自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第52話 ファラオと名探偵とテーブル女

 ファラオの朝は早い。

 衆目に晒すに足る身だしなみを整え、意識を晴々と覚醒させる。

 仕事は山積している。自らが仕える太陽王のご機嫌取りにスフィンクスのエサやり、謁見の間の清掃と暗黒の鏡の手入れ。どれも欠かせない業務だ。

 古代エジプト文明におけるヒエラルキーの頂点、ファラオたちは為政者としてだけではなく、天上の神々と地上の人々を繋ぐ仲介者としてホルス神の化身と称されるまでの崇敬を受けていた。

 人の身でありながら神性を宿した現人神。政治と宗教を一手に司る重責を担うことこそが古代エジプトのファラオの在り方であり、王という称号とは区別される理由なのだ。

 第六特異点、獅子王が坐す聖都とは対極に位置する砂漠の地。この特異点を二分するもうひとつの勢力の拠点が、そこにあった。

 獅子王による祝福を受けた円卓の騎士たちですら、容易に手を出すことはできない。

 黄金の居城を煌々たる陽光が照らす。この砂漠を統べる王は光を戴く玉座にて、薫酒が注がれた杯を胡乱げに傾けていた。

 退屈に細まり、薄く切り開かれた目蓋から覗く瞳が宿すのは太陽の光輝。古代エジプト文明において多くが名を連ねたファラオの中でも、最大級の英雄である王の顔は倦怠感に満ちている。

 そんな倦んだ光景でさえ、彼が放つ神気は絶大。緊張感などどこにもない緩み切った姿にも、その力の粋は染み付いていた。彼は常人ならば一瞥で屈服させ得るだろう。

 という事実はいざ知らず、玉座の間に褐色の少女が走り込んでくる。彼女は荒々しく息を吐いて、無礼を承知で叫んだ。

 

「た、大変です! 城の前で何やら不敬な賊たちが〝城に入れるまで居座り続ける〟〝物売るってレベルじゃねーぞ〟などと訳の分からないことを……!!」

 

 褐色の肌に珠の汗を浮かべ、肩で息をする様子から、かなり急いできたことは間違いない。頭頂にくっついた兎耳のような魔術触媒も、心なしかふにゃりとへたれていた。

 玉座にもたれ掛かる王は僅かに居直ると、眉を静かに細める。

 

「そう慌てるなニトクリス。普段なら容赦なく殺していたところだが、幸運なことに余は暇だ。無聊の慰めとして奴らの命を使い潰すには悪くなかろう。全員縛って連れて来るがよい」

「そ、それが、奴らの中にはサーヴァントがおりまして、追い返そうにも追い返せず……逆に返り討ちにされたと言いますか……」

「ほう。おまえは賊如きに叩き返された挙句、ここに逃げ込んできたと。ファラオの名を貶める行為である。後でスフィンクスの肉球地獄の刑に処すが故、覚悟しておけ」

「どんなに屈強な戦士もひとり残らず天上へ送ったと言われる悪夢の刑ですか……!? くっ、甘んじて受けさせていただきます!」

「生き残れるか否か、見物だな。せいぜい足掻いてみせろ」

 

 ニトクリスと呼ばれた少女は顔色を真っ青にして震えた。適度な暖かさと雲のような感触を併せ持ったスフィンクスの肉球は、如何な人間も腑抜けにする魅了効果を秘めている。ニトクリスの戦慄もやむなしであろう。

 王は手元に曇った鏡を出現させる。魔力の灯を込めると、くすんだ鏡面は澄み渡り、元の輝きを取り戻した。

 ただし、鏡が写し出すのは王の顔ではなく城外の光景。そこには相変わらずのアホ面を晒す、とあるマスター二人と思い思いに時間を潰すサーヴァントたちがたむろしている。

 

「ふん、古今東西の愚か者を集めたような連中だ。壊しても代わりが効くという点では救いはあるがな。さて……」

 

 そこで、王はひとりの男を見て表情を強張らせた。それは王を注視していたニトクリスですら違和感を覚える程度の変化だったが、次に彼が取る表情は誰の目にも明らかだった。

 

「存外、あるではないか。路傍の石の中にも輝く宝玉が」

 

 緩やかに弧を描く唇。標的を見据える瞳は喜色をたたえ、光を深める。

 

「───アーラシュ。東方の大英雄よ」

 

 そして、数分後。

 王からの命令を受けたニトクリスは全速力で城の前まで疾走し、アホ共を玉座の間まで案内することになった。王の機嫌次第ではとうに抹殺されていてもおかしくない状況だが、悪運には愛されているらしい。

 息を切らして辿り着いた先で見たのは、さながらデモ隊の様相で待ち構えるノアたちだった。いつの間に作り出したのか、手持ち看板や横断幕を掲げる彼らはニトクリスの姿を認めると、一挙に騒ぎ立てる。

 ノアは拡声器を持ち出して、けたたましい大声を飛ばす。

 

「ようやく出てきやがったな死体操り女が! こちとら世界救うために戦ってやってんだ、さっさと親玉を出せ!」

「黙りなさい無礼者! 貴方たちのせいで私はスフィンクスの肉球地獄に放り込まれることになったのですよ!? あのプニプニに囲まれると思うと、今から恐ろしい……っ!」

「それただのご褒美だろ!! 俺だってそんな地獄があったら行きたいに決まってんだろうが!! 肉球に囲まれるためなら三千世界の鴉もブチ殺してやるよ!」

「自ら堕落の道を志すとは、見下げ果てた精神ですね! カラスに謝りなさい! ついでに私にも! そしてファラオを崇め奉りなさい!!」

「俺は他人に謝らせたことはあっても謝ったことはねえんだよ。ファラオなんて人間の無防備な後頭部見んのが生き甲斐だろ」

「急に冷静になってクズ発言するのやめてくれます!?」

 

 ニトクリスは目を見開いて叫んだ。ファラオの風格はどこへやら、周囲から同情を含んだ冷たい視線の雨あられが降り注ぐ。

 どことなく苦労人の雰囲気を感じ取った立香(りつか)はノアの手から拡声器をもぎ取った。

 

「肉球は良いとして、王様にはまだ会えそうにないんですか? 」

「そ、そうでした……こほん! 寛大なるファラオは貴方たちとの謁見をお許しになられました! 感謝感激の極みを心に刻みながらついてくるように!」

 

 ニトクリスは瞳をぐるぐるとさせながら宣言した。そうしていじけたように踵を返して、玉座の間まで歩いていく。

 デモ隊は粛々と撤収すると、ニトクリスの後を追った。その途中、ノアはしてやったり顔で小さく笑う。

 

「ファラオとやらもようやく俺たちの価値を理解したようだな。まあ、それもこれも俺の才覚が導いた結果だが」

「おっと、各種道具を用意したダ・ヴィンチちゃんのことも忘れないでくれよ? 天才の手にかかれば諸葛孔明も三度と言わず一礼でオトせるからね!」

「もう二人を天才と思ってる人はいないですけどね。バカのデュエットですからね」

「『そもそも三顧の礼は目上が格下を訪ねる話だからね? むしろこっちが下というか……』」

「は? ファラオだろうが何だろうが俺の方が上に決まってんだろ」

フォウフォフォウフォフォウ(お前絶対ファラオの前で喋るなよ)

 

 一連の会話を背中で聞いていたニトクリスはビキビキと青筋を立てていた。世が世なら処刑も当然な言動である。

 そんな人間たちを迎え入れるという、妙に都合の良い展開に不信感を覚えたマシュは眉根を寄せて囁く。

 

「いきなり手のひらを返してきましたね。こういう時は大抵ろくなことにならない気がします」

「今すでにろくでもない状況だと思うけど? 呂布の最期みたいにならないことを祈るばかりだわ」

「ふふふ、そんなに心配することはありませんよ、お二人とも」

 

 マシュとジャンヌは何やら自信有りげなダンテに目線を合わせる。彼はニヤリと口角を吊り上げて、

 

「なぜなら私たちには暗殺教団の教主や円卓の騎士、かの三蔵法師に加えてアーラシュさんまでいるのです! たとえどんな罠が待ち受けていようと恐れるに足りません!」

「いや、お前は? 交渉術くらい心得てるだろ」

「ペレアスさん。今更私に何かできるとでもお思いで? 私が政治家人生で学んだことは人の靴を舐めることと土下座だけですよ?」

「そんなんでよくフィレンツェの統領になれたわね!? アンタが口を開くたびに株が下がってるじゃない!」

 

 ジャンヌは思わずツッコミを入れた。ダンテのストップ安は今に始まったことではないが、それにしてもあんまりな体験談であった。

 思うところがあるのか、べディヴィエールはいたたまれない様子になった。彼を尻目に、静謐のハサンは遠慮がちに切り出す。

 

「その……どうして私の毒は立香さんには効かなかったのでしょうか。幼い頃から日常的に毒を摂取していた経験がおありで?」

「そんなゾルディック家みたいな殺伐とした家庭じゃないですよ!? うっかりしてカビが生えた麦茶を飲んだことはありますけど!」

「カビを含んだことなら私もあります。食道に残る異物感と胃が蠢く感じが何とも不快、ですよね?」

「まさか共感されるとは思わなかった……でも、どういうことなんですかね? もしかして私の隠れた才能が芽吹いちゃいました?」

 

