自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第91話 トゥアハ・デ・ダナーンの聖域

 〝世界で最も有名なUFO事件は?〟と問われた時、何を思い浮かべるだろうか。

 1947年、ロズウェル事件。アメリカ陸軍が空飛ぶ円盤を回収したと言われる、一大怪奇事件。後に軍からは観測用気球の誤認だったと声明が出されるが、未だにその話を信じる人間は多い。

 だが、信じようと信じまいと、この事件が人口に膾炙した物語であることに疑いの余地はないだろう。

 ならば、英国で最も有名なUFO事件は?

 UFOの目撃談なんて全世界どこにでもある、という意見は置いておいて。ややローカルかつアングラなものの、確かにイギリスには最も有名と称される事件があった。

 それはレンデルシャムの森事件と呼ばれている。1980年12月27日から29日に渡って、イギリス空軍のウッドストック基地では発光する金属飛行体が確認された。関係者によると三体のグレイ型宇宙人と遭遇したなどの話があるが、この証言は矛盾が多いとされてまともに取り合う者は少ない。

 ただし。基地近郊のレンデルシャムの森にて、ある空軍中尉は三角型のUFOに触れ、脳内に直接長大なバイナリーコードを打ち込まれたのだという。

 そのコードは後に『人類探索6668100』と名付けられた。解析の結果、記されていたのは地球上に存在するいくつかの場所の座標であった。

 エジプト・ギザのピラミッド、ペルー・ナスカの地上絵、ギリシャ・アポロ神殿────最後に置かれた座標はとある伝説の島を指していた。

 北緯52.0942532。

 西経13.131269。

 アイルランドより南西の海上にある島。それはいくつかの古地図に存在を記され、数世紀に渡って目撃談が語られるものの、現代においては影も形も認められぬ夢幻郷であった。

 その島の名は───────

 

 

 

 

 

「───ハイ・ブラジル。ケルト神話において、ダーナ神族がミレー族に敗れた末に落ち延びたと言われる『至福の島(イ・ブラゼル)』。フラットさんが導き出した座標は、かの事件のバイナリーコードと一致しました」

 

 シオン・エルトナム・ソカリスは告げる。

 冬木市、大空洞の戦いの翌日。彼らは冬木市の沖合の海中にいた。

 ダ・ヴィンチお手製水陸両用艦のブリッジ。その空間は魔術と科学の粋で構成された機器が所狭しと並べられていた。さらに、そこにはカルデア・時計塔・聖堂教会の面子が、これまた所狭しと集結している。

 オカルトフリークが好みそうな話題から突如明かされた、薔薇十字団の拠点。各人各様が思い思いの苦い顔をする最中、リースはとぼけた面でぽんと手のひらを叩いた。

 

「ああ、あの島でしたか。敵ながら良いところに目をつけましたわね」

 

 精霊は呑気に頷く。立香は負けず劣らずのとぼけ面で問いかける。

 

「リースさんは知ってたんですか?」

「ええ。あの島は元々アヴァロンにあったものなので。至福の島とはティル・ナ・ノーグのことですわよね?」

「───はい?」

「……もっと分からなくなったな。リース、詳しく話してくれ」

「それでは閨に行きましょう、ペレアス様」

「なんでだ!!?」

 

 ……アーサー王が戦いの果てに眠り、目覚めを待つ島───妖精郷アヴァロン。その源流にはいくつか他の伝承における異界の存在があるとされている。

 そのひとつがティル・ナ・ノーグ。海の果て、または海の底にある妖精の楽園。至福の島とは楽園の別名だ。ダーナ神族は敗北の後、この楽園に身を隠し、歴史からも姿を消した。

 しかし、それはケルト神話の神々も同じだった。祭祀を担うドルイドが一神教の勢力に駆逐され、神々は信仰を失い、やがて現世を立ち去る。

 遥か遠き海の彼方、妖精の島。つまりティル・ナ・ノーグとはアヴァロンであり、その逆もまた然り。妖精の島を呼び表す記号にすぎない。

 

「ダーナ神族はいつか一神教の支配が終わり、再来する時を待つため、あの場所を楔として打ち込みました。幽世と現世の狭間を漂う島……おそらく、人理焼却からも逃れていたと思いますわ」

 

 そこで、ペレアスはむっと眉を寄せて首を傾げた。

 

「ハイ・ブラジルはちょっとしたアヴァロンみたいなものなんだろ? じゃあなんで目撃談がいくつもあるんだ?」

「現世との縁を残すためでしょう。西洋の神代は王様が終わらせたので、アイルランドにほど近いハイ・ブラジルも世界の裏側に消えるはずでした」

 

 ですが、とリースは翻す。

 

「あの島は度々人間たちの前に現れ、存在を語り継がれました。そうして人々の意識に〝ハイ・ブラジルはある〟と刻みつけたことで、現世に留まったのでしょう。UFO事件もその一環だったはずですわ」

「おお……リースさんが久々にシリアスになってる……」

「いつもその調子ならわたしたちも助かるのですが。エレインさんを見習ってほしいです」

フォウフォフォフォウ(お前も一話の調子に戻れよ)

 

 フォウくんはぼそりと呟いた。過ぎた時間を巻き戻す術はない。どこぞの青の魔法使いだって、現在の負債を未来に押し付けるリボ払い債務者でしかないのだ。

 マーリオゥは急かすように足を小刻みに動かして、

 

「で? どうやってその島に乗り込む。真っ当に船漕いで行ける場所じゃねえだろ」

「それについては安心するといい! カルデアが誇る万能の天才ダ・ヴィンチちゃんが、ハイ・ブラジルカチコミ作戦を説明しよう!!」

「うーん、実績はあるはずなのになぜか信用できない……」

「先輩、それは実績しかないからだと思います」

 

 きらりと眼鏡を輝かせるダ・ヴィンチに、立香とマシュは言い表し難い不安感を覚えた。無論、Eチーム含め、人理修復の旅路を知るⅡ世たちもである。

 そんな一同の冷めた感情などいざ知らず、ダ・ヴィンチちゃんは丁寧にも事前に用意してきたレジュメを配った。理解不能な専門用語と複雑な設計資料を見せつけられ、立香は頭頂から黒煙を吹き上げた。

 ジャンヌは煙を手で扇いで飛ばしながら言う。

 

「立香のCPU使用率が限界突破してるから、さっさと説明してくれる?」

「うん、話自体は難しくはないよ。いまみんなが乗っているこの艦艇───シャドウ・ボーダーの機能を使って、彼らの島にお邪魔するんだ」

「この船はそんな名前だったんですねえ。いかにも秘密組織が使う機体みたいでかっこいいじゃないですか」

「みたいっていうかその通りでしょ。名前に関してはまだ一考の余地がありますけど」

 

 ドイツ語の辞書をぱらぱらとめくる竜の魔女。ことネーミングには一家言ある魔女の情念が立ち昇り、室内の気温が少しだけ上昇した。

 

「この船は虚数空間への潜航を可能にしている。アトラス院から技術供与を受けた羅針盤、ペーパームーンのおかげでね」

「ハイ・ブラジルがこの世ならざる島であるというのならば、こちらはこの世ならざる航路を用いましょう。アトラス院とカルデアの技術の粋、それこそが虚数潜航艇シャドウ・ボーダーなのです!!」

「そりゃあ頼もしいことだが、どうにもキナ臭えな。あまりに都合が良すぎる。島に行くためにこの船を造ってたみてえじゃねえか」

 

 マーリオゥは視線を尖らせる。

 現実と幻想の狭間を漂う島。そして、この世にない場所をも航行することのできる船。まるでこのために誂えたかのような違和感を彼は感じた。

 シオンは首肯した。彼女の双眸は抜き身の剣の如き殺気と、その裏腹に無念の意を忍ばせている。

 

「私は地球が何者かの固有結界に包まれる未来を演算しました。それを止めるため、薔薇十字団の動向を追う過程で、彼らの拠点が通常の手段で殴り込める場所でないことを計算したのです」

「貴女を責める訳ではないが……未来予測が可能ならば、なぜここまで後手に回っている?」

「あなたにしては短絡的な質問ですね、ロード・エルメロイⅡ世。未来予測を乱すことができるのは、同じく未来を読む者か理外の手合いです」

「第七特異点だとマーリンさんもサクラにやられてましたもんね」

フォウフォウフォウ(あいつはアホなだけだよ)

 

 花の魔術師に悪意のある流れ弾が飛んでいく横で、シオンはぎりぎりと歯を噛み締めてうなだれた。

 

「そう───私の計算通りなら今頃、大聖杯をゲットして奴らの本拠地も突き止めてイケイケドンドンなはずだったのに!! 全ての元凶はこの二人です!!」

 

 バン、と壁に二枚の写真が叩きつけられる。

 

「クリスチャン・ローゼンクロイツとグリゴリの天使シェムハザ! 彼らさえいなければ、私の計算は完璧でした……!!」

 

