自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第26話 不死の大英雄

 アルゴー号の四人は、荒れ狂う海のような森を進む。

 アルゴノーツ。イアソン率いるその一団は、数々の冒険を乗り越えた英雄たちの梁山泊。神話に燦然と輝く煌々の船だ。

 この島は既に敵地。あの忌々しき白髪の魔術師が逃げ込んだ、悪魔の拠点だ。──少なくとも、イアソンにとっては。何しろ大事なアルゴー号に体当たりを繰り返した挙句、ダンテなどという変人を送り込んできた男である。彼の憎悪の大半は、目下ノアとダンテに向けられていた。

 しかし、イアソンはアルゴー号の船長だ。船の利益に繋がらないのなら、個人的な感情は抑える度量も備えている。その島にノアたちがいるというだけなら、手を出さない選択肢も有り得ただろう。

 それでもなお、島に上陸したのは。

 ここに契約の箱がある。サンタマリア号を助けるために、ダビデが姿を現したことでその確信を得たためであった。

 

「──畏れよ、滅びよ、地に落ちよ」

 

 林中より響く、神殺しの詠唱。

 

「我が名とともに、ラグナロクは舞い降りる」

 

 それが意味するところはつまり、宣戦布告。半神半人にして不死の英雄ヘラクレスを殺してみせるという、不遜な宣言だ。

 そして、ノアは傲岸な笑みを浮かべながら、木陰より身を出す。彼は光り輝く金枝を見せつけるように弄びながら、イアソンへ言う。

 

「これでいつでも撃てる。おまえの自慢のヘラクレスだろうが一発で殺す代物だ。不死に期待するのもやめておけ」

「ふん、一撃必殺如きで粋がるなよ魔術師! こいつは触れただけで死ぬ猛毒を持つヒュドラを生身で倒した戦士だ。それに比べればたかが矢一本、当たるはずがない!!」

「上等だ。俺とおまえのどっちが正しいか、今から思い知らせてやる。来い下僕ども!! 仕事の時間だ!!」

「おい、誰がいつからお前の下僕になった」

 

 そう言いながら、ペレアスは霊体化を解いてノアの頭を叩いた。それからコロンブス、ダビデ、アステリオスが次々と木の影から身を乗り出す。

 ダビデはヘラクレスをまじまじと見つめると、感嘆のため息をつく。

 

「流石はヘラクレス、どんなギリシャ彫刻も及ばない肉体美だね。これはダビデ像も恥ずかしさのあまり服を着るレベル」

「だびで。かこは、かえられない」

「うん、君が言うと重すぎるからやめよう?」

「ダビデが股間晒して現代で引かれてるなんざ、俺にはどうでもいい。目的はただひとつ、俺の可愛い可愛いサンタマリア号をボロボロにしやがったそこの女に鉄槌を喰らわしてやることだ!」

 

 コロンブスは激情を全開にして、メディアの横にいたアタランテを指差した。もう一方の手に持った剣はわなわなと震えており、今にも斬りかかりそうな様子であった。

 鬼気迫る威圧を受けても、アタランテは微動だにしなかった。彼女はきゅっと眉根を寄せると、訝しむように指摘する。

 

「その恨みは正当なものとして受け取っておこう。それより、ダンテとかいうあの男はどこにいった。伏兵か?」

 

 その言葉に、ノアたちは顔を見合わせた。

 

「ダンテは俺が置いてきた。ハッキリ言ってこの戦いにはついていけないからな」

「……宝具しか使い物にならねえしな、アイツ」

「ダンテの野郎は砲弾運びでもしてた方がマシだ」

「聖杯戦争であんなの召喚したマスターは絶望しかないよね」

「しょうじき、あしでまといにしか、ならない」

「お前ら本当に仲間なのか!!?」

 

 思わず叫んだイアソン。その時、アタランテはノアの頭上の樹木を射ち抜いた。砲弾のような威力を伴ったそれは、木の幹を叩き折って倒壊させる。

 散らばった枝と葉の中に、赤いコートを羽織った男がうつ伏せになっていた。というかダンテだった。

 ノアは彼の背中に右足の靴底を擦り付けながら頷く。

 

