自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第86話 幻想綺譚『騎士・聖ジョージ』

「───我こそは『秘密の首領(The Secret Chief)』、クリスチャン・ローゼンクロイツ!!! 貴殿らの到着を全霊で歓迎するぞ! 是非我らで世界をともに救おうではないか!!」

 

 薔薇のゴスロリ幼女────クリスチャン・ローゼンクロイツは癪に障るほどの陽気な笑顔で声を張り上げた。その音量たるや、空気がびりびりと波打ち、辺りを覆う濃霧が一瞬晴れるほどであった。

 ゴルドルフの思考は暫時空白と化し、そのフリーズの後に急激に動き出す。

 ───クリスチャン・ローゼンクロイツ。中世ヨーロッパにおける神秘主義思想の代表的人物。そして、表の世界においてオカルト思想の組織的運動の源流となり、時には錬金術師パラケルススとも同一視される伝説上の人物である。

 何より、彼女……彼は魔術協会からすれば不倶戴天の敵だ。薔薇十字団は17世紀のドイツ、カッセルにて、錬金術・魔術を用いて人類の救済を目指すという内容の書物を刊行した。

 神秘とは隠秘。その機構を知られれば力を失う性質を持つ。それを操る魔術師たちにとって、薔薇十字団は神秘の存在を明かさんとする害敵なのだ。

 当時の時計塔を以ってしても、排除できなかった天敵。目の前にいるゴスロリ幼女こそが、その伝説のクリスチャン・ローゼンクロイツなのだと認識して。

 

「嘘をつけぇーっ!!!」

 

 ゴルドルフは負けじと声を張り上げて、幼女を指差した。

 

「ローゼンクロイツがお前のようなチンチクリンであるはずがなかろう!! しかも女性だと!? それはアレか、子孫がその名を受け継いでいるということか!?」

「いや、本人だぞ。性別に関しては諸事情あるのだ。まあ気にするな! 貴殿もEチームの旅路を見たなら、アーサー王やネロ帝、フランシス・ドレイクといった例があることは知っているだろう」

「ぐっ、地味に反論しづらいことを……!! だが、本人だとすると年齢に辻褄が合わん! 少なくとも400歳は越えているはずだ!!」

「うむ。とてもそのようには見えないだろうな。私もそう思う。しかし、400歳以上という推理は正しいが的外れだぞ」

 

 ごっ、とローゼンクロイツは牛乳パックの中身を飲み干す。その入れ物はまるで時間を早巻きしたかのように、見る見る間に崩壊し、手元には塵も残らない。

 

「───私は2000歳だ」

 

 ゴルドルフはぎょっと目を見開く。

 

「端数は面倒だから省いたが。ああ、と言っても敬意を払う必要はない。誰を敬うかはとてもデリケートな問題だからな」

 

 その声音に、嘘の色はない。人が他人を騙そうとする時の、あの嫌な気配。ゴルドルフが法政科にて幾度となく味わった欺瞞と虚飾の嗅覚は、ローゼンクロイツの前には一切が機能しなかった。

 暗示の魔術でも掛けられているかのような感覚。けれど、ゴルドルフは冷静に思考を働かせた。猜疑心という感情が動いていないのなら、感情を挟む余地のない冷徹な論理に身を任せるしかない。

 

「そこまでの長命、真っ当な手段で得られるモノではあるまい。魂を腐らせず、性別すら変える形式となると─────」

「───転生、かな? 発想としては良いが不正解だ。タランテラ……ロアくんの方式は秀逸だったが、アレは魂というアプローチに偏っている。案の定巌窟王の炎に焼かれかけたことだしな。いや、アレは危なかった」

 

 まあ、とローゼンクロイツは言葉を区切る。

 

「質問タイムはここまでにしよう。どうだ、私たちと手を組んで世界を」

「断る!!! 自分で世界をどうこうしようという魔術師はな、大抵イカれているか大いにイカれているかの二択だ!! そうでなくとも、いきなり私たちを拉致した相手に手など貸せるかァーッ!!」

「うむ! まさしく正論だな! ではどうする!?」

「無論、我が鉄拳で秒殺KOを決めるまでだ!!」

 

 そして、砂浜が盛大に爆ぜた。

 ゴルドルフ・ムジークの鉄拳とは決して比喩ではない。錬金術の大家たるムジーク家相伝の魔術『変成鉄腕』。肉体を金属に変質させるこの魔術により、彼の拳は文字通りの鉄拳と化す。

 全身に張り巡らせた強化魔術によるパワーとスピード、そしてヘヴィ級の体重を乗せたゴッフパンチは至近距離から砲弾を叩き込まれるに等しい。

 見た目だけとはいえ、年端もいかぬ子どもに全力の拳を見舞う後ろめたさはあった。が、相手は伝説の魔術師。その躊躇を拳へ乗せる気は微塵もなかった。

 周囲に拡散する衝撃波。ローゼンクロイツは不死鳥ゴッフ全力の右ストレートを顔面で受け止めながらも、微動だにしていなかった。

 

「錬金術としては実にオーソドックス。故に良い魔術だ! シンプルであるが故に汎用性が高く、金属という点も発展性がある!」

 

 すかさず、ゴルドルフは第二撃を打ち込んだ。

 顎をすくい上げるような軌道の一撃。常人が受ければ花火の如く頭部が宙へすっ飛ぶ破壊力を伴った拳はしかし、ローゼンクロイツの華奢な輪郭を歪めることさえできなかった。

 

「だがしかし!! 錬金術とは必ずしも物質のみに作用する業ではない! ミクロコスモスとマクロコスモスの照応を通じ、魂さえも高次の段階に昇華させる───錬金術の極北とは己が理想の現実化であると私は断言しよう!!」

「その手の持論は時計塔で聞き飽きた!! 物質主義と罵りたいならそうするがいい!」

 

 ローゼンクロイツは小指を鼻の穴に突っ込んで、

 

「いや、別にそんなことはないが……? 物質も精神も重んじてこその錬金術師だろう」

「鼻をほじりながら正論を言うな!!」

 

 渾身のアッパーが鳩尾を捉える。

 その時、拳にびきりと痛みが走った。

 鋼鉄化した右手の表面がひび割れ、血が滲んでいる。鉄腕の魔術は肉と骨をその機能を保ったままに金属化させるが、血液は別だ。全身を巡る血流に液体金属が混ざってしまった場合、自滅は避けられない。

 ゴルドルフは痛感する。自分が今、どんな存在を相手取っているのかを。

 自身の攻撃はローゼンクロイツに何ら痛痒を与えられていない。そして、ローゼンクロイツはここまでに一度も魔術を使っていない。

 つまり、彼の五体は砲弾を打ち込まれる程度では傷つきもしない強度を誇っている。しかし、単純に硬度が高いといった話ではない。触れた際の感触は柔らかく、人の体のそれと遜色なかった。

 高いと言うのならば、それはおそらく存在そのもの。魂から肉体に至るまで全てが、ゴルドルフの埒外にある。

 そうして、彼は思った。

 

(えっ、そんなことある?)

