自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
女王メイヴの印、トリスケリオン。
膝を直角に曲げた三本の脚が風車の羽のように繋がったこの印章は、メイヴが持つ三つの側面───悪・権威・狂気を象徴すると言われている。
アイルランドのスライゴーを流れる川の源流はメイヴの聖泉とされ、その水面は彼女の処女・母親・老女の三つの姿を表すとされた。
三つの性質、三つの姿をもって一と為す。まさしくそれは三相一体。女神に多く見受けられる神格の形に違いない。
たとえば、ゴルゴーン。ステンノ、エウリュアレ、メドゥーサの三姉妹を総称するその呼び名は、いつしかゴルゴーンという一柱の女神として示されることにもなった。
一柱の女神が三つの属性を有することがあれば、三柱の女神がひとくくりにされることもある。ゴルゴーンはその両方を満たした稀有な神格だ。
このような三相一体の女神の例は枚挙に暇がない。モイラやグライア、カーリー、日本では海上の交通を守護する宗像三女神がいる。メイヴの三相一体は彼女が女神として信仰されていた可能性を示唆していると言えるだろう。
だが、北米大陸に現れたのは女神ならぬ人間のメイヴ。
人の身にして女神の性質を宿した女王は、不遜な笑みを浮かべて己が敵に向かい合った。
「あの時の小娘三人衆ね。……なるほど、見れば見るほどアホ面が揃ってるじゃない」
一切気取らない挑発。否、彼女はそれを挑発とも思っていないだろう。本心からするりと抜け落ちた言葉であり、不遜を隠そうともしていない。
それこそは女王の性。
傲岸不遜、傍若無人を可憐に成し遂げる女の業。
本来、女神にあるはずの三相一体を宿すメイヴゆえの発言だった。
その異質さを感じ取った
「前回、私に手も足も出なかったやつが大きく出たわね。その御尊顔をアンタが言う私たち以上のアホ面に叩き直してやるわ」
彼女に呼応するように、マシュはぐっと拳を握りしめる。
「ええ、アメリカを脅かすケルトの女王の顔面を歪めてやりましょう! ジャンヌさんのアホ面のように!」
「うん。事ここに至って、私も躊躇はしないよ! ジャンヌのアホ面みたいにしてやろう!」
「アホ面のそしりを私ひとりに押し付けないでくれます!? アンタらも同類よ!」
興奮した子犬のように喚くジャンヌを見て、メイヴはがっくりと肩を落とした。
「ねえ、こんなバカトリオと戦う私の気持ちにもなってくれる? この私に倒されるんだから、それなりの格がないとこっちの評判が下がるのよ」
「バカなのはそこのなすびとマスターであって私は違うわ。表現を改めなさい」
「ジャンヌさん、わたしにはレイシフトAチームで首席だったという過去があります。そして、先輩はアホなところがチャーミングポイントなのです。これがどういうことか分かりますね?」
「結局すべての罪が私に被さってるんだけど!?」
「…………私の戦意を下げる作戦なら大したものね。かなり失望したわ」
メイヴは数々の勇士を従える女王だ。彼女の仕事は宮廷にて辣腕を振るうことではなく、戦場で戦士を率いることにある。
サンドクリークの戦いで刃を交えた経験、戦士の女王としての審美眼は確かに立香たちが強敵であることを囁いていた。が、蓋を開けてみれば取るに足らない小娘の集まり。戦いに生きたメイヴとは対極に位置する人間たちだ。
立香は女王をきっと睨んで言い返す。
「戦う前から失望されても困ります。食わず嫌いは痛い目を見ますよ!」
「アンタと違って私たちは世界を背負ってるのよ、こんなところで足止め食らってなんかいられないわ───!!」
黒炎の波濤が解き放たれる。
サンドクリークの戦いでは、女王メイヴはジャンヌの炎を突破することができなかった。身を守る盾であるマシュがいる以上、敗北の可能性は限りなく薄い。
───それが、今までのメイヴだったなら。
空気を焦がす炎撃を目前にして、女王はゆらりと微笑む。
「『
虹の一閃。壁の如く迫り来る炎を切り裂き、七色に輝く斬撃が飛翔する。
かつて見たほどの規模はない。フェルグスのそれと比べれば、メイヴの斬撃はか細い一筋の閃光に過ぎなかった。
だが、その光は紛れもなく虹霓の剣がもたらした一撃。
マシュは盾で以ってそれを受け止める。鳩尾の奥にずしりとした衝撃が刺さり、彼女は黒炎の向こう側を見やった。
身の丈を超える巨大な螺旋状の刀身。それは何度見ても間違いなく、英雄フェルグスの愛剣そのものだ。困惑を深める立香たちを嘲るように、メイヴの唇は微笑を形作る。
「『
笑みを深める女王の背後には、メイヴの印であるトリスケリオンの光芒が紡がれていた。
立香は眼球に強化を掛けてメイヴを視界に捉える。
そうして見えたのは、上階から伸びる魔力の経路。それはメイヴの体と繋がり、魔力を送り込んでいた。送り元として考えられるのはただひとつ、聖杯だろう。
立香は自らのサーヴァント二人に呟くように伝える。
「メイヴは聖杯と接続して魔力を受け取ってる。サンドクリークの時と同じとは思わない方がいいと思う」
「あの剣といい紋章といい、聖杯が関係してるのは間違いなさそうね。聖杯を持ってるのはクー・フーリンってところかしら」
「間違いないと思います。ケルト軍が擁するサーヴァントは二人だけなので、聖杯のリソースを分け合っているのでしょう」
ジャンヌの言葉に答えたのはメイヴだった。
「それ、正解よ。私の勇士は私だけのもの……何もかもね。聖杯のおかげでこの宝具が使えるようになったの。手に入れたと言っても良いわ」
「ハッ、必殺技はネタバラシしたら負けるって知らないの? 敗北フラグが立ったわよ」
「旗持ってるヤツに言われたくないわね───!!」
手綱のしなりとともに、二頭の戦牛が嘶く。
乾いた破裂音が鼓膜を揺らす。空気が弾け、車輪が唸りをあげる。ぎらりと殺意に塗れた光を放つカラドボルグは本来の持ち主の手から離れてもなお、冷徹にして華やかな鋭気を帯びていた。
小細工を弄さぬ愚直な突進。ただしそれは、女王の手にある得物によって最上の攻撃へと化ける。
衝角と化した虹の剣は掠りでもすれば、間違いなくその命を奪うだろう。黒炎による迎撃も容易く食い破るに違いない。
ジャンヌは灼けた鉄杭を展開する。
メイヴに新たな武装が増えたとはいえ、手数までもが増える訳ではない。それならば、彼女が対応しきれぬ数の弾幕によって押し潰すのみ。
真っ直ぐに走り抜けるメイヴに、白熱した鉄の杭が霰のように降り注ぐ。それでも、彼女は手綱を引くことはなかった。
「───『
三脚巴の紋章より、水流の槍が発射される。
フィン・マックールが神霊アレーンを倒した際に用いたとされる魔法の槍。触れるものみな削り飛ばす激流が、灼けた鉄杭の雨を跡形もなく打ち砕いた。
『太女神の印章』。聖杯と接続することで、メイヴが新たに得た宝具。三相一体の女神の性質を有する彼女の神性を引き出し、『女神メイヴ』としての権能の一部を限定的に使用することができる。
その能力は自身が従えた勇士の武具の借用。あらゆる男たちを魅了し、従属させ、戦いへと赴かせた女王の権威を象徴する力であった。
───愛しき勇士のすべては私のもの。武器も身体も技量も、何もかもが女王への供物。ならば、それをどう扱おうが勝手だ。
彼女にとって戦士とは恋しき人間であり、ただの道具。彼らに与えた数々の褒美は恋人に捧げる贈り物でありながら、武具の手入れをするのと変わらない。
相反する感情と理屈。二律背反を恥じもせずに受け入れ、矛盾した存在であり続ける───それこそが女神の多面性。戦士の女王たる資格なのだ。
戦車はさらに加速し、音に等しい速度を得る。メイヴはその勢いのままに螺旋の大剣を振るった。
マシュは盾を斜め気味に構え、メイヴの斬撃を受け流す。
空間が割れたかのような音響。車輪が床を削り取り、立香たちの横を通り過ぎる。
戦車の弱点は小回りが効かないことだ。最高速の一撃の破壊力は歩兵とは比べ物にならないが、走り抜けざまに攻撃しなくてはならないため、どうしても単発になってしまう。
三人の背面へと移動したメイヴ。マシュは体の正面を後ろに捻りながら、咎めるように言った。
「世界に興味がないと言いましたね。それなら、あなたはなぜ戦っているのですか!」
「ふ、愚問ね」
メイヴは鼻を鳴らした。淡い恍惚に顔を染め、彼女は言い放つ。
「───クーちゃんをオトす! それ以上でも以下でもないわ!!」
「「「…………」」」
「鳩がマグナムくらったみたいな顔して、相当驚いたみたいね! 無知なあなたたちも少しは女王の威光を理解したんじゃない?」
「呆れてんのよ、こっちは!」
ジャンヌは旗を薙ぎ払う。その軌道に沿って火礫の飛沫が撒き散らされ、メイヴはそれらを弧を描くように旋回して回避した。
そこで、立香はメイヴの紋章の性能を完全に把握する。
なぜ、今の攻防においてフィン・マックールの槍を使わなかったのか。聖杯と接続していることで魔力の心配はなく、本来の使い手よりも数段落ちる威力であっても、まともに受ければサーヴァントの命を刈り取って余りある。そんな宝具を温存した理由……それは、霊基への負担を避けたからに違いない。
紋章と槍。二つの宝具の真名解放がサーヴァントの霊基にもたらす影響は計り知れない。聖杯のブーストをもって耐えてはいるが、乱発はできないということなのだろう。
ならば、まだまだ勝ちの目は薄くなっていない。立香がひとり考え込むなか、ジャンヌは吼える。
