自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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あけましておめでとうございます。ジークくんとバスに乗る夢を見ました。吉兆で良かったです。


第14話 愛と憎しみは炎の如く

 オルレアンを巡る戦いは、ジャンヌたちの優勢に傾きつつあった。

 元々、サーヴァントの数では圧倒的に上回っていた戦場だ。兵の質では遅れを取るが、将の質は遥かに凌駕している。

 それらを一掃し、戦局を覆す可能性があったのがファヴニール。例え英霊であっても、一撃で屠ることのできる邪竜はまさしく竜の魔女にとっての切り札だったはずだ。

 しかし、その切り札も竜殺しの伝承を持つ英雄たちに敗れた。若干名、とどめを掠め取った騎士もいたが、そこはご愛嬌だろう。

 それでも、勝負を決しきれていないのは、竜の魔女の軍勢が誇る無尽蔵の物量にある。聖杯を利用して生み出される飛竜と、狂気の魔導書より産み落とされる海魔。元を絶たない限り、この戦いがジャンヌたちの勝利になることはない。

 ジャンヌとマシュは、互いの隙を埋めるように得物を振るう。

 徐々に戦列を押し上げてきた彼女たちだが、竜の魔女へ辿り着く最後のひと押しが足りなかった。

 マリーがガラスの馬に騎乗し、突破を試みるも湧き出る敵の多さに引き返さざるを得ない。元凶に近づくほど、接敵する数は跳ね上がっていく。

 時間は味方をしない。サーヴァントの数が揃っているとはいえ、主力は常人の兵士たちだ。彼らが全滅すれば、いくら超常の武力を持つサーヴァントといえど、物量にすり潰されてしまうだろう。

 焦れたマシュは、己のマスターに提案する。

 

「先輩! わたしの宝具で防御を固めて強引に突破するというのはいかがでしょう!?」

 

 立香(りつか)は逡巡した。

 このまま戦っていても、埒が明かない。竜の魔女を倒す余力も考えて、サーヴァントの体力は温存しておきたい。

 だが、マシュは今や守りの要だ。ここで彼女を消耗させたくないというのも事実であった。

 手の甲に視線をやる。赤く刻まれた三画の令呪。これを使うという選択肢もあるが───立香は、首を横に振る。

 

「大丈夫。ここは私たちの仲間を信じよう」

 

 思い出せ。一緒に戦っているのは、人類史に華々しく名前を残す英雄たちだ。百戦錬磨の彼らが、この状況を理解していないはずがない。

 通常の戦ならば、彼女の理屈は通用しないだろう。が、ことこの戦いにおいては、分の悪い賭けではなかった。

 邪竜は倒された。相手をしていた四人のサーヴァントが援軍に来ても良い頃合いだ。

 それに応えるかのように、上空から墜落する人影。なぜか両手に一本ずつ剣を持ったペレアスが、手頃な海魔を切り裂いていく。

 立香とマシュは声を合わせて、

 

「「ペレアスさん!?」」

「よお、二人とも! 良い知らせとめちゃくちゃ良い知らせ、どっちから聞きたい?」

「選り取りみどりじゃないですか。それなら、良い知らせからで」

 

 その会話の合間にも、ペレアスは剣を振るっていた。得物が折れれば近くの武器を拾い、それを使って攻撃し続ける。

 セイバーのクラスにも関わらず、槍や斧も利用する節操なしだった。

 

「良い知らせは、ノアのやつがロベスピエールを倒したことだ。これで心置きなく竜の魔女をやれるぞ!」

「よかった、リーダーの方は成功したんですね! じゃあ、めちゃくちゃ良い知らせっていうのは?」

 

 立香の問いに、ペレアスはできる限りのキメ顔で返す。

 

「オレがファヴニールにとどめを──」

「先輩、これ以上は聞く価値がなさそうです」

「うん、時間もないからね」

「ごめんなさい冗談です!」

 

