自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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忙しくて盛大に遅れてしまいました。申し訳ございません。


第87話 ぶっちぎりの海上決戦〜怒れる魔女に火をつけろ〜

 終局特異点、冠位時間神殿の決戦において、ソロモン王の使い魔たる七十二柱の魔神は敗北を喫した。

 神殺しのヤドリギによる各個同時撃破。総体を担うゲーティアの消滅。これらの要因により、人理焼却の元凶、七十二柱の魔神はことごとくが永遠なる死を迎えた────そのはずだった。

 彼らを滅したのが二つの要因だったとすると、彼らを生かしたのは奇しくも、同じ二つの要因であったと言えよう。

 遍く神、遍く不死を殺すヤドリギ。その本質は死によって魂の穢れを祓い、復活の可能性を与える宝具。そして、総体を司るゲーティアの死からの再生。

 七十二柱の魔神たちは個々の経験を共有する。人として最期の戦いを挑んだゲーティアは魔神柱の力を行使することはなかったが、総体の再生により分体の意識が覚醒。かくして彼らには二つの選択肢が舞い降りることとなった。

 このまま敗北を認め消滅するか。

 または、戦いを離脱し再起を図るか。

 多くの魔神は前者を選んだ。冷徹に、冷淡に、どこまでも合理的に。カルデアは星のことごとくを焼かれた状況から逆転してみせた。まして、こちらが不利な立ち位置からカルデアを打ち倒すなど勝算に乏しい、と。

 ───だが、たとえどれほど薄い勝算であっても、可能性が残っているのならば。

 そうして、五柱の魔神は復活を果たした。

 バアル。

 アンドラス。

 ゼパル。

 フェニクス。

 ラウム。

 それぞれが新たな特異点を創り出し、己が目的の成就のために───────

 

「いやいやいや、それはないでしょ。古の少年漫画じゃあるまいし、敵キャラのリサイクルで引き伸ばしとかありえねぇー。所詮ネロさまの前座なんで、ちゃちゃっとおっ死んでくれます?」

 

 ───時空と次元の狭間。漆黒が満ちる空間に、その女はいた。

 目深にフードを被り、毒々しい笑みを広げる妖女。目に悪い色合いのきのこを山盛りにした籠を両手で抱え、亡霊のように佇んでいる。

 だが、所詮は英霊の写し身が一騎。対するは魔術王の使い魔、その真体が五柱。油断も慢心もなく、必ず勝利できると断言できるほどの実力差があった。

 そして、彼らは知っている。

 ヒトは矮小ながらも理屈を超えた力を発揮することがある。一度定まった運命すらも捻じ曲げる、理外の境地に到るこおがある。

 故に、掛け値なしの全力を最速で叩き込む────その、瞬間だった。

 

「やめておいたほうがいいよ、ロクスタ。きみじゃあ彼らには勝てない。大方、王様に良いところを見せられるとか言ってシモンに騙されたんだろうけど」

「…………え、マジです?」

「うん。マジのガチだよ」

「───あっ、あの野郎ォォォッ!! あたしのきのこの山をたけのこの里に変えるだけでなく、死地に送り込みやがった!!」

 

 ロクスタと呼ばれた英霊は目を剥いて絶叫する。

 魔神は虚空に響く声を聞いた瞬間に攻撃を中止していた。手を止めていなければ、殺されていたのは自分たちだという確信を抱いたが故に。

 彼らの戦慄する心情を知ってか知らずか、ロクスタはところ構わずに愚痴を吐き散らかした。

 

「大根を伐採するだけの簡単なお仕事って聞いてたのに! ネロさまへの三分の一の純情な感情を利用しやがって!!」

「残りの三分の二は?」

「愛しさと切なさと心強さです! 生前からシモンのやつは気に食わなかったんですよ、自分がネロさまの一番の忠臣ですみたいな顔してェ! マジ殺っていいですか、殺っちゃっていいですか!?」

「ぼくはシモンもロクスタも好きだからそれは困るな。そうだ、ぼくが頭を撫でてあげるよ。これでもお母さんだからね」

 

 にゅん、と虚空を満たす影が渦巻く。

 蛇の頭を模した、赤いパーカーの子ども。その衣服が表すように、瞳は細く鋭く切り立ち、舌の先は二つに割れている。ソレは影より形を成し、異次元の空間を踏み締めた。

 すると、ガラスが砕けるような音を立てて、空間に放射状の罅が入った。ヘビパーカーの子どもはきょとんとした表情で、

 

「……あっ、物質界壊れちゃった。どうしようロクスタ」

「あぁ〜、迂闊に実体化するからですよ。ほら、足で均してください足で」

「プールの中で放尿した時みたいな対応でいいのかい?」

「はい。プールで膀胱が決壊した時も、公園の砂場で肛門が崩壊した時も足バタつかせときゃなんとかなります。万事解決です」

 

 五柱の魔神は、絶句していた。

 目の前で繰り広げられるアホな会話にではない。

 時間神殿にてカルデアと衝突する以前、ゲーティアはシモン・マグスの異聞世界に殴り込んだ。結果は痛み分け───ゲーティアが消耗を避け、敵を見逃したのだ。

 ゲーティアと戦ったヘビパーカーの子ども。姿形は変わらぬというのに、魔神たちは以前に見たソレを当てはめることができなかった。存在の格そのものが遥かに高まっていたから。

 魔術の世界では生命の質量は四つの分類で位置付けられる。小さく重いもの、大きく重いもの、大きく軽いもの、小さく軽いもの。ちょうど物質の三態のように、前者ほど質量が高く、後者ほど質量が軽くなる。

 すなわち、ヘビパーカーの子どもは大きく重い/軽いものから、小さく重いものへと変化した。そしてその質量はただ空間に在るのみで、この世界を破壊したのだ。

 極論。ソレは地球上を歩くだけで人類のテクスチャを踏み砕き、星の表面を露わにすることができるだろう。

 存在するだけで世界を滅ぼす獣。魔神の心胆は凍りつき、頭脳の活動を停止させた。

 ヘビパーカーの子どもは一通りバタ足で周辺の空間を粉々にすると、五柱の魔神せと向き直る。

 

「きみたちに恨みはないけれど。ぼくはきみたちを殺す(喰う)よ、ビーストⅠの眷属。ごめんね」

 

 ……いや、違うな。

 ソレは両手を合わせて、告げる。

 

いただきます(おかえりなさい)

 

 その宣告よりも前に、五柱の魔神は逃亡していた。

 捕食者に追われる小動物のように。それが如何に無様であるかなど頭にもなく、全ての建前を振り切って退避する。

 一刻一瞬でも速く早く疾く、現世へと逃れる。人類の上位種として、死を克服した超越者としての矜持は足を引く重りにしかならなかった。

 

「あ」

 

 刹那。極めて短い時間を指す単語。それを数字にした場合、どれほどの秒数なのかは定義が分かれるところだが────彼らが捕食されたのは、たった0.000000000000000001秒のことだった。

 この次元の狭間を埋め尽くす影は顎だ。闇に包まれるとはすなわち、口腔の内に放り込まれているに等しい。

 だから、後は咀嚼して飲み込むだけ。

 アンドラス、フェニクス、ラウムの三柱は文字通り刹那の合間に噛み砕かれた。魂の一欠片も残さずに。魔神柱随一の再生力を誇る不死鳥でさえ、その権能が絵空事であったかのように、胃の腑へ送られた。

 バアルとゼパルが命を拾ったのは、ひたすらに幸運だったと言える。自身の存在の九割九分を置き去り、なけなしの分体を現世に放逐した。人間がパンを食べる時、一欠片にも満たない微細なパンくずをわざわざ口に運ぶことがないように、魔神の分体は捕食者の目に留まらなかったのだ。

 

「うへぇ〜、いつ見てもえげつないですねぇ。あなたが勝てないヤツとかこの世にいるんです?」

「たくさんいるよ。例えば……ぼくじゃあきみの毒の扱いはマネできない。ほら、きみの勝ちだ」

「あ、なんか敗北感。度量のデカさで負けた気がします」

「ふふ、勝敗とか強弱なんてそんなものさ。大切なことだけど、大切にしすぎちゃいけない。難しいことだけどね」

 

 人智を超えた魔神たちは初めて知った。

 成す術もなく一方的に屠られる矮小なモノの想い。被捕食者が抱く恐怖。自身が持つ理が塵のように踏み躙られる絶望。

 何よりも、心に刻みつけられたのは。

 

 

 

「ぼくは強いよ。きっとね。でも、それだけだ」

 

 

 

 たとえこの先いくつもの歓楽を得ても拭うことのできぬ、屈辱だった。

 魔神ゼパルが漂着したのは洋上のメガフロート。自在に浮上・潜行を可能とする、移動型の採掘基地。石油の採掘のみならず、龍脈を掘ることで魔術資源をも産出する、カルデアの暗部だ。

 残飯にたかる虫のように、ゼパルは少しずつ採掘された資源を食み、時にはヒトが廃棄した食糧をも漁った。とうに自身を誇り高くあらしめる尊厳は失われていたから。

 傷の治癒と並行して、セラフィックス全体に根を伸ばし、計画の核たる人間を見つけた。

 殺生院キアラ。いつかどこかの世界で───あるいは、この世界の未来で、月の地平にて全能を手に入れた魔性の菩薩。未だ穢れ無き魂をその姿に染め上げる。

 たとえカルデアがゲーティアを斃したとしても、シモン・マグスが水面下で暗躍していようとも、舞台がなければ役者は踊れない。故に、世界を壊すことでゼパルの復讐は成し遂げられるのだ。

 回復に手間取り、セラフィックスを手中に収めるまでは相当の時間を費やしたが、もはや計画はあと一歩で始動する。

 特権職員数人の精神に寄生し、適当な名目をつけて所長と副所長を一時セラフィックスの外に送る。その間に体制を改変し、来たる電脳化発動後の布石とした。

 その、矢先だった。

 

「ダ・ヴィンチちゃん特製超音速ジェット機で数時間……ついに来ましたね、セラフィックス!!」

「あまりにも展開が早すぎて旅行気分をカルデアに置き忘れてきたわ……」

「いやあ、高所恐怖症なので心配だったのですが、高さも度を越すと恐怖とかなくなるんですねえ」

「……飛んでる間ずっと白目剥いて気絶してたけどな。まずはどこに行けばいいんだ?」

「寝室ですわね。閨の大きさによってすることが変わっ」

フォウフォウフォフォウ(同じことしかヤッてねえんだよ)

 

 見覚えがありすぎるアホどもが、この地に降り立っていた。

 

(────ふ、ざけ…………ッッ!!)

