しまない――それだけの覚悟を持った者だけが、死神の名を冠する事を許されている。だがな――俺は、俺がそうなる実感がわかないんだ」

 

 見上げた夜空と雨夜の月に、アシドは懐から取り出した白い欠片を重ね合わせる。かつて統学院の試験の時、見せてもらった虚の仮面の欠片だ。常に肌身離さず持ち歩いているそれが、アシドにとってお守りのような物なのだろうという事は、御蔭丸は分かっていた。それを見つめる時はいつも、過去を想っている事も。

 

「俺が昔、自堕落な生活をしていた話は少ししたな」

「ええ。さわり程度ですが、拝聴させていだたきました」

「今から話すのは、それの続きだ。俺がまだ子供だった頃、何も知らなかったガキの時代の話だ」

 

 何時かに体験した、命の息吹く春とは真逆の、美しい過去に身をひそめる冬の話だ。御蔭丸にしてみれば、あの日が初めて四番隊の仕事を手伝った日だったので、記憶にはっきりと残っている。寂寥(せきりょう)の降り積もる白の道で耳にした彼の話を思い返しながら、御蔭丸は静かに耳を傾けた。

 

「南流魂街七八地区『犬吊(イヌヅリ)』――掃き溜めが寄り集まった掃き溜めのような、腐れた連中ばかりが闊歩する街が、俺の住んでいた場所だった。俺は元から真っ当な性格とは言い難いはぐれ者気質なんだが、犬吊(そこ)に居た時は輪をかけてはみ出し者だったよ。他人の食い物と服を奪って、その辺を走り回る野良犬と一緒に飯を食って、青空天上にぐうたら眠る――そんな掃き溜めにふさわしい、屑みたいな生き方をしていた」

 

 細々と小さく語りながら、アシドは白い欠片を強く握る。まるでかつての己を、厳しく罰するように。

 

「そんな屑の生き方をしていたから、俺は自分の霊力(ちから)に気付いても他人を守ろうとか、死神になろうとか考えもしなかった。むしろこれがあればもっと楽に盗みができると、下種の皮算用をしていたよ。その霊力(ちから)が、虚を呼び寄せるとも知らずにな。

 …………俺が虚に襲われたのは、盗みを働いた逃げ道だった。当然だが、俺なんかを助ける奴はいなかった。今まで他人から搾取してきた俺が、虚の餌になって死ぬ……因果応報って奴だな。今思い出してもこれ以上ないくらい、自業自得の結末だった。

 ――だけど。そんな救う価値の無かった俺を、名も知らない死神が救ってくれた」

 

 砕けた仮面の持ち主を、己を襲った虚を思い出す。非力を嘲笑う歪んだ仮面、自らに伸ばされた死の手刀。味わった事の無い絶望を叩き込んできた、どうしようもない恐怖の姿を。

 それで死を覚悟するような殊勝な性格じゃなかった。だけど恐怖に()って立ち向かえるほど、強くもなかった。だから己の不運を呪いながら、己の不幸に憤りながら、何も出来ずにアシドはそこで死ぬはずだった。

 それを救ったのが、一人の死神。名も知らない、顔も知らない、アシドが会った事もない、赤の他人の死神だ。

 

「俺はただ、怯えていた。その死神が必死に戦って、腕が千切れて腹に穴が開いてもまだ戦っていた死神の影で、ひたすら怯えていた。震えながらずっと目をつむっていて――音が鳴りやんだ時、虚はもういなくなっていた。残ったのは俺と、満身創痍の死神だけだ。

 どうして救ってくれたのか、とか、どうしてそんなボロボロになってまで守ってくれたんだ、とか、そんな事を考える暇なんてなかった。俺は怖くて、そこから逃げたんだ。今にも死にそうな死神を見捨てて、俺は逃げ出してしまった」

 

 ギリッ、とアシドの歯が音を立てる。手の平の白を汚す紅い色は、彼の血潮。血を流す程握りしめた腕にあるのは、悔やんでも悔やみきれない、取り戻せない後悔で。何よりもアシドの表情が、彼がどれほど自責の念を抱いているのか、物語っていた。

 

「逃げ出す一瞬、死神が呟いた言葉を今でも覚えてる。青白い顔をして、今にも死にそうにしながら――『ああ、良かった。生きててくれて』って、心の底から安堵した声が、今も耳に残っている。

 結局その後、俺を助けた死神がどうなったか俺は知らない。もしかしたら死んでしまったかもしれないし、今も死神として働いているかも知れない。どうしているにせよ、俺に合わせる顔なんてないんだがな……」

 

 アシドは自嘲するように笑って、すぐに表情を厳しくする。

 

「……それから、俺は考えるようになった。あの死神が、俺を救ってくれた意味を。決死の覚悟がいる敵と戦ってまで、見ず知らずの他人を救える、心の強さを。

 掃き溜めの街で生きてきた俺には、あの死神が持っていた強い心が、何よりも輝いて見えたんだ。ずっと、ずっと暗闇の中で底なし沼に沈んでいく感覚の中で、一筋の光が見えた気がした。

 射場さんに会ったのが、丁度その頃だったな。頭じゃ死神の事を考えながら盗みを働く生活を繰り返していたら、射場さんの家に忍び込んじまって……思い出したくないくらいひどい仕置きを受けたもんだが……射場さんは家の無い俺に場所をくれて、飯も服もくれて、真っ当な人生を送らせてくれた。

 それから射場さんが突然いなくなって、何年か経った頃――俺は、死神になろうと思ったんだ」

 

 アシドは軽く笑いながら言うけれど、おそらくアシドにとって射場千鉄はある種の親代わりであったのだと御蔭丸は思う。霊力を持つ人間は生前の記憶を持っていないから、流魂街で得た繋がりはとても大切なはずだ。そんな家族のような人がある日突然、いなくなってしまう――きっとそれは、何よりも辛い事だろう。そうだったら、何も言わずに潤林安から消えてしまった己は、悪い男だったのだな、なんて考えが頭をよぎった。

 それもすぐに思考からなくなる。今考えても詮無き事だし、考え事をしながら話を聞くのはアシドに失礼だ。御蔭丸が意識を戻すと、アシドが掲げた欠片を下へ降ろすところだった。

 

「俺が死神になろうと思ったのは、死神になれば、あの死神の心の強さが手に入るかもしれない・って思ったからだ。安易な考えだってのは分かっていたが、それが一番近道のように思えた。それから自力で修行みたいな事をして、死神統学院に入って――まあ、それからはお前の知っての通りだな。死神統学院の六年は、本当に良い六年だった――」

「ええ、そうですね――」

 

 御蔭丸は空を仰ぎながら、アシドは降ろした白い欠片を見つめながら、諸々あった六年を振り返る。卒業式でもやったから、二番煎じではあるのだけど――あの学び舎に足を運ぶ事はないと思うと、どうしても郷愁の念は浮かんでくる。苦楽を共にしたあの場所は、まぎれもない彼らの過去の証なのだ。

 しかし――今一度思い出の外から過去を振り返って、御蔭丸がアシドに目を向けると、彼の表情は美しい過去に反して随分と暗いものだった。

 その思い出が、彼にとって思い出したくもない嫌なものだったからではなく――その過去の中で自分が何をしてきたのか、明確に示せない徒労のにじむ暗い顔。

 