 軽口を叩きつつも、彼が来たことで周囲の戦況は大分好転していた。

 敵の攻撃の隙間を掻い潜り、編成の弱い部分を突く。ペレアスはその一連の動作が誰よりも速く、洗練されている。度重なる戦争の経験が、彼の体を反射よりも先に突き動かしているのだ。

 ペレアスの戦いは少数対多数で始まることが多かった。その中で培われた勘が、彼の強みだった。

 一見無造作に繰り出した後方への回し蹴りが、海魔を無残に破裂させる。

 立香たちに背を向けて、彼は言った。

 

「ここはオレに任せて先に行け、ってやつだ。竜の魔女は頼んだ!」

 

 確かに、ペレアスならば敵を引き付けたまま生き残ることは可能だ。むしろ、彼の得手とも言えるだろう。

 そうして、敵の手薄な場所ができればそこを貫いて、竜の魔女の元へ辿り着ける。

 立香は力強く頷き、ジャンヌとマリーに叫んだ。

 

「──分かりました。ジャンヌさん、マリーさん、行きましょう!」

「はい! ペレアスさん、ご武運を!」

「ええ、わたし、貴方のことは絶対に忘れませんわ!」

 

 少女たちは飛竜と海魔の包囲網を抜け、オルレアンの街へと走っていった。

 騎士として、これほどの名誉はない。ましてや、可憐な乙女たちの力になれるというのなら、断る者はいないだろう。

 ペレアスは一層腕に力を込めるが、ふと気付く。

 

「……オレ、何気に死亡フラグ立ってねえか?」

 

 

 

 

 

 

 オルレアンの内部は、一面の焼けた廃墟だった。

 どれほどの高温で熱したのか、至るところが真っ黒に染まっている。散乱した炭が元は木であったのか、人であったのか区別が付かない。

 竜の魔女は、逃げも隠れもしなかった。

 居場所を知らせるかのように旗をなびかせ、後方には聖杯を設置している。

 睨みつけるような眼。固く切り結んだ唇。ジャンヌたちの姿を認めると、彼女はすらりと剣を引き抜く。

 追随して、側に控える魔術師──ジル・ド・レェも、外へ向けていた魔導書のリソースを変更した。

 地面から滲み出るように現れる海魔。今更そのような化け物を恐れる彼女たちではなかった。ジャンヌは一歩前に進み出て、もうひとりの自分と対峙する。

 一度目と変わらぬ灼熱の憎悪。視線を交わすことでその奥にあるものを探ろうとするが、堆積した憎しみだけが彼女の全てなのだと思い知らされた。

 何を言おうと最早変わらぬ。互いに血を流し、殺し合うのは定められている。

 ここが分水嶺。彼女たちの勝敗によって、フランスの運命──果ては世界の辿る道が決まるだろう。

 故に、二人のジャンヌが発した言葉は同じだった。

 

「「──もう、終わりにしましょう」」

 

 瞬間、炎が巻き起こる。

 竜の魔女の意のままに動く魔炎。果て無き怨嗟がカタチを成した、彼女の憎しみそのものだ。

 それが地を舐めるように走る。骨肉を灰へと還す火の波。先頭に躍り出たマシュは盾をかざし、立香たちを庇う。

 真っ二つに裂けた火炎を回り込むように竜の魔女は走り、もうひとりの自分目掛けて旗の穂先を突き出す。

 ジャンヌも負けじと得物を手繰り、突きを受け流した。竜の魔女へとガラスの矢玉が降り注ぐが、炎とともに身を翻すことで一蹴される。

 ビリビリと手に残る振動。ランスロットの斬撃と同じかそれ以上の衝撃に、ジャンヌは違和感を覚えた。しかし、思考に没頭する時間は与えられていない。頭上より振り下ろされた巨大な触手を、飛び退いて躱す。

 

「神は大きな過ちを侵した!」

 

 竜の魔女は高らかに糾弾する。

 彼女の目は空の向こう側に坐す神を望んでいるようだった。

 