 

 自らの計画が根底から崩壊していく音を聞いて。

 それでもまだ、ゼパルが運命を呪うに至るには早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 欲とは、全ての生物が備えた機構だ。

 自己を生かすために他者を喰らい、自己を増やすために他者と繋がる。欲望がなければあらゆる生命体は一代限りで途絶えていたに違いない。

 この地球で、食物連鎖の頂点に立つ生物種は他種とは一線を画す欲の強さと複雑さを獲得した。

 快楽を得るために苦痛を刻む。好きなのに悪態をつく。愛しているから殺す。怖いはずなのに目を逸らせない…………果ては、自分でもどうしたいのかが分からない。

 複雑怪奇で多種多様な心の働き。生物にとってなくてはならない、しかし時に命を滅ぼす欲望の宿痾。殺生院キアラは、生涯を懸けて人々の欲に寄り添うことにした。

 そんな彼女はいま。

 何の因果か、魔術世界における最高位の使い魔たちと顔を合わせていた。

 

「よ、ようこそセラフィックスへ! 職員一同、皆さまのご到着を心待ちにしていました! 恐れながら私は殺生院キアラと申します! ご要望等ございましたら何なりとお申し付けください!!」

 

 キアラは運動会で選手宣誓する生徒の気持ちで言い切った。なにしろ相手は人類史に名を残した───若干一名怪しい騎士がいるものの───魔術世界における最高位の使い魔である。

 曲がりなりにも裏の世界に身を置く者ならば、その希少性が絶大であることは脳髄に染みている。魔術師の中にはサーヴァントを強力な使い魔としてしか認識しない者もいるだろうが、生憎キアラはそこまで淡白な物の見方はしていなかった。

 キアラの言葉を受けて、マシュたちは感嘆の声をあげる。

 

「そうかしこまらずともよろしいですのよ? サーヴァントだからといって、人より偉い訳ではありませんので」

「むしろ常識人的な反応が貴重すぎて戸惑ってるくらいです。ウチの現代人はアホばっかりだったから」

「ジャンヌさん。わたしも一応現代人ですが? Aチーム首席ですが?」

「アンタはヒトヒトの実を食べたなすびでしょうが!!」

 

 マシュとジャンヌはバチバチと視線をぶつけ合う。ダンテは親の喧嘩より見た喧嘩を差し置いて、キアラの右横を手のひらで指した。

 

「と、ところで、そちらの着ぐるみの方は一体……?」

 

 キアラの横には球体が並び立っていた。ビリヤードの九番ボールを模した着ぐるみから白いタイツを纏った四肢が飛び出している。

 無言で佇む九番ボールは有無を言わせぬ物々しい威容を放っていた。威容というか異様だが。

 キアラは苦笑しつつ、

 

「こちらセラフィックスのマスコットキャラクター、セラフくんです。特技はイレギュラーを排除することです」

「いやそいつ自身がイレギュラーなんだが。コンセプトからして周りから浮きすぎ……」

「セラフィックスは海に浮いていますからね」

「それ絶対今考えましたよねえ!?」

 

 ダンテの追及に、キアラはさっと顔をそらす。セラフィックス経営陣が酒を飲んでゲームをしながら考えたマスコットをこれ以上紹介できるほど、彼女の精神は厚かましくできていなかった。

 こほん、と咳払いを挟んで強引に会話を仕切り直す。

 

「それではさっそく、施設を案内させていただきます。本来なら所長と副所長の仕事だったのですが……」

「確かにそうですね。セラフィックスはカルデアの下部組織ですから。ちなみにわたしたちの新所長は上空10000mで失踪しました」

「奇遇ですね。こちらの所長と副所長はハワイ旅行に行ったきり音信不通になりました」

フォウフォフォフォウ(もう終わりだよこの組織)

 

 フォウくんはケッと鼻を鳴らした。

 マシュたちに数時間の待ちぼうけをくらわせたゴルドルフ・ムジーク。彼が今どこにいるのかは定かでないが、セラフィックスはよりにもよってトップ二人が不在という有様である。

 上がいなくても日々の仕事はこなせるが、上がいなくては組織そのものは動けない。仮にもフィレンツェの頂点に昇り詰め、統領の地位を得たダンテは苦い顔をして言う。

 

「それは大変ですねえ。魔術協会の人たちは知っているんですか?」

「はい。目下捜索中だそうです。そちらの新所長さんも?」

「みたいね。下手人の想像はつきますけど」

「そういえば、ムニエルのやつが見てた配信の後にノアと立香ちゃんから連絡が来てたな。薔薇十字団が何とか……」

 

 ペレアスがそう言うと、セラフくんは残像が生じるほどの速度で痙攣した。

 

「───ケホッ! ゲホォッ!! ンン゙ッ!!!」

「…………いきなりセラフくんが動揺し始めましたが、何か中の人の琴線に触れるようなことがあったのでしょうか」

「実は薔薇十字団のメンバーでした、みたいなオチじゃないでしょうね」

「い、いえ、中の人は元々魔術とは関わりのない一般の方でしたので、それはないかと」

「でしたら当てっこですわね! みんなでセラフくんの闇を暴いてみせましょう!」

 

 リースは晴れやかな笑みで言う。

 人の心に平然と踏み込む言動はまさしく妖精と言う他なかった。ペレアスを除いたEチームサーヴァンツはぼんやりとリースが上位存在であることを思い出したのだった。

 が、Eチームは八つの特異点で多くの英霊に無様を晒させた集団である。ここで二の足を踏むようでは、あの旅路が廃るというものだ。

 彼らは英霊の座から送られてくる恨みの念を背負いつつ、次々と口を開いた。

 

「ノアのアホじゃねえのか? あいつが世界中でやらかした被害者だろ」

「…………」

「いえ、ムニエルさんのオタク仲間という線もあるかと」

「…………」

「それではやはり、立香さ」

「ゲホッ!! ゴホッ! ゴホオッ!! ……ウォエッ!!」

「分かりやすすぎませんかねえ!?」

 

 嗚咽するセラフくん。ダンテはスキルを介して彼の心を感じ取り、思わず叫んだ。

 セラフくんは魔術の世界に身を置くノアとムニエルではなく、元一般人の立香に反応した。意味不明なコスプレと相まって怪しさが昇天ペガサスMIX盛りだが、マシュはなぜか得意気に頷いた。

 

「なかなか目の付け所が良いですね。わたしの先輩こそが人理修復の立役者ですので。後輩として鼻が高い限りです」

フォウフォフォウ(そういう話だったか)?」

「魔術の世界じゃあ今や有名人だろうし、知っててもおかしくはないよな。……待て、そうなるとオレの知名度もうなぎ登りなんじゃねえか!?」

「大丈夫ですペレアスさん。あなたは今も昔もマイナー円卓の騎士です」

 

 すかさず、ペレアスの手刀がダンテのつむじに振り下ろされる。なお、Eチームの人理修復録を視聴した人間のペレアスへの感想は〝地味に活躍してるが地味に記憶に残らないのでやっぱり地味〟というのが大半であったという。

 そんなこんなで意味のないやり取りをしていると、セラフィックス観光ツアー一行は畳張りの広間に着く。

 全体的に褪せた色彩の空間に、これまた色味に乏しい作業着の職員たちが点々と転がっている。表裏の技術を集めて造った場所とは思えないほどに、そこはしけ込んでいた。

 キアラは固まった表情筋をぎこちなく笑顔の形にする。

 

「ここが一般職員の居住区画です。カルデアから派遣された特権職員は個室を与えられていまして、皆さまにはそこに泊まっていただきます」

「職員の待遇に差がありすぎませんかねえ!? 労基に立ち入られたら一発アウトですよ!」

「もしかして、カルデアは悪の組織だったのでは……?」

「マシュさんが言うとめちゃ重い発言ですわね」

「というかほぼ地下帝国なんですけど。カルデアじゃなくて帝愛グループの傘下じゃないの、ここ」

 

 ジャンヌは平坦な口調で述べた。九番ボールの着ぐるみがかたかたと震え始め、か細い声をひねり出す。

 

「知ってますか、人間は重労働の後にキンキンに冷えたビールを流し込むと全てがどうでもよくなるんですよ。おかげでペリ……お金がすっからかんです」

「いまペリカっつったか?」

「でもここでの暮らしもそこそこ悪くないんですよね。夜な夜な開催されるチンチロ大会で資金も増やせますし。最終的には班長が勝つんですけど。やっぱり持ってる人間は違うんですかね」

「その班長スピンオフとか出たりしてるだろ。絶対グラ賽使ってるだろ。どうなってんだセラフィックス!!」

 

 ペレアスは肩を怒らせて、セラフィックスへの疑念をぶちまける。ノアや立香ならばなんだかんだで順応するところだが、ペレアスはエタードとエクスカリバーにさえ触れなければ比較的常識人である。ある意味当時のブリテンに匹敵する現状を見せられ、騎士は立腹したのだった。

 マシュはむすりと頬を膨らませる。

 

「今のところセラフィックスの闇しか見せつけられていないのですが、わたしたちのバカンス気分はどうしてくれるんですか」

 

