自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第89話 聖なる杯の魔女

 ひとつの物語があった。

 モノの死が視える少年が日常と非日常の境界を彷徨い、やがて落陽の最中で別離を迎える。

 彼は日常へと帰った。けして忘れ得ぬ、月の姫との別れを抱きながら。

 ───だが。

 その男にとって、少年が駆け抜けた日々はたったひとつの意味しか持たなかった。

 

「…………あの蛇が、死んだか」

 

 男の声は驚嘆と悲嘆、そして失望に彩られていた。

 男の名はラウレンティス。

 聖堂教会の重鎮にして、法王を補佐する枢機卿。教会内において絶大な影響力を有し、彼の采配如何であらゆる人間の運命が左右されるほどの支配者。

 なれど、その在り方は高潔とは程遠く。

 それは歴史上でも見受けられる、一部の聖職者たちの悪癖。妻帯を禁じられた司祭にも関わらず、女性と契り、子を成す。ラウレンティスの唯一の欠点はその好色さにあった。

 彼は自身の隠し子を日本に送り込んでいた。東方慰問司祭の代行として、かの国に潜む魔術師との取り引きのために。

 

〝徒労だったな。不老の解決法はない。せいぜい健やかに、死ぬまで苦しめ〟

 

 そう言い放った魔術師はしかし、苦しむ間もなく死んだ。死んだ───彼を知る多くの者はそれを聞いたとして、こう思うことだろう。

 〝ああ、またか〟と。

 アカシャの蛇。転生無限者───ミハイル・ロア・バルダムヨォンは自らの魂を加工し、たとえ死したとしても他者の肉体に乗り移ることで生まれ変わる。故に、この者に限って死とは永遠の断絶ではなく、次なる生への猶予期間に過ぎなかった。

 それが、死んだ。

 殺せど死なぬ無限の蛇は、ついぞ死と言う名の無明に呑まれて消えたのである。

 十数度の転生を繰り返した末の幕引きはいっそあっけないくらいに静かで。胸にナイフを突き立てられるなんて、ありふれた死に様だった。

 ラウレンティスからすれば、その結末は果てなき諦観を生じるものだった。

 ロアに求めた不老の解決法は無駄足で、さらに絶望を色濃くさせるのみ。だから、それはある意味天啓にも等しい情報だったのかもしれない。

 

「ならば、奇跡に縋るしか道はないな? ラウレンティスよ」

 

 聖なる杯を宿した魔女は言った。

 聖堂教会が誇る無数の索敵・防御機構を難なくくぐり抜け、枢機卿の元に忽然と現れて。

 

「貴殿の不老は貴殿の罪。かの救世主とて、自らの死を以ってでしか罪を雪ぐことはできなかった。死なくして罪を払拭しようというのなら、相応の奇跡に望みを託すしかあるまい」

「……なぜそれを私に告げる? 聖杯が要るのは貴様らも変わらぬはずだ」

「分を弁えているのさ。あらゆる主張に反論は付き物だし、そうあるべきだ。多様な意見の在り様こそを私は尊ぶ。どれかひとつだけが選択されるのだとしてもな」

「故に、あのような宣言をしてまで敵を作ったか。よかろう、試練を望むというのならば望み通りに教会は敵となろう」

 

 コリント人への手紙第10章13節。

 〝あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである〟。

 神は乗り越えられる試練しか与えない。だが、人は違う。神のような慈悲も慈愛もなく、乗り越えられぬ試練を押し付けることができる。ラウレンティスの言の葉は薔薇十字団への宣戦布告に等しかった。

 

「───ではな、不老の徒よ。誰が勝利することになろうとも、二度と会うことはないだろう」

 

 ……何の因果か、希望が残されていた土地もまた極東の島国であった。

 冬木市の聖杯。魔術協会と聖堂教会が唯一正統と認めた、聖杯戦争の要。奇跡の杯は未だかの地に在り、新たな目覚めを待ち望んでいる。

 ラウレンティスの決断は早かった。

 己が宿痾を取り除くため、彼の手駒はまたしても日本に向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

「────冬木の聖杯の何が良いってな。それは、既に一度願望器の能力を証明していることだ。『英霊召喚の儀式』を流用した『魔術師同士の戦争』は過去にもあったが、全て失敗に終わっている。その点、ここの聖杯は願いを叶えた実績がある。他の雑種とは違う血統書付きってところだ。実際、冬木の聖杯戦争が起きてからは他の儀式は亜種聖杯戦争なんて呼ばれるようになったくらいだ」

 

 マーリオゥ・ジャッロ・ベスティーノは笑った。

 聖堂教会、東方慰問司祭代行。極東に配置された代行者全ての司令塔であり、かつては堕ちた真祖をも鎮めた実力者。埋葬機関という人外の集団を除くなら、教会が有する戦力の中でも最高峰に位置するだろう。

 事実、彼の敵は間合いに迫ることすらできていなかった。

 エルメロイⅡ世はともかく。その内弟子グレイは宝具に等しい武装を振るい、獅子劫界離は指折りの力を誇る執行者だ。そこらの魔術師は裸足で逃げ出すだろう。Ⅱ世に関しては助走をつけて殴りかかってくるだろうが。

 

「…………今、誰かにとてつもなく馬鹿にされた気がするのだが」

「おいおい幻聴か? へっぽこロード。そりゃ悪魔憑きの初期症状だ。ちょうどソロモン七十二柱もいることだしな。洗礼詠唱でもかけてやるよ」

「冗談にしてはキレがないな、ミスター。洗礼詠唱なぞを受ければ、この大根は文字通り雲散霧消するぞ」

「そっちこそ脅しの程度が低いんだよ。どうせそのキモいのは殺しても死なねえだろうが」

 

 きりりり、と鋼鉄の弦が鳴りを立てる。

 少年の十指は鍵盤奏者を思わせる機敏さで、まるでそこだけが多足の節足動物のように蠢いていた。

 それに呼応し、修道女───彼の人形たちは踊り狂う。十重二十重に折り重なる斬撃、刺突の数々に間隙はあり得ず、息つく暇さえ与えない。

 彼女らの行動全てを十の指から伸びる糸にて操る絶技。指の動作を把握すれば敵の動きも読めるだろうが、その技巧は余人の理解から外れていた。少なくとも、エルメロイⅡ世の目を以ってしても一端すら垣間見えないほどに。

 有する実力はもちろん、くぐり抜けた死線の数さえ比べ物にならない。聖堂教会が誇る人形使い、人間使いに対する勝ち筋は大いに乏しい。

 それでも、バアルはマーリオゥの手に収まりはしなかった。

 

「───アッド!!」

「おうよ、腰抜かすんじゃねえぞ!?」

 

 少女の武装が変形する。

 大鎌から大鎚へと。自身の身の丈を超える質量の得物を、少女は勢い良く振るった。

 その一振りは大気を撹拌し、豪風を巻き起こす。

 蜘蛛の子を散らす、とはまさにこのことだった。人間使いによる人形たちの巧妙精緻な連携を一笑に伏すが如き、力の暴嵐。直後、数発の銃声が鳴り響いた。

 獅子劫界離の魔弾。呪詛の指弾が摩訶不思議な軌道を描き、マーリオゥに殺到する。

 

「愛車の仇だ、死に晒せ!!」

 

 着弾対象に致死の呪いを撒き散らす、屍の弾丸。死霊術としては単純、故に強力。さしもの東方慰問司祭代行と言えど、直撃すれば死は免れ得ないだろう。

 しかし、全ての弾丸はマーリオゥに届くことすらなく、中空で爆ぜた。

 少年の周囲に張り巡らされた鉄線。目に見えぬほど細く鋭い鉄の糸が弾丸を切り裂き、呪いの残滓を空気に溶け込ませていく。

 

「愛車? ああ、あの薄らきったねえガラクタのことか。すまねえな、ジャンク屋に売り払う前に荼毘に付しちまった」

「おい人様の車をガラクタ呼ばわりしてるんじゃねえ! 地面に額擦りつけて反省しやがれ!!」

「まだ立場が理解できてねえようだな? 魔術師。これは戦いじゃなくて調教だ。吠えんなら人語以外で頼むぜ」

「うるせえドSが!!」

 

 そうして、獅子劫は引き金を引こうとする。エルメロイⅡ世はその手首を掴み、銃撃を阻止した。

 

「待て。私たちの目的は薔薇十字団よりも先に大聖杯を抑えることだ。その点で私と貴方の利害は一致している」

 

 このまま戦っていても埒が明かない。バアルの奪取がなされていないのはひとえにグレイと獅子劫の奮闘によるものだが、結局は劣勢を凌いでいるだけだ。いずれマーリオゥは対策を編み出してくるに違いない。

