自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
「わたしたちは海賊! 欲しい物はどんな手を使ってでも奪い取る! どちらが先にトライデントを制するか、競争ですわ!!」
アンの凛とした声が島に響き渡る。
ギリシャ神話の海神ポセイドンが用いていたとされるトライデント。それがなぜこのような場所にあるのかは及びもつかないが、相手の手に渡れば悪用されるのは想像に難くない。
トライデントは海洋と天候を支配するだけでなく、ポセイドンの起源が大地の神であることから、地震を起こす描写もしばしば見られる。まさに人智を越えた力であり、これを握った者はこの特異点の趨勢をも決することができるだろう。
その場の全員が身構えた瞬間、誰よりも先に動いたのはエウリュアレだった。
矢を番え、引いて射つ。
鏃の向く先は義手の槍使いヘクトール。目にも留まらぬ疾風の如き射撃に対し、彼が取った行動は単純にして明快。
握り固めた鋼鉄の右拳を振り下ろす。
半ばから砕けた矢が地面を転がる。
眉間を狙ったエウリュアレの一撃は、事もなげに防がれていた。彼は口角を上げ、槍を肩に担ぐ。
「いきなり射掛けてくるとは物騒だねぇ、嬢ちゃん。オジサン何か悪いことしたかな? ……心当たりはあるがね」
「そう。なら言わなくても分かるわね」
「ま、結局仕留めきれなかっ───」
「アステリオスの仇! 命で贖いなさい!!」
「話聞けや! これだから神ってのは大雑把で嫌なんだ!」
彼女の耳にはもはやヘクトールの言葉は届いていなかった。機関銃の掃射じみた矢玉の雨がヘクトールたちへ見境なく降り注ぐ。
エウリュアレの矢は男性が直撃した場合、当人の心を魅了する効果がある。真名解放が為されずとも、その威力は健在だ。
敵勢を率いているらしい黒髭半裸の男は、矢から逃げ回りながら絶叫する。
「こんな矢を使わずとも、拙者の心は既にエウリュアレたんにゾッコンですぞ!? 助けてメアリー氏!」
「刺されるくらいなら黒ひげ危機一髪で慣れてるだろう」
「アレはプラスチックでしょうが!! というか今まさに危機一髪だから!」
「樽に詰め込むくらいはしてあげますわよ?」
「久々にワロタ。こういう冗談が飛び交ってたのが昔の海賊なんだよな。今の新参は昔の海賊を知らないから困る」
軽口を叩きながらも、流石は黒髭エドワード・ティーチと言うべきか、エウリュアレの矢はしっかりと回避していた。
私掠船の船長というのは、無能であろうと有能であろうと常に寝首を掻かれる可能性がある。どんな状況にあろうと、彼が油断することはない。
黒髭の発言に引っかかりを覚えた立香は、エウリュアレの背に言葉を投げかける。
「エウリュアレさん、あのステレオタイプのオタクっぽいおじさんと何か因縁でもあるんですか?」
「今まで何回も付け狙われてるのよ。その度に矢をブチ込んで、しつこいったらありゃしないわ。美しいモノに目が眩むのは人の常だけれど、行き過ぎるとああいうストーカーも生み出してしまうのね……」
「なるほど、デキるオンナの苦悩ってやつですね!」
「どちらかと言えば、追っかけに辟易するアイドルのような気もしますが」
「ああ、エリザベートさんみたいな……」
「アレをアイドルと認める人はいないですよね。良くて音響兵器ですよね。ラヴクラフトの怪奇小説に出てきても驚きません」
「私の後輩が辛辣すぎる件について」
「毎度のことながら緊張感がないわねアンタら……」
ジャンヌは額に手を当てて呆れるのだった。
エウリュアレの射撃によって敵は釘付けになっているものの、相手は同じサーヴァントだ。このまま押し切れるほど容易な敵ではない。
ここで戦うか、トライデントへ向かうか。立香は敵が反攻に転ずる前に判断を下す必要があった。
ぴしゃり、とマシュとジャンヌの臀部が軽く叩かれる。
