自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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またまた遅れて申し訳ございません。そして、読んでいただきありがとうございます。イベントではBBちゃん(?)がまたやらかしてて安心しました。


第93話 夢の果て

 この世には知ってはいけないモノが存在する。

 その種類は千差万別。国家の機密情報から家庭の事情まで、大小様々な禁忌がそこらじゅうに転がっている。魔術や神秘もまたそうだと言えるだろう。

 故に人は未知を恐れる。

 分からないから怖い、だけではなく、それが本当は知ってはいけないのだと判明した時にはもうどうしようもないから。

 

 

 

「てけり・り、てけり・り」

 

 

 

 ……だが、これは本当にこの世のモノなのか?

 少女の腹を突き破るナニカ。

 肉体の体積の限界を無視して溢れ出す濁流。

 液体のように見えるそれは決して、彼女が流した血などではない。

 ───冒涜的にして慄然たる狂気の声明が鳴り響く。漆黒と濃緑が混沌と混ざりあった宇宙的色彩を纏いし不定形のゲル状生物が大地を染め上げる。どうして、そるが生物だと言い切れるのか。なぜならそれには目があった。さながら水面に繁茂する藻類の如くに、無数の眼球が群生しているのだ。そして、この不詳の怪物は玉虫色の光を滲ませ、肺の奥底を掴んで引きずり出すような悪臭を放っている。

 ソレを目撃した全ての人間はみな、一様に同じ感情を抱いた。

 恐怖。知らないから怖いという無知と、分からないから怖いという不可知。その両方が渾然一体と形を成し、吐き気とともに絶叫が堰を切る。

 

「────ッッぐっ…………!!!」

 

 立香は、叫びを呑み込んだ。

 分からない。知らない。分かりたくない。知りたくない。靴底がぐにゃぐにゃに歪んだ虚妄の感覚と、心臓が激しく拍を打つ真実の実感が筋肉の震えとして現れていた

 多くの人間は常日頃から考えはしないまでも、自分の目に見えない場所で無数の悲劇が起きていることを知っているだろう。

 今、この街のどこかで誰かが首を吊っている。

 今、この国のどこかで誰かが人を殺している。

 今、この星のどこかで誰かが命を潰している。

 そんなおぞましい存在が、目を伏せたくなるような不幸が、地上には溢れ返っているのだと。

 でも、これは違う。

 安穏とした哀愁を吹き飛ばす現実。その存在すら認めがたい実体。この地上にあり得るはずのない生物───だからこそ、立香は眼を見開き、絶叫をこらえた。

 彼女は幾多の英雄と戦い、あるひとつの真実を掴んでいたから。

 ……怖いものほど、目を凝らして見つめ続けなければ、戦うことなんてできない───!!

 

「『虚ろなる無明の淵源(ギンヌンガガプ)』!!」

 

 立香は誰よりも早く速く動いた。

 空間を引き裂く原初の闇。北欧神話における最古の混沌が、黒き粘性生物を吸い込んでいく。

 投影宝具としてのギンヌンガガプは吸い込んだ対象を宇宙の余剰次元に追放する。その容量は人間からすれば無限に等しいが、投影魔術の時間制限が無限を有限に貶める。

 どこぞのへっぽこが創り出したモノならともかく、そもそもが神具という物体ではなく、原初の裂け目という現象を現すという無理を通している。たとえ容量が無尽蔵でも、制限時間の枷がある以上、無限は無限足り得ない。

 だから。

 立香は唇に犬歯を突き立て、フレイの剣を差し向けた。この生物の流出源たる少女にとどめを刺す。勝利の剣は間断なく、彼女の首を刎ね飛ばす。

 

「────、え」

 

 しかし、異次元をも渡り、標的を必殺する太陽の剣は、少女の肌に一筋の傷すら刻むことはなかった。

 ざぎ、と砂鉄を擦るかのような雑音。古いビデオを再生した時のノイズを思わせる空間の乱れが、ヴァージニア・デアの像を強く歪めている。

 何が起きているのか。なぜ斬撃を躱すことができたのか。そんなことを考えている余裕も、答えに至る知識もない。立香は一切の疑問を置き去りにして、立ち尽くすばかりのゴルドルフに呼びかけた。

 

「いったん逃げてマシュとジャンヌと合流します! 走れますか!?」

「───う、うむ。私は子どもの頃『風の子ゴッちゃん』と呼ばれたほどの」

「冗談言ってる場合じゃないんですけど!!?」

「冗談を言うしかない状況だろう! 無駄口でも叩いていないと発狂しそうなくらいだ!」

 

 四の五の言いつつ、立香とゴルドルフは迫りくる黒の波濤に背を向けて全力疾走する。

 魔術師にとっての勘は時に予感や予測といった意味を飛び越えて、確信をもたらす。不死鳥ゴッフのそれはもはや予言───などと自惚れるつもりはないが、彼は曖昧なれど強烈な勘の声に耳を傾けた。

 アレはこの世にあってはならないモノだ、と。

 果たして、その勘を裏付ける根拠はすぐに舞い降りた。

 

「『立香さん、聞こえますか。現時点で得られた解析結果をお伝えします』」

 

 通信機越しに聞こえるシオンの声は緊張感に満ちていた。しばしば試合の趨勢が選手よりも観客の目が理解するように、観測者たる彼女の戦慄が伝わってくる。

 

「『その生物は虚数属性の力を用いて、異次元に折り畳んだ肉体を三次元上で広げることで、爆発的な膨張を実現しています。例えば、紙が折る度に二倍の厚さになっていくように、三次元空間を折り─────』」

「新所長! 通訳をお願いします!」

「よ、要はアレだ! 折り紙の鶴を開いたら面積が増すだろう!? デアはそれを体積でやっているということだ!!」

「なるほど、わかりません!」

「『勝利の剣が当たらなかった理由も推察が付きます。あのノイズもまた虚数属性の影……三次元空間と虚数空間を混ぜ合わせ、斬撃の一瞬に剣が存在しない方の空間に座標を切り替えたのでしょう』」

 

 ゴルドルフは歯噛みする。ヴァージニア・デアに抱く情、それ以上に敵の能力の解析と考察を優先する魔術師としての己の性に。

 

「ならば、あの剣を虚数空間に待機させ、三次元空間にいる私たちが攻撃すれば良いのではないか?」

「挟み撃ちってことですね。それならジャンヌに焼いてもらいましょう」

「『ええ、それが手っ取り早いと思われます。ただし問題は虚数空間のどの次元に逃げるか分からないこと。そこは私の演算で予測します』」

「分かりました。勝利の剣の操作権限を渡します! エーテライトを!」

 

 投影宝具の移譲に必要なのは二者間の接触と同意に基づく意思だ。エルトナム家が作り上げた疑似神経エーテライトは他者の肉体・魂にまでも接続し、融合することを可能とする。

 その最大全長は5000m。各戦場の余波から逃れるため、待機しているシャドウ・ボーダーの中からであっても、受け渡しの条件は満たせるだろう。

 だが。

 だから。

 

「…………なんだこれ」

 

 問題は、そこではなかった。

 シャドウ・ボーダー司令室、ムニエルは呆然とコンソールの画面を眺めていた。困惑は一瞬、彼はバネを仕込まれた人形みたいに振り向き、戦場へと届くように声を飛ばす。

 

「『───ほ、報告! 島一帯の人理定礎値がAランクからCランクへと低下しています! 下降止まりません!!』」

 

 人理定礎値とはかつての特異点修復における、その特異点がどれほど人類史にとって重要であるかの度合いを示す値である。

 その際は特異点が持つ歪みの強度でもあったが、今や世界は平常に戻っている。現時点でシャドウ・ボーダーが観測している人理定礎値とは『この世界の人理の安定度』だ。

 それが低下しているということはつまり、ハイ・ブラジル島を覆う人理が弱まっているということ。果たして、これがEランクをさらに下回り続けたなら─────

 

「……一体、なんなんだアレは───!?」

 

 ゴルドルフは嗚咽の如き困惑を吐き出さずにはいられなかった。

 もはや思考に及ばず、人理定礎値低下を引き起こしているのはヴァージニア・デアに違いない。彼女の体が豆粒ほどに小さくなったこの距離でも、すぐ後方には漆黒の粘性生物が怒涛の勢いで侵食している。

 人理を否定する。カルデアはそれがどれほどの難業であるかを知っている。あのゲーティアでさえ、人理焼却は2000年をかけた綱渡りの計画の末に成し遂げたのだ。

 極論、レフ・ライノールが何らかの要因によって命を落としていれば、立香たちの戦いはなかった。

 この島のみとはいえ、ゲーティアに近しい現象をもたらす生物。知り得ないことを考える無駄を承知していてもなお、ゴルドルフは未知を、不可知を、探らずにはいられない。

 

「本当にこれが、あの君だというのか」

 

 唇の端から溢れた呟きは、粘ついた波音に呑まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 暫時、時計の針を逆に戻し。

 マシュ・キリエライトは、ただひたすらにうんざりしていた。

 

「オレ思うんだけどよぉ……〝こなれた〟って表現めちゃくちゃエロくね? 熟れたじゃなくて小慣れた、な? なんかそいつが元々持ってた純粋さが徐々に淫靡に堕ちてる感じが果てしなくエロい。言わば淫らさと清らかさのコントラストか? 二つの色が混ざり合って共存できる刹那的な美だよな。もうこのまま堕ちていって二度と戻れないってのを予感させてクッソ性癖に突き刺さる。分かってくれこの気持ち!」

「あなたは猥談をしないと死ぬ病気にでも罹ってるんですか!!?」

「おいおい、仮にそうだとしてもそりゃ義務でする猥談だろ? オレはそんな気後れした付き合い方はしちゃいねえ! 好きだから言ってんだよ!!」

「だとしたらますます救いようがないんですが!!」

 

 ……戦いの最中だというのに、こんな調子が止まらなかったからである。戦っているのか猥談をしているのか分からなくなるくらいには、ヘリオガバルスの饒舌が火を吹いていた。

 戦闘中に無駄口を叩くのはEチームのお家芸だ。呆れ果ててはいても、マシュの動きに淀みをもたらすことはない。仮にヘリオガバルスとマシュが夕焼けの河川敷でステゴロ勝負を演じたら、一匹のドMが川に不法投棄されることになるだろう。

 それでも、マシュは未だヘリオガバルスを倒すことはできていなかった。

 

「『影呑む不敗の神陽(ソル・インウィクトゥス)』!!」

 

 周囲の影を奪い、光の戦車が駆ける。

 それなるは太陽神エル・ガバルの威光。皇帝ヘリオガバルスの手によって一度はユピテルの座を追い落とし、ローマの主神となった神の権能の発露であった。

 その衝突の速度は光に等しい。低空から地上にえぐり込むような軌道を描き、衝撃と熱波が島にクレーターを刻む。

 白熱化した地面に佇む戦車。常人の、否、サーヴァントの目をしてもその軌跡しか見取れぬほどの速度は刹那よりも速く甚大な被害をもたらした。

 

「……いや、流石だな。光速だぜ? そんなホイホイ避けられる代物じゃねえんだけどな。戦士の勘ってやつか?」

 

 ヘリオガバルスの眼差しが射抜く樹間の闇。彼の視覚は無傷で立ち上がるマシュの姿をはっきりと捉える。

 ……一般的に、サーヴァントの全力戦闘は音速を超えた速度で行われる。マシュが叩き出す最高速度もそれに比類ないが、ヘリオガバルスは一時的と言えど光速だ。

 音と光。その速度の差、増して歩兵と騎兵の機動力の差は埋めがたい。本来ならばとうに決着を迎えていたはずの差を持ち堪えていたのは、紛れもなくマシュの実力と意地であった。

 

「世界を救ったEチームのメイン盾をナメてもらっては困りますね。速いだけならいくらでも耐えられます。あなたこそ、宝具を連発して魔力の方は良いのですか」

「あん? その心配はいらねえ。影を魔力に変換してんだよ、オレの宝具は。それに、オレのマスターは神体化したアンナだ。いつまでだってヤれるぜ?」

「それは結構です。いつまでもあなたのセクハラに付き合う気はないので」

「つれねえな。そんなモチベで戦いなんてオレにはできねえなあ!!」

 

 車輪が回転する。戦車の質量をもって押し潰さんとする突貫を、マシュは盾でもって受け流す。

 ヘリオガバルスは騎兵の定石である突撃と離脱を繰り返しながら、とめどなく問いかけた。

 

「なァオイ! お前夢はあるか!? せっかく世界を救って良い仲間もいるんだ、自分の好きなようにやってもバチは当たらねえだろうよ!!」

「そうしたいのは山々ですが、わたしはまだ夢を見定めている途中なので! というか、あなたたちが世界を変えたら何の意味もありません!!」

「そりゃ失敬! だがな、そういうのは早めに決めといたほうがいい! 夢を見定めてる最中は目の前が見えなくなりがちだからな!!」

「視界がピンク色で染まってそうな人に言われたくないんですが!!?」

 

 戦車が駆け抜け、鉄鞭が振るわれる。

 ずきりと肩に鈍痛が走る。鉄鞭が打ち据えた跡が色濃く残る肌を見て、ヘリオガバルスは言った。

 

「ほらな。オレみたいなカワイイだけの皇帝の攻撃が通ってるのがその証拠だ。世界を救って満足したか? 外界の土を踏めて充実したか? 足りねえな。そんなんじゃあ人の心は満たされない。お前の人生は腰が曲がって杖をついて目が見えなくなっても、死ぬ瞬間まで続いていくんだ。現状を肯定してるばかりだと飢えて乾いてくだけだ」

「……いったい、何が言いたいんですか」

 

 意味のない問答だと思った。

 ヘリオガバルスはマシュ・キリエライトという人間を理解している。それが皇帝として数多の人間を観察した経験の賜物か、生来の資質によるものかは定かではないが、ひとつの確信に足る事実がある。

 ───彼の言葉は、心を弄る。知らずのうちに現状に甘んじていた停滞感に鞭を打つように、未だ未来を見据えぬ眼の蒙を啓くように、ヘリオガバルスの声は胸の内を揺らしていた。

 故に、この問いに意味はない。

 そんなものがなくても、ヘリオガバルスはマシュの心を先回りして言葉を吐くのだから。

 

「───もっと強欲になれ! せっかく生きてんだ、イロイロ経験しねえと損だぜ!?」

 

 土塊が弾ける。

 マシュの思考が加速する。ヘリオガバルスが取り得る行動は二つ。このまま突撃してくるか、宝具を用いて速度に緩急を加えてくるか。

 その両方に対応してみせる。マシュは感覚と意識を研ぎ澄ませ、腰を深く落として構えを取った。

 

「おるるああああぁぁぁぁっ!!!」

 

