自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第28話 その矢が射抜くもの

 海上を突き進む水妖の大群。

 まるで津波のような勢いと速度を保ったまま、上空に鎮座するアカモートの手によって、その数は膨れ上がっていく。

 海を覆い尽くさんばかりの魔物たちの先頭に、アルゴー号はあった。

 大木を思わせるイカの足が船首と船尾に巻き付いており、海上での高速移動を可能にしていた。そのため、いたずらに空気抵抗を増やすだけの帆も畳まれている。

 船上。アルゴー号の面々はトライデントの直撃を受け、目に見えて小さくなった島を望む。

 メディアはにこりと微笑んで、

 

「ということで、先陣を切るのは──」

「俺だ」

「私だ」

「「……は?」」

 

 真っ先に声を上げたのはアキレウスとアタランテ。彼らは互いに視線を鉢合わせると、猫の喧嘩のように噛み付く。

 

「あんたは弓兵(アーチャー)で俺は騎兵(ライダー)。どっちが先陣を切るに相応しいか、そこら辺の子どもでも即答できるぜ?」

「ほう、かのトロイアの英雄がたかが兵科の違いを盾に押し通してくるとはな。自慢の俊足が私に抜かれるとでも思ったか?」

「よーし、上等だ! 人類最速の座を賭けてガチンコ徒競走とでも洒落込もうじゃねえか!!」

「いや、状況考えろよ」

 

 ヘクトールの冷静なツッコミが、アキレウスとアタランテの背中にぐさりと直撃した。

 彼らはともに俊足を大きな特徴とするサーヴァントだ。アキレウスは言わずもがな、アタランテも結婚相手を決める際の徒競走で、卑劣な策に敗れるまでどんな男性にも追い抜かれなかった逸話がある。

 そんな二人にとって、どちらが速いかという話はとてもデリケートな問題である。状況が状況なら殺し合ってもおかしくないほどに。

 事実、ヘクトールは二人のやり取りを見て肝を冷やしていた。彼の記憶の中のアキレウスとは、才能溢れる血気盛んな若者という印象だ。

 何より自分を殺した後、その死体を晒した話まで伝わっている。何の因果か味方となっているが、警戒しない理由はなかった。

 言い合いを続ける俊足二人組を見かねて、ヘクトールは鋼鉄の人差し指をぴんと立てて提案する。

 

「そんじゃあ、先制攻撃と先駆けを分けるってのはどうだ。これなら公平だろ」

「待て、それだと射程の長さからして私が一番槍になるだろう。果たしてそれが公平と言えるのか? それに、先陣と先制攻撃を分けるのは前にもやった気がするぞ」

「ヘクトール、あんたの性格からして自分だけ良い所取りしようってのは分かってんだ。公平という名の不平等だぜ、そりゃ」

「うっせえ! 公平ってのは得てして不平等なもんです! それを経験して人は大人になるもんなんです! 良いからさっさと行きやがれ俊足コンビ!!」

 

 説教をぶちかますヘクトール。彼を諌めるように、メディアは言う。

 

「あなたも行くんですよ? 戦いに。アタランテ、引っ張っていってください」

「そういうことだ。早く向かうぞ。魔物に先を越されるなど話にならない」

「それは良いが途中で降ろせよ。仕留めなきゃならん奴がいるからな」

 

 そう言って、彼らはアキレウスの戦車に乗り込んだ。向かう先は敵の本拠地。その様は天駆ける彗星の如く光の尾を引いていた。

 それを見届けたメディアは緩やかな微笑を貼り付けたまま、後ろに振り向く。

 そこにいたのはイアソン。絶大な信頼を置く唯一無二の親友を失い、俯いた彼はゆっくりと面を上げた。

 彼は海を泳ぐ水妖を視線で指し、刺々しい声音で咎める。

 

「なぜあの時、この召喚術を使わなかった? これだけの戦力とヘラクレスがいれば、あんな奴ら一網打尽にできたはずだ」

 

 その語気は静かな怒気を帯びていた。

 しかし彼の怒りは正当だ。ヘルメスの杖を利用してアカモートを喚び出せるなら、ノアたちと矛を交える前にしておくべきだった。その見解に瑕疵はないだろう。

 魔女は目を伏せ、冷たく硬質な声を突きつける。

 

「一度、私の好きなようにやってみたかったんです」

 