 彼女は胸ポケットから星型サングラスを取り出し、見せつけるように装着した。

 その横で、リースも開いたビーチパラソルを手持ち無沙汰気味に回していた。人間離れした美貌を構成するパーツが中心にぎゅっと集まるような表情をして、肩を落とす。

 

「海と聞いて水着回を期待しましたのに…………ペレアス様とあ〜んなことやあぁ〜んなことをしようとしようと思ってましたのに…………」

フォウフォフォウフォウ(どっちもあ〜ん♡なことだろ)

「そもそも私たちがここに来たのはアトラス院のお達しだそうですが、いよいよきな臭くなってきましたねえ」

「もう帰っていいんじゃないの。魔術協会に掛け合って薔薇十字団とかいうのをシバくのが先でしょう」

 

 ため息をつくジャンヌ。セラフィックスは到底バカンスなどという陽気な言葉が似合う場所ではなかった。ようやくカルデアでのすし詰め生活を終えられると思った矢先にこれなのだから、一同の落胆もひとしおだ。

 しかし、マシュはジャンヌの黒炎にも劣らぬ熱さの情念の火を総身から立ち昇らせる。

 

「───これは何かの思し召しと見ました! この腐った場所を叩き直しましょう!! 人理を修復したわたしたちなら、それも容易いはずです!!」

 

 マシュ・キリエライトの反骨心は悪魔の如きマスター二人に揉まれ、さらに人理修復の旅路を経ることで鍛え上げられていた。

 ここがバカンスに適さぬ場所だというのなら、場所そのものを改造してしまえば良い。どうせカルデアに戻っても、することは限られているのだから。草葉の陰でロマンが苦い顔をしているのは間違いないだろうが。

 

「それはとても助かります。思し召しと言うと、マシュさんは天主教の信徒でいらっしゃいますか?」

「いいえ、わたしはジャンヌさんはとことんイジる教です!!」

「おい」

「それなら私はペレアス様にイジられたい教ですわ」

「頼むから改宗してくれ!!」

 

 ─────…………と、そんな会話の一部始終を覗く者がいた。

 セラフィックス全土にくまなく配置された監視カメラ。その映像をリアルタイムで端末に反映し、魔神に気付かれることすらなく覗き見る。

 彼女はティーカップ片手に、微笑みながら画面を見つめていた。背景では忙しなく重機が行き交い、金属音を絶え間なく響かせていた。

 

「なるほどなるほど、そうなったか。帰ってこられると面倒なことになりそうだからね。マシュちゃんに感謝だ」

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼女は作業着にヘルメットというスタイルで、ノートパソコンの前にいた。到底ハッキング中の格好ではない。

 すると、端末の向こう側から言葉が返ってくる。

 

「『相変わらず無駄が多いですね、貴方たちは。マスターが不在であればもう少しマシになるかと踏んでいましたが、計算違いだったみたいです』」

「おや、無駄は嫌いかい?」

「『時と場合によります。娯楽においては必要な要素ですが、仕事の無駄は問答無用でカット対象でしょう』」

「そうかな? 私の大傑作アーマードカーくん然り、笑える要素は欠かせないと思うけど」

 

 数瞬、端末から流れてくる声は沈黙した。それがポジティブな意味でないことは明らかである。そして、何事もなかったかのように、会話を続行した。

 

「『それで、進捗はどうです?』」

「君の言う期日には間に合うだろう。第六特異点で得たアトラス院の技術もあることだし、出来は最高を約束しよう。そちらは?」

「『…………第六特異点での貴方たちの振る舞いには色々と言いたいことがありますが、こちらも抜かりなく。アト・エンナとの交信を通じて、彼女らに保護されていた魔神柱バアルの派遣を取り付けました』」

「流石はソロモンの魔神、しぶとさはお墨付きだね。これからの予定は?」

 

 その声は、怜悧に答える。

 

「『様子を見ます。未来予知者同士の戦いにおいて肝要なのは、大局的な優勢を取り続けることではなく、如何に致命的な一撃を以って勝敗を決するか』」

 

 未来予知者にとって、現在の優勢はいくらでも引っくり返すことができるちゃぶ台に過ぎない。仮に同レベルの未来予知者が将棋で戦ったならば、決着は永遠につかないだろう。

 だが、それは手駒に差がなく交互に手番がやってくる状況における、盤上の空論。現実はそうもいかない。

 絡み合う世界線の綾を読み解き、相手を一撃で反撃不能まで叩き潰す。常人には理解すら及ばぬ境地に在りながら、その声は告げた。

 

「『私が導き出した演算結果(世界の行く末)は間違いであったと、証明してみせましょう』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡り、二週間前。

 海洋油田基地セラフィックス所長、ヒデヤス・アジマは副所長のアルミロとともにハワイにいた。

 アジマはマリスビリー・アニムスフィアの采配によって、セラフィックス所長の座に据えられた。それが意味するように、彼は魔術師として優秀な能力と……アニムスフィアが属する貴族主義派閥に相応しい気質を兼ね備えていた。

 すなわち、目的のためならば手段は選ばない。

 必要となればどんなに悪辣で残酷な手段でも、眉ひとつ動かさずに遂行してみせる。それが典型的な魔術師の素質。そういった意味でも、ヒデヤス・アジマは優秀であったと言えるだろう。

 とはいえ。

 優秀、と評価される魔術師たちは知っている。

 この世には、優秀なんて枕詞の形容が端から思い浮かばないほどの化け物がいることを。

 

「は? もう帰んの? マジで? せっかくのハワイなんだからさあ、ビーチでマカデミアナッツ食いながらナンパとかされてえよぉ〜」

「フランス生活でナンパはこりごりですわ。あたくしが何人のナンパ男の足をヒールで粉砕したと?」

「それもうお前の方が悪いだろ。……ちょっとオレのこと踏んでみてくんない? さきっちょだけでいいから」

「さきっちょと言わず心臓までブッ刺してあげてもよろしくてよ?」

 

 結論から言うと、セラフィックス所長と副所長は成す術もなく捕らえられる。

 優秀な魔術師とは必ずしも強い魔術師ではない。魔術師の本分はあくまで研究であり、戦闘ではない。それでも、彼らの魔術は魔女の気を煩わせることさえできなかった。

 おそらく、彼女には片手間にも満たない魔術の行使によって────アジマが放った魔術は弾かれ、同時に意識を埋没させられたのだった。

 そして、アジマが次に目を覚ましたのは、薄暗い部屋の三角木馬の上だった。

 

「……むぅっ!?」

 

 遅れて、自分の現状を把握する。

 衣服はボクサーパンツ一枚と靴下のみ。両手が後ろ手に縛られ、がっちりと猿ぐつわがはめられている。しかし、彼が驚いたのはそれだけではなかった。

 天井から伸びる荒縄。その先に、これまた半裸の副所長アルミロが亀甲縛りで吊るされている。

 

「んむっ! む〜っ!!」

 

 思わず身をよじらせて、言葉にならない声で呼びかけるが、アルミロは微動だにしない。彼の眼は閉じられており、どうやら失神状態にあるようだった。

 瞬間、アジマの脳裏に浮かぶ無数の不吉な可能性。優秀な魔術師であるからこそ、身に覚えがないなどとは言い切れない。

 自問自答を繰り返す内に、部屋の扉が軋んだ音を立てて開く。

 魔女───アンナ・キングスフォード。パイプ椅子を引きずり、アジマの前でどっかと腰をつく。三角木馬に騎乗する男を見上げる瞳は、淡い光を湛えていた。

 

「まず最初に言っておきますわ。あたくしに偽証は通じません。妖精眼(グラムサイト)、と言えば分かりますわね?」

 

 口元を拘束していた猿ぐつわがひとりでに解ける。

 妖精眼。世界を切り替え、真実を覗く魔眼の前ではあらゆる欺瞞が暴かれる。本来は妖精が持つ眼───人間に宿ることなど有り得るのか。

 アジマは身体の芯から来る震えを抑えつけて、

 

「……何が目的だ」

「んー、少し世界を変えようかと。ご安心を、殺すつもりはありませんわ。素直に答えてくださるなら、三食おやつと昼寝付きの快適な生活をお約束しましょう」

「解せんな。私に吐かせたいのなら、自白を強制するなり精神を操作するなり、如何様にでもできたはずだ」

「あたくし、そういう人の心をどうにかするような術は好きませんの。生まれたての赤ん坊から棺桶で半身浴してる老人まで、誰しも尊厳はあって然るべきでしょう?」

「私のこの姿に尊厳があるとでも───!?」

 

 がたがたと揺れる三角木馬。アンナは涼しげな美貌を凍てつかせたまま、短く問い掛ける。

 

「セラフィックスが設立された目的は?」

「海中の石油と魔術資源を掘り起こし、カルデアの運営予算とすることだ。マリスビリー前所長はカルデアスを完成させるために、莫大な資金を必要としていた」

「カルデアス。確か試作一号の制作が1990年で、セラフィックスの運営が開始されたのもその年でしたわね? しかも、カルデアスは南極で開発されたのではなく、どこからか輸送されてきたとか」

「……それがセラフィックスとでも言いたいのか? ありえない。1990年に制作されたカルデアスと、同年に設立されたセラフィックス───時間軸が合わないだろう」

 

 カルデアスの開発には長い時間を費やした。実際、その理論が確立した後でもカルデアスを動かすに足る電力を確保できず、マリスビリーはそのための資金を得るため、聖杯戦争に参加していた。

 運営を開始したばかりのセラフィックスが、カルデアスの試作モデルを南極に輸送するには、あまりにも時間的猶予がない。

 アンナはアジマと間を置かずに告げる。

 

「あら、そこの副所長はセラフィックスがカルデアスを開発したとゲロったのですが?」

「───……ッ!?」

 

 彼は一瞬、表情を引きつらせて。

 その直後、後悔した。

 妖精眼は真実と虚実を見分ける。思わず反応してしまったのが運の尽き。アンナにはこの動揺が真実であると、見抜かれてしまったのだ。

 これは推測ですが、とアンナは前置きして喋り出す。

 

