自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
見渡す限りの大海。
ダンテは緩やかに吹き抜けていく風を肌で感じ、降り注ぐ太陽の光を一身に浴びていた。
生前、大型の帆船に乗る機会は得られなかった。小舟程度ならば幾度か乗船の経験はあるが、地獄の川を渡る際に亡者たちが船体に取り付いてきた記憶が長く尾を引いている。
その点、海上の帆船の何と良いことか。
船上に居れば海中からは手が届かず、窮屈に足を畳む必要もない。サンタマリア号の航海はダンテにとっては天国だった。実際に天国に行った者が言うのだから間違いない。
ただしそれは、小舟で地獄の川を渡った経験との比較である。ひとつだけ欠点があるとすれば、
「オエエエエエエェェェッッ!!」
彼が船酔いする類の人間だった。ただそれだけだろう。
〝自然は神の芸術である〟とは彼の言葉だが、今のダンテはその自然に唾どころか吐瀉物を吐きかける存在である。まさに神をも畏れぬ所業だ。
この場にマシュが同行していない以上、カルデアから酔い止め薬を送ってもらうこともできない。彼にはただ耐えるしか選択肢は残されていなかったのである。
海へ流れていく今朝の食事を眺めて項垂れるダンテを尻目に、ノアとペレアスとコロンブスは神妙な面持ちで輪を作っていた。
彼らが取り囲む中心。表面に渦巻き模様がくまなく刻まれた、バレーボール大の果実が置かれている。
某超大ヒット海賊漫画に出てきそうなその果物を凝視して、ペレアスは言う。
「…………まずいだろ。世界観的に」
だらだらと顔面に冷や汗を滲ませる。コロンブスとノアはわざとらしく首を傾げて、
「「何がだ?」」
「いや、これ悪魔の実……」
「悪魔の実ってなんだよ。物騒な名前だな。食ったら全身がゴムになったりすんのか? とんだ劇物じゃねえか」
「ノア、お前絶対知ってるだろ! そもそもどこで手に入れた!」
ペレアスに問い詰められ、ノアは薄い笑みを顔に貼り付ける。
「おまえ覚えてねえのか?
「してねえよ! 11巻もかけた冒険なんて!!」
コロンブスは肩をすくめて、地団駄を踏むペレアスを諌めた。
「おいおい、忘れたとは言わせねえぜペレアス。島の住民を苦しめる魚面のやつをぶっ飛ばしただろ。なんかギザギザの剣使う」
「それアーロンだろ。どう考えてもアーロンだろ。魚面でギザギザの剣使うのなんてこの世でアーロンだけなんだよ」
「「へえ〜、アーロンって言うんだアレ」」
「すっとぼけてんじゃねええええぇぇぇ!!」
ペレアスの放ったドロップキックがノアとコロンブスの顔面に突き刺さる。
甲板に転がされたノアはボタボタと血を垂れ流す鼻を押さえながら、呆れたように言った。
「もういいだろ、俺たちも。レフ倒して一区切りついただろ。これからは心機一転、設定ごと入れ替える気持ちで行かなきゃ駄目だ。テコ入れの時期が来てんだよ。全身ゴムにするくらいの強烈な個性が必要だろ」
「その設定と個性は借りパクしたものだけどな」
「バレなきゃ良いんだよ。まずは簡単な所から変えていこう。例えば口調とかだな。ナルト然り剣心然り、有名な主人公ってのは大体喋りに特徴が出てんだよ。これを『変な語尾にしとけばなんか個性出るよねの法則』と言う」
「その理論からしてもうアホだろ。ネーミングセンスも終わってるんだが」
ペレアスの反論をものともせずに、淡々と持論を展開するノア。コロンブスはこくこくと頷いて、両腕を組んだ。
「まあ一理あると思うぜ。現に俺たち、口調被ってるしな。誰が喋ってるか分かりづれえ。差別化を図る意味でも変な語尾にするのは悪くないってばよ」
「そういうことでござる、ペレアス殿。功を奏するのはいつだって地道な努力なんだよ……あっ間違えた、地道な努力なんでござるよ」
「おい逆に誰か分からなくなったぞ。こういうのは付け焼き刃じゃどうにもならねえよ。ありのままを出してきゃ十分だ」
「「オラワクワクすっぞ」」