 ──その昔、ひとりの少女がいた。

 緑深き山の中。月と魔術の女神ヘカテーに師事し、彼女は掌中の珠を愛でるかのように大切に育てられた。

 穏やかに、なだらかに過ぎていく日々はきっと、どこか完成されていて。

 それでいて、味気ないものだった。

 けれど、それで良い。

 この身は既に多くを与えられている。

 非凡な魔術の才、純美な着物に豪華な食事。怪我や病気はヘカテーより教授された薬草の知識で、たちどころに治すことができた。

 だから、これ以上を望むことなどない。

 そんな彼女の運命を踏みにじる神がいた。

 愛と美の女神アフロディーテ。その神は英雄イアソンの旅を手助けするため、エロースを通じてメディアに呪いをかけるのである。

 イアソンを盲目的に愛するようになる呪い。それによって彼は金羊毛を手に入れ、さらにメディアを娶ることとなる。彼女は魔術によって多くの冒険の助けとなり、得難い友人と巡り会うこともできた。

 アルゴー号での毎日は山中にいた頃とは真逆。嵐が吹けば服が汚れ、海上ではろくに身だしなみを整えることもできない。

 それでも、数々の英雄たちとともに歩む道は、刺激に満ち溢れた輝かしいものだったはずだ。

 旅を終えた後の安穏とした暮らしも、夫と子どもがいれば退屈ではなかった。

 ……全て、あの裏切りさえなければ。

 サーヴァントは召喚された時点で自らの人生の記憶を持っている。たとえ、幼少の姿であろうとも。

 純粋可憐な少女が神に惑わされ、夫に捨てられ、国を滅ぼすという結末を知ったのなら。その絶望は、計り知れない。

 メディアは笑顔を輝かせる。

 

「でも、全く恨んでいません! あの憎悪は未来の私のものであって、過去(いま)の私のものではない。お門違いも甚だしい……そうですよね?」

「あ……ああ?」

「だから、これはわがままです。許されないこととも、道義に反することとも分かっています。私は、私の手で自らの運命を差配してみたい」

 

 彼女の目は、既にイアソンを見てはいなかった。

 きらめく瞳に映るのは、宙に浮かぶ亜麻色の髪の美女。アカモートと名付けられたモノであった。

 少女は想起する。

 

〝カルデア神託における神々の母、ピスティス・ソフィアにおける第三の偽神(アルコーン)───ヘカテーに仕えた巫女、メディア。……貴女は私の先達という訳か〟

 

 神託を得た。

 目も眩むような、神託を得た。

 

〝同情する。その人生、その絶望。私が肩入れしたいと思うほどに〟

 

 否、彼女は神ではない。

 その身は人間。人間にしか成り得なかった果ての者だ。

 我らとの違いは、人智の及ばぬ(セカイ)にいる。それだけだった。

 

〝この特異点にいくつか聖遺物をばらまいた。ヘルメスの杖を探せ。私は、貴女に力を貸してやれる〟

 

 ならばそれは、天恵に他ならない。

 メディアは、自らの運命を歩めるだけの可能性を手に入れたのだ。

 故に、このわがままは絶対に通す。

 

「いま、この瞬間にヘラクレス様がいたら、私は殺されていたかもしれません。あの方にとって、イアソン様は無二の親友ですから。子どもを手にかける禁忌を犯してでも止めに来たでしょうね」

「……メディア。お前は、まさか」

 

 イアソンは後ずさる。足の震えが腰から肩を伝わり、唇にまで到達していた。

 

「はい。カルデアの方々は流石でした──狂ったとはいえ、あのヘラクレス様に勝てるなんて」

「ッ! だったら、どうしてヘラクレスを生き返らせた! お前が好き勝手やる上であいつが邪魔だったなら、あの時杖を使う必要はなかっただろう!?」

 

 メディアはイアソンの目を見つめる。

 

「イアソン様。あなたは窮地の中でこそ輝く人です。追い詰められた時に発揮する力はきっと、どんな強大な敵にも負けないモノに違いありません。綺羅星の如き英雄たちを束ね上げるアルゴー号の船長は、イアソン様以外の誰にも務まらないと断言できます」

 

 その賞賛は、決して偽りではなかった。

 英雄イアソンの冒険において、彼を最も助けたのはヘラクレスの武力ではなく、メディアの魔術だ。

 イアソンと共にあり続けた彼女が言う言葉だからこそ、そこには重みがあった。

 

