自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第29話 魔女の嘆き

 この世界にはしばしば、英雄になるべくして産まれる者がいる。

 例えば、ヘラクレス。

 始まりはギリシャ神話における最大の地母神ガイア。先のティタノマキアで自らの子どもたちをゼウスに幽閉されていたガイアは、新たに巨人族を生み出してオリュンポスの神々に戦争を仕掛けた。

 ギガントマキア。巨人族は神々には殺されないという特殊な能力を持っており、その中でも最強の怪物テュポーンには、ゼウスですら一度敗北を喫している。

 しかし、全知全能たる主神は来たる戦争を予見して、人間との間にひとりの子を成していた。

 それがヘラクレス。神々の切り札として投入された半神半人の大英雄は、ヒュドラの毒矢で次々と巨人族を打ち倒し、戦争を勝利へと導いたのである。

 全ては巨人族に打ち勝つために。

 ヘラクレスの運命は、神によって定められていた。

 ……テティスは、父より偉大な者を産むという予言を受けた女神だった。

 彼女が結ばれたのはアルゴノーツの一員でもある英雄ペレウス。アキレウスの父親である。

 アキレウスは出生以前よりペレウスを超える者としての予言を背負い、平凡な人間として長く生きるよりも、英雄として戦場で果てることを選んだ。

 戦場に生まれ戦場に死ぬ。そんなことを本気でやり遂げたのが、ヘラクレスやアキレウスという英雄だった。

 ───ペレアスは荒い息を吐きながら、剣の柄を握る手に力を加える。

 己の技を忘れたヘラクレスなら、まだやりようはあった。直線的で荒々しい剣撃は先読みはできる。強いからこそ、力の向きを変えてしまえば凌ぐことはできたのだ。

 だが、アキレウスは違う。

 経験に裏打ちされた彼の一撃一撃には全て意図がある。一度でもそれを読み誤れば手痛い反撃を叩き込まれる。そこに彼自身の技と俊足が組み合わさり、さらには不死まで有している。

 時間にして一分にも満たない攻防。

 アステリオスが創り出した迷宮の中にあって、アキレウスは相対する三体のサーヴァントを満身創痍にまで追い込んでいた。

 対して、アキレウスの肉体にはかすり傷ひとつ付いていない。不死性に阻まれる以前に、そもそも攻撃が当たらないのだ。

 彼は挑発するように眉を歪める。

 

「……もう終わりか?」

 

 真っ先に噛み付いたのはペレアスだった。

 

「まだまだ始まったばっかりだろうが、ちょっとばかし勝ってるからって調子乗ってんじゃねえ!!」

 

 ダビデは力なく笑い、

 

「これをちょっとと言うのは無理があるんじゃないかな? 現状、手も足も出てないし」

「でも、まだ、まけてない……!!」

 

 彼らの眼にはまだ闘志が宿っていた。

 アキレウスの足はサーヴァントの超人的な反射神経ですら嘲笑うように潜り抜ける。万が一攻撃を当てたとしても、不死ゆえにその身が傷つくことはない。

 逆転の望みはない。彼らの戦いは、いたずらに時間を引き伸ばすだけの負け戦に違いなかった。

 後ろに控える、魔術師さえいなければ。

 

「その通りだ、アステリオス。俺たちはまだ負けてねえ。こっからは反撃の時間だ」

 

 ぴん、と彼の親指に弾かれ、黄金の枝の鏃が宙を舞う。

 神殺しと不死殺しのヤドリギ。それが神であるなら、それが不死であるなら、どんなモノも殺し尽くしてみせる代物だ。

 女神テティスの子であり不死の肉体を持つアキレウスにとっては、ただの一撃で死に至る武器。彼は瞳に殺気を漲らせ、足を肩幅に開いた。

 

「言っただろ、そんなものは俺には当たらねえ。俺の足より遅えなら、ぶっちぎるか叩き落とすだけだ。馬鹿にしてんのか?」

「話はこれからだ。こんなもんが通用するとは俺も考えてない。一発ではな」

 

 だから、とノアは続けながら、自らの心臓に両手を突き立てる。

 その掌中にあったのは。

 

「───五十発分のヤドリギだ。これでも避けられるなら避けてみやがれ」

 

 黄金の鏃を中空にばら撒く。

 それらは空気に縫い付けられたように、ぴたりとノアの周囲に留まった。

 星群の如き輝きは、そのどれもが必殺を秘めている。

 五十という数は、いまのノアが用意できる限界の弾数だ。これを撃ち尽くせば、今回の戦闘ではヤドリギを使うことはできないだろう。

 アキレウスは薄く笑うと、槍を短く持った。

 

「良いだろう。その勝負受けてやる」

 

 じり、と石畳を踏み締める音がする。

 直後、流星雨のような黄金光が迷宮に躍った。

 壁と天井を重力でも無視しているかのように疾走し、槍が一度回れば必殺の鏃は黄金色の星屑と化して辺りに散る。

 アキレウスは迷宮の通路という狭所の不利を物ともしない。自由に走り回れない場所で戦った経験などいくらでもある。射撃の質も師匠であるケイローンのそれとは、比べることすらおこがましい雲泥の差だ。

 だが。

 

「お膳立て、ご苦労様」

 

 アキレウスが英雄となるべく産まれた者だとしたら、彼は王となるべく神に選ばれた者だった。

 彼は四人兄弟の末弟であり、戦争に出ていた兄三人とは違って、羊飼いをして暮らす穏やかな生活を送っていた。だから、鎧を着込んだ巨人が相手であっても、彼は羊飼いの作法で挑んだのである。