 ……が、その気構えは無為となった。どこぞの怪獣王を思わせる熱線がマシュとヘリオガバルスの間を通り抜ける。

 宙を舞う黒白の剣姫。彼女は表情の色を焦燥に染め、灼けた地面に降り立った。即座に猛追してくるのは、これまた似た色合いの魔女。カリスの理想化の恩恵を最大限に受け、もはや人型の火炎放射器と化した復讐者は悪辣な笑みを満面に広げた。

 

「逃げ足だけは一丁前ね、モノクロ女!! 散々大口叩いてたのに、虚数魔術まで借りて恥ずかしくないのかしら!?」

「鏡を見て言いなさい、白黒魔女。こんなか弱い女ひとり仕留められないで吼えても見苦しいだけよ」

「見苦しいのは焦り散らかしてるアンタの顔面の方でしょうが!! 吐いた唾は飲み込めないことを教えてあげる!!」

「へえ、意外ね。人に物を教えるくらいの知識があるとは思わなかったわ」

 

 耳を塞ぎたくなるような舌戦を繰り広げるモノクローム女たち。マシュはがっくりと肩を落としたくなる心情をこらえて、

 

「ち、ちょうど良いところに! カルデアのMJコンビと謳われたわたしたちの連携力を見せる時です!」

「そんなこと一回も言われたことないんですけど!? まあいいわ、合わせなさいマイケル!!」

「ええ、行くわよジョニー!」

「誰だよ」

 

 ヘリオガバルスが呟いたと同時に、爆炎が巻き起こる。

 炎の海が一瞬にして辺りを覆い尽くす。あらゆる命あるものを否定する邪竜の業火に囲まれるも、ヘリオガバルスは涼しい顔をしていた。

 彼の戦車が戴く黒石は太陽神エル・ガバルの写し身。熱や炎、光といった攻撃はすべてこの黒石の前に意味を失う。少なくとも、太陽と同等の熱量でなくては対抗すできないだろう。

 ただ、その護りは他の一切に対して無為。だからこそ強力ではあるが─────

 

「───だよな」

 

 悪しき炎に照らされる影。マシュ・キリエライトが宙より飛び込み、大盾を振り上げる。

 瞬間、ヘリオガバルスの意識が時間の遅延を生み出す。

 タキサイキア現象。人間が危機に陥った時、度々引き起こされる視覚的時間精度の変動。淫蕩のローマ皇帝はそれを理屈ではなく実感で知っていた。

 

(SMプレイってのはサドとマゾが織りなす総合芸術だ。サドは相手が求める苦痛をさらに上回る快楽を与えてみせ、マゾは相手を神を超える支配者かのように敬い、へつらい、媚びて恐怖するように卑屈に振る舞ってみせる。当然、百戦錬磨のマゾであるオレは何度も死の淵に立ってきたわけだが…………え? 何が言いたいのかって?)

 

 ヘリオガバルスのマゾヒストとしての直感が告げていた。マシュの攻撃を受ければ死ぬ、と。

 倒錯した快楽を味わい続けるうちに日常となった時間感覚の変化を乗りこなし、盾が振り下ろされるより速く、手中の紙に魔力を込める。

 

「ランスロット流、ハイアングルトランスファー!!」

 

 マシュの降下突撃が衝撃波を撒き散らし、地面をカーペットのようにめくれ上がらせる。ヘリオガバルスと戦車の姿は既になく、影文字の残滓が踊るのみだった。

 虚数魔術の空間移動。これまでに自分たちを翻弄してきた魔術の手管にまたもや欺かれたのだと理解して、マシュはほぞを噛んだ。

 影の門からヘリオガバルスと喪服の女が現れる。

 

「え、何いまの? 新技? ここに来て?」

「なるほど、あの子の方が厄介そうね。黒いのは環境破壊しか能がないみたいですし」

「その観察眼、敵ながらあっぱれと言っておきましょう。カルデア最強シールダーの威光に恐れおののくことです!」

「ほざいてなさい! そこのなすびごと消し炭にしてあげますから!」

 

 この戦いの趨勢を決する要素は単純にして明快。マスターが勝つか、サーヴァントが勝つか。どちらかの条件が達成された場合に勝負は決するだろう。

 その点において、メイド少女の支援は最悪と言えた。

 他者の一秒で数秒分動く時間流の付与と、あらゆる攻撃を防ぎ、逃れる虚数空間の展開。これら二つの魔術は攻守に大きなアドバンテージを与える。特段武勇に優れたわけでもないヘリオガバルスとバーサーカーが、理想化の後押しを受けたマシュとジャンヌと互角以上に渡り合っている事実が何よりの証左だ。

 しかし。

 その前提がとうに崩れていることを、彼女らに知る由はなかった。

 

「───なっ」

 

 唇の隙間から吐息が漏れる。

 ジャンヌは極限までまぶたを見開き、それを見据えた。

 森を喰い荒らす怒涛の津波。黒々とした粘液が鉄砲水の如く押し寄せ、怪奇的旋律の哄笑を轟かせる。

 それは魂が促した反射だった。邪なる爆炎が波濤の壁面に炸裂する。名状しがたき断末魔とともに波に穴が穿たれ、しかしてたちまち修復されてしまう。

 ジャンヌとマシュは迫りくる粘液を眺めて言う。

 

「……ふっ。なかなかの再生能力ね。逃げていいわよ、なすびちゃん。アンタじゃ手に負えないでしょ」

「いえいえ、わたしがそんな腰が抜けた真似を晒すわけにはいきません。ジャンヌさんこそ逃げるべきかと。大丈夫です、惨めったらしいとは口が裂けても言いませんので」

「は? 私の親切心が理解できないんですか? 先に逃げる権利をやろうっていう慈悲の心を感じなさい」

「余計なお世話です。わたしはジャンヌさんの大きなお尻を見ながら撤退するので、先に行ってください」

「「………………」」

 

 直後、ジャンヌたちは踵を返して遁走した。なぜかヘリオガバルスとバーサーカーまで。

 

「ちょっ、なんでアンタらまで着いてきてるのよ!? どうせそっちの仕込みでしょうが!!」

「あんなのオレだって知らないっての! そもそもああいうのは専門外だ、ローションの扱いなら手慣れてるんだがな! あ、いや、手だけじゃなくて下半身でも慣れてるけど」

「一言一句が最低です! 確かにあのドロドロは得体が知れませんが、見た目といい鳴き声といい、心当たりはあります。サブカルに詳しいジャンヌさんも分かるのでは!?」

「そうだけど、アレは小説……フランケンシュタインだったりジキルとハイドがいる時点で関係ないわね。創作神話の怪物の、」

 

 口走りかけたその時、バーサーカーの剣が振るわれる。ジャンヌは咄嗟に旗の柄でもって斬撃を受け止め、びきりと額に血管を浮き立たせた。

 

「アンタのへなちょこな剣が当たるとでも!? この期に及んで戦うつもりなら容赦はしないわ!」

「一度しか言わないからよく聞きなさい。アレはこの宇宙の外から送り込まれた異界の眷属。それを地球の生命体の型に当てはめて認識すれば、別宇宙の理が地球上に流入する。つまり、人理なんてものは簡単に崩れ去るのよ」

「ああ、要はアレか。八尺様が怖え幽霊からえっちなお姉さんになったのだって、オレたちに親しみやすく作り変えられたってことだもんな。そういう風に人類の血肉にしちまうとヤバいのか。恐怖ってのは少なからず未知から来るからな。キャラクターとして受け容れられた時点で理解できる存在になったってわけだ」

「…………あなたの喩えに文句はあるけれど、それで良いでしょう」

 

 だから、とバーサーカーは告げる。怜悧な眼差しに複雑な想いを滲ませ、不定形の粘性生物を見据える。

 

「得体の知れないものは、得体の知れないままにしておくべきよ。アレを止めるために手を貸しなさい」

 

 バーサーカーは、決してそれを名のある存在として呼びはしなかった。

 化け物に化け物以外の呼称は要らない。実体があり、生物的な本能があるとしても、それに名を与え呼ぶことなどしない。

 なぜなら、彼女は知っているから。

 

〝サーヴァントを喚ぶなら、あなたが良いと思っていたの〟

〝物好きな子ね。私の物語(じんせい)は知っているのでしょう? 愚かな女の末路を〟

〝全ては愛故に。あなたの生き様が血と復讐に塗れていても、絶対にその根本は変わらなかった。それはきっと、あなたの心が美しいから。そして─────〟

〝……そして?〟

〝───あなたのような恋を、私もしてみたいわ〟

〝私はあんな男に恋なんてしてないわ絶対にしてない完全にしてない爆裂にしてないだって初対面で言葉を失って逃げるくらいの意気地なしだし戦うしか能がないつまらない男だしそれに〟

 

 マスターの本質が、このような怪物ではないことを。

 ────想起する。彼女が語った、ヴァージニア・デアの真実と、ロアノーク島の植民者たちが辿った結末を。

 

 

 

 

 

 子どもの頃の記憶が曖昧なのは、未発達の脳が思い出をうまく記録できず、発達に伴って拡大していく記憶領域から当時の出来事を検索できなくなるからだと言われている。

 けれど、忘れられない記憶というのは往々にして存在する。ある人が胎児期の記憶すら保有しているように、否、そういった説明のつく理論や理屈を飛び越えて、魂に刻まれた記憶があった。

 ───二歳を迎えた日の夜は、月がおぞましいくらいに輝いていた。

 

 

 

「「「「「Ia Ia ph'nglui mglw'nafh ■■-■■■ fhtagn」」」」」

 

 

 

 それは唸るような、吼えるような声だった。瞳を震わせ、歯茎を剥き出しにし、喉を怒らせてがなり立てる狂奔の輪唱。ヒトの声帯では奏でられようもない音色を再現しようとしているのか、そこにはある種の必死さに満ちている。

 黒く染め抜かれたローブを目深に被った十数人の男女。血走ったその目に正気はなく、呼気に至るまでが獰猛な気配を纏っていた。

 

 

 

「「「「「Ia Ia ph'nglui mglw'nafh ■■-■■■ fhtagn」」」」」

 

 

 

 彼らは殺し回った。男も女も子どもも老人も見境なく、見逃すことなく、片っ端から命を奪い去っていった。

 腕を振るうだけで人間が爆ぜ、一瞥するだけで心臓が停止する。ロアノーク島の人々を一切寄せ付けずに始末していく有様はまるで、庭に生えた雑草を刈っていくかのように乱雑だ。

 思い返せば思い返すほどに、その感想は間違っていないのだと知る。

 血と肉と骨さえあればいい。

 その他の一切が不要。

 人は全て材料に過ぎない。

 狂唱とともに繰り広げられる虐殺を、母の震える腕に抱かれながら見つめていた。

 〝クロアトアンに逃げろ〟───誰かがそう言って、腕のひと振りでその声が二度と発されることはなくなった。

 私を護りながら逃げる両親に都合の良い幸運は訪れず、植民地の仲間たちと同じく、風船みたいに弾けて死んだ。

 私はひとり生き残った。

 錆びた短刀で気管支を引っ掻かれて、肺に血が溜まっていく激痛を感じながら、彼らが造り上げた台に吊るされた。

 人骨を組み上げ、肉を敷き詰め、腸がクリスマスの輪飾りみたいに彩られた祭壇。私を捧げた途端に、彼らの声から身振りまで何もかもが、歓喜の色に染まった。

 

 

 

「「「「「Ia Ia ph'nglui mglw'nafh ■■-■■■ fhtagn!!」」」」」

 

 

 

 ───後に聞くところによれば、それは成功するはずのない儀式だったという。

 魔術の研鑽の末、異なる時空に繋がってしまった魔術師たち。それが彼らの正体であり、かつて垣間見た異界の狂神を喚び出そうと、この儀式を計画した。

 ……だが、彼らは発狂していた。別宇宙の存在に触れ、人格は根底から崩壊していた。思考もままならぬ頭で夢想した儀式が、どうして成功しようというのか。

 ただ、幸運や不運は全ての人間に平等に、不平等な運命をもって分け与えられる。

 結論を言えば、この儀式は異界の神を喚ぶという彼らの目的を叶えはしなかったが、代わりにあるひとつの驚異的な成果をもたらした。

 

「────Tekeli-li Tekeli-li」

 

 ぼとり、と虚空からナニカが落ちる。おぞましい鳴き声を発する、粘液質の生命体。大人の下半身くらいの大きさ。それは一瞬、戸惑うみたいにぶるりと震え、爆発的に体積を肥大化させる。

 玉虫色に光る濃緑と漆黒の生き物が火山の火口に蠢く溶岩の如く、辺りに氾濫する。当事者である魔術師たちでさえ、何らかの反応を示すことなく、その体躯に囚われていく。

 濁流は止まらない。暴食の波は死体の一切を吸い込み、ロアノーク島に人がいた痕跡の全てを拭い去った。

 当然、私も例外ではない。

 ヴァージニア・デアは黒い液体に呑まれて、たった二年の生涯に幕を下ろした。

 …………幕を下ろす、べきだった。

 

 

 

「ああああ「いやだ」あああ「死にたくない」あああ「お母さん」あああ「だって、まだ、」ああああああああ「わたしは、何も知らない」ああ「この世にはたくさん素晴らしいことがあるって」ああああああああああ「そんな世界に生んでくれた人たちに」ああああああああ「お父さん」ああああ「わたしはまだ、なにも返していない」ああああああああああ「幸せになりたい」ああああああああ「誰かのためになりたい」あああああ「だから、こんなところで、こんな怪物になんて」ああああああああああああああああああああああああ────負けられない」

 

 

 

 ───その幼子は、異界の生物を喰らい返した。

 化け物の中で暴れる無数の命の自我。この生物の食事とは単にモノを食い、自らの糧とするだけではなく、被捕食者の存在と魂の一片までをも吸い尽くすことだった。食材は化け物の腹の中で、何もかもをゆっくりと溶かされて啜られるのだ。

 少女が発露させた感情はその生物が知らないものだった。ソレには生きようとする意志があり、思考のような機構があり、何よりも奉仕種族たる本能があった。

 だけど、だからこそ、生まれながらの眷属であるソレには分からなかった。人間が自身の幸福を追求する願いの激しさ、その強大さが。

 故に、少女は怪物の意志と思考と本能を自我をもって塗り潰した。サメの胎児が兄弟の卵を食うみたいに、一杯の水に垂らした絵の具が色を染めていくように。

 そうして、彼女は新生した。

 化け物の一切を奪い返し、体をこねて人の形に作り直し、大地を踏み締めた。

 青褪めた月を見上げ、生き残った歓喜の声をあげる。

 

「───てけり・り……!!」

 