「俺は、死神になる。一週間後の試験に受かって、必ず死神になる。だが――死神になったからと言って、俺を救ってくれたあの死神のようになれるかと言われれば、とてもそうは思えない」

「成程……死神になれた気がしない・というのは、そこからきているのですね」

「ああ……俺は死神になる――でも俺は、まだあの死神のような強さを手に入れちゃいない。だから俺には、死神になるって実感がわかないんだ」

「ふうむ……」

 

 アシドの駆け抜けた時代を聞き届けた御蔭丸は、視線を地面に落として考える。

 アシドが語った過去は、言うなれば彼の恥にあたる過去だ。誰だって言いたくない事や隠しておきたい事がある――今は話したのは、そういった触れて欲しくない、アシドの支えになっている部分なのだろう。そして裏を返せば、それを話しても大丈夫だと思われるくらい、御蔭丸は信頼されているという事だ。白い髪に紅色の扁桃花の飾りを揺らす御蔭丸は、それがひどく、悲しい事(・・・・)だと思ってしまう。己のような男を心の奥深くまで呼び込んでしまうのは、本来ならあってはならない事だと、思ってしまっている。

 

 一瞬だけ、悲しげに眉根を下げて、御蔭丸はその考えをすぐに消した。自分だけの感情だ、それをアシドに押し付ける必要はない――今求められているのは、アシドへの真剣な返答だろう。

 視線を下から上に、冷たい地面ではなく広い夜空を見上げて――御蔭丸は薄暗い雲の間で細々と光る星の海に、スーッと飛んでいく鳥を見つける。力強く羽ばたく空の魚にフッと微笑んで、人差し指を空に向けて鳥を指した。アシドもつれて、その鳥を見る。

 

「アシドさん――鳥は生まれてすぐに、空を飛べるでしょうか」

「ん……? ……いや、鳥は生まれてすぐには飛べんだろう」

「ええ、そうです。鳥は始めから、空を飛べるわけではありません。例えば百獣の王と称される獅子であっても、生まれてすぐに獲物を狩れるかと言われれば否でしょう。貴方もそれと同じですよ。僕にも同じ事が言えます。

 元柳斎様は統学院に入学する時、僕達をひよっ子だとおっしゃっておりました。それと同じなんです。僕達はただ、死神候補生から――死神のひよっ子になるだけだと、僕は考えます」

「……ひよっ子、か」

 

 アシドの呟きに御蔭丸は微笑みながら頷く。

 

「僕達は死神になる事を目指してこれまで努力してきましたが、死神になればそれで終わりではありません。死神として船出を迎えただけであり、これからすべき事は山ほどあるでしょう。僕は実際に会った事も見た事もないのではっきりとは言えませんが――貴方を助けてくださった死神も、きっとそうやって死神として成長していったからこそ、そこまでの強さを得たのだと思います」

「そうか……確かに、考えてみればそうだな。死神になったからと言って、すぐに死神としての強さは得られない――俺はどうやら、結果を急ぎ過ぎていただけみたいだ」

 

 どうやら焦燥に駆られていただけだと気付いて、アシドは情けなさそうに苦笑した。目に見えて落ち込んでいるアシドを元気づけようと、御蔭丸も苦笑しながら自分を語る。

 

「誰でも焦る時はあります。僕も昔、色々と立て込んでいた時があって、その時はかなり焦っていましたね。おかげでいらない勘違いをしてしまって、ひどい失敗をしたものです」

「お前が失敗した? にわかには信じられんな」

「そうでしょうか。現に今日だって、寮の規則を忘れてしまって貴方に怪我をさせてしまいました。それに言い訳を重ねる僕はひどく焦っていたでしょう?」

「確かにな……いつも余裕な雰囲気で笑っているお前にも焦る時があるなら、俺がそうなるのも仕方ないかもしれんな」

「そういう事です」

 

 互いに目を合わせて、妙な行動の合致がおかしかったのか二人して噴き出した。今度は苦笑ではなく、心からの笑顔だ。そうして声に出して笑っていると、裏口を突き破らんばかりの千鉄の呼び声が響いてくる。

 

「いつまで休んどるんじゃおどれら! さっさと仕事に戻らんかい!!」

「ああ、分かったよ! ……よし、そろそろ仕事に戻るか、御蔭丸。話に付き合ってくれて、ありがとうな」

「友人として当然の事をしたまでですよ。……さて、行きましょうか」

 

 身体の節々をもう一度鳴らして、二人は裏口を開けて中に入ろうとした。しかし、戸の取っ手口にアシドが手をかけた時、何かを思い出したように御蔭丸に問い掛ける。

 

「そうだ、あと一つ聞きたい事があったんだ」

「聞きたい事、ですか?」

「ああ。俺は死神になったら当然、護廷十三隊最強の十一番隊への入隊を志願するつもりなんだが――お前はどこの隊に志願しているんだ?」

「その事ですか。僕がどこに志願したかなんて、貴方なら聞かなくても分かっているでしょうに」

「――って・事は」

「ええ、僕が志願したのは勿論――」

 

 御蔭丸は自分の胸に手を当てて、今日一番の笑顔を浮かべる。ともすれば卒業の喜びよりも大きく見える、大きな身体には不釣り合いな、少年のようなとびっきりの幼い笑顔を。

 

「――――四番隊で、ございます」

 

 

 

   φ

 

 

 

 日常とは、特に書くべき事のない、文章に起こす必要がないくらい味気ない日々が続く事を指す。普段から日記をつけている人ならば、日々綴っていく自分の物語が、いかに他愛ない断片で形作られているか分かるだろう。日常とはあって当たり前と思えるくらい身近なもので、己の一部とも言える失い難いもの。日常失くして生きていけないのは自明の理である。とはいえやはり、ありがたさを再認識するような目には遭いたくないものだ。日常は、何事もないから日常なのである。

 

 さて。そんな日常の中にも、誕生日や将来の門出となる瞬間といった盛り上がる日、というのがある。言うなれば蛹が蝶となって羽ばたく時、浮き沈みを繰り返す人生の山と言ったものだ。例えば初めて仕事に就いた日や、名実ともに大人になった時や――例えば、救済を主とする部隊への、入隊の日のような。

 大神御蔭丸の中で特に記憶に残っているのは、その入隊の日だ。戦いを嫌う、優しい人達が集う部隊。争いを厭う、他者への愛情に溢れた死神が集まる場所。彼の知る限りで最も慈悲深き死神――卯ノ花烈が治める、護廷十三隊四番隊への、入隊の日だ。

 まあ、特に記憶に残っているというだけで、目新しい書き出したくなる特異点はない。彼は新たな四番隊の一員として、他の新人死神と一緒に入隊した、ただそれだけの話だ。

 

 御蔭丸にとって大きな出来事となるのは、それから何十年も後の事になるのだが――その発端は、御蔭丸が四番隊に入隊して四年経った頃から始まっていた。

 

「…………――――はっ、はっ、はっ、はっ――――…………」

 

 乱立する大木の森を駆け抜ける。

 木の葉を散らし、地面を縫う木の根を蹴って、一人の男が走っていく。

 影に紛れながら高速で動く体躯は大きい。黒い衣服からはみ出した身体はぞっとするほど白く、風に荒れた髪は更に白い。白と黒だけの人間らしからぬ姿を景色の中に残しながら、二筋の紅い眼光だけが皎皎(こうこう)と煌いていた。

