自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第50話 恋は運命の矢に苦い毒を塗る

 空にはいくつもの光点が輝いていた。

 その正体は超絶の魔力。かつてオケアノスにて起動したトライデントの一発とも互する超常の出力。黄金の槍が一度地上に落ちれば、山が平らに均されるほどの威力を秘めている。

 見渡す限りの山脈は次々と破壊されていく。思うがままに自然を蹂躙する獅子王の弾雨は、かの王がもはや人間でなく神であることを何よりも物語っていた。

 マシュの盾であっても、その一撃すら防ぐことは難しいだろう。ノアたちに光の槍から逃れる術は存在しない。

 この村を襲撃した獅子王の軍勢は既に撤退していた。無論、聖罰の光から逃れるためである。元より彼らの目的は皆殺し、聖罰が下るというのなら深追いする理由はないのだ。

 モードレッドと交戦した場所に、この村の生存者はみな集まっていた。元々ここに住んでいた村人と戦士、そして難民たちは戦いの影響でその顔ぶれをいくばくか減らしている。ノアの結界とダ・ヴィンチの防壁がなければ、死者は増えていたに違いない。

 ノアは全員の前で、じとりと据わった目で言う。

 

「…………という訳で、このままだと俺たちは死ぬんだが」

「リーダー、一生の終わりをという訳でで済ませないでください。妙にジト目で言われるとひとりだけ覚悟決まってる感じで怖いんですけど」

「わたしとしてはそこまで冷静にツッコめる先輩が怖いのですが……?」

「圧倒的な力を前にしても怯まぬ度胸。存外戦士なのだな、カルデアのマスターよ」

 

 朗々と歌い上げるような、愉悦に塗れた調子の声。その方向には、いつもと変わらない微笑を浮かべるラモラックがいた。

 彼は空に点々と輝く黄金光を見上げる。

 

「アレは聖罰の光だ。おれが受けたモノとは比べ物にならぬ威力……おれの盾では逆立ちしても凌ぐことなどできまい」

「チッ、アンタまだやる気!? 巻き込まれるのも覚悟で私たちをここに縫い止めようってわけね!」

「本当に嫌なところで出てくる人ですね! 地味にわたしの盾を馬鹿にした気がしますし、一発殴らないと気が済まないです!」

 

 武器を構えようとするジャンヌとマシュを、ペレアスは手で制して止めた。

 

「まあオレも二人の気持ちは大いに分かる。だけど、アンタはこんな時に喧嘩売るような人じゃない。どう考えても不完全燃焼で終わるからな」

「フッ、おれのことを理解しているようで嬉しいぞペレアス。抱き締めてやりたいところだが、手短に行こう。せっかく塩を送りに来てやったのだしな」

「……それはどういうことですか、ラモラック卿。貴方は聖都の騎士のはず」

 

 べディヴィエールが問う。ラモラックは顔に仄かな喜悦を貼り付けて、普段のうそぶくような調子とは異なる重厚な声音で答える。

 

「これは世界の行方を占う戦い。獅子王が神の如き力で一方的に己の理屈を通すなぞ、人類には不公平に過ぎるだろう。そんなものは騎士の戦いではない。せめて対等だ。人が人の命を選別するという傲慢を犯したからには、我らも相応に苦しまねばな」

 

 個人としての理屈、騎士としての忠誠。彼は自らをその二つの板挟みにし、敵に塩を送ることを選んだのだろう。

 試練なくして理想は叶えられない。試練なくして成就した理想というのは、彼にとって何ら価値を持たないモノなのだ。だからこそ、こうしてここにいる。王や仲間への苦難を与えると知っていても、知っているからこそだ。

 ラモラックは何があろうとも我を曲げない。それでも、べディヴィエールは目を伏せて、

 

「私たちが、ともに戦うことは……」

「それは無理だ。おれは貴様もペレアスも好いているが、此方にも立場というものがある」

「だろうな。アンタは殺されると知ってる癖に槍試合に行くようなやつだ。で、用件は何だ?」

「貴様らに教えてやるのは二つ。しかと聞け」

 

 ラモラックは右手の人差し指と中指を順に立てた。

 

「ひとつ、我らは聖杯を持っていない。ふたつ、聖都はエジプトの王と不可侵を結んでいる。どうすれば良いか、後は分かるな?」

「……なるほど。おまえは貴重な情報を俺たちに伝えた挙句、次に取る行動も示したって訳だ」

「ああ、是非とも喜んでくれカルデアのマスターよ。ではさらばだ、おれはこれから尻をまくって下山せねばならんのでな」

「いやいや、敵同士とはいえ施しだけ受け取って帰せるか。俺からのせめてものお礼だ、存分に貰っていきやがれ───!!」

 

 瞬間、ノアは空気を引っ掻くように右手を振るった。ルーンの加護を得た手袋、強化魔術を施した五指は鉄板ですらバターのように抉り取ってしまうだろう。

 問題はその間合い。身長に比例して長い手足も、十数メートル先のラモラックには物理的に届かない。星の聖剣の一撃でも地球の裏側の相手には当たらないように、ノアの指を空を虚しく掻く。

 所詮は警戒に値しない行動。しかし、背後の攻撃を難なく見切る心眼を持つラモラックは瞬時に飛び退いた。彼の上着の裾が鋭利な刃物で裁断したように裂ける。

 間合いを無視した一撃。円卓の騎士ラモラックといえどその正体は看破できず、喜悦のままに少しばかり短くなった上着の裾をつまむ。

 

「これはこれは、奇な魔術よ! モルガンにしろマーリンにしろ、魔術師という人種にはいつも驚かされる! 良いマスターを得たな、ペレアス!!」

「ああん!? 俺は良いマスターどころじゃねえ、カルデア最強のグランドマスターだ! 二度と間違えんな!!」

「おいラモラック、こいつのどこが良いマスターだ!? 悪いことは言わねえから訂正しとけ!」

「仲も良いようで何よりだ。自慢の一張羅を布切れにされては困るのでな、今度こそおれは退散する!」

 

 ラモラックは全速力でその場から離脱する。元々、ランサーの英霊は敏捷に長けたサーヴァントが多い。彼もその例に漏れず、目にも留まらぬ逃げ足を発揮していた。

 ノアは苛立たしげに舌打ちする。戦闘ではラモラックに痛打を与えることすらできず、さらには塩を送られる始末。彼の内心は屈辱に満ちていることだろう。

 行き場のない殺気を放つノアに代わって、立香は得た情報をまとめて自分の考えを述べる。

 

