自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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地獄から帰ってきた男でダンテの登場を期待しましたが影も形もありませんでした。いよいよ第七特異点です、よろしくお願いします。


第七特異点 天の鎖 絶対魔獣戦線・バビロニア
第65話 メイドインウルク


「俺はゲーデ。性と死を司る神だ。君たちと会うのは初めてかな」

 

 黒一色の山高帽と燕尾服を纏い、漆黒の肌をした男は帽子の鍔を人差し指で持ち上げながら告げた。その指は骨と皮しかないのではないかと思わされるほどに細長く、腕や脚、胴体も骸骨のような痩身をしている。

 ちかちかと役目を失った信号機が点滅する、灰色の交差点。サクラの自身ごと他人を別の特異点に連行するという反則技の末、Eチームが辿り着いたのは寂れた無人の街だった。

 Eチームは腐っても七つの特異点を戦ってきた。人ならざる魔物や神霊と対峙したことすらある。その経験が囁く、目の前の男の異常さ。確かにそこにいると感じるのに、目を細めて捉えようとしなければその輪郭が薄れて消えてしまいそうになる。

 立香はごしごしと目を擦った。強い、怖い圧力を醸し出す相手はいくらでもいたが、こういう手合いは初めてだ。神であるという言にも偽りはないだろう。

 警戒と猜疑が入り混じった視線。ゲーデと名乗った男はニヤリと笑い、

 

「お前は誰だ、此処は何処だ……とでも言いたげな顔だな。そんな諸君は是非第46話を読み直───」

「おいやめろ」

「何言ってるんですかこの人」

 

 触れてはいけない世界に触れるゲーデを止めに入るアホマスターコンビ。フォウくんはその後方から鋭い一言を飛ばした。

 マシュはフォウくんを抱き上げる。伸び切った猫のような彼の顔をまじまじと見つめて、訝しむように目を細める。

 

「盾の中からは出していたはずなのに……どうしてこんなところにまでいるのでしょう。そこはかとない違和感を感じます」

「どうせ出番が欲しいだけでしょ、そこの犬モドキは。一時期空気以下の存在感になってたんだから」

「根性は道理を超越するということですか。スカサハさんの意見と似てますねえ」

「いや、根性でこんな異空間に来られねえだろ」

 

 ペレアスの視線がフォウくんに突き刺さる。一気に疑いの念を向けられたことで、彼は後頭部で腕を組んで口笛を吹き出した。なお、四足獣の悲しい体の構造故、腕を組めていないうえに隙間風のような音が鳴るばかりだ。

 湖の乙女はペレアスの背後からフォウくんに微笑みかける。心の奥底まで見透かすような精霊の眼はしかし、彼以外の誰も気付くことはなかった。

 ノアはゲーデに詰め寄る。山高帽を剥ぎ取り、人差し指を軸にくるくると回転させた。もはやいつものことではあるが、まさしく神をも恐れぬ所業である。

 

「んな謎生物よりまずはこっちだろうが。こいつが本当にブードゥー教のゲーデだってんなら、ここは『永遠の交差点』で間違いねえ」

「永遠の交差点? まあ、見た目はそれっぽいですけど」

「先輩にも分かりやすく日本風で言うと、三途の川や黄泉比良坂です。つまり、あの世に行く途中ですね」

「私たち死んでた───!?」

 

 立香は思わず絶句した。

 ブードゥー教の死神、ゲーデが立っているとされる永遠の交差点。それは水中にある神々の住処にして冥界であるギニアの地への途上だ。

 言うなれば、死神ゲーデとは命を刈り取る殺戮者ではなく、全ての死者たちの仲介者。そんなゲーデがいる場所に来たということは、少なくとも真っ当な状態ではないだろう。

 ゲーデはうろたえる立香を愉しげに眺めて、懐から葉巻を取り出す。キン、と黄金のライターが軽快な金属音を響かせ、咥えた葉巻の先端に火を灯した。

 もくもくと煙を吐き出して、ゲーデは緩慢な調子で喋り始める。

 

「いいや、お前たちはまだ死んではいない。ただ迷い込んだだけだ。……サーヴァント諸君はとうに死んでいるというツッコミはナシだぞ?」

「わたしは死んでないですが」

「……迷い込んだ、ですか。ブードゥー教の神様の居場所に来るなんて、私たちとは何の縁もないように思えますがねえ」

「ああ、ダンテがいることで地獄や天国に行く可能性もあったがな。それよりも運命の繋がりが勝ったようだ」

 

 分かるような分からないような話し方をするゲーデ。立香は親指と人差し指を立てた右手を唇の下にあてがい、神妙な面持ちになった。

 

「……なるほど。マシュ、これはつまり」

「ええ、今までにも度々遭遇したアレです」

「何よ、アレって」

 

 立香とマシュは冷ややかな目をするジャンヌに勢い良く振り向いて言った。

 

「「意味深なことだけ言った挙句、自分たちには何も分からない系の人種───!!」」

「……ああ、オティヌスとかホームズとかシモン・マグスのことね。確かに」

「もったいぶったこと言うやつにロクなのはいねえからな。どいつもこいつも胡散臭い見た目してただろ」

「アンタほどじゃないですけど?」

 

 ホームズは何らかの事情があったことは察せられるものの、シモン・マグスに至っては理解を置き去りにすることを楽しんでいた節すらあった。ゲーデのニヤついた顔を見るに、彼は後者と通じるところがあるのかもしれない。

 ゲーデはその痩躯からはありえないほどの肺活量でノアたちに向けて煙をくゆらせ、淡々と切り出す。

 

「俺は運命や未来については言及しない質でね。その代わりと言っては何だが、お前たちが此処に来てしまった理由を教えてやろう」

「最初からそうしろよ」

「この人マーリンの親族だったりしねえよな?」

「少なくともロクデナシの系譜ではありますわ」

 

 ゲーデの吐いた煙がひとりでに寄り集まり、人型の像を形作る。

 それはEチームが永遠の交差点に飛ばされた原因であり、番外───虚構特異点を創造した元凶、サクラの姿をしていた。ゲーデはちりちりと赤く弾ける葉巻の先でサクラを指した。

 

「この娘は依代となる人間を何処からか引っ張り出し、神格を注入することで成り立った存在……疑似サーヴァントだ。シモン・マグスはこれを自身の実験台として製造し、■■■が野に放った」

 

 ノアたちは一様に眉をひそめる。

 ゲーデの言葉。サクラを解き放ったであろう人物の名前だけが、耳障りなノイズに掻き消されて聞こえなかった。

 それは彼にとっても予想外だったのか。刹那、瞳に微かな憤懣を滾らせる。臓腑の奥底が冷え込み、じとりと汗が滲む。死という感覚そのものを突きつけているかのような圧力が人間たちの心臓を鷲掴みにする。

 しかし、その怒気はあっさりと消える。ゲーデは鼻から煙を噴き出すと、屈託のない笑みを浮かべた。

 

「……このように、執拗に真名を隠すやつがいてな。情報伝達が制限されてしまう。要はシモンらにも入り組んだ事情があるということだ」

 

 本題に戻ろう、ゲーデはそう言って葉巻の先を筆のように動かした。すると、それらはノアたちの姿となる。

 ややデフォルメされた小さなノアたちを、サクラの腕が包み込む。

 

「サクラはお前たちを最後の特異点に連行しようとしたが、途中で面倒になって放り捨てたようだ。投げ出されたお前たちはあれよあれよという間に異次元を漂流し、此処に着いた……うむ、お前たちとは遠い縁があるとはいえ、これはとてつもない幸運だぞ。喜べ!」

 

 いきなり投げやりになる説明。煙で作られたサクラは腕の中のノアたちを放り投げて霧散する。その一連の流れが動画を巻き戻すみたいにリピートされていた。

 シモン・マグスがサクラを造ったというのなら、次元を渡る力を持っていたとしてもおかしくはない。そもそもが異国の神々を模倣してみせた彼女ならば、大抵のことはやってのけてみせるだろう。

 ノアはぴくぴくと額の血管をひくつかせて、両手を強く握り締めた。

 

