自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第36話 『終約・黄昏の天光』

 ヨハネの黙示録第六章七節から八節。

 〝小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた〟

 〝そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言いい、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた〟

 ───黙示録にて語られた終末の騎士。死の具現たる病魔が、荒廃したロンドンの一角を青褪めた馬とともに疾走する。

 アンデルセンの宝具によって肉体を得たペイルライダー。彼らは煌々と燃える赤い瞳を自らが怨敵に差し向ける。名無しの女王の居城にて一度取り逃した相手。赤毛の少女の背に、長剣の刃を叩きつけた。

 鈍い金属音が鳴り響く。

 ペイルライダーが振るった剣はマシュの盾に受け止められていた。彼女は地面が割れるほどに爪先を踏み込むと、馬体ごと相手を押し出す。

 青褪めた馬は四つの蹄を地に突き立て、マシュから数メートルのところで停止する。それを刈り取るように炎の波が押し寄せ、ペイルライダーは空中へ跳んだ。

 ジャンヌは密かに口角を上げる。

 

「お膳立てはしてやったわよ───ペレアス!!」

「ああ、任せろ!!」

 

 白銀の鎧を纏った騎士が建物の外壁を駆ける。半ば重力を無視したような挙動。ペレアスは得意気に笑い、左腰に佩いた剣を抜き払う。

 彼はそのまま、外壁を蹴って空中のペイルライダーへと突撃した。

 刃が照り、剣閃が光る。

 両者の体が交差した一瞬の後、ペイルライダーの左肩から血が噴き出す。剣を低く構えた姿勢で着地したペレアスに毀傷はない。

 一連の流れを見て、マシュはぼそりと呟く。

 

「任せろと言った割にはしょっぱいダメージな気が……」

「大口叩いたんだから、首落とすくらいはしなさいよ」

「ぐふっ! カッコつけてごめんなさい!!」

 

 ペイルライダーよりもダメージを受けているペレアスをよそに、ノアは詠唱を紡ぐ。

 

「〝hægl byp cwicera hwītust corna(霰は粒子の中で最も白い); hwyrft hit of heofones lyfte(それは天空より舞い降り), wealcap hit windes scūra(風の運び手によって乱舞する); weorpep hit tō wætere syððan(そして、水へと姿を変える).〟───hagalaz(ハガラズ)!!」

 

 冷たい風が吹き、無数に拡散した氷の弾丸がペイルライダーを襲う。

 ノアが唱えたのは霰を表すルーン。建物や車を破壊し、時には生物を傷つける霰や雹といった自然現象は古代北欧の人々にとっては死活問題であり、大いに恐れられた。

 彼が振るったのはそのほんの一部。ペイルライダーは氷の散弾を両の長剣でいくつかはたき落とすと、駿馬の速力で霰の範囲から離脱する。

 ノアは右手の内に新たに術式を構築しながら、ペイルライダーから視線を外さずに言った。

 

「対魔力はないようだな。好都合だ。藤丸(ふじまる)、おまえも適当にぶっ放せ。他はウチのサーヴァントどもに任せる」

「ペレアスさんもマシュも対魔力持ちですし、一発だけなら誤射で済みますからね。ジャンヌは今回は後衛で!」

「ええ、あなたの判断に従いましょう。私の炎は誤射ではすまないけれど……!!」

「ジャンヌさんの目がわたしを狙っているのですが!?」

「これが本当の熱視線だな!」

「「「「…………」」」」

 

 ペレアスの発言に空気が冷えきった瞬間、ペイルライダー目掛けて熱線が放たれる。それに追随するように魔弾とルーンが発射された。

 それらよりも速く、ペレアスとマシュは突進する。彼らは視線のみで示し合わせたように敵を挟み込み、各々の得物を振るう。

 青褪めた馬が嘶き、ペイルライダーは一陣の風と化す。

 ペレアスとマシュと打ち合えば、その間に焼かれる。その判断は的中していた。

 Eチームに対する彼のアドバンテージはライダークラス故の機動力。ロンドンの街を自由自在に走り抜け、斬撃を重ねていく。

 それでも、剣士と盾使いは揺るがない。

 騎馬の弱点を知り尽くしたペレアスは速力の差を物ともせずに食らいつき、強引に振り払おうともマシュの鉄壁の守りが控える。

 ノアの十指に光が灯る。彼はそのまま両手を前に出すと、一言唱えた。

 

「ガンド」

 

 魔弾の雨が乱れる。

 さながら機関銃の如き乱射はしかし、ペイルライダーの尾をも捉えることはないが、その分だけ進路を制限されてしまう。

 後衛の三人の射撃を本命とした動き。圧倒的な数的有利を活かした連携は、生身を得たペイルライダーにとって対応しきれないものだった。

 だが、彼には与えられている。

 使徒ヨハネが啓示された終末の風景。

 そこに描かれた死の騎士が持つ権能。

 彼は赤い眼光を複雑に動かし、初めて人間に理解できる言葉を述べた。

 

「『第四封印(コヴェナント)───」

「───Ateh(アテー) Malkuth(マルクト) Ve(ヴェ)-Geburah(ゲブラー) Ve(ヴェ)-Gedulah(ゲドラー) Le() Olah(オラーム) Amen(アーメン)

 

 声を遮る高速詠唱。

 ペイルライダーの背後。夜闇に十字の光線が発露し、その中央から一条の白光が飛び出す。

 それが狙うのは他の誰でもなく、ノアを目掛けていた。

 

「……──ッ!!」

 

 予期せぬ攻撃に反応が遅れる。咄嗟に編み出した防御術式も間に合わず、ノアの胸を白い光が打った。光条が着弾した瞬間、込められた魔力が破裂し、彼の体を後ろに大きく吹き飛ばす。

 ノアは後方の建物に激突し、衝撃に耐えかねた瓦礫が崩れ落ちた。

 思考に空白が生まれる。立香はそれすらも他所にして、ノアの元に走る。

 

「リーダーっ!」

 

 彼女とは逆。ペレアスは隙を晒すことを承知でペイルライダーの横を通り抜け、光源に剣先を突き出した。

 鈍い金属音。ペレアスの突きを短剣で受けた男は体勢を崩しながらも、動作無しに旋風を発生させて追撃を阻む。

 白いローブを纏い、アゾット剣を携えた魔術師。ペレアスは眉をひそめる。

 

「キャスターの癖にやることはアサシンじみてやがるな。魔術師」

「……湖の乙女と結ばれた騎士、ペレアス卿ですか。私は貴方と戦うつもりはない」

「戦場に出てきてその言い分は通用しねえよ!」

 

 白いローブの男は袈裟に振るわれた刃を背後に跳んで躱す。

 キャスターがセイバーと白兵戦を行うのは愚策以外の何物でもない。ペレアスの剣が届く間合いに留まることは、遠くない未来の敗北を意味している。

 男を追うペレアスの機先を制するように、地面を突き破ってヘルタースケルターが現れる。一体や二体では利かない大群。その中には戦闘用に調整されたホムンクルスも混ざり、白いローブの男はそこに身を隠した。

 戦場の混乱。合間を縫うようにペイルライダーは馬を走らせるが、標的である立香とノアに届く前にマシュに遮られる。

 二刀とせめぎあいながら、彼女は口を開く。

 

「先輩、今のうちにリーダーを!」

「うん! リーダー、今治します!」

 

 かつてない速度で魔術回路を稼働させようとしたその時、ノアの右手がそれを止める仕草をした。

 

「魔力の無駄だ、やめとけ」

 

 彼は小さく咳き込むと、気怠げに立ち上がる。

 相変わらず血が出ることはない。しかし、彼が身に着けた礼装の上着は見るも無残に朽ち果てていた。その裏地にはルーン文字が刻まれており、淡く発光すると輝きを失う。

 上着と同様、帽子も布切れ同然に破壊され、ノアはそれを頭から外して地面に捨てる。

 立香は血の気の引いた表情で、彼の袖を掴む。

 

「大丈夫なんですか」

「……礼装の防御機能が働いたからな。一撃でお陀仏だが、最低限の役割は果たした」

「本当ですよね? 怪我してる時くらい、辛い顔してください」

 

 ノアは立香の手を柔らかい手つきで外す。

 

「おまえに嘘はつかない。心配してる暇があるなら構えろ」

 

 彼らの眼前に迫るのは多数のヘルタースケルターとホムンクルス。さらには白いローブの魔術師までもが控えている。雑事に気を取られれば命を落とすのは間違いない。

 立香は治療用に回す予定の魔力を攻撃用の術式に流す。ジャンヌの火力があればヘルタースケルターやホムンクルスは敵ではないが、彼女が雑兵に手を回せばそれだけ時間が失われてしまう。

 この戦いは目の前の敵を倒せば終わるものではない。

 ワイルドハントの王、オティヌス。あの暴嵐の如き騎士を仕留めなければならないのだ。

 そんな立香の思考を読み、魔術師はさらなる一手を繰り出す。

 

「元素変換。土の乾きは反転する」

 

