自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第41話 狂気の婦長とライオン大統王

「待っていろ、カルナ。貴様も今すぐに…………!!」

 

 ぶすぶすと黒い煙を発しながら、頭を失った虹蛇(にじへび)の巨体が墜落していく。

 褐色の青年が放った一撃は虹蛇の頭を焼き潰すに飽き足らず、貫通して着弾した地面を赤熱する溶岩に変貌させていた。

 虹蛇ほどの質量の墜落は小隕石のそれと変わりない。灼けた大地にその巨躯が落ち、強烈な突風と衝撃がノアたちを襲う。

 ペレアスとスカサハは瞬時にその場から離脱することで、ノアはルーンの防御壁を張ることでそれらを凌いだ。が、Eチームが誇るヘボ詩人だけはろくな防御手段もなく、背中から倒れ込むように地面をごろごろと転がっていった。

 

「ウギャアアアアア!! だっ、誰か助けてええええええ!!」

 

 西部劇お馴染みのタンブルウィードが如き回転で荒野を疾走するダンテ。サーヴァントとは思えない無様を晒す彼を見て、感情のない眼差しを向ける青年を除いた三人は目を見開いて、

 

「おい、なんだあの男は!? とても同じサーヴァントとは思えん!」

「同じサーヴァントつっても天と地ほどの差があるからな。人間ボーリングになるのも当然だろ」

「納得してる場合か!?」

 

 ペレアスは地面を蹴り、絶賛回転中のダンテを追い越すと、その襟首を掴んで止めた。

 土だらけ痣だらけになったダンテは荒々しく息を吐く。着衣も乱れ、優れた詩人に与えられる桂冠も薄汚れて千切れかかっている。

 

「た、助かりました。ありがとうございますペレアスさん」

「おう。これからは絶対にノアから離れるなよ。セミみたいにピッタリくっついておけ」

「是非そうします。人に頼るのは慣れてますので」

「やっぱりお前、サーヴァントよりマスターやった方が良いんじゃねえか?」

 

 ペレアスがダンテと戻ってくる間。ノアは空中に留まる褐色の青年に目を向ける。無言で佇む彼に、勢い良く指を差してがなり立てた。

 

「そこのおまえ、いきなり出てきて手柄を横取りしてんじゃねえ!! それは俺の役割だ、すっこんでろ!!」

「…………」

「無視されているようだが?」

「この俺を前にして無視なんてさせるか! くらいやが───」

 

 魔術回路を起動し、青年に魔術をぶつけようと思った時、ぴしりと何かが割れる音が響く。

 荒野に横たわる虹蛇の死体。背の部分をなぞるようにヒビが走り、潰れた頭の断面から白濁した眼光が灯る。変わらぬ殺気を宿した眼差しがノアとスカサハを射抜いた。

 ──ウロボロスという古代のモチーフがある。自らの尾を噛み、円環をなした蛇。蛇神信仰にはしばしば見られる象徴であり、アステカ神話のケツァルコアトルもこれに当てはまる。

 その意味は多様に解釈され、永遠性や完全性、無限性を表すとされることが多い。それらは蛇の不死性と直結する。虹蛇もまた、死と再生の神の一柱なのだ。

 虹蛇が抜け殻を割って姿を現す。まばゆいばかりの七色の光が辺りを照らし、己が命を奪った青年へと飛び立とうとしていた。

 逡巡する暇はない。

 ノアは右手を胸に突き刺して、ヤドリギを摘出した。

 虹蛇は再生の力を持つ神格だ。神殺しと不死殺しのヤドリギならば、絶対的な死を与えることができる。

 そして、今は再生直後。必殺なれど必中ならぬヤドリギを当てるのは今しかない。

 

「───『神約・終世の聖枝(ミストルティン)』!!」

 

 光条一閃。

 神殺しの一矢が蛇神の眼前に迫る。

 虹蛇の視線が黄金の鏃を射抜き、空間が軋んだ。それは局所的な時空異常。海に渦が起こるように空間が渦巻き、ヤドリギをねじ切った。

 虹色に輝く巨体が声帯を震わせながら一直線に青年を狙う。衝撃波に等しい音の振動。それが届くより一瞬早く、彼がかつて火の神に授けられた神弓が業火を放つ。

 

「『炎神の咆哮(アグニ・ガーンディーヴァ)』」

 

 空を駆ける灼熱の流星。

 虹蛇は眼球が赤く染まるほどの眼力を以って、炎神の一矢を真っ向から睨んだ。

 

「──────()()!!」

 

 空間が、歪む。

 燃え盛る炎が不自然にゆらめく。

 火勢は急激に衰え、その攻撃自体が折り畳まれるように強引に圧縮されていく。やがてそれは小さな火種になり、虹蛇に到達する頃には完全に消滅していた。

 空間ごと対象を捻じ曲げる眼力。自らの宝具を防いでみせた空間歪曲現象を認めるやいなや、弓手は蛇の下を潜り抜けるように飛行する。

 振り向きざまに十連射。空に瞬く星のような火矢はしかし、蛇体を曲げることで全てが回避される。そのどれもが紙一重。最小限の動きで攻撃をすり抜け、矢が空の彼方へ飛んでいった。

 ごく短時間の時間停止であろうと、強者同士の戦いにおけるその猶予は驚異的だ。神弓の担い手を前にしても、優位性は崩れることはない。

 虹蛇は褐色の青年と地上のノアを一瞥すると、頭を振って雲の向こう側に飛び去ろうとする。

 いっそ清々しいまでの逃げ足を目の当たりにして、スカサハは訝しんだ。

 

(逃げただと? あれほどの殺意を向けておきながら)

 

 脳裏に疑問を抱えつつも、彼女の体は追撃のために動いていた。

 束ねた右の五指が深紅の魔槍の表面をなぞる。

 

「wird、wird、wird────teiwaz」

 

 他の文字の強調としてのブランクルーン。架空元素・無という特異な魔術属性が可能にするノアの高速詠唱とは異なった、本来の使用法。三重にもなる強化は、全て最後の文字に捧げられた。

 輝かしい橙色の光が槍を包む。

 teiwazは勝利のルーンと呼ばれる。ヴァイキングなどは自分の武器にこのルーンを刻み、武運を祈念した。ノアは一連の詠唱を見て、僅かに眉を上げる。

 ルーンによる武装強化。スカサハの投擲と合わされば、上空の虹蛇を貫くのも訳はないだろう。

 彼が目を奪われたのはルーンの質。すなわち、神秘の強さ。現代のそれとは比べ物にならない効力を一目で見抜き、強く確信する。

 

