自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第55話 最果ての王と円卓の騎士 前編

 いつからこうしているのだろう。

 いつからこうなったのだろう。

 ───それはイフ。

 ───唾棄すべきもしもの可能性。

 大切な何かを失い。

 護るべき誰かを喪い。

 この身は未だ、此処に在る。

 中身のない抜け殻の君。故に、自らの騎士が殺し合おうとそれは瑣末な出来事に過ぎず。また、無辜の人々に裁きを下すことに、何の疑問も持たなかった。

 ───かつて犯した、罪のせいで。

 ───王は神へと堕ちた。

 世界は焼け落ちた。

 ヒトの歩んだ歴史は否定され、灰さえも残らない。

 そのことにさしたる驚きはない。喩えるなら、まだ満たされていると思って呷った杯が空だった時のような、白けた動揺だ。

 なぜなら、知っていた。

 この世のあらゆるモノは脆く崩れ去る。

 一切の例外はない。あるとすれば、それは死だけだ。万物万象に定められた終わりという名の結末はいつまでも変わらず存在し続けるだろう。

 ───しかし、王は死ねず。

 ───私は終わることすらも、かの君より奪い取った。

 そうと知っているのに、なぜ聖都などという入れ物まで創ったのか。愚問だ、それしかすることがないからそうした。人であった頃と同じく、その場その場で最善の判断をしただけだ。

 人は死に、世界は亡びた。単にそのことを紙面に書かれた殺人事件のように受け止め、聖都を造り上げた。

 これはその場しのぎですらない。言ってしまえば敗戦処理だ。終わりが決定した最中で、微かな痕跡を残すための作業。家族に一目会わせるために、患者の胸骨を砕きながら心臓マッサージをする行為に近い。

 心臓が動いている。たったひとつの救いにもならない事実を作り出す、虚しい行動だ。とうに患者は、世界は助からないというのに。

 だが、舐めるな魔術王。

 痩せていく土地しかなく、枯れていく作物だけしか穫れなかったあの国を延命させた王の執念を。既に終わりゆくモノを引き延ばすことにかけては、誰にも負けやしない。

 ───ならば、終わらせるしかない。

 ───その先に何もないと知っていても。

 ───王は、理想の果てを求め続けるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空は不気味なほどに澄み渡っていた。

 雲ひとつない快晴。絵の具の中身をそのまま撒き散らしたみたいな青。その色の深みに魅入られれば最後、空に吸い込まれてしまいそうになる。

 虚ろなほどに青い世界を、聖都が白く切り抜いていた。それは嘘のような純白。一枚の精巧な切り絵の如くそびえる聖なる都は、粛々と大地の上に鎮座していた。

 その出で立ちに一片の穢れもなく、荒野の砂埃でさえ白き肌に色を加えることはない。ヒトが造った建築物は等しく劣化する定めにある。たとえ新築の家でも、完成した途端に薄汚れていくのが道理だ。

 朽ちず、穢れることなき白亜の聖都。

 完璧な芸術品なんてどこにも存在しないように。そんなモノを創れる存在があるとすれば、ソレは人間という生物の限界を超越している。

 しかし、その都は純粋なる魂を持つ人間たちのために存在している。であれば、聖都を打ち砕くのもまた人間以外にあり得ない。滅びた世界に人類が生きた証を残すなどという題目を掲げていても、その行いは他者の否定と廃絶に過ぎないからだ。

 純白の城が睥睨する荒野。その一面に数万の軍勢が広がっていた。太陽王が擁する武力と、命からがら獅子王の追撃から逃れた山民の兵が入り混じる顔触れはてんでバラバラだ。中には製作者がひとりしかいないような円錐形の戦車まで配備されている。

 対する聖都の騎士は統一された甲冑を身に纏い、一分の乱れもない陣形を敷いていた。彼らに野戦を仕掛ける利はない。城壁と城門、そして獅子王が坐す城を護るだけで世界の収束は完了するのだから。

 ちかり、と太陽が一際強く輝く。

 日輪の祝福を受け、現れるは騎士ガウェイン。聖都正門、城壁の上から敵を見下ろす彼の瞳は冷たく研がれた刃のように光を反り返していた。

 太陽の騎士は聖都を一身に背負い、告げる。

 

「この戦いで、必ずどちらかが滅びる。今や私に正義はなく、また誇りも存在しない。あるのはただ我欲で人を殺す醜さだけだ」

 

 人を護るはずの騎士が人を選別する矛盾。獅子王に忠誠を誓うということはこの世のほぼ全ての人間を見殺しにすることと相違ない。

 聖罰によって命を落とした人々の顔を思い返す。

 生まれたばかりの子を抱えた母親がいた。足の悪い弟を背負った男がいた。親も兄弟も亡くしてかろうじて聖都に辿り着いた子どもがいた。

 彼らは皆、死んだ。

 騎士の剣に刺されて、弓に射抜かれて、槍に頭を潰されて。

 それでも、ガウェインは王に跪いた。

 いつか求めた理想の残滓を胸に。

 太陽の聖剣を抜き、彼は言い放つ。

 

「───来い。もはや取り繕うべきものは何もない。世界の敵と化した我が身に刃を突き立ててみせろ!!」

 

 後戻りはできない。する気もない。この身朽ち果てるまで、王の刀剣として戦う。それだけがガウェインの心臓を動かす理由だった。

 青空に響き渡る宣言は誰にも等しく衝撃を与えた。獅子王のためだけに存在する騎士───まさしく、カルデアの責務を阻む世界の敵だ。

 己をそう位置づけたかつての仲間を見て、ペレアスは乾いた音を喉元で鳴らした。

 

「そりゃ分かりやすくて助かるぜ。オレも騎士の誇りだの忠誠だので言い争うのは飽き飽きしてたところだ! どうせ口喧嘩じゃあ決着はつかねえんだ、だったらもう殴り合うしかねえだろ!!」

 

 ガウェインは答えない。それが何よりの肯定であると知っていながら。

 否、知っているのは答える資格が自分にはないということ。故に彼は唇を閉ざし、代わりに眼差しに力を注ぐことしかできなかった。

 マシュはガウェインをじっと目で捉える。

 彼の実力を疑う余地はどこにもない。その五体の強靭さと聖剣に宿る灼熱の輝きの前には自分ひとりの力なんて呆気なく弾き飛ばされてしまうだろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。ひとりで戦う訳じゃないのだから、今更ガウェインがいくら強かろうと関係はない。

 彼女の心に引っかかったのは、騎士の物言いだった。

 

「気に入らない物言いですね。自ら世界の敵を気取るなんて、物語だけでなく現実でも悲劇を演じるつもりですか。ペレアスさんの言う通り、わたしたちがするのは殴り合いでしょう。〝御託はいいからかかってこい〟くらいのことは言えないんですか?」

「…………ギャラハッドが器に選んだにしては、苛烈な少女のようですね。多くの人を切り捨てた私にとて恥はある。貴女の期待に応えることはできません」

「ほう、では舌戦はわたしの勝ちですね。円卓の騎士のくせに案外手応えがないものです。ウチのマスターたちなら屁理屈をこねくり回してでも言い返していましたよ!!」

「当たり前だ。あんな一方的に言われて黙ってられるか。開戦前にまたしても格の違いってやつが露呈したな」

「リーダー、別に私たち褒められてないです」

 

 確かに格の違いは露呈していた。どちらが上であるかなど語る必要はないだろう。

 そこで、城壁に黒い影が登る。怜悧な眼をした騎士はアグラヴェイン。いつも固く強張っていた顔からその面影は薄らぎ、ほんの僅かに頬を緩めていた。

 静かで、しかしこれ以上なく劇的な変化。この場の誰にも明らかな異質さに気付かぬのは本人のみ。何が彼に微かな変容をもたらしたのか、彼にさえも知る術はない。

 

