自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
太平洋のどこか。
海洋油田基地セラフィックスはしめやかに爆発四散した。跡形もない、とまではいかないが、少なくとも跡形しか残らないほどには木っ端微塵になった。
セラフィックスを再建したとしても、全く別の部品で造られたそれはセラフィックスと言えるのか。世が世なら哲学者たちの議論の的になっていたであろう、そんな残骸の上。我らがカルデアレイシフトEチームの、名だたるサーヴァントたちが体育座りになって輪を作っている。
彼らが取り囲む中心には、ダンテが後生大事に抱えていたお椀が置かれていた。
代わる代わるお椀に手が伸び、中身の柿ピーをつまんでいく。
「───ここに魔神柱が現れたということは、まだ他にも存在する可能性がありますね。見た目は大根の癖に生命力はミント並みです」
「そうね。アンタなんか見た目はなすびの癖に耐久力はコドラだもの」
「ココドラじゃないところが、あの頃の純粋なマシュちゃんが失われた感じがあるな……」
「ペレアスさん。百億歩譲ってわたしから純粋さが無くなったとして、その前にBボタンを押せなかった方にも問題があると思います」
咎めるような目つきをするマシュ。ジャンヌは心底どうでも良さそうに、ピーナッツを口に運んだ。
「無理でしょ。アンタのソウルジェム第一特異点の頃からかなり濁ってたもの。闇堕ち寸前だったもの。ワルプルナスの夜だったもの」
「現役バリバリ魔女のジャンヌさんに言われたくないんですが? ここでグリーフシードに変わってもらってもいいんですよ?」
「絶賛遭難中でもこの変わらなさ、ロマニさんが見たら成長に歓喜するに違いないですわ」
「
フォウくんは目を細め、泣き笑うロマンの顔を虚空に投影した。もっとも、彼がマシュの変わり果てた姿に涙するのは一度や二度ではないのだが。
ダンテはロマンの幻影を背負いつつ、呟くような、しかし通る声で言った。
「というか……助けに来るのが遅くありません?」
それは、場の全員が目を背けていた事実だった。真っ青で鮮やかだった空は一面黒色に染まっており、彼らの頭上には満天の星空が広がっている。
こんな状況でなければ感動を覚える光景であったが、生憎と彼らの視線は褪せたお椀の柿ピーにしか向けられていなかったのだった。
マシュはぽりぽりとピーナッツを貪りながら、
「キアラさんや先輩のお兄さんがわたしたちを見捨てたとは思いませんが、確かに妙ですね。位置もそれほど離れていなかったはずです」
「薔薇十字団のメイド女じゃないの。虚数空間で船をワープさせるなんて芸当もできそうだけど」
「現代の魔術師としては破格の芸当ですが、不可能ではありませんわね。そもそも現代人ではないかもしれませんし」
「……ってことは、ウチの風雅な新所長はあのメイドに拉致されたんじゃねえか?」
ペレアスは何の気なしに呟いた。
ノアの魔術属性・無と対を成す虚数属性。その特性は『ありえるが、物質界にないもの』。通常の五大属性とは外れた位置にあるこの力の使い手は少なく、それ故研究の手が十分に及んでいない。
しかして、その価値は絶大だ。虚数属性の魔術師は通常観測不可能な別次元・別空間に干渉することができる。エレナ・ブラヴァツキーやアレイスター・クロウリーが西洋魔術にインド哲学を取り込むことで、魔術の形而上学的側面を押し上げたように、虚数属性は魔術の新たな領域を開拓する灯明足り得る。
そんな力の使い手が奇襲をかけてきたとすれば、風雅なゴルドルフ・ムジークとて成す術はなかったのではないか。ダンテは唸るような声をあげた。
「ええ、この状況ですとそう考えるのが妥当でしょう。古今東西ハニートラップにかかるお偉いさんは多いですからねえ」
「経験者は語るってやつ? アンタ一応フィレンツェの統領だった訳ですし」
「ははは、何を言うのですかジャンヌさん。私が色仕掛けに惑わされていたら、マラリアに罹るまでもなくジェンマにブチ殺されてましたよ!」
「素晴らしいですわ。なんだかジェンマさんとは気が合いそうな予感がします」
きらりと目を輝かせるリースの横で、ペレアスは苦々しい顔をした。確かに気は合うだろう。かたやベアトリーチェ、かたやエタードといった恋敵たちへの暗い情念という点で。
マシュは乾いた笑い声を響かせ、鮮やかだった瞳の色をドス黒い闇で満たした。
「まあ、それが分かったところでわたしたちにはどうにもできませんがね。この状況に今更ながら怒りが湧いてきました。こうしている間にも先輩とリーダーは遊び呆けているというのに」
「久しぶりに気が合ったじゃない。ここにいるのも飽きてきたわ。どこぞの預言者サマなら海を割ったり水の上を歩いたりできたんでしょうけど」
「いや、リースの『
「
そこで、マシュは唐突に切り出す。
「…………そういえば、ギャラハッドさんは生きながらにして天に召された騎士。ということは聖人のひとりと言えるのではありませんか?」
「そ、そうですねえ。聖人の定義は時代や地域、宗派によって様々ですが、逆に言えば多様な理屈が併存しています。ギャラハッド卿ならば認める人がいてもおかしくはないと……」
「なるほど。みなさん喜んでください、この場所から脱出する方法が見つかりました」
「
そんなフォウくんの声が届くことはなく。マシュは無駄に派手な変身バンクを挟み、戦闘形態へと変貌を遂げた。一同から発せられる冷たい視線を物ともせずに、彼女は雄大なる海との瀬戸際に屹立する。
「さあ、わたしに宿るギャラハッドさんの魂よ! この海を真っ二つに割るのです! さすればセラフィックスからのエクソダスは成し遂げられるでしょう……!!」
「……アンタみたいななすびがモーセの真似事なんてできるわけないでしょ」
「ふっ、分かっていませんねジャンヌさん。リーダーならともかく、わたしはかの大預言者に並ぶとまで自惚れてはいません。奇跡を起こすのはギャラハッドさんです。ギャラハッドさんだったらできると信じているまでです」
「それただの無茶振りですよねえ!!?」
そもそもモーセが紅海を割ったのはエジプトからイスラエル人を逃がすためであり、神の力添えを得たからで───といった薀蓄を、ダンテは喉元で押し留めた。
相手はいまやノアと立香に次ぐアホのなすび、理外の存在をどうして理屈で説き伏せることができようか。
「海を割るのですギャラハッドさん! いちいちわたしの武器をイジってきたベイリン卿や性癖暴露系騎士のランスロット某とは格が違うところを見せてください!! そしてあわよくば先輩を籠絡したリーダーに天罰をッ!!!」
「
「だいたい、あわよくばが本音になってるでしょうが!! ただの憂さ晴らしでしょうが!!」
