自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
ローマ合衆国がアメリカ軍の本拠地を発ってから一日。
彼女らはこつこつと移動を繰り返し、アメリカとケルト両軍の領地の境目にまで到達した。ラーマの怪我も大方回復し、戦闘を行えるまでに調子を取り戻していた。全力を出すのは難しいが、それでも大きな戦力の向上と言えるだろう。
残すはノアのチームとの合流。ロマンが定めた目標の達成をもはや目前にして、
躍動するアメリカ軍の機械化歩兵とケルト兵。命持たぬ兵士と狂乱する兵士が油と血をふりまく戦場。それが見渡す限りの大平原を埋め尽くすように広がっている。
この場所はカルデアが定めたEチームの合流地点。立香は小高い丘の上から戦を眺めて、口をぱくぱくとさせた。
「ご、合流地点ドンピシャで戦争やってるなんて……読めなかった、この立香の目をもってしても!!」
「ドクターと連絡を取ろうにもケルトの領地に入っているので難しいですね。わたしだけ全速力で引き返して指示を仰いできましょうか?」
「立香を守るアンタが行ってどうするのよ。やるならそこのアイドルもどきにでも行かせなさい」
「エリザベートさんはコミュニケーションに問題が……」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」
冷めた目つきをするマシュにエリザベートは突っかかった。ネロとラーマもマシュと同様の目を向けるばかりだったが、ロビンの視線ははたと背後の空に飛ぶ。
紫電を帯びる暗雲。黒雲を断ち割るように伸びる一筋の虹。それは未だ遥か遠景にあったが、深い木々の中で米粒ほどの標的を仕留める森の弓手にとって視認することはそう難しくはなかった。
想像しうる限りの不吉さを孕んだ蛇の凶相。ロビンは鬱屈した感情を息に乗せて吐き出す。
「はい、全員ちゅうもーく。アメリカとケルトがドンパチやってるってだけでも頭が痛いっつうのに、虹蛇サンまでお出ましだ。こりゃいよいよ引き返すのもアリになってきたぜ」
ネロは頭痛を抑えるようにこめかみを揉みながら同意する。
「うむ。ノアトゥールとやらには悪いがそれも視野に入れるべきであろうな。しかし、あれほどの大軍を率いる将はどこにいる?」
「と、言っている間にお出ましのようだぞ。あそこを見ろ」
一同はラーマが指差した方を向く。
アメリカ軍の横陣を凄まじい勢いで真っ二つに切り裂く五人のサーヴァント。その顔触れは立香たちにも覚えがある者ばかりだった。
二日前に遭遇した四人のケルトの戦士。彼らは己が得物を振るい、薄紙を裂くように敵を千切り飛ばしていく。
その先頭を走るのは白い衣装に身を包んだ少女。彼女は二頭立ての牛の戦車を操り、並み居る敵を木っ端の如く砕き散らしていた。
「進撃! アンド爆進!! アメリカ軍の機械なんて私と私の勇士たちの前ではガラクタにすぎないわ! 場末の骨董屋でジャンク品やってるのがお似合いよ!! さあみんなも一緒に〜?」
「「「「…………」」」」
「メイヴちゃんサイコー、でしょうが! ほんっとに女の気持ちが分からない男たちね! それでも私はひとりでも言い続けるわ! メイヴちゃんサイコー!!」
陽気な高笑いが戦場に響く。動かぬ欠片となった機械化歩兵の残骸の雨の中、彼女の笑顔だけは燦然と輝いていた。
この世のあらゆる男を魅了するかのような無垢な笑みはしかし、その底に秘めた悪辣を隠し切れてはいなかった。立香はそれに気付くと戦慄する。
少女に目を向ける立香とは逆に、その戦車を観察したマシュは言った。
「クーリーの牛争い……あの人が女王メイヴで間違いなさそうですね。エリザベートさんとどこか同じ波動を感じます」
「どこが? 私の方が美しいじゃない」
「余には負けると思うぞ?」
「アホの連鎖やめろ。で、どうするお嬢ちゃん?」
立香は数秒考え込んで、
「戦いましょう。アメリカ軍が負けるのは私たちにとっても不都合ですし、暴れ回ってればリーダーも見つけてくれるかも」
アメリカはこの北米大陸で唯一ケルト軍と大規模な組織的抵抗ができる勢力だ。その戦力が削られることは聖杯を有するケルトの優勢を決定づけてしまうことになる。
懸念があるとすれば虹蛇の存在だが、それは相手にとっても同じ。ここはリスクを背負ってでもケルト軍の猛攻を止める必要があると立香は考えた。
ジャンヌは好戦的に口角を上げると、旗を右肩に担いだ。
「そうね。ここでイモ引いて逃げるなんてできるもんですか。Eチームにそんな人間はいないわよ」
「ダンテさんは真っ先に逃げそうですが……傍観が最悪手であることは確かです。博打を張るのも悪くありません」
「博打……つまりガチャ! これは私も本気を出さざるを得ない!」
「急に先行きが不安になってきたのですが!?」
緊張から一転白けた顔になるロビンとラーマをよそにして、ネロは不敵に笑う。
「余も賭けは好きだ。賽を振る前から怖気づくなど将器に非ず! ルビコン川を渡るは今ぞローマ合衆国! いざ突撃ィィィ!!」
彼女は周囲の反応を待たずに丘の上から飛び降りる。
大将自ら飛び込んだ以上、ついていかぬ訳にもいかない。いささか気の抜ける出陣であるものの、今更そんなことで士気を落とす者はいなかった。
