自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
エリザベートの体が地面に落ちる。
彼女の心臓を貫いた紅き魔槍は意思を持ったように動き、持ち主の元に帰っていく。
その先は上空。太陽の光を遮る黒い影がひとつ。
ぱし、と浅黒い手が槍を掴む。
砂塵と衝撃を撒き散らし、彼は着地した。
これまでに見た何者よりも鋭く光る眼差し。どれほどの研鑽を積もうとも辿り着くこと叶わぬ天性の肉体。そして、臓腑を握られたかのような嗚咽を誘う濃密な凶気。
ゆっくりとこちらに振り向く動作ですら、空恐ろしい感情を覚える。彼の一挙一動はその度に死を連想せざるを得ない不吉さを孕んでおり、震えを通り越して全身が凍ったように脳の命令を跳ね除けた。
しかし、彼の殺意じみた気勢が向けられたのは、立香やマシュではなく。
横転した戦車の傍でへたり込む、メイヴであった。
「さっさと立て直せ。俺を惚れさせようって女がその程度か」
冷たく、硬い声音。
たったの二言。それだけで、メイヴは襟を掴まれたかのように立ち上がる。その顔に先程までの快活さはない。代わりに冷徹なまでの戦意が漲り、立香たちを見る目はまるで仇のようですらある。
「ええ、もう二度とあんな無様は晒さないわ」
「当然だ。次、不覚を取るようなら殺す」
彼こそが、メイヴの奥の手。
幾万の勇士よりも、己が駆る戦車よりも、その強さを信頼する最強の切り札。
たとえ立香たちが万全の状態で、彼ひとりと戦ったとしても勝てるかどうか。この男さえいれば、敵の目の前で戦力を割ったとしても大したことはないだろう。
彼は無造作に槍の穂先を立香たちに突きつけた。
「クー・フーリンだ。覚える必要はねえ。全員死ね」
ざり、と右足の踵が土を削る。
瞬時にマシュは意識を集中させた。
(来る───!)
それは瞬きにも満たない時間。マシュの思考は恐怖を忘れ、いくつもの攻防の選択肢が浮上する。
ほんの少しでも見逃せば命取り。一瞬の差は勝敗の差ではない、生死を分ける境目だ。
指の先、足の爪先の隅々まで集中が行き渡る。マスターを守るため、どんな動作も逃さない───そう決めた瞬間、既にクー・フーリンの姿はなかった。
「────、え」
神経網が強烈な危機感を訴える。
しかし、実戦においてその感覚が形を為した時にはもう遅い。
全身が死の予感に硬直しかけたその時、後方で凄まじい金属音が響いた。
踵を返し、眼に映る光景は、立香に振るわれた槍を受け止めるラーマ。彼は全力を込めて、押される剣を留める。
マシュの全霊の警戒を嘲笑う超絶の技巧。ただ速く動いたのではこうはならない。相手の裏を掻き、急所を突くために研磨した技術の粋を見切ったのは、この場ではラーマだけだった。
「会うのは二度目だな、ケルトの狂王よ。貴様が奪った命のツケはここで支払ってもらうぞ!」
「知るかよ。命に値があるっつうなら踏み倒すしかねえ。俺もてめぇも、誰だってやってることだろうが」
舌戦が途切れ、無数の剣戟が交わされる。
人智の及ばぬ決闘。大英雄同士が巻き起こす刃の嵐はもはや付け入る隙が見当たらない。超常の膂力と技量を以って織り成される剣槍の舞踏はしかし、先が見えていた。
ラーマの動きが鈍い。彼が持つ本来の実力に、体が追いついていなかった。怪我は大方癒えたとはいえ、体力や魔力は別だ。このままではいずれ、狂王の前に敗れ去るだろう。
鋼が砕けるような悍ましい音とともに、ラーマの一刀が弾き返される。クー・フーリンは返す刀で槍を振り上げようとするが、即座にその場から飛び退いた。
遅れて、一本の矢が通過する。
それを放ったのは他の誰でもない。
ロビン・フッドは矢を番え直して、
「お前ら二人でイチャついてんなよ、俺も混ぜろ!」
「余はそっちの趣味はないが、助かる! 存分に射つが良い!」
目にも留まらぬ速度で矢が射ち出される。彼が得意としたゲリラ戦で身につけた、一度で複数の矢玉を飛ばす技だ。
恐るべきはクー・フーリン。ラーマと打ち合う最中、全身に目でも付いているかのように矢を躱し、片手間とばかりに槍で打ち落とす。
矢避けの加護。視界内に捉えた飛び道具ならば、どんな状況であろうと対処することができる能力。とうに五十を超える矢のことごとくをかすりもせずに凌いでいた。
しかして、ラーマの剣技は持ち直す。ロビンの矢には強力な毒が含まれている。サーヴァントであっても命に関わる毒だ。クー・フーリンとてそれは変わらぬことであり、対処するために僅かに隙ができる。
命を落としかけた恐怖を抑えつけ、立香は逡巡なく判断した。
「マシュ! 私たちはメイヴを!」
「了解です!」
ラーマとロビンがクー・フーリンを止めている以上、最も警戒すべきはメイヴ。男性を魅了し酩酊させる彼女の戦車がラーマやロビンに向かえば、この状況は容易く瓦解する。
翻して、メイヴにとっては己の行動如何で勝利にも敗北にも繋がる。女王はきつく唇を切り結び、手綱を叩いた。
猛牛に牽かれた戦車が空気の壁を突き破って突撃する。
弾丸の如く直進するメイヴから発せられる、磨き上げられた殺気。それは闘争の他の全てを切り捨てた心血の一撃だった。
だが、マシュには萎縮も迷いもない。
戦車でクー・フーリンのような歩法を使えるはずもない。前方から飛んできた攻撃を跳ね除ける、マシュの得意分野だ。
───もう二度と失敗しない。
その想いは両者同じ。メイヴは短く息を吐き、手綱を引いた。
停止のための命令ではない。二頭の猛牛は正しく主の意図を理解し、それを実行する。
嘶き、前脚が上がる。四本の後ろ脚が土を弾き、戦車は高く跳び上がった。
