自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
カルデア、レクリエーションルーム。
特異点の修復に取り掛かってからは、この部屋を利用する人間はめっきり減っていた。Eチームを補佐する各部門のスタッフたちに、遊んでいる余裕はないのである。
それでも熱烈なリピーターというのは居るもので、Eチームのメンバーたちはスタッフの苦労を尻目に、その部屋に入り浸っていた。
その状況が長く続けば当然、部屋はEチームの使いやすいように手を加えられていく。
レクリエーションルームの一角。主にビデオゲームを取り揃えた場所の床には、種々のコントローラーや菓子袋が散乱していた。
そんな折。思春期真っ盛りの中二男子の部屋を一掃する母親のように、ロマンはレクリエーションルームの掃除を敢行した。もっとも、例のように黒歴史が発掘されることはなかったが。
ある朝、Eチームはレクリエーションルームに集められた。
ビリヤード台などを除けて作られたスペースにホワイトボードが設置され、その両脇にはロマンとマシュ。立香たちはその前で体育座りさせられている。
ロマンは咳払いして切り出す。
「えーと、それではダンテさんのことを学ぼうということで……」
「リーダー、それよりもスマブラやりません? 私めちゃくちゃ強いですよ」
「上等だ、俺のゴリラで奈落の底に叩き落してやるよ。病み上がりで俺に勝てると思うな」
「はいそこ、すぐゲーム始めようとしない! マシュも何とか言ってやってくれ!」
ゲーム機を起動しようとするマスターたち。ロマンに促され、マシュは二人に言った。
「ちょっとお二人とも! わたしも混ぜてください! 悪魔のピンク玉が火を吹きますよ!!」
「ここにボクの味方はいないのか──!?」
「……というのは冗談として。ダンテさんは世界三大詩人にも数えられる人なので、ペレアスさんよりは豊富な紹介ができると思われます」
「マシュちゃんなんかオレにだけ辛辣じゃない? ……というか、そんなに有名な奴なら解説する必要あるか? ジャンヌちゃんの時もやってないだろ」
マシュの言葉の刃に背を刺されながら、ペレアスは疑問を述べる。それまで場を静観していたダンテは、微笑を浮かべて答えた。
「ああ、それは簡単ですよ。だって私たち、原作に登場しないオリキャ──」
「それ以上続けたら燃やすわよ」
「はい、ごめんなさい」
「とんでもないメタ発言が飛び出すところでしたが、始めますね」
マシュはホワイトボードにペンを突き立てる。
───遡ること2000年前。人間界の支配を目論んでいた魔帝ムンドゥス。無数の配下を引き連れて侵攻しようとしたその時、正義の心に目覚めたひとりの悪魔がいた。
その者の名はスパーダ。ムンドゥスを封印し、人間界に平和をもたらした彼の名は後世に伝説として伝わるようになった。
「スパーダの血と力を受け継ぎ、日夜悪魔と戦うデビルハンター。それがダンテさんです」
「いやこれダンテ違いですよねえ!!? 私はあんなスタイリッシュアクションできませんよ!」
「ふふふ、私は知ってますよ。リザードンを切り札にしてるガラル地方のチャンピオンですよね」
「貴女もですか立香さん! あんな選ばれなかった御三家を大切に使ってくれる人なんて私は知りませんから!」
「その割に知ってるじゃねえか」
というのは冗談として。マシュはようやく真面目に喋り出す。
……後の歴史に大きな影響を与えることになる詩人、ダンテ・アリギエーリは1265年5月末、イタリアのフィレンツェにて生を受けた。ダンテという名前は洗礼名ドゥランテの省略であり、『永続する者』という意味を持っている。