 愛用の杖と投石器。そして、拾った五つの石だけが、彼の運命を変えた武装であった。

 

「───私は万軍の主の御名によって、お前に立ち向かう」

 

 ダビデの手より、四度の投石が放たれる。

 それらは黄金の流星雨を掻き分けるように飛んだかと思えば、あらぬ方向に逸れていく。

 極限まで加速した世界の中、アキレウスは背中に冷感を覚えた。

 いまの攻撃は外れたのではない。外したのだ。

 全身が警告を鳴らす。必殺の流星が飛び交う死地に置かれながらも、アキレウスの直感はダビデへと全神経を傾けることを選んでいた。

 ──サムエル記上、第17章45節。

 〝だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう」〟

 

(この感じは、()()()と同じ──!!)

 

 不死の英雄アキレウスを打ち破ったのは、アポロンの加護を受けたパリスという弓手だった。

 ダビデもまた万軍の主、つまり神の名のもとにゴリアテと対峙したのである。彼がゴリアテを倒すために用いた本当の武器は石ではなく、神の御名であったのだ。

 奇しくもアキレウスがパリスと同じ殺気を感じたのは、神の威光を感じ取ったからか。

 羊飼いたるダビデの宝具は都合五度の射撃。その内、四度は彼の寛容を表し、敵への警告となる。

 本命は最後の一発。

 巨人ゴリアテをただの一投で打ち倒した石弾。

 その一射は───

 

「『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』」

 

 ───()()()()()()()()()

 ダビデの宝具だけならば、アキレウスが対応することは難しくはなかった。しかし、迷宮という地形の不利と降り注ぐ必殺のヤドリギがそれを阻む。

 全てはこの一撃のために。

 アキレウスの急所、すなわち踵が砕かれた瞬間。ペレアスは既に走り出していた。

 唯一残された人間の部分。アキレウスの踵は彼の不死性と比類なき俊足を支える礎だ。そこを打たれれば、彼は不死性と俊足を失う。

 ペレアスはそんな理屈を知っていた訳ではない。彼の体を動かしたのは、戦士としての嗅覚。機動力を奪われた敵に対して、あくまで追撃を選んだだけだった。

 けれど、彼は節理を知っている。

 弱点を突かれた不死者は例外なく死ぬ。その理を。

 横一直線に剣を振るう。

 斬撃はアキレウスの首元に滑り込み、

 

「『蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)』」

 

 パキン、と呆気ない音を立てて、刃が半ばから割れた。

 

「くっ…そ! テティスの盾か!」

 

 斬撃を阻んだのは盾。ヘファイストスによって鍛えられ、女神テティスが息子に与えた防具。ギリシャ神話における宇宙を図示した装飾が施されたその盾は、まさしく極小の世界そのものだ。

 ペレアスは思わず歯を軋ませる。

 

「……一体いくつ宝具持ってんだよ。オレにもひとつくらい分けろ、パトロクロスに鎧渡してただろ」

「よく知ってんじゃねえか。あれ以来他人に武具を貸すのは敬遠してんだよ。安心しろ、これで打ち切りだ」

 

 神が造り出したアキレウスの盾は強力無比。現状、盾の防御を打ち破れる可能性があるのは、それこそ神の武器であるトライデントくらいなものだろう。

 それでも、勝機は確かに生まれていた。

 攻撃が通らないのはアキレウスの盾であって肉体ではない。守りを潜り抜けさえすれば、ペレアスの刃であろうと傷つけることは叶うのだ。

 無論、アキレウスがそれを理解していないはずがない。

 戦車を、不死性を、俊足を失い残ったのは己が肉体と武装のみ。アキレウスに対する必殺と必中が揃っていたからこそ、彼をここまで追い詰めることができた。

 もしヤドリギがなく、ダビデもいなかったなら。ペレアスたちは成す術なく敗北していただろう。

 ペレアスは折れた剣を握り直し、アキレウスは槍を構え直す。

 

「防いだってことは不死は失われたんだろ。これで対等だ」

「ああ、お前たちは強い。そこは認めてやる」

 

 だが、とアキレウスは肉食獣のような笑みを浮かべた。

 

「勝つのは俺だ。そこだけは譲れねえ──!!」

 

 彼の爪先が地面を蹴ったその時。

 密かに、その宝具は開帳された。

 

 

 

 

「『不毀の極槍(ドゥリンダナ・ピルム)』」

 

 

 

 

 宝槍一閃。

 迷宮の壁を濡れた紙を突くように飛翔する刃槍は、ダビデの胸とアステリオスの脇腹をいとも容易く撃ち抜いた。

 サーヴァントの弱点である心臓を破壊され、ダビデは血を吐きながら膝をつく。アステリオスは比較的軽傷だが、動きは確実に鈍るだろう。

 

「っ、ぐ……僕を仕留めるために隠れていたのかい? 仕切り直しの隙まで狙って──」

 

 彼の目は槍が飛んできた方向を向いていた。迷宮の壁は刃の形に綺麗にくり抜かれ、数秒してようやく周縁にヒビが走る。

 崩落する迷宮の壁を無理やり蹴り破って、男は姿を現す。

 