 木々をすり抜けて狼のように駆けているのは、四番隊の死神、大神御蔭丸だった。表情は険しく、眼光は鋭い。常に携帯を義務付けられている四番隊専用の医療袋は既に捨てていて、黒い死覇装(しはくしょう)は右肩から胸にかけて痛々しく斬り裂かれていた。

 

「…………――――はっ、はっ、はっ、はっ――――…………」

 

 乱れる呼吸をそのままにして、地面から中空に跳躍する。瞬間、御蔭丸の居た場所に濃密な霊圧を秘めた光が通り抜け――周囲の木々を巻き添えに爆散した。

 ――虚閃(セロ)……威力はあの程度か。最下級(ギリアン)の中でも更に下級のようだな。

 爆風で更に上昇した御蔭丸は姿勢を整えながら素早く鬼道の詠唱をする。口上は君臨者よ、末尾は歩を進めよ――虚閃の飛んできた先へ腕を交差させて構え、狙いを絞る。そして「赤火砲(しゃっかほう)」で詠唱を締めくくり、先の虚閃にひけをとらない霊圧密度の炎球を発射した。

 尾を引いて奔る炎の煌めきが、森の奥深くに潜む大虚(メノス)に命中・炎上する。仕留めてはいないが、足止めにはなったはずだ。近場の枝に着地した御蔭丸は大虚に背を向け、逃走を再開した。

 ――ッ……!

 

 否、再開しようとしたが――脚に力を入れた瞬間、空から飛来した物体に枝が破壊され、一瞬だけ体勢が崩れる。誰でも足場がなくなれば、地面に意識を向けざるを得ない――その隙を狙って御蔭丸目掛け、空から無数の針が発射された。

 ――回り込まれたか。

 しかし――仮面を被っているかのように無表情な御蔭丸はすぐさま反転し、自らに撃たれた針の雨に対応する。右手に鞘、左手に斬魄刀、二つの武器を白紙を墨で真っ黒に塗りたくるが如く振り回し、全ての針を叩き落とした。

 木の葉に隠された空から呻くような霊圧の震えが伝わってくる――その微震の中心目指して、詠唱破棄した白雷(びゃくらい)を撃ち抜いた。手ごたえは、ある――今の飛行能力を備えた虚と先の大虚を合わせ、感じる虚の霊圧は五体。その全てが己を追っている事を再確認した御蔭丸は、またしても身体を反転させ逃亡を継続した。

 

「…………――――はっ、はっ、はっ、はっ――――…………」

 

 驚くほど静かな森の中で、御蔭丸の呼吸だけがいやに響いている。あまり激しくはない彼の心臓の音でさえ、外部に漏れ出ていると錯覚しそうなくらいだ。本当なら息をひそめて敵に気付かれないようにすべきだが、この状況ではむしろ都合が良い。

 ――殿(しんがり)は、敵を引きつけられなければ意味がない。

 心中をよぎる言葉通り、今度は地面の中から触手を伸ばしてくる三体目の虚の攻撃を蹴り捨ててあしらい、されど反撃はせずに逃げ続ける。今しているのは敵を倒す戦闘ではなく、味方を逃がす闘争にして逃走――下手に反撃して他の虚に味方を追撃されてはたまったものではない。

 そう――御蔭丸は今、味方を逃がす為の殿をしていた。

 

 

 数十分程前。御蔭丸は四番隊の同僚と共に北流魂街の外れに訪れていた。理由はその辺りに自生する薬草の回収。ありていにいって雑用である。

 四年前に四番隊に入隊した御蔭丸は、上位席官に相当する霊力と技術を有しているとはいえ、実績のない新人だ。これが他の隊なら虚との戦闘を経て実績を重ねて楽々と昇格できるが、四番隊は戦いとは無縁の部隊。つまり、昇格するに足る実績を残し辛い。だから四年経った今も彼は下級死神の雑用を任されていた。

 ――別に権力に拘っているわけでもなし。昇進に急ぐ理由もない。

 元柳斎がそう望んだから、という理由だけで死神稼業に勤しんでいる御蔭丸は、そんなのほほんとした気分で仕事をしていた。

 

 仕事だから気は抜けないが、危険とはほとんど無縁の任務。同僚と雑談しながら回収に励んでいた御蔭丸達――危機感のない無防備な彼らに、五体の虚が目をつけた。

 和気(わき)藹々(あいあい)と作業をしていた最中、強襲する虚の霊圧に真っ先に気付いたのは、やはり御蔭丸だった。最強の死神・山本元柳斎重國と同じように、遮魂膜を超えて霊圧知覚が可能(・・・・・・・・・・・・・・)な彼は、世界間の壁を越えて迫る虚をはっきりと感知していたのだ。だから問題なく臨戦態勢を整えられた。

 問題だったのは、虚の出現地点が御蔭丸から最も遠い同僚の位置で、かつその同僚に戦闘力が皆無であった事。合図を送って反応させるのも間に合わず、同僚をつれて離脱するだけの時間もない――攻撃を防ぐには、彼が同僚の盾になるしかなかった。

 

 ――何も、躊躇(ためら)う必要はない。

 御蔭丸は四年前から多少上手くなった瞬歩を用い、景色を硝子(ガラス)のように砕いて現れた虚と同僚の間に一瞬で割り込む。突然現れた赤眼(せきがん)の大男に大猿型の虚は驚き、振り上げた両手の鉤爪を反射的に御蔭丸へ振り落とした。右に差した無銘の斬魄刀「浅打(あさうち)」を抜刀し、虚の左腕は斬り捨てられたが――残った右の凶爪に肩口を抉られてしまう。

 ――ッ……悲鳴を上げている、暇はない。

 灼熱が吹き上がる痛みの感覚を切り捨て、突然現れた虚に動揺する同僚達に御蔭丸は叫んだ。

 

「ここは僕が引き受けます! 貴方達は今すぐ離脱して、応援を要請してください!」

「し、しかし――」

 

 戸惑う同僚の言葉は、地面から出現した二体目の虚の攻撃でかき消される。血飛沫を上げて倒れる同僚に気を取られた瞬間、今度は空から現れた三体目の鳥型虚が別の同僚を串刺しにした。

 

「――(げき)這縄(はいなわ)!」

 

 咄嗟(とっさ)に大猿の虚と地面の虚に、それぞれ縛道の四・撃と縛道の九・這縄を打ち込む。赤い光と霊子の縄に拘束された虚を尻目に倒れた同僚を助け出し、無傷の同僚に託してもう一度怒鳴った。

 

「彼らを連れて早くここから離脱してください! 応援が来るまでは僕が持ちこたえます!!」

「わ、分かった! すぐに応援を要請する! それまで踏ん張ってくれ!」

 

 今度は素直に聞き入れた同僚に満足し、無言の微笑みで答えた。そして傷付いた同僚を担いで逃げる姿を見送り、御蔭丸は縛道を力技で解いた虚達に向き直った。

 ――さて、どうするかな。

 笑みを消し、冷徹な面持ちで御蔭丸は刀を構える。虚達は捕食の邪魔をされたからか、全身から怒気を噴き上げていた。しかしそれにひるむような男ではない。敵との間合いを取りつつ、先ずは空の虚を潰そうと霊力を練ったその時――虚達の背後の空間を紙を破くように簡単に割り砕いて、大虚が出現した。