「とりあえず、次の行き先は砂漠に決まりましたね。聖杯の在り処はそこしか考えられないですし、エジプトの王様とも協力できるかもしれないですよね?」

「わたしも先輩と同じ考えです。アトラス院を目指す必要もありますし、ペレアスさんの奥さんも砂漠にいるそうなので、一石四鳥のお得な作戦です」

「まあ、それはそうなんですがねえ……」

「そもそもこの状況を切り抜けないと机上の空論、捕らぬ狸の皮算用だ。流石のダ・ヴィンチちゃんもあんな攻撃はどうしようもないんだけど、何かいい案はあるかな?」

 

 ダ・ヴィンチは周囲に問う。それに対して明確な答えを持つ者は誰もいなかった。

 獅子王の光輝はまさしく神の威光。対抗しようなどと考えることがもはや愚か。人間に許されるのは形振り構わずつくばうことか、全てを捨てて逃走することのみ。

 しかして、獅子王はそのどちらをも焼き払う。

 一度敵対した人間にかける慈悲は存在しない。誰も彼をも見逃すことなく、王の威光は人間を滅ぼし尽くすだろう。

 アーラシュは後頭部を掻きながら切り出す。

 

「あー、俺の宝具なら一発はどうにかできるぜ。知ってるか? 俺の最期の一射なんだが」

「ペルシャとトゥランの間に国境を作ったという一射ですな。確かに伝説の通りならば対抗できるでしょうが……」

「『伝説の通り、というのが問題ですね。最期に矢を放った後、比喩じゃなく体が飛び散ったと言われてますし』」

「だが他に方法があるか? まあ紳士淑女たちの前で臓物をぶちまけちまうのは申し訳なく思うが、ここで撃たない選択肢はないだろ」

「『むしろ申し訳ないのはこちらなんですが……!?』」

 

 かつて、アーラシュが放った最期の一矢は二つの国を分かつ究極の一撃を実現した。その飛距離は実に2500kmを超え、一説によると夜明けから日没にかけての時間飛び続けたという。

 だが、アーラシュはその奇跡と引き換えに自分の生命を失った。宝具の真名解放とは伝承の再現。その一矢を放った時、彼はもう一度命を落とすことになるのだ。

 彼ひとりの命と獅子王の一撃。その交換は果たして、等価ではない。ノアは平坦な調子で言った。

 

「やめとけ。おまえの一発がブチ抜くのは獅子王だ。こんなところで安く死なせてたまるか。仮に一撃凌げたとしても、連射されたら全員跡形も無くなるぞ」

 

 既にこの村の位置は敵に知られている。一度の攻撃を凌げたとしても、二発目は防げない。

 ノアがこういう言い方をする時は既に策を有している時だ。それを理解しているペレアスは単刀直入に問いただした。

 

「で、どうするつもりだ? そろそろ時間がねえぞ」

「全員で砂漠に逃げる。位置がバレてる以上、ここに留まり続けるのは無理だ。俺たちの最善手は逃げの一手しかねえだろ」

「それは良いですけど、どうやって逃げるんですか? サーヴァント以外の人もいるのに、抱えて走るにも限界がありますよ」

「おいおい、忘れたか藤丸。俺たちはどうやってここに帰ってきた?」

 

 立香は記憶のページをめくっていく。間にラモラックとモードレッドとの戦闘を挟んだものの、村に帰ってきた時の記憶は未だ深く刻まれている。

 空中ジェットコースターならぬ人間ミサイル、という名の投身自殺。アズライールの廟に向かったメンバーはノアの創作魔術によって帰還したのだ。

 立香含め、空の旅を経験した面子は顔色を青白くする。

 

「え、アレをもう一回やるんですか!? 無理無理、絶対嫌です! ほら見てください、べディヴィエールさんだって微妙な顔しですよ!」

「いえ、私は逃げるならある程度分散させた方が良いと思いまして。一か所に固まると、聖都の追手に追跡されやすくなってしまうので」

「よし、べディヴィエールの案を採用する。サーヴァントが均等に配置されるように集団になれ。それぞれにダ・ヴィンチ特製発信器とカルデア直通通信機をワンセット配る。失くしたら女子供だろうが折檻してやるから覚悟しろ。ちなみにダンテはサーヴァント扱いしない」

「なんでですかァァ!! 確かに私はそこら辺の魔術師にもボコボコにされかねない貧弱サーヴァントですが、そこまで言われる筋合いはないですよ!」

「だからでしょ。本当は分かってるじゃない。自分で答え言っちゃってるじゃない」

 

 すこん、とジャンヌの旗がダンテの頭を叩いた。後頭部を抱えてうずくまるダンテを尻目に、ノアはゲンドゥルの杖でルーンを描き出す。

 頭上を照らす光は影という影が駆逐されるほどに強く輝き、空が丸ごと落ちてくるような威容をたたえていた。

 

「細工は流々、仕上げを御覧じろ。準備はいいなおまえら!!」

 

 猛るノアに水を差すように、ペレアスは言う。

 

「そういえば、オレがお前に渡した剣はどうなった? まさか置いてきてねえよな」

「…………細工は流々、仕上げを御覧じろ。準備はいいなおまえら!!」

「おい仕切り直そうったってそうはいかねえぞ!? オレのエクスカリバーMk-2があああ!!」

「え、エクスカリバーMk-2……?」

 

 ペレアスの悲痛な叫びとともに、その場にいた全員の体が浮き上がる。思わず疑問を覚えたべディヴィエールだが、その声が届くことはなかった。

 戦士の魂を天上のヴァルハラへ運ぶワルキューレの伝承。それを流用──もとい悪用し、スカサハから授かった原初のルーンを詰め込んだ狂気の飛行魔術。一行は宙に飛び上がり、南西の方角へ急激に加速していく。

 ぐるぐると回る視界の中で、立香は叫んだ。

 

「リーダーは一回、スカサハさんに怒られてくださいっ!!」

 

 直後、天空より落ちた光の鉄槌が、ひとつの村をその山ごと叩き潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空は黒く染まり、中天には月が輝く。

 アグラヴェインとモードレッドを除く他の部隊はそれぞれ、別の村を襲撃していた。それらはいずれも山間に位置する隠れ里の様相を呈しており、各地点を同時に攻めることで取りこぼしを無くすための作戦である。