「……そこの騎士と魔術師は致命傷を与えても殺せない。そして、アンタは炎の宝具で、あのアタランテさえも退けてみせた。現実的に、狙えるのは、狙うべきはアンタだけだったんだよ」

 

 鋼鉄の腕に槍が舞い戻る。

 彼はおどけるように肩をすくめて言った。

 

「アキレウスの踵を撃ち抜いたのは誤算だったけどな。誇れよ、史上それを成したのは俺の弟しかいなかったんだぜ」

 

 ヘクトール。彼はアリアドネの糸を使って迷宮を突破し、ダビデを穿った。どこか挑発するような口調はしかし、語気は真剣そのものだ。顔には陰が差し、目線は横へ逸れている。

 奇襲も搦め手もれっきとした戦術。戦場ではそれを咎める者はいない。ヘクトールが最もアキレウスを苦しめたのが、彼の駆使する搦め手だった。

 それでも、彼は人間だ。

 どれほど小さなさざ波であろうと、思わぬところがないとは決して言えない。

 ノアはダビデを一瞥すると、アステリオスの脇腹に手を置いた。くっつければ塞がってしまいそうな傷口は、ヘクトールの一撃が如何に鋭かったかを物語っていた。

 故に、治しやすい。薬草と鉱石を混ぜた秘薬といくつかのルーンを組み合わせた魔術的治療によって、アステリオスの傷が癒えていく。

 ノアは刺すような眼差しをヘクトールに突きつけた。

 

「不意打ちキメてご満悦か? 煽りてえならもっと憎たらしい表情でもしてみせろ。ここには誰も、おまえの戦い方にケチを付けるような奴はいない」

「ふっ、小僧が一丁前にオジサンに説教とはな。そういうことは酸いも甘いも噛み分けられるようになってから言いやがれ」

「ああん? こちとら酢昆布とマックスコーヒーで育ってんだよ。その次元は十年以上前に突破してる」

「……食い合わせ悪すぎだろ」

「食い合わせだの栄養だのを気にして生きてられるか面倒くせえ」

 

 それはそうと、と彼は前置きして、

 

「アステリオス、リベンジだ。俺とおまえでアイツを倒すぞ。……ダビデ、そこで見とけ」

「……も、うすぐ、死にそうなんだけど?」

「だったら尚更だ。気合で俺たちの戦いを見届けてろ」

 

 傷の具合も確かめぬままに、アステリオスは立ち上がった。

 数日前、自らの腕を切り落とした槍使い。エウリュアレを狙う敵であり、一度敗北を喫した男。そして今は、仲間の命を奪った者でもある。

 拳に満身の力を込めて。

 かつての怪物は、英雄に言い放つ。

 

「───おまえを、たおす!!」

 

 化け物でもなく、英霊でもなく、ただひとりの男として、彼は拳を振りかざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アトランティスの残骸島改め、愛の逃避行丸の沖合。

 コロンブスとドレイクたちが向かった戦場。そこは、魑魅魍魎が跋扈する魔の海域と化していた。

 蠢く海流。黒く濁った海のあちこちに渦が巻き起こり、その向こうから無数の眼光が輝く。

 海面を持ち上げる巨人の頭。船底を引っ掻く薄灰色の半人半魚。海より這い出る巨大な触手。人魚の美しくも狂おしい絶叫が空気を掻き回し、人間の正気を削り取る。

 さらには、それら化け物を産み出す、浮遊する女と屹立する魔神柱。アルゴノーツに残されたサーヴァントはメディアただひとりだが、戦力差は圧倒的だった。

 コロンブスとドレイクが駆る二隻が未だ落とされていないのは、ひとえに彼らの手腕によるもの。そして、魔神柱が未だ動かず、沈黙を続けていたためだ。

 フォルネウスはまるで眠ったように全身の目を閉じ、微動だにしない。

 海から襲い来る魔物に対抗するため、サンタマリア号の船員たちは休む間もなく駆けずり回っていた。絶えず砲弾の音が鳴り響き、それをかき消さんばかりの怒号が耳朶を打つ。

 そんな船の一室。船の荷物置き場である船倉の扉は、鎖と南京錠で閉ざされていた。その様相は魔獣の類が封印されていると思わせるほどに禍々しく、周期的に船の揺れとは無関係に扉が揺れていた。

 が、厳重な戸締まりでも限界はある。

 南京錠ごと木製の扉が吹き飛ぶ。もうもうと立ち昇る埃を押し退けて、ひとりの少女(めがみ)が大股で歩き出す。

 

「埃まみれだしネズミはいるし暗いしで、もううんざりだわ! 女神(アイドル)たる私をこんなところに閉じ込めておくなんて、どういう了見なのかしら!!」

 

 砲撃に船の修復に駆けずり回る船員たちを尻目に、彼女は甲板へと上がる。

 波が船体にぶつかって砕け、雨のように水滴が降り注ぐ。甲板の上には大砲が並べられ、絶え間なく火を吹く。

 自ら指揮を執るコロンブスは、剣を振り回しながら声を張り上げていた。

 

「オラァ! へばってんじゃねえぞダンテェ! ボッカの髪の毛をむしり取った時のバイタリティを見せてみろ!!」

「ひいいいいいいい! あの時はちょっと気が大きくなってただけなんです! 地獄の罪人だからマウント取っても良いと思ってたんです!」

 