「そんなあなたを騙すには、ああするしかなかった。あの状況で杖の力を使わないなんて不自然なことはできなかった。杖を壊されたことは誤算でしたが、賭けは私の勝ちです」

 

 どんな敵よりも、味方よりも、メディアはイアソンを警戒していたのだ。

 油断などしない。一度でも逃がせば逆転を許す恐れがある。

 だから、次に取る行動は成り行きではなく、当然の帰結だった。

 

「目覚めなさい、魔神柱フォルネウス」

 

 イアソンの存在が改変される。

 青空を黒く切り裂く巨塔。

 猛る咆哮が、海に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔物の大群はとうに島に上陸し、アトランティスの遺物にも目をくれずに直進していた。

 陣形もなければ指揮官もいない。数に任せただけの突進は、それ故に強力。ダンテを除くこの場のサーヴァントであれば倒されはしないが、骨が折れる程度には脅威だ。

 そして、それらに対応している暇に敵サーヴァントに聖櫃を奪われる。直接戦闘でも大いに遅れを取ることだろう。

 ならば、それを埋めるのはマスターの役割。

 敵の一群が森林に差し掛かる。

 ノアは指を弾き、唱えた。

 

「『炎森の巨人(ウィッカーマン)』」

 

 森全体を呑み込む真紅の火炎。

 燃え盛る木々が複雑に絡み合い、いつしか巨人の上体を構成する。

 それが都合六体。木の幹を束ねた豪腕がうなりを上げて、水妖たちを灼熱の口腔へと放り込んでいく。

 ウィッカーマン。ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦記に記された、ドルイドたちの供犠。人型の檻の中に供物となる生贄を取り込み、神々へと焼いて捧げる祭儀である。

 かつて、冬木の特異点でまみえたキャスターのサーヴァントが使用した宝具。それを再現しようと試みた魔術であった。

 ノアは巨人が水妖を蹂躙する光景をトライデント付近の高台から眺め、不満げに鼻を鳴らした。

 

「一晩準備してこの程度か。あの宝具の足元にも及ばねえな。そもそもルーンの出力が違いすぎる……魔力をいくらブチ込んだところで解決できる問題じゃない。神秘の純度が足りない以上、現代のフォーマットじゃ無理だ。それこそ原初のルーンでもないと……まあいい。藤丸、おまえの見解はどうだ」

「天才少女立香ちゃんが思うに、一回発動するだけであんなに木を燃やしてたら、地球が禿げ上がっちゃうと思うんですけど」

「環境破壊は人類の特権だ」

「ラスボスみたいな発言しないでください」

 

 ノアのウィッカーマンは規模、威力ともに大魔術と呼ぶに相違ないものだ。が、それは現代の魔術の範疇を出ない。

 古代の魔術は言わばロストテクノロジー。神秘は古いほど強くなるため、現代の方法論で宝具を再現しても真作に並ぶことはできない。

 しかし、ノアの不満とは裏腹にウィッカーマンは絶大な戦果を挙げていた。取り込んだ魔獣の魂を薪に一層激しく火を噴き上げ、近づくそばから敵を打ち砕く。

 黒煙と野火に包まれた海岸から、二隻の船が出航する。

 ドレイクのゴールデンハインド号とコロンブスのサンタマリア号。島に留まるノアたちが聖櫃を守る盾とするなら、両船は敵の頭を貫く飛矢だ。

 狙いはメディアもまた同じ。

 地上を疾駆する二本の飛矢。電光石火の速度で駆ける弓兵と騎兵は、移動に伴う余波だけで火勢を吹き飛ばしていた。

 ウィッカーマンが炎の巨拳を振るう。

 巨大な図体ではあれど、吹き上げる熱風の後押しを受けた拳は対魔力を持たぬサーヴァントなら重傷を与えられるほどの威力だ。

 そう、当たれば。

 彼らにとってその一撃は、あまりにも緩慢すぎた。

 矢が、槍が、二体の巨人を千々に食い破る。

 炎の壁を突き破って現れた二人の英雄に、毀傷は微塵もなかった。

 武人だからこそ分かる強さの物差し。ペレアスは眉根を寄せて、ただ一言。

 