 

 何よりも割れたのは、魔術師としての自負だった。

 ローゼンクロイツは微塵も動いていない。殺意も戦意も抱いていない。そんな相手を一方的に殴りつけているのにも関わらず、先に音を上げる始末。

 なんという無様。

 なんという失態。

 とうに、心は敗北を認めて─────

 

「───揺らぐなっ! 魔術の真髄とは己が精神を以って全てを変革する業である! イメージするのはいつだって最強の自分だ!!」

 

 ────やってみろ、とローゼンクロイツは言外に示した。

 そこで顔を覗かせたのは、ゴルドルフ持ち前の負けず嫌いと窮地の発想。

 己がイメージを以って世界を変革する。それは確かに魔術の真髄だが、そこに辿り着いていると自惚れるほどゴルドルフは驕っていない。

 魔術師のほとんどは時計塔に入学した時、自身の無力と無才を痛感する。重要なのはそこから如何に自己の魔術を確立するか。

 金属化は体内の血液に使うことはできない。ならば体外。流れ出た血を固め、薄く鋭い刃と成す。

 ざん、とローゼンクロイツの体躯を袈裟に斬りつける。

 左の肩口から右の腰を抜ける斬撃。ばさりという音とともに裂かれた服が落ちる。結果、現れるのはローゼンクロイツの傷ひとつない肢体。

 ローゼンクロイツは今までつらつらと持論を述べていたものの、意表を突かれたみたいに目を見開く。彼は布の破片だけを裸体に纏い、ぽろぽろと涙をこぼした。

 ゴルドルフ・ムジークは自他ともに認める紳士である。不可抗力とはいえ自身が裸に剥いたことには変わらない。彼は両目を手で覆いつつ、

 

「……あの、その、なんかすまなかった」

「何を謝るか。私は今、とても感動しているのだぞ。若人が成長する瞬間は何にも代え難い愉悦を与えてくれる」

「まるで教師のような言い分だ。たかが2000年程度の重みで私の上に立てるなどと思うな!」

 

 ゴルドルフはまとわりつく何かを振り払うように叫んでいた。

 ローゼンクロイツの恐ろしさは常軌を逸した肉体の強度でも、永き時を生きた知識でもない。彼が真に図抜けているのは人間を識るその観察眼だ。

 一目でゴルドルフの動揺を見抜き、魔術の発展性に気付かせ、成長させた。目を覚ましてからの短時間で、成長するように誘導された。それはゴルドルフの人柄も能力も把握しなくてはできぬ芸当だろう。

 怖いくらいに理解されている。

 そして、自分は奴のことを何ひとつとして理解していない。

 ゴルドルフが振り払おうとした何かは、その恐怖心であった。

 

「やはり貴殿は良い眼をしている。ドミティアヌス帝の時は私も多くの弟子を取ったものだ」

 

 昔を懐かしむように、こくこくと頷くローゼンクロイツ。彼は無造作に指を弾くと、墨を垂らしたみたいに中空が黒く染まる。

 

「では、たった2000年ながらも魔術の先達として教授を行おう」

 

 黒を構成するのは影の文字。アルファベットによって塗り潰された、闇の泥濘。それは人智の及ばぬ虚数空間。その向こう側から、メイド姿の少女が飛び出した。なぜか手にストップウォッチを携えて。

 メリア───ゴルドルフがその名を呼ぶより早く、ローゼンクロイツが言葉を発する。

 

「魔術……神秘とは時間を重ねるほどに強くなる。詠唱もまた同じ。これは言わば、2000年前より今もなお詠唱されている魔術である」

 

 その時、ゴルドルフは初めてローゼンクロイツの裡に魔力の胎動を認めた。 

 だが、それは青空しか知らなかった人間が、生まれて初めて雨模様を目にするようなもの。

 魔力はとうに律動していた。

 彼はそれを認識できていなかっただけ。

 大気のマナさえも従える、魔力の奔流。凪いだ大海に渦が巻くように、ゴルドルフはその律動をもってようやく敵の強大さを思い知る。

 メリアはストップウォッチを向けて告げた。

 

「一秒。意識を保つことができたら、みなさんを解放いたします。あとお父様と花京院の魂も賭けます」

「待てメリア、そういう言動をされると怒ればいいのか笑えばいいのかわからん!!」

「目覚めに良い紅茶を淹れておきますね」

「気絶する前提────!!!」

 

 ローゼンクロイツは蒼き左眼を大きく見開き、啖呵を切る。

 

「ではいくぞ! 我がマクロコスモスの現れを刮目せよ!」

「不死鳥ゴッフを舐めうぶろおぼろおぁぁっ」

 

 ───それと同時。ゴルドルフはきりもみ回転しながら天高く飛び上がった。

 

(…………は?)

 

 心が困惑という名の激流に浚われる。

 全身の各所に杭を打つように衝撃が叩き込まれた。しかも、どれもが寸分の一秒の狂いもなく全く同時に。苦痛を伴わず、意識だけを刈り取る拳撃───と思しき攻撃。かろうじてこれが拳撃であると推測できたのは、視界の端で右拳を掲げるローゼンクロイツを見たが故であった。

 それが、ゴルドルフがなけなしの意識で辿り着いた全て。

 ローゼンクロイツは伸びをして、

 

「さて、我が愛娘よ。何秒だ?」

 

 メイド少女はストップウォッチの電子文字に一瞥すらくれずに、懐に仕舞い込んだ。

 

「0秒ですね。スイッチを押し切る直前に吹っ飛んでいらっしゃったので」

「む、そうか。彼が起きたらお茶にするとしよう。準備を頼めるか」

「かしこまりました。……ところで、こんな呑気にしていて良いのでしょうか。せっかく苦労して宣言書をばらまいたのですが」

「ああ、構わぬ。いざとなれば千里眼で世界線を調律するまでだ」

 

 そして、とローゼンクロイツは呟く。

 

「───誰が勝とうが負けようが、世界の変革は決定している」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『今日の配信タイトルは〝大英博物館の謎を暴け! 地下に巣食うオカルティストの真実とは!?〟───さあ、行くぜ!! 見てろよオレのカワイイ市民ども!!』」 

 

 ロンドン。大英博物館周辺、ラッセル・スクエア。己がファンの集う大観衆に向けて、現在絶賛売り出し中のインフルエンサー『めちゃかわ皇帝ソル子くん』は微笑みかけた。

 時に、相応の風格を纏う人物は何気ない仕草だけでも人心を支配する。

 彼の笑みはまさにその類であった。観衆の表情が呆けたみたいに蕩けると、一瞬で熱狂的な色を帯びた。

 