「なるほど、伊達にアルゴノーツの一員じゃねえな。よく見抜いたと褒めてやる」

「いや、森の中で赤い服を着て隠れるやつがいるか。普通」

「ちょっとォォォ! ナチュラルに私のこと踏むのやめてくれませんか!?」

「うるせえ。おまえは俺のサーヴァント、つまり奴隷だ。足拭きマットに使ったところで問題はない」

「自分の発言振り返って見てください。一言一句すべて外道なんですが! それでも主役ですか!?」

 

 言い争うノアとダンテの姿を見て、イアソンは嘲笑する。

 

「く、ははははは!! 拍子抜けだなカルデア! 戦の前に諍いを起こすとは、貴様ら程度の結束でオレたちを破れるはずがない! もはや勝ったも同然だな!!」

 

 揚々と啖呵を切ったイアソン。ペレアスは腰に佩いた剣を引き抜き、その切っ先をアルゴノーツの面々へ差し向けた。

 

「だったら試してみるか? オレたちの友情パワーとお前たちの結束、どっちが勝つかをよ」

 

 解き放たれる濃密な殺気。その矛先は静かに佇む偉丈夫、ヘラクレス。彼は地面に突き立てていた斧剣を右手に取り、前に進み出る。

 たとえ正気を失っていようが、戦士としての矜持までをも消失した訳ではない。彼の魂の輝きは、狂気などで穢されるものではなかった。

 この場に集いし英霊たちは各々の得物を構える。火蓋を切ったのは、騎士の言葉だった。

 

「……円卓番外位ペレアス! この名に懸けて───アンタを斬らせてもらう!!」

「■■■■■■────!!!」

 

 ペレアスとヘラクレスの斬撃が踊る。

 その直後、アタランテとダビデはほぼ同時に動いた。

 二人は共に遠距離攻撃を得意とするアーチャー。手に取る武器の違いはあれど、彼らの一撃は戦局を変え得る可能性を秘めている。

 放たれた矢と石。互いの顔面を掠めたそれには目をもくれず、彼らは視線を交わす。そこに込められた意思はすなわち、

 

「君の相手は僕だ。その弓術は厄介に過ぎる」

「ふっ、私に見合うだけの技量があるのか?」

「不満かい? これでも女性の扱いには自信があるんだけどな……!!」

 

 投石器を振り抜く。

 飛来する弾丸はアタランテの足元を撃ち抜き、無数の土塊を散らす。

 だが、彼女は弓の扱いは元より、瞬足を自慢とする英霊だ。女神の罠に嵌まるまで、どんな男も彼女を追い抜かすことはできなかった。

 音よりも速く、狩人は駆ける。

 瞬く間に三射。ダビデは杖を使ってそれらを凌ぐと、木陰に身を隠すように走り出した。

 ヘラクレスとペレアスたちの戦場から距離を取る彼の行動に、アタランテは数瞬思考を巡らせる。

 

(狙いはこれか。私を誘い出すつもりだな……良いだろう、乗ってやる)

 

 ダビデの行動は、アタランテを主戦場から遠ざけるためのもの。その誘いに乗らぬ選択肢ももちろんあったが、彼女は追うことを選んだ。

 このままダビデを放置すれば、思わぬ奇襲を喰らう可能性がある。何よりも、自分が抜けたところでヘラクレスが負けるはずがないという確信が、アタランテを動かした。

 背後から追いすがる気配を感じ、ダビデは僅かに口角を上げる。

 

「ついて来てくれるとは嬉しいね。こんな状況じゃなかったらもっと良かったのに!」

「その減らず口、射ち抜いてやる!」

 

 矢玉と石弾が雨霰の如く飛び交う。

 両者の間を分かつ森林は見るも無残に荒れ果て、地面もめくれ返っていた。

 彼らの射撃戦はさながら爆撃。サーヴァントという超常の存在のみが辿り着ける戦の形だ。

 ダビデの投石は威力に優れ、アタランテの射撃は速度に優れる。武器の特性上、投石器は弓よりも射程が長い。戦いの趨勢は前者の優勢に傾くかと思われた。

 ──が。

 

「……!!」

 