 ランスロットの部隊が攻め込んだのは、アグラヴェインたちの場所から数里東に離れた拠点だった。

 円卓最強の騎士がランスロットだとするならば、彼が率いる兵もまた精強。その才は武術のみにあらず、戦場における配下の指揮も彼の勇名を支える所以だ。

 その光景は殺し合いと言うよりも獣の狩猟に近かった。計画的に相手を追い詰め、捕縛する。戦いは瞬く間に終わりを告げ、捕らえた人々を連れて下山する。

 聖都の軍が合流する野営地を目前にして、ランスロットは思惟に耽っていた。

 獅子王の殲滅攻撃から退避した際、砂漠の方角へと飛んでいった人間の群れを見た。最初は目を疑った、否、今も信じがたい光景だったが、ランスロットを悩ませていたのはそのことではなかった。その中にかろうじて見えた顔触れに思いを馳せる。

 

(私の見間違いでなければ、べディヴィエールとペレアスがあの中にいた。なぜ二人はあの時王に召喚されなかったのだ? ペレアスは生前、私との繋がりを疑われて円卓を追われたというが……)

 

 どれほど思考を巡らせても、彼は疑問を解消させる答えを見出だせなかった。ペレアスが獅子王の元に召喚されなかったことに説明はつくとしても、べディヴィエールのことは不可解だ。

 そして、彼らが聖都にいないということは必然、王と敵対しているということ。彼らの忠誠は王に否定を突きつけることで果たされるものなのだろう。

 どのような忠義を尽くすかは騎士個人に委ねられている。忠誠とは王から求めるものではないし、他人が軽々に口を出して良いものでもない。

 べディヴィエールとペレアスが敵対する道を選んだのなら、全力を以って相手になるのがランスロットの流儀だ。

 だが。

 彼は背後を流し見る。

 縄に繋がれ、手枷をされて歩く女子供。彼らの表情はみな一様に暗く落ち込み、深く俯いていた。それを見て、一抹の疑念が脳裏に浮かぶ。

 

(……本当にこれが、騎士の行いなのか)

 

 馬の手綱を握る手が軋む。

 騎士道と他人の不幸は切っても切り離せない。このような光景はそれこそ何度も見てきたし、あの時代にはあまりにもありふれた悲劇だ。

 ───けれど、自分はそんな不幸を救う側であろうとしたはずだ。決して、こんな悲劇を作り出そうと剣を取ったのではない。

 思わず目を伏せたその時、不意に響く悲しげな声。

 

「ああ───なんと愚かな。我らが王に仇なす罪人を生かして連れてくるとは」

 

 中空を踏み、月を背負う赤髪の弓手。

 冷たい月光で身を濡らし、銀弦に指をかけるその様は寒気を覚えるほどに妖艶。

 誰もが思わず息を呑んだ瞬間、ランスロットだけが青褪め、夜空をつきぬけるような怒声をあげた。

 

「その指を一本足りとも動かすな、トリスタン!!」

「ふ、貴方のその声音……何を恐れているのですか? そも、貴方はひとつ思い違いをしている。此度の作戦は敵の捕縛ではなく殲滅。王自ら手を下されたのがその証左であり意向です」

「だと言うなら、選別もまた同じだ。あれもまた王自ら聖都に相応しき魂を選んでいる。……いいや、騎士が主君の意を汲むことはあれど、主君の意を語ることはあってはならない!」

「なるほど。確かに貴方の言う通り、騎士が王の御考えを語るべきではありません。私が閉じるべきは、この口であったのかもしれませんね」

 

 ただし、とトリスタンは付け加える。

 

「───鏖殺は王よりの勅命。故に言葉でなく行動で語ってみせましょう」

 

 一滴の涙がぽつりと地を濡らす。

 そして、人差し指が弦を爪弾いた。

 凍てつくような音響。それと同時に十個の首が飛んだ。

 血の華が鮮烈に咲き誇る。銀の弦を掻く指は一本また一本と増えていくごとに音が重なり、その度に倍の数の首が鮮血を芽吹かせる。

 指が奏でる旋律に合いの手を打つように亡骸が倒れる。殺戮の狂騒はいっそ幻想的な様相をも演出し、劇的に屍の山と血の河を築いた。

 全身の血が沸騰する。灼熱の血潮が脳髄に浸透し、ランスロットは躊躇いなく剣を引き抜く。

 義母である湖の乙女より与えられた聖剣アロンダイト。最高の騎士の名をほしいままにした無双の一刀。しかし、その凶刃は振るわれることすらなかった。

 ぎしり、と漆黒の鎖がランスロットを縫い止める。

 アグラヴェインが操る『鉄の戒め』。関節に巻きつけることで動きそのものを封じられたランスロットは、最後の意地か己の得物だけは握り締めていた。

 今の彼には肉体の損壊すら些事に過ぎない。縛られた状態で顔を後方に傾ける。鬼気迫る眼差しが身体を射抜くのを意に介さず、アグラヴェインは告げる。

 

「言ったはずだぞ、此度の戦いにおいて敵にかける慈悲はないと。貴様の情に流される質は死んでも治らなかったようだな」

「私たちは騎士である前に人間だ! このような殺戮が許されて良いはずがない!」

「否、私たちは人間である前に騎士だ。王の道具であることに人の情は不要。誰もが機械のようでさえあれば、ブリテンは滅ぶことはなかった」

「そんな理想論があってたまるか! 人がいてこそ国があり、人を治めるからこそ王がいるのだ! それを否定する貴様のどこが騎士だというのか!!」

 

 トリスタンは二人の会話を聞き、薄い唇を弧に歪めた。

 指の先が痺れ、胸の奥がざわつくような感覚。いつの間にか、その表情は悦に浸り恍惚とする。

 

(…………ラモラック。貴方の趣味がようやく理解できました)

 

 トリスタンとラモラックはかつて決闘の末に友となっている。

 醜いモノをこそ美しく感じる矛盾した感性。生前は一片足りとも理解が及ばなかったが、今この時、この瞬間だからこそラモラックの性質を実感できた。

 なぜなら、トリスタンに与えられた祝福は『反転』。慈悲深き高潔な性格は今や冷酷非道に堕し、何もかもが真逆の人間へと生まれ変わったのだ。

 騎士道物語に謳われたトリスタンはもはやどこにもいない。

 ここにあるのはひとりの外道。笑って殺し、泣いて生かす破綻者。

 なればこそ、美しいモノを醜いと感じ、醜いモノを美しいと感じるのもまた必定だった。彼は腹の底から湧き上がる笑い声を喉元で押し留めようとする。

 そうすると、くつりくつり、と喉が鳴る。友と同じような笑い方をしていることに気付くと、トリスタンは獰猛に微笑んだ。

 