「死んだ後も手に入らないモノに手を伸ばすなんて、毒婦の恋にしても質が悪いのよ! アンタの恋路に私たちを巻き込むな!!」
「分かってないわね。手に入らないから何? アメリカが滅ぶからどうしたっていうの? そんなくだらない文句で私を止めようなんて、愚かしさの極みね。ああ、道理で脳みそが軽そうな顔してると思ったわ」
「…………完全にトサカに来たわ。燃やす!!」
マシュは飛び出そうとするジャンヌの肩を掴んで、
「ジャンヌさん、この人は恋愛に関してはストーカーのペレアスさんや初恋をこじらせすぎたダンテさんより厄介です。素数を数えて落ち着いてください」
「え、えーと、いち、に……」
「1は素数に入らないんじゃない?」
「し、知ってるわよ! ちょっと立香を試してみただけですから!」
必死に取り繕うジャンヌの醜態に、立香とマシュは冷めた無表情になる。ジャンヌも立派なEチームの一員であることを再確認させられたのだった。
そんな三人をよそに、メイヴは覇気を漲らせて口を開く。
「いいわ、あなたたちみたいなアホにも分かるように教えてあげる」
どこまでも純粋で、快活な殺意。
その笑顔は今までに遭遇したどんな敵よりも異質。乙女の可憐さと毒婦の悪辣さを綯い交ぜにして、彼女は言い切った。
「恋愛っていうのは、他の何を犠牲にしてでも望む物を手に入れることよ。私が私であるために、戦士の女王たる私に惹かれない男がいるなんて許せない。感情はどれだけ大層な理屈や理論でも踏み躙ることができるの」
「だから世界を滅ぼすことになっても構わないと?」
「当たり前じゃない。男をオトしたいのも、世界を救いたいのも、結局はエゴでしょう。その点で私たちは対等よ。だから───」
メイヴの瞳が暗い情念をたたえる。
「───私は恋情の炎でこの大陸を焼き尽くしてみせるわ!!!」
その宣言と同時に、メイヴの戦車は爆発的に加速した。
七色に煌めく繚乱の剣戟が舞い踊る。
戦車の負担を省みぬ音速の連撃。直線ではなく円を描くように走ることで、戦車の弱点を解消した。が、それは裏を返せば常に敵と密着していることに他ならない。
マシュが斬撃を防ぎ、ジャンヌの反撃でメイヴが後退する。それが目まぐるしく繰り返され、戦況は千日手になりつつあった。
立香は思案する。ジャンヌの宝具ならこの状況を覆せるかもしれないが、その性質上、上の階で戦っているノアたちに被害が出る可能性がある。最後の奥の手として取っておくべきだろう。
冷静に戦況を分析する脳とは逆に、胸中は湧き上がる戦意の熱で埋め尽くされていた。
(あの人が本気で戦ってるのは分かる。でも、それならこっちだって本気だ)
故に、自分たちは戦わなくてはならない。
メイヴが全力で自分の願いを貫き通すと言うのなら、それを全力で阻止するのがEチームだ。
膠着した状況を破る。マシュとジャンヌが戦局を打開するために、メイヴに隙を作り出さなくてはならない。
(私の小さい脳みそでも、少しは使わないといけない場面! まずは……)
魔力を練り、指先に集める。
一直線に距離を詰めてくるメイヴの鼻先目掛けて、魔弾を放った。
「ガンド!」
「そんなへなちょこ弾が効くわけないでしょうが!」
吸い込まれるように直撃した弾丸はしかし、水晶玉を割ったように崩れ去ってしまう。女王の体には一切の痛痒も与えることはできない。
(だけど、これでいい)
立香とて、ガンドが通じるとは思っていなかった。対魔力の有無を確認し、有効手がないと思わせてメイヴの油断を誘うための一手だ。
問題は対魔力をどうするか。立香は魔術の知識を総動員するため、日常的に受けているノアの魔術講座の記憶を引っ張り出す。
〝服だけ透けるメガネ作ってムニエルに売ったらいくら儲かると思う?〟
〝魔術は最低限の知識を詰め込めば、後は実践とフィーリングだ。今教えた五種のルーンでできるだけ上手くダンテを消し炭にしてみろ〟
〝この前クーデターを起こした奴ら全員に悪夢を見る呪いをかける。おまえも手伝え〟
立香は思わず頭を抱えた。
(ロクな記憶がない……!!)
一応真面目な講義もしていたはずなのだが、愚にもつかない記憶がそれを何倍にも希釈してしまっていた。さながらおばあちゃんが作るカルピスである。
ノアの魔術の悪用は今に始まったことではない。何かあれば呪いをかけようとするのは、もはや恒例行事だ。
最近もそう。彼はスカサハに対して、
〝あいつには正面から掛かっても勝てねえ。となれば、呪いしかないだろ。俺を散々コケにしやがったあの女に鉄槌を下してやる!!〟
そこで、立香は引っかかりを覚えた。
スカサハのクラスはランサー。セイバー、アーチャーと並んで三騎士と称されるこのクラスのサーヴァントは、対魔力のスキルを保有している。
問題はそこだ。小さな引っかかりが、徐々に色濃い疑問として心を侵食していく。
(……どうして、リーダーは対魔力があるスカサハさんに呪いをかけようとしたんだろう)
ランクにもよるが、対魔力を持つ相手に魔術は効かない。そんな情報をノアが知らないはずもないだろう。
それならば、彼には呪いが通用するという確信があったのだ。結果的にスカサハの呪詛返しによって野望は閉ざされたが、そもそも魔術が効かない彼女が呪詛の対策をする必要はないはずだ。
するすると記憶が糸となって紐解かれる。
そうして辿り着いたのはやはり、ノアに教えられた言葉だった。
「〝対魔力を過信してるサーヴァントは与し易い〟……そうでしたよね」
立香は一枚の折り紙を懐の中で掴む。紙は魔術の世界では主要な道具のひとつであり、魔術師は大量の紙を聖別───霊的な属性を付与することである───して保管することが多い。
その折り紙も魔術道具として聖別されたモノだ。それを手早く人型に折りたたむと、メイヴに悟られぬように掌中に隠した。
メイヴの攻勢を凌ぐマシュとジャンヌ。立香は攻防の音に紛れるように、ジャンヌに囁く。
「ジャンヌ、目くらましをお願い」
「───ええ、マスターの望みとあらば!」
ジャンヌは旗の柄頭を床に突き立てた。
白く磨かれた床に赤熱したヒビが入り、それをなぞって火柱が噴き上げた。ついでとばかりに鉄杭を地面に掃射し、土埃を発生させる。
立香は先程握り込んだ人型の紙に、魔力を込めた指先で『Maeve』と書きつける。人型の紙は言わば形代。神道において人間の身代わりとなる依り代だ。
依り代にメイヴの真名を刻むことで、立香はこれをメイヴの身代わりとした。名前とはこの世で最も短い咒であり、そのモノの本質を表す言葉である。呪術をなす触媒として、名前ほど優秀なモノはない。
準備は終わった。
立香はメイヴの形代をルーンの火で燃やしながら、あらん限りの戦意を乗せて言霊を発する。
「
その一言とともに、形代は灰となって地面に落ちる。拍子抜けするほど呆気なく、呪詛は完成した。
儀式が完了した直後、火柱と土埃を切り裂いてメイヴが現れる。
「負けてもないのに煙幕なんて、小癪ね! 『
「くうっ───!」
虹の剣光が閃く。即座に反応したマシュは間一髪で斬撃を凌ぎ切る。ジャンヌが迎撃を放つよりも速く、メイヴは次の一手を指していた。
「『
息をつかせぬ宝具の連続解放。
それはメイヴにとっても負担になりかねない行為。しかし、彼女は天秤にかけて選んだのだ。霊基に傷が入るリスクよりも、防御の要たるマシュを突破すべきであると。
カラドボルグの一撃で体勢を崩した彼女に次の防御は間に合わない。背後に控える立香さえ討てば、ジャンヌを相手取るまでもなく勝利できるだろう。
───だが、それをさせないためにマスターがいる。
立香は手の甲に残った最後の令呪を切った。
「マシュ、防いで!!」
「はい、マスター!」
マスターによる絶対命令権の補助を受け、マシュは体を持ち直した。迫る激流の穂先を盾が遮り、分かたれた水の刃が周囲の物体を千々に切り刻む。
メイヴの口元が歪んだのも束の間。ジャンヌが打ち上げるように鉄杭を撃ち出し、戦牛の片割れを貫いて天井を穿つ。
ほぼ同時にメイヴは戦車から飛び降る。牽き手を失った戦車は荷物にしかならない。カラドボルグと女神の紋章が光を強め、宝具を解き放とうとする。
その時。
天井から崩落した瓦礫が、メイヴの後頭部を打った。
「は、ぁ……!!?」
ぞくり、と冷えた怖気が背筋を貫く。
視界がぐらつく。死に至るほどの傷ではないにもかかわらず、メイヴの体は一瞬硬直した。なぜなら、それは彼女の死因を連想させたから。
女王メイヴは毎朝の水浴びの最中、投石器から射出されたチーズに頭を砕かれて死んだ。死因とはサーヴァントの弱点。その逸話を再現された英霊は死因に逆らうことはできない。
だが、彼女の頭を打ったのはチーズではなく瓦礫。投石器も用いておらず、偶然、頭の上に落ちてきただけ────
(────今のは、偶然じゃない)
立香だけが確信していた。
これこそが呪いが成就した結果であると。
ジャンヌは逡巡を隔てず、腰に佩いた剣を抜きざまに振り投げた。炎をまとい、回転する黒剣の刀身が、メイヴの右腕を切り離す。
柄を握った右手ごと、カラドボルグが落ちる。
瞬間、マシュとジャンヌはメイヴへと走り出していた。
「秒で仕留める! 良いわね!?」
「もちろんです!!」
「まだ、よ……!!」
メイヴは女神の紋章から背負い投げるように剣を抜き放つ。ディルムッド・オディナの双剣の一振り、モラ・ルタであった。
