自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第51.5話 死に逝く騎士に、湖光の愛を

「───私、恋をしたの」

 

 あの時、彼女はそう言った。

 同じ湖より生まれた妹のような個体。

 ソレは見たこともない表情で、聞いたこともない声音で、その人間への恋情を言葉にする。

 私にはまだその感情は分からなかった。

 だから。

 

「それは、良いことですわね」

 

 そんな無責任なことを口にしてしまったのだ。恋という感情がもたらす欲求がどれほどに抗い難いか、身をもって知ることになるとも思わずに。

 彼女は太陽のように笑顔を輝かせて、私の手を自らのそれで包む。

 

「ありがとう! お姉様ならそう言ってくれると思ってたわ!」

 

 彼女の背を押してしまったことの後悔は、深く私の胸の奥に堆積している。

 

「お礼にひとつ、私も良いことを教えてあげる。お姉様もきっと恋をした時に役に立つはずよ」

「男性の口説き方なら、魅了の魔術を心得ていますので……」

「いいえ。それだとその人のものにはなれても、その人の本当の心を手に入れることはできないでしょう?」

 

 その時の私には思いもつかなかった。

 

「だから、思いついたの。その人だけの大切なモノになる方法」

 

 白百合のように笑うあの子が、

 

「───その人のいちばん大切なモノを壊せば良いのよ」

 

 あれほどに醜い花をつけることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリテンは戦乱の火に包まれていた。

 多数の王が乱立し、敵の領地を求めて日々血で血を洗う闘争を続ける。

 殺し合いは人の常だ。千年前はその愚かしさに涙を流したこともあったが、いつしかそれも枯れてしまった。蕾が花をつけるように、殺戮が彼らの習性だと理解したから。

 人はその愚かしさ故に殺し合うのではない。人間だから人間を殺すのだ。

 その連鎖を止めるためには、圧倒的な力が必要だ。星によって鍛造された最強の聖剣。来たるべき運命の王にそれを渡すことが、私の使命なのだろう。

 だが、王は臣下を従えてこその王だ。決してひとりではブリテンの統一は叶わない。数々の英雄が孤高を理由に死んできたのを目にしていた私は、ひとつの仕込みをすることにした。

 ───王を支える最強の騎士を育てる。

 私の手にある剣は二振り。

 星の聖剣・エクスカリバー。

 不壊の剣・アロンダイト。

 このアロンダイトに見合う戦士を育て、運命の王の元へ送り込む。そのために島の外にまで手を広げて、見込みのある子どもたちを探し回った。

 そうして、行き着いたのはフランス。

 ベンウィックのバン王の息子、ランスロット。

 

「……あなたには、才能がある。この世界で最強の剣士になれる才能が。その力は大義のために使いなさい。早逝した両親の代わりに、私がその道を指し示しましょう」

 

 必要とあらば、魔術で彼の精神を操ることも考えていた。

 

「あなたに着いていけば、私は多くの人を救えますか」

 

 けれど、その目論見は杞憂に終わった。

 ランスロットは力ではなく苦しむ人々の救済を求めた。彼は才能だけでなく、慈悲深い精神をも併せ持っていたのだ。

 その時、私はこう思った。

 ……大当たりだ、と。

 王の道を狂わせる要因。それは大抵の場合、外患のみならず内憂にある。この子ならば、運命の王を裏切ることはない。

 決して王に叛くことなく、内に潜む敵も外に在る敵も等しく討ち果たす。彼こそがいつか生まれる運命の王を支える金剛の剣となるのだ。

 

「ええ。ですが、私が与えることができるのは力のみ。それをどう扱うかはあなたの自由です」

「ならば、私は貴女に教えを乞いたい。無辜の人々を、少しでも笑顔にするために」

「良いでしょう。私のことはヴィヴィアンでもニミュエでも、好きなように呼びなさい。名前は、持っていませんので」

 

 そうして、私はランスロットを鍛え上げた。彼の手足となる未来の部下たちも含めて。

 座学に始まり、剣術、槍術、馬術───騎士に必要なこと全てを。

 彼の才覚は予想を超えた。

 剣を握って三日で私の技量を上回り。

 馬に乗せればまさしく一心同体。平原を誰よりも速く駆け、山間や森林などの険路も意に介さない。

 私とてこの千年間、無為に時間を過ごしていた訳ではない。それなりに武術は積み重ねてきたし、定期的に世俗の知識を取り入れるようにして技も磨いていた。

 だけれど、ランスロットの剣技は私の千年を一瞬で追い抜かし、はるか先の高みへ雷の如き速さで駆け抜けていく。

 得てして英雄とはそういうモノだが、彼は私が見てきた英雄の中でも一、二を争う才覚を有していた。

 これこそが理想の騎士。

 彼こそが無双の英雄。

 この時の私は、そう信じて疑わなかった。

 

「とうに教えることは無くなっていましたが……体は出来上がり、軍を指揮する術も身に着けた。後は実戦で磨くのみです」

 

 精霊である私にとって、月日が流れるのは恐ろしく早い。気付けば、ランスロットの出立の日が訪れていた。

 

「今までの御指導、感謝致します。義母上(ははうえ)

 

 ブリテンへの武者修行。そう理由をつけて、彼を送り出した。船に乗る義息子の瞳は理想に燃えていて、私は目を合わせることができなかった。

 なぜなら、知っていたから。

 理想の王と無双の騎士。その両雄を以ってしても、ブリテンの滅びは決定していることを。

 必要だから探して。

 必要だから育てた。

 意味のないこととは言えない。王と騎士の活躍によって失われる命は確実に減るはずだ。けれども、国が滅ぶのなら存在しないのと一緒ではないのか。

 フランスのとある湖畔。憎たらしいほどに冷たく輝く月を眺めながら、慚愧の念が浮かび上がってくる。

 私は、無意味で無価値な存在なのだと。

 これでも昔は女神と称えられたこともあった。決して多くはない、精々がひとつの村程度の人数だったが、私は彼らと寝食を共にしたこともある。

 しかし、ある時、目を離した隙に軍が通りかかって、彼らの命は奪われた。女は犯され、男はひとり残らず首を斬られた。

 声をあげて泣く女たちを介抱して、私は言った。

 

〝傷は治しました。男たちに穢された場所も。ですから───〟

〝殺してください〟

 

 肺の空気が搾り出されるような感覚。

 

〝────え……?〟

〝体じゃない。心が痛いんです。彼のための体を穢されて、売女と蔑まれて……もう、生きていたくない〟

〝で、ですが〟

〝お願いします。この先ずっと、痛みを抱えて生きるなんてできないのです〟

 

 お願いします、お願いしますと頼む彼女たちの懇願に、私は逆らうことができなかった。

 ……死体の山の前で立ち竦む私を抱きしめて、お姉様は言ったのだ。

 

〝───ばかね。人間なんかに、目をかけるから〟

 

 欠けてしまったものを埋めれば修復できる城壁のように。人間の心は、それだけで治るものだと思っていた。

 なんて間違い。とんだ愚かしさ。

 ───私には、人の心が分からない。

 なにも知らない。

 なにひとつ、護れやしない。

 この世の理不尽と不条理は、誰にも等しく降り注ぐ。

 そんな世界でのうのうと生を享受している醜いこの身は、もはや要らないモノとしか思えなかった。

 できるだけ苦しめるものが良い。

 錆びた短刀を握り締めたその時、背後の林ががさりと音を立てた。

 獣ではない。化生の類でもない。

 目の下を、真っ赤に泣き腫らした少年がそこにいた。

 寝間着はぼろぼろで、枝葉に切りつけられたのか肌に少なくない傷がついている。ここは平和だったから、戦火に追われた訳でもないだろう。

 彼の顔には表情というものが見受けられなかった。涙と一緒に全ての感情を流し切ってしまっていたのか、普通の子どもなら泣き怯えるはずの痛みを感じていない。

 その少年と私の目が合い、そして、

 

「───きれいだ」

 

 彼は、そう言った。

 どくり、と全身を巡る血液の温度が高くなった気がした。

 これはただ、不意を突かれて驚いただけ。この時はまだ、そうだった。

 私は少年の傷を手当てして、共に湖のほとりに座り込んだ。うつむいて黙る彼に、できるだけ柔らかい声音で話しかける。

 

「こんなところで、一体どうしたのですか。夜の森は危険です。子どもがひとりで出歩いて良い場所ではありませんわ」

「…………お母様が、死んだんだ」

 

 彼の表情を見て、私は息を呑んだ。

 その内容にではない。

 唯一の肉親が亡くなったことを告げたというのに、その心は揺らぎもしていなかったことに。

 それはきっと、冷淡なのではない。瞳の奥に宿った信念のような歪な柱が、彼を支えてしまっている。

 私がかける言葉を見失っていると、少年は続けた。

 

「でも、それは良いんだ。元々体が弱かったし、人が死ぬのは当然のことだから。寂しいけど、悲しくはない」

「……そ、れは」

 

 人の世は、こんな小さな子どもにそんなことを言わせるほどに腐っているのか。

 義憤のようなものを覚えかけて、何かを否定するように口走る。

 

「けれど、あなたは泣いていたのでしょう」

「うん。でもそれは、おれの心が弱かったせいだ。今は……割り切れたと思う。お父様が死んだ時は違かったけど、もう大丈夫だ」

 

 訊けば、彼は父親をも亡くしていた。

 少年の父親はブリテンの騎士で、諸侯との戦いの中で命を落としたのだと言う。ついには他領の軍が攻め込み、遺された母子は親戚を頼って、フランスまで落ち延びてきたのだ。

 そして、生まれつき弱かった体と夫を亡くした心労のせいで母は亡くなってしまった。

 何の慰めにならないと分かっていても、言わざるを得なかった。

 

「ブリテンの争いは、じきに収まります。私のような部外者が言っても詮方ないと思いますが、あなたの父君の死は決して無駄ではなかったはずです」

「……優しいんだな、お姉さんは」

 

 包み込むような声音。何歳も離れた年頃の少年の言葉に、私は気恥ずかしくなって。

 

「い、いえっ、そんなことはありません。優しいという言葉は、私には似合いませんから」

「おれを慰めようとしてくれてたのに?」

「あ、当たり前のことです。あなたが、悲しそうな顔をしていたので」

「───それは、お姉さんもだろ? 教えてくれよ。おれの話を聞いてくれたお礼だ」

 

 父親が子どもの頭を撫でてやるように。

 私の口からは、するりと言葉が出ていた。

 