「嗚呼、私が生きる場所は、こんなにも美しかったのか」

 

 しかし。

 閉ざした両の眼から滴る涙を、彼は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡って、ノアたちが獅子王の攻撃から逃れた直後。

 山ひとつを更地に変えるほどの一撃から逃れることはできたが、その余波は別だ。大気が荒れ狂い、衝撃波が果てしなく拡散する。

 ノアの魔術には無傷で着地するための防護術式も搭載されている。それなりの振動はあるものの、衝撃波のせいで命を落とすことはなかった。

 不幸中の幸いは叩き潰された山の破片が飛んでこなかったこと。獅子王が放った光の熱によって、山ひとつがさっぱり蒸発してしまったのだ。

 アニメでもなかなか見ない冗談のような景色を目の当たりにしながらも、立香の心中に大した恐れは生まれなかった。トライデントの発射を二度も間近で見ているのだから、そろそろ慣れてもこよう。

 そんなこんなで、立香は地面に墜落した。上体を起こし、土埃を手で払いながら周囲を確認する。そこは一面の焼けた荒野。どこまでも広がる荒涼とした風景に、思わず目を擦った。

 行き先は砂漠のはず。決してこんな焼け野原ではないし、周囲には仲間たちもいたはずだ。

 立香はこれまでの人生経験と照らし合わせて、見知らぬ場所にひとり迷い込んだ今の状況を以下のように表現した。

 

「私ひとり、迷子、はぐれた。何も起きないはずがなく……っ!」

 

 両手を地面について項垂れる。誰もはぐれることなく始まったこの特異点だったが、結局その運命から抜け出すことはできなかったらしい。

 むしろこのままでは何も起きるはずがないのだが、生憎と天運はまだ彼女を見放してはいなかった。

 背後から人を小馬鹿にした憎たらしい声が響いてくる。

 

「アホがアホなこと言ってんな、目を覚ませ」

「人を食ったようなその言動、私の交友関係でそんなダメ人間はひとり! もしかしてリーダー……」

 

 くるりと立香が振り向くと、目と鼻の先にしゃれこうべがあった。ノアの右手で鷲掴みにされたそれを、彼女は即座に手で打ち払う。

 

「……ギャーッ! なんでそんなもの持ってるんですか! 織田信長ですか!? 骸骨で乾杯するつもりですか!!?」

「オイオイ誰が第六天魔王だ。あんな中二病と一緒にすんな」

「リーダーにだけは中二病とか言われたくないと思います。色々と設定詰め込みすぎて渋滞してるじゃないですか」

「人のキャラ設定に文句言ってんじゃねえ! 今更もう変えられねえんだよ! おまえこそ中二の時、自分が吸血鬼の設定で───」

「ああああああ!! なんでトマトジュースを常飲してた頃の私の黒歴史を知ってるんですか! リーダーにだけは知られたくなかったのに!!」

 

 他人の恥部を掌握することに心血を注いでいるマシュの仕業なのだが、立香がそれを知る由はなかった。

 双方の心に深い傷をつけ、二人の言い合いは終わった。蟠った感情を発散して落ち着いた立香は、冷静に話を切り出す。

 

「それで、どうして頭蓋骨なんて持ってたんですか? 割と違和感はなかったですけど」

「この辺りは瘴気が吹き溜まってる。冬木の街と同じだ。そのせいでガイコツ剣士やら腐った死体やらが歩いてやがったから、掃除してきたんだよ。五体投地して感謝しろ」

「そういうことを言わなかったら普通に有り難かったのに……ドクターに連絡しました?」

「真っ先にやったが、話にならなかった。あちこちから通信を受けてるせいであいつのCPU使用率が上限突破してたからな」

「ドクターとかただでさえスペック低そうですもんね」

 

 ロマンも立香には言われたくなかっただろう。仮にもカルデアの最高責任者に辛辣な二人だった。彼の人望の無さが浮き彫りになった結果と言えよう。

 元々、一行は聖都の追跡を躱すために分散した。それぞれに通信機を持たせたため、対応を求めるのは必然的に管制室になる。そうして通信が集中し、ロマンの脳みそは処理落ちしたのだった。

 ノアは両手の汚れを叩いて落とす。

 

「ただ、処理落ち状態のロマンでも合流地点を設定する余裕くらいはあったらしい。とりあえずそこを目指すぞ」

「急がないと不味そうですね。私たちなんて余波のせいでここまで飛ばされたくらいですし」

 

 立香は両足に力を込める。すると、右の足首にずきりとした鈍痛が起こった。

 

「い、た…っ」

 

 咄嗟に足首を押さえる。着地した際に挫いたのか、患部は熱を持って腫れていた。ノアは素早く立香の側に座り込み、治癒のルーンを刻む。

 怪我を治す魔術が得意という言に嘘はないらしい。瞬く間に痛みが消え、腫れが引いていく。

 立香は唇を噛む。

 

「ごめんなさい、急がないといけないのに……」

「謝るな。これは俺の責任だ。獅子王の攻撃のせいで防護術式が弱まった。俺の落ち度だ」

「……ありがとうございます」

 

 ノアの手が患部を離れる。捻挫の痛みと腫れはどこへやら、僅かな違和感もなく足首は元通りになっていた。立香は勢い良く立ち上がり、とんとんと右足の先で地面を蹴る。

 足の調子は普段通りどころか絶好調。立香は気丈な笑顔をノアに向けた。

 

「それじゃあ、行きましょう! みんなが待ってますよ!」

 

 だが、ノアは顎に手を当てて怪訝な表情で考え込んでいた。いつになく真剣な彼の雰囲気に、立香はごくりと息を呑んだ。

 ノアは鋭い視線を立香に向けて、重厚な声を捻り出す。

 

「…………藤丸」

「な、なんですか」

「抱かれるなら前か後ろ、どっちがいい?」

「────はあ!!?」

 

 立香は顔を耳まで真っ赤にして、後ずさる。両手を某光の巨人が光線を発射する時のように構えて、

 

「リーダーっていつもそうですね…! 私のことなんだと思ってるんですか!?」

「なに下品な勘違いしてんだ。おまえの足だと限界があるだろ。俺がおまえを抱えて走った方が速いだろうが」

「そ、それならそう言ってください! おんぶかだっこってことですよね!? ノンデリカシーにも程がありますから!」

「おまえは早とちりにも程があるだろ! 脳内ピンクはあのマシュマロなすびだけで十分なんだよ!」

「ぐぬっ…!」

 