 そう言ってノアに向くが、難しい顔をするばかりで答えはしなかった。それに対して返答したのは、意外にもロマン。彼は顎に手を当てながら言う。

 

「『もしかしたら、マシュと契約した影響かもしれない。マシュに憑依した英霊の力がパスを通じて流れ込んでる、とかね。デミサーヴァントと人間は立香ちゃんが史上初だから、そういったイレギュラーも起こり得るだろう』」

「おお、そう言われるとかっこいい気がする……マシュと私の友情パワーが成せる業ってことだね!」

「はい、わたしと先輩は一心同体です。しかも海賊ゴム人間然り、地上最強の生物の息子然り、毒が効かないのは主人公の特権と言えるでしょう」

 

 それに頷いたのはアーラシュだった。

 

「確かに、毒が効かないってのは良いこと尽くめだ。気にせず食事ができるし、毒味役が死ななくて済むからな」

 

 彼はその弓の腕もさることながら、肉体の頑強さも飛び抜けている。

 アーラシュは神秘が薄れていた当時のペルシャにありながら、神代の肉体を持ったイレギュラー中のイレギュラーだ。普通の人間にとっての致死量の毒は彼には微々たる影響も与えない。

 しかし、三蔵法師は風圧が届くほど高速で首を横に振った。

 

「いいえ毒を侮っちゃダメよ、特にキノコ! 御仏だってキノコに当たって入滅したんだから! しっかり火を入れてよく噛んで食べなさい!」

「『あの、途中から話が変わってます』」

フォフォウフォフォウ(しかも結局食べるのかよ)

 

 仏教の祖である目覚めた人の死因の一説として、キノコを食べたことによる食中毒が挙げられる。ガチガチの仏教徒の三蔵にとって、毒には敏感にならざるを得ないのだろう。

 ノアは思考を巡らせる。立香に静謐の毒が効かなかった理由はあくまでロマンの推測に過ぎない。が、それを正しいとするのであれば、考えるべきことはひとつだ。

 

「キリエライトに憑依した英霊ってのはどこのどいつだ? 毒に強くて盾に縁があるやつなんてそうそういねえだろ。なあペレアス?」

 

 急に話を振られたペレアスはぎくりと痺れた。彼はわざとらしい口振りと大げさな身振りで頭を抱える。

 

「ああそうだな、全く見当もつかねえ。くそ、マシュちゃんに憑依してる英霊は一体誰なんだ! 頭の良いお前にだって分からないだろべディヴィエール!!?」

「……えっ!? そ、そうですね! 相当格の高い英霊には違いないでしょうが!」

 

 泡を食って答える二人をノアは冷ややかな眼差しで見つめていた。隠し事をしていることが露呈している。ベイリンは真紅の甲冑の奥で嘲り気味に鼻を鳴らした。

 

「誰だろうが変人なことには変わりないだろう。手に持ってる道具からしてな。それでよくここまで戦い抜けたものだ」

 

 マシュの心臓に言葉の槍が突き刺さる。

 彼女は口元をひくつかせながら殺気に溢れた笑顔を形作る。表情とは裏腹にどっしりと盾を構える様子は臨戦態勢そのものだった。

 

「あなたが何を知っているのかは知りませんが、この盾を揶揄することだけは許しません! 今ここでタイマン張っても良いですが……!?」

「貴様と私がか? やめておけ、貴様は守る者だ。仲間がいないと真価を発揮できない類の人間だろう。まあ、その盾とやらでできるのは茶会くらいだろうがな」

「茶会? この盾をテーブルか何かだと勘違いしているのですか? 断言しておきましょう、これは盾であってそれ以上でもそれ以下でもありません!! もし違っていたら一日中なすびの着ぐるみで過ごします!」

「それほぼノーダメージじゃない?」

 

 立香は冷静に指摘した。マシュがなすびのコスプレをしたところでなすびの上塗りでしかない。紫色に紫色を重ねるように、ただ深みが増すだけだ。

 思うところがありすぎるペレアスとべディヴィエールはだらだらと冷や汗を流しながら、消え入るような声で言った。

 

「「…………なんか、ごめんなさい」」

「どうしておまえらが謝ってんだ」

「とりあえず謝っておけばどうにかなりますからねえ」

「アンタはどうかしてますけどね」

 

 そこで、ニトクリスは足を止める。

 カルデア一行の前に立ちはだかるのは物々しい重厚な入り口。ニトクリスは全身からなけなしの威厳をかき集め、杖で床を突いた。

 

「この先に砂漠を統治される太陽王がおられます! くれぐれも! くれぐれも失礼のないように!!」

 

 彼女の眼は執拗にノアを睨んでいた。しかし図太さにかけてはカルデア最強のEチームリーダーは立香に向かって、

 

「分かったな、藤丸。礼儀の欠片もないおまえのことだ、気をつけろよ」

「存在自体が無礼なリーダーに言われたくありません」

「人が心配してやってるのになんだその言い草は? リーダーの御厚意はありがたく受け取っておけ」

「……私のことを心配してくれるなら、悪い気はしないですけど」

 

 というやり取りを経て、一行は玉座の間に足を踏み入れる。

 最初に目に飛び込んできたのは光。柔らかく降り注ぐ暖かな光だった。だが、直後に襲うのは体の芯を打ち据えるかのような威圧感。その源は王座で不敵な笑みを浮かべる太陽王だった。

 一行も王を名乗るサーヴァントは幾人か見てきたが、彼はその誰よりも異質。太陽の紅炎の如く果てしない輝きを秘めた瞳は、一切の虚妄の存在をも許さなかった。

 王は当然のように一行を見下して、ニトクリスとは比べ物にならない圧を発する。

 

「ファラオ・オジマンディアスである。平伏せよ、カルデアより来たりし使者たちよ」

 

 王からの命令はこの地において何よりも優先されるべき、絶対的な要求だ。オジマンディアスの胸先三寸でどうとでもなるこの状況、無視する選択肢はありえない。

 Eチームの反応は各人各様だった。立香やマシュ、ペレアスはすごすごと体勢を低くするのに対して、ノアとジャンヌは直立不動を保っていた。

 一番早く動いたのはダンテ。王の言葉に食い気味で額を床に擦り付け、見事な土下座を完成させる。指先をきっちりと揃え、背中を水平にしたその土下座はコク、キレ、喉越し、どれをとっても完璧な芸術品である。

 オジマンディアスは満足気に唇を歪めた。

 

「……中々見込みがある者がいるではないか。面を上げよ、余に名を告げることを許す」

「ダンテ・アリギエーリと申します、ファラオよ。この土下座に免じて、仲間たちの不敬をお許しください。何でしたら靴も舐めますので」

「人間の舌で靴を磨く趣味はない……が、貴様が無様を晒すのは面白そうだ。ニトクリス、後で余のサンダルを持って来い」

「えぇ……は、はい!」

 

 この場の誰もが引いた空気の中、ダンテは後ろを振り返って盛大なしたり顔を向ける。

 

「見ましたか皆さん、これが土下座の力です……!!」

 

 立香たちは興奮した様子で拳を握って、

 

「す、すごい! あんなに人間の尊厳を捨てられるなんて!!」

「人はどこまでも惨めになれるんですね」

「もはや泣けてきたわ……大の大人の土下座ってあそこまで醜いのね」

「この特異点で初めてあいつが役に立ったな。やればできるじゃねえか」

「おい、あいつは腐っても世界三大詩人だぞ!? こんなことが知られたら関係各所に怒られる未来しか見えねえよ!」

 

 Eチームは一瞬にして沸き立つ。数々の地獄を潜り抜け、現世に帰還したダンテにはこの程度の苦痛はとうに無いも同然だった。

 オジマンディアスは騒然とする彼らを手振りひとつで諌める。

 

「貴様らがなぜここを訪れたのかは知っている。これまで五つの特異点を修復してきたということもな。アホ面の間抜け揃いの割には良くやるようだ」

「随分と話が早いじゃねえか。聖杯を持ってんのはおまえか?」

 

 敬意の欠片もない言い草をするノアに、オジマンディアスは横を向いて一言告げた。

 

「ニトクリス」

「ハッ! 出ませい!!」

 

 ニトクリスの掛け声とともに、どこからともなく射出された死霊がノアの上半身に突き刺さった。そこから流れるようにマウントポジションに移行すると、拳の雨を降らせる。

 凄惨な暴行現場を眺めつつ、オジマンディアスは右の掌中に黄金の杯を浮かび上がらせた。

 それを見て立香たちは喫驚する。王が持つ黄金の杯こそはカルデアが求める特異点の歪みの根源、聖杯であるからだ。

 

「これは十字軍から奪った代物だ。貴様らの用件とはすなわち、聖杯の在り処と獅子王に対する共同戦線の要請であろう」

 

