自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
外界とは隔絶されたカルデアだが、昼夜の感覚を忘れないために施設全体で管理が徹底されている。
カルデア内で定められた時間で、早朝。
音がしない。いくら職員が減ったとはいえ、それなりに忙しい朝は生活音や談笑の声が聞こえてくるものだ。
薄暗い不安を抱えながら、ついに食堂の扉前まで辿り着く。普段は聞き慣れた声が響いてくるはずのこの場所も、一切の静寂に包まれている。
寝起きで鈍った頭でも、流石にこれが異常事態であることは理解できる。取り留めのない思考をまとめようとしたその時、立香は迫り来る足音を聞いた。
思わず音の方に振り向く。すると、そこには目が据わったノアがいた。彼は寝癖の立った髪の毛を手でガシガシと掻きながら、立香を視界に捉える。
「……こんなとこで何やってんだ?」
「おはようございますリーダー。それが、ここに来るまで誰もいなくて。異様に静かで何か不気味じゃないですか?」
「たまにはそんなこともあんだろ。このネガティブ娘が。案外サプライズの準備とかしてるかもしれねえだろうが」
「え、私たちそんなに良いことしましたっけ」
「俺がいる時点で毎日パレードをやるべきだからな、本来は」
「言ってることが小学生なんですが」
二人は食堂の中に入る。が、ノアが言ったような都合の良いことはなく、案の定無人のままだった。
立香とノアは死んだ目で顔を見合わせる。
「これ完全に異常事態ですよね。嫌ですよ私は。ついこの前特異点修復したのに、バトルなんてしたくないです」
「それか新手のスタンド使いの攻撃だな。とりあえずこの状況、確実に言えることがひとつだけある」
「ほほう、何ですか?」
ノアは意地の悪い笑みを浮かべて、
「俺たちが好き勝手しても咎める人間はいないということだ───!!」
「……なるほど、確かに───!!」
そんなこんなで、カルデアの悪性新生物ことEチームマスターズは公共の場である食堂を植民地化した。彼らは厨房の冷蔵庫をがばりと開け放つ。
食材をガサゴソと漁りながら、立香は大いに瞳を輝かせる。その目は無邪気な少女のものというよりも、欲望に塗れた獣の眼光であった。
「うわあ、何だかすごくテンション上がってきましたよ! 食パンにとろけるチーズ一袋まるまる乗せていいですか! チーズでトロットロにしてもいいですか!?」
「ああ、さけるチーズを裂かずに食べてもいいぞ!」
「やったああああ!
などという知性をゴミ箱にかなぐり捨てたような言動を繰り返しながら、立香とノアは肥満気味のガキ大将が思い描く理想の料理じみた食品廃棄物を量産していく。
元々、理性という名のブレーキが故障した面子である。ドッグランに二頭の獅子を解き放つようなものだった。ライオンはサファリパークにいるから可愛らしいのであり、それ以外の場所に連れ出せばネメアの獅子とほぼ相違ない。
立香とノアを好きにさせるとは、そういうことだった。
食堂がサバンナと化した数分後、息を切らしたマシュが、その扉を勢い良く開けて叫んだ。彼女は両手でダンボール箱を抱えている。
「大変です! カルデアのスタッフがボイコットを始めました!!」
そこで、彼女はテーブルに並ぶ食品廃棄物と、チーズに埋もれたトーストを頬張るマスターたちの姿を見た。
彼らは唖然とするマシュに暫し視線を注ぐと、何事もなかったように向き合って喋り始める。
「マンボウって99.99%は大人になれないらしいですよ。確率にすると宝くじで一等当てる十倍難しいんですって」
「マジかよ、そんなもん食ってんのか俺たち。ヤベーなオイ」
「マンボウ如きにわたしの存在感が負けた……!?」
道端に転がる小石ほどどうでも良いマンボウの豆知識に後回しにされ、マシュは愕然と目を見開いた。
しかし、その程度で二の足を踏むマシュではない。ダメ人間の扱いは慣れている。慣れたくもなかったというのは言うまでもないが。
彼女は立香とノアの間を遮るべく、ダンボール箱を力強くテーブルに置いた。その衝撃でチーズ浸しになったトーストと他の食品廃棄物が四散する。
「馬鹿野郎ォォ!! 俺たちの
「あのような食への冒涜を
「夕張市の風評被害がすごい……」
マシュはダンボール箱を開ける。その中にはアンケート用紙のようなプリントがぎっしりと詰まっていた。
立香は怪訝な顔をする。
「これは?」
「リーダーと先輩に対する苦情文です。お二人が来てから、カルデアの意見箱は前年比五倍の投書率を誇り、遂に今日ボイコットに繋がったと……」
「ああ? 感謝はされても苦情を言われる筋合いはねえぞ。こちとら世界を救うマスターだからな。勇者が壺壊したところで叱る村人なんていないだろ」
「リーダーはともかく、私は至って普通の優等生を貫いてると思うんだけどなあ」
「こんな惨状を生み出しておいて、よくそんな口が利けますね!?」
どこまでも面の皮が厚いのが立香とノアだった。その鉄壁の皮の前には、生半可な説得は全くの無意味。それどころか反撃されるのがオチだろう。
マシュは数枚の投書を手に取ると、咳払いを挟んでそれらを読み上げる。
「リーダーに関してはこんなクレームが寄せられています。〝いざという時にしか役に立たない〟〝もうずっとミストルティン撃ってろ〟〝カルデア内で人類悪に最も近い男〟〝なんでクリプターじゃないの?〟〝頼むから一発殴らせてくれ〟」
「よし、それ書いた奴ら全員俺の前に連れてこい。ひとりずつしばき倒してやる」
「うーん、でも割と真っ当な意見だと思いますよ? というか、リーダーに比べたら私なんて聖人に見えるんじゃない、マシュ?」
立香に問われ、マシュは咄嗟に顔を背けた。
「そ、そうですね」
「あれ!? なんでこっち見ないの!?」
「藤丸のもあんだろ、出し惜しみしないでさっさと出せ。こうなったら俺以外にも犠牲になってもらう」
「くっ! 自分がもう傷を負ったからって……!!」
マシュはダンボール箱の中から用紙を掴み、声に出す。
「先輩については、〝たまにそこはかとない狂気がうかがえる〟〝ホットケーキミックスを素材のまま食べるな〟〝距離の詰め方がエグい。アサシンのようにパーソナルスペースに入り込んでくる〟〝もっとちゃんとヒロインらしくしろ〟〝ゴキブリを素手で掴めそう〟などの意見が……」
「ホットケーキミックスそのまま食うとか原始人でもそんなことしねえぞ。ホットケーキになれなかったホットケーキミックスの気持ち考えたことあんのか」
「べ、別に良いじゃないですか! 素材の美味しさが絶妙で昔から好きなんです! そもそも最後のゴキブリ云々は完全にイメージで叩かれてるんですけど酷くないですか!!?」
クレームの内容はともかくとして、カルデアスタッフたちの鬱憤が溜まっていたことは間違いなかった。
