自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

116 / 117
第102話 絶望の土壌から芽吹くもの

 ───三秒。

 何かを成すにはあまりにも短く。

 誰かの命を奪うには十分すぎる時間。

 ましてや、それがサーヴァント同士の果たし合いならなおのこと。三秒という時間は勝敗を決するには余りある長大さだ。

 しかし、アーチャーとエドモンの敗北は決定している。

 固有結界内部において無限の時空に無限に偏在するシモン・マグスを無限に殺す方法を彼らは持たない。これだけは何がどうなろうと決して覆らない。

 加えて、この世界が辿り着く未来の記述は既に用意されている。〝シモン・マグスは全人類を根源へと到達させる〟───それが成されるまでは、この魔術師は絶対に死ぬことはないのだ。

 アーチャーは崩れゆく固有結界を自らの言霊で縫い直した。それだけでも身の丈に合わぬ業。結果、得たのは三秒の足掻きであった。

 だとすれば、この戦いに意義はあるのか。

 それはきっと────────

 

 

 

「『待て、しかして希望せよ(アトンドリ・エスペリエ)』!!!」

 

 

 

 ─────彼らが、見出すしかない。

 巌窟王エドモン・ダンテスの第三宝具。たとえ死の際にある者であろうと復活させ、あらゆる能力を高める、希望の贈与。

 アーチャーの失われた半身が取り戻される。二つの足で赤き荒野を踏み締め、双つの眼光で魔術師を見据える。

 シモン・マグスは凛然たるその眼差しを受け、冷ややかに睨み返す。それはまるで手のひらにへばりついた、潰れた蚊を眺めるような哀れみを纏っていた。

 

(実にありきたりな筋書きだ)

 

 強大な敵に圧倒され、全霊を用いて一矢報いる─────過去、幾度も繰り返されたであろう退屈で、見慣れた展開。シモン・マグスの心は静謐に凪いでいた。

 それでいながら、無音の殺意が滾る。

 『筆先の影(バルベーロー)』を使うまでもない。

 全時空のシモン・マグスによる無限飽和爆撃。エドモンが宝具を行使しようが逃れられぬように、全ての時間軸において全ての空間を埋め尽くす。

 宇宙の原初を表すかのような光の充溢。

 もはや音すら響かない。宇宙空間で音がしないように、その爆撃は混ざり合う固有結界の内部をことごとく蹂躙し、空間に満ちる何もかもを消し飛ばした。

 

 

 

「『星よ、輝きの道を征け(パラディ・シャトー・ディフ)』!!!」

 

 

 

 しかし、その叫びは確かに在った。

 巌窟王エドモン・ダンテスの決戦宝具。

 第四宝具を転用した黒炎の猛進が、白き破壊の光に満たされた結界に、一筋の暗黒を穿つ。

 半身しか残らぬ霊基。それら全てを燃やし尽くして貫いた、黙示録の獣たる魔術師への道。

 夜空の如き道程を踏み締め、守護者は駆ける。

 その両手に弓はなく、矢もなく、剣もなく。

 けれど、何かを握り締めるように両手が拳を形作る。

 それはすなわち、彼の最期の投影だった。

 

(───所詮は贋作。幾千幾億の模造品を積み重ねようと、それは真作の高みに届かない)

 

 …………なんて。そんなことを思う油断は、シモン・マグスにはない。

 英霊とは余人の想像を超えていく存在だ。その生命の煌めきによって、退屈な未来を作り変える革命者だ。脳髄の内で繰り広げられる想定を否定されることに、シモン・マグスは何ら感慨を抱かず、あるがままに受け止めている。

 太陽が東から昇って西に沈むように。

 地球が自転をしているように。

 そうであって当然の摂理と弁えている。

 故に、予感ではない。

 確信があった。

 なぜなら、迫り来る赤衣の守護者は笑っていたから。

 それは諦め、焦燥、高揚、そのどれから来るものではない────閃光の疾走陶酔(スパークスライナーハイ)────感情の原色。

 アーチャーが創るモノはみな贋作。

 たとえどれほど丹精込めてイメージを練り上げたとしても、全ての霊基を捧げて構築したとしても、真作のそれには劣る。

 それらは前提だ。

 身の丈に合わぬ業を成し遂げるなら、己の何もかもを擲ってようやくスタートライン。

 だとしても、それは本物に限りなく近い偽物でしかない。

 だからいっそ、理想を追い求める。

 この感情の原色を、究極のひと振りに換えて───────!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』!!!!!」

 

 振りかざす、黄金の輝き。

 たとえ幾星霜を経て、魂が摩耗しようとも、今もなお彼を照らし続ける星の光。

 巌窟王が切り拓いた道を、聖剣の一撃が突き進む。

 それは過たず、シモン・マグスを袈裟に切り裂いた。

 …………ここに終わるのは、たった三秒の戦い。

 確実に、絶対に、天地がひっくり返っても、彼らは敗ける。彼らは死ぬ。運命の記述を覆すこともできなければ、無限に偏在するシモン・マグスのひとりたりとも殺すことはできない。

 

 

 

「『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』」

 

 

 

 消滅の間際、守護者の放った一言が星の聖剣を自壊に突き落とす。

 もはや使い手すらいない剣が、燦然たる光熱を発して焼け落ちる。それに巻き込まれたシモン・マグス───無限に偏在するシモン・マグスのひとり───は、跡形もなく消滅した。

 

「───は?」

 

 ────ここに終わったのは、たった三秒の戦い。

  確実に、絶対に、天地がひっくり返っても、彼らは敗ける。彼らは死ぬ。

 …………その、はずだった。

 彼らは運命の記述を覆し。

 彼らは無限に偏在するシモン・マグスのひとりを殺した。

 それに名をつけるとすれば────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────『奇跡』。それは理屈を超越する。否、理屈を超越するからこその奇跡だ」

 

 第一惑星ケテル、黄金宮殿地下礼拝堂。

 凍りつく時間の結晶に囚われた『十二使徒』───カルデアレイシフトAチームの眼前にて、イスカリオテのユダは冷たい声音を天草に浴びせる。

 周囲に満ちるのは血と呪いと罪悪の庭園。ユダが有する唯一無二の宝具『この世全ての罰(アケルダマ)』。遍く生命を銀貨に変換する呪怨の結界。相対する天草は既に荒々しい息を吐き、膝をついていた。

 天草の切り札、シモン・マグスから与えられた『回転する炎の剣』。生命の樹へと至る道を閉ざす天使の剣は、炎のような雷のような威容をもって輝く。

 それは境界を仕切る刃だ。内と外、あちらとこちらを分け、一切合切を拒絶する。

 

