女体化した挙げ句、転生先は存在しないクリスの妹でした。   作:わらぶく

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第五話 前半

「雪音、大丈夫?」

 

 人が溢れるリディアン昼休みの食堂。

 周囲の生徒が思い思いに会話をし喧騒が溢れる中、意識を思考の彼方へと置き去りにしていたクリスは耳元で囁かれた翼の言葉で意識を取り戻す。持っていたはずのフォークは、力が抜け半開きになった右手から溢れ落ち机の上に転がっていた。

 左肩からは隣に座り身を寄せている翼の体温が、リディアンの制服越しに伝わってくる。心配していたらしい翼は、顔を覗き込み空いていたクリスの左手に自身の右手を重ねていた。

 翼の言葉に正直で返すなら、今のクリスは大丈夫ではない。

 一ヶ月前、下駄箱の中に入っていた赤い宝石。最初こそ何だろうかと不審に思っていたが、友人と共に少し離れた場所まで食事に向かっていたところで突如として目の前に発生したノイズに対峙した時、この宝石の真価をその身を持って思い知らされた。

 

 第二号聖遺物、イチイバル。北欧神話にて狩猟神ウルが扱っていた弓の一部から櫻井理論を用いて製造されたシンフォギア。広域殲滅を得意とする遠距離型のシンフォギアは一見弓を扱うのかと思いきや、クリスがその手にしたアームドギアの形は重火器。その心象変化が示すところ、原因は幼い頃から経験してきた捕虜生活で目にする銃が脳裏に焼き付いたことにある。

 数年前に製造され後は適合者となる人間を待つばかりであったが、二課の前任司令官だった風鳴訃堂の元より失われ、今日まで消息不明だったはずの聖遺物だった。それがどういうわけかクリスの手元に渡り、シンフォギアとして適合するまでに至っている。

 あの後、クリスの身柄は一旦拘束されイチイバルをどこで手にしたのかの質問と身体検査を行った後に解放されている。二課としては旧来より待ち望んでいたイチイバルの装者ということもあり、ギアペンダントはクリスの手元に残るということになった。

 

 とはいえクリスにとっては、こんなものを渡されても手に余ってしまうし何よりも嫌だった。火薬が爆ぜる轟音、弾丸が撃ち出されると共に響き渡る悲鳴。あの日、アームドギアが三銃身の四連装ガトリングとして姿を現し、意を決して放った弾丸が人型のノイズを引き裂いた時、脳裏にこびりついたバルベルデでの嫌な記憶が甦って意識を苛む。

 それを翼に打ち明けることはできなかった。いや、クリス自身が打ち明けるのを拒んだと言っても良い。伝えたところであの地獄を経験したことがない翼からは、同情の言葉しか出させてやれないと考えていた。

 

 だから、そっけない言葉が出てきてしまう。

 

「別に……何でもねぇよ……」

 

「何でもないことはないでしょ。なら、目尻に溜まった涙をどうにかしてから言いなさい」

 

「……ッ」

 

 指摘され、目を手で擦る。

 確かに擦った後の手は濡れていた。「何でもねぇよッ!」と語気を強めて放った言葉に周囲で食事をしている生徒たちからの目線が集まるものの、二人が気にすることはない。

 クリスは未だに翼との距離感をあまり掴めないでいる。今でこそまだこうして話せるようにはなってきたが、最初は犬猿の仲と言っても良い。二年という年月を使い果たして紆余曲折の末に、『クリスの過去』を糧にして交遊関係を築き上げたのは結果としてクリスの人生に良い影響を与えたのだろう。

 

 しかし今度は人間関係という壁にぶつかることになる。

 

「……大きな声だして悪かった」

 

「気にしていない。それよりも雪音、辛いのなら少し人気が少ない場所に行く?」

 

「……頼む」

 

「分かった、ならいつもの屋上に。雪音が食事を食べ終えてからで良いから」

 

 いつまでも優しさに甘え続ける訳にはいかないと分かっていても、今のクリスには一人で自立できるだけの力はない。

 