───呪いの真髄とは、対処不可能なことにある。
東洋呪術にはいくつかのルールがあるが、その中でも不文律とされるのが『誰にも知られてはいけない』という決まり事だ。
それは術者を守るためのルール。知られた呪いは呪詛返しされると、その災いは術者に降りかかるのである。術者に返された呪いを回避する手段は存在せず、どうあがいても因果応報を受けなければならない。
けれど、裏を返せば誰にも知られていない呪いは誰にも返すことができないということでもある。完璧に隠蔽された呪詛は悟られぬことなく対象を蝕んでいくのだ。
そして、東洋呪術の最大の特色は呪いが間接的に降りかかることである。
ガンドは指差した人間を呪う魔術だが、東洋呪術は対象にとっての不運や事故となって結果が現れる。つまり、魔術でありながら、純然たる物理現象を引き起こすことができるのだ。
だから、対魔力は通用しない。神秘が籠ったサーヴァントの打撃をそのスキルで防げないように、呪術もまた神秘が籠った物理現象として引き起こされるから。
立香の呪いは賭けに近かった。ひとつの動作でも視認されていれば、メイヴは呪詛返しを行っただろう。そうすれば負けていたのは、三人の方だったかもしれない。
綱渡りの勝利。メイヴは果敢に剣を振るうも、マシュの盾に弾き飛ばされる。
得物を失った女王の心臓を、旗の穂先が穿った。
「───か。あ、はっ…………」
「……終わりよ」
旗が引き抜かれる。胸の中心から血をこぼし、メイヴは背中から倒れた。白い装束が赤く染め抜かれ、弱々しい息が口の端から漏れる。
どくどくと広がっていく血の円。マシュは一度目を伏せると、立香に顔を向けた。
「行きましょう。リーダーの援護に」
「ううん、まだ……終わってない」
立香の視線はマシュの背後に注がれていた。マシュが向き直ると、そこには幽鬼の如くに立ち上がるメイヴ。血が抜けたことで肌は青白く、目元にはクマが出来ている。
立つのがやっとの傷で、メイヴはなおも気丈に笑った。
「そ、この子は……よく分かってる…みたいね。死ぬくらいで……私が諦めきれるはず……ないでしょう」
「それも、恋ですか?」
メイヴは立香の問いに力なく頷く。
「あなたにもきっと、分かるときが来るわ」
メイヴは喉にせり上がる血の塊を飲み込んだ。
この戦いの決着はついた。完敗だ。自分の実力では彼女たちには届かなかった。
───それでも、この想いはまだ決着していない。
「どうせ死ぬなら……とびっきり後悔させてやるわ。こんな良い女を死なせた俺は馬鹿だ、ってね……!!」
メイヴの左手の甲に刻まれた令呪が発光する。
(あなたは、ずっと縛られていた。それは私の罪)
…………だから、その戒めを解いてあげる。
自らのサーヴァントに対する三度の命令権を、彼女は惜しみなく全て解放した。
「───本当の自分を取り戻しなさい、クー・フーリン!!!」
ホワイトハウス、最上階。
異界化したその場所は空間が拡張されており、戦場として耐え得るように作り変えられていた。
が。
「おおおぉぉぉっ!!」
裂帛の咆哮が轟き、無数の刺突が放たれる。その踏み込みだけで床は割れ、振動がびりびりと足元を揺らした。絢爛の戦場は戦闘の余波で煤け、荒廃していく。
クー・フーリンの刺突を剣の腹で受けたペレアスは地面を滑りながら悪態をつく。
「なんつー馬鹿力だよ! 槍捌きもますますキレてねえか!?」
「聖杯と接続している。あいつはまだまだ上げてくるぞ」
「昼飯前のガウェインみたいなもんか──!!」
ペレアスの眉間目掛けて槍が飛ぶ。側面から刃を当てて軌道をそらした直後、視界に全身から血を振り乱しながら拳を上げるクー・フーリンが映り込む。
腕を十字に組んで拳を受け止める。と同時にペレアスは地面を蹴って背面に跳んだ。
まともに受ければ腕が折れる。あえて衝撃に逆らわずに後方に跳び、威力を流したのだ。入れ替わるようにスカサハが躍り出て、双槍を振るう。
しかし、クー・フーリンの師匠であり、彼の技を知り尽くしている彼女さえ、まともに切り結ぶことはしなかった。正面から打ち合えば膂力で押し切られるからだ。
彼は聖杯と接続してさえ、肉体が自壊するほどの強化を己に課していた。体が傷つくそばからルーンによる治癒が働き、そしてルーンの強化がまた肉体を壊す。
それはもはや、人間というよりも魔獣の戦い方だった。
ただしその魔獣が振るうのは力任せの爪牙ではなく、鍛え上げた至高の槍技。剛柔相備わった無双の槍だ。
が、しかし。対するのは数多の神殺しを成し遂げた影の国の女王。単純な性能で上回る敵など、それこそ数え切れないほどに下してきた。その意地が、神より授かったルーンが、彼女の槍の冴えを磨き上げる。
空中に無数の突きが交差する。平行して行われるのはルーンの攻防。敵の弱体化を自らの強化で塗りつぶし合う。空間を齧り取るような槍の応酬は、一瞬にも満たない早業であった。
両者の肩に一筋の切り傷が走る。
二人はその傷を一瞥し、獰猛に唇を歪めた。
「俺はまだ本気じゃねえぞ。いよいよボケが始まったか? 師匠」
「抜かせ。貴様こそ王などと似合わないことをやっているから腕が落ちたのではないか?」
くすんだ空気が流れる戦場に、寸刻の静寂が訪れる。
額に青筋を立てた師弟は示し合わせたように口を開いた。
「「───掠り傷程度で調子に乗るな!!」」
槍の振りが大気を撹拌する。
先に届くのは身体能力で先んじるクー・フーリン。スカサハの頭を断ち割るべく振り下ろされた穂先を、横合いから伸びた剣があらぬ方向へと流した。
「やっぱアンタら仲良いだろ。だがオレを忘れてもらっちゃ困る!!」
ペレアスとスカサハは剣槍を交えて切りかかる。
怒涛の勢いで繰り出される刃のことごとくを防ぎ、躱しながら、クー・フーリンは舌打ちした。
即席の連携とは思えぬ密度の攻撃。それを支えているのは紛れもなくこの騎士だ。手のひらで転がしているかのように敵味方の位置を調整し、攻めと守りを瞬時に判断する。
ペレアスから崩そうとすれば卓越した機転でやり過ごし、斬撃を浴びせにかかる。二対一のこの状況において、彼の存在は厄介に過ぎた。
クー・フーリンは距離を詰める二人を遠ざけるように槍を払う。
「てめえ、どこの英雄だ」
ペレアスは表情を澄み渡らせて、
「アーサー王の覚えめでたき円卓の騎士ペレアスだ! クー・フーリン、アンタのことは尊敬しちゃいるがここは勝たせてもらう!」
「知らねえ名だな。円卓の騎士ってのもフカシじゃねえのか?」
「そういう文句はモードレッドのやつにツケとけ! オレは真っ当な騎士だ!」
「自分が真っ当と宣うやつほどイカれてんだよ、ペレアス!!」
クー・フーリンは姿勢を低くかがめ、一陣の風と化した。
ペレアスとスカサハは単純な特攻が通じる相手ではない。踏み抜くように地面を蹴ると、そこから放射状に複雑なルーンの紋様が花開く。
瞬間、ルーンの紋様に沿って分厚い氷の壁が顕現する。
目的は敵の分断。短時間ながらも、クー・フーリンはペレアスとの一騎討ちを実現した。
瞬く間に十合、橙色の火花が散る。ペレアスが突き出した剣を、クー・フーリンは左の掌で遮った。手を貫いた刀身をそのまま左の五指で掴み、ペレアスの鳩尾に前蹴りを見舞う。
宙に飛んだ彼を追撃するより速く、スカサハが間に割って入った。
クー・フーリンに蹴り飛ばされたペレアスは勢いを殺し切れず、ノアの肩にぶつかって止まる。
「危ねえぞ、下がってろノア」
ノアには遥かに高い生命力があるとはいえ、クー・フーリンの槍をくらえばただではすまない。サーヴァントの周辺からは離れているべきなのだが、今のノアは敵に狙われてもおかしくない位置にまで近づいていた。
傍若無人の極みのような男でも、マスターとサーヴァントの役割には厳しい。そんな彼が身を乗り出していることにペレアスは違和感を覚える。
ノアからの返答はない。ペレアスは訝しんで振り向いた。
「おい、聞いてんのか……」
ペレアスは自身のマスターの顔を見て、ぎょっとする。
ノアは瞬きもせずにクー・フーリンとスカサハを注視していた。口元を右手で隠し、何か取り留めのない言葉を呟き続けている。ペレアスと衝突したことも、声をかけられたこともまるで認識していなかった。
五感のすべてを余すことなく観察に注ぎ込んでいる。思えば、この戦いで彼は一度も魔術による援護を行っていない。魔術の腕を存分に振るう普段からは考えられない怠慢だ。
ペレアスは小さくため息をつくと、子を励ます父親のようにノアの頭を掻き回した。
「お前は好き勝手やってる時が一番強い。任せたぜ、マスター」
届かない言葉を送り、ペレアスは駆け出す。ノアには援護を捨ててまでも観察に回る事情があるのだろう。何をするつもりかは知らないが、マスターの手助けをするのもサーヴァントの役目だ。
やることはただひとつ。
クー・フーリンを仕留める。
そのために、ペレアスは言の葉を紡ぐ。
「『
湖の乙女による至上の加護が騎士に宿る。
剣を大上段に構え、切りかかる。がら空きになった胴の隙を見逃すクー・フーリンではない。ペレアスの上体を両断せしめんと薙いだ槍は、雲を掴むようにすり抜けた。
一刀。クー・フーリンの左肩から右の脇腹にかけて、深い刃傷が刻まれる。
「チッ!!」
思わず後退した彼を追撃するため、ペレアスとスカサハは前のめりに武器を振り上げた。
これは千載一遇の好機。
多少の反撃を覚悟してでも致命傷を与える───!!