 自分が、醜い怪物になったとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───固有結界『黄金の夜明け(Golden Dawn)』内部。

 黎明の空に、一柱の魔神が飛び上がる。

 

「ソロモン七十二柱が第一位、魔神バアルの復活である!! 恐れおののけ、下等生物!!」

 

 魔神バアル。先鋭的デザインの大根フォルムを卒業し、終局特異点にて魔神柱たちが象った真の霊基への回帰を果たしていた。

 カリス・グラダーレの浄化術式は対象を理想の状態へと昇華させる。バアルは失った能力を取り戻すどころか、かつてソロモン王の眷属として在った時代にさえ届いている。

 つまり、その戦力はこの場において第三勢力となり得るほどの──────

 

「───出オチになりたくなければ逃げろ、バアル!!!」

 

 エルメロイⅡ世は生徒たちにも浴びせたことのない声量で怒鳴りつけた。

 真に迫った必死の訴えはしかし、テンションが上限突破したバアルによって鼻で笑われる。

 

「阿呆が!! 貴様の目は曇り倒しているのか!? やはり人類は愚かか! この島を一掃した後、我が計画の復活を」

「いいや、少年の目は冴えているぞ。お前の顔にある節穴よりはよほどな」

「ほざけ! 所詮、ソロモンの後追いでしかない貴様に何ができる!? マクレガー・メイザース!!」

「後追いか。的確な表現だ。しかし理解していない。いったい誰が、ソロモン王が遺した西洋魔術をまとめ上げたのかをな」

 

 メイザースは微笑し、懐から一枚の護符を抜いた。

 

()()()()()()()

「馬鹿め、寝言は寝て─────」

 

 ざざ、とバアルの像が乱れる。

 まるで渦に吸い込まれる木の葉のように、魔神は護符へと引き寄せられていく。サーヴァントすら超越する強大な霊基を誇るはずが、抵抗の余地も与えられない。

 

「ライダー!!」

「応!!」

 

 神威の雷光を纏いし戦車が飛翔する。さながら雷そのものの如く、イスカンダルがバアルの首を刎ねたその時に音が遅れて鳴り響いた。

 だが、バアルは失った不死性をまたしても掴んでいる。ずるりと魔神の頭部が生え変わり、怒気に満ちた咆哮を放つ。

 

「貴様───今のはまさかソロモンの魔術か!!?」

「ソロモン王の『大鍵』と『小鍵』を翻訳したのは私だ。気付きもしなかったのか? 西洋魔術の創始者がソロモン王であるならば、彼の業を受け継ぐ者もいるということに」

「ふ。伊達に魔術師ではないようだな、モイナよ! 我が軍団に欲しいぞ!」

「幸甚の至りだ。……そうだ、大王よ。あなたにひとつ訊きたいことがある」

「私を無視するなァァァッ!!」

 

 バアルはメイザースが扱うソロモンの術式を振り払い、特攻する。凄まじい移動速度。メイザースは咄嗟に反応できない───などということはなく、呑気にたばこの煙を吐いて言った。

 

「ウリエル、やれ。儀式のパーツにようと思っていたが、他に魔神柱がいることを思い出した」

「承知した」

 

 言うが早いか、莫大な光が薄明の空を照らしあげる。

 太陽をそっくりそのまま持ってきたかのような光球の顕現。それを織り成す巨大な炎の塊が、刹那のうちにバアルの全身を蒸発せしめた。

 天使にして聖人、ウリエルの炎は唯一神の権能に等しい。真名解放をせず、しかも乱雑に振るった力であろうとも、その規模と威力はランクA+の対軍・対城宝具に並ぶ。

 ウリエルの炎が照らす大地のもと、メイザースはイスカンダルに問う。

 

「バリーナースという魔術師を知っているか」

「無論だ。ペルシャには魔女が変身した竜が棲む神殿があってな。奴とは竜退治のために共闘した。魔術師は内気な人間が多いが、アレは真逆の……薔薇のように可憐で、太陽のように快活な男であった」

「……そうか。ホラ話と思って聞いていたが、真実だったか。感謝する」

「うむ。───して、貴様の魔術とはそんなものか? 天使を召喚し、ソロモン王の魔術を用いる。しかしそれは、貴様の真髄ではなかろう」

 

 イスカンダルは言った。

 お前の真価を見せてみろ、と。

 Ⅱ世は苦虫を噛み潰したみたいな表情をして、生徒たちに声を飛ばした。

 

「天才たちの戯れに付き合う必要はない! 天使の相手はライダーに任せて、私たちはメイザースを叩く!」

「私以外の間違いじゃないか?」

「いいえ、トドメは師匠のアイアンクローに決めてもらうということで!」

「その前に倒してしまっても構わないんですよね?」

 

 スヴィンはライネスとグレイを突き放す速度でメイザースへの道を走り抜ける。

 獣性魔術による人狼化。超高密度の魔力で編まれた獣の衣を纏い、浄化術式によって昇華したその速度は、超音速の衝撃波を撒き散らす。

 Ⅱ世は視線を右横の下方に向ける。そこには学友の突進に目もくれず、何やら木の枝で地面を弄るフラットの姿があった。

 

「何をしている?」

「いやほら、俺って荒事には向いてないじゃないですか。だから別のところで戦ってみようかなって。ホームズみたいな安楽椅子探偵っぽくてかっこよくないですか!?」

「…………ホームズは割と自分の足で情報を集めるタイプの探偵だがな」

 

 ……視点を戻して。幻獣種に匹敵する速度と筋力をもって、スヴィンの狼爪が振り回される。豪風の如き一撃はメイザースの回避動作よりも速く───ガラスが割れるような音とともに───彼の前髪の先を切り飛ばす。

 

「少年に代わって、魔術の教示といこう」

 

 音よりも速く飛来する連撃の最中、メイザースは緩慢とも言える動きでたばこから煙を吸い、吹きかける。

 たったのそれだけで、スヴィンが纏う魔力の外套が雲散霧消した。

 

「───は……!?」

「元々私は喫煙者ではなかったのだが、口寂しさに始めてな。火を用い、独特の香りを発生させる道具は魔術に欠かせない。とりわけ煙は世界各地で魔除けの効果があるとして親しまれている。儀式で香炉を使うのはそのためだ。その点、たばこは香炉よりも携帯性に優れている。そして見事私は魔除けの煙を使って魔力の衣を吹き消したわけだ。よって、私がたばこを吸うのは魔術的見地からであって、ニコチンに脳をやられたからではない」

「誰も聞いてないのに言ってる時点で説得力がないんですが!!?」

「そうか、これがニコチンの悪影響か」

「ニコチンのせいにしないでくれます!?」

 

 ニコチン中毒者はスヴィンの額を指で弾く。彼の体が宙を舞うと同時、メイザースを挟み込むように水銀の槍衾と死神の鎌が襲い掛かる。

 グレイとライネスの挟撃。物理的に回避の隙間を与えぬ密度の攻撃を前に、メイザースは身動ぎすらしなかった。

 金床に槌を叩きつけたような金属音が響く。

 それぞれの切っ先を塞き止める、六角形の魔力障壁。ライネスは先程のガラスが割れる音はスヴィンの爪がこれを切り裂いたのだと気付き、メイザースは話し出す。

 

「召喚儀式を執り行う際は被召喚者から術者を護る魔法陣が必要だ。喚び出したモノに憑き殺されては元も子もない。私の周囲には常に自動防御機構が展開されているという仕組みだ」

「なるほど、勉強になるな! 問題は私たちの誰もそれを求めていないことだが!!」

「師匠ともども薀蓄がお好きなようで何よりです!」

「そうだな。手加減はここまでにしよう。───イスカンダル王」

 

 メイザースは征服王を見据え、告げた。

 

「黄金の夜明け団の魔術を、御覧に入れよう」

 

 彼の袖の下から、三つの球体が落ちる。真っ白な眼球に歯と翼を生やした、奇妙な外見をしていた。それらは小さな羽をぱたぱたとハチドリみたいに動かして、メイザースの腰の辺りに滞空する。

 その場の誰もが怪訝な目つきになる。エルメロイⅡ世さえも暫時思考を回していたところ、足元で弱々しいうめき声が起こった。

 

「あ、アレは……ゼパルだ。メイザースの術によって、魔神ならぬ天使として存在を改造されている」

 

 地面を這いずる金色の大根。すなわちバアル。流石は不死身の魔神といったところか、その生き汚さはゴキブリ以上だ。

 Ⅱ世は口の端をひくつかせて、平静を取り繕うようにたばこを口に運ぶ。

 

「シェムハムフォラシュ。ソロモン七十二柱の魔神に対応する天使か。ゼパルと照応するのはハカミア……人間に良いように扱われて、誇りはないのか?」

「黙れ!!」

「というか、どうやって生き延びたんですか? ウリエルさんの炎があっさり直撃してたのに」

「そんなことも見抜けぬのか? 霊基の99.99%を身代わりにし、本体である私を逃れさせただけだ」

「それもう身代わりの方が本体なんじゃ!?」

 

 シェムハムフォラシュ。この語句は『明確な名前』を意味する。ある単語にヘブライ語で神を意味する『-el』や『-yah』を付け加え、独自的に天使を創り出す手法である。

 トーマス・ラッドという英国の軍事技術者にしてオカルティストは、ソロモン七十二柱の悪魔を縛る力を持つ七十二の天使の命名法としてこの手法を用いた。

 そして、マクレガー・メイザースもまた、シェムハムフォラシュを黄金の夜明け団の魔術に取り入れ、実際に団員へ向けた文章を執筆している。

 それだけであったなら、Ⅱ世の胸中に驚きはなかった。メイザースの手腕ならばソロモンの魔神をシェムハムフォラシュの天使に作り変えることなど、そう難しくはないと知っていたから。

 問題は、ウリエルを含めた四大天使に三体の天使が追加されたこと。

 Ⅱ世の推理がメイザースの思惑に辿り着いたその時、黄金の伯爵は既に術式を起動させていた。

 

「───宝具を使え、征服王。そうしなければ、貴殿とて死は免れない」

 

 操り人形の糸を繰るように、五指が動作する。

 ウリエルら七体の天使は、それぞれ口元に円錐形の楽器をかざした。

 

幻想綺譚(Mystical Phantasm)七つの災い、七つの喇叭(Seven Apocalipses and The Seven Trumpets)』」

 

 天使の一体が、ラッパを吹く。

 心の臓をまさぐり、骨盤の奥底を揺らす旋律が響き渡る。

 ───ヨハネの黙示録第8章第7節より。

 

 〝第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった〟

 

 黙示録が、ここに顕現する。

 空が渦巻き、血混じりの雹と火を降らせ、大地を焼き尽くす。イスカンダルは即座に戦車を走らせ、エルメロイ教室の面々を回収した。

 

「ふ、ははははっ!! 固有結界の中とはいえ、ここまでの術を行使してみせるか! まったくもって素晴らしい!!」

「感心している場合か!? 早く宝具を使って対抗しろ!」

「逸るなウェイバー! こんな天候で軍勢を出せば一掃は免れん! モイナめ、余に宝具を使えと言いながら、なかなか考えておるわ!!」

「だから! 感心している!! 場合か!!!」

 

 災いは終わらない。

 ヨハネの黙示録第8章第8、9節。

 

〝第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった〟

 

 大地が波打つほどの地震が生じる。地面を薄く覆っていた水が血のように赤く染まり、次々と断崖絶壁と見紛うほどの亀裂が刻まれていく。

 ヨハネの黙示録の再現。この現実を物語の枠組みに当てはめ、世界を操作する魔術。メイザースの師であるアンナ・キングスフォードが辿り着いた業の極致であった。

 現実を物語に当てはめる。荒唐無稽にも思われるかもしれないが、人間であれば誰もが見聞きし、実際にしている行為だ。身近な出来事を他の何かに例えたり、ドラマや映画も現実からフィクションを切り出している。

 黄金の夜明け団の儀式魔術は、まさしくその行為を突き詰めたものだった。

 儀式の参加者にはひとりひとり役柄が与えられ、決められた手順の通りに、モチーフとなった物語を再現する。それはさながら演劇のようであったと言う。

 そのためか、黄金の夜明け団には演劇関係者が複数在籍していた。

 当時の代表的舞台女優であったフローレンス・ファー。

 莫大な資産をもって数々の劇場を運営・支援し、英国から受勲したアニー・ホーニマン。

 ノーベル文学賞を受賞し、二十世紀で最も偉大な詩人のひとりと謳われたウィリアム・バトラー・イェイツ。

 これらの才能により、メイザースが考案した黄金の夜明け団の儀式は完成を迎えた。天才アンナ・キングスフォード独自の魔術を、他者にも扱えるように改善せしめたのだ。

 だが、それには弱点がある。

 

「これがヨハネの黙示録に沿っている以上、先の展開は読める!! 三度目のラッパが起こす災いは何だ!? 言ってみろスヴィン!!」

「はい! 空から隕石が落ちてきます! アルマゲドンです!!」

「あ、じゃあエアロスミスの曲でも流します? 俺ラジカセ持ってきたんですよ」

「誰が喋れと言ったフラット!? どこのラッパーだ!!」

「黙示録のラッパだけに、ですね!」

 

 直後、エルメロイⅡ世渾身のモンゴリアンチョップがフラットの両鎖骨を粉砕した。

 ライネスはそれを見て嘆息しつつ、イスカンダルに言う。

 

「王よ。三度目の災いに比べれば、四度目の災いは昼と夜が暗くなるだけの比較的穏当なものです。宝具の展開は次の隕石を凌いだ後がよろしいかと」

「進言、聞き届けた。成程、星を落としてみせるとは確かに恐ろしいのう。我が軍勢とて経験のない試練よ」

「ええ、ですので、」

「────故に!! 今こそ使う時と見た!!」

 

 は、とライネスは大口を開けて呆然とした。

 Ⅱ世は理解している。征服王イスカンダルとはそういう男だ。神算鬼謀の戦術と神話の英雄が如き武勇を併せ持ちながら、どこまでも純粋に、いっそ子どもらしく、この世の果てまでをも制覇しようとした夢想家。

 そうでなくては、東方遠征という事業は成し遂げられなかっただろう。敵と出会い、その全てを屠る。その繰り返し。行けども行けども戦いが待ち受け、いつ終わるとも知れぬ旅路に同行する。引き伸ばしがあからさまな少年漫画や海外ドラマを追っている時みたいに、兵士の心持ちは退廃に塗れていたことだろう。

 率いる者が、イスカンダルでなければ。

 その結末がどうであれ、彼に与えられた天稟のひとつは他者に夢を見せることだった。自分たちは未開の地を拓く勇者なのだという物語を、兵士たちに信じ込ませた。

 大衆の熱狂を掴み、自らもその波に乗る。ヒトに果てなき理想を抱かせる振る舞い、己が勇者であると思い上がらせる生き様こそが、征服王イスカンダルのカリスマだ。

 エルメロイⅡ世───ウェイバー・ベルベットもまた、彼に夢を与えられた人間だった。だから、

 