「この世界を創り出したことこそが、全ての悲劇の始まり……! 完璧な神がなぜ完璧な世界を創れなかった!? 多くの人間が苦しみの渦中にあるこの状況こそが、神の不完全性を示している!!」

「竜の魔女として殺戮を繰り返した貴女が、何を言う!」

 

 ジャンヌは旗を振り上げる。竜の魔女はそれを悠々と回避し、堂々と言い放つ。

 

「ならば私は──神に肯定されている。私の悪行が咎められていないというのなら、神は私の行いを認めているということでしょう? ねえ、ジル?」

 

 背後より立ち昇る魔の怪炎。

 傲岸不遜な物言いに、ジルは疑いようもなく饗応した。

 

「ええ、まさに! ジャンヌ、貴女には復讐する資格がある! 想像を絶する苦しみ、痛み──この世界を焼くには十分過ぎる理由でしょう!!」

「……ジル! 貴方までそんなことを……」

 

 ジャンヌの反論を封殺するように、炎と触手が唸りをあげて襲いかかる。動きが鈍った彼女を、マシュが盾となりマリーが騎馬で拾い上げる。

 目の前にいるジル・ド・レェは実直な武人としての姿ではなく、童話のモチーフにもなった残虐な狂人としての側面が現れている。

 変わり果てた彼を、ジャンヌは信じることができなかった。なぜなら、彼女にとってジルは共にオルレアンを救った掛け替えのない仲間だ。

 竜の魔女が放つ炎と、ジルが喚び出す海魔。その連携は異様なほどに息が合っている。

 騎馬のアドバンテージを活かし、攻撃を掻い潜るマリー。竜の魔女は彼女に目をつけ、嘲弄するように言った。

 

「マリー・アントワネット! 王妃としての人生だけを望まれ、ロベスピエールに殺された貴女にも理解できるでしょう!」

 

 マリーは、確固たる信念でもって言い返す。

 

「あの処刑は、民衆の意思です。滅びゆく王権を最後に担ったのがわたしとあの人だったというだけ。彼らに恨みを抱く余地など、何処にもありはしません!」

 

 否定の言葉とともに、彼女は突撃する。標的は竜の魔女。華々しい薫風を纏い吶喊するも、左手の剣の一撃に押し留められてしまう。

 宝具を使った訳ではないせよ、全力最速の攻撃が防がれた。竜の魔女の表情には未だ余裕があり、実力の底が見えなかった。

 竜の魔女はわざとらしく首を傾げ、マリーに問う。

 

「愛しい愛しいルイ17世(むすこ)が虐待死を遂げたことすら、貴女は許すというのね? ああ……なんて可哀想。あの子には、何の非もなかったでしょうに」

 

 そこで、マリーは口をつぐんだ。

 ルイ16世との間に産まれた子、ルイ17世。彼は8歳にして親と生き別れ、以降壮絶な虐待を受け続けた。

 身体的虐待、精神的虐待、性的虐待──ありとあらゆる悪意をその身に浴びたルイ17世は、結核が原因で10歳の時にこの世を去る。

 彼が亡くなった場所は、汚物に塗れた暗い独房の中だったという。

 人の悪意を煮詰めたような苦痛の果て、孤独に死んでいった我が子を憐れまぬはずがない。そんな仕打ちを行った者へ向ける感情は…………

 思考が乱された、一瞬の硬直。その間に竜の魔女は手のひらに火を灯し───

 

eihwaz(エイワズ)!!」

 

 ──立香の手によって発動された防御のルーンが、直撃から身を守る。

 マリーは咄嗟に飛び退いていたが、至近距離からの火炎放射を避け切ることはできなかった。

 所々に火傷を負う彼女に立香は駆け寄り、すぐさま治療のための礼装を起動する。

 

「マシュ、カバーお願い!」

「はい! 傷ひとつ付けさせません!」

 