「潰れなさい!」
鉄槌が落ちる。
盾で防がれようが、その後ろの立香を仕留める一手。
マシュの体は思考を置き去りにして反射した。振り向かずに地面を蹴り、立香の体を抱えて離脱する。
戦車が落ちたのは目と鼻の先。落下の衝撃と突風が二人の体を叩き、背後に吹き流される。咄嗟に地面に盾を突き立てるが、足の踏ん張りが効かずに流され、ジャンヌの背に当たって止まった。
「ふぐっ!? アンタら何やってんの!?」
背後を向いたジャンヌの目に、血溜まりに伏せるエリザベートとラーマと切り結ぶクー・フーリンが飛び込む。
歯がぎしりと音を立てる。ジャンヌは額に青筋を立てながら、マシュと体の位置を入れ替えた。
「……だいたい事情は掴めたわ。マシュ、私と相手代わりなさい」
「ですが、先輩の守りが」
「攻撃は最大の防御よ。いいでしょ、立香?」
「うん、やろう。実際、相性はジャンヌの方が良いと思う」
口裏を合わせる三人に、ベオウルフの斬撃が走る。
左の魔剣、フルンディングによる一撃。マシュはその剣閃を危なげなく弾き、相手の鳩尾に前蹴りを繰り出す。
大樹の幹を叩くかのような感触。ベオウルフは僅かに後ずさるのみで、体に与えられた痛痒は微々たるものだろう。
むしろ、蹴られた衝撃を利用して上体を回し、右の魔剣を背後に叩きつける。
金属の断末魔が高鳴り、ネイリングの刃に深々と亀裂が入る。ベオウルフの後ろから首を狙ったネロは、未だに振動を伝える愛剣を手遊びに振り回しながら言った。
「今のを防ぐとは中々の豪傑よ。剣技の美しさでは余に劣るがな!」
「道具の扱いに美しいもクソもあるか! 目立ちたがり屋の性分が出てるぜ、暴君さんよ!」
「目立たずして何が王か! 少なくとも慢心するよりはマシであろう!」
「敵を目の前にして慢心する王がどこにいるってんだ!?」
戦の真っ只中でも自然体を崩さない二人の会話を横耳で聞きながら、ジャンヌは旗を両手で掲げる。
その姿を捉えたメイヴはジャンヌに向けて駆け出した。本来ならばラーマとロビンを狙うのが最善手だが、それを捨ててでも潰すのが第一だと決断した。
澱みない方向転換。最低限の減速から爆発的に加速し、戦車は走る。
戦車はスピードに乗れば乗るほど突進の破壊力が増す。それは強みだが、逆にその攻撃はどうしても直線的になってしまう。
つまり、ジャンヌを狙うこの一撃だけは、立香にも予測が能うものだった。
「───
元素変換は物質の転換に扱う錬金術においては、基礎中の基礎とされる技術だ。
アリストテレスの四元素説では火・水・風・土の属性に熱と冷、湿と乾という性質を加え、これらの配合を整えることで他の物質を黄金に作り変えようとした。極端な話、元素変換を極めれば如何なる物質をも作ることができるだろう。
無論、立香にそれほどの腕はない。パラケルススやノアのような大規模な元素変換を行うこともできない。
けれど、この世界は必ずしも大きな力だけが役に立つようにはできていないのだ。
戦車の車輪が通る位置の地面が、人間の頭部ほどの大きさの火に変換される。
小火に過ぎないそれでメイヴの進撃を止めることは不可能だ。しかし、土が火に変わったことでできた窪みに車輪が沈んだ。
僅かに速度は落ちるが、戦車の突進は止まらない。それでも、常人には一瞬の遅れであろうとサーヴァントには十分だった。
「後で頭を撫でてあげる」
旗が勢い良く地面に突き立てられる。
その瞬間、旗を中心として巨大な火柱が放射状に膨れ上がり、大地を割った。
「くっ……!」
メイヴは手綱を強く引いて戦車を止める。並大抵の炎なら恐れるべくもないが、ジャンヌのそれは別だ。その炎を受けたなら死は免れえないだろう。
そして、炎の壁で戦車の進路は大いに制限される。左右を火に囲まれたメイヴとジャンヌの視線が衝突する。
戦車は急に後退することはできない。ジャンヌが取る行動はただひとつ、有無を言わさぬ黒炎の放射であった。
漆黒の炎がメイヴを呑み込む、その直前。クー・フーリンはラーマの間合いから一足飛びに離脱し、
「───しゃらくせえ」
メイヴの前に躍り出て、槍を袈裟懸けに振るう。
空間を抉るが如き刃風が飛ぶ。迫り来る炎が真っ二つに切り裂かれ、ケルト兵を巻き添えにしながら後方へ流れていく。
メイヴは血が滴るほどに唇を噛み締め、
「……ごめんなさい。私、また不覚を取ったわ」
「自惚れんな。これはあの女を止められなかった俺の責任でもある。恥じ入るくらいなら構えろ」
「ええ、あなたがいて、負けるはずがないもの……!!」
二人の元にベオウルフが合流する。
彼は二本の魔剣を掌中で弄びながら言う。
「で、こっからどうするつもりだ? 斬り結ぶのも飽きたぞ」
「俺の宝具と一緒に突っ込め」
「はあ!? パワハラにも程があんだろ!」
「できねえのか? だったら良い。隅っこで用足してる犬みてえにガタガタ震えて待ってろ」
その煽り文句を受けて、ベオウルフの血液は沸点を突破した。
「ふざけろ、できねえとは言ってないだろうが。──やれよ」
空間を塗り替えるほどの殺気が膨れ上がる。
クー・フーリンは原典を読み取るに多数の宝具を持っていたことが分かるが、彼が手にしている槍はその中で最も名を馳せ、恐れられた武具だ。
槍を握る手が上からではなく、下から持ち上げるような形になる。それを視認するが早いか、マシュは仲間に向けて叫ぶ。
「みなさん、わたしの後ろに!!」
自分でも驚くような、今までに出したこともない大きな声。彼女の求めに、仲間たちは迷いなく呼応した。ロビンはまだ命を繋ぎ止めているエリザベートの体を引きずって、マシュの後方に退避する。
