自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第54話 藤丸立香はわからない〜リースさんのトキメキ☆恋愛相談室〜

 球技の歴史は古い。

 現代の生活に慣れ切った人類には想像もしづらいことだが、古代にはインターネットがなければアニメや漫画もない。絵や彫刻は作品が置かれている場所に行かなければ一目見ることも叶わなかったのだ。

 人間の心の安定に娯楽は必要不可欠だ。とはいえ、昔の芸術品や嗜好品は大多数の人々には敷居が高かった。そこで誰もが手頃にでき、体を鍛えることにも繋がるスポーツが生まれたのである。電子機器にかじりついている現代人よりよほど健康的だと言えよう。

 確認されている中で最古の球技は約5000年前に遡る。古代エジプトとギリシャの文献上に、真鍮製の球を用いた競技の存在が書かれている。

 現代ではスポールブールと呼ばれるスポーツ。そのルールはいたって簡単。目標となる球を置いて、それに別の球を転がすなり投げるなりして最も目標球に近かった者が勝利するというものである。要はカーリングに近い。

 なぜこんな話をしたのかと言うと、決して文字数を稼ごうという浅ましい考えをした訳ではなく。

 円卓の騎士の襲撃から二日後。燦々と陽の光が照りつける屋外。オジマンディアスの城の前の広場では、数人のサーヴァントとノアが集まっていた。

 

「『球体一条(ステラ)』ァァーーッ!!!」

 

 アーラシュが放ったボールが地面を猛然と転がる。砂塵を巻き上げて爆走する一投は、目標球の目前で急激なバックスピンをかけて停止する。

 二つの球がぴったりと隣り合う。流石は東方の大英雄と言ったところか、最高峰のアーチャーに相応しい神業だった。掛け声が不穏にも程があるが。

 驚異の横付けを成し遂げたアーラシュは爽やかな笑顔でガッツポーズを取った。

 

「どうだ、見たか俺の入魂の一投! 五体が飛び散る覚悟で投げれば何事もうまくいくってもんだ!!」

 

 見事な技前を見せつけられたギャラリーたちは諸手をあげて沸き立つ。

 

「いやはやアーラシュ殿、結構なお手前で。かーっ! 右腕があったらなぁーっ! 転がすまでもなくビタ付けできたんですけどなぁ〜っ!!」

「一芸に秀でる者は多芸に通じる、ということですね。我が王も言っていました……〝サルミアッキが食べられるならこの世の大抵のものは美味しく感じられます〟と」

フォウフォフォウフォウ(確かにアレすげえ不味いよな)

「これはもうあたしも御仏パワー全力全開でやるしかないわね! 悟空の觔斗雲を借りられれば良かったんだけど!」

「くっ! こ、このままではファラオの威厳が消滅の危機に!! 遊戯とはいえファラオが負けるのをオジマンディアス様はお認めになられないでしょう……!!」

 

 ニトクリスは顔を真っ青にして、両腕で自分を自分で抱く。つややかな褐色の肌はガタガタと震えていた。いかなる勝負事であろうと、ファラオに敗北は許されないのだ。

 彼女がここまで真剣になっている理由は他にもあった。彼らが和気あいあいとスポーツを楽しんでいたところ、突如大気が震え出し、オジマンディアスの声が響いた。

 

〝古今東西の英雄が織り成す遊戯、ファラオの目を汚すに足る値打ちがある。勝者には我が宝物庫から景品をくれてやろう。精々骨肉を削るが良い〟

 

 そうして、この戦いは友誼を深めるためのものから、物欲に塗れた汚い大人たちの醜い争いに変貌した。途中で儲け話には天才的に敏感なノアまでもが加わり、試合の様子は殺伐としつつある。

 ファラオのものはファラオのもの。お前のものはファラオのもの……ということで、ニトクリスにとってオジマンディアスの宝物を誰かに渡す訳にはいかない。ましてやノアなどという男が勝つくらいなら、盗掘者に奪われた方がまだ納得がいく。

 三蔵は小さく首を傾げた。人差し指は下唇に。絵に描いたような疑問の表れだった。

 

「スカラベに運んでもらえばいいんじゃない? 別名フンコロガシなんだし、うんこ転がすのも球転がすのも変わらな……」

「エジプトの神聖な虫をうん……とか言わないでくれます!? スカラベが転がす球体は太陽の象徴、決して汚いアレではないのです! というか羞恥心とかないんですか!?」

「大丈夫、仏教で修行すれば羞恥心なんて塵芥も同然よ! やりすぎると執着とか無くなって、人間がうんこの入れ物にしか見えなくなるけど……」

「おいおい、クソみたいな話してんじゃねえ。次は俺の番だ。目かっぴらいて見てろ」

フォウフォフォウ(いや、クソの話してたけど)

 

 ノアは真鍮製の球を握って前に進み出る。

 スポールブールにはいくつかのルールに分かれているが、彼らが興じていたのはひとり四球でどれだけ多く近く移動させられたかを競うものだった。そもそも、古代エジプトにどこまでルールが整理されていたのかは新しい資料が発見されない限り、永遠の謎だ。

 つまり、これは失われた古代版スポールブール。無駄に神秘が籠っていそうな無駄に価値の高い無駄な遊びであった。

 アーラシュは近くの壁に寄りかかりながら、キザに鼻を鳴らす。

 

「まさか人間が俺たちサーヴァントに挑もうとはな。その勇気は褒めてやるが、それは蛮勇の類だぜ?」

「いいか、蛮勇なんて言葉は失敗したやつがされる事後評価だ。成功者にそんな枕詞はつかねえ。ましてや、俺みたいな天才にはな!!」

「これが天上天下唯我独尊ですな?」

「暴走族が長ランの背中に書いてる方の意味の唯我独尊ね」

 

 呪腕と三蔵はぼそりと呟いた。釈迦が誕生直後に言ったとされるこの言葉は世の誰もが尊いという意味なのだが、騒音被害上等の不良たちにそんな精神があるはずもなかった。

 ノアは真鍮製の球体を右手で包み、そのまま腕を振り上げた。その瞬間、べディヴィエールは冷や汗を垂らして戦慄する。

 

「まさかの上手投げ───ッ!! コントロールが容易い下手投げが主流のところを、あえてという訳ですか! これは戦術的な奇襲と言っても相違ありません!!」

「えっ、何か急に解説役の座を奪い取りに来たんですがこの騎士!? 汚いなさすが円卓の騎士きたない!!」

「やっぱり円卓の騎士って……」

 

 ニトクリスはもごもごと口ごもった。続く言葉がポジティブな内容でないことは確定的に明らかである。ここまでに一秒、ノアの指先から球が離れていく。

 

「wirdォ!!」

 

 意味深な掛け声とともに、球が空中で放物線を描く。べディヴィエールたちはその軌跡を目で追った。放物線の頂点に達した後、球体は浮遊するみたいに落下し、目標球の上に腰を落ち着ける。

 場が一瞬で静まり返る。もはやそこに黒い目をしている者はノアしかいなかった。

 転がして横につけるのではなく、投げて上に置くという物理法則をナメきった異常事態。まるでテレビゲームのバグ技を間近で披露され、三蔵とニトクリスは大口を開けて騒ぎ立てる。

 

「酷いイカサマの現場を見たわ! 私の弟子たちと張るくらいのやんちゃ坊主ね……!! 緊箍児からの説法コース決定よ!!」

「あの掛け声魔術の詠唱でしたよね!? ファラオたる私の目はごまかせませんよ! よくも堂々とズルをしましたね、許しません!」

「ワーキャー騒ぐなへなちょこどもが。この世の中は勝ったやつが正義なんだよ、ヒャハハハハ!! 所詮おまえらは敗北者、この俺に頭を垂れて平伏するだけの存在だ!! 負け犬の遠吠え以上に心地良い音楽は存在しねえなァ!!!」