 どぷり、と地面が波打つ。

 アリストテレスの四大元素論において、土の属性は冷たく乾いた性質を持つとされる。この性質を入れ替えることで物質は相互に転化し、万物を成すと解釈された。

 土の乾いた性質の反転。つまり、湿った特性に交換した場合、それは水となる。

 その効果が適用されたのはノアの周囲。足元が硬度を失い、体が沈んでいく。

 彼は確信する。

 

「おまえは、パラケルススか……!」

 

 魔術師は肯定した。

 

「そうだ。魔術王の命を受け、貴方を殺しに来た」

 

 端的な、それ故に明快な返答。

 泥のような粘性は純粋な液体へ。ノアは足先で地下の空洞を感じ取り、パラケルススの殺意に偽りがないことを理解した。

 彼が望んでいるのはノアを味方から分断すること。ロンドンの地下鉄網に誘い込み、一対一で始末する腹積もりだ。

 立香は遅れてパラケルススの意図を理解する。

 

「リーダー、私も行きます!」

「駄目だ。パラケルススが相手じゃあ、おまえを守り切れない」

「だったら、ジャンヌを…」

「それだとペイルライダーを倒す手数が足りない。あいつを倒しても、すぐにここに戻ってこれるとは限らないしな」

 

 少女の胸に無力感が去来する。その前に、いつもと変わらない表情でノアは言った。

 

「だから、おまえが俺を助けろ。名無しの女王の時の貸しはそれでチャラだ」

 

 そして、地面が水滴となって弾ける。

 夜よりもなお暗い闇。

 その中に五体が投げ出され、ノアは拳を握り締めた。

 地上から地下への落下。共に落ちてきた水流は巻き戻したかのように地面を塞ぎ、元の土へと変換される。

 それは、現代の魔術師が再現するには常軌を逸した錬金術の腕前だった。ここまでの技を事も無げに操ることで、あの男がパラケルススであるのに偽りはないと確信を強めた。

 体術だけで姿勢を制御して、綺麗に着地する。

 最低限の明かりだけが灯された地下の鉄道路。当然だが魔霧の影響で運行は停止しており、列車や人影は見当たらない。

 ノアから離れた位置に、彼を落としたのと同様の手段を使って、パラケルススが降り立つ。

 硬質な光をたたえるアゾット剣。表と裏の両方の歴史に名を残した伝説の錬金術師は唇を動かした。

 

「貴方が助かる道はひとつだけです。人理焼却を引き起こした黒幕に忠誠を誓いなさい」

「聞く価値がねえな、パラケルスス。むしろそいつを俺の前に連れてこい。今なら半殺しからの拷問フルコースで済ませてやる」

「…………その才能は一瞥しただけでも分かります。同じ魔術師として、そのような大樹の芽を摘み取るのはこちらとしても心苦しい」

「ハッ、尚更興味が失せた。俺に聞く耳を持たせたいなら別の話をしろよ。おまえの魔術講義とかな。それだったらこっちから頭下げてやらァ」

 

 パラケルススは口元を引き締める。

 

「貴方もあの方の正体を知れば納得するでしょう。なぜなら──」

sowelu(ソウェイル)!!」

 

 ノアは手のひらに生み出した光球を、パラケルススに向けて投擲した。

 空気を焦がすほどの熱球は、魔力で作り上げられた即席の爆弾だ。それはパラケルススにほど近い中空で弾け、熱風と閃光を撒き散らす。

 アゾット剣が緑色に輝く。真空の壁に熱が遮断され、彼の体に何ら痛痒を与えることはなかった。真価はむしろ光の方。目くらましをくらった一瞬の混乱を、ノアは見逃さない。

 右手で剣印を作って十字を切る。

 

「Ateh Malkuth Ve-Geburah Ve-Gedulah Le Olah Amen──お返しだ、くらいやがれ!!」

 

 カバラ十字による追儺儀礼。魔術を行う場を清める術式だが、それはしばしば魔術を発動するための前置きに用いられることがあった。

 ノアが切った十字の中央から光線が射出される。

 パラケルススが使ったものが狙撃銃だとすれば、ノアのそれは大砲。多量の魔力を詰め込んだ荒々しい一撃だ。

 

(一瞬見ただけで完璧に模倣してみせるとは)

 

 カバラ十字を攻撃に転用するのはパラケルススが独自に生み出したものだ。ノアがそれを使うことは、言うなれば彼流の意趣返しなのだろう。

 

(彼はルーン魔術を好んで使うのだったか)

 

 パラケルススの口角が緩く持ち上がる。

 キン、とアゾット剣の刀身に紫電が走った。

 

「───eihwaz(エイワズ)

 

 パラケルススの短剣を中心に薄く延ばされた透明な盾が形成される。

 盾に光線が触れた途端、それは粉々に砕け散った。ノアはその様を見ると、距離を取るために鉄道の奥へ走り出す。

 その折、カルデアからの音声通信が彼の耳に届いた。

 

「『ノアくん、無事かい!? 今、ロンドンの地下鉄の地形マップを送った! 逃げ切れそう……』」

「……ではないな。あいつの他に敵性反応があったら教えろ」

「『うん。ロベスピエールの時はデオンとサンソンの二人がいたけれど、今回はそうもいかない。サーヴァントとの戦闘は絶対的に避けるべきだけど、そんな状況じゃないか』」

「ああ、しかも相手はパラケルススだ。逃げるつもりで戦ってたら殺される。やる以上はあいつを倒すぞ」

 

 通信機の向こう側で、ロマンは頷いた。サーヴァントと人間の戦闘。その勝ち目は限りなく薄い。とはいえ、いくつかの条件が揃えばノアとてサーヴァントを打倒できる可能性はあるが、前段階として入念な準備と有利な状況が必要だ。

 今回はそのどちらもが存在しない。

 加えて、敵は魔術師の最高峰。純粋な魔術の腕でパラケルススを上回らねば、彼を倒すことなどできないだろう。

 だが、ロマンはそれを止めることはしなかった。

 最後のマスターの片割れがやると言っているのだから、彼を支援するのが役割。大人として、理性の女神に挑んだ時のようにロマンはその背中を押す。

 

「『キミはひとりじゃない。ボクたちがひとりにはさせない。だから、絶対に勝ってくれ!』」

 

 故に、返す言葉も決まりきっていた。

 

「当たり前だ。俺の全力を見てろ」

 

 そして、幕を開けるのは錬金術のある種の到達点との魔術戦。

 

「「───殺す!」」

 

 その言葉を皮切りに、目も眩むような魔術の応酬が繰り広げられる。

 最初の激突を制したのはやはりパラケルスス。ノアの攻撃を遥かに超える物量で押し潰し、彼の元に燐光が殺到した。

 しかして、それらのひとつ足りともノアに当たることはない。まるで疾風の如き速度で動き回り、着弾に伴う破片をも容易に避けていく。

 回避の間もルーンによる攻撃を挟むが、瞬時にノアの三倍以上にも及ぶ数の迎撃が用意される。

 彼は即座に防御のルーンを展開した。が、それは精々が時間稼ぎ。障壁を突破した鋭い土塊が、ノアの右頬の皮を薄く裂いた。

 劣勢の要因は単純に手数の差だ。ノアは詠唱を簡略化できるルーン魔術を主に用いたが、パラケルススの高速詠唱はそれを優に上回る。

 彼が持つアゾット剣は魔術の詠唱を一手に担う礼装。その速度は人間の動作の比ではない。

 魔術の詠唱を計算に例えるなら、ノアが電卓を使っている一方でパラケルススはスーパーコンピュータを稼働させているようなもの。計算が速いということはそれだけ多くの演算を行えるということであり、パラケルススはその分だけ多くの魔術を発動できるのだ。

 ノアが攻撃を通す手段は二つ。

 パラケルススの手数を凌駕するか、物量を物ともしない威力の一撃を放つか。

 

(……まずは後者から試す)

 

 膨大な量の魔術回路が一斉に励起する。準備運動で現代において一流と言われる魔術師の魔力総量を大幅に超える量が生産された。

 彼は走りながら、呪言を構成する。

 

(オン)阿毘羅吽欠娑婆呵(アビラウンケンソワカ)

 

 それは、仏教の真言。

 大日如来に祈る際の呪文であり、最初に唱える決まり文句だった。

 しかし、続く言葉は。

 

「〝ðorn byp ðearle scearp(サンザシは触れる者皆にとって), ðegna gehwylcum anfengys yfyl(極めて鋭く手厳しく), ungemetun rēpe manna gehwylcun ðe him mid resteð〟(あらゆる者に計り知れなく強烈である)……thurisaz(スリサズ)

 

 アングロサクソンルーン詩。およそ9世紀に成立としたとされる、ルーン文字を解説する詩であった。

 thurisazはサンザシなどにある棘を表す。ノアの周囲にいくつもの拳大の針が生成され、その切っ先をパラケルススに向ける。

 火薬を詰め、弾丸を装填し、撃鉄が上がった。

 だが、引き金は未だ引かれず。

 ノアは次の一言とともに魔術を発動する。

 

「───()()()()()

 