 ダビデの頬を鏃が切り裂く。矢は背後の木を貫通し、三本目でようやく停止する。

 そこから視線を戻した時、既にアタランテの姿はなかった。

 風切り音。それを認識するより早く、ダビデは横に跳ぶ。サーヴァントの一撃は音速を優に超える。音が聞こえた時には、とうに標的は貫かれている。

 故に、頼るべきは直感。命を預けるにはあまりにも曖昧な感覚、それに彼は身を委ねた。

 直後、数本の矢がダビデの背を通り過ぎた。回避した事実に安堵する暇もなく、彼は地面を蹴る。

 単純な射撃戦ならば、彼が優位に立つことはできたかもしれない。

 しかし、相手は狩人。森という場所は彼女の独壇場だ。音を絶ち、姿を隠す──持ち前の瞬足も相まって、ダビデの攻撃はことごとく躱されていた。

 逃げを打つ彼の背を追い、狩人は言う。

 

「誘っておいて逃げるだけか? その体たらくで女の扱いに自信があるとは、よくも言ってのけたな」

「これは手厳しい。僕のナンパ術も衰えたかな? ───でも、そういう子の方が燃え上がるタイプだよ、僕は!」

 

 鼻腔をくすぐる、香の匂い。

 アタランテの嗅覚がそれを感じ取った瞬間、言葉は紡がれていた。

 

「──『燔祭の火焔(サクリファイス)』」

 

 突如として去来する雷雲。太陽を覆い隠した漆黒の雲霞はしかし、上空より降り注ぐ炎によって打ち破られる。

 それこそは異教徒を焼き尽くす硫黄の火。絶対なる神への供犠にして、かの救世主の祖先たるダビデにのみ許された宝具であった。

 彼は天上よりの光を受け、告げる。

 

「さあ、次は君が逃げ回る番だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その剣技を喩えるなら、暴れ狂う嵐。

 吹きすさぶ風は刃。意志持つ暴威が場を席巻した。

 息つく暇もない。ましてや、瞬きすればたちどころに胴体は泣き別れするだろう。彼の武技はまさしく自然の暴力そのものであり、それを前にしてはあらゆる英霊も凡夫に成り下がる。

 ギリシャ神話最大の英雄、ヘラクレスに挑むとはそういうことだった。

 身ひとつで嵐の只中に突撃する。それが成せぬようでは、彼の前に立つことすら許されない。

 アステリオスとペレアスという実力者に挟まれながらも、ヘラクレスの精彩に陰りが訪れることは一瞬足りとも存在しなかった。

 半ば理不尽のような斬撃からペレアスを逃れさせていたのは、培った心眼と精霊の加護。いかなる状況下においても最適解と幸運を呼び寄せる能力によるものだった。

 反撃すら許さず敵を一方的に追い詰めるヘラクレスの戦いぶりに、イアソンは大口を開けて笑う。

 

「どうだ、これが無双の大英雄ヘラクレスの力だ!! 過去いかなる英傑も奴には届かず、一刀の下に葬り去られた! 掛け値なしの最強! 奴と相対できるというせめてもの栄光を胸に死んでいけ!!」

「──じゃあ、お前はどうなんだ? イアソン!」

 

 コロンブスはイアソンの眼前へと迫り、剣を横薙ぎに振るう。

 

「おわああああああ!!」

「イアソン様、邪魔です!」

 

 尻餅をついたイアソンをメディアは突き飛ばすと、即座に杖を構えた。

 彼女の周囲から紫色の光条が発射され、コロンブスは身を翻してそれを回避した。そのやり取りを見届けたイアソンは一息つくと、メディアの後背に回る。

 彼は泡を食いながら、

 

「よ、よくやったメディア! このままオレを守れ! 絶対に離れるなよ! いいな、絶対だぞ!!」

「おいおい、ヘラクレス自慢の次は嫁に助けを求めるつもりかァ!? 偶にはてめえのタマ張って戦ってみせろ!!」

 

 噛み付くようなコロンブスの発言に、イアソンは怒気を滲ませた視線を返した。

 

「舐めるなよ、どこの馬の骨とも知れない英霊が! 船員全員を束ねた力がオレの強さだ! ヘラクレスの敗けはオレの敗けだ、奴とオレは一心同体───故に、命を賭すなどという低い次元は通り過ぎている!!」

「そりゃあ見解の相違ってやつだな! てめえ独りの力で船を引っ張ってくのが、船長って生き物だろうが!!」

 

