自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第73話 其は世界を統べる法則

「……大昔、アフリカ大陸の草原で集団生活を営んでいた人類が主食にしたものを知っていますか?」

「に、肉と骨ですかね?」

「ぶぶー、まともな道具も持ってない頃のよわよわな人類がそんな上等なの食べられるわけないじゃないですか。当時の人間は草の葉っぱとか根っことか、虫を食べてたんですよ」

「へえ〜……で、それが?」

 

 ジョッキが目の前に差し出される。その中にはごぼごぼと沸き立つ黒い液体が溢れんばかりに注がれていた。

 ごくり、とテペヨロトルは生唾を飲み込む。ジョッキを透かすように、背後の光景へと目線を飛ばす。緩やかながらも歩を進める、創世の母神。天を衝くほどの巨躯は一歩ごとに地響きを鳴らし、その五体より混沌の泥を振り撒く。

 その泥とジョッキに波打っている液体を交互に見て、テペヨロトルはこめかみをひくつかせた。サクラはにっこりと笑って、

 

「飲んでください」

「何故に!!?」

「ほら、ヒトがあれだけ雑食ならあなただってティアマトの泥くらいイケますよね? あと、あなたの苦しむ顔が見たいので。そぉれ、イッキ♪イッキ♪」

「いやいやいや、どこぞの英雄王でもない限りそんな量お腹壊しますって!! え、というか、オルタがさらにオルタ化したら一周して元に戻ったりしニャい!?」

「それはそれで面白そうです。まあ、あなたみたいなアホは一周回っても一回り大きいアホになるだけだと思いますけど」

 

 サクラはテペヨロトルの頬にジョッキを押し付けながら、くすくすと笑う。他人の不幸が大好物なこの偽神には、何を言おうと意見は通らないだろう。テペヨロトルは縋るように知恵の女神を見つめた。

 ソフィアはやすりで爪を磨いていた。その表面は丁寧に整えられ、つるりとした光沢を放っている。彼女はテペヨロトルの視線に気付くと、ふっと息を吐いて削りかすを落とす。

 

「…………むしろ、タイガーではなくジャガーである時点でオルタじゃないか? 己の在り方を裏切っているわけだしな」

「誰がタイガーじゃァァァァ!!! たとえ知恵の女神であろうがそのあだ名を呼ぶことは許さんぞ!!」

「そうか。すまなかったな。……それで、飲まないのか?」

「ちなみに断るなんて選択肢はないですよ?」

 

 ───テペヨロトルは絶望した。

 これ以上、黒白の偽神だの知恵の女神だのと行動していたら身が持たない。毎日支給されるちゅ〜るとマタタビは魅力的だが、ここまでのハラスメントを許容することはできない。ジャガーマンは常に自分に易しい道を選ぶのだ。

 そうして、懐に隠していたマタタビでキマった脳みそで彼女は思いついた。

 ウルクは滅びる。全生命の母たるティアマトの手によって。なぜなら、テペヨロトルはその復活を目の当たりにして、真っ先に腹を見せて降参したレベルだからである。

 加えて、ティアマトの背後にはサクラとソフィアがいるのだ。

 間違いなく、ウルクは、人類は負ける。もっと言えば、自分が戦ってもボコボコにされる。ならば、彼らを好き勝手に貪れるのは今しかないのではないか。

 

「───ということで、夜の九王たるこのテペヨロトルがお前らを喰らいに来てやったぞ!! 私は生贄肯定派の古いアステカ神だからな! 人間たちの命を以って、我が無聊の慰めとしてくれるわ!!」

 

 ウルク市の外、城門前。テペヨロトルは無駄に早い逃げ足でサクラとソフィアのもとから逃げ出し、堂々と小物臭いことを言い切った。

 エレインと牛若丸、そしてレオニダスは虚ろな目をしてテペヨロトルの話を聞いていた。漆黒のジャガーマンは黒曜石の槍の石突で地面を叩く。

 

「ふ、恐れで物も言えぬ様子……分かったらありったけの心臓とマタタビを用意しろ!!」

 

 がはははは、と品のない笑い声を響かせる。その態度にそこはかとない頭痛を覚えたエレインは、額をかばうように手を当てた。

 

「王とEチームが出払ってる時に来るなんて……頭が痛くなってきたわ。レオニダス、牛若丸、そこの着ぐるみが言ってることをまとめてくれる?」

「難しいことはありませぬ。つまり、彼女は自身を従属させる二人に反抗することを諦め───」

「───自分より下だと思い込んでる私たちにマウントを取りに来た負け犬、と自己紹介をしているのです!! あ、負け犬じゃなくて負け虎ですかね?」

 

 と、首を傾げる牛若丸。天然が入り混じった源氏流煽りはテペヨロトルの浅く狭い器量をあっさりと決壊させた。彼女は額に血管を浮き立たせながら、槍を深く地面に突き刺す。

 

「貴様らは言ってはならんことを言った……!! そう、例えるなら少女漫画のキャラクターに対して〝目ぇデカすぎじゃね?〟とか宣うやつのようになァーッ!!」

「妙に実感こもってるわね」

「イマイチピンときませんね。〝プロテインの効果って実感なくね?〟とかなら分かるのですが」

「うるせえー!! その呑気な態度、今から叩き潰してやる!!」

 

 咆哮じみた啖呵が飛んだ途端、地が嘶いた。

 跳ねるように揺れる地面。その勢いは衰え知らずに増していく。振動が空気にまで伝わり、天地さえもが揺れ動く最中、テペヨロトルは朗々と謳い上げる。

 

「これぞ我が究極宝具───『震え立て、大いなる山の心核(ヨアルテウクティン・テペヨロトル)』!!」

 

 アステカ神話の主神、テスカトリポカ。

 しばしばそれと同一視されるテペヨロトルは夜を司る九つの神の一柱であり、一説には全九階層からなるアステカの冥界とも関わりがあるとされてきた。

 その名が表す意味は〝山の心臓〟───すなわち、大いなる地の震動の源たる神格。アステカ神話の世界観において、心臓は大きな意味を持つ。それは神への供物であり、太陽の運行を司る要であり、生命の根源であったが故に。

 なればこそ。

 

「さあ、怯えろ! 竦め! サーヴァントの性能を活かせぬまま死んでゆけ!!」

 

 テペヨロトルはその場で槍を振るう。

 太陽を喰らうジャガーの一刀は地を割り空を裂き、ウルクの結界を跡形もなく吹き飛ばしてみせた。

 今のウルクにギルガメッシュはいない。故に、王の手に委ねられた結界の強度は十全とは言い難かった。なれど、テペヨロトルの一撃は大気を伝導しただけでそれを崩したのだ。

 牛若丸とレオニダスはエレインを守るように進み出る。

 

「遠当てでここまでやるとは、品性の割に強さは本物のようです!」

「ええ、低い知能と品性の持ち主にしては良い技です。私でも防ぐのは難しいでしょう」

「そうね。これで呑気にいられなくなったわ。あの獣が獣らしいのは知性と品性だけみたいだから」

「え、なに? もしかして打ち合わせとかしてきてる? こんなに罵倒の統制が取れることって中々無いよ? 心臓えぐり出していい?」

 

 まるでファランクスのように息のあった罵倒の嵐を前に、テペヨロトルは困惑を隠し切れなかった。が、ぶんぶんと頭を振って本来の目的を思い出す。

 

「ここまでコケにされて許しておけるかァーッ!!」

 