「貴方の決定に、異存はない」

 

 ただ、王の背を押す以外の考えはなかった。メイザースは紫煙をくゆらせて、小さく笑う。

 

「───ウリエル。笑みがこぼれているぞ」

「からかってくれるな。今の私は人間の部分が強い。心が踊るのもやむなしだ」

 

 ウリエルは確信していた。

 あの男は必ず、黙示録の災いを突破してみせると。

 ……ヨハネの黙示録第8章第10、11節。

 

 〝第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ〟

 

 ニガヨモギの星が、墜落する。

 それは人の力など及ぶべくもない破滅の具現だ。天の国の御使いによってもたらされる黙示録の災いであった。

 だが、人類が災いを粛々と受け容れるような潔い生命体であったなら、とっくのとうに滅んでいただろう。

 イスカンダルは燃え盛る流星を見上げ、Ⅱ世へと短く問いかけた。

 

「あの時、貴様が余に語った夢は捨てておらぬな」

「……当然だ」

「ならば良し! しかと見ていよ、我が王道の集大成を!!」

 

 絢爛なる夢を追い求めた絆の覇道が、目を醒ます。

 

 

 

「───『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』!!」

 

 

 

 メイザースの固有結界を侵食する、茫漠なる砂漠。

 乾き切った砂の大地に無数の光が生まれる。それはサーヴァントの召喚反応。かつての戦友たちが英霊の座から駆けつけた証であった。

 イスカンダルは振り向くことすらしなかった。戦車に所狭しと積み込まれたエルメロイⅡ世たちを丸太のような両腕で抱え上げ、ひょいと投げ捨てる。

 

「モイナの相手は任せた! あやつの童の如き理想に、手痛い一撃をくれてやるが良い!」

「……ここから落とすやつがあるか!!」

 

 空中からの落下。水銀の礼装がトランポリンのような薄膜となり、彼らを受け止めた。

 一条の雷光は流星に迫る。

 人知を超えた大英雄なれど、人の身ではあまりに無謀な特攻。しかし王の威光を示すが如く、地上の軍勢が星空のような燐光を迸らせた。

 王の軍勢の英霊全騎による真名解放。

 新たな星が生まれたかのような極光は一点へと集中する。

 ファロス島の大灯台。その頂点に設置された鏡は太陽光を反射することで、敵船を炎上せしめたという伝説を有する。膨大という言葉も手緩い魔力の灯火は、大灯台の鏡を持つ英雄ただひとりに集約された。

 すなわち、それは───────

 

「『月は知らず、久遠の光(ファロス・ティス・アレクサンドリアス)』────!!」

 

 ────王の軍勢が放つ、正真正銘全身全霊の一撃!!

 ニガヨモギの星と久遠の光の衝突は一瞬、天地を揺るがす質量の流星は跡形もなく滅却された。

 数え切れないほどの星屑が焼け落ちていく。華々しき光粒の空を一騎、神威の戦車が突破し、ついに四大天使を間合いに捉える。

 権力者の都合で堕天の誹りを受け、無辜の人々に聖人として保護されたウリエル以外の天使は、およそ人間性を持たない。そうでなくとも、元々召喚の叶わぬ存在。ミカエル、ガブリエル、ラファエルの三体はその力だけを投影した写し身だ。

 つまり、狙うべきは唯一人間と同じように考え、感じることのできるウリエル。彼を失えば、天使はただメイザースからの命令を待つ木偶に成り果てるだろう。

 雷霆と紅炎が交錯する。

 イスカンダルとウリエルは互いに互いの相貌を睨み、猛々しく吼えた。

 

「二度目の邂逅である! またしても敗北の苦渋を味わう覚悟はできておるか!?」

「敗北を経験するというなら、三度目の間違いだ。ヤコブのやつに裸絞めをくらったのが最初の負けだった故な!」

「ほう、パンクラチオンか! 総大将同士裸で一騎討ちと洒落込んでもよいぞ!」

「否だ、征服王よ。この戦いを決めるのは我ら過去の亡霊に非ず。今を生きる人類───マスターたちこそが相応しい」

 

 その会話を聞き届け、メイザースは小さく息を吐く。

 

「……だそうだ。しかしヤコブと天使のような取っ組み合いとなると、天性のプロレスラーである少年には分が悪そうだ」

「流石はメイザース。分かっているじゃないか。愚兄のプロレス技は戦後なら一世を風靡していた完成度だからな」

「教室の生徒の間では『神秘解体マスク・アントニオエルメロイ』という異名が生まれるほどですからね。俺が名付けたんですけど」

「魔力があれば何でもできる、ということか。……ん? 確か少年の魔力量はポリバケツ程度の容量だったはずだが」

「そこになおれメイザース!! その減らず口を閉ざしてやる!!」

 

 肩を怒らせるエルメロイⅡ世。名ばかりとはいえロードの威厳はどこへやら、メイザースが知り、グレイらは知らぬかつての振る舞いを取り戻しかけていた。

 メイザースは吸い殻を投げ捨てる。それは地面に落ちる前に分解され、風に巻かれて消える。

 

「いや悪かった。実のところ、魔術回路の量自体は私と少年でそう変わらない。はっきり言って質は天地の差だが。あとアレだな、私には熟達した魔力運用が……」

「出ましたね、伝説の論文。自他ともに認める先生の信者の僕でも擁護しきれない黒歴史が」

「若気の至りをどうこう言うつもりはありません。師匠の強みは魔術回路ではないのですから」

「その通りだ、グレイくん。魔術回路はただの道具だ。利便性は決して否定しないが、魔術師の能力を決定付けるのは技量だよ」

 

 魔術師ができる限り優秀な伴侶を見つけ、次代に望みを繋いでいく目的のひとつは魔術回路だ。その質と量を少しずつ向上させ、いつの日か根源に至る才能を生み出す。

 メイザースはそんな魔術師の営みを、取るに足らぬと切って捨てた。

 けれど、それは当然のことだ。

 

〝───時計塔の魔術師は物質主義に囚われていやがります。魔術の基礎基本とは血統だの回路だのに依らぬ、人間個人の精神と霊魂の活動ですわ。正しいやり方を身につければ、誰もがあたくし程度にはなれますのよ?〟

 

 たった一代で神域に到達した師。アンナ・キングスフォードという存在を見ていれば、魔術回路なんてものを自身の不出来の言い訳には使えない。

 故に、メイザースは魔術回路がなくとも、魔術を行使できる魔術基盤を創った。

 

「諸君に、()()()の見本を教えてやろう」

 

 アレイスター・クロウリーの弟子、イスラエル・リガルディーという男はこう語った。〝黄金の夜明け団は、マクレガー・メイザースのことだった〟と。

 その言に間違いはない。黄金の夜明け団の儀式や教義体系はすべてメイザースが考案し、体系化したものであり、それが後の世に続く西洋魔術の代名詞ともなったのだから。

 ソロモン王の時代より千年以上を経て、エレナ・ブラヴァツキーは世界各地の神秘に共通項を見出し、魔術の洋の東西を切り分ける境界を無くした。彼女の偉業が世界の魔術をひとつに融合させたものだとすれば、メイザースの偉業とは西洋魔術を完成させたことにあるだろう。

 それ故、彼の魔術は世界に刻まれた。

 魔術基盤『一たる全、始まりにして終わり(アルファ・エト・オメガ)』。

 カバラを中心にあらゆる西洋の神秘を取り込み、体系化したこの基盤が目指すところはひとつ。

 生命の樹のセフィラを魂の位階に見立て、人の身にして神の領域に到達することである。

 下から『王国(マルクト)』、『基礎(イェソド)』、『栄光(ホド)』、『勝利(ネツァク)』、『(ティファレト)』、『峻厳(ゲブラー)』、『慈悲(ケセド)』、『理解(ビナー)』、『知恵(コクマー)』、『王冠(ケテル)』。この中で最上位三セフィラの位階に到達した者はいない。

 黄金の夜明け団の団員の位階はこれに応じて設定されていた。魔術を極めるほど、魂の位階は上がっていく───つまり、メイザースが考案した手法は人類の進歩を促すものであった。

 

「…………貴様、その姿は」

 

 バアルはⅡ世の懐から、慄然たる声音を発する。

 無理のないことだった。ヒトを超越し、一度はヒトを滅ぼした自分が、たかがひとりの魔術師に───霊魂の高みから───見下されていたのだから。

 メイザースの頭頂に輝くのは蒼き光輪。六枚の翼が背より伸び、この世ならざる植物を編んだ杖を右手に握る。その風貌は天使のそれと言う他ない。

 彼は魂の位階を最下位のセフィラ・マルクトから上位第四セフィラ・ケセドへと上昇させた。まさしく、生命の樹を登ることで。

 霊魂の昇華が、彼の存在を変革させたのだ。

 

 

 

「───死力を尽くせ。私に触れるつもりがあるのなら」

 

 

 

 『生命の樹(セフィロト)』第四位階次元共鳴覚醒『慈悲の青(ザドキエル)』。

 黄金の魔術師は、ついに己が魔術のベールを脱ぎ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァージニア・デアだった少女は当て所なく彷徨った。

 野の草を食み、泥水を啜り、腹の奥底から突き上げる補食欲を紛らわせる。そんな生活を、おそらくは二十年足らず続けていた。ただ、全部が全部、そんな暮らしをしていたわけではなく。

 先住民族たちに引き取られ、下女として働いたこともあった。人狩りに遭い、売り飛ばされたこともあった。

 その度に人と関わり、そして化け物の本性が抑えられなくなる。出産の介助をした時は赤子と胎盤がとても美味しそうに見えて、自分を買った人に寝室に呼び出された時は黒い粘液が体の一部を食いちぎってしまった。そんな限界が訪れて、人を傷つけてしまうから、次第に人のいない森の中、洞窟に住むようになった。

 ……けれど、神様はまだ見捨てていなかったらしい。

 

「ヴァージニア・デア。君を迎えに来た」

 

 そう言ったのは、薔薇の意匠でふんだんに着飾った男だった。

 草木も眠る夜。彼は左手に小さな地球儀を持っていた。それはゆっくりと回転しており、薄い靄が表面から少し上を流動している。

 世界の完全な縮小模型。過去のあらゆる事象を収め、現在のあらゆる出来事を観測し、未来のあらゆる可能性を推定する礼装。彼はそれを用いて、デアの存在を知り、居所を探り当てたのだ。

 

「…………だめ、です。私はかならず、あなたを傷つけてしまいます」

「うむ、ならば試してみよう」

 

 ぱちん、と指が弾かれる。

 呼応するように少女の中の化け物が、男に牙を剥く。あまりにも速すぎて、抑えられなかった───それを後悔する間もなく、男は喰われてしまう。

 

「───!? …………!!?」

 

 ガラスの壁に水を掛けたみたいに、化け物は男の目の前で停止していた。

 彼はそれを見つめ、淡々と口をこぼす。

 

「これが異界の神の眷属か。名前をつけると───世界が滅びそうだ。やめておこう。ある意味蜘蛛より質が悪い。後は……そうだな」

 

 指を伸ばし、粘液質の肉体から一欠片を摘み出す。

 

「味もみておこう」

 

 あろうことか、彼は欠片を口に放り込んだ。

 ───この人は何をしている?

 少女の思考はまっさらに漂白され、まぶたと口を限界まで開いて、その奇行を眺めていた。

 眉をひそめながら、もにゅもにゅと頬を動かす。

 

「これは……餅に油の被膜を張ったような食感だな。噛めども噛んだ気がしない。味は宇宙的としか言いようがない。鼻を抜ける臭いも未知のものだ。惜しいな、私にダンテくんの百分の一でも語彙力があれば、的確な食レポができたというのに」

 

 ごくん、と喉を鳴らして、化け物の欠片が胃に滑り落ちる。男はにっこりと笑顔になって、少女と視線を合わせた。

 

「……というわけだ。簡単に死ぬほど私はヤワではない。これでも人に教えることは得意でな、君にこの世界の歩き方を伝えよう」

「あなたの言う世界は人間の世界でしょう。ヒトでない私に、それを教える意味が分かりません」

「君は自分が人間ではないと思っているのか。悲しいことだ。……が、あえて言おう。そんなことはどうでもいい。個が自らをどう捉えていようが、他者には知ったことではない。ヒトとは社会性の動物だ。自他の認識のあわいに生きている時点で、君には人間性がある」

「……言っている意味が、よく」

 

 首を傾げる少女に、彼は微笑んだ。

 

「アイデンティティを確立する器量と勇気。それが君には必要だ」

 

 ───私は、クリスチャン・ローゼンクロイツ。科学をもって、人の世を救済に至らしめる只人である。

 確信とともに差し伸べられたその手を、少女は握った。

 そこから、新たな生活が始まった。魔術の手ほどきを受けながら、世界を放浪する旅路。その道のりはいつも、人との出会いと戦いに彩られていた。

 地球のテクスチャを塗り替えようとする魔術師の討伐。

 アメリカ独立戦争を一掃せしめんとする死徒の集団の排除。

 多数の危機を未然に対処し、歴史の闇に葬る。この人類史を護るために。

 ローゼンクロイツが所有する世界の完全な縮小模型。それはこの地球の運動エネルギーの流れをシミュレートすることで、過去と現在のあらゆる現象を把握することができる。

 その延長として、未来の運動のパターンを演算し、未来予測をも可能としていた。とりわけ、人理に影響を及ぼし得る事象に対してはほぼ100%の精度を発揮するように造られていた。

 

「この世界には無数の滅びの芽がある。何かひとつのボタンの掛け違いで、世界線の剪定が決定してしまうこともある。そういった要素は摘んでいかねばな」

「それが、お父様がシモン・マグスさんと交わした約定……なのでしたね」

「うむ。要は我らなりの人理保障だ。これから向かう先ですることは、少し違うが」

「次はフランスのパリでしたか。縮小模型には特に反応がなかったと思いますけれど……」

 

 ローゼンクロイツは答える。

 

「ああ、これは私とシモンの問題だ。ここでロアくんが死んでしまうのはとても困る」

「あの会うたびに見た目が変わっている人ですか。いつも知らない内に真祖のお姫様に殺されていますけど、彼が死ぬとは思えませんよ?」

「ふふふ、それはかの姫君が大雑把で脳筋だからだ。ロアくんを完全に殺す手段はそう少なくない」

「……パリにはロアさんを完全に殺せる人がいる、と?」

 