「人の心が、分からないのです。愛していた人たちのことも護れなかった。そんな私に価値はないんです。人間より大きな力を持っているはずなのに。今も私は、死にきれずに無意味で無価値なことに手を染めている。そのために、人を騙して……だからっ」

 

 錆びた短刀を握る私の手は、赤く染まっていた。それはまるで、自らの罪を表しているかのようだった。

 彼は私の手から短刀を奪って、ひと思いにへし折る。それを地面に放ると、足で踏み付けて粉々にする。

 絶望が、砕ける音がした。

 

「人の心が分からないなんて嘘だ。そんなのは誰にも分からない。ただ分かった気になってるだけで、何が真実かなんてのは自分で決めることだ。無価値なことに手を染めたってのも何か知らないけど、同じことだと思う」

 

 少年は初めて笑って、

 

「お姉さんはどうしてそうしたいと思ったんだ。それはきっと、優しい願いのはずだろ」

 

 視界が濁る。

 頬を熱いものが伝う。

 

「助けたいと思ったんです。無駄だと知ってても救いたいと思ったんです。ともに笑い合いたいと思ったんです。全ては、私の愚かしさ故に……そう、思って、」

 

 そこから先は、あまり覚えていない。

 すがりついて泣く私を彼は緩やかに抱き留めて。

 流れ出す涙の熱は間違いなく、この心から分け与えられたものなのだと、そう思った。

 私は人ならざる超常の力を持つ妖精。誰かに縋ることはなく、姉妹以外に弱味を見せることもなかった。

 こんな醜い人外の女を、初めて受け止めてくれた人間。思えば、この時すでに、私は心を奪われていたのかもしれない。

 気付けば、月は静かに傾いていた。

 この身に降り注ぐ月の光はこれまでと違って柔らかく、静謐なまでの心地よい冷たさを纏っていた。

 涙の跡が残った顔を見られないようにそっぽを向いて、彼の手を引く。

 

「大分、夜が更けてしまいましたね。心配する者もいるでしょう。家まで送り届けて差し上げますわ」

 

 彼はこくりと頷いた。

 静かな夜の森を二人で歩く。

 キリスト教が興る以前、森とは神霊や魑魅魍魎が跋扈する異界だった。唯一神の名のもとに自然の支配が進んでからは徐々に信仰を失っていったが、この時はまだ神秘が色濃く残る時代。魔性が活動する夜の森を子どもがひとりで歩き回るなど、自殺行為でしかない。

 今思えば、それは彼の才能の片鱗だった。

 己の身に迫る危険を素早く察知して対応するということに、彼は天賦の才を与えられていたのだ。

 にじり寄る魔の気配を自らの気勢でもって威圧し返す。精霊たる私に敵う者はこの森にはいない。視線に呪いを込めて始末することもできたけれど、そうはしなかった。

 この手を握り返す五本の小さな指。肉親を失くした彼に、私が必要とあらば躊躇いなく命を奪う女だということを、知られたくはなかったから。

 森の出口が見えてきたところで、少年は遠慮がちに言った。

 

「お姉さん、名前は?」

「私の名前は……────」

 

 答えようとして、喉が詰まった。

 私たちに個人を指す名前はない。私と妹は何度かお姉様にかけあったことがあったけれど、お姉様は許してはくれなかった。本当の名前というものを持ってしまうと、それを介して呪いを掛けられる恐れがあるからだ。

 ヴィヴィアン、ニミュエ、エレイン、ニニアン……それらは私たち三人を包括した呼び名にすぎない。だから、彼の求めに応じるための名前を持っていなかった。

 

「名前は、ありませんわ」

「そっか。そういうこともあるか」

「気にならないのですか」

「だって、訊いてほしくなさそうだから」

「…………ありがとうございます」

 

 言葉を交しているうちに、森の出口に辿り着いてしまう。

 森が人外の世界だとしたら、森の外は人間の世界。その境目を隔てて、私と彼は向き合った。

 

「あなたの周りの人も心配しているかもしれませんわ。寄り道せずにお帰りください」

「うん、ありがとう。お姉さんに会えて、おれも何だかすっきりした気がする」

 

 そう言って、彼は微笑む。

 胸の奥からじくじくと熱が染み出した。

 その熱の正体を分からぬまま、指が解ける。

 彼の手が離れていく。

 触れ合っていた面積が狭まっていく。

 得体の知れぬ焦燥感。一瞬が何秒にも引き延ばされて、思わず私は森の境目を飛び出していた。

 

「あ、あのっ!」

 

 自分でも驚くような大声。

 彼は振り返り、困惑の色を露わにする。

 

「あなたのお名前は、何と言うのですか」

 

 そして、私は─────

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()。おれの名前はペレアスだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────運命と、出逢った。

 ペレアス。ペレアス、ペレアス。私は何度もその名前を脳の中で反芻した。

 心に彫り込むように。

 魂に刻みつけるように。

 硬直した私を心配したのか、ペレアス様は顔を覗いてきて、

 

「急に固まったけど、大丈夫か?」

「は、はいっ。どこも悪くありませんわ」

「それなら良いけど……そうだ、またお姉さんのところに行ってもいいか?」

 

 答えなんて決まりきっている。

 

「ええ───あの湖で待っておりますわ。何日でも、何か月でも、何年でも……」

「いや、それは待ちすぎだぞ」

 

 そうして、ペレアス様は帰っていった。

 私はその背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた。鮮明な思考を取り戻したのは一時間は後のことだったと思う。

 闇に包まれた森の道を通って、彼との待ち合わせ場所に向かう。

 暗い闇の中でも気分は雲ひとつない快晴だった。浮足立つ気持ちは自分ですら止められない。どくどくと動く心臓が血の巡りを速くして、このままどこへでも飛んでいけそうなくらいに体が軽くなる。

 湖のほとり。さっきまで命を絶とうとしていた場所。私はそこに座り込んで、彼を待ち続けることにした。

 だって、無闇に出歩いたりなんかしていたら、ペレアス様と入れ違いになってしまうかもしれない。

 自然の触覚であるこの身には、人間がするような食事は必要ない。この世界から直接エネルギーを汲み上げるだけで、息をせずとも生きていられる。

 懸念があるとすれば身だしなみだろうか。彼はどんな服が好きなのだろう。派手なのが良いのか、それとも落ち着いた服装が好みなのだろうか。

 考えることが溢れ出して止まらない。

 日々を茫洋と生きていた私には、慌ただしさは無縁のものだったから。

 太陽が昇り、夜が明ける。

 彼は今頃寝ているだろう。来るとしたら昼か夜に違いない。そこで、私は重大なことに気が付いた。

 

「…………あの子を害する魔物は排除しないといけませんわね」

 

 先程も言った通り、森は危険が多い。

 昼にしろ夜にしろ、あそこから湖を目指す道中で危機に見舞われてしまうかもしれない。

 魔性に属する存在は当然、凶暴な動物も排除すべきだ。かと言って、殺しはしない。そこまで剣呑な性格ではないし、あまりにも効率が悪すぎる。

 危ない魔物と動物をこの森から追い出す。

 この時の私は指一本動かすことなく、それを実行できる力があった。

 

「『空想具現化(マーブルファンタズム)』」

 

 精霊種だけに許された秘法。己の意思と世界を直結し、自然を思うがままに作り変える。

 目に見える変化は起こさない。

 しかし確実に、静かに、一帯の環境は改竄された。

 時間にして一秒もいらない。人間がまばたきをするように当然に、この森は安全な環境に作り変えられた。

 この力は喩えるなら小説の地の文を書き換えるようなもの。森を海に、海を山に、山を谷にでもしてしまえる力だ。だからこそ、みだりに使うことはなかったのだが。

 

「仕方ありませんわよね。考えることがいっぱいあるのですから」

 

 私は物思いに耽りながら、ひたすら待ち続けた。

 意識の海から浮かび上がってくる疑問をひとつひとつ解消していく。物思いに耽ることは何度もあったが、誰かのためだかにせわしなく頭を動かすのは初めてだった。

 でも、悪い気はしない。考えることがなくなり始めた頃、太陽は空の中央に移動していた。つまりは昼間だ。

 

「…………昼間?」

 

 おかしい。あんなに長く考え込んでいたのだから、とうに一日は経っているものだと思っていた。

 あんなにも早かった月日の流れが、急に滞ってしまったかのような。そう、今までの時間の感覚だと、目を閉じて開けば日が沈んでいて、気付けば季節が移り変わっている。そんな程度のものだったはずだ。

 目を閉じて、開く。それでも太陽は微動だにしていなかった。

 

「ああ、そうか」

 

 一日とは、こんなにも長かったのか。

 この状況を一言で表すのなら、手持ち無沙汰。もっと簡単に言えば暇だ。

 暇、という感覚は厄介だと初めて知った。今までは暇を覚えることすらないほどに曖昧な時間を生きていて、どんなに辛い時も一瞬で時間が過ぎてしまっていたから。

 太陽は中天にくっついたかのように動かないまま。あまりにもすることがないから、いっそ眠ってしまおうと地面に背中を預ける。

 誰にも見られていないからと手足を大の字に広げたちょうどその時、湖に波紋が生じる。湖面からひとりの精霊が浮かび上がり、私を見下ろした。

 

「…………何をしているの」

 

 私と同じ声。私と同じ顔。同じ湖から生まれた三つ子のお姉様は戸惑いの表情をしていた。まあそれも無理ないだろう。

 

「少しお昼寝をしようと思っていましたの」

「元々ぼんやりしていた貴女だけれど、無防備に過ぎるわ。ランスロットを送り出して、気が抜けたのかしら」

「どうでしょう。あの子は手の掛からない子でしたから、気を張り詰める必要もありませんでした」

「そういうところがぼんやりしてるのよ。……ところで、私たちの妹がここに来なかった?」

 

 言いながら、お姉様は結った髪の先を弄っていた。

 私たちは顔も背丈も体つきもまるで同じだ。魔術で体の形を変えることはできるが、元の体に対する愛着はある。

 そこで、私たちは髪型と口調を特徴付けることで個性を作った。お姉様は髪を二つ結びにしている。私と妹で決めた髪型だ。

 

「半年前くらいに来ましたわ。どうやら恋をしたとかで……」

 

 お姉様は深いため息をつく。

 

「昔からあの子が一番ませてたわ。聖遺物の管理はしているようだけど……恋なんて私たちから最も遠い感情じゃない。次に会ったら叱ってあげないと」

「ええ、でも羨ましくもありますわ。恋というのは一体どんな感情なのでしょう。巷の本を読んでみても、あまりよく分かりませんでした」

「さあね。本当に物語に書かれている通りなら、ろくでもないことは確かだわ。恋わずらいなんて言われてるくらいだし病気よ、病気」

「……でも、お姉様は祝福してくれるに決まってますわ」

 