エリザベートの傷を見て、立香は思わず治療のための魔術を起動させた。彼女の腕ではほんの少しの延命にしかならない。が、何をも失わせないという覚悟がその手を動かした。
それを嘲笑うように、クー・フーリンは跳び上がる。彼の右腕が自壊さえ厭わぬルーンの強化に包まれ、必殺の魔槍が解き放たれた。
「『
正真正銘、全力の投擲。
槍が手を離れた途端、それは幾千にも及ぶ赤光の鏃となって降り注ぐ。
クー・フーリンの代名詞であるゲイ・ボルクは海獣クリードの骨から造られた。その槍は投げれば三十の鏃となり、突けば三十の棘となって破裂するとされる。
しかして、今ここに現出するは一軍を滅ぼしてなお余りある鏃の雨。人々の畏れを集め、ルーン魔術の後押しを受けた魔槍は原典を遥かに超える威力を実現した。
マシュは力強く盾を突き立て、満身の魔力を練り上げる。
「『
空中に白き円盾の紋章を紡ぐ。
玲瓏たる白亜の盾と惨憺たる凶禍の槍。両者の激突は鼓膜を裂くほどの金切り音を振り撒き、弾かれた鏃が周囲で花火の如く四散する。
敵味方問わず、辺りに存在する雑兵は攻防が生み出す二次被害だけで、等しく死んでいった。
マシュがすべての攻撃を防ぎきった時には既に、一帯は骸で埋め尽くされていた。皆一様に物言わぬ肉塊となり、血の霧が漂う中を突き進む男がひとり。
彼は絶死の雨を潜り抜け、マシュの目前にまで到達していた。
「ようやくヒリついてきやがったぜ! そろそろ良いところも見せねえとなァ!!」
両手の魔剣を惜しむことなく手放す。
全身を針のように突き刺す悪寒と殺気。体の芯が凍結するような感覚はしかし、彼の闘争本能を燃え上がらせる材料に過ぎなかった。
マシュの堅牢な防御に対し、ベオウルフは右半身ごと腕を引き絞り、
「『
───一直線に叩きつけた。
何の飾りも曰くもない、徒手の一撃。
だがそれは榴弾の炸裂をも超える威力を伴ってマシュの盾を揺らし、彼女の腕を痺れさせた。
ベオウルフはかつて、荒野と沼地を根城とする醜悪な巨人グレンデルを素手で打ち破った。そうして王となった彼は五十年後、老体の身でありながら火竜と相討ち、国と民を護り抜いてみせたのである。
だが、しかし。
彼にとってそんな逸話は所詮、後からついてきたものだ。
グレンデルを倒し、人々から求められて王になった。そのことは褒められはしても、恥じるものでは決してない。だとしても、彼が真に求めたのは強者との闘争だった。
火竜と相討った時もそう。その行為に民への愛と庇護が無かったと言えば嘘になるが────人は結局、死ぬ時はひとりだ。
だからこそ、何の柵もないこの闘争は彼を沸き立たせてやまない。
死地を愛し、死地に眠る戦士の本望。
狂気という表現すら生温い激情。
死に向かう者と抗う者。まるで両極端の有り様にマシュは底知れぬ威圧感を覚え、その隙を突く剛撃が彼女の体を盾ごと吹き飛ばした。
「……よくやった」
短い賞賛を告げ、クー・フーリンはマシュという防壁を越えて、敵のマスターを仕留めるために駆ける。
目にも留まらぬ疾走。射ち出される矢と黒炎を蚊を払うかのように斬り刻む。
彼の機先を阻むためにネロとラーマが同時に切り掛かるが、その動きも想定の範疇。瞬く間にルーンの光が体に宿り、肉体の限界を超越した強化を己に課す。
そうして、二つの槍撃はほぼ同時に放たれる。それらに迎撃は意味をなさない。ネロの両手は文字通り吹き飛び、ラーマの左腕が削り抜かれる。
二人の傷の違いは技量の差。クー・フーリンは残った右腕を振り抜こうとするラーマを蹴り飛ばして前に進む。
その間にも、クー・フーリンの体は壊れ続けている。肉体のリミッターを無視した強化は指一本動かすだけで強烈な痛みをもたらすだろうが、彼の表情は微塵も変わることはない。
全身から血を噴きながら戦うその姿に、立香は足の裏から脳天まで突き抜けるような怖気を感じた。
即座に気を取り直し、右の指先に魔力を集める。
魔術を発動するまでの隙。その時間はクー・フーリンにとって欠伸が出るほどの時に等しかった。
ロビンは懐から短剣を引き抜いて立香の前に出る。
「これ以上好き勝手にさせてたまるかよ……!!」
「遅えよ雑魚が───!!」
短剣の刃が割れ、ロビンの体に袈裟の傷が走った。
眼前に咲く血の華。
ほんの一瞬、極僅かな間隙。
それだけで、クー・フーリンは敵を瓦解せしめた。
咄嗟にジャンヌが踏み出したと同時に、立香の魔術は完成した。
「ガ───」
「
凛と響く、簡潔な詠唱。
狼の遠吠えが耳朶を叩き、立香の横を精霊の魔弾が駆け抜ける。
クー・フーリンはガンドを槍で弾き、さらに踏み込もうとしたが、ジャンヌの炎がそれをさせなかった。後方に大きく跳んで火炎を躱す。
狂王の眼差しが貫く先。
彼は、いつもと変わらぬ声音で言った。
「よし、良い感じに間に合ったな」
「どこがだ! ほぼ全滅させられかけてたじゃねえか!!」
「ヒーローは遅れてやってくるとは言いますが、本当に手遅れになるところでしたねえ。相手がケルトの大英雄では仕方ないところではありますが」
うんざりするほどに聞き慣れた声。立香は何かに引っ張られるように振り返る。
ゲンドゥルの杖を持つノアと、彼が従える二体のサーヴァント。さらには先日仲間に加えた狂気の婦長と双槍の女王が立ち並んでいた。
緊張で強張っていた全身がほぐれる。立香は胸の奥で詰まる閉塞感を吐き出すように、彼を呼んだ。
「リーダー……!!」
「藤丸、よく持ち堪えた。後は俺らに任せろ。ダンテ以外のな」
「ふふっ……どうせ私は役立たずですよ! 今となっては宝具も使えないし強化も掛け終わってますからねえ!!」