 ならば、この盤面を覆すのは今この瞬間。この場を戦闘ではなく交渉のための空間に切り替える。

 マーリオゥは手駒たちの動きを止めて、エルメロイⅡ世の顔を見据えた。

 

「だから手を取り合いましょう、ってか? そうやって騙し騙されてきたのが協会と教会だ。乗ってやるにはまだ足りねえな」

「私はひとりの個人として貴方と話している。いがみ合う敵同士ではなく、薔薇十字団に相対する覚悟を決めた者としてだ」

「…………覚悟、ね。随分と耳触りの良い素敵な言葉じゃねえか。で、何が言いたい」

「大聖杯の所有権は教会に渡す。その上で一時の共闘を申し出たい」

 

 しん、と辺りが静まり返る。

 大聖杯を求める目的は薔薇十字団の計画を阻止するためだ。聖杯さえ敵の手に渡らなければ、彼らの計画が実現することはない。

 そして、聖堂教会にとって機能を証明した聖杯とは主の奇跡の具現。全ての十字教徒を妄りに用いることはしないと、エルメロイⅡ世は確信していた。

 マーリオゥはほんの少し考え込む素振りをして、

 

「よし、そうと決まったら柳洞寺だ。急ぐぞ」

「……という訳だ。二人とも、そういう手筈で頼む」

「話が早すぎませんか!?」

「だいたい俺は納得いってねえぞ!? 手を組むにしてもそれなりの態度と補填ってのがあるだろうが!! アレまだ2000kmしか走ってねえんだぞ!?」

「その程度の走行距離でどの口が相棒呼ばわりしていたんだ……?」

 

 獅子劫の怒声に対して、エルメロイⅡ世は思わず疑問を口にした。車との思い出は走行距離だけにあるのではない。費やした金額も相応にのしかかってくるのだ。

 マーリオゥは盛大にため息をつくと、懐からいくつかの紙束を投げつけた。どさどさと地面に落ちたそれを見て、獅子劫は眼球が飛び出るほどに食い入った。

 札束。しかもひとつひとつが手のひらほどの分厚さ。清貧を旨とする十字教徒から出たとは思えない圧倒的かつ暴力的な金額である。

 

「それで足りんだろ。次は身の程を弁えたやつにしとけ」

「おいおい、人から貰った金で調子なんか乗れるかよ。次はポルシェくらいにしとくよ」

「自分の身の程どんだけ高く見積もってんだ?」

「───貴様らの蝿の糞よりもどうでもいい話はそこまでにしろ。疾く私を大空洞とやらに連れていけ」

 

 バアルは声音に殺気を滲ませて言った。

 その直後、振り下ろされた鉄槍の穂先がバアルを掠める。ぱらぱらとアスファルトの破片が辺りに散らばり、場に静寂をもたらす。

 マーリオゥの手下のひとり。ブタと罵られた女はその時の不甲斐なさが嘘のように酷薄な表情をしていた。彼女は爪先をバアルに突き立て、冷たい言葉を浴びせかける。

 

「イモムシもどきが大上段からほざいてんじゃないわよ。人間以上を騙ったくせに人間に負けた、ゴミクズ以下の肉塊でしょ」

「私はカルデアに負けたのであって貴様に負けたのではない! この穢らわしい豚足を退けろ、下郎が!!」

「や〜ん下等生物の遠吠えなんて聞こえませーん♡ ……つーか誰が豚足よモザイクでも身にまとってなさいR-18生物!!」

「おいやめろ私を卑猥な物体みたいに言うな!!」

 

 ぶるんぶるんと全身をよじらせるイモムシ大根肉塊。バアルがもがく様は、少なくとも日中帯は放送が許されなさそうな映像だった。

 他称ブタ女と真正グロ大根の罵り合いを見せつけられ、グレイはぼそりと呟く。

 

「…………性格が変わっていませんか、あの人?」

「アレは性格が変わったと言うより、本性を現したと言うべきだろう。聖堂教会もまたEチームの記録を把握しているはずだ」

「魔神柱を恨むのも無理はねえってか? それだけじゃなさそうだが」

「勘がいいじゃねえか、魔術師」

 

 マーリオゥは微笑む。ただしその笑みは獲物を目の前にしたケダモノのように獰猛だった。

 彼はゆっくりと歩を進める。相対する魔術師のひとりを見据え、その裡を覗くかのように。

 

「あの女は自分より弱いやつに滅法強く、強いやつにとことん弱い。これがどういうことか分かるか?」

「……普通のことでは?」

「そうだ亡霊女。普通なんだよ、アイツはな。そんな人間が代行者なんぞになっちまってる。それもこれも、フランスの片田舎で英霊と死徒が暴れ散らかしたおかげでな」

 

 歩みが止まる。蛇のような視線が、ひたりとエルメロイⅡ世の首筋を這った。押し込めた動揺を甚振るように、眼差しが彼を締め付ける。

 

「マスターの経験を持ってるやつは貴重だ。期待してるぜ────ウェイバー・ベルベット」

 

 

 

 

 

 

 

 冬木は日本に存在する霊地において、二番目の格と規模を有する土地である。

 地球を流れる魔力の動脈───霊脈の質の高さとはすなわち、その土地が抱える歪みの大きさに他ならない。故に冬木は儀式の場に選ばれ、万能の願望器を顕現させるに至らしめたのだ。

 しかし、それほどの格を持つ土地にも関わらず、冬木は魔術師たちの手が及ばぬ空白地帯となっている。

 長らくこの地を管理してきた遠坂家は先の聖杯戦争にて財産の大部分と勢力基盤を失い、当時幼いながらもマスターとして戦った当主の少女は海外へ高飛びする不運に見舞われた。遠坂と並び御三家と称されたアインツベルン、間桐の両家も壊滅的な打撃を受けた。とりわけ後者は聖杯戦争の最中で、執拗なまでの攻撃に晒され、いまや魔術の才能もない子孫が残るのみだ。

 魔術師の世界では、土地の奪い合いは珍しいものではない。所有権の争奪戦は魔術協会も認める正当な闘争だ。そうして聖杯戦争の勝者であるアニムスフィア家は冬木を手に入れたものの、マリスビリーとそれに続くオルガマリーの死により、冬木の所有権は有耶無耶になっている。

 マリスビリーの死後、遠坂の少女が意気揚々と里帰りした結果、伝家の宝刀うっかりを発動して一般人の少年に魔術を使っている場面を目撃されたり、その少年に固有結界の才能があったり、なんやかんやで一緒に時計塔に向かい、エーデルフェルトの当主とその家に養子に出されていた実の妹と、少年を巡って暗闘を繰り広げたり─────という、エルメロイⅡ世の胃の平穏を妨げるだけの事実は置いておいて。

 

「…………とにかく、今の冬木は誰のものではない。加えて、ソロモン王の結界───それがこの場所にあるということは、霊脈の機能を利用することもできない」

 

 一行は柳洞寺を抜け、大空洞への道を進んでいた。柳洞寺在住の皆様方には暗示をかけて、しばらくの間旅行に出掛けてもらった。予算はⅡ世のポケットマネーからひねり出されたものである。

 澱が溜まった空気。水分を帯びた土が一歩一歩を踏み出す足に纏わりつき、足音さえも殺しているかのようだった。

 獅子劫は札束を収めた懐を擦りながら、こくこくと頷く。

 

「そりゃあ誰も手を出さねえわけだ。霊脈を利用できない霊地なんて、ドリンクバーがないファミレスみたいなもんだからな」

「その見た目でファミレスとか行くのかよテメェ? テロリストと勘違いされるだろ。周りの迷惑ってのを考えてやれ」

「減らず口を閉じろクソガキ。最近はやれ草食系だの中性的だのが持て囃されてるがな、世紀末になったらワイルド系の時代がまた来るんだよ。満を持してんだよ」

「満を持してる内にただのしかばねになってるだろ。未来でモヒカントゲトゲ肩パッドの死体が発見されるだけだろ」

「本当は仲良いんですか?」

 

 グレイはノーガードの殴り合いを演じる獅子劫とマーリオゥの背を突き刺した。

 道がだんだんと開けてくる。かつてEチームが黒き騎士王と決戦を行った場所。大聖杯が待ち受ける空洞への入り口は仄かに発光する結界の壁に閉ざされている。

 それは無数の魔術式が曼荼羅の如き紋様を描いていた。現物が目の前にあり、術式をも目視できるというのに、結界を構成する要素の何ひとつとして解明できない。あらゆる魔術を分析し、神秘を解体してきたエルメロイⅡ世にさえも、理解の能わぬ魔術であった。