 魔術回路を稼働させる。全身をかけ巡る血の温度が上がるような感覚。とうに慣れた感覚だが、この極限状況では煩わしさすら覚えてしまう。

 靄がかかる意識に鞭を打ち、全力で礼装の性能を引き出す。

 マスターの役目はサーヴァントの補佐だ。血を流して戦うことのできない以上、弱音を吐いて良いはずがない。

 ノアは立香を信じると言った。共に未来を取り戻す仲間として、この戦いは負けられないのだ。

 そんな立香のこわばった頬を、マリーはそっと撫でた。

 

「立香さん、落ち着いてください。こんな時にまで、表情を取り繕うことはありません」

 

 炎の海、悍ましき化け物が荒れ狂う戦場にありながら、彼女は慈母の如き微笑みをみせた。

 けれど。

 頬をなぞる指は、小さく震えている。

 

(……ああ、この人は)

 

 なんて美しいのだろう、そう思った。

 王家の偶像。ただそれだけを切望されたマリーにとって、人生はひどく窮屈なものだっただろう。

 事実、彼女は何ひとつ自らの運命を差配することはできなかった。ルイ16世に嫁いだことも、フランスから逃げたことも、常に誰かの思惑が糸となって彼女を手繰っていた。

 きらびやかな華の乙女。身を削ぎ合う戦場など、経験しようはずもない。

 きっと、マリーはいつだって怖かった。

 しかし、彼女は恐怖を押し殺して、王妃としての振る舞いを続けている。その生を捧げた王家も、自分すらも皆から否定されたというのに。

 立香もまた、震える手を重ね合わせる。マリーに負けないような笑顔で、力強く言った。

 

「ありがとうございます、マリーさん。私にどーんと任せておいてください! ばっちり治してみせます!」

「ふふ、どういたしまして。やっぱり笑っている顔が一番きれいね──まるで太陽のよう」

「す、すごい、リーダーの褒め言葉と違って全く嫌味に感じない!」

 

 傷の治癒が終わり、マリーは再び戦場へ飛び出した。即座に竜の魔女の炎が襲うも、舞い散る花弁のように回避する。

 だが、竜の魔女の攻勢は激しさを増す一方だった。

 魔力と体力の消耗を一切考えない、熾烈な攻め。サーヴァントと言えども、常に全力を出して戦っていては身が保たない。上限の桁が違うだけで、そこは人間と同じだ。

 だというのに、竜の魔女は一撃一撃に全身全霊を込めている。狂気から来る暴走ではない。意図的に、理性的に、彼女は暴れ狂っている。

 底無しとまで思わせる魔力量。それが圧倒的な手数を実現しているのだ。

 竜の魔女の背後から、ねじれ曲がった杭が射出される。着弾と同時に爆炎を撒き散らし、地面を削り取った。

 僅かでも立ち止まれば、炎に焼かれるか海魔に足を掬われる。

 神に敵対する者として、これほど相応しい威容はない。竜の魔女と妄執の魔術師の狂宴は、数の不利を物ともせずジャンヌたちを追い込んでいた。

 そこで、立香は違和感を覚える。

 竜の魔女の異常な強さに、ではない。

 

「───あなたはどうして、人を殺すようなことをしたんですか!?」

 

 立香は問い質す。

 ──愚女め、今更分かりきったようなことを糾弾するつもりか。

 竜の魔女は嘲笑を浮かべた。

 

「すべてはフランスへの復讐であり神への叛逆───!! 私の行いが正当であるか否か、それはこの戦いの勝敗によって決まる!」

「それでみんな殺したら、あなたを認める人もいなくなるんですよ!? たった二人ぽっちで、家族も仲間もいない世界に何の意味があるんですか!!」

「家族、仲間……? 私にそんなものはいない、必要ない! この身はただ、神を焼き尽くす炎でさえあれば良い!!」

 

 血の繋がりと、絆の繋がり。

 そのどちらもが、ジャンヌを形成する掛け替えのない要素だ。たとえ死んだとしても、その顔は忘れることができない。

 自らの半身とも言える彼らを否定する魔女の姿に、ジャンヌは───

 

「やはり、貴女は私ではない!!」

 

