自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録 作:なまゆっけ
「───そして、この瞬間より、真の東征が始まるのだ!!!」
その神は顔面を呪符で遮られていた。
首から下を包む白き衣。それこそは
暴れ狂う雷雲を押し退け、足が地面を踏みしめる。
周囲に実る黄金の稲穂。褪せた草木が色めき立ち、荒れた大地が金色に彩られていく。太陽の威光を示す豊穣神はただそこに在るだけで神力を露わにしていた。
オオクニヌシより葦原中津国を譲り受けた太陽の女神とタカミムスヒは、地上を支配するに相応しき神として自らの子孫を遣わした。そして国津神の娘と契りを結び、天上と地上とを繋ぐ役割を担ったのである。
アメノワカヒコが成せなかった天地の繋留。ニニギノミコトはその証たる三種の神宝を携え、再び葦原中津国への降臨を果たした。
なれど、その手綱を握るのは怪人蘆屋道満。たとえ神であろうと契約を踏み倒すことはできない。あの陰陽師が自身に不利になる契約を結ぶはずがない───天草はその事実を認め、歯噛みする。
(……最悪だ。
元々の計画は高千穂峰の天御柱を手中に収め、その力を取り込んだスサノオが高天原の聖杯を得る。そのはずだった。
だが、蘆屋道満はニニギノミコトの召喚に天御柱の魔力を使い果たした。東征軍の切り札を横取りした挙句、黄泉軍の望みをも絶つ。この土壇場で、作戦の変更を余儀なくされたのだ。
(しかし、第一に蘆屋道満とニニギノミコトを倒さなくては……)
それがどれほど難しいかもまた、彼は理解していた。
ニニギノミコトに武の逸話はない。葦原中津国を引き継いだが故に乱世を生きる力は必要なかったのか、それとも書物に残っていなかったのか。だとしても、その手にある剣はこの国の武力の象徴。
(『炎の剣』を使えば、あるいは────)
その思考を遮るように、ニニギノミコトは動いた。右手の剣を振りかざし、道満の首筋に触れかけた途端にぴたりと刃が止まる。
呪符に隔たれた眼差し。それが強烈な殺意を露呈させると、道満の口元が緩やかな弧を描いた。
「ニニギノミコト、貴方に拙僧は斬れませぬ。被召喚者が主を害することを許す約定があるとでも? ああ、もちろん自死もできませぬ。貴方はもはや我が従属下にあるのですから!!」
その笑みは悪辣と愉悦に満ちていた。ニニギノミコトは剣を引き戻すと、深く嘆息する。呪符に覆い隠された瞳がゆっくりと伏せる。
「俺に、日ノ本の民を手にかけろと言うのか」
「いいえ。貴方の意思がどうであろうと、貴方は戦うしかないのです。なに、精々十数人殺せば事足りまする」
道満は言った。
ニニギノミコトを縛る契約はふたつ。東征軍としてこの地を統べる契約と、召喚者たる道満の契約。前者が果たされれば、魔術王が倒されようとこの国の歴史は消滅する。
それは道満も望むところ。故に東征軍の契約を利用する形で自身が主導権を握った。未召喚の状態とはいえ、既に結ばれた契約を改変する技量は彼ならではのものに違いない。
「……ふむ、なるほど。つまり君は」
神は敵と定められた者たちに向き直り、
「俺の手を借りなければ、彼らと戦うことすらできない臆病者なんだな」
失望と軽蔑を込めた言葉。しかし道満は密やかに眉を歪め、
「ええ。陰陽師とは元より式神を下僕とし、遠方より人知れず呪い殺す者。こうして姿を現すこと自体、本来は三流以下の所業にございます」
「そうか。俺は君の企みが失敗に終わることを祈ろう」
鉄剣が陽の光をそり返す。
柄を握る手が軋みを立て、ニニギノミコトは告げた。
「───故に生きてくれ。我が子らよ」
世界に溢れる鋭気。ひたりと冷たい刃が首筋に触れる感覚に怖気が立つ。かつてない死の予感に、英雄たちは急かされるように得物を構える。
ニニギノミコト。その一挙一動を捉え損ねれば死ぬ。茨木童子は骨刀を手に叫んだ。
「刺し違えてでも倒す! 後詰めに頼るなどという考えは捨てろ!」
「とはいえ、死ぬ気はありませんが……!!」
瞬間、血液が弾けた。
茨木童子と清姫の体が崩れ落ちる。
その傍らには、赤い左手と着物に包まれた左腕が転がっていた。
無造作に振り下ろされた神剣。
その斬撃に間合いの概念はなく。
空を覆う雲、地平の果てまで続く山脈をも真っ二つに断ち切っていた。土方はそれらを一瞥すると、舌打ちして牙を剥いた。
手当てを行う暇はない。そんな隙を見せれば、ニニギノミコトは即座に両断してくるだろう。
「上等じゃねえか……!! 天草、援護しろ!!」
天草は頷き返し、両の手に合わせて八本の黒鍵を用意した。獣の爪の如く並んだ白刃が青白い光を灯し、一息に投擲する。
宙を駆ける刀剣。それは標的への距離を埋め尽くす半ばで、全弾が砕け散った。それを成したのは道満が放った呪詛の波。彼は人差し指と中指の合間に新たな符を挟み、乾いた哄笑を轟かせた。
「ンンンンフフフフフ!! 拙僧の存在も忘れてもらっては困りますなァ!!」
「できることなら貴方の記憶は消したいところですが……」
「んなふざけた笑い方するやつは忘れられそうにねえな!」
銃声が響く。自身の眉間に迫る弾丸を、ニニギノミコトは手中の剣によって打ち落とした。その剣撃の軌道に沿って、延長上に存在する物質のことごとくが切り崩される。
無茶苦茶。そんな言葉が脳裏に浮かぶが、感傷に浸る余裕は土方にはなかった。
斬撃が閃き、呪詛が舞う。張り詰めた緊張の糸は緩むことなく引き締まるばかり。それがぷつりと絶えた瞬間、この命はあっさりと終わりを迎える。
絶え間ない攻撃の最中、天草の両腕に魔力の軌跡が走る。それは彼が生前に引き起こした数々の奇跡を再現する宝具。あらゆる魔術基盤に接続する、聖なる腕であった。
だが、それはあくまであらゆる魔術の発動を可能とするに留まる。魔術の練度や威力は天草個人に委ねられているのだ。
ニニギノミコトと蘆屋道満は付け焼き刃の魔術が通用する相手ではない。
けれど。天草は既に見て、知っている。
誰もが使えるようにと願いを込めた、人類最新の魔術を。
「───コードキャスト。『mistilteinn_ragnarøk』」
その腕はあらゆる魔術基盤と接続し、あらゆる魔術の行使を叶える。ならば、ノアとダ・ヴィンチが創り出した術式を使えぬ道理はない。
黄昏色の光条が群れをなして突撃する。
光に触れたものを皆呑み込む破滅の落陽。道満の妨害のための魔術も突き抜けて、光は突き進む。それは神ですら逃れられぬ絶死の光線であった。
「『
ニニギノミコトの頭上に滞空していた鏡が発光する。
磨かれた鏡面は強烈な光でただ白く染まるのみ。何も写すことなく輝くその威容はまるで、小さな太陽が降りてきたかのようだった。
太陽の女神は言った。〝この鏡は私の御魂として、私を拝むのと同じように敬い奉りなさい〟と。すなわち、その鏡は太陽の女神の写し身であり分霊。天の威光を地上に知らしめる象徴だ。
ニニギノミコトに迫る黄昏の光は全てが直前で水泡のように消え失せる。