 一方は薔薇の意匠の装飾品をふんだんに装備した、眼帯の幼女。もう一方は寒気すら覚えるような美貌の天使。特に前者は満面の笑みとダブルピースをカメラに向けていた。

 獅子劫はそわそわと足を揺すりながら呟く。

 

「……どこで撮ったんだ、この写真」

「天使の方は私が密かに撮影したものだ。そしてニコチンが切れたなら、ここを出て左だ」

「憶測で物を言うなよ、Ⅱ世。俺はもうタバコを吸わないとニコチンの神に誓ったんだよ」

「誓う神を間違えていないかね?」

「というかもはや邪神ですよね」

 

 Ⅱ世とグレイの両師弟はニコチン中毒者に冷たい声音を浴びせかけた。ニコチンの神とはたとえ改宗した後でも、日々の様々な場面でフラッシュバックさせてくる悪神である。一度魅入られたが最後、完全に縁を切ることは不可能なのだ。

 シオンの頭脳は獅子劫が三十分後に喫煙所へ駆け込む未来を弾き出す。過去幾度となく行った計算の中でも最も無駄な解だった。

 で。肝心の幼女を撮影した人間はというと。

 

「クリスちゃんなら俺が撮りました。全員気絶した後に一枚頼んだら、快く応じてくれて」

 

 推し活のために保険と定期預金を解約した男、ムニエル。

 薔薇の幼女はEチームのサーヴァントとダ・ヴィンチ、シオンを一瞬とかからず制圧してみせた猛者である。そんな相手に写真を頼むという豪胆すぎる行動に、一同は目を剥いた。

 なぜかしてやった風の顔をするムニエルの頭を、ノアの右手が鷲掴みにする。

 

「オイオイオイ、なに呑気にカメラ小僧やってんだおまえは? せめて竹槍持って突撃するくらいはしてみやがれ」

「無茶言うなっつの!! サーヴァントも蹴散らせるバケモノ相手に何かできるわけないでしょ! 竹槍どころかロンゴミニアドあっても俺じゃ無理だし!!」

「そもそもだ。ペレアスとなすびと放火魔女とダ・ヴィンチがいて瞬殺とかどういう了見だ? 事と次第によってはおまえらの地位がダンテ並みに落ち込むことになるぞ」

「まったくその通りですねえ。みなさんは反省した方がよろしいのでは?」

フォフォウ(恥を知れよ)

 

 フォウくんはダンテの頭頂に肉球を打ち付けた。文才に長ける人間は得てしてロクデナシの風味を持っているが、ダンテも例に漏れずそのひとりだ。彼もまたEチームに相応しい人材と言えよう。

 そして、今やEチームが誇る屈指のロクデナシ───ロクデナス───ことマシュ・キリエライトはノアに食って掛かる。

 

「リーダーこそシェムハザに良いようにしてやられたと聞きましたが?」

「おまえが俺に口答えなんざ百億年早い。こちとらシェムハザの魔術を解析して神体化まで使ったんだぞ。つまり責任は棒立ちしてただけの豚女とロード(笑)にある」

「誰が豚女!? つーかアンタエルサレムで暴れ回ったガキでしょう、積年の恨みここで晴らしてやるわ!!」

「あん? いつの話してんだ。いつまでも過去に囚われてるとろくなことねえぞ」

 

 その文句は期せずしてノエルの急所をブチ抜いた。ぶちん、と額に血管を浮き立たせ、自身の得物である鋼鉄のハルバードを持ち出す。

 彼女は上司のマーリオゥに視線を送りながら吠えた。

 

「このアホ白髪殺っていいですか、いいですよね!?」

「ベーコンになりてえならそうしろ」

「ベーコンはベーコンでも鉄板の隅に残った焦げクズだがな。肥えた脂ごと炭化する覚悟はいいか?」

「ちょっと、ドS同士で連携取らないでくれる!? リツカでしたっけ? 彼女なら手綱ちゃんと握ってなさい!」

 

 というノエルの無茶振りを右から左へ受け流し、立香は全力でとぼけてみせる。

 

「えーっと、シェムハザが人に魔術を教えた天使だから魔術を無効化できるのは分かるんですけど……いくらローゼンクロイツが伝説の魔術師だからって、マシュたちが何もさせてもらえないなんて、流石におかしいですよね?」

「ええ、催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものではない、もっと恐ろしいものの片鱗を味わいました」

「ダンテ、たまには役に立ちなさい。アイツの口振りだと生前に会ったことがあるみたいだけど」

「さ、さあ……私としては色気のあるおじさんだったローザさんが、あんな女の子になっている時点で困惑してますし。心当たりがあるとすれば、私に使った魔眼でしょうかねえ」

 

 かつてダンテはローザ───ローゼンクロイツに幽体離脱を引き起こす宝石を飲まされ、さらに魂が肉体に戻らぬよう、一時的に精神を破壊した。

 それを為したのが、ローゼンクロイツの右眼。茨の如き紋様が刻まれた、真紅の魔眼だ。

 その眼で敵の精神を麻痺させ、意識を奪う。ダンテの推論は確かに筋が通っていると言えるだろう。

 

「ローゼンクロイツは固有時制御の魔術を扱う。アイツが展開する結界は『時間が止まった世界』だ。サーヴァントどもがやられたのは、そいつに捕らえられたからだろ。薔薇の魔眼を使われたなら、コイツらはまだ寝てただろうな」

 

 聖堂教会が誇るドSは言った。見下すようにマシュたちを指差して。

 なぜそんなことを知っているのか。マーリオゥ誰かが疑問を口に出す前に、先回りして答える。

 

「ロアのクソ野郎を調べてる内に知ったまでだ。あのアホは十八世紀のパリで、ローゼンクロイツと共同研究をしていた。古今東西、こういうヤツらが手を組むと洒落にならねえ」

「……ダンテの時代で既に歳は食ってたんだろ? 何年生きてんだ、そのローゼンクロイツってヤツは」

「それこそが彼の凄まじさということだ、ペレアス卿。固有結界は外界に出すと修正力を受ける反面、内界で維持するだけならばそう労力はかからない。『時間が止まった固有結界』を内界に留めておけば、必然老化も魂の腐敗も起こらないだろう」

「固有結界使えないくせによく理解してるじゃねえか。さすがロードだと褒めてやる」

「ノアトゥール、殴られたいならそう言え!!!」

 

 エルメロイⅡ世の鉄拳がノアの顔面に飛ぶ。

 ロードの拳はアホに対してはゲイボルク並みの命中率を発揮するが、そこは三度ゲイボルクに尻を貫かれたノアである。彼は見事に拳を躱してみせた。なお、ゲイボルクはあまり当たらないなどと言ってはいけない。

 争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。その意見に従うなら、ノアと格闘を繰り広げるロードの姿はカンガルーと同等と言えた。

 獅子劫は両者の後頭部を殴りつけて沈黙させると、ため息をつく。

 

「……ローゼンクロイツの話はとりあえず止めにして次だ。薔薇十字団にはサーヴァントを抜きにしてもまだまだ怪物が揃ってやがるだろ」

「まともな人がまだいたようで助かります。アンナ・キングスフォードとマクレガー・メイザース……彼らもまた比類なき脅威でしょう」

「ヘリオガバルスとかいう変態もね」

「アイツは年齢制限的な意味で脅威だけどな」

 

 ノエルとマーリオゥのやり取りを無視して、シオンはさらに四枚の紙を貼り付けていく。アンナとヘリオガバルス、加えてメイザース。しかし、最後の一枚だけは写真が用意されておらず、ただ『HEKA』という名前だけが書かれている。

 

「ただし、最も警戒すべきはエジプトの魔術神・ヘカ。ヴァン・アレン帯から超高熱量の砲撃でセラフィックスを爆破し、大空洞だけをピンポイントで狙う魔力の精密操作。ヘカを自由にさせている限り、私たちに勝ち目はありません」

 

 第六特異点。太陽王オジマンディアスは英霊の規格で召喚された身でありながら、獅子王と互角の砲撃戦を演じてみせた。

 ヘカが太陽船より放つ攻撃はオジマンディアスのそれと同質だ。太陽面爆発に匹敵する火力を、太陽王を超える精密さで撃ち込んでくる。しかも、宇宙という手の届かぬ天空からだ。

 畢竟、薔薇十字団はヘカに万事を任せるだけで勝利する。冬木の聖杯戦争にて、多くの陣営を一方的に葬り去ったように。

 ノアとエルメロイⅡ世は頭を抱えながら立ち上がった。

 

「砲撃は俺が防ぐ。ヘカを宇宙から引きずり下ろす手段もある。問題は────」

「────その権能だ。ヘカとは神の名を指すだけでなく、エジプトの神々が有する超自然的な力をも意味する」

「超自然的な力……魔力のことですか? 師匠」

「そうだ。神話によるとヘカが生まれたのは二元性が存在する前……世界が未だひとつの混沌だった時代の神だ」

 

