自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第74話 宿り木の下で

 Eチームはエレシュキガルの冥界を通り、ウルクへと帰還した。が、彼らに休みを取る時間など存在しない。

 ウルクの王宮。三女神同盟との戦いが始まってから朝も夕も騒がしいこの場所だが、ティアマトの復活に際してその熱気と騒々しさは何倍にも膨れ上がっていた。

 しかし、宮殿の一角。視覚化するほどの黒い瘴気を放つ部屋が奥まった場所に据えられていた。王宮を行き交う人々は並々ならぬ圧力に圧倒され、足早に過ぎ去っていく。

 扉の横には一枚の表札。そこには『ティアマト対策特別会議室』との文面が掲げられている。

 室内にはギルガメッシュとシドゥリに加え、ウルクが保有する戦力の総勢がぎっしりと詰め込まれている。ほとんどがサーヴァントと神霊で構成されたその空間は、鉛のような空気で満ちていた。

 なお、テペヨロトルはいない。彼女は馬車馬ならぬ馬車猫として、自らが破壊したウルク市街の復興に従事させられていた。残念でもないし当然であろう。

 部屋の中央にはウルク周辺の地図が大きく広げられていた。当然の如く上座に座るのはギルガメッシュ。彼は腕を組み、脇に控えるシドゥリに告げる。

 

「……では、報告を始めよ」

 

 シドゥリはこくりと頷く。

 

「ティアマトは依然エレイン様の結界に囚われている模様。現世へのケイオスタイド流出も見られず、未だ脱出の兆候は確認できません」

「サクラとソフィアはどうだ」

「両者ともに異界へ侵入したようです。稼げる時間は予想以上に短いでしょう。神官団の星見によると、おおよそ三日半がリミットと言われています」

「十分だ。それまでに迎撃の準備を整える。して、肝心のティアマトを殺す方法だが」

 

 ギルガメッシュはノアに視線を送る。

 ノアはゴルゴーンとの決戦以前より、ウルクの研究施設の一角を借り受けて、神殺しのヤドリギを成長させる事業を行っていた。神話が語るところによれば、バルドルを無敵足らしめたフリッグの契約において、世界でただひとつヤドリギだけは〝幼いが故〟に契約を逃れた。

 世界でも最上級の神殺し・不死殺しの武装。ヤドリギがさらなる進歩を遂げたのなら────その姿は全てを見通すオーディンでさえ知らぬものとなるだろう。

 ノアは壁に背中を預け、簡潔に答える。

 

「アテはある。エレシュキガル、俺を冥界に連れてけ」

「……冥界はウルクの地下に引っ越し済みだから良いのだけれど。また変な契約吹っかけてきたりしないでしょうね?」

「そりゃ場合によるな。安心しろ、生かさず殺さず長持ちさせる術はよく知ってる」

「それなら安心ね、冥界の住人は全員死んでるから」

フォフォフォウ(そういう問題か)?」

「いつも思うんですけど、リーダーそういうのどこで覚えたんですか」

 

 立香は何の気無しに訊いた。この男の知識は半分が闇で、残りのもう半分はスクラップで出来ている。立香はそんな暗闇に包まれた最終処分場の中に突き進もうとしたのだが、ノアはなぜかしみじみと遠い目になった。

 

「知りたいなら教えてやる。あれは数年前───」

「貴様のくだらぬ回想に割く時間があるか雑種! 口を動かす前に頭を回せ! そのクルミのような脳みそではロクな考えなど生まれぬであろうがな!!」

「おいおい、誰の脳みそがダチョウ並みだ!? そういうのは俺の横にいるアホに言っとけ!!」

「私に受け流さないでください。そのアホの烙印はリーダーのなんで」

 

 と、真に流れ弾を食らっているのはダチョウであることは置いといて。イシュタルは目をじっとりと細め、低い声で言う。

 