「「「「「ホッ、ホアッ、ホアアーーッッ!!!」」」」」

「おいおい、初めてサカった猿みたいに吠えやがって! お前らオレのこと好きすぎかぁ〜!?」

「……発情期のお猿さんの方がまだ可愛らしいですが。忌憚のない意見ってやつですわ」

「あぁん? そりゃどういう了見だアンナ? これが人間のありのままだろ。見ろよ、取り繕わない欲のカタチが輝いてるようじゃねぇか」

「おー、バチクソきったねえ色に光ってやがりますわ」

 

 アンナは爪をいじくりながら言った。その視線は微塵も観衆に向けられていない。目の前の現実から逃げ込むため、無意識に視野を狭めさせたのである。

 

「イライラは美容に悪いぜ? ほら、カーネルのおっさんなんか炎天下でも氷点下でも店頭でニコニコしてんだろ。肌テッカテカだろ。アレこそ美容の権化だろ」

「ありゃあ鶏の油でギトギトになってるだけでしょうが。むしろ不健康の権化ですわ。フライドポテトをサラダと思ってる人種に違いねえですわ」

「いや、フライドポテトはサラダだろ。ベジタリアンのくせに仲間外れにしてやんなよ」

「猫科だからといってイエネコとライオンを同じジャンルに加えろとでも?」

「その喩え微妙に分かりづらくね?」

 

 二人の背後には豪華な装飾が施されたライブカーが停まっていた。ロンドンの歴史的な風情にハチミツをブチまけるがごとき色合いだった。

 ソル子くんは車に飛び乗り、エンジンの重低音を響かせる。

 

「よーっしお前ら乗れ、早い者勝ちだ!! はぐれたやつもオレのケツ目掛けてついてこいよ!!」

 

 そして、メルヘンライブカーは狂奔するファンを載せて爆走した。

 ……といった動画配信の一部始終を、大英博物館の立香たちはマネキンのような面持ちで視聴していた。途中でロード・バリュエレータの砂絵が退席し、彼女らは残された携帯端末を囲んでいる。

 明らかに時計塔の魔術師たちを挑発した内容。それもインターネットという全世界に繋がる場所での発信。全世界の主要都市に撒かれた宣言書と彼らを結びつけるのは難しいことではなかった。

 神秘の存在の開示を要求する宣言書と、時計塔の本拠地をあろうことか配信しようとしている二人組。魔術の歴史でも類を見ない暴挙だ。

 ロード・エルメロイⅡ世は顔色をゾンビのように青褪めさせると、腹を抱えてうずくまる。

 

「ぐぅぉぉっ……!! 魔術師の総本山に一般人を連れて乗り込んでくるだと!? アホなのか奴らは!!」

「胃薬が必要なようです。錠剤と座薬と注射、どれがいいですか? 後ろから順番に早く効きますが」

「おしりに注射したらめちゃくちゃ早く効くんじゃないですか?」

「私の肛門を殺す気か!!!」

 

 エルメロイⅡ世はすっとぼけたことを本気で抜かす立香とグレイに哭声を飛ばした。同じく胃薬ユーザーであったロマンは草葉の陰で同情しているに違いない。

 電車内で直面する尿意のように、耐え難い胃痛をこらえるエルメロイⅡ世。立香は彼を尻目に、液晶画面に映し出された『めちゃかわ皇帝ソル子くん』を指差した。

 

「というか……こっちの人、たぶんサーヴァントですよ。早いところどうにかしないと」

「……レディ藤丸。なぜそう思った?」

「勘です!!」

「そ、そんな身も蓋もない……」

 

 グレイは堂々と言い切る立香を前に苦笑いした。平時のエルメロイ教室なら疾風迅雷の速度でバツを叩きつけられる回答である。

 しかし、師匠の返答は彼女が予想したものとは真逆だった。

 

「なるほど、ならば間違いないだろう」

「えっ」

 

 驚くほどあっさりと、エルメロイⅡ世は納得した。日頃から彼の教育を受けているグレイは信じられないものを見る目つきで固まる。

 エルメロイⅡ世はゆっくりと息を吐き出し、胃痛を鎮める。呼吸法と自己暗示の合わせ技。才能は及ばぬとはいえ、腐ってもロード。魔術師の基本は修めているのだ。

 

「勘と言えば聞こえは悪いが、それはその人間の経験を総合した直観的判断だ。現時点で最もサーヴァントと多く接した人類はEチームのマスターたちだ。そのまともな側……比較的まともな側がマスターとしての経験からそう言ったのなら、私に反駁の余地はない」

「あれ? なんだか褒められてる気がしないんですけど」

「と、とにかく、この特攻隊を抑えなければなりません。サーヴァントがいるとなると、今の戦力で抗しきれるか分かりませんから」

「その通りだ。人理修復の記録で時計塔の心胆を寒からしめたのは第四特異点───あの二の舞を演じる訳にはいかない」

 

 1888年、ロンドン。産業革命の真っ只中にある時代の時計塔は、マキリ・ゾォルケン、パラケルスス、チャールズ・バベッジによって壊滅させられていた。

 その事実は魔術師たちを震撼させた。最上位の使い魔たるサーヴァントの戦力をもってすれば、この塔は砂上の楼閣に等しいのだと。

 無論、第四特異点の時計塔とて組織の形を保てぬほどに瓦解した訳ではないが、星の臍たるブリテン島の勢力圏を失うことはそれにも劣らぬ悪夢だっただろう。

 そこで、エルメロイⅡ世は気付いた。

 

「…………────あのアホはどこだ?」

 

 今までの会話が全て違和感に変わる。

 思えば、こんな珍事を目の前にして、夏場のセミよりやかましいあの男が一言も発さないはずがない。ここまでするすると話が進むこと自体、本来はありえぬ異常事態だ。文字数の水増しという意味でも。

 ほんの数秒、沈黙が続いて。見えない手に導かれるように、三人の視線はスマートフォンの画面へと移動した。

 そこに映っていたのは、

 

 

 

 

 

「オイオイオイ、なんだこの地獄絵図は。おまえら揃いも揃ってムニエルみてえなナリしやがって。年々バージョン違いが増えてくスライムか? 群れをなしてキングスライムにでもなるつもりか? 配信者のケツ追いかけてる暇があんなら夢でも追いかけてろ」

 

 

 

 

 

 大英博物館の真正面で仁王立ちする、Eチームリーダーのアホ面だった。

 それはつまり、名前を言ってはいけないこの男の存在が全世界に流出するということであり。ソル子くんのファンたちは瞬間湯沸し器の如く、怒りのボルテージを加速させる。

 

「いきなり出てきてなんなんだねキミは!! 拙者らだけではなくムニエル氏もバカにしているだろう! 謝れ! 拙者らとムニエル氏に謝れ!!」

「少しばかり見た目が良い程度で我らがソル子くんの配信を乗っ取れるとでも思っているのか!! つーか夢追いかけてる暇があったらケツを追いかけるに決まってるだろうがァァァ!!!」