「八咫鏡は常世の理を遮断する。そしてそれ自体が意思を持つ礼装、全ての攻撃に対して自動的に反応する。鬼道の類は通じないと思ってくれ」
「丁寧に説明をくださったところ申し訳ないのですが、そもそも解除することはできないのですか!?」
「すまない、そこの陰陽師の契約上無理だ。だが君たちなら俺を倒せると信じている。この国にいるなら俺の子も同然だからな。子を信じるのは当然だろう?」
「天然かこいつ───!?」
思わず表情筋を引きつらせた土方。天草は姿勢を極限まで低く屈め、横薙ぎに振るわれた剣撃を躱す。
「神の理屈を私たちが理解しようとは思わぬことです。この場を決するのは言葉でなく力なのですから」
魔術が通じないのなら、それ以外の手段を。
天草と土方は同時に動いた。ニニギノミコトを挟むように投剣と銃撃が襲いかかる。天孫を守護する太陽神の鏡と蘆屋道満は迎撃することさえしなかった。
銃弾が頸部を貫き、四肢を刃が刺す。が、その傷口から血液が流れ出すことはなかった。ニニギノミコトは肉に食い込んだ剣をひょいと抜いていく。
瞬く間に傷は修復され、反撃の一刀が絨毯をめくるように大地をえぐり返す。
「フフフ、忘れましたかな? 八咫鏡は常世の理を遮断する! それ即ち、死を否定することに他なりませぬ!! この鏡がある限り、たとえ神殺しのヤドリギを受けようがニニギノミコトは死なぬのです!!」
「……どうして君が勝ち誇っているんだ?」
「イキれる内にイキっておくのが人間というもの! 貴方とて使っているのは女神より譲り受けた三種の神器ではないですか!!」
「む。それはそうだな。俺が間違っていた」
「やすやすと言いくるめられてんじゃねえ!!」
土方が懐に隠した切り札を見抜くかのように、道満は言い放った。
全ての神と不死を殺すヤドリギであろうと、その場から死の概念が失われているのなら、殺すという行為は無為と化す。
あらゆる過程の末に存在する結果こそが死。
殺す行為はあくまで過程であり、その結果に至ることがなければ死ぬことはない。
要は、殺せても死なない───まるでとんちを聞かされた気分。土方はあくまでも冷静に、ニニギノミコトを倒す算段を立てる。
何としてでも八咫鏡を破壊し、ヤドリギを突き刺す。神剣の斬撃と道満の呪術を掻い潜りながら。
呪いの波濤が周囲を薙ぎ払う。天草は茨木童子と体を抱えて飛び、しかして同時に発生した神剣の一振りに肩口を裂かれる。
その着地を狙い、飛来する呪符。土方はそれを切り払いつつ、彼らの元に駆け寄った。
「具合は?」
「問題ありません。それよりも」
天草の両腕が淡く発光し、それぞれの手のひらをかざした。茨木童子と清姫の傷が補修されていく。彼女らとてサーヴァント、腕を失った程度で命を落とすほど脆くはない。
彼は自身の怪我も治さずに告げる。
「私が鏡を壊します。その後に私は退去するでしょう。後は任せても?」
「援護はいるか」
「いえ、貴方はニニギノミコトを討つことに全力を賭けてください。心配は無用です」
直後、斬風が巻き起こり、二人の間の空間を断ち割る。天草と土方は互いに目を配ることもなく、ただ己が役割を全うするために動いた。
天草は自らの言葉を信じ、ニニギノミコトへと向かっていく土方の背を眺める。
バチ、と空気を焼く紫電。蛇のようにうねる電流は、かつて飢え苦しむ人々を救った両の手より迸っていた。
「───主は我が弱きを知り給う」
それは天に坐す全能の父へと捧げる、祈りの聖句。
「聖寵によらざれば何事も叶わざるが故に、必要に応じてこれを施し給え」
両腕を這いずる稲妻が膨れ上がる。
網膜を焼くが如き閃光。一帯を包み込む八咫鏡の陽光と鬩ぎ合い、なおも電撃は激しさを増していく。
皮膚が焦げ、血の煙が立ち昇る。常人ならば死に至る激痛。天草は炭と化した両手を組み、眉ひとつ動かさずに聖句を紡いだ。
「主の戒め給う全ての悪を退け、命じ給う善を行い、御摂理によりて、我に与え給う数々の苦しみを甘んじて堪え忍ぶ力を授け給え」
光が収束し、漆黒の手に現れるは一振りの剣。
切っ先から柄までもが白き焔によって構成されたその剣は、太陽のそれにも劣らぬ莫大な熱を総身に湛えていた。
それは、ヒトに有することはできぬ天使の剣。生命の樹に至る道を塞ぐ拒絶の法にして、天地の繋ぎを絶たんとする神理の具現。
ニニギノミコトの後方に構えていた道満は、心臓に冷水を浴びせかけられるような戦慄を覚えた。
「……なんだ、それは───ッ!!?」
理解が追いつかない。
剣の形をした炎。これを成り立たせる術式の一端すら見えない。唯一分かるのは、アレは別の世界のモノであるということのみ。
なぜ、あんなモノを天草が所有しているのか。浮かぶ疑問は消えることなく積み重なり、脳内を埋め尽くしていく。
そんな、全ての惑いを嘲笑うかのように。
その剣は、放たれた。
「───『
剣のカタチが解け、炎雷が駆ける。
螺旋を描く純白の光芒。
放った本人の認知すらも及ばぬ光速。
それ故。ニニギノミコトが、蘆屋道満が光を垣間見たその時既に。
極小の太陽は、砕け散っていた。
「貴様……!!」
道満はあらん限りの怒気を込めて、天草を睨みつける。
交錯する視線。剣の顕現に持てる全ての魔力と魂を注ぎ込んだ天草は消滅の間際、ただ慈しむような目で、唇だけを動かした。
「
決して声にはならぬ言葉。なれど、その内容だけは閃く落雷の如く伝わった。ぎ、と両の口端が鉄線を引き絞るように吊り上がる。
ニニギノミコトは呪符の下で微笑む。ほんの一瞬、彼は天草に視線を注ぎ、陰陽師の傀儡である御手に込める力を緩めた。
天の陽光に照り映える神剣。鉄の柄が手中を滑り、人差し指にかかる。
これでいい。この身は天上の恵みを地上に与える絡繰のようなもの。それが、人々を侵すことなどあってはならない。世界に英雄と認められた誇らしき我が子らに討たれるならば、これ以上の幸福はない。
鉄剣の先が土を掠める。その時、
「真面目にやれ、ニニギノミコト」
飢えた虎狼の如き双眸。噛み殺すような圧力を抱えた言の葉が、心の臓腑を捉えた。
「人間の本気なんざ神様に取っちゃ屁でもねえだろうがな、俺たちは命懸けて戦ってんだ。そこの股間爆裂陰陽師に操られてようが知ったことか、お膳立てされて手に入れた勝利に価値はねえ!!」
神は、我が身に剣を突き立てんと迫る男の顔を見る。
距離は三十間。なおも牙を剥く人間の姿に眼差しを馳せ、ニニギノミコトは神剣の柄を握り込んだ。
「……すまない。俺は君たちを侮っていた。ここからは、本気だ」
それを受けて、土方はさらに口の端を吊り上げる。
神と人の殺し合い。挨拶代わりに吼える銃火は神の五体に直撃するも、その玉体にひとつの掠り傷も付けることはない。淡き光を宿した神体は弾丸が触れた瞬間に、それを融かしてしまった。
彼我の間は未だに遠く。
剣の刃長では擲ちでもしない限り届かない。
だが、ニニギノミコトの手に在りしは神剣。自然の怒りたる八つ頭の怪物の裡より顕れた、星の剣だ。
だからこそ、この剣に射程はない。
世の万物の源流たる自然を体現し、接続する剣の間合いは地球全土に及ぶ。たとえ標的が地球の裏側にいようと、何もかもを切り裂いてみせるだろう。