 勘違いはともかく、提案としては悪くない。身体に強化をかけて走ったとしても、どうしてもその走力には差が出る。真っ当な人間の体である立香と違い、ノアはヤドリギと融合した肉体の持ち主だ。

 体が疲労の限界を迎えたとしても、魔力さえあれば体内のヤドリギを操り人形のように操って走ることができる。

 そうまでして走らせることに後ろめたさはある。が、そんなことを言っていられる状況ではないし、それよりも重大な問題が立香に差し迫っていた。

 すなわち、抱きかかえられるか背負われるか。

 小さい脳みそを回転させて、立香は答える。

 

「お、おんぶの方でお願いします。リーダーを上から見下せる機会なんて滅多にないんで」

「ふっ、言動には気をつけろよ藤丸。背負う側である俺の胸先三寸でおまえをどうにでもできることを忘れるな」

「リーダーこそ私が人体の最大の急所である首を狙えることを忘れないでください。……というかしゃがんでくれませんか。おんぶする気あるんですか」

 

 ノアは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 

「仕方ねえな、これだから短足は」

「足の長さは関係ないですが!? 誰が短足!? 私のカモシカのような足を馬鹿にしないでください!」

「おまえ本物のカモシカの足見たことあんのか? 意外とずんぐりむっくりしてるからな、おっさんみたいな足してるからな」

「カモシカにもおっさんにも角が立つようなこと言わないでください」

 

 言いながら、渋々しゃがんだノアの背中に身を預ける。

 ノアは立香の両足に手をかけて、軽々と立ち上がった。一気に視点が高くなり、彼女は小さく声を漏らした。

 

「きゃ…っ」

「…………今、女みたいな声が聞こえたんだが気のせいか?」

「う、うっさいですね! 思ったより目線が高くてびっくりしただけです! ほら、早く行ってください!」

 

 騎手が馬に鞭を打つように、立香はノアの肩をぺしぺしと叩いた。すると、彼の体に魔力の光芒が走り、一度の踏み込みで最高速度に到達する。

 足を繰り出すごとに土が深く抉れ、周りの景色が高速で後ろに流れていく。ノアはルーンを結び、前方に風避けの壁を作り出した。

 この地球上にある限り、高速の物体の前にはどうしても空気という壁が立ちはだかる。戦闘機などは如何に空気による抵抗を抑え、速く飛翔するかに重きを置いた形状に設計されている。

 空気の壁に衝突すれば、全身に強化を施したノアはともかく立香はただでは済まない。より速く走るため、立香を守るため、ノアは防壁を張ったのだった。

 振り落とされぬよう、彼の首に両腕を回してしがみつく。凄まじい勢いで荒野を走り抜ける最中、立香は口を動かす。

 

「みんなのことが心配ですね。ドクターが何も言わなかったってことは少なくとも無事だとは思いますけど」

「ダンテ以外はよっぽどのことがなければ大丈夫だろ。それよりもおまえは敵と鉢合わせないことを祈っとけ。流石に護り切れるとは断言できねえからな」

「その時は私も一緒に戦います。いざとなれば令呪もありますから。リーダーをひとりにしたら大変なことになりそうですし」

 

 野暮な言葉と分かりつつもそう言った時、ノアの口元が緩やかな弧を描いたように見えた。

 ともに同じ重荷を背負うと決めたのだから、どちらか片方を見捨てる選択肢なんて彼らには存在しない。今更言う必要なんてないだろう。

 助けられるのも護られるのも一度ではすまない。

 黒き騎士王と戦った時は腕を犠牲に護ってくれた。

 名無しの女王に捕まった時は仲間と一緒に助けてくれた。

 ケルトの狂王に追い詰められた時も間一髪で救ってくれた。

 柄でもないと分かってはいるけれど、訊かずにはいられなくて。立香は呟くように言葉をこぼす。

 

「……どうして、いつも助けてくれるんですか」

「はあ? Eチームのリーダーが部下を助けなくてどうする。誰もがこの俺みたいに有能な訳じゃねえからな。ボランティアは才を持つ者の義務だ。俺の貸しは高くつくがな」

「それボランティアじゃないですよね。悪徳高利貸しですよね。闇金ですよね」

「人は誰しも借金背負ってんだよ。罪という名の借金をな。十字架にかけられて死んだロン毛もアレ借金取りに追われただけだからな、ローマ兵ってのもヤクザの喩えだからな」

「人類の原罪を借金扱いしないでください」

 

 愚にもつかないやり取り。幾度となく繰り返したことだが、なぜか今だけは特別なものに感じられた。

 心地の良い沈黙が流れる。

 そこにある音は激しい足音と風切り音のみ。どこか懐かしい振動と温かさに釣られて、立香は完全にその身を預けた。

 引き締まった筋肉のついた背に触れ、ぼんやりと思う。

 

(背中、広い……)

 

 心がほだされるような感覚。

 生暖かい感情が胸の奥にずくりと染み出す。

 建前をつけることも忘れて、本音がするりと口をついて出た。

 

「その、さっきの質問ですけど、私のことどう思ってるんですか」

「ホットケーキミックスを生で食う妖怪女」

「ぶっ飛ばしますよ?」

「がああああ!!」

 

 両手でノアの耳を千切れんばかりにつねる。

 ノアは勢い良く頭を振って、耳に食い込む指を払った。彼は当てつけのようにスピードを上げて、上体をがくがくと揺らした。

 ノアは深くため息をついて、嫌々返事をする。

 

「おまえは俺の自慢の部下だ。ロンドンの時にそう言っただろうが」

「そうですけど、何か他にないんですか。ほら、日頃の感謝の気持ちを表してください」

「残念だったな、俺は人に感謝しないことを信条に生きてんだよ」

「どんな無頼漢ですか。クズ以外の何物でもないんですが」

 

 この男がクズであることはもはやカルデアでは常識である。ム○クとガチ○ピンで言えば、赤い方はいらないということくらいに常識になっている。それもひとえに性格の悪さが原因だ。

 ノアは少し考えて、つらつらと喋り出す。

 

「俺は人類を根源に連れていくために、魔術の欠点を克服した学問を作る。研究成果の共有すらできない魔術は今のところ学問とも言えない粗悪品だからな。俺が目指すのは、知識を共有しても神秘が薄れない魔術だ」