「あん? だからおまえらはその程度なんだよ。ウチのムニエルなんかなァ、推し活だかなんだかで金使いすぎて定期預金と生命保険解約する羽目になったんだぞ」

「ねえそれムニエル氏大丈夫なの? この現状よりムニエル氏の将来の方が心配になってきちゃったんだけど?」

 

 と、見知らぬ同類に対して同情を募らせるオタク軍団。世界が元に戻ったあの日から、ムニエルは灰色の日々を取り戻すかのように資金を浪費していたのである。アンナはアホどものやり取りを目の当たりにし、遠い目をして軽く舌打ちした。

 

「……テメェのファンロクなやついねぇじゃねぇですか。どうなってんですの」

「え? カワイくない?」

「可愛さとは真逆の位置にいらっしゃりやがりますが!?」

 

 人混みの中から、ひとりの男が歩み出る。

 チェック柄のシャツとバンダナを身に着け、大きな丸眼鏡を輝かせる小太りの男性。もはやオタクのイメージとしては古典的な見た目であった。

 彼は眼鏡のブリッジを押し上げ、ニタリと笑う。

 

「プクク……分かってないなあ。推しのおしりとはボクらにとっての夢に他ならない。その時点でキミの理論は崩壊しているのだよ」

「ろ、✝堕天使(ロストエンジェル)✝氏……!! 無数のアイドルの興亡を目撃してきた生ける伝説!! 氏のスパチャ額は正月に親戚一同からお年玉を貰った少年の日の思い出に匹敵すると言われている───!!」

「ツッコミどころが多い以前に切なくさせてくるのやめてくれます?」

「黙ってろメルヘン女。おまえは後だ。何が✝堕天使(ロストエンジェル)✝だ? そうやって反論してる時点でおまえは俺の術中なんだよ。夢は追いかけるもんじゃなくて掴み取るものだろうが」

「なんなのこいつ!? 自分の発言に微塵も責任持ってないんだけど!!」

 

 というオタクの悲痛な叫びはノアという狂人の前にはそよ風も同然だった。いよいよ収拾がつかなくなってきたところで、立香とグレイが遅れて駆けつけてくる。

 

「ちょっと、私を置いてなに突撃してるんですか!? おかげで絶賛全国デビュー中ですよ!?」

「俺の才能を考えれば遅すぎるくらいだ。おまえは引っ込んでろ。地方のパチンコ屋でドサ回りやってんのがお似合いだ」

「ノアこそ夜の埠頭で象牙の密輸やってるのがお似合いなんで引っ込んでてください。ここはEチームマスターの良心がスポットライトを浴びます」

「抜かせ、おまえがいつもホットケーキミックス貪れてんのは誰のおかげだと思ってんだ? 他のメンバーがドラマとかやってる中ひとり寂しく島を開拓してるリーダーのおかげだろ。リーダーだって本当はセンターやりたいのを我慢してんだよ」

「あの、途中から別のリーダーの話になってます」

 

 グレイはぼそりと言った。なお、Eチームリーダーと某リーダーに天地の開きがあることは言うまでもない。

 ノアは右手で立香の両頬をぎゅっと圧搾して、

 

「いいからすっこんでろ。おまえじゃ役者不足だ」

「むごご……わ、私だって少しは役に立てます。ノアとダ・ヴィンチちゃんが造ってくれたアレも─────」

「アホかおまえは。そういうことじゃねえ」

 

 右手の拘束が解け、そのまま頬の輪郭を柔らかくなぞる。

 

「俺は、俺だけのモノを他人に見せびらかす趣味はない」

 

 心臓の奥を深く突き刺すような眼差しと、心を震わせる声音。いつものように開け広げに欲をひけらかす表情は影もなく、暗く冷たい情念が滾っていた。

 あの日から、ノアはこんな顔をしばしば見せるようになった。そして、これを向けられた時、立香の反応は決まっていて。

 暗い感情を独占する背徳感で唇を歪めて、そっと手を重ねる。

 

「そ、れなら……仕方ないですね……」

 

 その直後、一部始終を目撃していた✝堕天使✝は盛大に吐血した。

 

「あああああ!! 学生時代机に突っ伏すことが生き甲斐だった✝堕天使✝氏のBSS性癖と青春アレルギーがオーバーロードををを!!」

「いや、興奮したら死ぬってカマキリの交尾じゃねえんですから」

「う、うぅ……拙者の葬式ではシャーマンキングのOPを流してくだされ……」

「これもう✝堕天使✝っていうか✝ただのしかばね✝じゃね?」

「ここまでの会話意味あります?」

 

 死神の鎌の如きグレイの一言が、一同の首を刈り取る。

 場の空気がほんのりと冷気を帯びたところで、ノアはごきりと首を鳴らして言った。

 

「ってことで───おまえら全員回れ右して帰れ!! こっからはシバき合いの時間だ!!!」

 

 びりびりと空気を揺るがすかのような怒号。すると、周囲を埋め尽くしていたファンたちの目から一斉に生気が失われ、一言も発することさえなく、踵を返して離れていく。

 ソル子くんとアンナは座席から降り、ノアを見上げた。

 

「おいおい、ありゃどーいうことだ? オレのカリスマみたいなもんか?」

「暗示の魔術ですわね。掛け方は様々ですが、魔術師の基本中の基本ですわ。それでも声だけで、というのはなかなか極まってやがりますが」

「なるほどな。催眠術とか洗脳の簡単バージョンってことか。エロいことにしか使えなさそうじゃねぇか」

「それはテメェの頭がエロいことにしか割かれてねえからですわ」

 

 アンナは日傘を取り出し、横に傾けて傘を広げた。その途端に、ソル子くんの携帯端末が猛烈に爆発する。

 爆発に巻き込まれた彼は口から煙を吐き出して、まぶたをもったりと垂らした。

 

「……オーイ、これも暗示? オレのオキニのスマホカバーが灰燼と帰したんだけど」

「ええ、暗示ですわ。最近流行りの4D上映ってやつ?」

「いや4Dっつうか3Dで被害にあってんだけど。ケータイが壊れる暗示ってなに? どうせ被害に遭うなら4Dより4Pが─────」

 

 ゴッ、とアンナの鉄拳が彼を沈める。

 彼女は潰れたカエルみたいになったサーヴァントの背中に、ハイヒールの踵をめり込ませた。

 アンナは足元で行われている惨状とは真逆のにこやかな表情を浮かべる。

 

「昨日ぶりですわね? 藤丸立香さん。お早い再会で助かりますわ〜〜」

「あ、はい。マネージャーやってるってそこの人のだったんですね。なんでこんな迷惑系配信者みたいなことしてるんですか」

「ん〜、まあ、あたくしども近代魔術師がそもそも迷惑系というか……端的に言うと、時計塔に喧嘩を売りにきましたの」

「…………近代魔術師?」

 

 立香は思わず目を細めた。

 オカルト、心霊が真面目に研究・議論された近代は、魔術師が表の歴史に名を残す最後の時代。ノアの長ったらしい魔術講義の際にも、ソロモン王に次いで尺を取っていたほどだ。

