自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第33話 不思議の国の■■■

「……来い。暫し貴様らの相手をしてやろう」

 

 黒き聖槍の王は得物を構える。

 マシュは一目見て、その騎士がサーヴァントの域を飛び越えた存在であることを確信した。

 武術を身に着けた立ち居振る舞いもさることながら、纏う英気はこれまでに出会ったサーヴァントの誰よりも暗い禍々しさに染まっている。

 常人を遥かに超越したデミサーヴァントの目を以ってしても、攻めいる隙が見えない。背後や地中、果ては異界からの攻撃でさえも、黒き聖槍の王は防ぎきってみせるだろう。

 そう思わせる根拠は黄金色の眼光にあった。

 清廉な魔力を孕んだ眼差し。それに射竦められると、自分でさえ気付かぬ筋肉の蠕動、魂の色までもが見透かされているような気分になる。

 纏わり付く殺気、死の気配。それらを振り払うように、ジャンヌは剣を引き抜いた。

 

「──魔力をあるだけ寄越しなさい、アホ魔術師。それだけがアンタの取り柄でしょう」

「誰がおまえなんかに……と言いたいところだが仕方ねえ。その代わりに必ず倒せ」

「あの、リーダーとジャンヌさんは魔力のパスが繋がっていないはずですが?」

 

 マスターとサーヴァントは魔力を供給する目に見えない経路で繋がれている。カルデア式の召喚で現界したジャンヌは、契約者である立香とカルデアから送られる魔力で存在を維持している。ノアはジャンヌの現界において役割を持つ必要がないのだ。

 無論、パスを繋ぐ方法はある。強化や投影くらいしかまともに使えないへっぽこならともかく、一般的な魔術師は軽い接触程度でパスを形成できるだろう。

 マシュの指摘を受けて、ジャンヌは顔色を青くする。

 

「こ、こいつと触れ合うの!? 無理無理無理、絶対に嫌なんですけど!」

「ふざけろ、こっちから願い下げだ。……カルデアからのパスを弄って俺と接続した。これでいけるだろ」

 

 ノアの言う通り、ジャンヌは確かな実感を得た。

 乾いた砂に水が染み込むように、体の隅々まで魔力が行き渡る。膨大な熱を秘めた黒炎を全身から立ち昇らせて、彼女は黒き聖槍の王に宣言する。

 

「どこの英雄だか神様だか知らないけど、私たちの前に立った以上は排除させてもらうわ。立香(りつか)とアンタが鉢合わせないためにもね───!!」

 

 そして、霧の都を炎の嵐が席巻した。

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 先手必勝、宝具の全力解放。

 触れるもの皆熔かす炎の風が吹き荒れ、灼けた鉄杭が雨霰の如く降り注ぐ。

 並のサーヴァントならば余波だけで葬る炎の嵐はたったひとり、黒き聖槍の王を殺すためだけに牙を剥いた。

 甲冑の下で、騎士は口の端を吊り上げる。

 

「……喩えるならスルトの火焔、もしくは堕落の都を滅ぼした硫黄の火か。面白い」

 

 槍を中心に風が渦巻く。

 豪風の中に黒い燐光が夜空の星々の如く瞬き、一本の風の槍と化す。

 聖槍の最大稼働。上級宝具に匹敵する一撃を以って、炎嵐への迎撃とする。

 

「──『風王鉄槌(ストライク・エア)』」

 

 それは、嵐の王としての本領。

 風の大槍が振るわれた瞬間、燃え盛る炎の大嵐に真空の断層を作り出す。

 一瞬の威力ならば上回る。しかし、火力を維持する持久力では大きく遅れを取る。嵐の王は手綱を捌き、風を纏って真空の道へと乗騎を走らせる。

 狙うはノアと二人の作家。堂々と構える前者と違って、作家たちの反応は対照的だった。

 

「く、ははははは! 素晴らしい! なんと心躍る光景でしょうか! 神話の戦いにも引けを取らぬ激突──それをこの目で見られるとは!!」

「お前はアホなのか!? 死は救いだが流石にコレは望んでない! こんなところにいられるか、俺は書庫に戻るぞ!」

「おい死亡フラグ立ててんじゃねえ! こっちにまで飛び火したらどうするつもりだ!?」

「ふん、どうせやられるならお前も道連れだアホ白髪! 見ろ、地獄の門はすぐそこに開いているぞ!」

 

 わちゃわちゃと喚く三人を尻目に、マシュは盾を地面に突き立てる。

 嵐の王によるランスチャージ。意を決したその時には既に、聖槍の穂先は迫っていた。

 腕の感覚が弾け飛ぶ。槍の鋭さに速さと重さが乗り、小隕石の追突に劣らぬ衝撃がマシュを襲った。目も眩むような感覚の中で、彼女の本能は未だ警告を唱える。

 漆黒の流星が描く軌跡。それを視界の端で捉える。嵐の王は鋭い弧を描き、再度の突進を敢行しようとしていた。

 

(切り返して───来る!)

 

 身構え、槍の穂先が迫る直前。

 

「〝ēoh byp ūtan usmēpe trēow, heard hrūsan fæst, hyrde fӯres, wyrtrumun underwrepryd, wynan on ēple〟───eihwaz(エイワズ)!!」

 

 マシュとその盾に青白い光が灯る。

 ノアが詠唱したのは防御のルーン。その成り立ちを遡ることで、古い神秘を扱おうという試みであった。

 守るという行為を概念的に強化する、即席の大魔術。現代のルーンでは成し得ぬほどの護りの加護。それを一身に宿し、マシュはもう一度槍撃に相対する。

 巨岩のような馬体が嘶き、マシュの体を盾ごと打ち据える。押え切れぬ衝撃に後退するが、感覚は正常に働いていた。

 

「リーダー、助かりました!」

「礼はいい。盾の方の加護は一撃で解けた。失敗だ。次はおまえに一歩も動かせない。それより作家どもも働け!」

「無茶を言うな! 今の突進は俺が二千人いても止まらんぞ! 空手家にとっての瓦にすらなれん!」

「『天は自ら行動しない者に(Heaven doesn’t extend a hand of help to)救いの手を差し伸べない(the person who doesn’t behave personally.)』。良いモノを見せてもらった代わりに、吾輩も戦いで報いてみましょう……!!」

 

 シェイクスピアは右手を空に掲げる身振りをする。

 すると、陽炎のように周囲が揺らめき、無数のジャンヌの幻影が現れる。シェイクスピアという英霊が用いる数少ない魔術『劇団』。彼の意思に応じて姿を変え、役を演じる一座であった。

 幻影故に戦闘力は皆無。だが、彼の卓越した作劇が本物と見分けがつかぬほどの真実味を幻影に与えるのだ。

 それらは全て嵐の王へと突撃する。その意図を読むのは容易い。迫る大群を風で薙ぎ払い、槍を背負うようにして背後からの一撃に備える。

 読み通り、槍は本物のジャンヌが放った旗の穂先を受け止めた。平然と鍔迫り合いながら、嵐の王は冷徹に呟く。

 

「やはり偽物に紛れる肚だったか。児戯だな」

「アンタにはそうでしょうね。でも、私はひとりで戦ってる訳じゃないのよ」

「……ほう」

 

 金色の眼は既に吹き飛ばしたはずの幻影の方に向く。ジャンヌの幻影が散っていく中、全面に盾を構えたマシュが接近していた。

 幻影と本物の挟撃。二重のブラフ。盾に遮られたもう一方の手には、黄金のヤドリギで造られた短槍を隠し持つ。

 相手が神性か不死性を有するなら必殺。そうでなくとも、槍が直撃すれば当たり所によっては致命傷になる。加えて、相手の得物は今塞がっている。対応する手はない。

 槍を突き出すと同時に、マシュは真名を唱える。

 

「『神約・終世の聖枝(ミストルティン)』───!!」

 

 対して、嵐の王は槍を持たぬ左手を黄金の穂先にかざし、

 

()()()

 

 獅子の頭部を形どった精霊の魔弾が、槍を粉砕した。

 直後、嵐の王は聖槍を力強く振るうとジャンヌを引き下がらせる。マシュとジャンヌは攻撃を防がれたという事実よりも、先の一撃に驚愕する。

 

「今のが、ガンド……!?」

 

 マシュは喉元にせり上がる疑問を止められなかった。

 ガンド。その魔術は知っている。指を差すことで相手を呪う術であり、熟達したそれは物理的な威力を伴うようになる。立香やノアが過去にも使ったことのある、汎用性の高い魔術だ。

