自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第16話 ローマ戦線異状なし?

 ローマ街道。紀元一世紀の代物とは思えないほど長く続く道路の上に、カルデア一行はいた。その顔ぶれの中にはネロとブーディカ、スパルタクスが加わっている。

 いずれも高名な英雄たちであり、並大抵の敵では太刀打ちもできないだろう。それは裏を返せば、超神聖ローマ帝国とネオローマ連合が強敵ということになるのだが。

 ところで、人間と馬の歴史は長い。紀元前4000年辺りから既に馬の家畜化は成されており、以降馬は欠かせない存在となった。

 だが、鐙が発明されたのは西暦300年頃。その時まで、人類は足をぶら下げながら馬に乗っていたのだ。アレキサンダー大王が率いた騎兵軍団の恐ろしさが語られるのは、そのためであるとも言えるだろう。

 ジャンヌは馬の首にしがみつきながら、声にならない悲鳴を発した。

 

「こっ、このっ…! 言うこと聞きなさいよこの駄馬!」

 

 当然、人間の言葉が馬に通用するはずがない。何食わぬ顔で、先にいる仲間たちを追っていく。

 ジャンヌの馬の前方には、ちょうどペレアスとマシュがいた。二人は彼女のような無様を晒すことはなく、見事に馬を乗りこなしている。

 ペレアスは苦笑しながら、

 

「馬の腹を足全体でしっかり挟んで、背筋を立てて手綱を握れば落ちることはないぞ?」

「この状態から背筋立てるなんてできるわけないでしょう!? 絶対に落ちるんですけど!」

「ジャンヌさんは騎乗スキルを持っていないんでしたね。いざという時に便利ですよ? 身分証明書や携帯電話の機種変更等々……」

「なによその運転免許証みたいな扱いは!?」

 

 ジャンヌが喚いていると、その斜め後方からノアがやってくる。彼は裸馬の背中の上に寝そべりながら、ジャンヌを嘲笑した。

 

「駄馬すら乗りこなせないとは無様だなァ! 竜の魔女って言ってもそんなもんか!」

「馬鹿みたいな乗り方してるアンタに言われたくないわよ! ってかどうやってるのよそれ!?」

「馬ってのは人間を乗せるように調教された生き物だ。ましてや俺にひれ伏すのは当たり前と言って良い」

「どうしてリーダーはそんなアホな理屈を自信満々に語れるんですか?」

 

 そもそも質問に答えていないノアに、マシュは呆れながら言った。結局、ジャンヌはブーディカの戦車に乗せてもらうことになった。竜の魔女として飛竜(ワイバーン)の背に乗っていた時は無理をしていたのかもしれない。

 立香(りつか)は彼らのやり取りをどこか上の空で聞いていた。馬に揺られながら、背後を振り返る。今日何度目になるか分からない行動だが、それが落ち着きを見せることは無さそうだった。

 街道をずらりと埋め尽くす人の群れ。彼らはみな一様に武装しており、規則正しく隊形を組んでいる。その光景には味方ですら威圧感を覚えるほどだ。

 つまりは、行軍の最中だった。そのことを認識するたびに体にのしかかる重圧が高まり、気分が落ち込む。オルレアンとは違い、自分が指揮官という立場にある感覚はいささか慣れない。

 昨晩ブーディカたち遠征軍からの情報を得たネロは、夜通しで出兵の準備を整えた。全ては超神聖ローマ帝国とネオローマ連合の戦を奇襲するために。彼女の本気がうかがえる采配である。

 自分の過ちひとつで、それらが無為に終わる可能性がある。ブーディカは、思い詰める立香にそっと寄り添った。

 

「何か思い詰めてる感じだね。その悩み、お姉さんに打ち明けてみない?」

「良いんですか? お言葉に甘えちゃいますよ?」

「もちろん。どーんと任せてよ、こういうの好きだからさ」

「じゃあ遠慮なく……そもそも、なんで私が軍師なんでしょうね?」

 

