自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第30話 此れは、彼の為の英雄譚

 アタランテを下した後、立香(りつか)たちはもう一方のノアが指揮する戦場へと急行していた。

 元々、二つの戦場の距離はそれほど離れてはいない。サーヴァントの足なら時計の秒針が一周する前に辿り着ける位置だ。

 彼女たちの道を阻むのはアステリオスが展開した迷宮だけだったが、それも今は解除されている。その理由は二つ。ひとつは味方との合流を円滑にするため。

 そして、

 

「アステリオス、念話を繋ぐぞ。合図にあわせて突っ込め」

 

 アステリオスはこくりと頷き、地面を蹴り出す。

 向かう先はヘクトール。彼は腰をためて槍を低く構え、迎撃の姿勢をとる。一方のアステリオスはただ拳を握り締め、一直線に疾駆する。

 その道を彩るように、無数の紫電が迸った。

 空気を焦がす異音。オゾンの異臭が辺りに満ちる。人体程度なら一瞬で炭にする雷電も、ヘクトールにとっては目くらましに過ぎない。

 彼の対魔力はBランク。これは大魔術や儀礼魔術に相当する威力でないと傷付けられないことを意味している。現代の魔術がかろうじて通用する最後の一線。たとえ直撃したとしても、その命を奪うことは叶わないだろう。

 

(だが、俺から詰めるのは愚策だな。万が一にも雷撃で隙を作られたら、あの拳を受けて生きていられるはずがない)

 

 彼は掬い上げるように槍を振り抜いた。長物の振りの速さは遠心力を伴い、拳のそれを優に超える。ましてや槍の英雄であるヘクトールの振りは、音速を遥かに超える速度で放たれる。

 首元を刈り取る斬撃。しかしてアステリオスは、上体を僅かに逸らすことで刃をやり過ごす。

 

「『瞬間強化』」

 

 ノアの一言と同時に、アステリオスの右腕が魔力の灯を帯びる。彼は一切の迷いなく、その拳を叩きつけた。

 ヘクトールは咄嗟に槍の柄で殴打を受け止めるが、踏ん張ることも叶わずに体を吹き飛ばされる。

 槍の穂先を地面に突き立てることで、ようやく彼は地上に足をつけた。その途端に、口端からどろりと血が流れ出す。

 魔獣の怪力をさらに底上げした拳の威力は、生半可な防御で無効化できるものではなかった。全身の骨格を軋ませるかのような衝撃に、ヘクトールは眉根を寄せる。

 先程の攻防でアステリオスが見せた動きは今までにないものだった。

 反応で避けるのみだった以前とは違い、完全に敵の行動を読んだ上での回避。狂化によって理性の大半を失ったバーサーカーにはできない動作だ。

 ましてや、アステリオスは生前多くの人々に恐れられた反英雄(かいぶつ)。人外の暴威を撒き散らす戦法は、英雄の武技とはかけ離れている。

 

「火だの雷だのを出すだけが魔術じゃねえ。精神に作用する瞑想法を応用すれば、狂化もいくらかは抑えられる。その分ステータスは下がるがな」

 

 かつてエレナ・ブラヴァツキーが設立した神智学協会の一員、アレイスター・クロウリーはヨガを実践魔術に取り入れた。西洋魔術において内界に働きかける瞑想術は、近現代に体系化されたものなのだ。

 ノアは念話を介して精神を繋げ、瞑想法を行うことでアステリオスの理性を一時的に取り戻させた。あくまでほんの一瞬、狂化を和らげるだけの効果を活かしたのは、紛れもなくアステリオスの成果である。

 一度は負けた。

 だが、今の彼には共に戦う者がいる。

 それはヘクトールにはないアドバンテージだった。

 

「リーダー!」

 

 畳み掛けるように、立香の声が響く。

 数日前に刃を交えた三人の少女らの姿を認め、ヘクトールは深くため息をついた。

 三人がここにいるということは、アタランテが負けたことを意味する。ヘクトールはここから戦況を巻き返さなくてはならないのだ。

 ノアは敵に視線を合わせながら、立香に言った。

 

「……助かる。よくやった」

 

 素っ気なく、短い称賛。しかし素直なその言葉に、立香は表情を綻ばせる。

 

「──はい! 一緒に勝ちましょう」

「ああ。オリオンとアルテミスはどうした?」

「思ったよりも魔獣が上陸していたので、その掃討に当たってます。援護はあまり期待できないかもしれません」

 

 アカモートが産み出した亡霊はこの島にまで到達していた。悪霊の大群に乱入されれば、戦うどころの話ではなくなる。そのため、オリオンとアルテミスは迎撃を買って出たのだった。

 とはいえ、アルテミスはアタランテに傷を負わされた身だ。この場にいたとしても、精々牽制程度の射撃にしかならなかっただろう。

 ジャンヌは鼻を鳴らして、前に進み出る。

 

「援護なんかいらないわ。そこのアホ白髪に代わって私たちが全員倒して終わりにしてあげる」

「おまえも白髪だろ魔腐女子」

「はあ? アンタなんかと一緒にされたくないんですけど!」

「先輩。アホ白髪の二人は置いといて、わたしたちで敵をやっつけましょう」

「「おい」」

 

 ヘクトールは気の抜けるやり取りを見て、すとんと肩を落とした。

 彼らは整然とした同質性を強さの基幹とする軍隊とは、一風変わった気質だ。トロイア戦争の時代なら間違いなく上官に殴り倒されていただろう。

 それは、思考から排除していたこと。

 今回の敵はまだ、子供なのだ。

 その時、ヘクトールは気付く。自らの心体を縛っていた鎖──メディアとの契約が切れたことに。

 ペレアスと斬り結んでいたアキレウスは、そこから離脱してヘクトールの隣に立つ。

 

「メディアとの契約が切れた。俺は好きにやるつもりだが、アンタはどうする」

「……まあ、普通に考えれば勝ち目は薄いよな。それに誰がどう見ても悪役は俺らだ。聖櫃と女神使って世界を滅ぼそうってんだからな」

 

 アキレウスは微妙な顔をして、

 

「確かにそりゃ正論だな。面白みに欠けるが」

「オジサンはお前みたいのと違って常識人なんです。降伏が受け入れられるならしたい気分だ」

 

 そう愚痴をこぼすヘクトールに反応したのは、ペレアスだった。彼は折れた剣を振り回して言い放つ。

 

「こんな中途半端なとこで終われるか! 折角ならオレたちにぶっ倒されてから降伏しろ!!」

「先輩、素直に降伏させておけば良いのに、ペレアスさんが余計なこと言ってます!」

「くっ、これだから無名騎士は!」

 

 ペレアスの背中にマシュと立香の言葉の刃がどすりと突き刺さる。彼の宝具は致命傷を無効化できるが、心の傷までは防げなかったらしく、密かに悶絶した。

 何にせよ、これで刃を交える以外の選択肢はなくなった。不満げにため息をつくヘクトールを尻目に、アキレウスは言う。

 