 …………そんなことよりも。

 

「おーっと、トリプルブッキング。ローゼンクロイツのジジイが言ってた通りでいやがりますわね?」

「ナニをするのも人手は多い方がイイよな。……少し女が多いか? 仕方ねえ、ちょっとオレがオスになるわ。まあオレが好きなのはメスにされるほ」

「オイ殺すぞクソサーヴァント」

 

 暗い洞窟の雰囲気には似つかわしくない光景が広がっていた。結界の前にテーブル&チェアセットを設置し、紅茶を嗜む魔女アンナ・キングスフォードとその従僕。

 アンナは自らのサーヴァントに術式を放ち、強制的に霊体化させる。さらりと魔術の粋を見せつけながら、彼女は小さく会釈する。

 

「手を組みましょう。あたくしたちの協力なくしてこの結界は破れませんわ。色好い返事を期待いたします」

 

 一行へ向けた第一声は、なんとも反応に困るものだった。

 アンナ・キングスフォードの協力要請。裏を返せば、薔薇十字団でさえソロモン王の結界を破ることはできていない。対して、こちらにはバアルという鍵がある。真っ当に考えれば、その提案に乗る選択肢はない。

 ただし、この前提が正しいのであれば。

 アンナは机の上に製氷皿を置いた。三つの仕切りで六つに分けられた窪みのそれぞれに、暗い色合いのとろりとした眼球が押し込められていた。

 エルメロイⅡ世は敵味方の関係を忘れ、おずおずと製氷皿を指差す。

 

「……そ、そのサイコホラー映画にありそうな物体はなんだ?」

「ゼパルです」

「出処は置くとして────なぜそんな姿になっている!?」

「術式の処理速度向上のために霊核を切り分けて、分割・並列思考ができるようにしましたの。こんなんになっても生きてるなんて、流石は悪魔というか……ちょっぴりドン引きですわ」

「悪魔は貴様の方だろうが!!!」

 

 エルメロイⅡ世の手の中で、バアルはガタガタと震えながら叫んだ。

 ゼパルへの仕打ちはソロモン王の結界をより効率的に解析するためだ。人間に喩えると脳を六つに切り分けて並列に繋ぎ、生体コンピュータにしたようなものである。

 なぜ製氷皿なのかはさておき、魔神柱がダークSFチックな計算機にさせられている事実に、バアルのみならずエルメロイⅡ世たちまでもが震え上がった。

 マーリオゥは舌打ちし、アンナを睨めつける。

 

「そのゼパルがいるなら結界は解けるはずだ。どうして先回りして聖杯を確保しなかった?」

「結界自体は先程解かせましたが、無駄足でしたわ。どうやら他の場所に仕込まれた基点が魔力を供給し、解析されたとしても新しい結界を即座に貼り直す仕掛けのようで」

「……びっくりするほど念入りだな。ソロモン王はそこまでして聖杯を護りたかったのか」

「こうすると決めたならば手抜きはしない。彼はそんな人間だったのでしょう。アナタもそうではなくて? Vシネの御仁」

「初対面でナチュラルにヤクザ扱いしてんじゃねえ!!」

 

 兎にも角にも、ソロモン王の手管はアンナの一枚上手だった。結界を突破されることも想定し、自動で新たな結界を構築する術を用意していたのだから。

 結界の解析も一からやり直し。問題が異なれば解法も違うということだ。

 だが、結界を形成する魔力はその基点に委ねられている。再構築の際、アンナは魔力の流れを辿り基点の位置を掴んでいた。

 

「基点は深山町の西……御三家アインツベルンが拠点としていた森にあります。というわけで、誰かそこの魔神柱を使ってちゃちゃっと基点を解いてくれやがりません?」

「テメェが行け」

「お前が行けよ」

「貴様が行くべきだろう」

「バアルさんは確定ですが……?」

 

 グレイはバアルをぐにぐにと引っ張る。基点とやらもまたソロモン王の手によるモノならば、魔神柱の知識によってしか解くことはできないだろう。

 アンナはティーカップを傾けてゼパルに紅茶を注ぎながら、

 

「アナタがたに拒否権があるとでも? このまま殴り合いに発展しても構いませんが、その場合あたくしは真っ先にゼパルとバアルをブチ殺しますわ」

「殺す? この大根とその切り餅をか? ソロモンの眷属ってのは不死身なんだろ、アンタにアホ白髪みたいなヤドリギがあるなら話は別だが」

「死ぬぞ」

「は?」

 

 つい戸惑いの息を漏らした獅子劫。バアルは群生する眼球の全てを呆れに満ちた半目にして言う。

 

「私たちは現世に降り立つ直前、赤き竜に存在のほとんどを喰われ、取り込まれた。故に今の私たちに不死性はない」

 

 この程度のことも気付かぬとは。そう呟いて、バアルは盛大なため息を吐く。その振る舞いは若干名の怒りをいとも容易く刺激した。

 獅子劫、マーリオゥ、エルメロイⅡ世の手がバアルを引っ掴み、千切れんばかりの力を加える。

 

「「「それを! 先に!! 言え!!!」」」

「ぐがああああああ!! これくらい自力で見抜いてみせろ! やはりこの時代の人間は劣化の極みにあるようだな!!」

「劣化してんのはテメェだろクソ大根が!! ウチの凡豚(ぼんじん)より無能とか恥を知れ!!」

「ちょっと、そんな猥褻物と比べられるのは心外なんですけど!!」

 

 ハルバードを携えた修道女は叫んだ。不死性がなく、強大な霊基も失った魔神柱などスーパーの青果コーナーに並べる価値もない。店頭に出れるだけ豚の方が格上というものだ。

 エルメロイⅡ世は頭の片隅に残した冷静な部分を必死に回転させる。

 アンナの言葉は決してハッタリではないだろう。冬木の大聖杯が手に入らずとも、既に薔薇十字団には複数の聖杯がある。遥かに時間は掛かるだろうが、地球全土に固有結界を広げるという目的は潰えはしない。

 そして、アンナとの戦闘で最も貢献できないであろう人間は。

 

「では、私が─────」

「いいや、俺が行く。アンタひとりだと誰かが襲ってきても秒殺だろ。執行者連中と連絡も取り合わなきゃいけねえしな」

「獅子劫さんの言う通りです。師匠の戦闘力はちいかわ以下なんですから、拙から離れないでください」

「…………」

 

 エルメロイⅡ世は涙した。周囲の人間がことごとくでかつよなだけで、彼は至って普通の魔術師なのだ。むしろおかしいのは毎度木っ端魔術師が化け物の巣窟に放り込まれる世界の方なのだ。

 獅子劫にバアルを渡し、彼はダッシュでアインツベルンの森を目指した。〝タバコやめようかな〟とはおよそ十分後の彼の感想である。

 それを見送り、アンナは製氷皿のゼパルを結界の壁面に貼り付けた。

 

「どうぞ楽になさってくださいませ。ゼパルが結界を解くまで三、四時間ほどでしょうか。お茶会と洒落込みませんこと?」

 

 Ⅱ世とグレイ、マーリオゥは渋々席に着く。

 マーリオゥの思惑は不明だが、エルメロイⅡ世には勝算があった。

 少なくとも、自分とグレイではアンナ・キングスフォードには勝てない。しかし時間はこちらに味方する。Eチームマスターの片割れ、ノアトゥールが到着しさえすれば、眼前の魔女も打倒できる可能性がある。

 全くもって癪なことだが、あの男の実力は神体化術式を抜きにしても絶大だ。全くもって癪なことに。

 マーリオゥは紅茶を飲み干し、

 

「ローゼンクロイツのアホはボケが始まってきたようだな。薔薇十字団宣言のやり直しなんざ時代錯誤にも程がある」

「あのジジイは元々ボケていやがりますので。アナタこそラウレンティスは相変わらず壮健で?」

「ああ、下半身の方もな」

「あら生臭坊主。アナタも不老を満喫してはいかがかしら」

 

 Ⅱ世とグレイには見当もつかない会話をする、魔女と司祭。アンナは背もたれに寄りかかり、目を細める。

 

「で、ロアのクソ野郎が死んだってマジですの?」

「大マジだ。蛇だなんだと言われても、ナイフ一本で死ぬ小せえタマだったって訳だ」

「……何を話している? アレは死んでも殺しても生き返る男だろう」

「それが死んだんだよ。ロアは完全無欠十全十美の死を遂げた。───お前が殺した、十七代目とは違ってな」

 

 マーリオゥは冷たく笑う。エルメロイⅡ世の表情は石膏で塗り固めたかのように硬直していた。

 グレイは疑念を覚える。自身が知らぬ、師の過去。それは教室の生徒にも多くを語らない、彼の核心だ。

 