 私がそう言うと、お姉様は頬をほんのり赤く染めてそっぽを向いた。

 

「───当たり前じゃない。私の妹だもの」

 

 お姉様は、優しい。

 私はその優しさに付け込んで、頼みごとをした。

 

「私もお姉様の妹です。ひとつだけお願いを聞いてくれませんか」

「良いわよ。ひとつだけなら」

「では、もっとお話をいたしましょう。私の暇潰しに付き合ってくださいな」

「……もう。そんなことなら、お願いするまでもないのよ。あなたが満足するまで付き合ってあげる」

 

 そうして、私たちは気の済むまで語り明かした。

 なんてことはない、とりとめのない話。湖の乙女の使命も忘れて、まるで人間の姉妹のように言葉を交わした。どこか退廃的で、けれど心地の良い時間はすぐに過ぎ去ってしまう。

 気付いた頃には辺りは暗くなっていて、中天の座は太陽から月に明け渡されていた。お姉様は私にひとつの忠告をする。

 

「古きケルトの末裔に気をつけなさい。唯一神の法が広まり、救世主が原罪を持ち去った今でも、彼らは復古を望んでいるわ。いずれ現れる、運命の王の障壁となるかもしれない」

「……お姉様がそう仰るということは、何か心当たりが?」

 

 お姉様はこくりと頷く。

 

「───モルガン。あの女だけは得体が知れない。もしかしたら、あの魔女は私たちと同じ……」

「……同じ? それは一体、」

 

 私の問いが最後まで紡がれることはなかった。背後の茂みがかさりと音を立てて、咄嗟に目を向けた場所にはペレアス様がいた。彼は怪訝な顔つきで、

 

「約束通り、遊びに来た。そこの人は?」

 

 じとりとした視線を背中に感じる。

 伝えんとすることは分かっている。人と関わって痛い目にあったあの経験を忘れたのか、と咎めているのだ。

 お姉様は不機嫌そうに翻って、湖の中に溶け込んだ。

 

「本当にしようがない子。後悔だけは、したら駄目よ」

 

 耳が痛くて、ばつが悪くて、返す言葉もない。

 お姉様は怒っただろうか。失望しただろうか。台無しとはまさにこのことを言うのかもしれない。あんなに楽しく会話をしていたのに、こんな最後で終わってしまった。

 ペレアス様は氷像のように固まる私の側に座って、小さく笑う。

 

「優しい人なんだな。姉さんのこと、心配してた」

「心配、ですか? 私はてっきり、怒らせてしまったのかと」

「後悔したら駄目なんて心配してないと言わないだろ? 呆れてたとは思うけどさ」

「そう、なのですね……」

 

 胸の中が安堵で満たされていく。

 それを察したのか、ペレアス様は愛らしく笑って、

 

「じゃあ、何をする? 姉さんの好きなものはなんだ?」

「私の好きなもの……ですか」

 

 頭の中を引っくり返して考える。が、最初の一歩でつまづいた。好き、という感情がどのようなものであるか理解できなかった。

 彼と目が合う。さらりと流れる金の髪、煌めく湖面のような碧い瞳、結ばれた薄い唇───怪訝そうにこちらを見上げるその仕草が、あの時の熱を蘇らせる。

 私は鼓動を早める心臓を抑えるように胸に手を置いた。

 

「あ、あなたの好きなものが、知りたいですわ。そうしたら、何か思いつくかも……」

「おれの好きなもの? いっぱいあるけど、この前知ったのだと聖ジョージの話だな! 毒の息を吐く竜を、生贄たちを守りながら槍で倒すんだ!」

「竜殺しの話ですか? ですなら私、いくつか知っていますわよ。毒の竜というとヘラクレスでしょうか」

「ヘラクレス?」

「ええ、竜殺しだけでなく数々の怪物殺しを成し遂げた英雄ですわ。語って差し上げましょうか?」

 

 ペレアス様は首肯した。その瞳はきらきらと期待感に溢れている。

 私は語った。英雄ヘラクレスが如何にして生まれ、そして死んだのかを。

 戦いに彩られ、血に濡れた英雄の人生。十二の功業を成し遂げ、アルゴノーツの一員として冒険し、ギガントマキアにて神々の天敵たる巨人たちを屠り尽くす。

 物語を語り終えると、ペレアス様は興奮を隠し切れない様子で喋り出した。

 

「……すごいな! ヘラクレスはどれかひとつでも達成したら英雄ってことを、何度も成し遂げたんだ! かっこいいな!」

「ふふ、ヘラクレスは不世出の英雄ですから。肉体の強さだけでなく、どんな敵にも対応する機転、類稀な技量……どれが欠けてもヘラクレスはヘラクレス足り得なかったでしょう」

「そっか、全部引っくるめたのがヘラクレスの強さなんだ。どんな人だったのか、見てみたかった。巨人に力比べで勝ったくらいだし、とんでもない筋肉してるんだろうな!!」

 

 そこで、彼は初めて年相応に笑った。

 大人びた、浮世離れした表情は見る影もない。その顔は、私が初めて見る類の彼の笑顔だった。

 どこかくたびれた笑顔より、こちらの方がずっと良い。その顔がもっと見たい。

 その思いのままに探り当てたのは、私の中に残る最も煌めく記憶。

 

「思いつきましたわ。私の好きなもの」

 

 彼の手を取る。

 さくりさくりと四つの足が土を踏む。

 

「水と戯れること……よくお姉様と妹とこうしていたのを思い出しましたの」

「そんな大切なことを忘れてたのか? 結構ぼんやりしてるんだな」

「お姉様にも同じことを言われました。それに、もう何百年も前のことですから、自然の触覚たる精霊には必要のないものと切り捨てていたのかもしれませんわ」

「普通じゃないとは思ってたけど、精霊だったのか」

「驚きましたか?」

「うん。でも、それだけだ」

「……良かった」

 

 足首が湖面に沈んでいく。

 月の光が明るく照らす水面。ひやりとした心地の良い冷たさが腰にまで達した時、彼は私の手を握る力を強めた。

 

「泳いだことは?」

「な、ない。言っとくけど、怖くはないからな」

「ふふふ、分かっておりますわ。さあ、私に身を委ねて力を抜いてくださいな」

 

 幼い体の小さな重さが私にのしかかる。足の裏で水を蹴り、体が水面を切って移動する。

 

「心の恐れは体の動きに現れます。まずは水に慣れていきましょう」

「分かった。こうしてて沈まないのか?」

「問題ありませんわ。水流を操作すれば溺れることはないですから。望むなら水面を歩くこともできますわよ」

「もうそれでいい気がしてきたぞ……!?」

 

 彼の筋肉の強張りが解ける。私は体を立てて、小さな手を引いた。

 

「両足を上下に交互に動かしてみてください。力まずに、できるだけ細かくしますのよ。力を入れ過ぎては沈んで、魚の餌になってしまいますわ」

「……こうか?」

「ええ、上手ですわよ。それでは水面に顔をつけて離してを繰り返してみましょう。人の子は息継ぎをしないと死んでしまいますので。溺死は一番苦しい死に方らしいですわよ」

「ちょくちょく怖いことを言ってくるな!?」

 

 そうしてペレアス様が顔を水につけて数秒後、ぼこぼこと勢い良く気泡が溢れ出してきた。

 彼は慌てて面を上げると、顔色は耳まで真っ赤に染まっていた。

 

「どうしたのです?」

「いや…胸が透けて……ごめん!!」

「ああ、乳房のことですか。別に乳房を見られるくらい気になりませんわ。体型を変えて乳房を小さくすることもできますが、どういたします? 乳房」

「四回も言う必要がどこにあったんだ!? と、とりあえず岸に上がろう。もう遅くなってきたし!」

「むう、仕方ありませんわね……ではこちらに」

 

 湖から上がり、私はペレアス様に手をかざした。水を含んだ衣服と濡れた髪から水分を吸い取り、手のひらで塊にしてまとめる。

 同様の手順で私自身の処理も終え、水を元の場所に還した。

 

「今日も送って差し上げますわ。少々作り変えたとはいえ、子どもひとり夜の森を歩くのは心配です」

 

 ペレアス様は黙って肯定する。私たちは手を繋いで夜の森を進んでいった。未だに頬を赤く染めた彼はそっぽを向いて呟く。

 

「……楽しかった。その、見てごめん。次は明後日に来てもいいか?」

「もちろんですわ。今度はもっと準備をして待っております」

「それじゃあ、またな」

「ええ、また」

 

 それから、私たちは幾度も逢瀬を重ねた。

 ブリテンを統一する運命の王が現れるまでの限られた時間。されど、目を伏せればありありと描かれる。過去の情景や交わした言の葉、匂いまでもが。

 ───たとえば、彼が好きだった英雄の話。

 

「───こうしてアキレウスはパリスの矢に踵を射抜かれ、その人生に幕を閉じました。もっとも、彼は死に際に大暴れして多数の将兵を道連れにしたそうですが」

「クー・フーリンといい、往生際が悪いやつが多いんだな。それにしても、どうして英雄の話はめでたしめでたしで終わらないんだ?」

「全く無い訳ではありませんが、確かにそういう傾向はありますわね。救世主が産まれる前の昔は、アイスキュロスなどの手によってギリシャ悲劇が栄えていましたから、大衆に好まれる話ばかりが残ったのかも……」

「……生きてれば、悲劇なんて見飽きるくらいあるのに?」

 

 まだ達観するには早すぎる彼の背を私は抱き締めた。

 

「そんなことを言ってはいけませんわ。私は泣いてしまいます。あなたの未来にはこれから、たくさんの幸福が待っているのですから」

「ありがとう。やっぱり優しいな、姉さんは」

「……あ、あなたのためなのでっ」

 

 ───たとえば、自然との戯れ。

 

「魔術をかけて服が水を弾くようにしましたの。これで透けたりしませんわ。泳ぐ時間ですわ!」

「……おれの服にはその魔術かけなくていいのか?」

「泳ぎ心地が変わってしまうので……それとも脱ぎます? いえ脱ぎましょう。さあ脱ぎましょう!」

「目が血走ってるんだが!?」

 

 すると、湖からお姉様が飛び出してきて、

 

「……アホなことやってるわね」

「あらお姉様。お姉様も脱ぎますか?」

「寝言を言うにはまだ早い時間帯よ?」

「少しでもまともな人がいてくれてよかった……」

 