「ハッ、とことんまでナメやがって……!! あいつだけは許さねえ、誰が誰だか分からなくなるくらいボコってやらァァァ!!」

「リーダーに同意する訳ではありませんが、わたしもふつふつと怒りが湧いてきました! この感情、手足の指を全部へし折っても収まるかどうか……!!」

「普段は冷静沈着かつ泰然自若とした私も、異次元にポイ捨てとか頭に血が昇らざるを得ないわね。絶対丸焼きにするわ!」

「元はと言えば皆さんが煽ったせいですよねえ!?」

 

 ダンテは声を張り上げた。サクラの心中は知らずとも、こうなる一因は彼女を煽り倒したノアとマシュ、ジャンヌにあるだろう。

 とはいえ、異次元に放流するという暴挙は因果応報にしても過剰だ。右の頬を打たれたらバズーカを撃ち返すようなものである。

 ペレアスは彼らを尻目に、若干の気だるさを織り交ぜた声音でゲーデに問う。

 

「それで、オレたちはどうやったら帰れるんだ? サーヴァントはともかくノアや立香ちゃんみたいな生者がいると、こういう場所は不都合なんじゃねえか?」

「そうだな。この場所は本来死者のためにある。俺としても出ていってもらいたいところだ。こう人が多くては、ひとり遊びもできん」

「だったら早いところ帰してくれ。オレたちにできることなら礼もする」

「ほう、安請け合いをしていいのかね? 俺は死神ゲーデ。全ての死者とその人生を知る者だぞ?」

 

 ゲーデは冥界へと続く永遠の交差点の管理者であるがために、全ての死者を記憶している。すなわち、死後英霊と祀り上げられたあらゆるサーヴァントの情報を持っているのだ。

 それは上手く用いれば、たとえ英雄であろうと言いなりにでき得る力だ。急所を盾に脅すことも、相手に取り入ることもできる。

 ペレアスは身構える。曲がりなりにも円卓の騎士として無茶振りには慣れているつもりだが、神からの無理難題に応えた経験はない。

 そして、ゲーデが出した条件とは────

 

「さあ! 飲み、喰らえ!! ギニアからくすねてきた食材は腐るほどあるからな!!」

 

 ノアとペレアスは目を細めながら、杯に並々と注がれた液体で唇を濡らした。甘みの中に混じる、焦げたカラメルのような苦味。ブードゥー教では司祭がトランス状態に入るための神酒として使われたり、儀式の捧げ物とされるラム酒であった。

 

「……宴会かよ。オレらさっきまで殺し合いしてたんだが」

「おまえの時代の戦争なんていっぱい殺るか一杯やるか女とヤるかだろ」

「憶測で物を語るんじゃねえ!! 諸々の雑務とか会議とか色々あるだろうが! 大体聖剣ぶっぱからの突撃パターンで決まってたがな!!」

「ちなみに私とペレアス様はいっぱい───」

「黙れドスケベ精霊」

 

 初陣がアーサー王のブリテン統一戦だったペレアスは国内の大規模な戦争に動員された回数は少ない。アーサー王の土地と異民族の領域を隔てるハドリアヌスの壁での戦闘がほとんどであり、自国領土を傷つける心配のないキャメロット陣営にとって聖剣のビームはまさに打ち得だったのである。

 そのせいでペレアスの聖剣へのコンプレックスが高まったことは言うまでもないが、湖の乙女の爆弾発言によってその頃の記憶は吹き飛びつつあった。

 顔を紅く染めたリースは軟体動物みたいにペレアスにしなだれかかる。元々ブレーキ機能など無い彼女だが、酔いのせいでエンジンの回転数が上がっている。

 ダンテはゲーデの杯に琥珀色の液体を注ぎながら、

 

「にしても、よくこんなにお酒がありましたねえ。これもギニアの神々から盗んできたのですか?」

「それもあるが、俺への供物は煙草と酒だからな。現世の人間たちが捧げた供物への想念が、生と死の狭間でようやく形を成しただけだ」

「アフリカじゃあ今でも呪術が信じられてるからな。こいつに捧げ物をする人間がいても不思議じゃねえ」

「そういうことだから、イザナミやペルセポネのように冥界の食べ物を口にしたからと言って帰れなくなることもない。おそらく、ギリギリな」

フォウフォウフォウ(そこははっきり言えよ)

 

 ノアはラブホテルの爆破解体で魔術協会に目をつけられ、逃亡先のアフリカにて巻き込まれた呪術戦争を思い返した。その光景を心を読むスキルによって感知したダンテは青い顔をする。

 とても食事時にはお見せできない、グロテスクな惨状の数々。ダンテは胸から込み上がってくる吐き気を抑えた。如何に地獄の責め苦を目にしていようと耐性はついていないのだ。

 ゆっくりと息を整え、彼はある懸念を口にする。

 

「現世の供物がここで形になっているということは……もしかして、飲み物はお酒しかないのでは?」

「かもしれんな」

「と、ということは……」

 

 ダンテは恐る恐るEチーム三人娘を流し見る。マシュは茹でたカニみたいに赤くなった顔で、舐め上げるように立香を眺めていた。

 

「なんだか先輩が十人くらいに重なって見えるのですが。多重影分身は禁術ですよ?」

「いやいや、マシュこそそんな全身紫色になっちゃって……」

「……ええ、まるでなすびみたい」

「「ギャハハハハハハ!! ヒィーッ!!」」

フォウフォフォフォウ(藤丸、お前ヒロイン降りろ)

 

 旧約聖書には〝酒は度を越さなければ、人にとってほとんど生命に等しい〟とあるが、眼前に広がる光景は明らかに度を越していた。アルコールだけに。

 見てはいけないものを見たダンテはノアたちに囁くように言った。

 

「だ、大丈夫なんですかアレ。コンプライアンス的にまずいんじゃないんですか!?」

「落ち着け、今は人理焼却中でここは永遠の交差点だぞ。人間如きの法律なんざ道端に転がるフォウのうんこ以下の価値もねえよ」

「治外法権───!!」

 

 そもそも謎生物であるフォウくんに排泄機能が備わっているのかという問題は別として。この世で最も無駄なことのひとつはノアを説得しようとすることである。最初から関わろうとしなかったペレアスに、ダンテも倣おうとする。

 すると、立香は音もなくノアの背後に忍び寄り、両腕をがっしりと回した。ノアは眉をしかめて、重たいため息をつく。

 

「……離れろ、鬱陶しい」

「なんですかその口は。私がせっかく暖めに来てあげたのに」

「誰が頼んだんだよ。水飲んで寝てろアホ」

「嫌です。リーダーはいっつも冷たいんだから、たまには大人しく受け入れてください」

 

 ノアは素っ気なく追い払おうとするも、アルコールが脳に達した立香の猛攻は防ぎ切れなかった。さながらトロイアを攻めるギリシアである。

 トロイの木馬ならぬトロイの立香はいとも容易く懐に滑り込み、犬のように頭を擦り付ける。ノアは左手で杯を煽る一方、残る右手で頭を掴み、その侵攻を阻んでいた。

 それを観戦していたダンテは無意識に微笑んでいた。ペレアスは僅かに口角を吊り上げながら、杯でダンテの肩を小突く。

 

「随分と楽しそうだな、ダンテ?」

「いやあ、微笑ましくてつい。いよいよ最後の特異点ですが、身が引き締まる思いですよ」

「俺は性と死の神、男女の情欲を煽るなど容易いぞ。神代の頃はそうして人間を増やしてやったものだ。どうする?」

「それやったらオレがアンタを斬るからな」

「じゃあ私とペレ───」

「うん、頼むから今は黙っててくれ」

「ペレアス様もノアさんも最後まで喋らせてくれませんわ……」

 

 という間にも一進一退の攻防は進展しており。

 立香は散々突進を阻むノアの右手をまじまじと見つめ、むっと表情を歪める。ルーンを含めた術式が描かれた手袋。立香はそこから自身の両手で手首を掴み取ると、勢いのままに手袋を引き抜いた。

 

「これ、邪魔です」

 

 ノアは表情筋を引きつらせる。ペレアスとダンテは頼りにならない。非常に癪だがマシュとジャンヌに立香の世話を任せようとする。

 

「……おい、マシュマロなすびと放火魔女。こいつをそっちに連れてけ」

「数字の6って手に持ったら強そうですよね」

「それ9とどう違うの?」

「くそっ! この酔いどれ女どもが!!」

 