「奴を斃したのは私のサーヴァントと、名も知らぬ魔術師の女性だ。私はそれを見ていたに過ぎない」

 

 だが。強く翻し、エルメロイⅡ世は告げた。

 

「貴女が世界の変革を為すと言うのならば、私はそれを阻止する。たとえ、あの時のように何もできないとしても」

 

 アンナは暫時沈黙し、くすりと微笑む。

 

「ええ───素晴らしいですわ。売られたケンカは買うのがあたくしの流儀。存分に叩きのめして差し上げます」

 

 そうして、時を刻む針は進み。

 ソロモンの結界に閉じ込められていた大聖杯は、路傍に打ち捨てられた空き缶のように転がっていた。

 絵画の下書きみたいに色のない、大聖杯の核。それを見て、Ⅱ世は思った。マリスビリー・アニムスフィアが願いを叶えた以後、大聖杯は霊脈から弾かれていたのだと。

 日本第二の霊地である冬木の霊脈から魔力を吸い、大聖杯は起動する。だが、この核は中身のない器。空虚な抜け殻だ。

 アンナの傍らに現れるライダー。彼はようやく霊体化を解かれ、凝り固まった首をこきりと鳴らした。

 

「あ? なんだアレ。完全に萎え切ってんじゃねえか。『聖杯でローション作ってみた』やろうと思ってたのに」

「アナタの魂を捧げれば少しは復活するかもしれねえですわよ? 聖杯が空となると……()()()()()必要があるみたいですわね」

 

 アンナが手を伸ばした瞬間、聖杯が宙を滑る。

 マーリオゥは鉄線に絡め取られた聖杯を手繰り、修道女に放り投げた。

 

「それ持ってとっとと逃げろブタァ!!」

「ぶひぃぃぃぃいいいいい!!!」

「『夕映えのむこうの国(Beyond the sunset)』」

 

 女代行者が一歩踏み出した時既に、世界は別の色に塗り替わっていた。遠景に白亜の城を望む、夕焼けの花園───固有結界。彼女は顔面を歪めて絶叫する。

 

「ごめんなさい捕まりましたァ!!」

「テメェ逃げ足は豚以下かこの短足鈍足豚足野郎!!」

「それは流石に酷くありません!? 私の足はカモシカも裸足で逃げる美しさですぅ〜!!」

「ああ、自信持てよお嬢様。お前は十分魅力的だぜ? 聖杯は渡してもらうけどな!!」

 

 ライダーは鉄製の鞭を勢い良く振り上げ、聖杯に向けて叩きつける。腐ってもサーヴァントと言ったところか、その狙いは正確だった。

 鞭の穂先は音速を超える。サーヴァントが振るうとなれば、速度は音速に留まらない。役立たずへの道を邁進する自分の未来を儚み、女代行者は尻餅をつく。

 けれど、その一撃が命中することはなかった。穂先が触れる寸前で、死神の鎌がそれを遮る。

 グレイは刃を翻すとともに鉄鞭を打ち払い、代行者へ声をかけた。

 

「立てますか!? とんそ……ぶ……えーと、代行者のあなた!!」

「私にはノエルっていう名前があるのよ小娘!! 分かったらそのぶっとい鎌で私を護りなさい!?」

「ミス・ノエル。貴女の代行者としての能力を見込んで頼みがある。この結界を─────」

「オレに隠れて内緒話か!? 混ぜてくれよ!」

 

 ライダーは鉄鞭を振り回しながら突撃した。迎撃をグレイに任せ、ノエルとⅡ世は脇目も振らずに遁走する。

 

「いやいやいや、噂のロードってのも案外節穴なワケ!? 代行者の能力を見込んでなんて言いますけどねえ、私はカワイイだけの一般代行者だから!!」

「一般代行者でも黒鍵を使った結界敷設の魔術は使えるはずではないかね!? グレイの魔力があればこの固有結界を抜けられるかもしれない!」

「へえそうなの。でも覚えておきなさい? ウチじゃあ魔術は奇蹟、魔力は祈りの力って建前なの───よっ!!」

 

 ノエルは黒鍵をライダーへ投擲する。代行者に伝わる黒鍵の投擲法、鉄甲作用が込められたそれはコンクリートも貫く威力を誇るが、

 

「ほい」

 

 ぺしん、とライダーは片手の振りだけで黒鍵を打ち砕いた。その上、グレイと最中に。まさしく片手間であった。

 ノエルはさあっと涙を流し、エルメロイⅡ世に向き直る。

 

「…………それで、どうやって脱出するんでしたっけ?」

「今の無駄な攻撃はなんだ!? 文字数稼ぎにしても程度が低いぞ!!」

「うっさいわね! サーヴァントをぶっ倒したらその手柄で昇格できるかもしれないでしょうが!!」

「私が言うのも何だが、貴女は一度聖書を読み直してきたまえ!!」

 

 ───といったやり取りを、マーリオゥは意識の端で捉えていた。

 彼の意識の大半はアンナ・キングスフォードに注がれる。己が人形を従え、この魔女を抑え込むために。

 抑え込む。マーリオゥは最初から勝ち筋を捨てていた。その理由は二つ。ひとつはエルメロイⅡ世の策とやらが成れば、勝利条件を達成できること。

 そして、二つ目は。

 

幻想綺譚(Mystical Phantasm)星神の騎士アーティガル(The Knight of Astraea, Sir Artegall)』・『妖精騎士ブリトマート(Britomart The Elfin Knight)』」

 

 この魔女には、敵わないと分かっていること。

 双つの影が顕現する。鎧をまとった人間の輪郭だけを象ったような魔力の塊。それらはマーリオゥでさえ息を呑むほどの神秘を宿していた。

 

「あたくし、騎士道物語が三度の飯より大好物でして。アーティガルとブリトマートは推しカプのひとつですの。他にはロジェロとブラダマンテ、ペレアスと湖の乙女、ランスロットとガウェ」

「オイオイオイ、最後のはジャンルが違うだろうが……!!」

「カップリングの文化とは邪推の文化でございます。ベイリン卿の『最も愛する男を殺す呪い』を受け継いだランスロットがガウェインを手にかけたのは、これはもうキテるとしか─────」

「邪推を事実みてえに語ってんじゃねえよ!!」

 

 マーリオゥの指の動きに反応し、彼の下僕たちは一斉に襲い掛かる。

 アンナは動かず。騎士を象る幻想の肖像が剣槍を薙ぎ払う。得物が起こす衝撃の余波だけで、人形たちの突進は停止した。

 アーティガル。ブリトマート。妖精の女王という物語に登場した、二人の騎士。幻想に過ぎぬはずの存在は魔力というカタチを得て、この現世に実体をなしている。

 それはつまり、英霊の影を従えるに等しい。たかが一節の詠唱で、かつ代償は魔力を支払うのみで、彼女は人理の影法師に近しい存在を操っているのだ。

 

「……化け物が。テメェ元一般人だろ、マインスターの魔女みてえな芸当しやがって」

「かの魔女の家系と比べられるとは、恐悦至極でございますわ。当時のマインスターとは何度も意見交換をした仲…………ですので、」

「チッ! 警戒しろ、お前ら!!」

「『悪戯な小鬼(ゴブリン)』」

 

 マーリオゥが振り返り、叫んだと同時にアンナの魔術は解き放たれる。

 ノエルは足にざらりとした感触を覚える。視線を向けた先には緑の体色をした半裸の小鬼。おぞましい鳴き声を発しながら聖杯へ手を伸ばす小鬼を、エルメロイⅡ世は即座に蹴り飛ばした。

 

「ゴブリン───の形をした魔術か!? 物を盗み隠すのは妖精の性……どこまで魔術の理を侵せば気が済む、アンナ・キングスフォード!!」

「分析してる場合!? 薄い本みたいな展開になるのは御免なんですけど!!」

「貴女こそ言っている場合か!? 早く術式を発動してくれ!」

 

 ノエルは三本の黒鍵を地に突き刺した。十字の剣が蒼白の光を湛え、三角系の陣を形成する。

 それなるは聖堂教会に伝わる奇蹟、『聖堂』。自然から外れた存在を自然へと還す、浄化の聖域。異界法則である固有結界を聖堂にて中和し、現実への帰路を創る。

 だが、アンナの結界は強固だ。ノエルとⅡ世の魔力量では、たとえ枯れ果てるまで費やしたとしてもこの異界を否めるには至らない。

 故に。

 