立香とノアが来る前のカルデアは、激務に次ぐ激務とはいえ悩みの種は少なかった。精々がオルガマリー所長による常習的なパワハラ程度であり、概ね平和が保たれていたと言えるだろう。
それを破壊したのがこの二人であり、人理焼却後は仕事が増えた上に彼らに悩まされるというダブルパンチをスタッフ陣はくらっていた。
ちなみに、素のホットケーキミックスは含まれているデンプンが消化できないので、食べすぎるとトイレに籠もる羽目になる。決して真似してはいけない。
立香はダンボール箱の中を覗くと、他の書類の隙間に挟まれた意見書を発見した。
「この投書はマシュ宛てみたいだけど?」
「えっ」
「〝最近ツッコミをサボっている。黒い女の子が可哀想。ピンクなすびはピンクなすびらしく煮浸しにされるか焼かれるべき。むしろ焼きたい〟……だって」
「そ、そんなはずは……」
マシュは紙を受け取る。差出人の名前を確認しようと裏面に返すと、そこには黒い煤がべっとりと付着していた。その煤と文面から考えるに、差出人として浮かび上がるのはひとりしかいない。
「これジャンヌさんですよね。絶対にあの人しかいませんよね」
「シャドーハウスからの贈り物じゃない?」
「いや、確かにジャンヌさんは黒いですけど!!」
思わぬ一撃にマシュはうろたえる。
彼女自身、最近はツッコミ役を放棄していた自覚があったのだろう。その反応は図星を突かれたものに違いなかった。
ノアは肘をつきながら、ため息をもらす。
「で、ボイコットした連中はどこにいるんだ」
「箱の上にムニエルさんからの手紙が置いてありました。それによると〝ノアトゥール。お前の大切なものをひとつ預かった。取り戻したくば指定の座標にレイシフトしろ〟という文言が」
「おいおい、誰がオフの日にレイシフトなんてするかよ。もっと俺たちを労れ」
「リーダーがスタッフを労らなかったせいでこうなってるの理解してます?」
立香は何の気なしに指摘する。
「でも、リーダーの大切なものをひとつ預かったってありますけど」
「人は誰しも大切なものを失って大人になんだよ。それが人生ってもんだろうが。財布の奥底にあったクーポン券失くした時とかな」
「スケールが小さすぎません?」
「喪失の大きさってのは人それぞれなんだよ。スケールの大小じゃねえ」
そう言って、ノアは立ち上がる。彼が食堂の扉に手を掛けたその時、マシュは言った。
「どこに行くんですか?」
「しょんべんだよ言わせんな恥ずかしい」
「とても羞恥心がある人の言葉じゃないのですが!?」
ノアの姿は廊下に消えていく。
脱走した猫ではないが、今回ボイコットを敢行したスタッフたちもしばらくすれば戻ってくるだろう。立香もマシュも、そこまで問題視していないのが本音だ。
そうして、一分も経たないうちにノアは食堂に戻る。不遜な顔は鳴りを潜め、どんよりとした雰囲気を纏っていた。
彼は額の辺りを手のひらで覆い、くぐもった笑い声を捻り出す。
その異様な様子に、立香とマシュは戦慄した。
「おまえら、すぐに準備しろ。レイシフトするぞ」
「急にどうしたんですか。戻ってくるの早いですね。さっきまであんなに乗り気じゃなかったのに」
立香の言い分に、マシュも頷いて同意する。
そんな二人に、ノアは口端をひくつかせて言った。
「───決まってんだろ、俺のタマ取り返しに行くんだよ!!!」
「「…………タマ?」」
数秒を経て、立香とマシュはその意味を理解する。マシュは顔を赤らめて黙り込み、立香は呆れたような無表情になる。
「……あの、ド下ネタぶっ込んでくるのやめてくれません? 私たち清楚系女子なんで」
「こちとら大切なものひとつどころか両方いかれてんだよ! キャトルミューティレーションされてんだよ! ムニエルあの野郎絶対許さねえ!! 生まれた時から苦楽を共にした相棒……相玉を連れ去りやがって!!」
「全然うまくないです。リーダーひとりで取り返しに行ってきてくださいよ。私とマシュはご飯食べながら待ってるんで」
「うるせえ、おまえらも道連れにするに決まってんだろ! リーダー命令だ、来い!!」
という訳で、三人はレイシフトを行うことになったのだった。
ムニエルに指定された座標にレイシフトを行う。
これまで攻略してきた特異点とは比較にならないほどの規模ではあるが、そこは確かに特異点としての要件を満たしていた。
夜空を照らす月を背景として、鬱蒼とした森の中に何やらおどろおどろしい城が立っている。
ノアたちが転移した場所は、ちょうどその城の門の前だった。城門の上には〝この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ〟と銘文が彫られている。ダンテの『神曲』地獄篇において最も知られる、第三歌の名句だ。
ノアたちはその銘文を眺めて、
「……なんであいつまでムニエルの味方に回ってんだ。出番に貪欲すぎるだろ」
「隠れ蓑の女性のエピソードからも分かるように、ダンテさんはほんのりとクズですからね。文豪は得てしてダメ人間が多いですが」
「近頃マシュの言葉のトゲが増してる気がする……」
彼らは門をくぐり、城の扉に手をかける。傷んだ木材が悲鳴のような唸りを立て、城内に足を踏み入れた。
目を凝らしてようやく視認が能うほどの暗闇。本来なら火が灯されているはずの燭台にはろうそくすら刺しておらず、窓から僅かばかりに射し込む月明かりを頼るに進むしかない。
心なしか怖気を誘う冷たい空気に、立香は身震いした。マシュは立香に寄り添うように立つ。
「な、なかなか雰囲気がありますね。暗闇は人間の恐怖と不安を掻き立てると言いますが、まさかこれほどとは思いませんでした」
「うん、私も昔行ったお化け屋敷よりずっと怖い気がする。というか、スプラッタ映画とかホラー映画だと今の私たちって冒頭に殺される役回りだよね」
「その時はリーダーを盾にして逃げましょう。相手が生物ならまだしも、幽霊の類ならわたしはダッシュで逃げます。全身全霊です」
「リーダーなら寺生まれのTさんみたいに『破ァ!!』とかできるんじゃない? どうなんですか、リー……」
立香の言葉は途中で止まる。
城に入ってからずっと黙りこくっていたノアは立香とマシュの間に体を入れて、彼女たちの手を掴んでいた。
立香はその手から微妙な震えを察知すると、端的に言う。
「…………えっ、もしかして怖いんですか。幽霊」
「オイオイオイ、何言ってんだ藤丸。魔術師が幽霊怖がってたら終わりだろうが。そもそもサーヴァントが幽霊Lv.99みたいな奴らだぞ。恐れる道理がねえ」
「その割に手汗が手袋貫通してきてるんですけど。がっつり震えてますし。怖いんですか? 怖いんですよね?」