彼の少年時代は断片的な情報しかなく、諸説入り乱れている。ただ推測できるのは、修道院が経営していたラテン語学校で語学を学び、当時一流の学者であったブルネット・ラディーニに師事しただろうということだ。
「ちなみに、このラディーニさんは神曲において、男色の罪で地獄に落とされています」
「とは言っても、ダンテさんは最も尊敬する師として慕っているんだけどね。当時としては異端扱いされかねない表現だけど、抑圧されたものを解放するのが文学の役割なのかもしれない」
「……リーダー、なんかドクターが真面目なこと言ってますよ。教養の差を見せつけられたようで悔しいんですが」
「第二特異点で出番がなかったからな。とにかく台詞の量を増やそうとしてる卑しい男だぞ」
「戦闘中のオペレーターなんて、敵の攻撃に驚くくらいしかできないもの。必死すぎて引きます」
ジャンヌの思わぬ追撃を受け、涙目で震え出したロマンを横目に、マシュは解説を続けた。
九歳の頃、ダンテはまさに運命と出逢う。
すなわち、ベアトリーチェとの邂逅である。1274年5月1日のことであった。それが一度の邂逅、二度と顔を合わせないような運命だとしたら、鮮烈な初恋で話は終わったのかもしれない。
だが、神の悪戯は再び二人を引き合せる。ダンテ十八歳の時、彼らは聖トリニタ橋にてすれ違う。会話もなく、ただ一度のベアトリーチェの会釈にダンテは熱病に浮かされるような恋情を覚えた。
ダンテが初めて世に出した詩集『新生』では、その際のダンテの様子がつぶさに描写されている。
それを簡単にまとめると、魂が泣きながらガタガタと震えて活動停止宣言をし、食事が喉を通らなくなって生命に危機が訪れるほどの感動を覚えたのだとか。
以上を聞いたジャンヌはほのかに頬を染めながら、
「九年の時を経て再び巡り合う二人……な、なかなか良いじゃない。描写はかなり大げさですけど」
「確かに。フラれた挙句、相手の家の近くに住み込んでストーカー行為を働いたペレアスさんよりは余程ロマンチックだよね」
「え、そんなことしてたんですかペレアスさん。私以上の変態じゃないですか。ブリテンは変態の集う島ですか」
「おいやめろ、アレは若気の至りだ」
「至りすぎだろ」
が、その恋模様はロマンチックとは程遠かった。
教会は当時の社会では、ある種コミュニケーションの場だった。日曜日のミサなどはその最たる例であろう。
ある日のサンタ・マルゲリータ教会。ダンテはベアトリーチェに熱い視線を注いでいた。どんな時代も人は他人の恋愛話に目がないようで、ダンテの懸想の噂はすぐに広まった。
ただしその噂は〝ダンテがベアトリーチェに恋をしている〟というものではなく、偶然彼らの間に座っていた女性がダンテの恋愛対象となってしまっていた。
当然、それは彼の耳にも入る。常人ならば、その噂を否定するか誤解を解こうとするかもしれない。
しかし、そこはイタリア最大の詩人。慌てふためくようなタマではない。この状況を好機と見て、ベアトリーチェへの恋心を隠すためにその女性が好きなフリを始めたのである。
さらには、その女性に向けていくつか詩をしたためるなど、なぜか恋愛感情の偽装に力を入れ始めたダンテ。人類史最大級の詩才の最も無駄な使い道といえるだろう。
その女性が他の場所に移り住んだ際も、彼は別の女性を見つけて恋慕を抱いているフリをした。その結果、ダンテは移り気な男だという噂が立ち、ベアトリーチェに嫌われてしまった。
「このエピソードを隠れ蓑の女性と言います。ベアトリーチェさんに嫌われたのは、残念ですが当然ですね」
「前言撤回、乙女心を弄ぶクズじゃない」
「そもそも普通に誤解を解けば良かったんじゃ? 文豪って思考回路おかしい人多いよね」
「じ、女性陣からの評価が下がっていく……!! ペレアスさんの言葉を借りるようですが、これは若気の至りですよ、私には許嫁もいましたし!」
「「「尚更女の敵では……?」」」