「格の違いと申したか、魔術師。なるほど、確かに───カルデアのEチームとやらは随分と間の抜けた面が揃っているようだ」

 

 その言葉は反吐を吐くようなものだった。が、彼の声音には侮蔑も軽蔑もなく、単に事実を述べた平坦さしかなかった。

 指名された六人はきょとんとした様子で互いを見合う。そこにはまさに間の抜けた面が六つ揃っていた。暫し沈黙が続くと、ノアと立香は弾かれたように向き直る。

 

「おまえの主張は概ね正しい。こいつらはすべからくアホだからな。特にこっちの藤丸は天才の俺でも匙を投げるほどのアホの最高傑作だ。ただし俺を含むんじゃねえ! 目ぇついてんのか!?」

「とか何とか言ってますけど、この人が一番のロクデナシですから! アホの詰め合わせのEチームを率いる人だから当然ですね! まあ私だけは違いますけど!!」

「アンタらは少しでも他人を擁護しようっていう気はないんですかァ!? ウチの汚点が二つ晒されたことになってるじゃない!!」

「その発言によってジャンヌさんが二人を汚点だと思ってることが明らかになった訳ですが……天才デミ後輩ことマシュ・キリエライトがリーダーになる日は近いですね」

 

 ダンテとペレアスは肩を落とした。ただし呆れたのはほんの一瞬、二人は一転好戦的な顔つきになる。その表情には自信さえも浮かび上がっていた。

 

「……ということですが、ええ、まあ私たちほどのデコボコメンバーも珍しいでしょう。そんなのが獅子王と円卓の騎士と戦う訳ですが、勝算はありますかペレアスさん?」

「ハッ! 負ける気がしねえな───!!」

 

 戦場の空気が張り詰める。

 膨れ上がった風船。針の一刺しで破裂する戦意。開戦を告げるに相応しきはひとり。聖都の上空に見るも絢爛な光が渦巻き、大気を力尽くで撹拌していく。

 ごう、と烈風が吹き荒れる。底なしに青い空は時化た大海の如く波打つ。

 それは空に開いた砲口。相対する敵軍すべてを屠り尽くす、光の顎だ。

 

「『有象無象が聖都を害する驕傲の罪、その命で以って贖え』」

 

 聖槍ロンゴミニアドより零れ落ちた神威。

 神の権能の前に抗う術を持つ者は皆無。逃げることは叶わず、祈りすらかの獅子王には届かない。

 神たる存在が等しく備える傲慢。かつて月の女神が海神の三叉槍を起動した時のように、獅子王もまた最適かつ最善の手段を取ったにすぎなかった。

 騎士の誇りや忠誠は塵芥。情緒など今の王には何ら意味をなさない。捧げられる忠義も殺意も、聖槍の女神は余さず粉砕するだろう。

 ───しかし。

 

「『貴様にしては腑抜けた一手だ───獅子王!!』」

 

 遥か砂の聖地。高き御座に君臨する太陽王はその宝具を解き放つ。

 『光輝の大複合神殿』。神王オジマンディアスが擁する宝具の中で、最大最強を誇る建造物群。いくつもの神殿が折り重なり、異形をなした神の大殿はやにわに発光する。

 全長数kmにも及ぶ石造りの肌が、灼熱の光輝に彩られる。その威容は地上に生まれ落ちた太陽に他ならない。だが、それは言わば余剰エネルギー。本命より漏れ出た光の一片にも満たなかった。

 複合神殿の中央に位置するピラミッド。オジマンディアスが生前争ったヒッタイトの神鉄で覆われた装甲が開き、究極の武装が姿を現す。

 デンデラの大電球。それは世界の位相そのものを焼いてしまうかのような膨大な熱と輝きを秘めていた。そこに在るだけで目を焼き潰す極小の太陽はなおも駆動し、超越的な魔力を生産する。

 獅子王と太陽王。二人の切り札が場に出されたのは同時。ならば、それらが放たれるのもまた─────

 

「『逝け、我が聖都の騎士よ』」

「『征け、カルデアの勇士よ』」

 

 瞬間。

 聖槍と太陽。二つの輝きが、聖都上空にて衝突した。

 それが開戦の号砲。王たちの手によって戦いの火蓋は切って落とされた。間髪入れずにノアたちは走る。空に三つの太陽が浮かんだかのような光景の中を。

 あまりの轟音に人の声は虚しく。

 熱風が土を翻す環境では人はあまりにちっぽけで。

 それでも、聖都に仇なす彼らは歩みを止めることはなかった。

 愚直なまでの突進を受けて、ガウェインは配下の騎士へと叫ぶ。

 

「弓兵隊、私の号令を待つ必要はありません。矢玉を使い尽くすまで射ちなさい!」

 

 打って出る必要はない。城壁と高所の利を捨てるなど愚の骨頂。矢を射掛け続ければ、敵は着実に数を減らしていく。

 聖都の城壁は聖槍の外殻。その硬度は並の宝具でさえ容易く弾き返すだろう。さらに、この城壁は『善なるもの』という要素を結集した概念武装。通常の攻撃はおろか、魔剣魔槍の類は蚊の一刺しにすらならない。

 故に、聖都の壁を砕くことが叶うのは同じ『善なるもの』。それが概念である以上、同属性でない限り、如何なる出力を以ってしても通用しないのだ。

 聖都の敵において、聖都城壁を突破する手段を持つのは玄奘三蔵の命を賭した掌底のみ。

 

「───私の出番だな」

 

 だが、それはここではない場所の話だ。

 ここには、ひとりの騎士が存在する。

 戦列の最前線から飛び出す赤い影。ガウェインは戦慄とともに騎士の名を口走った。

 

「ベイリン・ル・サバージュ……!!」

 

 若きアーサー王を二本の剣で支えた赤き騎士。ベイリンとその弟ベイランの戦いぶりを見た王はかつてこう言った。〝あの二人は私が今まで見た中で、最高の騎士だ〟と。

 呪われた聖剣を抜き、血に塗れた結末を辿った双剣の騎士のことを知らぬ者はいない。故にこそ疑問だった。善なるものしか通さぬ壁を、かの騎士が抜けるはずがないのだ。

 けれど、呪われのベイリンは駆ける。

 両手に剣はない。徒手の特攻。あるべき武器を持たず、騎士は言の葉を継いだ。

 

「〝しかし、ひとりの兵卒がその脇を槍で突き刺すと、ただちに血と水とが溢れ出た〟」

 

 ぎぢり、と大気が悲鳴を上げる。

 総身に纏わり付く空気が流動する鉛に入れ替わったかのような重圧感。指先が痺れ、ガウェインは悪寒に息を詰まらせた。

 

「〝それを見た者が証をした。その証は真実である。その人は自らが真実を語ったことを知っている。あなたがたも信ずるようになるために〟」

 

 ベイリンが受けた呪いは聖剣に留まらない。

 アリマタヤのヨセフの子孫、ペラム王の居城。ベイリンはその地下深くに保管されていた聖遺物を手に取り、発動した呪いによってペラム王の国を滅ぼした。

 

「〝彼らは、自分が刺し通した者を見るだろう〟」

 

 その聖遺物とは。

 救世主の肉体を貫き、血を受けた一本の槍。

 それ故、資格無き者が触れることを許さず、手に入れた者は世界を手中に収めるとも謳われた、人類史最大級の聖具。

 ガウェインは喉が張り裂けんほどの声で命じる。

 

「総員退避!! 近接戦に備えなさい───聖都の門が崩れます!!」

 