 掛け値なし、全力の一撃を竜の魔女に叩き付けた。

 旗の穂先と剣身が激突する。漆黒の刃は半ばから砕け、竜の魔女の左肩を打ち据える。

 切り返しの打撃。竜の魔女は上体を反らして避け、剣を捨てると後ずさった。

 

「私に、フランスへの恨みがあったとしても。神への憎しみがあったとしても───共に生きた彼らのことを忘れるはずがない!!」

 

 光があるからこそ、闇は際立つ。

 例えば、産まれた瞬間から悲劇の真っ只中にある人間がいたとしよう。彼にとってはその状況こそが平常であり、それを苦痛と感じることはないだろう。

 幸福だった経験があるからこそ、それを奪われた時、人間は苦しみを自覚するのだ。

 しかし、竜の魔女は家族と仲間を否定した。ジャンヌという人間にとっての幸福の象徴を、存在しないと、いとも容易く切り捨ててみせた。

 竜の魔女が抱える矛盾。それに対して声をあげたのは、ジルだった。無数の海魔がジャンヌたちに殺到し、近寄る側から打ち砕かれていく。

 

「ジャンヌ! 貴女は世界に復讐することを許されているのです! そうでなくては、彼女が焦がれるほどの憎しみを抱いている説明にはならない!!」

 

 ジャンヌは、真っ向から否定する。

 

「いいえ、ジル。竜の魔女が抱く憎悪は───貴方のものでしょう」

 

 核心を突いた言葉。

 竜の魔女の正体は、まさしくそれだ。

 幸福であった記憶を持たぬ欠陥。

 憎しみと恨みだけを抱える歪な在り方。

 ジャンヌは竜の魔女を指して言った。

 

「彼女は貴方が聖杯を使って創り出した存在です。攻撃が尽きないのも、聖杯の魔力を利用しているからなのでしょう」

 

 おそらくそれは、竜の魔女ですら知らなかった事実だ。

 彼女の目は一瞬見開き、その直後にドス黒い感情を滲ませる。傷付いた左腕をだらりと下げ、憤怒の炎を漲らせる。

 

「───それが、どうした。贋作だから真作には勝てないと? 少なくとも、この(怒り)は神に届くと信じている!!」

 

 そう。如何なる糾弾も、存在を否定する真実であろうと、竜の魔女の根幹を揺るがすには至らない。

 勝とうが負けようが、彼女は死の瞬間まで神への怨嗟を吐き続けるだろう。なぜなら、彼女の感情は紛れもなく本物なのだから。

 ──なぜ、こうまでして神に執着するのだろう。

 立香は、ただ単純に、そう思った。

 宗教が心の支えとなることは知っている。現代の日本は宗教観が薄れてはいるが、それを理解できないほどではない。

 それでも、竜の魔女の執着には疑問を覚えずにいられなかった。

 だって、神は決して彼女を否定なんかしていない。

 姿を現して、指を差して、声を出して、おまえを認めないと、そう言われた訳ではないだろう。

 あの処刑の結末は神によるものではなく、人間の手によって行われたものだ。それもジャンヌに勝ち目のない裁判で決められ、人間の悪意に彼女は殺された。

 だから、神は一切そこに介在していない。それでもなお、神を敵視する理由とは───

 

「……神さまに、手を差し伸べてほしかったんだ」

 

 ぼそり、と呟いた言葉。

 それは、重く竜の魔女に響いた。

 彼女の双眸は真っ直ぐに立香を捉える。困惑と驚愕が綯い交ぜになり、今この時だけは憎しみの色は見えない。

 竜の魔女の根幹を揺るがすもの。それは彼女を弾劾することでも、本質を見透かすことでもなかった。

 竜の魔女が抱く激情を理解すること。それが何よりも、彼女の胸に突き刺さった。

 

「そうよ、結局私は、神に認めてほしかった」

 

 がらんどうの笑みを顔に貼り付け、竜の魔女は肯定する。

 

「だって、そうでしょう!? 私には神の声が聞こえない! 何をするべきなのか、全てはこの憎悪に従うしかなかった!! いつか私の悪意が神に届くまで、私を叱りに現れてくれるまで、世界を焼くことしかできないのよ!!!」