 彼女の疑問に、ブーディカは頷く。

 

「確かに、あたしもそれは思った!」

「えっ!? ここは良い感じにフォローしてくれる流れじゃないんですか!? せっかくシリアスな雰囲気になれそうだったのに!」

「その発言がシリアスを終わらせてるじゃない」

 

 ジャンヌの呟いた言葉が、刃となって立香の背に突き刺さる。吐血するように悶える彼女の姿にブーディカはくすりと微笑んだ。

 

「まあネロなりの期待の現れだと思って気楽に構えればいいさ。あれでかなり不器用だからね、褒美の取らせ方なんて分かんないんだよ」

「アンタはひとりで悩むようなタマじゃないでしょう。なすびなり私なりに頼っておけば良いのよ。あのアホ魔術師は論外だけど」

「ジャンヌさん、そういうこと言うとリーダーが来ますよ」

 

 立香の発言通り、どこからともなくノアが姿を現す。今度は馬の背中の上で直立しながら、彼女たちを見下ろしていた。

 ノアは鼻を鳴らすと、勝ち誇ったように言う。

 

「〝すぐ自分だけの問題にするのはずるい〟……だったか? そっくりそのままおまえに返してやる。大人しくこの俺に助けられとけ、みすぼらしい捨て犬のようにな!」

「もしかしてこれがツンデレってやつなのかな?」

「ブーディカさん、私はこんな邪悪なツンデレ認めませんよ! せめてジャンヌさんくらい可愛らしくなってもらわないと……」

「私に流れ弾飛ばすのやめてくれません?」

 

 立香は体にかかる重圧が軽くなるのを感じた。彼ら全員の命は、自分だけが背負っているのではない。ノアたちにそれを再認識させられたからだ。

 そうして初めて、周りを見る余裕ができた。今までは後ろばかりに目を向けていたが、最前列に位置するネロの横顔が視界に入る。

 金色の髪、宝石の瞳に雪のように白い肌。表現としては陳腐だが、同性でも見惚れるほどの美貌に違いはない。

 胸の内に霧がかかるような既視感。記憶の糸を辿り、ようやくその正体に辿り着く。

 

「ペレアスさん。ネロさんってアーサー王に似てませんか?」

「……言われてみれば確かに。王とは雰囲気も性別も違うから気付かなかったのかもな」

「『あの〜、ペレアスさん。非常に申し上げにくいんですが……』」

 

 ロマンが言いづらそうに通信を繋いだ。立香とペレアスは不審に思いつつ、耳を傾ける。

 

「『この前特異点Fの記録を整理していて気付いたんですが、アーサー王って女性なんですよね』」

 

 ペレアスは眼球が飛び出る勢いで目を見開いた。

 

「……………………はあ!!?!? なんだその衝撃の事実! いやいやいや待て待て、オレはまだ信じない!!」

「あー、そういえばそんな感じはします。すごく綺麗な見た目してましたもん。何か心当たりとかはないんですか?」

「いや、心当たりって言われてもな……」

 

 生前の記憶を掘り起こす。

 彼の人生の中では、アーサー王と共に戦った期間は短いとすら言えた。若い時分に円卓が崩壊し、老いて死ぬまで時を過ごしたのだから。

 浮かんでくるのは湖の乙女との思い出ばかり。それらを一旦脇にやって、円卓での日々を回想する。

 それはいつものように異民族と戦っていた時期。日が暮れたため戦を切り上げ、陣中での会議を終えた時だった。

 キャメロットのコメディリリーフであり、トリスタンの親友のディナダンという騎士が、アーサー王に向けて、

 

〝王よ、私から提案があります〟

〝……聞きましょう。申してみなさい、ディナダン卿〟

〝私と一緒に湯浴みをしていただきたい!〟

〝『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』!!〟

〝ギャアアアアアアア!!〟

 