立香はマシュの手を借りて着地する。視覚に強化をかけてメイヴの一団を注視すると、やはり以前会敵したサーヴァントで間違いないようだった。彼らはアメリカ軍の陣形をあわや両断するところまで追い詰めている。
その傷口を埋めるより先にケルト兵が入り込めば最後、前と横からの挟撃で戦いは決してしまう。
そして、立香が気付けば向こうも当然気付く。メイヴは手綱を引いて戦車を急激に停止させる。彼女の瞳が一瞬暗い光をたたえると、周りを囲う四人のサーヴァントに告げた。
「ベオウルフ。あなたはここに残りなさい。他の三人は予定通り虹蛇退治。
「うげ、俺かよ。確かに竜だの蛇だのは苦手だが、こりゃとんだハズレくじだな」
「私と共に戦う大役よ? 一般コノート国民なら泣き叫んで五体投地するところなのに!!」
「ホラ見ろ、やっぱハズレ以外の何物でもないじゃねえか」
フィンとディルムッド、フェルグスはいたたまれない様子で腐るベオウルフの肩を叩くと、黒雲渦巻く虹蛇の方角へと駆けていく。
その途上で彼らと立香たちの目が合う。しかして彼らは一言たりとも言葉を発することなく、横を通り過ぎていった。狙うは虹蛇のみであり、無為な消耗は望んでいないのだろう。
それを止める理由もなければ、追う動機もない。あるのはただひとつ、敵が戦力を分断したという事実だけだ。
ネロはいぶかしむように眉をひそめる。
「マシュ、前のように伏兵が潜んでいるやもしれぬ。立香の傍から離れるでないぞ」
「了解です。それにしても、女王メイヴはなぜあんなことを? わざわざ不利な状況にするなんて、合理的とは言えません」
「どうせ何か隠してるに違いないだろうよ。相手は悪名高い毒婦だからな」
メイヴは英雄クー・フーリンの物語に登場するコノートの女王だ。彼女は夫のアリルに負けない牛を求めて戦争を引き起こすが、若き日のクー・フーリンによってその野望を打ち砕かれてしまう。
が、メイヴは彼にゲッシュ──誓約を課すことで、魔槍の英雄を死に追いやるのである。
英雄殺しの悪女。あらゆる伝承のモチーフを遺漏なく体現するメイヴが、考えなしに戦力を分けるとは思えなかった。
彼女は戦車の上でふんぞり返り、立香たちの顔を眺める。
「ふぅん、中々粒揃いじゃない。女は召使いに、男は戦奴にしてあげてもいいわよ?」
不遜、なれど虚飾のない女王の一声。ロビンは弓に矢を番えながら、
「考えるまでもなく返答はノーだな。アンタの下に付くくらいなら、そこの皇帝サマに仕えた方がまだマシだ」
「そもそも余は王であるからな。他所の国の女王に降るなどすれば、シータに何をされるか分からぬ。それを抜きにしても論外だが」
「ある意味究極の二択ですね。わたしはどっちも嫌です」
「うんこ味のカレーとカレー味のうんこみたいなものよね」
マシュとジャンヌは味方であるはずのネロまでばっさりと切り捨てる評価を下した。思わぬ流れ弾にうろたえるネロとは逆に、メイヴは怒髪天の様相で牙を剥いた。
「行くわよベオウルフ。二人だろうが知ったこっちゃないわ! このうんこ味のうんこ共を叩き殺すわよ!!」
「やれやれ……汚え戦に巻き込まれたもんだ!!」
地面が弾ける。
竜殺しの王とコノートの女王。先に仕掛けたのは戦車を駆るメイヴであった。
二頭の牛がジャンヌを目掛けてひた走る。策も何もない愚直な突進。武器を振るうまでもなく、ジャンヌは黒炎を放射する。
その寸前、戦車は鋭角に進路を切り替た。取り回しの悪さという車の弱点を一笑に付すかのような機動を以って炎をやり過ごし、二頭の牛は目標を定め直す。
新たなる標的はロビンとラーマ。
メイヴの操車技術は認めよう。だが、その攻撃は単純な突進であり、何ら特筆すべき点はない。
回避と同時に剣を叩き込む───ラーマが地を蹴ろうとしたその時、がくりと膝が脱力する。
「なっ───!?」
そしてその現象は、ロビンにも同様に起きていた。
張り詰めた筋繊維が強制的に撓む。
酩酊にも似た感覚に五感が塗り潰される。
致命的な隙を晒しているというのに、その危機感すらもが曖昧。肉薄する鋼鉄の戦車を避けることは、もはや不可能であった。
鋭利な角に二人が貫かれる。それを阻止したのは、地を割って現れた城壁だった。
「『
エリザベート・バートリーが生前に居城とした、血塗られた舞台。しかしながら、城壁が役割を果たしたのはほんの一瞬。障子紙を指で突くように城は粉砕されていく。
一瞬の内にロビンとラーマは下がることができたが、メイヴはそれを気に求めずに鼻を鳴らした。
「焼き菓子みたいに脆い城ね! 予算をケチって違法建築業者にでも掴まされたのかしら!」
「はああん!? 私のチェイテ城は耐震工事済みの一級品よ、保証書だってついてるんだから! 馬鹿にしないでくれる!?」
すぅ、とエリザベートは息を吸い込む。
それを見て悟ったのはローマ合衆国のメンバーのみ。目を輝かせるネロを除いて、彼女らは一様に両耳を満身の力で塞いだ。
『鮮血魔嬢』は防御のための宝具ではない。
むしろ本質はその真逆。鮮血の伝説が残る自らの根城をアンプ兼ステージとすることで行われる────
「私の歌を!! 聞きなさい!!」
────地獄のライブである。