「……よく分からないですけど、みんなで研究ができるようにするってことですよね」

「そうだ。アインシュタインもノイマンも、イチから発明を始めた訳じゃない。先人の研究成果が積み重なってたからこそだ。人間独りでできることはたかが知れてる」

 

 ひとりの人間に定められた限界は低い。アーサー王の円卓然り、水滸伝の梁山泊然り、人智を超えた英雄ですら集まらなくては大事は成せなかった。

 人の強みは知識の共有と継承だ。先人の努力がなければ、如何なる天才も偉大な発明はできなかっただろう。

 だが、魔術における知識の共有と継承はそれぞれの家系の中に留まる。人類全体で研究結果を持ち寄って経験を蓄積できる他の学問に比べれば、発展のスピードは遥かに遅い。それどころか停滞して劣化しているのが魔術という世界だ。

 だから、ノアが考える新しい学問に必要なものは決まっていた。

 

「俺に必要なのは仲間だ。俺の哲学を理解できる人間がいる。おまえはその第一号だ。おまえは俺が初めて持った弟子だからな」

「私がリーダーの一番弟子なんですね。へえ……だったらもっと可愛がってくれてもいいんですよ? 何たって一番弟子ですからね? 一番闇堕ちしやすいポジションですからね?」

「……そのムカつく態度を何とかしたら考えてやるよ」

 

 立香は小さく笑い、ノアの背中に額を当てた。その笑みとは裏腹に、靄がかった感情が心臓にへばりつく。

 そして、ぽつりと思う。

 

(でも、そういうのじゃなくて)

 

 そこで、立香は疑問を覚える。

 自慢の部下で一番弟子。それで良い、良かったはずなのに、満足できない自分がどこかにいた。

 思考を巡らせて、自分が本当に求めるものを探す。霞の向こうにある答えを近づいていく度に、心臓の鼓動がどくりどくりと早まっていった。

 そうして、理解する。

 甘い電流の如く迸るソレの正体を。

 

(…………控えめに言って、最悪)

 

 それでも、もうこの気持ちを後戻りさせる術なんて知らなかったから。

 

(私、この人のことが好きだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとりの騎士がいた。

 砂漠の王の眷属である光輝の幻獣スフィンクスを膾切りに始末し、赤き鎧の騎士は木々が生い茂る場所に足を踏み入れる。

 その瞬間、ぞくりと背筋が震え立った。騎士が備える類稀なる第六感、獣の如き嗅覚が憎き仇の気配を刺すように伝えているのだ。

 ───ここにいる。ブリテンを掻き乱した、あの精霊が。

 精霊とは自然の触覚。その寿命は計り知れない。化かし合いの腕では到底及ばない。しかして、騎士が仇を探し当てたのは狂気の如き執拗さが成せた奇跡であった。

 顕現する二刀。左に携えし剣は白磁のような純白の刀身。黄金の雷を秘めた聖剣。対する右の剣は神秘の欠片もない無骨な両刃剣。対照的な二つの剣を手に、騎士は気配の元に辿り着く。

 磨かれた鏡面めいた湖、その傍らに佇むひとりの女。腰まで届く濡羽色の長髪に、淡く照る紅玉の瞳。薄いベールのような白色のドレスは、柔らかく流麗な体の曲線を浮かび上がらせる。人間離れした美貌は同じ空間に立っていることすら違和感を覚えるほどに現実離れしていた。

 しかし、騎士の魂より来たる感情は後ろ暗い殺意と憎悪。草木すらも恐れおののく殺気を放ち、腰を低く落とす。

 その女は艷やかな柳眉を和らげ、瑞々しい桜色の唇を歪めた。

 

「───追いかけっこは終わりですね」

「然り。貴様の命はここで終わる。最期に望みはあるか」

 

 彼女は胡乱げに微笑む。

 くすくす、くすくすと。どこか見下すような声が辺りに反響する。揺れて、擦れ合う草木が笑っているかのように。

 

「では……お教えください。なぜ私を殺そうとするのか。草木(かれら)もそれを知りたがっていますわ────」

 

 わざとらしく首を傾げ、騎士の名を呼ぶ。

 

「────ねえ、()()()()()?」

「…………女狐め」

 

 それは、遥か昔の記憶。

 脳髄に刻まれて癒えぬ、忌まわしき光景。

 ベイリンはノーサンバーランドの領主の子として生を受けた。戦乱に包まれたブリテンにあっても自ら兵を率いて戦う父親と、聡く優しい母親。弟にも恵まれ、戦火の時代に負けぬ幸せを築いた自分の家を、ベイリンは何よりも誇りに思っていた。

 騎士としての教育も辛くはなかった。生まれつきの鋭い感覚と剛力はその剣才を開花させ、数日にして師匠である父を超えた。しかし驕らず、子供心ながらに決心したのだ。

 ───いつか、このブリテンを救う騎士になる、と。

 厳しくも幸せな生活が陰り出したのは、ある戦争から父が帰ってきた時のことだった。

 

〝私に名前はありません。ヴィヴィアンでもニミュエでも、好きなようにお呼びください〟

 

 その女は、自身を湖の乙女と称した。

 濡羽色の髪と紅く妖艶な瞳。人間離れした美貌の女は正しく人間ではなく、伝説や伝承に語られる精霊であったのだ。

 戦場で父に救われたという彼女は恩を返すと言って家に居着いた。全てが変わったのはそこから。女はたちまち家中の人心を掌握し、戦においても常勝をもたらした。

 精霊の御業は人智の及ばぬ奇蹟。超常の魔術をも修めた彼女にとって、単なる地方領主の小競り合いを勝利に導くことなど児戯に等しい。

 領民までもが女を敬うようになった頃、家の空気はがらりと変わっていた。強烈な色香を漂わせるその女と、それに目が眩んだ父の姿。

 猛々しく勇敢な父は骨抜きにされ、いつしか女と母親の地位は入れ替わっていた。そうして、彼女は父親に寄り添いながらベイリンと弟に告げたのだ。

 

〝その人の一番大切なモノになる方法を知ってる?〟

 

 艶のある唇をなまめかしく動かして、女は言った。

 

〝───その人の一番大切なモノを壊すことよ〟

 