 ――……これは、俺も逃げた方が得策だな。

 この状況で特攻するのは愚策以外の何物でもない。彼はそう判断し、縛道の二十一・赤煙遁(せきえんとん)で敵の視界を潰し、縛道の六十二・百歩欄干(ひゃっぽらんかん)で牽制。背後の森へ逃走した所で、先のように大虚から虚閃を受けた。

 

 

 先を逃げる同僚の霊圧が遠ざかるのを感じつつ、あくまで時間を稼ぐ事を目的に逃げる。御蔭丸一人なら手足の一、二本を失う覚悟があれば勝てる見込みもあるが、逃がしているのは戦いが不得手な四番隊の同僚。戦闘力の低い彼らを護りながら、あるいは協力して戦ったとしても何人も犠牲が出てしまう。それを避けるために、四番隊でありながら他の隊と比べても戦闘力に遜色ない御蔭丸が殿を務めていた。

 ――あくまでも、応援の部隊が到着するまでの時間稼ぎが今の務め。

 五対一、それも一体は大虚という状況での殿はなかなか骨が折れるが、御蔭丸は何とかこなしていた。

 

「…………――――はっ、はっ、はっ、はっ――――…………」

 

 荒い呼吸の間隔を乱さず、冷静に攻撃をさばく。鈍重なギリアンは放っておいていい。空を飛ぶ虚は白雷が羽に当たったのか、飛行速度が落ちている。地面を進む虚は、攻撃手段があの触手しかないようだ。大猿の虚の姿は見えないが、左腕を斬り落としたからそこまで脅威ではない。残り一体の虚は詳細不明だが、感じ取れる霊圧からしてそこまで強力な能力は持っていないだろう。

 ――いける。

 この程度の敵相手なら、応援部隊の到着まで充分持ちこたえられる。枝から枝へ飛びながら御蔭丸は戦況をそう睨んでいたが……どうにも、得体の知れない嫌な予感がぬぐえなかった。

 

 気がかりなのはさっきから攻撃する様子を見せない五体目。虚の一団の最後尾で沈黙を守る不気味な虚だ。大して高くない霊圧を知覚する限りは、そこまで脅威ではない。

 ――だが……何か、妙な感じがする。

 ちらりと後ろを見つつ、五体目の虚の霊圧を探る。普通の霊圧のように感じるが……まるで引き絞られた弓のような、限界まで高められた霊圧にも思える。その霊圧の矛先が、しっかりと己に向けられているようで――鷹の目に囚われているような、気味の悪い感覚があるのだ。

 ――……念の為、伏火(ふしび)を使っておくか。

 虚の進行方向に蜘蛛の巣状の火の幕――伏火を広げて足止めしようと、霊力を練るために一際大きな木の影に御蔭丸が隠れた瞬間――最後尾にいたはずの五体目の霊圧が、一瞬で彼の背後に迫った。

 

「な……!?」

 

 まるで景色がぶつ切りになって繋がれたような感覚。今まで静止していた物体が突然、横殴りの落雷のように接近してきて、御蔭丸は反射的に背後の霊圧へ身体を向けてしまう。それが、仇となってしまった。

 己が身を隠した大木が爆発する。砕けた木の破片が木端微塵の嵐を作り、御蔭丸の視力を奪った。しかし五体目の虚の霊圧は確かに己の前にある。何も見えない中、なんとか迎撃を試みようとして――それも間に合わない速度で、五体目の虚が彼にぶつかった。

 ――が、あ……!?

 否、単にぶつかったのではなく――狙い澄ましたように、右肩の傷に喰らいついた。止血だけをして放置していた抉り傷を更に抉るように、不揃いの乱杭(らんくい)()を喰い込こんでいく。食いつかれた勢いのままもつれあう影は空中から落下し、地面の岩に激突した。

 体内に直接響く衝撃が紅い瞳を白濁させる。肉が、骨が、内臓が食い散らかされる激痛と、「喰われている」という怖気の走る感覚――それらを全て押し殺して、彼は左手の浅打を逆手に持ち替え、虚の腹へ沈み込ませた。

 

「■■■■■■■■!!!」

 

 御蔭丸が逃亡を開始してから初めて、森の中に彼の呼吸以外の声が響き渡った。同時に、右肩の傷から歯が外れる。その機を逃さず左腕に渾身(こんしん)の力をこめ、虚を斬り裂いた。

 金属板を強引に引き千切るような高音の絶叫が止み、ずるりと虚の身体が崩れる。水音を立てて地面に倒れた虚を見れば、魚のような姿をしていた。尾に当たる部分が筒のようになっている――そこから霊圧を放出してあの速度を生み出したのだろう。

 ――落雷のような速さの秘密は、これだったのか……

 原理さえ分かってしまえば、いずれ利用できる方法かもしれない……しかし、御蔭丸がそれをこの先いかす事は、できそうもなかった。

 

「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……」

 

 ――まずい……息が……

 突き立てた浅打から手を離し、大量の血が流れる抉られた傷を押さえる。だが、血は止まらない。喀血(かっけつ)混じりの呼吸を繰り返す御影丸の顔色は徐々に青ざめていった。

 食いついた虚の歯は内臓まで達し、右肺には深々と穴があいている。そのせいで右肺が機能せず、どれだけ息を吸い込んでも呼吸が楽にならないのだ。これでは動く事もままならい上、血を失い続ければ遠からず死に至る。霊圧治療はとっくにやっているが、御蔭丸の技量では内臓の損傷をすぐに治癒し切れない。

 ――仮に出来ていたとしても……もう、手遅れか……

 

 命が流れていく熱い感触を手で確かめながら悟る。目で見る必要はなかった。霊圧を探らなくても、地響きを立てて目の前に降り立ったのが、己の死であると理解できる。

 朦朧(もうろう)とする意識でかろうじて目を上げれば、そこには片腕の無い、御蔭丸が最初に斬った大猿の虚がいた。煮え(たぎ)る憤怒が、猿の仮面の下で狂瀾(きょうらん)していた。

 

「ここまでだ、死神」

 

 耳を焼く怒りに(ただ)れた声に答えず、御蔭丸は地面に垂れた右腕をそろそろと動かして浅打を掴もうとする。右肩を負傷している以上、たったそれだけの行為でも傷口が引き千切れるような激痛に襲われている筈だが……彼は苦痛を顔に刻みながらも動きを止めず、紅い眼の鋭さと冷たさを絶やさず虚を睨みつけていた。

 ――……まだ、いけるか……?