「この人本当にマシュさんですか!? サクラが擬態してるとかじゃありませんよねえ!?」
ペレアスとリースが心の中でギャラハッドに十字を切っていると、唐突に脳内で声が響く。
〝助けてください〟
あまりにも聞き覚えのある声の、あまりにも悲痛な訴え。ペレアスはひくひくと唇の端を震わせて、一筋の冷や汗を流した。
「まさか、座から呼び掛けてきやがった……!?」
「生前の私ならいけましたが、写し身の今となっては無理ですわね。でも奇跡のひとつやふたつ起こせますわ! なんと言っても私が育てたランスロットのむす」
リースの発言を遮るように、ギャラハッドは告げる。
〝ちょっと湖の騎士の股間のアロンダイト呪ってきます。救世主も空腹なのに実をつけてないイチジクの木を枯らしたりしてましたしノーカンですよね〟
「待てェェェ!! それは流石にランスロットでもとばっちりだから!! あいつのアロンダイトなかったらお前この世にいないぞ!?」
「下半身事情ひとつで特異点ができてしまいますわね」
「アンタたち誰と喋ってるのよ」
ジャンヌは疑わしげな目でペレアス夫妻を見つめた。彼女の後ろでは未だにマシュが海とギャラハッドに向かって、無茶振りを繰り返していた。
第六特異点の砂漠よりも不毛なやり取り。しかし、その終わりが訪れるのは意外にも早かった。モーセが杖を差し伸べたように盾を掲げた瞬間、マシュの目の前で盛大に波しぶきが爆ぜる。
ダンテは目と口を大きく開いて、落下するみたいに尻もちをついた。
「ギャアアアアアア!! 割れたァァァ!!!」
カッ、とまばゆい光が絶叫するダンテの顔を照らし出す。
海面から半身を乗り出す、鋼鉄の艦体。近未来SFモノに出てきそうな風体の艦の照明は、ダンテの顔面だけでなく一同が漂流していた廃材の小島を広く夜闇から浮かび上がらせる。
船体の艦橋から、二つの人影が現れる。光によって縁取られるシルエットのうちの片方は、一同がよく知るものだった。
「いやはや、海域一帯に認識阻害の魔術を施すとは、薔薇十字団の面目躍如と言ったところか。あのビームを撃ち込むこともできただろうに、舐めプでもしているのかな?」
レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼女はどこか軽薄な笑みを浮かべながら、もうひとつの人影に話しかける。
「それこそが薔薇十字団の矜持ということでしょう。脱出した職員たちも丁寧に送り返したようですし、スノーフィールドにおいても死者はなかった。彼らに砲撃を落とさなかったこともまた同じ」
さて、と話を切り上げて、それはマシュたちを向く。
「───異なる世界とはいえ、アトラス院で好き勝手してくれたようですね? Eチームのみなさん」
紫の髪を二つ結びにした、紫の制服の女性。眼鏡のブリッジを指で押し上げる動作ひとつ取っても、Eチームとは比べ物にならぬ知性の輝きを放っていた。
一同が唖然とする中、ジャンヌはぽんとマシュの肩に手を置いて、
「たった今アンタのメガネ属性は終わりを迎えたわ。これからはなすび一本に絞っていきなさい」
「勝手にわたしのメガネっ娘属性を殺さないでもらえますか。それにわたしには後輩属性もあります。動物で例えたらケルベロスもしくはキングギドラです」
「これからのマシュ・キリエライトはケルベロスでもキングギドラでもなく、なすび・なすび・なすびでいくから。次の出番までに意識付けしときなさい」
「誰がニシローランドゴリラの学名ですか!?」
さっそく話の鼻っ柱をへし折られ、知的な眼鏡の女性は苦々しい顔で口をつぐんだ。映像で見るゴリラと実物のゴリラが違うように、実物のEチームは記録よりもリアリティに溢れるアホさ加減を脳に叩き込んできたのである。
しかも、ノアと立香が不在という飛車角落ちの状態で。霊長類最強生物ゴリラと遊んではいけないのと同じく、常識人はEチームに触れてはならないのだ。
ダンテは眼鏡の女性への同情心を抱き、マシュとジャンヌをよそに会話の主導権を明け渡す。
「こ、こちらの二人は気にしないで続けてください」
「……感謝します、ダンテ・アリギエーリ。とはいえ、事情は中で説明した方が良いでしょう。カルデアの職員もいますので」
「職員も、ということは我々はこれからどこかに行くのですか?」
「その通り。私たちが向かうのは日本の冬木市───その地に在る大聖杯を薔薇十字団よりも先に押さえるのです」
彼女は、結論だけを端的に述べた。
一同の理解をひとまず隅に追いやり、今すべきことだけを示す。魔術師にはよくある論理の飛躍だ。ノアの場合は結論ですら理解できないことが多々あるが。
ペレアスは脳裏に浮かぶマーリンの幻影を振り払うように、小さく頷いた。
「さっぱり分からんが、ダ・ヴィンチがいるってことは敵ではないんだろ?」
「そうだね。むしろ味方と言って良い。薔薇十字団の───シモン・マグスの計画を止める同志さ」
「それなら、自己紹介くらいしてもらわねえとな。仲間の名前も知らずに戦うなんて御免だ」
「……そうですね。失礼致しました、ペレアス卿」
レンズ越しに眼光を閃かせ、彼女はその名を告げる。
「私はシオン・エルトナム・ソカリス。アトラス院の霊子ハッカーです。Eチームのマスターには後々たっぷりと話を────」
「…………終わったな、ノアのやつ」
「ノアくんはともかく、立香ちゃんはとばっちりだけどね」
「むしろ裁かれるべきはノアさんとダ・ヴィンチちゃんですよねえ……?」
ダンテは怪訝な目つきでダ・ヴィンチを眺めた。どこまでも面の皮が厚いのが、カルデアの誇る二人の天才だ。同じくダ・ヴィンチに視線を送るシオンも恨めしげな顔をしていた。
こほん、とシオンは咳払いを挟み、場を仕切り直す。無駄は容赦なくカットするのがアトラス院の流儀なのだ。
「それでは早速出発! 全速力で冬木市を目指します!!」
「強引に話を進めてきましたわ」
「ええ、仲間になるからにはEチーム流の尺稼ぎ術を叩き込まなければなりませんね」
「という名の尺稼ぎやめてくれます?」
時を遡り、セラフィックス大爆発のしばらく後。虚数空間にて、藤丸兄とキアラは摩訶不思議な光景を目の前にしていた。
「ふむふむ。やっぱり国連の下部組織のカルデアの下部組織……だけあって、国際色豊かですね」
「この人数は流石に骨が折れるんじゃないの、マスター? あなたの虚数魔術は確かに反則級だけれど」
「大丈夫よ、バーサーカー。世界の主要都市くらいは全てマーキングしているもの。伊達に400年もお父様のもとで修業していないんだから」
「あら頼もしい。どこぞの英雄サマとは大違いです」