「公的に運営を開始した時期が1990年。セラフィックスはそれ以前に活動を始めていたのでしょう。これなら、1990年の輸送も絵空事ではなくなりますわ。……そうでしょう?」

 

 アジマは目を瞑り、歯を食いしばった。自らの反応で、アンナに真実が悟られてしまわぬように。

 けれど、外的刺激に全く反応を示さない人間などいようはずもない。彼女にとっては、模範解答を見ながらテストを解くようなものだ。アンナはまたしても確信を得て、言葉の刃を突きつける。

 

「つまり、セラフィックスの目的はカルデアスの開発。それを果たした後は、資金源・電力源として存続した……合ってます? これ。あたくしコナンくん見てても、あまり犯人当てられないんですわよね」

「……それが合っていたとして、貴様らに何の得がある」

「カルデアス、造れるんじゃありませんの?」

「────は?」

 

 アンナはパイプ椅子から腰を浮かし、壁に立てかける。アジマの視界から魔女の姿が外れ、硬質な足音が背後に移動した。

 

「セラフィックスにはカルデアスを完成させたデータが残っている……ならば、二基目を製造することもできないでしょうか?」

「不可能だ。カルデアスの開発途上で、幾人ものレイシフト適性者を使い潰した。それほどの無茶をして五年の歳月を要した!! アレはそれほどの魔術礼装だ!!」

 

 アンナは深く嘆息し、小さく舌打ちする。

 

「…………はぁ〜、つまんねぇー制作秘話ですわ。分かりました。お話はここまで。アナタたちはしばらくそこでSMプレイに興じていなさい」

「三食おやつと昼寝付きはどうした!!?」

 

 ばたん、と扉が閉められる。アンナが部屋を出た間近で、薔薇のゴスロリ幼女───クリスチャン・ローゼンクロイツが待ち受けていた。

 ローゼンクロイツは唐突に話を切り出す。

 

「先程未来視をしてな。Eチームサーヴァント諸君がセラフィックスを訪れるようだ。誰が良いと思う?」

「とりあえずテメェ以外で。詩人サマに会ったら厄介ファンと化すのは目に見えていますわ」

「…………むう。ではあの二人に任せるとしよう。ところで」

 

 ローゼンクロイツは深刻な面持ちで呟いた。

 

「パソコンを見ていたらいかがわしい広告と架空請求のメールで埋め尽くされていたのだが、心当たりはないか?」

「────、ライダーァァァァ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マシュたちがセラフィックスを訪問して二日後、ジャンヌはキアラが常駐する教会に足を運んでいた。

 仏教徒が教会に配置されるとは何の冗談なのか。その筋の関係者が聞けば苦い顔をすることは必至だろう。ジャンヌは魔女が教会に足を運ぶこともさして変わりはないと心の中で独りごちながら、教会の門を開ける。

 礼拝堂に響き渡る、神の声よりも聞き覚えのあるEチームマスターズの声。数台のスピーカーから音声が流され、中心には座禅を組むマシュと警策を構えるキアラがいた。

 問題はその音声。

 

「『俺は、俺だけのモノを他人に見せびらかす趣味はない』」

「『そ、れなら……仕方ないですね……』」

 

 あの日、マシュの脳細胞を破壊し尽くしたやり取りが、重奏を奏でていた。

 マシュは修行用の白衣を纏い、両手を擦り合わせながら般若心経を唱えていた。その集中は凄まじく、唖然とするジャンヌの存在にも気付いていない。

 

「色即是空、空即是色、受想行───あっ、すみませんやっぱり限界です脳が壊れそうですキアラさんわたしの頭を気絶するくらい引っ叩いてください」

「おるあああっ!!!」

 

 その時、ジャンヌはキアラから警策をひったくり、マシュの後頭部に渾身の一撃を叩き込んでいた。

 マシュの頭部はとてつもない勢いで床にめり込み、余波でスピーカーが倒れる。

 ジャンヌはバキリと警策をへし折り、大声でがなり立てた。

 

「なぁにセルフ脳破壊キメてくれてんですかアンタはァァ……!!? 言い出しっぺがひとり教会でサボってんじゃないわよ!!」

「い、いきなり大層な挨拶ですね……スゴイ・シツレイです。わたしはサボっていたのではありません。そうですよねキアラさん?」

「ノアさんと立香さんのいちゃつきに動じぬ精神を手に入れる、ということで修行をつけていました」

「修行っていうか自滅でしょ。傷口に塩塗り込んだ痛みで麻痺してるだけでしょ」

 

 マシュは頭を引き抜く。血にまみれた顔面は日本史の教科書に載っている仏像のようなアルカイックスマイルを浮かべている。

 

「ふ……まだその境地ですか。かのブッダは苦行を不要と断じましたが、それも悟りに至るための必要な回り道だったと思います。分かりますか、痛みを乗り越えてこそ何かを得ることができるんですよ」

「いや、痛みに溺れてるようにしか見えないんですけど。下の境地から見上げられても困─────」

「『俺は、俺だけのモノを他人に見せびらかす趣味はない』」

「んんんんんんっ!! リーダーは黙っててください!!」

 

 マシュは倒れてもなお音を発し続けるスピーカーにとどめの一撃を見舞った。

 ぷすぷすと煙をあげるスピーカー諸君。ジャンヌは口角を吊るし、鼻を鳴らして嘲笑う。

 

「そ、れなら……仕方ないですね……」

「ジャンヌさん、やりますか。やりたいんですか。今のわたしはガチンコステゴロ勝負も辞しませんよ」

「マシュさん、色即是空です! 経を唱えて冷静になってください!!」

「いえ、かつて空っぽだったわたしはたくさんの人との繋がりでたくさんの色彩を得ました。こんなに大切なものを空っぽにする訳にはいきません────!!」

「かっこいいこと言ってますけど実際は破戒僧───いえ、破戒茄子…………!!!」

 

 目を剥いて叫ぶキアラ。平行世界の自分は破戒の極みにあるのだが、生憎こちらの彼女がそれを知る由はなかった。

 ジャンヌはキアラを向いて、やや棘のある口調で言う。

 

「アンタらが遊んでる間、セラフィックスも少しはマシになったわ。ついてきなさい」

「……だ、大丈夫ですかマシュさん」

「わたしはEチームのメイン盾ですよ? 人類史焼却ビームを耐え抜いた耐久力はコドラにも匹敵します」

「特性でギリギリですよね。HP1ですよね。ほぼ瀕死ですよね!?」

 

 ということで、三人は居住区画へと向かった。

 教会から居住区画に移動し、自動ドアが彼女らを通すと、廊下の隅に詩人と九番ボールが座り込んでいた。ボロ布を被り、薄汚れたどんぶりを両手で抱え持つ姿はまさしく物乞いである。

 彼らはマシュたちの来訪を認識すると、手足をバタつかせて接近した。

 

「ヒ、ヒヒッ……ようこそセラフィックス居住区へ。通行料として柿ピーをお支払ください。現金なら一日中出入り自由です」

「まあ、あなたたちが持っているとは思えませんがね……チンチロで増やしてきますか? あの人に勝てたらね…クックック……」

「ダンテさんと藤───セラフくん!? どうしてそんなおいたわしいことに!?」

「班長のイカサマを暴くために特攻したらタコ負けしたのよ。そしたらあれよあれよと言う間に堕ちて……」

 

 ジャンヌは心底興味なさそうに説明した。幸運含めたステータスの低さに定評のあるダンテはともかく、セラフくんまで負けが込んでいるとなると班長のイカサマは明らかだった。

 卑屈に笑うダンテと中の人。マシュは冷然とした佇まいで言い捨てる。

 

「それでこうなった、と。この二日間何をしていたのか甚だ疑問ですね」

フォウフォウ(お前が言うな)

「でしたら、未だ班長の悪行は止められていないのですか?」

「……見た方が早いわ」

 

 ジャンヌの案内で、一行は畳張りの広間に踏み込んだ。

 湧き立つ熱気。さんざめく怒号。男たちが乱れなく列を組み、一心不乱に木刀を振るう。その先頭で、青ジャージ衣装に竹刀を持ったペレアスが立っていた。

 

「剣は小手先じゃねえ、気合いでぶん回すもんだ! そうすりゃ根性も忍耐も身につく! サイコロ振ってる暇があんなら剣振って心身を鍛えろ!!」

「流石っす! ぱねぇっすペレアス卿! 剣振ってたら俺もピンゾロ連発できますか!?」

「改革でやることが素振りって地味」

「ペレアス卿! タバコで肺がゴキブリ色になった俺たちにはキツいです! あと何回やればいいんですか!!」

「おい今地味っつったやつ前出ろ!! 本当に大切なことはいつだって地味なんだよ! 人類はそうやって発展してきたんだろうが!!」

 

 マシュとキアラはジャンヌを見つめて、

 

「「……これは一体?」」

「ペレアスが溢れ出る幸運A+でピンゾロ出しまくって班長のイカサマを真正面から粉砕したのよ。そうしたらなんやかんやでチンチロの神と崇められるようになったわ」

 

 ペレアスはあまり知られていないことを除けば、アーサー王物語屈指のラッキーボーイである。リースの幸運の加護も上乗せされ、駆け引きもへったくれもない経緯で悪逆無道の班長は駆逐されていたのだった。

 故に、争点となるのはペレアスの勝利ではなく。キアラは顎に指を当てて、怪訝な顔つきをする。

 

「なんやかんやの間に世界にバグでも生じたのですか?」

「別にこの世界がバグるなんて日常茶飯事でしょ」

「ジャンヌさんの存在も半ばバグみたいなものですからね」

「アンタにだけは言われたくないわ!!」

 

 マシュはジャンヌが振るう拳をスウェイバックで躱した。その動きたるや、熟練のボクサーを連想させるほどに華麗かつ洗練されていた。

 喧嘩寸前の猫みたいに睨み合うなすびと魔女。キアラが身を挺して割って入ろうとしたところで、湖の乙女リースが現れる。

 