(原初のルーン、か)

 

 北欧神話の最高神オーディンが片目と引き換えに得た知恵の秘奥。北欧世界における魔術の源流。それが今、ここに現前していた。

 スカサハは一息に槍を投げつける。

 音速を遥かに超えた速度で飛翔する槍は狂いなく胴を射抜こうとするが、鱗に触れる直前で不自然に軌道が曲げられた。

 投げた槍を手元に戻しつつ、彼女は舌打ちする。

 

「……視界に捉えずとも空間を曲げられるのか。なぜ今まで使わなかった?」

 

 が、先程のものと比べて出力は低下している。メデューサ然りバロール然り、視線が呪いと化す伝承は枚挙に暇がない。虹蛇はその形式に則ることで、空間歪曲の威力を高めているのだ。

 つまり、邪視であって魔眼ではない。むしろその白く濁った眼はもはや正常な機能は果たしていないだろう。

 褐色の青年は逃げる虹蛇に数度矢を射掛けると、追撃を打ち止める。深追いは双方に利がないと判断した結果だった。

 虹蛇の撤退に続くように、空を閉じ込めていた黒雲が流れていく。一転して晴れ渡る青空の下、ペレアスは上空の弓手に向かって呼び掛ける。

 

「そこのあんた、降りてこいよ! オレたちと一緒に勝利の喜びを分かち合おうぜ!」

 

 スカサハとダンテは眉をひそめて、

 

「虹蛇を仕留めきれなかった以上、勝ったとは言い難いだろう」

「ええ。現に私、宝具を破られた敗北感に打ちひしがれたい気分ですし」

「良いんだよ細かいことは。虹蛇は手傷を負って逃亡、こっちはほぼ無傷だろ。あいつを逃げるまで追い詰めたんだから勝ちだ」

 

 その会話の間に、褐色の青年は空から地面に降り立つ。

 気難しい表情をする彼は真摯な声音で言う。

 

「私は貴方たちを監視する任を受けてここに来ました。つまるところは敵……馴れ合う意味もないでしょう」

「御託はいい。それよりも俺たちの獲物を横取りしようとした釈明をしろ」

「結局逃したんだからそこはチャラだろ。……というか」

 

 ペレアスの目が横を向く。それに釣られて一同も視線を合わせると、地平線の向こう側から爆走する人影が見えた。

 最初は米粒大、数秒後にはくっきりとその容姿がうかがえるようになる。

 二十世紀初頭のイギリスの赤い軍服に身を包んだ女性。端正な顔立ちは鋼鉄で出来ているかのように固まり、深い影を落としていた。

 鮮やかな赤色の瞳の眼は一切瞬きせず、ノアたちを見つめている。その時、ダンテは彼女の背後に地獄でまみえた悪魔たちの姿を幻視してしまう。

 

「怪我人───発見ッ!!」

 

 軍服の女性はアメフト選手が如きタックルでダンテに突っ込んだ。

 

「おぼふっ!!?」

 

 草食系男子どころか植物そのもののような男がその追突に耐えられるはずがなかった。彼の体は地面に叩きつけられ、白目を剥いてぶくぶくと泡を吹いている。

 

「意識レベルは昏迷。全身に擦過傷多数。奇異呼吸も確認……容態は厳しいですがまだ間に合います。そこの貴方たち、彼の命を救うために介助を!」

 

 迫真の表情で詰め寄る女性。ノアは目を細めて冷静に指摘した。

 

「おまえのせいで死にかけてるんだが。つーか誰だよ」

「むっ! 右手が黒く壊死していますね。一刻も早く切断しなければなりません。どうしてこれほど悪化するまで放置したのですか!」

「話聞かねえぞこいつ! 耳詰まってんのか!?」

「…立香ちゃんの気持ちが分かっただろ」

 

 ペレアスは呆れて言った。人の話を聞かないことで言えばノアも相当なものである。立香含め普段から彼に苦しめられている人間の気持ちを味わうことになるとは思いもしなかっただろう。

 ダンテの右手がひとりでに動き、女性を払い除けようとする。が、見た目に反して彼女の力は強いようで、簡単に手首を掴まれる。それでもなお、右の五指はわさわさと動いていた。

 

「壊死した手が屈筋反射を……!? 初めて見る症例ですね。これは是非とも切り取って病理解剖にかけなくては」

 

 そう言って清潔に研ぎ澄まされた刃物を取り出したと同時に、ダンテは目を覚ます。

 視界に飛び込んできたのは、真顔で刃物をギラつかせる不審者だった。ダンテは目を見開いて騒ぎ立てる。

 

「誰なんですかこの人!? なんでそんなもの持ってるんですか!」

「フローレンス・ナイチンゲールと申します。貴方の右手は重篤な症状を抱えているので、とりあえず切断に入ろうかと」

「とりあえずで切断はおかしいでしょう! もう終わりじゃないですか、ゴールテープ切ってるじゃないですか! 切断だけに! あとこの手はジャックさんの呪いで……」

「呪い? 何を馬鹿なことを言っているのです。そんなオカルトに取り憑かれて命を落とした人を私は何人も見てきました。医療において迷信は害悪でしかないのです!!」

「び、微妙に反論しづらい……本当に呪いのせいですのに!!」

 

 揉み合いになるダンテとナイチンゲールを一同は冷たい目で眺める。下手に割り込めば自分が標的にされる可能性がある。火中の栗を拾おうとする者は皆無だった。

 ペレアスは顎に手を当てながら、記憶の糸を引っ張り出す。

 

「ナイチンゲール……有名な看護師だったか? ロマンが前に話してた気がする」

「おまえからすれば大抵の英霊は有名だがな」

「うるせえ放っとけ! 無名は無名で良いことだってあんだよ!」

 

 肩を怒らせながら、ダンテとナイチンゲールに歩いていくペレアス。いよいよ右手が切り落とされるところを、なんとか止めに入る。

 なんとかしてダンテの右手が正常であることを伝え、ナイチンゲールに諸々の事情を説明する。神秘や魔術といった存在にはあまり納得がいっていないようで、ノアが実演してみせても表情は曇ったままだった。オカルト的なものへの意識はなかなか変わらないようだ。

 彼女はダンテの傷を念入りに消毒しながら、ここに来た経緯を説明する。

 