「違う、これは暑いだけだ。もし仮に幽霊が出てきたとしても、霊体に作用する魔術なんざ腐るほどある。一発で昇天させてやるよ」
「語るに落ちるとはまさにこのことですね」
マシュがぼそりと呟いたその瞬間、真っ暗闇の廊下が突然ライトアップされる。
耳の奥でエイリアンが四重奏を奏でているかのような歌声とともに、ギラギラと輝く色とりどりの光が踊った。
それが止むと、ひとりの少女と青年がスポットライトに照らされて現れる。三人にとって前者は見覚えがあるが、後者の青年は初めて見るサーヴァントであった。
頭頂から爪先までピンクの衣装で身を包んだ少女は、自信満々に目配せをする。
「よく来たわね貴方たち! 才色兼備のトップアイドルことエリザベート・バートリーのチェイテ城に!!」
エリザベートはちろりと舌を出して、あざとく笑う。それを見たノアたちは声を揃えて率直な感想を述べる。
「「「またか…………」」」
「ちょっと! またって何よ!? せっかく私と再会したんだから泣いて喜ぶのがファン心理でしょう!」
「誰がおまえのファンになったんだよ。とうとうギャグ回にまで進出してきやがって、ひな壇で目立とうとする若手芸人か」
「フランスとローマで十分出番はあったじゃないですか。レギュラーならまだしも、こんなところに出演してもギャラは発生しませんよ?」
立香の指摘を受けて、エリザベートは目を丸くした。
「えっ!? 私って準レギュラー的な立ち位置じゃなかったの!?」
「んなわけねーだろ。何回出てくるつもりだおまえは」
「てっきり一章に一回は出演させてもらえるのかと思ってたわ……」
「このアイドル、売れようと必死すぎませんか!?」
マシュはエリザベートの貪欲さに驚愕する。
現代のアイドル業は、下手すれば日本や中国の戦国時代より血みどろの争いを繰り広げている魔境である。その勢力は地下から表まで千差万別、売れるまでにどれほどの苦労を積むのか容易に想像できない。
始皇帝が中華を統一したと思ったら項羽が暴れ散らかし、劉邦が後片付けをするという流れを何度も繰り返すのが芸能界。どんなアイドルも化けの皮の下には凶暴な獣を飼い慣らしているのだ。
それはそれとして、ノアたちの目はエリザベートの隣の青年へと向けられる。
煤けた白髪と褐色の肌。身長はノアに迫るほど高く、板についた執事ぶりで燕尾服を着こなしている。どことなくクラス名詐欺な戦い方をしそうなサーヴァントだ。
立香は首を傾げて、エリザベートに問う。
「エリザベートさん、そっちの人はお仲間ですか? サーヴァントだっていうのは分かりますけど、初対面ですよね」
「ええそうね、子ジカたちに挨拶してあげさない!」
青年は渋々といった表情で口を開く。
「アーチャーだ。私は何度も断ったのだが、今回君たちの案内役を押し付けられた。非常に不本意だがね」
アーチャー。言わずと知れた弓兵のサーヴァントだ。格好からすればバトラーと称するのが適当だろうが、しぐさの節々に現れる身のこなしは紛れもなく戦場に身を置く者のそれだった。
真名ではなくクラス名を名乗ったアーチャーを見て、ノアたちは各々の感想を放り投げる。
「すみません、今から真名を解き明かすのは流石に面倒というか……」
「どうせネットで調べればサーヴァントの真名なんて分かりますからね。真名看破スキルなんてスマホ一台で再現できる時代です」
「クラス名でサーヴァントを区別できる時代はもう終わったんだよ。真名を名乗れ真名を」
アーチャーは大いに頭を抱えた。何よりも、この場に真っ当な頭の人間が自分しかいないことに絶望した。
「くそっ! 真名予想というロマンを解さない現代人どもめ!!」
「安心しなさい! 今時は覆面アイドルとかも狭い界隈で流行ってるから、逆に真名を隠すのをアイデンティティにすればいいわ! それとも芸名を思いっきり特徴的にしてみるとか?」
「いつ私がアイドルになりたいと言った……!?」
わめくエリザベートとアーチャーの会話に割り込んで、マシュは手を挙げる。
「そもそも、お二人はなぜここにいるんですか? 格好も一風変わっていますが」
「ダ・ヴィンチちゃんにチャーリーとチョ○レート工場っぽい衣装を発注したらこうなったのよ。ギャラも出るらしいし」
「なるほど、ジョニー・デップの役回りですね」
「ええ! そういう訳だから、みんな私についてきなさい!」
エリザベートは息巻いて廊下を進もうとする。だが、彼女はアーチャーがどこからともなく造り出した縄に縛られ、床に転がされた。
「古今東西、魔王の城に乗り込む勇者パーティは四人が限度と相場が決まっている。君にはここで茶番が終わるまで待機していてもらおう」
「台本が1ページしかなかったのはそういうこと!? 謀ったわねアーチャー!」
「それは自分で気付くべきではないか……? 本音を言うと、ギャラを支払う金が足りんのだよ。どうしても出たいと言うなら、CGと機械音声で後付けするしかない」
「何よそのクソ映画みたいな撮影事情は!?」
とにかく、そういうことらしかった。カルデアのスタッフたちの資金力では、エリザベートを満足に扱うことはできなかった。チェイテ城を貸し切る料金だけで力を使い果たしたのだろう。
芋虫のようにのたうち回るエリザベートを尻目に、アーチャーを加えた一行は廊下を突き進むことになった。
立香はそれとなくアーチャーに訊く。
「それで、アーチャーさんのことはどう呼べば良いんでしたっけ」
「ジョニデで良いだろ」
「ウィリー・ウォンカはどうでしょう?」
「あー分かったエミヤだエミヤ! ジョニー・デップでもないしチョコレート工場の工場長でもない!!」
半ばヤケクソになったアーチャーは、あっさりと自分の真名をさらけ出した。
ジークフリートやアキレウスのように分かりやすい弱点がある英霊ならともかく、ペレアスなどは真名が露呈してもデメリットは少ない。アーチャーもそのひとりだろう。
彼は自嘲的に笑い、
「実は冬木の特異点で登場するはずだったのだがな、お前たちがあの魔術師に任せて先に行くから私の出番が丸々カットされてしまった。そう! スタッフ同様私もお前たちに恨みを持つ者であることを忘れるな!!」
「さ、逆恨みにも程がある……」
「それで、あいつには勝ったのか?」
ノアの質問を受けてアーチャーはぎくりと震えた。数秒の沈黙を経て、彼は声を捻り出す。
「…………あれはほぼ私の勝ちと言って差し支えないだろう」
「煮え切らない返答だな。勝ったなら俺たちのところに割り込んでくれば良かっただろ」
「そうしたいのは山々だったのだがね。あの時の私は肩こりに口内炎、さらに漠然とした将来への不安などの重荷を背負って戦っていた。故に──」
「言い訳がましすぎるだろ! 精も根も尽き果てた上でのギリギリの勝ちじゃねえか! ほぼ勝ちっつうか精一杯の引き分けだろ!!」
