自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

106 / 117
度々遅れて申し訳ございません。最終章前編最終決戦開始です。よろしくお願いします。


第92話 ホルスの時代を生きる者

 全天を覆う星空。

 どこまでも広がる星の海に一際輝く、壮麗なる黄金の宮殿。

 金の城を取り囲むように、血液の如く赤い薔薇の庭園が広がっている。

 血の華が踏み抜かれ、花弁を散らす。

 紅の花園を征く、四つの人影。それらは人間の走力の限界を遥かに超えた速度で、一直線に宮殿を目指していた。

 その最後尾。揺らめく炎を思わせる緋色の髪。そして、チョコレートのような濃褐色の肌。大地の豊穣をふんだんに体現する、人間離れした豊満さの肢体。それを彩るように、最低限の部位だけを植物の蔦による装飾が貼りついて隠す。他の着衣と言えば頭部の花冠と、如何なる力か、留め具もないのに肩になびく山羊の皮だけだ。

 そんな女神は四肢をしゃかしゃかと過剰なほどに高く振り、運動不足と運動音痴が悪魔合体したみたいなフォームで走っていた。

 

「───ぜっ、は……! ひゅ、ひゅ〜っ……んへえぇっ……!!」

 

 じっとりと汗が滲む胸元に手を当て、苦悶の表情を浮かべる。荒く熱い息が弾力に富んだ唇の間を抜けて、空気に混ざり込む。

 彼女は美貌が台無しになるくらいの痩せこけた顔面で、先行する三人に告げる。

 

「さ…さっしー、ホムホム、ママ……私に構わず先に行ってください。これ以上走ると私の胸が千切れます。二つの肉塊が地面に転がることになります」

「敵の根城はあと少しよ、頑張って神様! これが終わったら、弟子も昇天させた二天一流マッサージが待ってるから!」

「神霊と英霊にここまでの体力差が生まれるとは、興味深い。霊体にも運動不足による悪影響があるのか、一考の余地があるね」

「いや待て。ママとは私のことか? 私のことなのか!? いつから私は女神の母親になったのだ!?」

 

 二刀流の女剣士とパイプを吹かす名探偵。加えて、一対の陰陽剣を携えた、赤い外套の守護者。彼はここが既に敵の本拠地であることも忘れて叫んだのだった。

 女神は絵の具をぶちまけたみたいに真っ青になりつつも、鼻を鳴らして不敵に笑う。

 

「いいえ、あなたはママです。いつも時間になればおいしいご飯を作ってくれますし、私の部屋の掃除と洗濯もしてくれるので。私は地母神として、あなたが同類(ママ)であると認めましょう……!!」

「なんでさ! 母親を都合の良い家政婦だとでも思っているのか!? 全国のお母さんに謝罪したまえ! そして日頃の感謝を伝えるといい! おかずが一品増えるかもしれないからな!!」

「「「やっぱり、ママはママの気持ちが分かるのか……」」」

「言っている場合かね!? 敵が来るぞ!!」

 

 守護者の意に相違はなかった。

 スポットライトが舞台の役者を照らし出すように、大小いくつもの光の点が薔薇の大地を埋め尽くす。

 天元の花は己が二刀を握り締め、高揚を口にした。

 

「『天軍』のお出ましね。わざわざやられに出てくるなんて、ご苦労様!」

 

 ───空。群体を成す有翼の偶像。それらは皆一様に全く同じ姿形をしていた。

 喩えるなら、顔のないマネキン。起伏に乏しい白一色の体躯と、つるりと楕円を描いた輪郭の頭部。しかし、そのカタチはヒトを模したのではない。ヒトが個人を識別する要素を削ぎ落としたが故の形状だ。

 裏を返せば、それは機能美とも言えた。個体差を切り捨て、機能を突き詰めた群れ。一個では意味をなさぬ生命体。故に『天軍』───────

 

「───なーんて雑魚に尺を使うだけ無駄無駄! 準備はよろしいですか、サフィラさん!」

 

 女神はどこからともなく取り出した銅の鏡に呼び掛ける。

 鏡面が映し出すのはここではないどこか。女性の体に狐の頭を載せ、尻尾をくっつけた生物が、鏡に投影されていた。

 その場所は相当の強風に晒されているのか、衣服と毛並みが忙しなくはためいている。サフィラと呼ばれた彼女は眼鏡を両手で押さえつけながら、

 

「『はい! 第十階層マルクトから援護、行きます!!』」

 

 瞬間、薔薇の園に無数の稲妻が降り注いだ。

 ばちり、と地面が紫電を帯びる。一面の花園は見るも無残な光景へと変貌し、炭化した天軍が辺りに墜落し、跡形もなく粉となって崩れた。

 しかして、それは先触れに過ぎず。

 黒雲が強烈な暴風を伴い、星天を覆い隠す。吹き荒れる豪雨、吹き荒ぶ狂風。大気そのものが天軍の一切を自らの質量でもって撹拌し、押し潰していく。

 女神の傍らの鏡が、突如筋肉に占領される。見事に鍛え抜かれた腹筋はまるで板チョコ、または開封したてのアルフォートのようだった。

 ボディビルダー顔負けの筋肉は野太い声で喋り出す。

 

「『ワリィな。こっからだとやれんのはそんなモンだ。足りるか?』」

「十分です、我らが聖杯の守護者。雷はゼウスのあんちきしょうを思い出すのでトラウマなのですが、視界を占拠する筋肉で全部吹き飛びました」

「『おう。まぁゆっくり戦いを愉しめ。ところで女神よ、それが終わったら俺と一発』」

「私は豊穣神ですが、アフロディーテみたいな尻軽とは違うのでお断りで〜す」

 

 鏡が地面に打ち付けられる。既に粉々になったそれを、女神はごすごすと踏み鳴らした。

 

「ほう。ならば、別の機会に誘えば良いのかね?」

 

 黄金の宮殿の屋上からピアノを背負った男が飛び降りる。

 高貴な威風を纏う、絶世の美男子。その表情は自信と不遜に満ち溢れ、冷ややかに艶めいていた。彼はピアノを地面に降ろすと、黒白の鍵盤に指を置く。

 軽やかな旋律が大気に染み渡る。

 ぽつぽつと滴り落ちる雨の雫のように。

 穏やかで、けれどどこか胸の内がざわつく音色。徐々に強まる雨足が嵐の前の静けさを感じさせるように、鍵盤の奏でる音は臨界へと近付いていく。

 

「もはや自己紹介は要らぬな? 私こそが太陽系随一のピアニスト、宮廷学長『六本指』!! 極上の音色を以って人々を昇天せしめるスーパースターである!!」

「結局自己紹介してない? 関ヶ原なら十回は斬られてるわよ?」

「ええ、あなた如きさっしーの剣にかかれば一瞬で十七分割です」

「くくく、いいのかね? 私と戦えば血を見るぞ。具体的には地面に転がった十七個の肉塊を目撃することになる」

「心配は無用だ、ピアノの魔術師。私が肉片ひとつ残さず消し飛ばしてやる」

 

 そう言って、赤き守護者は弓矢を構えた。

 『六本指』は知っている。その矢がけして的を外さず、サーヴァント一体など優に消滅させる威力を持っていることを。そして、自分にそれを防ぐ手段はないことも。

 それでも、彼は微笑んだ。

 つうと冷や汗が頬を伝い、爪弾く音が忙しなくリズムを刻む。

 彼は途端に天を仰ぎ、表情筋をめちゃくちゃに歪める。

 

「───早く私を助けろ!! シモン、ロクスタ、天草ァァァァァ!!!」

 

 空を駆ける一条の閃光。かつてケルトの勇士が振るった虹の剣光を宿し、それは着弾した。

 荒れ狂う光熱が撒き散らされる。空間を抉り取るかのような光の奔流はしかし、急速に収縮し、次第に輝きを閉ざしていく。

 

「…………ん?」

 

 両目をぱちくりと開閉する『六本指』。

 守護者の一撃はピアニストを消すどころか、その周囲の地面でさえ傷つけてはいなかった。

 

「わざわざ戦場に降り立つとは、感心しないな。君が誇る超絶の技巧はすべて、我らが王のモノだというのに」

 

 シモン・マグス。次元を渡る魔術師は天上の御遣いの如く、空に降臨していた。それと同時に、女神らはある種の確信をもって彼を睨めつける。

 鈍色に輝く黄金の髪。艶めかしい褐色に覆われた肢体。下腹部に刻まれた飛翔する鳥のような刻印。───そして、頭の両側に、弧を描いた山羊の角があった。

 それこそは人類悪が有する獣の象徴。

 単騎にて人類史を相手取る滅びの具現。

 この世界におけるビーストⅦ。

 創世記の再構築を望んだビーストⅠと対を成す、黙示録の獣。

 シモン・マグスは人類史の滅びを体現する『三位一体の獣(トリニティ・ビースト)』最後の一体となったのだ。女神らは肌を突き刺す存在感とともに確信した。

 魔術師シモンは切れ長の瞳孔をさらに細め、眼光を研ぎ澄ます。

 

「まずは労おう。君たちは下天より遥々この星に辿り着いた。此処は根源へのきざはし。真理に通じる唯一の道だ」

 

 その声調は朗々と謡い上げるような響きを伴っていた。彼はおどける調子で、わざとらしく腕を組んでみせる。

 

「しかし、不可解だな。下天と流出界(アティルト)を隔てる『深淵(アビス)』を乗り越えてみせるとは。アレは本ら」

「うーわ。その芝居がかった台詞、超生臭ぇー。到底ネロさまに釣り合ってないんで、脱臭して出直してきてくれます?」

 

 宮殿のバルコニーから嘲る声が響く。

 そこにいたのは、サイケデリックな色合いの英霊───きのこ大好き毒殺者のロクスタ。その横には、引きつった笑みの天草四郎時貞がいた。

 シモン・マグスは肩をすくめて、もったりと息を吐く。

 

「君こそその陰気臭さをどうにかしたまえ。いや、年中じめついた部屋できのこ弄くり倒している人間には無理な話だったな。忘れてくれ」

「は? 煽りヘタクソか? お得意の飛行見せびらかしてたら、墜落死した野郎の分際で口応えとか百万年早いんだが?」

「死に様で言えば君も大概だろう。確かキリンに───」

「アレはトンデモ説だろーが!!!」

「死因でマウント取るのやめませんか?」

 