 一行の思惑はすでに余す所なく見抜かれていた。聖杯がオジマンディアスの手にある以上、両者の立場はより明確になっている。

 ダンテは動揺を微塵も明かさず頷いた。

 

「王の慧眼、お見逸れ致します。我々は太陽王の威光をただ借り受けようとは思っていません。それなりの勝算を立てた上でやって参りました。……立香さん」

「そ、そうです! 結構ノリの良い初代ハサンのお爺ちゃんがアトラス院に行けば協力してくれるって言ってました!」

「証拠にわたしが手作りした巨大しゃもじを置いてきた画像も……」

「アンタは黙ってなさい」

 

 初代ハサンとの共闘の約束を取り付けたことを聞き、オジマンディアスは笑みを深める。

 

「謙遜をするな、詩人よ。初代山の翁の協力を取り付けたとなれば、勝算はそれなりでは済まぬぞ。それに、後ろに控える者の中には東方の勇者まで揃えているのだからな」

 

 彼の視線はEチームの後方を射止めた。途中でノアにマウントを取る死霊を引き剥がそうと悪戦苦闘するべディヴィエールが映るが、王は華麗にスルーした。

 東方の勇者と言われれば、この場で当てはまるサーヴァントは限られている。三蔵は照れくさそうに頬を指先で掻く。

 

「えっ、もしかしてあたし?」

「貴様ではないすっ込んでいろ尼僧。自意識過剰はこのファラオだけが持ち得る特権だ」

「ひ、ひどーい! あたしだって頑張って天竺までお経集めに行ったのに! しっかり修行して悟ったのに!!」

「それじゃあ、俺のことか? エジプトの王様に知られてるとは嬉しいぜ。どこかで会ったことでもあるか?」

 

 アーラシュの問いを受けて、オジマンディアスは眼を細める。

 

「───無い。おそらくはな。だが、貴様のような勇者は余の好みだ。壁にサインを残すことを許そう」

「……ヒエログリフで俺の名前はどうやって書くんだ?」

「気にするところはそこなんですかねえ!?」

「と、とにかくオジマンディアスさんは私たちに協力してくれるんですか?」

 

 王は立香の言葉に頷き返す。

 

「共闘の件については受諾しよう。だが、貴様らはそれだけでは納得すまい。聖杯を手に入れねばたとえ獅子王を討ち果たしたとして、勝ったとは言えんのだからな」

「つ、つまり?」

「余を打ち負かし、聖杯を奪ってみせよ! 人理を救う勇者たる器量を神王の前に示すのだ! 端的に言えば決闘である!!」

「終わった、私の活躍の機会が───!!」

 

 ダンテは絶望した。神王オジマンディアスとの決闘、化け物が入り乱れる戦いで一介の詩人が活躍できようはずもない。できることと言えば解説役くらいなものだ。

 彼がすごすごと引き下がろうとした時、赤い影が横を通り抜け、突風が頬を撫でる。

 反射的に振り向いた瞬間、ベイリンは二刀を以って玉座ごとオジマンディアスを斬り倒していた。

 ペレアスはムンクの叫びのようなポーズで叫ぶ。

 

「ちょっ……何やってんだァァァ!! まだ始まってないのにいきなりファラオ斬り殺してどうすんだ! アンタ本当に騎士か!?」

「生温いぞ、ペレアス。戦う意志を表明した瞬間、それは開戦の号砲となる。私はそのルールに従ったまでだ」

「なんだその自分ルール!? 騎士道という共通の尺度に従えよ! 他所の王様でもファラオだぞ、殺してどうす───」

「───誰が死んだと?」

 

 朗々と響く声。直前、間髪入れずにベイリンは大きく後方に跳び去った。本能と理性が一体化した思考を持つベイリンには、戦闘における迷いは存在しない。

 裏を返せば、それはベイリンに撤退の選択肢を選ばせたということでもあり。

 オジマンディアスは何事もなかったかのように起き上がる。切り裂かれたはずの体は傷ひとつなく、血痕すらも残っていなかった。ベイリンの斬撃を喰らって、血の一滴も流すことはなかったのだ。

 王はごきりと首を鳴らし、聖杯を持ち上げる。

 

「我が神殿の内では王は不滅!! 正真正銘の不死だ! たとえ最強の聖剣であろうが余の命を断つことはできぬ!!」

 

 その宣言の直後、オジマンディアスの足元にニトクリスが放った死霊が突き刺さる。頭頂から腰までを地面に埋めたソレは、ぴくぴくと痙攣を繰り返していた。

 死霊と格闘していたノアは乱れた衣服を直しながら、オジマンディアスを睨みつける。

 

「不死だと? そんなもんは俺たちにとっちゃアドバンテージになるどころか弱点そのものだ。降参するなら今の内だぞ」

「でも、ヤドリギなんて使ったら殺しちゃうかもしれないんじゃないですか?」

「然り。不死と不死殺しが相見えれば待ち受けるのは殺し合いだ。それは双方が望むところではない。故に見せてやろう、最高神の御姿を!!」

 

 オジマンディアスは金の小刀を取り出し、左の手のひらを浅く裂く。滴る鮮血を聖杯が受け止めたその時、目も眩むような閃光が辺りを包んだ。

 そして現れるのは、黄金の尖塔。表面に無数の眼球を群生させた悪魔───魔神柱が、顕現していた。

 元の姿など見る影もない存在に変貌を成し遂げた王は、高らかに笑いながら言い放つ。

 

「これぞアモン・ラー!! キリスト教に堕落させられた悪魔などとは一線を画す、太陽を司りし最高神! ファラオの威光を畏れよ!!」

「……だとよ。どうだ、藤丸?」

「畏れるに足りませんね! 私が知ってるファラオはヒトデみたいな頭した闇のゲームプレイヤーなんで!」

「だとしても、わたしたちがマインドクラッシュされることはありえません!」

 

 アモン・ラーとはエジプトの神、アモンとラーが習合したことで産まれた存在。

 ファラオは太陽神ラーの化身ともされていた。アモンもまたエジプトの神々の王であり、キリスト教ではソロモン七十二柱の七番目に位置する地獄の侯爵と解釈されている。

 ラーの化身であるファラオがその身にアモンを召喚した結果、起きたのは擬似的な習合。唯一神の手先に貶められる前の、最高神たる神性を宿した魔神柱がここにカタチを成したのだ。

 オジマンディアスことアモン・ラーは勝ち気に声を発する。

 

「ククク、その威勢がいつまで保つか見物だなァ! 決闘(デュエル)開始の宣言をしろ、ニトクリス!」

「デュ、決闘(デュエル)開始ィーッ!!」

 

 当然のように先攻を取ったのはアモン・ラー。全身の光を束ね、一本の巨大な槍として撃ち放つ。それは、サーヴァント数体を一度に屠り得る膨大な熱を秘めていた。

 しかし、ここには今まで数々の窮地を凌いできたマシュという名の盾が在る。

 彼女は僅かに盾を後ろに倒し、光条を上方へ受け流した。反射した光の槍は天井を撃ち抜き、風通しを良くしてしまう。

 ペレアスはノアのお手製の剣を抜き放つ。

 

「オレの剣の切れ味は過去最高だ! 行くぞ!」

 

 そう言って駆け出そうとする彼の首を、ノアが掴んで止める。その際にごしゃりと鳴ってはいけない音が鳴った気がしたが、些細な問題である。

 

「その剣で斬りかかんじゃねえ。不死身の半神を斬り殺した代物だぞ。今のオジマンディアスにはぶっ刺さりすぎてんだよ。とりあえずそれ置いてけ」

「待て、オレこれ以外に剣なんて持ってないんだが。……先輩、アンタの剣片方貸してくれ」

「断る。元はと言えば貴様が私の宝具を壊したのが悪い。左手になまくらを握らねばならぬ私の気持ちも考えろ」

「あの聖剣呪われてただろうが! だったらなまくらの方がいくらかマシだろ!」

「まあ、どれもこれもやんちゃな私の妹が悪いんですけどね」

 

 という笑えない精霊ブラックジョークが飛んできたところで、ジャンヌは腰に佩いた剣を鞘ごとペレアスに投げ渡した。

 

「貸すのは二度目だけど、今回もきちんと返しなさいよ。刃こぼれなんてさせようものなら怒りますから」

「ああ、任せろ。言っちゃなんだが、円卓の騎士で一番剣を折ったのはオレだからな! 丁重に扱う術は心得てるぜ!」

 

 べディヴィエールは頷いて、

 

「確かに、ペレアス卿が同じ剣を持っているところを見た覚えがないですね。円卓の騎士に就任した時に貰った儀礼剣はどうしたのです?」

「あー……あれか。寝室に飾ってたら嫁が放つ湿気で錆びてたな。水の精霊ナメてた」

「まさか私の水気があそこまでとは思いませんでしたわ」

「…………王には内緒にしておきますね。色々と」

「アホなこと言ってないで構えなさい! あのファラオをぎゃふんと言わせるわよ!」

 

 ジャンヌは旗の穂先でペレアスの尻をべしりと叩く。その勢いのままに飛び出す彼に続いて、一斉にサーヴァントたちが追随した。

 