「あの黒雲が通り過ぎた後には不思議と無数の傷病者がいましたので、それを追っていた次第です」

 

 ダンテとペレアスは絶句した。あの雷雲の発生源は考えるまでもなく虹蛇だ。それの後を付いてきていたとなれば、いつあの蛇神と遭遇してもおかしくはない。ノアたちに会うまで生きていたことはかなりの幸運だ。

 無論、ナイチンゲールも危険性は理解しているはずだが、彼女はクリミア戦争において数多の人間を救った英雄。小陸軍省とまで喩えられた胆力と苛烈さには、命を脅かされる状況など歩みを止める理由にはなりはしなかった。

 ナイチンゲールはダンテの処置を終える。青空の遠方に黒いシミのような雲を見つけると、その方向に踵を返した。

 

「では、私はこれで。あの雲を追わねばなりませんので、貴方は毎日の手洗いうがい消毒殺菌切断は忘れないように!」

 

 その場を後にしようとする彼女を、ペレアスが止める。

 

「ま、待て待て! オレたちと一緒に来てくれ! このままじゃすぐに死ぬぞ!?」

「お心遣い感謝致します。ですが私に心配は無用! この身はとうに命を救う職務に捧げたものですから!!」

「うわー! ダメだ、説得できねえタイプの人間だこの人! アグラヴェインとかと同じニオイがする!!」

 

 ペレアスは思わず嘆いた。説得が通じない人間は往々にして、どんな時代にもいる。そんな人を言い宥めるのに必要なのは、感情やその人自身ではなく他の要素で訴えかけることだ。

 ダンテはその方法を心得ていた。仮にもフィレンツェの統領にまで登り詰めた政治家、話を聞く気がない相手を味方につけねばならないこともあった。詩才だけでなく政治手腕も、彼を語る上では無視できない。

 

「ナイチンゲールさん。あなたの信念は誰にも否定できるものではありません。ですが、私たちも滅びた世界の数十億人を救わねばならない。人命の優先度を数で付けろと言っている訳ではなく、特異点という病巣を切除するために私たちと共に戦っては頂けませんか」

「…………なるほど。この世界に在るのですね? 人命を脅かす病原体が」

「ええ。命を救いたいあなたと世界を救いたい私たち。目指すところは同じと思いますが?」

「分かりました。この私も貴方たちと共に往きましょう。ミスター・アリギエーリ」

 

 どうやら話はまとまったようだ。それを傍目に眺めていたスカサハは、小さく頷いた。

 

(ただの惰弱な男と思っていたが、人の心に触れる才があるのか。生きる世界が違うのだろう。……自らを戒めなくてはならんな)

 

 ダンテのような人間は平時でこそ、その能力を輝かせる。戦いを宿命とする人間の尺度で計ること自体が間違いだ。そして、スカサハはそれを認めて正すこともできる。それはそれとして戦闘で役に立たないことは問題なのだが。

 考え込む彼女の背中にぶっきらぼうな声がかかる。

 

「おい」

 

 視線を傾けた先にはノア。彼は強烈な上から目線で言い放つ。

 

「おまえのルーン魔術を俺に教えろ」

 

 簡潔な言葉。スカサハは向き直り、

 

「剣は使えるか」

「……は?」

「弓と槍はどうだ? 見れば上背もあるし体はそれなりに仕上がっているようだが、ルーンを使うとなれば武術は不可欠だ。影の国ではな」

 

 彼女はわざとらしく口元を歪める。

 

「ああ、お前は魔術師だったか? ならば武器を使えぬのは仕方ない。訊いた私が悪かった。気にするな、魔術師」

 

 スカサハはノアの肩を叩く。もったいぶった適当な煽りに、彼は瞬間湯沸し器のように沸騰した。

 

「上等だ、俺の槍テクを見せつけてやらァァ!!」

 

 ヤドリギの短槍で切りかかる。不意打ちじみた一撃だったが、スカサハは槍を振るうことすらなく、踵でノアの顎を打ち抜いた。綺麗に回し蹴りを決められた彼の体は仰向けに崩れる。

 そもそも、人間がスカサハほどのサーヴァントと同じ土俵に立つこと自体が愚行である。この結果はノアの煽り耐性の低さに起因していたと言えよう。

 スカサハは地面に大の字になるノアに、冷静な評価を下す。

 

「魔術師が片手間に使う槍術にしては悪くはなかった。現代では通用するだろう。現代ではな。つまり、私にとっては児戯だ」

 

 彼女は槍をノアの鼻先に突きつけて言う。

 

「立て、一から鍛え直してやる。制裁のこともあるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立香(りつか)たちローマ合衆国がケルト軍との遭遇戦を行った後。敵を眼光だけで撤退させた白髪のサーヴァントは、彼女らに言った。

 

「オレはカルナだ。アメリカの大統王、エジソンがお前たちと話をしたいと言っている。助けた恩を振りかざすようで悪いが、同行してくれ」

 

 立香たちは目を合わせて無言のやり取りをする。人は視覚から多くの情報を仕入れる生物である。その間で得た共通認識はただひとつ。

 

「情報量が多い───!!」

 

 立香は思わず声を口に出していた。目の前の男があっさり真名を明かしたこと、超ビッグネームのエジソンが大統王であること、何やら彼についていかなければならないこと等々、突然の展開に彼女の頭はパンクしかけていた。

 勢い良く振り向き、マスターらしくマシュに指示を出す。

 

「と、とりあえず解説を!」

 

 Eチーム女子サイドの名解説役ことマシュはしたり顔で頷いた。

 

「はい。カルナさんはインドの叙事詩マハーバーラタに登場する英雄です。人間の妃と太陽神の間に産まれた子で、生まれながらにして黄金の鎧を身に着けていた不死身の戦士ですね」

 

 しかし、古今東西不死身の者というのは必ず死する運命にある。カルナはバラモン僧に化けたインドラとの取り引きで鎧を失い、決闘相手の矢にその身を貫かれて命を落とした。

 マハーバーラタの中では彼は弓を用いることが多いが、ここでは槍を携えている。その槍こそは無敵の鎧と引き換えに手に入れたインドラの槍であろう。

 マシュが語り終えると、カルナは表情をぴくりとも動かさずに述べる。

 