 この世界で神々がなぜ強大な力を持つのか。

 それは根源と直接繋がり、力を引き出していたからだ。かつての魔術師の多くが魔法使いと定義されていたように、神々にとって根源は遠いモノではなかった。

 しかし。ギリシャ神話のカオスのように、世界が生まれる以前の混沌───根源そのものが神となることさえある。

 であるならば、ヘカとは。

 

「エジプト神代のテクスチャにおける『魔力の根源』。それがヘカだ。奴自身が魔力の源である以上、私たちがマナを利用することはできない」

「さらに言うなら、魔力切れも存在しないと思われます。理由は、言うまでもないでしょう」

「まあ、魔力の根源なんてヤツに息切れなんてないでしょうけど。魔力供給まで絶たれるようならサーヴァントとか終わりじゃない」

「待ってください。ヘカがいると魔力を使えなくて、シェムハザがいると魔術が使えないんですよね」

 

 立香は頭を悩ませるジャンヌの横で言った。

 その後に続く言葉として、この場のほとんどの人間が同じものを思い浮かべる。

 詰んだ───その三文字を吹き飛ばすように、ダ・ヴィンチは声を張り上げた。

 

「無理ゲーを努力と根性と閃きでどうにかしてきたのが人類というものさ! 今回もこのダ・ヴィンチちゃんに任せるといい!!」

「俺という天才もいるからな。神だろうが根源だろうが俺の前にはひれ伏すのが道理だ」

「ノアがこう言うなら大丈夫ですね。あ、シオンさんもアトラス院出身ってくらいだから天才なんですよね?」

「立香さん、この人たちと一緒にしないでください」

 

 シオンは割と本気で嘆願した。アトラス院は天才の巣窟。彼女はその中でも群を抜く素養の持ち主だが、目の前の二匹とひと括りにされるのは避けたかった。天才でなくとも同じだろうが。

 いそいそと残り二枚の写真を用意し、六枚の紙の下に添える。

 メイド少女と喪服の美女。外見だけを見るならばなんとも耽美的な組み合わせの主従だ。

 

「このコンビに関しては名前も不明です。サーヴァントの黒い女性はヘカのようにぶっ飛んだ真名ではないと思いますが」

「セラフィックスでジャンヌさんがかすり傷もつけられなかった強敵ですね」

「うっさいわ! その場にいたアンタも同罪よ! 次こそはカリッカリに焼き上げてみせるわ……!!」

「いざ戦闘となれば、真っ先に排除すべきはこのメイドです。彼女の虚数魔術がある限り、私たちは敵を完全に捕捉することはできません」

 

 シオンの言に相違はなかった。自在に空間と空間を繋げる虚数魔術。メイド少女ほどに熟達した虚数属性の魔術師は現代にいないだろう。

 しかも、空間接続は術者本人がいなくとも行使できる。薔薇十字団が神出鬼没に暴れられているのは、間違いなくその恩恵だ。

 もし彼女がいなければ、ロンドンにてアンナとヘリオガバルスを容易に撤退させることも、シェムハザが到来することもなかった。

 ノエルは口元を歪めて、

 

「じゃあ、本拠地を狙っても意味ないじゃない。どれだけ追い詰めても逃げればいいだけなんだし」

「いいえ、そんなことはありませんわ。彼らも彼らでどん詰まり、ハイ・ブラジルを捨てる訳にはいきませんので」

 

 湖の乙女リースは言い切った。

 

「ブリテン島とその周辺は地球のおへそ。世界を引っくり返すのに、この上なく適した場所ですわ。あの島はその気になれば星の内海に潜れるでしょうし」

「世界を引っくり返す支点。固有結界で地球を包もうとする彼らには絶好のホットスポットだろうね。……そのメイドの娘、やってることはシャドウ・ボーダー以上じゃないかな? ダ・ヴィンチちゃんのプライドにヒビが入りつつあるんだけど」

 

 そこで、今の今まで天井から吊るされたまま沈黙していたバアルが初めて口を開く。彼に口はないが。

 

「あの得体の知れない生物のことか。奴の虚数魔術の無法さにはなにかタネがあるに違いない」

「ようやく喋ったと思ったら、何も分かってないも同然じゃねえか。また炙り大根にされてえのか?」

「ちょうど海の中ですし、魚釣って一緒に煮込みましょう」

「この悪魔どもが!!」

フォウフォウフォフォウ(お前こいつらに負けたんだぞ)

 

 バアルはぶるんぶるんとのたうち回る。魔神柱としての圧倒的な威容はどこへやら、今の彼は見る人が見ればモザイクをかけられかねない猥褻物一歩手前の生物だった。

 シオンは荒ぶるバアルをエーテライトで押さえつけ、会話の主導権を握りにかかる。

 

「『ROANOKE』と『CROATOAN』。メイド少女が虚数魔術を発動する際、影はこれらの語句を象ります。魔術とは神秘の表象であり、その人間が抱え持つ秘密の具象。であるのならば、彼女の名前を推測することも叶います」

「……フラットが座標ついでに書いていたな。確か、アメリカの地名だったか」

「はい。おそらく、彼女の真名は──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイ・ブラジル島。薔薇十字団が住処とする城の談話室。ヘリオガバルスは椅子にもたれかかり、気の抜けた声を漏らした。

 

「恥ずかしながら、最近初めて官能小説を読んだんだけどさ」

「死ね」

「アレ読むのやめた方がいいな。並大抵の人間なら人生終わるぜ? もう日常で出てくる言葉が全部エロく見えてくるんだよ。なんなんだろうなこの現象。初めてケツぶっ叩かれた時くらいの衝撃だよ。目に入るものがなんでもシモに直結するようになっちまったよ」

「死ね」

「でさぁ、この世には言葉が氾濫してるわけだろ? それナシじゃ人間生きられねえしな。つまり、この世界って───全てがえっちなんじゃねえか……!!?」

「死ねェェェェ!!!」

 

 アンナはソファーに寝転がった状態から、分厚い動物図鑑を己がサーヴァントの顔面目掛けて放り投げた。腕の振りだけで野球選手顔負けの()速を叩き出すそれはまさしく、魔術師ならではの強肩だ。

 だが、ヘリオガバルスは難なく本を受け止めた。ぱらぱらとページをめくり、からかうみたいにほくそ笑む。

 

「ああ、そういやアンナは動物好きだったっけ? 良いよな、動物。忘れられねえのが子どもの頃に見た馬の交」

「おいテメェなにナチュラルに猥談から猥談のコンボキメようとしてやがんですの? 療養中にクソみてえな話聞かされる身にもなりやがれですわ」

「じゃあ結論から言うか。…………性の目覚めって大人になった後で実感するよな」

「なるほど。どう殺されたいかレポート形式にして提出しなさい。お望み通りブチ殺して差し上げますわ」

「Wordでいいか?」

 

 ヘリオガバルスはアンナから放たれる殺気をどこ吹く風で流し、動物図鑑をめくっていく。官能小説を読んだことにより、全ての言葉にピンク色を見出した怪物。彼には動物図鑑さえもストライクゾーンなのだ。

 ……ほわほわと立ち昇る湯気の向こう側で、そんなやり取りが繰り広げられている。ゴルドルフ・ムジークはそれを死んだ魚の目で眺める。

 彼の感情を殺したのは目の前の会話だけではない。紅茶とティーポットが用意されたテーブルの一角を囲む、喪服の美女。彼女の傍にこれみよがしに置かれた魔剣の気に当てられたせいでもあった。

 そこに、メイド少女が身の丈ほどのチョコレートファウンテンを持ってやってくる。

 どしん、とチョコレートの噴水が台の大半を占拠する。メイド少女はチョコの向こう側からひょっこりと微笑んだ。

 

「ゴルドルフ様。今日のお茶請けはチョコレートフォンデュでございます。今朝ガーナで買ったカカオを加工しました」

「う、うむ。色々とツッコミどころはあるがいただこう。具材はどんなものを?」

「定番のマシュマロやクッキー、カステラ、パン類と果物をいくつか。それとアメリカンドッグは外せないですよね?」

「チョコレートフォンデュにアメリカンドッグ!? 私でも少し躊躇うカロリー爆弾なのだが!? もはやカロリーという概念が具現化した物体じゃないかね!? エクスカロリーじゃないかね!?」

 

 某腹ぺこ騎士王も、やや敬遠しそうな代物だった。ゴルドルフはジャンクフードに理解がない男ではない。が、ティータイムに出てくるにしてはあまりにも場違いすぎた。日常系アニメに突然地上最強の生物が登場するようなものだ。

 喪服の美女───バーサーカーはアメリカンドッグをつまむと、チョコの滝の中でくるくる回す。彼女はそのカロリーの塊をゴルドルフの口に押し付けた。

 

「他人に用意させておいて文句を言うなんて何様のつもり? 私のマスターが手塩にかけたのだから、余さず食らい尽くしなさい」

 

 さしもの不死鳥ゴッフといえど、サーヴァントの筋力に対抗できるほどではない。彼はもごもごと顎を動かして、

 