 疾く律令の如くせよ、という意味の言葉。その意味は早々に失われ、日本では陰陽師が呪文の最後に添える語として用いられた。

 つまりは、それが詠唱の区切り。仏教の真言とルーン、そして陰陽術の三つの魔術基盤が混成した歪な魔術。音に迫る速度で射出された針は、一直線にパラケルススに迫る。

 アゾット剣を介した大規模な迎撃。綺羅星の如き輝きに多くの棘が燃え尽きるが、たったのひとつだけは彼の眼前に到達した。

 ところが、刀身に阻まれてその進撃は終わる。

 掟破りな術式を目の当たりにして、パラケルススは白い歯を見せて笑う。

 

(……面白い。今のは混沌魔術(ケイオスマジック)か? いや、それにしても威力が高すぎる。複数の魔術基盤の混合など、私でもしようとは思わなかった)

 

 ノアが使った魔術は歪んでいるように見えるが、ひとつの式として完成されている。第二特異点でも似た原理の魔術を融合することで孔明の罠を突破した。

 複数の全く異なった手法を材料にする魔術は確かに存在する。20世紀に始まった混沌魔術がそれであり、世界各地の魔術のいいとこどりをした体系だ。

 ノアの魔術も同じように見えるが、実情は違う。混沌魔術はあくまで混沌魔術という魔術基盤に則ったものであって、決して異なる魔術基盤を混合させるものではない。

 ひとりの体に不特定多数の臓器を移植するが如き技。混沌魔術が足し算で威力を算出するなら、ノアのそれは掛け算だ。

 なぜ、そんなものが成り立つのか。パラケルススは浮かび上がった疑問を他所に置いた。

 

「対立する概念を調和させ、より高次の段階に高める……混沌魔術(ケイオスマジック)ならぬ『止揚魔術(サブレイトマジック)』とでも言いましょうか。ひとりの魔術師として、賞賛しましょう」

「おいおいおい、今から死ぬかもしれねえのに上から目線で余裕アピールか? ぶっ転がす!!」

「故に、口惜しい。その才を摘み取らねばならぬとは」

 

 アゾット剣を掲げる。

 赤、青、黄、緑。それぞれの色を有した光球が発露し、融け合う。

 その色は銀。液状の球体が剣先に留まる。錬金術の世界において四大元素の前にある三原質の中の一種、水銀。

 パラケルススは考えを改めた。四大元素の元素変換だけでノアを殺害することは難しいと。

 ノアは思わず舌を打つ。パラケルススは本気ではなかった。片手落ちの手札でも殺せると算段を講じていたのだ。

 全身の体温が上がる。

 その感情の正体はまさしく怒り。

 殺意の匂いを嗅ぎ取り、パラケルススは剣を振り抜く。

 

Fervor, mei, sanguis(沸き立て、我が血潮)───Scalp()!」

 

 それは奇しくもエルメロイに伝わる月霊髄液への命令と同様の詠唱。

 だが、パラケルススの斬撃は刃と言うにはあまりにも大きすぎた。

 地下鉄の天井を抉り、埋め尽くすほどの質量。水銀の刃が蛇のように暴れ狂い、ノアを貫かんとする。

 防御はもはや意味をなさない。ノアは半身で水銀の剣山を躱し、地が弾けるほどに跳び退いて距離を空ける。その判断は正しく、剣山の間の僅かな隙間を埋めるように水銀が躍った。その場に留まっていれば全身を串刺しにされていただろう。

 直後、パラケルススは更なる一手を見舞う。

 

「元素変換。万物は流転する」

 

 瞬間、全ての水銀が淡く透き通る深い黄色の結晶に置換される。

 三原質のひとつ。水銀とは対に置かれる硫黄。ただしそれは化学の世界で用いられる物質とは違い、錬金術の理によって作用する神秘の硫黄であった。

 錬金術では水銀は揮発性・可溶性などの受動的性質を持ち、逆に硫黄は可燃性・腐食性などの能動的性質を持つとされる。

 万物を構成する三大要素の一角を成す物質。小さな火花がそれに触れると、極大の爆発が巻き起こる。地下を崩落させるに容易い火力であったが、周囲の壁に傷をつけることは一切なかった。

 それは爆発の方向性のみならず、伴って発生する熱や爆風をも操ったということ。

 無用な破壊をもたらさない故に、発生した力の全てが熱線と化してノアへと向かう。

 攻撃に応じて発生する轟音をかき消す勢いで、彼は哮り立つ。

 

「ナメんじゃねえええええっ!!!」

 

 パラケルススが全力を出した?───否、サーヴァントが有する最強の切り札である宝具。それを使わせないことには、奴と戦いの土俵に上がったとは言えない。

 ノアは左手を前に突き出す。

 魔術回路の最大稼働。全霊を込め、彼は叫んだ。

 

「───『wird(ウィルド)』!!」

 

 火の粉を含んだ噴煙が立ち上る。

 パラケルススは風の元素変換で煙を払う。赤熱した地面が露わになり、その中心でノアが両膝をついていた。

 白いシャツは煤で黒ずんでいる。左手にはめていた手袋はぼろりと灰になり、その下の皮膚は痛々しく焼けている。

 

「……生き残りましたか」

 

 パラケルススが呟いた言葉には、隠し切れない高揚が滲む。

 彼は土の下に潜り込むでもなく、真っ向からあの爆発を受けて命を繋いでみせたのだ。

 

「よもや現代の魔術師が私を前にして、ここまで生き延びるとは思いませんでした」

 

 過去を生きたキャスターと現代の魔術師を隔てる最大の要因───神秘の純度。

 神秘は古ければ古いほど強くなる大前提。

 双方が抱える神秘をぶつけ合う魔術戦において、その差は果てしなく大きい。基本的に過去の存在が喚び出されるサーヴァントは、その時点で現代の魔術師の遥か上を行っているのだ。

 だからこそ、パラケルススはノアを賞賛した。

 サーヴァントとの殺し合いの中で、生存していることを。

 ノアは蒼い視線を敵に注ぎ、両足で地を踏む。

 

「まだやりますか。結果は見えているというのに」

「パラケルスス。今のうちに言っておく」

「……ほう」

「おまえに悪役は似合わない」

 

 刹那、思考が空白になる。

 隙にもならぬ思考の間隙。それを縫って、ノアは短い詠唱を終えた。

 

「wird」

 

 一言。それだけで、宙にいくつもの光の爆弾が浮かび上がる。

 前に彼が『sowelu』のルーンで作った閃光弾。それを別のルーンで、しかも複数を用意してみせた。

 一体どんな方法で。その答えを出すよりも速く、パラケルススの生存本能が警鐘を鳴らし、アゾット剣に魔力を浸透させる。

 幾度目かの衝突。閃光弾と火の元素がかち合い、それぞれを喰らい合う。

 炎が光の壁を突き抜ける。しかし、今までと違ってその勢いは弱く、鉄道の奥へ移動するノアの背に届く手前で消え失せてしまった。

 パラケルススはノアを追う。その合間にも魔術の衝突が起きるが、やはり彼には届かない。

 ノアを劣勢に立たせていた詠唱速度の差が埋まりつつあることをパラケルススは見抜いた。

 

(wird……ブランクルーン! 他の文字の強調にしか使い道がなかったアレをそう解釈するか!)

 

 wirdは、ルーン文字の中で唯一書くことができない。なぜなら、それは白紙。文章の空白であり、解釈によってはルーン文字の分類には認められないともされる。

 その語義は『運命』。人の思慮が至らぬ未来や決して逆らうことのできぬ天運、無限の可能性を表す。

 空白、故にどんなモノにでも成り得るワイルドカード。

 他の何物にも変化するwirdというルーンを、ノアはトランプのジョーカーのような使い方をした。

 他のルーン文字ならば、一単語ひとつの魔術しか発動できないところを、wirdを用いることで一度に複数の魔術を行使できる。

 

(ですが、それは無から有を生み出すようなもの。どうしてこんなことができる!?)