 クリスが口の中に料理を押し込んで人混み極まる食堂を二人一緒に抜け出したのは、それから二十分後の話だった。翼に手を引かれるようにして廊下を歩き顔を赤らめながらも、特段抵抗するようなことはない。硬い上靴がカツカツと廊下を踏み鳴らす音も昼休みの喧騒に消えていく。

 雑音が溢れるこの時間、このリディアンは嫌いだ。

 届くはずの声をこの雑音に掻き消されて、聞こえたかもしれない雪花の声まで消えていく。だからもっと言えば人は嫌いだった。唯一、二課だけは静謐な場所と時間は与えてくれたから、まだ良い組織なのかもしれない。

 

 道中、新たに第三号聖遺物ガングニール装者となった立花響を翼が視界に入れた時、優しさで溢れていた目が忌々しそうに吊り上がり「別の道を通りましょう」と道を変更することになった。どうしちまったんだと聞きたいところではあったが、二年前のことを知っているクリスはその言葉を発するのは憚られた。

 そうして到着した屋上は、やはり誰も居なかった。ここなら雑音も少ししか聞こえてこない。肌を撫でる柔い風だけか二人の到着を歓迎してくれている。

 

「良かった、誰も居ない。雪音、座りましょう」

 

「あ、あぁ……」

 

 手を引かれて二人仲良く隣同士で座ることになったときは、流石のクリスも気まずさと気恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。このアーティスト、やたらと距離が近い。コツンとお互いの肩を合わせてしまうほど。顔に熱を持っているのを自覚したクリスは、顔を背け雲一つ無い空に視線を持っていく。

 そうして、そこで十分以上も無言の時間を過ごすことになった。

 これには堪らずクリスも「喋らねぇのかよッ!?」と突っ込んでしまったが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを見せつけられ自分ははめられたのかと恥ずかしさでまた顔を赤くするはめになった。

 

「可愛らしいところがあるのね、雪音」

 

「う、うるせぇッ!! 誰のせいだと思ってんだッ!?」

 

「私のせい?」

 

「じゃなきゃ誰のせいなんだよッ!?」

 

「ようやく元気が出てきた。それが本来の雪音なのね」

 

「っ……別に、いつものあたしはこんなんじゃねぇよ。あんたらがあたしに構って来るからいっつも話がとっ散らかって収拾つかなくなるんだろ。何でどいつもこいつも二課に居る奴らは他人にばっか突っ掛かってくるんだよ」

 

「放っておけるわけないでしょう? 雪音は二課に居る誰よりも繊細で寂しがり屋。それはもう周知の事実」

 

「ハァッ!? お、おまっ、なんてこと吹き込んでくれてんだッ!?」

 

「別に吹き込んでなんていない。皆、今の雪音を見てそう思っている」

 

「ぐっ、うぅ……マジかよ……」

 

 大きな溜め息をついてクリスは項垂れる。

 元々二課には他人思いのバカな奴らが集まっていると思っていたが、今それをクリスは文字通りのバカへと認識を改める。そして隣に居る風鳴翼も同類だ。放っておいてくれと何度言っても、囲おう囲おうと何度も構ってくる。厄介なことはそれが全て善意で行われているということ。

 これが悪人ならさっさと突っぱねて拳の一発でも見舞ってやるところだが、二課は根っからの善意でやって来る。いくら偏屈になってしまったクリスであっても、恩知らずではない。握り締めすぎて汗まみれになった手の平をスカートに擦り付けながら、陥ってしまった現状に悪態を吐く他無かった。

 

 これはクリスの知らない公然の事実だが、クリスが溜め息を吐きながら何かをする──今回であれば項垂れる──時というのは込み上げる嬉しさと恥ずかしさを何とか誤魔化そうとする証拠だ。現にクリスの口元は綻び、うっすらと笑みを浮かび上がらせてしまっている。

 この先の満面の笑み、心の底から楽しいという感情を引き出すためには心の支え(つかえ)を取り除かなければならない。その為には今尚姿の見えないクリスの妹を見つけなければならない訳だが、その音沙汰は全くない。二課というのは二次大戦時の諜報機関が変わりに変わって出来た組織。となればその情報収集能力は政府からの折り紙付きだというのに、ここまで見つからないのははっきりと言って異常である。