「敗北者……?」

 

 悪魔の形相で高笑いをぶちまけるノアの言葉に、呪腕が目ざとく反応する。彼はハァハァと息を荒げながらノアににじり寄った。

 

「取り消せよ……!! 今の言葉……!!」

 

 呪腕が左手を伸ばそうとしたその時、彼の顔面ど真ん中に真鍮の球体が直撃する。ぐしゃりと痛々しい音を立てて、漆黒の五体は銃で撃たれたように背中から倒れ込んだ。

 その犯人はノアではなく。少し離れた場所で、ベイリンが腕を振り下げたポーズで停止している。強い陽射しの下でも赤い甲冑で全身を包んだベイリンの両脇では、べディヴィエールとアーラシュが頭を抱えていた。

 ベイリンは脇の二人に不機嫌な調子で言う。

 

「おい、軽すぎて狙ったところに飛んでいかないぞ。なんだこの武器は。不良品を掴まされた」

「ベイリン卿、それは武器じゃないです」

「大体何で投げたんだよ。どこに投げたんだよ。殺意の塊じゃねえか」

「そう褒めるな、私は照れやすい質だ」

「俺がいつ褒めたんだ!? 修羅の国出身か!?」

 

 アーラシュの心中にはベイリンが天然ではないかという疑念が持ち上がっていた。強者が円卓の騎士に選ばれるのではない。強い変人だけが円卓に引き寄せられるのだ。

 顔面から溢れる血に溺れる呪腕を背景に、べディヴィエールは新しい真鍮の球を手に取り、ベイリンに渡す。

 

「コツとしてはしっかり握って軽く投げる、でしょうか。決して野球選手のようなフォームで投げてはいけません」

「俺みたいな天才以外はな」

「貴方はただのイカサマ師でしょう!? 天才は天才でも闇に降り立った天才です! 一夜が十九年明けない方です!!」

「スポールブールみたいな単調なゲームを十九年し続けるのはキツいわね。苦行スイッチ入れないと」

フォフォウフォフォウ(全スポールブール選手に謝れ)

 

 ベイリンは言われた通りに指に力を込める。

 すると、バギョ、という嫌な音が響いた。いくつもの真鍮の破片が指の間をすり抜けて地面に落ちる。無言でノアたちを見るベイリンは、いかにも物悲しい風情を演出していた。

 双剣の騎士はふてくされたように腕を組んだ。さながら駄々をこねる子どもである。高所から落ちるように砂の地面に座り、深く嘆息する。

 

「……つまらん。知っているぞ、こういうのをクソゲーと言うのだろう」

「どんな馬鹿力してるのよあなた!? 猪八戒だってここまで酷くはなかったわ!」

「撫でただけで小動物を殺すタイプの悲しきモンスターか?」

 

 ノアは平坦な声で言った。今まで生きれてこれたことが不思議なくらいの馬鹿力加減だった。

 ともかく、このままではノアが優勝者に決まってしまう。それは誰にとっても避けたい事態だ。何か悪いことが起きるのは目に見えているのだから。

 ニトクリスがスカラベの召喚を決意したその時、彼女たちの頭上をまばゆい光が照らした。光の幕から現れるのはオジマンディアス。彼は全員を見下ろしながら、高笑いをあげる。

 

「まだ決着がついておらぬとは呆れたぞ! 余は飽き性なのだ、貴様らの低レベルな争いをいつまでも観ていられるか!! 余がこの戦いに収拾をつけてやろう!」

 

 単に輪に入れてほしいだけなのでは。ニトクリスはその言葉を喉元で留めた。

 オジマンディアス突然の参戦。そうとなれば他の参加者は黙っていない。ノアを筆頭とした汚れた大人たちは目を血走らせて抗議する。

 

「今更出てきて乱入なんざ認められるか、すっこんでろファラオ! とっくのとうに俺の優勝でカタはついてんだよ! 御託並べるより前に宝物庫の鍵を開けやがれ!!」

「そうだそうだ、ファラオなんだから人前で言ったことには責任を持て! 俺の宝具で国を真っ二つにしても良いんだぞ!」

「それをやるとアーラシュ殿が死ぬんですが……?」

「うむ、無駄死にはいけないぞ。私がそうなったのだから間違いない。弟を手にかけた無念と後悔で心が押し潰されるからな」

「ベイリン卿、話が重いです」

 

 さらりと闇を現したベイリンに、べディヴィエールは辟易する。オジマンディアスはそんなやり取りを視界に入っていないかのようにスルーして、不遜に口端を吊り上げた。

 

「呆れたことに、貴様らの誰ひとりとしてこの競技の真髄を理解していない。ニトクリスでさえもな。そんな烏合の衆が勝ち負けを語るなどと、片腹───否、全身が大激痛であるわ!!」

「病院行けよ」

「黙りなさい無礼者! オジマンディアス様、スポールブールの真髄とは一体何のことでございましょう。王の広く深い見識のほどを私めにも分けていただきたく存じます!」

「良いだろう。しかと拝聴せよ!」

 

 オジマンディアスはカラオケでひとり熱唱するように喋り始める。

 

「スポールブールにおけるフィールドとは宇宙……となれば球体は星を指す。ならば中心に位置する球とはすなわち、遍く世を照らす太陽! ラーの化身たる余のことに他ならぬ!!」

「つ、つまり……?」

「余こそが真のフィールドの中心! なればこそ、余は初めから、不動の勝者であったのだ!! 偽りの目標に向かってせこせこと球を放る貴様らの姿は中々に滑稽であったぞ!」

「なんという超理論───!!」

 

 ニトクリスは絶句した。球を目標に近づける競技ならば、目標そのものであるオジマンディアスに勝てる道理はない。結局のところ、彼は宝物庫を開けるつもりはなかったのだ。

 ただ、ここに揃いしは一癖も二癖もある曲者。ノアと呪腕は冴えたアイディアを同時に閃き、下卑た眼光を煌めかせた。

 

「あいつが中心ということは────」

「───ファラオに球を投げつければ私の勝ち……?」

「え、おかしくないですかこの二人。今とんでもなく不遜なことを口走りませんでしたか!? 私の聞き間違いですよね!?」

 

 と、ニトクリスが右往左往している間にもノアと呪腕は金属球を握り締め、オジマンディアス目掛けて投擲する。

 

「「おらぁぁぁああああっ!!」」

「ああああああ何やってんだァァァ!!!」

 

 もはや口調(キャラ)などかなぐり捨てたニトクリスの絶叫が大空に響き渡る。空は彼女を嘲笑うように、底なしに綺麗な青色をしていた。

 飛来する真鍮の球を、オジマンディアスは腕を組んだまま体で受け止める。ファラオの肉体には傷ひとつなく、微動だにしていない。

 彼は哄笑を轟かせて、

 

「フハハハハ効かぬわ!! 太陽に小石をぶつけたところで蒸発するのが道理であるからなァーッ!!」

「クソがぁぁぁ俺は諦めねえ! エジプトの秘宝は何もかも俺のもんだァァ!!」

「オジマンディアス様もうこいつ処刑していいですか!!?」

「パッとしない方のファラオが俺を止められるとでも思ってんのか!? 黄金長方形を利用した回転エネルギーの極致を見せてやるよ!!」

「どこのツェペリ一族!?」

 

 ノアとニトクリスは球を手に、容赦なくそれを投げつける。戦いはスポールブールの域を超え、真鍮球を使った雪合戦の様相を呈していた。

 このままでは本気の果たし合いになる。そう直感したアーラシュは遠巻きから二人に声をかける。

 