 だが、今のガンドはあまりにも異様。獅子を象るガンドなど聞いたことも見たこともない。事実を目の前にしてもいっそ、別の何かであると説明された方がまだ納得がいく。

 嵐の王はその反応の方が不思議そうに、しかし無機質な声で言った。

 

「これをガンドと言わずして何をガンドと言うのか。そこな魔術師も知っていよう」

 

 ノアの頬を一滴の冷や汗が伝う。

 

「……ガンドが指を差して人を呪う魔術になったのは、おそらく時代が下った後のことだ」

 

 ガンドには複数の意味があるが、その内のひとつはヴァイキングの呪術師が召喚する動物の精霊のことを指す。

 そも、北欧神話の世界蛇ヨルムンガンドの名前は『大いなる精霊』を意味する。その時点でガンドという語が精霊と動物を表すことは明白であろう。

 呪術師は対象に精霊を送ることで呪いを行う。が、指を差すという動作は、精霊を送る対象を指定することに由来すると思われる。つまり、現代におけるガンドとは指を差す動作だけを呪術として切り取ったものなのだ。

 解説に続けて、ノアは口元を歪めつつ、

 

「ガンドの原典を使う魔術の腕前に、ふざけた槍術……おまえは誰だ? オーディンなら馬は八本足のはずだ」

「生憎、今はオティヌスと名乗っていてな。スレイプニルはここにはいない」

 

 ノアは小さく舌打ちした。

 真名を名乗ったということはつまり、自らの弱点を晒したところで脅威はないと判断されている。

 オティヌスにとっては訊かれたから答えたまでに過ぎない。多少の理不尽さを踏まえつつ、ノアは噛み付いた。

 

「俺が一番嫌いなのは他人にナメられることだ。俺たちでおまえを馬上から引きずり落としてやる」

「威勢が良いな、白い魔術師。だが、時間が来た。ここまでだ」

「はあ──?」

 

 ぬるい風が、肌を撫でる。

 湧き上がるのは怖気と寒気。

 黒く濁った怪風が辺りを包むと、途端に抗い難い眠気がノアたちを等しく苛んだ。

 理性や根性でどうにかなる睡魔ではない。アンデルセンとシェイクスピアが最初に倒れ、残された三人も膝をつく。意識を手放しかけている彼らに、オティヌスは声をかける。

 

「命は取らない。寝込みを討つのは趣味ではないからな。しかして思い知れ、貴様らは私の慈悲によって生かされたということを」

 

 その時、ブチンと何かが切れた音がした。

 ノアは唇を噛み切っていた。消え行く意識を痛みでほんの少し取り戻した彼は、怒り心頭の表情でオティヌスに突撃する。

 

「散々上から目線で物言いやがって! せめて一発はおまえの顔面に叩き込んでやらァァァ!!」

「愚かしさもそこまで行くと一種の持ち味か。褒められたものではないが。ああ、むしろゲテモノだな」

「うっせえ! ゲテモノほど美味い法則知らねえのか!? やっぱおまえは二発殴る! サーヴァントだろうが知ったことか!!」

「まさかここまで馬鹿とは、その真名が泣くぞ。……仕方ない、やれ。どうせ死にはしない」

 

 嵐の王の騎馬が嘶き、後ろ足でノアの胸を蹴り飛ばす。

 その打撃で彼はようやく気絶し、マシュとジャンヌも遅れて眠りに落ちる。ウェストミンスター宮殿前は静寂に包まれ、いつの間にか銀髪の少女がオティヌスの側に控えていた。

 ジャック・ザ・リッパー。彼女は麻袋を片手に持ち、それをオティヌスに差し出す。麻袋の底は赤い血がべっとりとこびりつき、表面が赤黒く滲んでいる。

 

「はい、王様。頼まれてたもの」

 

 オティヌスは麻袋を受け取り、いくらか柔らかい声音で言う。

 

「……ええ、確かに受け取りました。ご苦労でしたね、ジャック」

「うん! あ、でも……メッフィーがやられちゃった。ごめんなさい」

「いえ、あの悪魔とは縁の切り時でしょう。油断していればたとえ相手が神だろうと致命的な被害をもたらす。アレはそういう存在です」

 

 受け取った袋を開く。その中には人間の心臓がぎっしりと詰め込まれていた。

 豊潤な魔力を蓄えた臓器。数人の娼婦の心臓を含め、フランケンシュタイン博士の孫のそれも中に入っていた。ジャックとメフィストフェレスはこれを集めるためにロンドンを駆けずり回っていたのだ。

 オティヌスは一本のくたびれた杖を取り出す。

 

「杖一本造るのに供物が必要とは、やはり魔術は手順を踏まえるのが煩わしい」

 

 ぱさり、と萎んだ麻袋が地面に落ちる。

 中に詰まっていたはずの肉塊はもはやどこにもなく、杖への供物としてその全存在を捧げられた。

 赤紫色の硬質な石で造られた王笏。その名を、

 

「──『ゲンドゥルの杖』。これでようやく、神格を取り戻す準備が整いました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちり、と目が覚める。

 緩やかな微睡みと微かな倦怠感。

 ふわりとそよ風に乗って、土の匂いがした。

 空はどこまでも青く澄んでおり、息を吸うとロンドンの淀んだ空気ではなく、まっさらな酸素が肺を満たしていく。

 柔らかく大地を照らす陽の光に眩しさを覚え、彼女は勢い良く上体を起こす。

 

「あれ──オティヌスは!?」

 

 マシュは自らの得物である盾を取ろうとするが、見回しても草原があるだけで武器は見当たらない。

 それどころか、サーヴァントに変身した際に着る防具すら身に着けていない。服を着ていない訳ではないが、それも平時のものとは違っていた。

 頭部をすっぽりと覆う赤い頭巾。赤を基調とした衣装に白いエプロンがアクセントになっていた。傍らにはぶどう酒とパンとりんごが詰まったバスケットが落ちており、マシュは頭に胴に手を回して困惑する。

 

「こ、これは一体……変身が解けて……!?」

「何よ、騒がしいわね」

 

 すぐそばにあるなだらかな丘の向こうから、ジャンヌの声が聞こえてくる。まだ眠気が残っているのか、彼女はもそりと起き上がってきた。

 頭にはつばの広いトンガリ帽子。全身を真っ黒なローブで染め、その前面を銀色の装飾が留める。剣はなく、旗の代わりに絵本の魔女にありがちな樫の杖を持っている。

 ジャンヌはマシュの時代錯誤な服装を目にすると、ニタニタとそこはかとなく馬鹿にするような笑みを浮かべた。

 

「……ぷっ。え、何? どうしたのその格好。赤ずきんのコスプレ? まあ子どもっぽいアンタには似合ってるんじゃない?」

「いや、見るからに魔女っぽいジャンヌさんに言われたくないです!!」

「…………本当だ、何よこれ!!?」

「気付いてなかったんですね。ドジすぎるのでは……?」

「ああん!?」

 

 醜い煽り合いに発展しかけた二人の横合いから、これまた聞き覚えしかない声がかかる。

 

「さっきからやかましいんだよ、セミ娘どもが。俺の爽やかな気分を邪魔しやがって」

 

 マシュとジャンヌは反射的に声の方に振り向く。

 案の定、そこに立っていたのはカルデアの癌であるEチームのリーダーことノアトゥール。彼は白地に金の刺繍と肩章が施されたチュニックに赤い肩掛けを羽織った、おとぎ話の王子様のような格好をしていた。

 あまりにもキャラからかけ離れたコスプレ。マシュとジャンヌは自分たちを棚に上げて、ぎょっとした顔になる。

 

「リーダー……ぜんっぜん似合ってないですね。着こなしてはいるのに本人の性格が伴うとここまでミスマッチになるとは思ってもみませんでした」

「それ白馬の王子様のつもり? アンタの役回りは盗賊とか悪い魔法使いとかでしょう。半端に着こなしてるのもムカつくわ」

「現在進行形で魔女のコスプレしてるやつに言われたくねえよ。それ以上ガチャガチャ言ったら、全裸になって草原駆け抜けんぞ」

「ダメージ受けてるのリーダーだけなんですが。なんの脅しにもなってないんですが。ブーメランどころか切腹です」

 

 会話に無理やり一区切り付けると、彼らは示し合わせたかのように沈黙した。水面下で視線による暗闘が行われ、三人は同時に呟いた。

 

「「「ここどこ……?」」」

「真っ先に考えるべきはそれだろうが、お前らはアホなのか!!?」

「作劇においては多少のリアリティを損ねてでも、登場人物の思考を操らねばならぬ時もあります。彼らは単純にアレなだけでしょうが!」

 