人類ひとりひとりに向けても余りあるその力を、ニニギノミコトはたったひとりの男に注いだ。
咲き乱れる剣風。万物を微塵に断つ斬撃の渦の中を、人間は血液を振り乱しながらもその身ひとつで乗り越える。
それは次撃においても同じ。斬撃という不可視の現象を潜り抜けていく。五体には無数の傷が刻まれるものの、致命傷だけは避けていた。
数多の戦場を駆け抜けた経験の賜物。幾度の敗走を繰り返しながらも戦い抜いた生への執着、死への羨望。ニニギノミコトの殺気を読み、自身の間合いへと踏み込まんために直進を繰り返す。
神の思考はどこまでも効率的に、理合のままに、詰みの一手を講じた。
「……『神剣・天叢雲剣』」
その一刀は単純にして明快。
万物万象一切合切を斬る。
どのような怪物神魔であろうと、目に見えぬ概念でさえその刃は一刀のもとに斬り伏せる。
故に。
左肩から入り、右脇腹へと抜ける血の軌跡。
神剣は例外なく、人間を両断してみせた。
「これは俺の勝利ではない。そこな呪術師の勝利でもなく、ましてや君の敗北でもない。我がもうひとりの祖、スサノオが得し神剣に頼るしかない俺の弱さ故の決着だ」
淡々と紡がれる嘆き。
崩れ落ちる人間の体。
ニニギノミコトにとって、三種の神器とは他人の力に過ぎない。戦神として生を受けた訳でもなく、統治者として遣わされたこの身に搭載された戦闘機能は最低限のものだった。
自らの本気ですらも、誰かに委ねられている。これは相手の全力を汚す行為に他ならない。生まれからそうあるべきと定められた神が溢した独白は果たして───────
「───やるじゃねえか、ニニギノミコト!!」
────人間の声によって、光を見た。
初めに得た感情は驚愕。
次いで滲んだ安堵を、即座に畏敬の念が塗り潰す。
彼の体は確実に切断された。血と臓物を撒き散らして消滅するはずだった。だというのに、土方歳三はここにいる。生きている。
「お前は俺が最期に得た乗り越えるべき壁だ! そのお前が、シケた面してどうするってんだ!? ナメんなアホ!!」
「君は死んだはずだ。どうして戦える───!?」
「ハッ、んなこたぁ簡単だ! 子煩悩な親父にも分かりやすく教えてやる!」
啖呵とともに、強烈な踏み込みが地面を砕く。
「それは俺が───『
奔る剣閃。
空間を歪めるような刃鳴りが響き渡る。この地に天叢雲剣に優る剣はない。人の手によって鍛えられた得物など一撃で粉砕するはずの一合はしかし、欠片も落とさずに終わった。
「そうか、不滅。ヒトが持ち得る永遠の形! 俺は君たちがそれを持っていると知らなかったが故に斬れなかったのか───!!」
不死ならぬ不滅。土方が体現するのが不死であったなら、天叢雲剣はそれを斬って滅してみせただろう。
だが、彼の信念たる宝具は死という断絶を経てもけして陰らぬ不滅。
たとえ己が滅びようとも、誠の旗はどこまでもいつまでも残る。彼が生きた跡は消えることはない。
だから、ニニギノミコトと相対するその男は既に死んでいた。
「……ああ、俺は」
遥か昔、地上の支配者となるべく遣わされたニニギノミコトはある国津神の娘、コノハナノサクヤヒメと心を交わし、子を成した。だが、彼の妻となるはずだった女神は他にも存在していた。それがイワナガヒメである。
けれど、ニニギノミコトはその婚姻を断ってしまう。これに怒ったその国津神は〝イワナガヒメを嫁がせたのはニニギの子孫が岩のように永遠に生き永らえるよう願ってのことだ〟と説明した。
つまりは『
この国は元々国津神のものだった。それは彼らの権勢を奪い、己がものとする天孫への復讐だったのか。だとしても、ひとりの女神を選んだことへの悔いはなく。
───けれど、俺はたったそれだけのために人から永遠を奪った。
そう思っていた。
なのに。
「君の中に、永遠を見た」
人を救うはずの神が、人に救われるなんて。
「───ありがとう。君は、すごいやつだな」
「……礼を言うのは俺の方だ」
サーヴァントとして召喚された自身はいつか消える幻。
志半ばで終わった己が生に満足したとは言えない。それでも誇れるものがあるのだとすれば、それはきっと仲間たちとともに武士として生きたあの時間だ。
誰にも穢されぬ思い出。誠の志を見せつける相手が自分たちの祖だというのなら、どこにも文句はない。仲間にだって胸を張れる戦いだろう。
今度こそ、満ち足りた死に場所で。
「君は」
「お前は」
「「───この生における、俺の運命だ!!」」
宝具を維持する魔力が潰えるまでの時間。
十重二十重に剣戟がぶつかり合う。
土方の宝具はどんな傷を受けようとも戦闘を続行し、溜め込んだダメージを相手に返す。
彼の全身に走る傷。
それは比類なき神剣によるもの。
受けた攻撃を相手に返すというのなら。
この時だけは、彼の剣は神剣と同等の力を発揮していた。
だがしかし、得物が同等でも振るう者は神霊と英霊。性能には歴然とした差がある。そのうえ、後者は既に死に逝く身であり、じきに消滅を迎える存在。
一際激しく刃が衝突する。半円を描く刀を下方より神剣が打ち上げ、胴をがら空きにされる。
過たず、鉄の刀身が腹部に滑り込む。万物万象を斬る神剣に二度の見逃しはない。土方が体現する不滅という概念さえも断たれたならば、そこでこの戦いは終わってしまう。
冷える背筋を、燃え盛る炎が照りつける。
「『大江山大炎起』!!」
「『転身火生三昧』!!」
全身全霊の十連撃が神剣の一撃を凌ぎ、火炎の咆哮が神を押し流す。
破砕する骨刀。丸腰の茨木童子に向かって、土方は怒号を飛ばした。
「お前ら……余計なことしてんじゃねえ!!」
「黙れ! 主役は吾だ! 人間なんぞに見せ場を奪われてたまるかあああああ!!」
「とんでもない俗物ですわ……!!」
三者は同時にニニギノミコトへと殺到する。
天孫に毀傷はなかった。体に纏う衣、真床追衾。玉体を守護する聖衣は灼熱の息から彼を守り抜いていたのだ。
道満は敵の特攻を見下し、笑い飛ばす。
「くだらぬ! 敵が二人増えたところで、」
「『羅生門大怨起』!!」
「ぐゥゥ〜ッ!!?」
茨木童子の宝具。生前に切断された右腕を飛ばし、道満の顔面を殴り倒す。ついでに清姫が尻尾を叩きつけて地面に埋め込むと、その腕は主の元に舞い戻った。
茨木童子は即座に狙いをニニギノミコトへ定め直す。
「もういっちょ、『羅生門大怨起』!!」
「───『神剣・天叢雲剣』」
飛来した腕ごと、斬撃が鬼を断ち割る。
砕ける霊核。それでも彼女は笑って、
「吾らの勝ちだ」
神器解放の隙。既に彼我の距離を埋め尽くしていた土方は、一息に掌中のヤドリギを突き刺した。
神であるニニギノミコトに、ヤドリギが与える死から逃れる術はない。黄金の一矢が胸を刺し貫き、土方は膝から崩れ落ちる。
ニニギノミコトは噴き出す血を庇うこともせず、金色の粒子となって吹き流されていく土方の体を受け止めた。
ぱきん、と硬いものが割れる音が鳴り響く。
蛇竜と化した清姫は音の発生源を捉える。ニニギノミコトの背後に浮かぶ三つの勾玉。その中のひとつが、割れ落ちていた。