「アテがある、程度の可能性に賭けるつもり? そんなの作戦とは呼べないでしょ」

「それはそうですけど、もしやイシュタルさんに考えがあったり?」

 

 金星の女神は立香の燦然たる眼差しに気圧される。純粋な期待に晒され、彼女は密かに思考をフル回転させた。

 この世で最も恥ずかしいことのひとつ。なんか分かってる風を取り繕っていながら、いざ訊かれたら答えられない───そんな無様を、ましてやにっくきギルガメッシュの前で晒すわけにはいかない。

 逡巡すること0.1秒、イシュタルが導き出した結論は、

 

「……そ、そう! 冥界! あそこならティアマトの不死性も無くなるじゃない!!」

「どういうことですか?」

「ティアマトの不死性には二つの種類があるのだわ。ひとつは〝死の概念がない〟故の不死性。もうひとつは〝全生命の母であるが故の逆説的〟不死性。冥界の中であれば後者の不死性は無効化できるということよ」

「なるほど。めいかいってすごい」

「『エレシュキガルさん。立香ちゃんの思考回路がショートしてるので詳しくお願いします』」

 

 頭頂からぶすぶすと黒煙を噴き上げる立香。それを尻目に、エレシュキガルは補足を加えた。

 ティアマトは死という概念を持たないため、決して死ぬことがない。それは彼女が持つ特性というよりも、理。ルールであるが故に、たとえ星を消し飛ばすほどの熱量を以ってしても、ティアマトを殺すことはできないだろう。

 そして、かの母神はあらゆる生命を産んだ。この地球上にひとつでも生命体が残っている限り、その母たるティアマトの存在は保証される。

 ティアマトを倒すためには地球上の全生物が滅びなければならない。だが、死者のみが存在する冥界に生者はあり得ない。そのため、ティアマトの不死性の半分は無効することができるのだ。

 そこまで聞いて、立香の脳内回路はひとまず冷却されたものの、まだ納得いかない部分があるのか頭を傾げていた。

 

「だったら、冥界の中でヤドリギを使えばいいんじゃ? 不死性があるならヤドリギは効果抜群ですよね」

「もう忘れたのか? ティアマトは死なないでも死ねないでもなく、死がない……殺しても死という終着に辿り着かないなら、ヤドリギは効かねえ」

「目当てのキャラを引こうと思ってガチャしてたのに、そもそもピックアップされてなかったみたいな感じですか。……ウッ! 悲劇すぎる……!!」

「先輩、喩えは概ね合っているのですが、あまりにも俗すぎます」

「考えたくもない事態なのは確かですけどねえ」

 

 同情の目が立香に集まる。その同情には少しばかりの憐れみと、それほどまでに現代人を苦しめるガチャという文化への困惑が入り混じっている。

 そもそも、とペレアスは疑問を投げかけた。

 

「ヤドリギが効かなかったのはサクラもそうだよな。あいつは体が消し飛んでも再生するし、不死身ってことだろ?」

「あのアホはヤルダバオトとデミウルゴスとサクラスとかいう造物主よくばりセットだぞ。出せる手札が多すぎる。考えるだけ無駄だ」

「サクラの自己改変能力なら、ヤドリギを受けた瞬間だけ不死性を消すなんて芸当もできるでしょうし……手札が多いと言うのならソフィアもですわ」

「……ふむ、こうして見ると」

 

 牛若丸は眉根を寄せて考え込む仕草をする。

 

「やっぱりこの特異点、ロクな女性がいませんね!」

 

 途端に表情を輝かせて、彼女は言った。

 正気があるのかも定かではないティアマトは別にして。サクラは言わずもがな、ソフィアはこれまでに『暗黒の人類史』というサーヴァントを送り込んだお騒がせ屋でもある。

 とりわけ、サクラとソフィアの両名に敗北を喫したイシュタルは満面に憎悪を塗りたくり、怒髪天を衝く勢いで全身を震わせていた。

 

