自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第57話 最果ての王と円卓の騎士 後編

 

〝神よ、私の霊をあなたの御手に委ねます〟

 

 現代よりおよそ二千年前。その男が十字架に架けられたその時、私たちは神代が終わりゆくのを確信した。

 ヒトはヒトの手によって、自らの救いを切り捨てた。茨の王冠を被せ、その体を鞭打ち、罵詈雑言を吐き捨てた。それでも人類に救いがあるとすれば、その男がどこまでも自己犠牲を貫き通したことだろう。

 彼は人間が生まれながらにして背負う原罪を己の死と引き換えに持ち去った。アダムとイヴの失楽園から続く宿業に終止符を打ったのだ。

 ……それで、何が変わった訳でもないが。

 人間は人間を殺し、犯し、奪う。その性だけはいつまで経っても変わらない。おそらく人間が最後のひとりになるその日まで、殺戮の輪廻は止まらない。

 選定の剣を抜いた理想の王とて、その螺旋の一部分に過ぎなかった。

 神代の終わりを担う王。

 赤き竜の因子を宿す子。

 当時の私にとって彼女とはその程度の認識でしかなく、聖槍を始めとした聖遺物を与えたのもそうする必要があったからそうしただけだった。

 どうやら、私たち姉妹の考え方はそれぞれ少し違うらしい。最初に産まれた私は精霊としての感性が強く、リースは半々、末の妹は人間としての感性が勝るようだ。

 だから私にヒトを愛することはできなかった。できないものだと諦めていた。

 けれど。

 あの王は、私に美しいものを見せてくれた。

 純白の装束を纏い、ヴァージンロードをゆく花嫁。

 人と人ならざる者の恋は悲劇に終わるというのが筋だけれど、少なくとも今の彼女には輝かしい未来に祝福されていた。

 願わくば、彼女が選んだ人間と添い遂げられるように。潤んだ視界で、そう希った。

 

〝新婦リース。貴女は病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し敬い、慈しむことを誓いますか〟

〝はいっ! 何兆回でも誓いますわっ!〟

〝……新郎ペレアス。貴方は病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し敬い、慈しむことを誓いますか〟

〝ち、ちちちち誓います〟

 

 後で聞けば、それはランスロットやガウェイン、べディヴィエールが仕込んでいたことだった。義弟と妹のために神父役を王が務めていたのだ。

 ガウェインには罪悪感があったのだろう。古きケルトの末裔たるエタードに媚薬を盛られていたとはいえ、まあ、あんなことがあったのだから。……いや、うん、巻き込まれただけな気はするが、そこは仕方ないだろう。特に言うことはない。私はそういうことに興味がないから。ないと言ったらない。

 私が造り出した氷の塔。祝宴で騒ぎ立てる人間たちを、王は遠巻きから眺めていた。

 

〝……驚いたわ。あんなことをする王を見たのは初めてよ〟

〝部下の慶事を祝わぬ王が何処に居りましょうか。彼は未だ国が安定しない時期に、私の異民族との初戦を勝利に導いた功労者です。これくらいの報いは受けて然るべきです〟

 

 彼女は僅かに微笑んでいた。張り詰めた表情が弛緩しただけとも取れるが、それは確かに笑みのようなものに見えた。

 そうか。この人間は誰かの幸せで心を満たすことができるのか。

 

〝人の子は王冠を被ると変わってしまうわ。元の人格は関係ない。王冠の重さに押し潰されて、人は人でなく王という生き物になってしまう。あなたは今、どっちなのかしら〟

 

 意地悪な質問だと分かっていても、訊かずにはいられなかった。王冠がもたらす力が智者を愚者にしてしまうのを何度も見てきたから。

 ひとつの国の頂点に立つということ。その魔力は私が知るどんな魅了の魔術よりも質が悪く、抗い難い。

 

〝……分かりません。ただ、日に日に体の中を巡る血の温度が冷たくなっていくのを感じます。これがきっと王になるということなのでしょう〟

〝それじゃあ、あなたは───〟

〝ですが、私はそれが誇らしい。私は人のための王になりたい。そのためなら、この身が鉄となろうと、力を尽くしてみせます〟

〝…………それが、あなたの結論?〟

〝はい。先に、どんな運命が待ち受けていようと〟

 

 …………ああ、あなたは、悲しい人なのね。

 あの子の愛は広すぎる。誰にも平等に分け隔てなく注がれる愛など、神のそれと同じだ。そんなものを人間が持ってしまったなら、行き着く結末は見えている。

 あの子にとって王とは、自らを国を動かす機関とし、法と秩序を体現する存在だったのだろう。歯車に成り果てる前の王にはどこか、あったかもしれない別の未来の少女の姿が重なっていた。

 そして。白百合の少女が鋼鉄と化したのは、そう遠い日ではなかった。

 ───とある城壁。獣と人の境界を分かつ絶対防衛線。私は、満天の星空を見上げていた。夜の清涼な風が体を撫でる。纏められた二つの髪束がそよぎ、吐く息が空気に溶けていく。

 聖槍の鼓動が聞こえる。私にはあのロクデナシほどの千里眼はないけれど、槍の元々の所有者は私だ。その繋がりを辿れば、別の場所を覗くことくらいはできる。

 

「それでもまだ、違う結末を望めるのなら───」

 

 祈りを捧げよう。

 義弟のために。

 リースのために。

 そして、一等輝く星のために。

 

「───きっと、あなたたちは善い未来に辿り着けるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖都中心部。

 かつて絢爛を誇っていた王の城は見る影もなく崩壊していた。戦場の喧騒は既に絶えている。赤き竜の咆哮により、大半の兵が魂を砕かれたためである。

 もはや軍勢の激突はない。必然的にこの特異点の決着は二つの戦場に委ねられた。

 聖槍の女神、そして太陽の騎士ガウェイン。かつて騎士王だったモノと、王に無上の忠誠を捧げた騎士。諦観された理想を成し遂げんとする主従は、聖槍聖剣を携え敵を望む。

 最果ての地における最後の決闘。湖の乙女の加護を受けた騎士ペレアスとそのマスターは、聖都に残された最後の円卓の騎士に向かい合う。

 

「ノア、ファヴニールと戦う前に話したこと覚えてるか」

「竜殺しはガウェインやランスロットに並ぶ武功っつう話だろ。それがどうした」

「もしオレがガウェインに勝ったらどうなる?」

 

 ペレアスは好戦的に口角を吊り上げた。仲間を手にかけることを躊躇することはない。各々の立場の違いがあるし、一度殺し殺された程度で変化する関係性でもないからだ。

 ノアはぶっきらぼうに返した。

 

「別に」

「おい、おい」

 

 臨戦態勢のガウェインを他所に、二人は顔を突き合わせる。

 

「マロリー版によるとおまえはガウェインより強いんだろ。むしろ勝つのが普通だろうが。ああ、もしかして負けるかもとか心配してんのか? 随分小せえ性根してんだな」

「はあ!? 誰がそんなこと言った、やる前から負けることを考えるアホがいるか!」

「おまえ」

「ガウェインより先にぶっ倒してやろうか?」

「あの、お二人とも。敵前ですわよ?」

 

 碧と蒼の視線がバチバチと火花を散らす。良い年した大人が睨み合うその様は、ガウェインを置き去りにして殴り合いを始めかねない殺気を放っていた。

 止めるべきか否か。湖の乙女が居心地の悪い気分を味わっていると、くすりと小さな笑い声が重なって響く。

 その発生源はノアとペレアス。彼らは弾かれたように向き直り、同じ敵を視界に収める。そこに直前までの刺々しい雰囲気はなかった。

 湖の乙女は胸を撫で下ろす。これは要はいつものじゃれ合いだ。太陽の騎士を相手にしても、二人の振る舞いは全く変わっていない。

 

「負ける気なんざ微塵もねえ。オレとお前が揃って勝てない奴が今までにいたか?」

「これからもいる訳ねえだろ。まあ、ほとんど俺の手柄だがな。おまえは俺のおこぼれに甘んじてろ」

「そりゃお前の方だろうが。何なら後ろで見てるだけでもいいぞ、マスターらしくな」

「ナメんな。俺を誰だと思ってんだ?」

 