「封印を解放します、アッド。一部機能を限定解除、魔力収集機構を最大稼働」

「───承認。形態移行開始」

「……やべ。嫌な予感してきた。サーヴァントのくせに人間の女の子に負けたらアンナに殺されちまう」

「殺すつもりはありません。ただ────」

 

 ライダーはひくひくと口角を震わせた。

 グレイの武装がカタチを変える。周囲から際限なく魔力を収奪し、ひと振りの槍へと形状を整えていく。

 騎士王が振るいし聖槍。湖の乙女に与えられた最果ての槍。顕現とともに槍は紅蓮の光を纏い、捻じれ狂うほどに光り輝いた。

 

「────あなたには、退いてもらいます」

 

 刺突が一閃する。

 紅き光が空間を引き裂くかのような一刺し。

 聖槍の一撃は鉄鞭を紙を破るみたいに引き散らし、ライダーの右肩を貫通した。

 

「あ痛ってえええええッ!! 右だけじゃ締まりが悪いから左も刺してくんね!?」

「変態かアイツ……!?」

「アッド、無視してください!!」

 

 グレイは目にも留まらぬ速度で黒鍵の結界に辿り着く。槍の柄を逆手に持ち替え、勢い良く結界の中心に突き立てる。

 聖槍による魔力の強制収奪。固有結界を成り立たせる魔力そのものを奪い、得たリソースを聖堂に注ぎ込む。

 閃光が辺りに満ち、世界が元の明度を取り戻した時。アンナの異界は現実へと通じる空洞が穿たれていた。

 

「今度こそ逃げましょう。師匠とぶ──ノエルさん!」

「次間違えたらケツに黒鍵ぶっ刺すわよ!?」

 

 グレイは己が師とノエルを引っ張り、空洞へ跳んだ。

 その一部始終を見届けていたのはアンナ。彼女は幻想の肖像を以ってマーリオゥを圧倒しつつ、ライダーに冷たい視線を差し向ける。

 

「ライダー」

「はい」

「結界を解きます。宝具を使いなさい。もし逃がしたらテメェのSNSと各種配信サイトのアカウントを消滅させるので───あたくしに本気を出させたくなかったら死ぬ気でやれェ!!!」

「ちくしょう待っててくれよオレの愛しの市民ども!! 悪のマネージャーから救い出してやるからな!!」

 

 アンナの固有結界が解ける。

 それと同時に、辺りから一切の影が奪われた。

 

 

 

「『影呑む不敗の神陽』(ソル・インウィクトゥス)────!!!」

 

 

 

 一条の光が疾走する。

 ライダーの走破を目視できた者は彼の他に存在せず、また、それを止め得る者もいなかった。

 光速。ライダーの宝具は物理法則を嘲笑い、エルメロイⅡ世たちの前に立ちはだかった。彼らの目には突如現れたようにしか映っていないとしても。

 ライダーの所以たる宝具は六頭立ての白馬に牽かれた戦車。車体はくまなく黄金と白銀で彩られ、灼熱の光輝を放つ。その台には円錐形をした巨大な漆黒の石が載せられていた。

 

「他のサーヴァントと違って、オレは宝具を見せびらかすのが大好きでな。写真撮ってくれてもいいぜ? あ、オレのことはカワイく撮れよ?」

 

 本人としては本気なのだろうが、嘯いているようにしか聞こえなかった。ライダーの現代的な衣装はどこへやら、精緻な刺繍が施された紫の外套と宝石だらけの冠が、彼の美貌を一層華やかに仕立て上げている。

 何も知らぬ人間が見れば、皆が口を揃えてこう言うだろう。〝絶世の美少女だ〟と。

 エルメロイⅡ世は言い尽くせない感情で顔面を染め上げて、自身を納得させるように言葉を吐いた。

 

「ノアトゥールが流された薔薇の濁流、円錐形の黒石を載せた戦車、そして何よりもその変態性と変態さと変態的言動……」

「師、半分以上変態で埋まってます」

「つまり、歴史に残る変態ってことか? 円卓の騎士みたいだな」

「歴史に残る人間なんてほぼほぼ変態じゃない」

 

 なぜかしみじみとするアッドに、ノエルは偏見に満ちた一言を放った。ライダーはⅡ世の推理の続きを引き取って、

 

「その通り! オレはローマ帝国第23代皇帝にして太陽神エル・ガバルの大神官!! マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス────ヘリオガバルスとでも呼ぶがいい!!!」

 

 ライダーは薔薇の花弁と宝石を撒き散らし、大仰な身振り手振りで謳い上げた。

 ヘリオガバルス。彼が起こした奇行は枚挙に暇なく、宮殿を私娼窟の有り様に変貌させた、淫蕩なる狂い咲きの薔薇。その御姿は黒石より注がれる光輝に包まれている。

 増さんばかりの輝きに反して、大空洞を覆っていた影は一片も残さずに剥ぎ取られている。エルメロイⅡ世の足元から伸びるそれさえも、余さずに消え失せていた。

 

「畏れ入ったか? 影を吸い、光に換える太陽神の御業だ。太陽は善人も悪人も等しく照らす。みんなが平等だ。素晴らしいことだとは思わねえか?」

「それはそうでもねえ、扱ってる人間に問題がありすぎなのよ! アンタに任せてたら全てがR-18になるわ!!」

「拙はノエルさんに賛成します。青少年健全育成条例を遵守してください」

「話が変わってるぜ? オレは平等が素晴らしいって言ってんだ。今も昔もオレは誰かを支配しようなんて気はねえ。むしろされたい!! グッチャグチャに乱暴にしてほしい!!!」

「「変態だ────!!!」」

 

 ヘリオガバルスは腕を組み、戦車の縁に片足を置く。彼の振る舞いに尊大さはあれど威厳はなく、しかし見る者を魅了するが如き絢爛な艶姿があった。

 六頭の白馬が嘶く。

 ヘリオガバルスの戦車は影を光に換える、太陽神の権能を借り受けた宝具。太陽の輝きを帯びた車輪の疾走は光そのものとなり、相対する敵を打ち砕くのだ。

 

「少し痛くするぜ。大人しく眠れ!!」

 

 しかして、黒石の戦車は二度走る。

 何者にも捉えられぬ、光化の突撃。

 光の速度に対して、防御や回避は何ら意味をなさない。誰もが無防備なまま蹂躙されるのが定めだ。

 閃光が走り抜ける。

 恐れ、目を閉じる時間もない。なぜなら、人の反応速度など遥かに超えているから。

 

「え」

 

 唇の端から呻きが漏れる。

 グレイの体は閃光の瞬きより大きく遅れて、防御の構えを取っていた。

 それでも微塵の衝撃もないということは。彼女は咄嗟に振り向き、ヘリオガバルスの姿を探す。

 

「───いや、おまえがな」

 

 ぐしゃり。カルデアの誇る変人の右靴裏が、痛々しいばかりにヘリオガバルスの端正な顔面にめり込んでいた。

 ライダーは崩れ落ち、鼻の穴からどくどくと血を溢れさせる。

 

「ぐふゥーッ!! オレの小さくてキレイな鼻が!!」

「さ〜て、手始めにT○k T○kのアカウントでも……」

「オイ待て待て待て!! まだ負けてねーし! こっからが本番だし!! つーかオレちゃんと突進したよな!? 妖怪か、妖怪の仕業なのか!?」

「粒子魔術で空間を歪めて進路を捻じ曲げた。つまり俺の仕業だ」

 

 ノアはついでとばかりに回し蹴りを車体に叩き込み、戦車を後退させる。彼の後ろには死んだ目をした立香が杖を抱えて立っていた。

 表情筋を悪辣と愉悦に染め切って、下卑た声音を響かせる。

 

「調教開始だ外見ピンクと脳内ピンクコンビ!! 今からおまえらの血で赤く染めてシャア専用にしてやる!!」

「白いのがほざくと急にめぐりあい宇宙感出てきやがりますわね?」

「良いよな、専用って響き。めちゃくちゃエロいとオレは思う」

「この人たち、もしかして天然───!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、冬木大橋周辺。太陽は既に水平線の向こうに沈み、薄暗がりが天を覆っていた。

 大橋の真下。未遠川を挟む土手の右方に、巨大な影が浮かび上がっていく。閑静な景観にそぐわぬ機械的な鋼鉄の船が顔を出し、地面に接岸した。

 艦船のハッチが水を押しのけながら開き、内部からいくつかの人影が飛び出す。

 

「ビバ冬木市!! わたしはついに真っ当な外界に降り立ちました! 早速先輩たちが向かっているという大空洞を目指しましょう!!」

 