 ばきり。空間が割れる。

 虚空より覗きしは、ねっとりと赤い糸を引いた鉄の穂先。

 鮮血に濡れた真白い槍の柄を、ベイリンは遠慮なく鷲掴みにした。

 マシュの脊椎に電流のような怖気が走る。この世の禍々しさを詰め込んだかのような槍に怯えたのではない。この戦慄は、自身を依り代としているギャラハッドのものだ。

 聖なる騎士と呪われた騎士。ギャラハッドとベイリンは真逆の性質を持つ。それは異質なるモノに対する、聖騎士の警戒の表れだった。

 

「…………()()()()()()()()

 

 血に塗れた槍を掴み、ベイリンは跳躍する。

 切っ先が狙うは聖都城門。

 あらゆる攻撃を拒む絶対防壁。

 刹那、天より黒雷が堕ちた。獅子王の光槍にも匹敵する規模の雷撃。暗く輝く電光は余さず槍に収束する。

 電熱が血を蒸発させ、ベイリンの掌を焼き焦がす。槍は五指から逃れるかのように小刻みに震え、ついに無数のヒビが表面を割っていく。

 双剣の騎士は槍を投げ飛ばすとともに唱えた。

 

「『光絶つ運命の槍(ロンギヌス・カウントゼロ)』!!!」

 

 ───神罰が、聖なる都を穿つ。

 黒き極光が白き聖壁を喰い破る。

 城門を砕いてもなお破壊の波濤は止まらず、聖都中枢まで黒々とした災いの跡を刻み込んだ。

 その昔、ベイリンはペラム王の城に安置されていた聖槍に触れ、その国を滅亡させた。ペラム王はその時から不具の体となり、日がな釣りをして暮らすことになる。

 その聖槍の名はロンギヌスの槍。こと聖槍のカテゴリーにおいて、世に並ぶモノ無き神血の武装だ。

 ペラム王の城と国を襲った災いは天罰だった。救世主を刺した槍を、あろうことか武器として使ったベイリンへの呪い。

 ならば、その罰を下したのは唯一神に相違ない。

 父なる神は絶対的にして根源的な善。これはキリスト教における大原則であり、決して覆されることのない前提だ。

 だというのなら、たとえ神罰であろうとそれは究極的な善ということになる。むしろ、そうでなくてはならない。神の行いの真意を、人間が見抜けるはずがないのだから。

 それ故に、聖都の城壁は崩れ去った。

 善なるものとして、より上位に在る神罰の名のもとに。

 

「よし、門が開いたぞ。後は野となれ山となれだ!」

「やるじゃねえか先輩! 少し見直したぜ!」

「円卓の騎士としては当然だ。この程度のことはな。お前も派手な技のひとつやふたつは用意しておけ」

「……オレには生まれ変わったエクスカリバーMk.2がある! もう二度と地味とは言わせねえ!!」

「それ俺が造ったやつだろ。後で返せよ」

 

 人の波が聖都になだれ込む。

 ここからが真の戦争。人と人が醜く凶器を振るう戦場の幕開けだ。

 城壁を破られたとはいえ、依然地の利は聖都の騎士にある。王城へ続く道を塞ぎ、林立する家屋の上には弓兵が配置されていた。

 ぎり、と弓の弦が引き絞られる。矢の雨が降り注ぐその寸前、地上から放たれた射撃がことごとくを吹き飛ばす。

 

「東方の勇者アーラシュ、ここに健在ってな! 敵の飛び道具は俺が抑える。安心して進め!!」

「流石ですねえアーラシュさん! 私は戦場の空気で吐きそうですよ! 実際生前は吐きましたが!」

「ダンテ殿は後ろに。右腕を失くした不覚者なれど、露払い程度はこなしてみせましょう」

「そう卑下するほどでもないさ。ここには魔神の右腕を補って余りある天才がいるんだから、ね!!」

 

 ダ・ヴィンチは左腕の籠手と右手の杖を振りかざす。

 オーケストラの奏者のような動作。巻き起こるのは律動ではなく、魔力を変換した炎と光条の重奏だった。

 迫りくる騎士の壁が宙に踊る。それでも後続は臆せず向かって来ている。

 兵の数で勝っているのは獅子王の側だ。ならば、敵に勝る要素である将の数を活かす。それが太陽王の立てた作戦だった。

 呪腕のハサンは短刀を、ダ・ヴィンチは杖を構える。

 

「それじゃあ、獅子王と円卓の騎士はみんなに任せた! 死ぬなよ!」

「ああ、おまえもな。ここで死なれたら俺たちの研究が頓挫する」

「呪腕さんも気をつけて! 後のことは私たちがやりますから!」

「ええ、御武運を。今度は貴女も交えてスポーツをしたいものですな」

 

 暗殺者はあらゆる部位が削ぎ落とされた顔で笑う。

 王城を目指す味方たちの背中を見送る。殺到する騎士の群れを薙ぎ払いながら、ダ・ヴィンチは唇を歪めた。

 

「今のセリフ、死亡フラグっぽかったけど大丈夫かい? リテイクはきかないぜ?」

「いえいえ、死そのものであるかのような初代様に比べればフラグなど恐るるに足りませぬ!」

「そうかい、それは良かった!」

 

 万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチはひとつの言葉を呑み込んだ。

 その内容は個人的な予感を口にするものだった。今この場においては不要な上に、学者として根拠のない持論を述べることはできない。

 ひたりと冷たい手が足首を掴む直感。予感の正体は、まだ万能の天才にすらも分からなかった。

 ───視点をEチームに戻し。

 

「『Wird』」

 

 純粋な魔力の爆発が騎士の戦列を押し開く。

 ノアはサーヴァントたちから僅かに先行して、次々と魔術を放つ。膨大な魔力を注ぎ込んだ大魔術を絶え間なく発動し、騎士の海原を強引に進んでいた。

 白い魔術師の爆撃を潜り抜けたとしても、

 

「ガンド」

 

 後方から飛来する魔弾に撃ち落とされる。

 幾度となく繰り返されたそのやり取りに、合図はいらない。ノアの動きを補正すれば事足りる。

 共に向くのは前。

 男は敵を、少女はその背を見るだけで良い。

 静謐のハサンは驚きとも笑いともつかない表情で目を見開いた。

 

「驚異的、ですね。よく連携が取れています。ここまてま敵を寄せ付けないなんて」

「あの息の合いよう、弟子を思い出すわ。けど、あんなに魔術を使ってこの先保つのかしら?」

 

 ノアは三蔵の疑問を意識の隅で捉えていた。ルーンの詠唱を発声と記述の併用から記述のみに移行させて、彼は答える。

 

「この程度の魔力消費、屁でもねえ。サーヴァントを倒すのはおまえらの役割だ。血と臓物を撒き散らす覚悟をしておけ」

「私も礼装の魔力があるので、まだまだいけますよ! サーヴァント組はゆっくり休んでいてください!」

「これは頼もしい。我が湖の聖剣、振るうべきはまだ先ですか。マシュもペレアスも、良いマスターを得たようですね」

 

 ペレアスとマシュは目を平たくした。

 

「…………女が絡まないとまともだよな、お前」

「最高の騎士たる所以を初めて見た気がします」

「私と違って、強いだけが取り柄なのではないんだな」

「ベイリン卿、それはそれで辛辣です」

 

 デミサーヴァント含む円卓の騎士たちは思い思いの感想を吐いた。ランスロットは皮肉な笑みを浮かべ、地面を強く蹴る。

 ギン、と高鳴る金属音。ランスロットは不壊の聖剣によって、八方から迫る黒鎖を打ち砕く。

 そんな得物を操る者はひとり。湖の騎士が見据える先にはアグラヴェイン。数十の配下に囲まれた彼も、視線を返していた。

 眼差しの応酬を遮るように、太陽の騎士が立つ。

 ガウェインは敵を透かして空を眺める。立香が一瞬振り返ると、遠方の空に無色の光の壁が突き立っていた。

 