「「んなっ!?」」
「おそろしく速いセクハラ……マスターでなきゃ見逃しちゃうね」
振り返った二人が見たのは、好戦的に笑うドレイクの姿だった。
「ボケッとしてないで、アンタらはさっさとあの塔に行きな! アレが
「お尻を触る必要は一体どこに……?」
「それに、アンタはどうするのよ。今頃足止めで死ぬなんて流行らないでしょう」
「おいおい、何アタシがやられる前提で話してんだ。この程度の苦境、楽勝で切り抜けてみせるさ」
フランシス・ドレイクは不可能を可能にする英雄だ。
持ち帰った莫大な財によって、当時のイギリスを強国に生まれ変わらせ、スペインが誇る無敵艦隊を打ち破るまでに至った。
その偉業はアーサー王と同一視されるほどであり、一説にはワイルドハントを率いる王として信仰される立場でもある。
そんな彼女が、任せろと言っている。立香は、ただそれに応えるだけで良かった。
「マシュ、ジャンヌ、ここはドレイクさんに任せよう。私たちがあの塔に先に着けば勝てる──そうでしょ?」
問われ、二人は頷く。
彼女ら主従に、それ以上の会話は必要なかった。三人は弾かれたように走り出し、遠方にそびえる三叉の塔を目指す。
その遠ざかっていく背中を見て、黒髭は顔面を蒼白にした。
「くっ、先手は取られてしまったか……! かくなる上はプランBを発動、拙者はトライデントを押さえにかかるでござる! 女の子の尻を追いかけたいからという理由ではない! 断じてない!!」
「説得力が皆無ですわ!」
「けど、追手が必要なのも確かだ。僕たちが潰れ役になってあげても良い。こんなのでも一応はマスターだからね」
そう言ってメアリーは鼻を鳴らす。目的のためなら感情は横に置くのが海賊の流儀だ。たとえマスターがろくでなしだったとしても、逆らえない以上は全霊を尽くすのが雇い主への義理だった。
ヘクトールは襲い来る矢のことごとくを槍を使って打ち落としながら、しかし平時と変わらない調子で言う。
「黒髭の旦那、俺はどうする。アンタがご執心の女神様を捕まえてみせようか」
「そうですな、ヘクトール先生のご随意のままに───」
そこで、黒髭は言葉を打ち切る。
彼の目が一瞬暗い色を湛え、そして首を横に振った。
「──いえ、先生は拙者と一緒にトライデントへ。あらゆる創作作品で単独行動は第一級の死亡フラグですからな!」
「……了解。そうと決まったらトンズラこくとしましょうか。三十六計逃げるに如かずってな」
瞬間、黒髭の眉間目掛けて一発の弾丸が飛来する。
狙い澄ました射撃。ドレイクの拳銃が火を吹いた証だった。ヘクトールは槍の柄を跳ね上げることでそれを防ぎ、ドレイクを睨んだ。
彼女は好戦的な笑みを貼り付けたまま、銃口からゆらめく煙を吹いて飛ばした。
「このアタシを差し置いて逃げられるとでも思ってんのかい? ───っと!」
死角を狙って振るわれた斬撃。ドレイクは身を翻して刃を避け、メアリーに視線を注いだ。
「それを決めるのはお前じゃない。僕たちだ」
「敵は悪魔と謳われた海賊……相手にとって不足なし! 古ければ強いなどという常識は覆してみせますわ!」
「え? マジで? アタシそんなに有名? めっちゃ嬉しい」
「言ってる場合じゃないでしょーが! ヘクトールが逃げるじゃない!!」
エウリュアレは逃げるヘクトールの背中へ矢を放つが、槍の一振りでその全てが打ち砕かれる。
トロイア最強の戦士である彼には、戦闘経験の薄い女神の射撃を防ぐなど容易い。それが男性である自分を問答無用で魅了するものであっても、槍技の冴えに一寸の狂いもなかった。
エウリュアレはかつてアテナの怒りを受けたゴルゴン三姉妹のひとり。ステンノとともに『不死』の性質を持ち、三姉妹──三相一体であることからその由来は古く、地母神の要素が強い。