「そんなことはありませんよ、ミスター」
ナイチンゲールはダンテの左肩をがしりと掴む。
「この現状を見なさいッ! そこかしこに要治療者が散らばっているではありませんか! 貴方も戦争を経験したなら最低限の処置は心得ているでしょう!?」
「せ、戦争と言っても、私は馬に乗って逃げ回ってただけと言いますか」
「問答無用! まずは手分けして怪我人の回収です、さあ行きなさい!」
「ヒィィーッ!!」
悲鳴をあげながらどたどたと走り回るダンテを見届け、ペレアスは剣の腹で肩をこつこつと打ち鳴らす。
彼は緩やかに口角を上げて、スカサハに視線を流した。
「アンタがやりたいのはクー・フーリンだろ?」
「……ああ。援護は無用だ。今の奴は私の好みではない。ここで仕留める」
「だったらオレは戦車の女か半裸男だな」
「戦車に乗ってる女はメイヴよ。アイツは私に任せなさい。男を魅了する力を持っているから、相性が悪いわ」
静かに猛るペレアスに、ジャンヌは言った。その言葉に何か納得のいかない様子のペレアスはかっくりと首を傾げる。
「いやいや、嫁一筋のオレが他人に惚れるなんてあり得ないだろ。他の女に見惚れてるなんて知られたらこっぴどくとっちめられるぞ。相手の女が」
「こんな時にまで惚気けないでくれますぅ!? シータがいるラーマにも効いたんだからゴチャゴチャ言うな!」
「というか、相手の女の人が酷い目に遭うんですね。理不尽すぎませんか?」
「エタードも湖の乙女にやられただろ。妖精は男も女もロクなやつがいねえからな」
「お前が言うな! ……そこまで言うなら仕方ねえ、オレはあの半裸男をやる!」
地面を蹴り、ペレアスはベオウルフへと突撃する。ジャンヌはため息をつくと、剣を引き抜いてメイヴの元へと走った。
彼らに続いてスカサハもクー・フーリンとの戦闘を始めると、ダンテとナイチンゲールの手によって怪我人が集められる。
ネロとラーマ、マシュ、そしてロビン。ノアは三人の傷に目線を走らせるが、それはすぐに別の方向を向く。
彼は今もなお立香が治療を続けるエリザベートの横に屈み込んだ。
「藤丸、治療魔術はもういい」
「……助からないんですか?」
立香は縋るようにノアの顔を見上げる。
少女の青褪めた表情とは真反対の、自信に満ち溢れた不遜な顔で彼は告げた。
「俺が誰だか忘れたか? 天才の中の天才、カルデア最強マスターだぞ。こいつらの怪我なんて俺に掛かれば膝を擦りむいた程度だ」
それに、とノアは続ける。
「こいつはまだ、戦おうとしてる」
疑問を覚える間もなく、エリザベートの手が立香とノアの手を握り締めた。
そこに籠もる力は瀕死とは思えないほどに強く。荒い息を吐き、脂汗を滲ませながら彼女は言い放った。
「───ええ、私はまだ、やれるわ……!!」
瞳に宿る光は煌々と輝く。
それはろうそくの最後の灯火ではなく。
幾年月の生を重ねる、星の輝きに似ていた。
ナイチンゲールは人形のように固められた無表情で言い切る。
「は? 普通に絶対安静に決まっていますが? 傷が治るまでは指一本足りとも動かさせはしません」
「ちょっ……今イイ感じに私の覚悟の強さを演出できてたのに水を差さないでくれる!?」
「つうかオレらの怪我も治してくれませんかねえ!? こっちも割と重傷なんですがァ!」
「そうだそうだ! 余は涙目になりながら痛みに堪えているというのに!! こんな手では筆も取れぬしマイクも握れぬぞ!」
ロビンとネロは切実な声で訴えた。その背後でラーマは呆れた顔をしていたが、彼も大怪我を負っていることには変わりない。マシュは軽い脳震盪で意識を失っているが、起きていたなら真っ先に文句を付けていただろう。
サーヴァントたちから抗議を受け、ノアは嫌気が差した表情をしつつも、術式を構築して出力した。
彼の手のひらに透明なエーテル塊が生まれる。
この世の理に囚われぬ事象・事物を創り出す無属性魔術。魔力で構成されるサーヴァントの肉体を癒やす上で、これほど効果的なものは少ない。
ノアは獰猛に笑う。
「おまえらを治したらすぐに反撃開始だ。目に物見せるぞ」
───その光景を視界の隅で捉え、ベオウルフは小さく舌打ちする。
あの魔術師が重傷のサーヴァントを治療してしまえば、この場の戦力は取り戻しがつかないほどに傾く。
誰かがそれを邪魔するしかないが、それも難しいだろう。
メイヴの戦車による攻撃は火炎に対しては必ず回避行動を取らねばならないために相性が悪い。
スカサハとクー・フーリンは互いが互いの技を知り尽くした仲だ。故に戦況は一進一退。攻守が瞬く間に何度も入れ替わり、言葉も交わさずに必殺を期した一撃を打ち込んでいく。
ならば、自分が動かなくてはならない。
その考えのままに振り回されるベオウルフの拳は、果たしてペレアスに届くことはなかった。
傍から見れば、攻めているのは圧倒的にベオウルフ。ペレアスは時折反撃をするだけで、行動のほとんどを回避と防御に費やしている。
けれどそれは、異常事態だ。
ベオウルフの『
それ故、ベオウルフの拳は攻撃を見切るといった類の宝具やスキルを無効化する。ペレアスが持つ心眼も、ベオウルフには無為な能力だ。
なぜこの拳は届かないのか。
並外れたベオウルフの直感は、その答えを即座に導き出した。
「お前からは妙な気配がする。加護というより呪いの類か。どこの夢魔に唆された?」
「最近似たようなことを言われたよ! 分かってねえな、愛の力ってやつを!!」
「お前が恥ずかしい奴ってのは十分分かったぜ……!!」
「うるせえ!」
ペレアスは眼前に迫る右ストレートをすんでのところで避ける。