 三人の足元から声が響く。

 視線をそのまま下げると、ノアの膝下に届かない身長のアンデルセンとシェイクスピアが立っていた。ドワーフとでも言うべきだろうか、青一色のぼってりとした印象の衣装を着ている。

 それよりも異様な背の低さに、ジャンヌは目を見開いた。

 

「ちっさ! 何がどうなったらそうなるのよ!?」

「知るか! そんなものこっちが訊きたいに決まっているだろうが!」

「おまえは元から小さかったんだから別に良いだろ。マイナスの値がさらに増えただけだ」

「黙れ全身マイナス男!」

 

 アンデルセンはノアに飛びかかるが、右足一本で転がされてしまう。彼は倒れたアンデルセンの尻に、そのまま右足の裏を置いた。

 

「とりあえずこれからどうするか決めるぞ。ここが現実かどうかも分からねえしな。十中八九現実とは違うだろうがな」

「そうですね。ここに来る前に感じた眠気といいこの衣装といい、現実である可能性は低いと思います」

「と言っても、手掛かりなんか一切ないわよ。行き当たりばったりで行動するつもり?」

「それならば、吾輩に提案があります」

 

 シェイクスピアは草原の向こうに見える城を指し示す。その城は大理石のように白く、城下の街を厚い壁が取り囲んでいる。

 この草原にそれ以外の人工物は見当たらず、街に続く街道のようなものもなかった。

 

「英雄の旅路は得てして冒険への召命から始まりますが、あの城下町はまさしくそうでしょう! 具体的にはひのきのぼうと50ゴールドをくれそうな予感がします!」

 

 他にアテがない以上、シェイクスピアの提案に乗らない選択肢はない。ノアはアンデルセンの後ろ襟を掴んで、城の方角へ歩き出す。

 

「行くぞおまえら、俺が勇者だ。まずはルイーダの酒場で仲間を増やす。僧侶と戦士と魔法使いがベストだな」

「アンタは勇者じゃなくて精々遊び人でしょ。ロマリアの地下格闘場で一生ギャンブルやってるのがお似合いよ」

「オイオイ、遊び人ナメんな。いつかは賢者になってパーティの大黒柱になるだろうが。おまえこそ一生アリアハンでスライムと戯れてろ」

「──どうやらスライムより先にアンタを焼く必要があるようね」

「上等だ、ここでマスターとサーヴァントの上下関係を叩き込んでやる」

 

 マシュは両手に持ったバスケットでノアとジャンヌの脳天を叩く。

 

「「ぐああああ!!」」

「あの、そこまでにしてもらって良いですか。わたしの赤ずきんバスケットが火を吹きますよ」

「もうすでにやられてるんだけど!? そのカゴどんな威力してるのよ!」

「こいつはともかく俺の天才的な頭脳に問題があったらどうする! 人類の損失だぞ!!」

「心配しなくてもリーダーの脳みそは問題しかありません。ブライ(リーダー)トルネコ(ジャンヌさん)は馬車の中で大人しくしておいてください」

 

 ノアはマシュの発言を笑い飛ばして、

 

「それで言うならおまえはクリフトだけどな! ザラキ撃つのが生きがいの暗い人生送ってろ!」

「今度こそただのしかばねにしてあげましょうか?」

「お前らのくだらない口論よりも、とっとと話を進めろ! 尺を伸ばそうと必死すぎるぞ!」

「メタ発言は吾輩の役割では……?」

 

 そんな訳で、一行は街を目指して歩くことになった。

 天に輝く太陽、風に流れる雲、澄み切った青空。どれも美しいことに変わりないが、空気に淀みのないこの世界はどこか完璧すぎている。

 喩えるなら、綺麗に加工した写真の風景がそのまま眼前に立ち現れているかのような。

 理想化されすぎた世界は、時にシュルレアリスムの絵画よりも歪な違和感を見る者に与える。おそらくは、それこそがノアやマシュがこの場所が現実ではないと推測した原因だった。

 城下町を囲う城壁。傷ひとつ、汚れひとつない壁に設けられた城門がゆっくりと開き、一行は足を踏み入れる。

 ゴシック様式の建築群。そこにもやはり瑕疵は存在しなかった。道行く人々の衣装も整ってはいるが年代や地域もバラバラで統一感がない。

 そして、視界に映る人の顔は皆一様に暗かった。軒先に商品を並べて商店を開いている者もいたが、呼び込みをすることもなく、椅子に座って項垂れていた。

 それらを流し見ながら、マシュは口を開く。

 

「なんというか、活気がないですね。どこのお店も営業努力の欠片も見えません」

「……というよりは、どうして良いか分からないのだろう。見ろ、あそこの八百屋など直射日光の下に商品を晒しているぞ」

「ええ、本業ではないのでしょう。吾輩、当然演技のプロでもありますが、彼らからは真に迫った戸惑いだけが伝わってくるようです。これが劇なら折檻モノですが、さて……」

 

 と、シェイクスピアがあらぬ方向へ目をやる。マシュとアンデルセンも釣られて視線を傾けると、ノアとジャンヌが八百屋の店主に詰め寄っていた。

 

「おっさん、この世界について知ってること全部話せ。嘘ついたら横にいる女が火を吹くぞ。文字通りな」

「火を吹くのはアンタに対してですけれど。目の前で焼死体を見るのが嫌だったら素直に話してちょうだい」

「ヒエッ……脅してるのか脅してないのか分からないんですが……」

 

 異様なことを口走る二人に、八百屋の店主は顔を青ざめさせた。マシュは二人を押し退けて割って入り、慌てて頭を下げる。

 

「す、すみませんウチの非常識人たちが! 出来ればわたしたちの聞き込みに協力して貰いたいのですが、良いでしょうか?」

「まあ、それくらいなら……」

 

 そこで、八百屋の店主は語った。

 まず、この世界に来たのはノアたちと同様に、黒い風に包まれて眠りについてからのことだった。屋内に入ってこない霧と違い、その風は窓を難なくすり抜けてきたらしい。

 目を覚ました場所も草原。しかし、ノアたちと違うのは周囲に大勢のロンドン市民がいたというところだ。彼らもみな同じように黒い風に意識を奪われた者だった。

 縋るように城へ向かった彼らは、そこでひとりの少女に出会う。

 

「……名無しの女王?」

 

 マシュが訊き返したその言葉に、店主はこくりと頷く。

 城の玉座に坐す名無しの女王。彼女はその称号が示す通り名前を持っていなかった。城に訪れた人間たちから名前を奪い、この街で暮らす職掌を与えたのだった。

 名無しの女王は名前を呼ぶことで他人を支配する力を持っており、彼女に逆らうことができる者はこの街にはいない。各人の職業も無根拠に割り振られ、八百屋の店主は現実では役人を務めていたと言う。

 そこまで聞いて、ジャンヌは首を傾げる。

 

「偽名を名乗る人はいなかったの? 支配されたフリをしていれば良かったじゃない」

「それが、女王には真っ黒な影みたいな近侍がいて……恐ろしすぎて嘘とかつけませんね。私なんかちょっとチビりましたし」

「……お前のシモの事情はいらんだろう。他に何か特徴的なところはなかったか?」

「玉座の後ろに茨の檻みたいなのがありましたね。中は見えないんですけど、時折〝リーダー助けてください〜。あ、やっぱりマシュとジャンヌが良いなぁ〟とか〝今週のジャンプ買ってきて〜〟という女の子の声が……」

 

 Eチームの三人はそれを聞いて絶句する。数瞬置いて、ノアは叫んだ。

 

「なにやってんだアイツはァァァ!!? 女王に捕まっておいてやることがジャンプの催促かよ! ニートやってるだけじゃねえか! 赤マル持ってこられて絶望しろ!!」

「というかこの時代の人間が未来の日本の漫画雑誌なんて知ってるわけないでしょう、アホ立香! 伊達にEチームやってないわね!!」

「ロンドン市民がここにいることで予想はしてましたが、まさか先輩が囚われの姫になっているとは思ってもみませんでした……」

 

 アンデルセンは南極くらい冷えきった眼差しを向けつつ指摘する。

 

「お前らのもうひとりのマスターか。どうしようもない人間であることは重々理解したが、他のサーヴァントは奴を守らなかったのか」

「助けられる状況になかったのでは? そもそもこの世界にいない可能性も一応ありますが。まあ待ちましょう、次の展開が訪れるはずです」

「そんな都合よく話が進むか、演劇バカめ。もつれた話を強引にシメるオベロンのような存在が、現実で現れると思うなよ」

 