「〝地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである〟」

 

 ユダは懐から銀貨を抜き、聖句を述べた。

 マタイによる福音書10章34節から続く、救世主の御言葉。銀貨を糧に奇跡は成り、純白の剣がユダの手中に収まる。

 それは天界の物質で構成された剣であった。黄衣の男は一足飛びに天草へと接近し、

 

「〝わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる〟」

 

 炎の剣の防御をすり抜け、斬撃を見舞う。

 地面が血に染まる。どさりと重苦しい音が響く。聖句の詠唱とともに放たれた一撃は、天草の左腕を切り落としていた。

 

「…………このように。たとえ神が置いた天の剣を持っていようと、奇跡はそれを凌駕する。お前が私に勝てぬと十分理解できるはずだが?」

「ピリピ人への手紙4章13節。なるほど、確かにあなたは奇跡を行使できるようですが───〝何事でもすることができる〟というなら、とうに決着はついていたのでは?」

 

 天草は口端から垂れる血を拭うことすらせずに、微笑む。

 

「あなたの奇跡には底がある。いいえ……そもそも他者の命で買っている奇跡など、奇跡と呼ぶこともおこがましい」

「ふむ、その体たらくでよく舌が回るものだと感心する。問いに答えず、相手を糾弾する無恥な有様にもな」

「さあ、それは邪なる奇跡を振るうあなたにこそ向けられるべき言葉だと思いますが。その厚顔さには呆れ果てますね」

「お前がそれを言うか? お前とて極東の魔術師が鍛造した聖杯擬きに縋り、邪なる奇跡を求めた身だろう」

 

 ユダの傍らで肉と骨が組み上がり、一脚の椅子を形作る。彼はそれに腰を落ち着け、頬杖をつき、足を組んだ。

 凍てついた刃のような眼差しが、余すことなく天草へと注がれる。左腕だけではない。その体は人の身で『回転する炎の剣』を振るうことによる代償を支払い、霊基の崩壊を迎えていた。

 

「ああ、自分とお前とでは目的が違う……とは言ってくれるなよ。私はお前を殺すために奇跡を振るうが、かつてのお前が目指した人類救済のそれよりはマシだと思っている」

「…………これはこれは。あなたの方こそ、先ほど他者の糾弾しかしていないように見えますが」

「いやなに、どんな心持ちで理想を成し遂げようとしたのか、一度訊きたくてね。お前、どうしてヒトの救済などというコスパの悪い事業に手をつけた」

「それは──────」

 

 

 

 

 

 ……かつて、その青年はヒトの業の果てを見た。

 天草諸島を与えられた唐津藩藩主寺沢広高は九州地方を襲った飢饉を意に介さず、領民から通常の倍もの年貢を巻き上げた。島原藩の松倉勝家もまた、民の生活を省みぬ圧政を敷き、両藩ではキリシタンへの凄惨な弾圧が行われていた。

 民衆の限界が訪れるのは時間の問題。それは誰の目にも明らかだった。目先の搾取に奔走する、愚かな為政者を除いて。

 人々は堪え難い飢えと貧しさ、粛清の嵐の中で救いを望んだ。

 そこに現れたのが、益田四郎───天草四郎時貞という少年だった。

 彼は一揆を画策する集団の旗頭となり。彼もそれを受け容れ、人々を救う神の子として振る舞った。そして、人々の怒りが決壊する事件が起きる。

 ある妊婦が年貢を納められなかった報いとして、冬の川で晒し者にされ、命を落とした。これを発端に反逆の火が熾り、一揆衆は攻勢を展開した。

 彼らは快進撃を続けた。

 続けてしまった。

 天草は理解していたのだ。この一揆は勝ちすぎてはいけない戦いだと。重要なのは支配者に痛い目を見せた上で交渉に持ち込むこと。戦の規模が広がれば広がるほどに、それは一揆の枠を越えて戦争の様相を呈することとなる。

 そうして。

 原城に集う民の数は万にも膨れ上がり。

 幕府から派遣された武将を討ち取る大快挙を成し遂げ。

 松平信綱率いる十二万の大軍勢による兵糧攻めと砲撃の末、蜂起から四ヶ月で原城の人間は皆殺しとなった。

 子どもも大人も老人も等しく飢え、残らず救いのない終わりを迎えた。

 天草の最期の記憶は、声も出せぬほど弱り切った老爺が槍で突かれ、泣き叫ぶ子どもの喉が裂かれ、物言わぬ赤子に謝り続ける母親が弄ばれ───それでも飽き足らぬ、地獄の光景。

 だからこそ、天草は人間を忌み嫌い。

 故に、人類を救わねばならぬと決意した。

 因果は巡り、彼にその機会が与えられることとなる。

 冬木の大聖杯。ルーラーとして召喚され、勝利は逃したものの受肉し、虎視眈々と計画を練り上げ、ついに聖杯大戦が幕を開けた。

 事は概ね思い通りに進んだ。

 敵の最大戦力であるセイバーとランサーが脱落し、キャスターが暴走し、アサシンまでもが彼らに牙を剥いた。

 進む陰謀と策略。大聖杯の起動に至り、目的は達成されるはずだった。

 

 

 

〝ああ……! 俺はお前が許せない!! 必ず殺す!!! 〟

 

 

 

 それを打ち崩したのは、絢爛たる英雄とは比べるべくもない存在。

 彼はホムンクルスだった。ヒトに造られたヒト。およそ人間にあるような感情とは無縁の生命。しかし、彼はあまりにも短い生の中でそれを知り、剣を取った。

 彼を最後に突き動かした感情は何か?

 憤怒と憎悪。互いに心を繋いだ聖女を失い、彼は低俗で俗悪な悪意に染まったのである。

 

〝天草四郎……俺は…お前をどこにも行かせは…しない!〟

 

 結果、彼はお前を殺すと叫び、実力差を乗り越え、愛する者の命を奪った仇敵を斃した。

 …………彼は、あの時の民衆と同じだったのだ。

 苦痛を強いられ、苦渋を舐め、苦楽をともにした大切な人を奪われ、怒りに身を燃やした、愛すべき民たちと。

 天草は、それを見ていたはずなのに、あのホムンクルスの怒りを見誤った。

 ならば。

 否。

 だとしても。

 ───我が理想が間違いなどとは、誰にも言わせない。

 

 

 

 

 

「────この世全ての悪を廃絶し、万人が善人であり、万人が幸福となる世界を実現する。それ以外に、何があると?」

 

 ばちり、と炎の剣が火花を立てる。

 神の子を殺した裏切り者は、遠き日を懐かしむように目を細めた。

 

「…………まったく、素晴らしいな。唾液が砂糖になりそうなほど甘ったるい理想だ。そんな世界があるのならばひと目見てみたいものだ、が、」

 

 彼は口元に右手を当て、もう一方の手のひらを天草に突き出した。

 左手はそのままに。椅子を立ち上がり、上半身を捻って顔を背け、嗚咽する。数秒後、彼はびたびたと吐瀉物を穢れた呪いの地にぶちまける。

 ユダは胃液で汚れた唇を袖で拭き、すっきりとした表情で天草を向いた。

 

「すまない、反吐が出た。私は理想という言葉が嫌いでな。一種のアレルギーなんだ。気にしないでほしい」

「……そうですか」

「待てよ、勘違いをするな。私は決してその世界を否定しない。できるものなら是非実現してほしいと思う」

 

 ただし、と付け加えて。

 

「それを成そうとするならば、お前は他の何をも犠牲にすべきではなかった」

 

 ……おかしいことを言っていると思ったか? いいや、そうだろう?