「ええ、まったくよ……!! 私が何度あいつらに苦汁を舐めさせられてきたことか! 神殿も宝物も消し炭にされたし、絶対に許さないのだわ!!」

 

 すると、ギルガメッシュはニタリと唇を歪めた。端正な顔から繰り出される下卑た笑みはなかなか堂に入っている。

 

「貴様を痛めつけたことは奴ら唯一の功績だな。住処を失ったのなら冥界で寝泊まりしたらどうだ?」

「地面を掘ったらすぐに帰宅できるのも機能的ですね。スパルタの訓練に取り入れたいくらいです」

「あそこは冷えるので暖かくすると良いでしょう。具体的にはジャンヌさんがオススメです」

「誰が人間型ストーブ!?」

「というか、なんで移住する流れになってるわけ!? 私、天の女主人なんだけど!!」

 

 金星の女神は悲痛な叫びを響かせた。何を勘違いしたのか、ケツァル・コアトルは陽気に笑って、イシュタルの肩を叩いた。

 

「火力が心配なら安心してくだサーイ! 太陽神の権能を以って、住み良い冥界を創り出してみせるわ!」

フォフォウフォフォフォウフォウ(そろそろ冥界がゲシュタルト崩壊してきた)

「良かったじゃねえか、新しい家が見つかって」

「うるさいわアホ白髪! ガチでやろうってんならティアマトの前に私がウルクの敵になるわ!」

 

 毛を逆立たせる猫みたいに威嚇するイシュタル。彼女の姉であるエレシュキガルはそれを華麗に無視して、地図上のウルクに細やかな人差し指を置く。

 

「……問題はウルクの防備よ。ティアマトのケイオスタイドに触れれば、人間はみなラフムになってしまう。街を作り変える必要があるわね」

「『それについては私に考えがある!!』」

 

 突然の横入りを果たしたのはカルデアのドラえもんことダ・ヴィンチちゃんだった。

 嫌な予感をひしひしと感じるEチーム。重い空気が辺りに漂う。しかし、興奮した様子の彼女はそれを物ともせずにまくし立てる。

 

「『かのアルキメデスは都市に数々の兵器を搭載し、ローマ軍を恐怖のドン底に陥れた! ならば、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは神をも恐れさせてみせる!! ウルク改造計画に関する手筈は私が整えよう! 何なら図面も引いてきたぞ!!』」

 

 そう言って、ダ・ヴィンチは大容量のデータをEチームの端末に送りつけてきた。回線が圧迫されているせいか、彼女を形作るホログラムに若干の乱れが生じている。

 立香は端末の画面を数秒覗くと、大人しく閉じる。建築の勉強など一度もしたことがない人間には当然の反応であろう。

 対して、ノアは爆速で画面をスクロールして図面に目を通すと、満面に高揚感を広げる。

 

「面白え、俺も一枚噛ませろ。天才の天才たる所以を見せてやる」

「貴様如き雑種なぞに任せておけるか。我がウルクは我の手腕でもって導く!」

「『はい、じゃあ三人で仲良くアイディアを出し合いましょうね! 戦いの前に仲間割れとか洒落にならないので!!』」

 

 ロマンは強引に話をまとめた。かつてのカルデアでは、如何に効率よくサボるかを追求していた男にとって、無駄な会議を終わらせることは得意技なのだ。

 そんなこんなで、ティアマト対策会議は一旦の終了を迎えた。なお、ギルガメッシュとダ・ヴィンチ、ノアの三名は部屋に残りウルク改造計画についての話を進めたが、十数分後会議室は爆発四散したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、もうひとりの人類最後のマスターはというと。立香はウルクの街を歩いていた。

 人の声と重厚な工事音が鳴り響く。通りにはこの時代に似つかわしくない重機(ダ・ヴィンチ設計)が行き交っている。もし現代で発掘されれば、アンティキティラ島の機械をも超える大スクープになるだろう。