 揺れる地面を踏みしめる。その一歩で大地に亀裂が入り、地盤が軋む。瞬間、黒きジャガーは天高く飛び上がった。

 黒曜石の刃が太陽の光を照り返す。

 その刀身が湛える魔力は周辺を黒く塗り潰す、夜空の闇の如き異彩を放っていた。

 エレインたちは咄嗟に身を躱す。

 無人の地を穿つ刺突。それを起点として数キロメートルに渡って、深い断崖が地面に刻み込まれる。

 音が遅れて届く。隕石が墜落したみたいな轟音とともに、地面が引っくり返った───と思わせるほどの激震。エレインは空気中の水分を固め、それを足場として宙に退避する。

 

「なんて無茶苦茶……伊達にテペヨロトルの名を名乗ってはいないようね」

 

 振り返れば、ウルクの街は真っ二つに裂けていた。

 テペヨロトルの第二宝具『震え立て、大いなる山の心核』。それは槍を突き立てた大地を自らの魔力炉心に作り変え、その分の質量を自身に与える。テペヨロトルはウルク一帯を魔力の供給源にしたと同時に、膨大と表現することすら生温い物質としての重さを得たのだ。

 つまり、今の彼女の一挙一動には大地そのものの質量が着いて回る。如何に防御に優れたレオニダスであれ、受け止めるなどもっての外。そして、常に魔力が供給されるためにスタミナ切れも存在しない。

 テペヨロトルは槍を掲げ、品性に欠けた哄笑を轟かせる。

 

「フハハハハハ!! 見たかこの力を! 夜の九王にして大地の化身たる私には貴様らなど湿った石の裏にいるダンゴムシのようなもの! もはや私はククるんをも超えた!! 所詮奴は前時代の遺物よ!!!」

 

 槍を掲げながらステップを踏むテペヨロトル。彼女の足が踊る度に、ずしんずしんと地鳴りが起こっていた。なんとも大げさな舞踏だ。

 しかし、そんなはた迷惑なダンスは長くは続かなかった。

 

「───『炎、神をも灼き尽くせ(シウ・コアトル)』」

 

 ウルクの方角より、まばゆい陽光が地平を照らす。

 解き放たれる灼炎。一条の火炎がその場の誰をも欺く速度でテペヨロトルに迫る。彼女が熱を感じた時にはもう遅く、炎を纏ったアッパーがその顎をかち上げる。

 

「ぐべぁぁぁぁぁッッ!!?!?」

 

 莫大な質量を有するはずの体が高く跳ね上がる。脳みそが揺れ、着地の受け身すら取れずに墜落した。潰れたカエルみたいに寝そべるテペヨロトル。揺れる視界に映るのは、底冷えする笑みを浮かべたケツァル・コアトルその人だった。

 太陽神の手がテペヨロトルの頭を掴む。みしみしと五指に力を込めながら、冷徹な声で呼びかける。

 

「…………で、誰が誰を超えたと?」

「ご、ごめんニャさい…………」

 

 それで。

 ケツァル・コアトルの起床によって、テペヨロトルはただの駄猫に成り下がった。支配者から逃れたとしても、また別の支配者が待ち受けている。目先の利益に飛びつくしかない彼女はそのことを知らなかったのである。

 真っ二つに裂けたウルクだったが、幸い人的被害はなかった。街の片隅で司書として暮らしている80代男性によると〝グガランナが暴れた時と比べると屁みたいなもの〟とのことだった。神代において、この程度の騒ぎは珍しくもないのだ。

 それはそれとして。ケツァル・コアトルがテペヨロトルを広場の中心で磔にしていたところ、クタ市からギルガメッシュとついでにイシュタルを連れたEチームが帰還した。

 彼らはギルガメッシュお気に入りの飛行船ヴィマーナに乗り、爆速での帰宅を果たしたのである。

 ギルガメッシュはテペヨロトルの悪行の一部始終を聞き、

 

「車裂きの刑に処す」

 

 とだけ言い残して、宮殿に舞い戻った。

 王の間。ウルクじゅうに響き渡る絶叫をBGMにしつつ、Eチームとサーヴァント、神霊の面々が勢揃いした。辺りには王の不在中、代わりに業務を務めていた者たちがシドゥリ含め倒れ伏している。

 外は処刑、中は死屍累々。惨状の始末もほどほどに、ギルガメッシュは喋り出した。

 

「ティアマトが動き出した。エレイン、足止めをせよ」

「承知いたしました」

「展開が早すぎません!!?」

 

 立香は目を剥いてツッコんだ。

 これまでの戦いでひとつ学んだことがある。英霊や神霊のネームバリューと強さはほぼイコールである、と。だがここに例外が存在する───というのは往々にしてあるものだが、例外は少数だから例外なのだ。例えば世界三大詩人のダンテは話にならない弱さだし、無名のペレアスは地味に強い。

 敵はティアマト。生命の母であり、神々に叛旗を翻した竜神。たとえ湖の乙女をもってしても、ティアマトと相対するには荷が重すぎる。

 思考の過程は違うにせよ、同じ結果に至ったのは立香だけではなかった。イシュタルはじとりとした目つきでギルガメッシュを睨む。

 

「流石にそれは無茶ぶりでしょう。あのティアマトよ? ナメてるとしか思えな」

「黙れ駄女神。貴様の意見は求めておらぬ。第一、その軽い脳みそで思いつくことが我に思いつかぬと思うのか?」

「ぐ、ぐぎぎぃぃぃぃ……!! 立香との契約さえ無ければぶん殴ってたのに!!」

「魔術契約ってすごいですね、リーダー」

「両者の合意があって初めて成り立つものだからな。強制力はピカイチだ。魔術師を雇ってるメキシコのマフィアなんかは────」

「『そこまでにしようか、ノアくん。内容によってはR18-Gだから』」

 

 ロマンは慌ててノアを止めた。ヤツの世界旅行体験記のほとんどは到底人には話せないものばかりである。彼が止めなくても他の誰かが阻止していただろう。

 が、問題が解決したわけではない。エレインとティアマトでは言わずと知れた差が隔たっているのだから。

 ギルガメッシュは淡々とした調子で語る。

 

「エレインはこの未来に到達した際の秘策だ。妖精郷より喚びつけた宮廷魔術師コンビとは、こうした時のために必ずどちらかは生き残ることを命じていた」

 

 ギルガメッシュは言う。魔術王の聖杯がティアマトに与えられず、また、マーリンが生存していれば、かの母神は復活しなかったと。

 しかし、その想定はサクラというイレギュラーによって破綻した。エレインはティアマトが復活した場合、戦備を整えるための時間を稼ぐ役割を担っていた。

 ダンテはむむむ、と唸り声をあげる。

 

「未来視の結果ですか。王の慧眼にはお見逸れいたしますが……サクラがエレインさんの足止めを大人しく見ているはずがないと思いますねえ」

「それに、ソフィアもいるわ。サクラとソフィアをどうにかしないと、ティアマトを止めるなんて夢のまた夢よ」

「そういえば、イシュタルさんは知恵の女神の手で冥界送りにされたのでしたか。一応聞いておきますが、強さはいかがでした?」

「…………ペルシャ湾を一瞬干上がらせるアホ火力ぶっ放してきやがったわ。ま、まあ、本気出せば勝てるけど。強制冥界送りなんてインチキはノーカンだし」

「また負けたのかよ」

 

 ノアが呟くと、間髪入れずにガンドの魔弾が顔面を撃ち抜いた。イシュタルは魔弾の銃口である指先に息を吹きかける。まるで西部劇のガンマンだ。

 そこで、ケツァル・コアトルが足を揺すりつつ提案する。

 