 誰もが善であり、誰もが幸福である世界を構築するならば、その道程で誰の不幸も許容してはならない。

 自分は他者を蹴落として、絶望させて、不幸な最期を与えたというのに、そんなやつが幸せな世界を創るなんてあまりにも虫が良すぎるだろう。

 しかも、甘い理想を語るなんて恥知らずにも程がある。

 ほら、現に、人類史では理想を語る者ほど────不幸を撒き散らしている。

 あの将軍、あの政治家、あの独裁者はみな理想を口実にして、その実、何も果たせずに自らの欺瞞と他者の悲劇だけを積み重ね続けてきた。

 犠牲にされた者は何をしようと絶対に救われない。彼らの人生が絶望で終わりを迎えたことは誰にも覆せない。否、犠牲者だとか彼らだとか、そんな言葉でひと括りにするのもおこがましい。ひとりひとりに名前があり、未来があり、大切なものがあったのだから。慰霊も鎮魂も贖罪も、全ては生者の自己満足。憐憫に浸って気持ちよくなるための自慰行為だ。

 どうして、どいつもこいつも理解できなかったんだ?

 この世に必要な犠牲はないという、当たり前で簡単なことを───!!!!!

 

「なぜなら、人間ひとりの命は地球よりも重いからだ!! 人間は誰もが尊ばれるべきであり、決して他者を不幸にしてはならない!! 犠牲を認めるというのなら、一も二もなく自分を真っ先に捧げてみせるべきだったのだ!!」

「……それではなぜ、あなたは救世主を裏切ったのですか」

 

 瞬間、ユダは立ち竦んだ。

 まるで心臓を握られたみたいに。

 そして、彼は嗤う。

 暗色がかった感情の濁流を綯い交ぜにして、それを顔面に塗りたくったように。

 

 

 

 

 

「それは……私が彼を愛しているからだ」

 

 

 

 

 

 すとんと、天草の中で何かが腑に落ちる。

 

「あなたの愛は……」

 

 ユダは、どこまでも人間だ。

 犠牲を許容してはならないと言い、その反面、愛しているから救世主を死に追いやる裏切りを果たした。あの民衆のように、あのホムンクルスのように、湧き上がる激情に身を委ねた。

 彼は理想を嫌う理想主義者。

 理想ではなく愛に殉じたひとりの人間。

 けれど、その愛の形は。

 友愛(フィリア)ではなく。

 無償の愛(アガペー)でもなく。

 

「…………性愛(エロス)────だったのですね」

 

 ユダは少年のように朗らかに微笑んだ。

 

「ああ……そうなんだ。あの人は私を、私だけを見ていてくれればよかった。あの聖性に満ちた表情を私が与える苦悦で歪ませてやりたかった。あの人が最後に受けた接吻は私のものだ。私の愛の中であの人は果てたのだ」

 

 …………天草は目を伏せる。

 かつての聖杯大戦。あの時、なぜ彼に負けたのかは理解できた。しかし、今もなお分からないことがひとつだけある。

 

〝だから、せめて我だけは、褒美をくれてやろう〟

 

 あの口付けは、一体何だったのか?

 友愛ではない。

 性愛でもない。

 無償の愛……でもないように思う。

 だって、アレは幻聴だったかもしれないけど、確かに聞こえていた。

 

〝しかし、我はどうして……いつも看取る側になってしまうのだろうな……〟

 

 彼女は自分に看取ってほしかったのか。

 それとも、別の何かを望んでいたのか。

 今となっては詮無い話だけれど。

 ひとつだけ、自信を持って言い切れることは。

 ───彼女は、とても悲しそうだった。

 

(それで、私は、何を想う?)

 

 自らに問い、自らの答えを探す。

 いや、探すのではない。それは射干玉の闇に灯る明かりのように、胸の内で熱を放つものだ。

 

「イスカリオテのユダ。あなたの言うことはきっと正しい。たとえ綺麗事でも……綺麗事だからこそ、それを否定してしまえば、全ての理想は口実になる」

 

 認めよう。

 私は嘘をついていた。

 

「誰もが幸福であってほしい願いなど、空想のおとぎ話に過ぎないのかもしれません。ですが、私はそんな夢を抱いてしか生きられない───この理想を抱いて、溺死する覚悟はとうの昔に決まっている」

 

 人間を忌み嫌い、人類を救わねばならぬと決意した。…………それは、違う。それは策謀に手を染めるため、自分を自分で洗脳した言い訳だ。

 

「なので、私は一歩目からやり直すことにしました」

 

 天使の剣をユダに突きつける。

 そこに込めるのは、敵意でもなければ殺意でもない。

 ならば、その刃に宿るのは一体何の意思なのか。

 

「〝汝の敵を愛せよ〟……誰にも区別をつけず、ただ目の前の他人を慈しむ。おや、ちょうど自己矛盾と罪の意識に苛まれている人がいますね?」

 

 それは、天草四郎時貞の原点だ。

 圧政と重税に苦しむ人々がいた。

 骨と皮だけになっても槍を手放さぬ男がいた。

 子の亡骸に乳房を寄せて与えようとしていた母がいた。

 そんな姿を見て、悲しいと思った。

 救いたいと願った。

 この想いだけは、他の誰にも否定させない。この想いを忘れていたから、大聖杯による救済などという安易な手段に飛びついた。今を苦しむ人々から目を背けて、聖杯に目移りした。

 天草は神でもなければ救世主でもない。だったら、その救いの形は聖杯の奇跡だなんてモノであってはならない。もっと地味で、地道で、目先の人々を慈しむものでなくてはならない。

 なぜなら、天草四郎は、人間を愛していたから。

 ───それを思い出させてくれたのは、あなたですよ。セミラミス。

 