 ローゼンクロイツは首肯する。

 十九世紀、フランス・パリ。昨今の花の都は、とあるイタリア貴族の話題で持ちきりになっていた。

 突如社交界に舞い降りた貴公子、モンテ・クリスト伯。彼は見目麗しい姫を連

れ、有り余る資産をもって社交界を自らの独壇場としていた。高貴な振る舞いと贅沢ぶりは、どこぞの王族の落胤なのではないかと囁かれるほどだ。

 ただし、彼の裏の顔を……真の目的を知る者は少ない。

 

「モンテ・クリスト伯は復讐者だ。長き雌伏の時を経て、彼は恩讐の炎と化して花の都に降り立った」

 

 ローゼンクロイツと少女は、モンテ・クリスト伯の復讐心を知る数少ない人間だった。世界の完全な縮小模型と、ローゼンクロイツ自身の魔眼によって。

 モンテ・クリスト伯が船乗りのエドモン・ダンテスであった頃、彼を陥れた三人の悪人……ダングラール、フェルナン、ヴィルフォール。彼らは今やパリの重鎮となり、浅ましい幸福を享受している。

 伯爵は奴らに鉄槌を下すべく、パリを訪れたというわけだ。

 ただし、ローゼンクロイツと少女にはあまり関係のないことだ。要は、ロアが伯爵に殺されることを防げば良いのだから。

 

「……それで、なぜ彼の恨みを買ったのだね?」

 

 パリの教会。丸眼鏡のうさんくさい司祭に向けて、ローゼンクロイツは鎌首をもたげた。

 当代のロアは聖堂教会の代行者だった。名前はタランテラ。巡り巡って元鞘に収まったとも言えよう。

 

「ファリアという神父が少し邪魔でな。監獄送りにしてやったら、奴はエドモン・ダンテスに甲斐甲斐しく施しをしてやっていたようだ。伯爵からすれば、私は恩人を陥れた大罪人であるということだ」

「…………やっぱり、助けるのは辞めた方がいいんじゃ?」

「うむ。私もそう思いかけた。しかしシモンとの契約なのでな、仕事はしよう。そうだ、暇潰しに共同研究はどうだ? 今回のテーマは決まっているのだろう」

「はっ。教師らしいなローゼンクロイツ。良いとも、お前の知識を精々利用してやるさ」

 

 タランテラとモンテ・クリスト伯の激突は、そう遠くはなかった。

 月夜の都に、電光と蒼炎が駆け巡る。

 

 

 

「───ミハイル・ロア・バルダムヨォン!! 我が第二の父を陥れたその罪、貴様の低俗な魂で贖ってみせろ!!!」

「健気だねぇ、エドモン・ダンテス!! 復讐という罪を犯す自分自身に目を背けて、他人を上から切って捨てる気分はどうだ!?」

「他者を食い物にすることしかできぬ貴様に、何が理解できる!!」

「解るとも! 気持ち良いよなァ、大義名分の名のもとにクズどもを潰すのは!!」

 

 

 

 タランテラは雷霆魔術と代行者の技を駆使し、伯爵を追い詰めていた。モンテ・クリスト島の秘宝で武装していたとしても、両者の間には積み重ねた戦闘経験に天地の差があるのだ。

 しかし、エドモン・ダンテスをモンテ・クリスト伯に仕立て上げたファリア神父は教えていた。自身の持つ全ての知識、貴人としての振る舞い、代行者の戦い方を。

 その薫陶が、伯爵に勝利をもたらした。

 代行者の戦法の隙を突き、タランテラに魂を焼く炎を叩き込む───寸前、ローゼンクロイツの固有結界が展開され、時を止めた。後はもう、少女の虚数魔術を使って逃げるだけ。

 ローゼンクロイツは結界を解除し、炎を宿した拳を素手で受け止める。

 

「クリスチャン・ローゼンクロイツだ。ロアくんを完全に殺すのは貴殿ではない。復讐を阻んだ私も対象になるか。いつかまた会おう」

 

 そうして、数日後にロアは殺された。モンテ・クリスト伯の手ではなく、真祖の姫君によって。これからロアに会うことはなくなった。

 産業革命の時代、人類の進歩はさらに加速した。緩やかに衰退していく魔術が燦然と輝く、最後の時代。ローゼンクロイツと少女は薔薇十字団の流れを汲む、新時代の魔術師たちに接触を行った。

 

「同士を集める。カリオストロくんとサンジェルマンくんは惜しかった。我らの目的に共感してくれる魔術師が必要だ」

「お父様のことですから、目当てはついているのでしょう?」

「ああ。まずはエレナ・ブラヴァツキー夫人とアンナ・キングスフォード女史だ」

 

 厳密に言えば、ブラヴァツキー夫人は薔薇十字の継承者ではなかったが、彼女の能力はこの時代でも一、二を争うほどだった。ローゼンクロイツが目を掛けるのも当たり前だろう。

 

 

 

「あなたの理想はとってもマハトマだと思うわ。でもね、私は真理の探求者。誰も理解できない境地に行きたいの。だから、みんなを根源に連れていくあなたたちの理想とはある意味真逆よ」

 

 

 

 彼女は孤高の魔術師だった。かつての協力者と袂を分かち、信義の対立するアンナを神智学協会から追放し、ひたすらに極致を求めていた。

 晩年のエレナは魔術協会の凶手に殺害された。最期まで彼女が独りであったのか、ローゼンクロイツは黙して少女に語らなかった。

 

 

 

「───ええ。分かりましたわ。一切合切何もかもを変えなくてはいけないというのなら、あたくしはそういたしましょう。娘と、その子孫が生きる世界のために」

 

 

 

 アンナ・キングスフォードもまた、大切な人たちを失っていた。夫を亡くし、二人目の子が流れ、彼女の最大の支援者であるメイトランドの前から姿を消していた。

 アンナは誰もが女神と称える美貌と知識と魔術の才があったが、孤高でいられるほど強くはなかったのだ。

 

 

 

「そうか、あなたが秘密の首領、クリスチャン・ローゼンクロイツ。無論、私は手を貸そう。あなたの理想は私の夢でもある。是非、人類に黄金の夜明けを見せてみようではないか」

 

 

 

 マクレガー・メイザースは驚くほどあっさりと、ローゼンクロイツの手を取った。子どものような無邪気な輝きを瞳に宿して。自らの理想のために、組織や伴侶に死を偽装する手間も躊躇わなかった。

 

「そう、じゃあアナタの葬式の準備はしておくわ。土葬はイマイチインパクト薄いから火葬にしておくわね。もちろん本人参加で」

「待てモイナ。落ち着いて話し合おう。独断で決めたのは非常に申し訳ないと思っている。だから『黒猫』をチラつかせるのはやめてくれ」

 

 …………まあ、モイナ・メイザースには全てバレていたようだが。

 

 

 

「くだらん。まったくもってくだらんな。貴様の理想は良い。だが、それは人類の総意に基づいて成し遂げられるべきものだ。未だ低次元な霊魂の人類を根源に連行したとして、何が変わるというのだ。まず行うべきは全人類の神化だ……ん? アヘンをキメながら話すのはやめた方がいい? 見縊るなよ! 私ほどになれば会話と霊視を並行して行うことは造作もない!!!」

 

 

 

 近代魔術史最大最悪のアホで奇人でロクデナシのクズこと、アレイスター・クロウリーはぷかぷかとアヘンの煙を撒き散らしながら、突然キレ出した。

 彼は散大した瞳孔でローゼンクロイツを睨みつけ、

 

「───そもそも貴様、『深淵(アビス)』を超え、『王冠(ケテル)』の位階に辿り着いておきながら、なぜ現世に留まっている?」

 

 少女にその言動を理解するのは難しかった。『生命の樹』の第一位階『王冠』は時計塔の魔術師にとって、根源の領域を意味する。

 アレイスターの言が正しければ、ローゼンクロイツは根源に到達できるのに、わざわざこの世界に留まっていることになるのだ。

 ヤク中のアホはガチガチと歯を噛み鳴らし、目を血走らせた悪魔の如き形相で詰め寄る。

 

「もしや貴様アレか。私を見下しに来たのか? 舐めるなよローゼンクロイツゥゥ……!! 我こそは大いなる獣666!! 黙示録の獣、マスター・セリオンにして魔術師エリファス・レヴィの生まれ変わり!! いずれ『深淵』の悪魔コロンゾンすらも手懐ける者である!! 設定の詰め込みすぎ? ほざけこれは霊視の結果であって不知なる愚者には及びもつかぬ絶対的運命的真実の」

 

 ローゼンクロイツと少女は帰った。狂人に付き合う暇などないのだ。

 その帰路で、薔薇の魔術師はメイド少女に語った。

 

「いつか言おうと思っていたが、私ひとりだけならば、いつでも根源には到達できる。だがな、それでは私のやりたいことは成し遂げられない。何故かは分かるだろう? 愛娘よ」

 

 少女はこくりと頷く。

 

「お父様は、現世のみんなを救いたい」

「うむ。なまじ魔法使いのような存在になってしまうと、質量の大きさ故に自由に動けなくなってしまう。それは本意ではない」

「皮肉ですね。強く高くなりすぎると、かえって縛られてしまうだなんて」

「……まったくだ。人が人の身のまま辿り着ける限界にあっても、私は未だ何も変えられていないのだから」

 

 疲れたみたいに、照れ隠しをするように、ローゼンクロイツは微笑んだ。

 それで、少女は思った。

 この人もまた不自由な人間なのだと。自分が高みに昇る可能性を、見ず知らずのみんなのために捨てて、限られた力で努力する、小さな人間。

 ───それなら、私は、人間にはできない化け物の力を振るって、この人を支えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藤丸立香は、漆黒の波濤を正面から睨めつける。

 シオンに投影宝具の操作権限を移譲し、マシュとジャンヌとも合流できた。後は本体のもとまで突き進み、この濁流を止めるだけだ。

 ただし、イレギュラーというのはいつも起こり得るもので。

 

「性癖って先鋭化していくよな。昨今はどんどん胸と尻を盛っていく方向に潮流が動いてるだろ。オレは震えたね。だって個人の性癖がどんどん突き進んでいくのは分かるが、集団の性癖が一方向に進化してるんだぜ? 十年後とかどんな性癖が流行ってるか知れねえよ。このまま性癖の定向進化が続いたら、いつの日か尖りきって性癖特異点が生まれちまうんじゃねえか……!?」

「この変態は一体────!?」

 

 独自の理論を展開し、勝手に恐怖する変態がいた。立香はガンドを連射したくなる気持ちを必死に押さえつけた。正直、我慢する理由はどこにも見当たらなかったが。

 立香はヘリオガバルスと自分の間にマシュとジャンヌが来るように移動した。

 

「それで、なんでこんなことになってるんだっけ」

「呉越同舟理論です、先輩。確かにヘリオガバルスさんは変態ですが、性能的には割と真っ当なライダーなので役に立つと思います。なんだかそこもムカつきますね」

 

 マシュはめらめらと憤りを燃やしていた。が、こんなことにいちいちツッコんでいられる状況ではない。立香は颯爽とジャンヌに振り向く。

 

「……ジャンヌは大丈夫?」

「もちろん。私はそこのなすびと違ってクールでクレバーなサーヴァントですから。敵と手を組むのも異存はないわ」

「自己分析もそこまで見当違いになると、滑稽を超えて悲しくなるわね」

「あぁん……!?」

 

 立香はジャンヌに話を振ったことを後悔した。猪突猛進ポンコツ魔女に冷静さを求めたのが間違いだった。

 やはりここはマスターが締めるべき場面。少々大げさに咳払いをして、きりりと表情を引き締める。

 

「それで、本体のところまで行く方法ですけど、『虹の橋(ビフレスト)』で上から行きます?」

「レインボーロードRTAってことか。オレにかかれば光の速さでひとっ飛びだぜ?」

「『本当に宝具だけはガチですね、この変態皇帝』」

「まあな。お前らもエル・ガバル様を崇めていいぜ。なんたって光速だ、そんじょそこらの障害物はブチ抜いていける」

 

 その直後、粘性生物が一瞬脈動し、見上げるほどの巨大な壁を形成した。壁、というよりは波のように高低差がある形ではなく、粘液そのものが上に持ち上がる形だ。

 ヘリオガバルスは取り繕うみたいに卑屈な笑みを浮かべて言う。

 

「……い、いや、オレぬるぬるしてんの大好きだし。なんなら窒息死寸前までやられないと満足できねえし。うん。イケるイケる。冷たい目で見るなよ、気持ちよくなっちゃうだろ」

「この皇帝無敵なのかね!?」

「無敵というかスーパーアーマーついてますね」

「『それではプランCと行きましょう。シャドウ・ボーダーの虚数潜航を使い、本体付近を狙って浮上します』」

 

 シオンは新所長と立香を無視して言った。シャドウ・ボーダーの中からでも伝わってくる圧に押され、立香たちはそそくさと艦艇に乗り込む。

 敵サーヴァントを司令部に招く異常事態。マシュとジャンヌは毛を逆立てて威嚇する猫みたいに、喪服の美女と変態を睨んでいた。

 ぞろぞろと連なりながら入室を果たす面々。その最後、ヘリオガバルスが顔を出すと、ムニエルは奇声をあげて椅子の下に潜る。

 

「ホッ……ホアッ……ホアアアァァッ……」

 

 どこの怪物だ、と新所長は思わず口に出しかけた。ムニエルはヘリオガバルスの配信の虜になっている男だ。推しをリアルで目撃した反応としてはさして不可解でもないだろう。

 が、それはそれとして近寄りがたいのは事実だ。他の職員たちは虚数潜航の実行準備に取り掛かることで、同僚の痴態から目を逸らした。

 ヘリオガバルスはにんまりと満面の笑顔になって、ムニエルの肩を強く抱き寄せる。もう一方の手で顎を上に傾けると、つややかな声音で囁く。

 

「おいおい、どうした? 鳩がミサイルくらったみたいな顔しやがって。もしかしてオレのファンだったりすんのか? そうじゃなくても今ここで堕とすけど」

「は、はい。まだまだ俺なんか新参なんですけど、伝説のBAN回『ビキニでロデオマシン乗ってみた』からずっと見てて……」

「ん〜♡ マジか〜、けっこう前から見てくれてんじゃん。ところでオレ、ファンサの満足度には命懸けててな。どうしてほしい?」

「あ、じゃあまずは部屋を変えていただけると」

 

 ムニエルとヘリオガバルスの脳天に、それぞれ旗と魔剣が突き刺さる。白黒カラーリングたちの行動により、年齢制限は保たれることとなった。

 マシュは力強く親指を突き立てる。

 