「よ、よお。そこまでにしておいた方が良いんじゃねえか? どうやってオチつけんだこれ───」

 

 言葉が途切れる。アーラシュの両眼には流れ弾が突き刺さっていた。さしもの神代の肉体とはいえ、やはり目は柔らかい。彼は足をバタつかせながら、地面を転がった。

 

「ぐあああああ!! 目が、目がぁ〜!」

 

 ベイリンは絶賛悶絶中のアーラシュを見て、こくりと頷く。

 

「…………なるほど、これはそういうことか。私にとってはこういったノリの方が好ましい」

「ベイリン卿? 違いますよ? 目の前の光景はただの喧嘩ですからね? 血風吹き荒れる殺し合いですからね!?」

「どちらにせよ止めないと! 喧嘩なんて不毛の極みだわ! ソースは御仏!」

 

 ということで、その場の全員を巻き込んだ乱戦が勃発した。球の在庫が尽きて拳を持ち出してくるのはそう遠い未来ではないだろう。

 そんなアホたちの戦場を、建物の陰から眺めている者がいた。

 その者の名は藤丸立香。人類最後のマスターの片割れにして、ようやくヒロインとしてのスタートラインを切った変人女である。

 その視線が射抜くのは、騒動の渦中にあるノアだった。普段は混ざるか止めるかしていたところだが、今日の立香は珍しく攻めあぐねていた。

 彼女の図太さとコミュ力は常人離れしている。この場に乱入することなど造作もない。しかし、足裏が地面に縫い付けられたように動いてくれなかった。その原因がどこにあるかなんて、もうはっきりしている。

 時に、イギリスの政治家で小説家のベンジャミン・ディズレーリは言った。〝初恋の魅力は恋がいつか終わることを知らない点にある〟と。

 いかにもイギリス人らしく小洒落た皮肉な物言いだと立香は思う。恋の終わりには色々な結末があるはずだ。全部が全部、悪いものであるはずがない。

 だから、この気持ちが行き着く先はせめて、良いものにしたかった。

 とは言っても、相手はクズの中のクズ。およそ慈悲の心を持たぬ、人の形をした悪魔だ。漫画やドラマで擬似的に蓄積しただけの恋愛経験で太刀打ちできる相手ではない。

 それでも、と思わされてしまうのだから、恋という感情は厄介だ。秘め置くことはもどかしく、伝えることは怖い。矛盾した二律背反。どんな病気よりもたちが悪い。

 特別なことをするべきなのか、するとしても何をするべきなのか。答えのない疑問が頭の中でぐるぐると渦巻く。

 立香が物陰でもんもんとしていると、突然耳元で声が響く。

 

「ふふふ……分かりますわよ、立香さん」

「ほぎゃあっ!?」

 

 振り返ると、そこには湖の乙女リース。今の彼女は幽霊のような存在。精霊としての力はほとんど残っていないが、出るも消えるも思いのままだ。その力を以ってして、彼女は立香の背後を取ったのだ。

 無駄なイタズラは妖精の本領でもある。心臓の鼓動を波打たせる立香に、リースはひっそりと咲く花のような笑みを近づけた。

 

「あなたのその気持ち、私には痛いほどに共感できます。胸をじくじくと刺す恋心をどうしたらいいのか分からない……けれど何もせずにはいられない。そうでしょう?」

「ま、まあ、そんな感じですけど。まるで地の文を読んできたかのような正確さですね?」

「私は三度のご飯よりもコイバナを愛する湖の乙女! ええ、何せ精霊ですから! 私には第四の壁を超えることなど造作もありません!! ということで相談に乗らせていただきますわよ立香さん!!」

「相談に乗るというか乗り込んできてますよね。飛び込み営業ですよね。相談の押し売りですよね!?」

 

 立香はぎょっとした。恋愛暴走列車である湖の乙女から逃れる術はない。何しろこの女、ペレアスの幼少期から死ぬまでをみっちりと味わい尽くした逆光源氏の権化だ。紫式部もひっくり返るだろう。

 それとは裏腹に、この行動が単純な善意から来ていることも立香は理解していた。

 相談相手としては悪くはない。マシュやジャンヌに知られるのは論外だし、ロマンはロマンなので望み薄である。

 どうせまともな人間がいないなら、一番経験豊富な精霊を。立香は頬をほのかに赤らめて言う。

 

「その、リースさん的に恋愛のコツとかあるんですか?」

「もちろんですわ。エタードという巨悪を打倒し、私が掴んだ恋愛の極意。それは───」

 

 立香はごくりと息を呑む。リースは両の拳を力強く握り締めた。

 

「───攻めて攻めて攻めまくることですわっ! 押しも押されぬほどに押し、引くに引けない状況に引きずり出す! どうぞ私のことは恋愛界の諸葛孔明とお呼びくださいませ!!」

「つまり恋愛包囲殲滅陣ですね! 具体的にはどうしたら?」

「そうですわね。まずはやはり簡単な攻めから試してみましょう。最初に相手の寝床に全裸で潜り込」

「どこが最初!? 初手から王手掛けてるんですけど!!孔明っていうより呂布みたいなバーサーカーじゃないですか! R-18は厳禁ですよ!?」

「そ、そんな……っ! これが駄目となると私に打てる手はありませんわ!」

「それもう恋愛脳じゃなくて淫乱脳なんですが!?」

 

 湖の乙女にまともな手段を期待したのが間違いだった。彼女が有する策はその全てが必殺技。さながら地球が壊れないように警戒して戦う悟空のように、リースがもたらす技はこの物語を終わらせ得る力を秘めている。

 大体、ノアとペレアス、立香とリースでは前提からして色々と異なる。立香がノアの部屋に忍び込もうとしても、研究資料を守るための魔術に阻まれるだろう。

 リースはがっくりと肩を落とし、眉間にしわを寄せた。

 

「では、他の方に意見を訊いてみるしかありませんわね。何人か心当たりがありますので連れて参りましょう。大丈夫です、立香さんの事情は伏せておきますから!」

「不安しかない───!!」

 

 湖の乙女はその場から霧散してしまったかのように姿を消す。数十秒後、リースは颯爽と現れた。走り回ってきたのか、額には汗が浮かんでいる。

 

「という訳で、『恋愛こじらせ三銃士』を連れてきました!」

「れ、恋愛こじらせ三銃士?」

「はい、私が選んだとっておきの強者たちですわ。では、ご登場くださいませ!」

 

 言いながら、リースは背後に視線を送った。

 眼差しの先の物陰でごそごそと音がすると、見知った顔がぞろぞろと団子のようにつらなって出てくる。

 彼らはみな一様に沈痛な面持ちをしていた。

 

「ダンテです。その気もないのに複数の女性にラブレターを贈って、他人の心を弄びました」

「ペレアスです。エタードにストーカー行為を繰り返した挙句、ガウェインに寝取られました」

「ランスロットです。主君の妻と不倫をしていたら現場を押さえられて円卓を分裂させてしまいました」

 

 罪人が並べられた処刑場のような空気が蔓延する。とっておきの強者というのは間違いではなかったようだ。否、見方によってはこれ以上ない弱者なのだが。

 地獄の雰囲気にも関わらず、湖の乙女は相変わらず笑顔だった。エタードという単語が出てきた一瞬、とてつもない殺気を感じたがそれは気のせいだろう。気のせいに違いない。

 立香は無理やり自分を納得させると、率直な感想を述べる。

 

「……ランスロットさんだけ洒落になってないですよね。恋愛よりも国の方をこじらせてますよね。そんな扱いでいいんですか」

「心配する必要はありません。事が終結した暁には自刃する覚悟なので。これも罪を雪ぐ機会と思えば……」

「覚悟が重い! ダンテさんとペレアスさんの可愛らしいこじらせ具合を見習ってください!」

「ストーカーを可愛らしいとは言えなくないですか!? 立香さん、感覚が麻痺していますよ! 気の迷いで済むのは私くらいなものですから!!」

「気の迷いでラブレター量産するはずねえだろ! お前も大概なんだよ!」

 