「答えなさい、イスカリオテのユダ」

 

 ……そして、ジーク。あなたにも、今だけは感謝を。

 

「あなたは未来に、何を望むのです?」

 

 故に、彼の戦いはここから始まる。

 炎の剣は既に致命的なまでに霊基を損傷させている。左腕を失ったことで自身の宝具すらも半分欠けている。だが、そんなのは知ったことではなかった。

 これは再起の決意。果てなき救いの道を歩み直すスタートライン。

 ユダは、ぽつりと答えた。

 

「……もう一度、あの人に逢う。私の望みはそれだけだ」

 

 だから、シモン・マグスに手を貸した。

 やつが辿り着く根源の先に、彼がいると信じて。

 

「そのために───今はお前が邪魔だ!!!」

「その望みは尊ばれるべきだ。しかし……その手段たるこの宝具だけは、否定する!!!」

 

 刹那、穢れた奇跡と純白の雷炎が交錯する。

 罪と罰の庭園。他者の犠牲を認めてはならぬと言うくせに、他者を犠牲にするこの宝具こそが、ユダの矛盾の根源だ。

 だとすれば、この世界を丸ごと壊そう。

 天草は炎の剣を手に、屍山血河の大地を蹴った。

 

「───〝ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった〟」

 

 腐肉のように赤黒い曙光が、堕落の園を照らし出す。

 

「〝主は硫黄と火とを主の所、すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて〟」

 

 それなるは天罰の火。

 主の名のもとに地上を滅する神炎。

 

「〝これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた〟」

 

 遍く生命に向けてなお余りある業火の雨が、天草へと下る。

 彼はただ、剣の柄を強く握り締めた。

 そこにない何かを掴むように。

 捨てたモノを拾い直すように。

 

「〝わたしはあなたを選び、決して見捨てない〟」

 

 天草四郎が有する双つの宝具、その片割れ『右腕・悪逆捕食』。

 その力は奇跡の再現。自己を強化する右手であった───が、もはやそれは要らない。この右手をもこの瞬間に捧げよう。

 

「〝恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神〟」

 

 救世主は神の右方に座す。

 最後の審判では善人は右に分けられる。

 そして、奇跡を与えるのはその多くが右の手だ。

 

「〝勢いを与えてあなたを助け〟」

 

 すなわち、右に宿る意味とは。

 

「〝わたしの救いの右の手であなたを支える〟─────!!!」

 

 慈悲と救済、祝福の象徴。

 聖句によってそれを宿し。

 聖なる右をもって天使の剣を振るう。

 その足掻きに、世界は応えた。

 天よりの火焔を打ち払う、真白の炎雷。

 それは呪われ穢れた罪悪の園すらも切り裂き、正常なる空間を取り戻した。天草の掌中にある炎の剣は、まるで地面に落とした砂糖菓子みたいに崩れて消えていく。

 否、それは彼自身も同じ。その霊基は既に限界を迎え、剣によって焼き尽くされていた。

 ここにあるのは残骸。燃え尽きた灰塊。その骸さえも、炎の剣の余燼に灼かれる定めにある。

 ユダは小さく息を吐き、白く濁った髪をかきあげた。

 

「お前の戦いは何かを成すことはなかった。全ては無駄だ。故に、私がその命に価値を与えよう」

 

 ───『この世全ての罰(アケルダマ)』。

 遍く生命を銀貨に換える宝具。その領域が壊されたというなら、再度展開すればいいだけのこと。

 しかし、呪殺の暗庭は二度と現れなかった。

 サーヴァントにとって、宝具を行使するのは息をするようなものだ。剣や槍のように形あるものが壊されたのではない限り、魔力さえあれば再発動は容易だ。

 

「……『回転する炎の剣』は、境界を分かつ剣。故に、斬り離しました。あの領域とこの世界に境を作り、二度とこちらに出てこれないようにした」

「だとしても、無意味だな。お前はここで死に、皇帝と赤き竜に勝てる者はいない。私は精々引き篭もっておくとする」

「あなたにしては消極的ですね。強者が永遠に栄えた試しはない」

 

 それに、と肉体の崩壊を厭わずに告げる。

 

「この世に必要な犠牲はない……あるとしたらそれは、他者ではなく自己を捧げたモノのみでしょう」

 

 ───あなたが愛した人のように。

 きん、と天草の懐から純銀の鍵が落ちた。

 Aチームを解放する礼装。ユダの眼前に残されたのはそれだけだった。彼が勝利に愉悦を見出すことはない。

 鍵を処分するため、手を伸ばしたその時、土手っ腹に大穴が穿たれた。

 

「…………あ?」

 

 黄衣が血に染まり、体が床に崩れ落ちる。

 かくかくと瞳が揺れ、見えたものは、

 

 

 

「ンンンンン……そう! 拙僧、蘆屋道満であります!! あの問答には思わず心打たれ……誠に心苦しいことでしたが、泣く泣く漁夫の利かました所存にございます!!」

 

 

 

 平安の怪人は赤く濡れた右手を振り、血を飛ばす。

 

「いやはや、さてさて。鬼の居ぬ間に仕込みを終わらせましょうか」

 

 銀の鍵を拾い、望むは結晶に囚われたAチーム。彼らの傍らに現れた魔人トゥリシュナは妖しく微笑んで、

 

「一名のみだ。オマエは本来それを持つ者ではないからな。……さあ、誰を選ぶ?」

「ンンン、選り取りみどりとはまさにこのこと。悩みますねぇ? 亀の甲羅でも焼いてみましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───シモン、ロクスタ。きみたちの言った通りだ」 

 

 左手を失い、胴に深い傷を刻まれた赤き竜は、それでも笑っていた。

 その遥か上空に、無数の光点が輝く。

 第六惑星ティファレトを見下ろす宇宙艦隊。それらの砲撃が、赤き竜に狙いを定め、牙を突き立てる。

 魔力の奔流、砲弾の雨が地上を塵芥に還す。

 光と硝煙が立ち込め、熱風と衝撃波が第六惑星の街を揺らす。ようやく視認が能う状況になった時には、爆心地の中心で竜がうずくまるように膝をついていた。

 

「まさかこの程度で終わり、とは言いませんよね?」

 

 黒白の偽神サクラは口角を吊り上げる。

 普段のようにからかう調子の口振り。しかし、そこには張り詰めた緊張と高揚が滲んでいた。

 竜から無尽蔵の質量を無限に奪い、ここまで追い詰めた。肉体はところどころが炭化し、出血の余地すらない。その事実は見た目以上に、完全勝利の様相を呈していた───────

 

「お、げえぇっ」

 