「正論好きなアンタにひとつ教えといてやる」

 

 槍を握る手に力が入る。

 

「俺たちに負けるような奴らが世界なんて救えるか?」

 

 ヘクトールは笑い、

 

「……仕方ねえ。乗ってやるよ」

 

 そうして、トロイアとアカイアの両雄は並び立つ。

 彼らは、ともに両軍で最強と謳われた英雄だ。トロイア戦争の激戦を彩ったこの二人の強さは、どんな敵の前でも色褪せはしないだろう。

 ひとりは、全てを貫く槍を。

 ひとりは、誰よりも疾い足を。

 決して交わらぬはずの二人はいま、

 

 

 

「「───()()()()()()」」

 

 

 

 初めて、肩を並べたのだった。

 瞬間。目眩く炎が、拳が、斬撃が躍りかかる。

 けれど、そのどれもが痛痒を与えるには至らない。竜の息を放つに等しいジャンヌの火炎も、世界そのものであるアキレウスの盾の前には小火に過ぎない。

 息を合わせたように、二人は踏み込む。

 数の差は明白。しかも敵はそこらの雑兵ではなく、全員が人々に認められた英霊だ。たとえ一対一であったとしても生半可ではない相手を前にしてなお、彼らは攻めることを選んだ。

 そこには一切の計画も打算もない。ただ自身の技の赴くままに、槍を振るう。

 殺し合ったからこそ分かる、互いの呼吸。どこをどう狙い、何をしたいのかが合図するまでもなく手に取るように感じられた。

 だから、アキレウスとヘクトールに死角は存在しない。彼らが繰り出す武技はあまりにも流麗。ペレアスの剣が、アステリオスの拳が、目を向けるまでもなく捌かれる。

 それどころか、数で上回るはずの相手を防戦に回らせてさえいた。

 喩えるなら、四方に鋼の壁を張り巡らせた要塞。どこにも弱点はなく、攻めればそこから撃ち返される。

 だが。

 炎を纏いながら、ジャンヌは駆け出す。

 

「マシュ! 守ってたらこいつらの思う壺よ、攻めなさい!」

「ですが、先輩とリーダーの守りを外れる訳にはいきません」

「攻撃は最大の防御! いざとなったらアホ白髪が立香の盾になる、これで良いでしょう!?」

「いや、それはさすがに……」

 

 立香は苦笑いを浮かべる。確かにノアは滅多なことでは死なない体を持っているが、ジャンヌの提案は暴論に等しかった。

 しかし、ノアは至って平静に首肯する。

 

「あいつら相手にキリエライトを遊ばせておく余裕はない。どっちにしろおまえらが抜かれれば俺たちは終わりだ。それに、こいつも俺も自分の身くらいは守れる」

「そうだよ、マシュ。私たちのことは心配しないで。私もリーダーも、そんなにヤワじゃないから」

「──分かりました。行きます!」

 

 身の丈ほどの大盾を携え、彼女は走る。

 なぜジャンヌがあんな提案をしたか。それは攻め手を増やして自分が動きやすくなる状況を作るためだろう。

 ジャンヌの火力が活かされない原因は、アキレウスの盾だけではない。彼女に攻撃が向くことで、必然防御に回る必要があるからだ。

 ならば、マシュに求められていることは。

 走る勢いを落とさず、アキレウスとヘクトールの間合いへ飛び込む。

 ペレアスとアステリオスの援護があるとはいえ、間合いの内は一撃必殺の致死圏内。要塞の壁に丸腰で体当たりするようなものだ。

 それでも、マシュの心中には一片の恐怖すらなかった。

 縦横無尽に閃く槍撃。彼女は微塵も怯むことなく、ことごとくを受け止める。

 アキレウスとヘクトールに比べれば、マシュはまだ半人前にも達していないだろう。ほんの最近戦いに身を投じた者と彼らとでは、元々の戦闘経験が違う。

 だとしても。

 この盾は、この力は、疑いもなく英雄だけに許されたモノだ。

 何より、胸中に秘めた熱だけは誰にも負けはしない───!!

 

「く、ら、え───!」

 

 ありったけの魔力を込めて、ジャンヌは炎の鉄槌を叩きつける。

 マシュの奮闘が生んだ、アキレウスとヘクトールの死角。アタランテ戦での消耗を無視するように、ジャンヌは吼えた。

 ぞくり、と背筋が冷える。

 この隙を、敵が認識していたとしたら。攻撃がどこから飛んでくるかなど、一択でしかない。見えないからこそ、予測がついてしまう。

 刹那、ペレアスはジャンヌの前に飛び出していた。

 

「『不毀の極剣(ドゥリンダナ・スパーダ)』」

 

 振り向きざまの一刀。

 巨塊の炎を切り裂き、その先のジャンヌにまで到達する斬風。

 正眼に構えた剣が、柄や鍔ごと砕け散る。ペレアスの得物は何の曰くも持たぬ無銘の剣では、如何に上手く受けようとも到底耐え切れるものではなかったのだ。

 宝具を発動している彼に傷はない。しかし、その背後。斬撃を掠めた左肩を血に染めるジャンヌの姿があった。

 それでも、彼らは淀み無く動く。

 間髪入れず突撃するペレアスの背に向けて、ジャンヌは自らの剣を投げつける。

 

「借りパクは許さないわよ」

「オレは借りた物は前より綺麗にして返す主義だ!!」

 

 それを背面で掴み取ると、一文字に抜き放つ。

 ヘクトールは迫る刃を躱しつつ、舌打ちした。

 

「おいおい、絶対に当てたはずなんだがね! こりゃどういうことだ!?」

「愛の力ってやつだ! どうだ、羨ましいか!」

「同情するぜ、俺は重い女はノーサンキューなんだよ!」

 

 次々と繰り出される槍撃に鞘をあてがい、剣で切りかかる。

 その切っ先はヘクトールの頬を浅く傷つけ、彼は数歩後退する。その陰からアキレウスの槍の穂先が閃いた。

 攻撃の出処を読ませない突き。手先が寸分でも狂えばヘクトールを打ち抜いていたであろうアキレウスの絶技もさることながら、ペレアスもそれら全てを捌き切る。

 アキレウスとヘクトールの意識がペレアスに傾いたその隙、二人の頭上を叩き潰すように拳と盾が飛んだ。

 彼らは弾かれたようにその場を飛び、二つの剛撃を避ける。背中合わせの格好で、アキレウスは息をついた。

 

「ペレアスとかいう剣士のせいで埒が明かねえ。必殺の一撃も隙を晒すだけだ」

「だったら、アレを使えば良いだろ。あいつのインチキ宝具を破るにはそれしかない」

「……やるか」

 

 アキレウスは槍を地面に突き立てる。そして、ペレアスを指差して、

 

「一騎打ちを申し込む。使えるのは互いの得物のみ。その他の加護や魔術、当然宝具も禁止だ。俺も盾は使わねえ。受けるか否か、ここで答えろ」

 