 そう言いながら、ダンテは両脇に砲弾を抱えて走り回っていた。彼はサーヴァントながらも、一般的な魔術師にも劣る戦闘力しか持たない。

 その代わりに宝具は魔神柱でさえ単騎で倒し得るが、それを発動するための詩の書き溜めはヘラクレスとの戦いで消費してしまっていたのだった。

 仮にもサーヴァントが砲弾運びに尽力する姿を見て、エウリュアレはどんよりと肩を落とす。

 

「……あなた、本当に魔術師(キャスター)のサーヴァント? もっと魔術とか使いなさいよ」

「私は魔術と呼べるものは宝具くらいしか──ってエウリュアレさん!? どうしてここに!?」

「はあ? 乙女をあんなところに監禁しておいて、どうしても何もないでしょう。見たところ劣勢のようだし、私も加勢するわ」

「そう言われましても……」

 

 口ごもるダンテの頭上に影が落ちる。次の瞬間、彼の眼前にドレイクが降り立った。彼女は顔に付着した汗と海水を拭い、

 

「こりゃ駄目だね。まともに攻めても埒が明かない。あのどデカい悪魔が動き出したら一貫の終わりだ……あれ、なんでエウリュアレが出てきてんだい?」

「そのくだりは今さっきやりましたね。聖櫃に神霊を捧げるとこの時代が消滅する……なので、聖櫃とエウリュアレさんを引き離してしまおうという作戦だったのですが」

 

 エウリュアレがサンタマリア号の船倉に押し込められていた理由は、ダンテの言った通りだった。

 聖櫃を爆弾とするなら、エウリュアレはそれを起動させる鍵。その二つを同じ場所に置くのは、金庫の扉に暗証番号を書いた紙を貼り付けるようなものだ。

 だから、別々の場所に保管する。そのこと自体は理解できたのだが、エウリュアレはどうしても納得できない不満を抱えていた。

 

「……私、何も説明されなかったんだけど。カルデアのマスター連中はどうなってるのよ」

 

 そう、彼女はノアと立香の二人から説明も受けないままに船倉に閉じ込められたのである。

 ダンテは思い当たる節があるのか、苦々しい表情で答えた。

 

「ノアさんが言うには、〝あの高飛車女神が汚い船倉に進んで入ると思うか? 文句言われる前にブチ込むぞ〟とのことで……」

「そりゃそうだな」

「なるほどね」

「なんで納得されてるわけ!? よりにもよってこんなダメ人間たちに!」

 

 大型犬に喧嘩を売るチワワのような形相になったエウリュアレ。今にも飛びつきそうな彼女の機先を、ドレイクは言葉で制する。

 

「ま、出てきたならそれはそれで良いじゃないか。ここまで来たら隠しておく利点もないだろう?」

 

 彼女の意見に、コロンブスも頷いた。

 

「確かにな。幸いなことにこいつはアーチャー、遠距離攻撃はお手の物だろ。海の戦いで使わない理由がねえ」

「ええ、私もその通りだと思いますが」

「なんだい、歯切れが悪いね。何か引っ掛かることでもあんのかい?」

 

 ぎくり、とダンテは古典的な反応を示した。彼は頭を抱えて数秒葛藤すると、吹っ切れて喋り出す。

 

「前々からずっと思ってたんですけど、年端もいかない少女が戦うのはどうかと思うんですよね!?」

「ああ? そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。女だろうが男だろうが、若者だろうが老人だろうが戦わなきゃ死ぬ。今はそんな状況だ」

「そうさね。ダンテの理屈は平時に通用するもんだ。それにエウリュアレは女神サマで、アタシらよりもずっと年上だろうし、立香たちのことを言ってんならそりゃあの子たちに失礼じゃないかい?」

 

 コロンブスとドレイクの二人から反駁を受けるが、とっくにダンテのブレーキは故障していた。

 

「いえ、お二人の全く仰る通りなのですが! 戦場って滅茶苦茶恐ろしい場所じゃないですか! 私なんか戦争に行く前日は産まれたばかりの長男と妻を両脇に抱いて泣きながら白目剥いて寝ゲロしましたからね!」

「「「…………」」」

「なんですかその目は!?」

「情報が多いのよ! 泣くか吐くか白目剥くかどれかにしなさい! 危うく脳がパンクしかけたわ!」

 

 エウリュアレは深くため息をつく。

 ダンテの主張は、彼自身ですら悠長であると理解している。が、感情を理性で抑え込めるなら世界はもう少し平和になっているだろう。

 矛盾の根底。そこにあるものが何か、彼が言葉に出力しようとしたその時、エウリュアレは弓を構えていた。

 

「あなたにも思うところがあるんでしょう。そこは共感してあげなくもないけれど、私たちが、あなたたちが戦ってる理由は何?」

 

 答えを待たず、彼女は告げる。

 

「私たちは所詮、過去の亡霊よ。だから、未来へ歴史を繋げるために私は戦うわ。───女神として、信仰する人間がいないのは寂しいでしょう?」

 

 弓の弦がみしりと音を立てる。鏃は群れる魔物の後ろ、メディアを指し示していた。

 少女は桜色の唇を歪める。

 

「未来も過去も必要ありません。人類史はここで終わる」

 

 ヘリオスの孫であるメディアは、黄金色に発光する瞳を持つとされている。それが象徴するのはまさしく太陽であろう。

 太陽は昇り沈むことから不死性を見出され、広く信仰を集めた。

 彼女の瞳が表すのは曙光か落陽か。

 風に揺られた森の木々がざわめくように、水妖は猛り狂う。

 