「みなさん、こんなところに集まってどうしたのです?」

 

 彼女は装いを新たに、眼鏡とスカートスーツを着用していた。普段の振る舞いを知らなければ、デキるキャリアウーマンにしか見えない出で立ちだ。

 マシュは目を擦り、二度見した。

 

「清楚な雰囲気を醸し出すこの人は新キャラですか? なぜかとてもリースさんに似ています」

「正気に戻りなさいアホなすび。アレは紛れもなくリースよ」

「そう言われるとどことなくドスケベに見えてくる気が……」

「ふふふ、私がいつまでもただのドスケベ精霊だと思ってもらっては困りますわ! こちらをご覧くださいませ!」

 

 と言って、タブレット端末の画面を向ける。

 埃ひとつ無い液晶には、何やら色々な形のグラフが描かれていた。リースはすちゃりと眼鏡を押し上げて、得意気に微笑む。

 

「セラフィックスで採れた魔術資源をこねくり回して、全自動掘削礼装を製造いたしました。作製にあたってはジャンヌさんと職員みなさんの力もお借りしましたわ。理論上は無人でも以前と変わりない効率で採掘を行えます」

「…………あの、さらっと一番とんでもないことをしてるのですが。弱体化設定はどこに行ったんですか。バレないと思ってサイレント修正されたんですか」

「まあ、湖の乙女ですので」

「それで説明責任をすっ飛ばせるとでも!?」

 

 マシュはくわっと目を見開いた。

 アーサー王物語における湖の乙女はほとんどドラえもんと同義と言って良い。便利キャラ的にもトラブルメーカー的にも。

 たとえ精霊としての力を失い、強力な魔術を行使できなくなっていたとしても、その知恵と知識は据え置きだ。それを活かした礼装造りという点では、劣化は乏しい。無論、製造を担った職員たちの優秀さもあるが。

 マシュたちはまたしても湖の乙女の恐ろしさを知った。ジャンヌはマシュとダンテ、セラフくんに冷凍ビームが如き視線を向ける。

 

「…………で、そこのアホどもは二日間何してたんですっけ」

「ダンテさんとセラフくんを責めるようなマネはやめませんか、ジャンヌさん。結果的に負けたとはいえ、班長に立ち向かった彼らの心意気は美しいものだったに違いないのですから」

「ちょっ、あなただけ俺たち負け組から外れようなんて認めませんよ!? ダンテさんも何とか言ってください!!」

 

 セラフくんはダンテに向き直る。死んだ目をした詩人はどんぶりの中の柿ピーをさらさらと揺すり回しながら、

 

「柿の種になぜピーナッツを混ぜるようになったのかは諸説ありますが、嵩増しのためだったり、売れ残っていたピーナッツを抱き合わせで処分するためとも言われています」

フォフォフォウ(いきなりどうした)

「分かりますか、ペレアスさん。つまり、ピーナッツは脇役として投入されたのです。さしずめ赤い配管工に対する緑の配管工、ASKAに対するCHAGE─────」

「配管工兄弟はともかくそっちは触れづらいからやめろ!! つーかなんでオレに振った? 脇役か? 脇役って言いたいのか!?」

 

 アーサー王物語屈指のラッキーボーイにして脇役は、ダンテの頭頂にぐりぐりと握り拳を押し付けた。

 しかし柿ピーを貪るだけの生命体にそのダメージは無為に等しく。

 

「そう───所詮は後か先かの話。私というピーナッツがいてこそ、あなたたち柿の種は引き立つんですよォ!!」

「結局柿ピーの話しかしてねえじゃねえか!!!」

 

 ペレアスはげしりとダンテの尻を蹴り飛ばす。

 ダンテが倒れ込んだその瞬間、けたたましい轟音とともにセラフィックスそのものが大きく揺れる。床が跳ね、壁や天井までもがみしみしと軋みを立てた。

 それが収まったかと思えば、一同は内臓が持ち上げられるような浮遊感を体験する。キアラはだくだくと冷や汗を流しながら、憶測を口にする。

 

「これ……沈んでません?」

「物凄い勢いで沈んでますわね。ペレアス様、酸素を口移ししますのでどうぞこちらに」

「それだとオレたち以外海中に没することになるんだが」

「呑気に言ってる場合ですかねえ!? このままだとあの解釈違いオデュッセウスさんみたいに地獄行きですよ!!」

「ほんと自分の危機には敏感ねこいつ……」

 

 ジャンヌはぼそりと吐き捨てた。

 

 

 

 

 

「念の為様子を見たが───やはりアホはアホのままだったか!! セラフィックス諸共海の底に堕ちろ!!!」

 

 

 

 

 ───天体室。セラフィックス職員の中でも限られた人間だけが知ることを許される、秘中の秘。カルデアス製造の折に使い捨てられた、無数のレイシフト適性者の体が立ち並ぶ伽藍より、魔神ゼパルは己が計画を発動した。

 もはやセラフィックスはゼパルの肉体に等しい。コントロール権を奪取し、海底への急速潜行と同時に施設の情報化を開始する。

 物質は物質としてのカタチを失い、この場所は情報体となって星の内核に辿り着く。無色たる地球の魂を我が色に塗り替え、やがては星と同化するのだ。

 けれど。

 ゼパルはセラフィックスの全観測装置を通じ、光を見た。

 海中でも海上でもなく、遥か上空。地球表面から高度1000km、ヴァン・アレン帯の位置にありながら、太陽の双子のように輝くその光を。

 

「───────…………!!!」

 

 天の光から、一条の輝きが零れ落ちる。

 それは一直線にセラフィックス───ゼパルへと迫った。

 尾を引く流星はまさしく太陽の欠片。灼熱、と表現することすら生温い超高熱の光はしかし、大気を破裂させることも、海水を蒸発させることもなく突き進む。

 まるで、何を壊し、何を壊さないかを判断しているかのように。

 ゼパルは確信とともに想起する。

 第六特異点。一介の英霊にも関わらず、聖槍の女神と互角の砲撃戦を演じてみせた、太陽王オジマンディアス。

 この攻撃は、かの王の御業と同質であると。

 

(ならば、凌ぎ切れる)

 

 それもまた、ゼパルの確信であった。

 敵の失策はその高度。距離による威力の減衰は認められないが、距離があるということはその分到達までに時間がかかる。

 確かにゼパルは敵に届く反撃手段を有しないが、攻撃の到達に要する時間は敵に味方しない。なぜなら、セラフィックスの電脳化を果たしてしまえば物理的な干渉は不可能になるからだ。

 つまりこれは、ゼパルの防御が電脳化までの猶予を持ち堪えられるかの戦い。魔神は持てるすべての魔力を費やし、防御術式を構築する─────────

 

 

 

 

 

「『魔力(わたし)はキミには従わない。すまないね』」

 

 

 

 

 

 あどけなさが残る高い声が脳裏に響いて。

 ────ゼパルが動員した魔力は術式としてカタチを成す前に、跡形もなく霧散した。

 

「は」

 

 疑問を抱く暇すらなく。

 光が、ゼパルを撃ち抜く。

 周囲への被害は最小限。レイシフト適性者の素体にすら余波は及ばない。堕とされた太陽の欠片は天体室の本体だけを、正確に精密に、蒸発させてみせた。

 

「……………………が、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 あっけなく、理不尽に。

 計画は潰え、魔神は死出の道を転がり落ちる。

 だから、だけど、だとしても、その叫びは断末魔には程遠く。故に、その行動は最期の悪あがきなんてものでもなかった。

 この身はセラフィックスと同化している。ならば、この施設を構成する物質を肉体に置き換え、ひとまずの延命を図る。

 内部の人間諸共沈む、などという選択肢はなかった。それを選ぶということは、自らの敗北と死を認めるのと同じだったから。

 

「ギャアアアアアアア!!! 見覚えしかないグロ大根がそこかしこから!! あの時魔神柱は全員駆逐されたはずですよねえ!!?」

「わんさか生えてきたってことは生き残ってたんだろ! セラフィックスは大根栽培でもしてたのか!?」

「んー、ペレアス様。様子を見るに元からセラフィックスと融合していたみたいですわ。要するに無限列車編です」

「ちょっとうまい喩えしてる状況じゃないんですけど!?」

 

 ……というやり取りはゼパルの聴覚に届くも、咀嚼はされず。

 蒼い海面が弾け、セラフィックス上部が露出する。

 ───一度はあの化け物からも逃げ切った。今回もまた繰り返すだけだ。肉体の一片さえ残れば、再起の機会はいくらでもある。

 数え切れないほどの触手が氾濫し、蠢くセラフィックス。その様はまるで植物の蔦が敷き詰められた地面に似ていた。

 触手を彩る眼球の視線がぎょろりと鎌首をもたげる。

 透き通った青空。一機のヘリコプターがローターの回転音を鳴らし、おぞましき様相の海洋油田基地を眼下に捉えていた。

 ヘリのドアから縄梯子が吊るされる。

 そこには二つの人影が、寄り添うみたいにぶら下がっていた。

 

「うわあ、実物は一段と……なんというか……アレですね。うん、すごく独特なデザインです」

 

 一方は、メイド服の少女。端正な顔を青白く染めて、唇が何かを食いしばるみたいに歪んだ弧を描いている。

 

「素直にキモいと言って良いのよ。あんなしぶとさだけが取り柄の存在に慈悲をかけるくらいなら、ご飯にかけた方がマシというものです」

「お米食べる地方の人でしたっけ?」

「たとえよ、たとえ!!」

 

 もう一方は、喪服の美女。全身に漆黒を纏い、身の丈に合わぬ大剣を携えていた。衣服とは対照的なまでに白い肌が陽光に照らされ、一層白々しく映える。

 メイド少女はインカムの向こうの人物───ヘリの操縦席へと問いかけた。

 