 ペレアスは逡巡する。

 悪い話ではない。アキレウスとの一騎打ちを演じている間は、残りの全員でヘクトールを叩くことができる。負けたとしても──無論、負けるつもりなどないが──アキレウスに相応の手傷を与えられたなら、仲間のためになるだろう。

 そんな建前を吐き出すようにして、ペレアスは笑った。

 相手はアキレウス。ヘラクレスに勝るとも劣らぬ大英雄。それだけで、断るなどという選択肢は毛頭存在しなかった。

 

「オレは受ける。いいな? ノア」

「やるからには勝て。ダビデがあいつの踵を潰したのを無駄にするな」

「分かってる。後は任せた」

 

 ペレアスとアキレウスの視線がぶつかり合う。

 

「決まりだな。──『宙駆ける星の穂先(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)』」

 

 槍を起点に、外界とは隔絶された空間が創り出される。それは固有結界と似て非なる大魔術であり、公正なる決闘空間であった。

 端から見れば、彼らの姿は消滅したようにしか映らなかった。ひとり取り残されたヘクトールは、頭を掻きながら俯く。

 異様に暗い空気を纏う彼に、ジャンヌの治療を行っていた立香は戸惑いながら声を掛けた。

 

「あの〜、どうしました? あんなにイケイケで戦ってた人が急に病まれると戦いづらいですよ」

「藤丸、あんま話し掛けてやるな。ああいうおっさんには色々あんだよ。腰痛肩こり加齢臭……」

「いや違いますけどぉ!? オジサンはいつだってフレグランスな香りを漂わせてるナイスガイだろうが!」

「あきらめろ、へくとーる」

「くっ…! これが風評被害か!」

 

 ヘクトールは現代のレッテル貼りの恐ろしさに悶えた。マシュは大盾を構え直しながら、

 

「何だか知りませんが効いているようです! チャンスです!」

 

 その言葉に呼応するが如く、ジャンヌは立ち上がる。左肩の血は止まったが、全力を出せる本調子ではない。

 だからこそ、彼女はあえて左手で旗の穂先を突きつけた。

 

「茶番は終わりよ。Eチームのシリアス担当である私がケリをつけるわ」

「随分と甘い考えだな。自分が負ける可能性も考えておくのが戦の常道だ」

 

 ひゅん、と槍が空を切る。

 その切っ先が向くのは一点、マスターたちの前に立ちはだかるマシュだった。

 

「その盾の堅さ、俺が確かめてやる」

 

 槍を担ぐような姿勢。

 右腕の肘から炎が噴き上がる。

 それは正真正銘、彼の全身全霊の一投であった。

 

「『不毀の極槍(ドゥリンダナ・ピルム)』──!」

「──『疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)』!!」

 

 視覚より早く、体が動いていた。

 全てを穿つと言われた槍と白色の紋章盾が衝突する。

 同時に、耳をつんざく高音が鼓膜を揺らした。

 

「っ、ぐぅ……!!」

 

 ごりごり、と歪な音と衝撃が脳の中心に響く。

 ヘクトールの槍は単純な破壊力で言えば、アーサー王の聖剣に大きく劣る。しかし、一撃の貫通力はそれこそ比較にならないほどに格が違う。

 星の聖剣が面を焼き尽くす火炎放射器だとするならば、彼の槍は一点を貫き通す切削機だ。

 極限まで無駄を削ぎ落とした一撃。どこまでも鋭さを追究したその槍は、マシュが今までに体験したことのないモノだった。

 宝具とはその英霊が持つ誇りそのもの。個の究極を詰め込んだそれと対抗するには、少女の肉体は矮小に過ぎた。

 それでもなお。

 この世界では、精神が肉体の先を行くことは往々にして起こる。

 

「く、ああああぁぁぁっ!!」

 

 満身の力を込めて、盾を振り上げる。

 白い円盾の表面を槍が滑り、明後日の方向へ飛んでいく。

 それを見届けるや否や、アステリオスとジャンヌは駆ける。ヘクトールは力強く振るわれる鉄拳を躱し、槍を手元に戻すと、迫り来る燃える旗の穂先を弾いた。

 しかして、攻勢が衰えることはない。

 この機を逸せば勝利は遠ざかる。

 絶え間ない連撃の最中、ヘクトールを捉える決定打は生まれずにいた。

 英雄と怪物と人間には三すくみがある。曰く、人間は怪物に勝てず、怪物は英雄に勝てず、英雄は人間に勝てない。

 それに則るなら生粋の英雄たるヘクトールと、クレタ島の怪物であるアステリオスの相性は最悪に近い。あらゆる怪物はどれほど強大な力を持っていようと、英雄の踏み台にされるのが常だ。

 言わば、相剋。怪物が英雄に勝てないというのが世界に刻みつけられた法則なのだとしたら、アステリオスの拳がヘクトールを捉えることはないだろう。

 怪物が英雄に勝つことはない。決して。

 あと一手。ただそれだけが途方もなく遠い。

 ジャンヌも応急処置を施しただけの腕では、全力で打ち込むことができない。加えて、アステリオスは隻腕。敵を仕留めるには文字通り手数が足りなかった。

 負傷した肩が生み出す攻撃の間隙。ヘクトールはジャンヌのそれを突いて、踵蹴りを見舞う。

 アステリオスは拳を振り上げ、ヘクトールは槍を引き戻す。

 後はもう速度とリーチの勝負。

 ヘクトールほどの槍使いが負ける道理はない。得物を突き出す刹那、彼は見た。

 

(どうして、お前がそこにいる)

 

 アステリオスを庇うように立つノアが、そこにいた。

 服には防護のルーンが刻まれ、体表を強化の印である魔力光が血管の如く張り巡っている。

 そこまでしたとしても、ヘクトールの槍を止めるには到底至らない。けれども、魔術の障壁ではなく人間の肉体だからこそできることはあった。

 胸を貫いた槍を掴み、軌道を逸らす。

 サーヴァントがあと一息届かないのなら、その背を押してやるのがマスターの仕事だ。

 そのためなら、何を投げ捨てても良い。

 ノアは不遜に笑った。

 

「おまえは()()だ。アステリオス」

 

 怪物は英雄には勝てない。

 ならば、英雄に勝つ存在とは。

 

「おおおおおおおぉぉぉぉっ!!!」

 

 裂帛の気合いとともに。

 必殺の拳撃が、ヘクトールの霊核を打ち据えた。

 

(…………なんだ。これなら、心配はいらねえな)

 

 意識を手放す瞬間、彼が見たものは。

 拳を合わせる、アステリオスとノアの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫し時間を遡って。

 観客もいない闘技場に、刃鳴りだけが響き渡る。

 アキレウスが創り出した決闘場では、己の技だけが頼みとなる。ペレアスの宝具はもちろん、湖の乙女より与えられた加護であっても、そこでは意味をなさない。

 

「───ふっ!」

 