「『
刹那、血走る極黒の甲冑が狂王を包み、
「───ぐ、がっ…………!?」
紅の魔爪がペレアスとスカサハを斬りつけた。
裂かれた箇所から花火のように棘が発生し、傷口を食い荒らす。彼らは致命傷を避けたものの、棘が肉体を固定することで大きな隙を晒す。
クー・フーリンは動きを止めたスカサハに貫手を振り抜く。
「させるか!!」
硬直する体を無理やり駆動させ、ペレアスは渾身の力でクー・フーリンを蹴りつける。
スカサハの心臓を狙っていた爪は軌道を外れ、代わりに彼女の左脇腹を削り抜いた。
「横槍が入ったが……これで戦えねえだろ」
「そんな技は……教えていないぞ」
「これは俺だけの技だ。俺が何でもアンタの思い通りになると思うな」
クー・フーリンはだらりと両腕を垂らす。
無数の棘が群生した姿はまさしく異形。魔槍ゲイ・ボルクの元となった海獣クリードの骨で構成された甲冑を着込み、そのシルエットはもはや人間のそれではなかった。
これは身を守るための鎧ではなく、敵を殺すための鎧。攻防一体と言うには、この甲冑は前者に振り切りすぎている。
脱力した構えから、予兆を見せずにペレアスの眼前へ踏み込む。
その瞬間、血の雫が空中に散った。
超常の膂力に物を言わせた超高速の乱撃。ペレアスは本能のままに剣を振るい、紙一重の命を繋いでいく。
宝具が無ければ殺されていたであろう威力と速度の攻勢を凌ぐ内に、傷口から噴き出した血滴が舞う。
一度でもまばたきをすれば死ぬ。
ルーン魔術を併用して襲いかかる狂王
死へとひた走る戦士とは逆の生にしがみつく騎士の覚悟が、未だクー・フーリンのトドメを遠ざけ続けていた。
狂王は焦れたように吼える。
「厄介な野郎だ、とっとと死にやがれ───!!」
「オレは戦場じゃ死なねえって決めてんだよ───!!」
横薙ぎの爪撃がペレアスの鎧を砕く。
そして、続く一撃を受けた剣が半ばから折れる。
魔爪を振り抜くクー・フーリン。身を翻そうとするペレアス。一か八か、槍を投擲しようとするスカサハ。
勝敗の分かれ目が一極に集中したこの局面。
誰よりも速く動いた男が、ここにいた。
「──────『
極光が解き放たれる。
強烈な光に照らされた世界は一瞬色を失い、遅れて到達する轟音が世界から音を奪う。
果たして、その魔術の正体は光でも音でもなく、焦熱の火炎。ペレアスごとクー・フーリンを焼き尽くす、ルーンの火であった。
しかして、宝具を発動していたペレアスに傷は付かず。火山の噴火の如く立ち込める噴煙の中で、総身に火傷を負った狂王が立ち尽くしている。
甲冑の面は砕け、死の大爪を備える篭手には深い亀裂が刻まれていた。
誰もが唖然とする最中、くぐもった笑い声が響く。
「く、ククク……ヒャハハハハ……アーッハッハッハッ!!!」
お手本のような三段笑いが腹の底からとめどなく溢れる。
ペレアスは唇をひくつかせて、
「お、おい……その笑い方をやめろ。誰がどう見ても悪役だぞ、今のお前」
そんな言葉はノアの耳には届いていなかった。
彼は強く拳を握り固め、噛み締めるように言う。
「───掴んだ!! やっぱ教えを請うなんざ俺らしくねえよなァ! 欲しい物は自分で手に入れてこそだ!!」
ノアは狂った高笑いをあげた。先程まで黙り込んでいたのが嘘のように、絶え間ない笑い声が荒廃した戦場に響き渡る。
未だに要領を得ないのはペレアスのみ。スカサハとクー・フーリンはノアが成したことの何もかもを把握していた。
脇腹の傷を抱えて、スカサハは言葉をこぼす。
「……原初のルーン。信じられん、現代の魔術師がなぜそんなものを再現できる──!?」
それを聞いて、ペレアスはようやく得心した。
己の声が届かないほどに集中していたノア。彼が観察していたのは正確にはクー・フーリンとスカサハではなく、彼らが戦闘の最中に扱っていたルーン魔術なのだ。
そもそも彼がスカサハと行っていた戦闘訓練は、ルーン
スカサハとクー・フーリンのルーン魔術は原初のルーンとそれに準ずるモノ。おそらくは冬木の特異点で遭遇した青い魔術師もそうだろう。
魔術の世界にはルーンリーディングという言葉がある。
意味はそのままルーンの読解行為を表す。ルーン文字はひとつの文字が複数の意味を持ち、同じ文字でも術者や解釈によって異なる効果を発揮することがある。個々人の解釈で意味が変わるため、ルーン文字の文章はほぼ暗号に近い。
ノアはスカサハとクー・フーリンの戦闘から、彼らが使うルーンの傾向を読み取ったのだ。が、そんなことで原初のルーンが使えるのなら、この世は大魔術師で溢れている。
ノアトゥールだけがそこに至れた理由は、複数の魔術基盤を掛け合わせる止揚魔術と家伝の無属性魔術にあった。
「ルーンの魔術基盤に無理やり無属性魔術を流し込んで発動した。ついでに類感呪術の理論も加えれば、お手軽原初のルーンの完成だ。擬似的だがな」
「呆れたやつだ。そこまでして原初のルーンが欲しいか」
「うるせえ、元はと言えばおまえのせいだろうが! 俺は目当てのモノはどんな手を使ってでも分捕る主義だ!!」
「ますます悪役っぽくなってるぞ!?」
ペレアスは肩を怒らせる。
ルーンの魔術基盤に則って無属性魔術を発動する。それは無属性魔術の万能性を捨てる代わりに、膨大な魔力消費をルーン魔術の範疇に抑えることになる。無色透明である無属性の魔力が成し得た裏技だ。
言わばルーン魔術と無属性魔術の良い所取り。しかし、出来上がるのは精々高性能なルーン文字だ。原初のルーンに比する力はない。
そこで、ノアはひとつの魔術理論を持ち出した。社会人類学者のジェームズ・フレイザーが定義した、呪術のふたつの性質。すなわち、類感呪術の理論である。
丑の刻参りという呪術がある。丑の刻に、相手に見立てた藁人形を御神木に釘で打ち込む呪いだ。
その根底にあるのは、相手に模した人形を傷付けると、実際に相手に危害を加えることができるという考え方である。
つまり、形や役割が似ているモノ同士は互いに影響を与え合う。
投影魔術も同じこと。本物の模造品を投影するから似ているのではなく、本物の力を借り受けるために模造品の形は本物と同じでなくてはならないのだ。
ノアはルーンリーディングで読み取ったスカサハとクー・フーリンのルーンを模倣し、類感呪術の魔術理論を使って、自分のルーンに適用した。
結果、少なからず原初のルーンの力を持ったルーンを生み出すことに成功したのである。
クー・フーリンは吐き捨てるように言った。
「それがどうした、魔術師。てめえの首くらい一瞬で刈り取れる」
「ハッ、わざわざおまえとタイマン張るかよ。負け惜しみじみた台詞はそこに転がってる俺の下僕を殺してから言え」
「「誰がお前の下僕だ!!!」」
「だったら、さっさと立って戦いやがれ! ペレアス、スカサハ!!」
令呪の赤光がペレアスとスカサハに宿る。
命令をくだされる瞬間に二人は動く。なれど彼らは満身創痍。クー・フーリンも相応の手傷を負っているが、互することはできないだろう。
ノアは騎士と女王にひとつのルーンを贈った。
「『
何物でもないがゆえに何にもなれるブランクルーン。
治癒と強化の効果が捧げられ、大きな刃鳴りが反響する。
これより幕を開けるは剣槍織り成す舞踏。偽りが介在する余地など存在しない、英雄同士の殺し合い。一合、また一合と武器がぶつかるたびに、世界が悲鳴をあげているかのようだった。
ルーンの爆撃が三者の衝突を彩る。