 ───たとえば、剣術の修行。

 

「握りはこう。剣先がブレないように。振りは小さくすることを心掛けましょう。足はしっかり開いて、右足を前に出し、左足は引きます」

 

 ペレアス様は私が言った通りに構え、真っ直ぐに木剣を振るう。なんてことのない動作だが、その様はまるで老練の剣士のように堂に入っている。

 剣才がある。おそらくはこのまま戦場に放り出しても通用するほどの才能が。流水のように滑らかな一刀が次々と繋がる様は芸術的ですらあった。

 でも、それは彼が戦いに身を投じることを避けられぬことと同じであり、言い換えれば人殺しの才能があるということだ。

 その手が赤い血に濡れるなんて、私には想像もしたくない出来事だった。

 

「……どうして、いきなり剣の稽古をしたいと?」

「母さんと、友だちのためだ。ブリテンから逃げてきた時に奪われた領地を取り戻して、母さんを故郷の土に埋めてやりたい」

「友だちのためというのは?」

「代々おれの家の従者をやってた家系なんだ。将来、一緒に戦場に出ることになるから、おれが強くなって守りたいんだ」

「……私は守ってくれないんですか?」

「おれよりずっと強いのに? ……でも、そうだな。姉さんを守れるくらい強くなるさ」

 

 彼と会う度に。

 彼に触れる度に。

 私の中で燃え上がっていく黒く暗い感情。

 

「今日は、姉さんに贈り物を持ってきたんだ」

「贈り物、ですか? 私なんかにもったいないですわ」

「お金はかかってないけど、気持ちは込めた。受け取ってくれないか?」

「そこまで言われたら、私に断る理由なんてありませんわ」

 

 心臓をじりじりと焦がす熱はいつしか大炎へと変貌を遂げていた。

 精霊の本質が囁く。

 ───欲しい。

 

「花冠……家のお手伝いさんに教えてもらったんだ。おれの方こそ、こんなものでしか返せないけど」

「いえ、とても…とても嬉しいですわ。この気持ちを言い表す言葉が見つからないほどに。被ってみても?」

「うん、絶対に似合う。飾り付ける土台が最高だからな」

「ふふっ、そんなに褒めても何も出せませんわよ?」

 

 シロツメクサの白い花をつけた冠。小さな手で精一杯作ったのだろう、細部の出来は甘いが、それが逆に微笑ましい。

 花冠を被った私を見て、彼は言った。

 

「ああ───やっぱり、きれいだ」

 

 その瞬間、世界ががらりと変わる音がした。

 ───欲しい。

 もう他に何もいらない。

 もう他に何も考えられない。

 この男を。

 この人間を。

 永久に我が物としたい───!!

 

「……ついに選定の剣を抜いた人間が現れた」

 

 けれど、運命はそう簡単に動いてはくれない。

 ある日、唐突に、お姉様は私に告げた。

 

「ウーサーの落胤、アルトリア。マーリンに相当手を加えられたのか、赤き竜の因子を宿した希少品よ。私たちもブリテンに行きましょう。ペリノアやヴォーティガーン相手に、カリバーンでは敵わない」

「お姉様の聖槍と、私の聖剣がなくては卑王は倒せない……」

「それだけじゃないわ。ブリテンの諸侯は右から左まで生き馬の目を抜く妖物揃い……選定の剣(カリバーン)一本で戦い抜けるとは思えない。本当は今すぐにでもブリテンへ飛びたいところだけど……」

「一日だけ。一日だけ時間をください。せめて、あの子とのお別れをさせてください」

 

 お姉様は震える私を抱き留めて、優しく囁く。

 

「お別れをする必要なんてないのよ。運命の王が見つかったのだから、平和になったその時に───」

「───いいえ、これは私のためです。別れを告げないと、私はきっと使命を果たせない」

 

 来たるべき運命の王に、星の聖剣を譲渡する。

 それこそが私の使命であり、姉妹の中の役割だ。この役目はあの子との繋がりを保ったままでは果たせない。なぜなら、使命よりも彼の方が大切に思えてしまうから。

 翌日の夜。満月の光が照らす湖畔で、私とペレアス様はいつものように話をした。

 いつもと変わらぬ安穏とした時間。私は彼の手に指を絡ませて、想いを伝える。

 

「私はあなたのおかげで救われました。私にも人の心があると、教えてくれた」

「ど、どういたしまして?」

「それに、素敵な贈り物まで頂いてしまいました。だから……お返しをさせてくださいませ」

 

 体を密着させて、顔を寄せる。

 

「───好き」

 

 勢いのままに、唇を押し付けた。

 口づけで呪いが解ける、なんて話はありふれているけれど、これは逆。キスを介して魔術をかける。

 私が彼にかけた魔術はふたつ。

 ひとつは、たった一度きり、純潔の口づけを捧げることで幸運を与える加護。

 もうひとつは、彼の記憶から私の存在を消す魔術だった。

 人間と人外の恋は悲劇で終わる。人間と人外の住む世界は区切られているから。前者は此岸に、後者は彼岸に。断絶された関係をそれでも繋げようと望んだ者たちに待ち受けるのは、少しの幸福と深い絶望だ。

 そんな業を、彼に負わせるなんてことはできなかった。

 

「…………もう、いいの?」

 

 お姉様の言葉に頷いて返す。

 貰った花冠に魔術を施し、枯れぬようにする。私はそれを首に掛けて、覚悟を決めた。

 迷いは、ない。

 そして、ブリテンではカリバーンを携えた王が勝利を挙げていた。彼女のもとには次々と仲間が集まり、破竹の勢いで実力者たちを打倒していく。

 だが、王の進撃を阻む者がいた。その者の名はペリノア王。子息にラモラック卿やパーシヴァル卿といった精強な騎士を有し、本人も無類の武勇を誇る強敵だった。

 ペリノア王の手によってカリバーンは折られ、運命の王は新たな武器を求めた。

 ブリテンのとある湖。花の魔術師に手引きされ、この島の命運を背負う少女はひとり小舟を漕ぐ。

 王は、少年のような顔立ちをしていた。

 理想に燃える瞳と、固く切り結んだ唇。

 彼女の張り詰めた表情はこれから和らぐことはなく、また、瞳に燃える理想もいつかは熱を失う。そう思うと、途端に同情心が湧き上がった。

 これはペレアス様との出会いが無ければ持ち得なかった感情だ。精霊が人間に同情を抱くことなど、ありはしない。

 鞘に収まった聖剣を抱き、私は王と向き合った。

 

「人の子よ、契約です。この剣を渡す代わりに、一度だけ私の望みを叶えると誓いなさい」

「それが私にできることなら、力の限り応えましょう。湖の乙女よ」

「…………剣を振るうことに、後悔はありませんね?」

「───無論。この身が灰となろうとも、歩みを止めるつもりはありません」

 

 こうして、聖剣の譲渡はなされた。

 舟を漕いで去っていく背中を眺める私の横に、お姉様と妹が並び立つ。妹は女の私ですら寒気を覚えるほどの色香を漂わせ、艶やかに微笑む。

 

「あの王様、いつかどこかでつまずくわね。あの人に必要なのは優れた騎士でも、万軍を滅する武器でもなく、恋人よ。恋の妄執が国を滅ぼすことを知らないから」

「久しぶりに会ったと思ったら、言い出すのはそんなこと? 恋人を必要とする王には見えなかったわよ」

「そんなことないわ。氷のお姉様は恋をしたことがないから言えるのよ。ねえ、霧のお姉様?」

 

 妹は私の腕に抱きついてくる。

 

「確かに、色に溺れて破滅する王は何人もいましたが……私も同意しかねますわね」

「ウソ。だってお姉様、私と同じ顔してるもの」

「それは、どういう?」

「女の顔。大切なモノのためになんでもできる女の顔よ」

 

 心臓の鼓動が跳ねる。私たちは同一存在。姉妹の心根は手に取るように分かるが、探られた感覚も生じる。妹はその力を使わずして、私の図星を突いてみせた。

 妹は私の耳に唇を寄せる。

 

「───()()()()()()()、忘れちゃ駄目よ?」

 

 …………新たな力を手に、運命の王は諸侯を併合していく。円卓の騎士たちの助力もあり、王はカリバーンを手にして十年でブリテンの統一に王手をかけた。

 要害であったノーサンバーランドもベイリン卿の凶刃に妹が殺されたことで異界化が解け、王の統治下に置かれた。ベイリン卿の父親との恋に生きた妹のことをお姉様は理解できなかったが、私には痛いほどに分かってしまう。

 感情とは、理屈を粉砕するのだ。

 他の何をも凌駕するほどの感情。それを次に抱いたのは、ブリテン統一戦争の最終戦。私たちは王と敵軍の戦いを遠目から眺めていた。

 

「あの王様で、間違いはありませんでしたわね」

「元より選定の剣が選んだのだから当然と言えるわ。王にとって大変なのはこれからよ。創業は成せたとしても、守成がどうなるか」

 

 とはいえ、この戦いに勝たなくては捕らぬ狸の皮算用。残存勢力の精鋭が集まった敵軍は決して容易な相手とは言えない。目の前の問題をどうにかしなくては、王の理想は理想のまま終わるだろう。

 私が開戦前の戦場を睥睨していると、その中に忘れ得ぬ面影を見た。

 大人たちの戦列に混ざる少年。周りと比べて頭ひとつ分は背が低く、顔立ちはさらに幼い。彼の顔を視界に捉えたその時、私は悲鳴のような声をあげた。

 

「あの子は────!!」

 

 駆け寄ろうとすると、お姉様は慌てて私の手首を掴む。

 

「落ち着きなさい。私たちが手を貸しては意味がないわ。王が独力で勝ったという権威に傷がつく。こらえなさい」

「それでも、ひとりくらいは助けてもバレはしませんわ」

「……どうかしら。案外、その必要はないかもしれないわよ」

 

 私は身体に強化をかけ、飛躍的に上昇した視力と聴力を彼に傾けた。

 彼は隣の老騎士に話しかける。

 

「この戦いに勝ったら、ブリテンは平和になりますか」

「そりゃあ、一応はな。新しい国ができても異民族は構わず攻め込んでくるさ。それでも、今よりは遥かにマシだがな。見たところ初陣だろ? そう気負わねえで後ろにいな」

「……ありがとうございます」

 

 突撃の号令がかかると同時、少年は周囲からの制止を振り切って最前列に躍り出た。否、それは最前列からも突出した暴走。身ひとつで軍勢の壁に激突するが如き愚行だ。

 