 その時のアーサー王の顔は、怒りよりも恥ずかしさが先に来ていた。

 確かに王が女性であるとするなら、ディナダンはとんでもない地雷を踏み抜いたことになる。モードレッドに殺されたのもやむなしといったところだろう。

 ペレアスは思わず空を見上げた。

 

「……これじゃねえな!? もっとマシな記憶があったはずだろ! 思い出せオレ!!」

「うわっ、びっくりした!」

「『い、一体何を思い出したんだ……!?』」

 

 そんなこんなで騒いでいると、ネロがふくれっ面をして飛び込んでくる。

 

「余抜きで勝手に盛り上がるな! 余は寂しいぞ!」

 

 その後、寂しがり屋な皇帝のせいで、行軍がほんの少し遅れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 超神聖ローマ帝国首都、会議室。

 そこには、皇帝ガイウス・ユリウス・カエサルが擁する将が揃い踏みしていた。否、揃い踏み、という表現には少し語弊があるだろう。

 なぜなら、神祖ロムルスの離反を発端としてほとんどの将がネオローマ連合に流れたからである。

 結果、超神聖ローマ帝国に残った将はアレキサンダーに深い因縁を持ったダレイオス三世のみとなってしまった。広々とした会議室には、彼と皇帝、その側近の男、そしてレフ・ライノールの姿しか見受けられない。

 閑古鳥が鳴きそうな静寂の中、最初に口を開いたのは、皇帝カエサルだった。彼は赤いコートの男を指して言う。

 

「おい、今の状況を一言で表してみろ。たまには詩人らしいこともしてもらわねばな」

「戦争しようぜ! お前ローマな!」

「……本当に詩作を嗜んでいるのか? 私の方が上手く作れるぞ」

「いえいえ、言葉には本来技法だの何だのは必要ないでしょう。真っ直ぐシンプルに言い表したほうが想いも伝わるってもんですよ。文筆家としても名高い貴方にも理解していただけると思いますがねえ」

「ふん、そこは同意してやろう。必要以上の言葉は時に無粋だ」

 

 詩という文芸そのものを否定するかのような発言だった。詩人である自身をも否定することにも繋がるはずだが、彼がそれを気に止めることはなかった。

 皇帝も彼のそんな物言いを許しているのだろう。続けて咎めることはせず、場を明け渡す。

 その相手はレフ・ライノール。あの日のカルデアで、多くの人間の命を奪った男。彼は先のやり取りにおいて口を出すことはなかったが、全身から殺気じみた怒気を漲らせている。

 しかし、彼らは幾度もの修羅場を潜り抜けた英霊だ。その怒気が向けられる程度で臆する者はいない。

 レフは低く重い声で、

 

「貴様らの話はどうでもいい。カルデアの連中が来る前にネオローマ連合を潰さねばならん。段取りは済んでいるだろうな?」

 

 刺すような眼差し。それを受けてなお、カエサルは余裕の表情を崩さない。

 

「当然だ。私を誰だと思っている」

「国家予算の一割の借金を抱えた男でしょう?」

「それを完済した男と言え! つまり私にとってこの状況、何ら苦境ではない! むしろぬるいほどだ!」

「さすが元老院議員の妻の三分の一に手を出した男! 格が違いますねえ!」

「はっはっは、ここにクレオパトラがいなくて助かったな! また暗殺されかねん!」

 

 付け加えると、カエサルは多数の愛人を持ちながらも女性トラブルを起こすことがなかったらしい。借金の大半も愛人たちに振る舞っていたのだとか。

 とにかく世渡り上手だった彼は、軍事や芸術の方面でも才能を発揮した。その多才さはローマの歴史の中でも屈指の人物だろう。

 皇帝と詩人が笑い合っていると、強烈な音が会議室を揺らす。

 石造りの机が割れ、パラパラと破片が落ちる。それを成したのはレフが振り下ろした拳。彼は釘を刺すように言った。

 