「おじさま! オーダーをどうぞ!!」

「『職員の避難が最優先だ。ひとり残らず生還させるぞ。後は、そうだな────派手にやれ』」

 

 メイド少女は虚空から無骨な色合いの砲を取り出す。

 一般的にロケットランチャーと呼ばれる武装。ただしその表面には魔力を込めた紋様が弾頭に至るまで刻まれていた。

 弾頭が狙いを定める。少女は満面の笑みで、砲のトリガーを引いた。

 

了解(ファイヤー)っ!!」

 

 重厚な音を立てて、青空のキャンパスを白い線が横切る。

 直後、爆発が巻き起こり、着弾点周辺の触手を一掃した。続けざまに彼女は叫ぶ。

 

「それじゃあ───やっちゃってください、バーサーカー!!」

 

 中空より、黒白の剣姫が舞い降りる。

 着地と同時、彼女は襲い来る触手を切り払い、答えた。

 

「ええ、マスター……!!」

 

 

 

 

 

 

 …………一方その頃。

 のたうち回る触手が、ひとつのまんまるな影を引き裂いた。

 

「うおわああああああああ!!!」

 

 九番ボールの着ぐるみが無残な布切れと化す。尻もちをついた中の人の横を疾風が通り抜け、触手を粉砕する。

 ずるりと粘液を引く大盾。マシュは血相を変えて振り向き、愕然と膝をついた。

 

「せ、セラフくんが粗大ゴミ同然に……っ!! どの魔神柱だか知りませんが、絶対に許せません!!」

「俺の心配をしてくれてもいいんじゃないですかァ!? セラフくんこっちだから!!」

 

 中の人は大声を張り上げた。一同は白日の下に晒された顔に目を向ける。

 黒髪と鮮やかな青の瞳。街ゆく人皆振り返る、とまではいかないが、どことなく品のある顔立ち。なんとなく目を惹くが、感想を求められるとなんとも言えない容姿だった。

 仲間たちが触手の海を殲滅する横で、マシュはぺこりと頭を下げる。

 

「初めまして。お名前をお聞かせ願えますか?」

「キアラさん。ここはツッコむべきですか」

「ひとつだけ確実に言えることは、私の手に負えないとしか」

 

 気まずそうにキアラは顔を背ける。中の人は意を決して宣言する。

 

「俺は藤丸─────」

「ヒィィィィィ!! 風邪ひいた時に見る夢みたいな地獄絵図! ペレアスさんおんぶしてくださいおんぶ!!」

「藤ま」

「ペレアス様のカラダは私のものですわっ! さあ、私を頭がフットーしちゃうような体勢で抱きかかえてくださいませ!!」

「藤」

「ぐもおおおっ!! お前ら一旦離れろ!!」

 

 中の人はさあっと涙を流して、

 

「…………藤丸兄でお願いします」

 

 マシュとジャンヌは目を合わせる。両者の脳内に浮かぶ、いくつものビジョン。そのどれもが己がマスターのマヌケ面であった。

 

「その取ってつけたような兄の称号はまさか……」

「お二人のマスターって、ホットケーキミックス狂いで、ガチャ狂いで、ゴキブリを素手で掴めて、しかも朝はゾンビになるアレですよね?」

「くっ! そんなアホ地球上でたったひとりしかいないじゃない……!!」

「その通りです、ジャンヌさん。この人は紛れもなく先輩のお兄さんです!」

 

 すると、リースとペレアス、ダンテは感嘆しつつ藤丸兄の顔を覗く。

 

「立香さんの部屋にキツめの性癖の同人誌を隠していたという、あのお兄さんですか?」

「へえ、高三最後の大会で負けた時に地面殴ったら右手骨折したっていう、立香ちゃんの兄貴か?」

「あなたが中学二年生の時、包帯と眼帯を身に着けていたせいであだ名が『重病人』だったと言われる、あのお兄さんなんですねえ」

「────なんてこと話してくれてんだアイツゥゥゥ!!!」

 

 彼は床にうずくまって、頭を抱えた。全ての不幸の原因は妹のおしゃべりさに尽きると言えよう。

 一般人であるはずの彼がなぜここにいるのか等々疑問は尽きないが、とりあえずマシュはそれらの問題を彼方へ放り投げることにした。

 

「積もる話はありますが、まずは脱出しましょう! キアラさん、逃げるのに勝手が良さそうな場所はありますか!?」

「非常時は最上部の資源搬出ブロックにある船を使って避難する手筈になっています。ただ、逃げ遅れた人が……」

「だったら、オレとリースでセラフィックスを回ってくる。昼前だから人が集まりそうな場所は分かるしな」

「それで行きましょう。わたしとジャンヌさんで、とりあえずここにいる人たちを避難場所まで護衛します」

 

 マシュたちは頷き合う。ペレアスの剣術特訓で職員の多くが集まっていたことは不幸中の幸いだった。各々が決心を固める最中、そろりと手が挙がる。

 

「あの、私は?」

「ダンテさんにはトルネコの役割があります。頑張りましょう」

「馬車に追いやられた────!!」

「いいから動きなさい!!」

 

 ジャンヌはダンテの襟を掴んで、職員たちの先駆けを征く。

 道を阻む肉の棘を焼き焦がし、斬り伏せ、弾き潰す。四方八方から敵が襲い掛かろうと、マシュとジャンヌはことごとくを正面から打ち破る。

 

「弱い、チョロい、手応えなし! 三拍子揃った雑魚敵で助かるわ! トルネコのレベル上げにもなりゃしないっつの!!」

「こればかりは同意せざるを得ませんね! メカフリーザが瞬殺された時くらいのガッカリ感です!!」

 

 鎧袖一触、とはまさにこのことだった。

 魔神柱が万全であればともかく、七十二柱の悪魔たる権能も魔術も用いぬ触手など、いくら数を揃えたところで障害になり得ない。

 怪物相手に大立ち回りを演じる美少女コンビ────と表現すれば綺麗なものに思えてくるが、現実はそう優しくはなかった。

 さっきまで大根だったものが辺り一面に転がる。奇怪な色をした肉片と粘ついた血混じりの体液が足元に満ちる。靴が液体を吸って重くなり、疲労とはまた別の意味で足が取られてしまう。

 藤丸兄とキアラは胸の内からこみ上げるものを押さえつけながら、

 

「これがサーヴァント……外に出せない理由がようやく分かったというか。大丈夫ですかキアラさん」

「し、心頭滅却すればグロ画像もほんわか猫画像です。ところで藤丸さん」

「はい?」

「ここに来る前はエジプトで永久機関を開発していて、見知らぬ人に捕縛された……ということでしたね?」

 

 キアラは彼を見据え、問い掛ける。

 

「貴方を捕まえたのは、セラフィックス……カルデアの人間だったのでは?」

 

 その問いに、肯定や否定が返ることはなく。

 

「〝Eチームマスター藤丸立香はレイシフト適性100%という驚異的な数値を示した。ならば、血縁者はどうか〟……で、あったみたいです。俺にも。それで本当はカルデアの特異点F調査計画に滑り込まされる予定だったんですけど」

「けど?」

「先に来た二匹のアホで手一杯だったとかなんとか」

「思ったよりくだらない理由……!!」

 

 キアラはがくんと背中ごと肩を落とした。当時のカルデアは残業という概念がなくなるほどに忙しかった。そこに放たれた立香とノアの存在はとどめに等しかったのである。

 キアラがどことなく損した気分を味わっていると、セラフィックス最上部資源搬出ブロックは目の前に迫っていた。

 先行きを阻む隔壁と肉の壁。なれど、ジャンヌの炎の前には何ら障害に成り得なかった。視界が開けるとともに、折り重なる銃声の音が鼓膜を叩く。

 

「みなさん無事でなによりです! 船は護っておきますので、ずずいっとお乗りください!!」

 

 ガトリングを持ったメイド少女だった。

 その細腕のどこにそんな力があるのか、数十キロはある砲を軽々と操り、手当たり次第に触手を弾幕の餌食にしていく。

 しかも彼女の傍らにはこれまた細腕で大剣を振るう、喪服の美女。マシュとジャンヌはロアナプラから引っ張り出してきたかのような二人組と相対し、眉根をひそめた。

 

「こんな状況で信じろとでも? 明らかに怪しさ満点でしょう。船に爆弾でも仕掛けてるんじゃないでしょうね」

「もしくは背を向けたところをズドンという腹積もりかもしれません。何よりも得物が物騒すぎます」

 

 喪服の美女は好き放題に考察するなすびと魔女を睨んだ。

 

「馬鹿でかい盾持ってるのと火炎撒き散らしてるのがいる時点でおあいこよ」

フォウ(確かに)

「一分の隙もない反論ですねえ」

「不審者の理屈を受け入れてんじゃないわよ! だいたい─────」

 

 ジャンヌは一足飛びに旗を振りかぶる。

 

「────私たち以外にサーヴァントがいること自体おかしいでしょうがっ!!」

 

 甲高い金属音が鳴り響く。

 せめぎ合う旗と魔剣。両名は殺気を込めた視線を衝突させ、一層柄に力を加える。

 

「離れてくださいジャンヌさん! カラーリングが似てるせいで同士討ちしてしまいそうです!」

「うっさいわ! アホのアンタが言うと冗談なのか本気なのか分かんないのよ!!」

「まあまあ、あちらに敵意はありませんし、ここは仲良く共闘とした方が良いと思いますよ」

「そういうことは馬車から降りて言ってくれますぅ!?」

 

 ジャンヌはダンテの意見を一蹴し、黒炎を放った。

 槍が如き炎の穂先はメイド少女へ直行する。刹那、少女の周囲にアルファベット状の影が点々とにじみ出し、目にも留まらぬ速度で回避を行う。

 サーヴァントに匹敵する速さ。だというのに、身のこなしは悠然としていて。それはまるで映像を早回ししているかのような違和感があった。

 マシュは既視感を覚える。その動きではなく、少女が展開する影。黒白の偽神サクラが纏っていた影と近しい、と。

 