 赤き竜の下顎が輪ゴムを引っ張ったみたいに伸びる。

 喉の奥から左手が抜け出し、次いで白髪の頭、首、胸───と、五体満足の竜がずるりと這い出した。身に纏う衣服すらそのままに。

 脱皮。存在を回帰させ、新生する奥の手。サクラたちがそれを認識した瞬間、既に竜は動いていた。

 抜け殻の頭を引っ掴み、地面に叩きつける。

 隕石の衝突さえも陳腐に思えるほどの衝撃。第六惑星の大地の下、揺らめく太陽の紅炎も吹き飛ぶ威力。余波でもあらゆる生命の存在を拒絶する嵐の中を、一条の白光が駆け抜けていく。

 ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド。その手には大神オーディンの魔槍。バルドルと化した彼のみが一切の影響を受けず、竜に躍りかかった。

 

「待っていたよ、Eチームのリーダー」

 

 抜け殻と槍の穂先が激突する。

 その抜け殻は質量崩壊の干渉を受けているとはいえ、赤き竜の肉体そのもの。質量で言えば、大陸を振り回しているに等しい。

 しかし、魔槍はそれを切り払う。

 武器から引き出したオーディンの武術。全ての時空に偏在する槍の特性。質量崩壊を引き起こすノアの粒子魔術。三位一体の業が、その結果を引き出したのだ。

 抜け殻の頭の上半分と右肘から先がすっ飛び、脳漿と血液が散る。赤き竜はくすりと笑った。

 

「ひどいことをするね。うどん玉の如く大脳がこぼれちゃったんだけど?」

「知るか。今におまえもそうしてやるから覚悟しとけ。つーか中身詰まってんなら抜け殻じゃねえだろ!!」

「その点ぼくってすごいよね。抜け殻までモツたっぷりだもん」

「うるせえ! その減らず口から舌ぶっこ抜くのが先か!?」

 

 赤き竜は二つに割れた舌先をちろりと出して、

 

「やってみなよ。あるいは、きみにはその可能性がある。ぼくを二度殺した天使シェムハザのようにね」

「たったの二回か? 安心しろ、おまえは三千世界の果てまでぶち殺す」

 

 ───刹那、壊れた世界の中を無数の攻防が駆け巡る。

 時に近づき、時に離れる赤と白の光芒。

 両者に防御や回避の概念はない。果てしない生命力と耐久力に物を言わせた赤き竜と、無敵にして不死身故に一歩も退くことのないノア。互いへの全霊の殺意だけを注ぎ込んだ攻撃が、幾千と交わされる。

 しかしながら、両者の戦い方は真反対。竜は愚直に打撃のみを繰り返し、ノアは手を変え品を変え、いくつもの魔術と宝具をぶつけていた。

 千日手、と呼ぶにはあまりにも熾烈で凄絶な殺し合い。竜の右拳がノアを打ち据え、しかし、その拳はぎしぎしと軋んだ。

 

「───すごいね。ぼくが壊せないと思ったのは、きみが初めてだ」

「そりゃ敗北宣言か? それなら聞かなかったことにしてやる。ひとしきりボコった後に負けを認めさせんのが一番気持ちいいんだよ!!」

「ははっ、クズだね」

「まったくだ。途中降参なんてクズの所業に等しいからな」

「きみのことを言ったんだけど???」

 

 竜は首を傾げて、横薙ぎの一閃をやり過ごす。

 脱皮を経てヒッグス場の干渉による質量崩壊は止まっているが、ノアの攻撃を受け続ければ再開することは間違いない。

 それでも脱皮を繰り返していれば負けることはないだろう。こちらの攻撃は現状通らないが、極論、ノアが寿命を迎えるまで戦い続けることもできる。

 とはいえ、極論は極論。

 できるというだけで、やる意味も時間もない。

 だから。

 

「魔術……魔術ね」

 

 赤き竜はほくそ笑み、

 

()()()()()()()?」

 

 当然のように、魔術を行使した。

 

「誇るといい。ぼくが搦め手を使ったのも───きみが初めてだ」

 

 瞬間、世界が反転する。

 固有結界。己の心象風景で世界を塗り潰す絶技。魔術師の世界では到達点のひとつであり、ほんのひと握りの人間しか扱えぬ奥義だ。

 赤き竜はいとも簡単にそれを構築してみせた。

 全能なる父が創りたもうた『野の獣で最も賢い生き物』───蛇であるが故に。

 ただし、その結界は心象風景の投影などではなく。

 蠢動する肉壁が空を覆い閉ざし、酸の大海に満たされた壺中の天。赤き竜の胃袋であった。

 ノアは鼻を鳴らし、

 

「これがどうした。俺が書き換えれば済む話だ」

「そうだね。ハイ・ブラジル島の戦いのように、きみは固有結界の押し合いにおいては無敵だ」

 

 しかし。

 

「きみの結界(セカイ)でぼくの結界(おなか)を満たすまで、時間はかかるだろう?」

「……おまえ、」

「───じゃあね」

 

 次元跳躍。赤き竜はシモン・マグスの専売特許をも行使して、固有結界から離脱する。術者を内包しない固有結界というものが、どれほど異常であるかも知らずに。

 そして、現れる先は。

 第六惑星の遥か上空。天空より赤き竜へ砲門を向けていた艦隊の旗艦、オールト三号の艦橋であった。

 

「…………はあ!!?!?」

 

 それは誰が発した悲鳴だったか。

 突如として現れた最強の竜。何の変哲もない立ち姿。それさえも嵐のような存在感を発する佇まいに、全ての者が呼吸を忘れて硬直した。

 まるで、蛇に睨まれたみたいに。

 赤き竜は自身の抜け殻をブチブチと引き千切り、ぐしゃりと片手で肉塊を潰して固める。

 

「ロクスタから聞いたことがあるんだ。日本で大人気のメジャーリーガーは、ライト前のゴロを返球したら人類を滅亡させたとかなんとか」

「……い、いつのネタだと思ってます? それ」

「白亜紀とかかな? それでティラノサウルスと戦ってた男が岩塩層から発掘されるんだよね」

「いや世界観がおかし─────」

 

 立香の言葉は途中で遮られた。

 赤き竜は勢い良く振りかぶり、己が血肉を投げつける。

 その投擲は旗艦どころか、艦隊をひとつ残らず蒸発させる威力を秘めていた。絶叫する暇もなく、彼らは原子に還る。赤き竜の侵入を許した時点で、結果は決まりきっていた。

 

 

 

「それじゃあ、ピッチャー返しと行こうか☆」

 

 

 