 緋色の命で塗られた右肩の傷から左腕を離す。見た目は変わらず惨たらしいが、血は止まっている。こんな短時間では止血くらいしか出来なかったが、御蔭丸にはそれで充分だった。こんな絶体絶命の最中でも、彼が考えているのは仲間を生かす事だけで、自分が生きようなんてこれっぽっちも考えていない。

 

 ――皆が生き残ってくれれば、それでいいんだ。

 血塗られた柄を握り、刃を支えに立ちあがる。相対する虚の霊圧の総量は御蔭丸とほぼ同じだが、あちらは四体でこちらは一人、しかもこちらは満身創痍だ。数でも手傷でも御蔭丸の不利は明らかである。

 事実、その不利の代償はすぐに支払う事となった。地面に横たわる虚の死体を蹴り上げて隠れ蓑にし、虚達の一瞬の隙をついて地面の虚を刺す――そこまでは良かったが、すぐさま反撃されて浅打を取りこぼし、更に空の虚から追撃を受けて左半身を穴だらけにされる。そして激痛と衝撃に倒れそうになったところで大猿の虚が首根っこを掴み、そのまま空中へ持ち上げられた。

 

「無駄なあがきを止めろ。貴様にはもう未来はない」

 

 ギリギリと首を絞めながら、大猿の虚は灼けた声で空気を焦がす。大猿の虚の言う通り、御蔭丸の行動はまさに無駄なあがき、恥も外聞もない悪あがきでしかなかった。御蔭丸は、その言葉に反論する余力も残っていない。無様に血を吐き出す彼をもはや生かす価値もないと思ったのか、大猿の虚は頸椎を圧迫する力を強くする。

 ――もはや、これまでか……

 御蔭丸もこれ以上の抵抗は出来ないと悟る。右腕は動かない、左半身は感覚が無い、視界も明滅が激しくなっていく。統学院時代に死にかけたあの時よりも強く、心が死という名の腕に引きずられていく。それを何処か喜びに近い感情で縁取りながら、御蔭丸は唇を吊り上げた。

 

「……あははは」

「…………?」

 

 今まさに首の骨が折れようとした瞬間、御蔭丸は突如として笑った。数秒後には死ぬ運命にあるというのに、それを全く感じさせない少年のような笑い声。その異様な態度に大猿の虚は手に力をこめるのを止め、奇妙な物を見る目付きで睨む。

 

「……何だ、何がおかしい、死神」

「あははは……いえ……貴方、には……関係の、ない……話で、ございます……」

「何だと……? 貴様、何を言っている!」

 

 笑いながら、血が絡む言葉を地面に落とす。大猿の虚は怒りを露わにして御蔭丸を大地に叩きつけるが、彼がそれ以上言葉を重ねる事はなかった。なぜなら、この場における御蔭丸の目的は、既に達成されたからである。

 ――良かった。どうやら無事に合流できたみたいだ。

 瀞霊廷からやって来た応援部隊と、同僚の霊圧が一堂に会したのを御蔭丸は知覚したのだ。

 だから笑った――戦う為に無心でいる必要がなくなったから、いつものように笑った。それは、御蔭丸がまたしても闘争を放棄し、戦わずに死のうとしている事に他ならなかった。

 

「答えないつもりか……! もういい、ならばここで死ねっ!!」

 

 いつまでも答えない御蔭丸に大猿の虚は業を煮やし、首を掴む腕に致死の力を流す。骨が軋む静寂(しじま)の音を聴きながら、彼は最後まで笑い続けた。

 ――ああ。これでやっと、本当の意味で死ねる(・・・・・・・・・)

 御蔭丸が体験した、全ての記憶を流れ去る走馬灯に乗せて、静かに目を閉じ――

 

「――――穿て、厳霊丸(ごんりょうまる)!!」

 

 またしても御蔭丸は、救われる事となってしまった。

 

「なっ…………」

 

 雷鳴が、走った。

 それが大猿の虚が認識した最後の世界だった。いや、大猿の虚だけではなく、その場にいた四体の虚全てが感じ取った死だった。それ以上を彼らが知覚する事はない。青白い光を残して落雷の影が消える頃には、四体の虚の首は胴から離れてしまっていたからである。

 朧気だった御蔭丸には、それらの光景がすぐには飲み込めなかった。頭部を失った身体が倒れ、地面を転がり御蔭丸の正面にきた大猿の虚の首が、憤怒の形相のまま消滅していくのを見た時――彼は茫洋と落胆した(・・・・)。まるで赤子が気に入らないものから目をそらすようにあからさまに、失意のにじむ吐息をもらす。

 ――そうか。俺はまだ、生かされるのか。

 その呟きは声にならず、血反吐となって吐き出される。すると誰かが、土と血で汚れてしまった顔を布か何かでふき取ってくれた。

 

「……雀部……副隊長、殿……」

 

 焦点の合わない視線をゆらゆらと交差させると、常に彼の最強の傍に在る忠臣、雀部長次郎忠息が居た。彼がここに居るとい事は、自分を助けてくれたのは長次郎なのだろうと、御蔭丸は(ボウ)っとしたまま思う。どうしてか張りつめた表情をしていたが、助けてもらったならお礼を言わなければ、と。傷だらけなのにそれを感じさせない、聖人のような笑みを浮かべる。

 

「ありがとう……ございます……」

「喋らない方がよろしい。すぐに応援の皆様がくるであろうから、それまでは自分を生かす事に集中しなさい」

「……はい……わかり、ました……」

 

 少し間を置いて返事をした御蔭丸は、言われた通り傷の治療に専念した。それからすぐに同僚が駆けつけ、御蔭丸は四番隊の隊舎へと運ばれていく。それを神妙な顔つきで見送った長次郎は、顎に手を当ててしばらく何かを考え込んでいたが、やがて地獄蝶を呼び寄せて伝言を残す。

 宛先は四番隊隊長、卯ノ花烈。

 内容は、大神御蔭丸について――

 

 

 

   φ

 

 

 

 時間というものは早いもので、御蔭丸が重傷を負った戦いからもう数週間が経過した。

 戦いの傷はもう癒えている。卯ノ花の手によって治療された御蔭丸は数日で立って動けるまでになり、一週間が経つ頃には身体に傷痕さえ残らない程の全快を果たした。

 しかし治ってからすぐ仕事に戻ったわけではない。日常を過ごすのに問題ない程度に回復しても、経過観察が必要だと言われて復帰させてもらえなかったのだ。だから全快してから数週間の御蔭丸は、見舞い客の対応に終始していた。

 最初に見舞いに来てくれたのはあの戦いで一緒だった同僚達で、「こんな怪我をさせて済まなかった……!」と涙ながらに謝られた。これに御蔭丸は「気にしないでください」と軽い笑顔で返す。しかし「そんなわけにはいかない」と食い下がる同僚達に困ったように笑って、療養中の自分の仕事を頼む事でなんとか納得してもらった。

 

 次にやってきたのは「射場ちゃん屋」の店主、射場千鉄である。六年前のように大量の食事を持って現れた彼女は、開口一番に怒鳴り声を上げ看護婦に止められるまで御蔭丸を叱りまくった。なにせ六年前の見舞いの時、千鉄は御蔭丸に戦いの心得を伝えていた。それなのにまた大怪我をして入院したから「おどれはわちの言うた事いっそ(全然)理解しとらんのじゃろう!」とキレたのである。

 結局、看護婦に止められた後も千鉄の説教は続き、最終的に卯ノ花が笑顔で一睨みしたらそそくさと帰っていった。御蔭丸は優しい微笑みで治療に当たってくれる己が隊長を誇りに思い、感謝していた。

 

 それから少し時間が過ぎてアシドが来た。「また怪我をしたのかお前は」とからかい混じりの見舞いに来た彼に、御蔭丸は看護婦を呼び寄せる仕返しをする。そして口論に発展し、卯ノ花に止められるといういつぞやの日の再現をやらかしていた。それ自体は友人とのじゃれ合いだから面白かったが、卯ノ花に「仏の顔も三度までですよ」とすごまれたのが今でも記憶に焼き付いている。