「情報が漏れていたりはしないだろうな」

 

 赤いコートの詩人へと注がれる視線。彼は至って普通の表情で返す。

 

「……()()()()()()()()()()。ネロ帝に伝われば奇襲される可能性がありますので。でしょう、カエサルさん?」

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()。そこの詩人では不十分故な」

「それよりも軍を率いる将を決めるべきでは? 新たにサーヴァントを召喚できたら一番楽なんですが」

 

 レフはその提案を却下する。

 

「聖杯のリソースの大半は『神の鞭』を制御するのに使われている。召喚に費やす余地はない」

 

 将の数で劣る超神聖ローマ帝国が、なぜネオローマ連合と対抗できているのか。その答えが『神の鞭』だった。

 ローマの神祖でなくては太刀打ちできない最上級の英霊。この両国の戦いは、ロムルスと『神の鞭』両者が生み出す拮抗状態が続いている。

 何しろ、彼らの戦闘は周囲に甚大な被害を及ぼす。それでいて決着がつかないため、両国共に使いどころに苦慮している現状だ。

 

「じゃあダレイオスさんで決まりですかねえ。ロムルスさんが出てくるようなら、最初から戦わない方針でいきましょう」

「となると敵将として現れるのはアレキサンダーと孔明だろう。奴らを相手に将の数で遅れを取るのは不安を残す。皇帝自ら出陣しても良いがな?」

「私は死にたくないので、一向に構いませんが」

「貴様が行け」

 

 レフの一言。それが自分に向けられていると知った赤いコートの男は、ダラダラと冷や汗を流しながら質問する。

 

「……さ、参考までに理由を聞いても?」

「ロベスピエールが第一特異点を乱した。その責任は貴様が取れ」

「誰ですかロベスピエールって。あの女に呼ばれただけで私は関係ないんですが」

「それともうひとつ、万が一白髪碧眼の魔術師を見かけたら真っ先に殺せ。名前はノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドだ」

「無視ですかこんちきしょう! カエサルさん、どうにか言ってやってください!」

 

 そう言いながら、赤いコートの男は皇帝にすがりつく。しかし、

 

「私に異論はない。貴様がやれ」

 

 その希望は一蹴された。自分が助からないことを知ると、彼は地団駄を踏んで暴れ出した。

 

「私のステータス知ってて言ってます? 絶対無理ですよ! 死ぬ死ぬ死ぬ! アレキサンダーさんと相見えた日には、胴体から首がフライアウェイすること間違いなしなんですから!!」

「皇帝からの命令である。ダレイオス、連れて行け」

「あーっ! 困りますお客様! 困ります! 困ります! お客様! あーっ、あーーーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 ローマ帝国前線地帯、軍営地。

 空には月が輝き、夜の帳に無数の星が散っていた。

 ネロたちローマ軍が駐屯する場所は、超神聖ローマ帝国とネオローマ連合の激突地、メディオラヌムからは遠く離れていた。奇襲の際に位置を悟られないためである。

 さらに、ローマ軍が野営する陣地は敵となる両軍から発見される可能性を下げるため、鬱蒼とした森の中にあった。

 メディオラヌムはイタリア半島の付け根に広がるロンバルディア平原の中央に位置する。現代ではミラノの名で知られており、古来より交通の要衝として発展を遂げてきた。

 交通の要衝。それはつまり、経済的・軍事的価値が高いということ。紀元前222年にローマ人がこの地を征服するまで、何度も侵略に晒されている。

 そして、三国のローマによる争いにおいても、メディオラヌムの持つ価値は計り知れない。

 ローマ帝国にとってはイタリア半島から打って出るための基地として有用。超神聖ローマ帝国とネオローマ連合にとっては、ローマ帝国が北に領土を伸ばす余地を奪い、両国間の趨勢を決する場所だ。

 …………ということを話していたのだが。

 

「あーはいはい! 勝てば良いんでしょう勝てば! このエリザベート・バートリーにかかればイチコロよ!」

 