「いや別に文句を言った訳では……口に押し付けるのをやめたまえ! 私のダンディなヒゲがチョコまみれになってしまう!」

「バーサーカー、やめてあげて? あーんは旦那さんにしてあげるものでしょ?」

「あぁん!? あの男はあーんなんてさせてくれなかったわよォォォ!!」

「ぐもおおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」

 

 嗚咽するゴルドルフ。ヘリオガバルスは間に割って入り、苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。

 

「ここはオレにその黒くてぶっといのをブチ込むってことで収めちゃくんねえか……!?」

「いきなり出てきて何を言ってるんだねこのアホサーヴァントは!?」

「ライダーさんはドMですから」

「そうね。思う存分ぶっ刺してあげるわ。ただし、こっちの方を」

 

 すちゃり、とバーサーカーは魔剣を持ち上げる。

 ヘリオガバルスは鋭く黒光りするひと振りを見上げ、ひくひくと唇を震わせた。

 

「待て待て待て、落ち着けお姫様。オレは生死の狭間を彷徨うくらいキツいのが好きなんであって、死亡確定なのはさすがにだな」

「問答無用ッ!!」

「ンギャアアアアアアアアアア!!!」

 

 尻から魔剣を生やしたヒトガタのインテリが出来上がる。魔剣の元の持ち主が見れば、バグを起こして思考停止すること請け合いだろう。

 メイド少女はナプキンを取り出し、ゴルドルフの豊かな曲線の輪郭に手を添えた。

 

「お顔失礼いたします。おヒゲの部分までしっかり拭い取らせていただきますね」

「す、すまないな。メリア」

「ふふ、まだその名で私を呼んでくれるんですね」

 

 ナプキンを動かす手つきは慣れていた。ゴルドルフは老いた猫みたいにされるがままになりながら、ぽつりと思う。

 

(────ナニコレ?)

 

 カルデアに飛んだかと思えばこんな島に連れ去られ、ローゼンクロイツにまさかの0秒KOをキメられた挙句、抵抗するでもなく日々世話をされている。

 しかも、自分をここに送り飛ばしたメイド少女に。裏切られたとはいえ、想いを寄せた彼女に甲斐甲斐しくされている。ゴルドルフの心はどこか浮き立っていた。

 いっそこんな生活も悪くない、と思えてしまう。唯一の気掛かりといえば、ムジーク家の従者で家族のホムンクルスたちだけだったが、窓の外を見ると、

 

「今日もよくぞ集まった! バドミントンはついラケット捌きに目が行きがちだが、土台となるのはコートを縦横無尽に移動する下半身の力だ! それではスクワットから始めるぞ!!」

「「「「「はい!!」」」」」

(────なんでバドミントン?)

 

 彼らはローゼンクロイツコーチによるバドミントン修業に勤しんでいた。ちなみに三日前はカバディだった。

 楽しんでいるしもういいのでは、と悪魔が耳元で囁く。

 だがしかし、時計塔のフェニックスとはゴルドルフ・ムジークのことだ。たとえ盤上の駒が王一枚になろうとも、投了することはない。

 幸い、アンナ・キングスフォードはなにやら手傷を負い、万全ではない。紳士の行いには反するが、制圧するなら絶好の機会だ。

 ただ、メイド少女メリア以外に問題があるとするならば。

 アンナの向かいでこれまた寝転がる黒髪の女。彼女は真剣な目つきで一本のたばこを見つめていた。

 

「……寝ながら吸うのはまずいか。人間としてまずいか?」

「ヤベェに決まってんですのよ馬鹿弟子。かーっ、昔はヤニなんて吸わないとか言ってたのに、どこで道を間違えたんですの?」

「時にはグレることも人生には必要なのだよ。貴女こそブラヴァツキー夫人と仲違いした時は……」

「あんなわからず屋のエレナっちなんて知りませんがぁ〜? それよりアナタ、グレてるならワンちゃんのショート動画でも見てなさい。癒やされますわよ」

 

 彼女の頬にスマートフォンの画面を押し付けるアンナ。黒髪の女はそそくさと逃げ出し、ゴルドルフの左斜め前の席に落ち着く。

 

「私にも一杯頼めるかね?」

「もちろんです! 駆けつけ一杯いらっしゃい!」

「とても紅茶を出す掛け声ではないのだけど」

(────電波あったの、ここ?)

 

 ゴルドルフは目の前の会話にツッコむよりも、アンナが寝そべりながらスマートフォンを弄くり倒していることに驚愕した。

 黒髪の女は紅茶を一口すると、ゴルドルフに向き直る。

 

「お初にお目にかかる。私はサミュエル・リドル・マクレガー・メイザース。君の噂はかねがね聞いているよ」

「ゴルドルフ様は有名人ですもの。財力だけで言えばロードの方々にも匹敵します」

「ああ、そこが我々と違って代を重ねた魔術師の貴族階層の強みでもある。かくいう私もグランストリー伯爵と名乗っていた時期があってね」

「お前のそれは自称であろう! 知らぬだろうから教えてやるが、当時の時計塔の機関誌では〝伯爵を名乗るアホが表の世界に神秘を暴露しようとしている〟と散々こき下ろされていたものだ!!」

 

 それを聞いて、メイザースは不敵に笑う。

 

「言われずとも知っているさ。大英博物館の地下にレメゲトンの原本をこっそり借りに行った時に読ませてもらった」

「メイザース様、それは借りるではなく盗むが正しいと思われます」

「まったくメリアの言う通りだ! お前たちオカルティストに時計塔がどれほど苦渋を舐めさせられたか知るまい!」

「へぇー、草生えますわぁ〜」

「貴様も同罪だぞアンナ・キングスフォード!!」

 

 時計塔で魔術師を捕まえて〝歴史上の魔術師でひとり全力で殴れるとしたら誰にする?〟と問えば、メイザースの名前を挙げる者は少なくないだろう。

 『ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)』を翻訳して結社内に公布し、さらにそれを無断でアレイスター・クロウリーに出版された大罪人。神秘の秘匿という観点で、あらゆる魔術師が怒りを覚えるに違いない蛮行である。

 だが、メイザースは悪びれもせずに答えた。

 

「知識はできる限り多くの人間に行き渡るべきだ。ダンテが神曲をトスカーナ方言で書いたようにな」

「それでも魔術師かね!?」

「まあ、私たちは一般人だったからな。君たちのように幼少の頃から教育されていた訳でもない」

「神秘は知られたら消えるとか、先に言えやって感じでしたものねぇ」

 

 その時、ゴルドルフは天を仰いだ。

 ───根本的に、性質が違う。

 一言に魔術師と言ってしまえば、自分と彼らは同類だ。それでも、自分と彼らでは最初に生まれ落ちた世界が違う。初めから魔術を知る裏の世界の人間と、表の世界から絶大なる才覚を以って魔術に足を踏み込んだ者。その隔たりは果てしなく大きい。

 神秘は知られてはいけない。

 そんな大原則は普通、修業を始める前から教わる。けれど、彼らにその原則を教える人間はいなかった。なぜなら、神秘は知られてはいけないから。

 だから、彼らは己の魔術をひけらかすことに抵抗がない。

 神秘が色濃い時代ならともかく、彼らの時代はとうに神秘が失われ始めていた。魔術師の家系を興す初代は大抵、開位にも届かぬ実力でしかない。

 しかし、彼らは初代でありながら、余人に及ばぬ魔術の腕を誇り、真理を極めた。

 

(……言わば、バグだ。神秘が薄れた時代に生まれながら、神秘に愛された魔術の寵児。かの時代に輝いた妖しき星───!!)

 

 それが、エリファス・レヴィやエレナ・ブラヴァツキーを始めとした、新時代の魔術師たちだ。ゴルドルフは改めて彼らが理外の存在であることを確信すると、メイザースを見て顔面を歪める。

 

「……ハッ! なぜ私はメイザースが女性ということを受け容れていたのだ!?」

「気にするのが遅くありません……?」

「通信制限かかった時にやるソシャゲじゃねえんですから」

「脳みそに糖分足りてないんじゃないの?」

 

 またもやチョコがけアメリカンドッグを用意するバーサーカー。ゴルドルフはそれを丁重に受け取り、もむもむと頬張った。

 彼は恐るべき速度でカロリーの化け物を完食し、真面目に問いかける。

 

「ローゼンクロイツ然り、魔術というものに傾倒しすぎると変態になるのか?」

「そうだな。私たちの目的は地球を固有結界で包み、根源へ押し上げることだが……そのためには聖杯並みの魔術炉心が複数要る」

「ですので、ちょちょいと内臓を弄って、聖母マリアと同じ形にしたんですのよ。あのジジイが変態なのは同感ですが」

「お父様は変態ですが変態という名の紳士です。ゴルドルフ様も気が合うと思います」

 

 役割や形が同じモノはたとえ贋作であっても、真作の力を帯びる。おそらく、彼女たちに施された術式はこの類感呪術の理論に基づいているのだろう。

 ゴルドルフは納得する。ローゼンクロイツとメイザースが性別を変えた、否、変えなければならなかった理由。

 