 が、その声は届かなかった。ちなみに利便性や扱いやすさの点から鑑みて、1が最強であるとの見方が近年の学会では優勢だ。

 白い素肌を晒した手が、ぺたりと無理やり立香の頬にあてがわれる。ひやりとした手のひらに自分の体温が伝わっていくのを肌で確かめて、つややかな笑みを浮かべる。

 不思議と、抵抗する気は起きなかった。

 普段の快活な表情とは異なる、妖艶さすら忍ばせるかのような微笑み。

 ふと、自らの親指が淡いピンクの唇をなぞる。

 それは。

 顔立ちも髪の色も背の高さも違うはずなのに。

 初めてあの情動を抱かせた彼女と、同じ─────。

 

「……」

 

 ごす、と鈍い音が鳴る。ノアは杯の底を鉄槌のように立香の頭に振り落としていた。彼女は一瞬硬直すると、ぱったりと崩れ落ちた。

 ノアは一息ついて、地面に触れる寸前の立香を右腕で受け止める。そのまま杯の中身を飲み干すと、白目を剥いた彼女を抱えて立ち上がる。

 寝かしてくる、とだけ言ってノアはその場に背を向けた。かつかつと灰色のアスファルトを踏む途中、腕に感じる暖かみに絆された心が、口を介して苦々しく吐き捨てた。

 

「…………チッ。やられた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バビロニア、ティグリス川上流域上空。

 母なる蒼き大海、ペルシア湾へと続く空の上を一条の光が蛇のように飛び回っていた。流星や彗星にはありえない軌道を描くそれの正体は、岩石でも氷塊でもなかった。

 巨大な弓の如き舟に乗り込む、ひとりの───一柱の女神。夜空のような美しい黒髪をなびかせ、自在に空を駆ける光の軌跡は中天にて突如停止する。

 そして、

 

「お、落としたああああああ!!!」

 

 女神は、就学前女児みたいにギャン泣きした。

 空中で地団駄を踏む、という訳の分からない行動を取りつつ、天地を揺るがすかのような傍迷惑な音量で騒ぎ立てる。

 

天の牡牛(グガランナ)落としちゃった! 私のかわいいかわいいウルク撃滅兵器を失くすなんて、うっかりじゃ済まされないわ!! 普段の私ならこんなヘマ絶対にしないのに……この依代、完全にぽんこつじゃない!!」

 

 ───彼女の名前はイシュタル。とある人間の少女を依代に召喚された、メソポタミアの傲慢なる金星の女神である。

 さっそく自分の責任を依代の少女になすりつける女神ムーブをキメると、一呼吸置いて心にわだかまる全ての動揺を鎮静化させた。

 流れるようにイシュタルの思考は次のステップへ。

 過ぎたことは仕方がない。とりあえず動揺は諌めたものの、グガランナを落とした───落とさせられた───運命への怒りはまだまだ健在。むしろ一秒ごとに薪が焚べられている状態だ。

 とにかく、この行き場のない激情を収めなければならない。イライラは美容の大敵だ。それが自分のせいでないとなればなおさら。悪いのは波長が合うからと言ってこんな少女を選んだ奴ら、百歩ほどひいて世界が悪い。

 

「……とりあえずここら辺パーッと吹き飛ばすか」

 

 夜中にコンビニでも行くかのような気軽さ。

 しかし、そこには一切の誇張も欺瞞も含まれてはいない。

 その昔、エビフ山という霊峰はメソポタミアの神々も目にかけるほどの豊かな地であった。

 イシュタルはそんな山を手に入れればもっと自分の権威を高められると考え、天空神アヌの忠告をも無視して霊山を制圧することとなる。

 無数の天変地異を引き起こし、山々を燃やし尽くしてまで凶行に及んだ女神の癇癪は、それこそ気分ひとつで山脈を平地に、平地を谷に変えてしまうだろう。

 イシュタルの乗騎にして武器である天舟マアンナが、上天の太陽を塗り潰さんほどに光り輝く。

 彼女の意のままに、その矢は光の速度で大地を焼くだろう。

 

「あの、どうかしましたか?」

 

 いざ光の矢が放たれようとした直前、どこか懐かしさを感じさせる声が女神の射撃を緊急停止させた。

 染め抜いたかのような虚ろな白色の髪。首元から足先までを包む黒い影には、血脈のように真紅のラインが走っていた。背中からはその神性を象徴するかのように、灰色の石の翼が広がっている。

 刹那、イシュタルは逡巡する。普段ならば無視する手合い。今のように不機嫌な時は羽虫のように潰すのが決まりだ。

 それに、とんでもないツッコミどころもあるが、

 

「……私のペットが何処かで落っこちたの。目立つ見た目してるから知らなくても分かると思うんだけど、貴女見てない?」

 

 女神の気まぐれな性質は、そのどれをも選択しなかった。

 イシュタルはその心の動きに理由をつけるなどという思考に価値は見出さない。気の向くままに愛し、求めるがままに破壊する金星の女神にとって、理屈や理由ほど無為なモノは存在しない。

 黒白の少女は灰の翼で顎の下をなぞる。

 

「アナタのペット、ですか。う〜ん」

 

 下腹部に刻まれた刻印が小さく発光する。少女はふくよかな胸部の中心に左手を差し込んだ。肌を覆う影が水面のように波紋を生じ、手を引き出すとそれは収まった。

 左手の指先に摘まれていたのは、ぐねぐねと蠢く二匹の大きな虫。明らかに自然から産まれた生物ではない。一方は刺々しい表面で、もう一方はつるりと曲面を描く虫たちを見て、少女は取り繕うように笑う。

 

「まあ、こんな気持ち悪い()じゃありませんよね。え〜と……」

 

 そこから、彼女は次々に胸からモノを取り出しては放り投げていった。

 月の姫をデフォルメしてネコっぽくした人形、虎のマークが貼り付けられた水筒、騎士王の邪神像───少女はああでもないこうでもないと言いながら、イシュタルには見覚えのないものばかりが現れては捨てられていく。

 イシュタルはため息をついて、マアンナに収束する光を霧散させる。

 

「もういいわ、失くしたものに私の思考を割いてる場合じゃないし。ところで貴女、」

「───もしかして、これだったり?」

 

 そう言って、少女が手のひらに乗せてみせたのは黄金の天牛。小さくなってはいるが間違いない、それこそはイシュタルが求めていたグガランナであった。

 イシュタルはあんぐりと口を開けて、少女の持つグガランナを指差す。

 

「そ、それよ! 私が探してたペット! なんでそんな小さくなっちゃったのかはこの際良いわ、私に寄越しなさい!! お礼はたっぷりしてあげるから!!」

「へえ、お礼ですか。それは楽しみですね」

「でしょう!? だから───」

「でも、こうした方がもっと楽しいと思うんです」

 

 ぐしゃり。グガランナが砕かれる。

 唖然とするイシュタルに、少女は告げた。

 

「私はサクラ。ここを箱庭にしに来ました。スサノオとかいうマザコンアホニートが……って、それはいいか」

 

 サクラは唇に赤い舌を這わせて、

 

「アナタのその顔、見てると無性にムカつくんでぷちっと潰しますね♡」

 

 イシュタルは額に一筋の汗を垂らし、己が得物たるマアンナを起動させる。

 

「……ああ、そう。望むところよ」

「話が早くて助かります。それじゃあ」

「その前に、どうしても気になるから指摘しておくわ。───貴女、お腹に剣が刺さってるけど痛くないの!?」

 

 サクラは不意を突かれたような顔をして、自らの肢体に目を配った。

 左脇腹から右脇腹を貫通する、鉄の剣。イシュタルでさえ怖気を覚える鋭気と神気を漂わせる刃に貫かれているにも関わらず、サクラは今まで平気な顔をしていたのだ。

 彼女は柄を乱雑に掴み、それを引く。刃の鋭さ故か、身体の構造故か、その剣は筋肉の締まりにも骨格にも引っかかることなくするりと抜け出す。

 

「これはどうも───っ!!」

 

 サクラは一息に鉄剣を投げつける。

 星の怒りたるヤマタノオロチ。その力の核が剣として形を成したそれは、たとえ金星の女神であろうが一撃で切り裂く。イシュタルは顔を背け、飛来する剣を掴み取った。

 冷たく照る刀身。その内に荒れ狂う、世界を呑み込まんが如き神気。切断の機能に特化した神剣は無骨だが、無駄な機能を削ぎ落としたが故の美しさがある。

 イシュタルは美の神だ。武器の鑑識は専門ではないが、美に関して己の範疇にないものを否定する狭量さを持ち合わせてはいない。

 女神は剣に見惚れかける心境を遠くへ追いやって、サクラを睨んだ。

 