「あの男がランサーならまだしもキャスターのクラスで、私が遅れを取るはずがなかろう! 前日の睡眠不足さえ無ければ完勝していた!」
「この期に及んでその言い訳は通用しませんよ!?」
という無駄なやり取りをマシュは遠い目で見つめていた。だらだらと移動して、一行はチェイテ城の一階大広間に到着する。
広間の中央から伸び、左右に折れ曲がる上階にあがる大階段の奥の壁に、映画館のスクリーン並のモニターが取り付けられている。一行の来訪と同時にモニターが発光し、見覚えのある下膨れ顔がでかでかと映し出された。
下膨れ顔の彼は頭の上半分をすっぽりと覆う兜のような仮面を被り、赤を基調とした特徴的な衣装を着込んでいる。
日本の国民的ロボットアニメの赤い彗星に酷似したコスプレをするモニターの人物に、立香は真顔で言った。
「……誰?」
「『ご覧の通り軍人だ』」
「軍人っていうか変人でしょ」
「『これが宇宙世紀0079年のセンスなんだよ! どこからどう見ても純然たるシャアでしょうが!!』」
「そんな下膨れのシャアなんて認めない! ケツアゴならまだしも! コスプレするならアンパンマンとかにすれば良かったのにって皆思ってるよ!」
「『ちょっと待って、それは普通に傷付くからやめよう? この状況でイニシアチブを取るべきは本当はムニエルくんの方だよ? ネタにマジレスみたいになっちゃってるから』」
若さ故の過ちを現在進行形で演じるムニエル。ノアは立香を手で制し、モニター越しにムニエルを指差す。
「ムニエル、おまえの陳腐なコスプレなんざ今はどうでもいい。それよりも俺のタマは無事なんだろうな!? 事と次第によってはその服剥ぎ取って全裸にしてから、おまえの股間引き千切ってやる!!」
「『ククク、そう言うと思って俺に危害を加えられないようにしてある! これを見ろォ!』」
モニターの画面が切り替わり、薄暗い部屋が映し出される。
そこでは、半裸になったロマンが三角木馬に乗せられていた。両手首を後ろ手に縛られ、猿ぐつわで発声の自由を奪われている。その横で、青いジャージを着崩したペレアスが退屈そうに待機していた。
ムニエルは調子づいて高らかに笑う。
「『お前らが俺に反抗するたびにドクターにお仕置きがくだされる仕組みだ! まずは景気付けにやっちゃってくださいペレアスさん!』」
「『本当はこんなことやってる場合じゃねえんだけどな、オレ。次の6章に出る準備があるんだが』」
「『大丈夫です、妖精円卓領域だからってペレアスさんは出ないですから!』」
「『うるせえええええ!! ここ外したらもうオレに可能性なんてねえんだよ! まだ出ないと決まった訳じゃねえだろうが!!』」
ペレアスは嘆きながら、先端が複数に分かれた鞭で、ぺしぺしとロマンの背中を打った。しかし、一打一打に込められた力は明らかに加減されており、衝撃だけを伝えるような鞭打ちだった。
ノアは額に青筋を浮かべながら哮り立つ。
「おい、何やってんだペレアス!!」
「そうですよ、言ってやってくださいリーダー! ドクターでも流石にアレは可哀想ですよ!」
「もっと腰入れて叩け! 鞭打ちの玄人は背中じゃなくて首を狙う! それに男を三角木馬に乗せるときは両足に重りを付けるのが常識だろうがァァ!!」
「うわあ、そうだった、この人ドSだった!!」
立香は少しでも真っ当な反応を期待したことを後悔した。ノアには基本的に人の心というものが存在しない。放っておけばペレアスに代わって鞭を取りに行きかねない勢いだ。
ムニエルは相手が思った以上の拷問ガチ勢であることを悟り、慌ててモニターを自分の顔面に戻す。
「『と、とにかくタマを取り返したくば、道中の二人の刺客を越えてこの城の最上階まで上がってこい!』」
乱雑に吐き捨てて、映像が切れる。
しんと辺りが静まり返る。明らかにずさんな会話の切り方を咎める者はもはや誰もおらず、四人は無言で歩を進めた。これ以上ムニエルにかける尺など無いのだ。
そして、二階に待ち受けていた第一の刺客ダンテを激闘の末に打ち破った一行は────
「いやちょっと待ってください! そんなナレ死みたいな真似、私は認めませんからね!?」
「分かった。ならばナレ死でなくすれば良いんだな?」
「えっ」
「『
アーチャーが放った一撃は、空間ごとダンテを消し飛ばした。マシュと立香は一瞬で処理されたダンテの残滓に向かって叫ぶ。
「先輩、ダンテさんが死にました!」
「この人でなし!」
「処理した私が言うのも何だが、君たちに仲間への情は存在しないのか?」
流れるような速さで次の階に移る。
一行を待ち構えていたのは、カルデアに来てから完全にカリスマを失ったジャンヌであった。
彼女は細長い台を勢い良く設置すると、
「腕相撲で勝負よ。ひとりでも勝てばここを通してあげるわ! 先鋒、誰でもかかってきなさい! そこのマシュマロなすびとか!」
完全に目の敵にされているマシュは立香たちの方を振り向く。
「ジャンヌさんの目がわたしを捉えて離さないんですが。腕相撲に乗じてわたしの腕を粉砕するつもりの目ですよアレは!」
「仕方ねえ。キリエライトが焼き茄子にされる前に決着をつけるべきだな」
「でもリーダー、ジャンヌの筋力はAですよ。私たちじゃとても敵いません」
「忘れたか藤丸。アーチャーの筋肉を見ろ。どう見ても筋力Bくらいはいってるだろ。後は俺たちで強化してやれば勝機はある」
「確かにそうですね! いけますか、アーチャーさん!」
三人の視線がアーチャーに集まる。
彼は余裕そうに微笑んだ。
「私の筋力は───Dだ」
それを聞いて、ノアたちは目を丸くする。
「こ、これが噂に聞く伝説の見せ筋……!!」
「わたしよりもワンランク低いじゃないですか!」
「筋肉の密度どうなってんだ。スポンジか?」
「おっと…心は硝子だぞ」
彼の名誉のために言うと、本来アーチャーは遠距離攻撃を旨とするクラスであり、セイバーなどに比べれば筋力はさほど重要ではない。むしろアーチャーのクラスで剣術を使える彼は特異な英霊なのだ。
武具を投影することで一発限りの『
にしても見た目の筋肉と数値が釣り合っていないことは間違いないが、そこはご愛敬。それを言い出したらキリがないのである。
だが、アーチャーはあえてジャンヌと相対した。
数値の上では決して勝てない力比べ。彼は燕尾服から戦闘衣装である真紅の礼装に切り替える。
礼装を靡かせるように謎の風が吹き、アーチャーは台詞を吐いた。
「───別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
ノアは一転、真剣な表情で肯定する。
「──ああ。遠慮はいらねえ。がつんと痛い目にあわせてやれ、アーチャー」
「そうか。ならば、期待に応えるとしよう」
そして。
錬鉄の英雄の戦いが始まる───!!