 英傑たちの船を率いた男と、新世界へ辿り着いた男は吼える。

 彼らはきっと、この点において分かり合うことはできない。仲間の手を取り苦難を乗り越えた人間と仲間を統制して航海を行った人間、その有り様はまさに正反対だ。

 どちらが正しいという話ではない。むしろどちらも正しいからこそ、彼らはここで戦わなければならなかった。

 ヘラクレスの剛剣がペレアスを襲う。

 刃で斬るのではなく、剣の腹で叩くような一撃。ペレアスの額を掠めたそれは、皮膚を裂き血を飛び散らせる。

 彼は血液混じりの唾を吐き出し、剣を握る右手に力を込めた。

 

「──()()()()()

 

 一閃。今までただの一度も振るわれなかった返しの斬撃。しかしながら、ヘラクレスは後方へと跳んで回避する。

 その先。待ち構えていたアステリオスは軋まんばかりに拳を引き絞り、ヘラクレスへと叩きつけた。

 榴弾が炸裂したような轟音が鳴り響く。

 脳が揺れ、動きが止まる。ペレアスは敵の間合いへと踏み込みながら、唱えた。

 

「『死に逝く騎士に、湖光の愛を(ル・アムール・ド・ダーム・デュ・ラック)』」

 

 ヘラクレスの間合いの内側は致死圏内。侵入者の気配に、揺れ動く意識は瞬時に回復し、斧剣を払う。

 対して、ペレアスは防御も回避もしなかった。

 死の運命を捻じ曲げる宝具。霞のように刃を通り抜け、斬撃を走らせる。

 体に刻まれる幾条の傷跡。それは多くの人間が挑み、そして叶わなかった難業であった。

 血を纏う狂戦士は叫ぶ。

 

「……■■■■■■■!!!」 

 

 首に、胴に、腿に、ヘラクレスはあらゆる急所へ剣を躍らせる。だが、その全てがペレアスの実体を捉えるには至らず、逆に反撃を受けてしまう。

 宝具を発動したペレアスにとっては、斬りかかるという行為そのものが隙だ。戦闘における駆け引きの概念を潰し、一方的に攻撃することができる。

 

「アステリオス、合わせろ!!」

「わかっ、た!」

 

 ペレアスとアステリオスは互いの隙を埋めるように立ち回り、攻撃を重ねていく。

 ペレアスの剣が敵をかき乱し、アステリオスが強烈な拳を与える。後者へ注意を向ければ、ペレアスはすぐさま急所を狙いにかかる。

 加えて、彼は攻撃が足止めにすらならない相手。幾度必殺の剣を振るおうとも、それ故に斬り伏せることは叶わない。

 ヘラクレスは無数の傷をその身に受けながら、白い犬歯を覗かせた。

 ───こんな敵は、ひとりとしていなかった。

 如何なる刃物を通さぬ獅子がいた。

 不死と再生の力を持つ毒竜がいた。

 地に触れている限り、無敵を誇った巨人がいた。

 そのどれもがヘラクレスの英雄譚を飾る端役に成り下がる。彼は鍛え上げた肉体と類稀な機転で、数多の怪物を下してきた。知勇兼ね備えた強さこそが、彼の真骨頂なのだ。

 けれど、運命や因果を超えてまで生き残ろうとする者は、過去誰ひとりとしていなかった。

 バーサーカーたるヘラクレスには、明瞭な思考は存在しない。狂乱に呑まれた彼は、それでも残った意思を目の前の敵に傾ける。

 不意打ちや奇襲を考慮しない、全身全霊の殺意。

 

「───終わりです」

 

 雪のように空を舞う紙片。

 それに気付いた時にはもう遅い。

 白き薔薇の結界が、世界を覆った。

 

「『至高天に輝け、永遠の淑女(ディヴァーナ・コンメディア)』!!」

 

 聖なる光輝が遍く照らす、天界の景色。ノアの後ろに隠れていたダンテは、前に進み出た。

 

「この結界は内部にいる特定の個人の魂を奪います。誰だろうと逃げることはできません」

 

 滔々と述べる。彼の宝具は発動さえすれば必中。サーヴァント数体に比する性能の魔神柱であっても、例外なく打倒できる。

 あるいは、万全のヘラクレスだったなら、結界が展開される前に察知し、逃れることもできたに違いない。

 この帰結はアステリオスとペレアスが命を賭して戦い、得られたものなのだ。

 それを、イアソンは一笑に付した。

 