 天草は苦虫を噛み潰したような顔をした。英霊にとって死因は最大の弱点だ。伝承を再現されれば、与えられる死から逃れる術はない。

 シモンとロクスタはそんな弱点を平然と突き刺し合っていた。後者の死因はデマに等しいのだが。

 女神は羊毛の外套に手を掛けながら、

 

「会話の主導権は我にあり!! シモン・マグス、あなたに現世への手出しはさせません! あわよくばここで荼毘に付してもらいます!!」

「あわよくば、じゃなくて絶対って言うのよ女神様! 現世で薔薇十字団を、こっちでシモンをやっつければ万事解決なんだから!!」

「はいはい、無駄な努力ご苦労様です。どうせこっちが勝ちますし。そんな戦力で大丈夫か?」

「一番良いのを頼む……とはいかないようですが。たとえ意味のない戦いであっても、避ける道理はありませんね」

 

 天草の両手からそれぞれ三本の刃が飛び出す。だらりと腕を下げた立ち姿は動の前の静。後に続く行動に備えた脱力であった。

 だがしかし。

 彼がそこから動き出すことはなかった。

 

 

 

「『───然り、天草四郎時貞よ。そなたの示した通り、この戦いに意味はない』」

 

 

 

 物理的な重力さえ伴う声が、誰も彼をも圧倒していたから。

 その声音は円熟した果実のように甘ったるく、血を浴びた薔薇のように鮮烈で、心臓を指先で弄られるような色香を纏っていた。

 

「『故に、余がこの戦いに意味を与えよう』」

 

 この声の主こそが、黄金の宮殿に坐す至天の皇帝。バビロンの大淫婦たる緋色の女───彼女は玉座にて玩弄の笑みとともに告げる。

 

「『これは、祭りである。そなたら反抗軍と我が配下による戦祭りand血祭り! 余自身、各都市星にコロッセオを置くほど血を見るのが好きである故な!! 精々無聊を慰める糧になるがよい!!』」

 

 つややかな声から繰り出される、無邪気な少女のような物言い。天草はさらに口内に苦虫を投入される気分になるが、シモンとロクスタの二人は満面の笑顔を広げた。

 

「王言は絶対だ。この戦祭り、必ずや王のお目に適う儀にしてみせるぞ。きのこ投げるか毒を盛るかしか能がない君には荷が重いだろうが」

「あぁ〜ん? 誰にモノほざいてやがりますか、お空のタイタニック野郎。必殺マジックマッシュルームシャワーで脳みそ無限1UP状態にすんぞ?」

「薬物の力に頼らずとも、私の演奏を聞けば誰もが昇天するが?」

「六本指、そういう話ではありません」

 

 何度も繰り返し観た映画の展開に退屈を覚えるみたいに、彼らに緊張感というものは存在しなかった。既に結果が決まっている事象に価値はないのだから。

 ぴきり、と女神の額に青筋が立つ。

 必死に船を漕いでいる横を豪華客船で悠々と追い抜かれたような敗北感、徒労感。自身と仲間の覚悟を不意にされて、神が憤らぬはずがなかった。

 女神は全身をかたかたと震わせて言う。

 

「……ほ、ほう。妾も祭りは毎夜の如く開いたものよ。家畜や獲物で血みどろフィーバーしたり、敵対部族の亡骸を囲んで踊ったりな」

「そんなパリピがなぜこうなったのか、一考の余地があるね」

「オリュンポス艦隊とやらにわからされただけだろう。正直眉唾だが」

「ホムホムとママはお黙りなさい! 祭りに肝要なのは供物! あなたがた───貴様らもそうなることを覚悟するがいい!!」

 

 宣戦布告を受けて、皇帝はくすりと笑った。

 

「『よかろう。配下が勝てば我が奴隷として毎夜の伽を行う使命を、そなたらが勝てば後宮に迎える栄誉をくれてやる。存分に励むがよいぞ』」

「それどっちも変わらなくない!? あと私の好みは小さい子だから是非お断りしたいんだけど!!」

「『否、頻度の問題である。そして大は小を兼ねる! 余の手管でたちまち法悦の彼方へ連れ去ってやろう!!』」

「性癖を語る時にはねえ、持ち出していい理屈と駄目な理屈っていうのがあるのよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 16世紀、ある魔術師は六人の同胞とともに南米大陸の探索に向かった。その魔術師は冠位を戴く実力の持ち主であり、連れ立った六人もまた色位を有する精鋭であった。

 しかし。

 帰還者はたったのひとり。魔術協会の精髄たる七人の魔術師は成す術もなく敗北し、敗走したのである。

 ひとり生き残った魔術師───当時のロードでもあったアステアは、最期に警句を遺した。

 

〝まだアレに触れてはならない。今期の地球の生命は、何一つ及ばない〟

 

〝次の紀を待て。我々が絶滅した後、新たな進化を経た生命に、望みを託す〟

 

 そして、アステアは生きながらにして水晶の塊に成り果てた。自分たちでは何をどう足掻こうが勝てず敵わぬ絶望と、けれど新たなる時代の生命にならば可能性はあると希望を示して。

 新たなる時代。奇しくも数百年後、とある魔術の奇才が、その到来を提唱することとなる。

 

〝一神教による支配の時代は終わりを告げ、全ての人間が神となる時代が来る〟

 

 彼はそれを『ホルスの時代』と定義した。

 神に隷属するのみであった人類は進化し、誰も彼もが神となるのだと。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい提言。こじらせた中学二年生が授業中に思い描くような空想。そんなものを本気で目指せる人間は魂の根っこが宙に浮いた狂人か、現実を生きてなお理想を捨てきれぬ夢想家だけだ。

 であるのならば。

 全人類が神になる────果たして、彼の理想は突拍子のない妄言であったのか?

 

 

 

「────『神体化・華燭の妖星(アルス・テウルギア・パナギア)』」

 

 

 

 否。

 彼が生きた時代には、確かにいたのだ。

 人の身にして神域へと到達した、新たなる世紀の魔術師が。

 

「お覚悟はよろしくて? 現代の若僧どもに魔術の何たるかを教えて差し上げますわ」

 

 一歩、二歩。アンナ・キングスフォードが足を進める度に、大地の色が、世界の位相が塗り替えられていく。

 草花が咲き誇り、妖精たちが舞う夢幻郷。それなるは『神代回帰』。太古の神秘を振るい、時にそのもの自体に昇華する秘法である。

 体表に赤い刻印が浮かび上がる。神代回帰を果たした者に等しく生ずる神秘の徴。アンナのそれはアイラインと両の手のひらに顕れ、左の眦に血涙の如き雫の紋様が描かれていた。

 アンナは天に右手を掲げ、囁くように呟く。

 

幻想綺譚(Mystical Phantasm)きらめく星の幼子よ(Twinkle Twinkle,Little Star)』」

 

 ハイ・ブラジル島を覆っていた霧が、吹き飛ばされるようにして晴れ渡る。

 夜空が顔を覗かせる。満天に散りばめられた星々がちかちかと点滅し、総身に湛えた光熱を余すことなく地上に撃ち落とす。

 天体魔術。この地球から天文学と占星術の力をもって、宇宙の星々の運行に介入する秘奥を、彼女は事も無げに行使してみせた。

 

「うおわあああああああ!!!」

 

 ゴルドルフ・ムジークはぐねぐねと身をよじらせて叫んだ。

 ヒトの力など及ぶべくもない星の一撃。それがまともに直撃すれば、さしもの不死鳥ゴッフと言えど、リザレクションする間もなく天国に永住する羽目になるだろう。

 ノアはゴルドルフの腹を掴み、十字架の拘束から一気に引き抜く。

 

粒子魔術(ウロボロス)

 

 そして、その勢いのままに彼をシャドウ・ボーダーへと放り投げる。

 天空から大地を焼く星の光はしかし、辿り着く寸前に無へと帰していた。この間は一秒にも満たぬ攻防。ゴルドルフがボーダーのハッチにホールインワンするまでに、魔術の応酬は終わっていた。

 天体魔術と粒子魔術、ともにこの宇宙の根幹に関わる力。アンナとノアは視線を衝突させる。

 

「エネルギーの運動の停止・消滅……ま、及第点をくれてやりますわ。喜びなさい?」

「余計なお世話だ、メルヘン女。魔術の何たるかを教えるだったか? どうやらその必要はねえみてえだな」

「ハッ、おチョーシこいてんじゃねえですわアホ白髪。さっさとバルドルにならねえと、明日の朝刊に失神KOの見出しで掲載されることになりますわよ?」

「まだ敵も出揃ってねえのに切り札を使うやつがいるか。俺の本気を見せるのに─────」

 

 ノアの両手首に黄金の腕輪が現れる。ドラウプニルは流動し、紫電を迸らせて赤熱する鉄槌を象った。

 空間を揺るがすかのような絶大なる神威。ノアはその発生源である鎚を放り、上空へ向けて右足で蹴り抜く。

 

「────おまえじゃあ役者不足なんだよ!! 『悉く打ち砕く雷神の槌(ミョルニル)』!!」

 

 瞬間、世界から影が消えた。

 色彩など意味をなさぬ規模の雷撃。英雄神トールの神力を込めたそれは、この島を含めた海域を蒸発させるに余りある。

 薔薇十字団の全戦力を引き出す。ノアはその目的をもって雷神の槌を行使した。

 ───だが。

 膨張する雷撃が途端に収束し、やがて途切れる。

 焼けた大地に、彼らは降り立った。

 

「ご要望に応えて、捨て駒二枚追加だ」

「これで不足分は補えただろうか」

 

 エジプトの魔術神ヘカ、救いの天使シェムハザ。すなわち、魔力の根源と魔術の始祖。ノアは彼らを一瞥し、短く息を吐く。

 

「行け。こいつらは俺が受け持った」

 

 数瞬の沈黙を挟み、シャドウ・ボーダーが走り去っていく。

 ヘカとシェムハザ、アンナはそれを阻むことすらせずに見送った。視線を外す隙が、致命的なものになると予感していたから。

 ヘカは微笑み、嘯くように言う。

 

「別れ際の会話くらいは見逃すつもりだったけど。恋人と言葉を交わさなくてもよかったのかい?」

「ほざけ。そういうのはもっと風情がある時にやるもんだ。俺がおまえらを片付けるのに余計な情緒はいらねえ」

「おっと、これは惚気られたのかな? 私にはない感情だ、興味深いね。既婚者二人はどう思う?」

「あたくしのダンナでしたら、ハグからのチューをキメる場面でしたわ」

「…………俺はノーコメントだ。尻に敷かれていたからな」

 