「多勢に無勢だ、いっけぇ!!」

 

 矢、拳、剣、炎、果ては毒───これら全てを一度に叩き込まれながらも、アモン・ラーは揺るがなかった。それどころか、一層体表の輝きを増して反撃の光条を迸らせる。

 激しい戦闘の風景を眺めるのは司令塔であるマスター二人と、土下座で力を使い果たしたダンテだった。彼は赤いコートの裡からハンカチを出して、額の汗を拭く。

 

「ふう……成し遂げましたね。後は私はバトルの解説役に専念します」

「おい、こいつにガンド撃て。俺が許す」

「撃たないですよ? というか私たち、ここで見てるだけで良いんですか。勇者だって認められないといけないみたいですし……マスターとサーヴァントの役割分担は分かりますけど」

「だったらそれで良い。俺たちの仕事は死なないことだ。前に出る必要はない」

 

 だが、とノアは不敵に笑む。

 

「それでファラオにナメられんのは俺の沽券に関わる。とっておきの魔術をぶっぱなすぞ」

「ついに来てしまいましたか、私の修行の成果を見せる時が!」

「え? 何のことです? 私は?」

「「…………」」

 

 と、くだらないやり取りをしている最中にも、サーヴァントたちは激闘を繰り広げていた。

 絶え間なく空を走り、地を舐める熱線。ひとつひとつが宝具にも匹敵する威力でありながら、その手数は無尽。投網の如く襲い来る光条を潜り抜け、ベイリンとペレアスは黄金の魔神柱に斬撃を浴びせる。

 さらにはアーラシュによる矢の雨、ジャンヌの炎が命中するが、アモン・ラーは苦悶の声ひとつあげることはない。泥沼に剣を打ち込むような不毛さを味わっていると、ニトクリスはおずおずと提案した。

 

「要らぬことと存じますが、私も加勢致しましょうか? その、端から見てると形状も相まって、盛大なサンドバッグにされてるようにしか見えな……」

「不要だ! 向かい来る敵の何もかもを受け止め、粉砕することこそがファラオの戦いよ! この程度のダイレクトアタックで余のライフポイントを削り切れると思うてかァーッ!!」

 

 彼が発した威勢とともに、いくつもの閃光の爆発が巻き起こる。それは自らをも巻き込むような攻撃だったが、アモン・ラーの果てしない耐久力の前には微々たる影響だ。

 ジャンヌは好戦的に唇の端を吊り上げる。

 

「それって要は痩せ我慢でしょ。案外底は浅いと見たわ!」

 

 彼女は旗を振り上げる。竜の魔女の所以たる黒炎が舞い上がり、数十もの赤熱した鉄杭がその穂先を金色の巨塔へ差し向けた。

 漆黒の炎と捻くれた鉄の杭が魔神柱と化したオジマンディアスに殺到する。莫大な熱の波濤が到達する寸前、彼は言う。

 

「───ならば、この身が底とやらをその目に刻め」

 

 瞬間、アモン・ラーの五体より鮮やかな赤炎が破裂する。

 黒炎を真っ向から食い破ったそれは勢い衰えず、猛然と直進した。

 

「『疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)』!!」

 

 マシュの体は思考を挟まず、勝手に動いていた。この炎を素通りさせれば全滅は免れない───確信に近い予感のままに。

 白き円盾が赤き輝炎を防ぎ切ったその向こう、灼然と佇むアモン・ラーは歌い上げるように言の葉を紡ぐ。

 

「『太陽神の火(ラー・レケフー)』。魔神柱如きには到達し得ぬ神性を宿した火よ。これは天上に座す太陽より零れ落ちた欠片と知れ」

 

 燃え盛る巨体から放たれる熱気によって、周囲の石が次々と砂へと崩れ落ちる。

 ジャンヌの炎とはまるで対極。神性と聖性が赤き炎として現世に現れた

 ダ・ヴィンチは眼鏡越しにその炎を観測し、高揚を隠し切れない面持ちで唸った。

 

「あの霊基で再現できる限界ではあるが、アレは確かにラーの火と言っても相違ないね。魔神柱アモンの性質を塗り潰し、飼い慣らすほどの神性とは、流石ラーの子孫と謳われたファラオだ」

「そう、オジマンディアス様はすごいのです! 我々ファラオは神の化身とは言えど、こんな芸当を実現できるのはオジマンディアス様をおいて他にはいないでしょう! 私にはできません!」

「段々あの子が不憫に思えてきたぜ……」

 

 アーラシュがぼやいたその裏で、湖の乙女は某黄色電撃ネズミのようなしわしわ顔になる。

 

「乾燥しすぎててクソつれーですわ……今の私にこの陽気はミイラになれと言っているようなものです」

「そう言うと思って、霧吹きを用意してあります。わたしは先輩のデキる後輩なので」

「あぁ〜生き返りますわ! いっそバケツごと持ってきてくださいませ!!」

フォフォウフォウフォフォウ(こいつもう黙ってた方がいいんじゃねえか)?」

 

 マシュは盾の中に隠していた霧吹きを湖の乙女に吹きかける。さながらサボテンの水やりだ。

 赤き火が地面を砕き、放射される。サーヴァントたちは散り散りにそれを回避し、アーラシュは空中で矢を放つが、炎の前に炭と化してしまう。

 ベイリンは左の剣を逆手に持つと、槍投げの要領でアモン・ラーに投擲した。空気を裂いて飛翔する刃はしかし、ラーの火に触れた途端に跡形もなく蒸発する。

 それを見て、ベイリンは舌打ちした。

 

「攻防一体と言う訳か。小癪な」

「まずはあの炎をどうにかしなきゃならないのか。アンタは策とかあるか?」

「策と呼べるモノではないが、ひとつある。上手く当てれば一撃で決着がつくだろう。……だが」

 

 ベイリンは後方を流し見る。

 真紅の兜から覗く眼光を受け、ゲンドゥルの杖を構えるノアは獰猛に答えた。

 

「───ああ、いらねえ。おまえらは指咥えて眺めてろ!」

 

 彼は勢い良く右足を踏む。すると、色とりどりの光芒が円陣を描いて放射状に広がった。それらは一切がルーン文字で構成された紋様であり、破格の魔力を秘めている。

 立香はその横で、拙いながらも魔力を乗せた言霊を唄う。その声は日本語でも英語でもなく、古代北欧のルーンに定められた特別な韻律を紡ぎ上げていた。

 ルーン文字は書くだけでなく、発声することで効果を発揮させることもできる。北欧においてはガルドルと呼ばれた魔術であり、(まじな)い歌の一種だ。

 しかして、ガルドルは魔術を発動するための道具に過ぎない。

 ───セイズという魔術がある。

 古ノルド語で魔術の一種を表す言葉。その効果は多岐に渡るが、神霊や精霊をその身に喚び出す降霊・召喚術としての側面が強い。

 セイズはヴァイキングの間で広まり、その使い手のほとんどが女性であった。キリスト教で魔女と悪魔が結び付けられたように、日本で巫女が神事に通じたように、降霊術は女性の領分であったのだ。

 言霊が流れていくのにつれて、ルーンの紋様がゲンドゥルの杖の先に収束する。

 魔術師としては並の才能、並の魔力しか持たぬ立香でも、セイズを使った補助ならば十分以上に役割を遂行できる。

 その魔術の本質を見抜いたのはアモン・ラーと化したオジマンディアス。魔神柱の体では表現し得ぬ微笑をたたえた。

 

「……なるほど、考えたな。それならば、現代の魔術師であろうと古き時代の神秘を扱えよう」

 

 セイズとは降霊術。

 ならば、喚び出すのは。

 

「───『大神刻印(マトリクス・オーダイン)』……!!」

 

 ノアは目眩く魔力の砲撃を解き放つ。

 原初のルーンを媒介とした、オーディンの神秘宿りし一撃。

 オジマンディアスがラーの神性を利用するというのなら、彼らはオーディンの神秘を叩きつける。

 十八の原初のルーンを注ぎ込んだ射撃はラーの火による迎撃にすり減らされながらも、魔神柱の巨体に直撃した。

 それと同時、アモン・ラーの体表から『太陽神の火』が消え失せる。

 原初のルーン十八全ての同時解放、『大神刻印』。これは敵の魔力を利用した強化、攻撃、宝具さえも一時的に停止させるルーンの秘法。

 攻防一体の火が失われたその時、動いたのはジャンヌと三蔵。彼女らは示し合わせたように、宝具を解放した。

 

「『五行山・釈迦如来掌』!!」

 

 覚者の力の一端を引き出した掌底と、

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 邪竜の咆哮に等しき魔炎の開華。

 聖邪相乱れる一撃に晒され、アモン・ラー改めオジマンディアスは、

 

「認めざるを得んな、お前たちは強い。あくまで本気は出していないがな! 手加減をした余によくぞ勝ったと褒めてやる!!」

「この期に及んで負け惜しみ言ってんじゃねえ!!」

 

 そうして、ファラオとの決闘は終結した。

 その後、見るも無残に崩壊した神殿を修復するため、ニトクリスが使役する死霊による修復作業が行われた。死霊たちはヘルメットに作業服という、安全に配慮した格好をしている。