 

 子どもが駄々をこねるように。

 竜の魔女は、涙を流していた。

 ジルは、その手から魔導書を落とす。

 彼女を生んだのは自らの憐憫からだ。尊厳を踏みにじるような陵辱を受け、灰になるまで焼かれて捨てられたジャンヌへの憐れみが、竜の魔女を創った。

 行き場のない怒りを、あろうことか彼女に託してしまった。その結果がこれだ。

 ずるりと魔導書から這い出た触手が、持ち主を取り込んでいく。それは捕食であり融合。自身を贄とした大海魔との共生であった。

 灰白色の皮膜と深藍色の多腕。肉の芽がイソギンチャクのように群生する冒涜的な異様は名状しがたいほどに悍ましく、輪郭は茫洋として定形を持たない。

 これこそは彼の絶望の成れの果て。

 大海魔が全てを呑み込むのと、竜の魔女の怒りが爆発するのは同時だった。

 

「これは憎悪によって磨かれた我が魂の咆哮───『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 魔の津波と炎の雨。マシュとジャンヌは、それぞれの攻撃に向かって宝具を展開する。

 

「『我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)』!!」

「『擬似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)』!!」

 

 激突。

 白き円盾は海魔の奔流を防ぎ、聖なる結界が灼熱の嵐を受け止める。

 前者は少しずつ膨大な体積を減少させていく。自分の身を切るような攻撃──マシュが耐えていれば、いつか必ず終わりは来るだろう。

 だがしかし、竜の魔女が放つ灼炎と鉄杭の乱撃は加速度的に威力を上げていく。過剰な魔力の運用により体を損なってもなお、竜の魔女は敵を焼き尽くす腹積もりだった。

 ジャンヌの護りは英霊の中でも文句なしにトップクラスの性能だが、やはり限界は存在する。彼女の旗は受けたダメージを蓄積し、許容範囲を超えると破損する。

 要するに、これは我慢比べだ。

 竜の魔女が身を滅ぼすのが先か、ジャンヌの旗が折れるのが先か。その果てに勝敗は決する──!!

 

「「は、あああああァァァァッ!!!」」

 

 絶叫。咆哮。

 その戦いに、神の介入はなく。

 ひとつの残酷な結果だけがあった。

 まるで、ガラスが割れるように呆気なく───結界は、音を立てて砕けた。

 

「───………!!」

 

 それは、決して。

 想いの力が上回っただとか、そんな無責任な決着ではなかった。

 ただ、ジャンヌの旗は一度邪竜の熱線を受け止めていた。

 ただ、竜の魔女は聖杯からのバックアップを受けていた。

 故に、半ば必然。奇跡の入り込む余地のない、非情にして合理的な結果。

 故に、そのイレギュラーもまた、偶然ではなく必然だった。

 

「マリー」

 

 ジャンヌの声が、か細く途切れる。

 とめどなく溢れ出す鮮血。

 胸の中心を貫く灼けた鉄杭。

 すでに死んでいてもおかしくはないというのに、彼女は気丈に微笑んだ。

 

「…………実を、言うと。わたしはシャルルをあんな目に遭わせた人たちを───憎んでいます」

 

 マリーが胸の内に秘め続けていた火種。その熱は非常に小さく、けれど、いつまでも燻りながら、彼女の内にあったのだ。

 象徴としてではなく、母親として、彼女は言葉を続ける。

 

「あの子に寄り添い、抱き締めてあげられたなら、わたしはどんなことをされても構わなかった。そんな想いを持ってしまったから……王妃として不甲斐ない人間になってしまったのでしょう」

 

 ヴァレンヌ事件。ロベスピエールの台頭を許すひとつの要因となった、国王一家の逃亡。

 ──これは、邪推だ。

 立香たちは、そうと分かっていながらも、考えることを止められなかった。

 マリーは革命運動から家族を護るため、亡命に賛成したのではないか、と。

 竜の魔女は荒い息を吐きながら、それを聞いていた。体が耐え切れないほどに魔力を行使した弊害か、立ち上がる余力も残されていない。

 