大気が捻じれ狂い、声の振動が何万倍にも増幅されて放たれる。歌声などという生易しい表現はそぐわない。大地がえぐれるほどのソニックブームが巻き起こり、大勢の機械化歩兵とケルト兵が大空の星となって飛んでいく。
メイヴが手繰る牛が嘶いて歩を止める。主人の意に反する行動も、咎めることはできなった。
「最っっっ悪な歌……! シマウマのおっさんみたいな鳴き声がオーケストラに思えてくるわ……!!」
メイヴは無意識に唇を噛んでいた。顔面は青白く、冷たい汗が肌から噴き出す。
振り返れば、ケルトの軍勢は泡を吹いて失神するか正気を喪失して恐慌に陥っていた。下手に意思のない機械化歩兵だけは変わらず駆動し、徐々に戦線を戻されている。
それでもなお。
メイヴが信頼を置く勇士のひとり、ベオウルフだけは果敢に突撃していた。
「まさかここまでのハズレとはな! この鬱憤は晴らしておかねえとなあ!!」
彼の両手に握られているのは赤色と鈍色の魔剣。双剣の柄がぎしりと音を立て、エリザベートを襲う。
豪と唸る対の斬撃。小癪な駆け引きを排した一撃。エリザベートが槍を回して受けると、彼女の体は踏ん張ることすらてまきずに後ろに飛ばされた。
入れ替わるように、ネロとジャンヌがベオウルフの前に躍り出る。
エリザベートへの追撃を警戒した行動だが、まさしくベオウルフの読み通り。彼は一層強く剣の柄を握り、乱撃を繰り出す。
「余に合わせよ!」
「お安い御用──!」
皇帝の刃が滑り、旗の穂先が閃く。
相対するベオウルフの剣技は止まらない。
相手が何人だろうと圧し潰す。力任せに殴り付けるような剛を突き詰めた斬撃は、彼女たちを相手取っても色褪せなかった。
ジャンヌは小さく舌打ちする。
ステータスの上なら筋力は同じ。しかも二人がかりで打ち込んでいるというのに、一撃たりとてベオウルフを傷つけるには至らない。
金色の瞳が赤の魔剣を睨めつける。攻めきれない理由はその剣にあった。
ベオウルフの双剣の片割れ、『
魔剣が嗅ぎつけるのは防御の隙間。だからこそ、二人は何としてでもそれを防がなくてはならず、結果、対応が一手遅れてしまう。
ならば、下がって間合いの外から攻撃を浴びせるか。ジャンヌの判断が傾きかけたところを、イチイの矢が走った。
視界外からの狙撃。ベオウルフは間一髪のところで頭を反らして矢を掻い潜る。彼は首を鳴らして怒号を飛ばした。
「危ねえなオイ! 働け女王!」
「少しくらい待ちなさいよ! あんな歌聞いてよく平気でいられるわね!?」
「平気じゃねえよ! 今も脳みそがひっくり返りそうだわ!」
メイヴは手綱で牛の背をぴしゃりと叩き、戦車を走らせる。
しぶしぶ走り出した牛たちは後方に控えていたマシュへと向かった。大盾を構える彼女の後ろには立香の他にロビンとラーマ、エリザベートがいた。
戦車が迫ると、やはりロビンとラーマは酩酊したように体の支えを失ってしまう。立香は二人の腕を掴んで地面に膝をつくのを押し留める。
「大丈夫ですか!? さっきから二人とも様子がおかしいというか……」
「あの女王の戦車に迫られると全身の力が抜けてしまうのだ。不甲斐ない……!」
「でも、ラーマでそうなるなら私や立香がどうにもなってないのはおかしいんじゃない?」
「だったら、性別で違うのかもな。メイヴって名前の由来を考えると、二日酔いみてえなこの感覚にも説明がつく」
メイヴという名前の由来には二つの説がある。蜂蜜酒を意味する『medu』、もしくは酔わせるという意味の『medua』。そもそも彼女の信仰の源流は主権の女神としてのものであり、アルスター伝説で人間の女王として、クー・フーリンの敵役に落ち着いた。
メイヴの戦車は戦士たちの女王たる主権の象徴。数多の勇士を虜にした魅了の結晶体。その突撃の前では、あらゆる男性は戦意を失い酩酊してしまう。
超高速の鉄塊がマシュへと突撃する。
マシュに戦車の魅了の力は通じないが、その威力は十二分。少しでも受け逃せば蹄と車輪の餌食になるだろう。
真っ向から受け止めるのではなく、受け流す。
盾を斜めに構えて戦車の進路を逸らす。牛の角が大盾の表面をなぞり、橙色の火花が散った。それと共に撒き散らされる衝撃波の中、マシュと立香は言葉を交した。
「先輩、アレをやりましょう!」
「うん! エリザベートさん、マシュが防いだら突っ込んでください!!」
「何かあるのね? 了解したわ!」
ロビンとラーマがメイヴに無力化される以上、この場は相手と同じ性別同士で戦うのが有効だ。
しかし、ネロとジャンヌはベオウルフに縫い止められ、メイヴの突進は絶えることがない。それぞれが相手を入れ替えるためには相応の時間が要る。
それを生み出すため、切り返して突撃してくる戦車に対して、マシュは力強く一歩を踏み込んだ。
メイヴは鞭を取り出す。
猛者を屈服させるための調教具こそが彼女の得物。鞭が与える激痛は余人の想像を絶する。マシュの盾を痛みで機能停止に追い込むための一手だった。
再度の激突。先程と異なるのは、マシュが盾を振り回す迎撃の姿勢を取ったことだった。
掬い上げるような一撃と鋼鉄の角が衝突する瞬間、
「───『瞬間強化』」
魔力の光を灯したマシュとその盾が、戦車を跳ね上げた。
「はあ!?」
急斜面と化した床にへたり込みながら、メイヴは驚愕する。