 死んでいるのに安全に配慮する意味はあるのか。立香はそんな疑問を抱いたが、それを言ったノアが角材で突かれているのを見て口を噤んだ。

 とんてんかんとお手本のような工事音が鳴り響く最中。オジマンディアスはテープで貼り付けただけの雑な補修を施された玉座に座りながら、Eチームに言いつけた。

 

「しばらく体を休めた後、貴様らはアトラス院を目指せ。場所は伝えておく。他のサーヴァントは待機させよ」

「アトラス院には私も行くからね。魔術師たちの知識の蔵……これはダ・ヴィンチちゃんとしては行くしかない!」

「それは大歓迎ですけど、急ぎすぎてないですか? ここは安全なんですよね?」

 

 立香の問いに、オジマンディアスは傲岸に答える。

 

「少しは頭を使え、小娘。ラモラックとやらに唆されて我が城を訪れたのだろう。聖都に貴様らの動向は筒抜けだ。獅子王は既に軍を動かしているだろう」

「呑気にしている暇はない、ということですねえ。ここに来るまでにも日を費やしましたので、聖都の刃は喉元に迫っているかもしれません」

「アグラヴェインがいるってならそうだろうな。あいつは行動するのに迷いがなければ容赦もない。こういう勘の良さに関しては図抜けてる」

 

 立香たちはこくりと頷いた。

 武勇に関する逸話は少ないアグラヴェインだが、いち早くランスロットとギネヴィアの不義を見抜いたことからしても、その眼の鋭さは確かだ。結果的にその勘の良さが彼の最期を招いてしまったが、最強の騎士ランスロットを相手にしては分が悪いと言えるだろう。

 円卓の騎士の司令塔でもある彼の動向は、相対するカルデアにとって最重要事項のひとつである。

 Eチームを除いたサーヴァントを残していくのも、この砂の聖地を防衛するため。もはや二つの勢力を残すのみとなったこの地で、口約束の不可侵条約ほど頼りないものはない。

 マシュは巨大な木材からしゃもじ状のしゃもじを削り出しながら、

 

「いよいよ決戦が近くなってきましたね。アトラス院ではどんな晩ごはんが待っているのでしょう」

フォフォフォウフォウ(もうツッコまねえぞ)

「リーダー、最近マシュのキャラが迷走してる気がします」

「今に始まったことじゃねえだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、アトラス院。

 アトラス院とは時計塔に並ぶ魔術協会の三大部門のひとつ。天才だけが入門を許される禁忌の穴倉。錬金術を特色として、人類の滅びを一分一秒でも遅らせるという目的の下に設立された組織だ。

 その点、組織理念としてはカルデアの先駆者に当たる。が、閉鎖的な体制から他の部門との交流は途絶えて久しく、その研究成果が外部に漏れぬことを徹底している。

 なぜなら、アトラス院はその知識を外部に流出させないための構造を持っている。地下深くに広がる広大な迷宮は複雑極まり、二又の分かれ道が振り返れば三本に分かれていることなどザラだ。

 ……という情報を事前にカルデアから受け取っていたEチームだが、

 

「ああ? 俺を誰だと思ってんだ、俺だぞ。アトラス院の連中がどれほどの天才だとしても、俺以下なのは間違いねえからな」

「うん、イケるイケる。迷ったら迷ったでその時考えよう。大丈夫、いざとなれば天井をブチ抜いて脱出すればいいから!」

「『し、心配すぎる……!!』」

 

 という、天才たちの判断によって特に策を持たずに突入することになった。アトラス院の内部は通信が通じないことが予想されているため、待ち続けるしかないロマンの胃は崩壊寸前を迎えていた。

 弱々しい灯明が点々と続く薄暗い道。人影はひとつもなく、冷然たる雰囲気だけが延々と漂っている。

 江戸時代、人々の無知や恐怖から多くの妖怪が生まれたように、見知らぬ不気味な場所は後ろ暗い思考を掻き立てるものだ。

 それにまんまとハマり、在りし日のホラー番組を見て夜眠れなくなった状態になった立香は無意識に指先でノアの袖を手繰り寄せた。

 

「な、なんか気味が悪い場所ですね。真っ直ぐ進んでるはずなのに曲がってる感じがします」

「お、なかなか鋭いねえ立香ちゃん。その通りだよ。私たちは今曲がり道にいる」

「……えっ!?」

「私たちが普段歩いてるような曲がり道じゃないぜ? とてつもなくなだらかなカーブがぐるっと続いてるんだ。直進していると思い込んでいると、途中の分かれ道に引っかかってアウトって寸法さ」

 

 それを聞いて、ダンテは喉を唸らせる。

 

「なまじ魔術に頼っていないところが恐ろしいですねえ。一般人だろうが魔術師だろうが決して外には出さないという意思を感じてしまいます」

「神秘は知られると薄まる、でしたっけ? ここまでの執念となると恐れ入るわね」

「こういうネチネチした仕組みは人の子の方が上手ですわね。私たちガイア側の存在は超常パワーで解決してしまいがちなので、破り方も単純ですわ」

「……いや、それは良いんだけどよ」

 

 ペレアスはちらりと後ろを見る。ノアたちもそれに倣うと、そこには一心不乱にパンを千切って床に落とすマシュがいた。

 彼女は視線に気付くと、ニヤリと白い歯を見せる。

 

「ヘンゼルとグレーテル作戦です。如何にアトラス院といえど、これで迷うことはなくなりましたので、安心してください」

「……一応聞くけど、しゃもじはどうしたのよ」

「入り口に入らなかったので放置してきました」

フォフォウ(不法投棄乙)

 

 ジャンヌは呆れた表情になって、

 

「最初からこんなだったの、このなすびは?」

「少なくとも初対面の頃は純真だった……と思う。昔はあんなに可愛らしかったのに」

「人というのはいつまでも純真じゃいられないんですよ……フッ」

「ソロモン王(仮)よりも闇に満ちた瞳をしてますねえ」

 

 ダンテはしみじみと述べた。

 そうこうしている内に、周囲の光景も徐々に変わってくる。両壁に等間隔に扉が並ぶようになり、光量も足元が見える程度には増している。

 アトラス院の魔術師たちが利用する研究室が立ち並んでいるのだろう。ただし、扉の数からしてその大半は偽装。侵入者を捕らえ、囲い殺すための罠だ。

 ダ・ヴィンチはずらりと奥へ続く扉に目を配る。

 

「流石にここは念入りだね。神秘の秘匿を徹底しているのだから当然か。どうする、ノアくん?」

「イチイチ探索してる暇はない。このまま最奥部を目指すぞ。侵入者を逃さないための施設なら、本当に重要なブツは奥に隠すはずだからな」

「私もそれに賛成だ。演算装置と言うからにはそれなりの敷地を費やしているだろうからね」

「ああ、何としてでも手に入れるぞ」

 

 下卑た笑みを浮かべるノアとダ・ヴィンチ。二人の言い草に違和感を覚えたペレアスは咎めるように言う。

 

「……お前ら、もしかしてその演算装置とやらを目当てにしてるんじゃねえだろうな?」

「「バレたか」」

「神秘が薄れるっつう原則はどうした? 魔術師にとっては死活問題だろ」

「俺たち二人程度なら大したことはない。しかも、それは俺が将来解決する問題だ。未来への投資くらいに思っとけ」

「そうそう、疑似霊子演算装置ならカルデアにもあるけど、私とノアくんの共同研究的にはオリジナルのサンプルも欲しい。結果的に人類の役に立つことは保証するよ」

 

 などと耳触りの良い言葉をつらつらと並べる二人の言い分に、ダンテは茫洋たる不安を募らせる。政治家時代の経験の賜物だ。

 

「一体何の研究をしているんでしょうかねえ、あの二人は」

「嫌な予感がすることは間違いないわ」

「一度家宅捜索する必要がありますね。叩けば叩くほどホコリが出そうです」

 

 もっとも、叩いてホコリが出ない人間などカルデアにはいないのだが。

 道が若干開けてくる。施された明かりも段々と数を増し、重厚な扉が見えた。ようやく警戒せず歩くのに十分な光量になり、ジャンヌはあることに気付いた。

 

「……立香。そいつの袖掴んでどうしたのよ」

「───はうっ!!」

 

 立香は上体ごとノアから離れる。

 辺りが静寂に包まれる。差し向けられる視線のいくつかは生暖かかった。

 そんな空気を読む能力がノアにあるはずもなく。彼はニタニタとした意地の悪い笑みを顔に貼り付ける。

 

「ハッ、暗がりが怖いとかビビリの子どもか? 図太さの化身みたいな女のくせに気取ってんじゃねえ」

「はああ!? 私のどこ見て言ってんですか!? 繊細さを絵に描いたような存在じゃないですか! 食べ物で喩えたらティラミスじゃないですか!」

「おまえのどこがティラミスなんだよ。上等なスイーツで喩えんな。かりんとうか月餅が関の山だろうが」

「わたしを食べ物で喩えたら何になりますか?」

「「…………刺し身についてる白いヤツ」」

「そこはなすびでしょう! 分かってて外しましたよね!? でもあの白いヤツは醤油つけて食べると美味しいんでちょっと嬉しいです!!」

フォウフォフォウ(よかったじゃねえか)