 気の抜けた宣言。赤き竜の投擲がくるりと跳ね返り、顔面ど真ん中に突き刺さった。……否、竜は大口を開けて、自身の肉塊を喰らい、咀嚼する。

 もごもごと顎を動かしながら、竜は言った。

 

「……自分を食べたのは初めてだよ、ダイアン・フォーチュン。もしかして、ぼくの天敵は魔術師なのかもしれないね」

「過大評価さ。竜の天敵は竜殺し、つまりは英雄だ。キミは、相性なんて全部無視できるくらい強いだけだよ」

「さあね。強さに意味なんてないさ」

 

 ───ただ、ぼくは、やらなくちゃいけないことがあるだけだ。

 

「そのためには、ぼく自身ががんばらないとね」

 

 ごくりと喉を鳴らし、赤き竜はある一点を指差す。

 

 

 

「藤丸立香。まずはきみを喰らうよ」

 

 

 

 絶死の宣告。赤き巨影を呼び寄せ、竜が飛びかかる───両者の間に、黒白の暗影が立ちはだかる。

 

「ぶっ殺します」

 

 偽神サクラ。異空間から現れ、マシュを蹴り出すと、石の双剣をもって巨影を裂いた。

 

「私のママに手ぇ出そうとするとか、死ぬ覚悟はできてるんですよね? 答えなくていいですよ、どちらにしろ潰すので!!」

「誰が誰のママ!!?!?」

「きみか。きみのことも狙っていたんだ。一口いただこうか」

「は? キッモ。まずその顎から切り落としてあげます」

 

 その時、赤き竜はぴくりと耳をそばだてる。

 

「…………ああ、我慢できなかったか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────宇宙艦隊が黄金の光を浴びる。

 それはまるで、もうひとつの太陽が出現したかのような暴力的な光と熱であった。

 月ほどに巨大な、絢爛なる黄金戦艦。ただそこに在るだけで太陽風に匹敵するプラズマを放ち、赫々たるフレアを纏っている。

 それこそは銀河皇帝専用座乗艦『黙し滅す黄金劇場(アストルム・ドムス・エテルニタス)』───その御座より、太陽を纏う女は告げた。

 

「『何を戯れておるのか、赤き竜よ』」

 

 重く、威厳のある声。それでいて心を末端から蕩かすような艷やかな音色が響く。

 しかし、

 

「『───戯れならば余も混ぜるがよい! 愉しみをひとり占めにするのはずるいぞ!』」

 

 一転、不機嫌さを隠しもしない幼稚な声音に変わる。誰もが頬を膨らませたむくれっ面を想像した時、これまた珍妙な声が入ってくる。

 

「『ベイバロンさまを泣かせるとか許せねぇ〜!! アレです、いっちょド派手にやっちゃってください!!』」

「『うむ。流石はロクスタ。余の全肯定マシーンである! ここは派手に盛り上げるとしようではないか!』」

 

 そうして、黄金の艦が漆黒の星海を白く塗り潰した。

 船体の装甲表面からプロミネンスが立ち昇り、数多の火の手と化して、宇宙艦隊を貫かんと迫る。

 

「『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!!」

 

 マシュは驚愕も戸惑いも、あらゆる感情を置き去りにして、宝具を行使した。

 

「『ほう?』」

 

 銀河皇帝が発した声は、炎に呑まれて消えていく。

 太陽の炎に撃ち抜かれ、蒸発する宇宙艦隊。旗艦であるオールト三号は黒煙を噴き上げ、第六惑星の地表へと墜落する。

 その最中。赤き竜は焼かれながらも平然と宝具の聖門を蹴りつけ、聖壁に護られた立香たちの墜落を、オールト三号の外壁を突き破って加速させた。

 衝撃と轟音。宝具が解け、なおも竜は大口を開けて迫り来る。

 

「『この世全ての(ポイマンド)──────」

 

 ───宝具の発動よりも速く、竜の顎が偽神の左腕を喰いちぎった。

 サクラは咄嗟に左腕を再生しようとする。が、その肩口からは血が溢れ出すばかりで一向に再生される気配はない。

 

「『赤き竜は世界の破壊者。その顎に喰い千切られたモノは二度と治らぬ』」

 

 天空に輝く黄金の艦船より、冷たい声が降り注ぐ。

 赤き竜はサクラの左腕に歯を突き立てていた。熟した果実のような肉が破れ、血が果汁のように流れ、砕いた骨ごとそれらを呑み込む。

 鼓膜を侵す異様な音が鳴り響き、ロクスタは告げた。

 

「『そして当然、食べるという行為は相手を己に取り込み、血肉に換えることを意味します』」

 

 たとえば、アステカの人間は戦いで捕らえた敵の戦士を食べることがあった。それは単に空腹を満たし、栄養を得るためではない。相手を食べることで、その人間の力を自分のものにできると信じていたからである。

 そして、赤き竜が幼体に甘んじていたのは、あまりにも極大すぎる自身の質量を現世に顕現できなかったからだ。

 赤き竜は一部とはいえ偽神を喰らった。

 この物質界を支配する造物主を。

 すなわち、物質を支配する権能を。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 

 ───赤き竜の姿が変わる。

 それは存在の変革。

 さらなる位地への上昇。

 否、本来の霊格を取り戻す変奏であった。

 130cmほどの背丈がぐんと倍以上に伸び、豊かに肉づいた胸部と臀部が服を裂く。結果、蛇の頭を模したパーカーが頭巾のように残り、首から下は雪のように白い肌───一糸まとわぬ暴力的な肢体を───惜しげもなくさらけ出していた。

 赤き竜は熱く湿った息を吐き出す。

 ほんの前までとは異なる、大人びた美貌。舌で唇をなぞり、変革を経た身体の動きを確かめるように伸びをする。息をする度に、竜の豊満な肉がぶるんと震えた。

 

「……うん。せっかくだし、名乗りをさせてもらおうか」

 

 まるで天使のように。

 漆黒の光輪と翼を現し、竜は翔ぶ。

 

 

 

 

 

 

「ぼくは『三位一体の獣(トリニティ・ビースト)/赤き竜(サタン)』───サマエル。昔は『楽園の蛇』とか『憤怒の魔王』なんて呼ばれたこともあったけれど、結局ぼくの存在意義はただひとつ。この世界を滅ぼす、終焉絶滅機構だ」

 

 

 

 

 

 

 ───よろしくね♡

 そう言って、赤き竜・サマエルはちろりと舌を出す。

 進化を遂げた最強の獣。成体と化したこの時、もはや今までの定石も解釈も情報も通用しない。なにもかもが未知数の存在へと成り果てた。

 立香は強く拳を握り締め、怖気を殺す。

 身体の震えは一瞬の遅れに繋がる。そして、その遅れは致命的な差になりかねない。

 常人にすぎない立香がサマエルの強さと速さに反応できるはずもないことは百も承知。しかし、彼女の戦いは常に先手を取られるような、そんな戦いだった。

 