 

「はぁ……ほんと、付き合ってらんねぇよ……。どいつもこいつもお人好しばっかで、あたしの見てきた世界が嘘みたいだ……。雪花も、こっちに早く連れてきてやんねぇと……」

 

「雪音の妹が見つかったときは、司令が二課全員でパーティーを開くでしょう。ああ見えて、催しは大好きだから。その時は雪音から何かプレゼントする予定?」

 

「あたし? あたしは、そうだな……何か考えとく」

 

「そうして」

 

 ……その言葉を最後に、また会話が途切れる。

 会話が下手であることは自覚しているクリスだが、風鳴翼というの人間もまた会話下手なのは間違いない。そうでもなければ黙りこくってしまうクリスのフォローをしてくれるはず。頭を抱えて「なんて話せば」と声に出してしまう人間が会話上手なものか。

 この二年、胸中をざわめかせ続けてきた生活だったがお節介なくせにあそこまでどんくさい人間は始めてだった。いや、最近二課に入ってきた奴、立花響もなかなかのお人好しでどんくさい。何をするにも語るにも裏目に出て人を怒らせる才能の持ち主だ。あれはあれで自分なりに考えた末の行動だろうが、それにしたって酷すぎる。この前は見事に翼の天羽奏という地雷を踏み抜いて平手打ちをもらっていた。真性のバカだろう。そうに違いない。

 

 やがて悩み果てたらしい翼は諦めた顔で空を仰ぎ「私はなんて不甲斐ない先輩なんだ」と絶望している。クリスがすかさず「別に良いっての」とフォローを差し込むが、当の本人は気にしているのか当分は頭を悩ませていそうだった。

 そんな翼の姿がバカらしくて、思わず笑い声を漏らしてしまった。それを聞いた翼が首をギュンとクリスの方へ向けて「今、もしかして笑ったのか?」と聞いてくるのに対し、「別になんでもねえよ!」と頭をはたきながら返す。これが本来雪花と味わうべき日常なのかなと考えながら、はたかれた所を擦る翼を見つめる。

 

「……痛い、雪音」

 

「自業自得だっての、ったく……。人の笑う顔なんて気にしてどうすんだよ。あんたはあんたで、今は問題抱えてんだから自分の心配でもしてろ。ガングニール装者、気に食わないんだろ」

 

「……」

 

 口にして、それまで暖かった翼の表情が凍っていく様を見て、話題を間違えたかと思ったときには既に遅かった。ガングニールという単語が翼にとってデリケートなのは分かりきっていたはずだ。

 なら何故聞いた?

 そんなの好奇心に決まっている。ダメだと分かっていても、クリスの心のどこかでは聞きたいという好奇心が溢れてしまっていた。探られたくない腹の中、他人からすればどんなに残酷だろうと聞きたくなってしまう話。聞いてから後悔するのだから本当にバカらしい。

 

 慌てて謝ろうとするクリスを、翼は手で制する。

 

「気にするな、あれも私が乗り越えなければならない試練だ。私一人で何とかしてみせる」

 

「そっか……」

 

 また、少しの沈黙。

 事態を重く見たクリスは、ホームルームで担任の教師から聞いた話を話し始めた。

 

「なぁ、昼休みの後にホームルームの後に講堂で全校生徒集まるみたいだが、何か知ってるか? うちのクラスじゃ詳しいこと何も聞かされてねぇんだよ」

 

「私も何も聞かされていないが、クラスメイトの雑談を耳にした限りでは巷で有名なヴァイオリニストが来るらしい。演奏会でよく姿を出すそうだ」

 

「ヴァイオリニストか……」

 

 思い起こされるのは、バルベルデの難民キャンプでヴァイオリンを弾いていた父の姿。クリスにとってはあまり思い起こしたくない記憶の一つになる。乗り越えなければならない数ある壁の一つ。あまり考えないようにしていたのに沸き上がってくるあの時の記憶が、意識をかっ拐おうと襲いかかってくる。

 スカートを握る手に力が籠る。何をするにも、考えるにも、気を抜けばどこにでも地雷が埋まっているのはわかっていた。それでも、こうして目の当たりにする度に心がざわめく。