 

 三馬鹿と謎生物を無視して、ジャンヌたちは扉を開ける。慌てて三人と一匹も後を追い、アトラス院の中央部に到達した。

 目に飛び込んでくるのは、今までの息苦しさとは打って変わった広大な空間。天井には作り物の青空が光を伴って描かれている。

 アトラス院に籠もる魔術師たちが生きていくために必要なすべてがここに揃っている。しかし、彼らの目を引いたのはその空間の中心だった。

 偽りの青空を高く突く三本のオベリスク。それこそは疑似霊子演算装置・トライヘルメス。カルデアが擁するトリスメギストスのオリジナルに当たる装置だ。

 賢者の石と言われるフォトニック結晶で構成されたそれは、アトラス院最大の記録媒体。ノアとダ・ヴィンチの目的であるトライヘルメスの前には、ひとりの男が佇んでいた。

 彼はゆっくりと振り返る。落ち着いた雰囲気の美青年。片手にパイプを持ち、インバネスコートを着ている。

 

「一足早くトライヘルメスを使わせてもらったよ、カルデアの諸君」

 

 パイプを吸い、紫煙をくゆらせる謎の男。戦闘の意思はないようだが、無人のはずのアトラス院においては何よりも異質な存在だ。

 マシュは盾を握る手に力を込めて問う。

 

「……あなたは、一体?」

「ふむ、素直に名を明かしてもよいが……そうだな。ロンドンの置土産は役立ててくれたかな、ミス・キリエライト」

 

 ノアたちの脳裏に浮かぶのは第四特異点、時計塔の地下に置かれていた一冊の本。『超☆天才探偵のワトソンくんでも分かる調査ノート 〜初歩的なことだよ、カルデアの諸君〜』のことだった。

 そこから導き出される真実はいつもひとつ。立香は何の気無しに呟く。

 

「シャーロック・ホームズ、さん?」

「如何にも、私はシャーロック・ホームズ! ローストビーフとワインを愛する、しがない顧問探偵だ!」

「本当に当たってた!? あのふざけたタイトルの本はどうしたんですか!」

「ちょっとしたイギリス風探偵ジョークだ。楽しんでくれたかな?」

「困惑しかなかったですけど!?」

 

 立香の横で、どさりという音がする。

 マシュは盾を取り落とし、心臓を貫かれたように膝をついていた。彼女は出処不明の汗を流し、途切れ途切れの息を吐く。

 

「お、おふぅ〜〜……」

「彼女はどうしたのかね?」

「気にしないであげてください、ホームズさんの大ファンなんです」

「とりあえず立ちなさい。このままじゃ五体投地しかねないわよ」

 

 ジャンヌはマシュの両腕を掴んで、無理やり引き上げる。ぐでんとした猫のように伸び切ったマシュは力の限り立ち上がった。

 彼女は立香の耳元に唇を寄せて、何かを囁いた。立香は流れてきた言葉をそのまま出力する。

 

「サインください、ですって。……え? できれば盾にでっかく書いてほしい?」

「それは駄目だァァァ!! その盾は大事なものだから!」

「え、でもあなた様。たしかスープこぼして……」

「あ、それはやめてくれ! 内緒にしてることなん───」

 

 その瞬間、ペレアスの両肩をそれぞれジャンヌとノアが掴んだ。

 

「ねえ、ペレアス」

「やっぱり何か知ってんだろ」

「前々からそんな感じはしてましたからねえ」

「私に言わせればペレアスさんは嘘が下手すぎるなあ」

「…………やっちまったぁ〜〜!!」

 

 ペレアスは両手で顔を隠してうずくまる。

 その光景を生温かい目で眺めていたホームズは、パイプを袖の下にしまって言った。

 

「ふむ、まずはその話からしよう。とは言っても、ペレアス卿の口から語ってもらった方が早そうだが」

 

 マシュのスピーカーと化した立香はペレアスに視線を送りながら、言葉を連ねる。

 

「何のことですか? ……とマシュは言っています」

「他でもない、キミのことだよ。ミス・キリエライト。その身を依り代とした英霊の真名をまだ知らないのだろう?」

「分かるのですか!? わたしに憑依した英霊の真名が! ……あ、これは先輩の台詞ではありません!!」

 

 耳元で大声を出された立香は、右耳を押さえてしゃがみこむ。

 耳鳴りに襲われた彼女を尻目に、ホームズは頷いた。

 

「ああ、分かるとも。じっちゃんの名にかけて……とはいかないが、私の真名をかけてもいい。ついでにワトソンのもね。受け止める覚悟は?」

「まあ、あると言えばありますが。そうですね、今となっては知らなくても私は大丈夫です」

「……その心は?」

「Eチームの仲間が助けてくれるからです。若干名いざという時にしか役に立たないアホが混じっていますが、それだけは言い切れます。ですよね、先輩?」

「うん。けど、とりあえずこの耳鳴りから助けてほしい……」

 

 自分もそのアホの仲間に入っている事実に気づいていないことはさておき、マシュの覚悟は固かった。英霊の格に足る強さはもう手に入れているのだ。

 ホームズは満足気に微笑む。

 

「よろしい。言うなればこの場所はサスペンスドラマのフィナーレ、荒波押し寄せる崖の上と言う訳だ。時にキミたちは、カルデアのシステムを用いて英霊を召喚したことが?」

「ジャンヌがそうですよ。優雅なおじさんとか麻婆豆腐みたいに余計な物ばっかり出てきました」

「ロマンが夜なべしてアロンアルファでくっつけた聖晶石でな」

「───は!? アロンアルファ!? そんなので喚ばれたの私!? 初耳なんですけどぉ!! どうして誰も言わなかったのよ!!?」

「真相を話す前に驚かれると、探偵としてはとても困る……」

 

 史上最大の驚きを見せるジャンヌに、ホームズは妙は話しづらさを感じた。謎を詳らかにすることが生き甲斐の探偵は、盛り上がりどころには敏感なのだ。

 それはともかく、自分を召喚する材料にアロンアルファの手が加わっていることを伝えられる者はどこにもいなかった。

 地面に両手足をついて落ち込むジャンヌを背景に、ホームズは仕切り直す。

 

「英霊召喚システム・フェイトは彼女の持つ盾を利用している。なぜその必要があるのか。それはその盾が、かつて数々の英雄を集めたモノだからだ。そこにいるペレアス卿はこれ以上なく良い例と言える」

「そういえば、ペレアスさんはマシュの盾の召喚陣から出てきましたよね?」

「……ほぼ答えは言ったようなもんだな。ラウンドシールドとはぴったりじゃねえか。なあ、円卓の騎士ペレアス卿?」

「あー……聞こえねえ」

「その盾は元々は別のモノだった。カルデアの研究者はそれを改造して盾という武器に仕上げ、依り代となる少女にその一部を埋め込んだ」

 

 そして、とホームズは続ける。

 

「これは運命と言うべきだろう。カルデアは今まで五つの特異点で五度の聖杯探索を成し遂げた。かの騎士と同じ偉業を、かの騎士を宿した少女が達成したのだから」

「……ということは───」

「───ギャラハッド。ランスロット卿の血を引き、ベイリン卿を陥れた聖剣を抜いた円卓の騎士。それが、キミの命を救い、力を与えた英霊の真名だ」

「こ、この盾は……カルデアが改造したということは、この盾はギャラハッド卿の赤十字の盾ではなく……」

「聖遺物の円卓を流用した、ということだね」

 

 未だに落ち込んでいるジャンヌの横で、マシュは同じように両手足を地面に突き立てた。

 

「そ、そんな……っ!!」

「気持ちは察する。キミのような少女が背負うには、重い名だ」

「このままじゃわたしは、なすびのコスプレで一日を過ごすことに───!!」

「………………それは読めなかった。この名探偵の目をもってしても!」

 

 名探偵とて分からないことはある。それがアホの思考回路となれば尚更だ。数々の難事件を解決してきたホームズは初めて敗北を味わったのだった。

 一方、ホームズの種明かしを聞いていたノアたちは、ペレアスを簀巻きにして縛り上げていた。ノアは鋭い眼光をペレアスに差し向ける。

 

「おい、どうして黙ってた。その反応だと召喚された時から気付いてただろ。五十話近く隠し通した気分はどうだ?」

「まあ要所要所で怪しい感じはありましたが……欺瞞者がどんな地獄に落ちるか知ってます?」

「待て待て、言ってなかっただけで嘘はついてねえ!! それにほら、英霊の名前なんだから自分で気付くのが重要だろ! 宝具も使えてたし良いと思ってたんだよ!」

「リースさんがスープこぼしたとか言ってましたよね。大事な円卓に何やってんですか」

「あの時はぼーっとしてたというか……シミ消しを頼んだマーリンのやつが言いふらしたせいでバレて……」

「結局隠そうとしてんじゃねえか!!」

 