「…………この世から苦しみを無くす方法を知っていますか?」

 

 その問いとともに、海魔の波が放たれた。

 両船へ襲い掛かる怪物の勢いは一層激しく、数を増した。コロンブスは、ドレイクは、エウリュアレは、各々の得物を躍らせ、視界に映るそばから敵を排除していく。

 ドレイクは半魚人の脳天に銃弾を叩き込みながら吼える。

 

「知らないねそんなことは! そういうのは学者連中の領域だ、アタシら海賊に問うのはお門違いだろう!?」

「ダンテ! テメェなら神学も齧ってんだろ、キリスト教の素晴らしさを教えてやれ!」

 

 コロンブスの提案に、ダンテはだらだらと冷や汗をかきながら、

 

「えーと、神義論と弁護論のどちらの立場を取るかでその回答は変わるのですが、どちらも既に強烈な反論が存在しますし、かといって抗議の神義論を持ち出したとしても結局は精神論に行き着くので、ヨブ記みたいにお茶を濁すしかないというか、そもそも論を構成するために神の方を歪めてしまうのが私としては受け入れがたく……」

「つまりどういうことなのよ!?」

「世界から苦しみを無くす方法はありません!」

「「駄目じゃねーか!!」」

 

 コロンブスとドレイクは声を揃えて嘆いた。全知全能なる唯一神がなぜこの世に悪が存在することを許すのか、それに対する答えは未だ出ていないのだ。

 メディアはくすりと微笑む。反面、彼女の眼は暗く落ち込んでいる。

 

「未来でも結論は出ていないのですね。でも、簡単です。全人類全生物が突然、予告なく消滅すればこの世から苦しみはなくなる。そう思いませんか?」

 

 メディアがにこやかにそう言ってみせると、四人はぽかんと口を開けて、顔を見合わせた。

 

「え〜、それは……どうなの?」

「いや、アタシに訊かれても」

「人類補完計画のパチモンか?」

「苦しみだけを無くす方法って感じがしますね」

 

 そもそも、とコロンブスは切り出す。

 

「新大陸を発見した前人未到の大英雄コロンブス様の偉業が語り継がれねえ世界に意味なんてねえよ!! テメェの盛大な自殺に俺たちを巻き込んでんじゃねえ!」

「征服者は言うことが違いますね。あなたのせいで何万人もの先住民が非道な扱いを受け、惨たらしく殺された。そのことに呵責すら覚えないのですか」

「覚えねえなァ! 商人が利益を追求するのは当然だろうが。金になるなら神だろうと利用し、踏み潰すのが商人だ! 俺がやらなくても、他の誰かがあの大陸を見つければ同じことをする! だからって棚上げする気はねえけどな、俺はたまたまその葛藤がなかっただけだ!!」

 

 全身に力を漲らせ、彼は唱えた。

 

「それになあ、世界滅ぼそうって悪党が大層な方法論語っても聞く耳持たねえよ──『新天地探索航(サンタマリア・ドロップアンカー)』!!」

 

 無数の鎖が船体より展開される。

 煤けた白銀の鉄鎖が海魔の胴体を縛り上げ、大砲の如く突き進む錨が触れたそばから魔物の肉を砕き散らす。

 アルゴー号を守る敵の群れに風穴が生じる。コロンブスとドレイクが率いる両船はその空隙を潜り抜けようと船を走らせた。

 将が討たれる危機にも関わらず、魔神柱は沈黙を保った状態で鎮座している。

 

「おい、あの気色悪い大根モドキはどうして動かない。罠か?」

「そんな回りくどいことせずに、素直に私たちを叩き潰せば良かったじゃない。動けない理由があるはずよ」

「そうですねえ。私は一度アレに変身したので、思い当たる部分はあるのですが」

「経験者は語るって訳かい。勿体ぶらずにさっさと言いな」

 

 そこで、ダンテは説明した。

 魔神柱への変身とは魔神を自らの肉体に降ろすのだから、すなわち霊を外部に呼び出す喚起魔術の反対、召喚魔術の延長線上にある。

 喚起・召喚魔術の根底にあるのは術者の目的を履行すること。術者と被召喚者の関係は契約で結ばれ、必要に応じて代価を支払わねばならない。

 モーセの十戒やダビデの契約など、両者の間で取り決めた約束事は絶対の唯一神ですら縛ることができる。

 しかし、それには両者の合意があることが前提となる。自分が認めたという事実が、魔術的に術者たちを拘束する儀式となるのだ。

 

「あの魔神柱の依り代となった人……おそらくイアソンさんは、合意無しに変身させられたのではないでしょうか。そのせいで、どちらが主導権を握るかが定まっていない」

「つまり、今は絶好の大チャンスってことね!」

「そうです。このまま爆進しましょう!」

「いいや、大砲の射程圏内に入った。このままアルゴー号を沈めるよ!」

 

 ドレイクの号令が飛ぶ。

 直後、全ての砲門が同時に火を吹いた。

 アルゴー号を覆うように薄紫色の障壁が展開される。

 砲弾のことごとくはそれに阻まれ撃ち落とされるが、すり抜けたいくつかの爆風がアルゴー号を揺らした。メディアは目元を庇うように腕をかざした。

 

「くっ…! さすが、イアソン様。まだフォルネウスに主導権を渡していないとは───ですが、私にはアカモートがいます!!」

 