 ティアマトの復活を知ってさえ、この街から活気の灯が消えることはなかった。

 神が空想でも、信じるものとしてでもなく、確かに存在する時代。そこに生きる人々は自らの存亡がかかった現在を、どこまでも図太く進んでいた。単に悲嘆に暮れている場合ではないというのもあるが。

 で。未来より来たりし女、立香は腕を組み、うんうんと唸りながらあてどなく彷徨っていた。やや前傾した背中はそのまま彼女の懊悩を表しているようだ。

 その悩みの原因は二十分以上前に遡る。

 ティアマト対策特別会議室が爆散してすぐのこと。ウルクの人々の手伝いをしようと歩いていた立香の目の前に、上空からノアが墜落してきたのだった。

 彼は全身が煤まみれになり、頭頂に剣が突き刺さっていた。大方、ギルガメッシュ相手に無礼な言葉遣いでもしたに違いない。

 だがしかし、ヤツの生命力は常軌を逸していた。なにしろ、スカサハの振るう超暴力にもしばらくすれば立ち直ってくるほどである。

 彼はすっくと立ち上がり、立香に言い放った。

 

〝立香、後で俺の研究室に来い〟

〝それより剣抜きません?〟

 

 という言葉も虚しく、ノアはエレシュキガルのもとに向かってしまった。剣が刺さったままで。

 まあ、それは良いとして。

 

(行くべきか逃げるべきか……これは私の生死を左右する選択───!!)

 

 まず前提として、あの男は人の心を持たぬ悪魔である。彼女自身、何度も被害にあってきた。何の考えもなしに行けば、痛い目に遭うことは確定的に明らかだ。ヤツが何を考えているのかは分からない以上、退くも進むも大きなリスクが伴う選択を強いられている。

 しかも、場所は研究室。借り受けたものとはいえ、魔術師にとっての独壇場だ。大口を開けたファフニールの胃袋に飛び込む愚行に等しい。

 けれど。

 一緒にいたいと望む自分も、確かにいるわけで。

 

(いや、こんな時こそ気分転換! みんな働いてるのに、私だけこうしていられない!!)

 

 ぱちん、と頬を軽く叩いて自分に喝を入れる。

 いざ、仕事探し。幸い現在のウルクはハローワークにも寒風が吹くほど、やらねばならないことに満ちている。仕事自体はすぐに見つかるはずだ。

 そんなことを考えつつ、立香はふと横の路地に視線をやった。

 狭く薄暗い道の端。民家の壁に寄りかかる人影……というよりは猫の影。強烈な既視感に若干の目眩を覚えながら、立香はそれに近づいてみる。

 

「えっと、ジャガーマンさ────」

 

 そこで見たのは。

 ジャガーの着ぐるみを身につけた女。その傍らには乾燥した枝が何本も詰まった袋が落ちている。

 小さな台に盛られた土気色の粉末。カードを使って粉を一本の線のように整え、用意したストローで一気に鼻から吸い込む。

 ジャガーマン兼テペヨロトルは一瞬固まり、それから嘘みたいに崩れた表情になった。

 

「あ゙ぁ〜〜……やっぱり人目を忍んで吸うマタタビはキくニャアアァアァア〜〜〜…………」

「アウトォォォォォ!!!」

 

 立香はプロサッカー選手も目を見張るスライディングで、テペヨロトルの横に落ちた袋を蹴り飛ばす。

 マタタビが入った袋は空中で弧を描き、通りの中心に落ちる。直後、その上を通り抜けた重機がマタタビを轢き潰し、地面と同化させてしまう。

 一部始終を見届けたテペヨロトルは迫真の表情で絶叫する。

 