「ノア」

「ああ、各個撃破する。俺たちであの騎兵をやるぞ。アステリオスとダビデもついてこい」

「それなら、私たちがアーチャーの相手ですね。いつも通り、マシュとジャンヌを連れていきます」

 

 踵を返そうとする立香を、ノアは引き止める。

 

「待て、藤丸。ウィッカーマンの操作権限を二つおまえに預ける。俺の魔力で動くから気にせず使え」

 

 彼はそう言って、僅か小指大の人形を立香に差し出した。木の根で編まれた二体の人形は、ウィッカーマンを操作するリモコンの役割を果たす礼装だった。

 立香はそれらを受け取り、しっかりと右手に握り込んだ。

 

「ありがとうございます。……リーダーの魔力は大丈夫なんですか? リーダーの負担になるなら、私の魔力を使うこともできますよね」

 

 ノアは四体のウィッカーマンを扱う他に、ペレアスとダンテへの魔力供給も担っている。サーヴァントはあくまでカルデアの召喚システムに則ったものだが、ノアはカルデアのリソース節約のためにペレアスとダンテの魔力供給を自分に一存していた。

 立香の懸念は彼の魔力が枯渇してしまうのではないかということ。

 二人が扱うことのできる魔力の量はもはや比べるべくもないが、少しでも負担を肩代わりできるなら迷いはない。

 ノアの人差し指が親指をバネに跳ね、立香の額を優しく打つ。

 

「俺の心配をする前に自分の心配をしろ。ダンテは宝具以外最低限の魔力で済む省エネサーヴァントだし、ペレアスは派手な技も宝具も持ってねえたまねぎ剣士だからな」

「最終的に最強になるたまねぎ剣士ナメんなぶっ飛ばすぞ」

「まあ、そういう訳だ。俺の魔力を枯らしたいなら、百体以上はウィッカーマンを連れてこないと話にならねえ。黙って俺の施しを受けとけ」

 

 傲岸不遜な言葉。立香はしかとそれを受け止めると、力強く頷いた。

 

「絶対に、生きて会いましょう」

 

 それだけ言って、彼女は自らのサーヴァントと一緒にこの場を離れた。足取りに一切の恐怖も焦燥も存在しない。ノアはその背中から視線を切り、上空を睨んだ。

 旋回する翠玉色の流星。空を翔ける三頭立ての戦車は、明らかにノアたちを狙っていた。

 ダビデは手のひらを額の辺りにかざしながら、戦車を眺める。

 

「うーん、アレを撃ち落とすのは手を焼きそうだ。誰か良い考えはあるかい?」

「ぼくが、ぺれあすを、なげる!」

「名案だな。それで行くぞ」

「お前ら待て、オレはいつから人間砲弾になった!?」

 

 瞬間、流星が墜ちる。

 地面が裂けて土塊が舞う。

 神速の英雄は唇の両端を吊り上げて、周囲の土塊を槍で払った。

 

「四人か。神殺しの矢を持ってるってのはそこの白髪だな?」

 

 興味と戦意が綯い交ぜになった視線。常人が受け止めるには重すぎるそれを、ノアは素っ気なく流して肯定する。

 

「そうだ。わざわざ質問してくるってことは、おまえも神性持ちか、それとも不死か? 随分ビビってるじゃねえか」

「抜かせよ魔術師。断言しよう、お前の矢が俺に当たることは決してない」

 

 三頭の馬が蹄で地面を掻く。

 やにわに満ちる殺気。

 音を置き去りに、その突撃は成った。

 

「──さあ、見せてみろ。お前たちの英雄たる由縁を」

 

 雷光が閃く。

 彼の突進に下手な小細工はいらない。

 十二本の馬脚が生み出す速力と破壊力をぶつけ、槍を振るう。それだけで並の英霊を屠るに値するであろう攻撃だ。

 だが、相対する三人のサーヴァントは時代は違えども数々の戦いを生き抜いた歴戦の強者である。

 五感が警告を発するより一瞬早く、直感が体を動かす。

 ペレアスは視界の端に影を捉えると同時、鞘から剣を逆袈裟に抜き放つ。

 甲高い金属音が鳴り、刃がオレンジ色の火花を散らせた。前腕が痺れるような重い一撃。少しでも躊躇えば、剣ごと胴体を吹き飛ばされていただろう。

 それを気にする間もなく、悪寒が肌を粟立たせた。

 一手でも対応を間違えれば、一瞬でも力を抜けば殺される。これはそういう戦いであり、ペレアスがとうに慣れ親しんだ戦場だ。

 横薙ぎの一閃。ダビデは青銅の槍の穂先を杖で受け、宙へ弾き飛ばされる。

 彼は強引に体を捻ると、その勢いのままにいくつかの石を投げつける。空中での神がかり的な技を目の前に、騎兵は笑みを深めた。

 完全に不意を突いた投擲。彼の槍技を以ってしても、全弾を防ぐことは難しい。飛来する弾は四肢のいずれかを撃ち抜くはずだった。

 