 シェムハザはどこか遠い目をしていた。しかし、過去に浸ったのは一瞬、彼の双眸は真っ直ぐな決意を帯びる。

 

「不本意ではあるが、俺はきみを倒す。きみが全力を出そうと、出さなくとも」

 

 その時、世界の位相が歪んだ。

 アンナによる異界法則の展開。

 ヘカによる全魔力の掌握支配。

 シェムハザによる魔術の否定。

 世界の色を塗り潰し、大気中のマナを隷属させ、西洋魔術を拒絶する。各々が異なる法則を立ち上げ、矛盾なく成立させる絶技。ノアは独り三重苦の最中に放り込まれ、面を伏せていた。

 さらに。

 

幻想綺譚(Mystical Phantasm)黒き死の薔薇、円環を舞う(Ring-a-Ring O' Roses)』」

「『輝天の太陽船(マンジェット)』」

「■■■■■■」

 

 童話魔術、真名解放、天使言語の三重奏。かつて西洋にて猛威を振るった黒死の花弁が舞い散り、太陽中心部1500万度に匹敵する砲撃が堕ち、人智の及ばぬ天界のエネルギーが牙を剥く。

 

「────…………ハッ」

 

 ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドは、この期に及んで神体化術式を発動しなかった。

 それは彼の意地と悪辣故に。

 なぜ自分たちはここまで薔薇十字団相手に後手を踏まされ続けてきたのか。

 答えは奴らが常に想定外の事態を押し付けてきたからだ。とうに死んだはずの魔術師たち、カルデア以外が所有するはずのないサーヴァント、そしてシェムハザというイレギュラー…………油断や慢心を捨て去り、惜しみなく奥の手を切り続けてきた。

 しかも、魔術という神秘に愛された天才たちが、強者の強者たる傲慢を排除し、常に先手で切り札を出しているのだから、止めようがない。

 水溜まりよりも浅く、大江戸線六本木駅よりも低いノアの度量が、何度も出し抜かれることに堪えられるわけもなく。

 ────奴らの驚愕に満たされた顔を眺めることでしか、この鬱憤は果たせない。

 

 

 

「『輝煌聖領・無窮の新世界(ブレイザブリク・シグトゥーナ)』」

 

 

 

 想定外。ノアの悪辣さは、それを敵にぶつけることだけに注がれていた。

 ここに、全ての攻撃は否められる。

 バルドルがラグナロクの後に復活し、父に代わり主神として治める新世界の顕現によって。

 ブレイザブリク。バルドルが住む宮殿であり、曰くそこには一切の災厄が存在せず、そこより美しい場所は無いと評される楽園である。

 アンナの妖精郷を押し返すように、極美の庭園が現れていた。

 たとえ実体がなかろうと、自らの支配圏における異物の存在権は支配者が決定する。なればこそ、バルドルにとって己以外の全ては自身の裁量で差配できる存在に過ぎない。

 そう、一切の災厄が存在しない空間であるが故に。

 けれど、真にアンナたちを喫驚せしめたのはそんなことではなく。

 

「詠唱を介さぬ神体化────あ゙〜……なるほど。さっすが天然モノですわねぇ〜」

 

 バルドルの生まれ変わりであるのなら、そこに立ち返ることはむしろ自然。たとえアンナの異界のもとで、魔術と魔力を封じられていようと、それが自然であるのならば止め得る道理はない。

 まるでツマミを回して音量を調節するように、ノアは人の部分と神の部分の割合を自由に設定できる。

 それが、たった二度の神体化で掴んだ技術であった。

 ノアトゥール/バルドルは澄んだ燐光を瞳に宿し、呆れた声音で告げる。

 

「この大天才がわざわざおまえらを潰しに来てやった理由を教えてやる。耳糞掻き出してよく聴け」

「上から目線でしか喋れねえんですの? テメェは」

「いや、私としては聞いておきたいね。ただの喧嘩を闘争へと押し上げるのが理由だ。こうして地上に降りてきたわけだし」

「うむ、俺は天使だからな。人の子の話を聞くのが仕事だ」

 

 のほほんと話をするヘカとシェムハザ。その様子に、ノアはピキピキと額に血管を浮かび上がらせながら、

 

「全人類を根源に連れていく───それは俺の仕事なんだよ!! 勝手におまえらだけで成し遂げようとしてんじゃねえ!!!」

 

 魔術を、解き放った。

 架空粒子の核融合反応が周囲に撒き散らされる。

 アンナとシェムハザは魔力障壁を展開し、ヘカはただ立ち尽くすだけでそれをすり抜ける。直後、堰を切ったように、無数の魔術の応酬がブレイザブリクに煌めいた。

 

「あ〜ん? つくづく狭量ですわねテメェ? 仕事を取られるのが心配なら、今のうちに謝れば薔薇十字団に就職させてやってもよろしいですが?」

「頭ァ下げんのはおまえの方だろ。今すぐ聖杯も何もかも差し出すなら俺たちの仲間入りさせてやってもいい」

「平行線だな。だからこそ、きみたちは戦わねばならぬ訳だが。しかし目的が同じならばどちらが勝っても同じなんじゃないか?」

「うるせえぞ天使。目指す場所が一緒だろうと、俺とおまえらじゃ動機が違う」

 

 一流の手品師の如く、ノアの右手に雷神の槌が握られていた。アンナは女神と謳われた相貌を僅かに歪め、言の葉に鋭気を宿らせる。

 

「では、お聞かせ願いましょうか。あたくしとアナタで、何が違うのかを」

「おまえらはこの世界に見切りをつけたから根源なんてモノに逃げようとしてる。それだけだ」

「……根源に行くのはこの世界からの逃走である、と?」

「そう言ってんだろ。根源ってのはあくまでゴールだ。過程をすっ飛ばしてそこに行くなんてのは、漫画の一巻だけ読んで最終巻買うみたいなもんだろ」

 

 アンナはこめかみをまさぐりながら、

 

「それの何が問題でいやがりますので? 漫画ならともかく、現実にゃあ伏線だとか面白さは要らねえでしょうが」

 

 そして、と彼女は続ける。

 

「───現行の人類史は根源到達のエンディングでシメる。間のウン十巻にあるであろう悲劇や苦痛はぶっちぎって。悲しみと苦しみを繰り返すだけのド三流脚本は、いい加減打ち切りにするのが妥当でしょう?」

 

 ずきり、と脳髄が軋む音がした。

 この世には否定しなければならないモノばかりが溢れ返っている。

 無邪気に狐狩りを楽しんでいた幼少の砌。

 ───自分自身が獲物となった夢を見た。

 医学の道を志し、パリに渡った時も。

 ───無数の動物が麻酔もなしに使い潰される地獄を見た。

 愛する伴侶との子どもを宿したあの時でさえ。

 ───運命は、容赦なくあの子の命を奪っていった。

 

〝だというのなら、変えるしかあるまい。一切合切何をかもをな〟

 

 クリスチャン・ローゼンクロイツは言った。

 苦痛の輪廻に飽いた者たちの寄り集まり。それが今の薔薇十字団だ。何も、根源に着いたからと言って人類全てが唐突に都合良く、誰もが幸福になれるとは盲信していない。

 だが、少なくとも、ヒトは変化を余儀なくされる。

 万物万象の根源に立ち、あらゆる格差の消えた地平に人類が適応したならば───きっと、呆れ果てるのにも飽き果てた罪業の繰り返しは、終わりを見るだろう。

 

「却下。話は理解したがおまえの態度が気に入らん。眠てえ理屈並べて俺が説得できると思ったか」

 

 それを、目の前のクソ馬鹿はアホ面晒して一蹴しやがった。しかも、耳の穴をほじくり倒しながら。

 

「…………────こ、こッッの、クソボケ。マジで、ブッ殺」

「派手な見てくれの癖に考えが陰気臭えんだよ。んな後ろ向きの姿勢で世界なんか変えられても迷惑だ。後は俺がやり遂げるまで項垂れて打ちひしがれてろ」

 

 ノアはバルドルの生まれ変わりに相応しい美貌が台無しになるほど下劣な笑みを浮かべて、

 

「おまえの人生は不幸だけで語れるものだったのか? 俯いた視点で世界を見てんなよ。悲劇だの苦痛だのはなあ、この世界でどうにかすることであって、根源に解決を求めるものじゃねえんだよ!!!」

 

 直後、雷光が閃いた。

 成層圏にまで到達する稲妻の嵐。ヘカの魔力支配がそのことごとくを明後日の方向へ逸し切る。黒雲と閃電に遮られた視界の奥で、赫灼の灯火が目を覚ます。

 火のような、光のようなエネルギー。数条の反物質粒子の塊が対消滅を引き起こしながら、しかして一切の速度を減衰させずに三者を狙い撃つ。

 物理法則に反している、などという文句は今やノアには通じない。粒子魔術の振る舞いは与えられた法則にのみ従い、ましてやここはバルドルの支配圏であるのだから。

 ヘカの知る法則とは全く別の論理で挙動する魔術に、魔力支配は通じない。アンナは舌を打ち、地面を左足のヒールで踏み抜いた。

 

(あたくしは、勝たなくてはならない)

 

 魔術を極めた者には本来、長大な詠唱や儀式の準備は不要だ。自身の一挙一動、果ては呼吸さえも神秘化させ、それこそ息を吐くように魔術を発動できる。

 アンナはヒールを杭に見立てた。

 境界杭という語があるように、土地と土地の境目を明示するために杭が打たれることがある。これをもってアンナは己が世界とブレイザブリクを分断したのだ。

 架空粒子の反物質砲を自己の法則に捉え、上書きし、消滅させる。

 

(この目の前の、アホ面晒した怪物に!!!)