 最初にしびれを切らしたのはエリザベートだった。

 勢い良く立ち上がったせいで机の上に配置されていた地図や駒が盛大に吹き飛び、布を敷いた床に散らばる。

 しばし場が静まり返り、エリザベートを除いた全員が視線の応酬を交わす。

 ネロは何事もなかったように続けた。

 

「うむ、それで将の編成だが、余は両翼に集めるべきだと───」

「ちょっと! 無視しないでちょうだい!」

「藤丸、なんだこのチンチクリンは」

「狂気の音痴アイドルです、リーダー」

 

 話題は軍に配置する将についてのことだった。ネロは地図と駒を並べ直し、戦局図を再構築する。

 ノアが手頃な鳥を使い魔にして偵察したところ、超神聖ローマ帝国とネオローマ連合の軍は既に平原で向かい合っていた。翌朝には開戦するだろう。

 彼らの横腹を破るべく、ネロは自らの軍を三つに分けた。中央をネロが担当し、左翼は立香が、右翼はノアが指揮を執るという形である。

 ローマ帝国が抱えるサーヴァントはカルデアの客将を除いて、ブーディカ、スパルタクス、エリザベートの三名。彼らをどう三軍に振り分けるかが議題だった。

 ノアは突きつけるように言う。

 

「エリザベート・バートリー、おまえは俺が上手く使ってやる。右翼に来い」

「……へえ、私に目をつけるなんて、中々の審美眼ね。私のマネージャー足り得る能力はあるのかしら?」

「試してみるか? 幸いここは木が多い。今からでも特注のステージを作ってやるよ」

「なんですって!? いつでもどこでも野外ライブができるの!? アイドル冥利に尽きるじゃない!」

「俺を誰だと思ってる。おまえの美声で人間を地獄の底──天上に送り届けることくらい訳はねえ。天才だからな!」

 

 盛り上がるノアとエリザベートを、立香とマシュは遠い目で眺める。

 

「さ、最悪の二人が出会ってしまった……」

「超神聖ローマ帝国よりもネオローマ連合よりも、あの二人のほうがわたしは怖いです」

「私はこんな奴らに負けたのね……」

 

 ジャンヌは世を儚む。彼女は今更になって、カルデアの召喚に応じたことを後悔したのだった。

 死んだ魚の眼をするジャンヌを尻目に、ネロは溌剌と陣容を口にする。

 

「左翼の指揮官には立香を任命する。麾下にはマシュとジャンヌとブーディカだ。任せたぞ!」

「右翼はどうするんですか?」

「マシュよ、よくぞ聞いてくれた! 右翼側の指揮はノアに、その下にはペレアス、スパルタクス、エリザベートについてもらう!」

 

 その時、ネロ以外の誰もが疑問を覚えた。

 サーヴァントを両翼にまとめた編成。中央の軍をネロが受け持つなら、総大将である彼女の守りは極端に薄くなる。

 

「無論、リスクは承知の上だ」

 

 そして、それを当人が理解していないはずもなかった。

 

「しかし、余の首に釣られて突撃してきたのなら、戦況はこちらのものだ! 余の軍を盾に両翼で挟み込めば良い!」

「──はっ! これが包囲殲滅陣……!?」

「うむ、かつてローマを苦しめたハンニバルの戦術に近いな。今もなお苦々しい記憶ではあるが、ひとりの武人としてあの戦いには尊敬を覚える!」

 

 カンナエの戦い。カルタゴの指揮官ハンニバルがおよそ6万人のローマ兵を殲滅した、世紀の圧勝劇だ。

 包囲戦の有用性を示したこの一戦は、現代でも研究されるほどに重要視されている。立香はぎこちなくマシュとノアに振り返る。

 

「は、ハンニバル? 人肉を食べる殺人鬼だっけ?」

「先輩、ここで言うハンニバルはレクターではなくバルカです」

「ああ、機関銃の──」

「それはバルカンだろ、器用な間違い方してんじゃねえ」

 