「それはありのままの悟空だろうがァァァ!!! パクリ元をありのままにしてどうすんだ!!」
その怒号を受けたコロンブスは、子どもの喧嘩を見る親のような目をした。それだけでもペレアスの神経を逆撫でるには事足りたが、彼は大きくため息をつく。
「なら、どうしろってんだよ。キャラ被り問題は迷宮入りか? こんなことじゃあ新世界にすら辿り着けねえぞ」
「どうもするなよ。お前が新世界って言うとややこしいんだよ。まさかグランドラインの方じゃねえだろうな」
「男はみんな心の中にグランドラインを持ってんだよ」
「黙れグランドバカ。ノックアップストリームに突き上げられて難破しろ。むしろポーネグリフに足の小指ぶつけて骨折しろ」
そんな馬鹿げた会話をしていると、マストに登っていた船員が声をあげた。彼が身振り手振りで指す方向を見ると、サンタマリア号の後方から別の船が接近していた。
サンタマリア号よりも遥かに古い様式の船。その船首には高笑いする不審な男が仁王立ちし、コロンブスたちを指差す。
どことなく傲慢さが見え隠れするその金髪の男は、黄金の羊皮を見せつけるようにはためかせる。
「そこの船! 貴様らに二つの選択肢をやろう! すなわち、オレたちに食料及び貴重品を分け与えるか、海の藻屑になるかだ!!」
彼の要請を聞き届けると、ノアは操舵手の手から舵を奪った。そして、そのまま操舵輪を猛回転させる。
サンタマリア号の船体は急速に旋回し、相手の船の横腹に勢い良く衝突した。その衝撃をまともに受けた相手の船は盛大に揺れ、男はバランスを崩して船首にしがみつく。
豚の丸焼きのようになった男の体勢を指差し、ノアは悪魔の哄笑を海上に響かせた。
「モノを頼む時にはてめーから頭下げに来やがれェ! まあいくら土下座したところで俺は許しはしないがな!! その船を転覆させた後、おまえが持ってるその皮で便座カバーでも作ってやらァ! ヒャハハハハハハ!!」
味方ですら絶句するほどの雑言を吐き散らかしながら、悪魔に手綱を握られたサンタマリア号は体当たりを繰り返す。
男に成す術はなく、断続的に襲い来る衝撃に備えて船首に抱きつくしかなかった。
しかし、殴った手が痛むように、サンタマリア号にも相応の揺れは生じる。幾度も嵐の海や荒波を乗り越えたコロンブスと船員たちとは違い、ペレアスとダンテは経験が薄い。
特に後者。ダンテは近くの物に掴まることすらできず、ゴロゴロと甲板を転げ回りながら絶叫する。
「あ、あんなのが世界を救うマスターのひとりで良いんですか!? ショッカーの幹部とかのほうが余程しっくり来ますよ!!」
それに同意したのは、皮肉なことに金髪の男だった。
「そ、そうだそうだ! お前こそ謝罪の言葉を考えておけ! あいつの手に掛かればどんな英雄も一瞬で吹っ飛ぶんだからな!! お前なんてイチコロだぞ、いいのか、いいんだな!?」
「ハッ! いちいち確認取る時点でたかが知れてんだよ! ダチョウ倶楽部か!? おまえが叩き落とされるのは熱湯風呂じゃなくて海の底だがな!!」
「くっそ、ナメやがって! やっちゃえバーサーカー!!」
その時、空気が変わった。
船室から姿を現す偉丈夫。磨かれ鍛え抜かれた筋肉は黒鉄のようですらあった。
彼にとって船の揺れなどさしたる問題ではない。平地を踏みしめるかの如く歩を進め、船首に取り付いていた男を回収する。
彼は鋭い眼光をノアたちに向けると、ふと横を向いて二人の女性を手招く。
緩やかな笑みを浮かべた幼き魔女と、彼女を庇うように立つ狩人。女狩人は金髪の男のところまで歩いていくと、その頭に鉄拳を振り下ろした。
それとほぼ同時。ペレアスも同じように、ノアにお灸を据える。
女狩人は小さく息をついて言った。
「うちの馬鹿がすまない」
「こちらこそ、うちのアホがとんだ愚行をしでかして……」
「いやいや、こいつなんて認めたくはないが船長だ。今回の一件はこちらに非がある」
「いやいやいや、それを言ったら無理やり止めなかったオレたちが悪い」
「うだつのあがらないサラリーマンみてぇな会話になってるじゃねえか。ここは船長の俺に喋らせろ」