 

 ノアは既に目と鼻の先に迫っていた。

 トールの槌と反物質粒子砲は布石。拳を強く握り固め、大きく振りかざす。

 ぞくりと背筋が冷える。バルドルの五体は〝全ての生物・無生物が傷をつけられぬよう忠誠を誓った〟モノ。翻して、万物の忠誠を受けた拳は畢竟、万物を屈服させるに値する。

 

「■■■■」

 

 シェムハザは天使言語を唱え、ノアとアンナの間に滑り込んだ。

 ノアの足元から剣山が突き上がる。それらは淡く発光する白一色の物質で構成されていた。

 しかし、刃の群れはバルドルの絶対防御の前に砕け散った。ノアは予定調和の如くに、シェムハザの顔面を目掛けて拳を振り抜く。

 

「そうか。白き神の絶対性は〝万物の忠誠を受ける〟故のみにあらず。〝ヤドリギだけが殺害できる〟という反証をも宿していたか」

 

 シェムハザは唇の端から血を流し、微笑んだ。

 バルドルは幼きヤドリギによって命を落とした。なぜなら、それがこの世の万物万象に属さないがために、彼に忠誠を誓っていなかったからだ。

 つまり、この世のモノでないならバルドルを傷つけられる。なれど、常世ならぬ天界の物質を用いた目論見は、呆気なく否定された。

 

「天界の物質ならばと思ったが、成程、俺……私たちにきみを害する手段はないようだ」

 

 バルドルの弑逆を成し得るのはヤドリギのみ。それ故、天界の物質であろうと有効打にはなり得ない。奇しくも、現代のバルドルはかつての死因を逆手に取り、ヤドリギ以外の存在に対する絶対性を手に入れたのだ。

 シェムハザはその絶対性を得た拳撃を耐え抜いている。しかも、僅かな傷に留めた状態で。ノアは刃を突きつけるみたいに言った。

 

「首をすっ飛ばすつもりで殴った。おまけに権能も込めてな。それも天使の力か」

「いいや、誰にでもできることだ。精神が上、肉体が下。堅く立つ心さえあれば、肉体の崩壊は抑えられる」

 

 天使はアンナを退かせ、

 

「私は生まれた時より神の下僕。既に従僕である故に、万物隷属の拳は効かない」

 

 同時に、十重の斬撃が白き神に向けて浴びせられた。

 その剣技は意識の隙間に滑り込むように、ノアに一切の動作を悟らせなかった。天使の右手に在りし剣。不定形の刀身が火のように水のように揺れ動く。

 ノアの肉体には一筋の傷もない。彼は即座に反撃をするものの、行動を起こす直前で動作は中断した。

 まるで、自分自身がそれを選んだかのように。

 

(いや、違う)

 

 かのように、ではない。

 ノアは確かに自らの意思で、攻撃を止めた。

 

「〝────わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく。もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にある悪の霊に対する戦いである〟」

 

 天使は言の葉を紡ぐ。

 人の知らぬ天使言語でなく、人が持っていた原初の言語───バベルの塔以前の言葉を。

 

「〝それだから、悪しき日にあたって、よく対抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい〟」

 

 魔術を極めた者に長大な詠唱は要らない。伝承において人類に魔術を教えた天使シェムハザにとって、聖句の詠唱は無駄以外の何物でもなかった。

 

「〝立って真理の帯を腰に締め、正義の胸当てを胸につけ、平和の福音の備えを足に履き、その上に、信仰の盾を手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるだろう〟」

 

 ───そう。魔術の詠唱であったのなら、これは無駄でしかない。

 

「〝また、救いのかぶとを被り、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい〟」

 

 シェムハザの輪郭が甲冑に包まれる。

 天使が纏う防具、武器は唯一なる天の父より賜りし神の武装。悪しき者どもを誅戮する唯一神の戦士たる威光をもって、彼はノアの前に立ちはだかる。

 

「〝絶えず祈りと願いをし、どんな時であっても御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒たちのために祈りつづけなさい〟」

 

 祈り。

 聖句とは詠唱にあらず、天の主への信仰を捧げる行為。シェムハザにこれを省略する意思などあろうはずもなかった。

 ノアの硬直が解ける。

 彼は攻撃のための術式を組み上げることもせずに、ただ疑問をこぼした。

 

「───おまえ、()()か?」

 

 いくつかの疑念は、その問いに凝縮されていた。

 天使が神の武具を纏う。そのことに異論はない。だが、ことシェムハザという存在に限っては異常だと言わざるを得ないだろう。

 グリゴリの天使シェムハザは人間の娘と禁じられた恋に落ち、唯一神に見捨てられ、堕天している。

 堕天使が神の武具を扱う───それは大いなる矛盾だ。堕天した者が神の力を行使できるはずがないのだから。

 

「彼が天使シェムハザか、という意味ならその通りさ。汎人類史(この世界)のか、と言われたら、私は口をつぐむけれどね」

 

 ヘカは愉しげに答える。

 ノアの頭に血が昇る。ヘカは今までの攻撃を嘲笑うかのように、難なく躱し続けていた。それだけでもノアからすれば圧倒的な罪である上に、物理的にも見下した発言を投げつけられた。

 ノアは飢えた獣のような獰猛さで顔面を塗り固め、哮り立つ。

 

「うるせえ、んなこたあ知ったことじゃねえんだよ!! ひとりずつぶちのめしてやるからそこに並べ!!」

「え、自分から訊いておいて……?」

「自己の矛盾を恥じらわずに押し通す。それも人の子の良い点だな」

「人類全肯定オタクやめてくださいます?」

 

 瞬間、ノアはシェムハザ目掛けて特攻した。

 迎撃。天使の剣がまたしても全身を切り刻む。ノアはそれらをあえて受け止めた。筋肉に命令を下す脳から発される意思が、即座に次の行動を抑止する。

 そうして、彼は理解した。

 シェムハザの剣には技術がある。相手の無意識を気配なく突く剣技。それは人理修復の旅路で見た英霊たちの技とは異質だった。

 ただひとり、当てはまる者がいるとするならば────第六特異点。ダ・ヴィンチの記録で目撃した、初代山の翁の技巧。シェムハザの剣はそれには及ばぬながらも、確かに同質の形象を表している。

 魔術の祖なれども、その始まりは神に付き従う天の騎士。シェムハザは未だ本領を見せぬ魔術ではなく、天上の武術をもって戦いに臨んでいた。

 

「……御霊の剣は神の言葉。ハッ、認めてやるよシェムハザ。確かにそれなら俺にも通用する」

「光栄だ、神と人の狭間に立つ者よ。きみならば私が今からどうするか、分かっているな?」

 

 当然だ、とノアは答える。

 〝御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい〟……シェムハザの剣とは他ならぬ唯一神の言葉、その具現化だ。

 バルドルにはヤドリギ以外の何をもってしても通用しない。けれど、彼に知性があり、言語を操る能力があるならば、話は通じる。

 ノアですら思いもつかなかったバルドルの新たな弱点。それは言葉が通じてしまうこと。言語を扱う生命体である以上、決して逃れられぬ宿命。シェムハザの剣とは敵を殺すためでなく、唯一神の言霊を伝えるモノであるが故に────ノアが言語を理解できるが故に、その真価を発揮した。

 

「この剣に込められた言霊は『隣人愛(フィリア)』。他者を自らのように慈しみ、傷つけることのないよう願った父の信念だ」

 

 端的に言うのならば、ノアの意思は剣の言霊によって説得されたのだ。

 他者を害さずに愛せという父の御言葉。言語を解する生物ならば絶対に抗し得ぬ力によって。

 必然、〝死ね〟という言霊を込めれば言語能力を持つどのような生物も等しく死に至る。シェムハザの気質がそんな言葉を用いることは許さないが、たとえそれを使ったとしてもノアには通じなかっただろう。

 ヤドリギ以外ではバルドルを害せない。他の何をも拒絶するために、天なる父の御言葉であっても、その法を覆すことはできない。

 

「私はきみをここに縫い止め続ける。この戦いが終わるまで」

 

 ───あるいは、この身が灰と化すまで。

 人の魔術の祖にして、神の騎士は噛み締めるように、その言葉を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャドウ・ボーダー、司令室。

 我らがカルデアの新所長ゴルドルフ・ムジークは、物理的・精神的に肩身の狭い思いをしていた。

 アトラス院の才女、シオンはくいと眼鏡を押し上げて、

 

「───という訳で、薔薇十字団の目的は聖杯の魔力を利用し、地球全土に固有結界を展開・次元跳躍によって根源に到達することとなります。ここまではよろしいですか?」

「う、うむ」

「今回の作戦目標は冬木の聖杯の奪取、もしくは破壊。現在は聖杯の反応を辿り、島の中心部を目指しています」

「中心部……城のことか。あそこには我が家の従者たちもいる。是非助けてやってほしいのだが……」

 

 ちらり、とゴルドルフは視線を横に流した。

 マシュを筆頭としたカルデア勢は何やらクリップボードにペンを走らせながら、ひそひそと話をしている。

 

「ふむ、貫禄はありますが態度がやや不遜な点がマイナスですね。マイナスビですね。所長ガチャとしてはSR程度でしょうか」

「ごめんマシュ、ちょっとそのボケはツッコミ方がわからない」

「まあ、これからの成長に期待ってところかしら。せめてアホどもの肉盾に使えるくらいにはなってもらわないと」

「ハンプティ・ダンプティな感じで頼りがいはありそうですわ」

 

 などと好き放題の品評をするEチーム三人娘とリース。ゴルドルフのカルデア所長就任は魔術協会内部の暗闘による結果である。カルデアからすれば外様に近い立場であるため、奇異の視線が集まるのは仕方のないところであった。

 授業中、教師が職員室に出戻りした時みたいないたたまれない感情に苛まれるゴルドルフ。縮こまる彼に、ダンテとペレアスが寄り添う。

 

「ゴルドルフさん。上に立つ者の重責は私も少なからず知っています。私としても是非信頼し合える関係を結びたいと思っていますよ」

(やさしい)

「いきなり別の場所に放り込まれるってのは大変だよな。困ったことがあったらオレでもいいから言ってくれよ」

(地味にやさしい)

「おい地味は余計だよな。それだけはいらなかったよな。どう考えてもオレをオチにする必要なかったよな」

 

 ゴルドルフはむっと口をつぐんだ。

 なぜか思考を読んできたことに関しては今更どうでもいいとして、ペレアスは冬木の特異点から常に最前線で戦い抜いたサーヴァントだ。彼がいなくては人理修復は達成できなかったと断言できる活躍だが、呪いのように拭えない地味さが敬意を損なわせていたのだった。

 新所長は咳払いをひとつ挟み、

 

「ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドは単騎で戦っているようだが、構わないのかね?」

 

 シオンはこくりと頷いた。

 

「当初の予定では、彼にヘカ・シェムハザの相手を任せるつもりでした。今回はその二人から来てくれたので、奥の手もひとつ温存できました。おまけにアンナ・キングスフォードまで引き受けてくれるなら、上々の成果と言えます」