 短い呼吸に合わせて、無数の突きが瞬く。

 全てに対応する必要はない。ペレアスは自身に向かってくる攻撃だけを打ち落とした。

 彼は次々と襲い掛かる槍撃の数々を器用に捌いていく。単純な白兵戦において、ペレアスはアキレウスの攻勢を見事に耐え抜いていた。

 彼に特別な武具はない。万軍を一撃で葬る剣も、どんなに深い傷を癒やす鞘もありはしない。

 その宝具でさえ、死後英霊となってようやく得たモノだ。つまり、生前のペレアスは人外じみた英雄と敵が織り成す戦場を、自らの身体と剣技だけで潜り抜けてきたのだ。

 ペレアスはただ自分の技を磨くことだけで、円卓という超人の集団に食らいついてきた。故に、宝具や加護を封じられたとしても、その強さが揺らぐことはない。

 相手の動きを読み、先手を打つ。

 防御を先出しで行う彼の剣は、アキレウスの槍技にも負けてはいなかった。

 瞬間、一際高い金属音が鳴る。

 互いの攻撃に弾かれ、両者の距離が開いた。

 アキレウスは唐突に切り出す。

 

「なぜ俺の槍がお前に通じないか、ようやく理解できた」

「……はあ?」

 

 ペレアスは脈絡のない言葉に首を傾げる。アキレウスはそんな戸惑いには目もくれない。槍の柄で肩を軽く叩きながら、口を開いた。

 

「お前の剣は生きるための剣だ。誰かを倒そうとするよりも、身を守ろうとする。俺が躍起になるほどお前は防戦に徹する。これじゃあ決定打は生まれない」

「そんな理屈付けたところで斬り合いに勝てるとでも思ってんのか? オレは口論で決着をつける気はねえぞ」

「ハッ、これは斬り合いじゃなくて殺し合いだろうが。端的に纏めるとだな───」

 

 アキレウスの姿が視界から消える。

 首元を狙う強烈な殺気。考えるより早く、ペレアスは回避行動を取っていた。

 

「───本気で殺しに来いよ、ペレアス。そんな剣で俺を殺れると思うな」

 

 濃密な殺意を滾らせながら、アキレウスは刺突を繰り出す。

 その穂先に剣身を合わせるが、刺突の勢いは防御を容易く上回り、ペレアスの右上腕を裂いた。

 直後、槍が雨霰の如く打ち込まれる。

 それらは、先程までとは格段に威力が上がっていた。的確に攻撃を捕捉するペレアスの守りを突き破り、徐々に肉体を削っていく。

 鮮血が飛び散る。ペレアスの先読みは自らの経験と相手の動き、そして殺気を感知することで成り立つ技術だ。ただ単に威力の高い攻撃なら、受け流すことも難しくはない。

 しかし、アキレウスが放つ殺気はあまりにも高密度。全ての動作の殺気が同じ以上、ペレアスの先読みの判断材料はひとつ失われる。

 その結果、ほんの僅かに生じる隙が回避を遅らせた。ペレアスの戦い方では生まれ得ない勝ち目を、アキレウスは切り開いたのだ。

 流しそこねた一撃が、腹部に突き刺さる。

 

「がっあ、くそ……っ!!」

 

 どくどくと流れ出す血。傷口は灼熱感を伴い、意識が深みに連れ去られていく。

 それを見逃すアキレウスではない。槍の一振りがペレアスの胸を袈裟に斬りつける。鎧が音を立てて破砕し、おびただしい鮮血と金属片が辺りに散った。

 あらゆる武術は敵を倒すためにある。ペレアスの剣術も我流ではあるが、敵を倒すことを考えて編み出されたものには違いなかった。

 だがしかし、アキレウスはその純度が違う。

 なぜなら、彼は英雄となるべくして産まれた者だ。

 長く平凡に生きるよりも、短い英雄の人生を選んだ。アキレウスには最初から、自分の命を大切にするという感覚が抜け落ちている。

 そんな男が、生きるための技を身につけるはずがない。

 ひたすらに、ただひたすらに、敵を屠るだけの力を追い求め続けた。

 彼にとって、人生とは一本の轍。凄絶に死という名の終着へと疾走し、走り終えた後に翻って見る跡でしかない。

 だからこそ、彼らは強い。

 普通の人間が求める幸福や快楽を切り捨て、ただただ使命を成すために純化された存在。

 ───そんな人間を、二人だけ知っている。

 ひとりはアーサー王。聖剣を抜いたその時からブリテンの運命を背負い、使命に押し潰され、ついには死ぬことすら許されぬ眠りについた。

 もうひとりは、どこまでも無欲だった。神に祝福された聖なる騎士。故に神の子の血を受けた杯を見つけ出し、生きながらにして天へと召された。

 事実、彼らの名は1000年以上先の世でも謳われている。英雄は時を超え、人々の中に生き続けるのだ。

 対して、ペレアスはその名を少しばかり残すだけで目につくような偉業を達成することもなかった。

 

(ああ、気に入らない)

 

 彼らがではない。

 彼らを導いた運命が、どうしても気に入らない。

 ひとりの少女が剣を抜いた。この国を救うために命を賭して戦った。王の元には数々の騎士が集まり、繁栄し、脆く崩れさった。それでも王は納得していただろう。なぜならそれが、自分で選んだ定めなのだから──────黙れ、そんな大層な御託で幕を閉じさせてたまるか。

 彼らは人間だ。人間だった。

 だというのに、使命を終えれば回収され、次の出番まで保存されるのが宿命なのか。

 この世界に本当に神様なんてモノがいるのなら、ひとりの使命を果たした人間くらい幸せにしてみせろ。そんなクソッタレた運命(はなし)しか紡げないなら、オレが代わりに筆を執ってやる。

 王と騎士の物語なんて、優しい絵本みたいに、取ってつけた甘ったるい終わり方で構わない。

 そう。

 

〝───ペレアス様は、こんな私の人生を、めでたしめでたしで終わらせてくれるのですね〟

 

 朦朧とする意識が澄み渡っていく。

 冷たい月明かりを柔らかに反り返す湖の光。

 その時、閃いた斬撃がアキレウスの頬を撫でた。したり落ちる血はまさしく彼のものであり、それを成したのはペレアスの剣に他ならなかった。

 

「生きるための剣───それで何が悪い」

 

 この剣は。

 この技は。

 他の誰かを護るためのモノだから。

 

「お前と違ってオレには、絶対に死ねない理由があるんだよ! あいつの、オレの人生をめでたしめでたしで終わらせるっつう最高の理由がな!!」

 

 ハッピーエンドが良い。

 誰もが笑って終えられる、都合の良い結末が最高だ。

 ただひとつ、ペレアスという英雄が誇れる偉業。

 それは、ひとりの女を幸福な終着に導いたことだろう。

 

「それがお前の在り方か? そんな生温い願いだから、中途半端な英霊にしか成れなかったんだろ」

「ぐふっ! オレが一番気にしてることを……うるせえ、オレはまだ道の途中なんだよ!」

 