「だからどうした。そんなもの、ヘラクレスには通用しない。精々が一殺だ。残り十一回、足掻いてみせろ」

「十二の功業……なるほど、そういうことですか。十二回殺してようやく死ぬ、それがヘラクレスさんの不死の形なのですね」

 

 天より降りたベアトリーチェが、ヘラクレスの魂を抱く。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 肉体は魂の容れ物だ。魂を失った肉体は死ぬ。動かなくなる。ヘラクレスには復活が約束されているとしても、その隙は───

 

 

 

「『神約・終世の聖枝(ミストルティン)』」

 

 

 

 ───致命的だった。

 神殺しの矢がヘラクレスを射貫く。

 巨体から力が抜け、地面に倒れる。

 エウリュステウスより課された十二の試練を成し遂げたヘラクレスは、不死身の肉体を手に入れ、十二の生命を宿すに至った。

 しかして、その一矢は、問答無用で神を殺す。

 苦難の末に手に入れた無敵の肉体、十二の生命。それらの護りを容易く突破し、ヘラクレスを穿ったのである。

 

「……なっ」

 

 唖然とするイアソン。結界が解かれ、植物に満ちた森林へと戻される。息を呑むほかに、音はない。

 ヘラクレスの死。ノアですら口を噤むなか、笑みを浮かべる者がいた。

 

「かつて、ひとつの世界を終わりに導いた一撃───見事です」

 

 メディア。月と魔術の女神ヘカテーに仕える少女は、艶やかな月光のように微笑む。

 

「ですが、あなたは知っているはず。無敵のバルドルが辿る、運命の先を」

 

 彼女は二匹の蛇が巻き付いた意匠の杖を取り出し、抱くように持つ。

 

「ラグナロクによって滅んだ世界は新たに生まれ変わり、その地にバルドルは蘇るのです。死の不可逆性を破壊する存在……この杖もそう」

 

 かしゃん、と少女が抱く杖の頂点から、一対の翼が飛び出す。

 それを見た瞬間、ノアだけが理解した。

 

「───!! ペレアス、その杖を壊せ!!」

 

 弾かれたようにペレアスは走り出す。

 その杖が何であるかなど、今はどうでもいい。

 ただ、己のマスターである男がかつてない語気で命令した。彼が動くにはそれだけで十分だった。

 剣が届く直前に、事は済んだ。

 

「『永遠なる双蛇の杖(カドゥケウス)』────!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 カドゥケウス。ギリシャ神話の伝令神ヘルメスの象徴となる杖であり、二匹の蛇が絡みつく文様を持っている。

 二匹の蛇は古くはシュメール文明から共通するモチーフだ。その意味は二元性の統合、つまり完全性を表現していると解釈されることが多い。

 ヘルメスは神が住まう天界から人間界、冥界を行き来し、死者の霊魂を導いて再生させる存在でもある。そのため、彼の象徴たる杖は死する者を蘇らせるとされ、アスクレピオスの杖と同一視されることすらある。

 蛇はヘルメスとアスクレピオスに関わりが深い生物だ。それは両者が死者の再生を行うことと決して無関係ではないだろう。

 死よりの回帰。絶対無敵の神に死を与えたヤドリギでさえも、その復活までは否定できなかった。

 故に。

 少女の手を通じて真価を発揮した双蛇の杖は、死の淵よりヘラクレスを帰還せしめたのだった。

 

「残り十二回です。それとも、もう一度ヤドリギを当てられますか?」

「っ───くそ!」

 

 ペレアスは咄嗟に振り返った。死者を呼び戻す杖。それを処理する必要があるのは確かだが、ヘラクレスを放置する訳にはいかない。

 再度、ペレアスはヘラクレスと切り結ぶ。

 そのやり取りは先程の焼き直し。防御を捨てたペレアスはヘラクレスの攻撃と同時に剣を振るい、ひとつまたひとつと傷を重ねる。

 さらには、

 

teiwaz(テイワズ)sowelu(ソウェイル)inguz(イングズ)nauthiz(ナウシズ)! ダンテ、おまえも支援ならできんだろ!!」

「詩を作るときはまったり考えるのが好きなのですが……そんな贅沢も言っていられませんね!」

 