 近代の人間が現代で生きている訳がない……という常識は魔術師相手には通用しない。立香が訝しんだのはアンナという名前そのものだった。

 アンナ。名を残した近代魔術師の中で、その名を持つ者はふたり。だがどちらにしろ──────

 

「んじゃあ、喧嘩も売り終わったことですし、あたくしは帰りますわ。こっちのアホは煮るなり焼くなりしてくださいませ」

 

 ────近代で魔術師が歴史に名を刻むということは、時計塔でさえ存在を排除できなかった強者であるということ。

 立香が杖を引き抜こうとした瞬間、既にアンナとソル子くんの姿はなく。

 

「あれ、また!?」

 

 そして、ノアの姿もなかった。

 ───そこは、いくつもの墓標が並ぶ銀世界。冷たく澄んだ空気が満ち、天の中心に太陽が輝く、真白の別天地。

 アンナは白く曇った息を吐き、ぶるりと身震いする。

 

「固有結界……確かにこれは帰れねえですわね。初めて使ったのは二ヶ月前のはずですが────あの性格といい、アレイスターを思い出す天才ですわ」

 

 ぱちぱち、とアンナは手を叩いた。

 固有結界とは魔術の秘奥。自身の心象風景と世界を反転させる大魔術。それをノアは詠唱を介さず、敵に悟られることさえなく展開してみせたのだ。

 ノアは額に血管を浮き立たせて、アンナを睨みつける。

 

「俺は確かに天才だがな、人妻に横恋慕したり裁判沙汰になったりヤク中毒になったりしたアホと並べんじゃねえ。今すぐ訂正しろ」

「いやぁー、見れば見るほどあのドアホとそっくりですわ。性格的な意味で。ああ、あと中二病なところも一緒でいやがりましたか。固有結界使えてえらいえらいでちゅわねぇ〜?」

「よし歯ァ食いしばれ!! おまえの顔面をばくだんいわみたいにしてやる!!」

「───だから、そういうところが似てるって言ってるんですのよ?」

 

 アンナは知っている。ノアの固有結界に囚われた場合、たとえ英霊の写し身であろうとも成す術なく討たれる可能性があることを。

 なぜなら、彼の無属性魔術は固有結界内部で最大の真価を発揮する。ゲーティアでさえ死に陥れた一撃を防ぐことは、この固有結界の中にいる限り不可能だ。

 しかして、容易に脱出を許すほど、固有結界という業は温くはない。閉じた一個の世界を抜けるにはそれこそ世界を壊すような一撃か、世界と世界の境界を超える力が必要になるだろう。

 ───あるいは。

 

「『夕映えのむこうの国(Beyond the sunset)』」

 

 世界を新たに生み出す。アンナは固有結界に対抗する術として固有結界を選択した。

 二つの世界が入り混じる。

 白銀の世界を塗り潰す、夕焼けの花園。

 ノアは口元をひくつかせて、自身の世界から夕暮れの花畑を睨めつけた。

 

「……心象風景までメルヘンかよ、アンナ・キングスフォード」

 

 ノアは忌々しげにその名を呼んだ。

 疑念と確信が混ざった問い掛け。魔女は妖艶に微笑み、確かに頷く。

 

「ええ、心は乙女ですので。ウェストコットの脳内彼女と間違えなかったことは褒めてあげますわ」

「ハッ、おまえに褒められるくらいなら場末のスナックでおっさんに愚痴られた方がマシだ。泣く用意はいいか?」

「あたくしもアナタと戦うくらいなら街中のワンちゃんのクソを素手で拾ってた方がマシですわ」

「それもうただの良い人じゃね?」

 

 いつの間にか目を覚ましていた変態配信者サーヴァントは割と本気で疑問を口にした。アンナは彼を踏みつけていた足を退かし、日傘の柄で襟ごと体を引き上げる。

 アンナは自らの固有結界でノアの結界の一部を上書きした。その上で自身の結界を解除すれば現世へ戻ることができる。加えて、無属性魔術が全能と化すのはノアの理で支配された固有結界の内側のみ。アンナの理にある結界の中では、現世と同じように、過度な理想を与えられた無属性魔術は原型を保っていられない。

 

「んまあ、神代回帰でもしたらあたくしの結界では上書きできなかったでしょうが……あんなもの、やすやすと使えませんわよねぇ?」

 

 アンナは脱兎の如く走り出した。固有結界を解いた際は、現実での位置に戻される。それはいち早く逃げるための助走だった。

 

「───させるか」

 

 一瞬遅れて、ノアもまた結界を解除する。自身の結界内に留まっていては外界へ脱出したアンナを追うことはできない。

 全身に強化魔術を張り巡らせ、地面を蹴る。アンナは目にも留まらぬ速度で間合いを詰めるノアを双眸で捉えた。

 

「ッシャ逃げますわよ異常性癖者ァ!!」

「オッケー……とでも言うかと思ったか?」

「は???」

「そんな訳でオレも固有結界───『逸楽に染まる薔薇の褥(ロサ・クビクルム)』!!」

「なにやってんですのこのおファ○クダボハゼクソ野郎!!?!?」

 

 ノアの誤算は、固有結界を扱う者がアンナ以外にも存在したこと。

 彼とノアのたった二人を残し、世界は反転する。

 そこは奢侈を尽くした装飾にまみれた閨房。甘ったるい香の匂いが鼻をつき、蒸れた空気がじっとりと肌にへばりつく。ノアは思わず顔をしかめた。

 

「実は、最初からお前に目をつけてたんだ」

 

 薔薇の花弁が散る褥に身を預け、その英霊はなまめかしく舌を舐めずる。

 

「人生は嘘をつくことを強制される。行きたくもない飲み会に行かされたり、言いたくもないお世辞を言ったりな。まあ、それはいい。下っ端にとっちゃ嘘をつくしかない状況だし、要は自分を守るための嘘だ。それをオレは否定したりしない」

「あ? いきなり語ってんじゃねえ、スケベ野郎が。そういうのはウチのアホ精霊でうんざりなんだよ」

「おいおい、オレはただのスケベじゃねぇぞ? 何度でも心の強さで勃ち上がり、前でも後ろでも使うド級のスケベ、ドスケベだ!!!」

「うるせえ!!!!」

 

 殴りかかるノアの腕を絡め取り、閨に倒れ込む。鼻先が触れ合うほどの距離で、彼は言った。

 

「でもな、ついちゃいけねえ嘘ってのもある。それは自分を偽る嘘だ。本当は七面鳥が食いたいのにチキンライス頼んだりな。そういうのはいけない。自分に嘘をつくことは癖になる。癖ってのは自分を蝕む毒だ。気付けば、そいつは手前の中には『他人に嘘をつき続けた自分』しか残ってないことを知る。そんな不幸はゴメンだろ」

 

 ───その点、おまえは良い。

 するりと四肢を絡みつかせて、火照った音色を囁く。

 