 その時、八百屋が面する通りの奥から絶叫が響く。

 

「「あああああああああああ!!!」」

 

 もうもうと砂塵を巻き上げながら、こちらへと走ってくる一団。その先頭には二人の騎士とバレエの衣装を着た少女、そして白いウサギがいた。

 三人と一匹は血相変えた表情で疾走する。彼らの後ろには不思議の国お馴染みのトランプの兵隊が追走しており、その列はコミケのそれに匹敵するほどである。

 その一団が近づくにつれて、先頭の騎士とノアの目が合う。騎士は大きく手を振って声を張った。

 

「奇遇だなノア! 前置きは省く、オレたちを助けてくれ!」

 

 自らが契約したサーヴァントであるペレアス。何があったかトランプの兵隊に追われる彼の求めを聞き届けて、ノアは即決する。

 彼は手で横顔を隠すようにして、マシュたちにひそひそと話す。

 

「おまえら無視しろ、ここは無関係を装え。あいつらの面倒事に付き合ってられるか」

「わたしも賛成です。ペレアスさんにはここで犠牲……囮になってもらいましょう」

「生存力だけはピカイチですものね。どうせ死なないでしょうし、私も異論ありません」

「おいガッツリ聞こえてんぞォォォ!! 平然と見捨てる選択してんじゃねえ!

Eチームの良心はどこに行った!?」

 

 マシュは深い闇に沈んだ笑みを浮かべる。

 

「良心ではどうにもならない相手がいる。ペレアスさんのマスターが教えてくれたことです……ふふふ」

 

 オルタ化しそうなほどの闇を纏うマシュ。ノアはわざとらしく義憤に駆られた表情をした。

 

「まさかそこまで汚染が進んでいたとはな。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」

「お前のせいだろうが! すっとぼけるにも程があんだよ! くそっ、助ける気がないならこっちにも考えがあるぞ!」

 

 ペレアスはトランプの兵隊を引き連れたまま、八百屋目掛けてヘッドスライディングを敢行した。さながらボーリングのピンのように野菜が辺りに散乱する。

 彼はノアの両足を掴んで、トランプの兵隊へと放り投げる。人間砲弾と化したノアと兵士が激突し、後続の兵隊は雪崩を打って転倒した。

 手の埃を払うように手を叩き、ペレアスは鼻を鳴らす。

 

「よし───一件落着!」

「どこがだ!!」

 

 で。

 Eチームの放火魔ことジャンヌはその火力を活かして、身動きの取れなくなったトランプの兵隊を焼き払った。体の大部分が紙製の彼らは良く燃え上がり、天へと運ばれていく。

 煌々と燃え盛る炎を眺めながら、ペレアスたちはモードレッドと出会い、メフィストフェレスと交戦したところまでの事情を説明した。

 この世界に迷い込んだのは、ジキルのアパルトメントに戻る途中だったという。ノアたちと同じような経緯で立香の居場所を突き止め、城に乗り込んだ彼らだったが……

 

「全く歯が立たなかった、と」

 

 マシュの言葉に、モードレッドは忌々しげに首肯する。

 

「ああ、名無しの女王も影野郎も身のこなし自体は並以下だが、いくら斬ってもまるで通じなかった。特にあの影野郎は宝具級の攻撃を絶えずぶっ放してきやがる。ありゃタイマンでも骨が折れるだろうな」

「それでここまで逃げてきた、と。モードレッドさんやペレアスさんでも敵わないとなると、相当の強敵ですね。それにしても、なぜ先輩だけが囚われているのでしょう」

「名無しの女王が言ってた。〝仲間がいるようだから、誘き出すために捕らえてる〟ってな。オレたちはまんまとそれに引っかかった訳だ」 

「女王はそこまでしてでも、名前を集めようとしているのですか……ところで、ダンテさんはどこに?」

 

 マシュはきょろきょろと辺りを見回す。この世界に来るまで立香と行動を共にしていたはずのダンテの姿は見つからない。が、ペレアスが説明した口振りからすれば、ダンテはこの場にいるはずなのだ。

 生前、ダンテの詩を嗜んでいたアンデルセンも彼を探していたのか、そこかしこに視線を送っていた。

 フランケンシュタインは足元の白ウサギを両手で掬い、マシュとアンデルセンに突き出す。

 ウサギは器用に口を動かして、

 

「どうも、ダンテ・アリギエーリです」

 

 衝撃の告白に、アンデルセンは雷に打たれたように固まる。

 

「こ、これがあのダンテ・アリギエーリだと!!? 後世の歴史家は何をしている! 女体化くらいまでなら想定していたが、人間ですらないとは……誰ひとりとしてこいつの詩は超えられなかったんだぞ!?」

「『眼前の恐怖も想像力の(Present fears. Are less )生みなす恐怖ほど恐ろしくはない(than horrible imaginings.)』……いや、やっぱり眼前の恐怖の方が恐ろしい気がしてきました。このような冒涜的で名状しがたい宇宙的恐怖(コズミックホラー)を目の当たりにするとは」

「お、落ち着いてください! 少なくともわたしたちが知ってるダンテさんは人間でした!」

 

 ノアは顎に手を当てて、ダンテの顔を覗き込む。ヘアリップと呼ばれる縦に割れた唇と、どこかふてぶてしさを感じる顔。それはどこからどう見てもウサギそのものだった。

 

「そうか? 元々こんな顔だっただろ。見れば見るほどウサギに似てんなオイ」

「似てるどころかそのものなんですが!? カルデアにフォウさん以外のマスコットキャラクターを増やす余裕なんてありません!」

「そんなに驚くほどのことか? ナメクジ以下の強さの男がウサギにまで成り上がったんだから、むしろ進化だろ」

「モードレッドさん? 人間がいくら進化しても他の哺乳類になることなんてありませんからね? 私でも少しは傷付きますよ?」

 

 やいのやいのと騒ぐマシュたちを留めるように、アンデルセンが呟く。

 

「待て。ようやく確信が持てたが、この世界は童話をモチーフにしているのではないか? 俺たちがこんなコスプレをさせられているのも、この世界の登場人物としてのキャラクター付けをされているのだろう」

 

 それに快い反応をしたのは、同じ作家であるダンテとシェイクスピアだった。他の面子はいまいち納得がいかない顔をする。

 

「なるほど。凶行に走る権力者とそれに従う側近、トランプの兵隊……まさしくその通りではありますねえ。名無しの女王は年端もいかぬ少女でした。あの年頃の女の子ならば、このような世界観になってもおかしくないでしょう」

「……確かに、この服についてはそうですね。若干名おかしい人たちがいますが」

「マシュちゃんの言う通りだな。オレとモードレッドがそのまま騎士ってのは分かるが、フランケンシュタインのバレエ衣装は異質じゃねえか? ノアとダンテは論外として」

「……令呪を以って命ずる。自害しろ、ペレア──」

「やめろ!!!」

 

 童話にとって騎士は確かに欠かせないモチーフだ。水の精と結婚する騎士の話もあるため、ペレアスにはドンピシャなコスプレだろう。

 バレエの発祥はルネサンス期のイタリアとされているが、現在のような形になったのは17世紀辺りのことである。そのため、バレエの衣装が童話の世界に出てくるのは些か新しすぎるのだ。

 意外なことに、ノアが答えを言い当てる。

 

「フランケンシュタインのはコッペリアだろ。ジャンルは童話じゃないが、子どもたちに受け入れられたって部分では同じだ。バレエ作品も物語性の塊だからな」

「コッペリウス博士に造られた自動人形のコッペリア──まさしく、ですね。もしかしてバレエを嗜んだことが?」

「クソ似合わないわね」

ウゥ……(想像したくない)

「バレエやってた奴に、昔教えられただけだ。俺が手を出したら世界一のバレエダンサーになってたはずだがな!」

 

 ジャンヌはその戯言を華麗にスルーして、

 

「でも、名無しの女王が名前を呼んで人間を操るなんて物騒な力を持ってるのはどういうこと? 聖書になら近い表現はありますけど。これも子どもが知る物語だから?」

「童話にも近いものはありますよ。トム・ティット・トット、もしくはルンペンシュティルツヒェン……どちらも名前を当てられた小人が死ぬ物語です。名前を知ることは相手を支配すること。世界各地に存在する信仰の遺伝子を受け継いだ話と言えましょう」

 