「決めたわ、アンタは九割九分殺し! 残りの一分は私の慈悲と死の淵で苦しんでもらうためよ!! 大人しく死になさい!!」

「言っていることが食い違ってますよ。馬鹿なんですか?」

「うっさい! 『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』!!」

 

 女神イシュタルの宝具。

 霊峰エビフ山を焼き尽くした逸話の再現。

 眼下に流れるティグリス川の全水量を優に蒸発させて余りある光輝が、天地を分け隔てなく照らす。

 数瞬後に放たれる一撃を前に、サクラは微動だにすらしなかった。

 

「じゃあ、私も。───『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』」

 

 イシュタル唯一無二の乗騎、マアンナがサクラの傍に現れる。

 

「……はぁ!?」

 

 本来そのサーヴァントだけが所有するはずの宝具を複製し、真名解放さえも成し遂げる反則技。しかし、臓腑の奥底に叩き込まれる驚愕を経てもなお、両者の一撃が留まることはない。

 瞬間、空間を押し潰し、次元を焼き焦がすかのような膨大な熱量が解き放たれた。

 左方と右方。双方より衝突した極大の光線は、ひとつの恒星のような輝きに成り果てる。

 僅かに出力が優ったのは、本来の使い手であるイシュタル。天空に轟く光熱をマアンナによって切り裂き、サクラへと接近した。

 

「今の一撃で見極めたわ! 貴女が創るモノは所詮偽物! さっきのグガランナも、マアンナだってそうでしょう!?」

「その根拠は?」

「偽物だから出力に差があった、それで十分!!」

「へえ。少し弱いですが、正解をあげてもいいですよ」

 

 光条が織り成す射撃戦。真作は贋作が放つ矢のことごとくを押し返し、目と鼻の先にまで距離を詰める。

 双方共に射撃が通じる間合いではない。イシュタルは拳を握り固め、サクラの顔面に叩きつける。血と脳漿が飛び散り、左足をぐらつく体に突き刺した。

 どぷん、と影が波打つ。鳩尾に刺した足は影に呑まれ、固定される。

 ずぶずぶと足首を、膝を呑み込んでいきながら、サクラは巻き戻るように再生する顔面をイシュタルに近付けた。

 

「アナタの言う通り、私の創るモノは全部偽物です。そのせいで本物のタカミムスヒに一杯食わされもしましたが……」

 

 それは捕食ではなく侵食。

 イシュタルという女神を無明の影によって再構成する悪食。

 自身を構成する血と骨と肉が別のナニカに変化させられる直前、女神は先程手に入れた天叢雲剣を無造作に振るい、相手を細切れにする。

 呑まれていた左足に外見の変化はない。しかし、本来あるはずの魔力が、神気が、神秘が、そこからは失われていた。あと一瞬対応が遅れていればどうなったのか、想像もできない。

 細切れにされたサクラはその肉片のひとつひとつが意思を持ち合わせているかのように寄り集まり、元の形に戻る。まるで粘土をこねているみたいな再生だ。

 イシュタルは動きの鈍い左足に息を吹きかけて、真っ向から牙を剥いた。

 

「こんのぉ……もう全殺しよ!! 『山脈震撼す(アンガルタ)─────」

「……こんな言葉を知っていますか?」

「─────明星の薪(キガルシュ)』!!!」

 

 大気が揺れ、暴風が吹き荒れる最中。

 イシュタルは確かにその言葉を聞いた。

 

 

 

 

 

「偽物が本物に敵わないなんて道理はない、って」

 

 

 

 

 

 瞬間、天空に光が満ちる。

 金星そのものを弾丸とした一撃が、サクラに向けて真っ直ぐに墜ち───────

 

「『『『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』』』」

 

 ────三発の閃光が、天へと射出された。

 その時、イシュタルが垣間見たのは、サクラの周囲に展開された三機のマアンナ。模倣、贋作なれどその出力差はイシュタルに比して三倍弱。それは真作を凌駕するに値する威力を実現していた。

 自らの攻撃が押し返されることを確信したイシュタルはその寸前、涙目で叫んだ。

 

「な……ッ。なによそのインチキは〜〜〜っ!!?!?」

 

 空の向こう側にイシュタルが消えていく。

 サクラは満足気にそれを眺めて、額を袖で拭った。

 

「…………あぁ。汗かかないように作り変えてたんでした」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって世界の裏側、永遠の交差点。

 Eチームがゲーデの領域に来た時から、時間にして22時間ほど経った頃。彼らの起き抜けに、ゲーデは言った。

 

「喜べ。お前たちをバビロニアに送る準備ができた」

 

 彼の宴会に付き合わされたノアたちは皆一様にげっそりとした顔で、力なく拍手する。自身の代謝機能を操作できるノアを持ってしても、物理的な胃の容積というものがある。ゲーデのザルっぷりには打ち勝てなかったのだ。

 何はともあれ、ゲーデの言ったことは喜ぶべきだ。レイシフトの手間が省けるうえ、カルデアとの通信は途絶しており、迅速な報告が求められる。混乱状態にあるであろうカルデアをまとめる男がロマニであることは不安だが。

 贈り物の髪留めでまとめられた赤い髪の房が小気味よく揺れる。

 

「いよいよ最後の特異点!! 気合い入れていきましょう! 二日酔いなんてしてる場合じゃないですよ!!」

 

 Eチームの中で唯一本調子なのが、極東出身のアホマスターこと藤丸立香だった。

 いつにも増して快活さを全面に押し出してくる彼女は、頭を押さえてうずくまるノアの肩を前後に揺らしていた。吐くものも吐き尽くした哀れな男は消え入るように小さい声で抗議する。

 

「うるせえ……音量下げろじゃじゃ馬娘が。こちとらおまえが寝てからもゲーデに付き合ってたんだぞ」

「そういえば、ペレアスさんもダンテさんも撃沈してますね」

「こんなに飲まされたのは円卓に就任した時以来だぜ……ラモラックの寝相の悪さを知れたのは良い思い出だった……」

「私も故郷を追放されて放浪してた時は酒に溺れてましたねえ……なんか変な商人に宝石を丸呑みさせられて、気付いたら地獄にいましたが」

「地獄行く経緯が謎すぎません?」

 

 神曲の中では、ダンテは人生の道半ばで正道を踏み外した末に地獄に迷い込んでいる。宝石を丸呑みするなんて行為はまさに正道を外れていると言えなくもないが。

 そんな謎はどうでもいいとして。ノアたち同様二日酔いに苦しむジャンヌは口元と腹部を手で庇いつつ、細い声で喋り始める。

 

「で……バビロニアに送るって、カルデアに帰るんじゃないわけ?」

「うむ。先程サクラが特異点に到着した。グズグズしているとお前たちの状況は瞬く間に不利になるぞ。ただでさえバビロニアは魔術王の本命であるしな」

「先輩、最後の特異点が本命って負ける度に持ちキャラを変える人みたいな趣を感じませんか」

「うん。予防線張りすぎだよね」

「お二人は神をも畏れませんわね?」

 

 さしもの湖の乙女リースも苦笑いする言い草だった。彼女とて精霊、魔術には人並み以上……妖精並み以上には精通している。仮称ソロモン王に唾を吐くのはなかなか遠慮したかった。

 

「ソロモン王モドキの本命とやらには恐れる要素なんか微塵もねえ。御託はいいからさっさと俺たちをバビロニアに送れ」

 

 ゲーデはこくりと頷く。するとミニチュアを入れ替えるように街並みが変形し、交差点がT字路になる。

 ノアたちから見て前方、横一直線にまたがる歩道。ゲーデはどこからともなく木組みの看板を取り出し、地面に打ち込む。その看板には『←ギニア ウルク→』と書かれていた。

 

「さて、お前たちにはふたつの道が」

「ウルクだな、行くぞ」

「こんなことのために看板作るとかアホだろ」

「ブラジルなら迷ってたかもしれませんがねえ」

 

 渾身のボケをスルーされたゲーデ。悲しげな表情をする彼の前を、Eチームはすたすたと通っていった。ゲーデは彼らの背に声をかける。

 

「俺としても供物が届けられなくなるのは心苦しい。お前たちの勝利を祈っている」

 