「おまえは自分に嘘をついてない。いつだって自分に正直だ。はっきり言って唆るぜ?」

「そりゃ残念だったな。俺はおまえ如きじゃあこれっぽっちも興奮しねえ。欲求不満なら独りで慰めてろ」

「えー、仕方ねえな。オレは無理やりされるのは好きだけど無理やりするのは嫌いだしな、諦めるしかねえか」

「おう諦めろ。ついでに自分の命もなァ!!」

 

 ノアは拘束を抜け出し、相手の顔面目掛けて拳を叩きつける。

 並の魔術師なら頭部の原型がなくなるほどの一撃を避けもせずに受け止め、拳の向こう側で笑みを形作った。

 

「SとMってのは支配と服従の関係に喩えられるが実際相手を支配してるのはMの方らしい。言い得て妙だよな」

「使い古された言い回しだな。ただ俺には当てはまらねえ。なぜなら俺はド級のサディスト、ドSだからだ!!」

「ハッ、そりゃああの娘が大変そうだ。けどあめぇな、M歴もS歴もオレの方が経験豊富だぜ。サドの真髄ってのは何か知ってるか?」

「うるせえ、おまえの持論をこれ以上聞いてられるか!!」

 

 彼は鼻から垂れた血を拭い、それを舐め取る。

 

「───常にマゾの想像の上を行くこと。お前もそういうサドであれよ?」

 

 次の瞬間、ノアの視界は薔薇の花弁で覆われた。

 天井に張られた幕が切り落とされ、密室に雪崩れ落ちる薔薇の洪水。一室が花弁で満たされると同時に結界は開かれ、ノアは薔薇の雪崩に呑まれながら現世へと帰還する。

 

「うごあああああッ!!!」

 

 薔薇に流されて漂着したノア。立香とグレイ、アンナはスマホ片手にそれを眺めていた。

 

「あ、やっと帰ってきました。なんかアトラクションみたいな固有結界だったんですか? ちょっと楽しそうなんですけど」

「まーアトラクションには違いありませんわ。イケない夜のアトラクションですが」

「大人の遊園地というアレですか? 拙もいつか師匠と行ってみたいと思ってました」

「いやグレイさん、大人の遊園地っていうのは……」

「こんな時に呑気に話してんじゃねえぞマヌケ女ども!!!」

 

 ノアは花弁の中でもがきながら怒号を飛ばした。ソル子くんは跳ねるようにアンナのもとへ駆けつけ、わざとらしく眼を潤ませる。

 

「おーい、フラレちゃったよ。はよけぇるべ」

「テメェのせいで遅れたんですがァ!?」

「あん? アンナだってあの娘らと連絡先交換してただろ。とっとと逃げて令呪でオレを呼び出しゃよかったのによ」

「あたくし、仕事とプライベートは分けるタイプですので。お車を出してくださる? ライダー」

 

 ライダー、そう呼ばれた少年はここまで乗りつけてきたライブカーに飛び乗った。

 

「いいぜ、乗りなお姫様。かぼちゃの馬車とはいかないが、乗り心地は極上を約束してやるよ」

「あら、テメェも紳士的なことを言えたんですのね? 特別にエスコートされてあげますわ」

 

 ああ、その前に。アンナは呟き、銃口のように指先をノアへと向ける。

 

「『水底の妖女(ルサルカ)』」

 

 ようやく薔薇の洪水から這い出たノアの足元が、どぷんと波打つ。

 月明かりなき夜の湖のように、黒々とした水面から枯れ枝じみた両腕が飛び出す。それは見た目とはかけ離れた怪力をもって、ノアの両足を水中へと引きずり込んだ。

 

「うおおおお!! なんでまた俺だァァァ!!?」

「あの二人は拙が追います。立香さんはあの人を引っ張ってあげてください!」

「は、はい!」

 

 グレイは疾風の如き速度で車を追った。一方、立香はノアの両手を掴んで、水底からの手と綱引きを行う。

 

「おい絶対放すなよ! フリじゃねえからな!?」

「分かってますよ! むしろ私ごと引きずり込まれそうなんですけど!?」

「ふざけんな気合い入れろ気合い! 俺の足が引きちぎれてジオングみたいになったらどうすんだ!?」

「安心してください、ノアの足がちぎれてもジオングにはなりません。ガンタンクです! ノアタンクです!!」

 

 と、不毛な悪戦苦闘を繰り広げる二人のもとに、全力疾走のエルメロイⅡ世が近付いてくる。彼はその勢いのままに、超低空ドロップキックを水底からの手に突き刺した。

 ぼきり、と嫌な音が響き、曲がってはいけない方向にひしゃげた両腕が水中に潜り込む。

 エルメロイⅡ世は肩で息をしながら、顔面にへばりついた髪をかきあげる。

 

「……どうやら下半身をキャタピラにする事態は避けられたようだな。遅れてすまなかった」

「謝るより先に何してたか言え。そして土下座しろ。話はそれからだ」

「結局謝らせてるんですけど」

「時計塔の関係各所に連絡を取っていた。結論から言うと、宣言書を撒いた連中───便宜的に薔薇十字団と呼ぶが、彼らに対して天文台カリオンから封印指定が発令された」

 

 天文台カリオン。時計塔の地下に広がる大迷宮、霊墓アルビオンの最奥部であり、現状人類が潜行することのできる限界地点。時計塔最古の教室でもあるカリオンが、未だ人数も分からぬ薔薇十字団に対して封印指定を発した。

 エルメロイⅡ世はたばこの煙を吹かして、一息つく。

 

「つまり、時計塔は売られた喧嘩を買った訳だ。まずは近代の魔女───アンナ・キングスフォードを捕獲せよとのお達しだ」

「話はよく分かった。やることは今までと大して変わらねえってことだろ。あと立香は俺から離れろ」

「え、なんでですか」

「あのドスケベ野郎の結界で香を嗅がされた。魔術的な薬なら防げたが、しっかり化学薬品も混ぜてやがった。そのせいで襲いそうだ」

 

 立香は苦笑して、

 

「そ、それはまずいですね。ノアが本気出したら私なんかラストシューティングの時のガンダムより酷いことになりそうですし」

「違う。そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味ですか?」

「エロい意味だ」

「…………ガンドォォォ!!!」

 

 ───一方その頃、グレイは街中を爆走するライブカーを追いすがっていた。

 普通車や軽自動車に比べて扱いにくいはずのトラックが、トップスピードを維持したままにするすると車間を縫っていく。

 グレイが疑問を抱いたのは、そんな常軌を逸した運転技術ではなく。ライブカーが行く先の信号と先行車両がことごとく停止していることだった。

 

「『機械狂わせの小人(グレムリン)』……安全運転でブチかましなさい、ライダー。今なら周りの車は全部ダ○ハツ製ですわ。アナタ一応騎乗Aランクですわよねぇ?」

「いやオレの騎乗スキルは騎乗スキル(夜)だけどな。つーか乗るより乗られてーよ」

「マジで最低ですわコイツ!!!」

 