「虚数属性の影……この状況では厄介に過ぎますね」

「あら、一目でバレちゃいました。やっぱりEチームはすごいのね、バーサーカー?」

「世界を救った英雄サマですもの。能力だけはお墨付きよ。振る舞いがアホなところもますます英雄ったらしくて気持ち悪いことこの上ないわ」

「ハッ、捻くれてるわね舌ピ女。実力の差ってのが理解できた?」

 

 ジャンヌの挑発を受けて、喪服の美女は酷薄に笑い返した。

 

「それはもう、たっぷりと。私が知る英雄よりよっぽど弱いということが、ね」

 

 魔剣が躍る。無造作に繰り出された斬撃は、背後より迫り来る肉棘の群れを一網打尽に切断する。

 それを皮切りに。死体に群がる蟻のように、一帯を触手が埋め尽くしていく。

 生物の体内を思わせる、肉と粘液の牢獄。メイド少女は踊るような足取りでジャンヌに近寄った。

 

「流石に協力しないと職員のみなさんを護れないですよね。なので、」

「見逃せってわけ? 生憎だけど、アンタみたいなムーブをするやつは早めに潰しておくのが、特異点修復の教訓よ」

「はい、私はあなたを攻撃しません。あなたはお好きにどうぞ。どうせ当たらないので♡」

「────上等!! 丸焼きになる覚悟の準備をしておきなさい!!」

 

 歪な共闘関係による防衛戦が幕を開ける。なお、職員一同の心持ちは〝なんでもいいから助けてくれ〟の言葉で全会一致していたのだった。

 その一方、ペレアス&リース夫妻はセラフィックスを駆けずり回って、逃げ遅れた職員を集めていた。救助活動は難航すると思われていたのだが、

 

「「…………変な声に導かれた?」」

 

 騎士と精霊は口を揃えて言った。

 二人の眼前では、人間という人間が廊下にすし詰めになっていた。その中のひとりが盛大に頷きつつ、早口で告げる。

 

「子どもみたいな声が道案内をしてくれて……ここにいれば、ペレアスさんが助けてくれると言ってました」

「よく従ったな? めちゃくちゃ怪しいだろ」

「それが、逆らおうとすると無理やり体を動かされまして。空気中のマナが強引に押してくるんで、全身バキバキです」

「とにかく無事でなによりですわ! 急いで避難いたしましょう!」

 

 そうして、彼らは見た。

 至るところに蠢く触手。その全てが、まるで示し合わせたかのようにぐしゃぐしゃと潰れていく様を。

 

 

 

 

 

 

 

 かたかた、とコンソールが軽妙な音を奏でる。リズムに合わせて、無数のパネルが代わる代わる難解な文字列と図絵を映し出していく。

 それらを指揮するのは、ひとりの女。腰まで伸びる長い黒髪がしなやかな肢体に寄り添う。

 右手は操作盤に、左手は一本のたばこを挟んでいる。彼女は左手を口元に持ってきて、白いフィルターを咥える。

 

「…………ふぇーひあのへっへんはふぁんらっはほほほう?」

 

 女は数瞬固まり、さっとたばこを取り出す。頬をやや赤く染めて、苦々しく咳払いをした。

 

「失敬。ゲーティアの欠点は何だったと思う? 魔神ゼパルよ」

 

 怜悧な眼差しが、隅に転がる肉塊を刺す。しかし、か細いうめき声が返ってくるばかりで、何ら意味のある旋律にはならない。

 

「それは、真に上位存在足り得なかったことだ。彼はソロモン王の裡で産まれ、主が死してなお人類史の過去と未来を見続け───いつしか諦観に至った。そうだな?」

「……そ、うだ。ヒトはあらゆる世界のあらゆる時代で在り方を変えることなく停滞し続けた。故に滅ぼすと決めたのだ」

「二十万年前に我々ホモ・サピエンスが産まれ、農耕と牧畜を開始したのは一万年前ということは知っているか? お前たちに言わせれば、十九万年もの間ヒトは停滞し続けた訳だが…………」

 

 女は煙を吸い、ゆっくりと吐く。

 

「ヒトを超え、死を克服したと宣うのなら、もう少し長い目の見方はできなかったのか?」

「……何が言いたい」

「ゲーティアは2016年に世界の終わりを定めた。ソロモン王は前十世紀の人間だから、実に三千年越しの計画だ。いや、たった三千年か。人類はかつて十九万年の停滞を経験したというのに、たかがその程度の時間で人類史を打ち切るなど聞いて呆れる」

 

 ゲーティアは、七十二柱の魔神は、三千年を長いと感じる感性を持っていた。それが彼の、彼らの陥穽。死を克服したというのに、なぜかゲーティアは時間に追われていた────女はそう言って、コンソールを叩く指を止めた。

 

「お前たちが見たあらゆる世界のあらゆる時代における停滞と犠牲は、進歩のための助走だよ。……まあ、私は人間だから、そんな綺麗事で納得はできないがな。察するに、ゲーティアも同じ考えだったらしい」

 

 結局、ゲーティアの思考は人間の範疇から逸脱できなかった。

 機器にメモリを差し込み、情報を複写する。メモリの光が数度点滅すると、女はそれを抜いて胸元に仕舞い込んだ。

 

「ただ、お前の計画は、人間の私ですら短いと思える時間で終わりを迎えたようだ」

 

 ───だが、絶望する必要はない。

 女は紙製の護符を肉塊に貼り付け、囁く。

 

「たとえお前の計画が成就していようと、それはたったひとりの恋する乙女に台無しにされる程度のものだからな。……いや、恋する乙女は最強か」

「……この護符。まさか貴様、黄金の─────ッ!!!」

「詳しくはアブラメリンを読め。私のために働いてもらうぞ、ゼパル」

 

 護符がやにわに発光し、ゼパルは魔力の粒子となって輪郭を失った。光の粒は護符へと宿り、輝きが失せるのを見届けると、乱雑に外套のポケットに押し込んだ。

 

「おっと、そうだ」

 

 女は革靴の先で、床にこびりついた肉片を踏み潰す。たったそれだけの動作に、魔術が仕込まれていた。

 感染呪術。元々ひとつであったものは、たとえ離れようと互いに影響を及ぼし合う。つまり、ゼパルの一部が潰れてしまえば、それは全体へと波及する。

 彼女は朽ちゆく魔神に目もくれず、部屋の───天体室の壁を眺めた。

 墓標の如く敷き詰められたコフィン。カルデアス製造の過程で魂をすり減らした、何人ものレイシフト適性者の亡骸。

 女は紫煙をくゆらせ、彼らへ告げる。

 

「……もう、こんなところに囚われることもないだろう」

 

 そうして。

 ヴァン・アレン帯から、第二の光条が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 セラフィックス最上部、資源搬出ブロック。

 上下左右を埋め尽くす触手が一斉に圧潰する。血液の雨が降る最中、メイド少女と喪服の美女は一目散に虚数空間へと駆け込んだ。

 

「それでは私たちは帰ります! 次はスカートの端っこくらい焼けるようになっていてくださいね!」

「その宿題はあの魔女っ子には難しすぎるわ、マスター」

「───ぐっ、ぎ、うぎ、ぎぎぎぎぎっ……!!!」

「おお、ジャンヌさんがあまりの悔しさに血涙を流しています」

 

 ジャンヌは血でずぶ濡れになることも厭わず、地面に手をついた。ここにもし某フランス元帥がいれば、新たなインスピレーションを与えかねない光景である。

 そこで、ペレアスたちが血の海を掻き分けてやってくる。騎士は血相を変えて叫んだ。

 

「お前ら急いで船に乗れ!! どうやらセラフィックスの中枢が爆発したらしい! このままじゃ海の藻屑になるぞ!!」

「まさかの爆発オチですか!? 早く職員の方々を詰め込みましょう! ほら、敵にかすり傷も与えられなかったジャンヌさん、筋力Aの使いどころですよ!!」

「傷口に塩を揉み込まないでくれますこのアホなすびがあああああああ!!!」

フォフォウ(コントかな)?」

 

 暴走特急と化したジャンヌは次々と職員を掴み、脱出艇へと放り投げた。最後のひとり、藤丸兄が甲板に投擲されると、マシュは手を大きく振った。

 

「皆さんは先に逃げてください! 爆発はわたしの宝具で凌ぎますので、遠慮は無用です!!」

「り、了解しました! 絶対後で迎えに行きますね!」

 

 藤丸兄の応答に続いて、脱出艇が全速力で出航する。セラフィックス観光ツアー一行は海原へ走り出す船尾を見送り、溜まった疲労をため息として排出した。

 すると、ダンテは口角を震わせて、呟くように言う。

 

「……あの。どうせ宝具を使うなら、私たちも乗って船ごと護れば良かったんじゃ…………」

 

 マシュは得意気に鼻を鳴らし、

 

「ふっ────どうやら、わたしも焦っていたようですね……」

フォフォフォウ(いいから早く宝具)!!」

 

 直後、セラフィックスは盛大に爆散する。

 苦楽を共にした基地が黒煙と炎を噴き上げながら沈んでいく。脱出艇の面々はその一部始終を、喜怒哀楽入り混じった表情で眺めていた。

 職場が消えたことに対する悲喜こもごもの声が響く中、キアラは足の裏にぶにゅりとした感触を覚えて。

 おそるおそる足元を見やると、とろけた餅に眼球をひとつ載せたみたいな肉塊が這い寄っていた。

 

「───きゃああああああっ!!?」

 

 それは、魔神ゼパルの破片。

 既に死に逝くだけの残滓だった。

 ソレは鉄の弦をノコギリで弾くかのようなおぞましい声で嘶く。

 

「殺生院、キアラ……!! 貴様が───貴様の体さえあればまだ、まだ……っ!!」

 