 そんなことは言われなくても知っている。カルデア最強というふざけた自称。これまでは否定していたし、これからだって納得することはないだろう。

 だが、今この時だけは。

 

「……だったらオレは、カルデア最強セイバーってところか?」

「俺のサーヴァントならそうであって当然だ。()()()()()()()()()()()()ぞ」

 

 令呪の光が解き放たれる。自らの従者に捧げる、マスターが持ち得る最終手段。虎の子の三画は全て、その一言に費やされた。

 同時に、紅き甲冑がペレアスを覆う。

 それはベイリンとベイラン、そして名も無き戦士たちの想念が継承された鎧。その形に以前の禍々しさはない。流麗な曲線で構成された騎士の戦装束だ。

 主従は力強く拳を合わせ、

 

 

 

「「行くぞ─────相棒」」

 

 

 

 ───弾丸の如く、走り出す。

 真紅の砲弾が迫り来る。その初速は日輪を負いしガウェインにすら驚異的。令呪と鎧により、ペレアスは目覚ましい進化を遂げていた。

 ガウェインは思わず目を細めた。戦場においてそれがどれほどの愚行であるかなど百も承知だ。が、太陽を肉眼で捉えた時のようにそうしなくてはいられない。

 太陽よりも輝くものが、そこにあったから。

 

(眩しいですね、貴方たちは)

 

 きっと彼らは多くのものを背負っているのだろう。自分の命、全存在を獅子王に捧げたガウェインが背負うのはただひとつ、王への果たされなかった忠誠のみ。数では及ぶべくもない。

 その道が愚かだと分かっていながらも、太陽の騎士は剣を執ることを選んだ。無数の人間の命よりも、王への忠誠を取ったのだ。

 故に。背負う想いの数で負けていようと、懸ける想いの重さで負けるつもりはない────!!

 

「おおおおおっ!!」

 

 魔剣と聖剣が交差する。

 神殺しの魔剣と太陽の聖剣の衝突は互角。

 みしりと両腕の感覚が吹き飛ぶ。ペレアスとガウェインはそれを意に介さず、次撃を放つ。

 言葉は要らない。

 互いの正しさはもう伝わった。

 これは相手に理解を求める馴れ合いではなく、自分の正義で敵をねじ伏せる戦いだ。そこに感傷や同情は存在しない。

 力が全てを決する場。野蛮と罵られようが、前時代的とそしられようが、それが今も変わりない戦場の真理だ。

 剣戟が折り重なる。蒼天に響き渡る刃鳴り。一合ごとに激しさを増す剣舞は静謐の空気を纏っているようですらあった。

 騎士たちは想いの丈を己が剣に注ぎ込み、一刀を叩きつける。

 この状況は令呪の強化があるからこその拮抗だ。令呪の効果は単純に膨大な魔力による強化だけではない。マスターからサーヴァントへの召命を兼ねた、概念的な存在の昇華だ。英霊の強化手段として、令呪ほど効果的なものはないだろう。

 望むのは短期決戦。拮抗した天秤をこちらへと傾け、勝利へ導く───その役割を担うのはマスターの仕事だ。

 

(つまり)

 

 全身の魔術回路が励起する。

 人間という生物を、魔術を成すための機関へと造り変える。

 魔術回路を起動するイメージというのは人によって異なる。撃鉄を落とすような感覚もあれば、心臓をナイフで刺す感覚もある。ノアのそれは極寒の吹雪に足を踏み入れる感覚であった。

 手先が凍りつき、体を駆け巡る血潮が冷えていく。

 なれど、心は中天の日輪よりもなお熱く。

 

「俺が、ブッ壊す」

 

 天秤を傾ける、などと生易しいことをするつもりはない。

 ───騎士は騎士の戦いをしていろ。おまえらは所詮俺の脇役、主役の戦い方を教えてやる。

 刃を重ねる騎士たちの横に飛び出す。魔力を手の平に束ね、振り払う。

 

「『Wild』」

 

 白き光が炸裂する。騎士の戦いに水を差す、魔術師の一撃。自身のサーヴァントをも巻き込む爆発に対して、二人の騎士が取った行動は真逆だった。

 ガウェインは退き。

 ペレアスは前進する。

 光を裂く真紅の騎士と神殺しの刃。空を滑る白刃が、太陽の騎士の頬を掠める。紅き甲冑は爆破から着装者を無傷で守り抜き、一刀を浴びせるに至ったのだ。

 ノアは顔をしかめて舌打ちする。

 足りない。この程度では。

 今のは勝負にさざ波を起こしただけだ。そんなことでは、勝敗を決する天秤を破壊するには至らない。

 魔術師の原点に立ち帰れ。

 力を力として振るうだけならば、誰でもできる。遥かな過去、人間が人間となる以前、火を火としてしか扱えなかったように。

 人間ならば火を用いて鉄を鍛え、鋭き鋼としてみせろ。自分が持つ力を自覚しないままに扱うのは、知恵無き獣と変わらぬ蛮行だ。

 そのために必要なことはもう、分かっていた。

 ───最初に壊すのは、自分自身だ。

 縛られた思考からは自由な発想は産まれない。コペルニクスがプトレマイオスの宇宙観を脱して不動の地面を動かしたように、解き放たれた発想は常識を破壊する。

 魔術師ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドを縛る鎖とは、

 

〝すごいじゃないですか、投影魔術! エクスカリバーは無理にしても、かなり汎用性がありそうですよね〟

〝そんなことはない。効率の悪さが尋常じゃない上にどんなに長くても数分で霧散する。あんなもんを好んで使うやつはただの馬鹿か大馬鹿だ〟

 

 いつか、立香に語ったその言葉だった。

 

「……クソ。馬鹿は俺か」

 

 その常識を作ったのは何処の誰だ。

 何処かの誰かの常識に囚われていたのは自分だ。

 そして、閃いた。

 パラケルススとの魔術戦で生み出した高速詠唱術よりも、遥かに鮮烈かつ劇的な進化を。

 全神経全細胞を駆け抜ける稲妻。

 その場の誰も気付かぬほど密やかに。

 超常の才能が蕾を割り、花開く。

 

 

 

 

 

 

「────投影(トレース)開始(オン)

 

 

 

 

 

 

 脳髄から可能性を引きずり出す。

 たとえ一度も見たことのないモノでも。

 ───構成材質、想定。

 自身が抱く理想をカタチにする。

 それが魔術の本質であり、ヒトの可能性。

 ───無属性魔術、並列起動。

 この世ならざるモノを創る無属性魔術と、オリジナルの贋作を物質化させる投影魔術。その混成。それは自身が有する才能の本質の一端を、ノア自身に知らしめた。

 ───構成材質、創造。

 魔力が幾何学模様を描き、形作るのは黄金の腕輪。魔術師の両手首に顕れた金の輪は、淡く発光していた。

 

工程完了(ロールアウト)────『無限を象る黄金(ドラウプニル)』!!」

 

 それなるは北欧の主神オーディンが擁する神具。

 九つの夜を経るたびに、八つの同じ重さの腕輪を滴らせると言われる無尽の金。かつて闇の妖精ドヴェルグの兄弟が鍛造したソレを、ノアは現世に再現したのだ。

 斬り結んでいたガウェインとペレアスは脳の片隅でその光景を捉える。唯一彼を注視できていたのは、湖の乙女。人ならざる精霊は驚愕とともに呟く。

 

「……人の子の進歩は、目覚ましいですわね」

 

 奇しくも、ノアの脳内に響いた声はそれとは正反対の内容だった。

 

〝……バルデルス。白き神の名を冠するお前が、穢れ多き人間のようなことをするな〟

 

 かつての言葉を砕くように、地面を踏みしめる。額に青筋が立ち、冷えていた脳みそに煮え滾る血が昇る。

 バルデルス、つまりはバルドル。ヤドリギに射抜かれた不死の神は葬儀の際、父オーディンからドラウプニルを贈られた。その後、冥府のバルドルはオーディンに腕輪を返還するものの、不死の神もまたドラウプニルの所有者であったのだ。

 だからこそ、その神の名を継ぐ魔術師は黄金の腕輪を投影できた。

 