清姫の脳内に疑問が生じ、解決されようとしたその時。彼女を四方より取り囲んでいた呪符が爆散する。
「かっ、は───!?」
巨大な蛇体が地に伏せる。その遠くでぼこりと土が盛り上がり、道満が這い出した。
「ク、フフフフフ……ええ、褒めて差し上げましょう。まさかニニギノミコトの弑逆を成し遂げてみせるとは」
全身にこびりついた土を払い除けながら、くぐもった笑い声を朗々と響かせる陰陽師。彼は禍々しいまでの眼光を煌めかせて、
「しかしィ!! たかが一殺!! 天地の至宝たる三種の神器が、ニニギノミコトが、一度の死んだ程度で終わるとでもお思いですか!?」
三種の神器、最後の一角───八尺瓊勾玉。鏡が太陽を、剣が星を象徴するとすれば、勾玉が表すのは月。南北朝時代の政治家、北畠親房は勾玉を指して〝柔和善順を徳とす。慈悲の本源也〟と述べている。
慈悲の源たる勾玉。それは自らの破壊と引き換えに──────
「───その生命を、復活させる!! 貴方たちの戦いはすべて、無駄に終わったのだ!!」
ニニギノミコトの致命傷が塞がる。
神は手のひらに残った金色の残滓を握り締め、剣の切っ先を陰陽師の鼻頭に差し向けた。
「蘆屋道満。君を倒す」
「フッ、それこそ無駄なことでしょう。貴方との間に交わされた契約をお忘れですか? 神とて横紙破りは許されませぬ」
「ああ、そのことだが」
ふぉん、と剣が空を斬る。
道満の頬に一筋の赤い線が走る。血液が流れ出し、首筋を伝った。陰陽師は指先で切り傷をなぞると、絵の具を塗りたくったみたいに青褪めた。
「………………ン!!?!?」
咄嗟に後方へ跳び、呪符を構える。
これは召喚者に対して危害を加える禁忌に抵触している。その行動は制限されているうえ、無理やり契約を破れば相応の跳ね返りが来るはずだ。
が、ニニギノミコトはただ居直るのみ。額から提げられた呪符を剥ぎ取り、その紅顔をさらけ出す。
「───なぜだ!? 何時契約が破られた!?」
「……あのヤドリギに貫かれた後だ。理屈は分からないが、異国の聖遺物のようだな。君が知らないのも納得できる」
ニニギノミコトと蘆屋道満には知る由もない、神殺しのヤドリギの特性。第四特異点にてアンデルセンが語った、ヤドリギの真の意味。
死を以って魂の穢れを祓う浄罪の矢。
それは存在の変革を意味する。魔術王ですらこれを恐れ、フラウロスの復活を躊躇い、ノアの殺害を狙った。
ニニギノミコトはヤドリギに貫かれることで存在の変革を辿り、契約の縛りから解き放たれた。両者が理解できたのはその結果だけだ。
ニニギノミコトは必死に思考を巡らせる道満を尻目に、大地に萌芽する黄金の稲穂を一房摘み取る。
彼の手中で籾は純白の神米へと変じ、空中を揺蕩って清姫の口内に入り込んだ。
呪いに汚染された体が浄化され、傷ついた体も瞬時に治癒されていく。ニニギノミコトはそれを見届けると、陽射しの如き視線を陰陽師に傾ける。
「君の不死の法は神剣によって断たれた。それでも戦うか」
道満の表情が歪みに塗れる。無数の感情を混濁した面持ちは次第に冷めていき、一転して軋むような笑顔を形作った。
「ええ、ええ。常人ならば地面に額を擦りつけて許しを乞う場面です。そうしたところで見逃してはくれぬのでしょう?」
「いや、心を入れ替えるなら許すぞ。君も俺とサクヤの子のひとりだからな。反抗期は誰にでもあることだ」
「…………し、しかし!! 拙僧は常人ならぬ怪人、蘆屋道満!! 相手が神であろうと下げる頭は持っておりませぬ! そして、ここで貴方を倒したなら、晴明を超えたも同義!!」
「晴明……安倍晴明か。君は彼を超えるために俺を従えていたのか」
ニニギノミコトは考え込むような仕草をして、
「だが、俺を従え、俺に勝ったとしても安倍晴明には勝てないぞ」
直後、場の空気が凍りつく。
面を伏せる道満に、ニニギノミコトは続けて言った。
「晴明に勝つと言うのなら、俺ではなく彼と戦うべきだ。君自身、俺に勝ったからと言って満足するような性格ではないはず────」
「急急如律令!!」
渾身の悪意を乗せた呪いが爆ぜる。
ニニギノミコトは微動だにしない。体表を覆う光が触れたそばから呪いを浄化していく。
どろり、と道満の唇から血が溢れ出す。
呪詛返し。呪術は呪術によって防がれた場合、術者に跳ね返るという東洋呪術の絶対的なルール。ニニギノミコトは言の葉を紡ぐこともなく、因果応報を成し遂げてみせた。
日輪の継嗣たるニニギに穢れである呪術は効かない。天照らす光の御子はその輝きによって、あらゆる呪詛を無効化する。
この時点で、道満が得手とする呪術は封じられた。
───ならば、陰陽術で攻める。
陰陽師の世界観では、万象は陰の金水と陽の火木、その中間の土の属性が絡み合い成立すると考えられている。
ニニギノミコトの力をこれに当てはめるなら陽───火と木の属性。道満は二枚の呪符を揃え、その形態を変じさせた。
一枚は鋭く尖った金属の刃に。
もう一枚は巨大な水の塊に。
相剋。陰陽五行説において火は水に弱く、木は金に弱い。ニニギノミコトの権能に対する弱点となる武器を道満は揃えた。
さらにもう二枚の呪符。それぞれは黄と白の魔力を宿していた。黄の札を金属の刃に、白の札を水の塊に捧げると、それらは爆発的な勢いで勢力を増していった。
相生。土属性は金属性を、金属性は水属性を強化する。
相剋の魔術を相生によって高める。道満は術式の完成と同時に、それを撃ち出した。
「……くっ」
その嗚咽は小さく。
道満が見たのは微塵に斬られた金属の破片と、敵の周囲だけを砕き、地面に染み込む水の姿だった。
ニニギノミコトは血混じりの唾を吐き出し、
「良い魔術だ。陰陽術において君に勝る術師はそれこそ安倍晴明くらいだろう」
道満は奥歯が軋む音を聞いた。
激情に染まる脳は流れるように次手を模索する。
今の攻撃を続行する───同じ手を打ち続ければ対応される。相手には神剣があり、こちらは不死の法を失った。長期戦に望みはない。
式神を行使する───ニニギノミコトほどの神に対抗できる手駒はいない。壁を並べ立てたところで両断されるのがオチだ。
逃げる───それこそ有り得ない。この土壇場で逃げたとしても、Eチームが聖杯を手に入れるのを指を咥えて見ていることしかできない。残る最後の特異点に移動するという手段も、座標が不明なために不可能。
(……これは、詰みましたねぇ)
八方塞がりとはまさにこのこと。
自分が有する術式の中に、ニニギノミコトに勝てるものは存在しない。
くすくす、と頭の中で女の声が響く。
〝自分の魔術では勝てないのだろう? 後は簡単じゃないか。少し、手伝いをしてやるよ〟
知恵の女神ソフィア。その言葉を聞き、道満は気付いた。
自分の術では勝てない。
それなら、他人の術は?
「…………ふ」
そう、気付いた。
気付いてしまった。
想起するのは、ソフィアの言葉。
〝世の理を侵したろくでなしに、ろくな未来が与えられると思うなよ〟
あの女は。
〝───未来を見るのは、もうやめたんだ〟
あの女は─────!!!