地母神とは即ち、大地の豊穣を司る神。作物の収穫量が生死を大きく左右する時代の人々にとって、その神格は広く信仰を集める存在だったはずだ。
しかし、それ故にエウリュアレの矢は届かない。
地母神である彼女は、根本的に戦いを望まれていないのだから。
ヘクトールと黒髭は既に遠景へ消えていた。その距離の差は、戦士と女神の埋め切れない実力の差であった。
ドレイクとエウリュアレは各々の得物を、行く手を阻む女海賊たちへと向ける。
弓を握りしめる手に一層の力を込め、彼女はあくまで毅然と言い放った。
「人の恋路を邪魔する奴は───とは言うけれど、それは復讐も同じね。邪魔よ、そこを退きなさい」
───距離の差。実力の差。たとえどちらもかけ離れていようと、埋められない理由にはなりはしない。
その瞳は、地平の向こうを見据えていた。
立香たちは舗装された道をひたすらに走る。
この時代に舗装された道路が一体どれほどあっただろう。それだけでなく、周囲に林立する建造物の数々は少なくともコンクリート製ですらない、何か未知の金属で出来ているようだった。そして、それらは一様に災害に見舞われたように傷ついていた。
おそらく、世界のどんな国にもこんな場所はない。
現代よりも進んだ技術で造られたであろう街並みは、この時代が遠くかけ離れた過去であることに疑問を抱いてしまうほどだ。
だが、険しい山道や植物が生い茂る林道を走らされるよりは、風景が奇異なだけで遥かに良いだろう。逆説、それは敵にとっても追いつきやすいということだが。
ロマンは近未来SF映画のワンシーンを切り取ったような外景を見渡すと、口元に手を当てていぶかしむ仕草をする。
「『1573年にこんな都市があるなんて……海神の武器といい、この島に何かがあるのは間違いなさそうだ』」
「現代の東京でもこんなところないですもんね。建物もビルに似てるけど、ちょっと違いますし。あ、千葉県の夢の国ならあるいは……」
「トゥモ○ーランドですね。わたしもいつか行ってみたいです」
「というか、デ○ズニーランドって東京にあるんじゃないの? なんで千葉県なのよ」
「それは何か大人の事情があったんじゃない?」
「『あの〜、その話題はやめてもらえると助かるんですが……ボクは色々と怖くなってきました!』」
冷や汗を垂らしながら、Eチーム三人娘の会話を打ち切ろうとするロマン。彼は人類史の焼却よりも破滅的な何かをその話題から感じ取っていた。
遠方に見えていた三叉の塔が徐々に近づいてくる。まず最初に驚かされるのは、その巨大さ。風景の大半を占める白藍色の塔は、空の青色に代わって上空を塗り替えている。
表面を血管のように走る紺碧の光の線。無機質な金属で構成された塔は僅かではあるが、ただそこにあるだけで空気を揺らした。内部に収める膨大な力が漏れ出しているかのように。
これが海神が携える武器というなら、その経歴に恥じぬモノであることは誰の目にも明らかだった。
空気が変わっていくのが分かる。それは精神的な作用だけでは決してないだろう。大気に含まれる魔力の濃度が増していくのを、立香は体感する。
少しずつ呼吸のリズムを速める彼女の様子を見て、マシュは声をかけた。
「先輩、あの塔まではまだ少し距離がありそうです。体力は保ちそうですか?」
「うん、まだまだ走れるかな。いざとなったらジャンヌにおんぶしてもらうってことで。筋力Aは伊達じゃない!」
「そう言われると悪い気はしないわね。もっとも、そんな暇は無さそうだけれど──!!」
ジャンヌは右手に黒炎を纏わせ、後方へ振り抜く。
轟とうねりを上げる炎の波は一瞬にして道路を埋め尽くした。風を切る音。ジャンヌの思考は立香とマシュの一足先を行き、追随して体は旗の穂先を突き出す。
ガキン、と甲高い金属音が炸裂する。
旗と槍の激突。それを征したのは前者であった。
槍の使い手──ヘクトールは武具が衝突した勢いのままに、背面へ跳んだ。