「『待て、赤き竜よ! 余より目立つのは許さぬぞ! ここは余に出番を譲るがよい!!』」

「ん〜、仕方ないね。いいよ、ぼくもボスっぽくふんぞり返ってるだけのターンが欲しいし」

「『ふっふっふ……弁えておるではないか。それでは、そこなマシュマロなすびニンゲンよ! 盾を構えよ!』」

「……はい?」

 

 思わず目をひそめるマシュ。銀河皇帝は冷気を帯びた声で言った。

 

「『貴様の盾───余が壊す』」

 

 皇帝の座乗艦が、時空を捻じ曲げる。

 清廉にして清浄なる光が渦巻き、宇宙に満ちていく。

 中心点は皇帝の艦……その御座、『熾天の玉座』。根源と通じ、向こう側の諸力を流出させる特異点であった。

 立香たちは───あのハイ・ブラジル島で戦った者たちは、その光に見覚えがあった。

 『無限光(アイン・ソフ・オウル)』。『真なる人(アダム・カドモン)』が扱った根源の力であり、可能性の光。あらゆる不可能を可能にする全能の奔流を纏い、銀河皇帝ベイバロンはただ一点、マシュ・キリエライトを指差す。

 

「『そら、宝具を使わねば仲間が死ぬぞ』」

「───『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

 天空より一条の極光が放たれる。

 さながら大地に突き立つ光の剣。

 あらゆる可能性に満ち、あらゆる可能性を消去する一撃であった。

 故に。

 それがどんなに完璧であろうと、絶対を誇ろうと、全てが無為無意味。

 聖盾と光撃の交錯は一瞬。

 衝突の瞬間に、勝敗は決まった。

 如何に鉄壁であろうと、それが構築される前に戻してしまえば意味はない。ベイバロンの放った一撃は時間を逆行させる光だった。

 キャメロットの聖門は即座に巻き戻り、盾さえも組み立てられる前のパーツに分解され────その光を生物が受ければ、赤子どころか受精卵、さらにその前の無にまで巻き戻される。

 後に残るモノは絶無。存在の痕跡すら過去に置き去りにする───マシュが思わず死を覚悟した瞬間、ひとつの声が耳朶を叩いた。

 

「『慈愛の盾(アイギス)』───ッ!!」

 

 黄金の山羊皮を翻す、地母神。

 その護りが光を受け止め、上方へと逸らす。

 しかし、それが限界。受け止めた刹那、アト・エンナが誇る山羊皮の防具は黄金の輝きを失っていた。

 ベイバロンはそれを微笑とともに見つめ──────

 

 

 

 

 

 ────ここに終わったのは、たった三秒の戦い。

  確実に、絶対に、天地がひっくり返っても、彼らは敗ける。彼らは死ぬ。

 …………その、はずだった。

 彼らは運命の記述を覆し。

 彼らは無限に偏在するシモン・マグスのひとりを殺した。

 しかし、この場の勝者だけは揺るがない。

 シモン・マグスは固有結界を解き、カルデアスを目前にする。彼は目を細め─────

 

 

 

 

 

 ────両者は同時に、確信した。

 

「「…………勝った」」

 

 成体となった赤き竜。

 根源の力を掌握する銀河皇帝。

 そして、カルデアスを前に阻む者のない魔術師。

 王手を掛け、後は相手の駒を手に取るのみ。勝利というものが触れられるものだとするならば、彼らの指先はそれに届いていた。

 これよりは運命の記述の先。

 誰も知り得ぬ未来の始まり。

 歓喜するがいい、汎人類史の現住生命体よ。

 お前たちが日頃感じている鬱屈とした閉塞感をブチ壊し、未知の景色を見る時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「─────舐めるな!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時。

 星の魔剣が閃き。

 冠位の剣撃が次元を裂き。

 そして──────────

 

 

 

「あ〜ら、おクッソ大ピンチであらせられますわね。……ところでエレナっち、あのクソバカはどこに?」

「え? アレイスター? アンナが見ていたんじゃなくて!?」

「あの脳みそスポンジ野郎なら、第一惑星に向かったぞ。アヘンキメてるようなヤツを気にするだけ無駄だ」

 

 第六惑星に現れる、三人の魔術師。

 アンナ・キングスフォード。

 エレナ・ブラヴァツキー。

 マクレガー・メイザース。

 三者は立香たちの前に降り立ち、成体と化した赤き竜を見ると、振り返って言った。

 

「トンズラこきますわよ」

「ダッシュで逃げるわよ」

「逃げる他にありえんな」

 

 ……その一方、『黙し滅す黄金劇場』は星の魔剣の一撃を受け、がくりと機体を傾かせていた。がしゃがしゃと調度品が床を転がっていく艦内で、銀河皇帝とロクスタは必死に玉座にしがみついて、

 

「ぬおおおおお!!? アレが騎士アド・エデムの魔剣───大枚叩いて建造した余のリゾート船が!! ロクスタ、早急に第九惑星に赴いてヤツを討て!!」

「ごめんなさいそれは無理ですベイバロンさま!! 三枚おろしどころかペースト状になるまで切り刻まれますって!!」

 

 …………さらに、カルデア管制室。カルデアスへと手を伸ばしかけていたシモン・マグスの上半身が、袈裟に両断される。それを成したのは、虚空から伸びるひと振りの神剣。グランドセイバー・バトラズが、異次元からの帰還を果たしていた。

 

「ッ……千光年先に飛ばしたはずなのだがな───!!!」

「あん? センコーネン? 難しい言葉使うんじゃねえ。アーチャーとエドモンの仇だ。ぶっ殺してやる」

「……どうやって戻ってきた?」

「───気合と根性に決まってんだろ!!!」

 

 ………………そして、第六惑星に戻り。

 赤き竜サマエルはくすりと笑う。

 

「……それで、ぼくがみすみす逃がすと思うのかな?」

「───アナタこそ、我らが英雄をナメていらっしゃる?」

 

 アンナの問いと同時に、英霊たちの一撃がサマエルに殺到する。

 ペレアス、ジャンヌ、マルタ、ゲオルギウス、ヘリオガバルス、宮本武蔵────彼らの乾坤一擲の攻撃は、赤き竜の指のひと振りで打ち砕かれた。

 アト・エンナは山羊皮に再度黄金の輝きを灯し、前へと進み出る。

 