「ぐあああああああ!!!」
そして1285年、ダンテは許嫁のジェンマ・ドナーティという女性と結婚する。ベアトリーチェも銀行家に嫁ぎ、二人の関係は繋がらないまま途絶えてしまう。
「知ってますよ、現代ではこういうのをNTRって言うんですよね。大丈夫です、私素質あるんで! 脳破壊されてるんで!」
「あの、両目から涙流しながら言われても困るんですが」
「
とはいえ、未だベアトリーチェに未練マシマシのダンテである。その新婚生活は羨むようなものではなかったかもしれない。
狭いコミュニティの中で成立していた昔の社会では、噂が持つ重要度は馬鹿にできない。ダンテの悪評はジェンマにも届いていた可能性がある。
そうなれば、明るい新婚生活など期待できない訳で。
ロマンは苦笑しつつ、彼をフォローした。
「ダンテさんの結婚生活はネガティブな解釈をされがちだけど、ボクは違う見方もできると思うな。ジェンマさんとの間に4人もの子どもをもうけている訳だしね」
「なんだよ、しっかりやることはやってんじゃねえか」
「生々しい言い方やめてくださいリーダー。私はもっと甘酸っぱい話を所望します!」
「そうですねえ、では今思いつく話だと……」
それは結婚から数日が経った時のこと。書斎の扉を勢い良く蹴破ったジェンマは、ダンテに言い放った。
〝お前、まだベアトリーチェのこと好きだろ〟
〝当たり前じゃないですか。1万年と2000年経っても愛してますよ〟
〝即答かよクソが。ところで、さっきあの女が路地裏でイチャついてんの見たんだけど。ありゃもう時間の問題だな。ご祝儀贈っとくわ〟
〝うわあああああああ!!! き、貴様ァァァ!! まさか私の脳を破壊するのが狙いでここに来ましたね!!?〟
それを聞いたノアは死んだ魚のような目で、
「バカだろ、登場人物全員バカだろ。ガッツリ尻に敷かれてるじゃねえか。甘酸っぱさの一欠片もねえよ」
「……うん、歴史の裏側なんて大体こんなもんだよね。世のダンテ研究者が聞いたらどんな顔するんだろう」
「普通に一蹴されそうですが……では続けましょう」
戦闘力の欠片もないダンテだが、実は戦場に出たことがある。それが1289年6月、カンパルディーノの戦いである。
当時、イタリアの政治的勢力は教皇派と皇帝派に二分されていた。この戦争はその二勢力の覇権争いであり、教皇派に属するフィレンツェの騎兵として、ダンテは駆り出された。
苛烈な争いを生き残ったものの、ちょうど一年後、ベアトリーチェは病気で命を落としてしまう。これがダンテの処女作『新生』を書くに思い至らせた出来事であり、転換期だった。
先の戦いで勝利を収めた教皇派はその後、市民層から成る白党と貴族層から成る黒党に分裂した。ダンテは白党に所属し、フィレンツェの統領にまで上り詰める。
だが、彼が教皇庁への特使として市外に出ていた時に事件は起こる。黒党が政変に乗じて実権を握ると、ダンテの子どもたち諸共フィレンツェから永久追放した。
ダンテの長い放浪生活は、ここから始まるのである。
「この放浪生活の中で『神曲』や『饗宴』、『俗語論』、『帝政論』を著しています。皮肉にも、文筆家としての名声は追放されることで上昇したと言えますね。後のルネサンス期の先駆けともされています。死後数百年経ってその名声はさらに高まり、キリスト教圏でその名を知らない人はいないでしょう」
「ちなみに、『神曲』の中ではフィレンツェの黒党の人たちが地獄の罪人として出てくるんだよね。こういう背景を知ると、一層味わい深い名作だ。さらには『俗語論』と合わせて、現代イタリア語の基礎を作ったとも言われている。その凄さは筆舌に尽くし難いね」
「あ、でも『神曲』は私の実体験ですよ。地獄巡りは本当に地獄でした」
ダンテの暴露に、場の空気がしんと静まり返った。