「……そんな」

 

 ───圧倒的だった。

 彼が剣閃を迸らせる度に敵の血飛沫が舞い上がり、陣形が真っ二つに切り裂かれていく。一本の飛矢を思わせる彼の突進はその場の誰も止める術を持たなかった。

 常に眉間に皺を寄せ、敵を一刀のもとに斬り伏せるその姿にかつての幼さはない。私が何よりも目を奪われたのは彼の剣技。無駄という無駄が一切なく、最小限の振りだけで的確に急所を打ち抜く洗練された技巧。その根本には、確かに私が教えた剣が息づいていた。

 だが、その土台の上に築かれたのは、彼がかつて目指したモノとは異質。

 

「中々使うわね。心配するところなんてどこにもないわ」

 

 満足気に口角を上げるお姉様とは裏腹に、私は思い知っていた。

 

「……違う」

 

 人の記憶を消してしまうことが、何を意味するのかを。

 

「アレは誰かを守るためでなく、人を殺すための剣───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の死体が打ち捨てられた野原で、荒々しく息を吐く。

 その戦いはいつも通り、アーサー王の勝利で幕を閉じた。指揮官の差、数の差、兵の質の差。どれを取っても上回っていた。

 しかし、相対する敵が弱かったと言えばそれは違う。たとえあらゆる要素で劣ろうとも、侵略を受ける側の人間は死に物狂いで武器を振るうからだ。

 時として精神は肉体を凌駕する。

 致命傷を与えぬ限り、這ってでも戦う。少年が初陣で相手にしたのは、そういう類の将兵だった。

 剣を杖に、肺に堆積した重たい息を吐き切り、彼は歩き出した。戦場の血混じりの空気から一刻も早く逃げ出したかった。

 左肩がずきりと痛む。血が流れている感覚はないが、その部位は大きな熱を伴っていた。思い返すのはひとりの男の顔。首を刎ね飛ばしたにも関わらず、彼の体は駆動し、この左肩を剣で打ったのだ。

 誉れ高き死とはあのことを言うのだろう。たとえ死しても敵を討とうとしたのだから、それは騎士の在り方の究極と言えた。

 陣地へと戻る途中、その耳はか弱い息遣いを捉える。その方向に首を振れば、ひとりの老騎士が腹からおびただしい血を流して倒れていた。

 もう助からない。そうと分かっていても、少年は彼の体をおぶって帰路についていた。老騎士は絶え絶えの息で囁くように言う。

 

「アンタ、戦いが始まるなり突っ込んでいったやつか。その歳で大したもんだ」

「……あなたはどうして戦場に? 後ろで指揮を執っていればこんなことにはならなかったかもしれない。死地を定めたのですか」

 

 取り繕おうともしない物言いに、老騎士は苦笑した。

 

「いいや、単に義務感だよ。戦って死ぬのはアンタみたいな若いやつじゃなくていい。王様が作る平和な国に娘と孫が生きられるってんなら、ここで死んだ甲斐もある」

「騎士とはあなたのような人を指すためにある言葉だ。死んでも未来を繋げようと……」

「いいや、それとこれとは別だ。俺は生きようとした。生きようとしたんだ。死んでも、なんて妥協の言葉だろ? 救世主サマじゃあるまいし、俺たちは常に生きて未来を掴まなきゃいけないんだ」

「だったら、あなたはここで死ぬ訳にはいかない……!!」

 

 陣地で手当てすれば、そう言って走りかけたその時、老騎士の体がぐらりと崩れ落ちる。

 返ってくる言葉はなく、息遣いも絶えた。それらが意味するのはたったひとつ、分かりきったことだ。

 

「…………くそっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、少年はこの戦いで挙げた勲功によって父親の領地の一部を与えられた。元の土地を考えれば猫の額のような場所だが、それでも故郷には変わりない。

 一年後、母の墓を改葬し、彼はブリテンに仕える騎士のひとりとして体制に組み込まれた。王が作った国は一応の安定を見せ、大多数の人間にとっての平和が訪れた。

 そんな情勢の中、彼らは相変わらず煤けた戦場に身を置いていた。異民族の散発的な威力偵察に対抗するためである。

 

「ペレアス様、知ってますか」

「あん?」

「キャメロットには古今東西の美女が集まって店を開いてるらしいですよ」

「いや、古今東西ってどういうことだよ。ざっくばらんにも程があるぞ」

「需要と嗜好の問題ですかね」

「適当すぎるだろ!?」

 

 ペレアスに下世話な話を切り出したのは、代々彼の家に仕えていた従者の家系の出。名をアルフ。史に名前を残すことはなかったが、ペレアスの第一の臣下である。

 彼は石のようになった干し肉と悪戦苦闘しながら、

 

「……つまり、私たちもたまには羽目を外して良いのでは? どうせ今頃円卓の騎士も遊びまくってますよ。騎士なんて美女と戯れるのが生き甲斐の人ばかりですからね」

「それお前にもブーメラン突き刺さってることに気付いてるか?」

「いえ、私の生き甲斐は…………何なんですかね? どうして必死になって戦ってるんですかね? あ、なんか何もかも嫌になってきました」

「自分に跳ね返ってきたブーメランで死ぬやつを初めて見た」

 

 ペレアスは自己嫌悪のドツボにはまっていく部下に言い聞かせる。

 

「お前も知ってるだろ。外敵の動きがきな臭くなってる。まだこの国は出来たてホヤホヤだから、崩れたら建て直しが効かない。収穫期になったら絶対攻め込んでくるぞ」

「無敵のガウェイン卿とランスロット卿がどうにかしてくれる……とは言い切れないのが辛いですね。連戦続きで動員できる兵数も少ないですし」

「ヘラクレスやアキレウスがいたらもっと楽だっただろうけどな」

「それ、キリスト教以前の英雄ですよね。教会関係者に聞かれたらコトですよ。そもそも、なんでそんな人たちを知ってるんですか」

「………………なんでだろうな?」

「コワ〜……」

 

 ともかく、国の根幹が作り上げられていく過程の中では、あらゆる勢力の思惑が入り乱れる。王に権力を一極化させようとする者、利権をかすめ取ろうとする者、新たに自分の根を張ろうとする者。それら不安要素を抱えた上で、この国は外敵と戦わなくてはならないのだ。

 全軍で打ち合えば負ける要素はないが、国が全力を出して戦える状況は少ない。外患と内憂のどちらにも警戒し、残った戦力を敵に当てるしかない。

 そして、数ヶ月後。キャメロット本営の予想通り、作物の収穫期に北方より敵の襲撃が到来した。

 ブリテンの北にはハドリアヌスの壁がある。ローマ帝国時代のハドリアヌス帝が建設したことに因んで名付けられたこの長城は島の東海岸から西海岸を横断する長大な防壁であり、ピクト人やスコット人などの異民族に対する恐れの表れだ。

 つまり、ハドリアヌスの壁を超えた先はアーサー王の治世下にあらぬ異郷の地。王が戦った諸侯でさえ、その地に手出しすることはなかった。

 王の前に立ちはだかるのは未知の敵。地を埋め尽くすかのような大軍の前に、王はまたもや剣を取ることを強いられたのだ。

 場所が変われば戦い方も変わる。異民族の戦法は戦い慣れた騎士のそれとは一線を画す異様さを以って、王の軍勢を苦しめる。

 今までとは何もかもが違う相手。そこでペレアスは数々の悲劇を見た。

 無惨に弄ばれた死体。足の腱を裂かれた女たち。あまりにもありふれた不幸のすべてが心を蝕み、募っていく憎悪がペレアスを突き動かす。

 ひとつまたひとつと死体が増えていく苛烈な戦場。ペレアスとその部隊も例に漏れず、戦争に動員させられていた。ペレアスは鞍上から槍を横に薙ぎ、一度に三人の首を刎ねる。

 

「くっそ! 数が多すぎるだろ! 殺しても殺してもキリがねえ!!」

「奴らの兵士は畑から獲れるんですかね!? というか王様や円卓の騎士はどうしたんですか!」

「こいつらも王様と円卓の強さは分かってる。そっちに数を割いてるんだろうな、多分!」

「目の前にいるのは主力じゃないと!? 差がありすぎるでしょう!」

 

 王と円卓の騎士に兵の大部分を当てる戦術。極論、その戦場以外の全てで勝利すれば、王の軍は建て直せないほどの被害を受けるだろう。

 だが、ここに誤算があった。

 敵が脅威と見た円卓の騎士の実力に届き得る存在。ペレアスの武勇は眼前の軍を突破し、犠牲を出しながらも敵勢を撤退に追い込んだ。

 ペレアスは馬の足を止めて、アルフに言う。

 

「伝令に行け。敵の本陣に奇襲をかける。オレたちは敵の目から唯一浮いた駒だ。ここの敗報が届く前なら、奴らの大将の虚を突ける」

「なぜ私なんです!? 副官として着いていきます!」

「オレの部隊で二番目に強いのがお前だ。ケイ卿でもアグラヴェイン卿でもいい、必ず本陣に伝えにいけ!」

「はいはい、話通じないモードですね! 行ってきますよ! 死なないでくださいね!」

 

 ペレアスとその配下は敵の本陣を目指す。

 この戦いに勝ったとしても、それで異民族の侵攻が永遠に止まる訳ではない。収穫期が訪れれば、軍勢の規模に関わらず敵は攻めてくるだろう。

 そうだとしても、ペレアスが歩みを止める理由にはなりはしなかった。

 戦いが決着することで死んでいたであろう兵士は助かり、作物を奪われて飢え苦しむ人々の数は確実に減る。敵将さえ討ち取れば、結果的に死ぬ人間の数は少なく済むのだ。

 しかも、敵は人を人と扱わぬ外道の集まり。武器に込められた力は一層強まり、剣戟は留まることなく勢いを増していく。

 ついに本陣を捉え、ペレアスは後方に続く配下たちに向かって叫んだ。

 

「奴らを皆殺しにすれば戦争は終わる! 準備はいいな!?」

 

 応えるように雄叫びが響く。

 ───殺す。手足が裂けても殺す。死んでも殺す。

 敵軍の将は精悍な顔立ちをした男。身の丈ほどの長大な斧を疾風の如き速度で振るい、瞬く間に人間を肉片に変える剛力の持ち主だった。

 それはペレアスが初めて出会った強敵。何度も死を覚悟し、無数の手傷を負い、槍も剣も砕かれた末に討ち取った相手。

 ペレアスは横合いに血に濡れた肉片を吐き出す。武装を失った彼は敵の喉笛を噛み千切ることで致命傷を加えたのだ。

 体から力が抜け、血の泥中に膝をつく。

 