 妙にテンションが高いなすびの名はマシュ・キリエライト。特異点でなく、無限ゼパル編だったセラフィックスでもなく、彼女は生まれて初めて外国の土を踏んだのであった。

 そんなデミサーヴァントを生温かく見守るEチームサーヴァント陣と万能の天才。彼らの引率係である霊子ハッカー、シオン・エルトナム・ソカリス。

 数少ない常識人はがっくりと肩を落として言った。

 

「マスターの二人と連絡がついたのは幸いでした。薔薇十字団の襲撃に警戒しつつ、迅速に大聖杯を護りましょう」

「シオンさんから既に苦労人の気配が漂っていますねえ」

「上に立つ者の宿痾だね。我らがドクターはもはや苦労人オーラが瘴気のようになっていたけど」

「確実にアンタも一役買ってるでしょうね」

 

 しみじみと昔を懐かしむダ・ヴィンチの背を、ジャンヌは言葉の刃で突き刺した。どこぞの優雅な人だったら、致命傷になりかねない一撃である。

 ペレアスは周囲の風景を眺めて、

 

「焼けてないと良い街だな。…………まさかまた王様が出てきたりしないよな?」

「どこかのお屋敷の蔵にでも行ったら、ひょっこり出てくるかもしれませんわ」

フォウフォフォウフォウ(青タイツの槍男呼ばないと)

「初期メン勢には全ての始まりであり因縁の場所です。あの頃の先輩はまだ穢れていませんでしたね……」

 

 マシュは腕を組んで頷く。ジャンヌとダンテ、ダ・ヴィンチは声を揃えて呟いた。

 

「「「一番穢れたのは……」」」

 

 それを遮るように、マシュはアキレウスの如き神速で述べる。

 

「シオンさん。駄弁っている場合ではありません。サーヴァントの足を以ってすれば秒で到着できます。急ぎましょう」

「それは嬉しいのですけど明らかに逃げましたよね。一番穢れたのが誰か分かってますよね」

「いいえ、最も穢れているのはそう思わせる人間の心なのです。わたしの目を見てください。どこも濁っていないでしょう」

「そうですね、あまりにもドス黒くて濁る濁らない以前の問題です」

 

 辛辣な返しをするシオン。ダ・ヴィンチは顔面を劇画風に彩り、冷や汗を滲ませた。

 

「アトラス院の寵児、恐るべし……!! こうも早くマシュちゃんに適応してみせるとは!」

「この適応力ならいつか世界を断つ斬撃も放てそうですよねえ」

「あの子を何だと思ってんだお前ら!? 喋る暇があるなら走るぞ!!」

「うむ、ジョギングは良いぞ! 血行促進に老廃物の排出、新陳代謝の向上と良いことずくめだ! こういう日々の地道な努力が老後の健康に繋がるのだな!!」

 

 ぬるりと、甲高い幼女の声が滑り込む。

 薔薇の眼帯を着けた、可憐な少女。彼女はまるで最初からそこにいたかのように、ダンテの横に並んでいた。

 ダンテはしばし沈黙し、ぎょっと表情を引きつらせた。

 

「……誰ですか!?」

「貴殿の神曲を読んだぞ。アレは筆舌に尽くしがたい名作だった。私は思わず号泣してしまった」

「それは嬉しいですが、誰なんですか!? 怖いですよおッ!」

「うむ、問われたならば答えねばなるまい。私はクリスチャン・ローゼンクロイツ! かつて貴殿にローザと名乗った者だ!!」

 

 言うが早いか、ダンテを掠めるように黒炎が放たれる。

 薔薇十字団の首魁、ローゼンクロイツを名乗る者がここにいるという事実。それだけを理由に、ジャンヌは全ての理屈を置き去りにして動いた。

 完全に焼き払った。確実な手応えはしかし、一瞬にして裏切られることとなる。

 

「私は貴殿らを大きく評価している。魔術王をも打倒する意志。それが揃うとなれば、さしものアンナ・キングスフォードとて敗北は免れぬだろう」

 

 ローゼンクロイツは腕を組み、頷いていた。Eチームの間合いから離れた、水上の船体に足をつけて。

 

「故に足止めする。冬木の大聖杯は我らにとって重要なモノであるからな」

 

 薔薇十字の魔術師は笑う。

 魔術世界最高の使い魔たちを目の前にして、それが意味などないかのように。

 

「ああそう、勝手に言ってなさい。囲んで殴る人類最強の戦術でボコしてあげるから」

「ええ、いい加減意味深なことだけ言って帰る人種には飽きました。泣きべそをかく覚悟の準備はいいですか?」

「その意気や良し! ここからは瞬き厳禁だ、両目をほじって刮目せよ!」

 

 そして。

 ローゼンクロイツの世界が、目を醒ます。

 

 

 

 

 

「停滞固有結界『不凋花(クロノスタシス)』!!!」

 

 

 

 

 

 そこは、何もかもが色を失った白黒の世界だった。

 咲き誇るいくつもの薔薇の大輪も、空に流れる雲も、決して動くことはない。目に映るあらゆる全てが停滞し、停止し、時間から置き去りにされていた。

 無論、この場所に取り込まれた者たちも例外ではなかった。写真の中に収められた像の如く、彼らはみな未来を失ったかのように立ち尽くしている。

 

「ここは刹那すらも永遠となる、時の止まった世界。しかし、それ故に進歩を失った行き止まりの世界だ」

 

 ───私は私の世界を憎む。未来への歩みを否定する、我が心象を嫌悪する。

 固有結界とは自身の心象風景を展開し、現世の理を遮断する業だ。固有結界そのものが強力なのではなく、固有結界に敷かれた術者だけの理を振るうことが、この業の真髄。

 だとすれば、ローゼンクロイツの結界はあまりにも無体な法則を有していた。

 

「敵はいつだって己の弱さ。私はこの弱さを抱えたままに証明してみせよう。ヒトの進歩は、ヒトの意志は必ずやソラの果てに辿り着けるのだと」

 

 それこそが、時の止まった世界。

 彼の異界に取り込まれた異物は例外なく、時を失う。水は流れず、鳥は羽ばたかず、不変の牢獄に囚われる。

 ローゼンクロイツは独りこの世界を往き、相対する者たちに手刀を叩き込んだ。彼らの意識だけを確実に刈り取るために。

 色のない世界が霞となって消える。

 現世への帰還を果たした時、ローゼンクロイツを除く全ての者は地に伏していた。

 

「ふむ。後はアンナたちに任せるとするか。この戦いの行方が決まっている以上、ここでの結果もそう揺らぎはしないだろう」

 

 そこで、彼はダンテを見てはっと口を開ける。

 

「……しまったな。サインを貰っておけばよかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市西側郊外に広がる森には、聖杯戦争の際に御三家アインツベルンが拠点としていた城があった。

 今となっては元の形を推測することしかできない、焦げた瓦礫の海。アインツベルンの城は絨毯爆撃にでも晒されたみたいに、原型を失っている。

 そこにソロモン王が敷設した基点はあった。万が一結界が破られた際、ここの霊脈から汲み上げた魔力を送ることで、結界を再生させる保険。

 獅子劫は冬木に散らばった執行者を集め、バアルに基点を解除させた───わけなのだが。

 

「バーサーカー、こういう時なんて言うか知ってる?」

「人がゴミのようだ、かしら?」

「それも正解! 私はやっぱりこう───ヒャッハー!!!」

「「「「ンギャアアアアアアアアア!!!」」」」

 

 基点が解けた途端に、執行者諸君はメイド少女&喪服の美女による襲撃を受けていた。

 メイド少女は世紀末的掛け声とともにガトリングの弾をばら撒き、数人の執行者を撃ち抜いた。魔術師であろうと死亡確実なはずの威力だが、何か術式が施されているのか、撃たれた執行者は白目を剥いて痙攣するだけの被害に留まっている。

 当の獅子劫はと言うと、瓦礫の中に潜り込みながら仲間が蹂躙される様を眺めていた。彼の胸ポケットにはバアルがにょっきりと生え、じろじろとメイド少女無双を睨んでいた。

 

「……なんだアレ。ロアナプラ出身か?」

「喪服の女はサーヴァントでメイドの方はよく分からん生物だ。万全の私なら赤子の手をひねるより簡単に潰せただろうが」

「そういうことは万全の時に言え、ポンコツ大根。……どうやら撃たれても死にはしねえみたいだし、投降するか?」

「馬鹿か貴様は? 投降なぞすれば私が奴らの手に渡るぞ。貴様らにとって大事な情報源の私がな」

「後でお前マジで千切りにするからな」

 