 

 それはルーン魔術の分野において、革新的な詠唱の簡略化だ。けれど、ブランクルーンとは本来意味を持たぬモノであり、無を利用するに等しい。

 二人は吼える。

 

「───尚更口惜しい!!」

「wirdォッ!!」

 

 数え切れないほどの魔術が二人の間で火花を散らす。

 パラケルススの詠唱速度に追い縋ることのできていたノアだが、やり取りを繰り返す度に、また差が開いていく。

 詠唱を行うのはアゾット剣だけではない。剣を手繰る自分自身の詠唱をも上乗せし、ノアを突き放しにかかっている。

 当然と言えば当然の帰結だ。が、それを見てノアは好奇心に満ちた少年のように瞳を輝かせた。

 

(まだ俺は、高みに登れる)

 

 自分と隔絶した技量を持つ魔術師と戦うのはこれが初めてだった。

 ルーン文字で先手を取れない相手はいなかった。魔術基盤を融合させた我流の魔術が通用しない相手もまた、経験の中に存在しなかった。

 そこに来て、自分の何歩も先を行く魔術師と腕前を競う機会を得られた。wirdを用いた詠唱の簡略化も、彼との戦いがなければ創る必要性がなかったものだ。

 新たな発想は、外部からの刺激によって生まれる。

 ニュートンがりんごの落下から万有引力の法則を見出したように、アインシュタインがグロスマンから助言を受けたように、他者が思いがけぬヒントを与えることは往々にして存在する。

 ノアにとってパラケルススとは、そんな他者だった。

 wirdによる高速詠唱は確かに通用する。それでもなお、パラケルススの身に届かせるには数歩足りない。彼はまだ、かすり傷ひとつ負っていないのだ。

 だからそれは、正真正銘の───

 

「───全身全霊だ!! wird!!」

「そんな付け焼き刃で───!!」

 

 奇しくも、両者が扱った魔術は似通っていた。

 水銀と光線。槍衾の如く揃った射撃が相争い、

 

「くっ!」

 

 パラケルススは反射に身を任せて顔を背ける。乱れた髪の毛の先、ほんの数ミリを通り過ぎた光線が蒸発させた。

 攻撃の強さで言えば、軍配が上がったのはパラケルスス。事実、光線を食い潰した水銀の槍がノアの左脇腹を抉っていた。

 しかしながら、用意した攻撃の数はノアの方が少しだけ多く。

 手数の有利が、パラケルススの髪の先を捉えるに至らしめた。その動揺に追い打ちをかけるように、ノアはこの戦いで初めて敵の方向に歩を進める。

 パラケルススの足が後ずさる。それは魔術師としての性。敵の技を見抜くことで己の糧にしようという知的欲求だった。

 一歩、二歩と下がり、もう一度足を出そうとしたその時、背中が壁に当たる。

 

(行き止まり!? 開発中の場所か!)

 

 なぜ、と強烈に思考を回転させる。

 地下鉄の地形は全て把握している。この行き止まりも、パラケルススの知らぬ所ではなかった。

 魔術とは非常に広範に渡る学問だ。その中には表の歴史の人間が使ったとされる分野もある。

 そう、例えば。

 然るべき時に然るべき場所に動き、敵を思いのままに操る兵法。

 

()()()()───!!)

 

 ノアが第二特異点、諸葛孔明との戦いで触れた大軍師の知恵。あれには遠く及ばないものの、その効果は確かだった。

 彼がパラケルススから遠ざかろうとしていたのは、単に距離を作るためだけではなく、ここに敵を誘導するためだったのだ。

 それも、ロマンがノアに地形データを与えなければ実現しなかっただろう。

 時間の流れが極端に遅くなる。

 パラケルススに接近する最中にも、ノアは魔術を行使した。

 

「もういっちょ追加だ! wirdッ!!」

 

 白色の燐光がパラケルススに殺到する。

 

(迎撃は間に合わない。ですが!!)

 

 彼を包むように、魔力の障壁が多重展開する。ノアは即座に右手を前にかざすと、燐光が列を成して障壁の一点を突き穿つ。

 ブランクルーンだけでは成し得ない高速詠唱の正体。それは、ノアの全身に張り巡らされたヤドリギだった。

 彼の生命線であるとともに、擬似的な魔術回路としても作用する神殺しのヤドリギ。これを体内で操作し、魔法陣を作ることで言語を介さない詠唱としたのだ。

 魔術を発動させる方法は発声だけではない。ペンタグラムのように図形そのものが力を発生させることもある。

 一度魔法陣を作ってしまえば、後は魔力を通すだけで良い。その分、事前に用意した魔術しか使うことはできないが、その速度はブランクルーンの先を行く。

 一点集中の連続射撃を受け、パラケルススの防壁は崩れ去る。

 もはや両者の距離は目と鼻の先。

 ノアはヤドリギの槍を右手に携え、自らの自壊をも厭わぬ極限の強化を肉体に課した。

 

「お、らああああァァッ!!」

 

 魔術戦の定石を破る近接格闘。

 それが、ノアが選んだ詰みの一手。

 槍の穂先がパラケルススの首に迫る───!!

 

 

 

 

 

 

 

「……手習いは、終わりにしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 アゾット剣が一瞬、かつてない魔力の胎動を予感させて、

 

「『元素使いの魔剣(ソード・オブ・パラケルスス)』!!!」

 

 虹色の魔光が、解放された。

 

「がっ、は…………っ!!」

 

 賢者の石を最大限に稼働させて生み出した神代の真エーテル。

 ノアの体はノーバウンドで後方の壁に激突する。背骨が砕け、割れた肋骨が内臓を散々に突き刺す。

 全身に少量しか回していなかった血のほとんどが口元から溢れ出し、首元を伝って襟を赤く染めていく。

 限界値の苦痛を訴える痛覚を飛びかけた意識で無理やり停止させ、ノアは歯を食いしばった。

 立ち上がる力は微塵も湧かない。あらゆる致命傷を修復するその体も、真エーテルを受けた影響か、治りが極度に遅くなっている。

 

「…………直撃の寸前、自らの魔術で体を吹き飛ばして逃れましたか。私が生前取った弟子の中で、貴方ほど筋が良い者はいなかった」

 

 パラケルススはアゾット剣をノアの前に突きつけた。

 目が合う。満身創痍、絶体絶命の状況だというのに、ノアの瞳に宿る闘志に一片の陰りもない。それどころか、その灯火はなお盛んに燃えようとしている。

 ───説得が通じる相手ではない。

 錬金術師は、そう確信する。

 やることは決まっている。

 この剣で彼の首を落とせば決着はつく。

 カルデアは彼を失い、あの少女ひとりに全てを任せることになるのだ。

 魔術王が出張れば彼女らを潰すのも容易い。これで、人理焼却の偉業は今度こそ確定し、次なる計画に進むことができる。

 だというのに。

 パラケルススの唇は、そんな考えとは無縁に動いていた。

 

「貴方を殺した後は、あの少女……藤丸立香の番です」

 

 薪をくべるように。

 

「思えば、あんな凡人に目をかけていた貴方の落ち度だ。その時間を自身の鍛錬に費やしていれば、ここで終わることもなかったかもしれないというのに」

 

 火に油を注ぐように。

 

「私たちは魔術師。根源の追究に人生を捧げた者。あんな凡俗など捨て置いて、こちらに戦力を回せばこうはならなかった」

 

 怒らせるに足る言葉だけを、彼は選ぶ。

 

「───無価値なモノを護った気分はどうですか、ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド」

 

 自分がもう、どんな表情をしているのかも分からない。

 ノアは体内に残った全部の血を吐き出して、笑い飛ばす。

 

「俺を怒らせたいなら、もっと感情を込めて言ってみせろ。おまえの悪意は俺には刺さらない」

 

 ぐぐ、と放り出していた両足が震える。

 手を支えにして、彼はもう一度起き上がった。

 

「だがまあ、今回だけはおまえの挑発に乗ってやる」

 

 全力は尽くした。

 限界の壁を超えてなお、届かない相手。

 

「あいつの価値を、おまえが決めてんじゃねえ。魔術がなんだ、俺たちは所詮裏の人間だろ。その程度の価値観で、あいつを計るのがどんなに見当違いか、おまえに分からないはずがないだろうが!!」

「その考えは甘い! 裏の世界に踏み込んできているのだから、その世界の道理で価値を判定されるのは当たり前だ!」

「望まないままに連れてこられたとしてもか? あいつが生きる世界に、俺たちはいるべきじゃない───!!」

「ならばなぜ、貴方は彼女と共に戦うというのです!」

 

 しかしそれは当然だ。

 眼前にいるパラケルススは全盛期の実力と人生の戦闘経験を兼ね備えた存在。

 すでに完成した者と、これから成長する者。その隔たりは果てしなく広い。

 

「おまえほどの人間がそんなことも分からないのか? 俺が戦うのは、あいつをいるべき場所に帰してやるためだ!!」

 

 全力を出し尽くしたノアが賭けられるものは、ひとつしかなかった。

 

「───ここからは死力を尽くす!!」

 

 彼の猛りに呼応するように、周囲に炎が燃え盛る。

 それは。

 ルーンの火でも。

 止揚魔術でもなく。

 魔術基盤を経由しない、家伝の魔術。

 

「謝罪の言葉でも考えておけ。これが俺の切り札だ……!!」

 

 炎が蛇行し、敵を呑み込まんと迫る。

 火勢は確かに強い。だが、元素変換を得意とするパラケルススには如何な魔術の火であろうとも対処は難しくない。

 アゾット剣による高速詠唱。周囲の土塊と空気を変換し、水を作り出す。

 科学的な観点に基づくなら、あまりにも高熱の火に水をかけても効果は薄い。

 しかしながら、魔術の世界においては水は火に対しての相剋。世界に刻みつけられたルールとして、水が火に勝つことは運命付けられている。

 なればこそ、パラケルススの判断に誤りはなかった。

 水の壁が紅炎を受け止める。

 

「その火は消えない」

 

 炎の牙が水の防壁を食い荒らし、水蒸気へと気化していく。

 パラケルススはうねる炎を躱して後方に跳ぶ。

 

「ありえない。絶対に消えないとでも言うのか……!!」

 

 ノアが操ったのは魔術の火。それは間違いない。風の元素変換で酸素を除いたところで、消えるようなものでもないだろう。

 故にこそ、ありえない。

 科学の火は酸素を失えば消える。

 魔術の火は水を用いれば消える。

 そこで、パラケルススの脳内に蓄積していた疑問の数々が連結した。

 

(……魔術基盤を混成した止揚魔術…………無から有を生み出すブランクルーン……理から外れた炎……)

 

 魔術師には必ず五大元素に応じた魔術属性がある。

 どの属性を持つかは個人によって異なり、ひとりで複数の属性を宿すこともある。パラケルススは五大元素全てを併せ持つアベレージ・ワン。そんな彼でも、決して有し得ない二つの例外があった。

 ひとつは架空元素・虚数。

 ありえるが、物質界にないもの。

 そしてもうひとつは────!!