「…………一度得た憎しみが晴れることは無い。貴女も、私も、結局同じなのよ──!!」

「けれど、それが全てではありません。民を愛する心もまた、わたしの本心です。……貴女がわたしと同じなら───」

 

 人間とは矛盾する生き物だ。

 全ての行動と感情が一致していることなどあり得ない。

 それは、人の欠陥とも言えることかもしれない。人格を持つ以上、竜の魔女でさえもそれを逃れることはできないだろう。

 しかし、だからこそ。

 

「───()()()()()()()()()()()()! わたしが保証します!!」

 

 包み込むように、マリーは言った。

 あるいは、それが最期の。

 彼女を構成する魔力がほどけていく。

 ふわりと舞う風と共に、マリーは消えた。澄んだ涼風が、竜の魔女の頬を撫でる。

 ジャンヌは折れた旗を握りしめ、竜の魔女の元へ体を引きずった。

 マリーの死に様が彼女たちに何を与えたか、抵抗する素振りはなく。旗を霊核に突き立てる。

 その、直前。

 

「ジャンヌさん、待ってください!!」

 

 立香が、声で制した。

 戦場の目が、一気に彼女に集まる。

 地面に座り込む竜の魔女。その目の前に立香は屈み、その手を重ねた。

 少しでも炎を発すれば、容易く殺せる。そんな危険、彼女は眼中にない。

 

「もう、終わりにすれば良いじゃない。私の敗けよ」

 

 違う。

 聞きたいのはそんな言葉じゃない。

 マリーが伝えたかったことは、敗者に指を差して自分の勝ちだと誇ることではない。

 産まれたばかりのこの人に。

 憎しみしか持たぬこの人に。

 神さまの代わりに手を差し伸べるなら、この瞬間しかないのだ。

 

「私たちと一緒に、世界を救いませんか」

 

 は、と口の端から吐息が漏れる。

 この娘は、何を言っている?

 今の今まで殺し合っていた相手を仲間に引き込むなど、そんなのアレキサンダー大王の真似事にもなっていない。

 

「世界を救えたなら、きっと神さまは認めてくれます。それに、何より……不幸な現実しか知らずに死ぬのは、哀しすぎる」

 

 なんてことはない、素朴な慈悲。

 それが、何よりも。

 竜の魔女は、呟いた。

 

「ええ、そうね」

 

 立香の顔に喜色が浮かぶ。

 ──なんて、間抜けな人。

 最後の力で、立香を突き飛ばす。その指の先から炎が燃え広がり、竜の魔女を包んでいく。

 

「私は、償い切れぬ罪を犯しました。それに少しでも贖うなら、私は神に認められてはいけない」

 

 神に認められたかった。

 でも、罪を犯したこの身が、救われることなどあってはならない。

 これは自らへの罰だ。

 ──共に歩む明るい未来を、私は否定する。

 

「けれど、もし、何処かで出逢えたなら───私の手を取って、くれますか?」

 

 立香は、即答した。

 

「──はい! むしろ喚び出します! 嫌だって言っても絶対に放しませんから! Eチームはしつこいことで有名なんです!!」

 

 それを聞き届け。

 竜の魔女と呼ばれた少女は、笑って消滅した。

 

 

 …………その、間際。

 

 

 どれほどの怨嗟を撒き散らしても聞こえなかった。

 

 

 どれほどの憎悪を表現しても見えなかった。

 

 

 焦がれて、焦がれて、焦がれ続けた。

 

 

 そんな、■が、そこにいた。

 

 

 〝幸くあれ〟と。

 

 

(ああ、貴方は、何時もそこに───!!!)