 二人は持てる力の全てを結集して斬り結ぶ。

 ペレアスの体力は既に限界。荒々しく剣を振り、血を吐きながら斬りかかる。

 足を止め、腕が千切れんばかりに打ち合う。両者の足元には黒ずんだ血溜まりができていた。

 

「途中もクソもあるか。俺たちはもう死んでる。とっくに全部終わってんだよ」

 

 彼らはきっと、そんな生き方しかできなかった。

 息を止めたまま走り抜け、後悔や反省が訪れるのは全てが終わった後。顔の見えない他の誰かのために英雄となった彼らの祈り(ねがい)は、尊ばれるべきものなのだろう。

 湖の乙女と結ばれた騎士は、天寿を全うし幸福な最期を迎えた。

 

「それでも、オレの話はまだまだ終わってねえ。今度は世界を救う使命を得ちまった。……次は、万人にとっての英雄になってみせる!」

 

 眼前に差し迫る槍を左腕で弾く。

 偶然か必然か、その一撃だけは完全に見切った。

 否、それは既に終着に辿り着いた者と、終着の先を求めた者の差だったのかもしれない。

 

「だから、そこを退けよ大英雄(アキレウス)

 

 血の雫を振り乱して、剣を掲げる。

 ペレアスは叫んだ。

 

 

 

 

「───これは、オレの英雄譚(モノガタリ)だ!!」

 

 

 

 

 一閃。

 死に物狂いの一太刀が、アキレウスの心臓を断ち割った。

 

「…………────!!」

 

 全身を駆け巡る痛み。彼は目を見開き、槍を握る手に力を加える。

 たとえ踵を潰され、心臓を斬られたとしても、アキレウスはしばらくの間全力で戦うことができる。

 ペレアスに回避する余裕はない。全身から血が抜けたように倒れ込む彼の体を刺すだけで相討ちに持ち込める───!

 

「……勝負は預ける」

 

 前のめりに倒れるペレアスを、アキレウスは右腕で受け止める。

 槍を握る指がほどけ、地面に落ちた。

 

「これがお前の英雄譚だと言うのなら、必ず世界を救ってみせろ。俺の名が廃れる」

 

 彼は走り抜けた。

 今回の轍は特に短かったが仕方ない。

 得難い感傷を胸に、アキレウスは言う。

 

「俺の分まで、お前は生きろ」

 

 それは、いつかの昔に聞いた言葉。

 暗闇に落ちかけた意識の中、ペレアスは思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、あれはランスロットが火刑に処される王妃を連れてフランスの城へ逃げ込んだ数日後のことだった。

 円卓が割れ、一角の勢力を成していたランスロット派の騎士たちが抜けたことで、王城はいつもより閑散としていた。

 キャメロット。玉座の間。

 そこに詰め掛けるのはアーサー王についた残りの円卓と、その配下の騎士たち。玉座の間を埋め尽くすような威容も、かつてのそれに比べれば半減どころではない。

 ペレアスはその中心に放り出される。

 彼の両腕両足には枷が嵌められ、一切の武装を剥ぎ取られていた。

 顔を上げる。玉座に鎮座する王と、その両脇を固めるのはガウェインとべディヴィエール。その周囲に残りの円卓の騎士が侍る。

 鉛のように重苦しい空気の中、最初に口を開いたのはモードレッドだった。

 

「ペレアス。なぜ貴様がここに連れて来られたのか、分かるか」

 

 突き刺すような語気。

 ペレアスは素っ気なく答える。

 

「……円卓にスープこぼした件か? あのシミはマーリンに頼み込んで綺麗さっぱり消してもらったはずだ」

「ハ、笑えねえ冗談だな。ディナダンの後釜にでもなるつもりか?」

「じゃあ何だよ。オレには他に心当たりなんてねえぞ。それに多分、ディナダンはお前が───」

 

 ガウェインは焦れたように、しかしてそれをおくびにも出さずに忠告する。

 

「モードレッド。早く本題に入りなさい」

 

 モードレッドは、突きつけるように言った。

 

「これは、お前を追放する裁判だ。かねてよりアグラヴェインが唱えていた、番外位の抹消に関わる話でもある」

 

 おそらく、モードレッドは既に反乱の用意を済ませていたのかもしれない。ランスロットの密通という王宮の醜聞を利用して、騎士勢力を自らの陣営に取り込む工作を行っていた。

 ここに集まった騎士たちも、彼の息が掛かった者ばかりだったのだろう。

 裁判の進行役を任されたのも、暗闘の結果に違いない。

 

「我々が第一に懸念しているのが、お前がランスロットの密偵ではないかということだ。お前とあの男は関わりが深い。ヤツの義母である湖の乙女がお前の配偶者だからだ」

「とんだ言いがかりだな。証拠でもあんのか」

「───前に、王妃が襲撃される事件があったな」

 

 モードレッドは語った。

 メレアガンスによる王妃の誘拐事件。ペレアスやアイアンサイドを含めた10人の騎士と出掛けたところを、メレアガンスは160人の重装部隊で襲い掛かった。

 だが、ペレアスとアイアンサイドの奮闘によって、彼らはことの事態をランスロットに伝えることに成功する。

 結果、ランスロットに追われたメレアガンスは降伏し、後日決闘を申し込んで斬り捨てられた。

 そして、モードレッドは嘲るように笑う。

 

「冷静に考えてもみろ。なぜお前は、我らが王ではなくランスロットに誘拐を告げた? 王妃たるギネヴィアが拐われたのなら、まずは王に伝えるべきではないのか」

 

 その主張に食ってかかったのは、べディヴィエールだった。

 

「あの時は急を要する事態だったはず。即座に動ける人員はランスロットしかいなかったのでは」

「ならば、後日メレアガンスがランスロットの不貞を告発した件はどう説明する。思うに、メレアガンスは二人の不義を暴くために襲撃を起こしたのではないか? ペレアスらがランスロットに事態を伝えたのはつまり、密通が露呈することを阻止するためだったと考えられる」

 

 死人に口なし。モードレッドは物言わぬメレアガンスを使い、理屈を並び立てた。実際にメレアガンスがランスロットと王妃の不貞を知ったのは、降伏した後のことだ。

 しかし、今この場にいる誰もそれを知ることはない。モードレッドでさえも。だからこそ、その主張を完全に棄却することはできなかった。

 何かを言おうとしたべディヴィエールを遮るように、モードレッドはペレアスを指差して、声を張り上げる。

 

「それだけではない! ペレアスを円卓に推挙した騎士はランスロットやボールス、エクター・ド・マリス……王を裏切りフランスへ逃亡したランスロット派の者ばかりだ! 加えて、ペレアスにはランスロットと戦うことのできない加護が、湖の乙女によって掛けられている───目に見える証拠は無くとも、状況がこの男の背信を物語っている!!」

 

 玉座の間がざわめく。

 モードレッドは智者ではない。しかしそれ以上に、決して愚者ではない。ランスロットの裏切りという嘘に揺らぐ王宮で、偽りのないモードレッドの言葉は強く響いた。

 ガウェインは睨みつけるような目つきで、言葉を突きつける。

 