「目の前で自分の人生を語られるのは少々気恥ずかしいな」

「その割には無表情極まってるわね」

「アイドルにはなれないタイプね。厄介なファンにも分け隔てなく微笑みかける愛嬌とスキャンダルを起こさないことが第一だもの」

「お前にはどっちもないけどな」

フォウフォウフォフォフォウ(どうせ人気出るタイプだよ、ケッ)

 

 何やらふてくされたフォウくんは人間のような二足歩行で、腕を組みながら小石を蹴り飛ばした。

 マスコットキャラクターの闇は置いておいて、カルナの申し出を断ることは不可能なように思われた。彼の実力は一目瞭然、全員で戦ったとしても多大な被害を受けるだろう。

 無意味に敵に回すことは避けるべきだが、ノアたちとの合流を急がなくてはならない。あまり時間を掛けていられる状況ではないが、背に腹は替えられなかった。

 ネロは悩ましげに眉根を寄せる。

 

「立香、これは受けるしかあるまい。時を要するのはやむなし、大統王との語らいもそれはそれで貴重だ。協力関係を結べるやもしれぬしな」

「そうですね。ちなみに大統王のところまではどれくらい歩くんですか?」

「無理に移動を強いることはしない。そうだな……この中に空を飛べる者はいるか」

 

 マシュは即答した。

 

「ジャンヌさんが飛べます」

「ぶっ飛ばされたいの? アホなすび」

「名無しの女王の城に突入する時に共に風になったじゃありませんか。あの飛びっぷりはまさに圧巻の一言でした」

「アレのどこが飛行!? ああいうのはただの自殺行為って言うのよ! 二度としませんから!」

「何やらよく分からんが、仕方ない。文明の利器を使うとしよう」

 

 そう言って、カルナは手のひら大の通信機を操作した。この時代にはそぐわないと思われる現代的な機械。彼はそれに向かって声を発する。

 

「すまないが力を借りたい。アレを送ってくれ」

「『ええ、よくってよ! 私の神秘の根源、有効活用してちょうだい!』」

 

 すると、上空から異様な機械音が鳴り響き、太陽光が遮られて大地が影に包まれる。かと思えば、神秘的な強い光が辺りを照らした。

 ほぼ同時に、立香たちは顔を上げる。

 梔子色に発光する鋼鉄の円盤。それはゆっくりとだが回転しており、無機質に佇んでいた。過去の英霊たちには見覚えどころか概念すらないような飛行物体。しかし、立香とマシュは強烈な既視感をその円盤に掻き立てられた。

 二人はひしと抱き合う。

 

「もうダメだぁ~! 私たちは今からエイリアンにアブダクションされて人体実験されるんだぁ~!!」

「人体実験……!? くっ、そんなマニアックなジャンルはまだわたしの辞書にはありませんね……サンプルの提示を求めます!!」

「……そろそろ本当に焼きなすびにしようかしら」

 

 本調子ではないラーマはさらに調子が下がっていくのを感じた。この集団において、常識人は割りを食うばかりなのだ。かといって、彼女らの位置まで下がるのは断固として拒否するが。

 そんな騒ぎがありつつも、結局ローマ合衆国は円盤に乗り込んでアメリカ軍の本拠地に連行もといアブダクションされることになったのだった。

 円盤の上で風に吹かれながら、ラーマはあんな場所で行き倒れていた経緯を打ち明ける。

 

「この地に召喚されてすぐ、余はケルト軍のサーヴァントと交戦した。奴はケルトの狂王と名乗り、軍門に下るか否かを突きつけてきたのだが……」

 

 彼はその申し出を断り、狂王との戦闘になった。万全のラーマはカルナにも劣らぬ戦力を有し、全サーヴァントの中でも最高峰に位置する英霊だ。が、狂王は彼を追い詰めるほどに強かった。

 その窮地を救ったのが、輝くコヨーテを従えたサーヴァント。直後に乱入した虹色の蛇と狂王からラーマを逃がすために駆け付けたのだという。

 そのサーヴァントの行方はようとして知れないが、生存している可能性が低いことは確かだ。

 ラーマは決意を表すように拳を握り固める。

 

「二度も救われた命だ。余はこの世界を救うために戦うぞ。ではなくては、シータに顔向けできぬからな」

 

 真摯な彼に、マシュは強く首肯した。

 

「ええ。わたしたちは、わたしたちを育んでくれた世界と人のためにも、戦わなくてはなりませんから」

 

 そうして、アメリカ軍の本拠地が見えてくる。

 防衛を旨とした要塞。その屋上にはヘリポートよろしく飛行円盤のための発着場が設けられており、全員はそこに降り立つ。

 役目を果たした円盤は無数の光の粒となって消えた。サーヴァントの武装は自由に出し入れできるが、この円盤も同様の扱いのようだ。発着場の必要性が疑問になってくるが、立香はそれを飲み込んだ。

 ローマ合衆国一同が案内されたのは適度な装飾が施された応接間。そこに入ろうとする寸前、ロマンは立香に忠告した。

 

「『立香ちゃん、くれぐれも失礼のないようにね』」

「誰に言ってるんですか。リーダーじゃあるまいし」

「『いや、アレは論外だから……』」

 

 君は君で大概だ、とは言わなかった。ロマニ・アーキマンは気遣いのできる大人なのだ。

 応接室の扉が開く。対面するように並べられた椅子と机。立香の向かい側にはカルナと快活な雰囲気の紫髪の少女。そして、

 

「よく来てくれた、紳士淑女たちよ。私が大統王エジソンである。どうぞかけたまえ」

 

 ───自らを大統王と名乗るライオン頭の大男だった。

 立香はつい思ったことを口に出してしまう。

 

「……埼玉の球団でマスコットキャラクターとかやってました?」

「何のことを言っているんだね君は!? もし肖像権の侵害をしているなら私も出るところに出ねばな! 何しろアメリカは訴訟の国だ!」

「映画の撮影機とフィルムの特許を無理やりもぎ取ったものね、あなた。正直どうかと思うけれど!」

「そう言うな、エレナくん。私もあの頃は若かった……」

 

 エジソンは発明家としてだけではなく、事業家としても優れた才能を発揮した。ニコラ・テスラとの電流戦争が有名だが、他にも彼のしたたかなエピソードが残っている。

 映画には覗き箱方式と映写方式というのがある。前者はエジソンが発明したもので、現代では後者の方式が採用されている。新しい方式の登場により、エジソンも映写方式を導入せざるを得なくなった。だがその後、彼はお抱えの法律顧問団の力によって一度は却下された特許申請を強引に認めさせ、映画関係者たちから特許使用料を巻き上げたのだ。