「カレーにトンカツのせてチーズもトッピングしたみたいなものだね」

「そ、そうか。しかし、彼とて人間であろう。たったひとりに任せるのは不安があるのではないか?」

「あの大怪獣バトルに混ざれって言うんですか? 正気ですか?」

「チーズカツカレーに福神漬け一片紛れたからってどうにかなるわけないからね」

「ちょっと待って? いちいちカレーで喩えてくる人いるんだけど? レオナルド・ダ・ヴィンチってインド出身だった?」

 

 ダ・ヴィンチは聞こえていないみたいにそっぽを向いた。その視線の先には、シャドウ・ボーダーの行く手を遮る漆黒の森。島の中心、聖杯が待つ城への途上だ。

 青の瞳を細め、樹間の闇を見据える。

 

「それはそうと───私たちも、ノアくんを心配してる場合じゃない」

 

 直後、森の空間に満ちる暗がりという暗がりが消え去った。

 その刹那。とてつもない衝撃がシャドウ・ボーダーの横っ腹に叩き込まれ、突かれたビリヤード玉みたいに船体が地面を滑る。

 数百メートルもの距離で木々を薙ぎ倒し、土を削り取った後、ようやく停止する。ボーダーの観測機器は一体のサーヴァントを捉えていた。

 

「よお! なかなかイカしたクルマ乗ってんじゃねえか! オレとお茶してかない?」

 

 ライダー、ヘリオガバルスはナンパ発言をぶちあげた。彼は宝具である戦車の上で仁王立ちの構えを取っていた。みょん、と横合いの空間が影によって歪み、三つの人影が投下される。

 メイド少女と喪服の美女、そしてマクレガー・メイザース。喪服の女は何も語ることなく、ゆらりと魔剣を振り上げた。

 ボーダーの装甲はカルデアの技術を結集し、ノアの魔術防護も施した逸品だ。並大抵の攻撃で砕けるような代物ではない。

 事実、それはヘリオガバルスの突撃を受けてもなお一切の機能を損なわせなかった。サーヴァントとはいえ一騎の斬撃など恐れるに足りぬ防御力を誇る。

 が、その剣に込められた絶殺の意思。それが静観の選択肢を失わせた。

 

「そっちから出てくれるなら好都合! 今回は逃げんじゃないわよ!?」

 

 おぞましい金属音が木々の間に響き渡る。

 ジャンヌは剣技の起こりを己が旗の一撃でもって堰き止め、ハイ・ブラジルの地面を踏んだ。

 

「逃げるも何も、私たちの相手にならなかったじゃない。てっきり海の藻屑になってるかと思ってたわ」

「はあ? まさかあの時私が本気出してたとでも? だったら実力の底が知れたわね。アンタは消し炭にして焼畑農業の礎になってもらいますから」

「マスター、見なさい。これが本場フランスの負け惜しみよ」

「フランスって負け惜しみの本場でしたっけ?」

 

 メイド少女はこてんと首を傾げ、苦笑いした。

 ビキビキと憤りを募らせるジャンヌ。残りのEチーム三人娘は気まずい顔でボーダーのハッチから抜け出してくる。

 

「やめてくださいジャンヌさん。見苦しいです。ジャンヌさんの評判はもはや地に落ちていますが、わたしと先輩にまで影響する勢いなので」

「マスター、見なさい。これが本場南極のなすびよ」

「へえ、おいしそうですね」

「良ければ5000QPで売り渡しますよ?」

「先輩???」

 

 立香の発言にマシュは目を剥いて困惑した。しかも5000QPというレベル上げにすら心許ない金額である。

 立香はわざとらしく咳払いをして、魔杖『魔女の祖(アラディア)』の先端を敵に差し向けた。

 

「それは冗談として、ここは私たちが押し通ります! 言っておきますけど、ウチのマシュとジャンヌは実力だけはガチですよ!!」

「あらそう。実力だけが取り柄なんて、どこぞの英雄さまみたいでますますムカついてきたわ」

「出た、お姫様のツンデレ」

「私のバーサーカーが誇る108のかわいさのひとつですね」

 

 バーサーカーはヘリオガバルスとメイド少女の頭をみしみしと圧迫した。それを尻目に、メイザースは胸元からたばこを取り出しながら言う。

 

「君たちを侮るわけではないが、四対三だ。他の要素を鑑みても勝ち目は薄いだろう。手を残している余裕はないぞ」

「……私たちなら楽勝、って言いたいところですけど。Eチームマスターの真っ当で有能な方は作戦に忠実なので───ジャンヌ!!」

 

 獄炎が迸る。

 地を割り、空を焼く一条の火炎。ジャンヌは一瞬にして敵との距離を制圧し、榴弾の如くに己が裡の熱を拡散させた。

 蜘蛛の子を散らすように、メイザースらは退避する。

 ジャンヌは空を剣で薙ぐ。蛇行する火線が放たれ、メイザースは防御術式を展開することすらせずにそれを躱し切った。

 その過程で焼けた木々にたばこの先端を近づけ、口元に戻す。

 

「分断策。とりあえず乗ってみたが……」

 

 紫煙がくゆる。ジャンヌの派手な攻撃はメイザースを独り引き剥がすためのもの。彼女も深追いすることはなく、こちらに目を向けてすらいない。

 ということは、メイザースを相手取る者は他にいる。彼は眼前の光景に薄く笑んだ。

 

「その甲斐はあった。そう思わせてくれるのだろう? ウェイバー少年」

 

 ロード・エルメロイⅡ世と、彼の生徒たち。グレイ、ライネス、フラット、スヴィンの四人が、教師にくっついている。

 エルメロイⅡ世もまた、鏡写しのようにたばこを咥えていた。

 

「……私はもう少年と呼ばれる歳ではないのだがな。貴方はあの時から何も変わっていないようだ」

「気を悪くしたなら謝ろう。私を〝話が長いだけのケツデカ女〟と罵った頃より大分見違えた。あれほど言っていた魔力運用は上達したか?」

「愚兄に代わり私が答えよう。相変わらずクソザコだ」

「おい」

 

 フラットとスヴィン、グレイはそれに続いて、

 

「グレートビックベン☆ロンドンスターの強みは魔術じゃなくて、その頭でっかちな知識から繰り出される性格の悪い神秘解体ですからね!」

「黄金の夜明け団最高の魔術師と言えど、僕たちの先生にかかればドヤ顔推理を披露されてフィニッシュです」

「師匠のアイアンクローで一発ノックアウトされる覚悟はできていますか?」

「なるほど。パラケルスス然りアンナ・キングスフォード然り、偉大な魔術師は魔術のみならぬ才能を持つ。少年よ、君は探偵とプロレスラーの才を有していたのだな」

「違う、違うぞ! のるなメイザース!! 戻れ!!」

 

 探偵兼プロレスラー、ついでに魔術師のエルメロイⅡ世は叫んだ。受けてメイザースはますます笑みを深くする。

 

「メイザース、か。君にその名で呼ばれるのは初めてだな。前はモイナだったものな。知っているか、モイナというのは私の────」

「───貴方の妻、ミナ・ベルクソンが改名した後の名前だ。当然知っている。…………そもそもだな」

「ん?」

「あの雑すぎる偽名はどういうことだ!? それくらい事前に考えてくるべきだろう! あの時から薄々貴方がメイザースと思っていたせいで、正体を明かされた時も純粋に驚けなかったのだぞ!!!」

 

 メイザースの笑みが崩れる。かつてウェイバーに告げた偽名、モイナ・フォーチュン。よりによって自分の伴侶の名前を使う愚策だった。

 そして、ファミリーネームは黄金の夜明け団の一員であり、モイナ・メイザースと確執のあるダイアン・フォーチュンからであろう。

 メイザースはいびつな笑顔のまま腕を組む。

 

「そ、そうか。しかしだな、咄嗟に身近な人間の名前が出てくるのは仕方ないだろう」

「貴方は自称ハイランダーで自称グランストリー伯爵だろう。ホラ吹きならばそれらしくしてみせろ」

「い、いやっ、待て。アレは若気の至りというやつだ。それに新参者は箔をつけなくてはいけな」

「妻に紹介された仕事を一年と経たずに辞めたダメヒモ男が箔を気にするのか? その前は数年間友人の家に居候していた貴方が? ああ、しかも妻の親友で団の資金源だったアニー・ホーニマンを追放して経済的に破綻していたな? いつまで経っても自立せず、自分のやりたいことしかしない。まるで子どもだ」

「少年、泣くぞ」

 

 メイザースは反論を諦めた。泣くぞとは言うが、実際まぶたには涙が溜まっている。

 マクレガー・メイザースという人物を魔術の功績抜きに語れば、概ねⅡ世が語った通りになるだろう。歴史上の人物にプライバシーはない。ロードの口撃はメイザースの胸を深く抉ったのだった。

 エルメロイⅡ世は、静かに、メイザースの心を言い当てる。

 

「だから、貴方は全人類の根源の到達を目指したのだろう?」

 

 彼は、観念したように目を閉じた。

 

「……ああ。私は昔からそれを望んでいる。全人類が神となる日を予言としたあいつと違って、全ての人間が人間のまま根源に到達する日を見てみたい」

 

 ───私は、子どもだからな。

 そう言ったメイザースの瞳には無垢な輝きが灯っていた。友人宅に居候を決め込み、妻に紹介された仕事を早期離職し、団員の進退を自身で差配する身勝手さ。彼の根底にあるのは、言ってしまえば幼稚な気性だった。

 けれど、だからこそ、そこに邪気はない。無駄な葛藤も、迂遠な言い訳も存在しない。誰もが未来に無根拠な希望を抱いていたあの日のように、メイザースはただ進むだけだ。

 

「ヒトがみな極限の地平に立つ景色。それこそが、人類が目覚める『黄金の夜明け(Golden Dawn)』だと信じている」

 

 その時、世界の形が変貌した。

 鏡の如き水面が満ちる大地。薄明の空より昇り来る黄金の払暁。マクレガー・メイザースの固有結界にして儀式場は瞬きよりも速く、Ⅱ世らを包み込んだ。

 会話の中に詠唱を紛れ込ませる技巧もさることながら、驚くほどに自然な結界の展開。エルメロイⅡ世は己には生涯をかけても辿り着けぬ境地を目の当たりにし、ただその業に見惚れた。