「モードレッド、それは暴論です。ペレアスを円卓に推挙したというなら、私もその内のひとりだ。何より、彼の言葉なしに王への背信を語ることなどできない!」

 

 モードレッドは表情を凍てつかせて、睨み返す。

 

()()()()()

 

 冷たく、硬質な声音で言った。

 

「───()()()()()()()()()()?」

 

 その語調は仲間に向けるとは思えぬほどに研ぎ澄まされていた。

 

「ペレアスを擁護することはすなわち、ランスロットをも庇うことに繋がるぞ。我ら全員を裏切った、あの男を!!」

「っ、だとしても」

「底が見えたな、ガウェイン! 貴様の王への忠誠は、所詮その程度───」

「それは違う!」

 

 ペレアスは、続く言葉を遮った。

 

「ガウェインほどの忠義の騎士は、他のどこにもいない。……それは、それだけは、この場の全員が知ってるはずだ」

 

 しん、と辺りが静まり返る。

 今にも噛みつきそうなガウェインとモードレッドは顔をそらし、ペレアスに視線を注いだ。

 モードレッドは鼻を鳴らし、話を戻す。

 

「…………そもそも、番外位という席は一度抹消されたはずだった。貴公らも話には聞いていよう。円卓結成以前の戦乱を戦った、野蛮なるベイリン(ベイリン・ル・サバージュ)のために番外位は用意され───そして、彼の背徳のために取り消された」

 

 ベイリン。円卓結成以前から円卓の初期において、ランスロットと並ぶと言われる強さを備えた騎士。マーリン曰く、その騎士の力と勇猛に太刀打ちできる者は誰もいないと評された。

 ベイリンは最も優れた騎士にしか抜けぬ剣を抜き、そして、王宮での殺人を行った。リエンス王を捕えた功績で一度は許されたものの、彼は神の子を貫いた槍に触れ、重大な事件を引き起こしてしまう。

 

「ベイリンが円卓に復帰し、死後空位となっていた場所に収まったのがペレアスだ。後は言うまでもないだろう。我らはまた、番外位によって不利益を被ろうとしている。この席を無くすことは、無残にもランスロットに殺されたアグラヴェインの悲願を叶えることにもなるのだ」

 

 故に、とモードレッドは続けた。

 

「ここにペレアスの死刑と、番外位が存在した全ての記録の抹消を求める! 勇敢にもランスロットに立ち向かったアグラヴェインやメレアガンスのために、後の禍根はここで断っておかねばならない!!!」

 

 モードレッド配下の騎士たちは同意を示すべく、鬨の声をあげる。今の王宮の騎士にとって、ランスロットは不倶戴天の敵だ。彼に斬り殺された二人の名は、彼らにどのように響いただろう。

 異様な空気に包まれ、呑み込まれそうになる歓声を止めたのは、他ならぬ王だった。

 王は機械のように平坦な声で言う。

 

「モードレッド卿、貴公はひとつ見落としをしている」

 

 そこに、ペレアスへの慈悲や哀憐は存在しない。

 あくまで合理的に、王は判断を下すだけだ。

 

「それは、湖の乙女のことだ。今ここでペレアス卿を処刑すれば、彼女は間違いなく我々に牙を剥く。そうした場合に頼るのはランスロットだろう。湖の乙女の魔術も無論脅威だが、新たな聖剣の類がランスロットらに渡れば、我らの勝ち目は無くなる」

 

 星の聖剣は湖の乙女に授けられた武器だ。それに類する宝具をまだ持っているとしたら。それを精強なランスロット派の騎士が装備すれば、戦いの行く末は分かりきっている。

 だから、ペレアスは殺せない。王の結論はそこに至った。

 

「王の名の下に、裁定を下す」

 

 まぶたを閉じ、開く。その目に、光は灯っていなかった。

 

「ランスロットとの戦いが終わるまで、ペレアス卿を城の地下牢に幽閉し、戦後にブリテンの地から永久追放。そして、番外位の記録はその一切を焼却処分とする」

 

 …………そうして、裁判は終わった。

 居合わせた全員に箝口令が敷かれる徹底さをもって、ペレアスは円卓の騎士ではなくなった。

 城の地下牢へ連行される道程。王とその両脇に侍るべディヴィエールとガウェインが、向こうから歩いてくる。

 ペレアスの姿を認め、王は視線を逸らしながら、

 

「ペレアス卿。私は──」

 

 言い切る前に、ペレアスは膝をついて礼をする。

 

「我が王よ、寛大な処分に感謝致します。最期までこの命を尽くせぬこと、どうかお許しいただきたい」

「…………面を上げよ。忠誠を尽くせぬことを以って、貴公への罰とする」

 

 そう言って、王は立ち去った。

 後に残るのはガウェインただひとり。王の供をすることなく、ペレアスの眼前に佇んでいる。

 

「……こんなところにいたら不味いだろ。モードレッドにでも見られてみろ、お前まで処罰されるかもしれねえぞ」

「王より許可は頂いています。今はただ、貴方と話がしたい」

 

 そう述べるガウェインの瞳は真剣だった。

 彼の眼差しに射竦められ、ペレアスは観念する。

 

「まあ、そういうことなら付き合うぜ」

「ありがとうございます。では、一杯どうぞ」

 

 ちゃぽん、と水音がする。ガウェインは自分の外套の下に酒瓶を隠し持っていた。あらかじめ用意していた杯に中身を注ぎ、ペレアスに手渡す。

 ゆらゆらと揺れ動く水面を見て、ペレアスは訝しんだ。

 

「……毒?」

「違います」

「じゃあ眠り薬か」

「全くもって違います」

「酔わせて殺すのって暗殺の常套手段だよな」

「違うと言っているでしょう! 良いから飲みなさい!!」

「ぐああああああ! 三倍の力で掴むのはやめろォォォ!!」

 

 という愚にもつかないやり取りを経て、彼らは取り留めのない話をした。

 

「この国って酒だけは美味いよな。酒だけは」

「そうですね。戦場ならまだしも、宴席で肉を親の仇のように焼くのは如何なものかと」

「一回消し炭みたいのが出てきたからな。そこら辺の犬にやっても食わなかったぞ」

「そういえば、王は何食わぬ顔で頬張っていた気が……」

「「………………」」

 

 特に話題があるわけでもなく、湧き上がってくる言葉をそのまま口から出すような会話。それでいながら、何かから目をそらすように。

 長いような、短い話。ペレアスを牢へ引っ張る騎士が急かすと、先に核心に触れたのは、ガウェインだった。

 

「どうやら時間のようですね。ペレアス、貴方はこれからどうするつもりです」

「牢から出たら、嫁と旅に出る。とりあえずローマの方にでも行ってみるかな。それで、暖かくなったら北を見て回ろうと思ってる」

「……私はあの場で何もできなかった。王の騎士であることでさえ、貴方から奪ってしまった。許してほしいとは言いません、ただ、私は」

 