「───()()。聖母マリアと同じ形の内臓に整えるとは、そういうことか」

 

 メイザースらはこくりと頷いた。

 

「正解だ。聖母の子宮は神の子(唯一神)を育み、産んだことから『天より広きもの』と呼ばれる。宇宙を創った存在を産んだのだから、それは宇宙より大きいのではないかとな」

「まあ、()()()アキレウスや()()()ヘクトールみたいな決まり文句ではありますが。宇宙を産んだ子宮なら、遥かにスケールダウンしたとしても聖杯くらいにはなりそうなものでしょう?」

「マリア様こそが聖杯、っていう考え方はありがちですよね。ぶっちゃけダ・ヴ○ンチコードのパクリ……」

「マスター、そこまでにしておきなさい」

 

 バーサーカーは己がマスターの言動を、直接口にマシュマロを放り込むことで阻止する。

 アンナはスマートフォンを仕舞い込み、両足をバタつかせた。

 

「ん〜、久しぶりに魔術談義をしたらバカ疲れましたわ。サム、私を部屋に連れていきなさい。師匠命令です」

「私もバルドルの権能にやられたのだがな。仕方あるまい」

「よろしい。あたくしのダンナには及ばずとも、良い男ぶりだと褒めてやりますわ」

「……それでは、私たちは退出する。ゆっくりティータイムを楽しむといい」

 

 メイザースはアンナの足首を掴み、ずるずると引っ張っていく。かつて多数の信者を集めた高嶺の花とは思えぬほどの体たらくである。

 沈黙の帳が降りる。室内の音は流れるチョコレートと、魔剣の生け花と化した哀れな人間のうめき声だけだった。

 ゴルドルフはティーカップの取っ手を挟む指に力を加える。

 透き通る琥珀のような水面が僅かに波打つ。そこに反射した顔はゆらゆらと輪郭を変化させている。彼は自らの歪んだ目を見つめながら、言葉をこぼした。

 

「クリスチャン・ローゼンクロイツ。アンナ・キングスフォード。マクレガー・メイザース。時計塔の魔術師としては業腹だが、誰もがその功績を認めざるを得ない連中だ」

 

 ───メリアも、そんな魔術師のひとりなのか。

 彼女は苦笑とともに首を横に振った。

 

「いいえ。私はお父様たちとは違います。それどころかきっと、この世の誰とも」

 

 それでも、名前を使うとしたら。

 ソレはそう言って、告げた。

 

「────()()()()()()()()。そう呼んでくれても、かまいません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリストファー・コロンブスによる新大陸の発見。それ以後、ヨーロッパ諸国はアメリカ大陸を我が物にするため、大挙して植民地支配を進めた。

 その内の一国。十六世紀後半よりイングランド王国───イギリスはスペイン帝国と並び、対立する勢力をもって、権益を掌握していくこととなる。

 先住民族のおびただしい血が流れ、無数の骸が築き上げられていく最中、ひとりの赤子がアメリカ大陸で産声をあげた。

 ヴァージニア植民地、ロアノーク島。

 その子はアメリカ大陸で初めて生まれたイングランド系の白人だった。1587年8月18日のことである。

 名前は土地にちなんでヴァージニアと名付けられ、イングランドの地を踏まぬまま育つことになった。

 しかしながら、ロアノーク島への入植者は不可解で、悲劇的な結末を辿る。

 先住民の部族との関係悪化。入植者のひとりが殺害される事件。ヴァージニアの祖父であるジョン・ホワイトは入植者たちのまとめ役であったため、本国に助けを求めて島を発った。

 当時のイングランドはスペインとの戦争を演じていた。それ故、ホワイトの帰還は実に三年もの時間を要することになってしまう。

 そうして、彼がロアノーク島に戻った時。

 娘夫妻と孫を含めた115人の入植者は、忽然と消えていた。

 手がかりは集落の柱に刻まれていた『CROATOAN』の文字のみ。やむを得ず島を去る際は柱に行き先を彫るという、彼らの間での連絡手段だ。

 ロアノーク島からおよそ80kmのクロアトアン島。ホワイトは船の残存物資の関係から、捜索を打ち切り、島に向かうことなく本国に帰った。

 その後、消えた入植者たちは大して関心を向けられることもなく、歴史の狭間に呑まれていった。

 入植者はなぜロアノーク島を去ったのか。なぜ詳細な伝言を残さなかったのか。そして、なぜ彼らは見つからなかったのか。

 全ては、闇の中に葬られた。

 

「なれど真実は確かに其処にあり、暗き水底で鈍く輝く。この祈りが届かずとも、私は手を組み眼を伏せよう」

 

 地球表面より1000km。

 天使は星の海の真ん中にいた。

 

「地球はこんなにも青く、此処にもまた汝らを救う神はいないのだから」

 

 白銀の瞳が、青き星の地平を写す。

 魔術の祖にして救いの天使シェムハザ。霊長の守護者たる彼は、たとえどれほど距離があろうとヒトを見通す眼を持つ。

 故に、天使の眼は上空1000kmという高度にあっても、80億の人類すべてを見渡していた。

 

「……地球は青いって、当然じゃないのかい?」

 

 シェムハザの背後に輝く、黄金の太陽船。その船首からひとつの影が気軽に空を踏み、天使の横に並び立つ。

 青みがかった黒髪。褐色の肌。漆黒の瞳は光を吸い込む暗黒星のように、黒く澄んでいた。

 エジプトの魔術神、ヘカ。年端も行かぬ少年のような輪郭はしかし、無上の神秘を帯びている。

 

「ん、そうなのか? 俺が知っている地球は枯れた鋼の大地だけだった」

「それは難儀だね。見てごらんよ、蒼きナイルの煌めきを」

「ああ、美しいな。あの川がエジプトの民に豊穣を授けてきたのか」

「そして、アレは民の命を奪う存在でもある。生と死のサイクルこそが、この宇宙の理だよ。沈み(死に)昇り来る(生まれる)太陽のようにね」

 

 ヘカは天使に言い聞かせる。魔力の根源たる神の、包み込むような暖かさとともに。

 

「───だから、死んだものが死んだままなんてありえない。枯れた大地だって、いつかは新しい命を芽吹かせるはずさ」

 

 天使は驚いたような顔をして、薄暗く微笑んだ。

 

「君には敵わないな」

「君と同じ魔術の祖、ソロモンには負けたけどね。その反省を活かして、次は地球に降りることにしたよ」

「本気か、ローゼンクロイツは」

「でないと意味がない。勝利も敗北も、惰性で得るものではないからね」

 

 ヘカは太陽船に飛び乗り、問いかける。

 

「乗っていくかい?」

「いや、俺はもうしばらくここにいる。この星の人々を、見ていたい」

「そうか、そうだね。気の済むまで愛でるといい」

 

 光無き黒の瞳が月を見つめる。どこまでも平坦な調子であった声音に僅かな色を滲ませて、

 

 

 

「君の世界に、霊長たる人類種は存在しないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市、ハイアット・ホテル。

 新都にあるこのホテルは市内最高級の設備とサービスを誇る。市外からの宿泊客を多く集める施設だ。地上三十二階にものぼる高層建築物ながら、現在のホテルは二代目であった。

 一代目は冬木市同時多発ガス爆発事件により、根本から崩壊……とされているが、実際は聖杯戦争における最終戦、ソロモン王とヘカの戦いの余波の影響だ。

 不幸中の幸いと言うべきか、死者はいなかった。ついでに言うと、ホテルのワンフロアを貸し切って魔術工房化していた魔術師もいなかったらしい。

 対薔薇十字団連合軍はそんなホテルを主にマーリオゥの有り余る財力で貸し切り、ハイ・ブラジル決戦までの拠点とした。

 なお、部屋を割り振る際、

 

「もちろん私とペレアス様は同室ですわ〜♡」

「回転するベッドとかいらないからな。普通の部屋にしてくれよ?」

「ペレアスさん、心配しないでもそんな部屋ないです。あ、私もノアと同じ部屋で大丈夫なんで」

「先輩……なぜ────?」

 

 エントランスに脳漿をぶちまけて気絶したなすびがいた。が、もはや持ちネタなので気に掛ける者は誰ひとりとしていなかった。日頃の行いの成果である。

 そんなこんなでホテルの大浴場、女性用更衣室。温泉を心ゆくまで堪能した後、マシュとジャンヌは自動販売機を睨みつけていた。

 

「…………やっぱりフルーツ牛乳でしょ」

「正気ですか、ジャンヌさん。お風呂上がりはコーヒー牛乳ということで結論が出ているはずですが。ドクターもそう言ってました」

「アンタこそ正気? 汗流した後の乾いた喉にすーっと染み渡る爽やかな甘みこそが至高に決まってるじゃない」

「埒が明きませんね。ではここは先輩に決めてもらいましょう。選ばれた方が真の先輩のサーヴァントということで」

 

 そこまで言った瞬間だった。

 