 立て続けに自らの無知を指摘された立香は、顔を真っ赤にして涙目で引き下がる。その無様さには、ジャンヌですら追撃を躊躇うほどであった。

 天幕の空気が一転して、いたたまれない雰囲気に包まれる。

 ネロは危機感を察知した。戦において士気は欠かせないものだ。士気が高ければ人は実力以上の力を発揮することもある。指揮官ならばそれは尚更だ。

 皇帝としてこの気まずい空気を見過ごしてはならないだろう。そう考えたネロは、

 

「ここはひとつ、余とエリザベートのデュエット曲を披露するとしよう! マイクを持てぃ!」

「今だけはライバルの立場を忘れて、歌に魂を捧げるわよ! 私の美声を聞けることを光栄に思いなさい!」

「…………えっ?」

 

 立香が呆けた声を出したのも束の間。

 森の木々に泊まっていた鳥たちがバサバサと音を立てて、漆黒の空に駆り出されていく。

 その夜、ローマ軍の兵士たちの間では、森に悪魔が住んでいるとの噂が語られたのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、超神聖ローマ帝国とネオローマ連合の軍は相対していた。前者は中央を厚くし横に一直線に広げた陣形を取り、後者は三角形の形に軍を並べた魚鱗の陣形を取っている。

 両軍の最前線を陣取るのは、ダレイオス三世と幼き征服王アレキサンダーであった。

 彼らはかつて幾度となく刃を交えた宿敵。しかしてその戦いに明確な決着はつくことがなく、その物語は幕を閉じた。

 だが、この一戦はもつれた因縁を断ち切る快刀となる。姿形を変え、時代を変え、かたや正気を捨てたと言えども、もはや悔いが生まれることはないだろう。

 なぜなら、彼らは既に生を終えた身だ。

 自分の思うままに生き、殺し、そして死んだ。この生は言わば神より与えられた天佑であり、後も先も存在しない。ただ命を散らす現在のみが連続している。

 戦士としての至福。生死を賭けた戦争は飽きるほど経験してきたが、誇りそれのみを賭けた戦場はしがらみから解き放たれたこの瞬間にしか有り得ない。

 アレキサンダーは背後に控える孔明と、スパルタの王レオニダスに視線を注いだ。

 未熟なこの身に与えられた二人の将。中華に名を轟かせた大軍師と決死の三百人隊を率いた名将。彼らと戦場を共にする名誉に、思わず剣を握る手が震える。

 ───全て、計画通りだ。

 深く息を吸い込み、吐き出す。

 少年は凛と叫んだ。

 

「───突撃!!」

 

 両軍が激突する。

 敵味方入り混じる乱戦と化した戦場を駆け抜けながら、アレキサンダーは南の方角へ目を配った。

 砂塵。地平線を乗り越え現れる大軍。真紅のドレスを纏う薔薇の皇帝。それらを一瞬で把握すると、彼はくすりと微笑んだ。

 ──先生(こうめい)の予測に間違いはなかった。

 

「これ以上ないほどにドンピシャだな! 全軍、存分に食い荒らすが良い!!」

 

 ネロの号令に応えるかの如く、ローマ軍の兵は咆哮した。

 両軍の側面をローマ軍が切り裂く。

 呆気なく奇襲は成功し、瞬く間に戦場を席巻する。虚を突いたにしても異様な攻撃力。孔明は目を凝らし、その原因を解析した。

 ローマ軍の兵は各々の武具に直線で構成された紋様を刻んでいた。武器には橙色の光が、防具には青色の光が宿っている。

 その刃は鉄板を容易く割り、鎧は敵の矢玉を跳ね返す。

 

「……ルーン文字か。これほどの大軍に行き渡らせるとはな」

 