「……世界の収束が始まった。全ては最果ての塔に閉じ、聖都が完成する」

 

 太陽の聖剣が揺らぐ。

 空気を焦がす熱の切っ先は前方へ。

 

「ここは、通さない」

 

 瞬時に全員が戦闘態勢に入る。向けられた殺気を堪えるように。ひとり、応じなかったのは静謐のハサン。彼女は虚空に意識を飛ばしていた。

 無論、それが愚行であることは理解していた。敵の前で気を逸らすなど、山の翁にあるまじき失態だ。

 気を引きつけたモノの正体を理解して、安堵が心を包む。静謐のハサンは緩んだ意識を引き締め、力強く伝えた。

 

「皆さん、止まっている時間はありません。行きましょう」

 

 呼応するように、ソレは現れる。

 初めからそこにいたかのような自然さで。

 眼孔より青き炎を立ち昇らせる髑髏の死神。アサシンらしからぬ無骨な大剣を手に、夜空の如き外套を翻す。

 

「ハサン・サッバーハ、盟約に基づき馳せ参じた。太陽の騎士よ、暫し我が剣に付き合ってもらうぞ」

 

 周囲一帯を塗り替える死の気配。超常の気勢を叩きつけられたガウェインは一切の雑念を捨て去り、全身を強張らせた。

 無上の暗殺者は立香たちに眼の照準を合わせる。

 

「急ぐがよい。汝らの命数を使い果たすは此処に非ず。以前告げた願いを果たさんと望むならば、今は成すべきことを成せ」

「時は金なりってことですね! ありがとうございます!」

「然り。漫然と時を過ごすは愚者の在り方よ。戦いも同じことだ。汝が何のために身を擲っているのか、ゆめ忘れてはならぬ」

「普段からやるのは難しそうですけど……でも、今は何のために戦ってるのか、ちゃんと分かってます。意外と心配症なんですね?」

 

 立香は微笑みかけた。息が詰まるほどの死の気配の中にあっても、その笑顔だけは陰ることがない。

 アグラヴェインとガウェイン。それぞれの相手は定まった。残された者たちはひたすらに王の御座を目指す。

 その、間際。静謐のハサンと初代ハサンの視線が交わる。二代目からの山の翁は等しく彼に命を奪われ、代替わりを行った。

 彼らは殺した者と殺された者。かつて終わりを与えた少女へ、死神は言葉を贈る。

 

「───その毒の身で、誰かを護ってみせよ」

 

 それは、ひとりの少女を山の翁と認める一言。契約者たちの助けとなれ。そう求める声に、聞こえた。

 

「はい───!!」

 

 かつてない感情を秘め、毒の娘は駆ける。

 足取りに躊躇や迷いは存在しない。

 この毒の身で、誰かを護るために。

 彼女は、命を懸けることに決めた。

 ……アグラヴェインとランスロットは向かい合う。

 彼らはもう、互いを排除することしか考えていなかった。

 

「今度は、逃さん」

 

 あの時は逃げられた。

 力及ばず殺された。

 国を滅ぼした。

 

「私も、今度は逃げるつもりはない」

 

 あの時は逃げた。

 自らの弱さ故に。

 自らの犯した罪故に。

 だが、今度こそは──────!!

 

「「貴様を───倒す!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獅子王が待つ王城は高く聳えていた。

 その頂点からは断続的に聖槍の砲撃が撃ち出されている。太陽王との超遠距離砲撃戦。星と星をぶつけ合う戦いは留まるどころか、激しさを増してすらいる。

 獅子王でさえも手を使い果たしている。砲撃戦を演じている間ならば、あの光輝がEチームに向けられることはない。つまり、近接戦が成立する唯一の好機だ。

 今こそが絶好の機会。

 王手を掛ける一歩手前。

 だが。

 王を守護する二枚の駒が、残っていた。

 

「歓迎しよう、我らが愛しき好敵手よ。やはり面白い男だよ、アグラヴェインは。嫌悪する人間に王の護衛を任せるとはな」

 

 赤き盾の騎士、ラモラック。

 くつくつと喉を鳴らし、彼は愉悦に濡れた笑みを浮かべる。

 両腕を肩まで覆う銀色の籠手がぬらりと光を返していた。彼の五体は全てが凶器。抜き身で置かれた刀剣のように、立っているだけで空気を鋭く研ぎ澄ます。

 

「嫌いだからこそ、でしょう。存分に貴方の命を使い潰すために、王の喉元に配置した……身を呈して刃を食い止めろと。私は巻き込まれた身ですが、ええ、これは悪くない」

 

 妖弦の騎士、トリスタン。

 潰した目は開かない。代わりに残る全感覚を以って敵を把握し、妖しく唇を歪ませた。

 静寂。それが何よりも恐ろしい。彼の独奏が始まれば最後、音は長大なる刃と化して世界に解き放たれる。

 とどのつまり、獅子王の最後の盾が彼らであった。

 

「この城の頂上に王はいる。今は太陽王との戯れに興じておられる最中だ。不意を討つ機会はこの瞬間にしかない」

「その淡い勝ち目ですらも、私たちが潰す。世界が閉じきるにせよ、砲撃が止むにせよ、耐え切ればこちらの勝利が確定する」

 

 どこか期待感に満ちた語調。

 彼らの言葉は絶望を与えるためのものではなく。

 敵対者の戦意と殺意を煽るためのものだった。

 ペレアスとべディヴィエールは同時に剣を差し向ける。

 

「それは時間稼ぎか? 回りくどい小細工なんてアンタらしくねえぞ、ラモラック。照れてるのか知らないが、はっきり言えよ。オレたちと殺し合いたいってな」

「トリスタン、貴方もだ。今の貴方が外的要因による粘り勝ちを望む性格であるはずがない。私たちを無様に叩き潰したいのでしょう」

 

 前者は昔、教えを受けた男をからかうように。

 後者は昔、友情を結んだ男を咎めるように。

 しかし、その反応は全くの同じ。ラモラックとトリスタンはからりとした笑みを顔に貼り付ける。

 それは嵐の前の静けさ。不吉な予兆がそわりと後ろ髪を引く、嫌な感覚。

 

「そうか。では望み通り────」

「────殺し合うとしましょう」

 

 地面が爆ぜる。

 大気が跳ねる。

 ラモラックは弾丸の如くその身を撃ち出し、トリスタンは銀なる妖弦を爪弾いた。

 獅子王からの祝福があるとはいえ、絶望的なまでの兵数差があるにも関わらず、二人は攻めることを選んだ。

 ラモラックは一直線に敵陣へ飛び込む。正面からの攻撃を防ぐ赤盾に守りを委ね、雷の如く躍りかかる。

 迎撃は逆効果。ラモラックの戦い方を最も知るペレアスが、貫手による刺突を受け止めた。

 その直後、ラモラックを取り囲むように斬撃、打撃、炎と矢の雨が襲いかかる。逃げ場のない飽和攻撃。常人の可聴域を超えた音が鳴り響き、それらは防がれる。

 トリスタンが放った音の凶器。銀のつるを指でなぞるだけでその攻撃は完了する。なればこそ、人数差はあれど手数の差は存在しない。むしろ上回りかねないほどだ。

 ベイリンは短い攻防から情報を得て、思考予測を完了させる。

 あの二人とまともに戦えば、自分たちは負ける。これは強さの問題ではなく時間の問題だ。奴らは間違いなく、勝利条件が整うまで時を稼いでみせるだろう。

 ならば、今すべきことは。

 思考と反射、本能と理性の一体化。ベイリンは誰よりも早く次手を講じた。

 無造作に伸ばされた手が、アーラシュの腕を掴む。

 