「うるせえな、クソ野郎……!! どうせテメエに付けられた名前なら、とことんまで使い倒してやらァ!!」

 

 それは原典ならぬ贋作。

 しかし。

 誰かが言ったのだ。

 偽物が本物に敵わないなんて道理はない、と。

 

「投影、『必勝の剣(フレイ・ヴェルンド)』」

 

 どぷん、と右の腕輪が波打つ。

 平たく細い黄金はやにわに変化し、一振りの剣を生じる。

 晴天の煌めきを宿すその剣はひとりでに震え、太陽の騎士へと飛翔する。剣戟の隙間を掻い潜る刺突。灼熱の聖剣はそれを強烈に弾き返す。

 中空に踊る晴天の剣。だが、その剣はくるりと向きを変えると、ガウェインの左肩に一閃を見舞った。

 

「ぐっ……!?」

 

 鈍痛が走る。身に装う白銀の鎧が軋みを上げる。剣は太陽の加護を受けた騎士を切断してはいなかった。万全であれば聖槍の一撃にも耐え得る彼の命を断つには力不足だ。

 けれど、恐ろしいのは剣の性質。一度弾いたにも関わらず、あの剣はガウェインを追尾した。物理攻撃故に、高い対魔力も意味をなさない。

 ペレアスとの戦いに注力していたガウェインにとって、それはこの上ない脅威だ。目の前の敵と打ち合いながら、死角から飛来する斬撃をも防がねばならないのだから。

 マスターの覚醒を目の当たりにし、ペレアスは紅い兜の下で笑った。

 

「ようやく調子が出てきたじゃねえか。どうだガウェイン、やるだろアイツは! 性格はゴミ溜めの底みてえな奴だがな!!」

「ええ、認めましょう。私は今まで侮っていました。彼は脅威です」

「だったら目ぇひん剥いとけ! 俺はペレアスごとぶっ飛ばしても構わねえからなァ!!」

「ふざけろアホマスター!!」

 

 晴天の剣が奪い取った間隙。ペレアスは相手を斬り伏せるべく、剣を大振りに薙いだ。

 太陽の騎士はそれを辛くも受け止めるとともに、衝撃を利用して後方へ跳び去る。

 間合いが開く。ガウェインは着地直後、深く腰を沈めて聖剣を構えた。

 ペレアスは瞬時に相手の意図を理解する。間合いを空けたのは立て直すためではない。ノアと自分を一手で殲滅するために距離を取ったのだ。

 

「ノア!!」

 

 その一言で、主従の意思は重なった。

 ノアの左腕に残された腕輪が液状化する。

 そこからは、同時だった。

 

「『転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)』!!」

「投影、『凍結の盾(スヴェル)』!!」

 

 燃え盛る炎の一閃。

 それはまさしく曙光の輝き。

 陽の欠片が地上に墜落したかの如き紅炎の波濤が地を焦がす。

 その前にはだかるのは一枚の盾。雪の結晶の意匠が彫られた氷の盾であった。

 スヴェル。語義は『冷やすもの』。オーディンの別名、グリームニルの歌にて、その盾はこう語られている。

 

〝輝く神、太陽の前に、さえぎり立つ楯はスヴェルという。それが落ちれば山も波も燃えねばならぬことをわしは知っている〟

 

 太陽の火と熱から、地上を守る盾。

 これは単純な攻撃力と耐久力の競い合いではなく、相性の問題だ。ならば、太陽の聖剣と凍結の盾の激突がもたらす行く末は決定していた。

 ガウェインとペレアスを分かつ、黒白のコントラスト。前者は焼けた大地に、後者は霜が降りた地面に立つ。

 スヴェルの盾は役目を終えて霧散する。いくつもの氷粒がノアの左手首に舞い戻り、腕輪の姿に変わる。

 

「単なる腕輪の形態変化ではない……北欧の神々が持つ道具を再現する。それが貴方の魔術の正体ですか」

「さあな。そこら辺の雑魚ならともかく、おまえに手の内を晒すとでも思ったか。ということでペレアス、俺の魔術講座を聞いていけ」

「遠回しにオレがそこら辺の雑魚って言ってるだろそれ!? おまえのうんちくなんか聞いてられるか!!」

 

 そのやり取りを見て、ガウェインは頬を緩めた。

 

「……ペレアス。貴方は、変わりませんね」

「流石はガウェイン卿。敵ながらあっぱれですわ。ペレアス様の魅力はたとえ何万年何億年経とうが色褪せないものなのですっ!」

「進歩のない地味男ってことだろ」

「お前は余計なことしか言えねえのか!?」

 

 ペレアスは突撃する。その姿はまるで何かから逃げるようだった。が、彼は騎士だ。意味なく攻めることはしない。

 ガウェインの背後に晴天の剣が忍び寄る。自動的に敵を追尾するフレイ神の剣に合わせて、ペレアスは魔剣を振るう。

 前後の挟撃。太陽の騎士は魔剣を聖剣で受けるとともに、腰から一本の帯を引き抜いた。

 苔むした緑の帯。それはかつて、魔女モルガンに呪われた騎士ベルシラックより贈られた礼装であった。その帯は蛇の如くフレイの剣に絡みつき、地面に縫い止める。

 

投影(トレース)解除(オフ)

 

 所有者に降りかかる災難を排する、緑の騎士の帯。それに絡めとられたのを見て、ノアは即座に剣の投影を解除した。

 しゃりん、と右手首に腕輪が戻る。

 やはり不完全。この魔術は発展途上。本物のフレイ神の剣ならば、いくら頑丈なガウェインと言えど一太刀で切断してみせただろう。

 元より、人間のイメージとは不安定で不完全だ。抽象を具象とする投影魔術に必要なのは、何よりも揺るがぬ想像力。滅多に扱うことのない魔術故に、練度が足りていないのだ。

 しかし、それはそれでやりようはある。

 ドラウプニルはフレイの金猪グリンブルスティとトールの鎚ミョルニルと一緒に創り出された。その製作者はドヴェルグという妖精の種族である。

 基本的に、北欧神話の神はその神性の象徴たる道具を己の手で創り出すことはしない。主神オーディンの槍でさえも、ドヴェルグが製造したモノである。

 つまり、北欧世界において神性を表す道具とは所有者を変えて当然なのだ。だからこそ、ノアは北欧神話の武具を贋作なれど投影することができる。無論、それは無属性魔術という要素があってのものだが。

 どうせ、それが原典に至らぬのなら。

 自らが思うままに、解釈するままに、作り変えてしまえばいい。

 

「ペレアス、次で決めるぞ。いい加減そいつをぶった斬れ!」

「言われなくてもやってやるよ───!!」

 

 ノアが術式を構築するまでの間。

 ペレアスとガウェインは幾度となく続けた剣舞を再開した。

 交わる魔剣と聖剣の閃き。両者の剣閃はまるで対象的だった。直線的な剛剣を放つガウェインと、それを曲線で絡め取るペレアス。

 喩えるならそれは、澄み切った水面を雷が穿つようなものだ。圧倒的な速度と威力の剣を、水はその表面だけで受け流す。

 湖の乙女とラモラックに教わった技の粋を完全に我が物とするその剣技は、ガウェインには見覚えのないものだった。

 相手の生きた跡が言葉を交わさずとも伝わる。

 ───私の分まで、貴方は生きてください。

 別れの間際、太陽の騎士は仲間にそう告げた。

 ペレアスは、その約束を確かに果たしたのだ。

 互いの剣が互いの五体を掠める。飛び散る鮮血。肉を裂く痛み。その時、ガウェインの想いが溢れ出した。

 

「私は、負ける訳にはいかない! 王を滅ぼしたのは私だ、私怨に囚われたが故に、私は王を殺した……!!」

 

 王はランスロットを赦した。妃を奪い、仲間を斬り殺した男に慈悲を示した。王の騎士たるならば、自分はその時点で全ての怨恨を捨てなければならなかった。

 だというのに、騎士は恨みを捨て去ること叶わず。カムランの丘に駆けつけようとしたランスロットの援軍を拒み続け、最期は彼から受けた古傷を打たれて死んだ。

 もし、あの時、ランスロットとともに戦えていたなら。

 王は、永き眠りにつくことはなかったのかもしれない。

 瞬間、ペレアスの左拳がガウェインの顔面を殴り飛ばす。真紅の騎士は兜を横合いに投げ捨て、汗に濡れた髪を掻き上げた。

 