 

「パパ……」

 

 呼んでも、居るはずのない人間。

 あった家族という形がバルベルデという場所でバラバラに崩されて、寄り添っていこうと決めていたはずの妹は側から消えてしまった。

 割り切れない自分が、恨めしい。

 

 ──カーンコーンキーンコーン。

 

 チャイムが鳴る。

 

「雪音、行きましょう」

 

「ああ……」

 

 翼に手を引かれ、クリスはベンチから立ち上がった。

 

 

 

 

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 高く聳えるリディアンの校舎を前にして校門前でヴァイオリンケースを片手に、ソロモンの杖が入っている筒状のカバンを肩に掛けて立ち尽くす雪花は、それまで硬く接ぐんでいた口を開け大きく深呼吸した。学校からゆったりとした服装と指定があり、今日はベージュの縦ニットと青のジーパンという私服スタイルでやって来ている。髪型はフィーネからの指定で姉クリスと同じ二つに分けたお下げのようにしている。

 演奏会に誘われたからとこれまでの一ヶ月をヴァイオリンの練習に費やしてきたが、やはりこう目の当たりにすれば緊張もしようというもの。それもあれだけ離れ離れだった姉が在学する学校ときた。ケースの取っ手を握る右手に力が籠ってしまうのを自覚し、左手を胸元に置いて再び深呼吸。体の震えまで大きくなってくるが、噛み殺して一歩足を前に進めて塀に備え付けられたインターホンを押した。

 

 待ってしばらく。

 教師の一人が雪花の元まで駆け寄ってくると、門を開けて雪花を迎え入れる。互いに深くお辞儀をしあい軽く握手を交わすと、教師は手で校舎内を示しそれに従って校舎へと歩いていく。

 外から見ても大きいと感じていた校舎だが、中に入って見回せばその大きさが更に際立つ。八百メートルの陸上トラックに校舎までの道端に広がる大きな青野原、公立では考えられないほどにエレベーター等の設備が整った巨大な校舎。これなら1200人以上の生徒を収容できるわけだと勝手に感心しながら、足を進め演奏場所となる講堂へと向かう。

 

「今日は来てくださり、本当にありがとうございます」

 

「いえ、こちらこそ自分のような無名の人間をお誘いいただいたこと、深く感謝しています。それにしても本当に大きな校舎ですね。どのような生徒たちが集まっているのですか?」

 

「幼い頃から音楽を目指していた子は小学の頃からエスカレーター方式で高等科に、これを機に音楽の世界へと足を踏み出そうと決めた子は入学試験を受けて新規に入学してきます。入学希望の例にあげれば無数にありますが、やはりタレント科の風鳴翼さんの存在というものは大きいですね。日本のトップアーティストが在籍するということもあって、彼女目当てに入学希望生は後を絶ちません」

 

「今をときめくアーティストですから、やはりその影響は大きいですよね。はぁ、ほんと憧れます」

 

「ご謙遜なさらないでください。三ヶ月前の演奏会であなたの演奏を聞いたとき、私は酷く感動したんです」

 

「あはは、そう言われると嬉しさで照れてしまいますよ」

 

 三ヶ月前ってどの演奏会だっけと思い起こし、他愛もない会話を交わしながら廊下を歩いていると、雪花は一回生の教室前を歩く。昼休みがちょうど終わり生徒が教室へと帰る最中なのか、廊下はまだまだ生徒で溢れていた。

 雪花の日本人離れした顔立ちに興味があるのか、それとも二回生の雪音クリスと顔が同じになっていると既に話題になっているのか。後者なら、事はフィーネの思い通りに進んでいると言っても良い。

 今回の目的は、雪音雪花は生きているとリディアンという地で、二課のメンバーに見せびらかせること。それが計画の第一段階であり、二課と本格的に事を構える始まりだ。

 

 ふと、一人の生徒がこちらをじっと見ることに気がついた。

 癖を持ったブラウンの髪の生徒。海辺の工業地帯で始めて姿を現したガングニール装者、立花響。「あれ?」と疑問の声をあげ首をかしげている。あの様子ならば、雪音クリスと顔立ちが同じだと気付いたのだろう。