 

「───『架空元素・無』! ありえないが、物質化するもの……それが貴方の魔術属性ということか!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間を少し遡り、地上。

 パラケルススが引き連れてきたヘルタースケルターとホムンクルスにより、地上は乱戦と化していた。しかし、雑兵が増えたところで歴戦の英雄たちを傷つけることは叶わない。

 多対一の乱戦を得意とするペレアスは側の敵兵を切り払いながら、ペイルライダーとの剣術戦を演じていた。

 彼らの剣戟は苛烈に交錯し、四方から迫りくる雑兵を巻き込む。両者の剣筋に一切の乱れはなく、辺りに鋼鉄と肉片が散らばっていく。

 ぎり、と奥歯が軋む音がする。

 ペレアスもマシュもジャンヌも、各々が最大限に戦っている。それでもペイルライダーを討てず、パラケルススの思惑通りに時間を稼がれてしまっているのだ。

 ペイルライダーは強い。受肉し物理攻撃が効くようになったとはいえ、ただ病魔を体現するしかなかった彼は、黙示録の騎士として数段上の域に到達している。

 自らの能力を機械的に出力するだけだったペイルライダーはもういない。今の彼は、単なる有利不利ではなく戦場の機微を見抜く眼力を備えていた。

 膠着した状況を打破できるのは。

 

(私しかいない。私がやらなきゃいけない!)

 

 側にはマシュとジャンヌがいる。

 マシュはシールダーの称号に劣らぬ守りで危機を遠ざけ、ジャンヌは圧倒的な火力で雑兵を蹴散らし、ペイルライダーと切り結ぶペレアスへの支援も行っている。

 だからこそ、自分が動かなければならない。

 真っ先に思いついたのは、ジャンヌの宝具を令呪で増強した広範囲攻撃。彼女の宝具は雑兵など壁にならないが、ペイルライダーならば魔力の発露を感じ取って退避することは朝飯前だろう。

 相応の隙を作らなくてはペイルライダーは仕留められない。

 立香が出した苦肉の結論は、自身が攻撃に参加して一刻も早く敵を減らすことだった。

 ───それこそが、パラケルススの策に嵌っていると分かっていながらも。

 

「それでも……っ!!」

 

 渾身の魔力を右手に掻き集め、火を司るルーンに乗せて放つ。

 火球が一体のホムンクルスを炎上させる。苦悶の呻きを漏らしてもがくように両腕を振るい、ばたりと事切れた。

 これがノアの火なら数十体を焼き、ジャンヌの炎なら優に数百体を炭にしたであろう。

 つまるところ、彼女の魔術の腕はそんなもの。山を成す塵のひとつにしかならない。

 ノアのような膨大な魔術回路があるならともかく、質・量ともに平均の立香が全力で放てる魔術の回数もさほど多くはないだろう。

 そうなのだとしても。

 

〝ああ嫌だ…!! わたしは何も成し遂げてない、誰にも認められてないのに! 信じてた人にも裏切られて、こうして死んでいくなんて認められない……!!〟

 

〝所長、俺を恨め〟

 

 あんな悲劇は、もう二度と、どこの誰にも起こさせてはいけないのだから。

 募る焦燥。早鐘を打つ心臓の鼓動。指先が痺れる感覚のままに、立香は続いて魔術式を構築しようとする。

 振り上げた右手を止めたのは、ジャンヌの手だった。

 彼女は諭すように言う。

 

「立香、落ち着きなさい」

 

 一瞬、思考が止まって、

 

「でも」

「でもも何もないわ。指揮官のアンタが冷静を欠いてどうするの。大方、どうして焦っているのは察しがつくけれど。ねえ?」

 

 ジャンヌは顎でマシュを示す。

 すると、盾の少女はこくりと頷いた。

 

「はい。確かにリーダーのことは心配ですが、わたしたちはあの人のしぶとさを知っています。はっきり言ってゴキブリ以上の生命力ですし、死ぬなんて考えられません!」

「そうそう、比較されるゴキブリの方が可哀想なくらいの男なんだし、焦りすぎは禁物よ。アンタは魔術師じゃなくてマスターでしょう。頼るなら魔術よりも私たちにしておきなさい」

 

 そして、マシュは花のような笑顔を咲かせる。

 

「───先輩ほど、守り甲斐がある人はいませんから!」

 

 一際高い金属音が耳に届く。

 少量の血を零しながら、ペイルライダーの右手の小指が飛ぶ。騎士たるペレアスの意地の一撃。彼は好戦的に口角を上げて、立香の方を振り向いた。

 

「ま、二人の言う通りだな! それにあいつも男だ、少しは信じてやってくれ!」

 

 立香は袖で目元を拭き、曇りなき眼で戦場を捉える。

 彼女の顔色にはもう、焦燥なんて微塵も存在していなかった。

 

「……倒そう! みんなで!!」

 

 思い違いをしていた。

 人間ひとりの力なんて、たかが知れている。

 それでも結束し、協調し、挑戦することで人は遥か強大な敵を乗り越えてきた。

 自分ひとりの力で戦局を変えるなんて、おこがましいにも程があったのだ。

 三人が力強く首肯した時、ペイルライダーの全身から息が詰まるような気勢が発せられる。

 

「■た■」

 

 遍く人類に死という終着を与える病。

 

「き■れ」

 

 人を殺す権威と使命を帯びた騎士の力。

 

「きたれ」

 

 すなわち、黙示録の騎士・ペイルライダーが備える宝具の開帳であった。

 

「───『第四封印・終焉招く死病の風(コヴェナント・アルマゲドン)』」

 

 漆黒の霧が満ちる。

 その予兆から危険を察知したペレアスは射程圏内から離脱していた。だが、周囲に留まっていたホムンクルスは音もなく次々と倒れ伏していく。

 触れただけで問答無用に殺す死の霧。四人はいち早くそれを見抜くと、徐々に広がっていく霧の範囲から逃れるために走る。

 これこそがペイルライダーの真価。

 死そのものの擬人化である黙示録の最後の騎士は、人知の及ぶところにない。

 しかして、立香は垣間見た。

 霧の中で蠢くヘルタースケルター。機械の体の彼らだけは霧を意に介さず動作しているところを。

 ペイルライダーは双剣を以って今なお動くヘルタースケルターを両断する。それが意味するのは、単純にして明快な結論だ。

 

「あの霧は、生き物にしか効かないんだ」

 

 思えば、ペイルライダーがノアのヤドリギを枯らしたあの時もそう。植物であったから死の霧によって防ぐことができたのではないか。

 マシュは立香の呟きに同意する。

 

「わたしもそう思います。ジャンヌさんの炎を避けるだけだったのは、あの霧が無生物には効果を持たないからに違いないでしょう」

「〝つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた〟……ね。ますますペイルライダーらしいじゃない。あんなのを放っておいたらアイツを助けるどころじゃなくなるわよ」

「つっても、オレたちが近づいたら一発アウトだ。マシュちゃんの宝具で防ぐにしても限度がある」

「ええ、わたしの盾は一方向しか防げませんから。ああいう霧状の攻撃は厄介です」

 

 サーヴァントの存在は人間によって規定される側面がある。ヨハネの黙示録に基づいて考えると、青褪めた馬に乗るのは『死』という概念が具現化した騎士だ。

 彼には黄泉(ハデス)──地獄とも言い換えられる──が付き従う。ハデスとはギリシャ神話の冥界の神であるが、キリスト教の解釈ではしばしば死後の世界そのものに置き換えられる。

 つまり、ペイルライダーの宝具の正体は現世を冥界に塗り替える変則的な固有結界。可視化するほどの『死』を世界に散布する、魔法の域にも手をかけた大魔術であった。

 このまま冥界化が進めば、彼と死者を率いる嵐の王、その眷属以外の全生物が死に絶えるだろう。

 そこで、立香は思い至る。

 

「はい! 不肖藤丸立香、ペイルライダーを倒す作戦を思いつきました!」

「流石です先輩! ローマ帝国の軍師を務めた経験は伊達ではありませんね!」

「伊達でしょ」

「……で? 立香ちゃんの冴えた立案を聞かせてもらおうか」

 

 得意げに笑うペレアス。立香は平坦な声で彼に言った。

 