 立香の前にいるのは、そういう人間だった。搦手も正攻法も惜しみなく効果的に使い、目的を達成しようとする曲者。彼女の握り締めた手のひらにじわりと汗が浮かび上がる。

 

「エレナって、もしかしてエレナ・ブラヴァツキーさんですか?」

「ええそうよ。割とマイナーなのに、現代の子がよく知ってるわね!」

「リーダー……私たちの仲間の魔術オタクが結構話題に出すので。今はここにいないんですけど」

 

 エジソンは髭をつまみながら口角を上げた。

 

「ほう、他にもまだ仲間がいるのか。これは建設的な相談ができそうだ」

「もったいぶってないでさっさと本題に入りなさい。そんなんじゃトーク番組に呼ばれないわよ」

「お前が喋るとさらにややこしくなるから黙っててくれませんかね?」

「う、うむ。話というのは他でもない。ケルト軍に対抗するため、我々で手を組もうというのが本題だ」

 

 その申し出は立香の想定内だった。無闇に戦闘を仕掛けて来ない時点で剣呑な言葉が飛び出すとは思っていなかったが、アメリカ軍の協力が得られるとなれば断る選択肢は無いように思われる。

 立香がネロに視線を送ると、彼女はエジソンに向き直った。

 

「確かに、それは魅力的な提案であるな。手を組む他に余地はないとも思うだろう。しかし余は皇帝だ。まだ仲間の命を預けるに足る問答をしておらぬ」

「ならばすると良い。歴代大統領の魂に誓って、如何なる問いにも虚偽なく答えると約束しよう」

 

 ネロはエジソンの瞳を真っ向から捉え、

 

「大統王エジソン。ケルト軍に勝利し、その後に何を望む」

 

 彼はそれを受け止めると、ゆっくりと立ち上がる。背後の窓から射す陽光に包まれながら、エジソンは一冊の本を取り出した。

 その本は聖書。人類の原罪を背負い死んだ救世主の物語が描かれた、奇跡の伝承。彼はその表紙に右手を乗せる。

 

「我が国の長は聖書に手を置いて就任を宣誓する。慣習として形骸化しようとも、その根底にあるのは神への誓い。この国が未だ唯一神の威光の元にあるという証左だ」

 

 ネロの視線に込められた熱が冷え込む。

 彼女はキリスト教を苛烈に弾圧した皇帝。後の世では悪の象徴として伝えられることもあるほどに、教徒からは畏れられ憎まれた。

 弾圧の真意がどこにあるにせよ、その事実は変わらない。ネロの眼差しが冷たく研ぎ澄まされていくのを感じながら、エジソンは続ける。

 

「ヨハネの黙示録には救世主による千年王国が訪れるとある。だが、世界はそれを待たずして滅んだ。この国を残して───これがどういうことか分かるかね?」

 

 その問いに答える者は誰もいなかった。ただ、強烈な不穏さだけを秘めていることだけは誰の目にも明らかで。

 エジソンは鬼気を孕んだ瞳で断言する。

 

「これは我ら人間の手で千年王国を建国せよという運命の啓示! ケルト軍が擁する聖杯を手にし、私は合衆国を永遠のモノとするのだ!!」

 

 大統王は意気揚々と宣誓する。この場のほとんどの人間が呆気に取られる中、立香だけはこくこくと頷いていた。

 

「なるほど。エジソンさんの言いたいことはよく分かりました」

「分かってもらえたようで幸いだ、レディ。合衆国は来るもの拒まず。勝利の暁には諸君らに永住権を贈ろうと思」

「あっ、それはいいです。私たちは帰るんで。行こっか、みんな」

 

 大統王の言葉を遮って、立香は席を立つ。彼女に続いて、他のメンバーも離席していった。それを唖然と眺めていたエジソンは正気を取り戻すと、扉の前に立ちはだかる。

 

「ちょっ、待ちたまえ! えっ? 話の流れを理解していないのか!? どう考えても私の申し出に乗る場面だっただろう!!」

 

 泡を食って喚き立てるライオン頭。デフォルメされていない獅子の顔が歪むのは相応の恐怖感を覚えるはずだが、立香たちはそれを据わった目で見つめていた。

 ラーマはため息をつくと、エジソンに向けて言う。

 

「貴様こそ理解しているのか? 我らが救おうとしているのは世界だ。この国を含めた、な。一国だけを保存しようとしている貴様と我らでは最初から袂を分かつしかあるまい」

「全くね。一部のファンだけ贔屓するなんてアイドルのやることじゃないわ。敵対するつもりもないし、さっさとそこを退いたら?」

「ならば尚更に認められん! 敵対することはないにせよ、その後にあるのはどちらが先にケルトの聖杯を奪うかという競争だ! みすみす逃す愚行はしない!!」

 

 両手を広げて扉を塞ぐエジソンに、マシュは告げる。

 

「アメリカ合衆国は資本主義の国でしょう。その行為は競争原理を破綻させることになるのでは?」

「それとこれとは話が別だ! そもそもだ、お前たちは人理焼却を引き起こした黒幕に本当に勝てるとでも思っているのか!?」

「愚問ですね。カルデアEチームはそのために戦っているのですから。そうでしょう、先輩」

「うん。私たちはもう何も失わせないって決めたから。今のアメリカに協力する気持ちはこれっぽっちも湧いてこない!」

 

 意志の表明。立香は誓ったのだ。もう他の誰ひとりとして奪わせはしないと、誰が欠けてもいけないのだと。故に、アメリカ以外の世界を切り捨てようとするエジソンだけは認められない。

 その語気はエジソンすらもたじろがせるほどに強かったが、彼の合衆国を永遠の国とする目的もまた強固。扉の前から動くことはなかった。

 

「もういいわ。これ以上の言い合いは無駄でしょう。立香、これ持ってなさい。私に良い考えがあるわ」

 

 そう言って、ジャンヌは微笑みながら自らの旗を立香に渡す。

 怜悧な空気をまとった魔女はエジソンのもとまでつかつかと歩いていくと、

 

「おらああああぁぁぁっ!!!」

「ぐっはああぁぁあああぁぁっ!!?」

 

 全盛期のマイク・タイソン並の右アッパーをライオン頭の下顎に叩き込んだ。

 エジソンの体は垂直に飛び上がり、天井に頭がすっぽりと埋め込まれる。不出来な振り子のように揺れる頭から下の体を目撃し、エレナは顔色を青くした。

 