「ンギャアアアアア!! 私の唯一の心の癒やしが!! 何してくれてんの!!?」

「それはこっちの台詞ですけど!? マタタビを摂取するにしても方法を考えてください!! あの一角だけブレイキングバッドみたいなことになってましたから!!」

「摂取方法は人それぞれでしょうが! あれはちゃんとした合法マタタビだから!!」

「……あれは?」

 

 咎めるような視線に、さっと顔をそらすテペヨロトル。立香はジャガーの着ぐるみを怪しみながら、

 

「もしかして、違法なマタタビ隠し持ってます?」

「イヤイヤイヤ、私にだって遵法精神くらいはある! まあ、サクラに従ってた時は調子乗ってたからアレかもしれないが、それもククるんによって焼き尽くされたんだニャ!!」

「じゃあ、私はウルク警察にチクってくるんで」

「待ってえええええ!!」

 

 テペヨロトルは立香の腰にしがみつく。涙目の彼女は口早にまくし立てた。

 

「かつてのアステカ帝国ではテオナナカトル───幻覚作用のあるきのこを神の肉と呼び称えて儀式に使っていたんだニャ! そう、ジャガーマン的に考えてこれはアステカの風習と文化に則った儀式のようなもの!! 日本人が正月神社かお寺に小銭投げに行くようなものでしょうが、どうせ電車内で腹痛になった時かガチャくらいでしか神に祈らないのに!!!」

「び、微妙に反論しづらい理屈を持ち出してきた……まあマタタビは適量を守ってくれれば良いですけど、仕事はどうしたんですか」

「それが、隠れてマタタビ吸ってたら前の職場をクビにされて……私だってこんなことはもうやめたいんだニャア!!」

「なるほど、ジャガーマンさんに必要なのは仕事じゃなくて病院だったってことですね」

 

 たとえそれが違法なものでなくても、人間は何かに依存する可能性がある。彼女の場合は神霊だが、人間らしさを持つ多神教の神々もまた同じと言えよう。

 考えようによってはこれはチャンスだ。テペヨロトルの依存対象であるマタタビは完全粉砕され、新たな入手手段もない。

 いささか荒療治だが、ここは心を鬼にしてマタタビ依存を治療すべき時。立香は他に考えるべきことをぶん投げて、余計なおせっかいに身を投じることにした。

 

「……ということで、わたしたちのところに来たと。流石は先輩、素晴らしい慧眼です」

 

 ウルク正門前工事現場。立香がまず最初に頼ったのは、自らが最も信頼するサーヴァントたちだった。もっとも、その信頼は普段の行いによって大分揺らいではいるのだが。

 マシュは巨大ショベルカーを巧みに操り、物凄い勢いで城壁を崩していた。騎乗スキルの成せる業だ。

 

「依存症を治すのは容易なことではありません。気長に根気よく付き合っていくのが大切だと、昔ドクターが言っていました。あの人自身コーヒー依存症ですが」

「気長に根気よく……私が苦手なことナンバーワンなんだが!? それができないからサクラのところから逃げてきたんだもん!」

「自分で言います?」

「……といった反応を返されるのはわたしも想定済みです。ティアマトが迫っているこの状況で気長になどとは言っていられません。そこで、たったひとつの冴えた治療法を教えましょう」

 

 マシュは得意げに言った。その顔は不安など微塵も感じさせない自信で溢れている。

 立香とテペヨロトルは途端に期待を抱いた。すっかり忘れていたが、マシュ・キリエライトという少女は本来は聡明かつAチーム主席の才女なのだ。

 なすびの皮を脱ぎ捨てた彼女に隙はない。マシュはレバーを複雑に操作しながら告げた。

 

「───特異点を修復することです。そうすればジャガーマンさんは英霊の座に退去するので全てがチャラになります」

「治療法がパワー系すぎる」

「だいたい、依存症とかよりも他の大きなものがチャラになってるじゃん! ただの巻き込まれ事故じゃん! 解決してないも同然じゃん!!」

「ええ、分別が面倒だからと燃えないゴミの日にプラスチック製品を出すようなものですね」

「それジャガーマンさんの悩みがゴミって言ってない?」

 