 それと、と彼は付け加えて、

 

「この前、花嫁衣裳のネロ・クラウディウスが此処に来たぞ。いずれ会う日もあるだろう。その時も彼女が白いままとは限らんがな」

 

 その言葉の内容に疑問を覚えかけるよりも速く、Eチームの意識は時間も空間も超えた先のウルクへと飛んだ。

 身体と精神が異なる物質界に適応する、擬似的なレイシフト。適性を持たぬ人間であればそこで終わり。肉体はともかく、霊体は跡形もなく霧散するだろう。

 けれど、立香とノアにはそんなことは何ら障害にはなり得なかった。かたや人類最高峰のレイシフト適性を有する人間、かたや精神や魂といった曖昧なモノをこそ是とする魔術師。自我の融解を耐え、遂に残るひとつの特異点に辿り着く。

 およそ生気の感じられなかった黄泉路から、浮世への転移は奇妙な浮遊感を伴った。澄んだ空気が肺に満たされ、風が肌を撫で付ける。やや重いまぶたを開くと、視界には広く青い大空が飛び込んでくる。

 というか、そこは空のど真ん中。雲さえ下に見える高空だった。

 

「…………ギャアアアアアアア!!?」

 

 立香は清楚という概念をかなぐり捨てて絶叫した。脳の片隅に残った冷静な部分は即座に周囲を見渡し、自身と同じく大空をダイブする仲間たちを確認する。

 まさかゲーデに騙されたのでは。そんな考えがよぎったその時、懐に忍ばせていた通信機が軽妙な音を立てた。

 目の下に真っ黒なクマを作り、額に冷えピタを貼ったロマンがホログラムとして投射される。若干薄汚れた白衣を着崩した彼は左手に持つエナジードリンクの缶を握り潰して笑う。

 

「『よ、ようやく繋がった!! マスター二人の存在証明も確認! みんな無事で何よりだ!!』」

「これのどこが無事に見えるんですかドクター!? エクストリーム投身自殺中なんですけど!!」

「『はは、嫌だなあ立香ちゃん。そこは高天原なんだから高度的には……急速落下!? しかも日本じゃなくてバビロニアじゃないか!! ちょっと調べる時間を…………』」

「その間に全員ミンチになります!!」

 

 苛立ちを感じる余裕はない。上空故の気圧の低さと酸素の薄さは強化魔術と拙いながらも風の元素変換で凌ぐ。自身の成長ぶりに感動を覚える暇もなかった。

 不意にダンテの笑い声が響き渡る。彼は狂ったように叫び声をあげて、満面に正気のない笑顔を貼り付ける。

 

「皆さん、祈りましょう! 全能なる父はいつでも私たちを見守ってくださっています!! ええ、地獄から帰ってきた男とは私のことですから!!」

「『低酸素症から来る意識障害かな。心なしかまばたきの回数も増えてるね。もうすぐ失神するかも』」

「冷静に診断してる場合か!? おいノア、天才なら何とかしてみせろ!!」

「当たり前だ、もうやった!!」

 

 ノアはゲンドゥルの杖を手に取り、ルーンを刻んでいた。対象者に上空での活動を可能とする飛行のルーン。それは第六特異点で見せた悪用とは違い、真っ当な効力を発揮した。

 次の瞬間、高速で落下していた体がふわりと浮き上がる。念じただけでその現象は起こり、徐々に高度を下げていく。ただ正気を失っているダンテだけは物理演算がバグったかのように縦横無尽に飛び回っている。

 若干名を除いてようやく落ち着きを取り戻したEチームは胸を撫で下ろして安堵する。マシュは取り繕うみたいに余裕の笑みを浮かべた。

 

「ふう……なんとか事態は落ち着きましたね。正直漏らすかと思いました」

 

 未だ二日酔いに苦しむジャンヌは青い顔で答える。

 

「本音は漏れてますけどね。……うぶっ」

「おや、ジャンヌさんは本音どころか吐瀉物をぶちまけそうな勢いですね。一度吐いてしまえば楽になりますよ?」

「マシュマロなすび如きが触れようとしないでくれますぅ!?」

「もしかして照れてます? 抱き締めてあげましょうか?」

「や、め、ろ!!」

 

 マシュは完全にジャンヌを食物連鎖の下位として認識していた。そんなじゃれ合いを後ろ目にしつつ、ロマンはへこんだエナジードリンクの中身を呷り下す。

 

「『そ……それで、みんなは三日も何処にいたんだい? こっちではいくら手を尽しても見つからなかったんだけど』」

「三日? 私たちの方は一日くらいしか経ってませんよ?」

「ゲーデのところにいたせいだな。俺たちの次元とは時間の流れが違うんだろう。空の上にいるのも、ウルクを対象にした移動が弾かれる術式が編まれてたはずだ」

「『……うん、とりあえず、分かってないけど分かったことにしておこう。まずは地に足つけないと、落ち着いて情報共有もできない』」

 

 ノアは悪役のお手本のような傲慢な笑顔を貼り付けた。

 

「俺のルーン魔術を侮ってんのか? この飛行のルーンなら投身自殺も遊覧飛行に様変わりだ、俺がやられでもしねえ限りな。加えて俺は天才だからそんなことは100%ありえない。つまり─────」

 

 そこで、彼の言葉は止まる。

 突如上から降ってきた黒髪の女性。その頭部が、ノアの脳天にぐしゃりと衝突していた。宝石をはめ込んだような瞳が裏返り、ふっとルーンの光が途絶えた。

 そうして始まるのは先程までの焼き直し。空中から地上への悪夢のダイブである。

 立香は血の気が急速に引いていくのを感じた。

 

「…………100%超えてきたァァァ!!?」

「いやどんな確率!? つーか誰だその女!!?」

「きゃーっ♡ 怖いですわペレアス様〜っ♡ いつものように私めを力強く抱き締めてくださいませ〜っ♡♡」

「死の恐怖より三大欲求が勝るとかこの精霊、やはり無敵なのでは……!?」

 

 ばたばたと風を受けながら、マシュは戦慄した。

 この間にも落下は続いており、ペルシア湾の恵みを享けた豊かな大地が迫ってきていた。数秒後には大地の赤いシミとなることが決定している。

 ジャンヌはムンクの叫びのように大口を開けて、

 

「いやああああああ死ぬうううううう!!! あ、でも私だけジェット噴射で生き残れるかも!?」

「結局私が死ぬからジャンヌも消滅するよね。死ぬ前にお腹いっぱいになるまで食べてみたかったなぁ……」

「立香さんは毎食おかわりまでした上におやつも食べてますよねえ!?」

「くっ、こうなったらわたしが宝具を使います!! ───『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

 地面に叩きつけられる直前。マシュは盾を構えて宝具を展開する。

 白亜の城壁がEチーム全員と黒髪の女性が挽き肉になって余りある衝撃の全てを吸収する。宝具が解かれ、彼女たちは地面に尻もちをついた。

 立香は足腰を震わせて、肩で息をする。

 

「し、死ぬかと思った……ありがとうマシュ」

「Eチームのメイン盾なので! 黄金の鉄の塊で出来ているシールダーが皮装備のクラスに遅れを取るはずはありません!!」

「『見てるこっちは心臓引き千切れそうだったけどね。とにかくノアくんと空から降ってきた女の人を診よう』」

 

 ロマニ・アーキマンは腐っても医者である。怪我人の病状を診るくらいわけはない。

 絶賛気絶中の二人は示し合わせたかのように白い目をしていた。ノアは脳震盪を起こしているだけだが、どことなくうっかりミスをやらかしそうな女性の方は総身に浅からぬ傷がある。

 だが、医者の適切な判断と治癒魔術があればそうそう人は死なない。立香たちは十数分ほど処置に時間を費やすと、無駄に生命力に溢れた二人はぱっちり目を覚ました。

 黒髪の女は勢い良く起き上がる。

 

「グガランナ落としたぁーっ!!」

「うわっ!? いきなりどうしたんですかこの人!?」

「ヒトぉ!? 人間と一緒にされるなんて心外の極みだわ! 私はイシュタル、優雅で華麗で大胆な金星の女神よ!!」

「『……超ビッグネームじゃないか!! ゲーデといい、なんで今日は神様の名前ばっかり聞くんだ!?』」

 