「え、エジソンが邪教が崇めてそうな奇怪なオブジェに!! ちょっとやりすぎじゃないかしら!?」

 

 ジャンヌは立香の手から旗を受け取り、カルナとエレナに穂先を向ける。

 その唇が形作るのは挑発するような好戦的な笑み。炎が顕現を果たしていないというのに場の空気は熱され、カルナとエレナに吹き付けた。

 

「さあ、攻撃する大義名分はくれてやりました。掛かってくるというならどうぞお好きに。私たちも全力で抵抗するわ。消耗した戦力でケルト軍に勝てると思うなら、存分に戦いましょうか!!」

 

 燃えるような宣言。カルナはインドラから得た槍を引き抜くと、その切っ先を突きつけ返す。

 

「この身は今はアメリカの戦士だ。大統王に傷をつけたお前たちを、ただで帰すわけにはいかない」

 

 旗と槍。それぞれの得物に込められた殺気がぶつかり合う。

 衝突はもはや一寸先。相手の呼吸、視線、筋肉の蠕動までをも見抜いて隙をうかがう。余人には立ち入ることの許されない読み合いであり、先に動いたのはカルナとジャンヌのどちらでもなく。

 かつり、と硬質な音が響く。即座に振り向いた先にはロビン・フッド。彼は右足の裏で床に矢を突き刺していた。

 猛毒を秘めたイチイの矢。滲み出した毒が床を染め始める。

 

「動くな。この矢は周囲の空間を毒で染め上げる。そこのアホ娘は先走っちまったが、お互いここで戦うのは得策じゃねぇだろう?」

「……だとしても、これは利害ではなく誇りの問題だ。オレが槍を収める理由にはなりはしない」

「御託は良いわ。ごちゃごちゃ言ってないで仕掛けてきなさいよ。不死身だか何だか知らないけど───」

 

 ジャンヌの言葉はそこで遮られた。目がぐるんと裏返り、床にぱったりと倒れる。その後ろには盾を構えたマシュがいた。のびたジャンヌを米俵のように抱えると、彼女は頭を下げる。

 

「これでおあいこということで如何でしょう。わたしたちはすぐにここを去りますので」

「……先を越された、か。良いだろう。オレもお前たちを追うことはしない」

 

 カルナは構えていた槍を引く。

 ぷらぷらとぶら下がるエジソンをのれんのように避けながら、立香たちは扉を開けた。その際に、エレナは彼女らに言付ける。

 

「アメリカとケルトの戦線を荒らしている虹蛇のことは知っているかしら? もし国境を越えようとしているなら気を付けなさい。アレは恐ろしいわよ」

 

 おそらくは本心からの忠告。立香はそれに対して、笑みで返す。

 

「ありがとうございます。気を付けますね!」

 

 ばたん、と扉が閉じる。その際の衝撃でエジソンが床に落ちたが、意識は未だに戻っていないらしく、うつ伏せのまま寝転んでいた。

 エレナは紅茶で唇を濡らすと、カルナに微笑みかける。

 

「笑顔が素敵な子ね、彼女。エジソンも反省してくれると思ったのだけれど」

「……相手の信念を曲げるために自分の信念を持ち出すのは逆効果だ。感情論は時に馬鹿にされるが、偽りなき感情の発露は理屈を凌駕する」

「つまり、エジソンを変えるには感情をぶつけてくれる相手が必要ってことね。テスラがいれば……」

 

 悩ましげなうめき声を聞きながら、カルナは目を伏せた。

 目蓋の裏に浮かぶのはかつて自身の命を奪ってみせたひとりの弓使い。彼にとって、彼らにとって、偽りなき感情をぶつけられるのはもはや旧敵のみ。

 今度こそ、何の文句のない戦いを。

 それだけが、カルナの望みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わってケルト軍領地。

 日はすでに傾いており、地平線の向こう側に沈み始める時間帯。夕焼けに照らされる地上とは逆に、空は薄く暗い青に染まりかけている。

 そんな情景を彩るのは鳥の鳴き声や風の音であるべきはずだが、今この時ばかりは事情が違った。

 岩を鋼の刃で削るかの如き打撃音。その合間には情けない悲鳴が挟まり、凛とした激が飛んだ。

 

「ノアトゥール、お前は感覚で動き過ぎだ! 一流の武芸者にそれは通用しない! 私の動きを目で見て盗め!! それとダンテ、お前はまずそのへっぴり腰をどうにかしろ!!」

「ひいいいいい!! なんで私まで巻き込まれてるんですか! 魔力と宝具以外のステータスが全部最低値のサーヴァントにやらせることじゃありませんよ!!?」

 

 スカサハとノア、そしてなぜかダンテは槍を携えて苛烈な稽古を行っていた。一応は訓練の体を取っているので槍は刃引きされた模造品だが、当たれば痛いことには変わりない。

 元々はスカサハとノアだけで打ち合っていたはずが、何の関係もない詩人が巻き込まれる悲劇。シェイクスピアがここにいたなら、愉悦の笑みを浮かべていたことだろう。

 スカサハは腰が引けたダンテを槍ごと蹴り飛ばす。

 

「そんな意識だから宝具を破られただけで戦意を失うのだ! 戦いに必要なのは武具だの技術だのではなく第一に根性だ! 根性さえあれば神霊にさえも勝てる!!」

「無茶言ってんじゃねえええええ!! 今時根性論なんて流行らねえんだよ、体育会系の極みが! 時代に乗り遅れるぞ年増ァ!!」

「…………そうかそうか。お前のように血気盛んな男は何人もいた。そういう奴の扱いは慣れている。とりあえず九割殺しだな。死ね」

 

 彼女の姿が一瞬にして消え失せる。

 瞬間移動かと見紛う速度の歩法。ノアの背後に現れたスカサハは格闘ゲームでもお目にかかれない連撃を加えた。ピクピクと地面に伏せるノアの尻に槍を突き刺し、一旦は溜飲を下げた。

 それと同時に動くのはナイチンゲール。両手に手袋をはめ込み、ずっぽりと入り込んだ槍の柄を握り締める。

 

「引き抜きます。覚悟はいいですね?」

「おい待て、おまえに任せると血塗れの未来しか見えねえんだよ! そのまま引き抜くとか切れ痔どころの話じゃねえぞ! せめてローションかボラギノール持ってこ───」

「摘出ッ!!!」

「ギャアアアアアアアア!!!!」

 