「あ、あの方と比べられるのは畏れ多いわ?」
混沌の色彩に支配された異空間。上下左右、天地の感覚すら曖昧にする世界の中で、メイド少女と喪服の美女だけはのほほんとした雰囲気を醸し出していた。
船を足場にしなければ、キアラたちは直立を保つこともできなかっただろう。人間が生身で虚数空間を訪れるとは、海の魚を突然空に放り出すに等しい。
そもそも、生身の人間がこの空間で平常でいられること自体が異常だ。ただひとつ確かなのは、メイド少女の魔術が虚数空間の悪影響すらも完璧に遮断しているという事実だ。
「それでは、順番に故郷の都市に送ります。路銀は大丈夫ですか?」
「「「「「ごめんなさい、ペリカしかありません」」」」」
「ペリカって何よ!? どこの通貨!? ラインの黄金みたいに呪われてないでしょうねぇ!?」
「ある意味呪われてますね。俺たちの血と汗と涙が染み込んでるという意味で」
当惑するバーサーカーに、藤丸兄は平坦な口調で言った。ラインの黄金が呪いの財宝だとするならば、セラフィックス謹製通貨ペリカは人の業の塊である。
なお、ラインの黄金はとあるホムンクルスの大家に運用されているのだが、バーサーカーがそれを知る由はなかった。
現代の大都市は利便性において前時代と一線を画すが、それにしたって先立つものは必要だ。メイド少女はがま口財布を取り出し、その口を下に向ける。
すると、財布の体積からは明らかに逸脱した量の紙幣が滝の如くなだれ落ちた。
「ドル紙幣しかないのですが、これで足りますか?」
「いえ、足りませんね。この五倍くらいないと」
「嘘つかないでください班長!! これだけあれば帰るどころか全員で宴会だってできますよ!」
「この人だけは裁判所に送り届けるべきでは……?」
悪逆無道の班長を止める藤丸兄と、疑いを向けるキアラ。ひと悶着はあったものの、職員たちは無事交通費を受け取り、帰路につくことになった。
日本への移動を望んだのは藤丸兄とキアラのみ。メイド少女が用意した空間の抜け道をくぐる直前、キアラは彼女に問いかける。
「…………虚数魔術の使い手でも、こんな芸当をできるのは現代であなただけでしょう。あなたは───あなたたちは何者なのですか」
少女は微笑み、答えた。
「私たちは魔術師です。生命の樹を登り、
故に、私たちは命を奪わず。
故に、私たちは
余計なお世話。それで構わない。磔にされた救世主だって、みんなの幸せは望んでも、みんなに感謝されることは求めなかったのだから。
「そして、私は───あなたがた人間がより善く日々を過ごせることを祈る、化け物です」
その微笑みは影を帯びていて。
それで、キアラには少女の本質が分かった気がした。
自と他を断崖の如く分かつ、疎外感。自分は、自分だけは、他者と異なるという孤独が彼女の原動力であるのだと。
「それでもあなたの隣には、ヒトがいるのですね」
そうして、キアラたちは故郷への帰還を果たした。
二人が出たのは東京、渋谷。人目につかぬビルとビルの谷間だった。藤丸兄とて魔術の世界の一端は知るものの、つくづく少女の業が異端であることを思い知らされる。
本当に海の上から街に飛んだのか。それを体験したのにも関わらず、彼はあの空間の存在を確かめるように振り向く。
そこに混沌の色彩の名残はなく、薄汚れた灰色の壁があるだけだった。けれど、壁の汚れに紛れるように一個の英単語が書き付けてあった。
「C、RO……
鞄の底に放置されていたイヤホンみたいに絡まった糸を紐解く。クロアトアン。この語が表すのは地名だったはずだ。それも、何か曰く付きの。
脳みその容量は大きい方ではないが、その分探し物は見つけやすい。思い至りかけたところでキアラの声が聞こえ、捜索を打ち切る。
「藤丸さん」
「あ、はい。どうしました?」
「これから無職になるそうですが」
「キアラさん??」
必死に目を背けていた現実が牙を剥く。遅かれ早かれ直面していたはずだが、それがキアラによってもたらされるとは夢にも思っていなかった。
彼の思考からは目の前のサインのことなど雲散霧消していた。実家に帰った時の親への言い訳や職探し等々、考えるべきことは山ほどある。ただでさえ少ない脳のメモリを落書きごときに割く余裕はないのだ。
キアラは泡を食って、顔を左右に振った。
「あ、いえ、煽ったつもりではなく! 働く場所がないのでしたら、私のところに来るのはどうかと思いまして。小さいですが、診療所を建てるつもりなんです」
「良いんですか? 俺が持ってる資格と言ったら運転免許と英検とけん玉検定くらいですけど」
「そ、そこはおいおい考えましょう。こちらが私の連絡先です」
キアラは電話番号が書かれた紙を差し出す。機械には疎いのだろうか、インターネット全盛のこの時代ではいささかの古めかしさを漂わせている。
それを受け取る瞬間、さらりとした指の感触が伝わった。キアラは慌てて手を引っ込め、顔を背けて消え入るような声を出した。
「───ぁ、ごめんなさい……」
(やめて、惚れちゃう)
と、紆余曲折ありながらも、藤丸兄は再就職先を手に入れて帰路につくことができたのである。
そんなこんなで、埼玉県某市某所。銀行でドル紙幣とペリカを日本円に換金し、実家に着いた藤丸兄は両親から〝あれ? 永久機関は?〟や〝エジプト土産とかないの?〟などといった怒涛の追及を受け、枕を涙で濡らしながら眠りについた。
翌日、昼前に目を覚まし、居間に降りたところ、彼は現実を疑うような光景を直視することとなる。
しゃこしゃこと硬質のモノが擦れ合う音。
透き通るような刀身が凍てついた光を反り返し、一層鋭さを増していく。
それは昭和刀と呼ばれる剣だった。太平洋戦争下、軍人のための刀剣として機械生産された刀剣。職人が手造りする日本刀とは製造過程が異なることから、戦況の悪化につれて粗悪品が出回るようになった悲しい経緯を持つ武器だ。
それを研ぐのは藤丸家の大黒柱兼ATMの父親であった。どこから引っ張り出してきたのか、羽織と袴を装備している。
藤丸兄は両目をしばたたかせて、一言、
「……なにやってんの」
「なにって、見れば分かるだろ。じいさん……お前のひいおじいちゃんの軍刀の手入れしてるんだよ」
「なんで今更!? それ倉庫に放置されてたやつだし!!」
藤丸(父)は血走った目を息子に向けた。
「そりゃお前、刀の手入れする時なんてやることはひとつだろ。俺がこの手で斬らなきゃいけないやつがいるんだよ」
「ちょっと、この人殺しに手を染めようとしてるんだけど!! 母さん警察呼んでェェェ!!」
「お母さんは買い出しに行きました。つまり罪を被るのは俺だけという寸法です」
「その寸法絶対間違ってるから! 丈がダルンダルンになってるから!! いやマジで何があった!!?」