ランサーのクー・フーリンならば、対魔力を盾にして強引に戦うこともできただろうが、狂王たる彼にそのスキルは持ち得ない。
形勢が傾く。ノアの魔術を避けるたびに一手ずつ遅れを取り、刃が体を掠める頻度が高くなっていく。
クー・フーリンは奥歯を強く噛み締めた。
───殺す。それ以上もそれ以下もない。どれだけ傷つこうが、血反吐を吐こうが、目の前の敵を完膚なきまでに叩き潰す。
この身は王。
弱者も強者も等しく蹂躙する怪物。
国を省みずに悪逆を遂げる邪悪の化身。
少なくとも、クー・フーリンという英雄が見てきた王はそうだった。
己の意思ひとつで世界を捻じ曲げられると、本気で思っているような俗物。
「つくづく、くだらねえ!!」
紅爪と魔槍が激突する。
狂気の仮面が、剥がれていく。
「それは誰に対しての言葉だ、クー・フーリン!」
「俺もアンタも、何もかもだ!!」
知っていたはずだ。
こんなことに意味はないと。
理解していたはずだ。
戦士とはそういう生き物だと。
柄にもない記憶。息子のコンラを自分の手で殺し、ひた走ったあの時。
開戦の前、どうしてあの記憶を思い出したか、ようやく分かった。
自分を縛り続けた運命という名の戒め。
人の世の因果の悪辣さ。
それら一切を狂気の王として打ち砕けという意思の発露が、そうだったに違いない。
だとしても、こんな無様を晒している王にそれは成し遂げられない。人の世の悪辣を失くすためにアメリカを滅ぼすという本末転倒がそうだ。
ならば、この感情に行き場はない。
その時。
令呪に乗せて、ひとつの声が頭に響いた。
〝───本当の自分を取り戻しなさい、クー・フーリン!!!〟
「…………馬鹿野郎」
それでも、思い出した。
運命という鎖が。
誓約という枷が。
何もかもがどうにもならないと知っていたとしても─────!!!
(俺は、誰かのための英雄になりたかったはずだ!!!)
しかして、無情に光は舞い降りる。
「『Wird』、『Wird』、『Wird』、『Wird』、『Wird』────吹き飛べ」
正真正銘、乾坤一擲の魔術。
リソースの全てを威力というただ一点に注いだ攻撃が紡ぎ上げられ。
白き光の柱が、ホワイトハウスを突き刺す。
最上階から一階へと、彼らは一直線に墜落する。見れば、天井は円形に削り取られて青い空が覗いていた。
「…………リーダー!?」
今しがたメイヴの最期を見届けたばかりの立香は、瓦礫の山に寝転がるノアを見て悲鳴をあげた。ノアはむくりと起き上がると、忌々しげに頭を掻く。
「調子乗って魔力を使い過ぎた。ただ威力が高いだけの魔術なんてのは愚の骨頂だったな……何やってんだおまえら。揃いも揃ってマヌケ面しやがって」
とぼけた言い草をするノア。立香たちは一瞬前の心配を彼方に飛ばして、
「リーダーの仕業なんですね!? ホワイトハウスが崩壊するとか、下手なハリウッド映画でもやらないんですけど!!」
「上階のことも考えてジャンヌさんの宝具を封印していた先輩とは天と地の差ですね」
「私たち以上のアホがいるってこと、メイヴに教えてあげたかったわ。もしかしたらケルト軍の方が性に合ってるんじゃないの?」
「オイオイオイ、一斉に喋り出すんじゃねえ、かしまし三人娘が。俺の才能に嫉妬してんのか? まあ仕方のないことだ、許してやるよ! クハハハハ!!」
途端に、周囲で瓦礫が吹き飛ぶ。
ペレアスとスカサハ。彼らは大股でノアに近付くと、その頭の上に拳を振り下ろした。
ノアは頭頂からどくどくと血を流して倒れる。
「少しは自重しろ! 魔術バカが!!」
「ああ、この状況でなかったらもう一度ミンチにしていた」
言い終わると、彼らの背後でホワイトハウスの残骸が崩れた。
「随分と賑やかじゃねえか。オレも混ぜろよ」
ノアたちは弾かれたように振り向く。
そこにいたのはクー・フーリン。しかし、今までの禍々しさや周囲へ振りまいていた殺意は鳴りを潜めていた。
彼の右腕は千切れており、全身に負った傷から鮮血が流れ出している。死に体と表現すべき重傷だが、ことクー・フーリンという男に限ってそれは正しくない。
なぜなら、彼は生前、魔槍の一撃を腹に受けながらも、柱に自らの体を括り付けて死ぬまで戦い続けたのだから。
その魔槍も健在。クリードの骨鎧は纏っていないが、十分に戦える状態だ。
ノアたちは咄嗟に身構えた。
「相手は致命傷を抱えても戦い続けたクー・フーリンです! 決して油断しないように!」
「ま、そりゃそうだよな。アレでくたばるなら英雄の称号は伊達ってことになる」
「だとしても、あいつを討ち取れば私たちの勝ちよ。風通しが良くなったことだし、私の宝具も使えるわ」
戦意を漲らせるEチームを前にして、クー・フーリンは苦笑する。
「そうだな、お前らとやりあうのも魅力的だが……」
彼は魔槍の先をスカサハに突きつけた。
「師匠、決闘だ。受けてくれるか」
弟子の申し出を断る理由はどこにもなかった。スカサハは口元の血を拭い、
「……形式はどうする。死に体の無様な戦を見せるわけにもいくまい」
「目は見えるし、手足は動く。何より槍がここにある。となったら、アレしかねえだろ」
クー・フーリンの足元に五つの円が十字に組み合わさった紋章が浮かび上がる。
それなるは
ケルトに伝わる投槍の決闘法であった。
スカサハは同様の紋章を刻むことで同意を示す。
その決闘を止める者は誰もいなかった。師弟が満足する形がこれであるなら、異論を挟む余地はどこにもない。
スカサハは問う。
「女と主君を殺したことがないのがお前の誇りではなかったのか?」
「そりゃあな。だが、裏を返せばそれ以外は殺したってことだろう。敵も味方も……息子もな」
二人の脳裏に、子どもの顔が浮かぶ。
クー・フーリンとアイフェの間に産まれた子、コンラ。彼は後に父親と戦い、そして命を落とすことになる。
何より。コンラをクー・フーリンの元へ送り込んだのは、スカサハだった。
その目的は如何なものだったのか。愛弟子クー・フーリンの力を測るためか、親子を殺し合わせてどちらが強いかを確かめるためか。
「私は───」
「だがな。ゲッシュをかけたのはオレで、実際に手にかけたのもオレだ。その事実は揺るがねえ。アンタのやったことはただのきっかけだ」
彼は、言葉を続ける。
「誰もが悪い。オレはあのことにこれ以上ケチをつけるつもりはねえ」
「それならば、どうして決闘を持ちかけた。事ここに至り、私と貴様にあるのは戦いのみ───否、戦士であるからにはそれしかない。だから決闘を申し込んだのだろう」
クー・フーリンは獣のように唇の端を引きつらせた。
「いいや、これはクソッタレな運命への八つ当たりってところだ。……なあ、師匠。本当にアンタには戦い以外何もなかったのか?」
心の臓を突かれるような感覚。
思い返すのは、影の国で彼と過ごした日々。
類稀なる戦の才を持った若者が綺羅星の如く集い、そして潰れていく地獄の鍛錬。誰もが暗い瞳で歩く中、クー・フーリンただひとりは底抜けた笑顔で修業を重ねていった。
面白い小僧だと、最初は思った。
己の技の粋を叩き込み、彼は次々に技をものにして、先へと進んでいく。
しかして、死ねぬ体の自分と彼とでは生きる時間が違う。瞬く間に少年は大人になり、力強い男になる。
その時、確かに思ったのだ。
置いていかれたくない、と。
子を成し、妻を娶る我が勇士に、スカサハという忘れ得ぬ存在を刻みつけたい。
コンラを送り出した時の私は、嗚呼、どんな顔をしていたのだろう。
───本当に、私には戦いしかなかったのか?