「露払いが必要ということなら、私が。サクラとかいうゲスの顔面は一発殴り飛ばさないと気が済みまセーン……!!」

 

 彼女の全身からじりじりと照りつけるような炎が立ち込める。どうやら、サクラへの恨みは相当深いらしい。立香はその姿にジャンヌを投影しながら、

 

「ケツァル・コアトルさん。流れでここにいますけど、一緒に戦ってくれるんですか?」

「ええ。アステカ的に考えて、一度負けた相手にイモ引いていられません。ウルとエリドゥの民も保護してくれているようですし、私はアナタたちに協力するわ」

 

 それに、とケツァル・コアトルは付け加えた。

 

「受けた恨みは百万倍にして返すのがケツァル・コアトルの流儀デース!! テスカトリポカとか!! テスカトリポカとか!!!」

フォフォウフォウ(恨み返せてないだろ)

「『ケツァル・コアトルほどの戦力が加入してくれたのは良いことだ。三女神同盟の中で彼女だけが主神だからね。単純な強さならトップだろう』」

 

 アステカ神話において主神は数度入れ替わる。ケツァル・コアトルはその中でもテスカトリポカに陥れられる伝説を持っているため、恨みもひとしおなのだろう。

 イシュタルはぶっきらぼうに告げる。

 

「そういうことなら、私も行くわ。ソフィアの方を止める役割も必要でしょう」

「じゃあ、私を含めた三人で……」

「いいえ、お姉様が行くなら私とペレアス様も一緒ですわ。私たちは家族ですもの」

「その言い方だとティアマトを止める切り札があるんだろ? お膳立てくらいはオレたちに任せてくれよ」

 

 ペレアスとリースは当然のように言い切った。ほのかに頬を赤く染めるエレイン。彼女は髪の毛の先を弄りつつ、小さく微笑んだ。

 

「……もう、しようがない子たちね」

 

 湖畔に咲く幽玄の華の如く。

 その笑みは、静謐の趣を宿していた。

 しかし、そんな静けさを吹き飛ばすように立香は口角をあげる。

 

「頼るなら私たちもですよ! Eチームは七つの特異点を攻略した史上最強チームですから!」

「当たり前だ。実績と実力が伴ってんのはカルデアで俺たちだけだ」

「あくまで結果だけ見れば、ですがねえ」

「『くっ! こんな連中に手柄を与えるなんて、魔術王は何を考えているんだ……!!』」

フォウフォウフォフォウ(さすがにとばっちりがすぎる)

 

 魔術王の心境はともかく。人理修復を果たしたとしても、ノアが功績を盾に悪行をしでかすのは確定的に明らかである。カルデアという組織は身中に毒を抱えているのだ。

 立香の言に追随して、ジャンヌは白い犬歯を剥き出しにして笑う。

 

「そうと決まったらさっさと行きましょう。サクラのあのツラを前衛芸術にしてやるわ……!!」

「ジャンヌさんの言う通りです。そもそも、恨みで言えばわたしたちの方が先に抱いています。ランスロットさんを殴り飛ばしたわたしの鉄拳が閃く時も近いでしょう」

 

 マシュはみしりと拳を握りしめた。ペレアスと湖の乙女姉妹はその背後に、死んだ目をして佇むギャラハッドを幻視した。ポジティブな感情でないことは確かだ。

 ギルガメッシュはそこまで見届けると、自身の蔵より黄金の飛行船ヴィマーナを引き出す。そして、棘のある声音で言いつける。

 

「それに乗り急行せよ。決して傷をつけるな。……いいか、決して傷をつけるでないぞ!!」

「おいおい、誰がそんな運転するかよ。俺は目隠しかつ足で操作してもマ○カーで一位取れるドラテクの持ち主だぞ」

「リーダー、全く信頼できません」

 

 と言いつつ、Eチームとエレインはヴィマーナに乗り込んだ。飛行船の発進と同時に、ケツァル・コアトルとイシュタルは飛び上がる。三本の軌跡は目にも留まらぬ速さで彼方へ消え去った。

 ギルガメッシュは牛若丸とレオニダスに向き直った。血の結晶をはめ込んだかのような紅い瞳は怜悧な色を帯びている。

 

「ティアマトの襲来に備える。人員をまとめて街の修復に取りかかれ。我も出て指揮を執る」

「彼らの撤退支援はよろしいのですか? 話に聞く限りでは、足止めを果たしたとしても無事に逃げられるとは思いませぬ」

「案ずるな、レオニダス」

 

 王は血染めの眼を細め、

 

「───無論、手は回してある。神であろうと利用する……あの詩人の言葉通りにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、人の形をした奇跡だった。

 その手はあらゆる病を治し、その眼は未来を見通し、果ては死者をも蘇らせる。分け隔てなく奇跡を与える姿はまさしく、救い主と呼ばれるに相応しかった。

 私たちが彼を初めて見たのは、エルサレムという場所だった。その男は鞭打たれた体で巨大な十字架を背負い、最期を迎える場所へと歩き続けていた。

 多くの人から蔑まれ、唾を吐かれ、石を投げられる。けれど、その歩みに淀みはなく、ただひたすらに前へと進み出していた。それが自分の望みであるかのように。

 私たちは建物の屋根に乗って、彼の道行きを眺めていた。

 

〝ねえ、あの人間はどうして奇跡を使わないのかしら。浮かすなり何なりすれば、あんなに苦しむことはないのに〟

〝それを言うなら、ここから逃げるのだって簡単なはずですわ。わざわざ苦労を被るなんて、理解が及びません〟

〝自らを苦痛の渦に擲つのは人間の性よ。痛みこそが信念を補強する……神の子なんて言われていても、結局は人でしかなかったみたいね〟

 

 妹たちの疑念に、私はそう結論づけた。

 こんなに苦しいのだから、あんなに痛ましいのだから、自分が、彼が間違っているはずがない。どんな奇跡よりも心に訴えかけ、記憶に感情を刻み込む手段だ。

 彼の目的は死ぬことにあった。自らの生を諦め、多くの人間に蔑まれる中で、自身の証を残すことに一縷の卑屈な希望を見出したのだろう。

 

〝神よ、なぜ私を見捨てたのですか〟

 

 死の際、男は磔にされた十字架の上でそんな泣き言を呟いた。

 それはずっと抑え続けていた本心の吐露か、もしくは、神よりの啓示を受け取る能力を失ったためか。死を迎えるその時だけは、彼は真に人間であったのかもしれない。

 でも、完全に息絶えた瞬間、奇跡は起きた。

 どんな魔術も、どんな魔法だって手の届かない真正の奇跡───原罪の払拭。遥か過去より人間の魂に刻みつけられていた罪を、拭い去ってみせたのだ。

 まるで、暗い部屋の照明をぱっと点けたみたいに。

 全世界の全生命が、変革を辿っていた。

 私たちは知った。彼が本当に神と同質であり、完全なる人間であったことを。

 同じ湖から生まれた精霊。互いに溶け合い、微睡むような意識はそれで分かたれた。何を感じても同じモノしか抱かなかった自分たちは、初めて異なる感情を得た。

 ───ああ、人間って、こんなにも。

 

〝死にたがりで、かわいそうね〟

〝健気で、可愛いらしいですわ……!!〟

〝とっても綺麗で、面白いわ!〟

 

 落陽の光に包まれる丘の上。

 ぼんやりと霞む光の中に、死した救い主を睨む女の姿があった───────

 

「…………あれは、あなただったのね」

 

 果て無き空を征く、黄金の船。

 母なる巨神が蠢くその前で、黒白の偽神と知恵の女神が待ち構えていた。

 女神たちが一堂に会する天と地で。

 知恵の女神ソフィアは四冊の魔導書を出現させた。

 