「ギャアアアアアアアアア!!!」

 

 汚らしい絶叫が室内に響き渡る。

 マシュとジャンヌは知っている。ヒロインとは思えぬこの声が、マスターのものであるということを。二人はすぐさま声の方向へ急行した。

 そこには、なにか恐ろしいものでも見たかのような青褪めた形相の立香。恐怖のあまりか、全身をガクガクと震わせて床につくばっている。

 立香はマシュとジャンヌを見て、陸に上がった魚みたいに口を動かした。

 

「あ…わァ……ァ……」

「え、なにがあったの!? 人間がちいかわになる事態なんてそうそうないわよ!?」

「ふ、ふと、ふととととととと」

「落ち着いて事情を説明してください! わたしがずばっと解決してみせます!」

 

 ちいかわと化した女は痛恨を極めた顔面を伏せ、捻り出すように言う。

 

 

 

「───太った……ッッッ!!!」

 

 

 

 彼女の後ろには体重計が佇んでいた。マシュとジャンヌはスン、と無表情になって、

 

「困りましたね。ドクターが使っていたダ・ヴィンチちゃんお手製体型矯正ギプスは遥か彼方の南極です」

「んなもんに頼らなくてもダイエットすりゃいいでしょ。だいたい、なんで太ったのよ」

「わからない……この立香の目を以ってしても……!!」

「いいえ、わたしには分かります。ジャンヌさん、ここ最近の先輩の食生活を思い出してみてください」

 

 ジャンヌはするすると記憶の糸を引っ張り出しつつ、情報を声に変換する。

 

「毎日三時のおやつにハチミツとクリーム盛り盛りのパンケーキタワー作ったり、朝から唐揚げのせたカレー大盛りで食べたり、三食毎回おかわり……はいつも通りだったわね」

「先輩、これが答えです。世が世なら暴食の罪で裁かれていたであろう蛮行です。はっきり言ってドカ食い気絶部の素質があります」

「ごはんってなんであんなにおいしいんだろう───?」

「毎日体重計乗ってればなんぼアホでも気付くでしょ。いっつもサボってたわけ?」

 

 すると、立香は途端に口をつぐんだ。唇を切り結んだまま、どこぞの平安陰陽師みたいに、んんんと唸る。

 

「これはまったく他意はないし、普通の会話の延長線なんだけど……」

(なるほど、他意があるんですね)

(しかも普通の会話の延長線でもないのね)

 

 それはゲーティアを打倒してしばらくのこと。夜、ノアと会話していると、彼は唐突に切り出した。

 

〝おまえ、太ったか?〟

〝は? それはさすがにライン越えてるんですけど〟

 

 そして次の日。

 

〝やっぱり太っ〟

〝てないです。体重なんて簡単に変わるじゃないですか〟

 

 そのまた次の日。

 

〝いやどう考えても重くなっ〟

〝てません。なってたとしてもちょっとですよね。敏感になりすぎですから〟

〝単に事実を述べただけだ。つーか敏感なのはおま〟

〝ガンド!!!〟

 

 といったことを言われ続けた反動で、立香はノアのシャワー室横の体重計を全スルー。今日に至るのであった。

 立香は素知らぬ顔で嘯く。

 

「まあ、昔話の狼少年的な? 普段ろくでもないことしか言わない人の話なんて信じられないし? つまりこの責任はノアと私で折半ということでファイナルアンサー」

「増えた体重は全てアンタにのしかかってますけどね!?」

「いやいやいや、増えたといってもほんの少しだから。ちょっとおやつ我慢すれば大丈夫だから」

「今のアンタの言葉を信じるくらいなら、民明書房の方がマシだわ! もっかい体重計乗りなさい!!」

 

 ジャンヌはぐいぐいと立香を押す。乙女の意地が起こした奇跡か、彼女は筋力Aに僅かながらの抵抗を示した。

 

「それは公開処刑に等しくない!? パンケーキタワー食べてたのはマシュとジャンヌも一緒なんだから、せめて一緒に同じ苦しみを────」

「ワタシ、サーヴァント、フトラナイ」

「なんでロボット口調!? マシュ助けて!」

 

 令呪を切る勢いで救いを求める立香。しかし、マシュはというと、大の字に転がって激しく痙攣していた。

 

「あ…わァ……ァ……」

「残念だったわね! ポンコツなすびはアンタの話から察したインモラル要素で、持ちネタを発揮した(脳が破壊された)わ!」

「持ちネタにしては体張りすぎじゃない!?」

「…………なにをしてるんですか、あなたたちは。無駄なやり取りはカットです」

 

 そう言ったのは、シオン・エルトナム・ソカリス。Eチーム三人娘のじゃれ合いを見かね、爆速で髪を乾かして駆けつけた苦労人である。

 その後ろにはノエルとグレイ、リース。じゃじゃ馬どもを押さえ込むための戦力だ。かなりの心許無さはあるが、女性更衣室という聖域において用意できる最高戦力と言えよう。

 グレイは神妙な面持ちで切り出す。

 

「体重計がどうと聞こえましたが、それでどうしてマシュさんが瀕死になってるんですか」

「脳が破裂する発作が起きただけよ」

「持病のシャクみたいな感じだよね」

「死に至る病────!!」

 

 絶句するグレイの後ろで、リースは平然と体重計に乗っていた。

 

「あ、二十キロですわ」

「その体型でこの体重は時空が捻れ狂ってない!? どんな体の構造してるわけ!?」

「精霊なので……もっと重くのも軽くするのもできますわ。お次はノエルさんどうぞ」

「ふざけろ! 人外と比べられてたまるかって話よ!」

 

 ノエルは凶暴なチワワみたいに噛み付く。

 彼女は弱者に強く、強者に弱い普通の人間だ。リースが生前であれば頭を床に擦りつけていた場面だが、ペレアスに憑く色情霊である湖の乙女に対する恐れはなかった。

 シオンはため息をつくと、天才らしく眼鏡をくいとあげる。

 

「……誰にとは言いませんが。もし太ったようでしたら、私が理想の体型・体重を計算して完璧なトレーニングを考案しましょう」

「ですって。どうですかノエルさん」

「ほぼ初対面で私に振るとかどんな神経してるの!? カルデアのマスターはバケモノコンビなの!?」

「決戦が目前なのにダイエットしてる暇があるんですか?」

 

 グレイはこてんと首を傾げる。薔薇十字団は既にシモン・マグスの計画を発動するピースを揃えている。今この瞬間にも、固有結界が地球を覆っていてもおかしくないのだ。

 

「少なくとも、大空洞にいた敵はみな裁きの神の権能に晒されています。それが癒えるまでは彼らも動けません」

「……アホ白髪のおかげっていうのが気に入らないけど、固有結界で包んだとしても次元跳躍の魔術が必要なんでしょ。シモン・マグスでも連れてくるの?」

「良い目の付け所です、ジャンヌさん。マクレガー・メイザースは詠唱さえパクれれば、他人の魔術を自分のものとして行使できます。彼はシモンから、あらかじめ教わっていることでしょう」

「おお、急に会話がシリアスになった……これがアトラス院の天才───!!」

 

 立香は感心しつつ、内心でほくそ笑んだ。

 この会話の流れを続行すれば、体重の話題は記憶の彼方に吹き飛ぶ。ここは乗っておくだけ得だろう。我ながら孔明に匹敵する策謀だった。

 立香はシオンに手のひらを向け、促す。

 

「それじゃあ、続けてください。今回は説明回なんで」

「え、ええ。シモンの出現については、手を回してあります。女神アト・エンナと交信を行い、妨害をしてもらうようにと」

「エレシュキガルさんの冥界に連れて行ってくれたヘビふくろうですね」

「その彼女は、近々仲間のサーヴァントをひとり加勢に向かわせると言っていたのですが…………」

 

 シオンは言い淀み、額を手で押さえる。

 

「その特徴が、普段は無口なくせにいきなり笑い出したかと思えば意味深なことしか言わず、だけどなんやかんやで良い仕事をする……といったところらしくて。心当たりとかあります?」

「そんな不審者、私たちが知ると思う?」

「私もたくさんサーヴァントの人に会いましたけど、そういう不審者は知らないです。何者なんですか」

「やべーやつには違いないですわ」

 

 そもそも真名を伝えれば事は済んだのではないか。一同の心持ちはその意見で統一されていたのだった。

 気まずい沈黙の中、マシュは生まれたての子鹿みたいに立ち上がる。

 ゆらりとした立ち姿。幽鬼の如きなすびはゼンマイ仕掛けの人形みたいに、ぎこちなく立香を向く。

 

「では、みんなで先輩の体重鑑賞会といきましょうか」

「マ、マシュ……ッッ!! せっかくイイ感じに流れが逸れてたのに!」

「先輩の考えていることなんてわたしにはまるっとお見通しです。神妙に体重計に乗ってください」

「異議あり! 検察はマシュ・キリエライトに体重の提示を求めます!」

「立香さんは被告人では……!?」

 