死ぬことすら許されぬ体になるまで神を、魔を斬った、原初の想いはとうに忘却の彼方だ。
一筋の涙を流し、彼女は槍を構える。
「…………私も、探してみるよ。他にあったかもしれない可能性を」
呼応するようにクー・フーリンも槍を構える。師弟は澄み切った笑顔で、叫んだ。
「「その心臓───貰い受ける!!」」
彼らの技は同じ。
放たれた槍が交差し、どちらが先ともなく両者の心臓を貫いた。
沈む意識に響くのは、愛弟子の声だった。
「生きる、ってのも悪くないもんだぜ、師匠…………─────」
微睡みが絡みついた意識が、ゆっくりと引き上げられる。
重たいまぶたを開き、最初に飛び込んできたのは、
「『
「『
澄み渡る青空の真ん中で、己が技を競い合う戦士の姿だった。
全身を蝕んでいた棘や傷はさっぱり修復されており、起き上がるのに苦労もなかった。ただ、霊核を穿たれた影響か、以前のような力は出せないだろう。
それでも良い。この特異点の決着は、とうについたのだから。
「あ、起きたみたいですよ。リーダー」
「俺が直々に処置したんだから当然だ」
顔をのぞき込んでくる立香と、上空の戦いを見上げるノア。周囲にはケルト軍を倒すために集ったサーヴァントたちもいた。
「……お前が治したのか?」
「そうだ。泣いて感謝しろ。クー・フーリンは女と主君を殺したことがないのを誇りにしてんだろ。おまえが死んだらそれを汚すことになるだろうが」
スカサハはくすりと笑う。
「……ふん。馬鹿め。素直に物を言えんのか、貴様は」
「スカサハさん、これはリーダー流のツンデレです。全身ミンチの刑は勘弁してあげてください」
「どちらにしろ、この体では無理だ。治療については感謝はしておく」
スカサハが目を覚ましたのを聞きつけ、ダンテとエレナが寄ってくる。
「なんだか雰囲気が変わりましたか? 私をハンバーグにした人とは思えないくらい落ち着いてますねえ」
「気付いてたらハンバーグから戻ってたあなたも大概だけれどね!?」
気まずい表情をしたロマンは言いづらそうに、
「『ま、まあ今回最大の謎は置いといて、ケルト軍も倒したことですし、後は二人の戦いを見届けるだけですよ! どっちが勝つか賭けますか!?』」
「駄目ですよドクター! 賭けなんてしたらリーダーがイカサマして勝たせようとしますから!」
「分かってるじゃねえか、藤丸。やるとなったらカルナ辺りに呪いでも仕込んどくか」
「『やめなさい! それは二人のアンタッチャブルな部分だから! ここからインドコンビと戦闘なんてごめんだぞ!!』」
「
とはいえ、カルナとアルジュナの戦闘を見て手を出そうとする者はどこにもいないだろう。青空に輝く無数の爆発の全部が彼らによるものなのだから。唯一割り込めるとすればラーマくらいなものだ。
立香はくるりと振り返ると、そのラーマに訊いた。
「そういえば、魔神柱との戦いはどうだったんですか? 私たちはカルナさんとアルジュナさんに伐採されてるところしか見れなかったんですけど」
「うむ。数が揃っているだけあって中々に手強かったが、余には届かなかったな」
「まさかUFOをフリスビーみたいに投げるとは思わなかったわね」
「おっと、私とネロ皇帝による合体攻撃を忘れてもらっては困るな」
「うむ、アレこそ新世界の夜明け──いや、世界システムの完成形と言えよう!」
「『一体何があったんですか!?』」
雑な話を続ける立香たちに、ペレアスからの声が飛ぶ。
「お前ら、目ぇかっぽじって二人の戦いを見ろ! 世紀の一戦だぞ!」
「ペレアスさん、目をかっぽじったら何も見えなくなります。メガネっ子属性を備えた私が言うのだから間違いありません」
「別にアンタじゃなくても誰でも分かるわっ!!」
……というアホなやり取りは置いておいて、カルナとアルジュナの戦いは佳境に差し掛かっていた。
飛び抜けた強者同士の戦いの趨勢は二つに分けられる。早期に決着がつくか、逆に大きく長引くか。
生前ならいざ知らず、彼らはサーヴァントの身だ。それぞれのクラスに押し込められた二人の性能は生きていた頃とは程遠く、持久力も制限されている。
故に、長期戦はない。
自らの心臓に燃え滾る魂の一片まで絞り尽くす。
そのような短期決戦にこそ勝機はある───!!
「カルナ……!!」
一度の射撃で二十を超える矢が撒かれる。
どれもが並のサーヴァント数体を消滅させるに能う威力。この体で出せる全力の掃射であった。
だがしかし、カルナには掠りすらしない。両手に携えし大槍で矢を払い、弾幕を潜り抜けて旧敵の目の前に接近する。
「アルジュナ……!!」
瞬く間に数十の打突を繰り出す。
アルジュナが放つ蒼炎の矢とはまるで反対、赤く煌めく炎を纏った槍撃はたとえ躱していようが敵を仕留める威力を秘めていた。
それでも、アルジュナに傷をつけるまでには至らない。瞬時に迎撃を用意し、卓越した体術をもって刺突から逃れる。
両者は共に掛け値なしの全身全霊。
だというのに、その殺意は一向に成就することはない。
否、この状況は当然の帰結だ。全力だからこそ、双方が短期決戦を望んでいてもその通りにはならない。そしてそれは、彼らが切望した戦いに他ならなかった。
ぎちり、と歯の根が軋む。
(なぜ……お前の存在はここまで気に障る!!)
授かりの英雄、アルジュナ。
彼の人生が何もかも神の助けを受けていたかと言えば、それは大きな間違いだ。
アシュヴァッターマンを溺愛するドローナの元で修業をした時は持ち前の知恵で自らの才能と実力を認めさせ。
放浪生活を送っていた時はインドラ神を筆頭とする多数の神々と争い、その全員を退却させた。
アルジュナはいつだって、本気で生きて戦った。だからこそ、カルナとの戦いだけは彼の心にとてつもない苦痛を残した。
だが、それだけでカルナへの殺意を説明できるのか。
カルナとの決闘。
生まれながらに身に着けていた黄金の鎧を抉り取り、数々の呪いを掛けられながらも、彼は何でもないように言ってみせたのだ。
〝……さあ、始めよう〟
肉が削れた枯れ枝のような体で。
血の気が引いた幽鬼のような表情で。
それでも彼は、戦いに向かった。
その時、胸に抱いた感情は─────
「このまま戦っていても決着はつかない」
「ならば、どうする。勝負を捨てるか」
「冗談を言うな。宝具だ。オレとお前の因縁を断つに相応しきはそれしかない」
「…………良いだろう」
────そう。
俺があの時抱いた感情は。
「『
「『
太陽の槍が堕ち。
破壊神の鏃が飛翔する。
その激突は誰も見たことのない世界の終わりに喩えられる光景だった。
手の先が崩れ、肩に進み、魂に到達する。
消滅の間際、アルジュナに残った感情はひとつ。
(俺は、きっと、お前に憧れていた)
大空に巻き起こった神話の激突がもらたした余波は大きかった。衝撃波と熱風が大地を舐め、水分を失った土がびしりと割れる。
それを間近で観戦していたノアたちは言うまでもなく被害を受ける訳で。
土に塗れたノアは地面に突っ伏しながら、声を漏らした。
「……爆発オチかよ」
「何もオチてないですけどね」
「二人の因縁はオチたんじゃないですかねえ」
「全然うまくないですから、それ」
「『もうインド戦士だけで良かったんじゃ……』」
ペレアスは身を起こしながら、
「まあ、良いものを見せてもらったってことでいいんじゃねえか? 誰も悲しまない戦いなんてそうそうないだろ」
「うむ、全くその通りであるな! 余の次の舞台公演はカルナとアルジュナの一代記で決まりだ!」
「死者の冒涜やめろ馬鹿皇帝」
ロビンは力無い声で言った。静寂が包むその場に、どこからか足音が響いてくる。
「いやいや、ペレアスくんの言う通り、良いものを見せてもらったよ。録画もしておいたから、後でキミたちに焼き増して送ってあげるとしよう」
軽薄な性格がそのまま現れたかのような声。
全員が咄嗟に声の方向を振り向き、その姿を捉える。杖を携え、白いフードを被った紅顔の男。どこか浮世離れした雰囲気を纏う彼の登場に、この場のほとんどの人間が首を傾げた。
その男の正体を知っていたのは、ひとりと一匹。
ペレアスはムンクの叫びもかくやというほどに顔面を歪め、叫び声をあげた。
「どぉぉしてお前がここにいるんだァァァ!! マーリン!!!」
「ははは、良い反応をありがとう! キャスパリーグも元気なようで何よりだ」
「
「いやそれ台詞とルビが逆───」
フォウくんは全速力で助走をつけると、マーリンの顔面に飛び蹴りを放つ。が、それは霧に手を突っ込むようにすり抜けてしまう。
彼は割と焦った顔で息をついた。
「ふっふっふ、ここにいる私は幻影! いくらレベルを上げようと物理で殴ることなど不可能なのさ!!」
「
「なんて卑劣な野郎だ! アヴァロンに引きこもりすぎて、ますます悪知恵が増してやがる!!」
「あ、それは禁句だよペレアスくん! 幽閉されてるのは湖の乙女三姉妹のせいでもあるんだぞ! 妖精にロクなやつはいないのか!?」