 シェイクスピアはしたり顔で語った。例えば諱の文化は名前による支配を恐れたために生まれたものであり、日本にも鬼の名前を当てる『大工と鬼六』という昔話が存在する。

 ジャンヌはなぜか顔を赤らめながら、口元を押さえた。

 

「攻撃が通じない上に名前を知られたら一発アウトとか、さっき戦ったオティヌスくらいインチキじゃない。このままだと立香があんなことやそんなことに……!!」

「ジャンヌさん、脳内をピンク色に染めるのやめてください。心配しなくても、BANされるのでR-18なことにはならないはずです」

「み、身も蓋もないことを……問題発言にも程があるわ!!」

 

 キャットファイトになりかけるマシュとジャンヌ。ノアは手を何度か打ち鳴らして場を締める。

 

「現状確認はそこまでだ。こんなところで時間を潰すのもアホくせえ、さっさと藤丸救出に向かうぞ」

「策は?」

 

 ペレアスは端的に問う。

 ノアが唐突なことを言い出す時は大抵、自分の中で結論が出てからだ。過程を飛ばしがちな彼の性格を見抜きつつ、ペレアスは問いを振ったのだった。

 

「作戦は簡単だ。名無しの女王に名前をつけて倒す。人間は事物に名前をつけることでそれを認識する。称号しか持たない名無しの女王は、この世に存在してないも同然だ。だから斬っても斬れない」

 

 名は体を表すというのは、決して大げさな表現ではない。

 古代エジプトでは墓などに描かれた肖像画や名前を削り落とす刑罰があった。死後の世界観を大切にする古代エジプトの社会において、名前を削除する行為は個人の存在を抹消することと同義だ。

 だから、そこにあってそこにない名無しの女王を害することはできない。誰も認識できないモノを斬ったからといって、それを証明することは誰にもできないのだから。

 アンデルセンは小さく口元を歪める。

 

「ふん、誰も気付かないようなら俺が言うつもりだったが、手間が省けた。命名なら俺の宝具に任せろ。殴り合いはできんがな」

「名無しの女王を倒す策がある。それは良いが、アイツを守る影野郎はどうやって突破するつもりだ? そこのヒョロ作家の護衛をすんのは骨が折れるぞ」

「名無しの女王には、名前を献上する名目なら謁見はできるはずだ。俺とアンデルセンで城に潜入する。他は合図があるまで城の外で待機だ」

「それは……良いのですか? 名前を教えることは避けられませんよ」

 

 躊躇するマシュに対して、ノアはさも当然のことかのように、

 

「それくらいは承知の上だ。敵を油断させるためには、身を切る必要がある」

 

 名無しの女王はこの世界に取り込んだ者の名前を片っ端から集めている。彼女を守る影の実力が未知数であるため、奇襲という選択肢は取れなかった。

 しかし、女王に会うのは自分の名前を捧げることに他ならない。ペレアスは呆れと感心が複雑に混ざった息を吐く。

 

「まあお前のことだ、何か奥の手があんだろ。問題はアンデルセンをどう隠すかだ。姿を見られたら不意を突くどころじゃない」

「ノアさんの背中にしがみつけば良いのでは? ちょうどマントで隠れますし」

「そうね。コイツの体の大きさならもうひとりくらいはいけそうじゃない? シェイクスピアかダンテかってことですけど」

 

 ジャンヌがそう言うと、シェイクスピアとダンテは先生に不意に当てられた生徒のようにビクついた。現実の体よりも格段に小さくなっている彼らなら、ノアの背中に隠れることもできるだろう。

 潜入する人数は多いに越したことはない。戦闘力が皆無に等しい作家たちであっても、サーヴァントはサーヴァントだ。

 瞬間、ダンテとシェイクスピアはカッと眼光を閃かせて、

 

「「最初はグー! じゃんけんぽん!」」

 

 当然、握っているのか開いているのかも曖昧なウサギの前脚で人間の手に勝てるはずもなく、ダンテはあっさりと負けた。

 

「がああああ! 負けたあああああ!!」

 

 ペレアスは冷たい視線をダンテに突き刺す。

 

「むしろなんで勝てると思ったんだよ。バカだろ、普通にバカだろ」

「忘れていました……今の自分が人間ではなくウサギであるということを……!!」

「いや、今のお前はウサギ以下の悲しきモンスターだけどな」

「こんなにウサギと人間で機能の差があるとは思いませんでした…! これじゃ私、じゃんけんをしたくなくなってしまいますよ!」

(ミスト)が出てきましたね……」

 

 そうして、ノアとアンデルセンとダンテが女王の城に乗り込むことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名無しの女王の居城。

 茨の檻。

 ウバの爽やかで鮮明な香気が薫る。

 

「ジョン、ケイト、ルイーズ、パトリック……駄目ね、どれもこれもしっくりこないわ。ああ、いつになったらあたしの名前は見つかるのかしら」

「……名前は与えられるものだから。多分、世界中を探してもあなたに合う名前は見つからないと思う」

「そうかもしれないわね。でも、だとしたら、あたしのこのぽっかり空いた喪失感は、どうやって埋めたら良いのかしら」

「空いたところが埋まらないのは───」

 

 かちゃり、とティーカップをソーサーに置く。

 

「──最初から、探すものを間違えてるからじゃないかな」

 

 空気が固まった。

 微笑み、沈黙を静かに破る。

 

「…………知っていたの、全部」

 

 この世界はひとりの少女の白昼夢。

 あの時のあの子は、決してここにはいない。

 

「けれど、求めることをやめたら、今度こそあたしには何もなくなってしまうから」

 

 茨がざわめく。

 風穴のような通り道。少女は椅子を立つと、その前で振り向いた。

 

「リツカ。アナタの仲間は来るかしら」

「来てくれるよ。絶対に」

「そう、羨ましいわ───長かったでしょう?」

「……分からない。長いようで短いような……夢を見てるみたいな感じかな」

 

 くすり、と少女は笑う。

 この世界は名無しの女王が見る夢だ。時間の流れは現実世界とは決して同じではない。

 

「その髪飾り、キレイね。ここに来ても変わらず着けてるなんて、よっぽど思い入れが深いのね」

 

 かつり、と女王は檻の外へ一歩を踏み越えた。

 取り巻く黒い影は彼女に寄り添うように。しかして、微量の殺気を立香に差し向ける。

 

「アナタとのお茶会、楽しかったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名無しの女王の城。その門構えは荘厳壮大と言う他なかったが、テーマパークの人気アトラクション並の人の列が城内から伸びていた。

 彼らは皆、名無しの女王に自らの名前を献上するために城を訪れている。ロンドン中の市民が集まりきればこの程度では済まないだろうが。

 城に潜入するノアたちはその列に紛れ込んでいた。人の群れはじりじりとしか進まず、ノアは苛立たしげに顔を引きつらせる。

 

(おい、どんだけ続いてんだこの列は。暗示でも掛けて順番飛ばすか)

 

 背中に隠れているアンデルセンとダンテだが、普通に会話をしては存在を知らせるようなものだ。故に、彼らは発声しない会話方法である念話を使って、意思の疎通を行う。

 頭の中に響くノアの声に対して、アンデルセンは言った。

 

(トランプの兵隊にでも見られたらどうするつもりだ、アホが。お前はできるからと言って何でもやるつもりか? 行動力は正しい方向を向いてこそ、善い結果に繋がるのだ)

(ノアさんは何も考えてないだけだと思いますよ? 待ち時間が苦痛なのは分かりますが。忍耐力を身に着けたいなら地獄巡りがオススメです)

(……お前の地獄巡りはほとんどウェルギリウスに頼りっきりだっただろう。ミノタウロスと遭遇していた時なんかは全く役に立っていなかったぞ)

(アステリオスさんはとても心優しい方でしたが、ミノタウロスは話が通じませんからね。結局、先生が罵倒して怒らせた隙に逃げたんですけど)

(おまえが身に着けたのは忍耐力じゃなくて他力本願だろ)

 

 ちなみに、ダンテはミノタウロスに追われた先にあった地獄の第七圏に横たわる血の川プレゲトンにて、アキレウスの師匠であるケイローンと面識を得ている。

 その際にもウェルギリウスの仲介があって、ケイローンが率いるケンタウロスたちの力を借りて血の川を渡ることができた。ダンテは基本巻き込まれ体質であり、他人に助けられる躊躇がない。

 サーヴァントよりもマスターの方がよほど合っているが、そんな泣き言を許されるはずもなかった。

 ダンテはふと思い至る。

 

(そういえば、お二人は同じデンマーク出身ですよねえ。ノアさんもアンデルセンさんの童話を読んだことがあるのでは?)