彼の代表作にして最高傑作『神曲』。作中でダンテは地獄に迷い込み、古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に旅をすることとなる。
各々の地獄で数々の罪人を目の当たりにし、最終的にはベアトリーチェの導きで天の頂にて神の御姿に直面する。これが『神曲』のあらすじだ。
それが真実であるということは、死後の世界が存在するということ。世を乱しかねない情報だった。
けれど、ダンテは首を横に振る。
「とは言っても、あの地獄は私好みではありません。キリスト教誕生以前の偉人たちが煉獄に落とされているのを知っていますか? 恵みの契約を交しているとしても、あまりにキリスト教徒に都合が良すぎるでしょう。思うにアレは、キリスト教徒たちが望む死後の世界───それに生きながらにして触れてしまったのだと理解しています」
人間がふと異世界に迷い込み、帰還するという話型は現代までに多く見られるモチーフだ。特に現代日本では何かとつけて、異世界に飛ばしたがる傾向があるだろう。
そもそも魔術などというものが存在するのだ。何が起きてもおかしくはない。立香がそう結論付けようとすると、ノアの足がダンテのももに突き刺さった。
「ギャアアアア!! 何してんですか!?」
「急に真面目な雰囲気にしようとしてんじゃねえ。こちとらオフなんだよ、もっかい地獄に叩き落とすぞコノヤロー」
「この人地獄で見たどの悪魔よりも悪魔なんですけど!! サタンと肩組んで談笑できますよ! 地元では負け知らずですよ!」
「ふざけろ、俺だったらサタンも屈服させる。デビルメイクライどころかデビルマストダイだからな。全裸目隠しで三角木馬にまたがってるところをYouTubeにアップしてやるよ」
「その内容ならYouTubeよりもFC2なんじゃないですかねえ!?」
「ツッコむところそこですか……?」
悶絶するダンテを眺め、愉悦の笑みを浮かべるノアとそれを止めに入る立香。ジャンヌは馬鹿共のやりとりに呆れて視線をそらした先で、体育座りで落ち込むペレアスを見た。
心なしか彼の纏う空気が黒く染まっているようで、その背中には哀愁が漂っている。
「ち、ちょっと。ペレアスがとんでもない瘴気を発してるんですけど。どうしたのよ」
「いや……ダンテが思ったよりもガチの偉人で…………オレなんて超脇役だし。国王牧歌では主人公として取り上げられたけど、寝取られて放浪して終わる鬱エンドだし…………」
「キリエライト、他のダンテの逸話持ってこい。追い打ちかけろ」
「はい、了解しました」
「や、優しかったマシュは一体どこに……」
ロマンは密かに落ち込んだ。どれもこれもEチームが悪いのだ。
それはそれとして、現代にも通用する政教分離の思想は、欧州においてはダンテが発端と言えるのかもしれない。
『帝政論』。彼の政治理念が詰め込まれたこの書では、皇帝の在り方と宗教的権威の分離が謳われている。
思想は人民の間で醸成されるものだが、政教分離思想を最初に表面化させたのは彼の功績のひとつであろう。
「そうですよ、もっとこういうのを下さい! 掘れば掘るほど偉大なエピソードが出てくるでしょう!?」
「こいつを調子に乗らせるのも癪に障るな。よし、お開きにするぞ。ロマン、うまく締めろ」
「え、えーと、ではダンテさん。人理修復に当たっての意気込みをお聞かせ願います」
突然話を振られたダンテは泡を食いながら、
「私はこれを神からの試練と受け取りました! 人理修復の暁にはこの旅路を詩集にでもして、印税収入で豪遊してやりますよ! ついでにノーベル文学賞も狙います!!」
欲塗れの宣言が、レクリエーションルームに響き渡るのだった。
「────チョコレートって、おいしいよね」
とある日のカルデア。