「俺に攻撃を当てたことは褒めてやる」

 

 しかし、彼の体に傷はひとつもない。それどころか、衝突した石弾の方が砕け散る有様だ。

 ペレアスは頭をかいて嘆息する。

 

「三頭立ての戦車に神性、おまけに不死(むてき)持ち……アキレウスかよ」

「おお、良い推理だな。俺のファンか?」

「今まさに辞めたくなってきたところだけどな!」

 

 アキレウス。その名について、もはや多くを語ることもないだろう。知名度ならヘラクレスにも並ぶ大英雄。アルゴノーツのひとりを父に持つ、アルゴー船とも関わりが深い英霊である。

 知名度の高さのためにその弱点も広く知られている。伝説では、唯一残った人間の部分である踵を射たれることが死に繋がった。

 彼もまた、不死ゆえにその生を終えた英雄のひとり。

 ノアはヘラクレスとの戦いで使ったヤドリギの槍をペレアスに投げ渡す。

 

「何を狙うか、分かってるな」

「当たり前だ。まずは足を潰す」

 

 ペレアスは短く息を吐いて、一足に飛び込む。

 アキレウスの得物が届く殺戮圏内。

 すれ違いざま、両者の槍が踊る。

 先に届いたのはアキレウスの一撃。

 体を捻ってヤドリギの穂先を躱し、真一文字に胴を断ち割る。

 

(───! 手応えがない)

 

 振り向いた先には無傷の背中。

 

「『死に逝く騎士に、湖光の愛を(ル・アムール・ド・ダーム・デュ・ラック)』」

 

 アキレウスを前に、出し惜しみする選択肢はない。

 ペレアスは即座に身を翻す。頭を回して瞳が追いついた時、背後にいたはずのアキレウスは消え失せていた。

 俊足を異名とする彼の真骨頂は、生身での走力。半ば瞬間移動のような速さで離脱した彼を目で捉えることは困難だ。

 

「言っただろ、まずは足を潰す!!」

 

 槍を投げる。

 アキレウスが駆る三頭の馬の内、二頭はポセイドンより賜りし不死の神馬だ。ペレアスが放った槍はその一頭を貫き、引き抜くのに合わせて剣と槍を残る二頭へ突き立てた。

 宝具はその英雄の誇りだ。それを傷つけられて憤りを覚えない英霊は極少数だろう。

 この時、アキレウスの中でペレアスはただの敵から絶対に殺さねばならぬ存在へと切り替わった。

 

「殺す」

 

 どこまでも単純な彼の一言は、宣告にも等しい。

 雷電が奔る。

 縦横無尽に駆け巡る彼の姿を捉えられる者は誰もいない。ヘラクレスが近づく者全てを切り刻む暴嵐だとすれば、アキレウスは触れた者全てを両断する稲妻だ。

 宝具で致命傷を回避するペレアスだが、電光が瞬く度に傷を負っていく。

 

「アステリオス! 宝具を使え!」

「……───『万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)』!!」

 

 ノアの叫びにアステリオスが応える。

 この空間そのものを迷宮へと置換する大魔術。

 陽の届かぬ迷宮は狭く、四方に張り巡らされた壁が移動を制限する。縦横無尽に疾走していたアキレウスから、せめて進路の自由だけは奪おうという目論見だった。

 アキレウスは足を止める。自らが囚われた迷宮を見渡し、最後にペレアスを睨みつける。

 彼は頬から流れ出る血を手甲で拭い取り、真っ向から睨み返した。アキレウスは胸中にわだかまった感情を吐き出すように息をつく。

 

「お前、真名(なまえ)は」

「ペレアス。邪竜ファヴニールとヘラクレスを倒した男だ」

「とどめを横取りしただけだろ」

 

 後ろから刺すノアの言葉に、ペレアスはすぐに振り向いた。

 