「うだつのあがらないは余計では?」
すると、杖を携えた少女が金髪の男の袖をくいくいと引っ張る。
「イアソン様。物資が必要なのも事実ですので、交渉してみるのは如何でしょう? 戦わずして目的を果たす……卓越した弁舌の使い時かと」
「そ、そうだな。お前らに交渉の余地をやる! 使者をひとり送ってこい! ただしそこの白髪のアホはやめろよ、絶対だぞ!!」
イアソン。その名前を聞いて、ダンテはガタガタと震え出した。相手の船に背を向けつつ、彼らは小声で話し出す。
「イアソンってあのアルゴノーツの船長じゃないですか!! 一船で一国を滅ぼせるような連中ですよ!」
「ってことは、周りにいる奴らは……」
ちらりと背後を覗き見る。
イアソン含め、甲板の四人は全員がサーヴァントだ。それぞれ得手は異なるが、誰もが英雄相応の風格を持ち合わせている。
が、やはり目を引くのは黒鉄の偉丈夫。荒削りの斧剣を手に持ち、寡黙に佇む。
戦闘を生業としていないコロンブスやダンテですら、一目見て直感する武の気配。ペレアスの目にはより多くのものが見えているのだろう、表情が強張っていた。
コロンブスはアルゴー号から視線を外す。
「あの男が一番ヤベェな。アルゴノーツの一員ってなら、テセウスかヘラクレス辺りか?」
「テセウスにバーサーカー適性は無さそうですし、ヘラクレスが妥当だと思います。……どうですか、ペレアスさん?」
「……絶対に喧嘩売るなよ。お前だったら小指でも殺されるぞ」
「私を仮想敵にするのやめてください。吐き気が加速してきました」
ヘラクレスについて、もはや多くを語る必要はないだろう。数々の偉業を成し遂げた、ギリシャ神話最大の英雄。通常の聖杯戦争なら、召喚した時点で勝利が確定するようなサーヴァントだ。通常の聖杯戦争など見たことも聞いたこともないが。
ともかく、相手にヘラクレスがいることで下手な手を打つことはできない。交渉するしか道は残されていなかった。
少女がイアソンの真名を晒したのも、おそらくはこの状況に持ち込むため。沈黙を守っていたノアはダンテに目を向ける。
「ダンテ、おまえが行け。政治家としての手腕を見せてみろ」
「ちょっと、勘弁してください! 私を小指で殺せるような人がいるところですよ!? 絶賛船酔い中ですし、アルゴー号に吐瀉物ぶちまけたら洒落になりませんよ!」
「このコロンブス様の口八丁でなんとかしてやろうか? ん? 俺は高く売りつけるのはもちろん、値切るのも大得意だぜ?」
「お前は行くなよ。値切る前に首切られるぞ。物理的に」
ダンテは思った。このままでは本当にアルゴー号に乗り込むことになると。脳裏に浮かぶのは、最悪の未来。彼はペレアスの足にすがりつく。
「ぺ、ペレアスさん! それなりに偉い騎士だったら停戦の使者とかやったことあるでしょう!」
「まあ、確かに何回もやったけどよ……」
それは異民族との戦いの最中。ペレアスは会うと気まずい人間がいる王城にはほとんど足を運ばず、最前線を転戦していた。
そんな折、一時的な停戦を旨とする敵将との会談が設けられ、ペレアスが応対した時のことである。
〝まあ、落とし所としてはこんな感じか。アグラヴェイン辺りがゴネなければ、王様も許可してくれるだろう。じゃあ、オレは陣地で嫁と仲間が待ってるからこれで〟
〝ペレアス卿〟
〝あん?〟
〝騙して悪いが、ここで死んでもらう。安心しろ、貴殿の首は丁重にキャメロットに送り届けてやる〟
〝ふざけんなああああああァァァ!! 国際問題だぞちくしょう!!〟
そんなこんなで、ペレアスは敵将の首を取ってから相手の陣地に放火して戻ったのだった。
「──大体、こんなのばっかだったな」
「……どこからツッコんでいいか分からないんですが。ペレアスさんって地味に強いですよね。地味に。本当に地味なんですけど」
「三回も言う必要ねえだろぶっ飛ばすぞ」
「ただこれで分かりましたね。やはりペレアスさんの方が適任です。ライター渡しとくんで、いざとなったら船に火つけて逃げましょう」