 聞いた瞬間、足元が崩れ、吐き気が込み上げる。背筋を這いよる得体の知れぬ予感に導かれ、ベイリンは弟の手を引いて走った。

 館の中心。熱狂する領民たちと父の部下。彼らは轟々と燃え盛る十字架を眺め、気色に満ちた絶叫を響かせる。

 人混みを掻き分け、見たのは見るも無残な母の姿。灼熱の業火に包まれ、かろうじて人の形を保つソレを眼前にして、抱いた夢は書き換えられた。

 ───殺す。どんな手を使ってでも殺す。何を犠牲に差し出してでも殺す。

 女は父の一番大切なモノを奪うことで、父の一番大切なモノに成り果てた。

 精霊にとって剣技はおままごとのようなもの。真っ当に戦ったとしても勝機はない。

 ベイリンは弟ともに故郷を離れ、戦いに明け暮れた。人智を超えた存在を人間の手で屠るために、人間を超えた力を求め続けた。

 

〝その力、王のために使ってみる気はないかい?〟

 

 あの女に似た雰囲気を纏う、花の魔術師。人の心を見透かしたような瞳をする男は、ただそれだけを言って彼が仕える王の元に案内した。

 復讐。それだけが生き甲斐。戦いで名を馳せようとも満たされるものは何一つとしてない。

 その誘いに乗ったのは単なる打算。求める力があるかもしれないという愚考だ。

 けれど。

 

〝ベイリン、そしてベイラン。私は貴殿らの力が欲しい。ブリテンを救うため、共に戦ってはくれぬか〟

 

 あろうことか、王は純粋な瞳で言いきってみせた。己がかつて捨てた無垢な夢を、無垢なまま語る王は誰よりも何よりも眩しくて。

 

〝───貴方が、私の王だ〟

 

 王の理想のために戦う。

 そうと決めてもなお、運命はベイリンを手放すことはなかった。

 ブリテンを統一するため諸侯と戦っていたある日、宮廷をひとりの乙女が訪れた。彼女は一振りの剣を抱えたまま、王の前で礼を取る。

 

〝この剣は私の苦しみと悲しみのもと。行いに優れた騎士で、悪事にも逆心にも縁がなく、裏切ることのないお方によってしか、この剣から解き放たれることはありません。どうか、剣を抜ける者を連れてきてください〟

 

 その乙女は剣の呪いに蝕まれていた。刀身を抜き放つことでしか呪いは解けず、剣を抜くことができる騎士を求めて各地を彷徨っていたのだ。

 王の配下は次々と挑戦するも、剣を抜いた者は誰もいなかった。

 

〝私にお任せください。その剣、必ずや抜いてみせましょう〟

 

 鞘と帯を手にかけ、柄を握る。

 ただ確信があった。この剣は我が手に収まるために来たのだと。

 それに違わず、ベイリンはびくともしなかった剣をすらりと引き抜いた。

 その内に灼熱の黄金を秘めたる純白の聖剣。どんな名工にも打てぬであろう尋常ならざる名剣を眺め、素直に思った。

 

〝この剣ならば、王のお役に立てる〟

 

 そして、

 

〝あの女を、殺せる────!!!〟

 

 剣を持ち寄った乙女はそれを返すことを望んだが、ベイリンは申し出を断った。

 

〝なぜこの剣を渡さねばならぬ。この世でただひとり私が抜いたのだから、我が物とするのは当然のことではないか〟

〝……そこまで言うのなら。ですが、その剣はあなたの身を滅ぼす。ゆめお忘れなきよう〟

 

 その時はすぐ訪れた。故郷に赴くための準備をしていると、母を奪い父を籠絡したあの女がアーサー王のもとに登城したのだ。

 湖の乙女はかの聖剣エクスカリバーを授けることと引き換えに、ひとつ望みを叶えることを約束させていた。

 

〝先日、剣を持ってきた乙女がいたはず。その女の首か、剣を勝ち得た騎士の首を所望致します〟

〝……約束を違うようだが、その望みは聞けぬ。何か別のものであるなら何なりと取らせよう〟

〝私の望みはどちらかひとつの首。他のものはいただきたくございません。横紙破りは王の器を問われることになりましょう。約束を守らぬ王に付き従う臣下がどこにいましょうか〟

 

 あろうことか、女は王をも脅かす存在となった。ブリテンを救うという理想を阻む障害。押さえつけていた憎悪と憤怒が溢れ出し、気付いた頃には女を斬り殺していた。

 おびただしい血に塗れながら、女はとことん笑顔で言い残した。

 

〝愚かな子ね、ベイリン。その剣には呪いがある───あなたはいつか、自分の手で最も大切な者を斬り殺すわ〟

 

 その言葉は嘘ではなかった。

 ベイリンはその手で、この世で一番大切なモノを壊した。

 

「───そう、私は剣の呪いによって弟を殺した。血を分けた肉親をこの手で壊したのだ」

「……私たちは共に同じ湖から生まれた姉妹。あなたを悲劇に導いたのは紛れもなく私の妹です。エクスカリバーを渡したのは私ですが、妹は私の振りをしてアーサー王のもとに行ったのでしょう」

「ならば、何故止めなかった! あの女の姉と言うのなら、それを止めるのが役割のはずだ!」

「返す言葉もございませんわ。もし知っていたら、私もお姉様と一緒にあの子を叱ったはずです。けれど、あの子を止めることはできなかったでしょう」

 

 殺気に塗れたベイリンの視線に疑念が入り混じる。

 揺らめく水のように、女は立ち上がる。そのかんばせには影が落ち、ゆらりと傾いた。

 

「あなたは、恋をしたことがありますか」

 

 返答はない。その沈黙こそがベイリンの答えであり、揺るがぬ殺意の証左だった。

 女は両の十指を白い肌の顔に這わせる。暗い熱を帯びた瞳は森の隙間に映る青空を見つめ、頬がほのかに赤らんだ。

 

「恋情は太陽よりもなお激しく燃え盛る。私が何をしようとも、あの子は決して止まらなかった。恋とはそういうもの……世界を燃やし尽くす激情は絶対に消えない。こればっかりは、経験のない人には分からないことですわね」

「…………だから見逃せと?」

「いいえ、あなたの憎しみと怒りは全てが妥当。それを受け止めるのはあの子の姉である私の義務ですわ」

「良いだろう、死ね」

 

 ざり、と土を踏む。殺気が満ちる。達人にとって殺気は先手を読む材料になり得るが、ベイリンのそれは別格。あまりにも濃密な殺気故に、どこから攻撃が飛来するか読むことができない。