「ペレアスさん、突撃してください」

「オレに死ねと!?」

「大丈夫です、絶対に死にません! ペレアスさんの宝具なら!」

 

 ペレアスは得心し、剣を肩に担いだ。

 ──時間はかけていられない。多少の博打を孕んだ策だが、もはやこれ以上はないだろう。

 戦を経験してきた数はこの場の誰も彼には遠く及ばない。味方を助けるために眼前の敵を準備もなしに打ち破る。そんな状況はいくらでも乗り越えてきた。

 故に、その心に焦りや恐れはなかった。

 

「……よし。さっさとあいつを倒して、オレらのマスターを助けに行くぞ」

「あんなのでも一応私たちの仲間ですものね。日頃の鬱憤をぶつけてやるわ」

「わたしもジャンヌさんの意見に賛成です。あの人を見返す絶好のチャンス、逃す選択肢はありません!」

「うん! リーダーは失わせない!」

 

 少女たちは思い思いに返答する。

 その声を背に、ペレアスは勢い良く地面を蹴り飛ばした。

 絶対的な死が待ち受ける終末領域。

 霧に触れる直前、彼は言の葉を紡いだ。

 

「『死に逝く騎士に、湖光の愛を(ル・アムール・ド・ダーム・デュ・ラック)』」

 

 騎士は乙女の加護を呼び寄せ、冥界を駆け抜ける。

 世界を死で塗り潰す宝具と、それそのものを否定する宝具。正反対の有り様はこの戦いにおいては決して対等ではなく、後者が前者を克するものであった。

 相性は最悪。己の領地に踏み込んでくる人間に対し、ペイルライダーは力強く双剣を構える。

 空気を割るように、刃金が鳴り響く。

 一合、二合と両者の刃が重なる最中、立香はマスターの証である令呪に赤光を発現させた。

 

「令呪──装填っ!」

 

 出し惜しみはしない。

 二画分の魔力をペレアスに、残る一画をジャンヌに割り当てる。

 ペレアスの剣が血に濡れた。ペイルライダーの脇腹に一直線の傷が入る。令呪による能力の向上が、ペレアスの斬撃を一層強くしていた。

 刃が火花を散らす度にペイルライダーの鎧が破損し、鮮血が地面を赤く染めていく。

 ペレアスの強化と宝具は必ずしも永遠に続く訳ではない。この攻勢を耐え抜けば、ペイルライダーの宝具は過たず騎士の命を刈り取るだろう。

 守りに入ると決めた双刀の使い手は堅牢だ。騎馬と歩兵という高所の利も合わさって、ペイルライダーはペレアスの猛攻を紙一重で凌ぎきっていた。

 もうひと押し。マシュは強く踏み込むと、陸上のハンマー投げさながらに体を回し、加速と遠心力が頂点になったところで両手を放す。

 

「新陸上競技、盾投げです!」

 

 ライフル弾のような勢いで飛来する盾を見て、盾の由来を知るペレアスは思わず顔面を蒼白にした。

 

「それは投げちゃいけないやつだァーッ!!」

 

 そんな叫びも虚しく、直線を描いて盾は飛んでくる。

 霧に踏み入れないマシュは必然、遠距離から盾を投げつけるしかない。ペレアスとの攻防の最中とはいえ、ペイルライダーに躱せぬ投擲ではなかった。

 軽やかに跳んで盾を避ける。それが向かう先はペレアスの正面だった。彼はなぜか冷や汗をかきながら、

 

「すみません王様ァァァ!!」

 

 野球の打者顔負けのスイングで剣の腹を盾に叩きつける。

 盾が飛んでいく軌道上にはペイルライダー。身動きの取れない空中で、彼は両手の剣を十字に重ねて盾を防いだ。

 しかし、それは多少の隙を生む。

 令呪の魔力を糧に、ジャンヌは切り札を使用した。

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 灼けた鉄杭の雨、業火の嵐。

 複数体のサーヴァントに向けてさえ余りある超火力が、ペイルライダーの五体を突き刺し焼き払う。

 灰へと還る刹那、彼は胸に仕舞いこまれた心臓の高鳴りを感じた。

 およそ感情を持たぬ病原体。

 肉の器を得てもなお、無感無情なのだと認識していた。

 果たして、ソレに名を付けるなら一体どのような感情になるのか。結局、この短い時間では答えは出なかった。

 ───それでも構わない。

 ヒトは周囲のあらゆる事物に名前をつけることで世界を認識する。言葉は存在を縛る鎖だ。

 ならば、名前は要らない。

 胸の奥より沸き立つ想い、魂の感情に言葉は相応しくない。

 名も無き情動を抱き、黙示録の騎士は世を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バルドルを不死不朽たらしめたのは、母フリッグの契約だった。

 全世界の全生物と無生物は、バルドルを傷付けることができないよう忠誠を誓う。

 しかして、その神が辿った結末は血濡れた惨劇。ロキの策謀によって光の神は、光無き盲目の神に射抜かれ殺された。

 それを成した武器こそがミストルティン。フリッグが交した契約から唯一逃れた、神殺しのヤドリギである。

 なぜ、ヤドリギだけが契約の外にいたのか。それは簡素にこう語られている。〝幼いが故〟と。

 しかし、ここにはひとつの問題が存在している。

 世界のあらゆる生物・無生物と契約を果たしたというなら、幼いといえどヤドリギも含まれて然るべきなのではないか。そもそも、幼いが故とするのなら、動物の赤子もバルドルを殺す可能性を備えていることになるのだ。

 ヤドリギはその名の通り、他の木に寄生することで生き延びる植物だ。何かに寄りかかることでしか生きていけないヤドリギを、古代北欧では特異な植物と見なすことがあった。

 この世を構成すると考えられていた四大元素。あらゆる植物は土から生まれ、土に還る。だが、ヤドリギはどこからともなく他者に寄生し、地中にも水中にも根を伸ばすことはない。そのため、ヤドリギは四大元素から外れた植物であると定義された。

 四大元素に属さないということは、この世に属さないということ。だからこそ、フリッグの契約にも参加することはなかったのである。

 フリッグは予言の力を持っていたにも関わらず、息子の死を止めることはできなかった。それもそのはず、森羅万象から孤立した存在を見通すなど出来はしないからだ。

 世界から外れたヤドリギ。

 それを肉体に宿した一族が、その影響を受けてしまうことは必然であったと言えよう。

 ───パラケルススは奥歯を噛んだ。

 

「この世に属さないモノが存在する矛盾───故に『架空元素・無』! 神殺しのヤドリギを肉体に移植するという狂気の恩恵がそれですか!」

 

 彼は思う。それならばノアが今まで使った魔術にも説明がつく、と。

 魔術師が扱う魔術の根底には必ず本人の魔術属性がある。物品の強化は同じ力量なら火属性だろうと水属性だろうと、同等の効果を示すだろうが、属性の違いは確かにある。

 ノアの魔力を色で喩えるなら無色。他の色と干渉することのない透明だからこそ、魔術基盤の混成という離れ業ができるのだ。

 ノアは気丈に笑い、

 

「そうだ。これだけは使いたくなかったがな! おまえを倒すためならクソ一族の魔術でも何でも利用してやる!」

 

 彼の手のひらの上に透明なエーテル塊が現れる。純粋な魔力の塊はぐにゃりと歪み、新たな火種に生まれ変わった。

 これがナーストレンド家に伝わる魔術。科学でも魔術でもありえない特性を持った現象・物質を精製する秘法。

 火種は盛大に燃え上がり、鞭のようにパラケルススを狙う。風と土の元素変換は通用しない。彼は全身に強化を施すと、単純な速力で追尾を振り切る。

 勝負は振り出し。如何に相手に攻撃を当てるかに終始した機動戦へと切り替わった。

 追う者と追われる者が逆転する。ノアが繰り出す炎や氷、雷撃の数々は物理と魔術の両方に反して、パラケルススの迎撃と防御を打ち砕き、彼の身に迫る。

 神秘の強度の差を、『消えない』『砕けない』といった特性のみで凌駕する荒業。無論、その代償はあった。

 魔力の生産が追いつかない。

 一回魔術を行使するだけで、ルーン魔術に比べて数百倍の魔力が消費される。それはノアの規格外の質と量を誇る魔術回路でも、命数を削るが如き所業だ。

 パラケルススの右肩の近くを氷柱が通り抜ける。白い布地が綺麗に裂け、裏地に刻まれていた防護術式が宙に解けて消えた。

 彼は反撃の勢いを上げながら、

 

「その魔術……今は発展途上のようですね。炎も絶対に消えないのではなく、大方『込められた魔力を消費するまでは外部の干渉を受けない』という条件付けがなされていると見ました」

 

 ノアは舌打ちする。

 パラケルススの考察は過不足なく的中していた。ただでさえ世の理を捻じ曲げるような術。『絶対に』『何でも』のような特性を付けた事象を創造した場合、どんな反動が来るのかノア本人にも思いつかない。