 ペレアスはそれを手で制する。

 

「せっかくの別れだ。湿っぽいのは止めにしよう。それに、オレが勝手に円卓の騎士を名乗るのは自由だろ?」

 

 手枷から繋がった鎖を強く引かれる。投獄が決まったのに、こうしていることは不都合だ。ガウェインの計らいもここまでだということだろう。

 すれ違いざま、ペレアスは確かに聞いた。

 

「私の分まで、貴方は生きてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔の記憶に浸っていた意識が引き戻される。

 強烈な眠気と倦怠感。半ば引きずられるように、ペレアスはダンテに肩を貸されていた。

 

「おや、起きましたかペレアスさん。気分はどうですか?」

「……思ったより悪くはない。それより、お前がここにいるってことは、海の方は勝ったのか?」

「ええ、勝ったことには勝ったのですが……」

 

 ダンテはちらりと背後を流し見る。それにつられて、ペレアスは後ろに目を向けた。

 水平線の向こうから飛来するフォルネウス。その後ろには、魔神柱の巨体を超える高さの津波がうねりを上げて、島に迫っている。

 黒髭の宝具『アン女王の復讐(クイーンアンズ・リベンジ)』の耐久力なら、津波自体には耐えられたかもしれない。が、船に乗っている人員は別だ。

 ましてや、その津波は魔神柱がもたらした神秘の籠った水流。たとえサーヴァントの身であっても、呑み込まれればひとたまりもないだろう。

 という訳で、黒髭たちは島へと逃げてきたのだった。ペレアスは今まで思考から排除し続けていた眼前の光景を直視する。

 そこでは地面に大の字になるノアにマウントを取り、タコ殴りにする立香がいた。

 ペレアスは借りていた剣をジャンヌに返しながら問う。

 

「剣、貸してくれてありがとな。助かったよ……ところで、あいつらは何やってんだ」

「ヘクトールを倒すために自分の体を盾にしたのよ。独断で動いたから立香の怒りを買ったってわけ」

「う〜ん、青春ですねえ。マシュさんは止めに入らなくて良いのですか?」

「はい、何だかとても心が洗われる気がするんです!」

 

 マシュは太陽のような満面の笑みを浮かべた。年頃の少女らしく可愛らしさはあるのだが、瞳の向こう側にはドス黒い狂気がうごめいている。

 一通りの折檻が済んだのか、顔面をボコボコに腫らしたノアが、涼しい様子で喋り出す。

 

「勝ちはほぼ決まったようなもんだが、まだフォルネウスが残ってやがる。しかも津波のおまけ付きでな。聖杯はあいつが持ってると見て間違いないだろう。つまり、この島が流される前にフォルネウスを倒す必要がある。そこでだ」

 

 ノアは黒髭の首を引っ掴んで、横に立たせる。

 

「このおっさんと融合してるテオス・クリロノミアを使ってトライデントを直し、フォルネウスにぶっ放す」

「ねえなんでこいつが仕切ってんの? しかもよりによってこういう人種は拙者と相容れないタイプなんですけど! 絶対にDQNだろこいつ!!」

「ゴチャゴチャ喚くな鬱陶しい。ワンピースの世界に送り返すぞ」

「いや拙者の元ネタそっちの黒髭じゃありませんけどぉ!? てかむしろこっちが元ネタだし!!」

 

 そうこうしている間にも、フォルネウスと水の壁は接近していた。ここが島でなく、サーヴァントたちが皆万全の状態なら、魔神柱とて恐れる対象にはならなかった。

 しかし、アルゴー号との戦いを経て、サーヴァントは一様に疲弊している。もはや全力の戦闘はできない。トライデントによる攻撃は、一発逆転の秘策なのだ。

 ともかく、黒髭をトライデントまで運べば勝機は見える。

 要は、フォルネウスに追いつかれるか目的地に辿り着くかの競走。トライデントに程近いこの場所からなら、追いつかれる心配は無いに等しかった。

 移動する彼らの行く手を、亡霊と水妖の一群が遮る。アルテミスの駆除を免れた、最後の一団だろう。

 ドレイクは銃に弾を込め直し、先頭に躍り出る。

 

「チッ! 本当にキリがない! 船もぶっ壊されたし、今日だけでとんだ大赤字だよ!」

「よぉし行け、メアリー殿、アン殿! 拙者は応援だけしとくから! 傷ひとつつけさせんじゃねェぞ!!」

「「お前も戦え!!」」

「こんな時に争うとか、本当にアホね」

 

 エウリュアレが思わずこぼした言葉に、全員が心の中で同意した。

 次々と襲い来る魔物はドレイクたちによって駆逐されていくが、圧倒的な数の差は如何ともし難かった。サーヴァントであれば負けることはないが、全ての敵に対応することはできない。

 その時、空間を割り裂くように、光の爆発が巻き起こる。何もない場所から爆発だけが生まれ、周囲の水妖を跡形もなく吹き飛ばした。

 そんな魔術を行使できる人間は、この場にはひとりしかいない。

 

「対サーヴァント戦ならともかく、こいつらはただの魔物だ。楽に殺せる。普段こき使ってるおまえらの代わりに、今回は俺が骨を折ってやる」

 

 そう言って、彼は右手の指を引き絞る。発射される魔力の弾丸は、弾幕を形成して触れたそばから敵を肉塊に変えていった。

 ノアは立香を顎で呼び寄せ、

 

「──手伝え、藤丸。おまえは撃ち漏らしを仕留めろ。ルーンは使うな、ガンドで良い」

「……! はい、リーダー!」

 

 二人は肩を並べ、術式を起動する。

 ノアが敵を薙ぎ払い、それを潜り抜けた獲物を立香が的確に仕留める。言葉は交わさずとも、彼らは互いに自分の役割を理解して、それを全うした。

 立香は気付かぬ間に、息をあげていた。フォルネウスから逃げながら、魔術を使うことは想像以上に神経を使う。カルデアの訓練を受けているとはいえ、彼女は普通の少女なのだ。

 汗をにじませて、立香は笑った。

 

「リーダー。私、みんなの代わりに戦えて、ようやく役に立てた気がします」

 

 サーヴァントとの戦いで、マスターができることは少ない。魔術に熟達していない立香はなおさらだ。

 そのことがずっと、気にかかっていた。仲間が血を流すのを、見ていることしかできない自分が情けなかった。

 そんな自分を置き去りにするみたいに、ノアは傷つきに行く。それが最善だったとしても、自分の痛みを忘れたその行動は見ていられなかった。

 ノアは語気に些かの不機嫌さを込める。

 

「藤丸。おまえはひとつ勘違いをしてる」

 

 いつになく真剣な表情。

 目が、耳が、引き込まれる。

 

「俺たちの中で、おまえを低く見積もってるのはおまえだけだ」

 

 思わぬ言葉に、立香は顔を背けた。

 

「……そんなこと言われたら、私、自惚れちゃいますよ?」

「おまえはそれだけのことをしてる。手本が欲しいなら俺を見習え」

「それは無理ですけど」

 