 フォルネウスが本領を発揮すれば、向かう敵は一掃できるだろう。だが、コロンブスたちは今や艦砲射撃が届く位置にまで接近している。

 メディア自身、援護や治療には向くが直接戦闘はこの年齢では心許ない。船への侵入を許せば、勝てる見込みは薄いだろう。

 アカモート。その名を聞いて、ダンテだけが戦慄した。

 

「…アカ、モート!? そうですか、やはり知恵の女とは───!!」

 

 そこで、空に留まり魔物を産んでいた女は、その生産を止めた。

 代わりに、澄んだ紅の唇を静かに動かす。

 

「『───始原の闇に浮かびしピュシスの門よ。デルデケアスの指先に触れ、その(まなこ)を現せ』」

 

 鈴を転がすような、玲瓏たる声。

 にぢゅり。濡れそぼった肉を割り開くように、彼女の背後から漆黒の瞳が浮き上がる。

 太陽を塗り潰すかの如き漆黒の門は、光でさえ吸い込んでしまいそうなほどに暗い極小の天体だった。

 

「『Phorbea(フォルベア)Chloerga(クロエルガ)』」

 

 彼女が呼んだのは、風と悪霊の名。

 暗黒天体より異界の空気が流れ出す。それは激しい勢いを伴って豪風と化し、敵味方問わず彼方へと吹き飛ばしていく。

 続いて、海中より病的な灰白色をした亡霊が泡のように溢れ出す。

 海に落ちれば、待ち構える悪霊に全身を引き裂かれて魂までも食い物にされるのだ。

 アカモートは無造作に右手を薙ぐと、その軌道に追随して風の鉄槌が巻き起こった。

 それはサンタマリア号の帆をいとも容易く食い千切った。折られた帆はそのまま数十メートルは飛翔し、ようやく墜落する。

 海中へと沈んでいく帆に亡霊たちは群がり、ものの数秒で跡形もなく分解されてしまう。

 コロンブスは思わず舌打ちをする。

 

「お、俺の船がァーッ!! くそっ、お前らあの浮かんでる全裸女をぶち落とせ! いや良い、やっぱ俺がやる! やらないと気が済まねェ!!」

 

 そう言って、自ら大砲の照準を合わせて火をつけようとする彼を、ダンテとドレイクは止めに入った。

 

「ちょっと、落ち着いてくださいコロンブスさん! 空に向けて大砲撃っても当たりませんって!」

「そうさ、ここはアタシとエウリュアレに任せておきな!」

「うるせえ! 今日という今日は完全にトサカに来たんだよ! 藤岡弘探検隊でももう少し配慮すんぞバカヤロー!!」

「藤岡弘探検隊はむしろ配慮(ヤラセ)の塊では!?」

 

 と、ダンテがツッコんだ隙に振り払われる。

 懐から取り出したマッチに火をつけ、それを導火線に触れさせる。その瞬間、コロンブスを中心に爆発が起こった。

 

「ぐわああああああ!!」

 

 ぷすぷすと黒焦げになって焼き出されたコロンブス。その姿を見て、三人は絶句する。

 

「えええええ!? こんな時に暴発とかあります!? 幸運EXなのに!」

「あなたの幸運Eが移ったんじゃないの!?」

「こんな大シケであんな爆発が起きるわけないだろ、アレを見な!」

 

 ダンテとエウリュアレはドレイクに頭を掴まれ、ぐるりと回された。

 魔の尖塔、フォルネウスは徐々にその目を開き始めていた。魔術的契約が不完全であろうと、主導権を奪い合うのは当人同士の精神力に委ねられる。

 元より、サーヴァントと魔神柱では霊基の格が違う。むしろイアソンがここまで持ち堪えたことが奇跡であり、フォルネウスの覚醒は当然の帰結であった。

 ダンテは歯噛みする。

 

「爆発はあの魔神柱の攻撃ですか……これは万事休すですね」

 

 アカモートだけならば、届く可能性はまだあった。が、魔神柱が機能を果たす以上は、圧倒的に手が足りない。

 メディアは塩水に濡れた髪を掻き上げて、口端を引き裂くような笑みを浮かべた。

 

「…………いける。これで女神を捕縛し、アタランテたちに加勢すれば勝てる。漂白された人類史のシミ、カルデアを滅ぼして魔術王の偉業は完全なものになる。逆転される可能性は万にひとつもない───!!」

 

 恋を初めて知った乙女のように、心臓が跳ね上がる。

 これは、メディアという人間が初めて自らの手で選び、成し遂げる仕事だ。

 神に運命を仕組まれた少女が、天に中指を突き立てる。この叛逆の成功の他に、彼女が求めるものは何もなかった。

 この世界には、もはや神の栄光も人間の叡智も残ることはない。

 彼らは、彼らの愚かしさによって滅びるのだ。

 

「万にひとつもない、ねえ。それはそれは、大きく出たじゃないか」

 

 けたけたと笑う女海賊がいた。

 それを、魔女は冷徹な視線で貫く。

 

「奇跡でも起こしますか、嵐の航海者」

「いいや、奇跡ってのは起こすもんじゃない。誰がどうあがいても起きちまう、そんなもんさ」

「それは奇跡とは呼べない。何をしても起こるというなら、必然と呼ぶべきでしょう……このように」

 

 呟き、メディアの手繰る杖が燐光を発する。

 その瞬きに呼応して、フォルネウスとアカモートを中心に黒い魔風が席巻する。空を埋め尽くすほどの風。それを一点に凝縮し、撃ち出す。

 サンタマリア号と黄金の鹿号の二隻は半ばより真っ二つに切断され、無数の木片が宙を舞った。

 

「……ほら、起きない」

 

 起こるはずがない。

 捨てられたあの時だって。

 誰も助けてはくれなかったのだから──!!