「…………勝った」

 

 瞬間、湧き上がるのは勝利の喜悦。

 

「……勝ったぞ。鬨の声をあげろ!」

 

 応える者はどこにもいなかった。

 振り返れば、あるのは物言わぬ骸の群れ。

 誰も彼もが死に絶えた死の平原に、ペレアスただひとりが生き残っていた。

 ぶつり、と右の犬歯が下唇を噛み破る。

 死んでも殺す、と意気込んだ結果がこのザマだ。守るべき部下を全員失い、得たのは小さな小さな勝利のみ。

 戦争なのだから人は死ぬ───そう言ってしまえるには、目の前の惨劇はあまりにも重すぎた。

 騎士の誓いを立てたその時に、死ぬ覚悟はできていた。共に戦った彼らは褒められこそすれど、蔑まれるものでは決してない。

 でも、自分がもたらしたこの結果は、苦渋以外の何物でもなかった。憎しみと怒りのままに剣を振るったのだとしても、死に逝った彼らが何を想って戦っていたのか、とうに知る術はない。自らのエゴを他人に背負わせればどうなるか、未だ若き彼は知らなかったのだ。

 彼らの未来を奪ったのは自分だ。

 それはごく当たり前の結論。人を殺すための剣で、どうして人を救けることができるというのか。

 真に必要なのは、真の騎士が振るうべきは、きっと────

 

 

 

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』!!!」

 

 

 

 ────人を守るための剣だ。

 しかして、彼は見た。

 この世界を貫くが如き星の輝き。

 黄金の剣気を放つ聖なる剣と、その担い手を。

 立ちはだかる軍勢を消し飛ばし、王は傷だらけの騎士に手を差し伸べる。

 

「……よくやってくれた、若き騎士よ。卿の働きによって、我らは救われた」

 

 自分より一回りも小さい手。

 

(ああ、そうか)

 

 騎士は王の手を取り、痛感する。

 

(この人こそが、真の騎士だ)

 

 ……遥か北壁、ハドリアヌスの長城を超えた先の防衛戦争は終わりを告げた。

 三日後、ペレアスは王の幕屋に招集された。敵の総大将を討伐した勲功を労うため、簡略ではあるが特別に設けられた式だ。

 そこに招かれるべきだった仲間たちはもういない。ペレアスとアルフのみが王の御前に拝謁することができた。騎士王の側を固めるのは、湖の騎士ランスロットと王の義兄であるケイ。ペレアスたちの両側には、ベディヴィエールやアグラヴェインの姿があった。

 彼らは皆、王の切り札たる円卓の騎士。ベディヴィエールだけは未だその地位になかったが、最初期から王の側仕えとして活躍した知将だ。

 褒賞と勲章の授与と一通りの儀礼が完了した後、喋り出したのはベディヴィエールだった。

 

「ペレアス卿。貴方には是非王都へ来て頂きたい。その武勇は王の下でさらに発揮されることでしょう。これは、あの時貴方に救われた皆の願いでもあります」

 

 ペレアスの返答はとっくに決まっていた。

 

「もったいなきお言葉、感謝致します。ですが、私は自らの憎しみと怒りに部下を付き合わせた愚か者……私のような者を王の手元に置けば、必ずや同じことを繰り返すでしょう」

 

 辺りがしんと静まり返る。この申し出を断るということは、王の誘いを無下にすることと等しい。

 一端の騎士であるペレアスにそれを覆す余地はなく。アグラヴェインは眉根を寄せて、身を乗り出す。

 

「その愚かしさは卿自身が被るべきものだ。言い訳をするな」

 

 しかし、ランスロットはそれを手で遮って、

 

「確かに、貴方は同じことを繰り返すかもしれない。だが、それは未来の貴方もそうだと言えますか?」

 

 そこで、ペレアスは理解した。

 初陣で言葉を交わした老騎士の意見を。

 あの場所で命を拾った自分がやるべきこと───それは、生きて未来を繋ぐことだと。

 

「いいえ、ランスロット卿。私は人を守るための剣を振るってみせます」

「そうでしょうとも。貴方はきっと、その剣を手にすることができる。私が保証します」

 

 この場で王の選択を覆し得るのは円卓の騎士のみ。さらに、最高の騎士と謳われるランスロットの言ならば、王とて無視することはできない。

 その時、ケイは鼻を鳴らして笑った。

 

「青いな、ペレアス。分かっているだろうが、お前が成したことはお前だけが成せることではない。王やランスロットでさえも、お前と同じ状況なら相応の被害を出しただろう」

 

 ケイは瞳に静かな輝きを灯して言付ける。

 

「くれぐれも自分が部下を殺したなどと自惚れるなよ。それは、お前が敵将を討つために命を捧げた彼らへの侮辱だ」

「……その金言、我が胸に刻みます」

 

 ───そして、二年後。

 体制も盤石となったブリテンでは、戦時下では行えなかった催し物が開催されるようになった。今までは非日常的だった平穏は、日常へと置き換わったのである。

 前のめりに敵を討つペレアスの武技もその様相を変えた。静と動、柔と剛を織り交ぜた武術。以前と比べていささか地味にはなったが、彼はそれでいくつもの功績を挙げた。

 キリスト教には聖霊降臨祭という祝い事がある。

 聖霊降臨とは救世主が昇天の際、彼に祈りを捧げていた信徒たちに神の第三の側面である聖霊が降った出来事を言う。後世の人々はこれを祝い、祭日を設けた。

 祭りと言えば、民衆を楽しませるための興行が開かれる日でもある。この時代の興行として大人気だったのは、騎士たちによる馬上槍試合だ。

 ペレアスが住む地方でも聖霊降臨祭の日には槍試合が催された。ペレアスとアルフは馬の背に乗って、その出番を待っていた。

 

「今回の馬上槍試合は三日間の大会……しかも賞品は名工お手製の剣と純金製の輪らしいです。ペレアス様、是非頑張ってください」

「いや、お前も頑張れよ。何人参加者いると思ってんだ」

「まあ、金の輪はその場にいる最も美しい婦人に与えなければいけないそうですが。誰が考えたんですかね、こんなこと。絶対角が立ちますよ」

「それはそうだな。まあ、オレたちは騎士だからな。名誉が賞品みたいなもんだろ。そもそも名工お手製の剣とやらも、家の蔵で埃被る未来しか見えねえ」

「仲間との絆が本当のお宝だったんだ! みたいな感じですか。萎えますね」

「仲間との絆は宝物だろうが! ひねくれすぎだろ!!」

 

 そんなこんなで、ぱからぱからと歩いていると、アルフは突然切り出した。

 

「ところで、結婚とかしないんですか。いつ死ぬか分からない仕事ですし、跡取りは残すべきですよ」

「嫌だ、オレはそんな打算で結婚したくねえ! 吟遊詩人が歌ってるみたいな劇的なロマンスを経て愛を育んだ上で一生を誓い合いたい!」

「夢見がちな乙女ですか、あなたは。騎士の結婚なんて実情は九割打算でしょう。ほら、好みのタイプとかないんですか」

 

 何気ない質問に、ペレアスは頭を抱えて悩んだ末に答える。

 

「長い黒髪で瞳が紅玉みたいに綺麗で、身長が高くて浮世離れした雰囲気の女性が良い」

「訊いたのが間違いでした。望みが高すぎるでしょう。長い黒髪で瞳が紅玉みたいに綺麗で、身長が高くて浮世離れした雰囲気の女性なんて……」

 

 そう言った矢先。祭りでごった返す人混みの中に、導かれるように二人は視線を流す。

 そこには、長い黒髪で瞳が紅玉みたいに綺麗で、身長が高くて浮世離れした雰囲気の女性がいた。

 二人は顔を見合わせて、もう一回視線を戻し、

 

「「…………いたァァァ!!?!?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ということで、ペレアスは失恋した。

 彼らが発見した女性は名をエタードと言う。ペレアスは執拗なストーカー行為の果てにエタードとガウェインが同衾する様を見せつけられ、〝死ぬまで起きない〟と言い残して寝台に潜り込んだのである。

 

 ───最初は、諦観混じりの好奇心だった。

 この身は精霊。人間との恋路は既に諦めている。彼が選んだ相手なら、口出しする道理も動機も存在しない。

 だからこれは、余計なお節介。自分が彼に諦めをつけるために、どのような相手なのか調べようという浅ましい考えだ。

 エタードは森の中の城に住んでいた。周囲には結界が張られていたが、突破することは容易い。ついでに容姿も平凡な人の子に変えれば、侍女として容易に忍び込むことができた。

 エタードの側仕えに選ばれるまでに三日。彼女から不動の信頼を得るまでに一週間。私とて千年を生きた精霊、魔術を用いずとも人の子から信用される術は心得ている。

 鏡台の前で化粧をするエタードの髪を梳かす最中、彼女はぺらぺらと喋り出した。

 

「くふっ、男なんてチョロいわね。少し乙女を気取ってあげれば、円卓の騎士でも簡単に手玉に取れるもの」

「……円卓の騎士、ですか?」

「そうよ。しかも相手はガウェイン。ちょっと誘惑してやればころっと落ちたわ」

「あの太陽の騎士がそうそう簡単に心を射抜かれるとは思えませんが……いえ、エタード様を貶めている訳ではなく」

 

 エタードは紅い唇を歪めて、化粧台の棚からひとつの小瓶を取り出した。小瓶の中には植物を砕いた粉末が詰まっている。彼女は小瓶をうっとりと眺めながら、浮かれた声を出す。

 

「私、魔女なの」

「…………は?」

「元々、ブリテンはケルトの土地よ。ケルト人の聖地は森。妖精や神霊が闊歩する異界。キリスト教のせいで森は減ってしまったけれど、それでも私たちは生き残っている。魔術や霊薬の製法を子孫に伝えてね」

「では、その瓶にあるのが霊薬なのですね」

「そ。オークの木から切り取ったヤドリギを素材にした薬よ」

 

 ケルトの神官ドルイドは森を聖域としていた。キリスト教にとって異教の神が宿る森は大開墾の憂き目にあい、宗教弾圧と相まってドルイドはかつての隆盛を失った。

 彼らが特に神聖視したのは、オークの木に寄生したヤドリギ。ドルイドはそのヤドリギをオークの木に宿った神の生殖器に見立てて、金の小刀で切り取り、それを儀式に利用したのである。

 古きケルトの末裔。エタードは、お姉様が警戒しろと言った存在そのものだ。

 