「……誰に向けて言っている、湖の乙女。───第1儀式場『魔女の饗宴(エスバト)』、展開」

 

 世界の色彩が塗り変わっていく。

 パレットの上に色とりどりの絵の具を撒いて、乱雑に混ぜ込んだかのような彩り。無数の色で構成された混沌の黒の狭間に、ちかちかと毒々しい原色が光っている。

 混ざり合った黒の間隙から、真っ青な月が覗く。それは幼児がクレヨンで描いたみたいに拙いカタチをしていた。

 創世の母神から流れ出した泥が逆巻き、新たなる生命が受肉する。

 人間の歯茎を縦にしたような頭部を持つ霊長。現在のあらゆる系統樹から外れた生命体。彼らは沸き立つ泥より産まれ、カマキリの前脚のような腕を掲げた。

 

「x3、qkde4q:@=fd@/jd94」

「g94f-@hokqyd@94v@」

「nyuw@w=sl3zw」

「ut9hb@ac4=eqq@gjd94────」

 

 新生を果たした命たちの饗宴が始まる。

 知恵の女神は踊る彼らを抱きしめるように、大きく腕を広げた。

 

「〝願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みが与えられるように。主が御顔を向けて、あなたに平安を賜るように〟」

 

 ソフィアは微笑みとともに言祝いだ。

 絶対なる唯一神の恩寵を知らぬ、新しき人類を。

 おぞましくも絢爛な生誕の祭典。旧き霊長たるヒトの眼に、それはどこまでも愉しげに写った。立香はその光景を見下ろして、手の震えを押さえつけるように船の縁を握る。

 

「な、なんですかアレ!? 増えるワカメみたいにいっぱい出てきてるんですけど!!」

 

 イシュタルは手中に宝石を投影し、魔力を込めた。

 

「ケイオスタイドから生まれた新人類……ラフムとでも呼びましょうか。あの泥には絶対に触れないようにしなさい、汚染されるわよ」

「なるほど……エリザベートさんが騙された聖杯くんの泥と似てません?」

「おそらくアレの原型だな。だが、格は比べ物にならねえ。パッと感じられるエーテルの量からしても破格だ」

「『シバの観測結果では、ケイオスタイドに含まれる真エーテルは原始地球の年代に属している。サーヴァントですら汚染は免れないぞ!!』」

 

 ティアマトの泥とは原初の命を育む創世の海。触れた者はその細胞から遺伝情報に至るまでを書き換えられ、存在そのものが変質させられてしまう。

 サーヴァントですら例外ではない。たとえマスターと契約を結んでいたとしても、変質の過程でティアマトの仔として生命の情報が設定される。

 マシュはじっとジャンヌを見つめて、

 

「ジャンヌさんが浴びたら一周回っ」

「アンタが浴びなさい、なすびオルタ」

 

 ジャンヌの手刀がマシュの脳天を打ち据える。サクラはそのやり取りを見て、平坦な口調で言った。

 

「考えることはみんな同じみたいですね。ところで、私の駄猫が脱走したんですけど誰か知りません?」

「あのバカ猫なら私が闘争心ごと去勢しておきましたが? 猫の放し飼いは危険というのが現代の常識デス!!」

「う〜ん、残念です。剥製にして飾ろうと思ってたのに」

「あら、それは奇遇ね! 私もアナタに同じことをしようと思ってたから!!」

 

 空気が撓み、太陽神は駆ける。

 凄絶に響き渡る金属音。立香の目が捉えたのは、ケツァル・コアトルの翡翠剣とサクラの石翼の衝突。偽神は灰色の羽毛越しにほくそ笑む。

 

「やっぱり、速いですね。間に合いませんでした」

「イチイチ煽らないと気が済まないの!?」

 

 ケツァル・コアトルは剣を弾き上げ、瞬時にサクラの後背へ回り込む。流れるように振り落とされた刃は、サクラの直前で何かに弾かれたみたいに跳ねた。

 交錯する視線。二柱の神による殺し合いが始まったその時、黄金の船は一目散にティアマトへ直進する。

 

「『理由は分からないが、ティアマトは戦闘態勢を取っていない! やるなら今だ!!』」

「いいや、そんな未来は無い」

 

 ソフィアは人差し指の先を船へと突き立てた。

 凝縮する魔力。空間を歪め、光を捻じ曲げるほどの圧力。宇宙が膨張するエネルギーをほんの爪先だけ掠め取った、圧倒的な力の奔流。

 それを放てば敵はおろか、サクラやティアマトをも巻き込む。が、サクラはたとえ一原子残らず消滅させられたとしても再生し、ティアマトにはそもそも死という概念が存在しない。

 だからこそ、ソフィアは躊躇なく魔力を解放する。

 

「『逆行起源・天地収(ネガ・インフレー)────」

「───遅いっ!!」

 

 無数の光弾が閃く。

 破裂する五色の弾丸。ソフィアの指先に灯った光がふっと消える。きらびやかに輝く爆風はしかし、ことごとく上方へと逸れていった。

 知恵の女神の頭上に現れた暗黒天体。空間に開いた重力の井戸が攻撃を吸い込み、ぴたりと閉じる。

 彼女はイシュタルを見つめた。

 

「リベンジマッチか?」

「どうとでも取りなさい。私が相手よ!」

「嬉しいよ、イシュタル。お前がそこまでの負け犬根性を発揮してくれるとは」

「この私のどこから負け犬オーラが出てるってのかしらァ!!?」

「そういうところだが?」

 

 ソフィアは虚空から一本の箒を抜き出し、柄の部分に両足を乗せる。イシュタルが怒声とともに放った光線は、縦横無尽に駆け抜ける箒の軌道に掠りもしない。

 金星の女神は思わず唇を噛んだ。

 

「……随分と行儀の悪い乗りこなしじゃない。卒検でやったら一発アウトよ、それ」

「私は育ちが悪くてね、無免許運転がデフォルトだ。見苦しくさせてしまったなら申し訳ないと謝ろう」

 

 だが、とソフィアは翻す。

 

「───()()()()()()()()()()。優雅な戦いなど望むなよ、美の女神」

「ハッ! 上等よ……!!」

 

 サクラは知恵の女神と金星の女神の戦いを横目で流し見ていた。一瞬の間に数え切れない刃を見舞うケツァル・コアトルの斬撃を払いつつ、大きなため息をつく。

 

「……はあ~ぁ、楽しそうで羨ましいです。本当はイシュタルさんのこと好きなんじゃないですか、あの人?」

「よそ見厳禁!!」

 

 翡翠剣のひと振りがサクラの首を刎ねる。

 頭が溢れ落ちる。司令塔を失った胴体は糸が切れた人形のように揺らぎながらも、左手で頭部を掴み取った。

 ぶらりと垂れ下がるサクラの首。紅い瞳がケツァル・コアトルを向き、唇が艶めかしい弧を描く。

 

「なので、サクラ分身PART2!!」

 

 体のみのサクラが頭を放り投げる。

 それが行く先はティアマトへと迫りつつあるヴィマーナ。狙いすました投擲は船の船首へと着弾した。

 まるでトカゲの尻尾切り。瞬時に首からの下の肉体が生え出し、立ち上がる。

 

「ええと、こういうのをなんて言うんでしたっけ」

 

 ノアたちは言葉を交わす間もなく身構えた。

 サクラはちろりと舌を出して、あざとく表情を綻ばせる。

 

「───来ちゃった♡ てへっ♡」

 