往生際悪くあがくダンテ。ノアたちは顔を合わせると、彼をアルゴー号に向けて蹴り飛ばした。
「「「いいから行け」」」
「あああああああ!! この鬼畜ども、地獄に落ちますよ!!」
びたん、とダンテはアルゴー号の甲板に墜落する。
なんとか体を起こすと、アルゴノーツの英霊たちの姿が目に入った。その威容に思わず足が竦むが、一度肺に空気を取り入れると心身は平常に戻った。
悪評を隠れ蓑にする程度には切り替えが早いダンテである。即座に平静を取り戻す術は心得ていた。彼はイアソンへと近づき、手を差し出す。
「私、しがない物書きのダンテ・アリギエーリと申します。とりあえず、友好の意味を込めて握手でもいかがです?」
「ふん、あの白髪のアホよりは話が通じそうだな。……って、なんか手湿ってるんだけど」
「あ、ごめんなさい。手汗とその他諸々の液体が……」
「その他諸々ってなんだ! そこが一番重要なところだろうが!!」
イアソンは握手を解くと、何度も手を振る。彼は少女と女狩人の方を向いて言った。
「メディア……アタランテでも良い。何か拭く物持ってこい」
「やめろ私たちに近づくな不潔だ」
「金羊毛で拭いたらどうです?」
「おっ、お前らァァ!! アタランテはともかくメディアはどういうことだ!? 仕方ない、ヘラクレスの腰蓑で我慢してやる!」
そう言ってヘラクレスの腰蓑に手を押し付けようとするが、剛腕に呆気なく阻まれる。
右往左往するイアソンに、ダンテは声をかけた。
「すみません、少し良いですか」
「こっちはお前のせいで立て込んでる! 手短に言え!」
ダンテは胸元と口元を両手で押さえながら、喉を鳴らす。
「オエッ……あの、エチケット袋とか持ってませんかね……ウプッ」
「ギャアアアア!! 誰か袋持ってこい! 布でも良い! というか海に吐かせろ! オレたちの船を汚させるな!!」
「イアソン、これを使え」
「でかしたアタランテ!」
イアソンはアタランテが持ってきた布を受け取る。掴んだ布を見ると、それは彼の替えの下着だった。
「………………これオレの下着じゃね」
「汚物には汚物だ」
「誰の下着が汚物だこの野郎」
「申し訳ありません。もう吐きますね」
ダンテがそう言った瞬間、イアソンは剣の切っ先を相手の眉間に突きつける。
突如として刃を向けられたダンテは、蛇に睨まれた蛙のように固まり、おそるおそる両手を挙げた。
「これ以上オレの船で好き勝手させてたまるか。お前らの物資は貰うが、その前に答えろ。航海の目的は何だ?」
「え、えー、私たちはカルデアという組織でして、単刀直入に言うと探し物をしている最中です」
イアソンの目の色が変わる。
搾取の対象から、敵対者を見るものに。
後ずさるダンテを欄干まで追い詰め、彼は言い放つ。
「カルデア───そうか、オレたちの他に
「盛大な人違いなんですが!? 私たちが探してるのは聖杯です! 聖櫃はインディジョーンズでしょう! 貴方騙されてませんか!?」
「黙れ! そうとなれば話は別だ、ここで叩きのめす!!」
「ひいいいいいい! ノアさん、私を引き上げて下さい!」
ノアは煩わしそうにため息をついた。サンタマリア号の欄干から身を乗り出して、手を伸ばす。
「仮にもサーヴァントだ、そっから跳ぶくらいはできんだろ! 置いていかれたくなかったらさっさとしろ!!」
「感謝します!」
ダンテは全力疾走で助走をつけると、ノア目掛けて跳躍する。
筋力敏捷ともにEランクとはいえ、サーヴァントという存在の型枠に嵌っている以上、身体能力は常人よりも遥かに高い。
よって、生前は海に吸い込まれていたであろうその跳躍は決して無謀ではなく。
伸ばしたダンテの五指は、むんずとノアの股間を握り締めていた。不意を突かれた上に成人男性ひとり分の体重が掛かり、ノアは船体の外から欄干にぶら下がる体勢になる。
「……ぐあああああああ!! どこ掴んでんだァァァ!!!」
「勢い余って変なところに手がいっただけなんです! こんなことさせられる私の身にもなってください!!」