 

 アンデルセンの出身地はデンマークのフュン島中部、オーデンセという街である。その名に面影があるように、オーディンにちなんだ地名となっている。そのため、デンマーク最古の都市のひとつであり、一時期は首都にもなっていた。

 ノアは不穏に目を細める。

 

(まあな。子どもの頃はうんざりするほど読み聞かせられた。コペンハーゲンまで人魚姫の像を見に行ったら、小さすぎて素通りしたのは良い思い出だな)

(ああ、確か世界三大がっかり名所でしたっけ? 三回首を切断されて、五回ペイントされて、一回爆破させられたことで有名ですよね)

(なんだそれは、初耳だぞ!? 切断とペイントはなんとかイタズラの範疇で理解できるが、爆破は何の恨みだ!?)

 

 世界三大がっかり名所で有名な人魚姫の像だが、簡単に近づけることから、数々の被害を受けてきた。

 ペンキやスプレーで塗装されるのはもはやご愛嬌、腕や頭を切り取られたり落書きされるなど、やりたい放題の扱いをされている。

 アンデルセンの童話人魚姫は悲しい結末で幕を閉じるが、そのようなイタズラはハッピーエンドを求める過激派ファンによる犯行だったのかもしれない。

 三人がのんべんだらりと雑談を続けている間に、彼らは城内に入り階段を上がっていた。警備もそれに比例して厳重になり、トランプの兵隊が薄い体を活かして通路の両脇を挟んでいる。

 女王との謁見は最上階で行われる。対峙する時までには、いくらかの猶予があった。

 とはいえ、一時間ほども話し込んでいると流石に会話のネタもなくなる。言葉数が少なくなるのは必然なのだが、アンデルセンはダンテの異様な様子に気づく。

 彼は冷や汗を流し、全身が小刻みに震えている。

 

(お、おいどうした。様子がおかしいぞ)

(う、腕の力が抜けてきました! やっぱりウサギの手でしがみつくのは無理があったんですよ!)

(んなこと言われてもどうしようもねえぞ。もうすぐ玉座の間だ、気合いでこらえろ)

(む、無理ですよ無理無理! あああああ肉球が憎い!!)

 

 そもそもウサギの腕は人間のように組み付くことができない。指の形も物を掴むようにできていないため、この状況は当然の帰結と言えるだろう。

 玉座の間まで来て、ノアはブツブツと独り言を唱える。前にはひとりの女性が今まさに名無しの女王に謁見している最中だった。

 玉座の後ろには隙間なく茨で覆われた檻がある。それこそが立香が囚われている牢獄なのだろう。

 

(もしかして魔術の詠唱ですか!? 私を助けてくれる気が利いたやつがあるんですね!?)

(は? 違うに決まってんだろ。これは敬語を使えるようにする自己暗示だ。女王にタメ語で接したら大事になるだろうが)

(お前はどれだけ他人に敬意を払いたくないんだ!?)

(くっ……どうあっても私を助けるつもりはないようですね。ならば!)

 

 肉球から爪が飛び出す。それは服の壁を抜けて、ノアの背中にぐっさりと突き刺さる。

 

「それでは次、白髪のアナタ──」

「いっっっってえ!!? なにしやがるクソウサギ!!」

「えっ?」

「……あ、ヤベっ」

 

 名無しの女王は目を丸くして固まった。心なしか、傍にいる黒い影も呆然と硬直していた。

 突如の痛みに念話を忘れたノアだが、すぐに自己暗示の効果で表情を取り繕う。手を後ろに回し、ダンテの首を引っ掴んで足元に投げ捨てる。

 

「実はサプライズをするつもりだったのですが、失敗してしまいました。はっはっは! ……早く起きろクソウサギ。皮剥ぐぞ」

「最後の方に不穏な言葉が聞こえた気がするのだけれど!?」

「いえいえ、こちらは世にも珍しい人語を解するウサギでして、是非女王に御覧になっていただきたく存じます」

「そ、ソウダヨ、ヨロシクネ! ジョオウサマ!」

 

 ガッチガチに緊張したダンテの口上を聞いて、名無しの女王は笑顔を輝かせて言った。

 

「あら、それは素敵ね! 名前はあるのかしら?」

「いえ。後で焼いて食おうと思ってたので」

「人語を解するウサギを食べるなんて、ほぼカニバリズムな気が……」

「ウサギはどれほど知能が高くてもウサギですから。DNAが違うのでセーフです。なっ、そこのおっさん」

 

 ノアはいきなり後ろを振り向いて、順番を待つ中年男性に話しかけた。彼はびくりと驚いて反応する。

 

「えっ!? そ、そうですね」

「何がそうですねだ、適当なこと言いやがって。俺だって喋るウサギなんざ食わねーよ」

「り、理不尽すぎる……」

 

 名無しの女王は咳払いして、場を仕切り直す。

 

「それで、アナタの名前を教えてもらえるかしら。大丈夫、悪いようにはしないわ」

「……ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド」

 

 名前を聞き、女王はその響きを数度口の中で転がした。ごくりとそれを飲み込み、彼女は息をつく。その表情には擦り切れた淡い落胆だけがあった。

 名無しの女王は微笑みの仮面を被る。

 

「ありがとう、良い名前ね。……そうね、世にも珍しいウサギを見せてもらったお礼をしていなかったわ。何か欲しいものは───」

 

 ノアは静かに、しかし力強くそれを遮る。

 

「欲しいものは自分で手に入れる。おまえの施しは要らない」

 

 だが、と彼は続けた。

 

「俺の慈悲は天よりも高く海よりも深い。おまえが一番欲しいものをくれてやるよ───やれ!!」

 

 ノアの背後から飛び出す小さな影。

 アンデルセンは利き腕を回し、筆を執る。

 

「お前に恨みはないが、昏睡した現実世界の俺たちはいずれ衰弱死を迎える。故にここで倒す。代わりに貰っていけ、これがお前の名前だ───『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』!!」

「なっ……!?」

 

 女王の顔が歪む。

 ナーサリー・ライム。わらべうたの君。おとぎ話の世界に生き、子どもたちの夢を彩る形而上の英雄は、今ここにそのカタチを得た。

 少女の輪郭は、幼女のそれへと変わる。少し大人びた外見は丸みを帯び、存在そのものの変質へと繋がっていく。

 しかして、それは劣化でも退化でもない。

 彼女にあるべき名前。体を表す名を得たことによる、存在の最適化。『名無しの女王』という称号だけがあった今までよりも、上の霊格に鍛えられたのだ。

 ノアの右手が無色の輝きを発する。

 魔術の発動。それよりも速く黒い影はナーサリー・ライムの盾となり、彼女は淀み無く命令した。

 

「止まりなさい、ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド!!」

 

 名前を呼んだ相手を支配する力。名前を得たとしても、この世界にある限り彼女は名無しの女王の性質を併せ持つことができる。

 繰り出した命令は単純にして簡潔。名前を呼ばれた者は即座に硬直する言霊だ。

 ───だが。

 

「『Zayin(ザイン)』」

 

 ぶしゅり、と鮮血が噴き出す。

 

「──っ、どうして……!?」

 

 ナーサリー・ライムは肩口に切創を負っていた。黒い影の防御は意味を成さず、命令はノアの小指一本さえも止めることがなかった。

 それもそのはず、ノアが使った魔術は視界を介して設定した空間の座標に斬撃を発生させるというもの。影が覆ったことで多少の誤差は発生したが、直前までそこになかった攻撃から逃れるには、防御ではなく回避するしかない。

 ノアは左手にも光を灯すと、光球を城の窓へと放り投げた。それはガラスを突き破り、中空で閃光弾のように煌めく。

 城外の仲間への合図。ノアは一歩踏み出して、牙を剥くように笑んだ。

 

「こっからはあいつらの仕事だ。脳筋どもに恐れおののけ、ナーサリー・ライム!!」

 

 

 

 

 

 

 時間を少し遡り。

 一方、名無しの女王の城の外。

 城内の潜入組からの合図を待つサーヴァントたちは、突入に備えた態勢を作っていた。

 一切の感情が消え失せた瞳のジャンヌとモードレッド。二人は腰に巻きつけた縄を持ち上げ、一言、

 

「「……ナニコレ」」

 

 マシュは何を言っているんだと抗議するような目をする。

 

「縄ですが……?」

「なんで縄を巻いてるのか訊いてんのよ! そんなことくらい見れば分かるわ!!」

 