 仲間が取る行動は大きく分けて二つ。自身の魔術をもって攻撃するか、背を向けて逃げるか。生憎、後者の類は尻尾を巻いた側から撃たれているが。

 執行者とは魔術協会が所有する軍事力とも言える。時には封印指定を執行することから、彼らの中に決して弱者はいない。

 メイド少女とバーサーカーの頭上から、無数の魔力弾が雨霰の如く降り注ぐ。

 

「バーサーカー、行って?」

「ええ、マスター」

 

 喪服の美女はマスターを護ることなく駆け抜けた。彼女が向かう先は愚かにも攻撃を差し向けた執行者。手には巨大ハリセンというふざけた得物だが、とりあえず術者の運命は決まったと言って良い。

 むしろ注目すべきはメイド少女。映像にノイズが走るように、彼女の周囲にアルファベット状の影が散る。

 少女は踊った。

 とても避ける隙間などないはずの、魔弾の雨の中を。

 ひらひらと舞う衣服の端をも汚すことなく、ともすれば自らのサーヴァントよりも速い身のこなしで。

 

「虚数の影……か? キングスフォードといい、どうなってんだ奴らの選手層は」

「これは驚いた。現代にも見所のある魔術師はいるようだ。虚数属性の空間ではなく、時間を操る者がいるとは」

「……時間?」

「然り。アレは自らの周囲にこの次元とは異なる時間流を展開している。どこまで操作の手が及ぶかは不明だが、動作を見るにアレは────」

 

 ───私たちの一秒で、十秒分動いている。

 獅子劫は口の端を引きつらせた。

 一秒で十秒分動くという矛盾。だが、虚数属性を究めた術者には矛盾は矛盾でなくなる。

 メイド少女を取り巻く時間はこの次元よりも速く進む。彼女は通常の時間流との差異の分だけ、速く動けるのだ。

 寸秒が命取りとなる戦闘においては破格の能力。彼女からすれば、他者はのろのろと動く木偶の坊に過ぎない。

 獅子劫は逡巡する間もなく結論を出した。

 

「よし、降参するか。短い付き合いだったが、達者でやれよ」

「早まるな! 私に策がある! それに従え!!」

 

 バアルは策を語って聞かせる。獅子劫はそれを聞き届け、意を決して瓦礫の隙間から抜け出す。

 メイド主従の視線が集まる。

 獅子劫は萎縮する筋肉を強引に動かし、右手を彼女たちにかざした。

 

「男の子が大好きな話の展開を知ってるか?」

 

 二人は目を合わせて、

 

「ラッキースケベですか?」

「最低ね」

「ごめんなさ───いや、それも大好きだがな。もっと魂の芯から震えるアツい展開ってのがある。それを今から教えてやる」

「馬鹿なのこの男?」

 

 辛辣に次ぐ辛辣な言動のバーサーカーに心を抉られつつ、獅子劫は哮り立つ。

 

「───量産機が専用機に一矢報いる。何度擦られても心に焼き付く、パブロフの犬だよなァ!!」

 

 右手の先に魔法円が描かれる。

 それはソロモン七十二柱の悪魔に割り振られた魔法陣────第一位バアルの印章であった。

 

「恐れおののけ、人間!!」

 

 獅子劫の魔力を利用した、魔術の発動。

 今のバアルに以前の魔力はないが、ないなら他者から受け取れば良いだけのこと。かくして、ソロモン七十二柱の権能は発露する。

 雷鳴がはたたく。印章より解き放たれるは、轟雷と豪風。バアルの源流たるウガリット神話の豊穣神、その神威を纏いし嵐が空間を埋め尽くす。

 地面を覆う瓦礫を吹き飛ばし、射線上の一切を塵と変える一撃。それが途絶えた頃、そこには誰もいなかった。

 じわり、と宙に影が滲み出す。

 観光地の顔はめ看板みたいに、メイド主従の顔だけがひょこりと影から現れる。

 

「ふう、危ないところだったわ。男の子の熱量を感じた気がします」

「……量産機が専用機に報いるというか、量産機が専用機の武器を使ってましたけど」

「それはそれでアツい、んじゃないかしら。ほら、バーサーカーは唯一無二だけれど、貴女の剣は旦那さんの────」

「あ゙ーっ聞こえない聞こえない聞こえないわァ〜ッ!! あのなまくらはただ目についたから取っただけですしィ!? 何ならひのきのぼうの方がいくらかマシでしたから!!!」

 

 と、メイド少女は急にバーサーカーのバーサーカーたる所以を見せつけてきたサーヴァントを影から引っ張り出す。

 当然、辺りに獅子劫の姿はない。バーサーカーは肩で息をしながら、ハリセンを握り締めた。

 

「さあ追うわよ! この鬱憤、晴らさないと気が済まないわ!」

「……う〜ん。無理かもしれないわ」

「どうして!? ホワイ!?」

「ソロモン七十二柱バアルは欲望を叶え、知恵を授ける悪魔。そして、人を透明にするなんて言い伝えもあります」

 

 人を透明にする。ただの透明人間ならば捕らえるのは容易いが、ことバアルの権能となればそれは人知を超えた隠蔽術となるだろう。

 メイド少女はバーサーカーの背中を擦って、優しげに告げる。

 

「目的は果たしたことだし、帰りましょ? そろそろゴルドルフさんのお夕飯を作る時間だから」

「……ミ゙ィーッ!!」

 

 尻尾を踏まれた猫みたいな絶叫が、アインツベルンの森に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………サディストは常にマゾの予想の上を行かなきゃならない。オレはそう教えたよな?」

 

 ヘリオガバルスは鼻血を拭き取りながら言った。

 

「その点、さっきのはよかった。完璧にオレの想定外だった訳だからな。オレに認められるサドはそうはいねえ、誇っていいぜ?」

「おまえのお墨付きに価値があるとでも思ってんのか? まとめて潰してやるから、メルヘン女と一緒にかかってこい」

「あの、油断しないでくださいね。ロンドンの時は一回してやられてるんですし」

「ほざけ立香。おまえこそコードキャストはいつでも使えるようにしておけ」

 

 ノアはアンナとヘリオガバルスから目を外さぬままに告げた。一帯は無属性魔術が創り出した架空粒子に包まれている。それすなわち、敵は手のひらの上にあるのと同義だ。

 それでもノアが即座に攻撃を開始しなかった理由は、アンナ・キングスフォードの静けさにあった。

 彼女の魔術は魔法よりもいっそ魔法らしい。無用な隙を晒せば、アンナは必ず刺しに来る。下手に動けば負けるのは、どちらにとっても変わらない。

 ───否。アンナは理解していた。

 

(後か先かなんてのは関係ない。アホ白髪が神体化術式を使えば、確実に負ける)

 

 神の力とはそういうものだ。人間が弄した小細工など意にも介さず踏み砕き、一掃される。

 けれど、ノアはやすやすと神体化術式を行使はしないだろう。手の内を晒さぬ魔術師の性は当然、神代回帰は自身だけでなく周りの環境をも神代に還す。それが如何な騒乱をもたらすか、想像に難くない。

 要は、ノアが神体化を使わぬ程度に凌ぎつつ、隙を見て聖杯を奪い、離脱しなければならない。たったひとりの魔術師の登場で、戦力比は大きく傾いていた。

 ヘリオガバルスは告げる。

 

「しゃーねぇ、切り札だ。全員目ん玉こぼれ落ちる用意はいいか!?」

 

 直後、ノアは固有結界を展開する。

 切り札───真っ先に思い浮かんだのは、ロンドンにて見せた薔薇の褥を現す宝具。固有結界同士の衝突は魔術基盤・魔力出力の強い側が相手の世界を圧倒する。たとえ相手がサーヴァントであろうと、ノアの結界は基盤・出力ともに勝利できる性能を有していた。

 そして、宝具の解放がブラフである可能性。だとしても、結界に捕らえた時点で相手の命運は尽きている。

 世界の修正力を無視した無属性魔術。ゲーティアをも超えてみせた、ノアの切り札のひとつ。どんなにでたらめな理想でも実現してしまえるこの力に誤謬はない。

 ───結論、ノアに油断はなかった。

 

「来い────────」

 

 強いて言うのだとすれば、そこには誤算があった。

 

 

 

 

 

 

「─────()()()()()!!」

 

 

 

 

 

 

 ヘリオガバルスが掲げた紙。『CROATOAN』と影の文字が綴られたそれは空間に虚数の穴を穿った。

 空間の穴より、ソレは降り立つ。

 

「俺が出るのはもう少し未来での話だったはずだが……賞賛しよう。先が確定した結果に至る過程を、きみたちはその力で捻じ曲げた。えらいぞ」

 