 しん、と辺りから音が奪われる。およそ数瞬の合間、張本人であるサクラ含め、誰もが瞬間冷凍されたかのように停止していた。

 そうして。ノアは口元をひくつかせながら、語気に苛立ちを込めて言う。

 

「……おまえには可愛らしさの一欠片も見当たらねえぞ、ぶりっこ野郎。せめてその化けの皮で邪悪さを隠してから出直せ」

 

 サクラは何事もなかったかのように居直る。その表情は完全なる無であった。

 

「ま、ですよね。やっぱりこういうのは私のキャラじゃないみたいです」

「それで、何の用だ? わざわざ俺たちにボコられに来たってんなら、そこで四つん這いになれ」

「はー、うざ。私はあなたとかアウトオブ眼中なんですけど。そこの藤丸立香さんに用があるんで、すっこんでてもらえません?」

「だったら、なおさらボコすに決まってんだろうが!!」

 

 ルーンの灯火が発露する。

 それと同時。ペレアスとジャンヌが駆け出し、それぞれの得物を振るう。

 サクラは後方に飛んで躱し、ノアの魔術を羽で打ち払う。すると、彼女は無造作に船首を右手で押さえ込んだ。

 

「だったら、とりあえず落とします」

 

 手を放した一瞬。黒白の偽神はサッカーボールを相手にするかのような気軽さで、右足を横に振り抜く。

 金属がひしゃげる轟音。圧縮された空気が荒れ狂う暴風となって辺りを暴れる。当然、船も無事では済まない。黄金の船体は一直線に地面へと墜落した。

 

「ジャンヌさん並の馬鹿力───!!」

「あんなの私にできるわけないでしょうが!!?」

「言ってる場合ですかねえ!?」

 

 真っ逆さまに落ちる先は混沌の泥が渦巻く漆黒の海。触れた時点でそれまでの生は終わり、新生を余儀なくされる。

 ノアが飛行のルーンを刻むより早く、エレインは氷の杖を振るった。

 現れるのは見渡す限りの氷原。ケイオスタイドの上に膜を張るように広がる、氷の地面であった。ノアたちはルーンの効果によって、軟着陸を果たす。

 撃墜されたヴィマーナが火炎を噴き出しながら、泥に呑まれていく。黒煙を背景に、偽神は氷の大地へ降り立った。

 

「私はステータスなんていくらでも弄れるんですけど、今のはたったAランクの筋力程度のキックでした。なぜ船を落とせたのかは……少ない脳みそを捻ってよく考えてください。ヒントは作用と反作用です」

 

 ぱん、とサクラは手を合わせる。

 

「ティアマトはまだまだ寝起きなので、半覚醒状態です。そこで、あなたたちに提案をしてみようかと」

「丁重に断らせていただきたいですねえ。ろくなことを言わなさそうですし」

「むしろ丁重に断る意味もねえな。オレたちにとっちゃこいつの提案ってだけで論外だ」

「……聞いてみるだけ価値はあると思いますよ?」

 

 黒白の少女は後ろ手を組んで、覗き込むようにEチームを見上げた。

 

「魔術王。一緒に殺しません?」

 

 くすくす、とサクラは微笑む。

 魔術王の打倒。それは現時点におけるカルデアの最大目標であり、人理焼却という事件を収束させる唯一の手段だ。

 王の居城はこの特異点を攻略した先に存在する。その障壁となっているはずの女は表情に笑みを保ったまま、両手の人差し指を立てた。

 

「あなたたちホモ・サピエンスが地球上で栄華を極めることができたのは、進化の隣人であるネアンデルタール人を排除したからです。支配者は二つもいらない……ほら、利害は一致しているでしょう?」

「そういうのを、なんて言うのか知ってる?」

 

 立香は、勢い良く杖を差し向ける。

 

「───おとといきやがれ!!! 少しはマシな交渉を学んできて!!」

 

 射出される魔弾。

 サクラは身動ぎひとつしなかった。

 風船が弾けるような音が炸裂する。魔弾は真っ直ぐ顔面に直撃していた。その痛みすら感じていないのか、彼女は呆けたみたいに立ち竦んでいる。

 血で汚れた顔をぶんぶんと振って取り繕う。しなやかな五指が顔の端をなぞり、そこから折れた薬指が柔らかな唇を歪める。

 皮膚を引き裂くように口の端が持ち上がり、熱い吐息とともに頬を上気させた。

 

「ああ───やっぱり、欲しいです。弱い癖に楯突いて、私のことなんかどうでもいいってその瞳……抉って永久保存しておきたいくらい。決めました、あなたははしたなく尻尾を振って快楽を求めるワンちゃんにしてあげます!!」

 

 ずっ、と悪寒が頭頂から爪先を貫く。立香は目にも留まらぬ後ろ歩きでノアの背後に回り込み、両脇にマシュとジャンヌを引き寄せる。

 

「ま、魔術王と会った時よりゾッとした……!!! ヤバいです、怖いです!! みんな助けて!! リーダー!!!」

「おお。このパニクりよう、先輩の過去一が出たかもしれません。わたしの側にいれば万事安全です」

「冷静に分析してる場合じゃないわ。ティアマトの足止めでここまで来たのに余計な危機が乗っかってるんだけど」

「とにかくあいつをぶっ飛ばして逃げれば済む話だ。キリエライトはあのアホを絶対に立香に近付けんな」

 

 言われずとも。マシュはそう返事して、立香を後方へ下げる。ダンテたち後衛組は憐れむような視線を注いだ。

 

「立香さん、心中お察しします。詩人として情けないですが、正直掛ける言葉が見つかりません」

「私の経験上、ああいった目をした人には近寄らない方がいいですわ。間違いなく脳内がピンクに染まっていますので」

「リース、鏡で自分の顔を見なさい」

 

 エレインは氷で作った手鏡を渡す。リースとペレアスはその鏡面を覗いて、首を傾げる。

 

「いつもの私の顔ですが。……あ、そういえばすっぴんですわ」

「マジか、女神が写ってるかと思った」

「リース、ペレアス、ぶっ飛ばすわよ」

「こんな時に惚気るとか、アホなんですか?」

 

 サクラはつまらなそうに吐き捨てた。ペレアスは赤の甲冑を身に纏い、神殺しの魔剣を構えて、言い返す。

 

「アホで上等だ! お前は不死身みたいだが、この剣でも傷がくっつくかどうか試してやる!!」

「良い考えですね。斬れないということを除けば」

「うっせえ!!」

 

 サクラへと攻撃が殺到する。業火の波が押し寄せ、氷の牙が食らいつき、魔剣の斬撃が閃く。

 しかし。

 それら一切が、同時に逆の方向へ弾き出された。

 びきり、と剣を握る手に衝撃が走る。ペレアスは兜の奥で歯噛みして、あるひとつの可能性に思い至る。

 

「───ラモラックと同じ、反射か!?」

「だけじゃ、ないですよ?」

 

 渦巻く泥がサクラの足元の氷から突き出す。

 ぎちぎちと捻れ、先に行くほど尖った形状。不定形のはずのケイオスタイドは、まるで生き物のように鎌首をもたげた。

 氷原を削り、泥の槍が迫る。マシュはそれを盾を振るって受け流した。

 

「『造物主故の物質支配───? いや、アレは……』」

「……むしろ、力を操ってやがる。泥の挙動からして、向きと大きさまでは手中にあるらしい」

「アホのくせに、いい観察眼してますね。そう、私は造物主。ヤルダバオトであり、デミウルゴスであり、サクラス。この物質界を創造したと規定された、形而上の神」

 

 ───それなら、物質だけでなく力も操れて当然でしょう?