危機的な状況において、優先的に幸運を呼び寄せるスキル『精霊の加護』。これをEXランクで保有するペレアスは持ち前の幸運の高さも相まって、如何なる状況でも逆転を可能とすることができた。
横薙ぎの一閃。ベオウルフの胸に一筋の赤い線が走る。
表皮を傷付けるに留まる浅い傷程度で、彼の動きに澱みは起こらない。返す拳が飛び、それを剣の柄で受けたペレアスは衝撃を殺し切れずに間合いの外へ押し出されてしまう。
彼らの戦いは互いに逆転を繰り返す。それは一種の膠着状態であり、両者が強みを押し付け合うからこそ生まれる状況だ。
ベオウルフがペレアスに飛びかかろうとしたその時、冷徹な声が響き渡る。
「面倒くせえ。逃げるぞ」
どこまでも単純な言葉。クー・フーリンの言い草に、メイヴとベオウルフは瞠目した。
スカサハは鬼気迫る眼光で以って、かつての弟子を射抜く。
「……私が敵を前にして逃げろと教えたことがあったか? 戦士の誇りすら失ったのか、お前は」
クー・フーリンは鼻で笑い、吐き捨てる。
「───戦士の誇り? ハッ、戦いでしか興奮できねえアンタらしい言葉だな、師匠。戦士なんて連中は人殺しを正当化して名声を得るだけの屑の集団だろうが」
「……貴様」
「だが、悲しいことにそんな屑共が英雄と称えられちまってる。俺も含めてな。他人に人を殺させ、自分だけが利益を得る。そういう醜い仕組みを造るのが王の役割だ」
それがきっと、ケルトの狂王として君臨する彼の有り様なのだろう。
争いという手段を効率化し、他者に強制した上で一握りの人間だけが恩恵を受ける。古代より変わらないシステムを彼は醜いと断じながらも、行っていた。
その矛盾こそがクー・フーリンが狂王に堕したことを表す。原因を探り、スカサハの瞳は戦車にまたがるメイヴに行き着く。
「メイヴ。貴様の仕業か」
「……ええ、そうよ。批判は聞くわ。受け入れないけど。だって、欲しいものを手に入れるために全力を尽くすのは当然でしょう?」
「戯言を。貴様は壊れたモノを手にして喜ぶことができるのか?」
「壊れてるかどうかは人の基準によるけれど……でも、そうね。壊れたモノに価値を見出だせない、あなたらしい言葉だとは思うわ」
メイヴは純真無垢に、それでいて悪辣に微笑む。
「───だって、
みしり、と槍が軋みをあげた。
それは果たして、クー・フーリンとスカサハ、どちらの得物だったのか。
戦場の喧騒がまるっきり消え失せてしまったかのように静まり返る。息が詰まるほどの殺気が場に満ちた時、盛大に水を差す、気の抜けた声が響く。
「話は終わりか? ケルト三馬鹿トリオ」
「「「………………は?」」」
「そういうのは同窓会でも開いてやってろよ。こっちはおまえらを倒せればそれでいい。ここで死んどけ!!」
彼の声に呼応し、ローマ合衆国のサーヴァントたちが立ち上がる。
クー・フーリンは腰をためて、メイヴに言う。
「何でもいいから壁になるやつを出せ。それに乗じて逃げる」
「ええ、任されたわ! こういう時のために、持ってて良かった聖杯!」
メイヴが輝く聖杯を掲げると、空間に孔が穿たれ、四足歩行の巨大な竜が召喚される。
地響きを起こす咆哮。しかしそれは相手を威嚇するためのものではなく───
「『
───死に際の断末魔だった。
飛翔する光輪が巨竜の心臓から腹部をすっぱりと斬り開く。
立香は大量の光粒に還っていく竜をぼんやりと眺めて、
「……弱っ!?」
「否、余が強いのだ! ようやく調子が戻ってきたぞ!」
「さすがラーマさん! もうインドだけでいいんじゃないんですかねえ!?」
「ローマはインドと交易をしていたが、攻め込まなかった理由が痛いほどに分かるな……」
メイヴはぎりぎりと歯を食いしばり、聖杯を用いた召喚術を起動する。
一体で足りないのなら、十体でも百体でも用意してみせる。聖杯がある限り、ケルト兵はほぼ無限に補充することができる。出し惜しみなどという言葉は存在しない。
数体の巨竜と多数の飛竜。意識を取り戻したマシュは第一特異点以来の怪獣大行進を目の当たりにして、顔色を青くした。
「そ、そんな……まさか裏切ったのですかジャンヌさん!?」
「んな訳ないでしょうが!! 今の私は竜なんて喚び出せないわよ!」
「あの時と比べるとジャンヌも大分ポンコツになったよね」
「誰のせいだと思ってるんですかァ!?」
立香とノアは互いに顔を見合わせる。
「こいつのせいだろ」
「リーダーのせいだよね」
「どっちもよアホマスターコンビ!! 罪をなすりつけ合うな!」
「全く、見苦しいことこの上ありませんね。わたしくらいですか、ジャンヌさんに優しくしているのは」
「……アンタ後で私のところ来なさい」
復活したサーヴァントたちは次々と襲い掛かる竜の群れを撃破していく。が、竜に手を取られている分、クー・フーリンたちには逃げる時間を与えてしまう。
スカサハが追撃しているが、クー・フーリンにメイヴまでもが加勢したせいで、防勢に回らされていた。
「〝遅えよ雑魚が〟……だったか? そこまで言われて引き下がる訳にはいかねえよなあ────!!」
顕微鏡のピントが合わさるように、ロビンの視界はクー・フーリンを中心に絞られていく。
矢避けの加護は視界に捉えた飛び道具は如何なる時においても対応することができる。ロビンはその加護を知識として知っているわけではなかったが、今までの攻防から気がついていた。
狙うのは敵の視界の外。かつ、防御しようとも間に合わぬ意識の隙間。悟られぬように弓に矢を番え、弦を引き絞る。
この一矢に全てを賭ける。男として、戦う者として、コケにされたままではいられない────!!