「お二人ともナイスです。あの真っ黒スライムに人理を壊される前に世界に破滅がもたらされるところでした」

「Eチームのメイン火力は伊達じゃないよね」

「……減らず口を叩いてる暇があるなら、さっさと虚数潜航とやらをしてくれる?」

「バーサーカーの方がまともとかカルデアは悔い改めるべきでは?」

 

 シオンの辛辣な物言いを、一同は淡々と受け流した。彼らに悔悛の余地などないのだ。

 ジャンヌは嘲るように鼻を鳴らして、

 

「まっ、どこのバーサーカーか知らないけど、精々私たちに従いなさい? 妙な真似するようなら虚数空間に沈めてやりますから」

「クリームヒルトよ」

「は?」

「クリームヒルト。それが私の真名。手を貸してもらう以上、こちらも何かを差し出すべきでしょう。文字も読めなさそうなあなたと違って、義理は弁える質なの」

 

 室内の温度が急上昇する。クリームヒルトに炎が伸びるが、彼女の横に空いた虚数空間の穴が排水口のように吸い取る。立香とマシュは炎が漏れているジャンヌから若干距離を取りつつ、ひそひそと話し合った。

 

「……もしかして、ジークフリートさんのお嫁さん?」

「そうですね。ペレアスさんがなぜか先輩と崇めている、ジークフリートさんの伴侶です」

「やっぱり。だったら……」

「ええ、アレを見せてあげる時です」

 

 マシュは手近なコンソールを素早く操作し、モニターに動画を再生する。

 

「クリームヒルトさん、これは終局特異点の記録です」

「別にどうでも────」

「まあまあ、そう言わずに見てください! マシュ、回して!」

「さん、に、いち、キューです!」

 

 終局特異点、溶鉱炉ナベリウス。第一特異点の英霊たちが集まった戦場において、その竜殺しは背中をアルマジロみたいに丸めて、暗く重たい空気を背負っていた。

 

〝俺は口下手なんだ。初めて彼女に会った時も、あまりの可憐さに怖気付いて逃げ去ってしまった。こんな夫ですまない……もし君たちが彼女に会うことがあったなら、愛していると伝えてくれないだろうか……〟

〝きゃーっ! めっちゃあまずっぺーですわ! ドキがムネムネしますわ!! 私がその時代にいたら絶対やらしい雰囲気にして〟

 

 ぷつん、と動画が停止する。カルデアに棲息するドスケベ妖怪が映ってしまったが、そこは阻止された。久々に脳に優しい惚気を摂取したマシュと、色恋沙汰に目がない立香はクリームヒルトの顔を覗き込む。

 市場のマグロみたいに冷凍されたクリームヒルト。彼女の真っ白な肌がみるみるうちに茹で上がり、ヘリオガバルスに突き刺した剣の柄をぎしぎしと握り締める。

 

「───ふっ……くふっ、ほんっっっとうにムカつく男ねあの人は……!! 他人様に言伝を頼むくらいなら自分でどうにかする気概はないわけ!? 馬鹿なの!? 馬鹿だったわ!! そんな人に惚れた私が一番馬鹿だけれども!? どうしてこの無防備な背中をぶっ刺しておかなかったのよ!?」

「いや、そんな無茶を言われても」

「百億歩譲ってわたしたちがやったとしても、クリームヒルトさんは斬りかかってきそうですが」

「ええそうね! そうだったわね! ああもういいわ、準備はまだなの!?」

 

 シオンは全ての感情が死んだ顔で頷いた。

 

「涙ぐましい尺稼ぎのおかげで、用意は完了しました。ここからは真剣かつ大胆に突っ込みますよ!!」

 

 同時に、室内の明かりが最低限のものを残して消えた。虚数潜航には多大な電力を費やさなければならない。省電力モードに切り替えることで、虚数空間に耐える状態の維持と航行に専念しているのだ。

 作戦はここからが本番。敵対粘性生物はその膨大な質量を虚数空間に格納することで、三次元上の肉体を縮小化している。

 つまり、この空間に移動するということは、粘性生物の総体と相対するに他ならない。

 シャドウ・ボーダーの前景に佇む、粘液の滝。それはあたかも悠久の時を重ねた大樹が如き威容を放っていた。

 虹色に発光する黒色の表面が、ぷつぷつと泡立つ。蠢く気泡の一点一点から、無数の触手が艦艇目掛けて射出される。

 

「虚数空間と実数空間の座標のずれは私が修正してあります! 目標ポイントに全速前進!! 貴方の操舵に運命がかかっていますよ、ムニエルさん!!」

「いやいやいや無理無理無理無理!! ずっとカルデアにいてペーパードライバーだからね俺!? 直近の運転なんてリーダーたちとマリカーやったくらいだし!!」

 

 ムニエルは頭頂からおびただしい血を垂れ流しながら、耳障りな絶叫をあげ続ける。攻撃に掠りもしていないのは奇跡に等しい。クリームヒルトはヘリオガバルスの背中を押して、操縦席に追いやった。

 

「仮にもライダーで騎乗スキルAなんでしょう。少しは英霊らしいところを見せなさい」

「だーから、オレの騎乗スキルは騎乗(夜)なんだって! しかも乗るんじゃなくて乗られる方な!? オレの時代じゃあ乗り物つったら馬車くらいしかなかったのに、こんなハイテクトンデモマシン乗りこなせるかよ!!」

「サーヴァントの騎乗スキルは乗り物であるなら、使い方も熟知した上で乗りこなせるはずですが。第二特異点で初めて馬に乗ったわたしができたのですし、間違いありません」

「んな魔法みたいな話があってたまるか───あ、なんかハンドル握ったらイケそうな気がしてきた。サーヴァントすげえ!!」

フォウフォフォウ(なんなんだこいつ)

 

 変態が手綱を握るボーダーは一流ドライバーもかくやの華麗な動きで、触手の乱撃を躱していく。本人の性癖的には手綱を握られる側だというのは置いておいて。

 シオンは目を細める。

 ヴァージニア・デアから溢れ出した生物は知性を有している。虚数空間にも自身を肥大化させていることからもそれは明白だ。

 肉の壁を増やし続け、本体を隠す。単純ながらも効果的な一手。虚数・実数空間双方の本体を同時に叩かなければいけない現状、怪物の本能は狡猾に悪辣に、その選択を取っていた。

 ならば、どうするか。シオンの並列思考が策の考案に費やされようとした時、司令室に通信が繋がる。

 

「『───そのまま走れ』」

 

 短く、端的な命令だった。

 それが誰のものであるかを認識するより早く、虚数空間に極光の大樹が突き刺さる。

 増殖など意に介さぬ規模の一撃。ろうそくの火を吹き消すように黒き怪物を無へ還し、ヴァージニア・デアの姿を露出させた。

 それはまるで菌網を纏った茸類、もしくは岸に打ち上げられたクラゲのように粘液の傘を広げ、上半身だけが人の形を保っている。

 虚数空間にさえも干渉する業。こんな突拍子もない無茶苦茶を叶えてみせる人間はひとりしかいない。ボーダーの面々は一様に同じ顔を思い浮かべた。

 

「…………ノア!? なにやってるんですか!!」

「『ただのついでだ。さっさとそいつをやれ。俺のブレイザブリクを広げるのに邪魔なんだよ』」

「ツンデレありがとうございます! なんだかんだ心配してくれてたんですよね、大丈夫です、分かってますから!」

「『うるせえ。アホ言ってる暇があるなら少しは痩せろ。最近重いんだよ』」

「後で本気でぶん殴りますからね!!?」

 

 一方的に通信が切断される。ヘリオガバルスは呑気に笑って、

 

「いいね、ノーベルドスケベ学賞受賞」

フォウフォウ(ノーベルに謝れ)

 

 ともかく、ノアの戦況を気にしている余裕はない。敵が動き出す前に目標地点に滑り込み、実数空間への浮上を敢行する。

 虚数空間のそれと変わらぬ、長大かつ広大な粘液のスカートを広げる少女。サーヴァントの脚力であれば一足で間合いを詰められ、ボーダーの走力でも即座に退避できる距離に本体が見えた。

 シオンはぐっとガッツポーズを取る。

 

「よっしドンピシャ! 見ましたか私の演算力を! ローゼンクロイツだのの邪魔者がいなければこんなもんです!!」

「なんだか初めてアトラス院の天才の名に恥じないところを見た気がします! それじゃあ、私たちは外に!」

「先輩の身も心もわたしがガッチリガードさせていただきます。ジャンヌさん、くれぐれも先走らないように」

「それ言うならそこの新所長でしょう。しっかり見張っときなさいよ!!」

 

 Eチーム三人娘に続いて、ヘリオガバルスとクリームヒルトも司令室を後にする。そこでゴルドルフが椅子から腰を浮かしかけたところ、シオンの両手が肩を押さえた。

 

「お偉いさんはお偉いさんらしく椅子に座って手を組み、サングラスをテカらせるのが仕事です。それ以外に手を出すとろくなことになりません」

「どこぞのダメ親父と一緒にしないでくれる!? 私は置物同然の存在になるつもりはない!!」

「置物は置物でも道頓堀に投げ捨てられないだけマシと思ってください」

「それで良いから私を外に投げ捨ててくれ!」

 

 ゴルドルフはどうにも説得できない。そう判断したシオンの決断は早かった。触れた肩からエーテライトを体内に通し、筋肉を操る。

 シオンはこれで真にゴルドルフを置物同然とし、外界を投影する画面を睨んだ。

 

「───『虹の橋(ビフレスト)』!」

 

 幾重もの虹の輪が中空に広がる。

 立香たちはそれを足場として、輪の中心、ヴァージニア・デアを目視で捉えた。

 ヘリオガバルスは鉄鞭を曲芸のように振り回し、舌なめずりをする。

 

「ここまで近付けばしめたもんだ。ちょいと風情はねえが、宝具でシメるとするか!」

「重要なのはタイミングです。シオンさんが虚数空間のフレイの剣で攻撃するのと同時でなくてはなりません」

「速すぎると逆に合わないかも? 行って直接やるしか……」

「いいえ、立香。わざわざリズムゲーに付き合う必要はないわ」

 

 ジャンヌは一歩前に進み、旗を振り払う。

 

「───『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』」

 

 がらりと、世界が幕を開けたように照らされる。

 大地に氾濫する黒を猛々しく染め上げる業火の赤。天にも昇る火炎が渦を巻き、嵐の如く燃え盛る。それは怪物の再生力を優に上回り、その本体ごと焼き払っていく。

 耳障りな悲鳴が大気を揺らす最中、ジャンヌは獰猛に犬歯を覗かせた。

 

「こうやって焼き続ければ、わざわざタイミングを合わせるまでもないでしょ!! これぞクールでクレバーな戦い方ってやつよ!!」

「さっすがジャンヌ! 地球温暖化がどんどん進んでいく感じがするね!」

「戦法としては的確ですが、結局脳筋では……?」

 

 ヴァージニア・デアの上半身に袈裟の軌跡が走る。勝利の剣が虚数空間から肉体を裂いた証。血の代わりに粘液が飛び散り、ぷらぷらと揺れていた右手が、傷口を滑らかになぞる。

 

「────…………かゆい」

 

 その時、止まった心臓が自発的収縮を取り戻すように、粘液のスカートが振動した。

 カッ、と閃光が至るところから花開く。漆黒の海に点々と煌めく光は刹那、その輝きを潜め──────

 

「マシュ!!」

「───『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!!」

 

 ────莫大な魔力の奔流を、天空へと解き放つ。

 その奔流は先に行くほど拡散し、ぱらぱらと空を彩る。この日、地球の衛星軌道上を回る人工衛星のうち、116基が宇宙の塵と消えた。

 光が収まっていく。光量だけでも眼球の機能を殺すには十分すぎる魔力砲撃。マシュの宝具によって傷はないものの、あまりの威力に立香とジャンヌはひしと抱き合っていた。

 驚愕。その一言では言い尽くせぬ衝撃。

 トライデントの砲撃。獅子王の聖槍。サクラの一円玉反物質爆弾。脳裏に刻みつけられたそれらの記憶に匹敵、否、凌ぐのではないかとすら思わせる。

 立香は言い表すまでもなく直感した。

 デアから流れ出すこの生物は、今まで狩りに興じていたのだと。

 だからこそ、獲物を消し飛ばしてしまうような攻撃はしなかった。人間が家畜を殺す時だって、死ねばいいからと爆弾を使うような者はいない。

 なぜなら、殺すという行為の帰結には捕食がある。獲物はできる限り傷つけず、新鮮な状態が望ましい。眼前の生物を食物ではなく、排除すべき敵と認めたからこそ、黒の怪物は魔力を放出したのだ。

 シオンは通信越しに伝える。

 

「『……肝が冷えましたが、謎が解けました。どうやらソレの全身は魔術回路のような器官で構成されているようです。反則級の虚数魔術の数々は、この有り余る魔力に支えられていたのです』」

 

 虚数空間への潜航は、その目的のために造られたシャドウ・ボーダーでさえ、他所への電力供給をカットする必要に見舞われる。

 ヴァージニア・デアはそれほどに消耗の激しい虚数潜航を大規模に実行するだけでなく、異なる時間流の展開をも操ってみせていた。

 そこらの魔術師なら一瞬で干からびる魔力消費────だが、立香は眼下に広がる粘性の海を見て、納得する。

 このすべてが魔術回路を保有しているなら、想像を絶する魔力量を誇るだろう。

 再度、いくつもの亀裂が閃く。

 一拍を挟み、光の柱が突き立つ。

 狙いはてんでバラバラ。先程のように何もかもを巻き込むでもなく、一点を狙うでもなく、そこには殺意が感じられなかった。

 立香には、それがヴァージニア・デアの叫びに見えた。

 彼女がどんな想いを秘めていようと、彼女にどんな過去があろうと、藤丸立香という個人が彼女を救うことはできない。

 単にその理由は自分に力がないからだとか、立場や主義主張の違いだとか、そんなことじゃなくて。

 彼女の願いに、気付いてしまった。

 これほどの魔力があるなら、魔術師の半人前な相手なんて一瞬でかたをつけられたはずだ。

 彼女ほどの魔術師ならば、サーヴァントに付与している虚数空間の穴で、獅子劫の魔弾を防げたはずだ。

 敵に手心を加え、自分だけは護らなかった真意の在り処は、きっと。

 

(この人に、私の言葉は届かない)

 

 それでも。

 諦めるなんてできなかった。

 どんな過去があるかなんて知らない。

 ほんの少し言葉を交わしただけなんて関係ない。

 ───なぜなら、藤丸立香は敵を殺せればそれでいいなんて考えで戦ったことは一度もないのだから。

 