「お前も夢魔のハーフだろうが! 自業自得だ、ばーか!!」
Eチーム含め、彼らを除いた全員が遠い目になる。
とりあえず情報を整理すると、いきなり現れたこの男はアーサー王伝説の魔術師マーリンのようだ。円卓関係者のペレアスはともかく、フォウくんが殺意を迸らせているのは謎だが。
立香は困惑しつつも、話に割って入る。
「あの、コントをするのは良いんですけど、ここに来た目的とか言ってくれます?」
「ああ、そうだった。私はここに届け物をしに来たんだ」
「どうせイタズラアイテムか呪物だろ。回れ右して帰れ」
辛辣な対応をするペレアス。だが、マーリンは目元をきらりと光らせて、非常に癇に障るしたり顔をした。
「おおっと、話を聞く前に帰すのは良くないなあペレアスくん。せっかく、キミの奥さんからの手紙を持ってきてあげたというのに」
「…………はあ!? ちょっとそれ寄越せ!」
「嫌だね! 当然これは事前に盗み見した訳だが、かなり恥ずかしい文面だったからここで読み上げることにしよう。私の計らいを無碍にした罰さ!」
「よし、やれ。ペレアスのマスターである俺が許す」
「こ、こいつら……!!」
そうして、マーリンは手紙の内容を読み上げた。
「〝第五特異点の攻略おめでとうございます、あなた様♡ ペレアス様の活躍を聞くたびに惚れ直す勢いですわ! エタードとかいうクソ女の見る目の無さはつくづく愚かしいですわね♡♡ 砂漠のオアシスで私たちが初めて会った場所に似た湖を発見しましたので、そこで待っております。次の特異点が待ち遠しいですわ。一万年と二千年、いいえ一億年と二千年経っても愛しております♡ あなた様の世界一可愛いお嫁さんより〟」
ペレアスは真っ赤になった顔を両手で隠していた。背中をぐさぐさと突き刺す視線はクー・フーリンの爪なみの苦痛を心に刻む。
ノアと立香はニタニタと意地の悪い笑みを浮かべて、
「ギャハハハハハ!! おいおい、想像以上のバカップルだなァ、ペレアス! いい年した大人がいつまで新婚気分でいる気だ!? 乳繰り合うために特異点修復なんざ聞いたことがねえぞ!」
「プクク……やめてあげましょうよリーダー。アツアツなのは良いことじゃないですか。私は清楚系女子として応援しますよ。ペレアスさん、とりあえずカルデアに戻ったら今年分のゼクシィ揃えましょうか!!」
「ぐああああああああ!! いっそ殺してくれええええええ!!」
「いやあ、笑った笑った! 大魔術師マーリンもこれにはニッコリだよ! じゃあ私は帰るんでよろしく! キミたちとはこの先で会うことになるだろうからね、さらばだ!!」
「次会ったらぶった斬ってやるからなマーリン!!!」
そうして、マーリンの幻影は消えた。
エレナは共感性羞恥で顔を赤らめながら、
「と、とんでもないことになったわね……マーリンっていうくらいだから、厳格な人物を想像していたのだけれど」
その言葉に同意するようにテスラは首を振る。
「私がこの特異点にいるのは彼のおかげだから、優秀であることは間違いないのだろうがな」
「あら、そうだったのね。それでも私のマーリン像が崩れたわ……」
「ううむ。同じ宮廷魔術師でも、シモンとはまるで違うな。余もあまり近づきたくない」
思い思いの感想をこぼすサーヴァントたち。ロマンはこれ以上収集がつかなくなる前に帰還を実行することにした。
「『え、えーと、若干名致命傷を負った人がいますが、聖杯を回収して戻ることにしましょう。マスター二人はペレアスさんをいじめないように』」
「少し待て、カルデアの指揮官」
スカサハの声がロマンを止める。
彼女は一通りペレアスをからかったノアに、右手を差し出した。
「ノアトゥール。お前のルーンは摸倣にすぎない。私が直々に原初のルーンを与えてやる」
「どういう風の吹き回しだ。お前の施しを受けるのは気に入らねえ。取っとけ」
「ならば、施しではなく
「ああ!? 誰が逃げるなんて言った。大天才に畏れるものがあるか! 鉄骨渡りでも焼き土下座でも何でもやってやるよ!!」
スカサハの掌中にルーンが浮かぶ。
ゲッシュ。それはケルトにおける制約だ。何らかの縛りを自身に課すことで祝福を受けられるが、破った場合は相応の天罰が降る。
ノアは重ねるように手を突き出した。
「『お前は必ず魔術王に勝利しなくてはならない』……成し遂げられるか、ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド」
「当たり前だ。俺たちをナメるな」
「───成立だ。これで原初のルーンはお前のモノになった」
ルーンがスカサハからノアへと渡る。
儀式を終え、彼女は背中を向けようとした。
「待て。俺からも渡すものがある」
ノアは胸に手を突き入れ、神殺しにして不死殺しのヤドリギを取り出す。
「死ねないのが悩みだったな。他の可能性とやらを探して、終わりたくなったらこれを使え」
彼はそれを押し付けるように渡して、言った。
「……ルーンの借りは返した。一応、感謝はしてやる」
スカサハはヤドリギを両手で握り締めて。
苦々しい笑顔で呟いた。
「…………この、馬鹿弟子が」
───第五特異点、定礎復元。
北米大陸の戦争は、こうして終わりを告げた。
存在が解けていく。
北米大陸に渦巻く災厄は取り払われ、役割を終えたサーヴァントは座に帰還する。
良い道のりだった、と彼女は微笑む。
惜しむらくは、運命の相手を見つけられなかったことか。
まあそれは仕方がない。運命というのは気まぐれで、過度に期待するのは後悔するだけだと知っているから。
体が消えて、意識も暗い水底に沈む。
───だがしかし。
次に目を開けた時、視界に飛び込んできたのはコンクリート造りの街並みだった。その街には人間の姿はなく、背景の空も絵の具で塗りたくったような灰色をしている。
彼女が立つのは交差点。
無音、無人の道路で、役割を失った信号機がちかちかと点滅していた。どことなく物悲しい風景を見て、胸の奥から寂寥感がこみ上げてくる。
持病の頭痛が出てきそうな異常事態。彼女は深いため息をついて、こめかみの辺りを指で揉みほぐした。
「余は……夢を見ているのか?」
「いいや、これは夢などではない。現実だよ、ネロ・クラウディウス」
不意に響く声。まるでそこにいるのが当然とでも言うかのように、黒い肌の男がガードレールに腰掛けている。
その男はマーリンと似て非なる異質さを身にまとっていた。山高帽と燕尾服の簡素な服装。それらは黒一色でまとめられており、細い体の曲線に沿って拵えてあった。
誰だ、と訊くより早く彼はうやうやしく挨拶する。
「俺はゲーデ。性と死を司る神だ。この永遠の交差点の管理をしている」
「生と死……? とっくに死んだ余に何の用だ?」
「おっと、そっちの生ではない。性別の性、性欲の性だ。つまりセッ……」
「あ~、良い! 言わずとも分かる!! 神という割には随分と俗だな!?」
ゲーデはニヤリと笑った。
「まあな。これでも俺は生きていた全ての人間を知っていてね、俗世には詳しいつもりだ。特に下ネタは最高だな。下品であればあるほど良いと思っている」
「げ、下品なやつめ…! それより余の質問に答えよ! 如何な目的で現れたのだ!?」
「せっかちだな。早いのは嫌われるぞ、何事もな」
「それは下ネタのつもりか? 冗談のセンスはないようだな」
まあいい、とゲーデは話を打ち切る。
彼がぱちんと指を鳴らすと、点滅していた信号機に青色の光が灯る。ブロックを組み替えるみたいに街並みが変形し、彼の背後に二つの道が作られた。
「ネロ・クラウディウス。お前には二つの道がある。すなわち、『座への道』と『楽園への道』だ」
「……座への道というのは分かる。しかし、楽園への道というのは何だ?」
「知らないな。知っていたとしても伝える気はないが」
「───何故だ」
ネロがほのかに殺気を尖らせる。ゲーデは飄々とした顔で言葉を続けた。
「運命というのはそういうものだからだよ。今日、交通事故に遭うと知っていたらその日は外出しないだろう。だが、現実にそんなことはあり得ない。運命を選ぶ時は、誰もが無知であるべきだ」
「ならばミスをしたな。座への道があると分かれば、そちらを選ぶだけだ」
「ああ。だから、どちらが座への道かは教えない」
ネロはぱくぱくと口を開閉すると、むくれっ面になる。
「な、なんだそれは! ずるいぞ!!」
「何とでも言ってくれ。正直、俺は脇役未満の存在でな、名前を覚える価値もない。こうして顔を出すことすら本来はなかったはずなんだ」
「むぐうっ……もう良い! 余の幸運を見ておれ! 絶対に座への道を選び取ってやるからな!!」
ネロは肩を怒らせて、右の道を突き進んでいく。
数歩歩いて、意識が飛びかける。手足を動かす感覚もなくなる。魂だけで空を泳いでいるようだと、彼女はぼんやりと思ったのだ。
視界が白み、聴覚以外の五感が失われる。