「うるせえええええッ!! 何もかも自分のせいにすれば丸く収まるとでも思ってんのか若造が!! 仮にお前が悪かったとしても、お前を排除すれば上手く行くなんて風に出来てねえんだよ! なんたってこの世界は生身の人間が集まってできたもんだからな!! 言っとくが異論は認めねえぞ、ジジイの意見には素直に頷いとけ!!」

 

 どろり、と頬の内側から血が滲む。ガウェインはそれを飲み込みもせずに言い返す。

 

「人が人であるが故に王が滅びたというのなら……それでも私の考えは変わらない! 私は今度こそ、忠実な王の右腕として在り続ける!!」

「───お前が仕えてたのは、人間の王様だろ」

 

 胸を突き刺す言葉。喉元で声が詰まり、飲み込むのを待たずしてペレアスは言う。

 

「獅子王に仕えるのが悪いとは言わない。実際、オレたち(カルデア)の存在がなかったら最善手ではあるからな。だが現実はそうじゃねえ。魔術王っつう元凶がいて、そいつを倒せば人理焼却は丸く収まるらしい。…………だったら、騎士王と円卓がやることはひとつだろ」

 

 術式の構築が完了する。

 戦場の空気を塗り潰す気配。

 己のマスターを背に、サーヴァントは剣を握り直した。

 

「全員で力を合わせてソロモン王モドキを倒す!! オレが憧れた王様ならそう言ったはずだ、あのめちゃくちゃかっこいいエクスカリバーを携えてな! お前は円卓の騎士だろ、悪役なんざこれっぽっちも似合ってねえんだよ!!!」

 

 そして、最後の攻防が始まる。

 大気が鳴動する。

 大地が身震いする。

 右の腕輪が光の粒と化して散りばめられる。

 それは、ノアトゥールが現在行使できる魔術の中で最大最強。

 本来、魔術には派手な見た目も過剰な攻撃力も必要ない。ひた隠しにする神秘が露わになる可能性が高く、自らの破滅を招きかねないからだ。

 故にナンセンス。最大も最強も魔術師にとっては余計な修飾語でしかなく、自分の技はただ最高でさえあれば良い。

 だがしかし、特異点という場所であればそれは異なる。ましてや、相手がサーヴァントならばそれは尚更だ。神秘の露呈を心配することもなく、敵が人知を超えた英雄であるならば、最大や最強はこれ以上ない意味を持つ。

 無属性魔術と投影魔術の協奏。無色透明の魔力を有するノアだけが叶えられる絶技。異なる魔術の合わせ技を、かつてパラケルススは止揚魔術(サブレイトマジック)と名付けた。

 手法はとうの昔にできていた。それを使って、どう材料を料理するのかは魔術師の意向が左右する。

 

投影開始(トレースオン)────『炎星の首飾り(ブリーシンガメン)』」

 

 中空に輝く七つの蒼き恒星。

 それは豊穣の女神フレイヤでさえも魅了した首飾り。フレイヤはこれを手に入れるためにドヴェルグと一夜を共にし、オーディンの怒りに触れた。ベオウルフの物語を含めていくつかの文献に名を残すこの首飾りは、マクガフィンとしての役割を脱しきれてはいない。

 その語義は(ブリーシンガ)装飾品(メン)。美しき首輪は今此処に、敵を穿つ炎の星となって現れた。

 否、ノアの発想はそれだけには留まらない。彼は左の腕輪を解放する。

 

「『無限を象る黄金(ドラウプニル)』」

 

 告げられた一言は短く。

 拡大解釈と自己解釈の極み。九夜ごとに八つの複製品を滴る黄金の腕輪は、魔術師の意のままに歪んだ特性を行使した。

 

「…………ッ!」

 

 太陽の騎士は息を呑む。

 爽やかな青空を蒼き炎の光が暴力的に塗り替える。

 視線の先には、数十もの恒星が浮かんでいた。

 すなわち。

 ノアトゥールのドラウプニルは。

 ()()()()使()()()()()()()()()()()───!!

 

「────行け、ペレアス!!」

 

 計六十三個の首飾りが一斉に墜落する。

 流星雨を征くは真紅の騎士。

 理想の影を背負い続ける太陽の騎士を斬るため、彗星の絨毯爆撃へと身を投じる。

 ガウェインを倒すにはこれくらいはしてもらわねば困る。何より、自分のマスターであるならば当然だ。

 

「『転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)』……!!!」

 

 炎の斬撃が放たれる。

 流星雨から自身を守ると同時に、ペレアスを排除するための一手。中天の輝きを宿した炎の刃は、太陽の騎士に定められた限界をも超越していた。

 星の聖剣にも匹敵する一刀を前にしてもなお、真紅の騎士は歩みを止めることはなく。

 ただ、一生を誓った伴侶にその命を委ねた。

 

「『死に逝く騎士に、湖光の愛を(ル・アムール・ド・ダーム・デュ・ラック)』!!」

 

 降り注ぐ流星群、擬似太陽の刃、それら一切が無為。

 長い人生を経て、騎士ペレアスが掴んだたったひとつの宝具。湖の乙女の祈りこそが、あらゆる害悪を退ける加護となる。

 ガウェインは流星を打ち落としながら、奥歯を噛み締めた。

 今更驚きはない。切り札があることは想定していた。ならば今、最も警戒すべきは眼前に迫るペレアスだ。

 炸裂する炎星。体を焼く熱と光。並のサーヴァントなら直撃せずとも消滅しているはずの爆撃を、太陽の騎士は幾度も耐え抜く。

 それこそがガウェインの覚悟。サーヴァントとしては規格外の存在を誇る騎士は、迫り来る真紅を見据えた。

 

「ペレアス────!!」

「ガウェイン────!!」

 

 互いの名を呼び、騎士は剣を振りかざす。

 一瞬にも満たぬ刹那、ふと、思った。

 ───私は一体、何のために剣を振るっているのか。

 

(否。無論、王のためだ)

 

 だとしても、その剣を手繰るのはまさしく自分自身だ。

 私怨に囚われ、王を破滅の道へと引きずり込んだ人間。聖剣を持とうとも、絢爛なる加護で装うとも、その本性までをも取り繕えるはずがない。

 ラモラックを討った時もそうだった。母との不義を成した騎士。王に仇なす魔女と円卓の騎士が契るという禁忌を犯した男を、兄弟とともに手にかけた。

 ランスロットと戦った時も同じ。アグラヴェインとガヘリス、ガレスを殺され、ただ憤怒と憎悪のままに剣を振るった。

 全ては王のために。

 自分の行動が何もかも王に忠実であったなら、きっと。

 時計の針を逆に戻すことはできない。

 都合良くやり直すことなんてできない。

 それでも。

 そうなのだとしても。

 あの時、あの日、王はいつも何を想っていたのだろうか。

 …………私は、そんなことすらも知らない。

 そして、騎士は見る。

 

「『運命絶す(ミストルティン)─────」

 

 太陽よりもなお眩しい、黄金の輝きを。

 

「─────神滅の魔剣(ミミングス)』!!」

 

 鮮血の華が咲く。

 その勝負に偽りはなく。

 故に、この結果に嘘はない。

 剣が指の隙間からこぼれていく。この世で誰に対しても平等な結末、死。神殺しの魔剣もまた、生物・無生物の区別なく終わりを与える。

 だけど、その一撃はどこまでも清純で。

 ちょうど、今日の青空みたいに綺麗だった。

 崩れ落ちる騎士の体を、ペレアスは柔らかく受け止める。

 

「人を守るための剣───貴方は、手に入れることができたのですね」

「そんな大層なモノじゃない。現に、こうしてお前を殺すことしかできなかった」

「それでも、私は確かに貴方の剣に見ました。星の聖剣の如き、黄金の輝きを」

 

 ぽつり、ぽつりと心の雫を滴り落とす。

 