「はいそこ、黙れ! オレの輝かしい戦績に水を差すな! アーサー王にヴラド三世にレオニダスに……」

「なるほど、王殺しのペレアス。オイディプスみてえなもんか」

 

 アキレウスは顎に手を当てて、勝手に納得する。

 

「いやいやいや、騎士としてその二つ名は不味いだろ! モードレッドか!?」

「安心しなよペレアスくん! 君の知名度はモードレッドの五十分の一もないだろうし、勘違いされることはないさ!」

「ダビデェェ!! おまえどっちの味方だ!?」

 

 そのやり取りを見て、アキレウスは鼻を鳴らした。

 

「……喜べ。俺に狙われてそこまで生き残ったのは、ヘクトールに続いてお前で二人目だ」

「結局殺すってことだろ?」

「当然だ。それに、お前にはひとつ気に食わねえところがある」

「はあ? どういうことだ」

 

 返答はなかった。代わりに、槍を前傾に構えて穂先を差し向ける。

 

「俺の親父に名前が似てんだよ───!!」

「ハッ、とんだ言いがかりじゃねえか───!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ戦火の勢い止まぬ黒焦げた野原で、少女たちは己が敵に出会う。

 翠緑の装束を纏った狩人。その端正な顔立ちは貴人のそれであるが、眼差しは鋭く野生味を帯びていた。

 互い違いのコントラストが彼女の存在を一層際立たせる。

 憂いをたたえた瞳を閉じ、そして開く。

 

「君たちの時代では、君たちはまだ子どもなのだろう。……そこを退いてはくれないか」

 

 彼女の語気には諦観が混じっていた。

 ジャンヌは肩に旗を担ぎ直し、見下すように言う。

 

「聖櫃を狙おうって連中の言葉とは思えないわね。どういう風の吹き回しか知らないけど、ここを通せば全員消えるのよ」

「アタランテさんは知らないかもしれませんが、あなたたちの目的が果たされると特異点そのものが消失します。戦闘の意思がないのなら……」

 

 マシュが言い終わらないうちに、アタランテは否定した。

 

「それはできない。私は全て知った上でここにいる。無敵の力なんて都合の良いものがあるはずがない。──人間が手に入れて良いものでもない。特にイアソンのような奴にはな」

 

 それが、全てを消す道だと知っていても。否、知っているからこそ、彼女はここにいるのだ。

 ──この言葉が届かなければ、手を結ぶ望みは完全に絶たれる。

 立香は。

 急所をえぐるように。

 既に決まった答えを再確認するように、口を開く。

 

「アルテミスさんと敵対することになってもですか」

 

 アタランテは男子を望んだ父王によって森に捨てられ、アルテミスの遣わした雌熊に育てられた。

 それ以来、彼女はアルテミスの信奉者となり、かの月女神にならって純潔の誓いを立てた。アルテミスに弓を引くということは、それらの恩義に泥を塗り自らを否定する行為に等しい。

 アタランテは己に課するように答えた。

 

「無論だ。……メディアが、自分の好きなようにやりたいと言った。神に惑わされ、愛した者に裏切られた彼女がだ。親友として、その願いは果たす価値があるものだと感じた」

 

 だから。

 ぎり、と引き絞られた弓の弦が軋みをあげた。

 

「そこを通してもらう──!!」

 

 空間を引き裂くような矢が飛翔する。

 軌道を変える小手先の技術はない。

 最強の一撃を最速で相手に叩き込む弓術。二の矢を番えることなく獲物を殺す狩人の技であった。

 しかして、それを通すほどカルデアが誇る盾は易くはない。

 不動の盾が矢を弾く。宝具の一撃にも匹敵する衝撃に、マシュは歯噛みした。

 『天穹の弓(タウロポロス)』。アタランテがアルテミスより授かったこの弓は、引き絞るほどに射撃の威力を増す特性がある。

 Aランクすら凌駕するその一矢は、並ぶ者なしと謳われた実力に違わぬ破壊力だった。

 しかも、彼女には俊足がある。

 アキレウスと伍する速さの足。射撃戦においてダビデを封殺し、天より降り注ぐ火の雨からも逃げ切った走力は未だ健在だ。

 加えてその攻撃手段は槍を得物とした近接格闘ではなく、弓矢による遠距離射撃。

 常に位置を変えながら矢を撃ち込む。

 それだけで、立香たちは防戦に徹するしかなかった。マシュの存在がなければ、優に十回は死んでいたに違いない。

 