「ペレアス、ジャンヌ、さっしー。あなたたちはアンナさんたちと一緒に逃げなさい。前に言ったように、ここでの私たちの敗戦は決まっていました。できることは、その傷を浅くすることだけです」

「アレ? オレも? オレもここで死ぬ感じ? おいおいおい、やめろよまだケツの穴にブレスケアとかブラギガスとか挿れて遊んだりしてえよ」

「きみだけは別件で死んだ方がいいんじゃないかな?」

「まったくもってそこのドラゴンの言う通りでいやがりますが……聞きなさい、ライダー」

 

 アンナは三画すべての令呪を解き放ち、

 

「ここで死ね、ヘリオガバルス」

「ああああああ!! やりやがったこいつ!! お前それでも人間か!?」

「テメェはこうした方が悦ぶでしょう?」

「よくわかってんじゃねえか!! 触媒ナシでオレを喚ぶマスターなだけはあるぜ!!」

 

 情緒不安定なのか───サマエルですら心の中でツッコみ、ヘリオガバルスは戦車を走らせようとする。

 サクラは蹴り一発で車体を横転させ、残った右腕で石の剣を竜へと差し向けた。

 

「よくも私の左腕を千切ってくれましたね? 贖罪の余地はありませんよ?」

 

 立香はその行動の意味を察して、

 

「サクラ。……残るつもり?」

「ハッ、私が〝ここは任せて先に行け〟なんて殊勝なムーブすると思います? ただムカついたからぶっ倒してやりたいだけですよ。それにこっちには竜殺しサマが二人もいるんです。負けるはずないじゃないですか。ねえ?」

「アレを竜と呼んでいいのかは甚だ疑問ですが……微力を尽くしましょう」

「まずは服を着せるところからね。あんな歩く猥褻物は風紀的に許しておけないわ」

 

 ゲオルギウスは剣を構え、マルタは拳をゴキゴキと鳴らす。赤き竜は瞳孔を細め、からかうように言う。

 

「……それじゃあ、きみたちは今から死ぬし、逃がした仲間も追っていって殺すわけだけど。何のために戦うんだい?」

 

 サクラは吐き捨てるように笑い、

 

「こっ恥ずかしい答えですけど────ええ、希望のためですよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……時間を遡り、第六惑星にて戦いが始まる少し前のこと。

 第十惑星。荒廃した地球を歩く、ひとりの男がいた。

 

「…………はあ」

 

 気の抜けたため息。短く切り揃えられた頭髪をぽりぽりと掻き、当て所なく灰色の大地を一歩ずつ踏み締める。

 彼はたった数十分前に召喚された、はぐれサーヴァント。与えられた知識も最低限で、なにがどうして地球がこんなことになっているのか、見当もつかなかった。

 とはいえ、職業柄、サバイバルは経験済み。……今の今まで生物らしい生物が見当たらないことを除けば、問題はない。

 彼は空を仰ぐ。

 星々を繋ぐ、黄金の枝。

 その一点に目を向け、安堵の息を吐いた。

 

「ああ、よかった。この世界にも、月はあるんだね」

 

 そうして、この日、カルデアは敗走した。

 『三位一体の獣』の誰ひとりとして討伐することもできずに。

 けれど、希望は確かに芽吹く時を待っていた。





・現在判明している異聞天球界の歴史

 楽園の世紀

 0年 天地創造。生物の誕生。生物は神の楽園で暮らすこととなる。

 4999年 最初の人間の片割れが、蛇の誘惑を断る。

 5000年 天使『明けの明星』、神を弑逆。堕天使の軍勢を率い、天界にいた天使たちを皆殺しにする。また、楽園の住民は明星の手によって住処を追われる。これを天界戦争と呼称する。

 大罪の世紀
 
 5000年 明けの明星含め五羽の堕天使と二匹の獣がそれぞれの支配域を地球上に創り出す。その後、彼らは自らを『七大罪の魔王』と僭称する。

 5001年 『七大罪の魔王』が『亜霊百種』を創造。現在の異聞天球界に住まう全ての亜霊たちの祖先となる。

 5116年 楽園の住民が魔王征伐の戦を開始。後に慰神戦争と呼ばれる。

 5663年 十二使徒降臨。これにより、次第に戦局は楽園の民へと傾いていくこととなる。

 5665年 魔王ベルゼブルが眷属『万死の虫皇』を展開。結果、総人口が十分の一にまで落ち込み、楽園の民含め対『七大罪の魔王』勢力は各地の拠点に追いやられる。状況を打開すべく、十二使徒の主従『美姫』と『武人』が単身特攻。ベルゼブルと相討ちになる。

 5666年 慰神戦争終結。

 ■■の世紀

 5667年 グリゴリの天使シェムハザが魔術を学問として創始する。

 5792年 グリゴリの天使アザゼルがマナの操作や術式の構築・詠唱を機械に代行させる技術を開発。自らの才覚と精神感応が肝要となる抽象的な魔術よりも、具体的で即物的なこちらが民衆に広まった。言わば工業革命である。

 5793年 シェムハザが現存の全魔術を文章の式に変え、集合的無意識に落とし込む(クラウド化)ことに成功。また、アザゼルは前年の技術をさらに発展させ、生体との融合を実現する。これにより、全ての亜霊が魔術を使えるようになった。術式がデータやシステムだとするなら、集合的無意識をインターネットに見立てた方式である。

 5800年 機械文明の訪れによって急速な発展を遂げる最中、突如七体の獣が誕生。自らを人類悪、黙示録の獣と名乗る七体は各惑星への攻撃を開始。

 5801年 天使シェムハザを頭目として、熾天の玉座防衛戦開始。また、『深淵』結界構築。これが贖罪戦争の開戦となる。

 5822年 『星の魔剣』鍛造完了。騎士アド・エデム、星剣によって残存する三体の人類悪の獣を斬滅。贖罪戦争終結。

 5904年 最後の人間が逝去。

 薔薇の世紀

 6677年 異界よりシモン・マグスが襲来。トゥリシュナとともにシェムハザを打倒し、『熾天の玉座』を我が物とする。

 6680年 シモン・マグス、『熾天の玉座』を禅譲。銀河皇帝ベイバロンは記録抹殺刑を行い、当時の亜霊たちの記憶からシェムハザの存在を消し去った。

 6686年 魔術のクラウドサービスが従量課金制に。また、宮廷魔術師シモン・マグスが定額課金制のサービス『manazon_prime magick』を開始。

 7000年 アド・エデムの居場所が判明。銀河皇帝は騎士を『滅びの種子』と認定、捕縛。身柄は監獄星に送られ、以降研究材料として利用される。

 7963年 『真なる人』がテクスチャの交換を成し遂げ、Eチームがこの世界に降り立つ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。