 グレイは驚愕する。自身の敗北が避けられぬなら、誰かを道連れにする外道戦法であった。

 勝算はある。ゲーティアの打倒後、マシュはなぜか非の打ち所がないほどに健康になった。それ以前のマシュが病弱だったかと問われればそんなことはないのだが。

 その絶好調に飽かせて、彼女も三時のおやつ恒例のパンケーキタワーをドカ食いしていたのだ。立香はそこに活路を見出したのである。

 マシュは腕を組んで不敵に笑った。

 

「一山いくらのサーヴァントならともかく、史上初のデミ・サーヴァントであるわたしが恐れる道理はありません。必要とあらば体重計の上でジュリアナ東京を踊ってみせる所存です」

「体重の開示!! 本気ですわ!」

「〝体重を晒す〟という〝縛り〟が持論の効果を底上げする……アトラス院の議場でもしばしば使われる手です」

「私は体重の開示なんて狡い真似はしませんけどね」

「アンタはしなさい」

 

 すぱん、とジャンヌは立香の後頭部をはたいた。

 

「それでは、先輩。次は自分の恥部を晒す覚悟の準備をしておいてください」

 

 マシュは悠々と体重計に進み、両足をのせた。数字が算出されるまでの微妙なタイムラグ。一同は一筋の冷や汗をかき、生唾を飲み込んだ。

 一秒、二秒……十秒以上が経ってもなお、マシュは石像のように硬直している。一言も発さぬ異様に、立香たちは目を細めた。

 ジャンヌは単調に述べる。

 

「……もしかして、太っ」

「てません。根拠のない推論はやめてください」

「じゃあ、その体重計の数字見せ」

「ません。おそらくこの機械は壊れているので。そんなものを見たところで何の意味があるんですか」

 

 マシュは体重計から降りて、数字を覗こうとするジャンヌの視線を自身の体で遮る。まるで一流バスケ選手のディフェンスだ。

 立香はにっこりと笑って、

 

「あー、おかしいとは思ってたけど壊れてたのかぁ! それなら仕方ない! 仕方ないですね!!」

「むむむ。でしたら私の二十キロも誤りだったのですね。もう一回試してみてもよろしいですか?」

「リースさん、大丈夫です。あんなポンコツに乗る必要なんてありません。早くここを出ましょう」

「浅ましすぎるわっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 一方、ハイアット・ホテルの男湯。暖色の照明に照らされ、むせ返るような熱気が充満するサウナ室。

 男たちは腰に一枚のタオルのみを纏い、熱気の最中にいた。

 

「…………普通、逆じゃねえ?」

 

 そう呟いたのは、シオンが予想した三十分より早く喫煙所に向かった栄誉ニコチン中毒者、獅子劫界離。サウナの内部でもサングラスを外さぬ猛者であった。

 ノアはだらだらと汗を流しながら、獅子劫を睨みつける。

 

「なにがだよ。主語を言え主語を。国語のテストなら0点だぞ」

「いや、そこは作者の気持ちを察してくれよ。もうこの状況がおかしいだろ。男だけ雁首揃えてサウナ入ってる時点でアレだろ」

「ヤクザの癖してもったいぶってんじゃねえ。結論を言わせてやろうという俺の心遣いを感じ取れ」

「───結論から言うとだな。温泉回で入浴シーンがこっちって、ふざけてねえかっつう話だ!!」

 

 狭い室内に響き渡る怒号。ノアとマーリオゥは白樺の葉を束ねた道具、ヴィヒタで獅子劫の肌を叩きながら言った。

 

「おっさんがいきなりキレて大声出すとか恥ずかしくねえのか? 俺の肉体美を見れてる時点で咽び泣いて感謝しろ」

「今時そういうのは流行らねえんだよ、ニコチンヤクザ。そのゴキブリ色の肺に漂白剤ブチ込んでキレイにしてやろうか?」

「おい黙れ大小ドS連合。俺は独りでもこの配慮に塗れた時代と戦うからな」

「いいや、そいつは許さねえ」

 

 円卓の騎士ペレアスは殺気をもって言い放つ。

 

「リースの裸を見たやつは、オレが殺さなきゃなんねえからな……!!」

「よく言ったペレアス。それでこそ円卓の騎士だ。俺だって立香の肌を見られたらそうする」

「お前だけはまともぶるなよ!? 所沢の呪物オークションで支払い押し付けられた恨みは忘れてねえからな!?」

「押し付けたんじゃねえ。品を手にする権利を譲ってやっただけだ」

 

 ノアは目にも留まらぬ手技で獅子劫のサングラスをかすめ取った。

 サウナに設置された、積み石のストーブ。石の隙間にサングラスを突っ込みながら、

 

「風呂にまでサングラスかけてくるとか人見知りかよ。人の目ぇ見て話せって教わらなかったのか? ペレアス、水かけろ」

「おう、こんなもんか?」

「俺のサングラスがァァァ!! お前らは人のものをストーブに突っ込んでいいって教わったんですかァ!?」

「サングラスないと意外とつぶらな目をしてるんですねえ」

 

 ダンテはトングを使って、ホカホカになったサングラスを救出する。

 石と蒸気で温められたそれは殺人的な熱さを持つ。ダンテはとりあえず壁に埋め込まれたテレビの前にサングラスを着陸させることにした。

 エルメロイⅡ世はすっくと立ち上がり、出口に歩いていく。

 

「こんなところにいられるか。私は部屋に戻る」

「もうギブアップかよ。そんな根性なしでロードになれんのか? 時計塔終わったな」

「根性身につけてえなら教会に来るといいぜ。地獄の特訓でそのちいかわみてえな戦闘力もなんとかしてやるよ」

「お前たちはまずその性格をどうにかしろ!!」

 

 ドアノブを回し、扉を開く。

 

「……ん?」

 

 ドアノブを回し、扉を開く……どころか、Ⅱ世が右手で握りしめたドアノブは微動だにしなかった。それは数度力を込めてみても変わらない。

 ガチャガチャと悪戦苦闘するロードの背中から、ノアの嘲るような声が響く。

 

「なにガチャガチャやってんだ。扉の向こう側に鎬紅葉でもいんのか?」

「お前は少しは世界観を大事にする意識を持て! くっ、なぜ開かない!?」

「仕方ねえな、そこ退け。エルメロイⅡ世サマに代わって、オレが開けてやる」

「お前の腕力で開けられるのか!?」

 

 マーリオゥはⅡ世を押し退ける。

 

「アホか。人間の腕力なんざ高が知れてる。使うなら───全身だろ!」

 

 次の瞬間、少年の輪郭は古いビデオの映像みたいにブレた。

 残像を作るほどの高速回転。遠心力が生み出す運動エネルギーを蓄え、彼が放ったのは飛び後ろ回し蹴り。それは音を置き去りにして、扉に突き刺さる。

 ペキョ、と軽い音が鳴り響く。

 その扉に傷はひとつもない。マーリオゥは蹴りを放った右足を不自然にぶら下げ、左足一本で飛び跳ねながら戻ってくる。

 

「……どんな強度してんだあのドア? 悪かったなエルメロイⅡ世。ありゃ無理だ」

「折れたのか」

「あ? 折れるってなにがだ? オレは教会が誇る健康優良児だぞ。折れたっつうんならアレを開ける心の方だ」

「折れてますよね。心も体も折れてますよねえ!?」

 

 マーリオゥはだくだくと汗を滲ませていた。それがサウナの熱気によるものだけではないことは確定的に明らかだった。

 

「クソみたいな茶番で尺稼ぎしてんなよ。俺とペレアスが開ける。モヤシどもはそこで見てろ」

「円卓の騎士は体以上に心が強ぇからな。ホテルの従業員には悪いが、なんとか頭下げるしかねえな」

 

 ノアとペレアスはすたすたと歩き、

 

「「オラァァァ!!!」」

 

 全力の拳をぶつけたその時、閃光と爆炎が二人の体を吹っ飛ばした。

 もうもうと立ち込める煙。焦げた匂いが辺りに満ち、煤に塗れた二人は白目を剥いて意識を失っている。

 ダンテは盛大に顔面を歪めて叫んだ。

 

「ええええええ!? どっ、どういうことですか!? ドアに爆薬でも仕込まれてたんですか!?」

「アレだろ、トラップカードだろ。炸裂装甲(リアクティブアーマー)

「待て、アレは一体を破壊する効果だろう。二人破壊されている」

「Ⅱ世さん、あなたにまでアホなことを言われると私は孤立無援になるのですが!!?」

 

 Ⅱ世の肩をガシガシと揺さぶるダンテ。すると、壁に埋め込まれたテレビがひとりでに点灯する。

 真っ暗闇に浮かび上がる、不気味な仮面。ピエロを思わせる白塗りに、両側の飛び出た頬骨に赤い渦が描かれている。というか某猟奇的ホラー映画に出てくる殺人鬼のお面そのままだった。

 ソレは加工された機械音声で喋り出す。

 