相対する両者が睨みをきかせたその時、島中に響くかのような野太い悲鳴があがった。
「ギョワアアアアアあっつゥ!! 火攻めはBBAの常套手段であって拙者は違うだろうが! 精々ろうそくプレイが限界だから!!」
「おっとすまん旦那。見てなかった」
「ちょっ、早く消して消して! 髭というアイデンティティが燃え尽きてなくなってしまうでござる!!」
「ヤミヤミの実の力で何とかできるんじゃね?」
「それ別の黒髭!! 黒髭というか黒ひげ!!」
火だるまになって地面を転げ回る黒髭。ヘクトールは彼の横に屈み込むと、乱雑に体を叩いて消火する。
しばらくして、満身創痍の体で黒髭は立ち上がる。そんな彼の頭髪は細かく縮れて球体のように丸くなっていた。
マシュは目を白黒させて、
「先輩、なんですかあの一昔前の表現は。焼かれてアフロヘアーになるなんて現代では中々お目にかかれませんよ」
「くっ……! 今更あんな古い表現で笑いを取ろうとするなんて! これはEチームとして負けていられないよ!!」
「どこで張り合ってんのよ!?」
騒ぐ三人娘たちの反応を見て、黒髭はヘクトールと隠れるように話し出す。
「どうやらツカミは完璧のようですぞ、ヘクトール先生。これはワンチャン脈ありなのでは?」
「恋愛は正攻法がオジサンの手法ですよ。その理屈でいくと旦那はもうノーチャン脈なしだな」
「脈なしとか、そんなのもはや死体じゃん! あまりにモテなさ過ぎて臨終した悲しい男じゃん! 死んでも死にきれないよ! 女子を求めてさまよう質の悪い怨霊になっちゃうよ!!」
「安心しなさいって、俺たちもう死んでるから。英霊が怨霊になったところで一文字違い、大して変わりゃしません!」
「『何を見せられてるんだボクたちは……』」
ヘクトールの言葉のどこが響いたのか、黒髭はぽろぽろと涙をこぼし始める。彼は目元を袖で拭き、さっぱりとした顔で言い切った。
「そこの女子たち──とりあえず名前を教えなさい。断ればもれなく、黒髭がこれから毎日君たちのことを想いながら眠りにつくおまけがついてきます」
「「「えっ…キモっ……」」」
「あ〜! 良い! その蔑みの視線がたまりませんぞ〜!!」
ひとりで身悶えする黒髭から、少女たちは無意識に一歩二歩と後ずさる。
名前を教えるか否か、その天秤をどちらかに傾けるには重大な決意を求められる。当然誰だって名前を教えたくはないが、黒髭の妄想に登場させられることもおぞましい。
立香は歯噛みして、マシュとジャンヌの前に進み出る。
「仕方ない、ここは私が先陣を切るよ。マスターとしての役目を果たさなきゃっ……!!」
「そ、そんな! 『信じて送り出した先輩が』──なんてことは絶対にわたしは認めませんよ!」
「黙りなさい脳内ピンクなすび」
「『名前を教えるだけで何でこんな流れになってるんだ……』」
立香は意を決して、口を開いた。
「私はノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドです」
「『いやそれ思いっ切り別人の名前……』」
「ノアトゥール……どことなく中二病の波動を感じますな。そちらの盾の女の子は?」
「ロマニ・アーキマンです」
「『マシュゥゥウウウウウウ!!!』」
ロマンは頭を抱えて叫んだ。この場にいないノアはまだしも、自分が身代わりにされるとは考えていなかったのである。
黒髭の目がジャンヌに向く。彼が何かを言おうとした直前、足元を灼けた杭が吹き飛ばす。
「〝すでに存在する者は名前で呼ばれる。人間とは何者なのかも知られている。人は自分より強い者を訴えることはできない〟……名を知られた者は支配されるという考え方よ。私たちの名前を、アンタなんかに教えるわけないでしょうが───!!」
地を這う灼熱の波。瞬間、ヘクトールと黒髭は即座に思考を切り替え、回避行動に移る。