「来い。獅子王を殺す。貴様が必要だ」

「……は!? ちょっと待っ」

「援護しろ、カルデアのマスター!」

 

 返事を待たず、ベイリンは跳んだ。

 アーラシュの腕を掴んだまま、双剣の騎士は王城の外壁に取り付こうとする。

 

「悪くない手ですが、方法がいささか乱暴だ」

「『Wird』!!」

 

 妖弦の震えに先んじて、ノアの高速詠唱が紡がれた。

 数十層にもなる多重障壁が展開する。一言で幾重ものルーン魔術を発動する絶技。しかし、フェイルノートの矢は立て続けに障壁を破壊し、最後の一枚に到達する。

 防壁が切り裂かれる。その寸前、ベイリンは壁を足蹴に加速する。王城の窓を突き破り、二人は城内に転がり込んだ。

 

「私たちは獅子王を討つ。そこの二人を倒して追ってこい」

「俺は同意してないぞ!? だが、ああくそ、やるしかねえか! 頼んだぞEチーム!!」

 

 ラモラックとトリスタンを相手していては時間がなくなる。獅子王の不意を突くために双剣の騎士は動いたのだ。行動の意図は分かるが、問題はそのためらいのなさ。ジャンヌは歯ぎしりする。

 

「どんだけ自己中なのよアイツは……!? よく騎士なんて職業やってこられたわね!?」

「ふ、騎士とはそういうモノだ! 自由に愛しもすれば殺しもする、騎士道という曖昧な概念で取り繕っていても本性は獣と変わらん!!」

「話を広げすぎですよラモラック。貴方のようなろくでなしはそうそういない。私や他の騎士に迷惑です」

「どっちもどっちで迷惑だってこと分かってるのかしら、この二人は!?」

 

 言いながら、三蔵は如意棒を大きく振りかぶる。使い手の意に応じて間合いを伸ばす宝具の一撃は、トリスタンの脇腹を薙ぐ。

 しかし、ラモラックがそれを許さない。赤き盾が打撃を受け止める。盾が反射するのは衝撃そのもの。不可視の一撃が鞭のように荒れ狂い、周囲の建造物を倒壊させた。

 

「うわあ、やっちゃった! ごめんなさいみんな!」

「キャスターのくせにどういう筋力してんだ坊主女!? 片眼鏡野郎の動きは常に見てろ!」

「坊主女って……私の髪の毛はフサフサよ! 剃髪は嫌いなのよね、アレ!」

「良い心掛けです。女性の髪は大切にすべきですから」

 

 騎士の指が弦を鳴らす。

 地を走る音の斬撃。その先には立香。マスターを狙う一撃を、マシュは大盾の一振りで弾いた。

 

「言動と行動が真逆ですね……!! 先輩、大丈夫ですか」

「うん。私よりも、マシュも攻撃に参加しよう。手数が足りないと思う。私たちは魔術で身を守れるし……」

「駄目だ、キリエライトはここにいろ。ラモラックはともかく、トリスタンの攻撃は俺たちじゃ防げない」

「それでは、私が前に出ます。貴方から頂いたルーンの護符もありますし、ラモラック卿の気を引くくらいはできるかと」

 

 ノアはべディヴィエールの提案にも頷かなかった。彼の碧い目線はトリスタンの竪琴に注がれる。

 

「それも却下だ。そもそも、トリスタンの弓モドキと魔術は相性が悪い。さっき魔力障壁を蹴散らされたのが良い例だ」

「私は彼の手の内を知っていますが……トリスタンに魔術を無効化する技があるとは聞いていません」

「だろうな。あれは技じゃなくて武器の方の特性だ。フェイルノート、だったか?」

 

 楽器の種類として、楽弓というものがある。楽弓とはその名の通り、弓の弦を鳴らす楽器のことだ。その発生は新石器時代。世界最古の弦楽器であり、ハープやリュートに派生したと言われる。

 日本の梓弓もその一種。弦を鳴らすことで魔除けの儀を行ったように、音を立てるという行為と魔除けの儀式は繋がりやすい要素であった。

 西洋においても、教会の鐘や楽器の音は妖精や悪魔を退けるものとされていた。なればこそ、神秘の籠もりし騎士の旋律はあらゆる魔を裂く刃と成り果てる。

 トリスタンは甘く笑った。

 

「一度の攻防で見抜かれていたとは。これは仲間にさえも隠していた奥の手のひとつだったのですが。現代の魔術師も侮れませんね」

「何せ彼はカルデア最強グランドマスターだそうだぞ? ペレアスにはもったいないくらいだ」

 

 ラモラックは会話の最中もペレアスと打ち合っていた。横合いから放たれるジャンヌの炎を、三蔵の打撃を事も無げに捌き切る。

 両腕の籠手は時に槍と化し、時に刃となって敵を襲う。開いた五指の一撃は獣の鉤爪だ。さらには蹴り、投げ、極め技までもが織り混ざり、流れが途切れることはない。

 舞踏の連撃を、ペレアスは隅々まで見切って捌く。それはさながら演武。四方から襲い来る火炎も打撃も、赤き盾の騎士を飾り立てる演出に成り下がる。

 

「分かってねえなラモラック。あいつの下水道みたいな性格を! もったいないのはあいつの方だろ、オレは最優のセイバーなんだからな!!」

「クッ、貴様が最優だと? 冗談はそこまでにしておけ。長く生きたそうだが、おれにとって貴様はまだ尻の青い小僧だ!」

「年上には気ぃ遣えよ、礼儀って知ってるか!?」

「一年経ってもテーブルマナーを覚えなかった貴様から礼儀という言葉が出てくるとはな! その鼻っ柱、もう一度叩き折ってやる!」

 

 その意識がペレアスに傾いた瞬間、背後から毒の影が忍び寄る。否、忍び寄ると言うには動的すぎる不意討ち。無音で飛び込む短刀はラモラックの意識の隙間を縫い────

 

「……ッ!」

 

 ────毒の鮮血が空中に噴き上がる。

 静謐のハサンは左肩を深く切り裂かれていた。ラモラックは彼女を見てすらいない。反撃どころか防御すら間に合わないタイミングだった。

 それを見ていた人間がいたとすれば、

 

「大分場も温まってきましたね。そろそろ、ミドルパートに移るとしましょう」

 

 トリスタン。フェイルノートが撃ったのは静謐ではなく、ラモラックの盾。攻撃を反射する赤盾の性質を利用して、背後の暗殺者を射抜いたのだ。

 反響をも駆使する超常の技量。彼は赤き盾の騎士の舞踏に合わせるように、旋律を奏でた。

 

「『痛哭の幻奏(フェイルノート)』───!!」

 

 そして、二人の独壇場が始まる。

 縦横無尽に駆け抜ける斬音。疾風迅雷の速度で跳ね回る赤盾の騎士は、奏者へ近寄ることを許さない。互いが互いの一挙手一投足を予知し、鉄壁を成した。

 両陣営の数の差など彼らには有って無いようなもの。比類なき手数と射程を誇るトリスタンは敵陣を釘付けにし、ラモラックがそれを散らす。

 ラモラックとトリスタンはかつて本気で殺し合ったことがある。

 トリスタンとの槍試合を断られたラモラックはイゾルデに『不貞者が飲むと飲み物がこぼれる杯』を送りつける。当然怒ったトリスタンは、自らラモラックに決闘を挑むこととなった。

 血で血を洗う闘争。その戦いの決着がついたのは日が沈み、そして登り始めた後のことだった。両者はその武勇を認め合い、友誼を結んだのである。

 彼らを結ぶのは血濡れた友情。殺意と殺意をぶつけ合い、撒き散らしていく異形の連携。それに立ち入る隙は微塵もなく、見境なく他者を巻き込む。

 