Eチームの男三人衆と昼食を摂っていたムニエルは、不意に戯言を口走った。
ノアたちの冷たい視線が、ムニエルの豊満な体に突き刺さる。平時なら即座に額を床にこすりつけていたところだが、今日の彼は一味違った。チョコだけに。
ノアはムニエルの食器のフランスパンをかじりながら言う。
「もう三月だぞ。バレンタインネタやるには旬が過ぎてるだろ」
「うるせー!! こっちはまだバレンタインやってんだよ! そういう設定なんだよ! サザエさん形式なんだよ!! あとそれ俺のフランスパン!!」
立ち上がって絶叫するムニエル。彼の悲痛な叫びは、食堂全体に響いた。周囲のスタッフたちは悪い予感を察知したのか、そそくさと退出していく。
「俺だってさァ! 色々頑張ってんだから少しくらいご褒美があって良いじゃん! 性転換までして体張ったじゃん! 要するに何が言いたいかと言うと女の子からチョコが欲しい!! リーダーだってそういう欲あるでしょ!」
「甘すぎるもんは好みじゃねえな。チョコとかよりもソロモン王の指輪とかの方がテンション上がるだろ」
「そんなもん渡せるやつがどこにいるんだァァァ!! チョコはチョコでも苦いやつとかあるだろ! 欲しいって言ってくれよ、頼むから! お願いします!」
半ば狂乱しつつあるムニエル。その声は廊下にも突き抜ける勢いだった。そこで、ペレアスとダンテは納得したように頷く。
「ああ、さっき職員の子からチョコ貰ったのはそういうことか。ブリテンとは一風変わった風習なんだな。こういうのは男の方からやるもんだと思ってた」
「私も図書館に入り浸ってたら貰いましたよ。古代ローマ文学について、ついつい話し込んでしまいました。女性も平等に学びを得られるとは、良い時代になりましたね」
そう言って、彼らは机の上に数個のチョコレートを並べた。それらを見た瞬間、ムニエルは魂が抜けたように静かになる。
数秒の沈黙を経て、彼は消え入るような声をひねり出した。
「………………え、二人とも既婚者ですよね。顔ですか、結局顔なんですか」
「騎士的に乙女からの贈り物を受け取らない選択肢はねえな。むしろ光栄なことだ。特に甘いものなんて嗜好品の中でもさらに貴重だろ?」
「現代ではそうでもないらしいですよ。大量消費社会の良い面ですねえ。それでも渡し渡されるという関係にこそ特別性を見出すものです。私たちで分けて食べますか?」
ダンテの提案を受けて、ムニエルは頭を抱えて悶え始める。
体内に巣食う悪魔との格闘を終えたムニエルは、悟りに達したような賢者顔で言った。
「───〝他人のパンがいかに苦く、他人の階段の上り下がりがいかに辛い道であるか〟……『新生』でそう言ってましたよね、ダンテさん」
「た、確かに言いましたが」
「他人からチョコを恵んでもらうのも同じなんですよォォォ!! どんなに甘ったるいチョコレートもビターチョコレートに様変わりですよ! そもそも俺が本当に欲しいのはチョコじゃなくて女の子の心なんです! そういう男なんです! アガペーじゃなくてエロスの方なんです!」
「それキリスト教的にアウトなんですが!!?」
元の調子に戻ったムニエルに、ノアは無表情で問う。
「あ〜、分かった分かった。チョコレートつっても誰から貰いたいかとかあんだろ、協力してやるよ言ってみろ」
傍若無人の化身から出されたのは、意外な提案だった。
正気度を喪失していないムニエルなら、彼の真意の裏を読むところだが、今日ばかりはそうもいかない。
さながら地獄に垂らされた一本の糸。ただし、垂らしているのは仏ではなく悪魔である。
ムニエルは暫し考え込み、声を絞り出した。
「……じ、ジャンヌちゃん」
ムニエルを除いた三人は顔を見合わせる。
少なくとも、ペレアスとダンテの意見は一致していた。
((いや、それは無理だろ!!))