全霊の突進を防がれるどころか、跳ね返された。認めがたいその事実は、紛れもなくこの時に起こっていた。
対象の存在を補強することで性能を上げる強化魔術。瞬間強化はその発動時間を極端に絞ることで通常の強化よりも高くステータスを上昇させることができる。
立香が用いたのは一秒の半分にも満たない強化。衝突の瞬間だけを狙い澄ました魔術行使だった。
立香の目ではメイヴの攻撃を見切れない。たとえ強化があったとしても、人間の動体視力でサーヴァントの動きを追うのは至難の業だ。だが、これまで戦いを共にしてきたマシュと息を合わせることなら。
エリザベートは一足飛びに戦車に乗り込み、メイヴの首に槍を振るう。
「さあ、覚悟しなさい!」
刃が首に触れる。
咄嗟の防御も間に合わない。
死を覚悟したその時、
「なんだ、その体たらくは」
───空を切り裂いて飛翔する紅き魔槍が、エリザベートの胸元を貫いた。
荒れ狂う天候を背景に、虹蛇が乱舞する。
白濁した瞳が睨むのは三人の戦士。フィンとディルムッド、フェルグスだった。
弾幕のような豪雨。天よりいくつもの雷が撃ち落とされる。敵を噛み砕かんと吼える虹蛇は、その巨体を鞭の如く振り回す。
時間の停止という絶技を駆使する虹蛇の暴虐。狂乱の蛇神との戦いは、一方的な展開になりつつあった。
かり、と親指を噛む。
「ディルムッド、三歩下がって待機しろ。フェルグスは斜め右前に五歩移動。叩き斬ってやれ」
虹蛇の姿が消え、三人の目前に突如として現れる。
がちりと両顎の牙を打ち鳴らすが、それはフィンの目と鼻の先。まさしく紙一重の位置で届いていなかった。
直後、三ヶ所で血飛沫が噴く。
虹蛇の胴体に二つ、口元を縦に割るようにひとつ。それらの傷は見紛うことなく三人がつけたものであり、その他にも虹蛇は無数の傷を負っている。
対して、フィンたちの体は無傷。虹蛇の猛攻はそのどれもが彼らには通じていなかった。
たとえ時間を止めていようと、停止した最中の動きまでをも読んでしまえば回避も反撃も能う。無論、常人には不可能な芸当であるし、サーヴァントであってもそれが叶う者は少ないだろう。
なれど、知恵の鮭を口にしたフィンは判断を間違うことがない。常に正解を導き出すことができる彼の力の前には、虹蛇の時間停止は無力だ。
フィンはまたしても紙一重で虹蛇の移動を見切り、雨粒を束ねた水の刃で左眼を切り裂く。
銀の腕の神ヌアザの曾孫である彼はランサーのクラスながら数多の魔術を使うことができる。その中でも得手とするのが水を用いた魔術。雨天の場は彼の独壇場だ。
噴出した血液に含まれる水分までもが支配下に置かれる。それは一本の綱のようになってフィンと虹蛇を結ぶ。フィンが血の綱を握り潰すと、虹蛇の顔面の左半分が勢い良く破裂した。
相手の体内の水分さえ操る水の魔術。苦悶する虹蛇の前に、三人は集まる。
「フィオナ騎士団は上王の国を脅かす魔性の退治を任されてきた。お前は中々に強いが、我らには届かなかった。なあ、ディルムッド」
「はい、我が王よ。できることなら、復讐に囚われる前の彼女と刃を交えたかった」
「いやいや、それは俺が許さぬ。元の虹蛇がとびきりの美人という可能性もあるのだからな」
「なるほど、そういう考え方もあるか。どうだディルムッド? 今回はグラニアの二の舞にはなるまい。フィオナ騎士団は自由恋愛推奨だからな」
「その話は止めましょう。互いにとってのトラウマを穿り返しても共倒れするだけですから!」
談笑する彼らの姿を見て、虹蛇の口角が持ち上がる。その表情は笑みなどではなく、込み上げる怒りが出力された結果の凶相であった。
「何故笑っている……何故笑うことができる!? 私の民を無残に殺し回った貴様たちが!!」
果たして、その瞳には何が映っていたのか。
残された右眼が血走り、その眼差しは絶死の邪視と化す。
ぐるり、と三人の体が右回りに捻じ曲げられる。本来足があるべき位置に頭が、頭があるべき位置に足が折れる。内臓が圧縮されて血が絞り出され、見るに堪えない肉塊が血の海に放り出された。
その、途端。
血の海に浮かぶ臓物と肉塊の像が霞のようにほどける。
水を使った光の屈折を利用した幻影。虹蛇による空間歪曲の邪視は、フィンの手で作り出された幻を歪めただけだった。
ならば、本体はどこに────
「……やはり使ったな、空間操作を」
中空に三つの影が躍り出る。
そこは虹蛇の視界の外。音もなく現れた彼らの姿を捉えることは片目を失った虹蛇にはできなかった。
時間と空間は一体不可分。アインシュタインは時空という言葉を使って、その二つの概念を四次元上の空間にまとめ上げた。式の上では時間と空間は全く対等に扱われ、それらの区別はない。
虹蛇の空間歪曲はあくまで時間操作の延長線上にある。それ故、この二つの能力を同時に使用することはできないのだ。
つまり、連続して時間を止めることができないインターバルは今の瞬間にも適用されている。
時間操作による回避は不能。この必殺の機会を作り出すことこそが、フィンの狙いであった。
ディルムッドが操る武具の中で最強の魔剣。真紅の刃が上空より降り注ぐ。
「『
海神マナナン・マクリルの秘剣モラ・ルタは、曰く一太刀で全てを倒すと謳われた。
その伝承に相応しき一撃。鮮烈なる怒りの魔剣が、虹蛇の頭から心臓を唐竹割りに断つ。