射程はジャンヌが圧倒的に勝る。距離をあけた状態では一方的に攻撃されるのみ。故に活路は前方にしかない。しかしそれは、歩兵が生身で弾幕に突撃するに等しかった。
けれど、彼らは百戦錬磨の英霊。その程度の無茶は何度も潜り抜けてきた。次々と襲いかかる炎を読んで躱し、接近する。
先に距離を詰めたのはヘクトール。小細工なしの一突きをジャンヌへ放つ。
「マシュ、防御!」
「はい!」
突き出された槍の穂先が大盾に弾かれる。トロイア最強の戦士を前にしてさえ、彼女の守りは微動だにしなかった。
隙とは言えぬまでも、相手に生まれた揺らぎ。しかして、マシュが追撃に移ることはない。なぜなら──
「良い盾だ。アイアスの野郎を思い出させる!」
──手を出す暇がないことを、彼女は知っていたから。
ギアを上げる、などという次元ではない。最初から掛け値なしの全力で、絶え間ない連撃を繰り出す。
薙ぎ、突き、払う。ひとつひとつの独立した動作が、極めて間断なく繋がる流麗な槍技。その技量はマシュでは及ぶべくもないほどに磨かれている。
攻撃を差し挟む隙はない。
が、それは逆に、マシュがヘクトールを釘付けにしていることと同義だ。
上空から地上を掃射する杭の嵐。それによって、ヘクトールと黒髭はいとも容易く距離を離される。
続々と飛来する杭を避けながら、彼は舌打ちした。
(離れた相手には杭と炎。近付けばあの盾が後衛を守る、か。さらには指揮官までついてやがる。ますますアイアスを思い返させるな)
前衛が攻撃を受け止め、後衛が強大な火力でとどめを狙う。そう言ってしまえば単純な連携ではあるが、その質は極上。最後方にはマスターが控え、戦況判断と支援を行う。彼女たちを打倒するのは、たとえどんな英霊でも困難を強いられるだろう。
ヘクトールは槍を構え直す。
両手で柄を握るのではなく、片手で投射するためのものへと。
───曰く、その槍は世界のあらゆるものを貫く。
かつて無双を誇った槍。後の世ではシャルルマーニュ十二勇士の筆頭ローランの佩剣とも知られる、不毀の刃。
史上、彼の本気の一撃を防ぐことができたのはたったのひとり。
英雄アイアス。アキレウスに次ぐ実力を誇る戦士であり、彼は弓と槍の名手である異母弟テウクロスと組んで、トロイア側の将兵を多数討ち取った。
それを支えたのが、牛革と青銅で誂えたという七枚の盾。ヘクトールとアイアスの決闘において、アイアスの盾は与えられた攻撃のことごとくを受けきっている。
「標的確認、方位角固定」
故に、彼の一撃を防ぐには。
最低でも英雄アイアスの盾に並び立たなくてはならない。
が、しかし、その投擲はヘクトールの頭部へ向けて放たれた一本の矢によって阻止される。
彼は咄嗟に顔を背けて躱すが、鏃に頬を浅からず割かれる。まず初めに疑ったのはエウリュアレだが、魅了されていないことからその考えは除外した。
「せっかくのダーリンとの蜜月。それを穢した貴方たちには、月に代わってお仕置きしなければなりません」
「月ってお前のことじゃね? マッチポンプじゃね?」
この島には先客がいた。ここにはいないポセイドンに代わって、トライデントを管理する月女神と狩人……らしきクマらしきぬいぐるみ。
「このアルテミス、極々個人的な理由で参戦します! 大丈夫、動かなければ足くらいで勘弁してあげるから。最悪アスクレピオスに治してもらえば……あ、今はいないんだった」
「俺を射ち抜いた時もそんなノリだったんだろうなぁ〜、コワぁ〜……」
ヘクトールは歯を軋ませて、
「なんだってこういう時にあんなのが出てくるかねぇ。黒髭の旦那、奴さんにはアプローチかけなくていいのかい」
「拙者にも選ぶ権利はありますぞ?」
「俺もこれには納得せざるを得ない」
「ダーリン? 何を言ってるかな? ん?」
アルテミスはクマの首根っこを掴んで、ギリギリと吊り上げる。