ギャルゲーに例えたなら、選択肢をひとつ誤った時点でセーブデータごと焼き尽くしてくるような相手である。
立香やマシュの前では態度が軟化するが、それ以外ではまさに鉄壁。ムニエル程度の対人経験では分が悪すぎた。
しかし、ノアはニタニタと笑いながら口を開いた。
「オイオイオイ、どんな趣味してんだ。あんな不良娘のどこが良いんだよ。オルレアンのキレたナイフだぞ」
「そ、そういう子ほどデレた時の破壊力が抜群でしょうが!! 口元に手当てながら目線そらしつつチョコを渡してほしい!! できることならハート型が良い!!」
「んな漫画みてえなことある訳ねえだろ、夢見てんじゃねえ。世間でツンデレなんて言われてんのは幻想だからな。よく思い返せ、夜中のドン・キホーテの前とかでああいう奴いただろ、ジャージ着てたむろってんのが容易に想像できるだろ、隣でチャラい男がタバコ吸ってんだろ」
「──へえ、だったらこれは想像できた?」
唐突に訪れる、底冷えした声。
いつの間にか背後に立っていたジャンヌは掌中に炎を灯して、高温のチョコレートをびたびたとノアの頭上にぶちまけた。
「ギャアアアアアアアア!!! 焼けるゥゥゥ!! 目玉がアッツアツのチョコレートフォンデュになるゥゥゥ!!!」
「自業自得ね。マシュ、行くわよ」
「やっぱりリーダーはどこまで行ってもリーダーでしたね。アポロチョコの一粒でもあげようと思ってたわたしが馬鹿でした」
そう吐き捨てて、ジャンヌとマシュは食堂を後にする。どうやら厨房の方でチョコレートを作っていたらしい。
顔面を両手で押さえながら転げまわるノアの姿に、彼を除いた三人は息を呑んだ。
ノアの絶叫をBGMにして、ダンテはぽつりと呟いた。
「私、ジャンヌさんだけは絶対に怒らせないようにします」
「……そうしとけ。エタードを追い返した時のウチの嫁くらい怖い顔してたぞ」
「湖の乙女の怒りまで買うとか、エタードさん不憫すぎませんか。元はと言うとペレアスさんのせいですよね」
「やめろ! 今でも夢に出てくるくらい気にしてんだよ!」
思わぬ流れ弾がペレアスに当たった。気まずい沈黙が訪れたその後、食堂の扉が音を立てて開く。
ジャンヌとマシュが追撃に来たのか。三人は身構えたが、その顔ぶれは立香だった。
三人は警戒度をぐっと下げる。完全に警戒を解かないのは、彼女もまたEチームのマスターだからだ。
「リーダーに魔術教えてもらおうと思ってたんですけど、なんでのたうち回ってるんですか」
ペレアスは一言、
「ジャンヌちゃん」
「あ、なるほど。大体分かりました」
と、立香は神速の理解力を発揮した。
「うーむ、これは褒めるべきか嘆くべきか……ノアさんを運ぶの手伝いましょうか? 私筋力Eですけど」
「大丈夫です! こんなこともあろうかと台車持ってきたんで! しかもトップシェアのダンディの台車ですよ!! これなら190cmのリーダーも運べます!」
「ペレアスさん、Eチームにまともなのは私しかいないんですか」
「言っとくけどお前も大概だからな」
そんなこんなで、ノアは台車に載せられて運ばれていった。
立香とノアの魔術特訓は今に始まった話ではない。人理が焼却される前までは主にカルデアの礼装を使いこなすことに重点を置いていたが、以降はそれだけに限らない訓練を行っていた。
数多存在する魔術の中でも、立香が真っ先に叩き込まれたのはルーン魔術。ノアが好んで使うという理由もあるが、最たるものは習得が比較的容易であるからだ。
文字を描けば発動するという性質上、いくつかの決まりごとと文字を覚えてしまえば初心者でも扱うことはできるだろう。
その手軽さ故に、ゲルマン民族の戦士たちがこぞって武器にルーンを刻んだことが、出土品からも確認されている。
必要な知識を詰め込めば、後は実践。魔術師の世界は才能が第一だが、努力が功を奏さないほどではない。
立香の自室。ノアは顔面に付着したチョコレートをタオルで拭き取りつつ、訓練の監督をしている。
とはいえ、今回は魔術回路を酷使するものではなく、敵の魔術から身を守るための講義形式だった。
「ハリポタ風に言うと、闇の魔術に対する防衛術ですね?」