 ペレアスはダンテの尻を蹴り上げた。正直彼らの中では上も下もないのだが、そこは同族嫌悪というやつだった。

 尻を押さえながら悶絶するダンテ。リースはこてんと首を傾げて問う。

 

「ダンテさんは許嫁がおられたはずですが、他の女性に恋文を送ってお叱りなどされなかったのですか?」

「全身の関節を三回転ひねりされた上に、一晩中ベランダから物干し竿で吊るされました。思えばアレが最初に経験した地獄でしたね。怒ったジェンマはミノタウロスより怖いかもしれません」

「私としてはそれを淡々と語れるダンテさんの方が怖いんですけど?」

「この件に関しては私が全面的に悪いですから。それ以来体が柔らかくなったので、怪我の功名ですよ! はっはっは!!」

 

 晴れやかな笑顔とは真逆に、彼の両足は生まれたての小鹿のように震えていた。当時味わった恐怖がダンテの預かり知らぬところで再発しているのだ。

 心なしかその目は笑っておらず、瞳はドス黒くなっている。急なホラー風味を感じた立香は思わずダンテから距離を取った。

 ペレアスは湿っぽい目つきで、近くの塀に腰を乗せる。湖の乙女は即座にその隣を確保した。

 

「まあ、オレとランスロットはともかくダンテは色々と持ちネタがあるんじゃねえか。新生とかいう詩集でベアトリーチェとの初恋を書いてただろ」

「書きましたが、アレは神曲の前段階という側面があったので、私としては納得がいかない部分が多いんですよねえ。どんな技法を試したとか聞きたいですか、立香さん?」

「いやあ、あんまり理解できそうにないので……でも詩を書けるってすごいですよね。私にはできそうもないです」

「そんなことはありません。詩文は万人に開かれたものです。特に日本にはハイクやセンリューなどの誰にとっても分かりやすい形式の詩があるではないですか! 私自身現界してから東洋の詩を学びましたが、漢詩も和歌もまさしくアジアの精神を表した神秘の塊です!! むしろ日本語を扱う点では一日の長があるでしょう、どうですか立香さんも!!」

「くっ、そういえばこの人も変人だった……!!」

 

 しかし、ランスロットはこくこくと頷いて、

 

「詩もまた騎士の教養のひとつですからね。かくいう私も、出会った女性には必ず詩を贈っていました」

「さすが円卓屈指のプレイボーイですねえ。私の時代でもランスロットさんの物語はフィレンツェ中の婦女たちに大人気でしたよ」

「イタリア……芸術の都フィレンツェの……麗しき婦女たちに……!? その話を詳しくお聞かせ願えますか!?」

「おい、さっきまでの反省の心はどうしたんだこいつ」

 

 ペレアスがぼそりとツッコむが、ランスロットの耳には届いていなかった。ダンテは記憶の糸を辿るように上を向いて語り始める。

 

「そもそも、騎士道物語自体女性に好まれていましたから。ランスロット卿は特にそうですね。ご婦人方が同じ話を読んで、お茶会で語り合うことも多かったそうで……妻のジェンマなんかは騎士たちの血みどろの戦いが好きでしたが」

「ペレアス。カルデアのレイシフトとやらは私にも使えるのですか。ダンテ殿が生きていた時代に飛ばせてください」

「次元の狭間に送り飛ばしてやろうか?」

「ランスロット卿がお茶会に乱入したらきっと黄色い歓声が起こるでしょうねえ。何と言っても道ならぬ恋の代名詞、貴族の子女が羨む不倫劇の主人公なので!!」

 

 言った瞬間、ランスロットは石化の魔眼にでも魅入られたかのようにびしりと固まった。

 立香はランスロットの体を揺さぶるが、一切の反応を示さない。瞬きすら停止しているせいか、まぶたには涙が溜まっている。

 

「し、死んでる……」

「どうせまた女の話したら復活するだろ。ほっとけほっとけ」

「円卓最強の騎士の扱いがこんなのでいいんですかねえ」

 

 騎士道物語における宮廷恋愛の構成要素はほぼほぼ不倫であると言っても良い。親の意向によって婚姻が定められる時代、自由な恋愛というのは不倫にしか見出されなかったのだ。

 そんな人々に、ランスロットの物語はストライクど真ん中に突き刺さった。ダンテの神曲地獄篇にも、ランスロットとギネヴィアの話を読んでいたという女性が登場するほどである。

 湖の乙女は停止したランスロットの代わりに、単刀直入に質問した。

 

「それで、ダンテさんの恋愛の極意とは?」

「〝女の愛というものは、見たり、触ったりすることによって燃やし続けていなければ、どれほども続かないのである〟───つまり、どんな形であろうと想いを伝えることが重要なのではないでしょうか。私なんか地獄行くまでベアトリーチェとは赤の他人だった訳ですし! アハッ、アハハハハハハッ!!!」

 

 ダンテの両眼からはだくだくと涙が流れ出していた。享年五十六歳の姿であることを考慮すると、中々にクる映像である。

 立香は湖の乙女の耳に囁く。

 

「これもう恋愛こじらせ三銃士じゃなくて恋愛トラウマ三銃士になってません?」

「恋愛とトラウマは表裏一体ですわ。電車内で人目も憚らずにイチャついたり、恋人の名前を入れ墨した挙句別れたり、恋とは常に痛みを伴うのです」

「この人初めてまともなことを言った気がする……でも、三銃士からタメになる話を聞き出せそうにないんですが」

「ま、まだペレアス様とランスロットが残っています。二人に希望をかけてみましょう。ペレアス様っ♡ 私とあなた様の恋の極意を立香さんにお聞かせくださいませ〜っ♡」

「こ、これが精霊の変わり身……!!?」

 

 湖の乙女は団長の手刀を見逃さなかった人でも見逃しそうなほどに速く態度を変えてみせた。ペレアスは少し考えて、平坦に述べた。

 

「人に迷惑をかけないこと、じゃねえか? ストーカーもそうだしな。それに……」

 

 石化から生還したランスロットはペレアスの言葉を遮る。

 

「ペレアス? それ私のことですか? 私のことですよね? 私の目を見て今の言葉を言えますか?」

「勝手に勘違いして勝手に傷ついてんじゃねえ! いやまあお前も関係各所に迷惑かけまくったけどな! オレもほぼお前のせいで円卓追放されたけどな!?」

「ほう、では貴方は私に迷惑をかけたことがないと? いいえそんなことは決して言わせません! 覚えていますか、貴方と義母上が初めて王都を訪れたときのことを!!」

 

 ペレアスと湖の乙女は顔を見合わせて、互いの心当たりを探る。立香とダンテには何のことかさっぱりだが、重大な事件があったに違いない。

 思い当たる記憶を発見し、ペレアス夫妻はぽんと手の平を叩いた。

 

「あれか、ガウェインが城からスライディング土下座しながら来たせいで顔面血まみれになってた……」

「ああ、私がマーリンさんと魔術対決して街中を水浸しの花まみれにしてしまった……」

「いや、そうではなく! 二人が私に挨拶しに来たでしょう!」

「「あぁ〜……」」

 

 二人は記憶を補い合うように、当時の出来事をつらつらと口に出す。

 それはエタードが湖の乙女に完膚なきまでの敗北を喫した一ヶ月後のこと。地味に強いペレアスはガウェインに脳を破壊されながらも、数々の戦場で戦果を打ち立てていた。その途中で嘆きの騎士という余計な異名もついた。