 尻から大量の血を噴き出して白目を剥くノア。見るもおぞましい光景を目にして、彼らの監視役である褐色の青年は思わず自分の臀部に手を当てた。

 そんな彼の横で共に一部始終を観察していたペレアスは、ばつが悪そうに話しかける。

 

「ウチのアホどもがすまねえな」

「い、いえ。これも必要なことと割り切っています。気にしないようにしましょう。お互いに……」

「だな。ところで、あんたはどうしてケルト軍にいるんだ。ケルトゆかりのサーヴァントって感じでもなさそうだしな。何か理由があるんじゃねえか?」

 

 青年の落ち着いた声音に僅かな感情が籠もる。それは本人すらも気付かない無意識下の発露。だが、ペレアスには初めて見えた彼の変化だった。

 

「アメリカに、必ず決着をつけなくてはならない敵がいるのです。奴と戦うためなら、私は世界を滅ぼす側にだって付く」

「……それは───」

「カルナ、ですか? その人の名前は」

 

 どこからともなくダンテの声が響く。ペレアスが視線を下げると、かさかさと地面を這いずって寄ってくるダンテがいた。スカサハとの特訓で立ち上がる気力すらも使い果たしたようだ。

 ペレアスは彼の手を掴んで強引に立たせる。虫の息のダンテに肩を貸してやりながら、質問した。

 

「誰だ、そのカルナってのは」

 

 ダンテは青年に目線を投げかける。

 

「その前に、話してもよろしいですか。目の前で自身のことを語られては気分を悪くすることもあるでしょう」

「……問題ありません。叙事詩に書かれている以上、隠しておく意味もないでしょうから。私の名はアルジュナと申します」

「ダンテ、なんで分かった?」

「真っ当に宝具名からですね。ガーンディーヴァとはアルジュナさんが神から貰い受けた弓のことを言います。インドの二大叙事詩の主要人物ですから、すぐに分かりました。何より、私に残った役割は解説役くらいしかないので!!」

「「…………」」

 

 アルジュナとカルナは浅からぬ因縁で結ばれている。それは二人が命を奪い合った最後の決闘に集約されると言っても過言ではない。

 アルジュナの父であるインドラはバラモン僧に化けてカルナの無敵の鎧を奪った。生まれながらに肉体と一体化していた鎧を失うということは、自らの肉を削ぐ行為に等しい。カルナは圧倒的に不利な状況での決闘を強いられ、己が乗る戦車の車輪が轍に嵌ったところを射殺されるのである。

 

「戦えない者を攻撃してはいけない───そんな規則がありながらも、私は矢を放ちました。あの決闘は私にとって恥でしかない。故に今度こそは何のしがらみもない中で、カルナを超える」

 

 それを聞いて、ペレアスは気難しい表情で顎をさすった。

 

「そりゃあ確かにケルト軍につきたくもなる。周りに邪魔された決闘のことも不完全燃焼だろうしな。インドラは親馬鹿すぎだろ」

「多神教の神様はみんな人間臭いですからねえ。それにしてもカルナさんにしたことはどうかとは思いますが。あ、ごめんなさい。父君をディスっているわけではないのです」

「……で、ですから、私は貴方がたの敵になります。いずれは殺し合う間柄、言葉を交わすのは不要でしょう」

「じゃあ行くか? カルナのところに」

 

 ペレアスの何気ない一言。会話が全く繋がっていない発言に、アルジュナは唖然として、声帯をぎこちなく震わせる。

 

「全く話が繋がっていないのですが!?」

「いや、だから行こうぜ。カルナのところに。こんなケルト軍に従ってても機会を逃すだけだろ。アルジュナが頼めばカルナも快く受けてくれるはずだ」

「そ、それは……しかし……」

「それにアルジュナが勝てば晴れてオレらの仲間に、負けても両者満足できる。ワンチャン一石二鳥の完璧な作戦だな! 心配すんな、邪魔立てするような奴は斬ってやる」

「不確定要素がある時点で完璧な作戦ではないのでは……!?」

 

 微妙に嘆くアルジュナと詰め寄るペレアス。その二人の構図にダンテは割って入って、

 

「まあまあ、そうすぐに決断を求めては酷でしょう。それよりも少し散歩に出るのはどうですか? 実験したいこともありますし」

 

 そんな訳で、ノア一行は散歩することになったのだった。行き先はケルトの国境を越えてその先、アメリカの領地である。

 それというのも、カルデアとの通信を行うためであった。これまでノアたちはアメリカ東部から西へ移動してきたが、その間に一瞬カルデアとの通信が繋がるということがあった。

 そこでダンテが立てた仮説がケルトの領地から遠ざかるほど通信が繋がりやすくなるのではないか、というものだった。それを検証するため、ノアたちは散歩に繰り出したのである。

 とはいっても、国境まではかなりの距離がある。そこに目をつけたひとりのスパルタ教師がいた。実際にはスパルタではなくケルトだが。

 満点の星空に閉じ込められた荒野。ダンテを背負ったノアが常人ではあり得ない速度で駆けていく。周囲にはペレアスやナイチンゲール、アルジュナが帯同し、スカサハは後ろから芝刈り機のように槍を振り回していた。

 彼女は体育教師さながらにジャージを着込み、気の抜けた笛の音を鳴らす。

 

「ほら〜走れ〜お前の後ろから死神が迫っているぞ〜〜」

「くっそ、調子に乗りやがって! ダンテ降りろ、あいつだけは叩きのめさないと気が済まねえ!!」

「すみません無理です。私、敏捷のステータスがアレなので。軽自動車でF1カーと競走するようなものですよ」

「魔術師に足の速さで負けるとか恥ずかしくねえのか?」

「やめてください。虹蛇に宝具効かなかったせいでかなり心に傷を負ってるんですから」

 

 己の宝具に誇りを持っているサーヴァントは多い。特にダンテは初恋の人と信じる神までもが否定されたようなもので、そのダメージは計り知れなかった。

 置物と化した詩人を背負い走ること数十分、一行は国境を越える。すると即座に通信機が反応を示す。

 空中にロマンが像を結び、焦った顔で喋り始める。

 

「『ノアくん、よく連絡を取ってくれた。無事で何よりだ!』」

「無事ではないがな。主にケツが」

「『と、とりあえずお尻のことも含めて説明を頼めるかな?』」

 