 彼の手が伸びる。外套の下に隠したあるモノへと。

 メイザースはそれを見抜き、提案する。

 

「固有結界とは、術者の理が支配する空間だ。これにより、通常抑止力に否定される魔術であっても行使を可能とする。それこそが固有結界を出す強みだ」

「……裏を返せば、結界を支配する法則が術者・被術者に適用される以上、取り込まれた者もその理を利用できる」

「然り。自然界と同じく、固有結界の原理は適者生存。この世界の法則に最も適応した者が勝つ。故に、」

「私たちの勝ち目はある。否、ここは勝たせてもらうぞ、メイザース」

 

 両者の思考は事前に示し合わせていたように噛み合っていた。

 魔術師としての実力を比べたならば、Ⅱ世はメイザースの足元にも及ばない。比べることすらおこがましい差が存在する。だが、魔術への見識だけは───かの黄金の伯爵、メイザースに並び立つ。

 この二人のやり取りを、生徒たちは見守ることしかできなかった。

 

「召喚の詠唱は忘れていないな?」

「無論だ。貴方こそ物忘れが激しくなる歳だろう」

「よろしい。君と私の二重唱だ。付き合ってくれるか」

「────ああ」

 

 そして、メイザースは多数ある切り札のひとつを、Ⅱ世はたったひとつの奥の手を切り出す。 

 

 

 

「「───()()()()()()()()()()()()()()」」

 

 

 

 彼自身の奥の手はひとつ。

 しかし、この戦いにおける切り札はまだ尽きていなかった。

 同時刻。シャドウ・ボーダー、電算室。ダ・ヴィンチの私室であるこの場所に、二つの人影があった。一方は部屋の主ダ・ヴィンチ、もう一方は天使の似姿を取る少女だ。

 ダ・ヴィンチは少女に語りかける。

 

「君たちがロンドンから飛んできた時はびっくりしたけど、そのおかげで私の作業も省略できた。感謝するよ」

「いえ、乗りかかった船なので!」

「良い返事だ。これは対ヘカ・シェムハザ用の策だったが、その効果は甚だしい。出し得の手だ。準備はいいかい、カリスちゃん」

「……はい!!」

 

 電算室にはひとつのカプセルがあった。

 ダ・ヴィンチに似た少女が眠る匣。カリスはそれに手をかざす。

 

「天にまします我らが主よ」

 

 半ば奇跡の領域に位置する魔術『浄化術式(コンセクレーション)』。対象を理想の状態へと昇華させる聖人・天使のみに許された、神の子の力の一端。

 彼女はカプセルの少女にそれを使った。

 その目的は少女を目覚めさせることではなく。

 

「私たちには全員、ノアくんの架空粒子が付与してある。それらは私のクローンとペアになるようにできている」

「……なぜいきなり解説を?」

「要は量子もつれだ。この関係にある量子は一方の状態が変化すると、もう一方の状態もそれに合わせて変わる。これを量子テレポーテーションなんて言ったりするけれど」

「もしかして気持ちよくなってるんですか。ぼくをうんちくのアテにして気持ちよくなってるんですか!?」

 

 ダ・ヴィンチはニタリと笑い、

 

「つまり、クローンにかけた魔術の状態は、光の速さでペアになる粒子を持つ人間に共有される! しかもこれはノアくんの法則だから、ヘカやシェムハザに邪魔されることもない!! これで私たちは理想の強さで戦えるのさ!!!」

「しれっとクローンって言ってますけど、倫理的に大丈夫なんですか。というか魔術を共有するなら、この子を対象にしなくても」

「いいや、そこがミソなのさ。一方の状態を他方も共有する理論は魔術にも存在する。フレイザーが名付けた共感呪術がね。術式効果の共有は、人間と人間でなくては最大の効力を発揮しない」

「クローンの倫理観には触れませんでしたね? やっぱりまずいんですね!?」

 

 共感呪術。量子もつれ。それらを止揚した手法を用いることで、影響下にある者は自身の理想のコンディションで、理想の技を振るうことができる。

 

「共感呪術理論と量子力学論の合わせ技! 私はこれを〝量子的共感魔術〟と呼ぶことにした! ちなみに特許出願中だから、くれぐれもパクらないように!!」

「誰に言ってるんですか!?」

 

 …………視点を戻して。

 一方の状態が確定することで、他方の状態もまた定められる。たとえどれほど離れていても、光の速度でその情報は伝達する。

 固有結界内部に在る者も同じ。カリスの浄化術式の恩恵を受けることができるのだ。

 それ故、エルメロイⅡ世の詠唱はかつてないほどに洗練され、彼がいつか辿り着く境地の可能性を現実に引きずり出した。

 

 

 

「「───誓いを此処に」」

 

 

 

 彼らの詠唱は最高潮へ登り詰める。

 Ⅱ世の懐が発光し、その光源を掴み取る。

 

「我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天─────」

 

 掲げたそれは、色褪せた外套の切れ端。時を経て劣化しようとも持ち主の威風と神秘を放つ聖遺物であった。

 

「「────抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!!!」」

 

 そして。

 そして。

 そして。

 此処に、彼らの道は分かたれた。

 

「神の御前を守護する四柱の御遣い『四大天使(アークエンジェル)』!!」

「世の最果てを蹂躙し制覇する、征服王イスカンダル!!」

 

 極光が解き放たれる。

 息が止まり、肌が痺れる絶大なる神秘の奔流。壮麗なる光を打ち破り、両者の切り札が現れた。

 天に光り輝く四体の御遣い。四体の天使のうち、三体は力の塊のように明確な色や形を持ち合わせていない。

 ただ一体、炎の剣を握る天使を除いて。

 燃えるような髪と瞳、ヒトならぬ美貌の御遣いは告げる。

 

「私はアルターエゴ・ウリエル。天使と人間の狭間に立つ者。また会ったな、人の子らよ」

 

 対する英霊は応えた。

 

「小僧に喚ばれ、何事かと思えば……やることは変わらぬ。そういうことだなウェイバー」

 

 征服王イスカンダル。抑止力が及ばぬ黄金の夜明けの結界にて、かの王は再臨を果たした。彼はウリエルと、メイザースの顔を見てむっと眉をひそめる。

 

「なぜモイナと天使が組んでおる。貴様ら特に不仲というわけでもなかろう。アレか、痴話喧嘩か」

「「違う」」

「まあ良い。刃を交わせば分かることよ。そこの少年少女は仲間と見てよいのだな?」

「「「「そこの人よりは役に立つと思います」」」」

「これが終わったらレポート100枚提出!!」

 

 エルメロイⅡ世のパワハラ発言が飛び、ウリエルと征服王は視線を交わす。

 

「期せずして二度目の戦いだ。また魅せてくれるのだろう? 人の群れの至高を」

「応とも。貴様の鉄面皮、甘美なる敗北にて歪ませてやろう」

「「いざ───」」

「……あっ」

 

 天使と征服王の気勢が破裂したその時、グレイは素っ頓狂な声をあげた。

 もぞりと彼女の外套が膨れ上がり、金色の影が飛び出す。それはサーヴァントを優に超える魔力と神秘を帯び、哄笑を響かせる。

 

「───クッ、ハハハハハハッ!! 素晴らしいな『浄化術式』とは! 対象を理想の状態に昇華させる……すなわち!!」

 

 ソレは歓喜とともに宣言した。

 

「ソロモン七十二柱が第一位、魔神バアルの復活である!! 恐れおののけ、下等生物!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャドウ・ボーダーは各交戦区域から離れた位置に停車し、島の中心部、ドーム状の天蓋に覆われた城の内部に人員を送り込んだ。

 切り札を使い切ることなく、戦力を温存したまま、此処に辿り着けた。状況は概ね、シオンが演算した通りに運んでいる。

 残る敵はクリスチャン・ローゼンクロイツ。カルデアは温存した手札を投入した。

 すなわち、

 

「皆さんすみません。緊張しすぎてボーダーから降りた瞬間両足を挫きました。ここは私に任せて先に行ってください」

「しょうもない嘘ついてんじゃねえ! ただ行きたくないだけだろうが!!」

「任せるも何もありませんわ。本当だったとしても両足挫いたおっさんが残るだけですわ」

「あのダンテがこんなヘタレってマジかよ? 聖堂教会でも尊敬してるやつ結構いるってのに」

 

 ……すなわち、ペレアス夫妻とダンテ、マーリオゥ率いる聖堂教会の部隊である。

 ペレアスは息をするように嘘をついたダンテの首根っこを掴み、問答無用で引っ張っていく。それを見て、マーリオゥが指揮する手駒のひとり、ノエルは聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。

 

「あれっ。私もなんか足が痛くなっ」

「こんな風にか?」

 

 マーリオゥは鉄線でノエルの足を締め上げる。

 

「……ギャーッ!! いだだだだだ!! 私の足がボンレスハムみたいに───いや誰がハム!?」

「テメェでテメェにツッコんでんじゃねえよブタァ!! 次ナメた口利いたらソルベにしてやるからな!!」

「ペレアス様、私閃いてしまいましたわ」

「緊縛とか言うなよ?」

 

 といった話をしつつ、一行は暗い城の廊下を突き進んだ。ダンテは病院を怖がる犬みたいになりながらも、ついに聖杯の待ち受ける最奥へと着いてしまう。

 そこを端的に表すなら、プラネタリウム。半球状の天井をくまなく星々が覆い、辺りは暗く保たれている。

 しかし、彼らの目を惹き付けたのはそんなものではなかった。

 ダンテは呆然と言葉をこぼす。

 

「───……()()()()()?」

 

 部屋の中央を占拠する大木。その根本に、カルデアスと瓜ふたつの地球儀が浮かんでいた。さらに、枝葉が伸びる先には頂点まで九つの光球が配置されている。

 マーリオゥは舌を打ち、独り納得した。

 

「『世界の完全な縮小模型』か。生命の樹に則ったなら、太陽系の星しかないのも頷ける」

「な、なんですかそれは? 太陽系の星々と生命の樹のセフィラは対応していると言いますが……」

「それについては製作者自ら答えよう」

 

 いつの間にか、ローゼンクロイツは地球儀の前に立ちはだかっていた。気配を隠していたのか、時間停止の固有結界を使ったのか。彼は微笑を顔に貼り付けて喋り出す。

 