藤丸兄の絶叫が未だ住宅ローンの残る一軒家に轟く。バリバリ現代人の父親の口からまろび出る言葉はまさかの戦国時代。誰かに聞かれれば通報不可避の時代錯誤だ。
どこぞの浪人は刀の手入れで経験値取得量上昇の効果を得るが、生憎現実では手入れは手入れ以上の意味を持たない。藤丸兄は父の純粋な殺意を感じ取った。
父親はさあっと涙を流しつつ、肺が捻くれているかのようなおぞましい声を発する。
「───来るんだよ、ヤツが。立香が産まれてから最も危惧していた事態が現実になっちまった」
「ヤツ?」
「立香の彼氏です」
「娘の彼氏斬ろうとしてたのかよォォォ!!!」
サッカー部でフリーキッカーを担当していた男の渾身の飛び蹴りが父の顔面に突き刺さる。なお、刃物を持っている人に飛び蹴りをすることはとても危険なので良い子も悪い子も真似してはいけない。
父は鼻頭を押さえながら、不機嫌に言う。
「おいおいおい、人にドロップキックするような子に育てた覚えはないんだが? やるなら頭突きくらいにしておきなさい。ジダンみたいに」
「うるせーマテラッツィ!! 人を斬ろうとするような親に育てられた覚えの方がねーんだよ! 親馬鹿極まりすぎだろ!」
「親に向かって馬鹿とはなんですか。全国のお父さんに謝りなさい。娘が彼氏を連れてくる時ってのはな、全てのお父さんはATMのガワを脱いで武士にならなきゃいけないんだよ」
「頼むからATMのままで鎮座しててくれ!!」
藤丸兄は深呼吸を行い、天井を突破したボルテージをなんとか引き戻す。肉親の凶行はともかく、妹に恋人ができたことは喜ばしい。祝ってやるのが兄の役目というものだろう。
「立香に彼氏がいること自体初耳なんだけど。写真とかないの」
「……あるけど」
藤丸父はスマートフォンを取り出し、その画面を見せつけた。
妹と長身の男が並んだ画像。場所は外国だろうか、異国情緒溢れる街が背景に広がっている。流れからして、隣の男が件のヤツだろう。彼は死んだ魚のような目で佇んでいる。
藤丸兄はニヤケ面で感想を言った。
「おお〜、ハリウッド顔負けの美形。やっぱり外国人は骨格からして違うなぁ。背ぇ高いし脚長いし顔小さいし……玉の輿じゃん」
「アホですかお前は。こんなん見た目が良いだけだよ。この年頃の男なんて一皮剥けばケダモノだよ。どうせこいつヤ○○ンだよ」
「ねえこの人今なんて言った? 最低なこと言わなかった? 人を見掛けで判断するなって教わらなかった?」
「その言葉がブーメランになるって気付いてるか? たとえどんな見た目だろうが、その人の性格とは関係ないでしょうが。つーかこれくらいなら昔のお父さんの方がイケメンだから。絶対こいつより優しいから」
「せめてブーメランをこっちに投げて!?」
父はブーメランを息子に投げるのではなく、ブーメランで自らの腹を裂いた。迷走の果てしなさが如実に現れた言動である。彼も、まさか画像の中の白髪男が恋愛感情を抱いたのは後にも先にも二人の女性だけとは思わないだろう。
「もうアレだよ。レイアが恋人連れてくるって言うから楽しみにしてたら、ハン・ソロとかいうチャラ男が出てきたアナキンの気分だよ。そりゃ闇堕ちだってするさ。ライトセーバーだって赤く染まるさ」
「スターウォーズそんな話じゃねーよ! ハン・ソロだってイイ男じゃん! 親なら祝ってやれって!」
「だってあいつらの息子盛大にグレるじゃん。いい歳してベイダーのパチモンみたいなコスプレするじゃん。だったら俺がベイダーになって介錯するしかないだろ」
「このアナキン、ルークでも救えないんだけど!! ダークサイドの誘惑が強すぎるんだけど!!」
というよりもはやダークサイドの化身だった。あのヨーダとてフォースの暗黒面に落ちれば二度と戻ることはできないと言っている。日本の片隅のただのおっさんがライトサイドに帰還するなど夢のまた夢だ。
藤丸父は軍刀を鞘に収め、ドンと床を突く。その様はまるで切腹寸前の武士だった。
「ともかく、立香がこんなやつの毒牙にかかるのは見過ごせん。娘がやられるくらいなら俺が犠牲になる所存だ」
「彼氏の方から願い下げだよ。あんたのジャバ・ザ・ハットみたいなケツなんて一銭の価値もないよ」
「ちょっと? さっきからお父さんに辛辣すぎない? ルークばりの善の心で慰めて?」
「You are not my father」
「Nooooooooo!!!」
藤丸兄は立香の帰宅に備えるべく、服を着替えようと立ち上がる。腰にすがりつく父を引きずりながら。
その瞬間、居間にインターフォンの音が鳴り響く。
二人の間に寒々しい緊張感が走る。来訪者が誰であるかは考えるまでもない。藤丸父は軍刀を握り締めて、瞳に鋭い光を宿した。
「行くぞルークよ。ハン・ソロを血祭りにあげる時がいよいよ来た」
「いや本当に捕まるから! せめて刀は置いていって!!」
玄関へと大股で歩く父と、それを止めようとする息子。先程までとは逆転した構図だった。が、その歩みを阻むことは叶わず、ついにドアに手を掛ける。
がちゃり、と扉を開けた先には愛娘。見慣れたはずのその姿はしかし、家を発つ前とどこか見違えて目に映った。
何かを成し得た人間だけが持つ風格、貫禄。立香は違和感で硬直する二人の心情を知る由もなく、口を開く。
「ごめんね、急に。今日は泊まっていくから……あれ? なんでお兄ちゃんいるの。永久機関は?」
「ああ、永久機関は闇の勢力に妨害されて完成させられなかった。お前こそよくも俺の黒歴史を─────」
「どきなさいアホ息子。立香、件の彼はどこかな? お父さん少しその子とふたりきりでお話しなきゃいけないから」
手を後ろに回して刀を隠し、引きつった笑みを浮かべる藤丸父。ぎちぎちと表情筋が軋みを立てるような顔面を向けられ、立香はぎょっとした。
立香は振り向いて、ちょいちょいと手を招く。
「ほらほら、来てください。恥ずかしがってるんですか」
「え、なに? そんなシャイな子なの? 大丈夫だよお父さん優しいから。会社の新人にもシュレッダーとか頼まれるくらいだから」
「それナメられてるだけだよ。ダース・シュレッダーだよ」
硬い響きを帯びた足音が近付いてくる。
さらには重厚な呼吸音が入り混じり、思わず身を竦めるような空気が漂う。
立香の横に現れる、漆黒の影。それは玄関の上下を埋め尽くすほどに巨大だった。全身をほとんど黒一色の鎧兜で覆い、金属質の光沢がなめらかに光を反射している。
コーホーと息を吐きながら、それは言った。
「………………ハジメマシテ」
某世界的SF映画の超大人気キャラクターを前にして、藤丸父子に落雷の如き衝撃が走る。
((────ダッッッ……ダース・ベイダー来たァァァァァ!!!!))