 ここで騒がれるのも困るため、あまり顔を向けないようにして早歩きで廊下を通り抜ける。それを教師は居心地が悪いと勘違いしたらしく、廊下を抜けると同時に頭を下げて「うちの生徒が本当にすみません」と謝罪されてしまった。すかさず「いえいえ」とフォロー差し込んでその場を乗りきり、ドーム型の大きな講堂の裏側まで向かう。

 

「こちらでお時間が来るまでお待ちいただけると幸いです」

 

 そこは楽屋のような部屋だ。防音加工の壁に化粧用の鏡台やソファーが拵えた一室。これなら弾いても音は漏れないだろうと荷物を置いて、ケースからヴァイオリンを取り出す。

 

「一度弾いても良いですか? 弦の調子も少し見ておきたいので、出来れば一人にしてもらえると嬉しいのですが」

 

「分かりました。もし何かあればそこの内線電話で職員室にかけてもらえれば、すぐに駆けつけます。では、演奏楽しみにしてます」

 

 教師は今一度深くお辞儀をして、部屋から出ていく。

 開かれた扉が閉じたのを確認した雪花は、離れていく気配を感じ取り遠くなったのを確認すると同時にポケットから携帯端末を取り出す。電源を入れ送信欄からフィーネの名前を見つけ出し、呼び出しボタンを押した。

 2コールもしない内にフィーネが電話に出てくる辺り、じっと電話の前で待っていたに違いない。

 

『着いたのかしら?』

 

「はい、リディアンの講堂裏で今待機中です。歩いているだけでかなり注目されました。やはり日本人と海外人のハーフの顔立ちは目立つんですね。もしくは姉さんと同じ顔がもうひとつあって疑問に思われたか」

 

『あなたたち姉妹の顔立ちは世界的に見ても美麗だもの。それよりも、今回はあなたの演奏が聞けなくて残念だわ』

 

「こちらとしては見られずに済むので、変な緊張をしなくて済みますよ。それより目標物の立花響をこっちの目でも確認しました。当の本人はオレをすっごい目で見てきましたけどね」

 

『でしょうね。二課で見た限り、あの子は誰よりも好奇心が旺盛で他人のことをよくに気に掛けているわ。どうせあなたのお姉さんと顔が一緒で気になったのでしょう。

 ねぇ雪花、あの子の事より今は演奏を聞かせてもらえると嬉しいわ。ここ最近二課の研究室に籠り続けてまともな休みが取れてないのよ』

 

「CDに音は焼いたでしょう? それで満足してくださいよ。こっちは本番前の練習をしたいんですから」

 

『CDだと何度も同じ音の繰り返しでつまらないわ。それよりもあなたの生が良いの。感情の籠ったあなたの音、新しい音を私に聞かせて』

 

「……はぁ、なら練習で一曲弾きますから、それで満足してくれますか?」

 

『ええ、満足してあげる。だから期待してるわね』

 

「なら一曲、ご自由にお聞きください」

 

 ヴァイオリンのあご当てに自身のあごを当て首で胴体を挟んで固定し、弓を右手に構える。

 雪花はヴァイオリンを弾く時、誰かを頭の中に思い起こして弾くことが多い。これは頭の中で無意識の内に音楽は誰かに贈るものという考えが働いているためだが、当の雪花はそんなことを自覚していない。

 フィーネからは弾く度に音が変わっていると何度も言われているが、弦の巻き方も何もかもをいつも同じにしていたことを加味すればやはり贈る人が変わる度に音も変わるのだろう。

 

 今回、この演奏を贈る人は誰か。

 わざわざ身の危険を冒してまでリディアンという場所に来て、大勢が集まる講堂という場で演奏するのだ。決まっている。他の誰でもない姉、雪音クリスに贈る演奏。弓をヴァイオリンの弦に乗せ目を瞑り、ゆっくりと奏で始める。