「『
雲の上から針に糸を通すが如き難行。
されど。
「チッ……!!」
スカサハとの攻防。その間隙を突き、矢がクー・フーリンの右の二の腕に食い込む。
イチイの鏃はその身に宿す猛毒を敵の体内に送り込み、風船を割るように破裂させる。
治療を必要とする毀傷。ロビンはひとり満足感に浸る。敵は自ら撤退を選ぶのではなく、あの一矢によって撤退という選択肢を取らなければなくなったのだと。
……そして、それと同時。
ベオウルフは額に汗を滲ませていた。
拳を叩き付ける。一秒に数十発を越える数。そのどれもが全力であり、一撃でも喰らえば致命傷は免れない。
だというのに、直撃しない。ペレアスは体を屈め、地面を滑るようにしてベオウルフの後ろに回り込むと、足目掛けて剣を振るう。
彼はその剣を跳んで躱しながら、
「転がって太腿狙いにきやがったな!? 騎士の癖に随分と泥臭え戦い方をするじゃねえか!!」
「アンタ相手に見てくれを気にしてる余裕なんてねえんだよ! それよりも尻尾振って逃げなくていいのか!?」
「良いさ、ここで死ぬならそれまでだ! 逃げるにしても、てめえの顔面に一発入れてからじゃねえとなァ!!」
大気を刈り取るかのような左アッパー。ペレアスの額を掠め、どろりと血が流れ出す。彼は血濡れた眼でベオウルフを睨んだ。
「……じゃあ、教えてやるよ。死ぬ覚悟より生きる覚悟の方が強えってことをな!」
剣先で土を掬い上げ、ベオウルフの顔面に飛ばす。
彼がそれを払った瞬間、眼前に見えたのはペレアスの姿ではなく、血みどろの衣装を身にまとったエリザベートだった。
意表を突かれる。彼女は魔槍に霊核を貫かれた。ノアの無属性魔術でそれを治したとしても、欠けた歯に詰め物をするように、もはや本来の性能は出せないだろう。
だが、彼女の動きは絶好調そのもの。
迎撃の拳を繰り出すベオウルフの眼が視認したのは、二画分の令呪が欠けた立香の手の甲だった。
つまり、エリザベートは令呪の魔力で無理やり体を動かしているのだ。迎撃を避けもせずに接近し、倒れ込むように槍の穂先を突き刺す。
喉の奥から血が込み上げる。
ベオウルフの口角は無意識に持ち上がり、エリザベートも応えるように笑った。
「心臓をやられたくらいで、私が諦めるはずないでしょう……!! 世界中の人間を私のファンにするまで、歩みを止めることなんてできないんだから!」
「おいおい、そんなことのために俺は殺られたのかよ───イカれてるぜ。だが気に入った、俺がお前のファンになってやる」
「へえ……じゃあ新しいファンのために
「いや、それは断る」
ベオウルフの体から力が抜け、地面に落ちて崩れ去る。
クー・フーリンに傷を負わせ、ベオウルフを仕留めた。しかし、メイヴは聖杯を使って今この瞬間にも手駒を増やしている。やがてクー・フーリンとメイヴの姿が小さくなっていくと、ノアは言い放った。
「全員集まれ! 速攻でトカゲどもを駆逐してからクー・フーリンとメイヴを追う! まずはダンテ、おまえが突撃しろ!!」
「無茶を言わないでくれます!? ドラゴンのおやつになりに行くようなものですから!!」
「でも、地獄の最下層ではユダとブルータスとカシウスがサタンのおやつになってますよね?」
地獄の最下層ジュデッカでは裏切りの罪を犯した者が収容される。中でも救世主を裏切ったユダ、カエサルを裏切ったブルータスとカシウスは四六時中魔王に噛み砕かれるという拷問を受けている。
そんな恐ろしい光景を間近で見たことのあるダンテは泡を食って否定した。
「私もそうしろと!? 裏切りの罪なんて犯したことはありませんよ!」
「超神聖ローマ帝国を裏切ってローマ帝国についたじゃない。忘れたとは言わせないわよ」
「…………」
「ミスター・アリギエーリ、安心してください。上半身と下半身が断裂したくらいなら私はどうにかしてみせます」
「やられる前提じゃないですか! 嫌ァァァ!!」
「我がアメリカを苦しめる暴虐の蛇神───お前を倒すのは私たちだ!!!」
虹蛇を巡る戦場。
淡く発光する円盤の上から、エジソンの宣言が轟く。
虹蛇を寸前まで追い詰めたケルトの戦士たちは消滅していた。残るのは地上を這う虹蛇と上空より彼女を見下ろすエジソンらのみ。
赫々と照りつける太陽は今もなお動植物と龍脈から魔力を強奪し、虹蛇へとそれを送っている。サーヴァントとてその対象からは逃れられず、時間を掛けるとエジソンたちも消滅する恐れがあった。
しかし、彼らの中のひとりはエレナ・ブラヴァツキー。アレイスター・クロウリーやマクレガー・メイザースが学んだ近代魔術の始祖であり、根源の一端に触れた大魔術師だ。
彼女は円盤を介して、エジソンとカルナに魔力を供給することで陽射しを無効化していた。とはいえ、基本的には穴の空いた桶に水を足し続けるのと変わらない。活動時間は遥かに伸びるが、それでも限界はあるだろう。
故に、エジソンは躊躇わずに宝具を使ってみせた。
「虹蛇よ、貴様の信仰の源流───今ここに暴き落とす! 『
人智の光が地上を覆う。
命を奪う魔の陽射しよりも一層きらめくその閃光は、この世にかつて存在したあらゆる神秘を暴き立て、失墜させるスポットライト。
時を止めて逃げようとももう遅い。
半身のみで這って逃げようとする虹蛇の体は徐々に透けていく。人々の信仰から成り立つ虹蛇という名の神は、ここにその存在を紐解かれようとしているのだ。
「貴様の存在はすなわち、虹という自然現象に基づく信仰によって成り立っている。虹が発生する原理を知らぬ古代の人間は考えたのだろう……空に浮かぶ虹は神であると」
だが、とエジソンは否定する。
「虹とは空気中の雨滴に反射した光のことだ。何ら神秘的な要素は兼ね備えていまい。人類の無知がゆえに生まれた虚構の神よ────貴様の神性は地に落ちた!!」
エジソンはあらゆる神にとっての天敵となりうる英雄だ。
隠されていた、知られていないからこそ力を発揮する神秘を白日の元に晒し、その信仰を虚構に貶める。
虹蛇の巨躯は蜃気楼のように消え去り、後に残されたのはひとりの人間の女性。ちょうど虹蛇の霊核の位置に、彼女はへたり込んでいた。
「エジソン……ッ!!」
天に輝く星雲のように波打つ銀の髪。大地の豊穣を思わせる小麦色の肢体。脚や腕、胸元には白い刺青が刻まれており、その体を彩っている。