「シオンさん、新所長をこっちに投げてください!」

「『正気ですか!? 自称不死鳥の中年肥満男性なんてクソの役にも立ちませんよ!?』」

「『自称不死鳥はその通りだし肥満もいいけどクソは言い過ぎだよね。私のこと完全にナメてるよね。あとまだ二十代男性だよ?』」

「いいから来てください! そうだ、新所長はなんであの人のことを好きになったんですか!?」

 

 驚くほど呑気な質問。立香の傍らでは、マシュたちが流出する触手と魔力光を懸命に防いでいた。ゴルドルフは呆気に取られて、もじもじと両手の人差し指を擦り合わせる。

 

「『それは……まあ、うむ、彼女が淹れてくれる紅茶とコーヒーは最高だし、立ち振る舞いに気品がありながらもおちゃめなところも良いし、笑顔が素敵だ───ってこれめちゃくちゃ恥ずかしいのだが!? 電車でお年寄りに席を譲られたこともある見た目の私が言うと犯罪臭がしないかね!?』」

「『安心してください、いい歳した大人が乙女っぽくもじもじしてるだけで大分キツいです』」

「そんなに好きなら想いを伝えるしかないですね!! 私ができたんで、新所長にもできるはずです!!」

「……くっ! ジャンヌさん、わたしの頭蓋骨を押さえてください! この土壇場で脳を破裂させるわけにはいきません!!」

「いっそ、その頭割って別人の脳みそ入れて縫い直した方がいい気がしてきたわ」

 

 シオンはため息をつく。Eチームマスターが突拍子のないことを言い出すのは重々承知していたつもりだったが、当事者となるとまた一味違った。ロマニ・アーキマンの胃が人理修復まで保ったのは奇跡だろう。

 眼鏡の下から指を滑り込ませて、こめかみを揉む。そして、彼女は観念して訊いた。

 

「『……この状況で、なぜそんなことを?』」

「シオンさんは言いましたよね。これは人理を護る戦いだって。だったら、あそこで叫んでる女の子くらい助けてあげるのが道理じゃないですか!?」

「『確かに、道理ではありますね。ただし合理とは程遠い。人理の守護と敵を見逃すことはむしろ相反する行いです。まったく妥当性が見出せません。あまりにも感情的すぎます』」

「でも、」

「『ですが』」

 

 シオンは微笑んだ。

 

「『───合理的に考えて、人間に感情は必要不可欠。魔術王の合理を否定した貴方たちの道理を信じましょう』」

 

 これは彼女が信じる演算の結果。

 Eチームの旅路は呆れるほど無駄なものばかりだった。合理的だなんて口が裂けても言えない。だけど、ひとつだけ分かることがある。彼らは無駄だと思えるものを積み重ねて、憐憫の獣を打倒したのだということが。

 RPGみたいに敵を倒してレベルを上げて、強い装備を揃えるだけで倒せるようなラスボスならば、ゲーティアには勝てなかった。

 なにしろ、その彼こそが最期は理屈や理論を放り投げ、感情のままに死を超越してみせたのだから。

 人の性という複雑怪奇な変数。シオンはそれに賭けた。

 

(まあ、それに)

 

 ゴルドルフの首根っこを捕まえ、艦橋に移動する。

 

(攻撃を続けたとしても倒しきれるかは分からない。いや、こんなところで博打を打つなんて、本当に未熟ですね、私は)

 

 吸血種としての膂力と、アトラス院の流儀に言わせればまったくもって野蛮な強化魔術。ゴルドルフの巨体をあっさりと持ち上げ、

 

「飛んでけーっ!!」

 

 虹の足場へ向けて、一直線に投げ飛ばした。

 飛べない不死鳥の汚名を返上したゴルドルフ。ヘリオガバルスの鉄鞭がふくよかな腹囲に巻きつき、戦車に引き寄せる。

 

「うっし回収完了! バトル展開が一世一代の告白に早変わりなんてな! おいおい、最高じゃねえか!!」

「───そう、ここからのジャンルは血で血を洗うバトルモノじゃなくて、とびっきりあまあまな恋愛ショーです!!!」

 

 依然、魔力の放出は止まらない。この場においてはマシュ以外の誰も抗し得ぬ嵐の只中に、彼女たちは飛び込まねばならない。

 だが、立香は決して忘れていなかった。

 まだまだ自分には仲間がいて、切り札が残されていることを。

 

「あまあま恋愛ショー……ちっとばかしおっさんには荷が重い話だ!!」

 

 獅子劫界離。ひとり粘性生物の魔の手から逃れていた男は、単発式の拳銃に弾を込める。

 それは魔弾なれど、彼が造り出したモノではなかった。

 数年前、ノアがまだロンドンに居を構えていた頃。腐れ縁で繋がれているのか、獅子劫とノアは日本の所沢で開催された呪物オークションで鉢合わせた。その際、日本の霊脈を台無しにしようとする魔術師と戦ったり、ノアが買い込んだ呪物の支払いを押し付けられたり、果ては半年後にまたアフリカで奴と現地の呪術戦争に巻き込まれたり────といった忌々しい歴史は闇に葬って。

 獅子劫が装填した弾丸は、オークションに流れ着いたものだった。

 売りに出されたのはたったの一発。しかし獅子劫はこれを見た瞬間に入札を決意する。

 

「……全身が魔術回路なんだってな?」

 

 なぜなら、その弾丸は、あらゆる魔術師を恐怖させた男の切り札だった。

 当たれば死ぬ。生き残ったとしても、魔術師の機能は完全に殺される。その男はどんな標的だろうと逃さず仕留め続け、いつしか魔術師殺しと呼ばれた。

 時計塔の教育課程が組み直されるという非常事態を起こしながらも、いつの間にか彼の名前を聞くことはなくなった。───ウェイバー・ベルベットが参戦した、フランスの儀式を境に。

 魔術師殺し、衛宮切嗣の奥の手。

 その名は。

 

「だったら、こいつは痛えだろ───!!!」

 

 ────『起源弾』。

 衛宮切嗣の起源を発露する魔弾。ひとたび命中すれば対象の神経や血管、魔術回路を切断し、無造作に繋ぎ直す。

 魔術師ならずとも生物には致命的な一撃。励起していた魔術回路に流れる魔力が行き場を失い、逆流し、吹き溜まる。不健康な血管が血圧に耐え切れず破裂するかのように、辺りから魔力が暴発する。

 立香はヘリオガバルスに首を振って、

 

「それじゃあ、新所長を連れていってあげてください!」

「うん、すまん、もう行っちゃった」

「え」

 

 立香が咄嗟に向き直った時、見たのはゴルドルフが粘液の海に飛び込んでいく姿だった。

 どぱん、と飛沫があがる。

 粘性生物の機能は魔弾によって停止している。が、依然それは胃袋の中に飛び込むに等しい。ゴルドルフは自らの肉体を金属化することで、皮膚を破り、肉を溶かす侵食に抗っていた。

 

(私は、ゆかねばならない)

 

 ───ひとりのホムンクルスがいた。

 父ゴルドは冬木の聖杯戦争に参加し、開戦直後にライダーの爆撃で脱落した間桐に次いで、あっけなく敗北した。父は胡散臭い神父がいる教会の保護を断り、ムジーク家と繋がりのあるアインツベルンを頼った。

 アインツベルンのマスターは一ヶ月だけという寿命を残し、他の全てを魔術師としての機能に心血を注がれた作品だった。曰く〝フランスの儀式に参戦したマスターが、戦後、聖杯の器となるホムンクルスを連れて姿をくらませた〟故に、急造の器を用意するしかなかったのだという。

 現実は無情に牙を剥く。一個の生命の未来を食い潰してなお、キャスター・ライダー陣営には太刀打ちできなかった。父はそのホムンクルスを連れ帰り、ムジーク家を終の棲家とさせた。

 その時点で、彼の寿命は二週間を切っていた。それでも両親は彼を見捨てようとはせずに延命法を探っていたし、ゴルドルフも家族として彼に接した。

 ただ、何もできずに時間は過ぎた。彼は今際の際に手紙を渡し、満足気に息を引き取った。

 手紙にしたためられていたのは拙い感謝の言葉と、色鉛筆で描かれた家族の絵。両親が、自分が、彼が、笑顔を浮かべて手を繋いでいる。それだけが、彼の遺したモノだった。

 …………人生は長く生きたかよりも何を遺したかだとか、いかに人の心に残ったかだとか、そのようなことを語るつもりはない。語ることはできない。

 だけど、知ったのだ。

 心を繋いだ存在がいなくなることは、何よりも痛いのだと。

 

(故に、私は進まねばならない!! 歩みを止めてしまったら、諦めてしまったら、全てを終えたとき一体どの面をさげて弟に会えば良いというのか!!)

 

 重ねた時間の短さなんて、考えるに値しない。

 半年。ヴァージニア・デアとゴルドルフの時間がともに在ったのは、たったのそれだけ。今まで積み上げた過去と、これから待ち受ける未来の前には、暫時の夢のような長さにすぎない。

 ましてや、ヴァージニア・デアが歩んできた歴史に比べれば、取るに足らぬ一時だったのかもしれない。

 しかし、あの半年は確かに心を繋いだ時間だった。

 だったら───一度繋いだ心を離すことなんて、どんな化け物にもさせやしない!!

 

「────メリア!!!」

 

 心を込めて。

 想いを尽くして。

 その名を、呼びかける。

 

 

 

「────…………あ、ぁ」

 

 

 

 恥の多い人生だった。

 生き延びてはいけない命だった。

 喰われたあの時、すぐに死ぬべきだった。

 誰かと関わるたびに幸せな気持ちが溢れ出して、次にはこの身の怪物が暴れ出す。人と関わるからこそ幸福を感じるというのにその人を殺す、欠陥だらけの生命体。

 お父様と出会って、少しは衝動を抑える術を学んだけれど、結局、私という怪物の本性は変わらない。

 本が好きだった。

 映画が好きだった。

 登場人物に自分を重ねれば、人を傷つけることなく幸福を得ることができたから。物語に没入している時だけは、自分が化け物であることを忘れられる気がした。

 

〝それでもあなたの隣には、ヒトがいるのですね〟

 

 殺生院キアラ……彼女がそう言ったことを思い出す。

 あの人は私の本質を見抜いていたのだろう。孤独であり続けることが善いと分かっていても、誰かを必要とし続ける心の矛盾を。

 ゴルドルフ様に取り入ったのは、お父様の人理保障の一環だった。少し要素が違うだけで、あの人は地球の白紙化を引き起こす遠因のひとつになっていた。……と、お父様は真っ白になった縮小模型を眺めて言っていた。

 私の役割はムジーク家に近付こうとする怪しい存在の排除と監視。一番の懸念だったNFFサービス? とやらはお父様たちが根っこから潰したようだ。

 彼に気に入られるように、好かれるように、悲劇的な役を演じて、名前を与えるという儀式を通じて心を開いたフリをしてみせる。

 それだけで心を握ることはできた。

 できた……はずだったのだけれど。

 

〝ん? これか?〟

 

 彼はいつものように紅茶を嗜んでいた。普段と違うのは、くたびれて色褪せた絵をそっと大切に広げて、眺めていたことか。

 

〝弟が描いた絵だよ。私にとっては、どんな画家の名画にも劣らぬ作品なんだ〟

 

 ホムンクルスとの思い出を語り、気恥ずかしそうにはにかむ顔を見て、気付いた。

 ───ああ、この人は、とても優しいヒトなのね。

 そうしたら、気持ちは止まらなかった。

 

〝ふむ、今日の夕餉はローストビーフかね。イギリスが世界に誇れる数少ない料理のひとつだ。私は肉にはうるさいぞ? お手並み拝見と……え、違う? ローストビーフ丼? なんだねその節操のない下品な料理は!! 丼にしたらコンクリートだって美味くなる禁忌の手段だぞ!?〟

〝でしたら生コンクリートを用意させていただきますね。ご飯にかけてちゃちゃっとお召し上がりください〟

〝お茶漬け感覚───!?〟

 

 食いしん坊なところも。

 こだわりがめんどくさいところも。

 

〝今夜は月に一度のムジーク家大映画祭……選定委員のメリアは何を持ってきてくれたのかね?〟

〝シリーズモノですね。まずは第一作の口裂け女捕獲作戦からです〟

〝ナニソレ???〟

 

 打てば響くところも。

 ころころ表情が変わるところも。

 ぜんぶぜんぶぜんぶ。

 好き。

 好き。

 好き。

 ────大好き。

 

 

 

(だから、)

 

 

 

 動き出す。蠢き出す。

 この感情を糧にして、怪物が息を吹き返す。

 きっとすぐに、私は彼を喰らい尽くしてしまう。

 

「クリームヒルト。お願いします」

 

 令呪を解き放つ。

 これはあの月夜から始まった全ての因果の決着。

 この世界とみんなに手向ける、自己存在の総決算だ。

 

「───私を、殺して」

 

 復讐姫は征く。

 愛する英雄の剣を携え、夜を跳ねる。

 これこそが我が使命。彼女が生きたい/離れたいと望んだ世界から、狂える神の手先を排除する。

 この剣はもう一度血に染まる。しかしそれは、憎悪と憤怒の果ての刃ではなく。

 

(さようなら、マスター)

 

 永き時を怪物と戦い続けた少女への慈しみによって、魔剣は放たれる。

 

「『流離魔剣・聖妃失墜(バルムンク・クリームヒルト)』」

 

 餞たる絶殺の一刀が、少女を切り裂く。

 凄絶、かつ鮮烈に咲き誇る血の華。

 崩れ落ちるその体を、ゴルドルフは受け止める。

 

「…………これは、きみが望んだ結末なのか」

「───はい。随分と、遠回りをしました。けれどあなたのおかげで……ようやく、決心がつきました」

「こんな結果になると知っていたら、私は、」

「いいえ、これは誰にも決められた結末でしょう? それまでに何をしたかが、結果の見え方を変えるんです」

 

 死は万人に定められた終着点だ。

 結果が全て、なんて言葉は正しいかもしれないけれど残酷だ。だって、そうだとしたら、ありとあらゆる生命体が死に向かって生きる以上、生には意味がないと言えてしまう。

 そんなに寂しいことはない。過程が織り成す綾模様こそが結果であって、その柄はひとりひとり、ひとつとして同じものはない。

 紡いだ色が結果を彩り、そこに意味を生じさせる。

 であるならば、少女の死が纏う意味とは。

 

「私は、きみの、終わりを引き継いでいく」

 

 あたたかな温もりに包まれて。

 ふと、沁みるように思った。

 

(あれ、わたし)

 

 それが、最期の感情だと噛み締めて。

 

 

 

 

(こんなに幸せで、いいのかしら)

 

 

 

 