「ふんっっっっ!!」
「があああああ! があああああああ!!」
…………数秒後、ありえない方向に折れた腕を抱えて転げ回るアーチャーの姿があった。
彼の勇姿を見届けた立香とマシュは、わざとらしく涙を流しながら拍手を打つ。
「「これはもうアーチャーさんの勝ちということに……」」
「なるかァァァ!! 誰がどう判断しても私の勝ちでしょう! 八百長どころのレベルじゃないわよ! 相撲協会もびっくりだわ!」
「ジャンヌの言ってることも分かるけど、でもアーチャーさんは今泣いてるんだよ!」
「どこのスーパーコーディネイターよアンタは!?」
そんな訳で、一行はアーチャーという尊い犠牲を出しながらも、第二の刺客であるジャンヌを退けたのであった。
ついに一行は最上階に到着する。アーチャーは脱落したものの、残るメンバーの気合いは十分。これが最終決戦となることは間違いない。
三人の姿を認めると、ムニエルは両手を広げて低く笑い出す。
「ククク……よく来たなEチームのアホ三人衆」
「御託はいい。何で勝負するかさっさと言え、肉まん(シャア)」
「そこはせめて逆にしろよォ! それじゃあもう純然たる肉まんじゃん! シャアがおまけになっちゃってるじゃん! つーか俺のどこが肉まん!? まさか俺の輪郭のことじゃねーだろうな!!」
「別にそことは言ってねえよ。気にしてんのおまえだけだぞ」
「うっせぇぶっ飛ばす!! これでも美顔ローラーは毎日やってんだ、キレたオタクの怖さ思い知らせてやる!」
ムニエルは息巻いて、足元に描かれた魔法陣を起動させる。
「出でよ俺のサーヴァントォォォ!!」
まさかの英霊召喚。一度起動した魔法陣は術者すら止められず、英霊の座と接続された。
まるで火山の噴火のように魔力が吹き上げる。
それは誰の目から見ても、瑕疵のない儀式だった。当の術者であるムニエルは成功を確信し、密かに心を踊らせた。
ゆらめく煙。その中に見える影は疑いようもなく人型。それはムニエルの前に進み出て、口上を述べた。
「───優雅たれ」
「ふざけんなァァァァ!!!!」
ムニエルの悲痛な絶叫がチェイテ城に轟く。
優雅なおじさんを喚び出すという禁忌の召喚を行ってしまったムニエルは、倒れ込んで拳を何度も床に叩きつけた。
「もう優雅なおじさんに鮮度なんてねーよ! どこがどう優雅なのか全然分かんねえし! 大体優雅なおじさんって何だよ! この前倉庫でアゾット剣見て怯えてたしよォ!!」
ノアはふてくされるムニエルの胸倉を掴み、平手打ちを叩き込んだ。
「見損なったぞムニエル。おまえの優雅なおじさんに対する想いがそんな程度だったとはな……!」
「うん、その前に殴った理由を説明しよっか。おじさんを召喚したことよりもそっちの方で今泣きそうなんだけど?」
「触媒を用いない召喚は、術者と英霊の縁が重要になる。思い出せ、おまえにはおじさんとの記憶があるはずだ!」
「それより殴ったことを謝れよ! 父さんにもぶたれたことないのに!」
ムニエルと優雅なおじさんの目が合う。
優しさに満ちた、青い瞳。まともな言葉を持たぬおじさんだが、その瑠璃の瞳は言葉を交わさずとも慈悲深い心根を伝えてくれていた。
──瞬間、ムニエルの脳内に溢れ出した、
〝俺、あの子に告白しようと思う〟
いつかのどこか、桜吹雪の舞う校庭。
〝正直、勝ち目は薄い。明日学校中に言いふらされてイジられるのも分かってる。でも男の恋愛は玉砕覚悟の特攻が常道だろ?〟
おじさんは何も言わない。ただ優雅な微笑を保ちながら、ムニエルの話を聞いている。
受け止めるだけの姿勢が、ムニエルには心地良かった。彼は修学旅行で買った木刀をおじさんに手渡す。
〝だから…俺の魂を親友のお前に預けるよ。俺がまたここに戻ってこれるように。じゃあ、俺は行ってくる〟
おじさんに背を向け、学校の校舎裏に行こうとしたその時。
ドスリ、とムニエルの背中を木刀が突き刺した。
〝なっ…がっ……!?〟
ぴくぴくと表情筋が痙攣し、眼球が横を向く。
視界の端で捉えたおじさんの顔は、見たことのない妖しい笑みを象っていた。
ムニエルは一連の記憶を幻視し、魂が抜けたかのように崩れ落ちる。顔面は青白く、困惑の色だけがそこにあった。
「い、意味が分からん……」
「かのエレナ・ブラヴァツキーは霊視の内容を発表してはいるが、解釈自体は自分で行った。おまえが見た記憶にもきっと、何かの意味があるんだろうな……それを読み解くのがおまえに与えられた課題ってことだ」
ノアは優雅なおじさんの元まで歩いていき、華麗にハイタッチを決めた。ムニエルは瞬間湯沸し器の如く怒りを沸騰させる。
「あるわけねーだろ!! お前の豆知識は今いらねーんだよ、魔術オタクが! 夢の解釈するとか平安時代の貴族か!? 男根のメタファーか!?」
「まあそれはそれとして」
ノアはムニエルの服の裾を掴み、窓辺に向かってずるずると引きずっていく。ムニエルは抵抗しようともがくが、単純な膂力で制されてしまう。
ノアは窓を蹴り崩すと、そこからムニエルの体を吊り下げる。ムニエルの眼下に広がる漆黒の森は、強烈な恐怖を彼の心に植え付けた。
「五つ数えるうちに、俺のタマの在り処を言え。さもなければ落とす。いち、」
「だ、ダ・ヴィンチちゃんが持ってます! 言ったから助けてえ!」
「ああん? 聞こえねえなぁ! 俺への敬意と謝罪の意が篭ってねえ。窓辺からやがて飛び立たせてやろうか?」
「ま、待ってえええ! 俺の背中には遥か未来めざすための羽根なんてないから! 普通に身投げだから! 熱いパトスしかないからぁ!!」
「あなたは死ぬわ、私が殺すもの」
「そんな綾波嫌だァァァ!!!」
という風に、ムニエルによるクーデターは失敗に終わったのだった。
人間は生きる上でとにかく疲れ続ける生き物である。
仕事の悩みや痴情のもつれ、ふとした時に抜け落ちて行く髪の毛への不安感。数え切れない細やかな絶望の積み重ねは、人の心を静かに蝕んでいく。
だからこそ、人類は娯楽を生み出した。生きていくだけでスリップダメージを受ける人間にとって、娯楽は痛みを鎮めるストロングゼロなのだ。
時刻は夜更け。職員たちは各々の仕事を終え、少ないプライベートの時間を過ごすため自室に引きこもる頃合い。
食堂では、大人たちの秘密の会合が催されていた────!!