 そんな経過観察の日々を、御蔭丸は楽しく過ごしていた。仕事に復帰すればまた忙しい時間に身を投げなければならない。だから今はきちんと休んで、病み上がりでもしっかり仕事が出来るようにしようと考えたのだ。怪我をしたせいで逃がした同僚に精神的な疲労を強いてしまったし、看護婦にも卯ノ花にも迷惑をかけた。仕事に戻ったら、それらを挽回する働きをしようと彼は思っていた。

 

 そして経過も良好と太鼓判を押され、明日には仕事に復帰出来ると言われた日の夜の事。世話になった病室の掃除をしていた御蔭丸の元に、思わぬ来客が訪れる。

 コンコンと扉を叩く硬質な音。床を掃いていた御蔭丸は窓の外の三日月を見上げ、「こんな時間に誰だろうか」と首をかしげる。(ほうき)を壁に立てかけて扉に向かった彼は、開いた先に居た人物に目を丸くした。

 

「はい、どちら様でしょう、か……う、卯ノ花隊長!?」

「こんばんは、大神隊士」

 

 驚く御蔭丸に卯ノ花は可憐な笑顔で挨拶する。「ど、どうしてこんな夜更けに隊長が!?」と御蔭丸が困惑していると「病室では静かになさい」と諌められた。御蔭丸は困惑したまま反射的に頭を下げ、それをクスクス笑われる。気恥ずかしそうに頬を掻く彼に卯ノ花は入室の許可を求めて、二つ返事の許しを得てから病室に足を踏み入れた。

 卯ノ花が入室してから扉を閉めた御蔭丸は、卯ノ花の為に病室据え置きの椅子を用意しながら、なぜ自分に会いに来たのか分からないでいた。隊長が自分のような一介の下級死神に夜半に会いに来る理由など想像もつかなかったからだ。それでも一応考えながら、椅子に座った卯ノ花の前で腰を折って言葉を待つ。すると卯ノ花からまたも困惑させられる言葉が発せられた。

 

「大神隊士、貴方も椅子に腰掛けなさい」

「は……いえ、しかし……」

 

 御蔭丸は顔を上げて、声を出しあぐねる。自分の上司で、しかも隊長と椅子に座って向き合うのはどうかと思ったからだ。卯ノ花は彼の考えを察して、(かしず)く御蔭丸の手を取って自分の手と重ね合わせる。

 

「貴方にとって、とても大事な話があるのです。長くなりますから、その姿勢では辛くなるでしょう。ですから椅子に腰を降ろしていただきたいのです」

「ああ、そういう事でしたら、お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 女性らしい小さな手の柔らかさを感じながら、御蔭丸はにっこりと笑う。そこで顔を赤くしたり動揺しない辺り、流石と言ったところか。むしろ手を握った卯ノ花の方が恥ずかしい思いをしていた。御蔭丸は手を離すと自分の椅子を取ってきて、卯ノ花と向かい合う形で腰掛ける。

 

「それで、大事な話とは何でしょうか」

「ええ、それなのですが……」

 

 御蔭丸の方から尋ねると、卯ノ花は口を開いたけどすぐ言葉を切り、御蔭丸をじっと見つめた。白く整った顔と、二つの綺麗な紅い瞳を。

 

「ええと……何でございましょうか?」

 

 急に見つめられた御蔭丸は少し戸惑いながら、とりあえず笑って見せる。彼が一番良く浮かべている、柔和で優しい笑顔。見る人に害意を呼び起こさせないその笑顔をしばらく見つめていた卯ノ花は、不意に真剣な面持ちになった。

 

「――貴方はいつも、そうやって笑っていますね」

「はい、これは癖のようなものですので」

「皆が楽しんでいる時はもちろん、辛い仕事に励んでいる時や疲れに身を(やつ)している時も、ずっと笑っています」

「ええ……御不快になられる方もいらっしゃるでしょうが、笑顔が一つあれば少しは気が和らぐというものでしょう。ですから僕は笑っているんです」

「それは私も知っています。初めて会った時も似たような事を言っていましたから。そしてその考えは、牢の中でも変わらないのでしょう」

「……卯ノ花隊長?」

 

 笑いながら話を聞いていた御蔭丸は、卯ノ花の様子がおかしい事に気付いた。言葉にどこか棘がある――という訳ではないが、いつもの朗らかとした声色ではない。まるで銀嶺が責任を持って口にするような、重い意志がこもっている。

 どうしたのかは分からないが、思った以上に重要な話のようだ――そう捉えた御蔭丸は自分の心持ちを、魂に刻まれた三つの柱で強く組み上げる。揺らがぬようにしっかりと、表面に笑みを作りながら。

 

「貴方はいつも笑っていますね。どんな時でも、どんな場所でも。貴方の笑みが絶えた所を、私は見た事がありません。

 ――そう、貴方が嫌いだと言って憚らない、戦いの中でさえ。貴方は笑顔を浮かべています」

 

 揺らがない。卯ノ花の重い言葉に当惑しつつ、御蔭丸は笑いながら返答する。

 

「え……? いえ、そんな事はありませんよ。流石に僕も笑顔では戦えません。僭越(せんえつ)な物言いですが卯ノ花隊長も、僕が模擬戦で表情を消しているのを御覧になっている筈ですが」

「……ええ。確かに貴方の言う通り、私は貴方の戦う姿を見ています。敵を倒すという一点に集約された貴方の意志も、はっきりと感じました」

 

 卯ノ花は統学院時代の御蔭丸の模擬戦を思い出す。心にひりつく悪鬼の貌で刃を振るう彼は、一度として笑ったりなどしなかった。

 けれど、深く思い出せば必ずしもそうではない時がある。それは戦いを終えた後、相手を倒してから顔に刻む笑みだ。

 

「しかし貴方は戦いが終わればすぐに笑顔になります。それが剣を交えている最中でも、そこで戦いが終わったと確信した時、貴方は笑う。それは戦いながら笑っているわけではないのですか?」

「いいえ、違います」

 

 揺らがない。卯ノ花の問いに即答で、御蔭丸は断言する。

 

「僕はおおまかにですが、物事をはっきりと分ける性質(たち)があるのです。ですから公と私や、戦闘時が非戦闘時かで己を切り替えているのですよ。卯ノ花隊長が挙げてくださった例にしても、戦いを終えたから笑っただけです。戦っている最中に笑う事などありえません」

「……そうですか。貴方は戦っている時(・・・・・・)決して笑わない(・・・・・・・)のですね?」

「はい。その通りでございます」

 

 見定める目付きで問う卯ノ花に、全てを受け入れるような柔らかな笑顔で彼は答えた。卯ノ花が初めて会った時に見せた、牢獄の微笑みと同質の笑顔を。卯ノ花はその笑みをしばらく見た後、目を閉じて視線を切った。強く目を閉じる彼女の眉間には、苦渋の線が刻まれている。まるで自分の思い至った考えを否定するように。

 それもすぐに終わり、卯ノ花は目を開けて御蔭丸の紅い瞳を見つめた。真っ直ぐに、目を逸らす事なく。彼の心から逃げ出さない為に。

 

「成程……それを聞いてようやく納得がいきました」

「納得、ですか?」

「ええ――貴方が先の戦闘の終盤、救出される直前に笑っていた事について、納得がいったのです」

「――――」

 