 立香が刺すように言うとマシュは遠い目をして、黙々と重機を操る。清々しいまでのこれみよがしな黙秘権行使である。

 こうなったマシュはまさに鉄壁。普通の一般人にシールダーの防御力を突破することなど夢のまた夢。立香は質問の方向を大きく変えることにした。

 

「そういえば、ジャンヌはどこ?」

「先輩は知らないのですか。壁を粉砕する作業にも飽きたので、ここは人に任せてジャンヌさんを冷やかしに行きましょう」

「薄々思ってたがこの娘、邪悪だニャ?」

「ジャガーマンさんとどっこいどっこいくらいですね」

 

 マシュに続いてショベルカーを降りる。他の人間に引き継ぎを済ませると、三人はジャンヌがいるという場所に足を運ぶ。

 そこは何の変哲もない鍛冶場。ウルクに必要な金属の多くをまかなう巨大施設。なのだが、人気がない上に炉に火もくべられていなかった。

 さらに不思議なことに、室内の奥からはむせ返るほどの熱気が立ち込めている。立香は額に汗を浮かばせ、テペヨロトルは荒い息を吐く。

 

「ジャンヌはこんな場所で一体何を……それにしても暑い……」

「猫は暑さに弱い。これ常識!!」

「その着ぐるみ脱いだらどうですか?」 「ひ、昼間から脱げだなんて現代人は積極的だニャ……私からジャガーの皮を剥いだら普通の美少女でしかなくなってしまう……!!」

「「少女───?」」

「おい背骨ブチ折るぞ小娘ども」

 

 背中に獣の眼光を突き刺されながら、立香とマシュは先を急いだ。

 早足で辿り着いたところはドーム状にレンガが積み上げられた広間。その中心には激しく燃え盛る火種があり、放射状に鍛冶師たちが金属を鍛えている。

 そして、その火種とは他でもないジャンヌであった。

 五体から立ち昇る炎。時折金属がくべられ、赤熱したそれが職人たちの手元に戻っていく。ジャンヌは石像みたいに無機質な顔をしていた。

 

「……なにこれ、邪教の儀式?」

「いえ、ジャンヌさんの有り余る火力を活かした鍛冶の方式です。手軽に魔力豊富な鉄を造れると評判になっています。放置しているとどこからともなくうめき声が聞こえてくるらしいですが」

「おお、さすがアヴェンジャー」

「感心してる場合じゃないでしょうが!! サーヴァントには人権ってものがないわけ!?」

 

 一層激しく炎を荒げさせるジャンヌ。熱波が周辺を舐め、職人たちは絶叫をあげながら避難する。

 マシュは近くにあった水瓶を掴むと、その中身を火種へ向かって勢い良く振り撒く。

 室内に水蒸気が立ち込め、残るはずぶ濡れになったジャンヌひとり。瞬時に退避していた立香たちは物陰からひょっこりと顔を出した。

 

「このように、たまに熱暴走してしまうでわたしが冷やかしに来る必要があるのです」

「物理的にだった───!?」

「サーヴァントをこうして扱うとは、現代は現代でヤベー価値観になってやがったのか……」

「ジャガーマンさん、これがデフォルトだと勘違いしないでください!!」

 

 ジャンヌはつかつかと立香たちに歩み寄り、本気の拳をマシュの頭に落とした。さしものシールダーとはいえ、Aランクの筋力から繰り出される不意の一撃を前に意識を保つ道理はない。

 ジャンヌは地面に突っ伏して気絶するマシュに背を向け、立香とテペヨロトルを訝しむような目つきで見る。

 

「……で、用はなに? 立香」

「それが、ジャガーマンさんが薬ぶ……マタタビ依存症になっちゃって」

「へえ、クソほどどうでもいいわ」

「今のところ全員私への対応が雑じゃない!? この子に至っては養豚場の豚見るみたいな目ぇしてんだけど!!」

 