 包まれるような死に、魂を委ねた。

 辺りを覆っていた怪物から玉虫色の光が失せる。

 埒外の生命力を誇るソレはついぞ息を吹き返すことなく、無明の闇に呑まれて消えた。

 立香は食いしばるように目を伏せる。

 彼女の行動から感じ取った違和感は間違いではなかったのだと知って。

 軽々しく、生きろだなんて言えなかった。結局、言葉は道具であって、その人の心を変えるには相応の何かが付随しなければならない。

 だが、それでも、生きていてほしかった。

 だから、それでも、彼女は往かなければならない。

 この戦いはまだ、終わっていないのだから。

 力強く両目を開く。風に吹かれる黄金の残滓。ヘリオガバルスはクリームヒルトの退去を見届け、立香たちに向き直った。

 

「ま、こっからは敵同士だ。しかしなんだかな。やる気ってもんがなくなっちまった。お前らはどうする」

「もちろん、戦います。やる気がないならそこを退いてください」

「んん〜、無理だな。こんなんでも薔薇十字団が変える世界ってやつに興味がある。オレはしぶといぜ?」

「だとしても、関係ありません」

 

 立香は右の五指に力を込め、折りたたむ。

 甲に刻まれた令呪を見せつけるように敵へかざし、宣言する。

 

「令呪をもって、我が影に命ずる」

 

 それは彼女の切り札だった。

 それは全知であり、人類が扱う全ての魔術を操ることができながらも、誰にも勝つことができない運命を抱えていた。

 格上には腰が引けて全力が出せない。

 勝負を決める最後の意地がないから同格には負けてしまう。

 そして、格下である弱者は彼女が救けたいと願った存在故に、戦うこともできない。

 結論、どこまでも殺し合いに向いていない。

 しかしながら、勝ちも負けも決まっておらず、停滞した戦況であるのなら、立香の切り札は状況を激変させる猛毒に成り得る。

 

「───少しは働いてください、ソフィアさん!!」

 

 ずるりと、立香の影より知恵の女神が這いずり出す。

 彼女は一糸まとわぬ肢体を惜しげもなくさらけ出し、薄い笑みを顔に貼り付ける。

 

「切り捨てられた者が辿る結末。誇れ、立香。お前の小さな後押しが、あの男の憐憫が、彼女の献身が、この世界から異界の魔物を排斥するに至ったのだ」

 

 黄金律の肉体に外套を帯びる。白一色の長いローブと大きなとんがり帽子。ヘリオガバルスにエニシダの箒の先を突きつけ、

 

「抱きしめてやるよ、薔薇十字団。お前たちもまた、この世界から切り捨てられた弱者だ」

 

 知恵の女神が大地を踏む。

 彼女は全知故に薔薇十字団の何もかもを、これから先の未来を知り、そして全能ならざるが故に渦巻く運命に攫われる芥として、舞台に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡る。

 そこは数多の聖人・天使の魂が紡ぎ上げる白薔薇の天界。詩人ダンテが旅路の果てに神を見た至高天。あまねく者の魂を剥奪する宝具の内部だった。

 ローゼンクロイツは言葉を失っていた。目の前の一切を見逃さまいとまぶたを開き、この世界のすべてを堪能するかのように両手を広げる。

 彼は涙を流し、言葉を取り戻す。

 

「───これがヒトの行き着く先。最高だ、やはり救いはみなに用意されている」

 

 ダンテたちは動けなかった。

 ローゼンクロイツの異様に圧倒されたのではない。彼の魂を連れていくはずの永遠の淑女、ベアトリーチェが現れない。その異常が彼らの足を止めた。

 薔薇の魔術師はこぼれる涙を拭き取り、破顔する。

 

「失礼した。まずは貴殿らの疑問を解消しよう。永遠の淑女がなぜ一向に訪れないのか。それは二つの主因と副因による」

 

 ───ひとつは。

 ローゼンクロイツは右腕を払う。その手には彼の身の丈ほどの十字架があった。二本の棒の交差点に一輪の薔薇が飾り付けられ、そこから伸びた茨が十字架の全体に巻き付いている。

 

「我が礼装『神聖黄金薔薇十字(ルベド・キトリニタス・ローゼンクロイツ)』。父性の十字に母性の薔薇。男女合一、陰陽一体。つまり完全。すなわち神。唯一神の権能を振るう道具だ。まだ終わるわけにはいかぬのでな、淑女には待機していてもらう」

 

 そして。

 ローゼンクロイツは薔薇の眼帯を外す。

 

「『神体化・仙海の古老(アルス・テウルギア・プロテウス)』。奇しくもノアトゥールくんと同じネーミングだな。霊魂の位階を上げ、権能を扱うに相応しい存在へと昇華する秘法だ。黄金の夜明け風に言うなら、そう─────」

 

 ───『生命の樹(セフィロト)』第一位階次元共鳴覚醒『白の王冠(メタトロン)』。

 人の身にして生きながら天使へと昇華した天使。その名を冠し、現世にて根源と接続する大いなる御業。ローゼンクロイツは教鞭をとる師のように、自らの手の内を開示した。

 ペレアスと湖の乙女、マーリオゥは好戦的な笑みを形作る。

 

「ご高説は有り難いが、要はダンテの宝具は効かないってことだろ。それだけ理解してりゃ十分だ」

「神様の力や肉体があろうと、つまるところは人間ですわ。私たちと何も変わりはありませんっ!!」

「教えたがりは変わってねえようだな、ローゼンクロイツ。テメェの知識にも魔術にも興味はねえ、聖杯だけ寄越しやがれ」

「良し。いざ幕開けと参ろうか、人の世の総決算だ!!!」

 

 ローゼンクロイツの気勢が破裂する。

 瞬間、響いたのは。

 

 

 

「───この戦いに大層な意味は不要だ。ただ、貴様の終焉という結果さえあればいい」

 

 

 

 本来不可侵の固有結界に穴が空く。

 清浄なる世界に一点、輝ける蒼炎が燃え上がる。

 

「俺は恩讐の彼方より舞い戻ったぞ!! あの時の続きだ、クリスチャン・ローゼンクロイツ!!」

 

 そして。

 彼は、薔薇の魔術師の真相を知っていた。

 

「────否、魔術師()()()()()()!!」

 

 




・ヘリオガバルスのステータス
クラス︰ライダー
真名︰マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス
属性︰混沌・中庸
ステータス︰筋力 D 耐久 EX 敏捷 B 魔力 A 幸運 B  宝具 A
クラススキル
『対魔力︰B』……毎度おなじみ対魔力。一応古い時代のサーヴァントなので、それなりに高いランクを持つ。
『騎乗(夜)︰A』……ライダーのクラススキル───のはずだが、本人の性癖により変質している。なお、乗るより乗られる方が好みなので、ライダーはライダーでもライドされる方である。真っ当な騎乗スキルとして評価するなら、ランクはB。
保有スキル
『皇帝特権︰C』……こんなんでも皇帝なので、当然このスキルを持っている。宝具を抜きにしたヘリオガバルスの戦闘能力は、ほぼほぼ皇帝特権のおかげであると言える。ただ、鞭捌きは自前のもの。本人は〝オレが救世主を鞭叩きの刑に処したら絶頂させられる〟と豪語している。
『被虐体質︰A+』……ドM。基本的な性能はパッションリップと同じく、敵に狙われる確率が増すというもの。そしてヘリオガバルスの場合はあらゆる苦痛を快楽に変換し、相手に対する誘惑力が増す。つまり、傷付ければ傷付けるほど、ヘリオガバルスに執着を抱くようになる。そのせいで、配信でアンチコメントを打った人間は反転してファンになるか、さらに質の悪いアンチになる。
『淫蕩なる薔薇︰A』……ドスケベ。比類なき変態性と数々の変態エピソードが昇華したスキル。少しでもヘリオガバルスに性的魅力を感じた者に対して、ランクA相当のカリスマと同等の心理掌握力を発揮する。なお、キャスターで召喚された場合は戦車の宝具がなくなり、このスキルが宝具として強化される。その際、エル・ガバルの神官としての性格が入れ替わりでスキル『太陽神の大神官』となる。ただし、これで変態でなくなるかと言えばまったくそんなことはない。

宝具
『逸楽に染まる薔薇の褥』
ランク:B 種別:結界宝具
 ロサ・クビクルム。宴に招いた客に大量の薔薇を落とし、窒息死させた逸話とヘリオガバルスの心象風景が一体化したもの。サーヴァント宝具説明頻出語句〝固有結界とは似て非なる〜〟である。が、ヘリオガバルスはアホなので本物の固有結界だと思っている。
 彼の心象風景は生前呆れ果てるほど貪っても飽き足らぬ快楽の舞台となった寝室。室内には情欲を掻き立て、体温を上昇させる香が焚かれている。また、ヘリオガバルスが望めば、生前使った大人のおもちゃを取り出すことができる。アンナ曰く〝ただのヤ○部屋でいらっしゃるじゃねーかクソが〟。
 普通の聖杯戦争でヘリオガバルスを召喚した場合、まず真っ先にマスターを誘惑し、この宝具を使おうとしてくる。一応、静謐のハサンのように死ぬことはないし、令呪を使わずとも本気で拒否すればしぶしぶ諦めてくれる。アンナの場合は魔術抜きのステゴロで、チョコラータが燃えるゴミになった時みたいなラッシュを叩き込んでわからせた。

『影呑む不敗の神陽』
ランク:A 種別:神性宝具
 ソル・インウィクトゥス。太陽神エル・ガバルの御神体である黒石を載せた戦車。周囲の影を魔力に換え、光速の疾走を可能とする宝具。普段の待機状態と影の徴収を始める臨界状態があり、後者に移行するとDランクの神性スキルを獲得する。
 影を魔力に換えるという特性から、魔力の燃費がとても良い。影がある限り何度でも光速ダッシュできる。つまり夜は独壇場となる。決してダブルミーニングではない。
 太陽神エル・ガバルは元々シリアやアラブで信仰されていた神だったが、二世紀くらいにローマを含めた他の地域に伝わったとされる。ローマでは同じく太陽神ソルと同化され、征服されざる『不敗の太陽』ソル・インウィクトゥスとして知られるようになった。ヘリオガバルス/エラガバルスというのもこの神の別名。
 変態の方のヘリオガバルスはこの神をユピテルの上位に置こうとし、パラティヌスの丘に神殿を建設した。アクエンアテンみたいなことをしている。その祭祀は実に豪華かつ奢侈を尽くしたものだったようであり、ヘリオガバルスも自ら着飾って踊ったりしていたという。うんうん、それもまたローマだね。
 ちなみに神殿を建てたパラティヌスという場所はロムルス&レムス兄弟が育ち、ロムルスがローマを建国した場所でもある。しかも元々ユピテル神殿だったところに御神体を移し、増築している。まさしく皇帝特権。キャスターとして召喚された時は第一宝具がこの神殿になる。
 なぜ誰もこの馬鹿を止めなかったのか。(カエサル談)
 さすがの余もこれにはびっくり。(ネロちゃま談)
 それもまたローマである。……ローマである。(ロムルス談)
 応援ありがとう!(ヘリオガバルス談)
 

 聖杯戦争が変態性で勝利を決める戦いだったなら、間違いなく最強格のサーヴァント。普通に戦うなら第二宝具のおかげで、マスターと他陣営の面子次第では優勝も狙える。他のサーヴァントも大体そう? 確かに。
 薔薇十字団に与するサーヴァントの中で一番最初に決まった。逆にこいつと組ませたアンナは紆余曲折を経て決定している。
 他の候補はネロとカリギュラに並ぶ暴君カラカラ帝、自分をヘラクレスと思い込んだ一般皇帝コンモドゥスなど。ロクなやつがいない。合格理由はいっぱい下ネタを言ってくれそうだったから。ロクな理由じゃない。
 ヘリオガバルスは性欲に耽溺した逸話の他にも、あまり口には出せない猟奇的な話がある。その一方で珍しいことに老若男女や身分の分け隔てなく食事を振る舞ったり、娯楽のための施設を建造したりと良い面も確かにあったとされる。まだ本編で語りきっていない人物なので過度な所感は差し控えるが、おそらく世俗のしきたりだとか慣習、固定観念なんかはどうでもいいと思っていたのだろう。それ故に混沌・中庸属性とした。


・ヴァージニア・デアの設定
真名︰ヴァージニア・デア
性別︰女性⇄無性
誕生日︰1587年8月18日
魔術系統︰虚数属性による時空操作。
魔術属性︰火→虚数
魔術特性︰消失・吸収
魔術回路・質︰C→EX
魔術回路・量︰E→EX
魔術回路・編成︰正常→変質(デアの魔術回路は地球上のモノではない。独立した生物として機能している)

 ヴァージニア・デア。アメリカ大陸で初めて生まれた白人女性であり、ロアノーク島集団失踪事件にて忽然と消えた115人のひとり。
 事件の真相は邪教の儀式によって召喚された異界の生物が、住民全員を喰い殺したというもの。ぶっちゃけるとショゴス。最初はシャッガイからの昆虫や旅するものなどに寄生されたという設定だったが、鳴き声が分かりやすく、インパクトもあるショゴスを無理やり起用した。
 魔術師集団が召喚しようとしていたのはウボ・サスラ。元々そんな神を呼べるはずのないイカれた儀式だったが、奇跡的に───クリティカルを出した───ことで、なんとかショゴスだけ出てきた。全ての元凶。
 彼女が生き続けるということは、ショゴスをこの世界に留め続けるということ。それ故に、彼女はどう死ぬかを考え続けていた。また、ローゼンクロイツは彼なりの人理保障活動中に彼女を見つけたが、その実はショゴスを始末するためであった。だが、彼女に会って殺すことを断念している。
 彼女の魔術は地球上にない生物となったことで大きく変化している。始点に『ROANOKE』、終点に『CROATOAN』と刻む代わりに、距離の制約なく両地点を虚数空間を経由して繋げることができる。ただしクロアトアンからロアノークへの移動はできない。その理由というか元ネタはロアノーク島集団失踪事件に残されていたメッセージが『CROATOAN』であり、それが〝クロアトアン(に行く)〟と解釈されることが多いため。あくまで行く場所としてのクロアトアンなので、起点は必ずロアノーク。文字が消えるとその場所には行けない。街中で『CROATOAN』を見掛けたらそっとしておいてあげよう。魔術というより念能力な気がしないでもない。
 魔術回路の質と量のEXはそれが生物となっているが故の特別性と、捕食によって増減することから。作中で見せたショゴス絶好調覚醒状態では性能的には質がB+となる。量はどちらにしろ評価規格外。
 趣味は映画鑑賞。好きなジャンルは恋愛ロマンスとコメディ。理由はどちらも自分が決して手に入れられないから。あとホラーものは自分の存在がアレなので、ギャグとかコメディみたいに見ている。
 彼女は自分にないモノも愛せる、心優しい普通の少女だった。
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