 ロマンは思わず引っくり返った。イシュタルは古代メソポタミアにおいて最大級の崇拝を集めた女神であり、後世、彼女の影響を受けて成立したとされる神格は枚挙に暇がない。

 ノアは頭頂部に氷水が入った袋をノーハンドで載せて、苛立たしげに問い詰める。

 

「こいつがどんなに偉い神だろうが関係ねえだろ。なんであんなとこに落っこちてきたか言え、そして謝罪しろ」

「あんなとこにいたそっちが悪い。そして私は被害者よ。サクラとかいうのに負け……相討ち……いや、ほぼほぼ勝ったみたいなものだったのに、最後っ屁で吹っ飛ばされただけなんだから」

「その言い草は純然たる負けだろ、ほぼほぼ負けだろ。記憶の改竄やめろ」

「あれは史上稀に見る大激闘だったわ……で、貴女たちが私を助けてくれたのね?」

 

 イシュタルはノアの追及を優雅に無視して、何食わぬ顔で立香に向き直った。

 

「はい。目に見えるところは全部治したんですけど、大丈夫そうですか?」

「まあね。人間にしてはまあまあの手並みよ。お礼は……私の体に触れた経験、でいいかしら。元の体よりは大分貧相だけど、本当ならそこら辺の人間の一生なんてワンタッチにも引き換えられないんだし」

「そ、そうですね」

 

 立香は苦い笑みを浮かべる。

 傲慢な性格をしたヤツの相手は慣れている。その対応の秘訣としてはやはり、真正面からぶつかろうとしないことだろう。力の強い相手にまともに当たっても押し返されるだけだ。

 じゃあね、と告げて飛び去るイシュタル。嵐を呼ぶ金星の女神の光跡が空の彼方に飛んでいくが、途中で弧を描いて戻ってくる。

 イシュタルはさっきまでの何食わぬ顔を取り繕い、指に髪の毛の先をくるくると巻きつけた。

 

「……見返りとか、求めなさいよ。人間なんだし。助けられっぱなしもアレだし。ちょっとくらいなら融通してあげなくもないわ」

 

 ほのかに赤面する女神。立香は声が聞かれぬように、瞬時にノアの耳元に囁く。

 

「どうしましょう、リーダー。態度の割にすごい可愛らしい神様です! ギャップ萌えを意識してきてます!!」

「おいおい、神話では大抵そうやって絆されたやつから不幸な目に遭っていくんだよ。手始めに全財産むしり取るぞ」

「全財産没収から始まることなんて何もないんですが。カイジの世界ですか」

 

 と、相談している間に、マシュはカメラを持ち出してイシュタルににじり寄っていた。

 

「手のひらで目線を隠した写真を撮らせていただけると、弱みが握れ……いえ、もっと信徒が増えるかと」

「ほ、ほんとに?」

「やめなさい邪悪なすび!!」

「マシュさんはもはや名前の後ろにオルタをつけるべきでは?」

「最近どっちがオルタか分からなくなってきたからな」

 

 マシュを除くサーヴァント諸君で彼女の凶行を食い止める。ロマンはその光景を涙を流して眺めていた。もちろん悪い意味の涙である。

 イシュタルは深い青色の宝石、ラピスラズリを立香に渡す。卵ほどの大粒の宝石にはつい目を奪うような魔力が込められていた。

 

「助けが欲しかったらこれに念じなさい。飛んでってあげる。元の私ならこんなことしなかったんだけど、ま、心の贅肉ね」

「へえ〜、太ってるんですか?」

「たとえよ、たとえ!! じゃあ、そういうことだから。もしあの金ピカに会うつもりなら気をつけなさい、特にそこの白髪!!」

「言われてんぞ、放火魔女」

「どう考えてもアンタのことでしょうが!!」

 

 ということで、今度こそイシュタルはどこかへ飛び去って行った。単なる思いつきで霊峰を滅ぼした逸話からも彼女の気性の荒さはうかがえるが、こうして無事に収まったのは奇跡とも言える結果であろう。

 金星の女神が去って一息つくと、Eチームは顔を見合わせて、その次に立香の手のひらの上に乗るラピスラズリに視線を移した。

 

「……イシュタルさん印の宝石っていくらで売れます?」

「魔術的には価格がつかずに奪い合うような代物だぞ。少なくともエルメロイⅡ世の胃は破れるだろうな」

「『むしろ売るより持ってた方が価値があるものだね。管理は立香ちゃんに任せるとして、日が沈む前にウルクを目指そう』」

「あ、ドクター。この特異点はどんな時代なんですか? 今回はレイシフト前の勉強会もブリーフィングもなかったので……」

 

 ロマンは力強く頷き返す。

 第七特異点、バビロニア。年代は紀元前2655年。今までの特異点で唯一救世主誕生以前の時代に築かれた、人類史に対する最後の楔だ。

 ゲーデが転移先に設定したウルクはシュメールの都市国家であり、この時代においてはギルガメッシュという名の王が治世を行っている。

 

「『ノアくんと立香ちゃんはギルガメッシュ王のことは知っているかい?』」

「日本の深夜番組だろ、ナメんな」

「エクスカリパー使う敵キャラですよね」

「『…………うん。とにかくすごい王様だってことは覚えといて』」

 

 ロマンはこの二人にまともな知識を求めたことが間違いだったと思い知った。

 兎にも角にも、この時代のキーパーソンはギルガメッシュだ。ウルクは彼の居城であり、聖杯に繋がる可能性が高い。あいにく、直接ウルクへ転移する手段は妨害されていた訳だが。

 ならば、徒歩でウルクを目指すのみ。

 後はいつも通り。徒歩の移動には慣れたものだった。その途中で、マシュはすっとんきょうな声をあげる。

 

「そういえば、ドクター。武蔵さんが言っていたことはどうなったんですか?」

 

 それを聞いて、マシュ除くEチームは首を傾げた。

 

「いつの話してんだ。もう誰も覚えてねえよ」

「時系列的につい最近のことですからね!? ほら、確か〝コフィンの中に凍結されてるマスターの状態を確認してみろ〟とか、しかもホームズさんの伝言で!!」

「私は分からなくても別に……」

「ど、ドクターも聞いていたはずです! そうでしょう、ドク……」

 

 マシュが振り返った先には、仰向けに倒れるロマンの投射映像があった。おそらくカルデアでは床に転がって気絶しているのだろう。

 途端にホログラムが途絶し、即座に復活する。ただし映し出されたのはロマンではなく、ダ・ヴィンチちゃんであった。

 彼、もしくは彼女はほわほわと湯気の立つ紅茶を嗜みながら、

 

「『我らがカルデア指揮官ロマニ・アーキマンはみんなが失踪した三日間不眠不休でね、ついさっき限界が来てしまった。という訳でここからは私が代わるよ』」

「俺が造っといた霊薬を使わせろ。二十日間は不眠不休かつ絶食状態でも働けるはずだ」

「『うん、試しにムニエルくんに服用させてみたんだけど、脳の方が耐え切れなかったのか全裸で廊下を疾走する奇行に走ってね。全面的に使用が禁止されることになったんだ』」

「劇薬にも程があるだろ!!!」

 

 ペレアスは目くじらを立てて叫ぶ。薬の歴史と人体実験は切っても切り離せない関係にある。こうしてまたひとり、新薬の開発のために尊い犠牲が発生したのだった。

 

「『で、その伝言についてだけど。ムニエルくんの調査で衝撃の事実が発覚してね。コフィンに凍結されてたはずのAチームが綺麗さっぱり姿を消してたんだ。神隠しってヤツかな?』」

「カルデア七不思議に追加しましょう。『爆熱! 燃え盛るフランス少女』と合わせて」

「『恐怖! 歩くデカなすび』に言われたくないわ!!」

「『今までなぜ気付かなかったのかというと、魔術での偽装に加えて機材も弄られていたみたいだ。どちらかだけならメンテナンスの際に分かるんだけどね、Aチームのコフィン自体に認知を歪める仕掛けが施されていたみたいだ。つまり、私たちが気付くかなり前から中身は空にされていたんだろう』」

 

 合間に余計なやり取りが挟まったが、ダ・ヴィンチの言わんとすることは伝わった。現時点、自分たちが持っている情報の中でそんな偽装を仕組める者は少ない。

 しかも、魔術王すらも見通せない時間と空間の孤島、カルデアに移動できる手段を持つ人間といえば。

 立香はじとりとした目で言った。

 