 そろりと後退るテペヨロトル。豚よろしく丸焼きにされる未来でも幻視したのか、その毛は刺々しく逆立っていた。

 数歩下がったところで、背中に何かが当たる。反射的に首を振った後ろには、目に優しくない極彩色の女神が仁王立ちしている。

 彼女は真っ昼間の太陽みたいに輝かしい笑顔で、

 

「アナタがマタタビ過剰吸引の容疑で前職を追放されたと聞いたのですが。どうやら躾が足りなかったようですね?」

 

 ヒュウ、と南極の吹雪よりも寒々しい風が吹く。ケツァル・コアトルはテペヨロトルの着ぐるみを鷲掴みにして引っ張った。

 

「そんなアナタに良い仕事を用意しました! ウルク地下で1050年強制労働デース!!」

「ち、ちなみに給与は?」

「カリカリ三粒でどうです?」

「おぞましや、第二の太陽! こんな世界継続する意味あるのか……!?」

 

 人類史への猜疑心に苛まれるテペヨロトル。立香はまたサクラの陣営に戻りかねないその姿を見かねて言う。

 

「じゃあ私も手伝いますよ。ちょうど体動かしたいと思ってたんで」

「いいえ、その気持ちはこんな駄猫にはもったいないわ。アナタたちは休むべきよ。ほら、冥界に王様を迎えに行ってからロクに休んでいないでしょう?」

 

 その声音は、優しかった。

 むぐ、と立香は口をつぐむ。

 結局、自分はどこまで行っても普通の人間だ。絵物語に語られる英雄のように戦い続けることはできず、定められた限界は遥かに低い。

 今までの戦いで、自らの天井は痛いほどに理解している。ましてや、今は命を懸ける場面ではない。ケツァル・コアトルの言葉に反駁できる部分はどこにもなかった。

 撃沈していたマシュはむくりと起き上がる。

 

「ケツァル・コアトルさんの意見に大賛成です。過労がすぎるとカルデアお手製活性アンプルを打つ羽目になってしまいますから」

「アンタはただサボりたいだけでしょ」

「サボり結構! これまで働き詰めだったのだから、今日一日くらいパーッとやっても文句は言われないわ! ゴチャゴチャぬかしてくる奴がいたら私がシメてあげマース!!」

「太陽神のお墨付き───!! これはもう三人でまったりするしかない!!」

 

 そうして、Eチーム三人娘が駄弁りスペースに選んだ場所は。

 

「あら、三人勢揃いですわね。ご注文は何にいたします?」

「『湖の乙女の特盛りキャメロッ丼』と『約束された勝利のサラダバー』と『全て遠きドリンクバー』でお願いします」

「わたしは『味噌なる茄子』でお願いします」

「そんなメニューどこにもないんですけど。ただただ味噌かけた茄子なんですけど。元ネタの原型が消滅してるんですけど」

 

 王宮近辺の食堂。数々の戦いを生き抜いてきたとはいえ、所詮は小娘。Eチーム三人娘は昼時の食事の匂いと空腹感に勝てず、昼食を求めて突撃したのだった。

 なぜか厨房に立っていたのは湖の乙女リース。彼女は三角巾とエプロンを着こなした、家庭的な服装をしている。

 精霊らしさ皆無のリースはゆったりと微笑んで、ジャンヌに声をかける。

 

「ジャンヌさんはいかがですか?」

「……今のやり取りで食欲が減退してきたわ。裏メニューとかないの」

「申し訳ありませんが、当店の裏メニューはペレアス様限定となっております。もちろんお出しするのは私自身ですわ」

「それいかがわしい店でしかないんですけどォ!!! 誰か正気の人間はいないんですか!?」

 

 ジャンヌは思わずカウンターを粉砕した。その横で立香とマシュはメニュー表を一緒に覗き込みながら、

 