虹蛇は微動だにすることなく即死する。真っ二つにされた断面から滝の如く血が溢れ出し、地面を暗い赤に色づけていく。
それでも、フィンたちの表情は晴れない。
なぜなら、虹蛇は死と再生の神。彼女にとって死は次の生への過程であって、永遠のものではない。
フィンは死体からゆっくりと距離を取りながら語る。
「虹蛇は通常のサーヴァントを遥かに上回る霊基を擁しているが、その本質は私たちと同じ。座から喚び出された写像に過ぎない。おそらく、世界の神話に語られる虹蛇とは比べることすらおこがましいほどに弱体化しているだろう」
「……何が言いたい? 俺は小難しい話はさっぱりだぞ」
「そう逸るな。この虹蛇が復活を果たす際、代償がないとは考えづらい。肉体の再構成に使う材料があるのなら、サーヴァントである限りそれはひとつ───魔力だ」
硬直した表皮が破られる。まばゆく輝く虹色の鱗が死体の奥から浮かび上がった。
「聞けば、二日前に虹蛇は一度死んでいる。そして、これで二度目の復活というわけだ。どれだけの魔力を消費したか、見当もつかんな」
「まさか、虹蛇には魔力切れがないということですか」
「……もしくは」
雨がぴたりと止む。
空を閉ざす黒雲が引いていく。
代わりに顔を出すのは太陽。燦々と降る暖かな光が、雨で冷えた体に熱を与える。
太陽を遮るように虹のアーチが空にかかる。虹を通して地上に注ぐ陽射しは急速に気温を上昇させ、地面に生える瑞々しい植物は瞬く間に枯れていった。
土が含んだ水分が失われ、干上がった大地の至る場所にひび割れが起こる。
見かけ上はその程度の現象。けれど、サーヴァントであるフィンたちはさらに致命的な予兆を感じ取っていた。
地面のひびの隙間。
枯死していく植物。
そこら中から魔力が抽出され、虹蛇の死体に集結していく。
それは龍脈と呼ばれるマナの流れの強制徴収、魂を魔力に変換する生命の強奪。生命体のみならず、この星をも喰い物にする虹蛇の奥の手。
その影響は、フィンを含めサーヴァントにも及んだ。体から生命力、すなわち魔力が抜けていく感覚を抱えながら、フィンは言い切る。
「失った分の魔力を補充する術がある───どうやら間違っていないようだな」
同時に、虹蛇は古き体を脱ぎ捨てて空へと飛び上がった。
ありとあらゆる生命を吸い付くしながら、燦然と発光する体をくねらせ、彼女は高らかに叫ぶ。
「この土地は、誰にも渡さぬ!! 豊穣の大地に鉄の森を建て、資源を喰らい尽くすだけの愚者───そんな罪人に、負けてたまるものか!!!」
自らの行いを省みぬ発言。フェルグスは気まずそうに口元をひくつかせて指摘した。
「待て待て待て、奴は己のしていることを理解しているのか? この土地を殺しているのはむしろあっちの方だろうに」
「バーサーカーのクラスなのでは? 狂化の影響でまともな言動が取れなくなっているのでしょう」
フィンは自嘲気味に笑って、
「いいや、虹蛇はアヴェンジャーだよ。あの眼を見ろ。あれが復讐と妄執に取り憑かれた者の瞳だ」
その眼はまるで、晩年の自分に似ている。
ディルムッドとグラニアを巡った騒動。上王との戦争。孫の死。度重なる不幸に見舞われ、晩年のフィンは行き場のない感情を抱えていた。
しかし、孫の死からも立ち直った彼は単騎で多数の敵を屠り動けなくなったところを、敵の槍を受け入れて満足に最期を迎えるのである。
ディルムッドは剣を一層強く握り、フィンに語りかけた。
「だというなら、虹蛇は死ぬことでしか憎悪から解き放たれることはない。戦いましょう、騎士として」
「ああ、行くぞ」
炎天の下、戦いが再開する。
天候が変わったとはいえ、戦法までは変わらない。
しかし、この陽射しの下ではサーヴァントが駆動する燃料である魔力を奪われるため、短期決戦が条件となる。加えて、その魔力は全て虹蛇の力に変換される。時間制限があるにも関わらず、時を掛ければ掛けるほどフィンたちは不利になるのだ。
命の光が虹蛇に集まる。膨大な魔力が口腔に蓄えられ、極大の熱線が発射された。
それを前傾姿勢で潜り抜け、フェルグスは笑う。
「なんとまあ、多芸な奴だ! 俺には及ばぬがな!」
「フェルグス。ここに来て出し惜しみはない。宝具で決めるぞ」
フィンとフェルグスは各々の得物に魔力を込める。
本来なら一瞬で準備が済むはずの宝具の展開。サーヴァントの切り札、真名解放に注ぎ込む魔力すらも、虹蛇の陽射しは徴収していた。
それを認めるや否や、虹蛇は時間を凍結させて二人の元に飛ぶ。
宝具行使の隙。自身の主の窮地を救うため、ディルムッドは迷うことなく二人の前に滑り込んだ。
血の華が咲く。
ディルムッドの左腕はその武具ごと喰い千切られていた。
「ディルムッド────」
宝具の発動が滞りかけたフィンの眼に、騎士の横顔が映る。
その顔は、晴れやかな笑みを浮かべていた。
(……そうか)
彼との確執は既に終わったこと。恨む気持ちなど今はもう一欠片も残っていない。
この身は生まれついての戦士。
戦場でしか生きられぬ欠陥を抱えた魂だ。
その場に在る限り、彼らに後ろ暗い感情が生まれるはずがなかった。
魂が輝く時はこの一瞬をおいて他はない。
注ぐ魔力が足りない? そんなことは些事だ。胸中に灯る生命の火をこの槍に捧げる────!!