 ノアのルーン魔術と、ダンテの詩による強化。それらを一身に受けたペレアスは地が震えるほどの踏み込みで、ヘラクレスの左腕を切断する。

 鮮血が辺りを染める。腕を失い、体勢を崩したその時、アステリオスの拳が鳩尾を抉った。

 追い詰められるヘラクレスを見て、イアソンは哮り立つ。

 

「ヘラクレス! なんだそのザマは!!? 全ての英雄の頂点に立つお前が、そこらの凡俗に殺られるようでどうする! あの技を使えば一網打尽にできるだろう!?」

 

 正気を失ったヘラクレスに語りかけるその姿は、ともすれば滑稽にも映ったかもしれない。

 ギリシャ神話の主神であるゼウスの妃、ヘラに狂気を吹き込まれたヘラクレスは妻と子を手にかけてしまう。彼にとって狂気とは女神の呪いであり、愛した人をも殺してしまうほどに抗い難いものだった。

 ヘラクレスほどバーサーカーに相応しい戦士はいない。拭い去れない呪いこそが今の彼に残ったものだとしたら、友の言葉は果たして届き得るのか。

 ───否、愚問だ。

 師を殺し、妻を殺し、子を殺した。

 栄光の大英雄と言うにはあまりにも血塗られた罪。

 それでも。

 だとしても。

 友の求めに応えられぬ男になったつもりはない───!!

 

「■■■■■■■──ッッ!!!」

 

 体の芯に響く痛み。

 今や両手で剣を握ることもできない。

 しかし、全てが些事。

 武技を振るう障害にすらならない。

 体に染み付いた技の全て。女神の狂気はしかして、それを塗り潰すことはできなかった。

 音もなく、その宝具は解き放たれる。

 

「がっ……は…!?」

 

 どさり、とペレアスは膝をついた。

 全身に強烈な痛みが走る。

 体の至る箇所に切創が刻まれ、左脇腹の肉はごっそりと吹き飛ばされていた。

 理解が追いつかない。

 彼が持ち得る全感覚、全神経を以ってしても、その剣戟の一端すら把握することができない。

 いっそ、魔法の類と説明された方が納得がいくまでに、その剣技は超常じみていた。

 ペレアスの宝具はあくまで致命傷を避けるのみ。それが絶対的に死をもたらすものであれば当たることはないが、致命傷に至らず、かつ彼が捌けない攻撃だけは命中してしまう。

 必然、運命という概念を超越する宝具でなければ彼を殺すことはできないが、怪我による行動不能に追い込むことは可能なのだ。

 ヘラクレスが擁する最強の宝具『射殺す百頭(ナインライブズ)』。

 その正体は瞬時に繰り出された九連撃。無限に首を再生する怪物ですら殺し尽くす、究極の技であった。

 血に染まり、霞む視界でペレアスは辺りを見回す。

 全身に傷を負ったアステリオスは木の幹にもたれかかって、ぴくりとも動かない。それは後方に控えていたノアとダンテも同じ。傷は比較的軽いが、ヘラクレスの斬撃は確かに届いていた。

 立っている仲間はただひとり。肩口から左腕を断たれ、満身創痍と化したコロンブスだけだ。

 その圧倒的な暴威を一望し、イアソンは頷く。

 

「それでいい。これがあるべき姿で、順当な結果だ」

 

 ぎちり、と口角が歪む。

 

「後はダビデを殺して聖櫃を手に入れる。大いなる力に辿り着く準備が整う……そうだろう?」

「……ええ、史上どんな英雄や神も叶えられなかった完全なる無敵。イアソン様はその存在になるのです」

 

 コロンブスの耳が僅かに動き、彼は口を開く。

 

「───聞き捨てならねえな」

 

 咎めるような言葉。イアソンは冷たい笑みで、

 

「ああ、まだ生きていたのか、お前。オレの慈悲に免じて、冥土の土産に訊いてや──」

「聖櫃は俺のお宝に決まってんだろうが! 挙げ句の果てに無敵の力だと!? ハッ、これほど唆られるもんはねえ! テメエには勿体なさ過ぎる代物だぜ、イアソン!!」

 

 相手の言葉など耳に入れず、コロンブスは欲望のままに吐き捨てた。

 反論をさせる間も与えずに、彼は言い続ける。

 

「よーし決めた! お前らをぶっ殺した後、ダビデの野郎もぶっ飛ばして俺が聖櫃を奪い取る!! どうだペレアス、手伝うならおこぼれに預からせてやっても良いぜ!!?」

「…………ふ、ざけろ。お前にそんな力持たせたら、世界滅亡一直線だろうが」

 