「巫山戯るな知恵の女神ィィィッ!! そうか、これが貴様の狙いか!! この儂が辿り着く未来、貴様の目には見えていたな!? おのれ、謀りおって……許さぬ、決して許さぬぞソフィアァァァァァ!!!」
天を突く怒号。道満は恥も外聞もなく涙を流し、その視線で刺し殺さんばかりに空を睨みつける。
ニニギノミコトはおろおろとして、
「ど、どうした。頭でも打ったのか。分かった、君のことは許」
「黙れ黙れ黙れェ!! 貴様の同情に価値はない!! ソソソソソ……」
「そ、ソソソソソ……?」
涙に入り交じる朱。それは徐々に色濃くなり、真っ赤な血の涙となった。
───かくして、ろくでなしはろくでもない未来に辿り着く。
道満は投げ捨てるように、十二枚の札を自身の周囲に配置する。
「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神!!」
現存最後の陰陽術書『占事略決』。
日本の陰陽術は大陸から伝来した式占術に由来する。式占術の中でも特に太乙神数、奇門遁甲、六壬神課は三式と呼ばれて広く地位を獲得していた。
その書に記されたのは六壬神課の秘奥。
「害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具!!」
六壬神課の秘奥とは十二の方角それぞれに対応する式神の使役法。
占事略決は後世の陰陽師たちの教本となり、いつしか陰陽術の規範となっていった。
十二柱の式神は十二天将と称されたが、果たして、全ての陰陽術がそれを扱えたのかは定かではない。
なぜなら、十二天将を従えたのは──────
「安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る────!!」
────安倍晴明。蘆屋道満がかつて敗北を繰り返した、平安最強最高の陰陽師なのである。
「『六壬神課・十二天将』!!!」
あの男の書は一字一句覚えるほどに読み尽くした。
晴明を超える。
晴明に勝つ。
それさえ成すことができたなら、他に望みはない。
けれど、己の何もかもを擲っても望みが叶うことはなかった。
ニニギノミコトが言ったことは道理だ。彼に勝ったからといって、それが晴明に勝ったことにはならない。この戦いに何ら意味はなく、自己満足にすらならない。
なのに。そうだとしても。
負けたくない。それだけが、今の道満を突き動かす理由だった。
奴に勝つためには、他の誰にも負けてはならない。誰かに負けることを受け容れる自分なんて否定してもしきれない。
醜くとも足掻く。結局、それしか芸のない人間だから。
そうして、舞い降りるのは安倍晴明の式神十二天将。騰蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍、貴人、天后、太陰、玄武、太裳、白虎、天空。無類の式神を従え、道満は哮り立つ。
「覚悟せよ、ニニギノミコト! 必ず貴様を打ち倒し、我が式としてくれようぞ!!」
今まで道満を心配するように見つめていたニニギノミコト。その宣言を受け、瞳に鋭い光を宿す。
立つ刀身は十二天将への警戒の表れか。ニニギノミコトは道満の動きを待たず、神剣を振るった。
空間に発生する斬撃。十二天将を掻い潜り、術者を狙った一撃に狂いはなく。
されど、それは道満に掠り傷すら与えられなかった。
「……!」
ニニギノミコトは目を剥く。絶対的な信頼を置く神剣が通じなかったのだから当然だ。
十二方位を余さず守護する十二天将。彼らが形成する陣はそれ自体が完成した防壁。完成しているが故に何者も入り込む隙はなく、傷つくこともない。その内に在る術者もまた、その加護を受けているために如何なる攻撃にも侵されない。
十二天将による全周絶対防御。怨敵の、しかも知恵の女神の手助けを借りて成立した安倍晴明究極の術式。道満は一層激しく血涙を垂れ流し、
「ソソソソソソ!! これぞ十二天将! 我が手で奴の術を穢すと思えばこれも悪くはありませぬなァ!!!」
「……本心を言ってもいいんだぞ?」
「侮るなニニギノミコト! 貴様なぞに我が心根を探られてたまるものかァァァ!!」
「そ、そうか。今の君は見ていられないな。前にも増して」
剣戟と閃光が激突する。
無数の刃が閃き、十二天将の権能が地を席巻する。神話にも語られぬ戦は他の何者をも寄せつけぬ威容を以って広がっていく。
単純に数えて道満の手数は十三倍。ニニギノミコトを遥かに上回る手数で攻め立て、神霊の玉体に次々と血を流させる。
彼を召喚した者として、その性能は把握している。十二天将を得たいま、道満は人の身にして優位を確保していた。
だが、十二天将の防御にはシステム的な陥穽がある。
全周囲を守護された術師は確かに無敵だ。しかし、十二天将の一体一体は違う。仮に十二天将の朱雀が消滅すれば、南方の防御は失われるのだ。
ニニギノミコトはその結論に至るとともに、十二天将にして四神の一柱たる玄武に斬撃を重ねていく。
(高覧せよ、知恵の女神。我が敗北の未来を)
血飛沫をあげて息絶える玄武。
北方守護の天将が欠け、ニニギノミコトは目にも留まらぬ速度で失した方角に回り込む。
(貴女は所詮、余計な野次を飛ばし、見ているだけ。その目に映る未来もまた同じ。自らが見た未来と変わらぬ結果にならなければ安心できない異常者でありましょう)
教えてやろう。
神に愛された者でなくとも。
未来は、運命は変えられるのだと。
───冷たい刃が空を駆ける。その時、勝敗は決まっていた。
(……茨の王冠を戴いた男に望んだ未来を捻じ曲げられたが故に)
ニニギノミコトが十二天将だけを狙うことは分かっていた。晴明の本を隅々まで覚え尽くしたがために、その弱点もとうの昔に把握していた。
だから、あえてそうさせた。
玄武、北の護りが欠けたということは。
敵は必ずそこに来る────!!
「「終わりだ!!」」
必殺を期した一撃が交わる。
神剣の斬撃と、玄武以外による総攻撃。
それは奇しくも同時に命中し、道満は下卑た笑みを浮かべて天への哄笑を轟かせた。
「ンンンンン! 見るがいい、ソフィア!! これは敗北ではなく引き分けだ!!」
命のストックである勾玉が砕ける。
ニニギノミコトは陰陽師の顔を見据えて、呟いた。
「……見事だ、蘆屋道満」
Eチーム。そして沖田と信長は息を荒げながら高千穂峰山頂を目前にする。
激闘の余波で山の地形は大きく変わっていた。山を登る途中で続発した土砂崩れのせいで、彼らは泥まみれになっていた。上空で趨勢を見守っていたスサノオもいないことから、何か異常事態が発生したことは間違いない。
ノアはすっかり体力を使い果たしたダンテの首を腕で挟んで運びながら、
「おまえら、準備はいいな。気合入れろ。どんな敵がいようが俺が俺な時点で勝ちは決まってるがな」
「リーダー、ダンテさんの首がいい感じにキマってます」
「そもそも俺の才能は青天井だ。進化の速さもタケノコ以上だしな。新しく考えた魔術で敵の顔を土気色にしてやる」
「リーダー、ダンテさんの顔が土気色になってきました」
立香はダンテの足を抱えると、一息に引き抜いた。沖田と信長はそんな光景を冷めた目で眺めていた。
「なーにこんな時にイチャついとんじゃ、あいつら。サルとか家康とか戦場に女連れ込んでたけど」
「近藤さんもめちゃくちゃ愛人いましたからね」
「あの、話の方向がズレまくっているのですが。わたしは正体不明のムカつきが心を揺らしています。ペレアスさん、これはそういうことですね?」
「マシュちゃん、そこから先は地獄だぞ」
「『説得力がすごい……』」
ペレアスは虚ろな目をするマシュを励ますように言った。つい数秒前まで撃沈していたダンテは咳き込みながら立ち上がる。
「しかし、これほどの被害をもたらす敵です。是非油断しないように戦いましょう。私は後ろから応援してるので」
「……ケツに火ぃつけたらアンタでも前に出るのかしら」
「ジャンヌさん、私の臀部に視線を向けるのはやめてください!」
せっかく助けた相手が焼かれるのは心が引ける。立香は両手を打ち鳴らして、アホ共の注意を引きつける。
「と、とにかく! これで終わりと思ったらやる気も出るってものですよね! 頂上に上がったらみんなで宝具ぶっぱするのはどうですか!?」
「悪くないわね。肩慣らしも済んでることですし」
「敵の意表を突くのが戦に勝つ鉄則じゃからな。桶狭間とか!!」
「あと本能寺とか?」