立香は突然の乱入に凝り固まった思考を戻し、月女神を名乗るサーヴァントを見据えた。
真偽は今はどうでも良い。神霊が格を落として現界することも有り得る。事実、見かけの強さはサーヴァントの範疇に留まったものだ。
彼女が目を奪われた理由。それは、アルテミスが纏い持つ空気であった。
今まで会ったどんな人間とも違う。薄皮一枚隔てたかのような拒否感にも似た雰囲気を感じ取り、立香の唇は無意識に動いていた。
「二人とも、構えて」
その言葉にマシュとジャンヌが疑問を覚えるより早く、流星の如き無差別射撃がアルテミスを除く全員を襲う。
文字通り矢面に立つのはマシュ。立香とジャンヌへの射線を切り、盾を突き立てた。
一旦防御に転じた彼女の守りは、さながら小さな要塞だ。無数の矢を凌ぎながら、マシュは問う。
「なぜ攻撃が来ると分かったんですか!?」
「うん、多分……あの人に話は通じないと思ったから。後は、なんとなく」
「ある意味多神教の神らしいわね。つまり、人間のことなんてどうでも良いってことでしょう」
ジャンヌの言葉に頷いたのは、いつの間にか盾の内側に入り込んでいたクマだった。
「神様なんて連中は唯我独尊がデフォだからなぁ。あんなのでも純潔の神だし、悪気はないんだよ、本当に」
立香は苦笑いしつつ、言葉を返す。
「悪気だけはないの間違いですよね?」
「……そう言われると何も言い返せないのがオリオンさんなわけですが。こんな戦いとかやめて四人でお茶しに行かない?」
「ダーリン、その四人はどういう内訳か教えてもらえる?」
「やべえ、ナチュラルに除外してたのがバレた!!」
心なしか射撃の勢いが増していく。
黒髭は遮蔽物に身を隠しながら、切実に訴えた。
「拙者たちはトライデントを目当てにこの島に来ただけで、お二人の愛の巣を壊しに来たんではないでござるよ! 人妻に興味はねえ!!」
「んー、なら尚更ダメかな。伯父さんの槍なんて人間には過ぎた代物だよ。アトランティスをこんなボロボロにしちゃった人がいることには驚きだけど」
「『……は?』」
驚嘆の声をあげたのは、ロマンだけではなかった。マシュは顔色を青くする。
「……ええと、アトランティスって最近どこかで聞いた気がするのですが」
「『ドレイクさんが話してたね。アトランティスにいたポセイドンを深海に叩き落として、聖杯を奪い取ったとか何とか』」
「そうそう、そういうこと。この島は沈み損なったアトランティスの残骸だよ。自動航行システムだけならまだしも、トライデントが残ってたのは予想外かな」
アルテミスの補足を受け、ロマンとマシュは納得した。
アルテミスとオリオンはどちらもポセイドンと深い関わりを持つ。前者は父ゼウスの兄がポセイドンであり、後者に至ってはその息子である。
何の因果か、ドレイクによるアトランティス崩壊を免れたトライデントと都市の残骸はこの海域をさまよい、アルテミスとオリオンが引きつけられたということであろう。
クマのぬいぐるみことオリオンは深くため息をついた。
「なーんで親父の槍の管理なんかしなきゃならないのかねえ。そこかしこで愛人作る節操なしなんだから、股間の槍の管理でもしとけっつー話ですよ」
「ダーリンの浮気性は遺伝だったんだね」
「ゼウスの血を引いてるやつよりはマシなんじゃないかなぁ!?」
「……結局、トライデントを渡すつもりはないということでFAですかな?」
黒髭の問いに、アルテミスは首肯する。
それを受けて彼は自らの得物であるフックを取り出す。冷たい光を反り返す鉤爪は、月女神へと向けられていた。
「───だったら、話は早え。神様だろうが悪魔だろうが、奪えるものは奪い取る。海賊のがめつさ見せつけてやる……!!」
吼え、突撃する。
あまりに愚直に過ぎるその特攻が成る可能性は限りなく薄い。それが全員の共通認識だった。