 ペレアスは歯を食いしばり、足に力を入れる。剣を杖代わりに立とうともがく中、背後から聞き慣れた声が飛んできた。

 

「おい、俺抜きで話を進めてんじゃねえ。無敵の力なんて俺が欲しいに決まってんだろうがァァァ!! とっくの昔に好き勝手やって死んだ連中が欲張んな、ここは前途ある超天才最強マスターの俺に任せとけ!!!」

 

 驚くほど傲岸不遜に吼えてみせたのは、ノアだった。左肩から右脇腹にかけて深い傷が横断しており、身に纏う礼装も袈裟に刻まれている。

 恐るべき早さで立ち上がってみせたノアを、イアソンは信じられないようなものを見る目つきで睨んだ。

 

「その傷でなぜ立てる。……いや、血が流れていないのはどういうことだ」

 

 ノアは右手で服を裂いて、傷口を露わにする。

 白い素肌を無残に蹂躙する裂傷を植物の根が縫合し、奥に覗く筋肉や骨も極細の植物繊維が繋ぎ止めていた。

 彼は側頭部に親指をあてがう。

 

「生憎、こういう体だ。生命維持に血液を必要としないから、斬られたくらいじゃ死なねえ。頭を潰すのが一番手っ取り早く殺せる。……さしものヘラクレスもそこまでは見抜けなかったようだな」

 

 ノアの右腕を黄金の根が這う。木の板を割るような音を響かせ、掌中でその根は一本の短槍へと変化する。

 彼はそれをペレアスの眼前に放ると、挑発するような語気で言う。その目はメディアに向けられていた。

 

「そこの女に倣って、俺も薀蓄を語らせてもらう。神殺しのヤドリギの形状には諸説ある。矢か槍か、はたまた剣か。それは槍のミストルティンだ。ペレアス、おまえにそれを預ける。──いつまでもしゃがんでねえで、さっさと立ちやがれ」

 

 額に青筋が浮かぶのと同時、ペレアスは力強く立ち上がった。地面に刺さった短槍を引き抜き、曲芸のように回す。

 

「これが剣だったら文句はなかったんだけどな。在庫切れか?」

「そっちはまだ開発中だ。それで我慢しろ」

 

 ペレアスとコロンブスは並び立つ。

 挑むは生前の武技を取り戻したヘラクレス。

 ───敗ける道理などない。

 イアソンは、高らかに命じた。

 

「そいつらを殺せ、ヘラクレス!!」

「■■■■■■■……ッ!!!」

 

 狂戦士の咆哮が轟く最中、コロンブスはペレアスだけに聞こえる声量で囁く。

 それに対する返答は一言で足りた。

 

「任せろ」

 

 地を蹴り、吶喊する。

 もはや余計な駆け引きはいらない。

 時の流れが遅くなる。体を巡る痛みも忘れ、ただただ戦うことのみに没頭する。

 ヘラクレスの剣は今までのそれとは隔絶している。力任せに振り回すだけでも脅威であったというのに、技が加われば鬼に金棒どころの話ではない。

 対抗しようと考えることすら烏滸がましい。それほどの域。

 ヘラクレスが選んだのは、恐るべき速さの突き。二人を相手取るよりも、ひとりを確実に殺す。

 その矛先が向いたことも知覚できない。コロンブスの心臓を、巨岩のような斧剣が貫いた。

 血の華が鮮烈に咲き誇る。

 己の胸を刺し貫かれながら、彼は歪な笑みを顔面に貼り付けた。

 

「『新天地探索航(サンタマリア・ドロップアンカー)』!!」

 

 幾多もの鎖がヘラクレスを縛る。

 〝俺が奴を止める。お前が決めろ〟───それが、コロンブスが囁いた内容だった。

 ペレアスは一層強く槍を握り締め、倒れ込むように突き刺す。

 

「『神約・終世の聖枝(ミストルティン)』────!!」

 

 崩れ落ちる大英雄。

 騎士はそれに目もくれず、流れるように横を通り抜ける。

 少女が持つ死と再生の杖。それを破壊するために。

 腰の入っていない不格好な一振り。杖の半分から上を切り飛ばし、代わりとばかりに紫色の燐光が叩きつけられる。

 幼いが故に扱い慣れていない攻撃魔術。それでも、ペレアスの進路を妨害するには十分過ぎた。

 メディアは直ぐに判断を下す。

 