 この魔術は家伝ではあるものの、先代たちの力量の低さから遅々として研究が進んでいなかった。満足に発動もできないのがほとんど、残りは精々一度の行使が限界だった。

 つまり、この魔術に本格的に手を付けたのはノアが初。それも今からであり、普段の緻密な式の組み立てより格段に、荒々しい乗りこなし方をしている。

 そのことはパラケルススの目にも明らかだった。無に属する魔術。それを今まで研究していなかった───彼は怒りを滲ませて哮った。

 

「それを極めたなら、魔法……いや、根源にすら手が届き得るかもしれない!! なぜ使いたがらないのです──貴方は魔術師の使命を忘れたのですか!?」

 

 激情とともに放った水銀の弾丸。ノアは姿勢を屈めて掻い潜るが、体の至る所を鋭く切り裂かれる。

 彼は痛みを感じていないかのように、獰猛に笑った。

 

「安心しろ、俺も根源を目指す一端の魔術師だ」

「ならば、愚かであると言わざるを得ない! 手元に到達する可能性を残しながら、あえてそれを放置するなど!!」

 

 苛烈に、凄絶に、互いの魔術が衝突する。

 その中で、パラケルススは聞き捨てならない発言を耳にした。

 

「それは、俺ひとりで根源に辿り着くって話だろ。この俺の目標がそんな程度に留まるわけねえだろうが!!」

 

 ───何を言っている、この男は。

 根源とは人生を、一族の過去と未来を投げ捨ててでも到達すべきもの。魔術師とはそういう生き物だ。そこに情はない。

 遠い未来、ひとりでも根源に足を踏み入れることができれば良い。

 ノアは追い打ちをかけるように、自らの願いを零す。

 

「───俺は、()()()()()()()()()()()()

 

 瞬間、パラケルススの思考は漂白され、取り繕わない言葉がするりと抜け出した。

 

「そんなこと、できるわけがない」

「魔術ならな。おまえも知ってるはずだ、世界の魔術基盤は徐々に衰退していっている。地球のマナもいつかは枯れる時が来る。そんな学問にしがみついてるのが俺たちだ」

 

 西洋に魔術という学問が生まれて以来、数え切れない魔術師たちが根源を目指してきた。しかし、未だそれに辿り着いた者はなく、そもそも到達できるかも不明確だ。

 

「魔術はこれ以上発展しない。なぜなら個人の研究成果が学問の進歩に寄与しないからだ。神秘は知る者が増えると薄れる───このクソッタレなルールが、俺たちの道を阻み続けている」

 

 魔術には絶対的な大原則が存在する。

 神秘の陳腐化。知られると純度が低くなるという、学者にとっては呪いのような枷がある。時計塔という組織では魔術の教授も行われているが、自分の研究を公表する人間はひとりとしていない。

 ただ現物を見せられて、それを評価することでしか功績にならないのだ。そこに他者からの理解は置き去りにされる。

 これが、魔術という学問に定められた限界。

 個人がどれほど革新的で革命的な発明をしようとも、恩恵を受けるのはその人物とその家系だけなのだ。

 これを物理学の分野に置き換えてみると、アインシュタインが相対性理論を思いついたとしても、その知識を活用できるのは彼ひとりということになる。これではパラダイムシフトは起きようがない。

 事実、世界の魔術基盤は衰退している。終わりは緩やかに、近づいてきているのだ。

 

「だったら、俺が作ってやる。古ぼけた魔術を踏み台にして、人類が根源を目指すための新しい学問をな!! 身分も人種も性別も国も関係ねえ、成金のおっさんだろうが飢えて死にかけてる孤児だろうが、根源に行きさえすれば全員が平等だ!!」

 

 その響きに、何か熱を覚えかけて。

 パラケルススは否定の視線を真っ向から指し示す。

 

「貴方が──魔術師(あなた)が、それを言うのか!! 自分をも否定することになるというのに! 仮に新しい学問が作れたとして、根源に行くには何年かかるのです! 貴方は根源を見ずして死ぬことだってありえる!」

 

 問われ、ノアはともすれば冷徹と取られかねないまでの声音で答える。

 

「それでも良い。可能性が残りさえすれば、どこかの誰かが必ず手を付ける。皮肉なことに、現在進行形でそれを証明してるのが魔術師(俺たち)だ」

 

 最後に、彼はおどけた表情で無属性魔術を起動した。

 

「───まあ、超大天才の俺がいて辿り着けないなんてことはねえだろうがなァ!!」

「戯言を……!!」

 

 炎の波と硫黄の爆発が交錯する。

 もはやこれ以上の問答に価値はない。

 相手をちからずくでねじ伏せ、自身の意見を通す。およそ殺し合いの域には当てはまらない、子どもじみた喧嘩だ。

 だとしても、賭けるのは己の矜持。

 魔術師として、眼前の敵に屈するわけにはいかない。

 ───まだ、足りない。

 莫大な魔力を消費する無属性魔術。それを賄うだけの魔術回路が。

 体内の奥深くにまで根を下ろした金色のヤドリギが、さらに先の毛細血管、細胞にまで根を伸ばす。擬似魔術回路であるヤドリギを増やすことで、魔力量を底上げしたのだ。

 幾度かの激突を経て、ノアは無属性魔術の本質を掴む。

 ありえない特性を付与した現象・物質を生成する魔術。ただただ振るっていただけのものが、自分の一部として癒着するかのような感覚が確かにあった。

 頭の中で書き上げられる魔術理論。そして、自分の残りの魔力残量。これらを総合的に判断して、ノアは肚を決める。

 

(後、三手で詰ませる)

 

 遠ざかっていく触覚を離さないように、彼は右手を握り締めた。

 大抵の傷は治る体であっても、事ここに至り修復に回す魔力の余裕はない。体が動く内に敵を仕留めなければならない。

 爆発が巻き起こる。寸前にノアは飛び退いたが、赤く黒い爆風を割って水銀の槍衾が突進してくる。

 ノアは肩口を、手のひらを、胸を裂かれながらも身を捩って回避し、地面に手を叩きつけた。

 

(残り、二手!)

 

 炎の壁が瞬時に二人を囲う。

 それが自らに追尾しないことを悟って、パラケルススは冷静に剣を構える。

 

「閉じ込めたつもりかもしれませんが、この状況は私に好都合です」

「うっせえ、見てろ……!」

 

 啖呵を切った時、ぐらり、と脳が揺らぐ。

 魔力が乏しい。残した二回分の魔力はそれでも平均の魔術師よりは多いはずだが、ノアの総量と比較してはあまりにも少なかった。

 ここで止まれば何もかもが終わる。

 パラケルススの剣が虹色の光を灯したのとほぼ同時、ノアは雷球を手にして全身の力を捻り出す。

 

「『元素使いの(ソード・オブ)───」

「おおおおおぉぉぉッ!!」

 

 宝具の開帳、アゾット剣の高速詠唱よりも遥かに速く、雷撃がパラケルススの体を打ち抜いた。

 

「なっ……に──!?」

 

 生命線である剣を握り締めたまま、彼は膝をついた。雷撃の威力が低かったことと、ローブに魔術的防護が施されていたことで重傷には至らない。

 異常なのはその速さ。魔術のスーパーコンピュータとも言えるアゾット剣の詠唱速度を軽々と超越して、この身を打った。

 それこそは光速の電気。無属性魔術が実現した、殺傷力を切り捨てた最速の一撃だった。これがもしキャスター以外の武芸に長けたサーヴァントであったなら、ノアの動作から予測して躱してみせただろう。

 全身の筋肉が痙攣し、硬直する。

 パラケルススは見た。神殺しのヤドリギを鏃に、弓矢を引くノアの姿を。

 ───残り、一手。

 黄昏の光を、再現しよう。

 

「〝……失墜せし荘厳の世界樹〟」

 

 ヤドリギを媒介に、魔術を行使する。

 パラケルススのアゾット剣と同じように。

 

「〝ひとたび…この聖なる樹に激しく赤い火が付けば……炎は光輝に満ちた戦神の館(ヴァルハラ)を焼き尽くす〟」

 

 黄金の鏃に赤い火が付く。

 それが発するのは夕焼けの如く辺りを茜色に染め上げる黄昏の陽光。

 

「〝そして、永久を生きる……不死の神々の終末が始まるのだ〟」

 

 美しきその光が、神々の世を終わらせたのだ。

 揚々と歌い上げる声は途切れ途切れ。

 視界がかすみ、手から力が抜けていく。

 紛うことなき限界。気合や根性でどうにかなるのはここで終わり。ノアの体は強制的に眠りに落ちようとしていた。

 

(くっ……そ!! あと、ほんの少しで───)

 

 そんな彼の耳に届くように、叫ぶ者がいた。

 

「『行け───()()()()()()!!!』」

 

 ロマニ・アーキマン。

 彼の声が、ノアの視界を晴れ渡らせる。

 他の何者でもない、自分の名前。

 それをこうして呼ぶ人が、側にいた。

 その、刹那にも満たない時間。

 ノアは暖かい夢を見た。

 木漏れ日の中、その人の膝を枕代わりにして。細い指が頭を撫で付ける。

 

〝……ノアトゥール。あなたは、ひとりでなんでもできる子だから。私でも■■でも、誰かを頼らなきゃね〟

〝……なんでだ?〟

〝だって、ひとりは───寂しいでしょう〟

 