 ……といった会話を、グレイの研ぎ澄まされた聴覚はしっかりと捉えていた。大部分はまったく読み解く価値のない会話だが、信号と車両の不良の原因に見当はつけられる。

 グレムリン。第一次世界大戦時、英国の飛行機乗りたちの間で噂された妖精。機械にいたずらを行い、不調を起こさせるはた迷惑な小人だ。

 そこから転じて、機械やコンピュータが原因不明の不具合に見舞われることをグレムリン効果と呼ぶようになった。

 

(師匠の授業を聞いておいて良かった……)

 

 如何なる仕組みの魔術なのか、グレムリンによる仕業であることを意識すると、視界の端々にニヤついた小人が紛れ込んで見える。

 彼らは車や信号に取り付き、身の丈に合わない道具で機構を狂わせている。まるで、不定形の靄がグレムリンという名を得て解像度が上がったような感覚だった。

 

(妖精の使役……現代で? あの人が本当にアンナ・キングスフォードだったとしても、近代の頃には妖精なんてみんな世界の裏側に消えているはず)

 

 ならば、アレは『機械を狂わせる魔術』がグレムリンのカタチをしていると考えるべきだろう。

 しかして、グレイのするべきことは変わらない。二人の逃走を阻止し、仲間が到着する時間を稼ぐ。そのために、彼女は己が武装を展開した。

 

「アッド」

 

 鋼鉄の匣が変形する。

 大きく弧を描いた刃。それを振るうための長い持ち手。グレイだけに操ることを許された武装、『死神の鎌』。

 彼女はその刃を、明らかに間合いの外から振りかぶった。

 

「あんなとこから振っても届かな───」

「───頭をお下げやがれませ、ライダー!!」

 

 アンナはライダーの後頭部を掴み、同時に屈む。

 その直後、突風が二人を吹き付ける。

 グレイの鎌による斬撃。それは空気中に真空を生み出し、あろうことか前方を走る車の上部をすっぱりと切り落としていた。

 ライダーは爽やかに笑って、

 

「ははっ、風通しが良くなって助かったぜ! さっき媚薬嗅いだせいでカラダが火照ってたからな!! ってかあの娘サーヴァントじゃねえの!?」

「少なくとも、テメェらと違って霊体ではありませんわね。あたくしが止めますので、運転頼みましたわよ」

「マスターが矢面に立つ必要はないだろ?」

「アホですの?」

 

 魔女は当然のように言い切る。

 

「───()()()()()()()()()()()()()()。文句は? ライダー」

「…………ねぇよ、マイマスター!!」

 

 アンナはランウェイを往くモデルのごとく、風が吹き荒れる車両後部へと歩いた。

 

「さて」

 

 ───アンナ・キングスフォード。

 幼少の頃より神秘的な事象に触れ、妖精と戯れる生活を送っていたと言われる、近代魔術史の絶対的偶像(アイドル)。彼女の存在は後に魔術界を席巻する一団、黄金の夜明け団の創設者であるウェストコットとメイザースに多大な影響を与えた。

 エレナ・ブラヴァツキーを反キリスト教の魔女だとするならば、アンナ・キングスフォードはキリスト教を奉じる魔女であると言えよう。事実、アンナはエレナとの思想の違いから、神智学協会のロンドン・ロッジの会長職を辞し、ヘルメス協会を設立している。

 しかし、彼女は絶大な人気を集めた。それは絶世の美貌故か、当時の女性にして医学学位を取得した知性故か、はたまた、その魔術の腕前故か────とにかく、アンナ・キングスフォードとは、彼女の信奉者たちにとっては女神にして預言者であるほどに崇められていた。

 そして、ここに。

 アンナ・キングスフォードの魔術はベールを脱ぐこととなる。

 

「グレイさん。全力で防御なさい。殺すつもりは毛ほどもありませんが、万が一がありますので」

 

 当然のように、彼女は敵に塩を送る。

 それは当たり前だ。薔薇十字の信義のもとに、全ての人間は救済の対象であったから。

 

「時に、アナタが最初に憧れた存在は何でした? あたくしは……ダーリンと一緒に読んだ絵物語の主人公。お姫様を救うため、竜と戦う騎士のお話でございましたわ」

 

 その時、アンナの両眼が妖しく煌めく。

 グレイはそれが魔眼───妖精眼であることを察した。

 

「これは、そんなお話」

 

 妖精が持つ、世界を切り替える視界。

 あらゆる生物の心を見抜く、真実の魔眼。

 魔術回路の励起とともに、魔眼の機能までもが起動した、その証左だ。魔眼を持つ魔術師は眼の扱いが卓越すると、魔眼が生成する魔力を利用することができる。

 アンナ・キングスフォードがその域に達していないはずがない。グレイが歩調を早めたその時、脳内に情報が流し込まれる。

 

「───え?」

 

 ……むかしむかし、あるところに。毒を吐く竜が街の人々を苦しめていた。その被害を避けるため、都市の人々は毎日生贄を捧げ、竜の目溢しを得ていた。

 人間の数は無限ではない。生贄となる運命は王の娘にも降りかかり、命を奉じることとなる。

 けれど、そうはならなかった。

 とある騎士が街を訪れ、槍の一撃にて邪竜を討伐することに成功する。

 グレイが見たのは、そんな物語。

 アンナ・キングスフォードは著書においてこう語っている。

 ───〝畢竟、思考の最高形態は想像なのだ。人は想像から歩み出し想像へと至る。真実そのものは語り得ない。最も崇高なる形而上学は純粋に象徴的なものだ、人口に膾炙した伝説と同じく。〟

 故に、その伝説は、カタチを持って現世に現れた。

 真実ならぬ、現実ならぬ、想像と夢想によって。

 

 

 

 

 

 

 

「──────幻想綺譚(Mystical Phantasm)騎士・聖ジョージ(St. George the Chevalier)』」

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、一陣の風がグレイを跳ね飛ばした。

 否、それは風などではない。魔力によって実体を得た、ひとりの騎士。白馬にまたがり、長大な槍を携えた聖人───聖ジョージ、ゲオルギウス。

 それは紛れもなく、竜殺しの一撃。たとえ全力とは比べ物にならぬ威力、手加減をされていたとしても、その事実は不動だ。

 

「かっ……はっ───!!」

 

 グレイはアスファルトの地面に転がり、頼みの綱の武器でさえ手放していた。肌の隅々が怖気立ち、全身がびりびりと震えている。

 そして、思う。

 

(魔術の次元(スケール)が、違う)

 

 想像を介して聖人の写し身を創り出すなど、アンナ・キングスフォード以外には二人として存在しない。そう確信できるほどの圧倒的実力差。

 せめて、彼らの逃走先は把握する。

 意地と根性で痺れる体を起こし、彼女は見た。

 