 もはや、その肉塊には動くだけの力もなかった。

 キアラはソレを何も知らない。ソロモン七十二柱の魔神であることも、ゼパルという名を持っていることも、ソレが自らを利用しようとしていたことも。

 けれど、全て知っていたとしても、このキアラの行動は変わらなかっただろう。

 肉塊の前に座り込み、真っ直ぐその姿を見据える。

 

「どうして、私が必要なのですか」

「決まっている、平行世界の貴様をその肉体に転写するためだ! 万色悠滞の魔人、魔性菩薩、随喜自在第三外法快楽天───あらゆる知性体を蕩かす獣の力さえあれば…………ッ!!!」

「あなたの目に私がどう写っているか分かりませんが、私はそんな大層なものにはなりません。他を当たってください」

「己が快楽のため、何もかもを踏み台にする破戒僧! それこそが貴様の本質だ! 私を受け入れさえすれば、貴様の魔性を解き放ってや」

 

 しかし、その言の葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

「サッカー部直伝藤丸キック!!」

 

 藤丸兄渾身の蹴りが、肉塊を海へ吹き飛ばす。

 それは放物線を描き、小さな飛沫をあがて海面に落下した。彼は水面に揺れる波紋に向かって、大きく吐き捨てる。

 

「キアラさんは裏表のない素敵な人です!! 俺たちが知らない世界のことを持ち出して本性語ってんなよ、ばーか!!」

 

 ふう、と藤丸兄は息をつく。

 キアラはその横顔を、ほのかに上気した瞳で見つめていた。彼はそんな視線に気付かぬまま、船の欄干にしなだれかかる。

 しばらくの間そうして、彼は独り言をこぼした。

 

「……アレ? セラフィックスなくなったら俺無職なんじゃ?」

「ま、まあ……」

「────コネも学歴も資格もない俺が再就職とか無理だよォォォォ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藤丸兄の悲痛な叫びが太平洋に轟く二日前。

 めちゃかわ皇帝ソル子くん&アンナ・キングスフォードによる、狂気の時計塔凸が未遂に終わった後のことである。

 忽然と姿を消したアンナたちと入れ替わりで現れた、魔神柱バアル。ソロモン七十二柱における序列第一位の魔神は今、 

 

「ああああああああああ!!!」

 

 火炙りの刑に処されていた。

 ラッセル・スクエア。大英博物館にほど近い公園のど真ん中で、火の粉を弾けさせながら焚き火が燃え盛る。

 バアルは釣り竿の先に括り付けられ、焚き火の直上に吊るされていた。バアルはちろちろと踊る炎の舌先から逃れるように、もるんもるんと身をよじらせる。

 釣り竿の根元を握るのは、魔神よりも悪魔的な性根を持つEチームリーダー。彼は南極の吹雪よりも冷たい声音をバアルに浴びせかけるのだった。

 

「この際おまえが生きてたことはどうでもいい。のこのこ俺たちに処刑されに来た訳を言え」

「薔薇十字団の計画が成就するのは私にとっても不利益が生じる! 未だ奴らの尻尾も掴めていない貴様らに協力してやろうというだけだ!!」

「立香、薪増やせ」

「はい」

「うぐおおおおおおっ!!!」

 

 立香は次々と木を投入した。炎は一層高く揺らめき、バアルを直火焼きにする。

 そんな凄惨な光景を、エルメロイⅡ世とグレイはやや遠巻きから見守っていた。

 

「……アレは止めなくてもよろしいのですか?」

「魔神柱バアルの自業自得だろう。ただ、奴の情報が得られなくなるのは困るか」

 

 エルメロイⅡ世はどこからか持ってきたバケツの中身をバアルにぶちまけた。釣り竿の糸を千切り、ボンレスハムの如く縛りつける。

 

「薔薇十字団が狙うモノとはなんだ? 私たちに何をさせたい?」

「ぐっ……シャーロック・ホームズは言っていた。奴らの目的は地球ごと人類を根源に到達させることだと。Eチーム、貴様らは第六特異点にてそれの方式を知っていたはずだ!」

「覚えてはいるがおまえの態度が気に食わん。敬語を使え。そして常に語尾に謝罪の言葉を添えろ」

「───その方法とは地球を固有結界で包み、次元跳躍を用いて根源を目指すことですすみません! 薔薇十字団はシモン・マグスに代わってそれをしようとしているんですごめんなさい!!」

 

 ノアは地面に横たわるバアルに、とくとくとオリーブオイルを注ぐ。

 

「やればできるじゃねえか、ご褒美だ」

「良い匂いにしないでください申し訳ありません!!」

「読みにくいんで元の口調に戻ってもらっていいですか?」

 

 立香は冷淡に述べた。エルメロイⅡ世は芳醇な香りを漂わせるバアルに詰め寄る。

 

「だが、地球全土に固有結界を展開するとなると莫大なリソースが要るはずだ。聖杯級の魔力炉心を複数備えてようやく実現に目処が立つほどだろう」

「そう───だからこそ、奴らの狙いが絞り込める。この世界にはあるはずだ。一度役割を果たし、今なお胎動する聖杯が」

「それってもしかして……」

「冬木の聖杯。かつて一度だけ行われた、正統なる聖杯戦争の儀式の核。薔薇十字団の標的はそれだということだな?」

 

 くねん、とバアルは身を折り曲げる。頷いているつもりなのだろうが、ただ身動ぎしているようにしか見えなかった。グレイはその動作にそこはかとなく可愛さを覚えた。

 ノアは拾った枝でバアルの眼球を抉りながら、

 

「それでも聖杯はひとつだ。数を揃えるにはどうする」

「す、既に奴らはそれぞれ聖杯を持っている! その肉体の裡にな! 藤丸立香、知恵の女神に説明させろ!!」

「え、あの人ニートだから呼んでもたまにしか出てこないんですけど」

「おいおい。ニートなんてのはな、部屋の扉ぶっ壊せば行き場を失うしかねえんだよ」

 

 ノアは立香の影に拳を打ち付ける。すると、にょっきりと生えてきた右手の指がノアの両眼に直撃した。

 彼が悶絶していると、知恵の女神ソフィアは立香の影から頭部だけを出した。彼女は不機嫌な面持ちで口を動かす。

 

「誰がニートだ、立香の警備員と言え」

「いやまあ純然たるニートですけど……なんでも知れるんですから、こういう時くらい役に立ってください」

「こういう時くらいとは言うが、お前が私を呼ぶ時はゲームの攻略情報を訊くか、いつガチャを引いたら高レアが出るか程度だろう」

 

 まあ良い、とソフィアは言を翻した。

 

「私は儀式魔術『聖なる婚姻(ヒエロス・ガモス)』によって、肉体そのものが聖杯の機能を得た。シモンはその術式を改良し、より簡単に私のような体を構成する方式を開発した。無論、相応の魔術回路を必要とするから、誰もが適合する訳ではない。加えて、詳細は省くが、それは女の体でしか実現しない術式だ。……これはおまけの情報だが、アンナ・キングスフォードからは確かに聖杯の気配を感じた。上手く隠してはいたがな」

 

 言うだけ言って、ソフィアは影の奥に沈んでいった。薔薇十字団の人数は不明だが、肉体を聖杯としているのがアンナ・キングスフォードだけであるなどということはないだろう。エルメロイⅡ世が言う要件を満たす数は揃えているに違いない。

 冬木の聖杯は言わば最後のピース。それが薔薇十字団の手に渡れば、素知らぬ内に世界が固有結界に包まれているなんて事態も有り得る。

 エルメロイⅡ世は懐から端末を抜いて、

 

「九州行きの飛行機を押さえる。薔薇十字団よりも先に聖杯を見つけるぞ」

「あ、待ってください。さっきバアルが借りを返しに来たとか言ってましたよね。正直、全然信用できないっていうか」

「おまえにしては目ざといな。答えろグロ大根。ここに来るまで猶予があったはずだ。何かしてねえだろうな」

「…………」

 

 沈黙するバアル。ノアはそれを雑巾のように絞った。

 

「があああああ!! 東京にいくつか魔術式を仕込んだ! それだけだ!」

「復讐する気満々じゃねえかクソが!! 余計な仕事増やしやがって、もっかいヤドリギブチ込んでやろうか!?」

「くそっ! 二機チャーターする羽目になっただと!? 極秘のジェット機を用意するのにいくらかかると思っているんだ!!」

「今月はおかずが一品減りますね」

 

 グレイはさらりと言った。他人の空似どころではない騎士王の方はエンゲル係数を跳ね上げるほどの胃の持ち主だが、少食の彼女にはさしたる問題ではなかったようだ。

 ノアはバアルを握り潰しながら、エルメロイⅡ世に向き直る。

 

「俺たちが東京行きだ。おまえらは冬木で先に聖杯を探せ。こいつはおまえが監視してろ」

「なぜ私だ。魔術式の探査用にお前が持っていろ」

「東京程度の広さなら楽勝で探知できる。術者を連れ歩く方が危険だろうが。いいから持ってけ」

「待て、聖杯を探すのにそんな目立つモノを────」

 

 ノアはバアルをエルメロイⅡ世の股間に貼り付けて、納得げに頷く。

 

「こんなもん適当にくっつけときゃバレねえだろ。敵と接触する時も威圧できるだろ。ロードの称号はハリボテでもロードのロードはしっかりロードだって一目で分かるだろ」

「おい」

「いっそ服も脱いだ方がいいな。コテカみたいな感じで。そういう文化ですけど何か? みたいな態度でいけば案外すんなりいくだろ」

「案外すんなり逮捕される未来しか見えないだろうが!!」

 

 ゴッ、とエルメロイⅡ世の鉄拳がノアの頭を打ち据え、撃沈させる。彼は即座に股間のコテカ───バアルを投げ捨て、立香とグレイに言った。 

 

「荷物をまとめて空港に集合する。執行者部隊の派遣も要請しておくから、先に行ってくれ」

「立香さんにとっては里帰りですね?」

「また飛行機かぁ……」

 

 そんなこんなで、冬木市に戦塵の先触れが巻き起こるのだった。

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