 ピシリ、と。

 石の土台に小さな亀裂が走るように、御蔭丸の笑顔が揺らいだ。それはすぐに空気の流れに溶けて消えるが、心の動揺は立ち消えない。

 

「…………そ、そんな馬鹿な事を僕がする筈が」

「雀部副隊長から、私宛に伝言があったのです。『此度の戦闘で敵に捕らわれた大神御蔭丸を救出した折、止めを刺されそうになりながら笑顔を浮かべていた』と」

「…………」

 

 卯ノ花は彼の震える言葉を自分の言葉で被せて潰す。それは瀕死の御蔭丸が総合救護詰所に運び込まれてきた際、一緒に飛んできた地獄蝶に託された言葉だった。

 

「……否定しない・という事は、雀部副隊長の言は正しかったようですね」

「…………」

 

 御蔭丸は押し黙っていたが、この場においては無言の肯定に等しい。返事をしない彼に、卯ノ花は辛さを露わにする。

 その反応は当然だ。卯ノ花は隊長で御蔭丸は隊士。隊を束ねる彼女にしてみれば、自らの部下が戦う事ではなく死を選んだ事実は重くのしかかる。それも救護を主とする四番隊の隊員ならなおさらだ。命を救う者が己の命を軽く見ているなんて、あってはならない事だろう。そして――無自覚の恋に焦がれる乙女としても、それは到底受け入れられない。

 

「私は貴方の事を、決して人と争う事の無い、平和を愛する人物だと思っていました」

 

 沈黙を貫く御蔭丸に、卯ノ花は滔々と語り出す。

 

「貴方は常に笑みを浮かべ、誰とも争わない。目上の方や尊敬する人は言うに及ばず、友人知人が相手でも、口論に発展したとしても本気で対立しようとはしていません。むしろ自己主張をあまりせず他人を立てています。そんな和を尊重する姿勢を、私はそう評価していました。でもそれは裏を返せば、自我のないから他人の為にしか動けない人であるとも言えます」

「…………」

 

 返すのは無言のみで、彼はうっすらと微笑んだまま卯ノ花の話を聞き続ける。優しい慈母のような笑顔は、隠密機動に拘束された時にも浮かべていた場に合わない奇妙な表情だ。卯ノ花は小さく眉根をひそめて訝しみながらも、言葉を続ける。

 

「貴方は自分を語らない。何が好きで何が嫌いか、という程度の簡単な自己主張さえ、私は聞いた事がありません。それは語らないのではなく、語れないからだ・と私は思っていました。主張すべき自己がないから何も言えず、また他人と争いもしないと。

 初めて会った時も、貴方は誰かと争う素振りなんか見せなかった。思い返して見れば、最初に朽木隊長が斬りかかった時でさえ、『そう望まれたから口実を与えた』と言わんばかりの態度でしたね。六年前の事件の時も、抵抗しなかったのは自分より暴漢の方を優先したからだと、総隊長から拝聴しました。それを踏まえて考えれば、貴方は平和を愛しているのではなく、自己がないからただ他人に逆らわずに生きているだけなのでしょう。

 ……ですが、今回の件でそれも違うと確信しました」

「…………」

 

 卯ノ花は目の前で笑う傷一つ無い彼の姿に、(おびただ)しい血液と目を背けたくなる傷痕を幻視する。六年前のあの時よりもひどい傷で、少し眺めただけで死を連想してしまうあんな姿を、卯ノ花はもう見たくなかった。特に彼の首に残っていた手の(あざ)は、今にも浮き出てきそうで恐ろしい。

 そんな自分の想いを、ふと疑問に感じる。将来が望ましいとはいえ一介の隊士に、なぜそんな事を考えてしまうのか――その結論よりも、卯ノ花は御蔭丸との話を優先した。

 

「先の戦いは仲間を逃がす戦いであり、そして貴方自身を逃がす為の戦いだった筈です。けれど貴方は、途中で戦う事を諦めてしまった。おそらくは『戦いが嫌いだから』という理由で。そうでなければ、貴方が笑っていた理由に説明がつきません。それとも何か、別の理由があるのですか?」

「…………いいえ、ありませんよ……貴女のおっしゃる通りでございます」

 

 そこまで沈黙を保っていた御蔭丸は、淡く微笑んだまま細々と言葉を放つ。(よど)みない肯定は、さっきの揺れた声色を鑑みれば妙に清々しい。何かおかしい(・・・・・・)――卯ノ花は心のどこかでそんな言葉をよぎらせる。でも、口から言葉を紡ぐのは止めない。

 

「貴方の戦わない意志は、例え死ぬ事になっても貫ける程強い。それは紛れもない貴方の心――総隊長の言葉さえ()退()けてしまう、強靭な意志です。でも、それだけの心を持ちながら、貴方は笑うばかりで周囲に吐露しようとはしない。だから私には、貴方が謙虚で他人を気遣う人物に見えました。自己を持たず、ただ流されている人物にも見えました。でも貴方の本質はそうではない」

 

 卯ノ花は思う。死してなお貫ける意志の強さを持つ者が、その心を他者へ打ち明けない理由。普通に考えれば「他人に興味が無い」、「自分の本心を言える人物がいない」、「心の裡を他人に語るのを恐れている」などの理由があるだろう。しかし御蔭丸は、そのどれにも当て嵌まらない。

 常に他人を尊重する彼が、他人に興味が無いわけがないだろう。本心を言える人物にしても、流石に卯ノ花(じぶん)を勘定にいれるのはうぬぼれているが、アシドという親友が居る筈だ。そしていつも笑っている彼が、自分の胸の内を語る事を恐れているなんて考えられない。

 それらは推測でしかないが、卯ノ花は不思議とそれらの理由では絶対にないと思っていた。曲がりなりにも四番隊隊長、人を見る目は確かなつもりだ。だから御蔭丸と初めて会った時に漠然と感じた印象から、彼への疑問を紡ぐ。

 

 泣いている少年のような幻像。

 その幻と噛み合わない笑顔。

 血風(けっぷう)猛り狂う戦場の中でしか見えない心と、あくまでも他人に拘る生き様。

 そんな風に生きている人物がいるとすれば、それは――

 

「貴方は――自分の事をどうでもいいと、考えているのではないですか?」

「――――…………」

 

 ほんの少しだけ、真っ赤な瞳が(とざ)される。

 しかしそれ以上の変化はない。先ほどから変わらぬ笑みを白い顔に縫い付けている御蔭丸は、卯ノ花の言葉を沈黙で受け止める。だが、今度は黙ったままではなかった。窓の外で夜空を斬り裂く三日月のように、鮮血の眼を細く切る。そして一息ついて、顔に浮かべる笑顔を濃くした。

 

「その通りでございますよ、卯ノ花隊長。僕は、僕の事などどうでも良いのです」

「…………やはり、そうだったのですね」

 

 出来れば外れて欲しかった予想が当たってしまった事に、卯ノ花は悲哀の色を隠せなかった。それと同時にあまりにも素直な肯定に、ますます違和感を募らせる。

 卯ノ花にすれば、今言った事は御蔭丸という人物のかなり深い部分を揺さぶるものだった筈だ。なのにどうして、彼はこんなにあっけなく認められるのだろう。表情を崩さず、戦いの時のように無にもならず、ただただ笑って認められるような事じゃない筈なのに。

 