 グノーシス主義における造物主。この世を創造した偽神。伝説上、シモン・                マグスが提唱したとされる思想では、あくまで物質界を創造した神は偽なる悪神であった。

 なれど、その権能は真正の神───唯一神に近しい。

 元より、彼女は1グラムの物質を90兆ジュールに変換することができた。これは成長ではなく発見。自らの権能の可能性に気付いた、それだけのこと。

 

「この宇宙における力の振る舞い───それを理解した私に、勝ち目なんかありません」

 

 その言に、諧謔は存在しない。

 攻撃が通じない、どころではない。そもそも攻撃が当たらず、かつ、倍以上の力で返される。あらゆるエネルギーを支配する偽神には、あらゆる攻め手が通用しない。

 さらに。イシュタルとの戦いを繰り広げていたソフィアは、周囲に浮かぶ本のうちの一冊を手に取る。

 

「術式抽出───『三度、恩寵は降り注ぐ(トライアド・ユーフォリア)』」

 

 イシュタルの放った光弾がソフィアの眉間を狙う。が、それは飛翔する過程で急激に勢いを失い、敵に届く頃にはか細い光に成り果てていた。

 ぱちん、と知恵の女神は指を弾く。

 大気が捻じ曲がり、真空の刃がイシュタルへと飛んだ。

 不可視の斬撃。けれど、金星の女神は難なくそれを躱す─────

 

「─────!!」

 

 宙に舞う血の雫。回避したはずの一撃は、イシュタルの肩口を深く切り裂いていた。

 

「お前も、例外ではないぞ。アステカの太陽神」

 

 サクラの分身と斬り結んでいたケツァル・コアトルの全身に、いくつもの切創が刻まれる。ひとつひとつはけして深くはないが、決して無視できるものではない。

 ケツァル・コアトルは傷そのものには一切の反応を見せず、ただ眉をひそめた。

 

「一体、どんな魔術を……!?」

「なんてことはない。魔女なら誰もが知っている概念で、術式だ。誰もが使えるとは限らないがな」

「───『三重の法則』。魔女の行動はその善悪を問わず、三倍になって返ってくる。そういうことでしょう」

「流石は最古の三相女神、恐れ入るよ。それとも、依代の少女の知識かな」

 

 魔女宗……ウイッカの信仰では、魔女が行う事象はそれが善きにつけ悪しきにつけ、必ず三倍になって戻ってくるという考えがあった。

 ここにおける三倍とはあくまで比喩。端的に言えば、魔女は全ての行動がそれ以上の意味と価値を持って返ってくる。

 言うなれば、善の三倍と悪の三倍。

 当然、善悪は視点によって変わる。他人にとっての悪事も、魔女にとっての善行であるなら、魔女には善き結果だけが価値を増して戻るのだ。

 それ故に。

 

「私はあえて攻撃を外してやった。敵を見逃す慈悲は、善行に違いない。そして、私にとっての善い結果として、お前たちが傷を受けるという事象が現れた。説明してやれば、退屈なくらい単純な理屈だろう?」

「っ……どれだけ、インチキ技を隠し持てば気が済むのよ……!!」

「原初の魔女をナメるなよ、イシュタル。本体ならば十中八九私が負けていただろうが、疑似サーヴァントのお前は遥かに弱体化しているはずだ」

「だから諦めろっての? 無理な話よ!!」

 

 ソフィアは鼻を鳴らす。

 

「ここまでは、個人を術式の対象にした話だ」

 

 サクラは無造作に石の翼を払った。

 瞬間、立香を除いた地上の全員を突き刺すような風圧が襲う。血を吐き、苦痛に揺らぐ仲間の姿。立香は目を見開き、ある結論に到達する。

 

「───まさか」

「その通りだ、藤丸立香。一帯は既に私の儀式場、『魔女の饗宴(エスバト)』。『三重の法則』は全員に適用される。無論、お前たちへの善の三倍は排除しているがな」

「……さて。絶望するには十分な情報ですね?」

 

 ───攻撃が通用しない、なんて次元じゃない。善悪がソフィアとサクラの解釈に委ねられて、それが増加して返ってくるのなら、戦っても逃げても結果は同じだ。

 極論、ソフィアは敗走することですら〝命を守る善行〟として、三倍にしてしまう。その時、敵である自分たちに訪れるのは〝他者を追いやる悪行〟の三倍。どうあがいても、勝ち目なんてない。

 ……そこまで理解していてもなお、その少女は。

 唇を切り結んで、必死に敵を睨みつけて、震える体を押さえつけて、立っていた。

 ソフィアはなにか眩しいものを見るように、目を細める。

 

「…………私も、君に興味が湧いてきた」

 

 呟いたその言葉は、他の誰にも聞こえずに溶けていく。

 サクラはからかうように、

 

「ああでも、引き分け以上になら持ち込めるかもしれませんよ」

 

 蔑み、見下す視線はノアを刺していた。

 

「前の特異点の時に聞いていました。絶対にして無敵の神、バルドル。生まれ変わりであるあなたが真価を発揮したなら、少なくとも全滅は考えられない。それにしても、Ⅵ階梯如きの死徒を殺すためにバルドルになるなんて、蜂の巣の駆除に核ミサイル撃つみたいで笑っちゃいます」

 

 くすり、くすり。

 ノアは、面を伏せたまま応えない。

 神代より待ち望まれた、不死の神。数千年の集大成であるあの力を使ったのは一度きり。それを使えば、確かにこの場は切り抜けられるだろう。

 だが、他の誰が許しても、彼だけはそれを認めない。

 なぜなら、ここにいる自分は。

 あたたかな陽だまりの中で生まれた、ただひとりの人間だから。

 

「無理なら構いません。私が創る私の世界に、あなたは必要ない」

 

 サクラは唾棄する。自身の敵を、自分にとって必要のないモノを。

 立香は、全身を巡る血液が沸騰するほどの怒りを覚えた。

 彼の話を聞いておいて、それを必要ないの一言で切り捨てるなんて。

 

「もう、黙って。あなたの話は聞きたくない。あなたの世界なんかで生きたくない」

「それを宣うだけの力が、あなたにありますか」

 

 サクラはどこまでも嘲るように。

 

「あらゆる物質と、宇宙を動かす力を掌握する私こそが、世界を統べる法則なんですから────!!!」

 

 物質界の創造主は嗤う。

 轟く哄笑。それを遮るものはどこにもなく。

 呼応するようにラフムたちが踊り、ケタケタと聞くに堪えない声をあげる。

 サクラの石翼が振り上がる。それを落とせば、起きるのは先の繰り返し。

 楽には殺さない。他者の苦痛こそが黒白の少女にとっての蜜であったから。

 けれど、翼が下ろされることはなかった。

 

「話は終わりか?」

 

 ノアは口元についた少量の血を拭い、サクラは真っ向から睨めつける。

 

「此処に、おまえのものなんて何ひとつとして存在しない。俺も、世界とやらも、ましてやこいつは、おまえの小さい手に収まる器じゃねえ」

 

 後方の少女を庇うように伸ばされた右腕。

 空いた左手の上に、無色のエーテル塊が出現する。

 無属性魔術。エーテル塊は特別な性質を付与した事象を創るその力の原質。無彩色の固体が無数の欠片に分かれ、散らばっていく。

 雪のような粒はやがて見えなくなり、この世界に溶け込んでいった。

 起きたのはたったそれだけ。劇的な変化もなければ、目を見張るような派手さもない。サクラは息を吐くみたいに嘲笑う。

 

「何をするかと思えば、虚仮───」

「────おまえが創るつまらない世界は、俺がぶっ壊す」

 