剣豪沖田総司による鋭すぎる一言が信長の背中を刺す。
いざ最終戦。長く苦しい戦いもこれで終わりを迎える。帰ってシャワーを浴びることしか考えていないEチーム一行が意気揚々と山頂に突撃すると、
「そしたら、安珍さまはなぜか逃げ出してしまいまして」
「むう。それは酷いな、気の毒だ」
「いや、竜に追い掛けられたら誰でも逃げるよね。終いには鐘の中で焼かれてるからね、安珍くん」
竜状態の清姫と天然風味な見知らぬ神霊、そしてスサノオが山盛りの白米を取り囲んで談笑に耽っていた。
スサノオはEチーム以下一同に気付くと、満面の笑みで手を振る。
「おう、よく来たのう! 腹が減ったじゃろ、米ならあるぞう! ニニギ印の米は高天原でも評ば───」
「何やってんだァァァ!!」
瞬間、ノアの飛び蹴りがスサノオの顔面に突き刺さった。彼は続けてその胸ぐらを掴み上げて、
「オイオイオイ、俺たちがどんだけの激闘を乗り越えてきたと思ってんだ。おまえのニートっぷりも遂に頂点に達したみてえだな。つーか米だけってふざけてんのかァァ!!!」
「一番怒るとこそこ!? なんだかんだ決着はついたんじゃ、最後の仕事をする前に語らいたい儂の気持ちも考えろ!!」
「戦いに赴く前の者との会話は大切だぞ。スサノオの好意を無駄にしてはいけない」
「いや、誰だおまえ」
問われ、天然風な神霊は答える。
「ニニギノミコトだ。君とは何だか近しい雰囲気を感じるな」
一同を代表して、立香は叫んだ。
「どこがですか!?」
「『ニニギノミコトとバルドルはどちらも王位の後継者だったからね。近いと言えば近いかもしれない』」
「そっちは俺の本当の名前じゃないがな。こんなとぼけたやつと一緒にすんな」
「む、それは失礼した」
そう言って頭を下げようとするのを、ペレアスは手を振って止めた。
「謝るな謝るな! こんな邪悪の化身に!」
「それで言ったらおまえは地味の化身だけどな」
「じゃあ私はペレアス様のお嫁さんの化身ですわ」
「全員アホの化身ね。最後に至っては本体だし」
ジャンヌはぼそりと独りごちる。
その横で、マシュは天御柱とスサノオを交互に見て首を傾げた。天御柱から魔力は失われているのに、スサノオが変わっている様子はない。
「……作戦では天御柱の魔力を使って、強くなったスサノオさんが高天原まで聖杯を取りに行くのですよね。気配は今までと変わっていないように見えるのですが」
「天御柱の魔力は蘆屋道満が俺を召喚するために使ってしまった。彼に代わって俺が謝ろう」
ノアたちは一斉に顔を見合わせる。彼らの脳みそは全く同じ文句を浮かべていた。
───またあいつか。
もはや叫ぶ気力もなかった。気が遠くなるほど真っ青な空を眺めると、どことなく高笑いする陰陽師の幻覚が映り込んでくる。
立香は左右に頭を振って、なんとかその幻覚から逃れた。
「それじゃあ、スサノオ&ニニギノミコトのドリームタッグで聖杯を……?」
「スサノオに勝てる者は天津神にも国津神にもいない。彼を強くした方が得だ。大丈夫だ、力を取り戻す方法はある」
ニニギノミコトはひとつ残った勾玉を左手に、神剣を右手に取る。
「勾玉を取り込めば魔力は補充できる。少なくとも俺ひとり分の魂にはなるからな。そして、この剣はスサノオが手に入れたモノであり象徴だ。彼が持てば神格そのものの強化になる」
「おお、僥倖とはまさにこのことですねえ。私の幸運Eが影響しなくてよかったです」
「道満ってやつが裏目っただけじゃねえか?」
ペレアスの言い草に反論する者はいなかった。
ニニギノミコトはスサノオに剣を渡し、次に手のひら大の勾玉を口に押し付ける。想像よりも遥かに原始的かつ直接的な手段に、スサノオは腕を掴んで必死に抵抗する。
「ま、待て待て待てぃ! そんなデカいの呑み込めんのじゃが!」
「おくすり飲めたね買ってきましょうか? 私も中学生まで使ってましたよ」
「ゼリーでどうにかなる大きさじゃなくね!?」
「仕方がないな。待ってくれ、砕いて粉にする」
「『三種の神器の扱いが雑すぎる……』」
ロマンは無残な姿になっていく勾玉を涙を流しながら見ていた。関係者が目の当たりにすれば目を覆って泣き出しかねない惨状だ。
ニニギノミコトは粉々になった勾玉をスサノオの口に注いだ。すると、やにわに全身が発光し、ぐんと背丈が伸びる。
幼い姿から、豊かな髭をたくわえた武人へと。
「……まあ、まだるっこしいのは抜きにして言っておくかのう」
スサノオは白い歯を見せて笑み、
「全部、この俺に任せておけ」
それだけ言って、遥か天上へ飛翔した。
見る見るうちに空の点になっていくスサノオを見送り、信長は何となしに清姫の方を向く。
「……そういえば、ずっと竜のままじゃが戻らないんか?」
清姫はぎくりと震えて、冷や汗を滲ませた。数秒の沈黙を経て、意を決したように告白する。
「そ、その。つい先ほどから、戻れなくなってしまったんです!!」
悲痛な叫びとともに突風が吹き荒れる。清姫にとってはいつも通りの声でも、体は竜だ。立香は鼓膜を大いに揺らされ、くらくらと目眩を覚えた。
リースはそんなことは全く気にしていない様子で、顎に手を当てて考える。
「サーヴァントにとって宝具を使うのは息をするようなものですから、何かしらの理由があると思いますわ」
「なるほどな。具合が悪かったりしねえのか?」
「いえ、むしろ絶好調で……空も飛べそうですわ」
「……もしかしたら、怪物としての竜から精霊・神霊としての龍になってしまったのかもしれないな」
ニニギノミコトはさらりと言った。
東洋における龍とは水神であることが多い。西洋では専ら倒されるべき怪物と描写されるが、竜ならぬ龍とは本来神の類なのだ。何でも、彼女の怪我を治すために与えた神米が影響して、半歩高次の位階に進んでしまったのだとか。
それに付け加えて。
「大陸には善妙という女性が留学僧に一目惚れして、その航海を護るために海に飛び込んで龍に化身する話があるが……君もそうなのだろう。世界のために俺と戦った君が龍になれるのは当然のことだ」
「ニニギさんのお米が凄いのか、清姫さんが凄いのか……」
沖田はしみじみと感想を述べた。空も飛べそう、と言う清姫だったが、事実その体は浮いていた。
ノアはニヤリと嫌な予感のする笑みを作る。
「よし、高天原まで飛ぶぞ。連れてけ」
「何言ってるんですかノアさん!? スサノオさんに任せておけば良いじゃないですか!!」
「そうですよ。どんだけ高い場所にあると思ってるんですか。ほぼ宇宙みたいなところですよ」
「おまえら、よく考えろ。あのアホに任せっきりで安心できるか?」
Eチーム一同は暫時真剣にその言葉を咀嚼する。振り返るのは今までのスサノオの言動と行動。立香は自身の記憶を洗い直す。
スサノオは確かに強いが、強いだけで他は目も当てられない。
というよりも。
現代を生きる人間が何時までも神様に頼っていて良いのか。
過去の英霊たちに散々頼ってきた自分が言えたことではないけれど、だからといって頼りっきりになるほど恥知らずでもない。
スサノオは全部任せろと言ったが。
少しは手伝わせろと、言い返してやらなければならない気がした。
立香はノアの手を握る。
「行きましょう。……高いところ、苦手だからこうさせてください」
「先輩、わたしにしがみついても良いんですよ」
「…………あの、わたくしの意思は?」
清姫はおずおずと質問する。リースは貼り付けたみたいな笑顔で答えた。
「今度こそ安珍さんを逃さないために、飛ぶ練習をしておくべきでしょう?」
「確かに───!! さすがリースさんですわ! さあ、早く乗ってくださいませ!!」
「『き、詭弁……』」
ぞろぞろと清姫の背中に乗り込むEチーム。上空の環境に耐えるため、ノアは簡易的な結界を刻む。すると、一行は荒れ始めた空へ飛び去る。
ニニギノミコトは地上に残った沖田と信長を見遣った。
「……君たちは行かないのか」
「何人も乗ったら重そうですし」
「うむ。もしものために残る人間も必要じゃろ。むしろお主は行かんのか?」
「俺は天に剣を差し向けることはできない。神器を預かるとは、そういう意味を持つ」
だからこそ、ニニギノミコトは天の法を地上に敷くことができたのだろう。彼より先に葦原中津国に遣わされた、アメノワカヒコとは違って。
「だが、スサノオは天への叛逆を行ってみせた。半ば誤解のようなものだったが、我らが日輪の女神に勝ったことがあるのは後にも先にも彼だけだろう」