「イアソン様、ここは一時撤退を。アタランテを呼び戻しますので指揮を」

「……俺は信じない。あいつがやられるなんて、ありえるはずが…………」

 

 呆けたように呟くイアソン。少女の瞳は暗く冷たく落ち込み、思考を巡らせた。

 

(……いっそ、ここで魔神柱に変えてしまいましょうか。いや、相手の警戒が高まりすぎている。変身中に不死殺しのヤドリギを撃たれたらひとたまりもないでしょう)

 

 それに、と彼女は続ける。

 

(ここを凌げば、まだ逆転の目はあります。誰も知らない、私だけの……私だからこそ叶う奥の手)

 

 どちらにしろ、動ける敵は手負いの騎士のみ。逃げることは容易い。そんな逡巡の過程を見抜くように、ノアは告げた。

 

「行けよ。おまえが使った魔術なら現代にも伝わってる。少なくとも、今の俺たちに捕まえられるほどじゃないのは確かだろ」

「獲物を目の前で逃がすような人には見えませんが?」

「逃がすってのは違うな。俺にはおまえがどんな手を使って攻めて来ようが、返り討ちにする自信があるだけだ。だから絶対に戻ってこい。その時に決着をつけてやるよ」

 

 その自信はどこから来るのか。メディアは暫時頭を回し、くすりと笑う。

 

「……藤丸(ふじまる)立香(りつか)さん、ですか。随分と信頼しているんですね、彼女のことを」

「あいつをどこで知ったのかは訊かないでおいてやる。俺には俺の用事があんだよ、さっさと行け」

「はい、ではその通りに」

 

 そう言って、メディアはイアソンを引き連れて去った。別の場所にいるアタランテも、きっと立ち去ることだろう。

 ノアは切断されたカドゥケウスの上半分を拾うと、霊核を貫かれたコロンブスの前に屈んだ。

 

「死なせねえぞ、コロンブス。再生の杖の半分はここに残ってて、幸い俺は天才だ。おまえを治すくらいはできる。おまえの船が無くなったら何かと不便だ。俺の足としてしっかり生き延びろ」

「……は、どこまでも憎たらしい小僧だ。ああ、くそ、他人にでけえ借りを作るのは性に合わねえんだよ」

「そうか、じゃあ治すのはやめておく」

「───ハァ!!!??」

 

 コロンブスは死の間際にありながら、自分でも驚くほどの声量で叫んだ。

 

「ふざけんな待ちやがれェェェ!! ここは軽口叩きながら治療する場面だろうが! 散々お膳立てしておいて死なせるようなマネすんじゃねェ!! 物語の筋ってのをわきまえろ!!」

「おいおい、助けられる態度がなってねえなァ!! おまえの(タマ)を握ってるのは俺だ! それが分かったら精々命乞いでもしてみやがれ!!」

「うおおおおおおアホかお前は!!? 消える消える、コロンブスの(タマ)が消えるゥゥゥ!! コロンブスの卵だけに……とか言ってる場合じゃねええええ!!」

 

 そうして、なんだかんだで彼は助かったのだった。その一部始終を朦朧とする意識で眺めていたダンテは、アステリオスとペレアスの代わりに発言する。

 

「あの〜、私たちの怪我も治してもらえると助かるんですが……」

「唾でも付けとけ」

「つばをつければ、なおるのか? やってみる」

 

 ずい、とアステリオスはダンテの傷口に顔を寄せた。

 

「イヤアアアアア待ってくださいアステリオスさん! それは誰得な絵面になってしまいますから!! ノアさんの言うことを真に受けてたら駄目ですよ! ペレアスさん、なんとか言ってください!」

「オレはもうとにかく寝てえんだよ、大声出すな。ギットギトのフィッシュアンドチップス口にねじ込むぞ」

「イギリスが誇るマズメシじゃないですか。絶対に嫌なんですが!」

 

 そして、ついに寝れないことに業を煮やしたペレアスが暴れ出すのに時間は掛からなかった。その後、輪に入れずに体育座りしていたダビデが発見されたのは一時間経過してからのことだったという。

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