「どうも皆さん、ロマニ・アーキマンです。それでは今週も大人同士で慰め合う会を始めたいと思います」
どん、と未開封のワインボトルがテーブルの上に置かれる。ダ・ヴィンチちゃんは意気揚々とメガネを装着し、きらりと輝かせた。
「ほう、今日はワインかい。ワインの歴史は古く、初めて文献に登場したのは紀元前に成立した人類最古の文学作品、ギルガメッシュ叙事詩の中だ。そこでギルガメッシュは大洪水から逃れるための方舟を造っている大工たちに、ワインを振る舞ったという記述がある。当時のワインは糖度が低く、蜂蜜などを混ぜて飲まれていたらしいね」
「どうした急に」
「文字数稼ぎご苦労様です、ダ・ヴィンチちゃん」
「ふふ、どうもありがとうダンテさん。知識をひけらかすことほど楽しいことはないね!」
ノアはこくこくと頷きながら、
「それはあるな。ちなみに酒と魔術儀式の関わりは深く、捧げ物とする他に日本では神酒として神との一体感を得るために飲まれていたほどだ。街中で酔っ払ってるおっさんは実は、神をその身に降ろしていたという訳だな」
「なるほど、八百万の神々とは泥酔したおっさんをも内包する言葉だったのか──!!」
「お前らそれで天才名乗ってんのか?」
勝手に盛り上がるノアとダ・ヴィンチの背中を刺すように、ペレアスの言葉が放たれた。
そもそも泥酔したおっさんは神とは別の位置に属するナニカである。日本には悪霊をあえて祀り上げる御霊信仰という信仰形態があるが、おっさんの場合はそれにも当てはまらない妖怪の類なのだ。
ロマンは咳払いして、場を鎮める。
「実はこのワイン、ここにいるある人と深い縁があるんだ。ラベルを見てくれ」
ボトルを回し、四人にラベルを見せる。そこにはイタリア語で『セレーゴ・アリギエーリ』と書かれていた。
ノアはペレアスの肩に手を置く。
「残念だったな、ペレアス」
「いや別に期待してなかったからな!?」
ロマンは二人を無視する。
「そう、これはダンテさんの子孫が作ったワインなんだ! しかも650年以上の歴史を誇る名門! これもまた歴史の面白さだよね」
「ワイン造りというとピエトロでしょうか。まさかあの子がそこまで立派な家を立ち上げるとは……普通に泣いていいですか?」
「フィレンツェを追放された甲斐があったんじゃない?」
「それだけは絶っっ対に無いですけどね! 黒党の連中だけは天地が引っくり返っても許しませんから! 怒りで涙が引っ込みましたよ!!」
ダンテはフィレンツェ市外に出張していた際に、黒党が政変を起こして実権を奪われた。自分がフィレンツェにいれば政変を防げたかもしれないことを考えれば、悔しさもひとしおなのだった。
現代のフィレンツェはダンテ客死の地であるラヴェンナに遺体の返還を求めているが、彼からすれば〝そもそもラヴェンナで死んだのだから、返す返さないの話ではない〟と熨斗付けて反論するところだろう。
食堂に集まった五人は早速ワインを口に運ぶ。ロマンとダ・ヴィンチは思わず舌鼓を打った。
「私もイタリア人としてワインには一家言持つ身だけど、これはいいね。ダ・ヴィンチちゃんポイントを進呈しよう!」
「口当たりは優しいのに味がしっかり後まで残る……650年の歴史は伊達じゃないね。どうですかペレアスさん?」
「生前有難がって飲んでた酒が搾りカスみたいなもんだと分かった」
「ま、まあペレアスさんは割と古い時代の人ですし……」
ブリテン──イギリスでワイン造りが本格化したのは11世紀の頃だが寒冷な土地がブドウに合わず、長らく低迷していた。おそらくペレアスが生きていた時代のブリテンではワインは高級品であり、蜂蜜酒やエールが食卓に並んでいたと推測される。
彼にとってはダンテやダ・ヴィンチのルネサンス期ですら遥か未来だ。味覚から得られる感動は現代人の比ではないだろう。
そんなペレアスの感動に水を差すように、ノアはグラスを傾けた。
「もっと度数が高ければ文句はなかった」
「工業用アルコールでも飲んでろ」
「ナメんな、俺くらいになればそれも試したことがある。二日寝込んだがな!」
「よく二日寝込んだだけで済んだね!? 医者目線だと恐ろしいことこの上ないんだけど!」
「レフの爆弾に吹っ飛ばされた時くらい命の危険を感じたからな。二度とやらねえ」
当然、工業用アルコールを飲むことは一歩間違えればダーウィン賞受賞レベルの愚行なので、良い子も悪い子も真似してはいけない。
大声を出した影響か、ロマンの顔はみるみる内に赤くなり、ぐでんと机に突っ伏すようになる。
彼の白衣を押し上げる背中を見て、ペレアスが言った。
「ロマン……お前、もしかして太ったか?」
「えっ」
「医者の不養生かな。デスクワークが主な仕事だから運動する時間はないだろうね。ダ・ヴィンチちゃん特製体重計でも使うかい?」
「いやいやいやいや、仕事はノアくんにも手伝ってもらってるし、最近は割と健康的な生活を……」
そこで、ロマンは近頃の食生活を思い返す。
〝ノアくん、夜食といったらピザトーストだよ。食堂から材料盗んできてくれない?〟
〝春雨スープはいくら食べても太らない。なぜなら透明なものと水だから〟
〝神の子は石をパンに変えた。つまりパンを食べることは石を食べることと変わらない。ノアくん、石を食べて太るなんてことあると思うかい?〟
ロマンはFXで有り金を溶かしたような目で壁を天井を見上げた。仕事を中断して食べる夜食ほど唆られるものはない。それを共にしていたのは、ほとんどがノアだった。
窮した彼は、他人に矛先を向けることにする。
「でも───ノアくんも太ってないとおかしいよね?」
「ヤドリギが肉体と融合してる関係上、俺は代謝機能を操れる。いくら食っても太ることはない」
「何その羨ましい能力!? ボクもヤドリギ欲しい!」
「カラッカラに干からびて人型の木像になるけど良いのか?」
「……やっぱりやめとこっかな」
ナーストレンドのヤドリギとの共生は数世代を掛けて多数の死者を出しながら獲得した体質だ。他人が体にヤドリギを埋め込んだとしても、生き残る確率は非常に低いだろう。
ダ・ヴィンチは何食わぬ顔で話す。
「痩せられることには変わりないだろう?」
「脂肪よりも前に大切なものが失われてるじゃないか! 天秤にかける以前の問題だよこれは!」
「ダ・ヴィンチちゃんの発明品でどうにかならないんですかねえ。自他共に認める万能の天才ですし、冴えた器具とか作れるのでは?」
「いや、普通に運動しろよ」