で。
藤丸家のリビングルーム。普段家族で団欒する空間は異様な雰囲気に包まれる。
妹彼氏と向かい合う、アナキンとルーク。不気味な沈黙が漂う居心地の悪い空間で、ジェダイ二人は震えながら俯いていた。
少し視線を上に向けると、紛れもないダース・ベイダーが荒い呼吸をしながら鎮座していた。ますますこれが現実であることを思い知ると、彼らはひそひそと口撃を交わす。
(おいどうすんだよなんでベイダー卿がここにいるんだよ。2mのベイダーの迫力半端ねえよ。泣きそうだよ。頭の中で帝国のマーチが鳴り響いてるよ)
(そもそも写真のアレがどうしてこうなったんだ。日本来るまでにオビ=ワンと決闘して焼かれたりした? 俺がアナキンのはずなんだけど)
(あっそう。じゃあ俺トイレにハイパースペースジャンプしてくるから)
(待てうかつに動くな! ここは既にヤツのフォースグリップの間合いだぞ!!)
けれど、このまま停滞している訳にはいかない。
藤丸父は意を決する。この程度の地獄の空気感はとうに社会人生活で慣れている。上司の弁当箱にモデルガンが入っていた時とか、同僚の友達が経費を横領しているのが飲み会で発覚した時とか。
何より、娘に不甲斐ないお父さんと思われてはいけない。彼は洗練された営業スマイルで表情を塗り固めた。
「ダース……ノアトゥールくんはどこの出身なんだっけ? やっぱりタトゥイーン? あそこ砂漠ばっかりで何もないでしょ」
「お父さん、この人普通に───ではないけど、デンマーク生まれ」
「ああ、そうなんだ。日本語分かる?」
ベイダーは一瞬考え込み、
「……オーゥ、ワターシ、ニポンゴ、ワカリマセーン」
「完全に分かってるよね。ちゃんと答えてるもんね。そんな流暢なカタコト聞いたことないよ?」
外国人のテンプレートみたいな発言をするシスの暗黒卿。カタコトではあるものの、日本語ネイティブが模倣して発声しているかのような完成度の高さだ。
「し、室内だし脱いだら? 立香の彼氏なら家族も同然なんだし、ゆっくりくつろいでよ」
「これは生命維持装置なので外せないんです。どうぞおかまいなく。構うなら永久機関の方にしといてくださいアホ兄貴」
「なんでこんな辛辣!? 立香、絶対俺のネガキャンしただろ!!」
「事実がネガキャンになるお兄ちゃんの方に問題があるんじゃ?」
藤丸兄の胸に言葉の刃が突き刺さる。確かに自分自身、他人に誇れるような人間ではない。高校時代、校舎の至るところに薄い本のページを仕込んで、イースターエッグと称して友人に探させた挙句、停学を食らったようなアホである。
自己嫌悪で撃沈したルークを尻目に、アナキンは机から身を乗り出す勢いでベイダーへ詰め寄った。
「うん、それはいいんだけどさ。その格好はどうかと思うな。色々と腹を割って話さなきゃいけない関係なんだし」
「ああ、ベイダーはお気に召しませんでしたか? すみません、日本の文化には疎いもので。腹を割るって言うとダース・モールの方が良かったですかね」
「そっちは腹割るどころか真っ二つになってるよね。というか親に挨拶に来るのに暗黒卿はないよね。なに? デンマークってそんな修羅の国なの?」
「いえ、せっかくなんでキメてきたつもりなんですけど」
「キマってるのはお前の頭の方だろ!!」
怒号を飛ばす藤丸父。自身の前時代的な服装は完全に棚に上げていた。価値観の違いが障害になるのは国際結婚ではよくある話の種だが、根本からして彼らは常識人ではなかった。
ベイダーと立香はこれみよがしに内緒話をする。
「おいどうなってんだ。お前の親父めっちゃ言い掛かりつけてくんぞ。このコスプレ作るのにどんだけ気合い入れたと思ってんだ」
「やっぱりキャラの選び方がよくなかったんですって。だから全身緑塗りにしてヨーダにすればいいって言ったじゃないですか」
「オイオイオイ、俺が全身緑にしたらヨーダじゃなくてナメック星人になるだろ。作品が変わっちゃうだろうが」
「そもそもコスプレしてくるのがおかしいって分からないかなァ!?」
アナキンの追及を受けて、ベイダーはいそいそと鎧を脱ぎ始めた。
新雪を思わせるほどに真っ白な髪と肌。宝石をはめ込んだような瞳。日本の一般家庭には不釣り合いな、絵本の白馬の王子様をそっくりそのまま出したかのような見た目をしていた。見た目だけは。
さらには藤丸家の冷蔵庫を勝手に物色しながら、
「意外と真っ当なラインナップじゃねえか。てっきりホットケーキミックスで埋め尽くされてると思ってたが」
「ああ、それなら地下室に買い溜めがあると思いますよ。わざわざそのために造ったんで」
「懐かしいな……家建てる時にこれだけは譲らないって言われて喧嘩になったな。次の日弁当箱にホットケーキミックス敷き詰められてて度肝抜かれたな」
「え、ご褒美じゃないの?」
「それがご褒美になるのは人類で母さんとお前だけだよ」
藤丸兄は突き放すように告げた。藤丸家に代々受け継がれるホットケーキミックスの呪い。それはアメリカ人の曾祖母が輸入してきたことが始まりだと言われているが、真相は定かではない。
ノアは冷蔵庫から引っ張り出したガリ○リくんを口に運びつつ、テレビ前のソファーにどっかと座った。
「俺たちは仕事が明日まで止まってる。ここに来たのは単なる暇つぶしだ」
「いきなりくつろぎだしたんだけどこの子!? それ俺が後で食べようと思ってたのに!!」
藤丸兄妹は蓋に『父』と書かれたプリンを手に取って、ノアの両隣に座り込む。
「まあお堅い面談みたいなのは俺たちには似合わないよな。ゲームやろうよ。互いに潰し合って友情を深めようぜ」
「立香の兄貴のくせによく分かってんな。うんちカードでハメ殺されるかハイドラでボコられるか、好きな死に様を選ぶ権利をやるよ」
「それよりもっと直接的に格ゲーでキャラの
「お父さんほっぽって仲良くならないで? 血とうんこに塗れた友情築こうとしないで?」
対戦型ゲームは友達の力量が自分より高かろうが低かろうが、常にリアルバトルに発展する可能性を秘めている。現代においては人間の暴力性と闘争本能が公然と発揮できる数少ないフロンティアと言えるだろう。