 最初に気付いたのはソフィア。

 大気のマナが、ケイオスタイドに滞留する真エーテルが、ノアの手元に集まる。

 あたかも、魔力という力の流れを操っているかのように。

 イシュタルやケツァル・コアトルが異様な魔力の変遷を感じ取ったその時、既に攻撃は終わっていた。

 小細工など一切必要としない、魔力の放射。周囲の魔力が一点に収束したその一撃は、サクラの片翼を塵に還す。

 

「……え?」

 

 サクラの対魔力はA++ランク。現代の魔術師が用いる魔術など、蚊ほどの鬱陶しさにもならない。

 だというのに。

 それは、翼を焼き落としてみせた。

 

「だとしても、愚かです! 『三重の法則』が悪しき結果を返」

「うるせえ、黙ってろアホが!! そういうのはおまえらの世界だけでやってろ!! ここでは俺がルールなんだよ!!!」

「はあ!?」

 

 ノアに適用されるはずの『三重の法則』は不発。第二射がサクラのもう片方の翼さえも奪い去る。

 

「……ッ。どうして───!!?」

 

 

 

 

 

 

 ───宇宙という極限にマクロな世界は、素粒子という極限にミクロな世界の法則によって支配されている。

 万物の最小単位である素粒子。初期の宇宙は素粒子にまで分解された火の玉であった。やがて、小さな宇宙は加速度的な膨張、インフレーションを起こし、今日の宇宙を生んだ。

 すなわち、この宇宙の創世には素粒子の世界の法則が密接に関わっている。それどころか、宇宙はミクロの世界によって動いていると言っても良い。

 ならば、もし、架空の素粒子を創り出すことができたら?

 それは既存の物理法則を書き換え、世界に干渉することさえ不可能ではないだろう。

 無属性魔術によって創り出された素粒子は法則を書き換えた。ソフィアと、彼女の儀式場が強いる『三重の法則』を。

 ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドは思い知った。

 これは、自らの無属性魔術が至る極致のひとつであると。

 1979年、ノーベル物理学賞を受賞した物理学者、シェルドン・グラショーは宇宙と素粒子の関わりを、自らの尾を喰らう蛇になぞらえた図にして示した。

 故に、その名は。

 

 

 

 

 

 

粒子魔術(ウロボロス)!!」

 

 突き立つ中指の前に、輝く光球が生まれる。

 サクラは親指の爪を噛み切る。対応する術さえも忘れて、見惚れるように口をこぼした。

 

「────もしかして、核融」

 

 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 架空の素粒子による物理現象。それはサクラが知らぬ法則であり、そのため、力の向きを変えることができない。

 拡散する光と熱が五体を焼き尽くし、灰へと還す。

 ティアマトへの道は未だ拓けていない。母への情故か、旧人類を否定する性故か。ラフムが群れをなし、ノアたちの前に立ちはだかる。

 ノアはふらつく膝を隠して叫ぶ。

 

「次はおまえらの番だ。とっとと働け、下僕ども!!」

「せっかくの活躍が台無しですねえ」

「少しは感謝してやろうと思ってたのにな!」

「わたしたちが下僕なら、リーダーはクソうざったい魔力タンクです! 異論は認めません!!」

「久しぶりにアンタと気が合ったじゃない……!!」

 

 乱雑にすぎる発破を受けて、サーヴァントたちはラフムの群に跳び込む。ダンテを除いて。

 マスターコンビとダンテ、エレインは仲間の背を追った。立香はノアの引きずるような足取りに気付く。

 

「リーダー、大丈夫ですか?」

「……ぶっちゃけると、全身がクソ重たいし熱いし痛え」

「えーっ!?」

 

 説明する気力もないのか、彼はすぐに口を閉ざした。エレインは一目で不調の原因を見抜いてみせる。

 

「魔術回路を演算装置として使ったのね。あの魔術はノアの膨大な魔術回路を酷使するほどの精密さが求められるということかしら」

 

 ノアは小さく首肯した。

 卓越した魔術師は魔術回路によって、電子機器にも等しい処理を行える。

 一般的な魔術師の処理能力が携帯端末レベルだとすると、ノアのそれはスーパーコンピュータだ。が、素粒子の挙動を演算するにはそれでも心許ない。

 限界を超えた演算をしたことで、ノアの魔術回路は過負荷状態となったのだ。

 ───そして、その思考に至ったのはソフィアもまた同じ。眉間にしわを寄せ、苛立たしげに歯を食いしばる。

 

(私の知識にない魔術……たった今、あの瞬間に生み出してみせたということか。発展途上のアレを完成させるわけにはいかない……)

 

 そして、今ならノアが撒いた架空の素粒子を解析し、儀式場に組み込めば『三重の法則』は復活する。知恵の女神は懐から短剣を抜いた。

 アサメイ。短剣は四大元素では風や火の属性に当てはめられる。魔女が使う武器としてのイメージが蓄積した概念礼装。

 これを振るえば、標的の座標に合わせて真空の刃が出現する。狙いはノアの首。アサメイの刃が躍る寸前、宙に無数の宝石が舞い、千々に砕ける。

 宝石は全て、豊かな黄色の光を放っていた。

 

「───イシュタル!!」

「どうやらビンゴだったみたいね!! アリストテレスの四大元素では、それぞれの属性は性質の変化によって転化する! 風の元素変換なら、真反対の性質で乱してやれば機能不全って寸法よ!!」

「依代にかなり影響されているみたいだな、おてんば金星ゴッデスめ!!」

「なにそのトンチキなアダ名!?」

 

 ソフィアの両眼が忙しなく動く。

 Eチームはティアマトに迫りつつある。イシュタルのしつこさは別として、ケツァル・コアトルは、まさにサクラの分身を跡形もなく焼き払った直後だった。

 彼女は額の汗を爽やかに拭う。

 

「フゥーー!! 少しはスッキリしました!! この調子でクライマックスと行きましょうか! さあ、アナタの罪を数えなサーイ!!」

「くそっ、アホしかいないのかここは!」

 

 知恵の女神は思わず頭を抱える。

 イシュタルはニタリと、頭を悩ませるソフィアを見下ろした。

 

「良い顔になってきたじゃない。そうそう、そんな表情が見たかったのよ」

「うるさい馬鹿!! その口を閉じていろ!」

「んなっ……!?」

 

 切り札はある。

 ティアマトの意識を完全に覚醒させる。

 ティアマトの戦力はこの場の敵と味方を合わせたものよりも大きい。単騎で盤上ごとゲームを破壊する駒だ。

 

「起きろ、ティアマト!」

 

 魔力を乗せた言霊が響く。

 ギン、と薄い赤紫の瞳が明確な意思を取り戻す。

 頭の上を巨人の手で押し潰されているかのような、物理的な威力すら伴う視線の圧力。ティアマトは矮小なる人間の姿を認めると、蚊を叩くように右手を振り落とした。

 

「おるぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

 自身の現界を維持できる寸前まで魔力を注ぎ込み、灼炎の流星と化したケツァル・コアトルがティアマトの手に激突する。

 縦に向けられる力は横からの力に弱い。果たして彼女がそこまで理解していたのかは定かでないが、手刀は直撃する軌道を外れ、氷の大地を叩き割った。

 水を溜めたバケツを引っくり返すみたいに、混沌の泥と氷塊が空へ撒かれる。

 空中に放り投げられる人影。エレインは飛び上がる氷塊のひとつに身を隠していた。ティアマトを真正面に臨み、水晶の小瓶を取り出して、

 

「ありがとう。射程圏内よ」

 