 ガウェインの名前を聞くだけで発狂していたペレアスだったが、その傷もとりあえず癒え、再三要求されていた王都への士官を実現した時のことである。

 湖の乙女はペレアスを伴って、ランスロットを呼び出していた。

 

〝ランスロット。今日はあなたにお話があって参りました〟

〝久しぶりです、義母上。幼少の頃から変わらぬようで何よりです。ペレアス卿との話は今や王都の中では持ちきりになっていますよ〟

〝それでは話は早いですわね。……実はこの度、ペレアス様と結婚することになりましたの〜っ♡ ハネムーンはフランスで、式はエタードの城の真ん前にある教会で行うことに致しました!♡ 二次会はお姉様の氷の塔でお酒と氷菓が出る予定ですわ! ランスロットももちろん来てくださいますわよね?〟

〝き、キャラが……義母上のキャラが……あの神秘的で無口な姿は一体どこに……!!?〟

 

 笑ってはいけないキャメロット24時でもやっていたのか。立香は心の中でそう独りごちた。ランスロットは血涙を流しながらペレアスに詰め寄る。

 

「分かりますかペレアス。久しぶりに会った義母が、年下で後輩の騎士に恥知らずな嬌態を晒している光景を見せつけられる気分が……!! 得も言われぬ不安感と正体不明の焦燥感が心に湧き出し、その、結論から言うと正直興奮しました……!!」

「どこで新しい扉開いてんだァァァ!! ただお前の性癖暴露しただけじゃねーか! 結論に至るまでの過程をすっ飛ばしすぎだろ!!」

 

 ランスロットの衝撃的なカミングアウトをくらい、ペレアスは絶叫した。そこで、どこからか響いた声が彼らの不意を突く。

 

「皆さん、こんなところで集まって何をしているのですか?」

 

 それは聞き慣れた少女の声、Eチームの野菜担当マシュ・キリエライトのものだった。

 彼女はランスロットの顔面に鉄拳を叩き込んだ豪傑である。事態の収拾をつけることを期待し、立香は声の方向に視線を送る。

 

「マシュ、今ランスロットさんが性癖を───」

 

 それを視界に入れたと同時、立香は絶句した。

 その様を一言で表すなら、人間大のなすび。茄子をかたどった巨大なきぐるみから、マシュの顔面と四肢だけが飛び出している。

 巨大なすびが放つ圧倒的な威容を受けて、立香は思わず地面に尻もちをついた。

 

「うわあああああなすびの化け物!!?」

「いえ、先輩の頼れる後輩マシュ・キリエライトです。なすびのコスプレをすると言った手前、逃げるわけにもいかないのでダ・ヴィンチちゃんに作ってもらいました」

「これに関しては逃げてもよかったと思うけど? なすの化け物にマシュが吸収されてるみたいになってるから。……ダンテさんが一瞬地獄に迷い込んだみたいな顔してたし」

「ダンテさん、新しい詩のインスピレーションをわたしのこの姿から受け取ることを許可しましょう」

「しないですよ!? ただでさえ天国篇が分かりづらいと言われているのに、なすびの怪物なんて登場させたら現代の読者たちがどれほど苦しむことか……!!」

 

 ダンテの葛藤を尻目に、ランスロットはマシュに寄っていく。彼は女たらしな笑顔を浮かべながら、

 

「貴女は私の息子よりずっとユーモアに溢れた人のようですね。ギャラハッドは私に対して塩対応がデフォだったので」

「はあ、そうですか。ギャラハッドさんが全面的に正しいと思いますが。ところでランスロットさん、親切にしてくれるのはありがたいのですが、少し距離が近いです」

「父娘の距離が近いのは当たり前では───?」

 

 などと意味不明な供述をしたランスロット。マシュはきぐるみに包まれているのが嘘のように、高速で立香の背中に回り込んだ。

 

「先輩、助けてください! 父を名乗る不審者がここにいます!!」

「ランスロットさんの名誉を考えて、110番はまだしません。一体なぜそんな主張を?」

「私の息子であるギャラハッドが憑依しているのですから、もはや私の娘も同然だと思いませんか!?」

「えっ、その理屈で行くと……」

 

 立香はペレアスと湖の乙女を流し見る。

 

「私がマシュさんの祖母で」

「旦那のオレがじいちゃんで」

「ランスロットさんは二人の息子ということになりますか。しかも生前、ペレアスさんは年下の父親で、寿命を全うした今は年上で……かなりややこしい関係性ですねえ」

「ってなると思うんですけど、ランスロットさん?」

 

 とてつもなく複雑な家庭が出来上がっていた。細かい関係性を追っていると収拾がつかなくなる良い例である。マシュは密かに戦慄した。

 ランスロットとペレアスは互いに視線を送り合う。円卓に在任した年数の違いこそあれど、二人は共に戦った仲間だ。胸に支えるものがあるのか、彼らは鏡写しのように胸元に手を置く。

 湖の乙女は和やかに微笑む。

 

「そう考えると、何か込み上げてくるものがありますわね。ペレアス様、ランスロッ───」

「「ゔお゛えええええッ!!!」」

「別のものが込み上げてきやがりましたわ!!」

 

 ランスロットとペレアスは同時に吐血した。こじれた関係の歪さが両者の心に大ダメージを与えたのだ。真っ赤な血の海の中に、二人は浜に打ち上げられた魚の如く痙攣している。

 自分の血に塗れたランスロットは息も絶え絶えに切り出す。

 

「ぺ、ペレアス……私たちは先輩後輩の関係でいましょうね」

「そ、そうだな……お前のことを息子と呼ぶなんて想像もしたくねえ」

 

 そうして、両者は気絶した。立香とマシュはそれを冷ややかな目で見つめながら、ぼそぼそと話し出した。

 

「……それで、ここで何をしていたんですか?」

「……恋愛こじらせ三銃士から恋愛の極意を教えてもらおうと思って」

「どうして先輩がそう思ったのかは別にして……男性の恋愛の極意を女性が訊いてもあまり身にならないのでは?」

「その発想はなかった」

 

 思い返してみれば、ダンテはがっつり男性目線な上にペレアスは過去の懺悔だ。気絶したランスロットから訊き出すことはできないが、どうせプレイボーイ的なアレだろう。

 こうなったら物は試し、立香はマシュに問うてみることにした。

 

「じゃあ、マシュの恋愛の極意は?」

「訊かれてしまいましたか。ずばり答えましょう! 髪の毛に芋けんぴをつけたり、一晩で法隆寺を建てられたり、頭がフットーしちゃいそうになることです!! 先輩やジャンヌさんと一緒に読んだ少女漫画の受け売りですが!!」

「………………やっぱり私に恋は分からない!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖都王城。白亜の壁に青白い月明かりを写すその城は、まるで自ら光を発しているかのように輝いていた。

 漆黒の夜のカーテンを切り裂くように屹立し、遍く地上を見下す。

 それこそが獅子王の在り様。

 人ならぬ神へと成り果てた、王の偉業だった。

 並び立つ尖塔。そのひとつの頂上に、ラモラックは腰掛けていた。聖なる都を、無人の荒野を、その果てにある砂の地を望むその顔は微かな笑みに満ちている。

 風はない。まるで大気そのものがこの城に畏れをなしたかのように。

 胸元に手を入れ、ペンダントを抜き出す。細い銀の鎖の先には透き通るような蒼い結晶が括られていた。

 右へ、左へ、蒼の振り子が夜空を掻き混ぜる。向こう側には虚白の月。結晶は踊る。不動の月を捕らえようと、滑稽に揺れる。

 ラモラックはそれを胡乱げに眺めていた。

 

「……これはあの女に託されたモノだ。死の運命より逃れられるようにとな。まったく、つまらん女だよ。魔女は魔女らしく呪いを編んでいればよかったものを」

 