「多分、オレたちに足りなかったのは、人間としての王様を見てやることだった。せめて、あの人に何か、王として以外の関係を結べる相手がいたら…………」

「良いのです。結局、私たちは王と騎士でしかなかった。誰もが王の真意を慮るだけで、直接問うことはできなかった。私たちの最大の罪は────あの人の人格を蔑ろにしてしまったことでしょう」

 

 でも、騎士王は人間としての自分を削り取ることでしか、あの国を護れなかった。

 そんなことは分かっていて。

 ガウェインは縋るようにペレアスの肩を掴む。その力は、痛々しいほどに弱かった。

 血を吐き、震えた声で告げる。

 ───ああ、こんなことは言ってはいけないと、知っているのに。

 

「私は貴方に最期まで王のために戦ってほしかった……!! 王命に背いてでも、あの丘に来てほしかった……!! そうしたら、あるいはっ!」

 

 あの戦いにペレアスが駆け付けたとしても、王は喜ばなかっただろう。

 人並みの幸せを手に入れられた男が再び殺し合いの輪廻に戻るなど、あの心優しい人は決して許してくれない。

 だから、溢れ出した言葉と涙は、騎士ではなく人間としての本音だった。

 ペレアスは血が染みるほどに唇を噛み、

 

「────子どもがいたんだ。言い訳はしない。オレは王よりも、国よりも、家族を選んだ」

 

 その後の人生で、王と仲間を想わぬ日はなかった。

 あの時代の記憶は数十年の年月でさえも色褪せることはなく。

 もし、何かが違っていたら。

 もし、誰かが死んでいなかったら。

 そんな考えを数え切れないほど繰り返した。

 けれど、その傷に苛まれることはあっても、抱えきれない幸せに包まれた人生を送ることができたのは間違いなく。

 

「あの時、お前は言っただろ。自分の分まで生きろってな。…………お前のおかげで、オレは最高の人生を最高の死に方で終えられた」

 

 でも、と彼は翻す。

 

「今生のオレは一味違う! 二者択一なんてクソくらえだ! 魔術王っつう分かりやすい悪役をぶっ飛ばして、世界を救ってやる!!」

 

 死に逝く騎士に、ペレアスは優しく告げる。

 

「────だから、今度は、みんなのための英雄になってみせるよ」

 

 それは、ペレアスからガウェインへの誓い。

 曇りなき決意の眼に、騎士はただ、微笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王はなぜ、聖剣の返還を望んだのか。

 英雄とは得てして、その使命から逃れられぬ運命にある。人ならざる力を振るい人を殺すという罪過の代償を、英雄は自らの運命で支払わなければならない。

 サーヴァントにそれぞれ宝具があるように、ある英霊にとって武具とは己の存在に欠かせない。騎士王を騎士王足らしめる武具とは他でもなく、湖の乙女より貰い受けた星の聖剣であった。

 王はその剣で数え切れない戦果を打ち立て、王国を造り上げた。あらゆる流血と屍でできた道の末に、絢爛なるキャメロットは現れたのだ。

 英雄を英雄足らしめるのが武具であり、王を王足らしめるのが星の聖剣だとするならば。

 モルガンの手によって聖剣の鞘を失ったその時、英雄たる騎士王はその半身を削り落とされたに等しかった。

 それこそが破滅の始まり。

 ロキが盲目の神を唆し、バルドルを射殺させたように。

 王国は、悲劇へと転がり落ちていく。

 ────だが、最期の願いだけは、陛下御自らが望まれたことだった。

 湖の乙女への聖剣返還。それだけは奪われるでも盗まれるでもなく、王自身が最後の臣下に命じたことだった。

 だというのなら。

 王は聖剣を還すことで王たる自分に決別し。

 人間としての死を迎えたかったのではないだろうか。

 それは果たせなかった四度目の望み。

 べディヴィエールをべディヴィエール足らしめる、最後の使命。

 王命を果たした時、今度こそ。

 彼は、確実に、此処で命を終える。

 

「五つの特異点を乗り越え、よくぞ我が御前に辿り着いた」

 

 獅子王はあくまで傲岸に、不遜に、言ってみせた。

 

「しかし、その旅路も幕引きだ。世界は最果ての塔に収束し、何者にも侵されぬ純白の聖都が顕現する」

 

 聖槍に光が集まる。

 あらゆる敵を撃滅する聖なる槍は、一瞬の内に臨戦態勢を整えた。その行為に殺意はない。なぜなら、人を選別し続けた女神にとって人を殺すということは取り立てて意識するべくもないからだ。

 ジャンヌは嘲るように鼻を鳴らして、旗の穂先を突きつけた。

 

「その聖都はこんなにボロボロになってますけど? 私たち程度にやられるなんて、案外脆いのね。虚飾の城ごと燃え落ちなさい、獅子王!」

 

 立香とマシュ、ダンテは湿度の高い目つきでジャンヌを見る。

 

「ジャンヌさん、その言い方だとわたしたちが悪役になります」

「久々に竜の魔女モードのジャンヌを見た気がする」

「べディヴィエールさん、主君を侮辱したこと、私が代わりに謝ります。ジャンヌさんはツンデレなだけなのです」

「…………アンタら三人は後で絶対に火炙りにするわ」

 

 べディヴィエールは走り出した直後に襟を引っ掴まれた気分になる。短い付き合いではあるが、彼女たちがこういう人間だとは理解していた。まさかそれを獅子王の前でもやるとは思っていなかったが。

 張り詰めた空気が和らぐ。ロマンは口をもごもごとさせながら、

 

「『すみません、こういう人たちなんです。彼らなりのルーティーンというか……』」

「い、いえ。大丈夫です。おかげで冷静になれました」

 

 そうだ。獅子王は激情に身を任せる戦いが通用する相手じゃない。ここで終わる命ならば、毅然と挑むのが王に対する礼儀というものだ。

 王の瞳に碧き光が灯る。

 その色に慈悲はなく。

 長き時の中、懐き続けた理想の残骸だけが煌々とした残光を放っていた。

 

「もはや、この場を決するのは力のみ。我が理想(ユメ)を否定するというのならば───それに足る力を示してみせよ」

 

 虚空を穿つ、聖槍の刺突。

 その速度は人知を超えた光速。

 放たれし光槍は空間を刳り貫き、両者の間合いを埋め尽くした。

 しかし、煌めく切っ先は円盾の前に砕け散る。英雄たちの誇り、円卓の盾を担いし少女は光速の刺突から仲間たちを守り抜いてみせたのだ。

 マシュは一筋の冷や汗を流し、気丈に白い歯を覗かせる。

 

「ふ───遅すぎてあくびが出ますね! 拍子抜けです! これくらいなら好物を目の前にした先輩の手の方が速いですが……!?」

「……舌がよく回る。余裕を装うのは自由だが、道化師に私は倒せぬぞ」

「倒す? 何を言っているのです、獅子王。これはあなたの目を覚ますための戦い、倒すつもりなんて毛頭ありません!」

 

 続けて五撃。数を増した光条はしかし、その全てが前回と同じ結末を辿る。

 辺りを弱々しく照らす光槍の欠片。その中に在りし盾は揺るぎなくはだかっていた。

 獅子王の冷徹な思考はひとつの事実を手繰り寄せた。これは偶然ではない。一度ならともかく、あの少女は五度に渡る連撃を完璧にいなしてみせた。

 ベイリンさえも躱せなかった一撃を、なぜ。

 果たして、聖槍の女神が答えに至ることはない。

 否、分かるはずがなかった。

 

「───ジャンヌ!」

「ええ、ようやくぶっ放せるわ!!」

 

 周囲に満ちる熱気。その根源はただひとり、竜の魔女ジャンヌ・ダルク。彼女がその炎に込めるのは憤怒でも憎悪でもなく、純粋な感情だった。

 

(ようやく、憂さ晴らしができるわね……!!)