額を貫かんとする矢を鉤爪で切り裂き、心臓を狙った一撃をもう片方の手で粉砕する。
だが、上手くいったのはそこまで。肩が穿かれ、太腿が四散し、脇腹が削られる。一瞬の内に彼は重傷を負い、これ以上の突進は不可能だった───その傷が、癒えなければ。
黒髭の胸中に輝く黄金色の光。立香がこれまでに二度目にしたその光はまさしく、
「聖杯──!? ドクター、反応は!?」
「『間違いなくレフの聖杯だ! 彼が持っていたのか!!』」
「先輩、これは僥倖です! サーヴァントひとり討ち取るだけで特異点の修復を完了させられます!」
言葉を交わすことすらもどかしい。ジャンヌは攻撃態勢を取るが、それをヘクトールの槍が遮る。
「聖杯を持ってることがバレたら慌てて横槍? ダッサイわね……!」
「見栄でどうにかできるならそうするが、今はそんなことも言ってられないんでね!」
アルテミスは深く息を吐き出した。
そこに籠もる感情は失望か、はたまた。
「人間は痛い目に遭わないと分からない……遭っても分からないけれど、求める力がどれほど凶悪か、網膜に焼き付けなさい」
三叉の塔が発する光がやにわに強くなる。
快晴の青空はすぐさま曇天へと変わり、塔の上空で撹拌されるように雲が渦巻いていた。
この塔は砲身。弾丸は極限まで凝縮された魔力。その規模はかつて見た聖剣と比べてさえ、計り知れない。
──多神教における神とは自然や概念の擬人化、神格化である。
ゼウスが雷霆を象徴するように、天照大御神が太陽を象徴するように、古代の人々にとっては自然こそが神であった。
本来意思を持たぬ自然に人格を与えることで人々は神と交渉を行い、利益を得ようとした。雨乞いの儀式などはその最たる例であろう。
けれど、自然は気まぐれだ。人間がいくら頼み込んでも雨を降らせない時もあれば、豪雨による災害を引き起こすこともある。
その気まぐれさこそ、神が等しく備える傲慢。
ポセイドン、アルテミスもまた同じ。
彼らはポセイドンであるが故に、アルテミスであるが故に傲慢なのではない。
神であるが故に傲慢なのだ。
それは身勝手さと言い換えても変わりないだらう。
だからこそ、アルテミスはその宝具を起動した。
あくまで傲慢に身勝手に、敵を屠る手段を講じたのである。
「『
天より舞い降りる極光。
視界が漂白され、音が死ぬ。
そこで、立香の意識はぷつりと途切れた。
波がぶつかり、砕ける音が耳に届く。
体はどうやら海水に浸かっているらしい。鈍く働く五感が潮の匂いと水の冷たさを感じ取る。
頬をぺちぺちと叩かれ、重たいまぶたを開いた。
眼前にいたのはドレイク。彼女も海神の槍の影響を免れなかったのか、ところどころか煤けている。立香が意識を取り戻したことに気付くと、ドレイクは快活な笑みを浮かべる。
「気がついたか。起き上がろうとはしないで良いよ、どうせ力が入んないだろ? 目も濁ってないし、頭を打ったりはしてなさそうだ」
「ありがとうございます……みんなは?」
「全員回収済み。敵がどうなったかまでは分からないけどね。悪運が強い奴なら生きてそうだ」
立香は安堵する。それと同時に、覚醒しかけていた意識が抗いがたい睡魔とともに闇に引きずり込まれていく。
「ドレイクさん、寝ていいですか。雪山じゃないから死にませんよね」
「雪山じゃなくても永眠するやつはいるだろ」
「……確かに。何だか変な死亡フラグが立った、気、が………」
呂律も回らなくなり、ついに目を閉じる。
安穏とした眠りに誘い込まれる。
霞んだ意識に取り留めのない思考が生まれては消える。その中で唯一鮮明だったのは、
(アルテミスさんがいたから仕方ないけど、もっと上手くできたかもしれない。だって、Eチームの半分しかいないんだし)
唇がゆるく弧を描く。
(リーダーと、私と……みんな揃ってEチームなんだ)
誰にも聞こえない声で、小さく呟いた。
「ああ、そっちは無事ですか───」