「まあ大体合ってるな。よし、じゃあ杖を取れ。まずは
「始まりって言うかそれもう終わってますよね。相手の人生を終わらせてますよね。最初に勉強する呪文じゃないですよ!」
「一撃で敵を殺せば全てがチャラだ。これ以上の防衛術はない」
「防衛術というか殺人術なのでは?」
と、愚にもつかないやり取りを繰り返す。
死の呪文は抜きにしても、魔術や呪術によって殺人を行おうとした記録は世界各地に残っている。古代中国発祥の蠱毒などはその最たる例であろう。
つまりは、呪い。日本の歴史ではこれを防ぐために、複数の名前を持つ風習が長らく続いたのだ。
「対魔力を持ってるサーヴァント連中は関係ないが、俺たちにとっては生死に関わる問題だ。呪いの種類によって対策を知っておかないとな」
「それもそうですね。ダンタリオンの邪視も一応防げましたし、知識があれば大丈夫ってことですよね」
「そういうことだ。だが、自分で呪いをかけようとは考えるなよ。おまえの腕前だと十中八九返される」
ノアはひとつの話をした。
それは世にまだ魑魅魍魎が溢れていた平安時代。あの魔人、蘆屋道満ですらも及ばなかった天才陰陽師、安倍晴明の逸話のひとつである。
内裏の警護を務める近衛府の前を通りがかった安倍晴明は、ある場面を目撃する。それは蔵人の少将という若者がカラスに糞を落とされる瞬間だった。
晴明はそのカラスは式神であり、蔵人の少将に呪いを掛けたと説明する。彼は加持祈祷によって呪いを解くと、使いが来て事情を明かす。
それは少将の妻の姉妹の夫による犯行であり、陰陽師を雇って呪詛を行ったのだという。後日、京では陰陽師の死体が転がっていた。
呪詛返し。呪いは破られると術者に跳ね返るという、陰陽道における絶対的なルールである。
「……平安時代の日本って魔境すぎません? 少しでも恨み買ったらアウトとか、ロクに友達も作れませんよ」
「問題は陰陽師のサーヴァントが出てきた場合だな。安倍晴明に呪いを掛けられたら、俺でも返せない」
立香は気楽に笑って、
「いやいやいや、キャスターだけでも星の数くらいいますからね? ぴったり安倍晴明引くなんて天文学的確率だと思います」
「確かに、考えるだけ無駄だったな! 仕方がねえ、今日は俺の薀蓄百連発の会にするか!」
「それは絶対に嫌ですけどね!」
「「アハハハハハハハハ!!!」」
悪魔のような哄笑が部屋に響き渡る。
上がりきっていたテンションが元に戻ると、立香は冷や汗を垂れ流しながら言った。
「や、やめておきましょうか。なんか嫌なフラグが立った気が……」
「よりにもよってランスロット引き当てたペレアスの例もあるしな」
気まずい空気が流れる。これまでの経験から、悪い予感は大体的中するということを二人は痛感していたのだった。
「でも、魔術のこと話してるリーダーは本当に楽しそうですよね」
「もはや切っても切り離せない関係だからな。クソ映画とアルバトロスみたいなもんだ」
「考え得る限り最高の相性じゃないですか。兎と戦車くらいのベストマッチじゃないですか」
そこで立香は冷蔵庫を漁って、一枚の板チョコレートを取り出す。彼女はそれをノアに差し出すと、
「今日バレンタインですよね。作る時間なかったんで購買のやつですけど、ちゃんと苦いの買っておきました」
彼は促されるままに板チョコを受け取る。
「……おまえ、これ俺以外に渡したか?」
「いえ? 後でEチームのみんなには渡そうと思ってます」
それを聞いて、ノアは意地の悪い笑みを浮かべた。
「よくやった、これでムニエルのやつにマウント取ってくる」
「所持数一個で戦いを挑むのは無謀じゃないですか!?」
静止する暇もなく、ノアは部屋を飛び出していった。鉄は熱い内に叩けというが、ドSの世界では人間に対しても同じ理屈が通用するらしい。
嵐が通り過ぎたような自室の中で、立香は大きく息を吐いた。いつもよりほんの少しだけ速い心音を手のひらで確かめ、椅子に腰を落ち着ける。
「…………うわ。私、緊張してたかも」
深夜のカルデア。時計の針はもうじき12時を回る頃合いであり、スタッフたちにとっての数少ない就寝時間だった。
薄暗い廊下を闊歩するひとつの影。ゆらゆらと不安定な上体を振り回し、おぼつかない足取りで宛もなく歩き回る。