 そこで、ノアは今までの出来事をロマンに伝え、立香たちの現況についての説明を受ける。彼は安心したような、呆れたような顔をした後、粛々と告げた。

 

「『うん、ノアくんは安静にするのとスカサハさんに逆らわないように。それにしても監視が付いてるならノアくんから合流することは難しそうか。そこは立香ちゃんに任せるとしよう』」

「立香ちゃんと連絡は取れねえのか? マスター同士の意思共有は必要だろ」

「『そうですね。色々と積もる話もあるだろうし、時間も多くはないので二人に話してもらいましょう』」

「では私たちはババ抜きでも……」

 

 ダンテが言った瞬間、彼の右肩ががしりと掴まれる。

 おそるおそる振り向いた背後には、感情のないスカサハの真顔があった。悲鳴すら出せずにダンテは引きずられていき、直後に断末魔が轟く。

 それをBGMにして、立香との通信が始まる。

 

「『ドクターから聞きましたよリーダー。お尻大丈夫ですか? なんか中腰になってません?』」

「まあな。中腰のことは言うな。おまえこそエジソンと揉めたらしいな」

「『でも、断ってなかったら絶対怒ってましたよね』」

「当たり前だ。その点はあの放火女も役に立ったな。火葬まですれば文句なしだったが」

「『そんなことしたら私たちの方が悪役なんですが!?』」

 

 ところで、とノアは早口で切り出す。

 

「あのエレナ・ブラヴァツキーに会ったらしいな。どんな魔術を使ってた? マハトマの解釈については当然訊いたんだろうな。表の歴史におけるブラヴァツキーの功績といえば最初に挙げられるのがシークレット・ドクトリンの影響だが、その底本になったと言われているジャーンの書の実在性については誰もが疑問に思うところだ。当時流布していた資料の寄せ集めにすぎないとされているが、あのエレナ・ブラヴァツキーがそんなものを出典にして本を書くとは考えづらい。特にアトランティスとレムリア大陸に言及した第四根源人種の知識は緻密だ。底本がないとしたらブラヴァツキーお得意の霊視で知ったと見るべきだろうが、どのような方法で知ったのか───」

「『あの、オタク特有の早口やめてください。なんかUFOは呼び出せるみたいですけど』」

「オイオイオイ、どこの陰謀論だ藤丸。ウソつくんじゃねえ。そんなのに俺が騙されると思ったか」

「『いやいや、本当なんですって! 実際にアブダクションまでされましたからね!? リーダーも一回見たら分かりますから!!』」

 

 立香は自身の劣勢を感じ取った。確かにUFOなんてものが実在すると言っても信じる人は少ないだろう。彼女は話題を切り替えることにした。

 

「『全然関係ない話ですけど、リーダーの好きな食べ物ってなんですか?』」

 

 途端に、ノアはどこか遠くに視線を投げかけて答える。

 

「……シチューだな。それがどうした」

「『え、なんか意外ですね。人の生き血とか言うかと思いました』」

「どこの吸血種だ。十七分割してやろうか」

「『その前にジャンヌに消し炭にしてもらうので大丈夫です。シチューなら私作れますよ。この特異点が終わったらカルデアのみんなと食べませんか?』」

「……ああ、期待しないで待ってやる」

 

 ノアは素っ気なく首肯した。立香は彼に見えない位置で拳をぐっと握る。

 

「『それじゃあ、次はリーダーが私に質問してください。セクハラ以外なら何でも答えますよ。リーダーが好きな貸し借りってやつです』」

「そうか。じゃあおまえがなんでそんなにアホになったか聞かせろ」

「『私はアホじゃないんでそもそも答えられませんね。他のでお願いします』」

 

 ノアはため息をつき、少し考え込んで言った。

 

「よく英語なんて勉強する気になったな。日本は外国語なんて習わなくても生きていけるだろ」

「『そうかもしれませんけど、単純にもったいないなって』」

 

 要領を得ない言葉。ノアが小さく首を傾げるのを見て、立香は言葉を付け足す。

 

「『世界にはいっぱい人がいるのに話すらできないなんてもったいないじゃないですか。それに、みんなと話せるのも言葉のおかげですから』」

 

 だから、と彼女は続けた。

 

「『リーダーに、みんなに会えて良かったです。私の努力が無駄じゃないことも知れたし、大切な仲間を持つこともできたから。こういうことを言うのは、少し恥ずかしいですけど』」

 

 立香はほのかに紅潮した顔で笑う。

 ノアはほんの少しだけ黙りこくって、応えた。

 

「…………俺も同じだ。()()

 

 その時、どくりと心臓が跳ね上がる。

 

「『─────、え。いま、名ま』」

 

 そこで、ぷつりと通話が切れる。

 立香はすぐにかけ直すが、通信機は黙ったままでノアが出てくることはなかった。

 心臓は相変わらずうるさく胸を叩いていて。頬に手を当てると、風邪をひいた時みたいに熱くなっていた。さやかに吹く夜風もそれを鎮めるには力不足だ。

 浮ついた心と足に任せて、立香は幕屋の布団に入り込む。明日も早い。夜更かしはいけないと頭で理解してはいても、脳は微塵も眠気を訴えていなかった。

 立香は隣で横になる少女に声をかける。

 

「ジャンヌ。まだ起きてる?」

「ええ。アンタらの話し声がうるさくて眠れなかったわ。何か用?」

「ちょっと、イイ感じに気絶できる具合に私のこと殴ってくれない? ちょっとでいいから」

「そんなことしたら私が寝れなくなるわっ!!」

 

 ほんの少し時間を遡って。

 ───反射的に通信を切る。

 通信機を懐に仕舞い込んで、ゆっくりと息を吐いた。

 

「なんだ、もう終わったのか? まあ夜も更けてきたしな。オレたちもそろそろ戻るか」

 

 無防備な背中から、ペレアスの声がかかる。

 

「ああ、帰るぞ」

 

 それに答えながら振り返ったノアの顔を見て、ペレアスは口元をひくつかせた。

 

「……お前、もしかして照れてんのか?」

 

 その瞬間、ノアは僅かに紅潮した顔の下半分を隠すように右手をあてがった。脳裏に浮かぶのは、少女の顔。

 ───あいつの笑顔に、心が緩んだ。

 眉根を寄せて、忌々しげに呟く。

 

「…………くそ。油断した」


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