「『
絢爛たる水の奔流が虹蛇を撃ち抜く。
ヌアザより受け継いだ神秘の解放。
魔力の吸収による威力の減衰を差し引いても、虹蛇を仕留めるに値する一撃。
それを総身に浴びながら、虹蛇は絶叫した。
「ぐ、が、ああああああああああッ!!!」
視界が明滅する。
痛覚が上限値を振り切り、意識が水底に引きずり込まれる。
全身を駆け巡る死の予感。復活するだけの魔力は未だ貯蔵されていない。今死ねば、再生することはできないのだ。
薄く引き延ばされる意識で、虹蛇は思った。
(こんなものではない)
肚の奥から憎悪が湧き起こる。
(この地に住んでいた民が受けた苦痛は、こんなものではなかった!!!)
彼女は、呟く。
「
オーストラリア。アボリジニの人々は、とある特別な感覚を持っているとされる。
その感覚を説明しようと多くの学者が挑んだが、現代でもその全てが我々に伝わるようには言語化されていない。
けれど、判っていることだけを言うのなら。
曰く、彼らには
アボリジニの世界観において、存在するのは現在という時間軸のみ。
それはなぜか。
アボリジニの人々は気の遠くなるほどの昔、天地創造の時から伝わる物語を子々孫々に語り継いできた。虹蛇の一種であるエインガナという母神が世界を創り、全ての生命を生んだという神話を。
そして彼らは個人の人生さえ、神話の中にあると位置づけたのである。老人も子どもも、全ての人間の人生はその物語の中にあり、色褪せることはない。それが信仰の中心であり、彼らは皆、今もなお神話の時代を生き続けている。
つまり、アボリジニの人々にとっては、天地創造から息をして生きているこの瞬間までが現在なのだ。
彼らは〝何時に待ち合わせをする〟とか、〝何時から何時まで仕事をする〟といった考え方はしない。過去や未来の概念がないため、時間を使って予定を立てることができないのである。
我々にとって、現在という時間軸は常に移り変わる。こうして過ごしている間にも膨大な過去が積み重なり、膨大な未来が待ち受けている。だからこそ、その感覚を外部から理解することは難しい。
現在という一瞬にも満たない刹那の時間を無限に引き延ばす。
それこそが虹蛇の時間停止の仕組み。
アボリジニの人々が持つ感覚はこう言われる──────
「────『
水流の勢いが完全に失せる。
彫刻のように固まった世界の中を、虹蛇だけが知覚して動いた。
都合三秒の時間停止。
世界の修正力を無視することができたのはそこまで。
だが、虹蛇にはその時間だけで事足りた。
牙を用いて、三人の胴を噛み砕く。
疑いようもない致命傷。再び時が動き出し、虹蛇は確信した。
「勝っ」
「───まだだ!!」
血と臓物を振り乱し、フェルグスは全身全霊の一刀を叩きつける。
「『
虹の大剣が蛇神の体を半ばから両断する。
最期に残った戦士の意地。死を目前にしても勝利を求める本能。虹蛇はそれを読み違えた。
死神に袖を引かれながら、三人は虹蛇の急所である脳と心臓に武器を突き立てようとする。
「なぜだ、なぜ負ける!? 正しいのは私だ、数百万の民の怒りを背負った私が、負けるはずが……!!」
「───否、戦いの勝敗は正しさでは決まらない。彼らの方が強かった、ただそれだけのこと」
上空より響く声。
フィンは持ち上げられるように顔を上に向けた。
「だが、しかし!!」
浮遊する円盤の上に、彼らはいた。
黄金の鎧の男。大人びた雰囲気の幼女。
そして、獅子の顔をした男は高らかに宣言する。
「我がアメリカを苦しめる暴虐の蛇神───お前を倒すのは私たちだ!!!」
からり、と槍を落とす。
致命傷と魔力を奪う陽射しの影響で、とどめを刺すだけの余力はついに無くしていた。
消滅の間際、フィンはくすりと微笑む。
「…………来たぞ、虹蛇。最も殺したい人間が」
時間を遡り、立香たちがメイヴとの交戦を開始する直前。
ノアたちは、無数のケルト兵に追われていた。
「追えー!! ケルト軍からの逃亡を許せば戦力比が大きく傾くぞ!」
「囲め! 囲んで殴るのが人類が生み出した最強の戦術だ!!」
ぞろぞろと列を成すケルト兵は見る見る間に数を増やしていく。それはもう大軍という言葉では済まないほどに膨れ上がり、一面の荒野を埋め尽くしている。
大軍で済むならばペレアスやスカサハの敵ではなかったのだが、倒してもキリがないとなると事情は変わる。負けはしないだろうが、多くの時間を費やすことになるのだ。
一刻も早く立香たちと合流しなくてはならない。そのため、ノアたちは敵に背を向けて走っていた。
顔色を土気色にしたダンテは胸と口を押さえながら言う。
「ウブッ……オエッ…ち、ちょっとペース落としてください! もう私の足は生まれたての子鹿ですよ!」