「人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させるための理。それが人理だ。そこから外れた並行世界は伐採される。持続可能性のある世界のみを残す。これを魔術世界では『人理定礎』、科学的には『霊子記録固定帯(クォンタム・タイムロック)』と呼称する」

 

 ローゼンクロイツは眼帯を外した。

 薔薇と蒼の両魔眼。異なる色の双眸をもって、ダンテらを見つめる。

 

「───そして、この現象は約百年に一度の期間で、太陽系に発生する。分かるかね? 人理の影響範囲は太陽系に及ぶのだ」

「だからこその『縮小模型』だろ? テメェは世界の定義を人理が及ぶ範囲に設定したわけだ」

「くっ! まずいですわペレアス様! なんか知らないところで話が進んでいます!」

「ああ、疎外感を感じるぜ……!!」

 

 マーリオゥは盛大なため息をつき、語った。

 伝承によれば。クリスチャン・ローゼンクロイツは死の直前、『世界の完全な縮小模型』を作り、過去・現在・未来のあらゆる出来事の要約を完成させたという。

 縮小模型。それも、この地球を模倣したモノだとするならば、それはカルデアスと同様の理念のもとに造られたと言える。

 マリスビリーが莫大な資産を注ぎ込み、魔術と科学の粋を結集し、幾人ものレイシフト適性者を使い潰した末に完成した巨大礼装カルデアス。ローゼンクロイツは少なくとも数百年前に、独力でそれを作り出していたのだ。

 だが、問題は。

 

「そんなもんを何に使うのかってところだ。ロクな使い道は思い浮かばねえがな」

「うむ、私もそこはノーコメントとしておこう。ただ訂正しておく。未来の要約など原理的に不可能であるし、この模型はセラフィックスからデータをパクっ……借り受けてできたVer.2だ」

「借り受けたセラフィックスは海の藻屑になりましたけどねえ!?」

「ああそうだ。セラフィックスといえばアンナとヘリオガバルスが拉致……拉致した所長と副所長がいる。解放しておいたから、受け入れてやってくれたまえ」

「そこは拉致だったんですね!? 言い換えの余地もなく拉致だったんですね!?」

 

 ダンテは戦いへの忌避感と恐怖心も忘れて叫んだ。Eチームで翻弄されてきた男の悲しい性である。

 

「まあな、取り繕いようもないことだ! 時に我が友ダンテよ、貴殿のサインをくれないか。私は神曲の大ファンなんだ」

「読者からの求めには最大限応じたいところですが……私は地獄に送られたことは許してませんからねえ! あなたのせいで何度も死にかけましたし!!」

「はっはっは!それはすまなかったな! 一目見てビビッと来たのだから仕方ない! 魔術師の直感はお告げのようなものだからな!!」

「そんなお告げに従わないでください! できるからやる、なんてことを日常にしてたらノアさんみたいになってしまいますよ!?」

 

 ローゼンクロイツはこくこくと首を縦に振った。

 

「だが、貴殿は神を見た。この世の原動力たる愛を見た。それだけで私の行動は正しくはなくとも、善い結果をもたらすのだとわかった」

 

 なにか、畏れ多いものに触れるように手を伸ばして。

 

「───貴殿の世界を見せてくれ」

 

 必殺の固有結界。ダンテの宝具を見せてみろと、命知らずの発言をしてみせた。

 ダンテはペレアスたちに振り向いて、困惑しきった顔を突きつける。

 

「い、いいんですかね!? 私の宝具を使ったら一発で勝負がつきますけど!!」

「願ったり叶ったりだろ。どうせローゼンクロイツに奥の手があるなら、先に使わせといた方がいい」

「ダンテさんの宝具で決まらずとも、私たちがその分頑張ればいいだけですわ」

「敬虔な一教徒としてその結界には興味がある。やってみろよ」

 

 ダンテは意を決し、詩篇を打ち放った。

 

「『至高天に輝け、永遠の淑女(ディヴァーナ・コンメディア)』───!!」

 

 華開く天上の薔薇。

 遍く魂を連れ去る結界。

 ローゼンクロイツは、ただただそれを、受け容れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おらぁぁぁっ!!!」

 

 黒き火焔が咲き誇る。

 カリスによる理想化はサーヴァントにも影響を与える。マスターからの魔力供給に気を払うことなく、ジャンヌは満身の火力を一撃一撃に込めた。

 結果、彼女は一挙一動が周囲に爆炎を撒き散らす無限人間爆弾と化した。

 メイド主従とヘリオガバルスはしつこく追ってくる炎の化身から逃れつつ、口の端をひくつかせる。

 

「オイオイオイ!! なんだあのファイヤーガール!? 花食った配管工だってあんな風にはなんねえぞ!!」

「あんなバカスカ燃やして、環境への配慮はないわけ? 時代に配慮できないサーヴァントはこの先取り残されるわよ」

「ああ、コ○ンブスさんみたいに……」

「マスター、やめなさい。……やめなさい」

 

 眼前に爆発ガールがいつつも、なにかとても危険な会話をしていた。なお、この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がない。

 ジャンヌは大いに黒炎を炸裂させながら、大声でがなり立てる。

 

「あれぇ〜!? 結局逃げるだけですかアンタらは!! 配慮がどうとかほざいてますけど、安心しなさい! こんがり焼き上げてそんなことも考えられなくしてあげる!!」

「先輩、ジャンヌさんがかつてないほどに躍動してます! 走り出す理由がくだらない人になってます!!」

「大丈夫! ジャンヌにはそのまま押し込ませて! はぐれた敵から各個撃破しよう!」

「───了解です!」

 

 マシュは盾の先端を地面に突き立て、勢い良く振り上げた。

 大地をひっくり返したような土塊の榴弾が襲い掛かる。明らかに常軌を逸した膂力もまた、カリスの理想化によるものである。

 合図は要らない。立香とジャンヌは示し合わせるまでもなく、呼吸を合わせて次撃を備えていた。

 

「コードキャスト『matrix_odin』」

「ぶち燃やす!!」

 

 電子化した大神の魔術、噴き上がる邪竜の息吹。先のちゃぶ台返しで分散した敵を狙い撃つそれは、過たず彼女らを呑み込んだ。

 

「そろそろ、攻めましょうか」

 

 ヂリ、と空間にノイズが走る。

 『ROANOKE』。アルファベットの影文字が刻まれ、ぎゅるりと渦を描くと、立香たちが放った攻撃のことごとくを虚数空間に収容した。

 即座に『CROATOAN』の文字が踊り、虚数の門を開く。

 そっくりそのまま攻撃が返される。Eチーム三人娘はあんぐりと口を開け、踵を返して遁走した。

 

「ジャンヌさん! 調子に乗った結果がこれです! 反省してください!」

「うっさいわ! アタッカーが火力出すのは当然でしょうが! アンタこそ宝具なり何なりで防いどきなさい!?」

「はいそこまで! とりあえず立て直───」

「───させませんよ?」

 

 ひたりと立香の頬に指が這う。

 虚空に開いた穴より、メイド少女は半身のみを現していた。

 

(や、ば)

 

 それはまるで、家具の角に小指をぶつけた時のような。あるいは、ドッジボールで顔面に球が投げつけられた時のような、逃れ得ぬ苦痛の直前に与えられた一瞬の猶予。

 虚数魔術を自由自在に操る彼女の前に、距離の概念はない。間合いを空ける、間合いを詰める……その権利は全て彼女に委ねられている。

 そして、メイド少女は大抵の相手を触れるだけで機能停止に追い込める。ともに虚数空間に連れ込めば、彼女の補助がない限り、人間は異空間に適応できずに自壊するのだ。

 結論。この時点で、立香は敗北した。

 

 

 

 

 

「───『虹の橋(ビフレスト)』!!」

 

 

 

 

 

 用意した、切り札がなければ。

 

「……あれっ」

 

 メイド少女の五指が虚空を掻く。立香は数歩間合いを空けた場所に立っていた。彼女の足元から燃え盛るような虹の軌跡が地面に刻まれている。

 『虹の橋』。神界アースガルズと人界ミズガルズを繋ぐ通り道。本来行き来が叶わぬ二つの世界を接続する橋を用いて、立香は無理やり逃げ道を作り出した。

 

(ビフレスト……北欧神話の投影宝具? ノアさんじゃなくて立香さんが使うなんてありえるのかしら)

「『shock(64)』!!」

 

 電子の魔弾が顔面に迫る。メイド少女は虚数空間に退避し、難なく魔弾をやり過ごした。

 誰も手出しのできぬ空間。周囲の時間流を操作し、思考の猶予を確保する。

 

「観測と理論が食い違う時、間違っているのは常に理論の方。考えるべきは、立香さんがどうしてアレを使えたのか」

 

 数秒───三次元空間では一瞬にも満たないが───考えを巡らせ、ぽんと手のひらを叩く。

 

「あ、わかった」

 

 北欧神話は所有権の譲渡が頻発する物語だ。

 ドヴェルグは多くの神具を神々に受け渡した。

 フレイは勝利の剣を手放したことでスルトに敗北した。

 オーディンは死したるバルドルに黄金の腕輪を副葬品として贈った。

 バルドルを殺したヤドリギも元はロキが見出し、ヘズに渡したモノだ。

 超常の道具が持ち主を移り変える交代劇。これに伴い、巻き起こる悲喜劇こそが彼らの神話を彩る大きな要素だろう。

 それに則り、ノアは投影宝具の所有権を立香に渡したのだろう。それがビフレストだけとは考えづらい。おそらくはまだ隠している手がある。

 

「……いいなぁ」

 

 そんなに想われてるだなんて、羨ましい。

 ……少しだけいじけそうになる心に鞭を打つ。大丈夫だ。こういう気分の時の対処法は弁えているから。

 ぎゅっと己をかき抱き、心を圧縮する。縮めて圧して潰して、ぺたんこになった不感の心と肉体を、現実に投げ入れた。

 ───馬鹿正直に三対三の戦いに付き合う意味はない。サーヴァントはサーヴァントで押さえ、マスター同士で決着をつける。

 

「バーサーカー、宝具を」

「ええ。どちらにしましょう?」

「せっかくですし、景気良くやりましょう。目には目を、炎には炎を。ジャンヌさんの相手は任せます」

「……はあ。またアレの相手なんて、萎えてきたわ」

 

 黒白の艶女は幽鬼の如く歩み出す。

 総身より淀んだ瘴気が発散する。霧散する瘴気の端が赫々たる燐光を灯し、コップの水に食紅を垂らしたみたいに赤く染まった。

 