 二人の腰に巻かれた縄はそのまま後方に伸びており、それをマシュたちが握るという構図になっている。上から見ると八の字のような形だ。

 マシュはやれやれといった風体でため息をつくと、説明を始める。

 

「リーダーからの合図があった時、スムーズに城内に突入するための陣形です。モードレッドさんの魔力放出とジャンヌさんの火炎放射で、ロケットの如く最上階に突っ込む作戦ですね」

「おい待て、誰だそんなアホな作戦立てたのは。まさかペレアスお前じゃないだろうな」

「いや、オレだが?」

「脳みそ茹だってんのか!?」

 

 狼のように牙を剥くモードレッドをどこ吹く風に、シェイクスピアは切り出す。

 

「ふむ、これは作戦名を決めるがよろしいでしょう。エヴ○ンゲリオンのヤ○マ作戦くらい記憶に残るやつでお願いします。これはそのエピソードの再読性に関わりますよ!」

「『それいけ! ジャンヌ&モードレッド号作戦』はどうですか?」

ウウゥ〜(星の屑作戦)

「パクることしか頭にねえのかこいつらは!? くそっ、なんでオレがツッコミ役に回らされてんだ!!」

 

 モードレッドが愚痴った瞬間、ガラスが割れる音がして、空に閃光が散った。

 ノアからの合図。それを見たマシュは顔を紅潮させて、両手に力を込める。

 

「さあ! 作戦決行です! ライト兄弟に先駆けて世界初の飛行をしましょう!!」

「……異様に興奮してるんですけど。そんな状況じゃないって分かってるの? このピンクなすびは」

「もえあがれ〜、もえあがれ〜、もえあがれ〜、ジャンヌ〜」

「いつから私は機動戦士になったのよ!?」

 

 ジャンヌとモードレッドは意を決して、腰の縄を掴む。

 

「もうヤケクソだ! 見ててください父上! オレの勇姿をーーっ!!」

 

 ───1888年、おとぎの国にて、世界初の有人飛行が成功した。非公式ながら、ライト兄弟の偉業より五年先駆ける成果である。

 それを見た人々はこう評した。

 〝鳥人間コンテストなら四位くらいで終わりそう〟と。

 

 

 

 

 

 

 凄まじい轟音とともに、城壁が破壊される。

 玉座の間にいたロンドン市民は悲鳴を上げて逃げ惑い、扉の外に掃けていく。立ち込める煙に咳しながら、モードレッドとジャンヌが剣と杖をナーサリー・ライムに突きつけた。

 

「今のオレは機嫌が悪い! 上品に殺られると思うなよ!」

「私も手加減ができなさそうだわ! この苛立ち、久々に良い火力が出せそうね……!!」

 

 理不尽な怒りを向けられたナーサリー・ライムは肩口の傷を押さえながら、

 

「何のことか全く分からないのだわ……けれど!」

 

 黒い影が呼応する。

 一瞬にして辺りが闇に染まり、床から壁から、無数の武器が形成される。それらに時代の区別はない。剣や槍、銃、果てはミサイルに至るまで、人が畏れる死の具現がそこにあった。

 名無しの女王が支配するはずの世界を再構築する力。黒い影がこの世界と半ば融合しているために行える荒業だ。

 

「ジャバウォック」

 

 ナーサリー・ライムが呼んだその名は、鏡の国のアリスにて語られた怪物。

 らんらんと燃える目、鋭い鉤爪、強靭な顎。しかして、それ以外の全てが不明の生物。理解できないからこそ怖い、名状しがたき魔獣であった。

 作家たちは全力疾走でノアの背後に回る。彼らはその足をがっしりと掴んだ。

 彼らの戦闘力はあまりにも場違い。故に後衛に回る選択肢は最善策であるのだが、マスターに守られるサーヴァントという世にも珍しい構図になっていた。

 

「おまえらサーヴァントだろうが! 俺より後ろにいるとか恥ずかしくねえのか!?」

「ハッ、俺の心には一点の恥辱も存在しない! 作家に殴り合いをさせるなど、たこ焼き屋にタピオカ作らせるようなものだぞ!」

「ペンは剣よりも強しと言いますが、それは限られた状況下のみです。吾輩の文才ならエクスカリバー並の被害を出すのもできるのですが、いやはや、運に恵まれませんね」

「大抵の怪我はすぐ治るんですし、これくらいは良いでしょう。適材適所ですよ、適材適所。ノアさんこの言葉好きですよねえ?」

「……現実に帰ったら覚えとけよ、おまえらの体を現代アートにしてやる」

 

 呑気なやり取りを背中で聞きながら、ペレアスたちは各々の得物を構える。

 マシュの盾も彼女が変身することで手元に戻る。十字の円盾を見て、モードレッドは一瞬目を見開くと、小さく笑った。

 

「お前、その盾どこで手に入れた?」

「いえ、これはわたしと融合している英霊のもので、真名すらも分からない状態です」

「はあ? んなもん円卓の連中なら誰でも知って───」

「よーし、行くぞお前ら! 名無しの女王を倒して囚われのマスターを救う! オレに続けェェェ!!」

「こいつ、ごまかしやがった!」

 

 先駆けたペレアスに追随して、マシュたちは走り出す。

 幾百にも及ぶ武器が差し向けられる。剣槍の雨に爆撃が混ざり、目も眩むような熱波が周囲を席巻する。

 下手な攻撃宝具を容易に上回る一撃。広範囲を一手に焼き尽くすそれは、並のサーヴァントなら刹那の内に塵へと還すだろう。

 

「『疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)』!!」

 

 しかし、それらは白き壁の前に阻まれた。

 1ミリの揺らぎも、一点の汚れもないその守り。それは完全に熱波を防いでみせたが、逆の見方をすれば、宝具を使わなくては防げないほどの攻撃ということになる。

 つまり、勝機は短期決戦。ナーサリー・ライムだけを速やかに排除しなくてはならない。

 ジャバウォックが地を蹴り、ペレアスに肉薄する。剛腕から繰り出される横の大振りを屈んで躱し、通り抜けざまに脇腹を叩き割る。

 その斬撃に怪物が動きを止めた直後、モードレッドの剣が首を断ち、フランケンシュタインの大槌が胸を砕いた。

 ──が、ジャバウォックは時間を巻き戻したかのように傷を再生させてしまう。

 ペレアスは舌打ちする。

 

「まぁた不死身かよ! そういうのはヘラクレスとアキレウスでこりごりだっつうのに!」

「──不死殺しの槍を渡す。受け取れ」

 

 金色の枝がノアの右腕を這い、一本の槍に形成されていく。シェイクスピアは彼の腕を握って、それを止めさせた。

 

「ジャバウォックは不死身の怪物ではありません。アレを倒すのに必要なのは不死殺しではなく、弱点を突く概念武装でのみ打倒が為せるでしょう」

「ジャバウォックを殺した武器──つまり、ヴォーパルソードか。そんなものはここにはないぞ」

 

 アンデルセンは挑発気味に問い、シェイクスピアは意気揚々と答える。

 

「『行動は雄弁である(Action is eloquence.)』。言葉を尽くすよりも実際にやって見せた方が早い。そうでしょう、天に至りし見神の詩人」

 

 ナーサリー・ライムがいる限り、不用意に名前を呼ぶことはできない。仰々しい呼び名をダンテはしかと受け止めた。

 

「ええ、たまには良いところを見せなくては桂冠詩人の名が廃るってもんです。……剣をこっちに投げてください! ジャバウォックを倒せる剣を造ります!!」

「ああ、任せた!」

 

 ペレアスは剣を放り投げ、見計らったようにノアの足元に突き刺さった。

 シェイクスピアのスキル『エンチャント』。彼が物品についての文章を書くと、例えそれが何の曰くを持たぬモノであっても、概念武装に仕立て上げることができる。

 ペレアスはご存知の通り、特別な武装を一切持たない。もちろん、その剣は無銘であり、普通の刀剣と切れ味は変わらない。

 だからこそ、今回のエンチャントには適している。シェイクスピアは無銘の剣をジャバウォックを殺した剣に仕立て上げようと言うのだ。

 剣に言霊を彫り込む。鈍色の刃は水晶の如く透き通り、淡い光を灯していた。

 そして、それを仕上げるのは、もうひとりの詩人。

 

「……やはり、ヴォーパルソードを彩るのはあの詩でなくてはならないでしょうねえ。ルイス・キャロルさん、あなたの傑作をお借りします」

 

 世界に刻まれる極小の奇跡。

 神の祝福が零れ落ちた言の葉は、未だ定かならぬ剣を完成へと導く。

 