「……もう一つ、聞いても良いですか?」

「どうして僕が、僕の事をどうでもよいと思っているかについて、でしょうか?」

「っ…………ええ、そうです」

 

 卯ノ花が躊躇いがちに口にした事を、御蔭丸は普段通りの笑顔で言葉の先を読む。変わらない、変わらなさ過ぎる彼の態度に違和感を強くしながら、彼女は頷くしかなかった。

 そして卯ノ花は、違和感の正体を知る。おそらくは、彼女にとって最も残酷な形で。

 

「それは貴女が、僕をそのような人物であると認識しているからです」

「――――…………え?」

 

 御蔭丸が発した言葉の意味を、卯ノ花はすぐに理解する事が出来なかった。ただ呆然と目を見開いて、彼を見る事しか出来なかった。

 変わらない。御蔭丸はさっきから同じ笑みだけを浮かべている。慈母のように柔らかく、散華のように惨たらしい笑顔を。

 

「…………それ、は……どう、いう……」

「言葉通りの意味ですよ、卯ノ花隊長。例え僕に意見や意志があったとして、それが貴方の指摘と全く違うものだとしても、それはどうでもいい事なのでございます。

 重要なのは、周囲が僕をどうあるべきだと望んでいるか(・・・・・・・・・・・・・・)であり――僕自身の心など微塵も気にする必要はないのです。僕と向き合う誰かの望み通りの人物になる――それが、僕という男なんですよ」

「…………!」

 

 揺らがない(・・・・・)。卯ノ花がかろうじて絞り出した声にも、彼は一瞬たりとも動揺しない。艶やかに笑いながら、彼女への言葉を謳いあげる。

 御蔭丸が言い終えた後、卯ノ花は絶句してしまった。彼の自分がどうなってもいいどころか、別人になっていいとさえ言外に示している言葉に、でもある(・・・・)。しかしそれ以上に、卯ノ花から言葉を奪い去ってしまうモノが目の前に見えたからだ。

 ――ああ(・・)凪いでいる(・・・・・)

 窓辺に潜む黄金の三日月のように輝く鮮血の眼。程度はどうあれ、いつも理知的な光が宿っているその瞳が、凪いでいる。風前に消えた燈火のように、一片の(またた)きも見えなくなっていた。

 卯ノ花はその瞳の意味を正確に理解した。いや、理解してしまった。彼女の御蔭丸への想いが強かったが故に、笑っている彼が何を思っているのかはっきり分かってしまったのだ。

 ――それは、卯ノ花に対する明確な拒絶の表れだった。

 

「っ…………」

 

 卯ノ花は何かを口にしようとして、何も言えなかった。悲愴に、諦念に、そして心の痛みに。強く強く、目を閉じる事しか出来なかった。

 違和感はあった。笑っている御蔭丸の顔が、どこかいつもと違うように見えていた。だけど卯ノ花にはそれがどこか分からなかった。思いもしなかったのだ――笑いながらでさえも、彼が瞳を凪がせ、心を殺していたなんて。

 戦う為に自分を押し潰すように、御蔭丸は今、己を封殺している。彼の言葉通り、卯ノ花にとって望ましい人物になるため――ではなく。そうする事で卯ノ花へ拒絶の意志を示せると分かってやっているのだ。

 だから彼女は、静謐に悟る。今のままでは、彼は決して心を開いてくれないと。

 

「――……分かり、ました。それが貴方の答えなのですね」

「ええ、その通りでございます」

 

 しばらく無音の系譜が流れた後、卯ノ花は閉じていた眼を御蔭丸の視線に絡ませる。卯ノ花烈という一人の女性としてではなく、四番隊の隊長として重責を担う力強い瞳で、真っ直ぐに彼を見る。

 

「……大神隊士。隊長として隊員である貴方に、これだけは言っておきます。

 貴方の行動は間違っている。いくら仲間を救う為とは言え、それは貴方が死んでよい理由にはなりません。だからもしもまた、今回のような抜き差しならない状況に陥ってしまったら、その時は最後まで生きる事を諦めないでください。貴方が他人を大切にするように、貴方を大切に想う人々もまた居るのですから。ですから命尽きぬ限り、必ず生きて帰ってきなさい。私は貴方に――そのような死神になる事を、望みます」

「――――了解しました、卯ノ花隊長」

 

 人格を変えろ、という卯ノ花の命令に、御蔭丸は何の躊躇いもなく承諾する。それを見届けて、卯ノ花は立ち上がった。

 

「これで、私の話は終わりです。こんな夜更けに付き合わせてしまい、申し訳ありませんでしたね」

「いえいえ、むしろお礼を述べたいくらいです。卯ノ花隊長は僕を気遣ってこの場をもってくださったのですから。だからなるべく期待に応えられるよう、精進したく存じます」

「……その言葉が嘘にならない事を、祈っています。おやすみなさい、大神隊士」

「はい、おやすみなさい、卯ノ花隊長」

 

 背を向けて、扉の先の闇に消えていく卯ノ花を見送った後、御蔭丸は表情を荒ませる。何を思っているのか、荒涼たる双殛の丘の如く荒れ果てた顔からは窺い知れない。ただ彼は一度だけ窓に目をやり、星屑が綺麗な夜空に一瞬だけ荒んだ表情をした。そしてすぐに目線を外し、寝台に横たわった。

 

 一方の卯ノ花は病室から出た後、とある決意を自分に課す。

 これから先、どれだけ時間がかかったとしても――必ずや大神御蔭丸を癒すという決意を。

 それは四番隊隊長として、傷付いた者を放っては置けないと信念から来るものだった。

 大神御蔭丸の心はひどく傷付いている。あそこまで病的に他人の為に生きると言うのは、生来では在り得ない。心は環境によって大きく左右される――つまり、御蔭丸があんな考えに至ってしまった理由が、必ず過去の何処かにある。

 だからまずはそれを知ろうと卯ノ花は思った。彼が何を思い、何を考え、何を体験してきたのか――それを知れば、おのずと心の傷を癒す術も分かるだろうと。

 そう思いながら、卯ノ花は一方で悔やんでいた。

 ――本当なら六年前、気付いていれた筈なのに。

 

 そう、六年前のあの日。御蔭丸と言葉を交わしたあの夜に、卯ノ花は気付けた筈なのだ。あの時、臆病にならずにきちんと聞いていれば――彼は拒絶の意志を、卯ノ花に見せただろう。そうなっていれば、六年前から彼の過去を知ろうと決意出来た。

 ――それが出来なかったのは、私の弱さのせい。

 胸の前で両手を握る。心の裡にある弱さをそうやって握り潰せれば、どんなに楽かと思いながら。それが、誤解である事に今だ気付かず。

 ――この弱さも、克服しなければ。

 御蔭丸の過去を知り、彼の心を救う。そう思う隊長としての自分の裏に、臆病な女の心を隠しながら、彼女は決意した。

 




 原作より七四四年前から七四〇年前の出来事。
 まだ単行本未収録の話ですので詳しくは言いませんが、卯ノ花烈の過去が色々出てきましたね。本作もまだ序盤も序盤ですし、原作の設定に合わせて本作の卯ノ花烈の設定を変えさせて頂きたいと思います。これにより、過去に投稿した内容を少し改稿する事になりますね。でもそれは、原作をあと一月ほど様子見してからさせていただきます。もっと原作の卯ノ花烈を見て、本作の設定と擦り合わせたいので。
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