 赤き盾の騎士が語りかけたのは後方。黒き甲冑の騎士、アグラヴェイン。彼は腰の剣に手を添える。

 

「醜く淫蕩なあの女がそんな(まじな)いをするとはな。まるで童女の願掛けだ」

「醜く淫蕩───貴様でさえもそう思うか」

「国盗りの妄執に取り憑かれた愚物。それがあの女の全てだ」

 

 ラモラックは答えなかった。

 肯定も否定もせず、彼はただ告げる。

 

「アレは醜く、濁った性根の女だった。だが、淫蕩ではなかった」

「……何を言っている。お前を含め、ロット王、アコロン、多くの男と契りを結んだあの魔女が淫らではないと言うのか」

「簡単なことだ、アグラヴェイン」

 

 音もなく立ち上がる。

 薄くたなびく雲が月を覆い隠す。

 キン、と銀の鎖が解ける。ラモラックはペンダントを右手に握り込んだ。

 

「あの女は、モルガンは、おれに()()()()()と名乗ったのだ。それがどういう意味か、分からぬ貴様ではあるまい」

 

 右の五指が軋みを立てる。くぐもった破砕音が響く。もう一度手を開いたその上には、銀と蒼の砂が積もっていた。

 ラモラックはその破片を指の隙間から流した。風がない故にそれはただ真っ逆さまに落ちていくのみ。堕ちて堕ちて見えなくなって、騎士は唇を歪める。

 

「勝つぞ。お前の理想の果てをおれに見せてみろ」

 

 アグラヴェインは目を伏せ、答えた。

 

「私はお前が嫌いだ。故にその命、王の御為に存分に使い潰してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、太陽王が治める砂の聖地。玉座の間には長大な机が設置され、Eチーム他サーヴァントたちはそれぞれ両側で顔を突き合わせていた。多数の英霊が並ぶ様はまさに壮観だ。

 オジマンディアスは玉座の上から全員を眺めていた。王なのだから当然と言えば当然なのだが。むしろ立香にとっては、ファラオなのに自分たちに混じっているニトクリスが不憫に思われた。

 しかし、卓上に贅を凝らした料理が並べられた瞬間に同情心は雲散霧消した。他人よりも食い意地が張った立香の心は一瞬にして目の前の料理に奪われていた。

 古代エジプトの食生活で主食とされていたのはパンとビール。上流階級は牛肉や鶏肉を口にすることもあったという。

 無論、未成年の立香やマシュはビールを嗜むことはできない。Eチームとて遵法精神くらいはあるのだ。リーダーは別として。

 立香は斜め向かいに眼差しを送る。正面には未だに巨大なすびを纏っている後輩がいたが、もう慣れたものである。視線の先ではすっかり出来上がったダンテとダ・ヴィンチが顔を真っ赤にしてルネサンストークに興じていた。

 

「───そこでジョットは私に言いました。〝絵を描くのは昼間だけど、子を成すのは夜だからね〟と!」

「ド下ネタをありがとうダンテさん! ジョットは私が感銘を受けた数少ない画家だ。私がもっと生まれるのが早かったらフィレンツェでお目にかかれたかもしれないね」

「となると、私も生前のダ・ヴィンチちゃんとお会いできた可能性がありますねえ」

「ははは、嫌だなあ! ダンテさんはフィレンツェを追放されたんだから会えるわけないじゃないか!」

「そうでしたね! ちょっと黒党のアホ共を殴ってきていいですか!?」

 

 などと非常に耳障りな会話を繰り返す二人。しかし、この程度に気を取られているようではカルデアの日常は到底生き残れない。立香は気にせずエジプトパンを頬張る。

 ちなみに。ジョットは西洋絵画の父と呼ばれるほどの偉大な画家である。彼の功績を極めて短く言うと、初めて空間と人物を実物的・立体的に表現したこと。その名声は高らかに謳われ、ダンテも神曲の中で彼を褒め称えるほどであった。ルネサンス文学の祖がダンテだとすれば、ルネサンス絵画の祖は間違いなくジョットだろう。

 立香の左隣には静謐のハサン。毒をその身に宿した少女はビールの入った杯を不思議そうに見つめていた。

 

「立香さん。これは……毒ですか? なんだか体が熱くなってきました」

「いいえ、アルコールです。飲みすぎると毒になると思いますけど、飲んだことないんですか?」

「暗殺の際に手元が狂うといけないので、口に入れるとしても少量でした。酔うという感覚はこのようなものなんですね」

「うーん、そう言われると気になってくる……」

 

 すると、マシュはこてんと首を傾げた。その際になすびのきぐるみにおけるヘタの部分が隣のジャンヌの脳天に直撃したが、彼女は気にせずに言う。

 

「疑問なのですが、耐毒スキルがある先輩は酔うことができるのでしょうか。アルコールの酩酊作用自体が毒と判別されてしまった場合、ビールはただの苦い水になってしまうと思います」

「……その前に、今アンタのクソデカなすびアーマーが私の頭に当たったんですけど。っていうか普通に窮屈だし! 脱ぎなさいよそれ!」

「どうせ今回限りの特別フォームです、気にしないでください。わたし自身このキャラに限界を感じ始めていますので」

「だったらここで燃やし尽くしてあげましょうか!?」

 

 眼前で炎が燃え盛る。じりじりとした熱を感じつつ、立香は右隣のノアに顔を向けた。

 

「マシュの言うことは一理ありますよね。リーダーはどう考えます?」

「んなことは簡単だ。実際に飲んでみて確かめればいい。やってみろ」

 

 そう言って、ノアは自分のコップを差し出す。

 瞬間、立香の脳内では無数の煩雑とした情報が猛然と行き交った。これはつまりアレだ。昨今ではあまり見かけることのない定番の胸キュン展開というやつだろう。

 立香は瞳をぐるぐる模様にして、

 

「リーダー、あまり見くびらないでください。こんなものに私が踊らされるとでも!?」

「何言ってんだこいつ」

「『ノアくん、お酒は二十歳になってからだぞ! ただでさえカルデアはコンプライアンス意識が底辺なんだから!』」

 

 そこで、通信機を介してロマンが止めに入った。彼の言を訂正すると、カルデアのコンプライアンス意識は底辺どころか無に等しい。

 ロマンは左手に箸が突っ込まれたカップラーメンを持っていた。立香たちが摂っている豪勢な食事とは雲泥の差のさもしい食事である。

 そして、彼が出てきたということは。

 

「『食事をお楽しみのところ悪いですが、これより聖都攻略作戦会議と諸々の情報の整理を行いたいと思います!』」

 

 その直後、オジマンディアスが漏らした呆れと嘲り混じりの笑いが出鼻を挫いた。

 

「この二日間で戦力の編成と戦支度は済んでいるがな。後は行って戦うだけだ。これが王の手際よ!」

「流石ですオジマンディアス様! 数々の戦争で勝利したその手腕、誠に恐れ入ります!」

「先輩、なんだかニトクリスさんがスネ夫に見えてきました」

「ファラオとしては先輩のはずなのにね」

 

 オジマンディアスは戦争によってエジプトの領土を拡大する一方で、いくつもの神殿を建造した。古代エジプトの最盛期を築いた王の辣腕は、しがない社畜のロマンを遥かに超えていたのだ。

 ロマンはカップラーメンの汁を飲み干す。

 

「『そ、それじゃあ、警戒すべき敵サーヴァントと獅子王の目的だけおさらいしておきましょうか。前者に関しては円卓の騎士たちの意見をお伺いしたいのですが』」

 

 ランスロットは間髪入れずに答える。

 