 その中身を一気に呷った。

 エレインが月の雫を素材に造った霊薬。それは西洋で言うエリクサー、中国の仙丹、もしくは変若水と呼ばれる液体。つまりは、若返りの秘薬である。

 湖の乙女で最も魔術の腕に長けたエレインのそれは、肉体のみならず魂にまで作用する。より純粋な、精霊となる以前の姿にまで遡るのだ。

 

(───私たちが、三人に分かれる前の存在)

 

 かつて、キャメロットが隆盛を誇った時代。

 エレインは王の障壁となり得る、古きケルトの末裔を調べていた。結果的に役に立ったとは言い難いが、モルガンの核心を知ることができたのも調査があってこそだった。

 アーサー王の時代。キリスト教の広がりによって、既にケルトの神々は世界の裏側に消えていた。ドルイドの信仰の基盤である森林も伐採され、神々は居場所を失ってしまった。

 だが、それは少しでも自分のいた証を残そうとする行為だったのか。神は己の因子を各地に潜ませていた。

 ───ブリテン島の片隅。洞窟の奥底に詰められたみたいに、彼はそこにいた。

 

〝そうか、お前も……否、お前たちも儂と同類。古きケルトの末裔か〟

 

 巨人王イスバザデン・ペンカウル。

 常に目を閉じた彼はもうすぐ、その命を終えようとしていた。

 目を閉じているのは老衰のためではない。彼のまぶたは非常に重く、そして堅固な封印が掛けられていたから、簡単に開くことができないのだ。

 そう、まるで。

 太陽の魔神、バロールのように。

 

〝我が眼はバロールの魔眼。ひとたび開けば、見ただけで何もかもを殺してしまう〟

 

 この世にはモノの死が視える直死の魔眼というものが在るが、バロールの魔眼は死を視るのではなく、死を視た上でそれを確定させてしまう。

 イスバザデンはバロールと同じ眼を持っていた。

 彼が古きケルトの末裔であったがために。

 そして、巨人王は魔神と同様の結末を辿った。バロールが娘とその婿との間に産まれた子に殺されたように、イスバザデンは娘婿を取ることがすなわち命の尽きるときと定められていたのだ。

 

〝お前たちが星の触覚たる精霊であることは間違いない。しかし、同時にケルトの神の因子をも受け継いでいる〟

 

 その神の名は、

 

「───水の女神コヴェンティーナ」

 

 リースは噛み締めるように言う。

 飛行のルーンで泥に墜落することを免れたノアたちは、己の起源たる神に逆行したエレインを見つめていた。

 白く白く、触れれば崩れてしまいそうな雪の身体。なれど、その存在の格は湖の乙女と比べても隔絶している。

 コヴェンティーナ。水を司るケルトの女神。その支配域は海や川、湖、池───文字通り、全ての水ある場所を治める。

 ここまでの力を以ってしても、ティアマトを倒すには果てしなく遠い。だが、時間を稼ぐ一点に目的を絞れば。

 

(あの時、あなたもこんな気持ちだった?)

 

 脳裏をよぎる、茨冠の救世主。

 色々と、事情は違うけれど。

 人類のために命を懸けるという意味では、同じだと思いたい。

 傷だらけの体で磔にされた姿を見て、死にたがりでかわいそうと感じたのは間違いない。だけど、少なくとも彼は別の感情を抱いていたはずだ。

 神に見放された悲哀。

 己を裏切った弟子への哀憐。

 それでも尽きることのなかった人類愛。

 今、私は。

 ただただ、誇らしい。

 人の未来を繋げる礎になれることが。

 

「拘束、解放」

 

 ティアマトとエレインを結界が包み込む。

 それは。

 水の女神コヴェンティーナの全魔力、全霊基、全存在を懸けた。

 決して尽きることのない、海原の異界─────!!!

 

「あなたは強く、大きいけれど」

 

 ───広いだけのこの世界を、どれくらいの速さで脱出できるのかしら。 

 ざざん、と波が押し寄せては消えていく。

 その異界に陸地は存在しない。あるのはどこまでも続く、果て無き大海のみ。

 抜け殻となった肉体が崩れる。

 雪と氷でできた体は海面に呑まれ、溶けてなくなった。

 ただ残される、創世の母神。彼女は独り、嘶いた。

 

 

 

 

 

 

「───だから、どうしたんです?」

 

 異界の外。復活を果たしたサクラは仮面のような表情を貼り付けて、言い放った。

 

「あなたたちは逃げられない。私に勝つ手段もない。もう詰んでるじゃないですか」

 

 だからここで。

 その瞬間、泥の大海に巨大な穴が開く。

 穴の向こう側には灼熱の雷電を宿す大槍が、柱のように立ち並んでいた。

 

「今までたくさん我慢をしてきたから、こんな時くらいは好きにさせてもらいたいのだけれど」

 

 その中心。麗しき金色の髪を棚引かせ、冥界の女主人は獰猛な笑みを浮かべる。

 

「ティアマトを弄ぶアナタたちは、流石の冥界もノーサンキューなのだわ!!!」

 

 ノアたちは瞬時に意図を察し、地下へ繋がる穴に飛び込む。ケツァル・コアトルが続き、イシュタルは足を挟みかけたところで穴は閉じた。

 サクラはぽかん、と口を開ける。

 

「……は? 逃げた?」

「ここまで冥界を広げ、ウルクの地下に転移する腹積もりだな。ギルガメッシュはこの未来を読んでいたか」

 

 それにしても、とソフィアは独りごちる。

 

「…………冥界を便利な逃げ場だと思っていないか、あいつら?」




・粒子魔術について
 宇宙という極大なマクロの世界は素粒子というミクロな世界の法則に支配されている。粒子魔術はこれを利用した魔術理論。ノーベル物理学賞を受賞したシェルドン・グラショーはこれを説明するためにウロボロスの図を用いた。ウロボロスとは円環を描く蛇であり、絶えることない連続性、つまり永遠性を表しているとされることが多い。ウロボロスを図に用いたところにセンスの光を感じる。
 ノアの架空元素・無の特性『ありえないが、物質化する』を活かし、無属性魔術で創られた架空の素粒子を周囲に散布することで、その素粒子の特性に応じた現象を引き起こすことができる。つまり、任意の物理現象を再現することができる。また、散布を行わずに任意の性質の素粒子を使った魔術も粒子魔術に当たる。
 この魔術で発動した現象は魔術でありながら神秘を纏った物理現象として発生する。つまり、対魔力で防ぎ切ることはできない。
 この魔術には錬金術の要素も加わっている。なので、魔術の分類としては錬金術の一種。伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスが錬金術の秘奥を記した『エメラルドタブレット』には〝唯一なるものの奇跡を成し遂げるにあたっては、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし〟とある。これはミクロコスモスとマクロコスモスの照応と相関関係を語ったものであり、この理論に則ることで人間は宇宙に働きかけてあらゆる現象を起こせるとされた。ロード・エルメロイⅡ世の事件簿で度々言われるミクロコスモスとマクロコスモスの照応とはこのこと。人間と宇宙を無理やり当てはめることで、自身の行動によって世界を変える術が錬金術である。セフィロトの紋様なんかも人間の体に当てはめたものが存在する。人間というミクロな存在と宇宙というマクロな存在───奇しくも、シェルドンが提示したウロボロスの図と似たことを遥か昔から提唱している。
 作中のノアは演算の処理でダウンしかけていたが、本人によると〝慣れと気合いと工夫でどうにかなんだろ〟とのこと。
 長々と書いたが、要は学園都市第二位のパクリである。
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