「…………ク、ッ」

 

 口角が吊り上がる。喉が鳴る。

 

「ク、クッ」

 

 指が蜘蛛足みたいに狂い、弦を掻く。

 

「「────ク、ハハハハハハッ!!!」」

 

 哄笑、狂奏。

 きっと狂騒に、終わりはない。

 世界が閉じるまで、閉じてもなお、彼らは止まらないだろう。

 破綻していた者と破綻した者。ついぞ分かち合うことのできなかった醜さの美を理解した二人は、自分たちがそうであるように振る舞い続ける。

 それは断崖絶壁への道を全速力で走り抜けるかのような快感。いつか堕ちていくために全力を尽くす、破滅への絶頂。

 それが、べディヴィエールには、ひどく哀しく思えた。

 その行動がではない。

 その行動を好んで取る彼らの心根が。

 だって。ラモラックが、トリスタンが、今こうしているのは自分の過ちのせいだ。

 終わらせる。終わらせたい。

 彼らもまた、何かの果てを求め続けているというのなら。

 

「べディヴィエール卿」

 

 柔らかな一言で、現実に引き戻される。

 終わらせると言っても、この体で何ができよう。円卓の騎士に見合わぬ実力。肉体を駆動させる燃料(たましい)は風前の灯火だ。

 

「あなたはとても重いものを抱えているのでしょう。私、ほんの少しだけ人の心を読めるのですが、その力を使わずとも分かります」

 

 見神の詩人、ダンテ・アリギエーリ。

 彼の口調は諭すでもなく、宥めるでもなかった。ただただ、包み込むように優しく言った。

 

「私たちに、その荷を軽くする手伝いをさせてください。これでも、厄介事を背負い込むのには慣れていますので。詳しくは神曲を読んでください」

「か、感謝致します。ですが」

 

 言いかけた騎士の肩を、拳が叩く。割と強めに。しかも生身の方を。

 

「ここに来て無粋なこと言おうとしてんじゃねえ。おまえは俺たちの施しを黙って受け取ればいいんだよ」

「そうですよ。ヘタレで腰抜けのダンテさんがここまで言うんですから、応えてあげないと。マシュもそうでしょ?」

「はい。他人を助けるのはEチームの得意技です。ダンテさん、策は?」

 

 ダンテはこくりと首肯し、短く打ち合わせをした。

 時間にして一分にも満たないやり取り。ノアは獲物を前にしたケダモノのように獰猛に笑み、仲間たちへ声を飛ばす。

 

「───決着をつけるぞ! 俺たち五人はトリスタンを片付ける。おまえらはラモラックを仕留めろ! しくじったらぶっ飛ばす!!」

 

 ペレアスたちは目を剥く。が、それは一瞬。

 

「簡単に言ってくれるじゃない……!!」

「───ですが、時間がありません」

「そうね、やるしかないわ!」

「お前らこそしくじるなよ!」 

 

 ───これより。最後の狂奏が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 べディヴィエールは懐の小さな重みを確かめた。

 目標は鳴弦の源、トリスタン。不可視の斬撃が荒れ狂う死の渦へと、身を投じなくてはならない。

 ラモラックの妨害は考えない。決着をつけると言ったのだから、仲間たちは確実に赤き盾の騎士を押さえつけてくれているはずだ。

 その距離は約45メートル。人間の身とはいえ、ノアと立香、ダンテからありったけの強化を貰っている。数秒も掛からずに到達できるだろう。

 だが、その数秒でトリスタンは無数の攻撃を放つことができる。仲間の援護を鑑みても、少なくとも四度、命を賭す場面が訪れる。相手が距離を空ける可能性もあるが、それは考慮の内だ。多少の間合いなら、ダンテの策は通用する。

 短く息を吐き、べディヴィエールは踏み出す。

 

「死に急ぐつもりですか、べディヴィエール!」

 

 10メートル地点。最初の死地。全身を突き刺す殺気に肉体は勝手に動く。横薙ぎの音波を極限まで上体を屈めて躱す。

 これはトリスタンの戦法を熟知しているからこその奇跡だ。近づけば近づくほど攻撃は速くなる。もう二度と自力の回避はできない。

 

「────は、あっ!」

 

 18メートル地点。二度目の死線。今度は無数の音の弾丸が襲う。どこに逃げようが確実に死ぬ。故に前に進むしかない。

 

「ここはわたしが!」

 

 少女が空中で翻り、疾駆する騎士のために盾を捧げる。音の弾幕はコンクリート壁に水風船を叩きつけたみたいに拡散した。

 続いて、25メートル地点。三度目の窮地。物体の反響を利用した、全方位からの一斉射撃。過たず騎士の肉体は肉片の山となるだろう。

 

「元素変換。風は我が意に従え」

 

 騎士の周囲から空気が奪われる。局所的な真空状態。振動を伝える媒質がないため、音の刃は無に帰した。

 そして、31メートル地点。最後の難局。トリスタンに次の手は打たせない。三度目を凌いだ時点で、少女は王手を指していた。

 

「『瞬間強化』、『緊急回避』!」

 

 筋力と敏捷の爆発的な飛躍。最高速を遥かに超える加速は相手の目算を誤認させ、一気に彼我の距離を詰める。

 代償はある。肉体の強度を飛び越えた強化によって、骨は軋み、筋繊維は千切れ、血は沸騰していた。

 ただし、それでも、べディヴィエールはトリスタンへの接近を成し遂げ、

 

「虚仮威しですよ、それは」

 

 妖弦の音が響く。斬撃が巻き起こり、義手の騎士を真っ二つに両断する。相手が向かってくるというのなら好都合。手札を使い切らせたと見せて、こうして罠を仕込んでおくだけでいい。

 これこそが円卓の騎士。

 たとえ如何なる状況でも、致命の一手を仕込む。彼には油断はなかった。

 トリスタンに誤算があったとすれば。

 

「貴方ならこうすると、信じていました────!!」

 

 彼もまた、心を通わせた友であったということ。

 べディヴィエールは最後の最後、相手の手を読んで体を捻っていた。結果、被害は左腕の喪失。おびただしい量の血を迸らせ、彼は懐に忍ばせた右手を空中に掲げる。

 ばさりと何かが舞う。視覚を失ったトリスタンには見えなかったそれは、詩篇が書きつけられた幾枚もの紙だった。

 詩人は、呟く。

 

 

 

 

「───『至高天に輝け、永遠の淑女(ディヴァーナ・コンメディア)』」

 

 

 

 

 世界が塗り替わる。

 白く白く、無上の愛が満ちた天界へと。

 そこに到達するのは、べディヴィエールとトリスタンの二人きりだった。

 天に咲く大輪の白薔薇。無数の聖人と天使の魂で構成された薔薇より、二人を祝福するかのように花弁が振り落ちる。

 

「…………な、っ」

 

 驚愕の声すら出なかった。

 敵に必殺の結界宝具があることは知っていた。山間の村を襲撃した際、詩人はラモラックに向けて自身の手の内を晒したのだ。

 ブラフであることは警戒していたが、それでもこの事態は異常に過ぎる。

 

「術者を内包しない固有結界…………そんなものが存在し得るはずがない!!」

 

 固有結界とは術者の心象風景の投影。自らの内界を外界と入れ替える、魔法に近い大魔術だ。そして、自分の内側に在るモノを自身を起点に外に展開する原理上、術者は必ず結界の内部に収納されていなくてはならない。

 この宝具は、その大原則すら無視している。純白の結界は術者本人ではなく、紙片を起点に展開しているのだ。

 べディヴィエールは荒々しい息を吐いた。

 