「……もう五つか。オマエの
「実験場は実験場だがな。アレはもう用済みだ。彼らに捧げる最初の試練としては妥当だろう。全ては魔術王の企みが潰れてからだ」
「そうか。にしても退屈だ。少し面白い話をしよう」
聴覚だけが残っていると分かったのは、声が聞こえてきたからだ。
「───なあ。なぜ神はジャンヌ・ダルクを選んだのだと思う? 戦争に正義はない。神はイングランドよりもフランスに肩入れしたのか?」
ひとつは耽美な声。聴覚を揺らす低い音響はあらゆる楽器の調べよりも優美だった。
「……私にそれを訊くなよ。そもそも現世というのは偽りの造物主によって造られた救いなき世界だ。どちらかに肩入れする神など、偽物に違いない」
ひとつは気怠げな声。先程の声とは違って、女性のものに感じられた。気力のない声の裏には、何か薄暗い感情が透けている。
「神がなぜジャンヌ・ダルクを選んだのかという疑問に意味はない。重要なのはジャンヌが神の声を聞き、フランスを救うという使命を受け入れたことだ。先に待つ運命をそれでも良しと受容したその時に、彼女は永劫回帰を克する超人となった───そこの愚者には理解できないだろうがな」
ひとつは厳然とした声。それは硬い鋼を思わせると同時に、悪性の病巣を抱えているようだった。
耽美な声は納得がいったように唸る。
「なるほど。運命を超然と受け容れることに意味があるというのか。確かにそれは、人間の強さであり美しさよな」
「勝手に納得するなよ。お前のことだ、自前の答えを用意しているのだろう?」
「……そうだな、おれはこう思うよ───あの時代のイングランドとフランスで、見ず知らずの他人のために無条件で命を捧げられる人間はジャンヌ・ダルクしかいなかった、とな」
「なんだそれは。私より質が悪いじゃないか、悪魔め」
「そう機嫌を悪くするな。……そら、オマエの大好きな主君がやって来たぞ」
かちり、と。
暗い部屋の照明をつけたみたいに、五感が取り戻される。
景色が広がり、息を呑んだ。
そこは所謂玉座の間。豪華絢爛な装飾が施され、奥には黄金で華美に彩られた椅子が鎮座する。床は鏡のように磨かれた白い大理石だ。
けれど、彼女の目を奪ったのはそのどれでもなく、天井。
ドーム状の屋根は一面が透明なガラス張りで、その向こう側には数え切れない星々が輝く漆黒の大海が広がっていた。
呆然とするネロの前にひとりの女性がやってきて、臣下の礼を取る。
「お待ちしておりました、我が王よ」
あの気怠さはどこへ行ったのか、その声は真剣そのものだった。
その女は肩の辺りで切り揃えた金髪に、褐色の肌をしていた。黒地に幾何学模様が描かれたローブを羽織り、首元には色とりどりの宝石が散りばめられた銀の首輪を提げている。
ネロはたじろいで、
「ま、待て、余はそなたのことを知らぬぞ」
「本当にそうですか? 聡明な貴女なら分かるはずです。私が誰か」
そう言われて、女の顔をじっと見る。
金色の髪と褐色の肌。試すような口調とどこか見覚えのある服装。それらの情報を繋ぎ合わせ、ネロはぞくりと震え上がった。
「まさか……シモン。シモン・マグスか!?」
「ご明察です。我が王よ」
「自分で言ったというのに信じられぬ! 余が知っているシモンはなんというかこう、野性味のある男であった! 余としてはその姿の方が好みではあるが……」
「性別の違いなど些細な問題でしょう。男も女も等しく愛でるのが貴女ではないですか。あの北米大陸をよくぞご無事で」
「う、うむ。そなたのほかに二人いたはずだが、どこに行ったのだ? そもそもここはどこだ?」
ネロはひたすらに困惑していた。交差点に飛ばされたことから始まり、座への道と楽園への道を選ばされ、ここに辿り着いた。そのどれもが彼女の理解を超えている。
シモンは朗らかに笑むと、ゆったりと喋り出す。
「後々紹介する予定ですが、私と貴女の再会に彼らは不要。この場所から強制的に追放致しました。ここは『
「固有結界……? そんなものを使えたのか」
「使えるようになった、と言うのが正しいでしょう。座への送還に干渉し、貴女を呼んだのも私です。途中で下品な神の職場を経由したようですが」
ネロは眉根をひそめて反応する。
「そなたが余を呼び出したのか。一体何のために」
「無論、王となって頂くためでございます」
かつり、かつりとシモンは玉座へと歩いていく。その瞳はただひたすらに星の海を見上げていた。
「人類史で最も偉大な王は誰でしょう。古代の王ギルガメッシュか、太陽の王オジマンディアスか、はたまたローマのカエサルか。私にとってその答えはひとつしかない。議論するにも値しない。ネロ・クラウディウス……貴女こそが至高の王だ」
「そうおだてるな。褒められるのは嬉しいが、王になろうにも治める国がない。とうに死んだ人間にそのような権利があるとも思わぬ」
「貴女が統べるのはこの世界だ。この世全ての悪を体現し、十字架の祈りを破壊する魔王になるのです」
ネロは暫し呆気に取られると、怒気と殺気を込めた眼差しをシモンに向ける。
「シモンよ、もう一度問うぞ。そなたは一体何のために余を呼び出したのだ……!!」
シモンはゆらりと微笑む。
「我らの世界は
───ヘルマン・ヘッセ、デミアンより。
「でなくては、この世に悪が存在する理由がない。本当に善なる神がこの世界を創造したというのなら、苦しみや悲しみは生まれ得ないはずだ」
〝鳥は卵から抜け出ようと戦う〟
「そうすると、不完全なこの世界は不完全な神が創ったと見るべきでしょう。物質界に囚われている限り、人類に真の幸福は訪れない」
〝卵は世界だ〟
「故に、壊す。不完全な世界から脱出するために、人類を救うために」
〝生まれようと欲する者は、ひとつの世界を破壊しなければならない〟
「きっと、その先に真の神がいるのです。我ら人類を絶望の底に叩き落とした愚昧なる造物主などとは全く異なる、真の神が」
〝鳥は神に向かって飛ぶ〟
「我らは真の神の御座へと羽ばたく。そのために────」
〝神の名はアプラクサスという〟
「───
『太女神の印章』
ランク︰A 種別:対人宝具
トリスケリオン・トリニティ。捏造宝具。聖杯のバックアップを得たことで使用可能になったという設定。女王メイヴとしてではなく、三相一体の女神メイヴとしての権能の象徴。
自身が従えた勇士の武具を召喚し、扱うことができる。ランクが数段落ちるものの、真名解放もできるスグレモノ。メイヴ的にはクー・フーリンはオトせていなかったので、ゲイボルクは使えなかった。
作中では本来の性能を発揮できておらず、女神メイヴの場合は武具だけでなく勇士そのものを喚び出せる。また、この能力はメイヴの三相『悪・権威・狂気』の権威を表す力であり、悪と狂気にもそれぞれ権能が存在する。後々披露される予定。
『無間氷獄︰永劫凍結する第九魔圏』
ランク︰EX 種別︰結界宝具
コキュートス︰リンフェルノ・デル・ルチーフェロ。かつてダンテが訪れた地獄の最下層、正確には第九圏コキュートスの最終円ジュデッカを召喚する疑似固有結界。本来はアヴェンジャーのダンテでなくては使えないが、ジャックの呪いの影響で呪詛の文字を習得したキャスターのダンテも使えるようになった。つまり、アヴェンジャーのダンテの文字は呪詛がデフォで、祝福は使えない。その違いは精神年齢。キャスターの方は神曲を書き上げた晩年の精神だが、アヴェンジャーの方はフィレンツェを追放された頃の精神。端的に言ってこの世のすべてに絶望している状態であり、神のことすらもうっすら疑っている。ただし強さは相変わらず。宝具と呪詛さえなんとかすれば、最初期の士郎でも強化したポスターで殴り倒せる。体はモヤシでできている。
地獄の魔王ルシファーの根城であるジュデッカは無数の罪人が氷漬けになっている。この場所に落とされた敵対者は魔王の冷気で魂の芯まで瞬間冷凍される。対魔力で多少軽減できるが、魔王の理を超えた権能の前では無効化は不可能。また、ジュデッカは地球の重力が全て集まる中心であるため、敵は動けなくなる。さらに、アヴェンジャーの場合は倒した相手の魂を地獄に幽閉する効果を有する。ダンテの右手に住んでいるジャックちゃんは例外。聖杯戦争で使った場合はダンテを倒さない限り、聖杯にサーヴァントの魂が供給されることもない。何かの間違いでダンテが最後まで残った場合、令呪で自害を命令しない限り儀式は頓挫する。そういう意味でもアヴェンジャーのダンテは地雷。
ジュデッカの中心にいるルシファーはすなわち地球の中心に磔にされている。地獄そのものが魔王を閉じ込める場所ともいえる。ダンテとウェルギリウスは魔王の体を登って地球の裏側(=煉獄の山)に到達する。ちなみにこの時、ダンテはウェルギリウスの首にしがみついて、登ること自体は人任せにしていた。どこまでも他人頼りの男である。煉獄に着いた途端にベアトリーチェになんだかよく分からない理由で長々と説教された。自業自得。