「『サウナを楽しんでいるところ悪いが、おまえたちにはとある試練を乗り越えてもらう』」

「イヤアアアアア!! 完全にデスゲームが始まるやつじゃないですか! 私は二作目の注射器でいっぱいの穴の中に落とされるシーンがトラウマになってるんです!!」

「分かるぜ。注射刺されたことは誰でもあるからな。痛みが想像できるのがキツいんだよな」

「オイオイ、ヤクザなら注射は慣れてるだろ。打つ方も打たれる方もな」

 

 マーリオゥは折れた足の痛みをおくびにも出さずに言った。直後、獅子劫がノールックでパンチを放つが、少年はスリッピングアウェーで受け流した。無駄にハイレベルな攻防である。

 

「『薔薇十字団との決戦に打ち勝つのに必要なモノは団結! おまえたちにはそれが足りていない! 力を合わせて、この灼熱の牢獄を脱してみせるが良い!!』」

「団結を強制してもろくなことにならないだろう。合唱祭や運動会の練習で仕切りたがりが嫌われる現象を知らないのか?」

「ああ、私も白党の武力蜂起に反対したら追放されました。今も昔も変わりませんねえ」

「『…………そ、それでは、今からヒントを三つ出す。テレビの前の諸君も一緒に考えるといい。まずひとつめは』」

 

 しかし、彼らがそこから先を聞くことはなかった。

 ノアは起き抜けざまに、テレビ画面へと拳を叩き込んでいた。これによって、ジグソウ風の謎の人物によるデスゲーム開催は始まる前に終わった。

 獅子劫は口の端をひくつかせて、吐き捨てる。

 

「……今の流れでそれ壊すか? 普通」

「うるせえ。この天才に普通という言葉は当てはまらない。ここには六人もいんだぞ、それぞれ知恵を出し合えばなんとかなるだろ」

 

 どっかと座り込むノア。マーリオゥはうなだれながら反論する。

 

「六人って言っても腰にタオル一枚の六人だぞ。出せるものなんか何もねえよ。あったとしてもチン○ンくらいだろ」

「良いんだよそれで。チ○チン出せたら御の字だよ。だってチン○ンからも色んなもの出せ」

「会話が最低すぎるだろうが!! ○を動かすな○を! それだと意味がないだろう!!」

「Ⅱ世さん、ツッコミが高次元に触れてます」

 

 サウナの熱気のせいか、彼らの思考は異次元に吹っ飛びつつあった。若干名は平常時からそうではあるが、基本的にモヤシであるⅡ世にこの熱気は辛いものがあった。

 ノアは平然とペレアスのタオルを奪い取る。

 

「物は試しだ。どうだペレアス、変化はあるか」

「なにもねえよ。あったとしても解放感くらいだよ。股間さらけ出す程度で何か変わるならブリテン滅んでねえよ」

「最後の希望が絶たれちゃったじゃねえか。どうすんだよこんなの。聖堂教会で最もアホな死に方した男として名を残すことになるぞ。足も折れててクソ痛ぇし」

「ついに認めましたね!? だって腫れてきて変な色になってますもんね!?」

 

 マーリオゥは額に脂汗を浮かせて、ぶつぶつと取り留めのない言葉を呟く。

 

「なにが悲しくて二回目の日本で死線彷徨わなきゃなんねえんだ? ラウレンティスの野郎マジで許せねえ。七夜の暗殺者が皆殺しにされてなかったら、雇って送り込んでたわ。いや、今からでもあのメガネナイフマン調教するか?」

「オイオイオイ、ネガティブになってんじゃねえ。おまえがそんな状態になったらこっちだって心配になってきちゃうだろうが」

「……ドS二体の心が壊れてきたな。サディストは他者を見下すことで自己の精神の安定を図る気質が強い。全員が底辺に堕ちたこの状況、奴らにとっては地獄も同然だろう」

「心が弱ぇ生き物なのか……!?」

 

 獅子劫は絶句した。他人の心の弱さを突くサディストがその実、誰よりも弱い心を持つ矛盾。どこにも見下す者がいない場所に置かれ、二人の精神は自己の崩壊を選択した。

 たった今二人の人間が壊れる様を目の当たりにして、ダンテは悲鳴をあげて、扉にすがりつく。

 

「ヒッ、ヒイイイィィィィ!! 助けてください神様ァァァ!!! こんなむさ苦しい場所で死ぬなんて嫌ですゥゥゥ!!」

「…………三人の精神崩壊者を招いた以上、もはやゲームは成り立たぬか。全員、ここから出て水風呂に入りととのうが良い」

 

 凛とした声音とともに、扉が開け放たれる。

 逆光を浴びる人影。ダンテはその顔を目視すると、がっくりと大口を開いた。

 

「────あ、あなたは…………!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイ・ブラジル島沖合。濃霧に閉ざされた幽玄の海に、ひとつの巨大な影が出現する。

 虚数の海から浮かび上がったシャドウ・ボーダー。その内部で、一同は伝承に語られるダーナ神族の聖域を目に捉えた。

 ハープを撫でたかのような音色が辺りに響く。滑らかな金属で構成された青いドーム状の建造物が、島の丘陵に紛れるようにそびえ立っている。

 それこそが薔薇十字団の本拠地。地球に敷かれた全てのテクスチャを転覆させんとする魔術師たちの城だ。

 シャドウ・ボーダーのブリッジにて、シオンは深く息を吸い、そして吐き出す。

 

「───全人類を根源に連れて行く。ええ、それは確かにこの星の人類が更なるステージに到達する偉業と言えるでしょう」

 

 それは、待ち受ける魔術師たちへの訴えであり。

 

「しかし、これは一種の滅びです。全てのヒトが根源に辿り着くというのなら、全てのヒトの力によって成されなくてはならない。たった数人の願いで世界を一変させるなんてことが、あって良いはずがないのだから」

 

 歴史の最先端に生まれた、今を生きる人類としての宣言であった。

 

「───故に! 私たちが薔薇十字団の願いを閉ざしましょう! これは人理を護る戦いです!!」

 

 シャドウ・ボーダーは海を突き進み、砂浜へ乗り上げる。

 そこにはアンナ・キングスフォード。横にはゴルドルフ新所長が十字架に磔にされていた。彼女は新所長の豊かな腹をぽすぽすとつついて、

 

「……あ゙〜、みなさん。下手に動いたらこのメタボリックフェニックスをこんがり肉に────」

「よし、突撃するぞ」

「この薄情者めがァァァ!!!」

 

 ノアはシャドウ・ボーダーのハッチから飛び降りる。新しい上司であるゴルドルフの言葉は彼に微塵も響いていなかった。

 ノアとアンナの視線が衝突する。アンナは肩をすくめて、おどける仕草を取る。

 

「あら、ひとりだけですの?」

「当たり前だろ。他の奴らも連れて来い。それでようやく俺と対等だ」

「いつもの軽口……ではねえようですわね。まあ正しいでしょう。バルドルを殺す手段がないあたくしらじゃあ、逆立ちしても勝てやしねえのですから」

「ハッ、そうは思ってねえのがバレバレなんだよ、ゴスロリメルヘン女。切り札も奥の手も全部使え。真正面から叩き潰してやる」

 

 アンナは鼻を鳴らし、魔術回路を励起させる。

 両眼の妖精眼が淡い光を放つ。周囲のマナが捻れ、渦巻き、彼女の元へと集束する。それは一介の魔術師に許される限界を超えた、超常の秘術であった。

 

「だったら、対等の域にまで登り詰めてみせましょう」

 

 

 

 

 

 

 ───とある魔術師がいた。

 西暦93年、時のローマ皇帝に呪いをかけたという濡れ衣により、その魔術師は法廷に引きずり出された。

 彼は魔力の源と考えられていた髪の毛を短く揃えられ、神秘の指輪も奪われ、まったくの丸腰だったと言われている。

 だというのに、魔術師は不遜にも皇帝へ告げた。

 

〝陛下よ。この世界には悪が蔓延っている。都市は荒れ果て、島は行き場を失くした民で溢れ、人々は嘆き悲しんでいる。それはなぜか? この国の兵士が腰抜けの間抜けで、元老院が腐敗しているからだ〟

 

 逆鱗を撫で、虎の尾を踏み抜くが如き主張。周囲から向けられる殺意を悠然と受け止め、彼はさらに言い継ぐ。

 

〝私を捕らえたくばやってみるといい。ただし、肉体を縛ったところで、魂までをも自由にできるとは思わぬことだ〟

 

 …………いや。

 

〝貴殿らは、魂はおろか私の肉体もここに留めることはできない〟

 

 魔術師は言った。

 

〝なぜなら───()()()()()()()()()()()()

 

 自分自身こそが神であるという不義不遜。

 果たして、彼の言は思い上がりであったのか?

 闇に沈められた真相は、いま蘇る。

 

 

 

 

 

 

「─────『神体化・華燭の妖星(アルス・テウルギア・パナギア)』」

 

 

 

 

 

 

 近代魔術における女神の偶像は、真なる神性をここに顕現した。

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