 ……そして、ノアは薄く微笑み、

 

「ああ、そうだな」

 

 今度こそ、最後。弓矢を砕かんばかりに握り締め、

 

「〝この灯火こそが原初の破滅〟!!」

 

 ぎりぎりと軋む弦を、手放す。

 

「〝無へと還れ〟───『終約・黄昏の天光(ミストルティン・ラグナロク)』!!!」

 

 炎を纏った矢が駆ける。

 世界を終末に導いたヤドリギ。

 神々の終わりたる黄昏の光。

 この矢は、その具現だ。

 あり得ざる光の再演。ヤドリギと無属性魔術の両方が無くては実現しない奥義。

 

「く、おおおおおお!!」

 

 パラケルススは硬直した筋肉を強引に動かし、もっとも簡単な迎撃、火の元素変換で迎え撃つ。

 光の矢は苦し紛れの火炎をやすやすと破る。

 次の瞬間、血の華が咲いた。

 

「…………っ、く」

 

 滝のように流れ出す血液。それが降り注ぐのは、二の腕の真ん中から食い千切られたパラケルススの右腕。

 額に脂汗を浮かべながら、彼は短くなった腕の先を縛った。出血を止める応急処置。右腕を失った体はバランスを崩す。

 彼らを囲う炎の壁はとうに消えていた。パラケルススは近くの土壁に身を預け、荒々しく息を吐く。

 ノアも投影した弓が粒と消え、パラケルススと同じく壁に背を預けた。

 二人が吐く息の音のみが連続する。

 最後の一撃。パラケルススに魔術を使う暇がなければ、ノアの体調が万全であったなら、結果は異なっていただろう。

 戦場に言い訳はない。

 死力をも使い果たしたノアと、右腕だけに被害を留めたパラケルスス。

 勝敗は、決まっていた。

 

「……貴方たちの───」

「……俺たちの───」

 

 ……そう、勝敗は決まっていた。

 

「「───勝ちだ」」

 

 二人の間に火柱が突き刺さる。

 天井の石と土がどろどろと焼け落ち、次第に火柱は細くなって失せた。

 吹き抜ける風。パラケルススとノアは示し合わせたように上を向き、落ちてくる人影を視認する。

 真っ先に叫んだのは、赤毛の少女。

 

「リーダー!!」

 

 マシュの補助を受けて着地すると、立香はいの一番にノアに駆け寄った。

 彼女はノアの負傷の具合を見て息を呑む。それに何かを言う前に、ノアは立香の頭に左手を置いて、緩く口角を上げる。

 

「……よく来たな、藤丸。褒めてやる」

「褒めてやる、じゃなくてもっと具体的な言葉で言ってください」

「…………あ~、おまえは俺の自慢の部下だ。約束通り、名無しの女王の件の貸しは無しにしてやる」

 

 立香はノアの左手首を両手でがっしりと握り、彼の手のひらに親指の爪を食い込ませた。

 元々、焼かれて治りかけの部位である。傷を抉るのは治りかけが一番痛いといったように、ノアは悶絶する。

 

「ギャアアアア!! 何やってんだ! せっかく人が褒めてやったところだろうが!」

「リーダーはいっつも風情がないんですよ! 少しは貸し借りとかなしで物を語れないんですか!? そもそも女の子の頭を汚れた手で触るとか正気を疑います!」

「ああ、そういえばおまえ女だったっけか。なんとなくボタンひとつで性転換できそうな面してんなオイ」

「どういう顔ですかそれ!? 聞き捨てなりませんよ!」

「『ここは感動の再会の場面では!?』」

 

 マシュとジャンヌは二人のやり取りを死んだ魚の眼で見つめていた。

 

「ちょっとは良い雰囲気を期待した私が馬鹿だったわ」

「やることなすこと小学生と変わりませんからね」

「……まあ、とりあえず安全は確保されたってことで喜んでおくか」

 

 ペレアスは呆れつつ、パラケルススに顔を向ける。錬金術師は左手にアゾット剣を携えて、ノアたちの方に体を向けた。

 その瞳に灯るのは戦意。ペレアスは簡潔に問う。

 

「まだやるつもりか?」

「ええ、彼を始末するのが私の使命ですから」

「……なるほどな。抜けよ、それで終わりにしよう」

 

 パラケルススは迷いなく宝具を起動した。

 

「『元素使いの魔剣(ソード・オブ・パラケルスス)』!!」

 

 虹色の極光。彼が持つ最大火力。

 しかし、その刃が振り抜かれることはなく。

 目と鼻の先にまで接近していたペレアスは、パラケルススの手首を押さえる。振るう途中で手を止められ、真エーテルは明後日の方向に飛んでいった。

 その首にペレアスが刃を当てて引き切ろうとするのを、背後からの声が止める。

 

「待て、ペレアス」

 

 立香に支えられ、かろうじて立っていたノア。彼は間断無く続けた。

 

「パラケルスス……おまえが最初から宝具を使えば俺を楽に殺せたはずだ。どうしてそうしなかった? 最も効率的な手段を取るのが魔術師だろ」

 

 パラケルススは自嘲気味に笑う。

 

「───迷っていたのです。本当に世界は、人類は、滅ぶべきか否か。私に簡単に殺されるようなら諦めるつもりでしたが……ふ、中々どうして、若人の成長とは目覚ましいものです」

 

 彼は荒い息を吐いて、壁に寄りかかる。

 

「行きなさい。まだこの戦いは終わっていない。私のような敗者は捨ておきなさい」

「……分かった。おまえのお陰で俺は限界を超えられた。そこは礼を言っておく」

「…………それは、貴方の力ですよ。もし次があるなら、その時はもっと力を付けてきなさい。でなくては、あの方は超えられない」

 

 せめてもの餞。彼らの周辺の地面を隆起させ、地上に送り届ける。天井が塞がれたことで射し込んでいた月光が遮られ、暗闇に戻った。

 パラケルススは右腕の断面を縛る縄を解く。どぽり、と血が流れ、意識も暗い水底に吸い込まれていく。

 

「魔術の先の学問、ですか」

 

 彼はくすりと息を吹き出す。

 

()()()()()()を継ぐとは、並大抵の覚悟ではありませんね……」

 

 仄かな高揚感を胸に。

 パラケルススは、目を閉じた。

 所変わって、地上。

 残る戦場に合流しようとしていたノアたちだが、いざ向かおうとしたその時、立香に支えられていたノアの体がぐらりと揺らぐ。

 彼は目を瞬かせて、気だるげに言った。

 

「……くそ、少し寝る。何かあったら起こせ」

 

 返答を待たずに、ノアは目を瞑った。静かな寝息を立てて、その体から力が抜ける。

 立香は無意識に、彼の胴に回した腕の力を強くした。

 

「はい。私たちのこと、もっと頼ってください」

 

 その言葉は聞こえたかどうか。

 ぐぐぐ、とノアの体が傾いていく。立香のしんみりとした気分が続いたのはそこまで、大の大人の体重を一挙に引き受けることになり、背中を仰け反らせた。

 

「ち、ちょっ……うわーっ!? 重い重い! 誰か助けて!」

「わたしは盾の手入れがあるので……」

「私は生理的にムリ」

「なんという信頼のなさ!!? ペレアスさん!」

「あ~はいはい、結局オレか。このまま行くとセクハラになりかねないしな」

 

 彼らが歩く先。

 その上空では、黒雲と蒼雷が渦巻いていた。




『終約・黄昏の天光』
 ミストルティン・ラグナロク。世界を調律する光の神を堕とした黄金の光、神々の黄昏における終末の光の一欠片──その一端を現世に再現する奥義。
 ミストルティンとあり得ざるモノを造り出す無属性魔術の両方が揃って、初めて辿り着く可能性のある技。対生物・対無生物において無類の強さを誇るが、矢に秘めた光量に応じて威力が左右される。その光は対象を喰らうごとに減衰するため、咄嗟に魔術を発動したパラケルススの判断はこれ以上ない正解だったと言える。また、進路上のあらゆる生物・無生物に効果が適用されるという特性上、空気をも呑み込んでしまい、発射地点から遠ざかるほどに威力は急速に弱まる。それ故、弓で撃ち出す見かけに反して有効射程距離はかなり短い。
 パラケルススが腕一本で済んだのは、彼が取った選択肢が適切であったことと、進路に存在する魔霧が通常よりも威力を減らしたことが大きい。
 分類としては宝具というよりも、宝具を介して発動する魔術。パラケルススの宝具と同じ。彼の宝具を垣間見たことで、ノアはこの技に至ることができた。しかし、世の理を歪めるほどの魔力を必要とし、その全てが術者に依存しているので燃費は非常に悪い。近距離で直撃すればサーヴァントでさえ一撃で消滅させられるかもしれないが、ノアとしてはペレアスを突撃させた方が魔力が嵩まないしサボれるのでお得。そもそもサーヴァントと殴り合うのが間違いである。
詠唱はワーグナー『神々の黄昏』のセリフから抜粋し改変したもの。
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