「オークの神の生殖器(ヤドリギ)を砕いた粉末……効能は分かるわね? ふふふっ、次はランスロットでも狙ってみようかしら。ガウェインの兄弟をコンプリートしても良いわね。そうしたら私が円卓の弱味を握ることに───」

(……愚かな)

 

 ドルイドたちはヤドリギを薬に利用したが、その効能は媚薬などではなく、万病に通用する万能薬としてのものだった。

 魔術の劣化が早くも始まっている。かのソロモン王が創始した西洋魔術の衰退が、万能薬が媚薬に凋落する事態を招いているのだ。全く馬鹿馬鹿しいことだが。

 とはいえ、だからこそエタードは森に居城を構えているのだろう。結界で一帯の森を聖別し、聖域としての効力を高めている。一端の魔女らしくはあるようだ。

 

「その……ペレアス卿のことは?」

「ああ、顔がタイプじゃないわ」

(ぶっ殺すぞクソアマ)

 

 思わず髪留めを喉に突き刺しかけたが、鋼の精神力で持ち堪える。千年の人生経験は伊達ではないのだ。

 

「だって、まだまだ若いでしょう? アレ。童顔は好みじゃないの。あと五年くらいしたら相手してあげなくもないわ。何ならアナタにあげてもいいわよ、いらないし。ちょっと味見はさせてね」

(このアバズレ、絶対泣かす)

 

 そういうことで、私はエタードに鉄槌を下すことにした。

 ───所変わって、ペレアスの領地。

 死ぬまで起きないと宣言したペレアスの様子を探るため、湖の乙女はエタードに数日の休暇を申し出て、その場所に転移していた。カルデアより百倍従業員の待遇が良いと言えるだろう。

 街道から領地に入ると、そこには巨大な立て札が建設されていた。湖の乙女は立て札の文章を読み上げる。

 

「〝ペレアス卿を起こすことができた者には金一封贈呈。近々オーディション開催〟…………これしかねえですわーっ!!」

 

 黄色い声がブリテンに轟いた二日後、ペレアスの副官を務めているアルフは沈痛な面持ちで参加者たちを眺めていた。

 金目当ての山賊崩れやホームレスは丁重にお帰り願い、書類審査と屋敷のお手伝いさん(八十五歳)の一次面接を経て、最終面接に辿り着いた猛者は三人。男女比は三対一だ。

 眼前にずらりと並んだ三人。過酷な試験をくぐり抜けてきただけあって、その顔つきは精悍そのものだった。アルフは咳払いして、面接を始める。

 

「え、えー、それでは早速始めましょうか。まずはエントリーナンバー005の紫色のターバンを巻いた貴方から。自己紹介と特技をお願いします」

「グラ○バニア王をやっています。妻と二人の子どもがいます。特技は魔物を仲間にすることです。よろしくお願いします」

「初っ端から飛ばしすぎだろォォォ!! 誰がドラ○エ5の主人公連れてこいっつったよ!」

「え、でもイオナズン使えますよ。嫁が」

「ちゃっかりフローラ選んでんじゃねーよ!! あんなポッと出女を嫁にしてる時点で信用できるか! ウチは主従ともどもビアンカ派なんだよ、さっさと魔王倒してこい!!」

 

 紫ターバン男の顔面を蹴り飛ばし、面接室から叩き出す。アルフは一息ついて、次の受験者に話題を移し替えた。

 

「はい次! これといって取り柄のなさそうな地味な人!」

「僕、これといって取り柄のない地味な人間ですけど、病気のおばあちゃんがいるんでお金だけくれないですかね」

「病気のおばあちゃんを盾にするなよ! 帰したらこっちの名誉が傷つくだろうが!」

「じゃあ、ついでに父親と母親もなんか死にかけてるってことにしておいてください」

「死にかけてる両親放り出してこんなところに来てるとかサイコパスか? 金ならやるから帰れ!」

 

 財布の中の貨幣を鳥のエサやりのように投げつける。取り柄のなさそうな地味な人はそれらを拾いながら、ぼそりと呟いた。

 

「チッ、これだけかよ…………」

「おいなんか言ったかぶっ飛ばすぞ」

「あの、茶番はそこまでしてもらって良いですか?」

 

 アルフは強靭な精神力で頭に昇った血を下に押し戻した。残った希望はただひとり、主君の好みをそっくりそのまま絵に描いて出したかのような女性だけだ。

 彼女はさらりと言う。

 

「私、湖の乙女と申します。ランスロットは私が育てました」

「…………え? 本当に?」

「はい。王様が持ってる剣も私があげました。このオーディション、決まりでよろしいですわね?」

「もちろんです! アホ主君をどうにか救ってやってください!」

 

 二人は面接室を出て、ペレアスの寝室の前に移動する。アルフは扉に手をかけて、唇の前に人差し指を立てた。

 

「今のペレアス様に〝エタード〟や〝ガウェイン〟は禁句です。円卓の騎士などの連想ワードも危ないですね。最悪、〝女〟と〝男〟からでも繋がるので気をつけてください。あ、それと〝素質あるよ〟なんて言うと地団駄を踏んで暴れ出します」

「かなり試したような口振りですわね!? 相当病んでるようですが、騎士の仕事はどうしてるのです?」

「戦いの時だけひとりでに起き上がって準備するんですよね。最近では泣きながら敵を倒すので、嘆きの騎士なんて異名が……」

「傍から見たらバーサーカー以外の何者でもありませんわね」

 

 呟きつつ、ゆっくりと扉を開けて寝室に忍び込む。光源となるものはどこにもなく、窓も分厚いカーテンに遮られていた。

 寝台の毛布は人型に盛り上がっているが、寝返りもなく微動だにしていない。

 ペレアスの顔を覗き込むと、彼は目を見開いたまま、だくだくと涙を流し続けていた。見れば、枕はぐっしょりと涙に濡れている。少なくとも一日は泣き続けたであろう具合だ。

 

「…………クソヤベーですわね」

「ど、どうですか。何とかなりそうですか」

「とりあえず泣くのをやめさせましょう。このままではミイラになってしまいます」

「おお、これで洗濯の手間が……!!」

 

 湖の乙女はペレアスの額に手のひらを乗せる。

 水を操るのは湖の乙女の得意技。体重の60%を水分で構成する人体は事も無げに操作できる。ペレアスのまぶたは閉じ、とめどなく溢れていた涙もぴたりと止まった。

 瞬間、湖の乙女の脳裏に浮かぶのは、妹の言葉。

 

〝───その人のいちばん大切なモノを壊せば良いのよ〟

 

 湖の乙女は妖しく笑う。

 

「……ええ、そうですわね」

「はい?」

 

 困惑するアルフを尻目に、彼女は眠りこけるペレアスに口づけをした。

 今度は記憶を奪うのではなく、吹き込む。幼少の頃、ともにあの湖で逢瀬を重ねたかけがえのない思い出だ。

 彼にとって一番大切なモノがエタードだというのなら、必ず壊す。あの記憶が、ほんの少し容姿が似てるだけの女に負けるはずがない。

 唖然とするアルフを引っ張って、寝室の外に出る。

 

「あの魔女を懲らしめに行きましょう。恋の妄執の恐ろしさ、教えて差し上げますわ」

「私もついていくんですか!?」

「適当に執事の格好をしておけばバレませんわ。行きますわよ!」

 

 湖の乙女は水辺から水辺へと転移することができる。現代では考えられないほどの魔術行使も、この時代と精霊の力ならば息をするほど簡単だった。

 エタードの城の間近に移動した湖の乙女は軽々と結界をすり抜け、彼女の前に立ったのである。

 

「───という訳で、あなたを分からせにきました。覚悟してください」

「テンポが良すぎませんかねえ!!?」

「黙りなさい優男。これは女と女の戦いよ」

「あ、ツッコまなくていいんですか。置物で良いんですか。じゃあ黙ってます」

「エタードの言うことを聞くんですか? あなたの主君の脳を破壊した女ですよ?」

「私にどうしろって言うんですかァァ!!」

 

 主従揃って嘆きの騎士になったアルフを尻目に、湖の乙女とエタードは向かい合う。

 

「アナタ、従者に姿を変えて私を見張ってたんでしょう? あの男と同じでストーカー気質なのね。ダサイ花冠なんて首に提げてるし。キショいわ、恥を知ったらどう?」

「あら、あなたのような恥知らずからそんな言葉が飛び出してくるとは思いませんでしたわ。簡単に股を開く尻軽女はどうやら頭も軽かったようですわね」

「アンタみたいな胸と尻にだけ栄養が行った女に言われたくないんだけど? 精霊だか何だか知らないけど、何百年も生きた割にできたことは肥え太ることだけなのかしら?」

「あなたこそドルイドの魔女の割にはヤドリギを媚薬にすることしかできない無能ですわよね? 北欧では不死の神を殺したとまで言われるヤドリギをああも無駄遣いできるなんて、あなたの家系は相当なマヌケ揃いなようで……ああ可哀想」

 

 彼女たちの額にはピキピキと青筋が立っていた。異次元の居心地の悪さを感じたアルフはへらへら笑いながら割り込んだ。

 

「では、この喧嘩は引き分けということで」

「「あ゛?」」

「ごめんなさい土下座します許してください」

 

 部屋の隅で土下座する男を背景に、湖の乙女は憎たらしい笑みを浮かべる。

 

「いつも思っていたのですけれど、あなた化粧の時間が長すぎませんか? 厚化粧は肌に悪いですわよ? 開き切った毛穴に水分を注いであげましょうか?」

 

 あまりに鋭い言葉の刃がエタードの胸に勢い良く突き刺さる。今まで体裁だけは余裕を崩さなかった彼女は、初めて笑みの上に怒気を上塗りした。

 それを目ざとく察知した湖の乙女はくすくすと微笑み、

 

「怒っているのですか? ああ、ごめんなさい、分かりませんでした。だってあなた、そんなにも化粧が濃いので表情が見えな───」

「テメェは絶対にぶっ殺す!!!」

 

 湖の乙女の言葉を遮り、エタードは哮り立った。直後、彼女は耳をつんざくような指笛を吹き、室内にいくつもの黒い影の渦が生まれる。

 その渦が形取るのは、禍々しい爪牙を誇る漆黒の狼。一瞬にして魔狼の群れを用意してみせたエタードは、高らかに笑い声を轟かせた。

 

「この子たちは私たちが先祖代々受け継いだ森に棲む魔獣! より強く速く、濃い神秘を受け継ぐように品種改良を施した特別品よ! アンタみたいに脂肪の多い肉は好みじゃないけれど、一瞬で喰い尽くすわ!!」