───スサノオは天上へ駆け上がる。
その昔。自らの支配域である海原から追放されたスサノオは、母イザナミに会う前に高天原の姉に断りを入れるため、天を目指した。
しかし、その際に山と川が鳴動し、大地が揺れる災害を引き起こした。太陽の女神はそれを見て、スサノオが高天原を奪いに来たのだと早合点してしまう。
それは、神話の再現。
今度は勘違いではなく、真に高天原を蹂躙する。
山が揺れ、川が嘶き、大地が鳴く。
ありとあらゆる天変地異を引き連れ、スサノオは翔んでいく。それなるは荒ぶる神、自然の暴虐をその存在で顕す厄神であった。
厄神。なれど、その両手には二振りの剣。
八岐大蛇を斬った愛刀、天羽々斬。
そして、八岐大蛇の裡より顕れた神剣、天叢雲剣。
地上へ降り、英雄となったスサノオの象徴───厄神と英雄神、両方の性質を有する彼ほど和御魂と荒御魂の差が激しい神はいないだろう。
その目は天から降り注ぐ光を捉える。
太陽の光とともに降り来る、無数の天津神。高天原に反旗を翻すスサノオを排除するため遣わされた神々は一斉に得物を向けた。
───よくできた人形だ。
二振りの剣が斬風を巻き起こす。
その一撃で、目に見える敵は誰も彼もが切り裂かれた。
上天に舞う血の雨粒。天変地異に入り混じる肉片と血液に彩られ、スサノオは凄烈に天空を昇る。
神の軍勢は高度を増す度に多くなり。
スサノオはその度に敵を一刀に斬り伏せていく。
これぞ叛逆の英雄神。
日本神話世界最強の神格。
この天地に、彼を止め得る存在は有り得ない。
個の武威を突き詰めた究極はただ一柱、天を斬り上がり──────
「……見えた」
────遂に、畏敬すべき姉神の姿を認めた。
天津神のことごとくを斬り殺したスサノオの顔は喜色に満ちていた。戦場に在ってこそその心臓は常の鼓動を打ち、誇らしげに微笑む。
穢れ無き天上の世界。その門前に太陽の女神は立っていた。
剣を佩き、弓を握る姉神は無言のままに矢を番える。
鏃に宿る光は太陽の輝きそのもの。一度撃てば最後、日輪の熱は天から地上の万物を消し飛ばしてみせるだろう。
交錯する視線。太陽の女神は確かに、忘れもしないあの頃の容姿と全く変わっていなかった。
「偽物が」
死合は刹那、光速の射撃さえも天羽々斬で斬り捨て、すれ違いざまに天叢雲剣が敵の胴を断つ。
核融合の光熱が爆ぜる。
スサノオは倒れた女神に呼びかけた。
「───正体を見せろ。我が姉の姿を騙った罪、万回死のうとも支払えるものではないぞ」
常人が発狂するに余りある殺意。
太陽の女神はくすりくすりと嘲笑を漏らした。
「…………あーあ、つまらない」
臓物を撒き散らした上半身と下半身がひとりでに動き、傷跡さえなく接合される。
「私、神様って嫌いなんです」
陽炎の如く、揺らめきながら立ち上がる。細く白い五指が顔を這い、表情を覆い隠す。
「だって、上から見下ろすだけで何もしてくれないじゃないですか」
つい、と指が額から鼻、顎をなぞっていく。
徐々にその顔が、体が、存在が回帰する。
白濁とした長髪。昏く紅い瞳。虚ろな白色の頭髪に赤い帯が差し、皮膚の上に漆黒の影が衣となって纏われる。怖気さえ覚える艶姿の少女は、唇だけを歪めた。
「───はい。見事大正解です。私の変装、そんなに下手っぴでした? 魂まで真似たのに」
「下手も下手、下手糞よ。姿形、存在を真似ようともこの特異点が貴様が偽物であることを語っておる。姉上が人草を巻き込む侵略戦争を起こすはずなかろう」
「その答え、とってもつまらないです。大体、あなただって偽物でしょう」
「要領を得んな。それこそつまらぬぞ」
少女は肩を竦めてため息をつく。
「だから、全部偽物なんですよ。ああ、でもアレは面白かったです。アメノワカヒコ───あの無様さは、神様らしくて笑っちゃいました」
「あいつを弄んだのは貴様か。ちょうど良い、殺す理由が増えた」
「はい。私はどんなものにでも成れるし造れるんです。あなたの姉さんも、『
「ふ、くだらぬ。貴様の心の臓はアメノワカヒコに射抜かれたというのに」
スサノオが見据える先。少女の胸の中心が、刳り貫かれたみたいに孔が空いていた。
〝あの太陽が偽りの神であるならば、この矢当たれ〟、アメノワカヒコが最後に放った矢は確実に偽神たる少女の心臓を刺し通していたのだ。
少女はきょとんとした顔でその孔を指でなぞり、別の仮面を被ったみたいに怒気に彩られた表情になる。
「…………ああ、忘れてました。あの時私はタカミムスヒだったのに『
「タカミムスヒは常にあいつを見ていた。貴様の偽物ではなく、本物のタカミムスヒがな。それが分からぬから、貴様はここで死ぬのだ」
「あなたが私を殺す? 無理ですよ」
「……誰がお前を殺すと言った」
瞬間、Eチームを乗せた龍が飛び上がる。スサノオの後を追い、辿り着いた彼らは即座に敵を認識した。
ノアの手に煌めく黄金の枝。
少女が振り向いた時既に、必殺の一矢は飛翔した。
「『
金色の光条が少女の鳩尾を穿つ。
ぐらりと影に包まれた体が傾く。神殺しのヤドリギは遍く神と不死を滅する。スサノオに斬られても再生する不死性を持った彼女もまた、例外ではなかった。
その体は振り子のように右へ左へ揺れて、
「私、無理だって言いましたよね?」
少女は嘲るような笑みを浮かべた。
白い手を自らの鳩尾に突き入れ、内臓を掻き乱しながらヤドリギを取り出す。ねっとりと鮮やかな赤色の糸を引く黄金の鏃を舌に乗せ、一気に飲み下す。
背骨を駆け巡る戦慄。ノアたちを嘲る少女はいつまでも命を落とすことはなく。くすくすと鼓膜を揺さぶる音が、目の前の光景が現実なのだと思い知らされる。
立香は呆然と呟いた。
「ヤドリギが効かない……?」
そんなことはありえない。ありえないはずだった。今まで黄金の聖枝は命中した者を一切死に至らしめてきた。世にまたとない神性、不死性殺しの概念は少女に何ら意味をなしていない。
ノアは苛立たしげに舌打ちして、ロマンに語りかける。
「聖杯の反応はどこだ。あいつを倒す必要はねえ、とっとと回収してこの特異点を終わらせる!!」
「『……ノアくん。聖杯は目の前だ』」
「はあ!?」
聖杯の反応は目の前にある。
ノアの眼前には黒と白の少女しか写っていない。聖杯など影も形も見当たらない。それが示す事実はひとつ。彼女はこくりと頷いた。
「そう、私こそが聖杯。この特異点を創り出した根源です」
誰もが耳を、目を疑う中で、唯一機械的観測を可能としていたロマンだけはそれを肯定する。
「『恐らく間違いない。彼女は生きた聖杯! 番外特異点を発生させた張本人だ!!』」
「番外特異点……ちょっと違います」
少女は世界を抱くように両腕を広げて、
「この特異点は私の被造物。造物主たる私が創ったのなら
「…………おまえの真名は、まさか」
ノアが言うよりも先に、少女は告げる。
「───プリテンダー、ヤルダバオト/デミウルゴス/サクラス。サクラって呼んでください。ほら、表記揺れってあるでしょう。サクラとサクラスどっちでも良いんですけど、この体にはサクラと名乗った方がしっくり来るんです。……あんなのに名付けられたのは癪ですが」
サクラは朗々と歌うように名乗り上げた。
ノアは奥歯を噛み締める。
ヤルダバオト、デミウルゴス、サクラス。いずれもグノーシス主義神話における造物主の名前。真の神に成り代わってこの物質界を創造し、自らを真の神と思い込む欺瞞の神格だ。
硬直するノアたちを見て、サクラは腹を抱えて笑い声をあげた。
「あははっ! その顔、最高です! ねえ、どんな気分ですか? 私の箱庭で無駄に戦い続けてきた感想は!! 虚しいですか、哀しいですか!? でも残念、あなたたちの冒険はここでおしまいです!! 何の意味もない死を迎える絶望、じっっくり見せてもらいますから…………!!!」
「───ハッ。何の意味もないなどと、貴様は愚かじゃのう!!」
無機質な眼差しがスサノオを差す。
石像のように冷たい顔貌。サクラはわざとらしく首を傾げる。スサノオは剣を弄ぶように振り回しながら、言葉を吐き捨てる。
「たとえここが貴様の創った世界だろうと、得た経験と記憶と感情は本物であろうが!! 目に見えるものだけでしか真贋を語れぬとは、へそで茶が沸かせるわ!!」
「……そういう少年漫画的な熱血回答は要らないんですけど。何だか興醒めしちゃいました」
サクラの十指が下腹部を這う。二本の線による山なりの形を逆にした刻印が魔力を胎動させた。