モヤシどころか豆苗の如き貧弱さのダンテでは、ノアたちと同じペースで走り続けられるはずもなかった。
スカサハはダンテに顔だけを向ける。
「軟弱を絵に描いたような男め。私の手にかかれば、フルマラソンを一時間で走り切れるようにしてやれるというのに。特訓から逃げ続けたツケだ」
「ケルト基準を押し付けないでもらえますかねえ!? あああああ無理無理、これ以上走れませんんんんん!!」
駄々をこねる子どものようにうずくまりかけたその時、ダンテの体がお姫様抱っこの形で抱え上げられる。視線を上げた先にあったのは、ナイチンゲールの顔だった。
彼女は冷静に診断を下す。
「これは考えるまでもなく走り過ぎですね。体を冷やして水分補給すべきです」
「そ、そうですか。助けてくれたことにはもちろん感謝しているのですが、既婚者としてとんでもなくまずい体勢になっている気が…………水なんてありませんし」
そう言った彼の目の前に、水袋と濡れたタオルが差し出される。
それらを与えたのはペレアスとノア。意外な面子にダンテは涙ぐみながら、
「ペレアスさんはともかく、ノアさんまで……!? やっぱり、何だかんだ言っても人の心は残ってたんですね!」
「「ダンテ」」
「はい?」
「「恥を知れよ」」
「泣いていいですか!?」
スカサハがアホさ加減に頭痛を覚えかけていた頃、ひた走るノアたちとケルト兵の間にバイクの集団が割り込む。
特徴的なモヒカンと幅広の肩パッド。ノアによって調略、もとい調教されたケルト兵たちである。
彼らは満面の笑顔でノアたちに言った。
「ここは任せて先に行ってください! 悪逆非道のケルト兵は俺らが食い止めてみせます!」
どうやら調教の成果は上々だったらしい。ノアは満足げに頷く。
「ふっ、モヒカンもたまには役に立つじゃねえか。調教した甲斐があったってもんだ」
「いやまあ、どっちが悪逆非道か分からないですけどね。ここにひとり邪悪な世紀末覇王がいることは間違いないですが」
「モヒカン! お前らも危なくなったら逃げろよ! ノアのために命賭けるなんてやめとけ!!」
ペレアスの忠告は果たして届いたのか、モヒカンとケルト兵の衝突を見届けて、ノアたちは走った。
ダンテは抱きかかえられたまま、スカサハに問う。
「そういえば、ケルト軍とは決別する形になりますが良いのですか?」
「……ああ、近い内に離れようと思っていた。それが早まっただけだ。それより、お前たちの仲間の位置は分かるのか」
「藤丸の位置なら掴める。俺について来い」
それはどんな理屈で、とダンテが訊こうとした瞬間、彼らの進路を遮るように熱線が走る。
ノアたちは急ブレーキをかけ、その出処を見やった。
神に愛された弓手、アルジュナ。
地面に真っ直ぐ刻まれた線に彼は降り立った。
「私には、貴方たちを止める義務がある。この線を越えれば貴方たちを追うことはしない。ですが、私は全力で止めにかかる。それが唯一の取り決めです」
アルジュナは神弓ガーンディーヴァを低く構えて言った。
きっと、その言葉に偽りはない。
これはアルジュナ自身が定めたルール。戦いにおいて、彼が生前の二の舞をするとは思えない。取り決めを破るということは、自身の魂を殺すことに等しいのだから。
スカサハは深く笑み、槍を引き抜く。
「成程、それが貴様なりのゲッシュという訳か。誓約を破った者には天罰が下る。その言葉、信用に値しよう」
「オイオイオイ、何勝手に始めようとしてんだ」
ノアは戦闘態勢に入ったスカサハを言葉で止める。彼はあくまでも傲慢に、アルジュナと向き合った。
「別に俺はおまえとルール無用の残虐ファイトをしてやってもいい。ルール決めて殴り合うなんざ喧嘩じゃねえだろ。それとも手加減でもしてるつもりか? ナメんな」
「いやあ、でも、アルジュナさんには色々と事情が……」
回復したダンテはアルジュナとノアの間に入ろうとするが、
「うっせえ黙ってろ。大層な事情があるところでそれがどうした。そもそもなあ、ペレアスはストーカーでダンテは二回挨拶しただけの女を引きずる変態、そこの女二人は精神破綻だ、脛に傷抱えてねえ人間なんてこの世にひとりもいねえんだよ!!」
「脛どころか全身傷だらけのお前にだけは言われたくねえけどな」
「アルジュナさん、気にしなくていいですよ。こんな人でも生きていけるってだけ知っておけば十分ですから」
「私が精神破綻ならお前は精神崩壊だがな。何人もの戦士を育ててきたがここまでのアホはいなかったぞ」
「自己愛性パーソナリティ障害の疑いがありますね。早めに診断を受けさせなくては……」
アルジュナは歯を食いしばり、矢を番えた弓をノアたちに差し向けた。