「おまえこそ悲鳴をあげてる俺の股間の身にもなってみろ! いいからその手を離しやがれ!!」
「離したら私が落ちるじゃないですか! 貴方の股間と私の命、どっちが大切なんですか!?」
「俺の股間に決まってんだろうが!!」
ノアは両足をじたばたと泳がせて、
「ああああああもげるゥゥゥ!! 次回から『自称カルデア最強マスター(♀)とぐだ子の人理修復録』になるゥゥ!!」
「おっ、なんだ結構余裕じゃねえか。こりゃあ俺の手助けはいらなそうだな」
「待て俺を助けろコロンブス!!」
「仕方がねえな、ひとつ貸しだ」
コロンブスから差し伸られた手に、ノアは渾身の力を振り絞って右手を突き出し────
「お前も股間かよォォォ!! やめろ、俺ぁもうジジイなんだよ! ただ枯れてくだけの身なんだよ! コロンブスのタマだけは許してくれェ! コロンブスの卵だけに!!」
「全然うまくねーよ! それ言いたかっただけだろ!」
「というか私たち大人としてスゴク恥ずかしいことになってるんじゃないですか! 中学二年生と同レベルなんじゃないですか!!」
「ふざけんな、常に前屈みで歩いてるような連中とこのコロンブス様を一緒にすんじゃねえ!」
一部始終を眺めていたペレアスが、呆れた顔で三人を引き上げる。
そうこうしている間にも、サンタマリア号は逃げ出していた。しかしアルゴー号は追ってくる気配を見せず、距離を空けられるのを待っていた。
アタランテは己の弓を取り出し、矢をつがえる。ただし狙う先はサンタマリア号ではなく、茫漠と広がる蒼天。
「『
放たれた二本の矢は、雲を越え蒼穹に到達する。直後、無数の矢玉がサンタマリア号へ降り注いだ。
ひとつひとつがサーヴァントを滅し得る威力。ノアが防壁を張ったとしても、アタランテの矢は容易く貫通するだろう。
雨霰の如く飛来する矢は、サンタマリア号の帆を破り船体を削っていく。その様を見て、コロンブスは頭を抱えた。
「俺の船がァ! 直すのにいくらかかると思ってんだ! あの女絶対に許さねえ!」
「言ってる場合じゃないですよ! 追いつかれたら一巻の終わりです!」
「俺が風を起こして船を動かす。航行に問題はねえ! 船が完全にぶっ壊されたら終いだがな!」
慌ただしく動く船上。ペレアスは剣を抜き払うと、静かに、それでいてはっきりと通る声で言う。
「全員、オレの周りから離れろ」
次の瞬間、甲板の一角が吹き飛ぶ。
散らばる木片。立ち昇る煙。それらを振り払い、黒鉄の巨人は姿を現した。
ヘラクレス。神の域に達した大英雄は巨岩の如き斧剣を構え、ペレアスを睨む。
動き出したのは同時。
互いの首へ刃を振るう。
防御や回避は頭にない。先に斬った方が勝つ。
だが、この勝負にペレアスの勝ち目はない。
一撃の威力、速さ、間合い。全ての能力で彼は遅れを取っている。より速く一刀を叩き込むこの死合において、それは覆しようのない差であった。
「───『
僅かに速く到達したヘラクレスの刃は、霞を斬ったかのようにペレアスの首をすり抜けた。
鮮血が飛び散る。ヘラクレスは首を裂かれ、崩れ落ちたところを蹴り落とされる。
海に浮かぶその姿に、ペレアスは戦慄した。
「不死身、かよ……!!」
サーヴァントは致命傷を受ければ消滅する。ヘラクレスの体が消えないということはつまり、首を斬られる傷でさえも彼を殺し得ないという事実を表していた。
ギリシャ神話では不死の存在は珍しくない。ヘラクレスもまた、十二の功業を成し遂げたことで不死の肉体を得ている。
(となれば、ノアのヤドリギ───いや、ヘラクレスには避けられる。何の準備もなしに当たってくれる相手じゃねえ)
今の一撃もヘラクレスが正気を失い、なおかつペレアスの宝具があったからこそだ。彼らは双方相討ちを自らの有利とすることができるが、二度も通用する力ではない。
ペレアスが逡巡しているその時、視界の端に小舟が映った。乗っているのは緑髪の青年と有角の巨人。青年はサンタマリア号に両手を大きく振る。