かちり、世界の色が切り替わる。白と黒だけで描写された風景。人物だけが元の色のまま、世界に取り残されていた。サクラは冷徹な声音を響かせる。
「私の特異点で地球を覆います。そうですね……人間と虫の立場でも逆転させてみましょうか」
「あ、それ無理。儂が斬っといたから」
「…………はい?」
スサノオは天叢雲剣をくるくると回し、
「天叢雲剣は万物万象を切断する。故に斬った。この特異点をな。貴様の聖杯で特異点を創ることは二度とできぬ」
サクラは斬れずとも、彼女が創った世界は斬れる。特異点とは魔術王が人理焼却の際に人類史に打ち込んだ楔。その時だからこそ出来た芸当だ。微小のものならばともかく、この規模の特異点を滑り込ませることはとうに不可能だ。
サクラの表情筋が凍りつく。数秒後、彼女は眼球を血走らせて、歯を砕かんばかりに食いしばった。
「こッの……髭ぼうぼうになるまで海で泣き喚いて仕事もしなかった挙句、天界を荒らして追放された万年不真面目ニートマザコン神のくせに────ッッ!!!」
「え、待って、泣いていい?」
「事実だろ」
「『事実陳列罪かな』」
少女は肩を怒らせて鼻を鳴らし、不機嫌さを隠しもせずに踵を返す。
「……ふんだ。もういいです。最後の特異点で遊ぶので。カルデアの人も早く来てくださいね」
「アンタに言われなくたって行ってやるわよ。ああ、散々イキってたのに発狂して逃げ帰る気分はどう? カルデアの貴重な資料として保存しといてあげるわ」
「わたしは皆さんの弱みを握るためにボイスレコーダーを持ち歩いているので、さっきの醜態も録音済みです」
「私のサーヴァントが怖すぎる件について」
「とんでもない人たちですわ……」
立香と清姫は妙に居心地の悪い気分になる。ペレアスとダンテも同様に、肩を竦めて目を泳がせていた。それとは対照的に、ノアはこの世のものとは思えない悪辣な顔で、
「そういうことだ! おまえの無様な醜態はカルデア全職員に共有して毎日十回は確認するように義務付けてやる!! もちろん魔術王をぶっ倒した後はネットの海に流してやるから覚悟しろ!!」
「あなたみたいなクズっているんですね」
「うるせえ!!!」
「でも、さすがの私も怒りました」
サクラは瞬時にノアたちの後ろに回り込むと、背中から石の翼を展開し、彼らを包んだ。
「あなたたちのくだらない日常を見せつけられるのも飽きたので、このまま次の特異点に連れて行ってあげます。レイシフトの存在証明が途切れるのでどうなるかは知りませんけど、一兆分の一の確率くらいで無事に辿り着くと思いますよ」
Eチームは驚愕の声を轟かせる。青褪めた彼らの顔色を見てサクラは微笑し、空間にこじ開けた穴に飛び込んだ。
「チッ───!!」
スサノオは咄嗟に天叢雲剣をサクラに投擲する。彼女の体を横腹から貫通したそれも甲斐無く、サクラとEチームは虚空の向こうへ消えていく。
立香は思わず目を閉じ、ノアの腕に縋りついた。
そこから、体感した時間は一瞬のような、とても長い時間だったような───確かに言えるのは、ノアの手がしっかりと握り返していてくれたことだけだ。
まぶたを開ける。
灰色の街並み。ちかちかと信号機が点滅する交差点。立香たちは、いつの間にか無人の街に立っていた。
「最近はよく迷い人が来る」
不意に響く声。反射的にその方向に振り向く。視界に映るのは異様なほどに細身で燕尾服を着こなし、真っ黒な肌をした男だった。
「俺はゲーデ。性と死を司る神だ。君たちと会うのは初めてかな」
黄金で造られた宮殿の廊下を、赤衣を纏った青年が歩く。
造りが豪華なら、道々に配置された調度品も豪奢豪勢そのもの。痛々しいくらいに貴金属を用いた光景は目眩を起こしてしまいそうだ。
青年は気だるさを息に乗せて吐き出す。全く趣味に合わないこの景色も、最近は少し離れていたせいか懐かしいと感じてしまう。そんな自分に嫌気が差した。
ただ、こんな場所にも美しいと言えるものはある。
時に激しく、時に優雅に勇壮に奏でられるピアノの音色。目まぐるしく色合いが変化する音は聞いていて心地が良い。
その音が流れ出す部屋こそが、青年の目指す場所だった。
男は一心不乱にピアノを演奏していた。が、部屋に足を踏み入れた途端、鍵盤に手のひらを叩きつける。しかも頭を掻き毟って椅子ごと後ろに倒れてしまう。
「───駄目だ、弾けないッ!! 私の音色では、私の技巧では何をどうやっても絶対に弾けない!! かの詩人が見た天国の光景を表す音はこんな低俗なモノではないはずなのだァァァッ!!!」
じたばたともがき苦しむ碧眼の美男子。青年は彼の顔を覗き込んで、
「相変わらずですね、六本指」
そうとだけ言うと、彼はけろりと表情を柔らかくした。
「やあ。君の趣味はもう終わったのかね」
「ええ。ところで、シモンは?」
「直ぐに来るさ。ほら、次元に穴が開いた」
虚空に切り開かれた隙間から、金髪褐色の女が体を出す。黒と銀のローブは血がこびりついていた。シモン・マグスは魔術で布に染みた血を抜き取りながら、唐突に訊く。
「『回転する炎の剣』を使ったか?」
「やむを得ず。カルデアが敗北するよりは幾分良いかと」
「ああ、君の判断は正しいよ。魔術王如き偽物の計画が成就するのはとても困る」
ところで、とシモンは前置きする。
「君はまだ、人類を救う方法として
「…………人類は永遠を獲得するべきだと思いますが」
「アレほど低俗な魔法はない」
次元を渡る魔術師は憎悪にも近い嫌悪を込めて言い切った。
「本来人間が唯一持つ高次元体である魂を物質界の軛に繋ぐなど、悍ましい所業だよ。根源に接続する可能性すらあるというのに、それを捨て苦しみに満ちた物質界で永遠に生きることを強制する……第三魔法は人類に永遠の苦痛を約する法だ」
シモンは相変わらずピアノの前で寝転がる男に向けて問いかける。
「君はどう思う?」
「第三魔法、素晴らしいじゃあないか。永遠に音楽の探求ができる! 出来れば観客も不老不死にしてほしいものだな。生前は私の演奏が素晴らしすぎて最後まで聞けなかった客もいたからね」
「永遠に演奏を聴かせるつもりか? ピアノがいくらあっても足りないな」
「なに、ピアノはよく壊れる。気にすることはない」
シモンは小さく笑い、新たに虚空の隙間を出現させた。その中に入る寸前、彼は青年の肩に手を置き、囁く。
「裏切るなら、アト・エンナの処に行くと良い」
彼の表情を横目に、シモンは次元の狭間に侵入した。
常人の知覚では認識できぬ別次元。しかしシモンからすれば何度も行き来した通路に過ぎない。言語の表現が及ばぬ光景を眺め、下腹部を擦る。
その褐色の肌の表面には、翼をはためかせた鳥のような刻印が焼き付いていた。
「『
魔術師は、密かに微笑んだ。
・神様解説、ニニギノミコト編
古事記、日本書紀どちらでも登場するが、最大の盛り上がりどころと言っても良い天孫降臨の主役。名前のバリエーションがたくさんあり、大体長ったらしいのが特徴。ニニギという名前の意味については諸説あり、稲穂に因んだ名前という説や三種の神器の勾玉を握った者という意味である説などなどがある。
アメノオシホミミという神様がタカミムスヒの娘と契って生まれた神。つまりタカミムスヒの孫でもあるのだが、ここら辺の血縁関係はなかなかややこしいことになっている。というのも、アメノオシホミミはスサノオが生み出した神で、アマテラスがオシホミミを養子にしたという関係だからである。なのでスサノオの孫でもあるのだが、このことから色々と邪推をする人もいる。
ニニギノミコトがイワナガヒメをフッたことで子孫は永遠の命を失ったが、その情報が後出しなので割とハメられた形に見えなくもない。
・神様解説、スサノオ編
言わずと知れた、ヤマタノオロチ討伐の英雄。本当はスサノオではなくスサノヲと書くのが妥当だと思われる。
知名度も人気度も高いせいで牛頭天王と習合したり、輸入逆輸入が激しく行われている神様でもある。蘇民将来説話ではふらっと村に現れて、貧しい蘇民将来にご飯を奢ってもらい、その家族を疫病から護るためのまじないを教えたりしている。ちなみにスサノオが牛頭天王と習合したのは、八坂神社にて元々スサノオが祀られていたものの、神仏習合が進んで牛頭天王を祀るようになったためである。
意外だが初めて和歌を詠んだ神様でもある。「八雲立つ〜」から始まる歌で、妻のクシナダヒメのために家の周りに囲いを造っているという内容。スサノオらしく真っ直ぐな言葉遣いで可愛らしい。