ダンテとペレアスの会話を耳聡く聞き届けたダ・ヴィンチは、くぐもった笑い声を出して言った。
「そこまで言うなら仕方ない。明日までにとびっきりのダイエット器具を用意してあげよう!」
「おお、良かったですねえロマニさん! これで悩みから解放されますよ!」
「い、嫌な予感しかしない……!!」
翌日。昼時の食堂に、マシュの悲鳴が響く。
「な、何があったんですかドクター!?」
彼女の視線の先には、首から上以外の全身を鋼鉄のギプスで簀巻にされたロマンの姿があった。異様な厚みのせいで彼の見かけの身長は頭ひとつ分高くなっており、身じろぎするだけで甲高い機械音を奏でている。
生きるだけで重労働を課す拘束具に苦しめられ、ロマンの顔はげっそりとやつれていた。
ガチョンガチョンと音を立てながら、ロマンはマシュに顔を向ける。
「ん? これ? ダ・ヴィンチちゃんお手製の体型矯正ギプス『ゼッタイニヤセールMV Trinity』だけど?」
「不安にしかならないネーミングなのですが!?」
立香はそれを遠巻きから眺め、横にいる男に恐る恐る訊いた。
「もしかして、リーダーの仕業ですか」
「アレはダ・ヴィンチ単独の力作だな。俺だったら霊薬で無理やり脂肪を減らすか、暗示をかけて食欲を失くすように仕向ける。おまえもやるか?」
「正直とんでもなく魅力的なんですが、リーダーに借りを作ると百倍で返さなきゃならないんでやめときます」
ノアが提示した二つの方法は、人によっては喉から手が出るほど求めかねないモノだろう。生産者が闇金業者並に胡散臭いことを除けばだが。
ブリキ人形のようにぎこちない動きで歩き回るロマンを尻目に、ノアは唐突に言う。
「藤丸」
「はい?」
「今から俺の部屋に来い」
立香は一拍置いて答える。
「い、嫌です……新しい魔術の実験台にされそうですし」
どう考えてもろくな事にならないことは、火を見るよりも明らかだった。自らの身の安全を考えれば、彼女の判断は賢明である。
ノアはため息をつくと、懐から一冊の本を手に取った。
「それならこっちにも考えがある。今から『
「行きます! 行かせてください!」
そんな経緯を辿って、立香はノアの部屋を訪れることになった。何の変哲もない扉のはずが、どこか息苦しくなる威圧感を放っている。
招かれた理由も目的も分からないが、人類最後のマスターの片割れである自分が害される可能性は低いと立香は推測した。
どんなに衰退した家の魔術師であっても、自らの研究室は必ず守り抜く。神秘というものが知られると力を失う性質を持つ限り、研究成果を公表する訳にはいかないのだ。
とはいえ、仮にノアの秘中の秘を覗いたとしても、そのすべてを立香が理解することは難しいだろう。本人から誘われたということもあり、彼女は気負うことなく部屋に入った。
「お、お邪魔します」
そこで、特異な光景に目を奪われる。
柔らかく薫る香炉の煙。錬金術に用いられるフラスコやビーカー。本棚に整然と並べられた大量の文献。古今東西使われてきた魔術道具の数々が、書店で売っているようなタロットカードから陰陽道の護符まで幅広くガラスのケースに収納されていた。中には明らかに血濡れた人形などもあったが、立香は即座に記憶から消すことにした。
部屋の照明も蛍光灯や電球、ろうそくなど様々な光源が間接的に辺りを照らしている。ある一角では植物が栽培されていたり、またあるところではソロモン王が考え出したと言われる魔法円が描かれている。
傍若無人な性格に反して綺麗に整えられた部屋の景観は、まるでお伽話の世界に迷い込んだかのような印象を立香に与えた。
彼女は最初に感じた違和感を口にする。
「なんか…広くないですか?」
「ああ、両隣の壁をぶち抜いて造ったからな。手狭になり次第拡張していく予定だ」
「いつかは私たちの部屋も犠牲にするつもりってことですね。その時は総力をあげて抵抗します」
「望むところだ、返り討ちにしてやる」
戯れつつ、ノアはいくつか設置された作業机の前に座る。その机の上には工具と裁縫道具が機械も含めて配置されている。現代の技術を嫌う者も多い魔術師の研究室にあるとは思えない道具ばかりだ。
適当に引っ張り出した椅子に立香を座らせると、ノアは喋り出した。
「日本にはホワイトデーとかいう男に何の得もない風習があると聞いた」
「そ、そうですね。人によってはチョコひとつが指輪に変わったりする現代の錬金術と言われてます」
「俺は受けた借りは返す主義だ。喜べ、おまえから貰ったチョコレートの借りに、俺が手ずから礼装を作って贈ってやる」
どういう風の吹き回しだ、とつい口に出しそうになる。
礼装。魔術師が行使する魔術の効果を増幅させたり、それそのものが何らかの特殊機能を持つ道具の総称。最もメジャーなものはやはり杖であろう。サーヴァントの宝具も礼装の類に当てはまる場合があることからも分かる通り、その種類と有用性は千差万別だ。
「礼装っていうと、やっぱり杖とか短剣が多いんですかね。四大元素の武器、でしたっけ」
「そうだ。近代魔術の興りと共に儀礼魔術の整理と体系化が進んだことで、それに使われる四大元素武器は一般人の間でも作られるほど広まった。よく覚えてるじゃねえか」
「ふっふっふ、私の記憶力を侮ってもらったら困りますよ! 毎日がテスト前日だと思ったら楽勝です!」
近代魔術において、四大元素は四つの道具と結び付けられることになった。
火は杖、水は杯、風は短剣、土はペンタクルといったような具合だ。扱う者によっては杖と短剣が入れ替わることもある。
短剣は杖と並んでよく使われる道具で、アゾット剣を代表としてアサメイと呼ばれる魔女の短剣などがある。が、いずれにしても現代では見つかった瞬間に補導されるので、魔術師には世知辛い世の中だ。
どこかの世界で行われた聖杯戦争では、遠坂家の魔術師が杖を手に炎の魔術を発動することがあった。彼の属性と使う魔術、そして武器はしっかりと適応しており、よく考えられた設定と言えるだろう。
「おまえの魔術属性は火だ。それで言うと、杖と短剣は適していることになる。本来礼装は弟子が一人前になった時に渡すもんなんだがな。チョコレートに感謝しろ」
「こんなことだったらもっと渡しておけば良かったと後悔してます。でも、私が礼装で攻撃したところでどうにもならないというか」
「なら、おまえの希望を言ってみろ。それに合わせて作ってやる」
立香は暫しの間考えて、ぽんと手のひらを叩いた。
「エクスカリバー」
「ふざけろ」