「今から迷宮を展開する! 死にたくなければ僕たちについてくるんだ! それじゃ、後は頼んだよアステリオス!」
「わかった──『
そして、広大な迷宮が海洋を呑み込んだ。
小さな光が散らばる夜空。
その無人島の浜辺には半壊したサンタマリア号が流れ着いており、向かいには人の手が加わっていない森が広がっていた。
浜辺は水位が上がると沈む場合もあるため、ある程度内陸に拠点を作るのが定石だ。木々の隙間から野営の火が点々と見受けられる。
その明かりの内のひとつ。パチパチと音を立てる焚き火の側に、彼らはいた。
「僕はダビデ。別の島で聖櫃を守っていたんだけど、どこからか情報が漏れてね。黒髭くんやイアソンくんから逃げてきたのがこの島なんだ。今は三日前に会ったアステリオスくんの迷宮のおかげで、聖櫃の守りはできているから安心してくれていいよ」
「ノアさん、もう良い感じなんじゃないですか。完全に煮えてますって」
「まだだ、このジャガイモがドロドロになるまで火は止めない。カレーは煮込めば煮込んだだけ旨くなるんだよ」
「アレ? これ僕の話聞いてない? おかしいなー、僕めちゃくちゃ有名な英霊のはずなんだけどなー」
自らの知名度を盾にするダビデ。ノアはカレーの鍋から視線を外さないまま、彼の言葉に頷いた。
「確かに有名ではあるな」
「だろう!? だって遠い子孫の
「いや、美術の教科書で全裸晒してる変態くらいの認識だろ」
「……ちょっとミケランジェロくん殴ってくる」
ダビデといえば、キリスト教圏でその名を知らぬ者はいない。宗教の概念が薄い日本であっても、彼の姿は美術の教科書で燦然と存在感を発揮している。
なぜならば、彼は人類史上の本当の意味での特異点───かの神の子の祖先であり、神と契約を結んだ人物であるからだ。
ダンテはもちろん、ペレアスやコロンブスも彼についての知識は並以上にはある。キリスト教社会に生きた彼らにとって、ダビデとの出会いは重い意味を持っていた。
そのはずなのだが。
「……非常に申し訳ないんですが、旧約に出てくる人って危険人物ばっかりですよね」
「部下の嫁寝取った時点でオレとは相容れねえぞ」
「俺は聖櫃にしか興味はねえ。生きてる頃だったら名声もうなぎ登りだったのによ」
「助けてあげたのになんでアウェーなのかな!?」
悶絶するダビデを尻目にして、ノアは通信機を起動する。
幸い、この島は龍脈と繋がっていた。聖櫃の影響か魔力の乱れも少なく、カルデアと連絡を取るには絶好の場所であった。
空中にスクリーンが投射される。そこに映ったロマンの顔は、なぜか痩せこけていた。
「『ああ、ノアくん。通信が繋がって良かったよ。……随分と多くのサーヴァントに囲まれてるようだけど』」
「まずは今までのことを説明する。茶でもしばきながら聞け」
そうして、ノアはレイシフト直後からアルゴノーツに出会い、聖櫃の眠る島まで逃げてきたことを話した。
事態を咀嚼したロマンはこめかみを揉みほぐしながら、
「『アルゴノーツか……今までに負けず劣らずの強敵だね。ノアくんはどうするつもりだい?』」
「当然、この島で迎え撃つ。こっちにはアステリオスの迷宮もあるしな、負けそうなら逃げる選択肢も取れる」
「『そのアステリオスは何処に? 』」
ノアの背後の茂みがざわめく。薄暗がりから剛腕が覗き、アステリオスは全身を露わにした。ヘクトールと交戦した結果、彼は片腕を失っている。
アステリオスは残った手の親指をぐっと立てると、口角を上げた。
「きゃんぷふぁいやー、せっち、かんりょう…!」
「よくやったアステリオス。おまえにはマイムマイムの音頭を取る大役を任す」
「いつの間に仲良くなったんだお前ら」
「『……うん、まあ決戦前夜の雰囲気ではないけどいっか』」
ロマンは無理やり自分を納得させたのだった。そんな彼の顔を覗き込むように、ダビデは疑問を口にする。
「……君、どこかで会ったかい?」
「『そんな訳ないでしょう。男に対してもナンパですか。まるでダメな王様略してマダオ』」
「そんな不名誉な称号僕は認めない!」