 

 その感情の名は苛立ち。鬱憤と言い換えても良い。

 いい加減、我慢の限界だ。円卓の騎士の内輪揉めなど見飽きた。確かに、彼らの末路を考えれば生前の因縁と無念に取り憑かれるのは当然だろう。そこを責める気はさらさらない。

 誇りというのは最高の精神安定剤だ。誇りを持っていれば自分の行動にいちいち理由をつけなくて済むし、誇りを持っていない人間に対して強く出られる。

 だけど、騎士の誇りとはもっと高潔で、普遍的で、優しいものだろう。そんな誇りを持っていたはずの彼らが悪逆非道を成してどうするというのだ。

 もし、聖都が完成すれば、彼らはきっと未来永劫苦しむことになるはずだから────

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

 

 その苦しみに囚われぬため、ジャンヌは宝具を解放した。

 新月の夜の如く燃える漆黒の炎。この聖都全域を焼くに足る火焔を、余すことなく叩きつける。

 獅子王は網膜を焦がす火の塊を真っ向から捉える。純白の穂先が狙いを定める。過たず放たれるのは目も眩む、神威の閃光。

 黒と白の激突。極光が弾け、世界をモノクロに染め上げる。

 聖槍の女神といえど、ロンゴミニアドの穂が貫くのはひとつの対象に限られる。その範囲と速度は脅威だが、武器がひとつであるという事実は変わらない。

 故にこそ、隙が生じるのは激突の瞬間。黒き光が作る影をなぞり、騎士は銀腕を振るった。

 

「遅すぎる」

 

 だがしかし、獅子王は。

 その算段を、一突きで打ち砕く。

 甲高い金属音を響かせ、べディヴィエールの体は砲弾の如く弾き飛ばされる。直撃の寸前、騎士は義手を用いて聖槍の一撃を防いでいた。

 奇跡に等しい偶然。彼が右腕を振っていたからこそ、聖槍はそれを打ち落としたのだ。

 立香は即座に魔術を行使した。

 

「げ、元素変換!」

 

 疾風が吹き、騎士の五体にまとわりつく。

 あの速度で飛ぶ人間の体をまともに受け止めることはできない。それは受け止める側の問題ではなく、べディヴィエールの体が衝撃に耐え切れない可能性があるからだ。

 人の身でここまで戦い抜いてきた彼の肉体は既に限界を迎えている。その命を繋いでいるのは精神だが、肉体という器が崩壊すれば戦うことなどできはしないだろう。

 立香の魔術属性は火。風属性の元素変換にその属性の魔術師ほど適性はない。が、ノアの教えの賜物か、本人の努力の成果か、騎士を減速させるにはかろうじて足りた。

 守りの要であるマシュの手を煩わせる訳にはいかない。ダンテは身を挺してべディヴィエールを止めた。

 

「……ッ、助かりました」

「いえいえ、このくらいは当然ですから! ね、ダンテさん?」

 

 ダンテは地面に突っ伏しながら、途切れ途切れに言う。

 

「え、ええ……どうやら私の腰は崩壊しましたが、このくらいどうということはありません」

「それならわたしの後ろに! 宝具を使い切ったダンテさんはアレなので! 何とは言いませんが! 言いませんが!!」

「その優しさが痛い───!!」

 

 詩人はずりずりと地面を這って移動する。その様はまるで芋虫の行進だった。

 獅子王は僅かに眉をひそめる。表情筋を動かし慣れていないような、機械的な顔色の変化。その視線はべディヴィエールの銀腕を射抜く。

 

「その腕ごと貫くつもりで刺したが……なるほど、それが星の聖剣とやらであることに間違いはない、か」

「……だからこそ、私は貴方に剣を還すのです、王よ」

「…………余計なことを」

 

 最後の騎士の忠節。獅子王はそれを一言で切って捨てた。

 

「貴様は、私の最後の理想(ユメ)までをも奪おうというのか」

 

 聖槍の女神が抱く理想の果て、聖都の完成。

 魔術王に滅ぼされた世界に人類の痕跡を残すという作業。それは、魔術王を斃して世界を救わんとする者たちが現れた時点で意味を失ってしまいかねい、泡沫の夢だ。

 でも、女神にはそれしかできることはなかった。

 立香は胸に灯る憤りのままに言葉をぶつける。

 

「べディヴィエールさんはあなたのためにここまで来たんです。それを余計だなんて言葉で切り捨てて良いはずない」

「カルデアのマスターよ、それは違う。騎士たちは私に王であることを望んだ。今の私は騎士の願いの結晶、王であれと望まれた末に神へと成り果てた。今更その聖剣なぞを還してどうなる。私にもう一度、不完全な人の王になれと言うのか」

 

 それは、聖槍の女神が初めて露わにした感情だったのかもしれない。

 人のために王となった。王であれと望まれたから王となり、そして神の位地へと行き着いた。聖剣を還すということは獅子王の何もかもを否定するということだ。

 王に王としての役割しか期待しなかった騎士という存在が、完全なる聖都の歯車となった獅子王を否定する矛盾。それを糾弾する女神にあった感情は、おそらく────

 

「故に私は潰す。我が足を引く理想の影法師ごと、裁きの光で以って掻き消してやろう」

 

 ────彼女すらも気付かないほど微かで淡い、悲哀だった。

 息が止まる。血の通わぬ義手さえも。べディヴィエールは暫時、己の使命の意味を考えて。

 

「聖槍、抜錨」

 

 瞬く閃光。

 降臨する神の威光。

 聖槍の光を見据えながら、マシュは言った。

 

「べディヴィエールさん、気にする必要はありません。たとえあの人が拒んだとしても、あなたはあなたの願いを押し通せば良いのです。わたしはそういうことしかしない人たちを知っていますので!!」

「リーダーとか?」

「アンタもそのフシはあるわね」

「『あの、緊張感は!?』」

 

 聖槍は臨界へと。焦るロマンに、マシュは告げた。

 

「それを言うのは百年遅いですよ、ドクター。結局みんなわたしが守るんです。ドンと構えていてください」

 

 そうして、世界を貫く光槍が撃ち出される。

 

「『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』───!!」

 

 聖槍の女神が放つ極光。

 その威力は文句なしに最大級。

 ───だからどうした。この盾を舐めるな。

 つまるところ、マシュ・キリエライトという少女はどこまでも守る者だった。守るべき誰かを背に負うことで真価を発揮する人間。それが彼女だ。

 他人がいなくては戦えない。

 人を傷つけるためには力を振るえない。

 戦士としては失格。きっと彼女はその不器用な性格を変えることはないだろう。

 だけど、それは決して欠陥ではない。

 純粋に誰かを守りたいと思えるからこそ。

 正直に人の想いを背負って戦えるからこそ。

 

「それは全ての疵、全ての怨恨を癒やす我らが故郷─────」

 

 その宝具は、彼女のもとに舞い降りるのだ。

 

「────顕現せよ、『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!!」

 

 立ち現れるは白亜の城。

 騎士王の御座、絢爛なるキャメロット。

 裁きの光が直撃する。サーヴァントの域を遥かに超え、神霊となった獅子王の一撃はもはや対抗しようとすることすら愚か。

 その熱量を一身に受け、マシュは歯噛みする。

 

「んぐっ……中々やると褒めてあげましょう! ええ、全っ然キツくありませんが!?」

 

 べディヴィエールは彼女の背に向かって、

 

「その宝具は持ち主の精神力がそのまま強度になります。逆に心に迷いや穢れがあると正門は綻び、破壊されてしまうでしょう」

「じゃあダメじゃない! こいつは私たちの弱みを握るために盗撮盗聴やってるようなやつよ!?」

「こんな時に気が散ること言わないでくれますかジャンヌさん!? わたしほど純粋無垢で可憐な少女はいないじゃないですか!!」

「自分で言ってる時点で説得力がないですねえ……」

 

 冷や汗を滴らせるマシュ。踏ん張る足は徐々に圧され始めていた。

 ───こんな時、マスターができることは。

 立香はマシュの隣に立つ。手の甲に灯る令呪の光。彼女はただ、自分のサーヴァントへと、親友へと、頼んだ。

 

「マシュ……()()()()!!」

 

 令呪とともに贈られる声援。

 瞬間。肌から吹き出る汗も、体の震えも、全身を焼く熱も、消え失せた。

 

「はい───!! がん、ばります! マスター!!!」

 