廊下の曲がり角に差し掛かると、その影はぴたりと止まって、叫び声をあげた。
「ヒャハハハハハハハ!! どいつもこいつもバレンタインってよォ!! 性欲に塗れた薄汚い資本主義の豚どもが!! 俺にチョコが舞い降りない世界なんて滅べチクショー! あっ、もう滅んでるんだった! ざまあみろ!!!」
バーサーカーにも匹敵する狂気に包まれたムニエルがいた。ノアに盛大に煽られ、彼の欲望は頂点を天元突破して決壊したのである。
床に突っ伏して泣き崩れる彼の肩を、何者かの手が優しく叩いた。
どくり、と心臓が高鳴る。
時刻はまだ23時59分。バレンタインはまだ終わっていない。例え残り少なくとも、チョコの一片さえあれば負け組のそしりは免れることができるのだ。
(…………ま、待て待て。こういう時は大体あの
意気込んだその瞬間、見計らったように背後からチョコレートが差し出される。
夢にまで見たその物体。ムニエルは即座に振り返り、その者の顔を真っ向から捉えた。
「────優雅たれ」
「優雅なおじさんかよォォォォォ!!! クソッタレ!!!」
クラス:キャスター
真名:ダンテ・アリギエーリ
属性:混沌・中庸
ステータス:筋力 E 耐久 E 敏捷 E 魔力 EX 幸運 E 宝具 EX
クラス別スキル
『陣地作成:―』……私に工房が作れるとでもお思いで? 流浪してからは書斎なんてのもなかったですし。……なかったんですよ。
『道具作成:C』……そりゃあ物書きですから。筆は少し遅めですが、歴史に名を残す程度の文章は書けますよ。
固有スキル
『星の開拓者:EX』……イタリア最大の詩人、ダンテの神曲はルネサンスの先駆けであり、近代文学最初の傑作ともなった。庶民でも読めるトスカーナ方言で書かれたこの作品は、後のキリスト教における天国と地獄のイメージを決定付けた。つまり、後世のキリスト教徒が思い描く世界を規定したのである。さらには、神曲の文体がイタリア語の基礎ともなった。逆説、神曲が無ければイタリア語は成立しなかったかもしれない。シェイクスピアの作品もまた英語に大きな影響を与えたが、現代に至る言語の礎となった文学作品は神曲ただひとつだけだろう。西洋芸術史、文化史、言語史、宗教史のターニングポイント。ひとつの時代を招来した偉大な功績を讃えたスキル。役に立つことはあまりない。
『幽界の旅人:A』……地獄、煉獄、天国を旅し、最終的には至高天にて神を見る。その経験からダンテには常人には見えないものが見えたり、高次元の存在と交信できたりする。若干心も読める。一種の精神感応能力、未来予知能力と言って良い。同ランクの直感スキルを内包する。が、精神干渉には滅法弱い。ルルイエが浮上した時は真っ先に発狂する。
『見神の詩人:A』……素晴らしい詩を紡ぐスキル。これは自らの宝具から零れ落ちた神秘でもあり、文字を使って他人の強化・弱化ができる。彼の紡ぐ文字自体が魔力を帯びており、勝手に世界に刻まれる(一定時間で消える)。魔力のステータスがEXなのは、このように極めて特殊な魔力を持っているため。
宝具
『至高天に輝け、永遠の淑女』
ランク:EX 種別:結界宝具
ディヴァーナ・コンメディア。ダンテが心のままに書き留めた詩を捧げることで発動する。無数の聖人と天使が集まる『天上の薔薇』を背景に、神の栄光に満ちた最愛の淑女、ベアトリーチェを喚び出す。
結界内のひとりを対象に、ベアトリーチェがその者の魂を高次元へと連れて行く。これは攻撃ではなく救済であるため、射程に収まった時点で物理的な防御・回避は不可能。救いを拒む強固な精神を以ってのみ、抗うことができる。しかし、救われたいという願いは普遍のものであるため、完全にその効果から逃れることはできない。副次効果として、結界内の味方に加護を与えてステータスを強化できる。
天国の一部を現世に降ろす、擬似的な固有結界。愛を受けるペレアスとは正反対の、愛を捧げる宝具。ただし一方通行。
ダンテのクラス適性はキャスターとアヴェンジャー。もし後者で召喚されれば、この宝具は地獄の最下層・コキュートスを具現化するものとなる。