「ところで、立香さんの方はどうなっているんです? 随分お疲れの様子ですが」
何気ないダンテの質問。それを聞いたロマンは南極に放り出されたかのように震え出した。
「『ああ……あっちはね、かくかくしかじかで島ごと吹っ飛んだから』」
「おい、さらっととんでもないこと言ったぞ!」
「『大丈夫、生存確認は取れてるよ。それ以上に特異点に穴を穿ちかねない威力のせいで、空間が乱れて連絡は取れなくなってるけど問題はないかな』」
「問題しか見当たらないんですが」
ノアはカレーをスプーンで掬い、アステリオスの口に突っ込みながら、
「ロマン、何があったか話せ。俺たちにはキャンプファイヤーが待ってるから手短にな」
「『それは一大事だ。みんなもカレー片手に聞いてくれ』」
時を遡り、早朝。黄金の鹿号での出来事である。
「あーあ、なんで私がこんな汚い船にいなくちゃならないのかしら! 助けられたことには感謝してあげなくもないけれど、こんなに美しい私を助けるのはもはや当然よね!」
と、ひとり相撲を行う紫髪の少女──エウリュアレを見て、立香は微妙な笑みを浮かべた。
「皆さんどうも、
「そうですね。やはりここは我らカルデアが誇る最強ツンデレ魔女ことジャンヌさんの活躍を期待したいですね」
「ああそう、そんなに火傷したいのね」
「……先輩。聞こえてたみたいです。どうしますか」
「大丈夫、今はまだツンだけどここからデレに持っていければ……あ、やっぱり無理そう」
「今日という今日は逃がさないわよ!」
場の温度が上がる。立香とマシュを追いかけ回すジャンヌは、思わず炎をチラつかせていた。かしましい三人のやり取りを眺めていたエウリュアレは、がっくりと肩を落とす。
「少し見ない内に大分人間のレベルも下がったみたいね。カルデアだったかしら? 指揮官も何だか不甲斐なさそうだし」
「『全く返す言葉もございません!』」
「そこ、簡単に認めるな! どざえもん一歩手前だったダメ女神に言われたくないんですけど!!」
「はあ? 私のどこを見たらダメなんて言葉が出てくるわけ!? アンタみたいな放火魔女が調子乗るな!」
いがみ合うジャンヌとエウリュアレ。立香はバチバチと火花を散らす二人の間に割り込み、両手で制した。
「二人とも、離れて!」
「「ああん?」」
「ツンデレ同士が接触すると対消滅が起きちゃうからっ……!!」
「「起きるかあああああ!!!」」
「おお、ツンデレがシンクロしましたね」
ロマンは彼女たちから視線を切り、船員の指揮を執るドレイクに問う。
「『ちなみに今は、どこを目指しているんですか?』」
「そうさねぇ。お宝を見つけるにはそれなりの冒険を潜り抜けなきゃならない。アタシがこの聖杯を手に入れたのも、ポセイドンを名乗るバカをぶっ潰した結果なわけだ」
ドレイクはこの時代に存在する、正しい聖杯を持つ人間だ。
それを手に入れた経緯というのも中々にぶっ飛んでいる。曰く、浮上したアトランティスにいた海神をもう一度深海に叩き落として聖杯を掠め取ったのだとか。
(『それはもしかして、本物のポセイドンなのでは?』)
船乗りとしてとんでもない罰当たりを犯していることになるが、ロマンはその考察を心の奥底に仕舞い込んだ。
カルデアの目的である聖杯を持っているドレイクではあるが、それを奪い取ったとしても特異点が修復される訳ではない。
特異点を生み出す原因となっているレフの聖杯は別にあり、彼女の聖杯を回収したところで意味はないのだ。
どこからともなく立香はぬっと現れ、ドレイクに同意した。
「確かに、ゲームでも伝説の装備はダンジョンの奥地とかにありますよね。ロトの剣が店売りされてたら興醒めしちゃいます」
「立香も分かってるじゃないかい。お宝ってのは相応の場所に眠ってるモンなのさ。そこで狙いをつけたのが、動く島の噂だ」
「『浮き島などは動くと言いますが、噂になるとなればそんな次元ではないんでしょうね』」
ドレイクは首肯する。