ノアは藤丸父へと振り向き、ニタリと挑発するような笑みを浮かべる。
「言葉を交わすより拳をぶつけ合った方が早い時もある。男と男なら尚更な。無様晒す覚悟ができたら座れよ、お義父さん?」
「上等じゃあァァァァ!!! 二度と泣いたり笑ったりできなくしてやる!!!」
ということで、挨拶の体など宇宙の彼方に吹き飛んだゲーム大会が幕を開けた。
藤丸母が買い出しから戻ってきた時、居間はとうに罵声と怒号が飛び交う闘技場と化していた。その一部始終はあまりにも人の醜さが詰め込まれていたので割愛とする。
夜。久しぶりに賑やかな食卓となった藤丸家の夕食。神妙な面持ちをする男たちとは裏腹に、藤丸母は輝かんばかりの笑顔を見せた。
「ノアくんはデンマークの人だし、やっぱりお米よりパンだと思って。お口に合いそうかしら」
言った通り、食卓の上にはありとあらゆるパンが並べられていた。おかず系からデザート系まで一通り揃えた、まさにパンの見本市と言える気合いの入れようだ。
それは良い。それだけなら良かった。少なくとも、ノアの辛口と毒舌が抑え気味になるくらいには見事な出来栄えだった。
ノアは手元に用意された小皿をつまんで持ち上げた。その上には職質の際に勘違いされそうな白い粉が盛り付けられている。
「……おいこれまさか」
「ええ、かけるでしょ?」
「さも当然みたいに言うな。原始人でももっとマシな食い方するぞ」
「家庭の常識って意外と世間と違ったりしますよね」
「そりゃそうだろ。どこの世間にもホットケーキミックスかけるような常識存在しねえよ。渡る世間にホットケーキミックスはなしだろ」
と、ノアにしては真っ当な文句をつける横で、藤丸父&兄は牧場の家畜みたいに黙々とパンを口に運んでいた。すさまじい調教のされようだ。
このパンたちも元はホットケーキミックスだったに違いない。この夕食だけで日本のホットケーキミックス消費量に一役買っていそうなほどである。
ノアは自らのホットケーキミックスを藤丸兄の小皿に移し、適当に掴んだパンを齧った。
藤丸母は優しく笑いかけて、
「どう? おいしい?」
「悪くない。あとはその呪いをなんとかしろ」
「お母さん、この人の悪くないはすごく良いってことだから」
「なるほど、ツンデレなのね!?」
ノアは表情を能面で武装して、気怠げにパンを食らった。
「そういえば、お仕事の合間に来たって言ってたけど……二人は何やってるの?」
「んー、世界を護るお仕事? 明日は飛行機の準備ができたら冬木って言うところに行って──────」
「冬木市? 十年くらい前にあそこのガス会社が軒並み事故やらかして、倒産か撤退したとか…………幸い死傷者はいなかったはずだが、一応お守りとしてひいおじいちゃんの刀を持っていきなさい」
「手荷物検査で引っかかるだろ。だいたい、冬木市のガス会社になにがあったんだ」
視界に映るすべてが眩しい。
思わず目を細めてしまうほどに。
ここには時間が積み重なっている。
立香が産まれ、生きてきた時間が。
自分は彼女の時間の一端しか知らない。そのことに湿った感情を抱かないではないが、それを補ってあまりあるモノが胸中を包んでいた。
懐旧心。そして、憧憬。今まで、得たかと思えば失ってきた暖かな場所。カルデアと同じようで少し違う、カルデアが埋めてくれた多くの心の隙間の、残りを包んでくれる場所。
いつか終わりを迎えるなら、こんな場所が良い。
そんな、甘い
ついぞ、彼は自分が微笑んでいたことに気付かなかった。
微睡みの中で、夢を見る。
〝少年。君の論文を読ませてもらったよ〟
つややかな黒の長髪。神秘的な知性をたたえた瞳。冷たい美貌を少しばかり歪めて、彼女は笑っていた。
〝これはまあ、うん、その……アレだな。かのロードが苦言を呈したのも分かる。いや、悪いと言っているのではないのだぞ? ただ、自分の妄想を書き連ねた紙束は論文とは言わないし、チラシの裏にでも──────〟
〝もういいよ! 分かってるよ! いっそ悪いって言ってくれよ!! どうせ魔術は血統ゲーなんだろ!?〟
〝いいや、私はそうは思わない。血統は確かに魔術師の能力に大きく関わる。だが、それが全てと言うのは間違いだ〟
───現に、近代魔術の歴史を織り成した魔術師たちは、その多くが裏の世界とは無縁な血脈から生まれている。
魔術師にとって何故血統が大きな意味を持つのか。その要因は概ね魔術刻印に集約されるだろう。
魔術師は己の研究成果の全てを子孫に継承する。それを担うのが魔術刻印であり、各々の代が生涯をかけて得た神秘が内包されている。
俗な喩えをするのならば、親から子へと壮大なリレー小説を書いているようなものだ。代を重ねるごとに紙幅は厚くなり、ストーリーの複雑さは増していく。
それ故、歴史の浅い家系は遅れを取らざるを得ない。スタート地点が違う上に、筆を執った者の人数も桁が違うのだから。
〝少年の魔術刻印は、そうだな。真四角でちょうど……下敷きのような形をしているな〟
〝おい馬鹿にしてるよな。真っ向から馬鹿にしてるよな。誰の魔術刻印が文房具だって!?〟
〝───私は、魔術刻印を持っていない〟
〝…………は?〟
女はくすくすと笑って、
〝私の親は魔術とは無縁でね。私にはその下敷きみたいな刻印もないんだ。君は三代目だったか? 魔術師としては私よりよほど真っ当だ〟
〝自慢にしか聞こえないぞ。オマエには魔術刻印なんかなくたって十分な才能があった、それだけだろ〟
〝それも否定はしない。少年、君がこの論文で言いたいことはつまり……〟
……家の歴史の長さは魔術刻印の複雑さと魔術回路の本数に直結する。だが、それは魔術に対する理解とより効率的な魔力の運用によって、いくらでも補うことができる────と、少年は信じていた。
けれど、彼女はそれを一太刀で斬って落とす。
〝君は他者に劣る部分を埋め合わせようとしている。それは業を究める上で毒となるだろう。どうあがこうが君は君で、ある日突然刻印や回路が増えたりはしない〟