 相手が精霊であろうと、今のベイリンならば倒せぬ相手ではない。張り詰めた弓の弦の如く腕が引き絞られる。一度それを放てば、湖の乙女の首は一瞬にも満たずに斬り落とされるだろう。

 

()()()

 

 新たな気配が現れる。

 周囲に目を配るも、その実体は見えない。

 それもそのはず、その気配が迫るのは地上からではなく、上空であったからだ。

 

「───あなたには、私は殺せない」

 

 瞬間、轟音が鳴り響く。湖の乙女とベイリンの間に何かが墜落し、土煙がもうもうと立ち込めた。

 何度も咳き込む声が響き、煙の向こうから白銀の鎧に身を包んだ男が現れる。

 

「あ~、死ぬかと思った! なんて魔術考え出してんだあのアホは! 航空会社の関係各位に土下座しろ!! ……ん?」

 

 突如降ってきた男とベイリンの目が合う。彼は赤い鎧の騎士を指差して、目を丸くしながら絶叫した。

 

「お前は騎士狩り!? どうしてこんなところにいやがる!」

「…………それは此方の台詞だ。退け、貴様には関係のない話だ」

「いや、そんな殺気放ってるやつを放置したら不味いだろ。交番の前で盗み働くみたいなも」

 

 そこで彼の言葉は途切れた。湖の乙女は砲弾の如き勢いで彼の背中に飛びつき、先程までとは打って変わった猫撫で声をあげる。

 

「ペレアス様っ! ずうっとお待ちしておりましたわ~っ!!」

「ぐふぅっ! その声、その顔、まさか───」

「はい! この世でたったひとりのあなた様の伴侶ですわ! ご飯よりもお風呂よりも一択の私ですっ!」

「マジか、もうちょっと劇的な再会になると思ってたんだが!? 土産とか何も持ってきてねえぞ!」

「いいえ、あなた様が何よりのお土産です。という訳でまずはあちらの茂みに……」

「何でだ! どう見てもそういう空気じゃないだろ! 騎士狩りが置いてけぼりになってんだろ!!」

 

 ペレアスは湖の乙女を引き剥がすと、ベイリンに向き直る。赤い甲冑の奥から覗く眼光は一層鋭く研ぎ澄まされていた。

 

「……これが貴様の仕込みであろうと偶然であろうとどうでもいい。まとめて斬るだけだ」

「仕込み? 偶然? そんな言葉で表されては困りますわ。これは運命───決して歪まぬ因果律。私たちを結ぶ赤い糸がペレアス様を引き寄せたのです」

 

 ぶつかり合う視線がばちりと火花を散らす。

 それを見たペレアスは大体の事情を把握し、腰に佩いた剣を抜き放った。

 

「荒事は避けられないみたいだな……オレはペレアス! 前人未到の竜殺しを成し遂げた円卓番外位の最強騎士だ! アンタも騎士なら名を名乗れ!」

 

 ベイリンはごきりと首を鳴らし、

 

「番外位だと? ハッ、その席に座る者が私の他にもいたとはな。アレは宮廷で殺人を犯した私が罪を償うために用意されたモノだ。同情するぞ」

「うるせえ! アンタにとってはそうでもオレにとっては違うんだよ! つーか、そうか。やっぱりベイリンか。二刀流であんな強さの騎士なんて、アンタ以外に聞いたことがねえ」

 

 マーリンはベイリンを褒め称え、こう言った。〝かの騎士の力と勇猛に太刀打ちできる者はいない〟と。

 二人の間に面識はないが、自分が就いた席の前任者として、ベイリンのことは知っている。抱える事情も、湖の乙女が犯した罪のことも。

 ペレアスは湖の乙女とベイリンを遮るように立ちはだかり、言った。

 

「アンタがこいつを狙うのは、呪いのことだけか? 仮にも聖剣を抜いた騎士が、私情に囚われるなんて思えねえ。……ランスロットは別として」

 

 ベイリンは僅かに面を伏せて、返答する。

 

「湖の乙女は宝具を人間に与え、その行方を見守った。しかし、果たしてそうか? 王を脅し、マーリンを異界に幽閉した。あの魔術師はろくでなしだったが、国には必要な人材だったはずだ。お前たち精霊は国を乱すことしかしていない」

「幽閉の件についてはお姉様にちょっかいをかけたあの人が悪いと思いますが……ええ、一応その批判は受け取っておきましょう」

「…………ペレアス。これが精霊だ。自分勝手に人間を食い物にする人外の姿だ。湖の乙女に魅入られた者の末路を知らぬ訳でもあるまい」

 

 ───そう、我が父は湖の乙女に魅了され、白痴の骨抜きにされた。

 刃を首元に突きつけるが如き問い。ペレアスは爛漫と咲く向日葵のように笑って、

 

「ああ、知ってるぜ。湖の乙女に愛された者は安らかな最期を迎えるってな! アンタの親父さんのことは気の毒だが、生憎オレたちはハッピーエンドで終わってんだよ! これが純愛のなせる業だ!!」

 

 きっぱりと言い切った彼の背後から、約一名による黄色い歓声があがる。

 

「ペレアス様……!! 今サイコーにキマってますわよ! また惚れ直しましたわ!」

「もっと真面目な合いの手はないのか!? ま、まあいい」

 

 予想外の妨害が入ったものの、ペレアスは続けてまくし立てた。

 

「アンタこそ復讐で周りが見えてないみてえだが、ここでは随分と毛色の変わった王様が虐殺を起こしてるらしい。それについてはどうだ?」

「無論、貴様らを排除した後に王を始末する。アレはもはや以前の王ではない。あんなモノが王を名乗っているだけで吐き気がする」

「なるほど、よく分かったぜ先輩」

 

 ペレアスは剣の先をベイリンに突きつける。開戦の合図に等しいその仕草には迷いがなく、彼の瞳には純粋な光が灯っていた。

 

「かかってこいよ。アンタの怒りと憎しみはオレが受け止めてやる」

「……ほざいたな、番外位の後任者が。望み通り、我が二刀で以って切り裂いてやる」

「だが、ひとつ条件がある」

「命乞い以外ならば聞いてやろう、言え」

 

 敵は野蛮なるベイリン。

 ランスロットが円卓の騎士で最強だとすれば、ベイリンは円卓の騎士結成以前から初期における最強の騎士だ。

 しかし、そんな前評判はペレアスを止める道理にはならなかった。

 

「オレたちが勝ったら、アンタには仲間になってもらう! 以上だ!!」

 

 刹那、刃が交わった。

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