 ノアは簀巻きになったペレアスを蹴り転がした。

 思いもよらなかったマシュの反応に加えてその光景を見せつけられ、ホームズは肩透かしな気分を味わう。

 そんな彼に、ダ・ヴィンチは言った。

 

「ところで、さっき〝まずはその話からしよう〟と言ってたけど、他に話すべきことがあるのかい?」

「ああ、むしろ私にとってはそちらが本題だ。その前に、これを渡しておこう。過去の聖杯戦争と、獅子王の情報をまとめておいた。おまけもあるが、それはカルデアに帰還してから読んでくれ」

 

 ホームズは一冊のノートを差し出す。それはワトソンくんでも分かる調査ノートその二と書かれていた。そこはかとなくシールでデコレーションが施されたそれを、立香が受け取る。

 彼女はノートを抱えながら、

 

「それで、ホームズさんの本題って?」

「初代山の翁はこう告げたはずだ。〝その先に待ち受ける災いの兆しを見るだろう〟と。私がする話とは、その先───人理焼却を解決した後に起こる現象のことだ。それは、私が今取り組んでいる事件でもある」

「随分気の早い話だな? おまえの口振りだと、その事件が起きることは確定してるように聞こえるぞ」

「そうだとも。ソレが起きることは決定している。否、この瞬間にも起き始めている。トライヘルメスを使ったのは、その計画が何時から始まったのかを知るためだ」

「……明言を避けるような言い方ですね?」

 

 ダンテは指摘する。その事件が本題であるというのに、ホームズは内容を語らない。探偵は回りくどい言い回しをするものだが。

 しかし、彼の言い回しは名探偵の性根からくるものではなく。何かを警戒しているようだった。

 

「ミスター・アリギエーリの通り、私は言葉を選んでいる。奴にとってのセーフとアウトの線引きが曖昧でね。……だが、恐れていては手に入るものはない。ここは博打を打つとしよう」

「危険ならやめても良いんじゃないかい?」

「いや、私はできる限りの情報を伝えたい。なにせ、次の特異点は魔術王の手によるモノでなくシモン・マグスが作り出した特異点だ。しかも、その事件はいずれ必ず人類の前に立ちはだかる」

「───シモン・マグスだと?」

 

 ノアは眉をひそめる。

 シモン・マグス。知恵の女神ソフィアと崇められていた聖娼ヘレンを常に側に置き、皇帝ネロの宮廷魔術師であった反キリスト教の人物。

 『暗黒の人類史』を召喚したソフィアと決して無関係とは言い切れないことから、カルデアでは以前から調べを進めていた魔術師だ。

 ホームズは首肯して、ノアに向き直った。

 

「ミスター・ナーストレンド。貴方は三年前に、根源に到達する理論と方法を確立したシモン・マグスの末裔を殺害したそうだが」

「俺ひとりじゃなかったがな。獅子劫っつうおっさんもいた。それがどうした」

「シモンの末裔が確立した根源へ行く方法を語って欲しい。それこそが事件の本質なんだ。私の口から語ると線引きに抵触する恐れがある」

「……仕方ねえな」

 

 ノアは語る。

 彼がカルデアを訪れる三年前、中東ではシモン・マグスの子孫が老若男女問わず人間を集め、片っ端から魔力結晶に変換していた。

 シモン・マグスは空を飛ぶ魔術を実演していたところを、十二使徒のひとりにして初代ローマ教皇シモン・ペテロの祈りによって地面に墜落させられた。

 そんな魔術師の血を引く家系が相伝していたのは飛行魔術。重力の軛から放たれ、空を舞うことを可能にする魔術だ。

 が、それは時が経って血が薄まり、神秘が劣化した末の魔術に過ぎない。シモン・マグスが可能としたのは肉体を上空ではなく別の次元へと飛ばす魔術。

 

()()()()。現代では第二魔法の領分に近い魔法級の神秘だ」

 

 シモンの子孫は飛行魔術のみならず、次元跳躍も受け継いでいた。だが、成せるのは命を削るほどの魔力を消費した上に、一瞬で三次元に戻ってしまう不完全極まりないモノだった。

 さらには、上の次元の環境に身体が耐え切れず、重傷を負う有り様。根源に届き得る力がありながら、それを扱うことができなかったのだ。

 

「それでもあいつは問題をクリアしようとした。自身を固有結界で囲うことで外部の影響を遮断し、魔力結晶から引き出した魔力で次元跳躍を繰り返す。そして、根源に着いたところで固有結界を解除すれば終わりだ」

「……イカれてるな。何人分の魔力を集めればそんなことができるんだ?」

「さあな。奴の研究室に残ってた結晶の量から推測すると四千人は犠牲になってるはずだ」

「ふざけた数字ですねえ。……次元跳躍で根源に着いたというのはどうやって知覚するのです? 固有結界で自らを覆った状態では目隠ししているようなものでしょう」

「そんなのは簡単だ。ロンドンでオティヌスが描いたものを使えば良い」

 

 そう言われて、立香は思い至る。

 

「生命の樹、ですか?」

「そうだ。生命の樹は頂点を万物の根源として、底辺をこの物質界に置いている。つまりは根源流出説だ。次元跳躍を行う時は、生命の樹の理論に則って遡れば迷うことも、結界を解くタイミングを誤ることもない……こんなところだ、お気に召したか?」

「過不足ない説明で助かるよ。これで事件の全貌は見えたに等しい。さて、ここでキミたちに問おう」

 

 ホームズは真実を見透かす瞳をほのかに輝かせて、ノアたちに問いかけた。

 

「───もし、その固有結界が地球を包んだとしたら?」

 

 返答はなく、ただ聞こえる音は息遣いのみ。けれど、だからこそ、嘘偽りない驚愕と困惑が席巻する感情が空気を介して伝わる。

 

「それでも結果は変わらない。地球ごと根源に到達するだけだ。───正しく、全人類を根源に連れて行くことができる。ただし今は、連れて行くための人類が滅んだ状態だ。魔術王の企みが潰れない限り、その計画が本格的に動き出すことはない」

「…………そんなことできるやつが、どこにいるのよ」

 

 ジャンヌがこぼした一言は彼女らの心情をこれ以上なく端的に表していた。

 ホームズは目を閉じ、そして開ける。その頬に伝うのは一滴の冷たい汗。彼は今、線引きの寸前を見計らっている。

 意を決したのは数秒後。ホームズは重い息を吐き出すように口を動かす。

 

「『三位一体の獣(トリニティ・ビースト)』と、私は呼称している。人類史を脅かすその獣たちこそが、事件の犯人だ。第一の獣は赤き竜、第二の獣はバビロンの大淫婦、そして────」

 

 言葉が途切れたその時、ホームズは血を吐き、崩れ落ちる。吐いた血はドス黒く染まっており、口のみならず涙腺からも流れ出していた。

 ノアたちが駆け寄る間もなく、ホームズの背後から声が響く。

 

「そこまでだ、シャーロック・ホームズ。話も始まっていないのに推理をひけらかす探偵がどこにいる」

 

 空間を割って姿を現したのは、女だった。金色の頭髪を肩の辺りで切り揃え、つややかな褐色の肌が衣服の合間から覗く。黒地に幾何学模様が描かれたローブを着て、首元には種々の宝石をあしらった銀の首輪を提げている。

 女はホームズの横に立つと、ノアたちにうやうやしく礼をした。

 

「私はシモン・マグス。性別が変わっているのは気にしないでくれ。男だろうが女だろうが、私が私であることに変わりはないのだから」

「呑気に自己紹介か? ぶっ殺す!!」

 

 ノアが威勢を発して空中に腕を振るうと同時、マシュとジャンヌ、ペレアスは得物を振りかざす。

 金属音が鳴り響く。マシュたちサーヴァントが放った攻撃は、虚しく床を叩いただけだった。いるはずの場所にシモンは存在していない。

 一瞬とかからず姿を消した芸当。それが次元跳躍によるものだとノアが気付いた時には、シモンは彼の隣にいた。シモンは僅かに切れたローブを見せつける。

 

「良い魔術を使う。離れた場所に不可視の攻撃を出現させるとは。共感呪術の遠隔作用の理論を大気に当てはめたのかな? 古い人間には無い発想だ」

 

 ノアはシモンの顔面目掛けて裏拳を打つが、次元跳躍で軽々と回避される。シモンが次に出現したのは、ホームズの上。飛行魔術によって浮遊し、探偵を見下ろしていた。

 

「……少しお仕置きを────」

 

 シモンはホームズに向けて手をかざす。

 ノアたちが動くよりも早く、魔力が練り上げられ。

 それよりも遥かに早く、通り抜けた影がシモンの右手をもぎ取った。

 

「……ふっ、なるほど。時空の隔たりを超えられるのはお前もそうだったか。虎視眈々と狙っていたな?」

 

 右腕を押さえながら、言葉をかけるシモン。影はゆらりと立ち上がり、ノアと立香とペレアスが以前に見知った姿を作る。

 

「然り。次元跳躍を駆使する貴様を痛めつけることができるのは、不意打ちくらいなものだからなァ!!」

 