「またまたシモン・マグスですか。出番少ないくせにちょくちょく存在感出してくるのがムカつきますね」

「『私も立香ちゃんと同じ気持ちさ。ただ、次元跳躍があったとしてもカルデアに来れるとは限らない。座標が不明だからね。海図も羅針盤もナシで航海するようなものだよ』」

「いいや、カルデアの座標は不明だっただろうが、カルデアにいる人間の位置は分かってたはずだ。どっちを対象に取るにしろ、結果は同じだからな」

「『……ふむ、すなわちノアくんか。シモンの子孫を始末した君なら、確かに縁はバッチリだ。次元跳躍があるなら縁を辿るだけなんだから、楽勝と言って良い』」

 

 レフ・ライノールが仕掛けた爆弾が起動した直後のタイミングならば、カルデアの機能は完全に麻痺していた。シモンが動いたのはその際だっただろう。

 そこまでの話を聞いて、ダンテは何の気無しに、

 

「シモン・マグスはなぜAチームの皆さんを連れ去った……もしくは消したのでしょうか」

 

 素朴な、しかし核心を突くであろう疑問。ペレアスは直感で答えを返す。

 

「そりゃあ、自分で何かするためだろ?」

「Aチームの人に恋してる可能性もありますわ。倒錯した愛は恐ろしいですから。ねえ、立香さん?」

「リースさんが言うと説得力がすごい……」

「『天才ダ・ヴィンチちゃんの逆張り精神から言わせてもらうと、自分で何かするためじゃなくて、何かさせないためかもしれないぜ? ほら、絶対に性格悪いだろアイツ。マラソン大会で一緒に走る約束した友達を出し抜くタイプだよ』」

「それかテスト直前に勉強してないアピールするタイプですね」

 

 立香はカルデア来襲前の学生生活を思い出して、しみじみと述べた。マシュはその背中に忍び寄ると、小さく低いながらもよく通る声で囁く。

 

「先輩。出し抜くに関連して、ひとつ気になっていることがありまして」

「き、聞くだけ聞きましょう、我がサーヴァントよ」

「昨日のことなのですが……先輩、耐毒スキルがあってもアルコールは効くんですね」

「………………あっ」

 

 マシュは己がマスターの動揺を見逃さなかった。反論を許す間もなく、怒涛の勢いで言葉を並べ立てて押し付ける。

 

「毒の定義をその生物の生命活動に不利益をもたらし、停止させるものだとすると、アルコールは過剰摂取すれば毒になり得ます。そこで問題なのが耐毒スキルはどのように作用するかですが、静謐さんに触れられたことから一定量の毒は完璧に無効化し、閾値を越えた毒は症状を軽減するといった風に働くと思われます。しかるに、お酒を一杯や二杯飲んだところで先輩は酔うことができないはずなのです」

「……な、なにが言いたいのです?」

「結論を述べると、先輩はシラフでリーダーに甘えていたということになります。その真偽についてはいかがですか」

 

 立香は少し考え込んで。

 月光に濡れる華のように微笑んだ。

 

「───それは、秘密」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都市国家ウルク、中央神殿聖塔。

 世界で最も古い物語のひとつとされるギルガメッシュ叙事詩。メソポタミア文明を築いたシュメール人は、ウルク第一王朝における伝説の王の物語を遥か未来へと遺した。

 唯一無二の親友、神の泥人形エルキドゥとの出会い。レバノン杉の森に棲む魔獣フンババの討伐。求婚を断られた腹いせにグガランナをけしかけたイシュタル。人間との混血故に永遠の命を持たぬギルガメッシュはエルキドゥの死に際して、不死の霊薬を求める旅に出発することとなるのだ。

 玉座の間。王の聖殿たるその場には、無数の人間が慌ただしく行き交っていた。ギルガメッシュは次々と提出される報告書の粘土板を目に通しながら、入れ替わり立ち替わりにやってくる報告者の話に耳を傾ける。

 聖徳太子もパンクするような激務に晒されながら、王は指示を飛ばす。

 

「北壁の侵攻は当分有り得ぬ。レオニダスを呼び戻しておけ、兵の調練に就かせる。都市城壁の建築は宮廷魔術師コンビに一任しろ、花びらヒラヒラさせてる方の尻を叩くのを忘れるなよ。───なに? イシュタルめが傷だらけで空を吹っ飛んでいただと? フッ、ふはははははははッ!! ざまを見ろ駄女神が!! 良い情報を聞いた、目撃者には我から褒美を贈ると伝えよ!!」

 

 お手本のような傲慢かつ不遜な笑い声が神殿に轟いた。イシュタルは親友エルキドゥの死の原因となった女神である。ギルガメッシュの嘲笑は当然と言えば当然だろう。

 現在、ウルクは強大な敵との戦いの最中にある。そのため、頂点たる王から国を支える民のひとりひとりが余すことなく、一丸となって事態に立ち向かっていた。

 この国にはなにひとつとして無駄な部分は存在しない。誰もが重要な役割を担い、それを果たしている。

 無駄がないということは完璧であるということ。

 ───だが、得てして完璧とは、異物の侵入によって儚く崩れ去る運命にあるのだ。

 ギルガメッシュの千里眼は未来視の域にある。その精度は平行世界の可能性をも見通せるほど。ただし未来の一場面を覗くようなものであり、結果に至る過程が曖昧な場合もある。

 

「ここがウルクの神殿か。金目のモノばかりじゃねえか。特異点攻略の暁には根こそぎ持っていくか」

「そんなことより写真撮りましょうよ。なんか王様も忙しいみたいですし」

「市街で買ってきた串焼きや包み焼きもあります。わたしの盾、もといテーブルでおやつにしましょう」

「アンタにしてはなかなか気が利くじゃない」

「待ってくださいジャンヌさん。マシュさんのことですから、何か混ぜているかもしれせん」

「幸運E組は気を付けたほうがいいな。オレはA+だから問題ないが」

フォウフォフォウ(地味にマウント取るな)

「ペレアス様と初めて口づけを交した時を思い出して鼻血が出てきましたわ」

 

 そして、如何に未来を視ると言っても、映画を見直して再度感動や衝撃を得たりするように。

 

(雑種が八匹────だと!!?)

 

 いざその時が来れば、失望と軽蔑と驚愕を抱くのは避けられないことであった。

 しかも、二度目は一度目よりも理解が深まることがあるように、雑種一匹一匹のアホ面がより鮮明に脳に入ってくる。限りなく無駄しかない情報に汚染され、憤懣は募る一方だ。

 さらに、雑種たちはあろうことか広間の隅で料理を並べて談笑に耽る。不敬や無礼といった言語表現を飛び越えた惨状が繰り広げられていた。

 粘土板の文字を追う目が滑り、鼓膜に届く声が耳鳴りのようにすら聞こえてくる。つい立ちくらみを起こしかけたギルガメッシュ。そこに彼の信頼する臣下、ウルクの祭祀長シドゥリがやってくる。

 

「ついにこの時が来たようですね。私が応対いたしましょうか」

「う、うむ。いずれ奴らの戦力が必要になるとはいえ、あのような雑種の群れにくれてやる言葉など無いわ」

 

 シドゥリは優雅に頷き、雑種の群れへと歩んでいった。

 彼女は人間ながら非常に優秀な祭祀長である。ウルクをほっぽり出して不死の霊薬を探していたギルガメッシュを叱りつけ、国家の再建を支えた忠実な部下だ。

 すなわち、シドゥリもまた完璧なるウルクを構成する歯車のひとつ。この時代に歯車はないが。

 一息入れる間もなく、ギルガメッシュは仕事に戻る。

 ちらりと雑種たちを流し見ると、

 

「祭祀長ってどんな仕事してるんですか?」

「文字通り、神や王に対する儀式の準備から実行を執り行っております。行事の際も同じですね。王の補佐官も務めていますので、事務仕事なんかもしています」

「おお、古代のキャリアウーマン……!!」

「ウルクを円滑に回す潤滑油か。俺と同じじゃねえか」

「サラダ油とかいうアホな受け答えした人とは違いますよね」

 

 信じて送り出したシドゥリは雑種たちとともに一足早い昼食を摂っていた。ギルガメッシュは手に持っていた粘土板を握り砕き、

 