だから、誰よりも高みに立つことではなく、誰にも真似できないことを目指すべきだ。
そう言って、女は少年の頭を撫ぜた。
〝君はこれから何度も苦労して、何度も挫折するだろう。だが、これを書いたその想いを忘れなければ、きっと君は誰も見たことがない魔術師になる〟
〝や、やめろっ。子ども扱いするな〟
〝ならば成長してみせろ。古今東西の英雄と精強なる魔術師が相争うこの戦場で。君のライダーとともにな〟
〝当たり前だ。言われなくたってやってやる。まずは各陣営の偵察だ、行くぞライダー!!〟
揺蕩う意識が引き戻されていく。
夢想と現実のあわいで、彼は聞いた。
たとえどれほどの時を経ても忘れるはずのない、主君の声を。
〝うむ、その意気や良し!! 派手に宣戦布告と参ろうか!!〟
緩やかにまぶたが持ち上がる。
すっかり闇に慣れきっていた目が光に驚き、じわりと涙が滲む。
右肩をつつく、細い指の感触。反射的に首を向けると、あわや衝突する距離に灰色の少女の顔があった。
内弟子、グレイ。彼女は短く告げる。
「師匠。冬木に着きました」
「……ああ、そのようだ」
「こんな時に眠りこけるとは、やはり人間は非効率的な生態をしてい」
「軟体大根に言われてたまるか!!」
エルメロイⅡ世はやんちゃ生徒たちを阿鼻叫喚させたアイアンクローをもって、魔神柱バアルを締め上げた。
二人と一本を冬木まで運んできたのは魔術協会が手配した車だった。エルメロイⅡ世は運転手に謝礼を渡し、囁くように話す。
「薔薇十字団に気取られぬよう注意して戻ってくれ。彼らが本気を出せば造作もないだろうが、用心するに越したことはない」
「ええ、もちろんです。執行者部隊の統率者は予定の場所に。詳しい話は彼らに聞くと良いでしょう」
「助かる。……では」
排気音を立てて、車が離れていく。
かくして、エルメロイⅡ世は冬木の地を踏み締めた。
────結果から言って、冬木への渡航は想定以上に時間がかかってしまった。その元凶はアンナ・キングスフォード。周囲の機械に不調を起こす魔術『
グレムリンは元々英国の空軍で噂になったと言われる、機械に不調を起こす妖精だ。まさしくその面目躍如と言えるだろう。
そこから薔薇十字団に悟られぬように極秘の機体を用意し、日本に飛んだ。が、エルメロイⅡ世が指を咥えて時間を無為にすることはなかった。
時計塔を通じて、日本に滞在している執行者たちに協力を要請。先んじて冬木へ急行させ、大聖杯を押さえようとしたのだ。
そんな訳で、冬木市を縦断する未遠川より東側の新都、駅前パーク。様々な店が立ち並ぶ、冬木市民の休日のお出かけスポットだ。
「人が多いですね。聖杯戦争が行われたとは思えない活気です」
「そこはソロモン王の手腕と言うべきだろうな。人的・物的ともに最小限の被害で聖杯を掴み取ってみせた。まさしく人智を超えた御業だ」
「こんな大根を創り出せるほどですからね」
「くっ、力が戻れば貴様らなど八つ裂きにしてくれるものを……!!」
冬木市の地理を大雑把に解説するならば、中央の川より東側は都会の新都、西側は田舎の深山町と言った具合だ。南には山を背負い、北は海へと繋がっている。
駅前パークの一角にある喫茶店。そこが執行者部隊を統率する役割を担う───押し付けられた───男との待ち合わせ場所だった。
喫煙席にて、悠々と煙をふかす強面の巨漢。エルメロイⅡ世とグレイはおしゃれな喫茶店の一席を世紀末の酒場と錯覚してしまう。
「よう、来たな」
獅子劫界離。数多いる執行者の中でも指折りの実力を有する死霊術師。エルメロイⅡ世同様、ノアの犠牲者でもある人物だった。
中東におけるシモン・マグスの末裔の排除と、『
「カリスは元気してるか?」
「ああ、おてんばすぎて手を焼くほどだ。魔術師としても大きく成長している。長ずれば色位に届くのは間違いないだろう」
「まああんな魔術があればな。ところで、そこのキモいのはなんだ?」
「魔神柱バアルだ。次に侮辱を口にすれば地獄の責め苦を貴様に与えよう」
獅子劫は肩をすくめて笑い飛ばす。
「その体たらくでか? 今のお前よりビール瓶持った小太りのおっさんの方が強そうだぞ?」
「概ね四級呪霊以下の強さですね」
「その通りだ。これのことは奇っ怪な見た目をしたアレ○サとでも思ってくれ」
「スピーカー如きと一緒にするな!!」
だが、と獅子劫は翻して、赤熱するたばこの先でバアルを指した。
「好都合だ。そいつがいれば、大聖杯に手出しができるかもしれない」
「どういうことだ?」
獅子劫は順を追って説明する。
冬木の聖杯の隠し場所は既に割れていた。なにしろ、Eチーム最初の戦いが冬木市であり、聖杯が鎮座する大空洞にて終わりを迎えているのだから。
冬木を流れる龍脈。その要たる大空洞を抑える柳洞寺。獅子劫ら執行者は誰よりも早く大空洞に辿り着くことに成功した。柳洞寺の僧侶と法務員たちには魔術的手段を使ったが。
「だが、肝心の大聖杯への道が塞がれてた。見たこともない式の結界でな。そんな芸当が叶うヤツは、冬木の聖杯戦争じゃあひとりしかいないはずだ」
すなわち、ソロモン王。
マリスビリー・アニムスフィアとともに聖杯戦争の勝者となったサーヴァント。彼は如何なる目的か、大聖杯への経路に結界で蓋をしていた。
西洋魔術の始祖たる王の結界。現代の魔術師では干渉することすら難しい。
マリスビリーの勝利の後、大聖杯は冬木に置き去りにされていた。魔術師の中にはこう思う者も少なくなかっただろう────大聖杯を手中に収めれば新たな儀式ができる、と。
だが、2004年以来、聖杯戦争が開催された記録はない。ソロモンの結界が盗人たちの壁となっていたなら、それも腑に落ちる。かの者の御業を凌駕できるなら、聖杯は無用の長物となるはずだから。
「そのバアルはソロモン王の眷属だろ? だったら、結界を解くとはいかなくても穴を開ける程度はできるんじゃねえか?」
「鍵開けに必要なのは力ではなく知識だ。その点、私には貴様らと違って悠久の知恵がある。時間はかかるだろうが、やってやれないことはない」