 ポークパイハットを被った白髪の青年。シモンの腕を千切った際に拾ったのか、脇にホームズを抱えている。ペレアスは忘れ得ぬ不審者の名を叫ぶ。

 

「お前は、エドモン・ナントカ!?」

「エドモン・ダンテスだ!! 故あってホームズを助けに来た! 悠長に話している時間はないのでな、これで退散させてもらう! また会おう!!」

「何しに来たんだお前!?」

 

 ペレアスの訴えも響かず、エドモンはホームズとともに消え去ってしまう。

 ひとり取り残されたシモンは小さくため息をつくと、ノアたちに顔を向けた。それに呼応して、彼らは戦闘態勢に入る。

 

「そう警戒せずとも、私では君たちには勝てないさ。お騒がせして悪かった。根源が流れ出す極みの天にて、再会しよう」

「んなもんこっちからお断りだ。二度とそのツラを俺たちの前に出すんじゃねえ」

「これは手厳しい。君と私は相性が良いと思うのだがな。目的は同じで、魔術を愛するところも同じ……きっともっと共通点が見つかると思う」

 

 シモンがノアに歩み寄ろうとすると、その顔面目掛けてガンドの魔弾が飛んだ。シモンは軽々とそれを素手で受け止め、五指で魔弾を握り潰す。

 その目線が向くのは立香。彼女はガンドを放った体勢のまま、シモンを睨みつけて言った。

 

「帰って。あなたの下手な口説き方を聞いていると、神経が苛立つから」

「……私も君のような小娘を見ていると頭に血が上りそうだ。だが、私は君たちが魔術王に勝利することを祈っているよ。あんな偽物などに負けるな。ああ、それと」

 

 空間に裂け目が生じる。シモンはそこに足を踏み入れながら、

 

「───ヘレネーを、救ってやってくれ」

 

 次元跳躍。

 シモン・マグスはここではないどこかへと、移動した。

 辺りが冷たい静寂に包まれる。誰もこの事態を把握しきれていない……というよりは、次々と情報を口に押し込められたせいで胃もたれを起こしている状態だ。

 その中でも、もっとも不可解なことをマシュは呟いた。

 

「エドモン・ダンテスって……誰なんです? モンテ・クリスト伯が英雄として実在していたと?」

「なんだかジャンヌさんとキャラが被っていましたねえ」

「どこが!? あんなの一緒にしないでちょうだい!」

「そこの三人は面識がありそうな感じだったけど、彼について何か知っているのかい?」

 

 ダ・ヴィンチが首を傾げる。ノアと立香、ペレアスは交互に顔を見合わせて、同時に述べる。

 

「「「…………不審者?」」」

 

 それを聞いた四人は、

 

「「「「それは見れば分かる」」」」

フォフォフォウ(仲良いなお前ら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、オジマンディアスのピラミッド。

 ニトクリス工事隊の神殿修復作業も無事終わり、オジマンディアスの居城はいつもの絢爛さを取り戻していた。彼女とて一介のファラオ、サーヴァントの格は結構高いのだ。

 新築の匂いが漂う玉座の間は、けたたましい喧噪に包まれていた。

 

「フハハハハハ!! これで上がりだ! 東方の勇者も盤上遊戯には疎いか!? ハッハッハ!」

「なにせファラオは遊戯の王ですからね! あらゆる分野に精通してこそのファラオなのです!」

「いや、ルールが分からないぞ!? なんだセネトって! すごろくかコレ!?」

 

 アーラシュは頭を抱えて盤上に顔を打ちつけた。オジマンディアスとその取り巻きのニトクリスは王様らしい三段笑いをぶちかましている。

 セネトとは古代エジプトのボードゲーム。すごろくの一種であると推測されている。現代では学者の努力によってそのルールについての説が考えられているが、そんなことをアーラシュが知るはずがなかった。

 それを遠巻きに眺めていたベディヴィエールは、きょろきょろと周囲を探し回る静謐のハサンがいた。彼は少女に歩み寄る。

 

「何か困り事でも? お力添えをいたしましょうか?」

「あ……ありがとうございます。呪腕さまの姿が見えず、探していたのですが、どこにもいないのです」

「そういえば、ファラオと戦っていた際もお見えになられませんでしたね。心配です、手分けして探しましょう」

 

 と言ったそのすぐ後、ベイリンが部屋の隅を指差して、

 

「奴ならあそこにいるぞ」

「「……本当だ!!?」」

 

 静謐とべディヴィエールは急いで駆け寄る。ベイリンはのそのそと二人の後を追った。

 呪腕のハサンは角に押し込まれたみたいに膝を抱えて体育座りしていた。彼はどんよりとした暗い空気を纏っており、心なしか仮面の目元が下がっている。

 静謐はおずおずと彼に尋ねた。

 

「あの、ここで何を? いつからそうしていたのですか?」

「この話の最初から気配遮断してスタンバっておりました……」

「何のために!?」

 

 呪腕のハサンは悪態づく語調で喋り出す。

 

「皆さんはもう覚えておられないでしょうが、村で戦った時、モードレッドに宝具の右腕を切り落とされたんですよね。それで思ったのですが……私、この先役立たずじゃね? 的な。役立たずキャラもダンテ殿がほしいままにしているので、これ詰んでね? みたいな」

 

 静謐とべディヴィエールは泣いた。アイデンティティを奪われることは死と同義だ。真の役立たずであるダンテが立ちはだかっている以上、呪腕に勝ち目はなかった。

 ベイリンは平坦な口調で告げる。

 

「そう気を落とすな。貴様の隠形はなかなかのものだぞ。生前にガーロンという透明になれる騎士と戦ったが、貴様の隠密はそれを超えている」

「べ、ベイリン卿……!!」

 

 呪腕は髑髏の仮面をぽっと赤らめる。彼はそっぽを向いて、

 

「べっ、別に嬉しくなんかないんだからねっ! ギャップ萌えを狙おうとしても無駄ですぞ、兜を脱いだら女の子だったとかいうテンプレ展開でもない限り好きになったりしません!!」

「そ、それは……」

「答える必要はないぞ、べディヴィエール。褒めて損した」

「ごめんなさい、今の彼は迷走してるんです」

 

 静謐は割と辛辣な言葉を呪腕に放った。呪腕に対する同情心が別の意味に変わっていくのをべディヴィエールが感じていると、慌てた様子の三蔵が部屋に駆け込んでくる。

 彼女はところどころが煤けており、荒々しい息を吐いていた。

 

「た、大変よ! 聖都の軍が攻めてきたわ!」

 

 弛緩した場の空気が張り詰める。オジマンディアスはセネトを後ろに放り投げて、毅然と居直る。

 

「数は?」

「えーと、いっぱい?」

「………………円卓の騎士は何人いる」

「五人よ、それは本当! 強そうだからすぐ分かったわ」

 

 それを聞いて、オジマンディアスは獰猛に笑う。

 

「カルデアの者を探すために全員を投入してくるとは、獅子王も大胆な手を打つ。ニトクリス、迎撃に出ろ」

「ハッ! ファラオの兵士を預からせていただきます!」

「ベイリン卿、私たちも行きましょう! ランスロット卿と戦えるのは……あれ!?」

 

 べディヴィエールが見たその時には、ベイリンはそこにはいなかった。おそらくは三蔵が駆け込んできたのとほぼ同時に外へ走り出していたのだろう。

 本能と理性が一体化したベイリンの行動はとにかく速い。承知していたはずのべディヴィエールだが、双剣の騎士はその予想をも凌駕していた。

 ───迷わず突き進むベイリンは、眼下に聖都の軍勢を捉える。

 知った顔も混じる五人の円卓の騎士。その誰もが比類なき強者であり、一騎で戦局を変え得る存在だ。

 ベイリンは警鐘を鳴らす本能に導かれ、ピラミッドの頂点から飛び降りる。

 敵勢で最も脅威となる相手であり、そして────。

 赤き流星が地面に衝突する。ベイリンの眼光が貫くのは、紫黒の甲冑を身に着けた騎士。突如現れた双剣の騎士に目を剥く彼は、ペレアスや因縁の精霊と同じ湖の気配を纏っていた。

 ああそうか、とベイリンは納得する。

 面識はないが、その気配だけで確信した。

 彼こそが円卓最強の騎士。湖の乙女が育て上げた無双無敵の剣────

 

「───貴様が、ランスロットか」

「…………あなたは」

 

 ランスロットは不壊の聖剣、アロンダイトを引き抜く。

 湖の騎士は一瞥で勘付いた。

 かの騎士こそはかつて、マーリンに最強と謳われた者。呪いの聖剣を抜き、神の子を貫いた槍を解き放った騎士であると。

 

「ベイリン・ル・サバージュ───!!」

「余計な問答は必要か、ランスロット」

「……いえ。騎士が戦場で相見えた以上、語らうは刃にて」

「助かるよ、私は口下手だからな」

 

 湖の騎士と、双剣の騎士。

 共にその強力無比を謳われた怪物。

 

「「───征くぞ!!」」

 

 今ここに、(ふた)つの最強が激突する。

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