「それでは、ご機嫌よう」

 

 アルファベットを象った黒い影に包まれ、この世ならぬどこかへ消える、アンナとライダーの様を。

 そうして、忽然と二人は失せた。下半分だけになったライブカーさえも巻き込んで。グレイが歯を噛み締めたのと同時に、背後から立香たちが駆け寄ってくる。

 

「……すみません、師匠。手も足も出ませんでした」

「相手はアンナ・キングスフォード。当時の時計塔も始末できなかった魔女だ。気を落とすことはない」

「問題は薔薇十字団がどう出るか分からねえってことだ。いつまでもこのままだと後手を踏み続けるぞ」

「おお、久々にノアが真面目になってる……けど、実際問題どうします?」

 

 立香の問いに答えたのは、ノアでもエルメロイⅡ世でも、グレイでもなかった。

 彼らの足元から、妙にダンディな声が響く。

 

「薔薇十字団の行動は分からずとも、奴らが狙うモノは分かる。そうすれば自ずと動きも読めてくるだろう」

 

 八つの眼が下を向く。

 そこには先鋭的なデザインをした大根が屹立していた。どれくらい先鋭的かと言うと、目玉がいくつもあって金と赤の豪奢な見た目をしているくらい先鋭的な大根だった。

 その大根はどうやってか人語を発していた。

 

「我が名は魔神柱バアル。貴様ら(カルデア)に負けた借りを返しに─────」

「よし、千切りにしてテムズ川に不法投棄してやる」

「そうですね。包丁持ってきます」

「────うおおおおお待てェェェェ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルデア、管制室。

 新所長ゴルドルフ・ムジーク歓迎のため、パーティ風の装飾をされた室内は重々しい沈黙に包まれていた。

 マシュはパーティ帽を被り、特大クラッカーを抱えながら、感情の失せた目で呟くように言った。

 

「……星飛雄馬さんがクリぼっちを過ごしたあの日、彼はこんな気持ちだったのでしょうか」

「ネットでは茶化されているようですが、私は涙なくして見れませんでしたねえ。野球ロボットと揶揄された彼がせっかく変わろうとしていたのに……」

「モルガンが円卓の騎士集めてももう少し盛り上がるよな」

「あなた様、それはそもそも集まらないと思いますわ」

「ええ、むしろすっぽかされてるの私たちですし」

 

 カルデアスタッフ&Eチーム一同は一様に暗い面持ちをしていた。ゴルドルフ歓迎会の準備を終えてから数時間もの間、彼らは待ちぼうけをくらっていたのである。

 加えて、その途中でソル子くんの配信を視聴していたムニエルが宇宙猫と化し、自室に逃亡。立香とノアのやり取りで脳を破壊されたマシュの愚痴を、一同は聞かされ続けていたのだった。

 そこで、眼鏡を装着したダ・ヴィンチちゃんが管制室に舞い戻った。彼……彼女はノートパソコンを両手で支えている。

 

「みんな、片付けに取り掛かろうか。ゴルドルフ新所長はどうやら飛行機ごと失踪したみたいだ」

「え、何があったんですかねえ!?」

「分からないけど、大方は想像つくんじゃないかな? ほら、ソル子くんの配信に出てた薔薇十字団だよ。その仲間が拉致したと思われる。明確な根拠は乏しいけどね」

「ソル子くん……配信……先輩……ウッ! の、脳が───ッ!!」

「くどいわアホなすび!!」

フォフォウフォウフォウ(誰かこいつどうにかしろ)

 

 ガクガクと痙攣するマシュ。それを尻目に、ダ・ヴィンチは五枚のIDカードを取り出す。

 カードのそれぞれには、Eチームサーヴァンツの顔が印刷されている。ダ・ヴィンチちゃんはその一枚一枚を手渡した。

 

「まあそれはそれとして。みんなカルデアでのすし詰め生活も飽きただろう? 少し息抜きに行ってくると良い」

「……現代だとこのカードが鍵代わりになるんだったか? オレたちが外に出て良いのか」

「ペレアスさんの疑問はもっともだ。だけど心配はいらないよ。なにしろ魔術協会はアトラス院のはからいだからね」

「色々と胡散臭さが増してきましたわ」

 

 リースはむっと頬を膨らませる。

 アトラス院。選ばれたひと握りの天才しか門を叩くことさえできぬ、巨人の穴倉。第六特異点で訪れた際は迷宮のような造りをしていたように、神秘の秘匿にはそれこそ時計塔より厳しいと言えるだろう。

 そんな組織が、わざわざバカンスの手配をするなど考えられない。言い出しっぺがダ・ヴィンチちゃんということもあり、一同の警戒度は跳ね上がった。

 しかし。マシュはきらきらと目を輝かせて、カードを握りしめる。

 

「───行きましょう! 初めて現代の外界を見ることができるなんて機会を逃す訳にはいきません!! たとえそれが罠であったとしても!!」

「…………そういえばアンタ重い過去持ちだったわね」

「それを感じさせないくらいになったのは良いことですけどねえ。百聞は一見に如かず。私も現代の世界を目にしてみたいです」

「まあな、シュミレーターで体を動かすのも飽きてきた頃だ。ノアたちみたいな騒動に巻き込まれることもねえだろ」

 

 ダ・ヴィンチちゃんは満足気に頷いた。

 

「うんうん、話は決まったみたいだね。残念ながら私は大仕事があるから行けないけど、気にせず楽しんでくれたまえ」

「それで、どこに行くんです?」

「よくぞ訊いてくれたねジャンヌちゃん。みんながバカンスを過ごすのは我らがカルデアの大事な金づる、『海洋油田基地セラフィックス』だ!!」

フォフォウフォウフォウ(もはや嫌な予感しかしない)

 

 海洋油田基地セラフィックス。マリスビリー・アニムスフィアの財産のひとつであり、石油のみならず魔術的資源をも産出する一大プラットフォームである。

 …………その基地には、ひとりのセラピストがいた。

 仏教徒でありながら教会区を割り当てられたことに辟易しつつも、持ち前の善性と知性でセラフィックスの職員の心をケアする。

 殺生院キアラ。彼女は今日も人の悩みと向き合っていた。

 黒い髪と蒼い瞳の青年。彼の悩みはつまりこうだった。

 

「……エジプトで永久機関を開発していたら、あれよあれよという間に捕縛されて、セラフィックス送りにされた、と。それは大分不憫ですね」

「はい。それにこんなこと履歴書にも書けないし、コネもないし、リストラされたらニート一直線なんです。未来がお先真っ暗なんです。どうしたら良いですか」

「俗世の流れは一個人にはどうにもできぬもの。まずは解決を求めるのではなく、いま自分にできることを考えましょう」

 

 キアラは青年の手を握り、

 

「大丈夫、私は貴方の心根の清らかさを知っています。ともに向き合っていきましょう」

 

 彼の名を、呼んだ。

 

「───ねえ、()()()()?」

 

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