それを造れたら誰だって苦労しない。ペレアスだって念願のビームを放つことができてしまう。ビームは発射する側にも相応の格が必要なのだ。
「……極まった投影魔術なら微粒子レベルで可能性があるか?」
「すごいじゃないですか、投影魔術! エクスカリバーは無理にしても、かなり汎用性がありそうですよね」
「そんなことはない。効率の悪さが尋常じゃない上にどんなに長くても数分で霧散する。あんなもんを好んで使うやつはただの馬鹿か大馬鹿だ」
再び、立香は頭を悩ませることになる。
夕食のリクエストを求めたら何でもいいと言われ、かえって混乱する母親の気分である。選択肢が多すぎると逆に何も思いつかない現象が起こっていた。
「そういえば、私の魔術属性は火なんですよね」
「それがどうした」
「リーダーの属性は何になるんですか? 魔術師ならひとり一個は必ず持ってるんですよね」
「……俺の魔術属性は───」
その瞬間、爆炎と轟音が部屋の扉を吹き飛ばした。
もうもうと煙立つ黒煙の中から、ジャンヌとマシュが血相変えて飛び出してくる。
「立香、私たちが助けに来たわよ!!」
「大丈夫ですか先輩! 体のどこかを改造されたりしてませんか!?」
盛大な勘違いをした二人はずかずかと部屋に入り込み、立香の両脇を固める。無残にも丸焼けになった扉を見て、ノアの低い沸点はいとも容易く限界突破した。
「何やってくれてんだおまえらァァ!! プライバシーもクソもねえ間取りにしやがって! これならマジックミラー号の方がまだマシじゃねえか!!」
「マシュ、マジックミラー号って何なの?」
「それはジャンヌさんが触れて良い話題ではありません。とりあえず先輩が無事なだけでヨシとしましょう」
「うん、ジャンヌもマシュもとりあえず話を聞こっか」
立香はノアの部屋に来てからのことを話した。チョコレートの返礼に礼装を手作りするというくだりを聞いたジャンヌとマシュは、愕然とした顔でノアを見る。
「リーダー、一回ドクターに脳のCTスキャンを撮ってもらいましょう。何か重大な疾患があるかもしれません」
「マシュの言う通りね。どこかで呪いでも貰ってきたんじゃないの? ああでも、ドブみたいな性格が矯正されるなら解くのももったいないわね」
「おまえほどじゃないけどな」
「はあああん!? アンタにだけは言われたくないんですけど!!」
「はーいストップストップ! どうどう!」
立香は一触即発のノアとジャンヌの間に割り込んで、どうにか押し止める。何とかして二人を引き離し、マシュが口を開く。
「それで、どんな礼装にするか決まったのですか?」
「今さっき決めようとしてたところなんだけどね。中々良いものが思いつかなくて」
「用途を考えると、普段身に着けやすいものが良いのでしょうね。わたしがパッと思いつくのは指輪や首飾りでしょうか」
「それはどうなのよ。そういうのはもっと深い間柄の男女が贈り合うものでしょう。どうせこいつに作らせるなら、ガンダムくらい複雑でデカいのでも良いんじゃない」
ジャンヌの提案を受けて、立香は真剣に切り出した。
「じゃあ、νガンダムでお願いします」
「アクシズでも押し返すつもりかおまえは」
「Eチームは伊達じゃない──!」
「伊達ですらない、が正しいかもしれませんね」
このままでは埒が明かない。マシュはアイデアを求めて周囲を見渡し、立香の頭に視線を行き着かせる。
「先輩、髪留めはどうでしょう。女性の魔術師は髪の毛に魔力を貯める方が多いらしいですし、手をかけた髪留めは一石二鳥だと思います」
髪の毛は大量にあって、かつ失っても痛くない自分の体の一部だ。
髪に呪力が宿るという考えは東西を問わず広まっており、宗教によってはしばしば忌避される対象にもなる。魔術の触媒として、これほど適したものも少ないだろう。
立香は黄色のシュシュを外し、ノアに渡す。
「こんな感じでお願いできますか?」
「ああ、二日あれば作れる。精々楽しみにしとけ」
そして、二日後。
廊下で立香と鉢合わせたノアは雑に髪留めを受け渡した。
色合いそのものは前のものと大して変わらないが、表面には目立たないように細い金糸で緻密な紋様が刺繍されている。
見た目と大きさとは裏腹に、高度な魔術理論が編み込まれた髪留めの中には強い魔力の気配があった。
「わ、ありがとうございます! つけてみても良いですか?」
「もうおまえのものだ。好きにしろ」
黄色いシュシュを外して、受け取ったそれで髪を結び直す。立香は気恥ずかしそうに笑った。
「どうですか、似合ってます?」
ノアは数秒沈黙して、茶化すように、
「俺の傑作にモデルがいまいち負けてるな。やっぱ返せ」
「えーっ、絶対に嫌ですよ! もう私のものですから!」
──分かっている。これは彼にとっては借りを返しただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
それでも。
だからこそ。
そこに特別性を見出してしまうのは、きっと気のせいではなかった。
『神約・終世の聖枝』
ランク:D〜EX 種別:対神、対不死宝具
ミストルティン。完全無欠の美神バルドルを死に追いやったヤドリギ。北欧神話のトリックスターであるロキによって見出され、ヘズの手に渡った。光の神であるバルドルを失い、世界はラグナロクへと向かうことになる。
光は世界を構成する重要な要素である。日本における天岩屋戸神話やヨハネの黙示録における終末の風景、そしてラグナロクなど光(≒太陽)が失われることで世界が混乱に導かれる伝承は枚挙に暇がない。つまりヤドリギは、生死のバランスを調律する反面、世界を滅ぼしかねない危うさを兼ね備えている。光の神を盲目の神が殺したという事実は、どこか皮肉めいていると言えるだろう。
神性、もしくは何らかの不死性を持った相手には絶対(EXランク)の力を有する。が、それ以外の相手にはDランクの射撃程度の威力しか発揮できない。ただし、槍の形態だとCランクに攻撃力が上がり、近接攻撃が可能になる。
世界の何者も何物も、バルドルを殺すことはできなかった。なぜ神殺しの武器がヤドリギでなくてはならなかったのか、ミストルティンが何処より生まれ出たのか、その真実を知る者はもはやノアトゥールのみである。
また、ミストルティンの形状は矢とも槍とも、あるいは剣とも言われている。ヤドリギを投擲する際、矢と槍に変化することは確認されているが、剣を造り出す術はノアトゥールをしても発見されていない。
ネーミングは『聖約・運命の神槍』のパクリ。