 裁きの光を押し返す。

 一秒が何時間にも思えるせめぎ合い。

 何者も踏み入れぬ、獅子王と少女の意地の張り合い。

 その最中にありながら、マシュは澄んだ笑みを浮かべた。

 

(ああ、負ける気がしない)

 

 聖槍がその一撃を保っていられるのはあと何秒? 何時間? たとえ神に等しい存在でも、これだけのエネルギーを永遠に維持できるはずがない。

 その勝負の結末は誰の目にも明らかで。

 マシュ・キリエライトという少女を見続けてきた男は、モニターの向こう側で確信した。

 

「……うん。キミはもう、あの時のキミじゃないんだね」

 

 視界を埋め尽くす光が揺らぐ。

 底無しにも思えた光量が先細りしていく。

 

「ぐっ…………!!」

 

 その呻き声が、獅子王の限界を表していた。

 騎士べディヴィエールは煌々たる眼光を漲らせる。銀色の五指を確かに握り締める。

 

「貴方たちに、感謝を。私はようやく、この旅路を終えられる」

 

 その身を投げ出す。

 彼は摩耗しきった魂の全てを右腕に注ぎ込んで。

 

「『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!!」

 

 彼のみに許された黄金の輝き。

 迸る流星が破滅の光を断ち切る。

 ぱん、と星が弾ける。雪の如く降る星屑の中を、騎士は走り抜ける。

 もう目は見えない。耳は聞こえない。魂すらも使い切った今、抜け殻の体を突き動かすのは果てしなき執念。そして、

 

「べディヴィエール卿。御身の旅路の終焉に、祝福を」

 

 見神の詩人が紡ぐ、忠義の騎士への凱歌であった。

 獅子王は騎士を眼前に捉える。

 既に死んだ体でひた走る騎士の姿。

 頭の奥で刺すような痛みが走り、胸の奥が逆撫でられる。

 

「どうして、そこまで」

 

 もういい。やめろ。そんなに壊れて何ができる。おまえが戦う必要なんてない。戦わなくていい。…………そんなおまえの姿なんて、見たくない。

 

「王よ、今こそ────聖剣をお返しいたします」

 

 だから。

 獅子王は、捧げられた聖剣を受け取った。

 

「…………─────!!」

 

 脳髄を巡る電流。

 蘇る記憶。

 選定の剣を引き抜き、ただひたすらに傷ついて戦った。円卓のもとに集った仲間たちとともに国を守り治め、しかし、魔女の奸計によって破滅に至ったあの日を思い出す。

 最後に行き着いたのは。

 ────力を使い果たし、眠る私を泣き腫らした目で見守る騎士の顔だった。

 そう、ついに、彼は使命を果たしたのだ。

 崩れ落ちる騎士を抱き留める。全存在を尽くしたその体は土塊のように壊れていく。

 もう、彼の耳にこの声は届かないかもしれないけれど。

 

「べディヴィエール。我が最後の騎士に賛辞を。貴方はついに、運命に決着をつけたのです」

 

 それが、終着だった。

 王は聖剣返還によって聖槍の女神たる資格を失う。聖槍と最果ての塔を起点としていた世界の収束はもはや実現する手段はない。

 聖都の終焉。未だ熱の冷めやらぬ静寂。誰もが紡ぐべき言の葉を探っていた頃、

 

「ノア、どうやらべディヴィエールはしっかりやったらしいぞ!」

「だろうな。じゃなきゃ獅子王が聖剣を持ってるはずがねえ」

「あれは正真正銘エクスカリバーですわね。私の目に狂いはありませんわ」

「曇りまくってるどすけべ精霊の目なんか信じられるか。とりあえずあの剣は俺が貰う」

「おいやめろ馬鹿! 貰うならオレだ! エクスカリバーMk-2とエクスカリバーの最強二刀流をやらせろ!!」

 

 という、アホな会話をする三人が走り寄って来る。立香はぱあっと笑顔を輝かせると、真っ先にノアに向かっていった。

 

「勝ったんですねリーダー! 怪我はしてないですか?」

「ペレアスが馬車馬の如く働いたからな。おまえもよくやった」

「みんなが頑張ってくれたおかげです。まあその言葉は受け取っておきますけど!」

 

 それで、と言い継いで、少女はノアの顔を覗き込む。

 

「……褒めてくれるだけですか?」

「は?」

「この前のお返しで撫でてくれてもいいんですよ? さあ! さあ!!」

「寄ってくんなアホ! 発情期の犬か!?」

 

 勢い良く詰め寄る立香の頭を、ノアは右手一本で掴んで止める。ぎりぎりとせめぎ合うマスター二人のじゃれあいに、その場の誰もが生温かい視線を向けた。

 王はくすりと笑い、暖かな声音で告げる。

 

「ペレアス卿。私の前に」

 

 星の聖剣がきらりと陽光をなぞり返す。

 ペレアスはガタガタと震えて、

 

「き、斬られるんですか。それとも戦うんですか。黒い王様とは殺し合いましたけど」

「それも一興ではありますが……貴方は円卓を追放されていたでしょう。どうかもう一度、我が円卓に名を連ねてはくれませんか。つまり、騎士の誓いです」

 

 その時、ペレアスは息を呑んだ。

 遥か昔、王宮の政治的闘争によって彼は円卓を追放させられた。番外位という地位は記録と記憶から抹消され、ペレアスは王国を去ることとなった。

 しかし、今此処に、王は誓いを成すと言うのだ。

 姿形は異なれど、その瞳はまさしく騎士王のもので。

 ペレアスの顔色が変わる。騎士としての真摯な表情。彼は清らかな声音で答える。

 

「ひとつ、願いがあります」

「無論、聞きましょう」

「我が先達、ベイリン卿にも誓いを立てていただきたく存じます。私は、かの騎士を旅路の果てに連れて行くと誓いました」

 

 ベイリンはこれを余計なお節介だと言うかもしれないけれど、せめて。

 王は優しく頷く。騎士は主君の前に跪き、礼を取った。

 

「誓いを此処に。騎士ペレアス、そしてベイリン。両名を我が円卓の一員に任命する」

 

 騎士の叙任式。王は聖剣の平で騎士の両肩を軽く叩く。静謐にして厳かな儀式を経て、確かにペレアスとベイリンは円卓の座へと復帰した。

 王は湖の乙女の顔を見据える。

 

「湖の乙女、リースよ。貴女たちの力なくして私は戦えませんでした。心よりの感謝を」

「身に余る光栄ですわ。私は力を授けただけ。あなたの偉業はまさしく、あなたにしか成せないことであったでしょう」

 

 それに、とリースは付け加える。

 

「あなたが善き国を造ってくださったおかげで、ペレアス様と私は幸せになれました。感謝を贈るのは、むしろこちらの方でございます」

 

 王の頬を伝う、一筋の水滴。

 ───良かった。こんな私でも、ひとつの幸せを生み出すことが、できていたのか。

 

「面を上げなさい、ペレアス卿」

 

 その声は、震えていた。

 目元に残る赤い線。溢れ出る涙を押し留めて、王は、アルトリアは騎士に言う。

 

「貴方にひとつの使命を授けます」

 

 それこそは彼女が自らの騎士に望む願い。

 彼らならば果たせると信じて、

 

「我らが円卓の遺志を継ぎ、見事魔術王を討ち果たしてみせなさい、ペレアス!」

 

 答えなんて、考えるまでもなかった。

 なぜなら、これは…………

 

「───御身の意のままに!!」

 

 …………オレが、世界を救う英雄譚(モノガタリ)だ。

 第六特異点、定礎復元。

 最果ての王と円卓の騎士の物語は、ここに新たな始まりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざざん、と寄せる波が砂を押す。

 

〝…………本当に、頑張ったわね。えらい子よ、王様〟

 

 戦いに傷つき、永き眠りについた彼女は、どこか満足気な笑みを浮かべていた。私はその子の頭を膝に載せ、そっと撫でる。いつの日か、妹たちにしたように。

 私たちはこれから世界の果てのアヴァロンへと向かう。王様の働きによって神代は終わりを迎えた。これからは正真正銘、人の時代が始まるのだ。

 妹の聖剣は私の手に。氷の鞘で剣身を覆い、同じく氷で造った小舟に載せる。

 この子は本当に頑張った。選定の剣を抜いたあの時から、人の身に余る多くの悲しみと苦しみを背負いながら、道の果てに辿り着いた。

 これからは、もう苦しむことはない。

 体の傷も心の傷も、永い時をかけて癒やせば良い。

 ───いいえ、もしかしたら、心の傷はとっくに癒えているかもしれないけれど。

 