 

 

 彼女は、その未来を祝福されて──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………ジャンヌは、己を恥じた。

 ルカによる福音書6章27節から30節。

 

〝しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい〟

 

〝悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい〟

 

〝あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない〟

 

〝求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない〟

 

 主は、そう言った。

 敵をも愛せと、誰よりも優しい男は説いたのだ。

 ──私は、その教えを。

 竜の魔女に理解を示そうともせずに、彼女を始末しようとしていた。

 そんなざまで、何が聖女か。主の教えを誰よりも体現していたのは、異なる国の異なる時代、異なる信教の少女だ。

 ──そんな私でも、できることがあるのなら。

 もぞもぞと動く、腐れた肉塊。

 身を切る波濤をマシュに防がれ、残った残滓。その中に、血涙を流すジルがいた。

 彼は、優しすぎた。

 端から見れば気の狂った娘としてしか見られなかった私を信じ、戦場を駆け抜けてくれた。

 右も左も分からぬ私にとって、彼は行く先を示してくれるしるべであり、とても気恥ずかしくて口には出せないけれども。

 ……父親のように、思っていた。

 だから、彼のそんな姿はいたたまれない。

 救ってあげたい───それが、ジャンヌの根源であった。

 彼女は旗の破片を捨て、剣を引き抜く。

 聖カトリーヌの剣。またの名をフィエルボワの剣。ジャンヌが地中より見出した祝福の剣だ。

 ジャンヌは、立香とマシュに振り返って言った。

 

「カルデアの皆さんに、感謝を。私は得難い機会を得ることができました。あなたがたの前途を、私は祈っています」

 

 そうして、彼女はジルの元へ歩き出す。

 立香とマシュは、それを止めることはしなかった。

 

「……マシュ」

「はい、見届けましょう」

 

 海魔の破片に埋もれるジルの手を、そっと拾い上げる。

 重なる四つの手。その中心には、聖カトリーヌの剣が握られていた。

 暖かく握り締めるジャンヌに気付き、ジルは目を伏せる。

 

「おお……! ジャンヌ、私は──」

「良いのです。共に、主の御胸に抱かれましょう」

 

 二人が炎に包まれていく。

 あらゆる罪を浄化する清らかな火。

 澄んだ炎の柱は、どこまでも高く天を突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 カルデア、管制室。

 1431年のオルレアンを狂わせていた聖杯は、立香とマシュの手によって回収された。

 レイシフトから目覚めた彼らは、重い体を引きずって一箇所に集まる。間もなくロマンたちが事後処理に現れるだろう。

 言葉はなかった。

 マシュは疲労から。

 ペレアスは自ら口をつぐみ。

 立香とノアは、視線を交差させる。

 最初に切り出したのは、立香だった。

 

「リーダー。私、約束しちゃいました」

「ああ、通信で聞いてた」

 

 続く言葉は分かっていた。ノアは意地の悪い笑みでそれを待つ。

 

「やさぐれた方のジャンヌさんを召喚するのを手伝ってください! 正直、私は何もできないので!!」

「今回のMVPはおまえだ。輝かしいばかりの俺の才能で成し遂げてやる。召喚実験場を少しいじくればどうにでもなるだろ」

「あれ、リーダーが優しい!? 皆既日食並みの珍しさですね!」

「ナメんな、俺の慈悲は皆既日食どころかツチノコ並みの希少価値だ!!」

「誇ることじゃないですからね!!?」

 

 昂っていた心が落ち着く。

 こうして、軽口を叩き合えるのがカルデアの日常なのだ。

 ノアは右手を挙げて、

 

「何はともあれ、第一特異点は修復された。俺たちの勝ちだ」

「はい!」

 

 立香もまた手を挙げて、ノアの右手のひらに触れようとする。

 が、その手はすかっと空を切った。ぶんぶんと何度振るも、立香の手が届くことはない。

 

「……あの、身長差考えてください」

「これは背丈の問題じゃねえ。俺の偉大さがおまえの遠近感を狂わせてるだけだ」

「男塾くらいハチャメチャな理論なんですけど」

 

 それはそうとして。

 ──第一特異点、定礎復元。

 最初の聖杯探索は、ここに終わりを告げた。

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