 

 

 

 

 

 

「それではいきますぞい! 『アン女王の復讐(クイーンアンズ・リベンジ)』!!」

 

 

 

 

 

 

 後方より、砲弾の雨が魔神柱に降り注ぐ。

 

「──は?」

 

 ……だから。

 それに名をつけるとしたら、必然だった。

 黒雲渦巻く空に、軽薄な笑い声が響く。

 

「デューーーフフフフフフフフ!! おい見てっかァヘクトールくゥん!! 今からおまえの主人ぶっ倒すかんな! 泣いたり笑ったりできないくらい後悔させてやらァァァ!!!」

「小物過ぎて引きますわ!」

「もうこいつ置いてかない?」

「あぁ〜メアリー殿とアン殿の罵倒も今は気持ち良い〜! あ、野郎共は溺れてるサーヴァントを回収な。1分以内にやんなかったら鼻そぎ落としの刑で。特にエウリュアレたんは丁重に扱えよ、ラッキースケベとか許さねえからな」

 

 パワハラ極まりない黒髭の号令によって、彼の船の船員は亡霊蠢く海に飛び込んだ。砲撃の余波でいくらか減っているものの、命懸けには変わりない鬼畜の所業である。

 ダンテはレイシフト前に受け取っていたダ・ヴィンチちゃん特性浮き輪を駆使して、いち早く黒髭の船に乗り込む。

 エウリュアレも船に引き上げられる。船首に立つ黒髭を見ると、彼女は表情を凍りつかせた。

 両腕と大きくはだけた胸。それらは確かにヒトの形を取っているものの、その色と質感はまさしく鋼鉄。つるりとした金属が黒髭の体と混ざり合い、本来の機能を為している。

 絶賛気絶中のコロンブスの他三人は、そんな黒髭の姿を見て、思わず言葉を失う。しかし、彼はどんな勘違いをしたのか、気恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

「え、なに? 拙者そんなにイケメン? モテ期来ちゃったコレ?」

 

 ダンテたちは視線を合わせる。

 

「えーと、作戦前にアルテミスさんから説明受けましたよね。なんでしたっけ」

「あれだよ、トライデントを直すために必要だっていう……テオスなんちゃら」

「テオス・クリロノミアでしょ。確か金属としてだけでなく、万能薬的な役割も果たすっていう」

 

 つまり、黒髭が受けた致命傷はすべてテオス・クリロノミアによって補修されたということなのだろう。

 彼とヘクトールが漂流していたアトランティスの残骸は、まさしくテオス・クリロノミアを保管していた区画だった。黒髭はそれを知る由もないだろうが、事前にアルテミスから説明されていたダンテたちは推理することができた。

 ドレイクは拳銃から水を抜きながら、

 

「トライデントを直せるかもしれないってだけで今は十分だ。後のことはここを切り抜けてから考える!」

「一隻の海賊船程度……フォルネウスとアカモートなら!」

 

 メディアが吼え、従属する二柱が動く。

 先程サンタマリア号と黄金の鹿号を薙ぎ払った風の一閃。それを、黒髭の海賊船は真正面から受け止める。

 宝具『アン女王の復讐(クイーンアンズ・リベンジ)』は搭乗している仲間の力量に比例して、その性能が強化される。総勢七名のサーヴァントを抱えたこの船が堕ちる道理はなかった。

 

「おいおい、そんなそよ風でこの船のATフィールドが破れるとでも!? せめてロンギヌスの槍でも持ってきやがれ!」

「なぁにひとりでイキってんだい。さっさと船を近付けな。メディアを討ち取れないだろ」

「う、うっせえBBA! 俺が気持ち良くなってる時に割り込んでくんなって言っただろうが!」

「自家発電を母親に見られた中二男子みたいなことを言わないでくださいます?」

 

 メディアは歯ぎしりする。フォルネウスとアカモートの攻撃は、決して無効化されている訳ではない。単純に船の防御力で耐えているだけだ。

 だとしても、堕とすのにあと何発必要なのか見当もつかない。

 撤退。その二文字が頭をよぎり、一瞬にして否定する。

 がり、と親指の爪を噛む。

 

(誰も助けてくれない。今ここにある手札でどうにかするしかない)

 

 だというのに、なぜだろう。

 ───イアソン様、こんな時はどうすれば良いのですか。

 切り捨てたはずの男に、助けを求める声が絶えないのは。

 そして、ふと気付く。自らの身に迫る凶刃に。

 思考を挟む間もなく、反射で身を躱す。肩口を深く切り込まれた痛みに、狭窄していたメディアの視界は一気に広がった。

 銀の髪を揺らした男装の少女。メアリーはカトラスに付いた血を払いながら、メディアを睨めつける。

 

「……次で仕留める」

「くうっ──!」

 

 近接戦闘での勝ち目はない。咄嗟に踵を返した瞬間、彼女の右脇腹と左足に弾丸が直撃した。

 銃口より立ち昇る硝煙。アンとドレイクの二人が、背後にいた。

 傷口に灯る熱感は、すぐに痛みへと転じる。

 メディアは背を丸めるように倒れ込み、激痛を託すように杖を握りしめた。

 