 

 室内を唸り声が埋め尽くす。獣性に満ちた涎が滴り、取り繕わぬ殺気が相対する二人に向けられる。

 アルフは袖の下に仕込んでいた短刀を構え、湖の乙女の前に躍り出た。

 

「くっ…! 逃げましょう、これは流石に多勢に無勢です!」

「ハッ! 私の領域に入り込んでおいてみすみす逃がすとでも!? 円卓の男を侍らす私の夢を阻もうとした報い、しっかりと受けていきなさい!!」

 

 エタードの号令とともに、従僕が飛びかかる。

 魔獣の血を色濃く残す狼にとって、人の肉や骨は紙切れも同然。噛みつかれれば最後、振り払う間もなく肉体は削り取られるだろう。

 しかし、引き裂かれる直前。湖の乙女は魔力を乗せた声で、一言命令した。

 

()()()()

 

 その瞬間、魔狼は地面に叩きつけられるように平たくつくばう。

 獰猛な魔獣は怯え震え、湖の乙女は手頃な一匹の頭をさらりと撫でた。指が触れた途端にびくりと震え上がり、抵抗する気力すら失せていた。

 

「可愛らしいですわね。よく訓練されているようで、感心いたします」

「この子たちに命令した──!? あり得ない、一匹残らず契約魔術で縛っているのに!」

「……命令? いいえ、これは召命ですわ。自然から生まれた魔獣の仔と言うのなら、より上位に立つ精霊の言うことを優先するのは当然ではなくて?」

 

 召命とは、神から召されて新しい使命を与えられることを言う。自然の触覚故に魔獣の上位存在である湖の乙女は、狼に〝おすわり〟という使命を与えて動きを止めた。つまりは契約を使命で上書きしたのだ。

 契約が真価を発揮するのは理性を持った存在同士で交わされた時に限る。なぜなら、互いが条件を認め合うという儀式を行う上で重要なのは理性だからだ。獣との一方的な契約は、絶対的な拘束力を有し得ない。もしエタードの魔獣に理性があったなら、召命は通用しなかっただろう。

 湖の乙女は恐怖に竦む狼を抱きかかえながら、にこりと笑む。

 

「で、終わりですか? 魔女を名乗るなら、奥の手のひとつやふたつは用意していますわよね?」

「ッ……当たり前よ!」

 

 エタードの腹部に刻まれた魔術刻印が光を放つ。

 ずしりと地鳴りが響き、城の床が割れる。その裂け目から覗くのは輝く双眸。瓦礫を突き破り、現れたのは多腕多眼の巨人。

 アルフは思わずへたり込み、驚愕した。

 

「なんだこの化け物!?」

「クラン・カラティン!! 女王メイヴが二十八人の兄弟を素材に生み出した怪物よ! とは言っても、私が独自に再現した模造品だけどね……アンタらを葬るには十分でしょ!」

 

 左右三本、合わせて六本の剛腕が叩きつけられる。それらは人の腕を無数に束ねたような異形をしていた。女王メイヴは二十八人の兄弟を使ったが、エタードのクラン・カラティンの犠牲となった人数は計り知れない。

 湖の乙女は超高速で迫りくる巨拳を眺めて、ため息をついた。

 

「……期待外れ」

 

 彼女は右の人差し指で円を描く。

 その途端、クラン・カラティンは前のめりに倒れた。放たれていた拳は明後日の方向に伸び、ぐったりと倒れた体は小刻みに痙攣している。

 外傷は存在しない。魔術を発動した気配もない。だというのに、その巨人は息絶えていた。

 言葉を失ったエタードに歩み寄りながら、湖の乙女は述べる。

 

「私たちは水の精霊。水の操作はお手の物。ですので、脳みその水分を沸騰させてみました。結果はこれこの通り……言う必要はありませんわね?」

 

 彼女は崩壊した瓦礫の中から化粧台を見つけると、その引き出しからヤドリギの霊薬こと媚薬を取り出す。

 

「さて。クラン・カラティンの犠牲になった人々の仇討ちをしても良いですが、あなたが知るべきは恋情の恐ろしさ。ひとつだけ魔術をかけさせていただきます」

「…………び、媚薬は?」

「私が個人的に押収します。何かに使えるかもしれませんので」

「媚薬の使い道なんてひとつしかないじゃない!?」

 

 喚き散らかすエタードの額を人差し指でなぞる。すると、彼女の瞳から光が消え失せる。目の前で指を弾くと光が点灯し、エタードは胸元を押さえてうずくまった。

 ───その人の一番大切なものを壊せば良い。……否、この女が味わうべきは一番大切なものを得るという苦痛だ。

 

「ペレアス卿を愛する呪いをかけました。ヤドリギの万能薬とて恋の病には効かないでしょうが、ええ、媚薬を使い切った頃に呪いを解いてあげますわ」

「使う気満々じゃないですか」

 

 こうして、湖の乙女による個人的な制裁は完了したのだった。

 数日後、湖の乙女との思い出を取り戻したペレアスはのそりと寝台から起き上がる。時刻は夜。腫れぼったい目を擦りながらカーテンを開けると、窓には某蜘蛛男さながらの体勢でエタードが貼り付いていた。

 ペレアスを愛する呪いをかけられたエタードはすぐさま屋敷に直行し、ストーキング行為を働いたのだ。

 ペレアスの思考は一瞬で凍りつく。十数秒して正気に目覚めると、彼は盛大に尻餅をついて絶叫した。

 

「ギャアアアアアア!! 窓に! 窓に!」

 

 名状しがたき宇宙的恐怖を目の当たりにしたペレアスは一撃で不定の狂気に陥った。直後、背後の扉が勢い良く吹き飛ぶ。

 

「どうしたのですかペレアス様っ!」

 

 目と目が合う。十数年ぶりの再会は窓に貼りつくエタードを背景にした異様な光景だった。

 ペレアスは窓枠を蹴りつけた振動でエタードを落とすと、取り繕うように振り向く。

 

「……久しぶり?」

「はい、久しぶりですわ」

「全然変わってないんだな。びっくりしたよ」

「ふふ、精霊ですから。とりあえず座りましょう?」

「そ、そうだな」

 

 二人は寝台に腰を落ち着ける。湖畔での逢瀬のように寄り添い、手の指を深く絡める。

 

「身長、すっかり追い抜かれてしまいましたわね。昔はあんなに小さかったのに」

「オレも少しは成長したってことだな。今回の黒歴史は一生悶えることになりそうだが、こんな結末なら悪くない」

 

 そうだ、とペレアスは前置きして、

 

「オレも姉さんのことが好きだよ。何か返せるものがあると良いんだが」

「名前。名前をつけてくださいませ。ヴィヴィアンでもニミュエでもなく、あなた様が好いてくれる私を表す、たったひとつの名前を」

「名前、か。そうだな……」

 

 ペレアスは思考を巡らせる。

 名前をつけるという行為はその存在の性質を規定することでもある。さらには、魔術の世界において真名を呼ばれることは魂を掴まれることと同義だ。

 無論、それらの理屈を隅に置いても名前を決めるというのは重大な出来事。間違っても気軽に行って良いことではない。

 揺れる視線が定まる。湖の乙女が首に掛けた花冠。かつて昔、ペレアスが彼女に贈ったモノだった。

 

「これ、まだ着けてたのか」

「捨てるなんて一度も考えたことはありません」

「そうか……いや、むしろ考えてみたらぴったりかもな」

「決まりましたか?」

「ああ。この花冠にちなんで───」

 

 ペレアスは湖の乙女の目を真っ直ぐ見据える。

 

「───リース」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焚き火が火の粉を散らす。湖の乙女ことリースの語り口はますますヒートアップし、留まるところを知らなかった。

 

「そして二人は名前を呼び合い───きゃーっ! これ以上は言えませんわ! R-18ですわ! 薄い本が厚くなりますわ!」

「『言ってるようなものなんですけどね!?』」

フォウフォフォウフォウ(なにこの脳内ドピンク精霊は)

 

 ロマンとフォウくんは思わずツッコんだ。精霊に対する神秘的なイメージが完全に壊れた瞬間だ。かなりの長編を聞かされたEチームの反応は多種多様に分かれている。

 マシュは盛大に鼻血を噴き出しながら、妙に達成感のある表情で言った。

 

「大丈夫です、わたしは最後まで想像しました」

「でしょうね。鼻の穴から欲望という欲望がダダ漏れだもの。真っ赤な誓いだもの」

「これが……感情───!?」

「いつから無感情キャラになったんですかァ!? このなすびは!!」

 

 マシュの介護役に奔走するジャンヌを横目に、ノアはもったりとした目つきになっていた。それは眠気から来るものではなく、苛立ちと呆れが込められている。

 

「つーか話が長すぎだろ。主人公誰だと思ってんだ。ペレアスに興味あるやつなんてそこのアホ精霊しかいねえんだよ」

「うるせえ! お前のサーヴァントの過去話くらい文句言わずに聞いてろ! ゲスマスターが!!」

「ペレアスさん、私はなかなか興味深かったですよ。エクスカリバーに執着する理由も分かりましたし。副官の方が不憫なのはアレでしたけど」

 

 意外に高評価を述べるダンテ。しかし、彼とは裏腹に、立香は腕を組んで唸っていた。

 

「要するに、逆光源氏ですよね。それにしても、私の考察は的外れだったみたいです」

「どういうことです?」

「そういえばダンテさんはいなかったですか。ペレアスさんの勉強会をした時に、湖の乙女がわざとペレアスさんを失恋させて、傷心に付け込んでオトしたんだと思ってたんですけど……」

 

 その時、湖の乙女はあんぐりと口を開けて、

 

「その手がありましたか───!!」

「おい藤丸、こいつに閃きという名のエサを与えんな。これ以上化け物になられたら困るぞ」

「リーダーも負けず劣らずの化け物なんで一匹増えたくらい問題ないです。同類のフォウくんもそう言ってますよ」

フォウフォフォウフォフォウ(化け物の正体が人間だったパターン的に)フォフォウフォウフォウ(お前らの方が化け物だけどな)

 

 というフォウくんの主張を華麗にスルーして、ノアはロマンを指差す。

 

「ロマン、そろそろ締めろ。もう尺が限界だ」

「『ええ!? じ、じゃあ次回から心機一転、エジプトの王様目指して頑張ろう! エイエイオー!!』」

「「「………………」」」

「『誰か返事くらいしてくれェェェ!!!』」

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