〝あなたもそう思うでしょう?〟

 

 私は虚空に向かって声を投げかけた。背景が歪み、人影を形作る。

 

〝さあね。私にはどうでもいいことよ〟

 

 モルガン。魔女と謳われた彼女がそこにいた。

 

〝あら、それならどうしてここにいるのかしら。どうでもいいんでしょう〟

〝…………馬鹿な男がいたのよ。自分が死ぬと分かっているのに、アルトリアなんかのために戦いに行く馬鹿な男が〟

 

 モルガンは私の横に座り込む。髪の毛の先を指で弄びながら、忌々しげにその男の話をする。

 

〝私の城を発つ前、言われたのよ。一度でもいいから王の助けになれ、ってね。あなたのせいで無駄になったけど。……ああ、思い出したらますます腹が立つ。醜く淫蕩な魔女に、そんなことを頼むなんて〟

〝それは、違うでしょう?〟

 

 私はモルガンの言葉を否定した。

 

〝あなたは淫蕩と言われるけれど、そうじゃない〟

〝───へえ、私の何を知っているのかしら。湖の乙女?〟

〝あなたは、多重人格者よ。ひとつの体に複数の人格を宿した人間……いえ、人間と妖精の合いの子(ハイブリッド)ね〟

 

 モルガンは答えなかった。しかし、その反応が何よりの証拠だ。

 

〝だから、淫蕩と呼ばれるのは少し違うわ。複数の人格が、それぞれ別の男を愛していただけなのだから。あなたたちはロット王にも、アコロンにも、ラモラックにも、真摯で在り続けた〟

〝……嫌な女ね。どこまで私のことを調べたの〟

〝色々よ。この世に残る古きケルトの末裔……その極致、ブリテン島の化身。あなたたちのひとりもまた、湖の乙女と呼べる存在なのかもしれないわ〟

 

 彼女は私から顔を背け、舌打ちする。

 

〝うん、そうなの〟

〝私たちは私たちでひとりだ〟

〝流石は水の精霊ですね〟

〝その性格の悪さ、褒めてあげる〟

 

 代わる代わる口走る、モルガンたち。

 思わず目を見開いた私を見て、彼女は意地悪く笑った。

 

〝───こんなところよ。ふふっ、こんなにいるとは思わなかった?〟

〝そうね。私の予想では三人だったわ。私たち湖の乙女のように、女神の古き形である三相一体を取っているものとばかり思っていたから〟

〝それは惜しかったわね。三相一体の私も、確かにいるわ〟

 

 なるほど、これは魔女だ。淫蕩であることは間違いだけど、魔女という謂れはこれ以上なく的を射ている。

 モルガンは人差し指で、アルトリアの頬をつつく。

 

〝それにしても、憎たらしい顔。あんな終わりを迎えといてこんな顔ができるなんて、どういう神経してるのかしら〟

〝…………出逢えたのかもしれないわね。彼女を王としてではなく、ひとりの人間として、女の子として扱ってくれる人に〟

〝はっ、そんな出会いが何時あったっていうのよ。私はアルトリアをずっと見てきたのよ?〟

〝ええ、そうね。そんなことはありえない。でも───そっちの方が夢があって救われると思わない?〟

 

 私は笑った。きっと、前まではこんな顔はできなかった。妹の晴れ姿を見るまでは。それも、アルトリアのおかげだ。

 彼女を抱えて立ち上がる。

 名残惜しくはあるけれど、そろそろ出発しなくてはならない。

 脳裏をよぎるたくさんの記憶。

 どれもかけがえのない宝物。

 最近、特に良かったのは小さな赤子の顔だ。義弟と妹の子。産まれたばかりだというのに、とても元気な女の子だった。あの子は美人に育つだろう。絶対に。私の妹の子どもなのだから間違いない。あの子をいじめるような奴がいたら、アヴァロンからでも呪ってやる。

 これからも家族は増えるのだろうか。あの家族は幸せに暮らしていけるだろうか───未練に溢れる思考を打ち切り、私はモルガンに振り返って言う。

 

〝さあ、一緒に行きましょう〟

 

 モルガンは一瞬、呆けた顔をして、

 

〝…………千年以上も生きて、ボケが始まったの? どうして、あなたとアルトリアに着いていかなきゃならないのよ〟

〝独りは寂しいでしょう? それに、この子とあなたは姉妹なんだから〟

 

 モルガンは私とアルトリアの顔に何度も視線を泳がせて、何かを噛み締める。数十秒はそうしていると、無言で私の舟に乗り込んだ。

 これはそういうことなのだろう。私も続くと、氷の舟を滑らせる。

 アヴァロンへと。これから世界の神秘は急速に薄れていき、私たちと現世は取り返しがつかないほどに隔絶していくだろう。

 全て遠き理想郷。エクスカリバーの鞘がどうなったのか、私は訊かなかった。

 ただ、モルガンは物言わぬ妹を見つめ、

 

〝…………今のあなたなら、愛せるかもね〟

 

 全てのしがらみから解き放たれて、そう言った。




『無限を象る黄金』
 ドラウプニル。北欧神話の主神オーディンが所有する、九つの夜ごとに八つの同じ重さの腕輪を滴らせる黄金の腕輪。尽きることのないオーディンの富の象徴。また、デンマーク人の事績においてホテルスが森の神から奪った腕輪もこれのことだと思われる。
 バルドルの葬儀において、オーディンはバルドルの遺体とドラウプニルを世界で一番大きな船フリングホルニに載せて火葬した。その後、冥界のバルドルを連れ戻そうと使いが来るのだが、バルドルはドラウプニルを使いに押し付けて帰してしまう。これはつまり、自分の後継者たるバルドルへの富の譲渡と、それを返還されることでオーディンの豊かさを保証するという話であると思われる。
 ノアが編み出した魔術では、まずこれを投影することで他の武具が投影可能となる。投影魔術だけならばただの劣化となるところを、無属性魔術を加えることで原典にない特性を発揮できる。
 北欧神話において特別な道具というのは大抵ドヴェルグが創るか、巨人が持っているのを奪うかといった形で神々に渡る。これは資源に乏しい北欧の人々が周辺地域に襲撃を繰り返したことが反映されているのではないだろうか。ノアがなぜ見たこともない北欧神話の武具を投影できるのかは、次章で明かされる予定。
 以下、本編で投影した武具の解説。
 『必勝の剣』……フレイ・ヴェルンド。ヴェルンドとは異説でこの剣を創ったとされるドヴェルグの名前。夏と晴天を司る豊穣神フレイが持っていた、自動的に敵を討つとされる勝利の剣。ルーンが刻まれ、太陽のような輝きを発しているとされる。巨人すらも容易に倒せる武器だったが、フレイは巨人の娘ゲルズに求婚する際、この剣を手放している。そのせいでラグナロクではスルトに敗北してしまう。また、スルトの振るう剣はこの勝利の剣であるという説がある。裏を返せば、勝利の剣さえあればスルトに勝てたということだろうか。
 『凍結の盾』……スヴェル。グリームニルの歌に登場する、太陽の前にさえぎり立つ盾。本編では太陽の火と熱から地上を守っているという解釈をしたが、太陽を支えている盾という見方もできる。その特性から、炎や熱を纏う攻撃に滅法強い。飛び道具全般に強いロー・アイアスとは一長一短。
 『炎星の首飾り』……ブリーシンガメン。フレイヤが一目惚れした綺麗な首飾りで、これを入手するためにドヴェルグの兄弟に体を許した。他の話にも度々登場するのだが、これといって特別な力を持っている描写はない。そもそも、それぞれのブリーシンガメンが同一のものである保証もない。イアソンにとっての金羊毛皮のように、物語の動機付けとなる物品以上の役割を求められなかったのだろう。ノアはこれの語義を辿って攻撃魔術に転用した。
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