「貴方たちとの問答は、調子が狂う……!!もういい、戦えばそれで終わることだ!!」
蒼炎の矢が解き放たれる。
即座に対応したのはペレアスとスカサハ。彼らは向かってくる矢を打ち落とし、アルジュナに接近する機会をうかがう。
当然だが、矢は初速の方が速い。アルジュナに近付く度に相対的に矢は速くなり、距離が詰まることで対応する猶予も失われる。
何事にも機というものがある。ペレアスとスカサハが安易に詰めないのは、勝機を見極める最中であるからだ。
が、ナイチンゲールにそんなことは関係なかった。彼女は肩を怒らせながら、大股でアルジュナの方に歩いていく。
「私には使命があります。この時代を狂わせる病巣を切除するという使命が!! そのためなら私は何でもするわ……そう、何でもっ!!!」
「いや、その前に矢に射抜かれて死ぬだろ! 矢の中を歩くとかアレキサンダー大王か!?」
ペレアスは悪態をつきながらも、ナイチンゲールを狙う矢玉を剣で弾いた。
その間に、彼女はどこからともなく取り出したベッドを両手で掲げ、
「貴方も悩む暇があったら、回りくどいことをしてないで即行動に移しなさいっ!!」
あろうことか、それをアルジュナに投げつける。意表を突かれはしたが、不意を突かれた訳ではない。彼は飛来するベッドを冷静に射抜き落とした。
攻撃の手がそれに囚われた瞬間、スカサハは弾かれたように走り出す。
その突撃に合わせて、ダンテは強化のための詩を空中に綴る。
極小の世界改変。強化を捧げるのはペレアスとスカサハの二人分。両手で全く異なる文言を書き連ねるのも、詩人の手にかかれば造作ないことだ。
そこで、彼はふと気付く。
呪いに侵食された右手によって書かれた文字が、黒く染まっていることに。
「これは……ジャックさん───!?」
同時に確信する。
これは祝福のための文字ではなく、呪いのための文字であることを。誰かに捧げてしまえば、その者に悪事が降りかかる。これはそういう類のものだ。
おそらく、この黒い文字はアルジュナに与えるのが正しいだろう。敵を脅かす悪意が詰め込まれた呪い。ダンテはそれを握り潰した。
「彼は今も苦しんでいる。その人を呪うことなんて、私にはできませんよ」
誰かに語りかけるような言葉。
それを肯定するように右手の文字は漂白され、祝福の光が騎士と女王に宿る。
爆発的な加速。アルジュナの眼が急速に詰めてくる標的の姿を捉えた直後に、その手は無数の矢を弾き出していた。
彼の弓の前には複数の標的を射抜くのは難しいことではない。冴えた思考は冷徹に体を動かし、最高の技術を出力する。
───そうだ、これでいい。
戦いに嘘はない。
心がありのままでいられるこの環境だけが、自分に許された場所なのだ。
神弓が莫大な魔力を発する。遍く敵を滅する炎神の流星。それが解放されるより前に、ノアは動いていた。
「───元素変換。土の冷気は反転する」
アルジュナの足元が赤熱し、火柱が噴き出す。
「くっ……!?」
飛び退いて躱す。アルジュナの対魔力のランクはC。大方の魔術は無効化されるが、ノアの元素変換はアルジュナにもダメージを与えられるだけの威力を秘めていた。
彼を追うように立て続けに火柱が起こり、思考が揺さぶられる。攻撃に回避、線の防衛。ペレアスはその揺らぎに付け入り、アルジュナの真正面に移動する。
その時、声が聞こえた。
───
彼の心に潜むもうひとつの人格。
『
「『
「『
流星が騎士を呑む。
その光景に、アルジュナは目を見開いた。
(私は今、何をした)
否、解っている。屈したのだ、あの囁きに。
勝ちを求めて、自分の意志を明け渡した。
これではまるで。
(あの時と、同じではないか)
沈んでいく心。彼の背後から声がかかる。
「オレたちの勝ちだ、アルジュナ」
振り返った先。地面に刻まれた線の向こう側で、ペレアスは澄み切った晴れ空のような笑顔を向けていた。
彼は言う。
「お前は悪くない。あの時も、この時もな。勝負の場で全力を尽くすのは当たり前だろ? 間違いだってある」
弓を構えた手がだらりと下がる。
「本当にやりたいことが見つかったら言えよ。オレたちが手伝ってやる」
勝負は決した。ノアたちはペレアスに駆け寄り、戦場へと去っていく。
アルジュナに言葉はない。
ただ遠ざかっていく背中を眺める。
その、無防備な背中を見て。
───がら空きだ。殺せ。
「…………黙れ」
あの勝負は公正なものだった。
全力の一撃を凌がれた、その時点で結果は決まりきっている。
戦いに嘘はつかない。結果が出た後でそれをひっくり返そうなんて、そんな駄々が通じることはない。
「
誓約めいたその言葉は胸に留まり、声が空に溶けて消えた。