「何をやっておるかシドゥリィーッ!!」

「……ハッ!! 私が食欲に取り憑かれるなんて、このシドゥリ一生の不覚───!!」

「もうよいわ! あの宮廷魔術師コンビを呼べ! 十秒以内に!!」

 

 シドゥリはランサー並みの走力で王の間を飛び出ていく。

 そこで、Eチーム一行とギルガメッシュは初めて目を合わせた。血に濡れた紅玉の如き瞳は語気に反して冷ややかなまでの静けさを保っている。

 ノアは立香に振り向いて、

 

「黙りこくってどうしたんだあいつ。コミュニケーションに難ありか?」

 

 その直後、どこからともなく落下した大岩に叩き潰された。

 ペレアスとダンテは床のシミと化したマスターをしばらく眺めて、ぼそりとこぼす。

 

「「…………だと思った」」

 

 場の意見はその二人の感想で十分だった。しばしの沈黙のあと、王の間は普段通りの賑わいを取り戻す。ウルクの民は空気を読む力に長けているのだ。

 清掃員が床の汚れを落とそうとしていると、シドゥリが全力疾走で戻ってくる。

 

「き、宮廷魔術師を呼んで参りました!」

 

 シドゥリに並ぶ二人の魔術師。人ならぬ妖精の気配を備える彼らを視界に捉え、Eチーム一行───特にペレアスとリースとフォウくん───は一斉に目を丸くした。

 第五特異点の終わりも終わり、アルジュナとカルナの決闘を見届けたEチームの前に現れた花の魔術師、マーリン。彼は緩やかに口角を上げ、その傍らにはリースと全く同じ顔の、しかし仏頂面な女性がいた。前者は白き杖を、後者は氷の杖を手に、Eチーム一行のもとに歩み寄る。

 

「やあ、久しぶりだねペレアスくん! 奥さんには会えたようで何よりだよ」

「───お姉様ですわっ!! あなた様、見てくださいませ!!」

「ああ、確かに義姉さんだ。こんなところに召喚されてたのか」

フォウフォウフォフォウ(つーか横にいるやつ誰だよ)

「……………………あ、アレ?」

 

 マーリンを押し退けるように、リースと同じ顔の女性が進み出る。黒い二つ結び(ツインテール)を氷のリボンで結んだ彼女は、立香たちに向けてうやうやしく礼をした。

 

「湖の乙女の長女よ。妹たちと違って名前はないけれど、今はエレインという記号(なまえ)を使っているわ。共に戦いましょう、人類最後のマスターさん」

 

 湖の乙女の長女───エレインは微笑をたたえて、細くひんやりとした指で立香の手を包んだ。

 リースと同じ顔で同じ声。だというのに、纏い持つ空気は全くの逆だ。それすらも湖の乙女という精霊の一面を切り取ったに過ぎないのかもしれないが、立香が抱いた感想は簡潔だった。

 

「───本当にリースさんのお姉さんなんですか!? 全然ドスケベじゃない!!」

「清楚オーラが迸っています。わたしのように」

フォフォウフォフォウ(何言ってんだこのなすび)?」

「でも、私たち姉妹は同一存在ですわ。つまるところ、お姉様も根はドスケ」

「ふんっ!!」

 

 エレインは手に握る杖を野球バットのような形状にして、リースの臀部に叩きつけた。リースはどさりと倒れ込む。

 

「ンギャーッ! いってえですわーっ!!」

「こんなのも避けられないなんて、弱体化も甚だしいわね。妖精眼も失ってるみたいだし……本当に愛だけでペレアスの召喚に着いてきたのね。ごめんなさい、こんな見苦しいところを見せてしまって」

「いえ、日常のように見せられているので気にしないでください」

「むしろスカッとしたわ。姉の方は信頼できそうじゃない」

 

 立香とジャンヌはエレインの肩に手を置いた。歴戦の戦士じみた反応に、エレインは無機質な表情を引きつらせる。

 リースはテレビの中から這い出してくる幽霊界の大スターみたいになりながら、ペレアスの腕の中に自身の体を押し込んだ。

 

「ぺ、ペレアス様……患部を擦ってくださいませ……揉みしだくように……♡♡」

「我が嫁ながら転んでもただじゃ起きねえなこいつ───!?」

「あの、そろそろ伝説の魔術師マーリンくんにも触れてもらえると助かるんだけど。このまま無視されるようなら王の話百連発いっちゃおうかなァーー!!?」

 

 まぶたに涙をうるませるマーリン。哀れに思ったダンテは腫れ物を扱うように話しかける。

 

「わ、私はマーリンさんに興味がありますよ! ええ、生前からアーサー王の物語は妻と読んでいましたし、ペリノア王の手からアーサー王を守った場面とかかっこいいですし! だから元気出してください!」

「かの桂冠詩人ダンテから褒められるとは光栄だ。ちなみに奥さんは私のどの場面が好きなのかな?」

「マーリンさんが塔に幽閉されるところですね。お腹抱えて笑ってました。ああ、確か魔法の森でさまようバージョンもありましたよね?」

「……訊かなきゃよかった」

 

 といったところで、カルデアから一部始終を聞き届けていたダ・ヴィンチちゃんが会話に割って入る。

 

「『それで、どうしてエレインさんとマーリンが呼び出されたのかな? 宮廷魔術師コンビなんて言われてたけど』」

「え、なんで呼び捨て?」

「そうね。私から説明するわ」

 

 湖の乙女エレイン(仮称)は流れる水のように言の葉を紡ぎ出す。当然、花びらが流水の勢いに勝てるはずもなかった。

 

「ギルガメッシュ王は貴女たちEチームと共に戦うことをお望みよ。ただし、それは今の貴女たちとではない」

 

 氷の杖が石造りの床を小突くと、エレインの背後に四枚の氷のスクリーンが浮かび上がる。

 その氷板にはウルクの市街と、そこに暮らす国民の姿が映し出されていた。

 

「Eチームと共に肩を並べ、共に世界を護る仲間。すなわちウルクの民のことを知りなさい。その過程で王への理解も深まるはずよ」

「『国民全員にインタビューでもすれば良いのかい?』」

「いいえ。Eチームの各人には一週間ウルクの街で働いてもらうわ。名付けて、『お仕事仲良しハッピー大作戦』よ!!」

 

 エレインは自信満々に胸を張って言い切った。ペレアスとリースは同時に顔を伏せる。

 

「義姉さんのネーミングセンスは相変わらずか……!!」

「どこぞのタコ宇宙人みたいですわ……!!」

「…………言いたいことがあるなら面と向かって言いなさい? ペレアス、リース」

 

 ペレアス夫妻は黙り込む。さしもの円卓の騎士と湖の乙女とはいえ、姉に睨まれては勝ち目はない。

 マーリンがそんな空気を読むはずがなく、ニコニコとした笑顔で補足した。

 

「ということだ、Eチームの諸君! 見学の後に希望職種を訊くからそのつもりで! ギルガメッシュ王は難儀な人でね、こういう過程をしっかりしないと話も聞いてくれないのさ! ハッキリ言ってコミュニケーションに難があ」

 

 ノアの焼き直しのように巨大な岩に押し潰されて、マーリンは床のシミになった。ノアの血痕を掃除していた清掃員は舌打ちをして、雑巾がけを行う。

 エレインは眉をしかめる。

 

「……このままだと死体が増える一方だから、街に出ましょうか。もうひとりのマスターは無事?」

「無事ではないですけど、放っておけばいつの間にか復活してくるんで心配いらないですよ」

「マーリンと一緒ね。良かったわ」

「主人公と重要人物の扱いがこれでいいんですかねえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠の領域(プレーローマ)

 神性の充溢する世界において独りの知恵の女神は瞳の先に映る存在に言葉を返していた。

 

「……やはり蘆屋道満も英霊の端くれだったよ。英雄という連中はその力の大小に関わらず、運命を変えてみせる。私が見た未来は捻じ曲げられた」

 

 蘆屋道満は十二天将を以ってしてもなお、ニニギノミコトの神剣によって敗北していた……知恵の女神はそう告げた。

 ───ならば、貴様はここで終わるのか。

 返る言葉に、知恵の女神は答える。

 

「まさか。私は世界が終わってもらわないと困る」

 

 一糸まとわぬ肢体を、魔力で編まれた装束が覆い隠す。

 

「最後の特異点には私が出る。せいぜい見ていろよ、魔術王」

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