彼女が身に纏うのはインディアンの女性が儀礼用に着るドレス。
ふんだんに装飾が施されていたであろうその服は、見る影がないほどに朽ちていた。宝石を用いた首飾りはくすんで千切れかけ、服は大きく裂けて褐色の肌を露わにしている。
かろうじて残る神性は彼女の後背で虹の輪として力なく現れる。彼女───虹蛇は、端正な顔を憎悪と憤怒で化粧して、銀色の柳眉を歪めた。
「貴様は、私から信仰すらも奪おうというのか。あの時のように!!」
「…………何を言っている。私と会うのはこれが最初だ」
「いいや、分かる! 見えるぞ! 貴様の中に渦巻く悪鬼の魂が!!」
エレナは眉をひそめて言う。
「エジソン。どうやら本当に見えているようだわ。悪鬼というのはつまり、あなたの中に在るアメリカ歴代大統領の魂のことなんじゃないかしら」
それを横耳に聞いたエジソンは虹蛇に憤怒の面を返す。
「何を宣うかと思えば……!! 綺羅星の如き合衆国の威光も、貴様のような女には届かぬか!」
「合衆国の威光……はっ、そんなものを誇っているのか。貴様らは他人を陥れるのが上手かっただけだろう」
「人民の競争こそがアメリカの原理だ。我らはその戦いに勝ち続けたに過ぎない。たとえどんな手段を用いようとも、勝てば良い。勝利こそがアメリカを正義と位置付けるのだ!!」
虹蛇は唾を吐くように笑った。
「そうか───血と死体の上に築かれた栄華を、精々誇るが良い」
「……何だと?」
「言った通りだ。この地で何が起きたか、もう忘れたのか? 道理で、納得がいったよ。貴様らが厚顔無恥にも正義を謳い、血に塗れた手を洗おうともしない生まれながらの殺戮者であることにな!!」
エジソンは犬歯を軋み鳴らす。静かに佇むカルナに振り向くと、真剣な声音で命令した。
「もはやこれ以上の問答は無用だ。カルナくん、虹蛇を仕留めたまえ!」
カルナは鏡のような瞳をエジソンに向け、首を横に振る。
「……まだ話は終わっていない。虹蛇と向き合うことから逃げるな」
「な──っ!? ぐ……ではエレナくん、円盤の光線でヤツを吹き飛ばせ」
「ごめんなさい。無理よ。話が終わったら、全力で戦ってあげる」
カルナとエレナ、二人から否定を受け、エジソンの目線が泳ぐ。それが辿り着いたのは、研ぎ澄まされた刃のような殺気を向ける虹蛇だった。
彼女はぽつりぽつりと喋り出す。
「〝大人も子どもも、全て殺して頭の皮を剥げ。シラミの幼虫はシラミになるからだ〟……あの男はそう言っていたな」
それは、アメリカ合衆国が西方へと勢力を伸ばしていた頃。
彼らは元々この大陸に住んでいた民を保留地に追いやり、次々と入植地を広げていった。しかしそれだけにインディアンの反発は強く、いつしか入植者との戦いにまで発展してしまう。
順調に勢力を拡大するアメリカにとって、先住民は邪魔者でしかない。特に先住民の排除が過激であったコロラド州ではインディアン絶滅を掲げ、市民たちは先住民の資源を奪うために殺戮を始めることとなる。
悪意と殺意の暴走。それが行き着いた場所が、
「
虹蛇はため息をつく。彼女の瞳に映るエジソンは、苦虫を噛み潰したような苦悶の表情を浮かべていた。
「まあ、これも競争なのだろうな、貴様らにとっては。謳えよ、星条旗を。誇れよ、自由と正義を。地の底に埋められた我が民の嘆きなど、どうせ届きはしないのだろう?」
「ぐ、ぬ……だが、人類史において民族の浄化は決して珍しくは───」
「───だから我慢しろ、とでも? それならそうと言ってみせろ! 〝歴史上、民族の虐殺は多かったのでお前たちが殺されたことは仕方ない。終わったことを掘り返すな〟と……貴様は本当に言い切れるのか!!?」
エジソンの内に宿る、アメリカ歴代大統領の魂。彼らは虹蛇の言葉を受け、思い思いの意見をエジソンに伝える。
〝先住民の戯言だ。人間ではないのだから殺してしまえ〟
〝彼女の怒りと憎しみは正当なものだ。戦うよりも対話の道を選ぶべきだ〟
議論が紛糾し、頭の中が掻き乱される。否、乱されているのは脳みそではなく己が抱いた理想だ。
このアメリカを永久に保存する、という目的。けれどそれは、この上なく残酷な願いだ。
この世に存在するありとあらゆる人間の痕跡、業績、功績をアメリカ以外は消し去って、自分たちだけ生き延びようというのだから。
それは虐殺。人類史を焼却してみせた魔術王に次ぐ、最大級の虐殺だ。
がくりと膝が折れ、手のひらをつく。
ようやく虹蛇の痛みが理解できた。土地と文化と生命を奪われた人々の嘆きを体現する化身こそが虹蛇。どうにもならないことを押し付けられ、それ故に暴力をふりまくことしかできぬ妄執の神だ。
胸の奥を串刺しにする痛み。虹蛇は血涙を流すと、神性を失った身でありながら戦闘態勢を取る。
「もう、いい」
太陽の光が黒雲に遮られる。砂礫と化した大地に天よりの落涙が降り注いだ。
魔力の簒奪が止まる。虹蛇は復活できるだけの余力を蓄えたのだ。陽射しが生命力を強奪するとしたら、この雨は生命力を与える。
この雨中において、虹蛇はあらゆる損失を回復することができる。肉体のみならず魂、そして失った神性さえも。
だがしかし、その雨を以ってしても、エジソンに貶められた神性は戻らない。生半可な傷ではないということだろう。時間をかけなければ、大蛇の姿に変身することは不可能だ。
だとしても、この身でもサーヴァントを屠ることはできる。黒雲より雷を呼び寄せ、両手の中で刃の形に成形する。
ただそこに在るだけで空気を焦がす閃電の双剣。それらを携え、虹蛇は円盤へと駆けた。
空気を足場にすることなど造作もない。中空を跳ね回り、エジソンの首を刈ろうと接近する。だが、虹蛇はカルナの大槍の一振りで地面に叩き落とされた。
「が……っは──!?」
「そう簡単に手を出させはしない。彼は今、変わろうとしている最中だ。オレが相手になろう」
カルナは円盤を飛び降りる。
地面に着地する寸前で、虹蛇は時を止めた。
停止した時の中で、雷撃の刃をカルナの体に突き立てた。その切っ先は彼の体にぶつかると、花火のように弾けて消える。
無敵を誇った黄金の鎧。インドラ神ですら奪うという選択肢しか取れなかった太陽神の神秘は、雷の刃であろうと通しはしない。
時間停止の利点を無に帰す最高峰の防御能力。大規模な攻撃手段を持たぬ人の身の虹蛇に、カルナを打倒することのできる手札は皆無だ。