「『我が声を聞け、灼熱にして復讐の神々よ(ヘールト・グルート・ラッヘゲッター)』」

 

 復讐の焔。

 死を経てもなお陰ることのなき情炎が広がる。

 バーサーカーは魔剣を握り直して、猛然とジャンヌに躍りかかった。数合の打ち合い。瞬く間に演じられた刃の舞踏が木々を揺らし、野火を吹き消す。

 

「……ハッ」

 

 ジャンヌは油断も慢心もなく、確信した。

 ───バーサーカーの剣技に目を見張るべきところはない。剣の格を加味しても精々が並以上の技量。まともに打ち合えば勝てる。

 唯一警戒すべきは宝具。

 だから、真名解放の隙を与えぬ速攻をかける。

 決断から実行の猶予はなく。その踏み込みは文字通り爆ぜ、音速を遥かに超える速度で接近した。

 速度はそのまま攻撃に転じる。

 振り下ろされた旗の一撃は魔剣の防御を上から叩きのめした。

 即座にジャンヌは左手をかざす。赫灼の光粒が凝縮し、業火を解き放つ───その熱線は虚数の影に呑まれて消える。

 

「はあ!?」

「何やら魔術の援護を受けているみたいだけど、それはこっちだって一緒よ」

 

 バーサーカーは返しの刃を振るう。彼女の五体を影文字が這い、動画の早送りのように斬撃が加速した。

 旗の柄から火花が散る。ジャンヌは受け止めた刃の勢いに逆らわず、背後へ跳んだ。

 獅子劫とバアルの報告にあった、虚数属性を用いた時間流の移動。ジャンヌたちが位置する次元とは異なる時間の流れを自身に展開することで、〝一秒で十秒分動く〟という矛盾を実現する。

 メイド少女は己のみならず、味方にさえもそれを付与してみせた。

 当の本人はといえば、

 

「どうも立香さん! また来ちゃいました!」

「チェンジでお願いします!!」

 

 空間移動を駆使して立香に再接近していた。虚空の穴から体の一部だけを覗かせて追跡する様はシュール系ホラーめいている。

 

「たとえ同性であっても嫌がる相手への接触はセクハラです!!」

 

 が、一度ならず二度までもそれを見逃すマシュではない。メイド少女を打ち据えるように盾を振りかざす─────

 

「『影呑む不敗の神陽(ソル・インウィクトゥス)』!!」

 

 ────その行動を、マシュは直前で翻した。

 全身の神経が逆立つ直感。戦いの中で研ぎ澄まされた感覚が、意思を超越して肉体を操る。

 黒石の戦車による光速突撃。マシュはかろうじて盾を滑り込ませるも、水切り石のように地面を転がった。

 

「ライダーさんはそのままマシュさんの相手を! 私が相手マスターを捕らえます!」

「オーライ! 今日のオレはSっ気強めで行くぜ!!」

 

 そこで、メイド少女はようやく地に足をつける。

 立香は対峙し、令呪が刻まれた右手を握り締めた。

 ───これは正真正銘の切り札。この戦いは如何に敵の切り札を潰し、こちらの手を通すかという戦いだ。両陣営に未来予測者がいる以上、生半可な手は意味をなさない。

 人類最後のマスターの片割れは決心する。我が手にある切り札は温存したまま、眼前の敵に勝利してみせると。

 

「魔術戦は、初めてですよね?」

「お、お手柔らかにお願いします」

「はい! 最悪両手足骨折で済みますよ!」

「……じゃあ、覚悟してください。私は手加減できないんで!!」

 

 『魔女の祖』が歌う。機械音声による詠唱代行。くるりと杖が回った次の瞬間、無数の魔弾が飛び交う。

 メイド少女は虚数空間から二丁の機関銃を取り出す。魔術の後押しを受け、細腕で一切の反動を抑え込み、弾幕を放った。

 

「そんなランボーみたいな───ッ!!」

 

 魔弾をかき消し、直進する銃弾の雨。立香は転がるように横へ飛び退き、

 

「『聖天燦めく勝利の剣(フレイ・ヴェルンド)』!!」

 

 ノアから託された投影宝具を顕現させる。

 刀身にルーンを刻んだ細身の光剣。夏と晴天を司る太陽神フレイが擁する神具。自動的に敵を討つとされるこの剣を失ったことで、フレイはラグナロクにおける自身の敗北を確定させてしまう。

 勝利の剣が飛翔する。輝く刀身は目にも留まらぬ速度で、メイド少女の眉間を貫く。

 が、彼女はまたもや虚数空間に退避した。

 異なる空間、異なる次元に逃避すればフレイの剣は行き場を失う。その考えはしかし、

 

「───え?」

 

 世界の位相を突き破って現れた、剣光の前に崩れ去った。

 見るが早いか、彼女は三次元に引き返す。

 ノアの投影宝具は知識にある。フレイの剣は第六特異点、太陽の騎士ガウェインとの決戦でも使っていた。けれど、次元を渡るほどの性能はなかったはずだ。

 

(いいえ。そうですか。これは投影魔術……イメージが真作に近付けば近付くほど完成度は高くなる!)

 

 現世への帰還を迎え撃つ魔弾。時間流加速を最大限に設定し、立香との射撃戦が幕を開ける。

 投影魔術において、実物を知るか否かは重要だ。模写をする時は必ず対象を見ながら手を動かすように。

 遥か神代、北欧の神々が手にした武装。果たして、その実物を目視した人間は現代にはいないだろう。

 だがしかし、ノアトゥールとはバルドルであり、その逆も然り。バルドルが見た武具の記憶を引き出すことで、投影宝具の精度は段違いに向上した。

 

〝───を除いて、ようやく三割ってところだろうがな〟

 

 不機嫌にそう言った彼の顔を思い出して、立香は苦笑する。本人がどんなに悔しがっていても、その力に助けられているのだから。

 

「わっ、良い表情ですね! 恋する乙女の気配がぷんぷんです! タイタニックの役者さんに匹敵してますよ!!」

「引き合いにしてる例えに悪意を感じるんですけど!?」

「それじゃあ武器人間とかにしておきます?」

「いや恋愛要素は!? 甘酸っぱさを臓物でかき消さないでください!!」

 

 銃弾と魔弾を交わしながら、立香は出力される言葉をフィルターに通さずに垂れ流していた。メイド少女も戦いの最中だというのに、饒舌に問いかける。

 

「でも、あなたのことがとても羨ましくて、ちょっぴり嫉妬しちゃいます。眩しいくらいに普通の可愛い女の子だから」

「だったら弾幕止めてくれません!? それにあなたも可愛い女の子じゃないですか!!」

「……例えば、私が人間の皮を纏った化け物だったとしてもですか?」

「私にトラウマを植え付けたサクラとかいうのに比べたらそんなの誤差です!」

 

 既にメイド少女の身のこなしは、並みのサーヴァントが逆立ちしても追いつけない速度に達している。

 それでも未だ趨勢が決していない理由は理想化の術式が反射神経の限界を超えて体を駆動させ、勝利の剣が標的を追尾し続けていたからだった。

 独りなら、邂逅した時点で負けていた。

 今立てている理由のどれひとつとして、自分のものはないけれど。

 それでいい。これから先の何度だって、独りで戦うことはないのだから。

 

(私は、みんなの力で勝つ!!)

 

 あの速さは捉えられない。だが、能力のカラクリが時間の流れを速くするものである以上、彼女の身体能力は据え置きだ。

 ならば、如何なる膂力であっても逃れられぬ引力でもって拘束する。

 北欧神話の原初の闇。太古の巨人ユミルが産まれる以前より存在した虚ろの淵。

 

「『虚ろなる無明の淵源(ギンヌンガガプ)』───────」

「待ったァァァァァ!!!」

「はい?」

 

 立香の手が止まる。燃え盛る森を潜り抜け、どすどすと迫る丸っこい人影。カルデアの新所長ゴルドルフ・ムジークが戦場に静寂をもたらした。

 メイド少女は目を見開いて、得物を下げる。

 

「どうして、ここに?」

「当たり前であろう! 騙され裏切られもしたが、君はムジーク家の従者だ! こんな戦いなどやめて戻って来い!!」

「優しいですね。でも、」

「でもも何もあるか! 私たちが勝てば君は魔術界の敵として終わることになるのだぞ!? そんな汚名を着せられるはずがないだろう!!」

 

 ───だから、私たちと来い。ヴァージニア・デア。

 その叫びは果たして彼女に届いたか。

 メイド少女は、ヴァージニア・デアは、眼光を冷たく研ぎ澄ました。

 

「断ります。きっと、私の存在はみんなを救うくらいじゃないと許されない」

 

 そうして、彼女の鳩尾が赤く弾けた。

 遠く遠く鳴り響く銃声。

 少女の膝が崩れ落ち、着陸する。

 ぼとぼとと肉片がこぼれ、鮮血が白いエプロンを染めていく。

 

「……返答次第で見逃した。だが、残念だ。新所長」

 

 獅子劫界離。立香たちから800メートルの遠方に彼はいた。

 柔らかな土の上に薬莢が転がる。魔弾を撃ち放った狙撃銃の口は僅かに硝煙を漂わせていた。

 ……手を汚す人間は少ない方がいい。

 この両手は幾人もの犠牲の血に濡れている。執行者たる獅子劫はいつも通り、慣れた手順で、ヴァージニアを穿った。

 彼の銃弾は人体を加工した呪いの弾丸。着弾後、標的の体内で呪詛を炸裂させ、命を奪う。

 その性能に、誤謬はなかった。

 光を失った瞳。ヴァージニアはぱくぱくと口を開閉する。

 

「……て、り」

 

 ヴァージニア・デア。アメリカ大陸で初めて生まれた白人の女の子。ノースカロライナ・ロアノーク島で生まれ育った彼女は、百数十人の入植者とともに忽然と失踪した。

 現場に残されていた手掛かりは『CROATOAN』という言葉のみ。捜索が行われたものの、結局彼女たちは発見されることなく、物語だけが語り継がれることとなる。

 

「…………け、り…………」

 

 なぜ、彼女たちは消えたのか。

 なぜ、彼女たちの痕跡がないのか。

 なぜ、彼女たちは見つからなかったのか。

 

 

 

 

 

 

「てけり・り」

 

 

 

 

 

 

 ───答えは、ここに示される。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。