 ソレには、光輪があり翼があった。

 天に坐す大いなる主の御使い。

 ヒトに託宣を授け、ヒトが歩む道の守護を命ぜられた、天の伝令者。

 すなわち、天使。ありとあらゆる物語に語られし幻想の存在は、誰の目にも確かな御姿をもって現れた。

 

「汎人類史……この世界の魔術の祖は、魔術回路を用いることを選んだのだったか」

 

 天使は呟く。

 

「■■■■■■」

 

 聞き馴染みのない発声、聞き覚えのない言語。天使の他に意味すら理解できぬその言葉は、

 

「───あ゙?」

 

 とうに現出していたノアの固有結界を、するりとほどくように無に帰してみせた。

 マーリオゥとエルメロイⅡ世は慄然たる形相で、天使を見つめる。

 

「よりにもよって、天使───しかもシェムハザだと? 人に魅入られた堕天使が、審判の日でもねえってのに出てきてんじゃねえよ……!!」

「魔術に天使というイメージを与えることはあるが、実物を出してくるか。否、人類の幻想より生まれたサーヴァントならば、」

「違います」

 

 立香は言った。シェムハザという天使、天使を用いた魔術の双方において、マーリオゥとエルメロイⅡ世のような知識を持たないながらも、確信めいた声音で。

 数々のサーヴァントと相対してきたマスターの本能。言わば勘。それが彼女にこう告げていた。

 

「アレは、サーヴァントじゃありません」

 

 天使は柔和な笑みを浮かべて、

 

「善き人よ。きみのような子は珍しい。言葉に言い表せぬ曖昧な感覚はどうしても否定したくなるものだ。きみは魂から発露した感情を信じることができるのだな」

 

 どこまでも包み込むように、言ってみせた。

 

「えーと、ありがとうございます?」

「分からないまま礼言ってんじゃねえ! あいつのせいで魔術が使えないから、おまえの杖で攻撃しろ!」

「え、は、はい!」

「ふふ。愛いな、人の子は」

 

 飛び来る電子の魔弾。天使は触れることすらなく、それをかき消す。

 

「マナをそのまま利用しているな。うん、私の世界の魔術と同じ方式だ」

 

 エルメロイⅡ世は歯噛みする。シェムハザ。旧約聖書偽典にて、人類に魔術を与えた天使───魔術の祖。伝承にしか在ることを許されぬはずの者が、こうして現代にいるのだ。

 取り留めのない思考を繰り返す脳に追い打ちをかけるように、彼の通信機が振動する。科学ならぬ魔術の様式で造られたそれは、たとえ電波が届かない場所であっても通話を可能にするモノだった。

 

「『おい聞こえるか愚兄!! 聞こえているなら濡れた子犬みたいにワンと返事しろ!』」

「切るぞ」

「『待て私が悪かった! だが、時間がないだろうから質問もせずにただ聞け! いいな!?』」

「……ワン」

 

 通信機から響く声は言う。

 

「『私たちはたった今襲撃を受けた。長い黒髪の女だ。そいつは私たちをひとしきり蹂躙した後、虚数属性の影を使って消えた』」

 

 示し合わせるかのように、アンナの横にまたもや影が滲む。

 

「『女は魔法名を名乗った。古式ゆかしいことにな! その名前はDeo Duce Comite Ferro(神は我が導き手、剣は我が同朋なり)!! つまり──────』」

 

 影を抜け、その女は土を踏み締める。

 長い黒髪。知性の光を宿した怜悧な眼差し。それを認めた瞬間、エルメロイⅡ世の思考は漂白され、五感の全てが彼女に向かった。

 女は紫煙を吐き、口を開く。

 

「久しいな、ウェイバー少年」

「…………貴女、は─────」

 

 彼が紡ぎかけた言の葉が塗り潰される。

 

「『────()()()()()()()()()()!! 大英博物館に秘蔵されていたソロモン王の文書を翻訳し公開した、時計塔の怨敵だ!!』」

 

 アンナは遠い目をして黒髪の女、メイザースの肩を小突く。

 

「サム。言われてますわよ」

「誰にでもある若気の至りだ。それに公開したのはアレイスターのアホ野郎だぞ」

「ああ、しかも無断でやってやがりましたわね。あのクソ馬鹿は」

「アヘン中毒者の話は良いだろう。こういう時は逃げるに限る。北欧の白き神を相手取る準備もない」

 

 メイザースの手元に浮かぶ術式。魔力の光が途絶えた直後、入れ替わるように聖杯が握られていた。ノエルは驚愕して、十指を開閉する。

 

「……嘘ぉっ!? なんで!?」

「おいブタ。煮込まれんのと揚げられんのどっちが好みだ」

「これ私のせいじゃなくないですか!?」

 

 空間の置換。メイザースは自身の手元とノエルの手元の空間を入れ替え、聖杯を手中に収めた。

 

「天にまします我らが主よ」

 

 短い詠唱。たったそれだけの魔術行使で、聖杯が色を帯びる。まるで在りし日の時間を取り戻したように。

 それを見て、ノアははたと思い至った。

 『浄化術式(コンセクレーション)』。人造天使カリス・グラダーレの固有の魔術。如何な魔術の業か、メイザースはそれを再現し、扱ってみせたのだ。

 メイザースは中空に視線を投げ、伝える。

 

「やれ、ライダー」

 

 その時、ノアは莫大な魔力の接近を感じ取った。

 ここが地下でなければ、彼の目にも見えていたであろう。遥か宇宙空間より、灼熱の光輝が墜落する。

 しかし、それは大気を破裂させることも、地面を焼き砕くこともなく、すり抜けるように地下に落ちていく。

 

「───くそったれ」

 

 魔術は使えない。魔術の祖たるシェムハザが現れてから、魔術回路を用いた業のことごとくが発動を封じられている。

 つまるところ、逆転の一手である神体化術式も同じ。落ちてくる魔力の隕石を防ぐことはできない。

 

(わけがねえだろ!!!)

 

 シェムハザは言った。マナを利用した魔術の方式、と。立香の魔弾を打ち消したのなら、奴が封じているのは魔術回路による魔術───ソロモン王が生んだ西洋魔術だけだ。

 天使と同じ方式の魔術ならば、行使は能う。

 マナを取り込まず、そのまま運用する。その感覚は粒子魔術で既に掴んでいる。

 ならば、後は単純で明快だ。

 大気に溶け込むマナ。これをこねくり回し、術式を発動する────!!!

 

 

 

「『神体化・断罪の光明(アルス・テウルギア・バルドル)』───神性領域拡大!!!」

 

 

 

 二つの光が交錯する。

 バルドルの絶対防御。本来は自らの肉体のみに課されている権能を広げ、仲間を包み込む。

 

「『思った通りだ。君なら護れると信じていたよ』」

 

 あどけない声が脳裏に響く。

 それは、声の主の敗北宣言を意味していた。

 かくして。

 太陽の欠片は絶対なる護りの前に砕け散った。

 だが、それと引き換えに、敵の姿はどこかへと失せていた。バルドルと化したノアは深く息を吸い込み、

 

「○○○○!! ○○○!! ○○○○○────!!!」

「載せられない言葉だけ叫ぶのやめてくれません!!?」

「神の声量ってこんなに大きいんですね」

「コイツの語彙幅汚すぎだろ」

 

 ───一方。大空洞より逃げ帰ったアンナたちは、霧中の島の海岸に立っていた。

 一足先に彼らを待ち構えていたローゼンクロイツは満足げに告げる。

 

「よくやった! これで我らの敗北と勝利が確定したぞ!!」

 

 ぱちぱちぱち、とメイド少女とバーサーカーは拍手した。対して、大空洞から帰ってきた面子は、

 

「…………やられましたわね」

 

 血を吐き、膝をついていた。アンナとヘリオガバルス、メイザースだけでなく、天使さえも。

 ローゼンクロイツは冷静に分析する。

 

「バルドルは裁きの神であったな。権能が及ぶ範囲にいたとなれば、判決を受けて然るべきだろう。人間など罪だらけだからな!!」

 

 バルドルの光は裁きの光。神が下した調停に反駁の余地はなく、光を浴びた者は一切の例外なく影響を受ける。アンナたちはあの一瞬にして裁かれ、肉体の損傷という形で罰を下されたのだ。

 メイザースは自らの肉体に刻まれた毀傷を把握し、砂浜に腰を落ち着ける。

 

「魔術回路をやられた。あのまま戦えば終わっていたな。大聖杯の起動は少し待て」

「俺も損壊した霊体の修復に時間がかかる。……なにはともあれ」

 

 シェムハザは独り言のように呟いた。

 

「私は、この世界が異聞のモノとして切り捨てられぬことを祈るばかりだ」

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