「一方的に撃ちまくってくれるじゃない……!!」

 

 吐き捨て、ジャンヌは振り払うように腕を薙ぐ。

 腕の軌道に従って炎の波が生まれ、扇状に大地を焼き進む。しかし、その速度はアタランテからすれば緩慢に過ぎる。地を自由に駆け回れる以上、避けるのは容易い。

 

「『炎森の巨人(ウィッカーマン)』!」

 

 木組みの巨人が上体を起こし、アタランテの進路を塞ぐ。

 彼女の足は文字通り目にも留まらぬ速力だが、ここは身を隠す木々もない焼け野原。ノアの手にかかるまでは森そのものであったウィッカーマンの図体ならば、大雑把な予測でも十分障害と成り得る。

 地にいては炎に呑まれ、跳べばウィッカーマンが豪腕を振るう。

 アタランテが選んだ二択は、後者だった。

 

「見事だ」

 

 地面を蹴って跳び、迫りくる拳を踵落としで撃墜する。勢い任せに空中で回転し、矢を番える。

 彼女を狙う灼けた鉄杭。ジャンヌが放ったそれは身動きの取れぬ空中の隙を刺すためのものだった。

 弓の弦を手放す。射出された矢は鉄杭と激突し、破砕する。

 必殺を期した二段構えを凌ぎ、アタランテは悠々と着地した。その際に矢を射掛け、ウィッカーマンは炭となって消滅してしまう。

 ジャンヌは忌々しげに歯を噛み締める。

 

「あれでも当たらないなんて、どんな足してんのよ。矢の威力もおかしいでしょう」

「……先輩。このままでは消耗戦が続くだけです。奥の手を使いますか?」

 

 マシュは敵に視線を注いだまま提案した。

 ──奥の手。確かに、その手段を使えばアタランテを仕留められるかもしれない。

 命を奪えずとも、腕や肩なら弓は引けず、足なら機動力を殺すことができるだろう。

 だが、消耗戦に活路が無い訳ではない。ノアたちがあの騎兵を倒せば、陸に残った戦力を集中させられる。多勢に無勢、圧倒的な優位を得られる。

 立香は浮かびかけた選択肢を、首を振って却下した。

 

(そんな考え方じゃ駄目だ)

 

 所長の死を背負わせてしまったあの後、彼にのしかかる荷物の半分を受け持つと決めた。

 その時点で、立香とノアは対等だ。たとえ天地がひっくり返っても、そこだけは変わらないと断言できる。

 故にこそ。

 対等だと言うなら、彼を助けられるくらいでなくては───!!

 

「ドクター、聞こえますか」

「『うん。奥の手のことかい?』」

「それもありますけど、まずは質問させてください。ペレアスさんとダンテさんはリーダーから魔力供給を受けているので、今カルデアの魔力リソースはサーヴァント二体分は空きがありますよね」

「『そうだね。ノアくんの莫大な魔力を遊ばせておくのは愚策だ。それがどうかした?』」

「その分の魔力を、全部ジャンヌに回すことはできますか」

 

 意図を察し、ロマンは頷いた。

 

「『もちろん可能だ! なら、奥の手のタイミングはボクが指定した方が良いね』」

「はい、お願いしますドクター!」

 

 二人の会話を聞いていたジャンヌは、口角を上げて、

 

「あら、もう悪巧みは終わり? 期待させてくれるじゃない」

「キュートな先輩は突如反撃のアイディアがひらめく、ということですね。わたしの盾がある限り、答え③になることはありえません」

「うん、これでもローマ帝国の軍師だったからね!」

 

 立香の令呪が光を放つ。

 糸が解けるように紋様が宙に消えると、三画分の膨大な魔力がジャンヌに宿った。

 

「魔力が切れるまで宝具を撃って。集中させるんじゃなくて、ばらまくみたいに。後のことは考えないで」

「お安い御用ね。やられっぱなしでムカついてたのよ、ここで精々ストレス発散させてもらうわ……!!」

 