「ありえない……本当にそう思いますか。貴方も詩人ならば、分かるはずだ。いいや、分からないとは言わせない」

 

 ダンテにとっての詩とは。

 永遠の淑女へ捧げる愛であり。

 読み手に伝える魂の情動であり。

 自分自身の心を表現する写しであった。

 

「あらゆる難行が不可能なまま、実現可能になる星の開拓者───彼がそうであるから、と理屈付けるのは簡単でしょう。けれど、彼にとって詩とは魂の感情を、心の熱量を紙上に写したモノだったのです。固有結界が心象風景を投影するのであれば、彼の詩こそが中心となっても何らおかしくはない!!」

 

 トリスタンは唇を噛み、竪琴の弦に手をかける。

 

「だから、どうしたと言うのです。私の武器はここにあり、私の指はまだ動く。死に体の貴方ひとり程度、道連れにするのは造作もない」

「そうしたいのなら、そうすればいい。ですが、トリスタン……貴方にはあったはずでしょう」

 

 永遠の淑女が温かな光とともに降臨する。べディヴィエールは血に染まった肩の断面を強く握り、言葉を紡いだ。

 

「恋しい誰かへ抱く愛が、王のために懸けた魂が、王国の民を救おうとしていた心が!! 貴方を貴方足らしめる理由を忘れて死ぬなど、私は決して許さない!!」

 

 こぼれる、熱い涙。

 こめかみに銃弾を撃ち込まれたかのように、トリスタンは揺れた。

 イゾルデという二人の女性がいた。

 ひとりは美しい金の髪の王妃。

 アイルランドへ向かう船の途中、媚薬によって心を掻き立てられたトリスタンと王妃イゾルデは愛を重ね、心を通わせた。

 もうひとりは王妃と瓜ふたつの王女。

 トリスタンは金髪のイゾルデへの想いを断ち切るため、ブルターニュの王女であったイゾルデと結婚する。

 しかし、彼はその女性───白い手のイゾルデを心の底から愛することができなかった。かの王妃と紡いだ恋情が燻り続けていたから。

 最期、トリスタンは白い手のイゾルデの嫉妬によって命を落とすことになる。

 ……思えば、当然の帰結だ。

 王妃と道ならぬ恋に落ち、その思い出を払拭するために王女と結ばれた。

 

〝王は人の心がわからない〟

 

 ひとりの人間もまともに愛せぬ男が、どうしてそのような言葉を吐けるのか。

 本当に人の心が分からなかったのは自分だ。そうでなくては理屈が通らない。人の心がわからないなどと言えるのは、人の心の痛みがわからないからだ。

 だから、獅子王に跪き、外道に堕ちた。

 それもこれも、人の心が───自分の心さえ理解できていないからなのだろう。

 

(嗚呼、それでも)

 

 こんな自分でも。

 誰かを慈しむことを、諦めなくても良いのだろうか。

 

「…………べディヴィエール」

 

 心をほぐすような声。

 トリスタンはべディヴィエールの頬に手を伸ばし、友の涙を拭い取る。

 ───そうだ。こんなにも簡単なのだ。泣いている誰かの涙を、拭うことは。

 

「王を、どうか救ってほしい」

 

 こんな私のために泣ける貴方なら、きっと。

 騎士は、微笑みと一緒に消えた。

 

 

 

 

 

 

 ラモラックは一層笑みを深める。

 その原因はまさに目の前、輝きを放つ女にあった。

 

「『記別(きべつ)旃檀功徳(せんだんくどく)』……!!」

 

 玄奘三蔵の切り札、第二宝具。

 中国の神話・伝承では長く生きた動物や修行を行い徳を積んだ人間が、龍や仙人に変身することが多い。

 三蔵法師もそのひとり。彼女は天竺の霊山にある川を渡る際、常人の肉体から仙人や仏と同じ体に昇華した。

 そして、釈迦如来から旃檀功徳仏に成るという記別を与えられたのである。つまり、この宝具は人の体を捨て、仙人と仏の体を得るという存在の変革に等しい。

 三蔵はかつてない速度でラモラックの裏に回る。一瞬で視界外へ脱出した彼女の気配を感覚で捉える。背中を狙った掌底にカウンターの手刀を叩き込んだ。

 が、僧侶の体はびくともしない。鳩尾を打った感触はまるで鋼鉄の大地のようだった。

 数瞬先に旗の穂先と毒の刃が迫る。その予感のままに飛び退くと、その通りに二つの武器が空を切る。

 三蔵が得たのは身体能力の向上と無類の耐久力。だがそれは、命を燃焼させることで実現する最期の悪あがき。上昇する力に反比例して、生命力は刻一刻と目減りしていた。

 何としてでも敵を倒す。それが、玄奘三蔵の覚悟だった。

 

「……貴女は美しい」

「あら、それはどうも。ひねくれてる人かと思ったら、案外素直なのね」

「女性に対する礼儀は真摯であることが真髄だと、色好きの父親に教わった。ああ、もちろんそこの少女たちも可憐だぞ?」

「アンタに褒められてもクソほど嬉しくないわね!」

 

 炎の舌が大地を舐める。まともに喰らえば死ぬ攻撃だが、ラモラックにとっては容易い。体勢を変えるだけで、後は盾が反射を実行する。

 盾が炎を吸収し、そっくりそのまま叩き返す。この隙を見逃す相手はここにはいない。騎士の意識が防御に移りかけたその時、

 

「お、らぁ───っ!!」

 

 ジャンヌは空気を殴るように右手をかざす。噴き出す黒炎は反射された炎を呑み返し、ラモラックを焼きにかかる。

 反射よりも高い威力の攻撃で敵をあぶり出す力技。莫大な火力を有するジャンヌだからこその無茶苦茶だ。

 

「ククッ! なんと剛毅な少女よ!」

 

 空中に跳び上がった騎士を、如意棒の一突きが刺す。斜め後方、腎臓を打ち抜く軌道に指先を合わせ、力のベクトルを変更する。

 盾の裏側を棒の先が突く。過たずそれは反射し、三蔵の足元を貫いた。

 

「チッ! 今ので焼かれときなさいよ、ヒラヒラ片眼鏡!」

「こんなにも楽しいひと時を終わらせるわけにはいかぬな! おれは何日でも何ヶ月でも続けられるぞ!」

「その前に世界が閉じるじゃねえか! 何言ってんだ戦闘狂!」

「円卓の騎士だけあってアホなのね、この人も!」

 

 苛烈さを増す攻めの嵐を、ラモラックは物ともしない。

 彼の言葉に嘘はない。獅子王の祝福『無尽』。騎士は無限に尽きぬ体力を与えられているのだ。

 サーヴァントであろうが、戦闘を行えば疲弊する。疲れは意識を鈍らせ、技の精度を低下させ、身体機能を鈍化させる。

 ラモラックにそれはない。常に意識は冴え渡り、最高の技を繰り出し続けることができる。生前、限られた体力でも四人の円卓の騎士と三時間戦い抜いた強さは、陰ることすらない。

 静謐のハサンは敵の間隙を見抜くために目を凝らす。

 直接戦闘であの中に割って入る技量はない。暗殺者ならば、最期まで暗殺者らしく戦う。

 長期戦と防戦に長けたラモラックはこの状況下では悪夢のような相手だ。故に、命を懸けるのはこの場面。毒の身であっても、誰かを護れることを証明しなくてはならない。

 命を懸ける時は漫然と懸けてはならない。命を懸けることと命を捨てることは同義ではない。同じ死に向かう行為だとしても、目的とするものが違うからだ。

 ラモラックに致命の隙を作り出す。そのために、暗殺者は跳んだ。

 騎士の頭上から奇襲をかける。短刀の刺突は見るまでもなく躱された。だがそれでいい。本命はこの後だ。

 貫手が振りかざされる。静謐のハサンは、それを避けることをしなかった。

 