「〝(One)(two)(One)(two)貫きて尚も貫く(And through and through)ヴォーパルの剣が刻み刈り獲らん(The vorpal blade went snicker-snack)ジャバウォックからは命を(He left it dead)勇士へは首を(and with its head)彼は意気踏々たる凱旋のギャロップを踏む(He went galumphing back)〟──!」

 

 それなるはヴォーパルソード。

 意味を持たず、外観も描写されぬ正体不明の一振り。

 だが、それ故に名状しがたき怪物を穿つ、御伽の剣であった。

 ノアはそれを引き抜くと、槍投げの要領でペレアスに向けて投擲する。彼はそれを難なく受け取り、ジャバウォックに振り向く。

 

「させないわ!」

 

 ナーサリー・ライムの叫びとともに、黒い影は新たな武装を顕現させる。

 長大な金属の杭がリボルバー状に装填された機械衛星───『神の杖』。架空上であるはずの宇宙兵器は紛れもなくそこにあり、ペレアスたちに切っ先を向けていた。

 一度放たれれば、直線上の全てを一直線に破壊するであろう必殺兵器。発射される直前、一瞬の差で漆黒の炎が黒い影に襲いかかる。

 

「この私が、二度も見逃すと思った?」

 

 純粋な強さだけで考えるなら、黒い影はこの場の誰よりも強いだろう。

 物理的手段が通じず、宝具級の殲滅攻撃を苦もなく連発する。サーヴァントとしてはまさしく規格外の性能を誇る病毒の化身だ。

 しかし、今の彼はナーサリー・ライムの守護に取り憑かれている。彼女の意思に動かされるか、脅威に対する防衛でしか攻撃することはない。

 だからこそ、ジャンヌは先んじて神の杖を排除できた。

 その一手の差は何よりも大きく。

 ペレアスの剣閃が、ジャバウォックの胴を真っ二つに断ち切る。

 瞬間、モードレッドとフランケンシュタインは抜け出し、

 

「……お前みたいなガキが王を演じるなんざ、二十年早い」

 

 ───わらべうたでも歌っていろ。

 斬撃、打撃。

 ナーサリー・ライムの霊核に致命的な亀裂が生じ、彼女の体は床に伏せる。

 守るべき女王を失い。

 黒い影は、それでも動かなかった。

 ……否、動けなかった。

 彼に感情という機能は存在しない。

 だから、庇護の対象が討ち取られたことへの怒りも憤りも生まれるはずがない。

 持ち主を失った道具のように、彼はただナーサリー・ライムの傍で立ち尽くすことしかできなかった。

 今際の際、その小さな手が彼を撫ぜる。

 震える唇を動かし、言った。

 

「───アナタの名前も、きっと見つかるわ」

 

 ありすは見つからなかった。

 時間軸も世界線も違うこの場所で、その子を探すことがどれほど無駄なことかも理解していた。

 わがままな少女は最期に、名も無き彼に寄り添う成長を見せたのだ。

 金色の粒子が散っていく中、誰かが呟いた。

 

「……サーヴァントの体は厄介だな。耳が良すぎるのも考えものだ」

 

 

 

 

 

 

 暗い茨の檻。

 何かが軋むような音を立てて、積み重なった茨が強引にこじ開けられる。

 かすかに射す光はいつもより眩しく感じられ、思わず彼女は目を細めた。

 左腕と右足で茨を押さえつけながら。

 彼は口の端を吊り上げて笑い。

 その、ボロボロになった右手を差し出した。

 

「───よお。助けに来てやったぞ、藤丸」

「…………っ!」

 

 立香は表情を綻ばせて、彼の右手を取る。

 

「リーダーのこと、信じて待ってました」

「知ってる。八百屋のおっさんから訊いた。どうやら囚人生活を満喫してたらしいな」

「あ、あれは現代人にしか伝わらない言葉なら、私だと気付いてくれるかもしれないと思ったんです! 知的なファインプレーです!」

「まあいい。それよりも、この借りはデカいぞ。どうやって返済するか今から考えておけ」

 

 ぐっと力を入れて立香を引っ張り、茨の檻から抜け出す。

 外はナーサリー・ライムが消えた影響か、世界の崩壊が進み、景色が薄く白んだ向こうにロンドンの街並みが映っている。

 そこにマシュとジャンヌが走ってきて、立香に飛びついた。

 

「せっかくの再会ですが、おそらくわたしたちは元の場所で目を覚ますはずです。互いの位置はペレアスさんに伝えてありますので、現実でもう一度会いましょう」

「うん! ……なんかジャンヌ焦げくさいけどどうしたの?」

「ちょっと人間ロケットになっただけよ……ふっ」

「な、なんて悲しい目をするんだ!」

 

 立香は両手に花を抱えたまま、ノアに問う。

 

「……そういえば、リーダーはなんで名前を呼ばれたのに操られなかったんですか?」

 

 彼は飄々と答えを返す。

 

「俺は生まれた直後に、おまえらが知ってるのとは別の名前をつけられた。呪いを避けるためにな。魔術的にはその名前が本当の名前だ。女王に操られなかったのはそういうことだ」

 

 もや、と。

 立香は胸中に霧がかかったような気持ちになった。

 ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド。その名前は偽りのもので、自分はそれを本物と思い込んでいたのだから。

 そんな心根を見透かすように、ノアは補足する。

 

「ただ、俺が気に入ってるのはおまえらに教えた方の名前だ。俺もそっちが本当の名前だと思ってる」

「……なら、私も聞きたいなんて思いません。リーダーはリーダーですから」

「それでいい。俺の真名なんておまえが知る必要はない」

 

 立香は思う。

 

(いつかは、()()()()じゃなくて、名前で──)

 

 世界の輪郭がほどけていく。

 次にまばたきをした時、既にそこは現実のロンドンだった。

 ノアたちは即座に起き上がる。

 オティヌスと交戦した時のままの位置関係で彼らは立っており、体には傷ひとつ付いていなかった。

 黒い風が吹く。五体を通り抜ける怖気と寒気は相変わらずだが、あの耐え難い眠気はない。

 暗闇に三つの白い点が浮かび上がる。

 目とも口とも似つかないそれらは、つい先程戦った黒い影の感覚器官であった。実体のないはずの彼は、その体からボタボタと赤黒い液体を垂れ流す。

 攻撃ではない。血のように見えるそれは、まさしく彼が傷ついていることの証左だ。

 ナーサリー・ライムの世界の一部を構成していた彼は、その崩壊に巻き込まれることでダメージを負っていた。そのためか、動きも鈍い。

 これを好機と見たジャンヌは掌中の炎を黒風に叩きつける。が、ソレは霧散して火球を避け、再びひとつにまとまった。

 

「炎ならと思ったけど、あんなのどう倒せって言うのよ!」

 

 アンデルセンはそれを鼻で笑い、

 

「決まっているだろう、アレにも名前を与えてやれば良い。そうすれば奴も実体を得るはずだ」

 

 ──少女の最期の献身を叶えるために。

 黒い風はジャンヌの火炎をするりと躱しながら、空へ飛び立っていく。自らが従う聖槍の王、オティヌスの元へ帰る腹積もりなのだろう。

 ノアは令呪の光をアンデルセンに与える。

 

「大盤振る舞いだ、三画全部持っていけ! とびっきりの名前をつけてやれ!」

「──承知した。少女の願いをロンドン中に感染させる性質、死の具現たる武具を生成する力……お前の名はこれだ!」

 

 宝具の再演。

 対象を理想の形へと作り変える幻想の筆。

 アンデルセンは宝具に黒い風の名を託した。

 

「地上の人間に死をもたらす黙示録第四の騎士(ペイルライダー)───『貴方の為の物語(メルヒェン・マイネスレーベンス)』!!」

 

 その時、黒い風の茫洋とした輪郭がくっきりと定まる。

 青褪めた馬に乗る漆黒の騎士。

 ヨハネの黙示録に記された終末の騎手。

 人々が恐れ、思い描く、想像上の黙示録の騎士がここにカタチを成したのだ。

 ペイルライダーはその勢いのままに飛び去っていく。背を追う炎を身軽に躱し、青褪めた馬が空を蹴って、朝焼けの向こうに消えていった。

 そこで、マシュは気付く。

 彼女はその場にへたり込むと、目の前を指差して言う。

 

「み、みなさん! 見てください!」

 

 指が差す方向に顔を向けると、他の四人も驚愕して口を開けた。

 彼らの視線の先。

 絢爛豪華なるウェストミンスター宮殿があったはずの土地は、真っさらなクレーターと化していた。

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