 反転した聖カトリーヌの剣の切っ先を天へ掲げる。

 吹き荒ぶ熱風、青空を黒く塗り潰す魔炎、ギチギチと捻れ狂う鉄の杭。ジャンヌひとりが出せる全力のその先、未だかつてない魔力が彼女を中心に渦巻いていた。

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 暴力の嵐が放たれる。

 アタランテは即座に攻撃態勢を解き、脇目も振らずに走り出す。

 矢を射る暇などない。一度でも足を止めれば炎の渦に追いつかれるか、鉄杭に貫かれる。

 こうして耐え忍べば相手の飛び道具はなくなり、盾の少女との一騎討ちに持ち込める。勝機は依然潰えていない。

 要するに、この勝負はジャンヌが仕留めきるか、アタランテが逃げ切るかに帰結する。

 肌のところどころが焼け、鉄杭が脇腹を掠める。直撃を受けない限りは、戦闘に支障は出ない。ジャンヌの宝具はまともに当たれば魔神柱を焼き尽くすほどに強力だが、消費する魔力も相応に大きい。

 攻防の終わりはそう遠くない。アタランテは確信した。

 バキバキと枝が折れて木が弾ける音を立てて、立香に託された最後のウィッカーマンが体を起こす。

 巨人が上体のみで覆いかぶさるように飛びつく瞬間、アタランテの思考は体感速度を超えて流れる。

 

(またあの巨人……この程度で囲めるつもりか? 私の足ならこのまま走り抜けられ───)

 

 ちょうどその時、彼女は聞いた。

 凍てつく月輪を思わせる一声。

 清廉なる魔力の発露。

 けれど。

 音速よりも速く移動するアタランテが、その声を聞けるはずがなかった。

 幻聴か、はたまた奇跡か。どちらにしろ、それを成すのは得てして信仰という想いだ。

 

 

 

「『月女神の愛矢恋矢(トライスター・アモーレ・ミオ)』」

 

 

 

 ウィッカーマンの壁を貫き、女神の矢がアタランテの左足を消し飛ばした。

 

「っぐ──!」

 

 痛みに顔をしかめたのは一瞬。

 転がるように炎の囲いを離脱し、周囲へ目を凝らす。

 

(あの巨人のせいで発射点が特定できなかった。どうせ通用しないなら目隠しに使おうという腹積もりだな)

 

 ジャンヌの宝具も自分から余裕を奪うための布石。アタランテは、カルデアという組織に出し抜かれたのだ。

 しかし、地面に突き刺さった矢の角度から大まかな方角は特定できる。発射地点に留まる狙撃手はいないが、同じ弓使いだからこそ移動経路も読める。

 培った狩人としての経験と勘。それが、アタランテの瞳を射手へと導いた。

 

「やはり、あなたか」

 

 遥か遠く、建造物群の屋上にその姿はあった。

 信仰を捧げた月の女神、アルテミス。

 こちらが気付けばむこうも気付く。

 場所を特定されたにもかかわらず、彼女はその場を微動だにしない。

 言葉はない。しかし、そこに留まるという行為が意思を示していた。

 撃ってこい、と。彼女は言っているのだ。

 

「神に弓を引く、か」

 

 なんて罰当たりなことだろう。神に弓を引くなど、人間には到底許されない。

 だというのに。

 建前を並び立てる脳とは裏腹に。

 胸の奥が、熱く燃えたぎっていた。

 

〝私のわがままに、付き合ってくれますか〟

 

 彼女の申し出に頷いたその時から。

 何を置いてもそれを果たすと決めた。

 全てが消えれば良い。自分さえも。そんな破滅的な願いであろうと。

 ───誰かが、彼女を止めてくれると望んで。

 

(悪役も、案外悪くないな)

 

 ぎちり、と弓の弦が張り詰める。

 呼応するようにアルテミスも構えた。

 心は夜の湖畔の如く静まり返り、足を苛む痛みも無くなる。

 撃ったのは同時。

 二条の矢が交差する。

 目が追えたのはそこまで。

 月女神の一矢が、狩人の心臓を貫いた。

 全身から力が抜けて、仰向けに倒れ込む。

 荒い息を吐きながら、彼女はまるで乙女のように笑った。

 

「は……はっ! 届いたぞ──!!」

 

 ぽたり、と血が流れ落ちる。

 アタランテが射た矢は、アルテミスの左肩を撃ち抜いていた。

 女神は、その傷を慈しむかのように右手を当てる。

 

「……()()()

 

 呟いた言葉は。

 きっと、彼女が初めて得た類の感傷だった。

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