「皆さん、お願いします───!!」

 

 血の華が咲き誇る。

 少女の体は魚の開きの如く四散し、紅き毒を散らした。

 

「……!」

 

 赤き盾の騎士に降り掛かる鮮血。血で彩る死化粧。血液の流れが遅滞し、後頭部を殴られたみたいに世界が揺れる。

 静謐の毒とはそういうもの。抗い難く、暴力的な血毒。常人ならばこの時点で命を絶たれていただろう。が、ラモラックは強靭な精神力で意識の純度を取り戻す。

 少女の体を貫いた右腕を引こうとするが、その動きはあまりに緩慢。静謐のハサンは臓物までもが毒。籠手の隙間からこぼれ落ちた血と肉片が、右腕の自由を奪っていた。

 致命的な隙。ラモラックがそれを自覚した頃にはもう遅く。空に、ひとりの僧侶が舞い上がっていた。

 

「『五行山・釈迦如来掌』!!」

 

 三蔵法師、最期の真名解放。

 全存在を注ぎ込んだ掌底が、騎士の五体を砕き散らす。

 

「『我が驍勇の前に敵は無し(キャバルリィ・オブ・フェイス)』」

 

 ラモラックに残された最期の意地。宝具の盾と少女の体を咄嗟に防御に回し、掌底への備えとした。

 しかして、彼はゴム鞠のように打ち出された。何度も地面をバウンドし、王城の門に突き刺さる。

 掠れた視界が捉えるのは、接近するペレアスの顔。ラモラックは血を吐き出しながら、大いに笑った。

 

「ここからが本番だ! なあ、そうだろうペレアス!!」

「───いいや、アンタに付き合ってる暇はねえ」

 

 赤き盾の騎士は右腕を振りかざす。

 とうに感覚もなく、小指一本すら動かない肉の塊を。

 それは全身の回転で鞭のように腕を振るう荒業だった。

 動かない、だからこそ意表を突ける。

 血に塗れている、だからこそ毒を与えられる。

 しかし、その肉の鞭は炎を纏った黒剣に焼き切られた。

 

「…………ようやく一発! ブチ当ててやったわ!」

 

 竜の魔女が投擲した剣。刀身の炎が切断された腕に燃え移り、一瞬にして炭と化す。

 それで、終わりだった。

 

「『運命絶す神滅の魔剣(ミストルティン・ミミングス)』」

 

 魔剣が赤盾ごと騎士の心臓を貫く。

 ごぶりと喉から血が溢れ出す。胸元を赤く染め、騎士は純粋に微笑んだ。

 

「まさか、おれを殺すのが貴様だとはな」

「ただの成り行きだよ。偶然こうなっただけだ」

「……ハ、ロマンを理解せんやつだ。それこそを運命と人は表現するのだろう」

「かもな。アンタとの運命なんて、背筋が寒くなるぜ」

 

 脳裏に蘇る、過ぎ去りし日々。

 

〝貴様が湖の乙女と結ばれた男か? 若いのだな。丁度いい、相手がいなくて困っていたところだ。訓練場に来い、殴り倒してやる〟

〝なんでだ!!? キャメロットに新人いじめがあるなんて聞いてね……ないですよ!!〟

〝そんな陰湿なことをする人間はいない。ただ単に、おれが体を動かしたいだけだ。ああ、貴様は真剣を使うと良い。それくらいのハンデはくれてやる〟

〝せ、先輩だからって舐めやがって……!! 吠え面かくことになっても後悔すん、しないでください!〟

〝敬語も使えんのか、貴様は。呆れた〟

 

 幾度となく刃を、拳を交わした。

 自分が持つ技を叩き込み、鍛え上げた。

 彼に興味を惹かれた理由は、今となっては分からない。

 けれど、考えてみるとしたら、それは一種の憧憬だったのかもしれない。まともな恋をできず、真っ当に人を愛せぬ自分と、まるで対極にいるのがこの男だったのだ。

 ラモラックはペレアスの頭を左手で寄せ、額を合わせる。

 

「勝てよ。おれを殺したからには」

「アンタに言われるまでもねえよ。……師匠」

 

 ズッ、と魔剣が引き抜かれる。

 それとともに左手は落ち、瞳の色は虚ろになっていく。

 朦朧とする意識で、ペレアスたちが玉座の間を目指していくのが見えた。

 

(ああ、くそ)

 

 ……今になって思い返すのが、貴様の記憶か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凍てついた月明かりが射し込む寝室。

 甘く色づいた空気が室内を漂う。

 熱く乱れた閨の上で、女はじっとりと濡れた肢体を起き上がらせた。

 

〝…………何を、見ているの?〟

 

 なまめかしく動く唇。引かれた紅は薄くなっている。

 窓辺で空を眺めていた男は言う。

 

〝月だ。今宵の月は美しい。貴様なんぞより、よほどな〟

〝そう、でも良いわ。あんな石ころ、大きいだけで抱かれることもできないんだから〟

 

 女の声には確かな嫉妬があった。単な諧謔ですら、虚しき月にすら、女は妬みを覚えるのだ。目の前の男を独り占めしているという事実が揺らいでしまいそうで。

 何よりも揺らいでいるのは、女の方だというのに。

 

〝行くのね〟

〝ああ〟

〝殺されるわよ〟

〝それが、どうした〟

 

 女は一瞬詰まり、声に深い憎しみを織り交ぜる。

 

〝……アルトリアなんかのために?〟

〝我が王の名誉がかかっている。……次、侮辱をすれば殺す〟

〝────そ、う〟

 

 その瞬間、女は枕元の短剣を握り、男の背を突き刺しにかかった。

 混じり気のない純粋な殺気。女は、愛し合った男に本気の殺意を抱いていた。

 男の手が刃を掴んで止める。鍛え抜かれた五指には掠り傷すらついていない。

 

〝何故、刺そうとした〟

 

 白刃を握り潰す。女は悪びれもせずに答えた。

 

〝あの女のために死ぬくらいなら、私があなたを殺すわ〟

 

 男は、自分の口元が吊り上がっていくのを感じる。

 

〝……ええ、あなたがここで死ねば、あなたの心にいたのは私だけ。あなたの忠誠がアルトリアに向けられているのが許せない。あなたの力がアルトリアに捧げられているのが許せない〟

 

 それは妹に対する怨嗟の声だった。

 王の地位を奪った挙句、男さえも従えるのかと。

 

〝だから、殺すの。そうしたらあなたの全ては私のもの。アルトリアには、少しだってくれてやらない……!!〟

〝───ク、クククッ〟

 

 男は女の首を右手で掴む。

 

〝良いぞ、やはり貴様は(うつくし)い! どこまでも低俗な魔女め!〟

〝こんな私だから、愛したのでしょう〟

 

 唇を押し付け合う。女は男の唇に歯を突き立て、溢れた血を舌ですくい取る。

 そうして、血で紅を引き直す。妖艶に顔を上気させていた女はしかし、徐々に熱を失い、男の胸に顔をうずめた。

 妖女は、か細い少女のような声で、

 

〝死なないで。いかないで。私をひとりにしないで〟

〝…………それは無理な話だ、モルゴース〟

 

 そうして、男は死んだ。

 王の名誉のために向かった槍試合の帰り道。四人の仲間たちに襲撃されて。

 

「───くだらん、人間、だ」

 

 嗜虐心が掻き立てられる。

 冷たい体に血が通う。

 この命を一片までをも王に捧げきったとしたら、あの女はどんな醜さを見せてくれるだろう────?

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