「それは当然、ガウェインです。太陽の加護がある内は私でも防戦に徹するしかないほどの実力を誇りますから」

「では、なぜ円卓最強と呼ばれているのですか? ランスロットさんを殴り倒したわたしは円卓最強ということになりますよね」

「ふふふ、マシュのチャーミングさはまさしく円卓最強ですが……ガウェインの加護には時間制限がありました。なので、加護が切れるまで耐えた後に攻めれば私の勝ちという寸法です」

「なんという脳筋理論」

 

 ガウェインは日中、能力が三倍になる加護を有している。午前9時から正午、午後3時から日没までのそれぞれ三時間が加護の有効時間だ。

 ランスロットの言うことはもっともらしくはあるが、机上の空論も同然だ。それを実現してしまうのが湖の騎士の恐ろしさなのだが。

 ただし、とランスロットは付け加える。

 

「今のガウェインは獅子王の祝福により、加護の時間制限がありません。常に三倍の状態です」

 

 場の空気が張り詰める。ガウェインの対策として最も有力だったのが、夜間に戦うこと。加護の効力がない間に倒してしまうという作戦だった。

 しかし、常に三倍となれば夜戦の利は存在しない。ペレアスは顔面を青くして叫ぶ。

 

「なんだそのチート!? 完全にズルじゃねえか!!」

 

 全員の心情を代弁するかのような言葉。ベイリンだけは勇ましく首肯した。

 

「面白い。獅子王の前座としては最高だ。私とランスロットの二人で掛かれば勝機はあるか?」

「私とベイリン卿のどちらかが死ぬのは確実。悪くて三人相討ちでしょう」

「悪くない見立てだ。それでこそ血肉を撒き散らす甲斐がある」

「円卓最強コンビは戦闘狂の気でもあるんですか?」

 

 マシュは小さく言った。意気込むランスロットとベイリンの横から、べディヴィエールが意見を差し挟む。

 

「……初代ハサン様の助力を得たことを忘れていませんか? 私たちもいるのですから、捨鉢になる必要もないかと」

「初代様は山の翁にて最強ですからな! 後輩にちょっと厳しいのがアレですが……あ、今のはオフレコでお願いします」

「後輩といえば、ペレアスさんも円卓ではそうですよね。敬語とか使わなくていいんですか? アットホームな職場?」

 

 立香の指摘を受けたペレアスはぎくりと震えた。今でこそ最年長のペレアスではあるものの、円卓の中では後輩も後輩だ。

 べディヴィエールは頭の中で記憶のページをめくっていく。

 

「ペレアスの後に円卓に着任したのは……モードレッド、ガレスちゃん、ギャラハッドでしたか。いえ、私は全く気にしていませんよ?」

「私は気にするぞ。番外位の前任者である私にもタメ口だろう。騎士ならば礼儀を守れ」

「アンタに礼儀云々は言われたくねえ! 尊敬してるケイ卿とべディヴィエールには使ってもいいが、それ以外は何か嫌だ!」

「ペレアス? 私は? 無双の騎士ランスロット卿は尊敬していないと?」

「そういうところだぞ?」

 

 ロマンは何やら面倒くさい感じになりつつある空気を察し、強引に話題を変えた。

 

「『じゃあここで次、獅子王の目的について確認しておきましょう! これについてはシャーロック・ホームズから貰った調査書が詳しいかな?』」

「はい、Eチームの頭脳担当ことわたしが引き継ぎます。調査書はアトラス院探索の成果になります。突然現れ突然去った不審者や意味深なことだけ言って帰った魔術師にも遭遇しましたが、今は獅子王に集中しましょう」

「あ、トライヘルメスのデータはもちろん私とノアくんが根こそぎ取っていったからね。これで研究が捗るぞう!」

「藤丸、おまえが実験台になれる日も近いぞ。良かったな」

「私が前から待ち望んでたみたいに言うのやめてくれません? 全力で逃げますからね?」

 

 自分のマスターがしれっと危機を迎えているのをよそに、マシュは『ワトソンくんでも分かる調査ノートその二』の内容をかいつまんで説明する。

 

「過去の聖杯戦争……こちらは帰還してから確認しましょう。本題は獅子王の武装、これですね」

 

 マシュはそれを読み上げた。

 ───曰く、聖都とは聖槍ロンゴミニアドの外殻に過ぎない。アーサー王は星の聖剣の他に多数の宝物を所有していたが、聖槍もそのひとつ。叛逆の騎士モードレッドを突き殺した槍のことを指す。

 それがただ強力なだけの槍ならばここまでの事態にはなっていなかった。なぜならロンゴミニアドとは最果ての塔───惑星上に貼られた人類世界というテクスチャが剥がれないように縫い止める、一本の安全装置だからだ。

 聖槍は言わば最果ての塔の影。子機のようなものであり、塔の権能を行使する操縦機。獅子王はその力を以ってこの特異点を世界から切り離してしまった。

 いずれ聖槍は特異点を収束させ、魔術王の手から逃れるため、聖都と言う名の完全な世界を構築する。

 タイムリミットはその収束が終了するまで。それまでに獅子王を打倒しなければ、カルデアは敗北する───そこまで言って、マシュは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「聖槍なんて大層なモノを使っていても、わたしたちが負けるはずはありません。限られた人間を保存しようとする獅子王と、全人類を救おうとするわたしたちでは、最初の心意気からして格が違います!!」

 

 真っ直ぐな瞳。

 少女の闘志に一切の淀みはなく。

 太陽王ですらも、その覚悟に口を挟む余地はなかった。

 

「アンタにしては良いこと言うじゃない。なすびのきぐるみなんて着てなければ文句はなかったのに」

「だけどマシュの意見に全面賛成! むしろ格下をボコる構図になって悪いくらいだもん! ですよね、リーダー!」

「ああ、俺の前には何もかもが格下だからな。そういう奴らの扱い方は手慣れてる」

 

 ノアは続けて、

 

「勝つぞ。獅子王の理想の果てはこの世の誰も見なくていいものだ」

 

 彼の言葉に誰もが頷く。

 静寂が辺りに立ち込める。

 もはや彼らに言葉は必要ない。

 静かな広間に、鼻を啜る音が響く。その音源はロマン。彼は全身を震わせながら、溢れ出る涙を袖で拭っている。

 

「『あ、あのマシュがこんなに成長するなんて……!! ボクは今人生で一番感動してる!!』」

「ドクター、大人のガチ泣きは見苦しいのでせめて通信は切ってください」

「『わあい良かった、いつものマシュだぁ!!』」

 

 ロマンは泣きながら笑った。それはともかくとして、聖都攻略作戦会議はおわったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月も大分傾いてきた頃、立香は城の廊下を歩いていた。

 彼女は首元にタオルを巻き、普段のカルデア式制服より幾分かラフな格好をしていた。頬はほのかに上気し、小気味良い鼻歌を奏でている。

 長らく日本で生きてきた性として、立香は湯に浸からなくては夜の寝付きが悪い体質になっていた。水が貴重な砂漠地帯でそんな機会に恵まれることは少なかったのだが、ここには救世主がいた。

 その名もリース。水の精霊としての力を遺憾なく発揮し、地下から水を汲み上げて温水にし、即席の浴槽に移してくれたのである。これで生前の十分の一の力もないというのだから、精霊という存在の強大さがうかがえる。

 ちなみにノアに頼む選択肢は絶無だった。悪魔と契約した者は大概不幸になる。先人たちの二の轍を踏む訳にはいかないだろう。

 ということで、立香は上機嫌になっていた。明日からは聖都を目指した行軍、この特異点における最後の安穏とした時間だ。

 曲がり角を折れると、床に座り、壁にもたれかかる人間がいた。というかノアだった。

 

「うげっ」

 