「ぐ、ううううう!! アカモート……あか、もーと。私のめがみさま、わたしをおたすけください!!」

 

 悲痛な叫び。能面を保ったままのアカモートはしかし、右目から一筋の涙を流す。

 落涙。その一滴が海に落ちると、たちまち海流は荒れ狂い、強烈な嵐が訪れる。

 アルゴー号に乗り込んだドレイクたちの頭上には雷撃が落ちる。彼女らは転がるようにそれを避けるが、立つことは叶わなかった。

 巨大な水流の手に船体そのものが持ち上げられ、垂直に傾いていく。

 ドレイクたちが振り落とされるまでの数瞬。

 エウリュアレは矢を番えて、アカモートを狙った。

 

(風が強すぎる。まともに狙っても当たらない。──けれど、当ててみせる!)

 

 天候と海を操るアカモートさえ倒せば、ドレイクたちは即座にメディアを討ち取るだろう。

 彼女が手を打つ隙もない。エウリュアレは渾身の魔力を込め、

 

「『女神の(アイ・オブ・ザ)───」

 

 だが、あと一手届かない。

 宝具を解放する、その隙を。

 フォルネウスの熱光線が突き刺す──────

 

 

 

「……()()、足りましたね」

 

 

 

 ────はずだった。

 ダンテはエウリュアレを押し退け、光線をその身に受ける。

 肩から右手の先にかけてが蒸発し、傷口は焼かれて流血すらなかった。

 ダンテは政争に巻き込まれ、生まれ育ったフィレンツェを追放された。後に彼の子息までもがその対象となり、家族が再び生活を共にできたのは、ダンテが亡くなる三年ほど前のこと。

 大人の戦いに子供を巻き込む。次世代に重荷を被せることは、罪でしかない。

 彼が駄々をこねたのはそのためだった。

 立香やマシュ、ノアも含めて。

 彼らを二度と不幸な目に遭わせない。

 それが、今のダンテの戦う意味だった。

 

「褒めてあげるわ」

 

 エウリュアレの唇が弧を描く。

 

「───『女神の視線(アイ・オブ・ザ・エウリュアレ)』!!!」

 

 女神の矢が、アカモートを射抜いた。

 風船を針で突くように呆気なく、アカモートは実体を保てなくなり弾け飛んだ。

 それと同時に水流の手が消え失せ、空に蓋をする黒雲も眩いばかりの青さを取り戻す。

 血に塗れた体を引きずりながら、メディアは自らの唇をぶつんと噛み切った。

 ──敗けた。

 魔神柱の妨害が届く前に自分は殺される。

 額に突きつけられる鉄の感触。目線を上げると、そこではドレイクが銃口を差し向けていた。

 

「……最期に言い残すことはあるかい」

 

 メディアは、ぽつりぽつりと呟く。

 

「命の価値は平等だと思っていました」

 

 コルキスの魔女の最期。

 イアソンに裏切られたメディアは神々を面罵し、夫の再婚相手とその父、そして二人の自分の息子を焼き殺した。さらにはコリントスすらも灰にした後、彼女は荒野を彷徨い続けるのだ。

 けれど、彼女はついぞイアソンを手にかけることはなかった。

 全てを失ったイアソンは放浪の末にアルゴー号の下敷きとなって死んだのである。

 なぜそうしたか、今の自分には分かる気がした。

 この世には、死ぬより辛いことなどいくらでもある。ありとあらゆる生の苦しみを夫に与えることでしか、その復讐は果たされなかったのだ。

 

「でも、違った。信じた人ですら簡単に私を切り捨てる」

 

 命の価値が平等だなんて戯言は、どこの誰が宣ったのだろう。

 私にできるのは、その人ができるだけ苦しんで死んだことを祈るだけだ。

 

「命の価値が平等なんじゃない。命は平等に無価値なんです。だって、そうじゃないと、あの人が私を捨てられる訳がない」

 

 故に、切り捨てた。

 カルデアを利用してヘラクレスを始末し、アタランテを説得し、イアソンを魔神柱へと変えた。

 命は平等に無価値だ。だから、そうすることに何ら罪悪感を覚えはしなかった。

 ───ああ、そうか。人が人を捨てるとは、こんな気分なのか。

 その時の心の有り様はきっと、機械に似ていた。

 与えられた命題に疑問を覚えず、ただ解決するのみ。無駄な部分は削ぎ落として、切り捨てる。

 それでも。

 だとしても。

 彼女は、人間だった。

 

「───寂しい。そう、寂しいです。過去(いま)の私がひとりぼっちを経験するのは、初めてだから」

 

 人間が機械のフリをしても、いつかボロが出る。

 何をも捨てた後に残っていたのは、ただその感情だけだった。

 ドレイクは納得したように微笑んだ。

 

「……そうかい。じゃあ、それがアンタへの罰だ」

 

 かちり。

 どこまでも広がる青空に、一発の銃声が響き渡った。

 

「ごめ……さい。やっ…り……、んなと、いっしょに─────」

 

 金色の粒子となって、彼女の体は風へ運ばれていく。

 

「もし次会うときがあったら、酒でも飲みながら愚痴くらいは聞いてあげるよ」

 

 ドレイクは踵を返し、魔神柱を見やる。

 決意を表明すべく、彼女は言った。

 

「そろそろ、この戦いも終わらせようかねえ」

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