エジソンは震える声音でエレナに告げる。
「……降ろしてくれ。彼女と、対等の位置で語りたい」
「ええ。よくってよ!」
飛行円盤が気の抜けた音を発しながら、二人を地面へと降ろす。
エレナは他のすべてを捨てて合衆国を残す方針に賛成はしていなかった。彼女が言葉で伝えてもエジソンはきっと考えを改めない。
この国の罪を突きつける虹蛇だけが。
エジソンの心を揺らすことができたのだ。
「……エジソン」
「すまない。虹蛇ともう一度だけ話をしたい」
「ああ、分かった」
しかして、彼だけが見る。
紫電を纏う黒雲。
豊穣の雨を切り裂き、飛来する紅き魔槍。
考えるまでもなく、エジソンは動いていた。
「カルナくん────!!」
カルナを押し飛ばした瞬間、エジソンの鳩尾を魔槍の穂先が貫通する。
彼の体は泥濘んだ地面に倒れる。足首まで水嵩が増していた大地に血の色は残らない。
魔槍がひとりでに動き、クー・フーリンの手に収まる。その横にはメイヴが控え、彼は地面に横たわるエジソンを見て舌打ちをした。
「……外したか」
「あの毒をくらったからよ。万全ならカルナの心臓を貫けてたでしょうね」
メイヴは虹蛇に向けて、
「ちょっと……かなり見た目が変わってるようだけど、あなたが虹蛇ね。ひとつ取り引きをしない?」
「私が乗るとでも?」
「ええ。アメリカを倒すために手を組みましょう」
「断る。私は貴様らも殺すつもりだ」
虹蛇にとってはアメリカもケルトも等しく侵略者だ。この土地を侵す異物は一掃するのが彼女の目的であり、地の底に追いやられた人々の求めだった。
そっけない態度を取る虹蛇に、メイヴはわざとらしく頬に人差し指を当てて提案する。
「それなら、こういうのはどう? 殺す優先順位をアメリカが先にするのよ。アメリカを滅ぼした後は私たち……って具合に」
虹蛇は少し考え込み、桜色の唇を開く。
「良いだろう。ただしひとつ条件がある」
「何かしら?」
「できるだけ残虐に、残酷に殺せ」
「…………承ったわ。ケルトの拷問術を見せてあげる」
そうして話が纏まり、カルナとエレナに六つの眼光が当たる。
各々が武器を構えた時、小さな声が響いた。
「させ、るか」
エジソンは血を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「罪を背負うのは私だけで良い。この地に住まう無辜の民が、残酷に殺される謂れなどないはずだ!!」
後ろ暗い過去がない国はない。
無数の罪を積み重ねていたとしても、この国に住む人間は当事者ではない。そんな彼らの幸せが虹蛇の手によって奪われることは、到底承服できなかった。
だからこそ、罰を受けるのは歴代大統領の魂を宿す自分だけで良い。合衆国の栄光だけを語り、苦しめた人々のことを忘れて生きるなんてことはできないから。
「それがどうした───!!」
虹蛇が雷を呼び寄せる。
カルナはともかく、エジソンとエレナがそれを受ければ致命傷だ。咄嗟にカルナが前に出た瞬間、雷撃は虹蛇に直撃した。
場を困惑が揺らす。天候を操る虹蛇が、よりにもよって自らの雷撃に苛まれるはずがない。その答えは、上空より降り注いだ。
「ククク……そう、その通りだエジソン!! 死ぬなら貴様だけで死ね! 何なら私がこの雷で引導を渡してやっても良いぞ!!」
雷電を纏う男は高らかに哄笑を轟かせる。
その姿を見たエレナは瞠目して叫んだ。
「───テスラ!? どうしてここに!?」
「それを語ると長くなる。後に説明しよう。……実はここに来たのは私だけではない」
電磁浮遊を行うテスラはすぐ横に視線を投げかける。空間から浮かび上がる男の姿。神からもたらされた弓を携えた褐色のアーチャーは霊体化を解き、冷たい眼差しをクー・フーリンに向けた。
「カルナは私の獲物だ、なぜ狙った」
「一番厄介なやつだと判断しただけだ」
「…………横紙破りは罰を受けるぞ。それを知らない人間ではないでしょう」
「教えてもらおうじゃねえか。どんな罰を受けるってんだ?」
アルジュナは小さく笑い、
「運命が貴方の敵になる───というのはどうです?」
思わず訝しむ間もなく、遠くから騒がしい声が聞こえてくる。
「おい! ありゃあどういう状況だ!? テスラもいるぞ!」
「アメリカとケルトのトップ同士が激突! みたいな場面だったんでしょうかねえ」
「ううむ、情報量が多すぎて頭がこんがらがる! 誰か余の頭痛薬を持ってまいれ!」
「とにかく全員ぶっ潰せば終わりだ! そして俺たちがアメリカをぶんどる!!」
「リーダー、目的が変わってます!!」
エジソンは呆けたような顔をして、
「そうか、彼らが……」
「怪我人確保ッ!!」
「ぐふぅ!?」
何か良い台詞を言おうとしていたところをナイチンゲールに捕まえられた。雰囲気が一瞬にして弛緩し、場を包んでいた殺気が引いていく。
アルジュナははっきりとした意思で言い切った。
「ペレアス、貴方は言いましたね。〝本当にやりたいことが見つかったら言え〟と」
「───ああ! お前はどうしたいんだ!?」
「カルナと決着をつける。それは譲れませんが、その前に貴方たちとともにケルト軍を倒す! それが私の、偽りない本心だ!」
轟く雷鳴より強く、その宣言は響き渡る。
雨足は常人なら立っていられないほどに激しく、地面の上を水流が暴れ回る。それは雨と創造の蛇神である虹蛇の能力。水害を巻き起こす天変地異の権能であった。
波が地上の全てを浚っていく。
平原に生まれた大河がクー・フーリンたちとノアたちの距離を突き放す。ケルトの狂王は眼光に殺気を込めて言った。
「ホワイトハウスだ。そこに全軍で来い」
───そこで決着をつける。
立香は痺れるような感覚を覚える。息が詰まりかけた彼女の肩をノアが叩き、
「藤丸、何か言い返せ」
「え、私ですか!? いつもみたいにリーダーが言ってくださいよ!」
「おまえだから意味がある。相手はあのクー・フーリンだ。言ってやれ」
突然の無茶振りに立香の脳みそはぐるぐると回った。彼女はびしりと人差し指を前に突き出して叫ぶ。
「の、望むところだ! ぶっ潰してやる!!」
「先輩、リーダーっぽくなってます!」
「もうひとりのマスターはマシかと思っていたが、こんなものか……」
スカサハの嘆きは雨音に呑まれて消える。
そうして、サンドクリークでの戦いは終わりを告げた。