「ですが、仰った通りバアルはこの体たらくです。結界に触れようものなら大根おろしになるのでは?」
「それは結界の種類による。ソロモン王の人格を信じるなら、無闇に人を殺すような術ではないと信じたいところだが」
三人はバアルへと視線を送る。ソロモンの結界の質次第でバアルは大根おろしになる。結界を突破する可能性か、魔神柱の命か。彼らは暫時それらを天秤にかけて、同時に結論を出した。
「「「まあ、別にいいか……」」」
「おい───おい!!」
「よし、思い立ったが吉日だ。さっそく試してみるとしよう。柳洞寺への足はあるな?」
「当然だ。俺のドラテクで唸らせてやるぜ?」
「この外道どもがァァァ!!!」
バアルを黙らせて、三人と一本は車に乗り込んだ。
一行は一路柳洞寺へと。新都から深山町へ移動する場合、交通の要衝となる橋がある。赤塗りの巨大な鉄橋、冬木大橋。夜はライトアップもされ、他所からの観光スポットにもなっている。
海へそそぐ川を望む橋の上を、日本の風景と道路には不似合いなハマーが突き進む。運転手の厳つさも相まって、Ⅱ世とグレイの脳裏にアメリカの荒野が広がった。
獅子劫は車内に流れる小粋なジャズミュージックに浸りながら、遠くの山々を見据える。
「こいつは俺の相棒なんだ……いつだってどこだって、俺はこいつで走り抜けてきた。ま、相棒であり家族ってところか」
「師匠、いきなり語り始めましたこの人。しかも言ってることが果てしなく浅いです」
「浅い割に見た目だけはそれらしいのが癪に障るな。無声映画の時代なら一世を風靡しただろうが」
「おいおい、そう褒めるなよ。かわいい系かカッコいい系で言うと俺はどっちだ?」
「極道系です」
エルメロイⅡ世は小さくため息をうきつつ、窓の外に視線を移す。
きらきらと太陽の光を受けて輝く海。風光明媚、とはまさにこのことを言うのだろう。かつて魔術師と英霊が覇を争う聖杯戦争の舞台になった土地だとは思えないほどに、街は何事もなく日常を謳歌していた。
橋を渡る車両もなく、走行音と音楽だけが車内に満ちる。
しばし心地の良い静寂が続くと、獅子劫はすっとんきょうな声をあげた。
「……俺の目がおかしくなったわけじゃないよな?」
橋の終端。彼らが行く車線を端から端まで仕切るように、人間が立ち並んでいる。
人間───修道服を纏った女性。人形みたいに佇む彼女たちは、全く同時に武器を取り出した。それらは剣。ただしその刀身は斬るためのものでなく、突き刺すための形状をしていた。
魔術師ならば、その剣が何であるかはすぐに検討がつくだろう。なにしろそれは魔術協会と不倶戴天の仲にある組織の汎用兵装であったからだ。
しかし、その知識が脳髄より引き出されるより先に、彼女たちは両手の剣を振りかぶっていた。
「───嘘だろ!!?」
獅子劫はハンドルをひねるが、時既に遅く。
刀剣の雨あられが、車体に殺到する。
その武器の名は黒鍵。
大いなる主の敵を洗礼し抹殺する、摂理の鍵。
それはいとも容易く車の進行を止め、押し返し、無残な鉄クズに還す。三人と一本が飛び出した直後、黒鍵はたちまち発火し、燃料に引火して爆発を巻き起こした。
獅子劫は地面に手をついて、燃え盛る相棒兼家族へと叫ぶ。
「お、俺のハマーがァァァ!! まだローン残ってるのにどうしてくれんだ!!!」
「あれだけ長く過ごした感じを出しておいて、ローン残ってたんですね」
「まさしく走り抜けたな。人生を」
「言ってる場合か貴様ら!? あの女どもに目を向けろ!!」
下手人の隊列は淀みなく歩き、ある程度の間合いを残して停止した。
「手荒な歓迎になったが、まあ気にすんな。元々こういう関係だろ?
ひとつの影が隊列の前に進み出る。
金髪碧眼の少年。赤と黒のパーカー、白のショートパンツ。彼の両腕は独特な意匠の籠手に包まれており、ピアノや機織り機を思わせるような糸が張っていた。
彼はハマーの惨状など気にも留めていない様子で話を続ける。
「話は聞かせてもらった。そこのキモいのがあれば大空洞に乗り込めるんだってな。使い魔ってのは便利だな? 魔術師どもがこぞって利用するのも頷けるぜ」
そこで、隊列を構成する女のひとりがおずおずと指摘する。
「あの〜……使い魔という言い方はマズいんじゃないかと。それ魔術師の言葉ですし」
「うるせぇブタ。テメェだけ動きがコンマ1秒遅れてたぞ。オレの調律でもそれとかどんだけ駄肉にまみれてんだ? あぁ!?」
「ひいいいいごめんなさいごめんなさい!! どうか修道院送りだけは勘弁してください!!」
「安心しろ、テメェが送られるなら修道院じゃなくて家畜小屋がお似合いだ。今のうちに豚足磨いておけ」
「ぐうううううっ……このクソガキ……!!」
限りなく小さい声で吐いた悪態はしかし、しっかりと少年の耳に届いていた。少年が左手を握り込むと、女は空気そのものに縛り付けられたみたいに固まり、地面に倒れてしまう。
少年は人間ボンレスハムには目をくれず、端的に告げた。
「そこのグロ大根を渡せ。そうすりゃ見逃してやる。なんなら聖杯を使った後は丁寧に包装して時計塔に届けてや」
言葉を遮ったのは、一発の銃声。人間の指を加工した弾丸は過たず少年へと向かうが、そのことごとくが命中する寸前で修道女たちによって叩き落とされる。
「俺の車を爆発四散させといてそんな交渉が通るとでも思ったか!? 悔い改めろクソガキ!!」
「ハッ、悔い改めるべきはそっちだろうが。ちょうど川もあることだ、洗礼でも授けてやろうか?」
「いるか!! 素性の知れねえ野郎に水浴びられるのなんざ、磔になったオッサンも御免だろうよ!!」
「はー、仕方ねえ。薔薇十字団のバケモノどもを相手取るよか楽勝だ。土の味を知る覚悟はいいか?」
きりきりと籠手が音を立てる。不吉な律動が紡がれ、彼の部下は糸に繰られた人形の如くに動き出す。
「───聖堂教会、東方慰問司祭代行マーリオゥ・ジャッロ・ベスティーノ。オレの名を覚えろ、異端の徒。今日からオレがテメェらのご主人サマだ!!」