「その動く島はちょうどこの辺の海域で目撃されたらしい。どいつもこいつもおっかなくて逃げちまうせいで、上陸したって話は聞かないけどね」
「…………ち、ちなみに、どんな見た目してるとか分かりますか? ほんと、参考程度なんですけど」
立香はあらぬ方向へ目を向けていた。マシュもそれに追随し、思わず目を白黒させる。どこからか発生した横波が船の横腹を打ち付け、船体を傾けた。
「鋼鉄で出来ているとはよく言われてるねえ。それと、先っぽが三叉に分かれたデカい塔があるとかなんとか……」
「へ、へえー。マシュはどう思う?」
「完全にアレですよね。もう見えてますよね。志村後ろですよね」
「さっさと教えてあげなさいよ。コントやってる暇なんてないんだから」
船の真左に、その島はあった。
明らかにこの時代にそぐわない近未来的な建造物群。島の中央には先端が三叉に分かれた塔がそびえ立っており、淡い青の光を発している。
立香はドレイクの肩を叩くと、鋼鉄の島を指差した。
「…………マジかぁ!!? 取り舵いっぱい! あの島の宝物はアタシらのもんだよ!」
数十分後、黄金の鹿号は鋼鉄の島に接岸した。
島とは言っても、その場所に浜辺や森などといった自然は見受けられない。立香の素人目には判断をつけ難いが、建造物群を構成する金属は記憶のどれとも様相を異にしている。
現代の街並みに近い景観。ドレイクたちの目には、それこそ異質なものとして映っているだろう。
ただ、この場所はエウリュアレのお眼鏡に適ったらしい。ふわりとステップを踏むように、船から着地した。
「ま、船よりはマシね。あの塔が見てみたいわ。私についてきなさい」
「……なんでアンタが仕切ってるのよ」
「でも他に当てはなさそうだし、良いんじゃない?」
「アタシの見立てだとあの塔は匂うね。海賊の勘がそう囁いてる!」
「そうですね。未知の場所ですので警戒は厳に、作戦はいのちだいじにでいきましょう」
そうして意気込んだ直後、横合いから野太い声が響いた。
「それでは行きますぞいメアリー氏にアン氏! 我らにはヘクトール先生がおりますゆえ、ウェイ系だろうが半グレだろうが恐れるに足らず! コミケの始発ダッシュで鍛えた拙者の足が火を吹くでござる!!」
「へいへい、作戦はどんな感じで?」
「ガンガンいこうぜ一択!! いのちだいじになど愚の骨頂! 男の力強さを見せてこそ、ビアンカもフローラもデボラも嫁にできるのです! それがカジノで有り金溶かすようなダメ夫であっても!! ただしジャミだけは脳が破壊されるから勘弁な!!」
その方向には、豊かな黒髭をたくわえた半裸の男と義手の槍使いがいた。彼らの背後には、長身の美女と小柄な少女が呆れた表情をしている。
意気揚々と歩いていた半裸の男はドレイクたちを視界に捉える。すると彼は大口を開けてつんのめった。
「バ、BBAァァァァ!!! どうしてこんな場所にいやがる!! しかも周囲にはエウリュアレたん含め、めんこい
「よーし、テメエはアタシの手でぶっ殺す。そこ動くなよ」
「うるせえ! トライデントは他の誰にも渡さん! 止めたくばそこの女子全員の3サイズと連絡先を寄越しやがれくださいお願いします!」
「トライデント……?」
マシュは彼の言葉に引っかかりを覚える。
トライデントとは三つの刃を持つ槍のことであり、ギリシャ神話では海神ポセイドンの武器として知られている。天候と海を操る力を持っているとされ、トロイア戦争においてもトライデントは用いられた。
遠方にそびえ立つ塔。その先端は三つに分かれていた。
「……みなさん。もしかするとあの塔は、海神の武器であるトライデントなのかもしれません」
「くっ……! なぜバレた!? やはり天才か!」
「「お前のせいだろ」」
二人一組の女海賊コンビに両足のすねを蹴られ、黒髭の男は地面を転げまわる。
そんな彼を踏み付けながら前に進み出て、女海賊コンビは各々の得物をドレイクたちへ向けた。
「わたしたちは海賊! 欲しい物はどんな手を使ってでも奪い取る! どちらが先にトライデントを制するか、競争ですわ!!」