 無駄に大きい図体のせいで、無作法に伸ばされた両足が廊下の横幅の半分ほどを占めている。

 これをどうするべきか。いつでも飛び退けるように腰を落として、忍び足でノアの顔を覗き込む。

 あのやかましさはどこへやら、彼は眠りに落ちていた。寝息はとても小さく、寝ている合間だというのに指一本動いてはいない。

 起きてさえいなければ、端正な顔立ちをしている。普段は性格の悪さが顔に滲み出ているが、それを取り払った今は精巧な人形のようだ。

 突如、立香の脳内に落雷の如き閃きが舞い降りる。

 

「やるしかない、イタズラを───!!」

 

 日頃の恨み、ここで晴らさでおくべきか。どこからともなくマジックペン(油性)を取り出し、キャップを抜く。

 

「パンダ目、青ひげ……いや、やっぱりここは王道の額に肉!」

 

 白い肌にペンの先を突き立てる。が、反射的に動いたノアの右手が立香の手首を掴んで止めた。

 背筋に悪寒が走る。その感覚が襲ってきた時にはもう遅く、ノアの両眼がバチリと開眼する。

 

「十秒以内におまえが何をしようとしてたのか言え。さもないとアホ毛引っこ抜くぞ」

「リーダーの顔に落書きするつもりでした! だから私のアイデンティティだけは助けてください!」

「どんな落書きだ?」

「ひ、額に肉……?」

 

 自供を聞き届け、ノアは立香の手に収まったマジックペンを抜き取る。そして、その額に肉と書き込んだ。

 そうしてようやく解放される。タオルで額を擦ってもインクが落ちている様子はなかった。わざわざ油性を選んだことが裏目に出てしまっている。

 

「け、汚された……乙女の体が……! リーダー、どうやって責任取ってくれるんですか」

「乙女? 俺の目に映ってんのはキン肉マンただひとりだ。新シリーズでも始まんのか? むしろ始まってくれ」

「この人、もう私をキン肉マンとして認識している───!!」

 

 気を取り直して、立香は訊く。

 

「で、どうしてここで寝てたんですか。リーダーは風邪とか引いたことないですよね?」

「それはおまえだろ。おまえを待つ間に仮眠取ってただけだ。日本人は全員長風呂なのか?」

「そんなことはないと思いますけど……私を待ってたってどういうことですか」

 

 がつん、と音が響く。立香の逃げ道を塞ぐように、ノアは右足を彼女の脇の壁に打ち付けていた。

 

(壁ドン!? しかも足バージョン! 普通に柄が悪い!!)

 

 そんな思考が流れたのは刹那。口を挟む間もなくノアはまくし立てる。

 

「ひと目見た時からおまえのことはアホだと思ってたが、俺の想定通りおまえはアホだった。なぜなら生のホットケーキミックスが好物のアホだからな。そのアホさ加減は俺も予想してなかった。世界中のアホ因子を集めてできたアホがおまえってことだ。だが、最近おまえのアホの毛色が少し変わってきた」

「あの、すみません。そろそろアホの二文字がゲシュタルト崩壊してきました」

「───つまり。おまえ、何か隠してるだろ」

 

 言われ、立香は口をつぐんだ。

 それこそが何よりの答え。返事を待たず、ノアは言う。

 

「様子がおかしくなったのは、獅子王のふざけたビームから逃げた時だ。あの時ほど露骨じゃねえが、天才の目をナメんな。昼間も物陰から覗いてただろ」

「…………なっ、ななななななるほどぉ〜〜!! バレてましたか! 見事見抜いたリーダーには立香ちゃん人形を進呈してもいいですよ!?」

「はいボッシュートになります」

 

 ノアは右の五指で立香の頬をぎりぎりと挟んだ。

 

「むぐううううう!!」

「このまま隠し続けるなら俺の拷問体験ビギナーコース一時間一万円を受けることになるぞ。俺は楽しめて稼げるからいいがな!」

「どんなドMが申し込むんですかそれ!? い、言います言います!」

 

 顔面の圧縮が解ける。立香は両の手の平で頬を擦りながら、軽い頭を必死で回した。軽い分回転数には自信がある。

 ここが正念場。なんとか他の隠し事をでっち上げてこの場を凌ぐしかない。

 

「た、ただ訊きづらいことがあっただけです。リーダーは誰もが認めるロクデナシのアホですけど、そんな人にも初恋はあったのかなって」

「……はあ?」

「覗いてたのも、言い出せなかったんです。あと単純に球投げ大会に巻き込まれたくありませんでしたし」

 

 ノアは黙りこくる。その反応を見て、立香は心の中でガッツポーズを取った。

 我ながら悪くない、自然な返答だった。それらしければ何でも良かったのだが、わざわざこれを選んだのは純粋な想い。

 

(だって、私はこの人のことを何も知らない)

 

 彼がどんな人生を歩んできたのか。

 彼がなぜカルデアに来たのか。

 そんなことも、まだ分かっていない。

 だから、それを知りたいと思うのは当然の欲求だった。

 言ったことは嘘でも、その想いは本物だ。

 ノアは足を外し、立香の側の壁に背中を預けた。

 

「……それらしきやつはいた。だからどうした」

「どんな人だったんですか? あ、せっかくだから楽しみたいんで、少しずつ言ってください! 年下とか、一番弟子とか、要素だけで!!」

「年上」

(終わった───!!)

 

 初手から詰んでいた。深刻なダメージを負いつつも、立香は笑顔を維持する。

 

「ど、どうぞ。続けてください」

「ニコチン中毒。ギャンブル依存症。無職。偏食。酒乱。アホ、バカ、マヌケ。ああ、あと女だったな。一応」

「最後に出てくるのが性別……!? でも、素敵な人だったんですね?」

「おい正気かおまえ。ダメ人間以外の何者でもないだろうが」

「だって、高飛車なリーダーが好きになった人なんだからそうに決まってるじゃないですか」

 

 立香は当然のように言い切ってみせた。

 偽りなく本心から出た言葉。

 その時、ノアの口角がほんの少しだけ上がった気がした。

 

「…………とりあえず疑問は解けた。俺は仕事に戻る。おまえはさっさと寝ろ」

「今から仕事ですか?」

「ロマンは要領が悪いからな。あいつの仕事を俺がこっちから手伝うのと、城の見回り、寝る前に研究を進めておくくらいだ」

「城の見回りはしなくてもいいんじゃ? オジマンディアスさんの懐みたいなものですよ」

「だからこそだ。アグラヴェインの陰気臭い顔見たか? 何をしてきてもおかしくねえぞ、あいつは」

 

 アグラヴェインへの評価は置いといて、確かにあの騎士ならば何をやってもおかしくはないだろう。

 立香はアグラヴェインを一度しか見たことがないが、それでも分かることはある。

 彼が騎士道や人道よりも、王の理想を優先する男だ。故にこそ、恐ろしい。

 立香はノアの目前に立って、彼の顔を見上げる。

 

「リーダー、帽子取ってちょっとしゃがんでください。疑問に答えてあげた借りは返してもらわないと」

「……妙なことしたら反撃するからな」

 

 思惑通り、彼は姿勢を屈めた。

 貸し借りには夏のセミくらいうるさいのがこの男だ。それを利用すれば、頼みごとくらいは聞かせられる。

 立香はノアの頭に手を置く。そのまま、新雪のように白い髪を左右に優しく撫でた。

 

「頑張ってくれてるリーダーを、私が特別に褒めてあげます。泣いて感謝してくれてもいいですよ?」

 

 ノアは目を見開いた。その眼差しはここにはなく、はたまた現在を見てすらいない。

 それで、思う。この人はまた、自分が知らない誰かを見ているのだと。

 そのやり取りがいつまで続いたのかは、二人だけしか知らない事実だった。

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