 ルーン文字は書くだけで様々な効果が得られるため、戦士に好まれてきた。

 武具に文字を刻む。それ自体は少し時間があればできることだが、問題は兵士全員のルーンを起動する魔力量だ。

 桁違いの魔力を有する魔術師が敵方にいる。その事実に、孔明は忌々しげに眉根を寄せる。

 

「天才、か。その類いを見るのには慣れている」

 

 軍服風の礼装を着た白髪碧眼の魔術師。孔明はその男の方向へと踵を返した。

 一方、ローマ軍左翼は怒涛の進撃を繰り広げていた。ブーディカの戦車(チャリオット)を先頭にした突撃は兵を蹴散らし、真っ直ぐに敵陣を貫いていく。

 戦車の上には立香たちも乗り込んでおり、さながら矢のように疾走する。

 

「マシュ、ジャンヌさん、敵を近づけないようにして! 敵将を倒してこの戦いを終わらせよう!」

「わたしは飛び道具を防ぎます。ジャンヌさんは──」

「ええ、言われなくても分かってるわよ!」

 

 ジャンヌは指を弾く。周囲に漂っていた鉄杭が戦車の進行上を挟むように林立し、烈火の如く燃え盛った。 

 投槍や矢のことごとくがマシュの盾に防がれ、ジャンヌが炎の壁を作り出せばその進路を妨害することは誰にもできない。

 敵を全く寄せ付けることなく、彼女たちは指揮官の陣地らしき場所へ辿り着いてしまう。

 そこには、最低限の兵すらいなかった。

 この場所だけが戦場からくり抜かれているように、ぽっかりと余白が空いている。

 その空白地帯に穿たれた赤い点。どこか陰鬱さを抱えたひとりの男がそこにいた。

 漂白されたような真っ白な髪の毛。それをぐるりと一周する月桂冠。左腰に差した剣。首からは十字架を提げており、左腕に聖書を挟んでいる。赤いコートを風にたなびかせながら、彼はゆっくりと立香たちに眼差しを注いだ。

 四人の顔を流し見て、男は立香に屈託のない笑みを向ける。

 

「そこの貴女、名前をお教えいただいてもよろしいでしょうか」

「……名前を知られると呪いをかけられる可能性があるとリーダーに教わりました。言えません」

「なるほど、これは失礼。随分と大切にされているようで。モーセの十戒には〝主の名をみだりに唱えてはならない〟とあります。真名の開示を嫌う信仰はどこにでもあるのですねえ」

 

 ですが、と考え込む素振りで彼は続ける。

 

「リーダー、とはおそらくノアトゥールという人のことで間違いないでしょう? レフさんと何やら因縁が───」

 

 瞬間、業火の杭が男の横を通り抜けた。ジャンヌは底抜けた冷たい声で言う。

 

「御託はいいわ。さっさとその剣を抜きなさい。アンタの時間稼ぎに付き合ってる暇はないのよ」

「…………残念ながら、私は詩人です。従軍経験はありますが、根本的に戦いには向かない性分なのですよ」

「そう、なら()えなさい──!!」

 

 ジャンヌが右手を振るい、男目掛けて炎を叩きつける。

 事実、彼にはそれを耐える強さも回避する速さもなかった。灰すら残らないほどに焼き尽くされ、魂は英霊の座へと還っていくだろう。

 炎が到達する直前。

 刹那の言葉を、彼女たちは聞き逃さなかった。

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 現れたそれを見て、立香は心臓が締まるような錯覚を感じた。

 天を突く巨大な肉の柱。灰色の皮膚を割り、出現する無数の眼球。視覚ではなく魂までもが拒絶するような冒涜的な醜さ。

 先程の男とよく似た、けれど違う声が口上を述べる。

 

「人理の残滓ども。貴様らの存在全てが不要である」

 

 ───魔神柱、出現。

 

「我が名はダンタリオン。知恵と心理、幻を司る魔神なり!!」

 

 そして、戦いが幕を開けた。


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