 演奏中は、雪花に言葉は届かない。意識も言葉も何もかもをヴァイオリンの音色に乗せて言葉の代わりとするため、雪花にとって演奏は一種の会話であり音色は言葉だ。伝わるかは分からない、伝わっても理解してもらえないかもしれない。

 でも、フィーネは雪花の音色(言葉)を理解する。

 どれだけ激しい音色でもその一音に込められる意思をフィーネ理解してしまう。そう言う意味では、雪花にとってフィーネはこの上ない上客だ。あの面倒くさい性格と悪巧みの張本人でなければ、心酔してしまっているかもしれない。

 

 やがて一曲奏で終えた雪花は大きく息を吐きながらヴァイオリンを下ろす。携帯端末からは絶え間無い拍手が鳴らされ、フィーネの艶やかな「ああ」と言う声が耳を撫でる。

 

「どうでしたか?」

 

『本当に、素晴らしい……♪ お姉さんの思いを込めた音色、これまでのどれよりも素晴らしかったわ。直接聞けないのが惜しいけれど、今日はこれで我慢しましょう。リディアンの演奏会、頑張りなさい』

 

「過分な評価をどうも。それでは」

 

 電話を切り端末をしまう。

 まぁ過程はどうあれ練習は出来たことに間違いはない。それが『フィーネに贈る演奏』という形になってしまったものの、グッと飲み込めば良いだけの事だ。それ以下でもそれ以上でもあるまい。

 さてもう一曲と弾こうとした時、ガチャリと扉が開かれた。顔を覗かせるのは先程案内をしてくれた女性教師だ。ガヤガヤと生徒たちの喧騒が開かれた扉から飛び込み、既に生徒たちはもう座っているのだろうと考える。

 

「そろそろお時間です」

 

「分かりました」

 

 ヴァイオリンを両手に持ち、楽屋を後にする。

 どうやら舞台裏と観客席は壁一枚しか隔たれておらず、ここで騒ごうものならすぐに観客に聞こえてしまう。細心かつ静かな足取りでもって前へと進み、いよいよスポットライトで照らされる舞台の袖までやって来た。

 舞台上では司会進行となる教員がマイクを使って今回の催しの説明をしている真っ最中。雪花のことを『名無しのヴァイオリニスト』として紹介しており、これまでの演奏会での経歴を語っている。

 

「……ッ、案外緊張する」

 

 深呼吸なんかでは収まりようのない、早まり高鳴る鼓動。こういうとき一人でいるのがかなり辛く感じてしまうのは、ずっとフィーネとの共同生活で孤独に慣れなくなってしまったなのからだろう。

 ガチガチに緊張するなんて産まれて初めてのことに、「これが緊張か」と体を震わせながら僅かに笑みをこぼした。

 

『それでは登場していただきましょう。本日来てくださったのは、巷の演奏会で一躍有名になられたヴァイオリニストです。

 では、こちらへどうぞ』

 

 司会に呼ばれた雪花は唾を飲み込み、歩き出した。

 舞台袖から姿が現れるとそれまで司会を照らしていたスポットライトは雪花を照らし、誰の目にも見えるように強調していた。舞台中央へと歩み出た雪花は、姿勢を正し生徒たちの方へと向き直る。

 司会から渡されたマイクを受け取り、雪花は大きく息を吸って挨拶を始めた。

 

「リディアン音楽院の皆さん、初めまして。今回ヴァイオリニストとしてこの場に立たせていただきました」

 

 挨拶の言葉を口にする一方で、雪花は目だけを動かし姉の姿を探す。右後ろから左前へと視界を動かして、日本人には見られないあの特徴的な髪色の姉を見つけるのはそう難しくない。

 現に、既に視界に捉えている。目蓋を開いて、「嘘だろ」と言わんばかりに口をパクパクとさせ、その胸中を渦巻かせているだろう姉の姿。変わりなく元気そうで何よりだ。

 

「あまり前置きが長くても退屈だと思うので、演奏をこちらからの挨拶とさせていただこうと思います。それでは聞いてください──」

 

 ヴァイオリンを構え弓を弦に重ねた雪花は、目を閉じて演奏を始めた。

本筋が終わった時、しないフォギア的な日常パートは必要ですか? それとも不必要ですか?

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