 優しい否定が、胸に滑り込む。

 そんな言葉に感化されて、視界が晴れた気分になる単純さが気恥ずかしい。

 それでも、それだけで、もう負ける気なんてしなかった。

 道を塞ぐ亡霊と水妖を越え、一行はトライデントの麓に辿り着いた。アルテミスはその表面に手をかざすと、金属同士が擦れ合う音を立てて、四角い穴が開く。

 

「ここにテオス・クリロノミアを放り込めば、後はトライデントが勝手にやってくれるよ」

「でも、この金属拙者の腕とがっちり食いついて離れないんですが。おれがあいつであいつがおれでみたいになっちゃってるんだけど」

「私に良い考えがありますわ!」

 

 黒髭はアンに拘束される。その上で両腕を前に突き出すような姿勢を取らされた。

 メアリーは黒髭に見せつけるようにカトラスを抜いた。これから行われるであろうことを理解し、黒髭は顔を青くする。

 

「ちょっ、ちょっと待てェェェ!! え、何、そんな原始的な方法!? 誰か頼むからバラバラの実持ってきてェェ!!」

「あぁ〜そんなに喚かれると手元が狂っちゃうよォ〜!」

「め、メアリー殿! 謝るから許して! 金でもなんでも全部あげるから!」

 

 刃を揺らめかせるメアリーに、ノアはどこからか取り出した糸鋸を手渡す。

 

「おい待て、より苦痛を与えるならこっちの方が良い」

「お前は黙ってろォォォ!! そんな質の悪い拷問、全盛期の黒髭くんでも三回くらいしかやったことないよ! マジでなんなんだこいつはァ! 目が本気なんだよ、怖いよ!」

「分かった分かった、そこまで言うならひと思いにやってあげるよ」

 

 メアリーは剣を振り下ろして、黒髭の両腕を切断する。彼女はそれを掴むと、トライデントに放り込んだ。

 

「ギャアアアアアアアアア!!!」

 

 盛大に噴き出す血を見ながら、黒髭は気絶する。それとほぼ同時に、トライデントに膨大な魔力の光が点灯した。

 上空の雲が渦巻く。

 青白い光の粒子が周囲に散らばり、海神の槍はその威容を一層漲らせた。

 それは、とうに失われたはずの神の一撃。

 一直線に放たれた極光は進路上の全てを破壊し、余波だけで島を崩壊させる。それを一身に受けた魔神柱は、成す術なく蒸発した。

 

「で、こうなるのか……」

 

 ぷかぷかと海に浮かびながら、ペレアスは呟いた。

 トライデントの威力は誤算だったが、何はともあれフォルネウスは打倒された。今回の特異点は、またしてもカルデアの勝利で幕を閉じるのだ。

 しかし、納得していない男もいた。コロンブスは額に青筋を立てながら、怒声を轟かせる。

 

「おい、何ここで終わろうとしてやがる! 俺はまだ何のお宝も手に入れてねえぞ!! せめて聖杯くらい寄越しやがれ!!」

「共に戦った絆が今回のお宝……という訳にはいきませんかねえ?」

「絆で金が儲かるか! 俺は金銀財宝を手にするまで諦めねえからな!」

 

 猛り立つコロンブスに、ロマンは言った。

 

「『ごめんなさい! もう退去が始まります! お宝は次の機会にしてください!』」

「く、クソがァァァ!!」

 

 ──第三特異点、定礎復元。

 こうして、果ての海の物語は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルデア、管制室。

 第三特異点から帰還した一行を待ち受けていたのは、フル装備の医療班だった。

 何しろ、今回は怪我人が多い。ダンテは腕を失い、ペレアスは満身創痍。ジャンヌも負傷している。カルデアの設備ならダンテの腕も治るだろうが、当分は絶対安静を強いられるだろう。

 移動式のベッドに縛り付けられながら、ダンテは慌てて告げる。

 

「そうです、ノアさん。『暗黒の人類史』を召喚した女の正体が分かりました。あの女と全く同じ姿をした敵が向こうにいて、メディアさんはそれをアカモートと呼んでいました」

 

 彼は、その名を口にする。

 

「グノーシス神話における知恵の女神ソフィア。神話では、アカモートはソフィアが物質界に切り離した分身です。決めつけるのは危険ですが、ほぼ間違いないかと」

「ソフィア……全然聞き馴染みのない名前ですね。リーダーは何か知ってるんですか?」

 

 立香に問われるものの、ノアが返事をすることはなかった。彼は口元に手を当てて、一心に考え込んでいた。

 独り言のように、ノアは呟く。

 

「……三年前、中東でシモン・マグスの末裔を名乗る魔術師と会ったことがある。根源に到達する理論と方法が確立したとかで、そのために人間を集めて片っ端から魔力結晶に変えてやがった。紛争地帯だからな、人間がいなくなったところで誰も気にしない」

「お前はそいつをどうしたんだ? まさか逃してねえよな」

「当たり前だ。俺が殺した」

「まあ当然ね。そんなやつ、万死に値するわ。それで、その話の何が関係あるのよ」

 

 ノアとペレアス、ジャンヌのやり取りを聞いて、立香とマシュは複雑な顔をした。他人の生き死にが軽く語られている会話は、恐ろしく現実味がない。

 ダンテはノアの意図を察し、情報を付け加える。

 

「シモン・マグスはグノーシス主義の祖とも言われ、ソフィアとして信仰されていたヘレンという情婦を常に側に置いていたと言います。確かに、関係がないとは言い切れませんね」

「ダンテさん、セクハラですか」

「燃やすわよ」

「ち、違います! 本当にそうなんです! ほら、キリスト教成立以前から初期はまだ神殿娼婦などの風習がありましたし、そう珍しいことではないんですよ!! かのオジマンディアス王も娘を神殿娼婦として捧げていますし!!」

 

 マシュとジャンヌに冷たい視線を注がれ、ダンテは泡を食いながら御託を並べた。

 シモン・マグスの末裔ということが真実なら、ヘレンが血脈に関わっていたとしても不思議ではない。

 ノアはかつて相対した魔術師と、『暗黒の人類史』の召喚者たるソフィアが無関係であるとは、どうしても思えなかった。

 立香は首を傾げる。

 

「その、シモン・マグスって人はそんなにすごい魔術師なんですか? イマイチ、よく分からないというか」

「マグス、という言葉自体が魔術師を表しますからね。ですが、聖書の記述に基づくなら彼はおそらく───」

 

 ダンテの言葉を引き取るように、ノアは頷く。

 

「ああ、シモン・マグスは神の子とほぼ同時代に、空を飛ぶ魔術を使っていた」

 

 つまり。

 

「───奴は、あの時代における()()使()()だ」

 

 ソフィア。ヘレン。シモン・マグス。

 正体に大きく近づいたものの、その真相は霧がかっていた。

 魔法使い。魔術の世界においてその単語が意味するところは知っている。だが、それが持つ重みを、立香はまだ知らなかった。

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