「先輩、この『円卓ホールケーキ』をシェアしてSNSにアップしましょう。前々からそういうのが夢だったので」

「それ大丈夫? 切り分ける時にとんでもないブラックジョークにならない?」

「こっちは無視ですかァ!? もういいわ、私は『騎士は空腹にて死せず』で!!」

「了解ですわ! しばしお待ちくださいませ!」

 

 リースは厨房の奥に消えていく。もはや何を表しているかすら分からない料理名だったが、度重なるツッコミで疲弊したジャンヌにそんなことを気にかける余裕はなかった。

 立香は周りを流し見る。食堂は満員、メニューの分かりづらさにしては繁盛している。急に倒れる人間もいないため、今もカルデアの倉庫で眠っている麻婆豆腐のようなものは出てこないだろう。

 『全て遠きドリンクバー』に向かおうとした矢先、リースが目にも留まらぬ速度で舞い戻ってくる。

 

「できあがりましたわ! どうぞっ!!」

「尺が押してるかのような速さ……!!」

 

 驚愕する立香をよそに、卓上へ料理が並べられていく。

 種々の食材でキャメロット城を模した丼ぶり、エクスカリバー状のサラダバーに、茄子の味噌炒め定食。ジャンヌの前に並んだのはチキンカレーとナンだった。

 ジャンヌは口の端をひくつかせる。

 

「……ランスロットってインド出身でしたっけ?」

「ナンを手掴みでお食べくださいませ。ご心配なく、ランスロットのように触れたからといって宝具化したりはしませんわ」

「ああそう、答える気はないのね。立香、箸寄越しなさい」

「サラダバー二本でいい?」

 

 この時代のウルクに箸などというものがあるはずがなかった。ジャンヌは渋々一対のサラダバーを受け取り、箸代わりにする。湖の乙女はしゅんとした顔になった。

 Eチーム三人娘は各々用意された料理を口に運ぶ。ふざけた見た目ながらも、味は本物だった。咀嚼する度に旨味が溢れ出し、脳髄に衝撃が響く。

 立香はきらきらと目を輝かせる。

 

「おいしい! リースさんもやる時はやるんですね!!」

「ふふふ、湖の乙女イチの料理上手とは私のこと! 愛しのペレアス様と子どもたちに振る舞うつもりで作らせていただきましたわ!」

「リースさん。わたしは今度からママと呼ばせていただきます」

「正気に戻りなさい、アホなすび」

 

 ではごゆっくり、とリースは戻っていく。

 すると、マシュは唐突に切り出した。

 

「ガールズトークをしましょう」

 

 期待に満ちた視線が立香とジャンヌを襲う。

 Eチームにはあまりにも似つかわしくない言葉を聞き、二人は一瞬その意味を理解できなかった。立香はごくりと口内の食べ物を飲み込む。

 

「…………この状況が既にガールズトークなのでは?」

「言葉の意味的にはそうですが、わたしはうんざりするほどの甘ったるい話を望みます!」

「一晩で法隆寺建てられるくらいの話をしろってこと? 無茶振りがすぎるわ」

「仕方がありませんね。まずは形から入りましょう。とりあえず、もこもこの服着て風船とか散りばめておけば良いんですよね、先輩!?」

「うん、とりあえず落ち着こっか」

 

 マシュがどこで情報を手に入れたのか不安になる世界観だった。

 とはいえ、彼女は生まれてこの方カルデアの一室で育った人間。知識が偏ってしまうのも当然だ。

 外の世界を一目見ることさえ許されず。

 生命の限りが短いことを告げられ。

 日々を閉じた箱の中で過ごす。

 それが彼女にとっての普通で、日常なのだとしたら。

 そんなものは、自分が上書きしてしまおう。

 

「こういうことは深く考えなくても良いんだよ。ご飯を食べながら周りの人の話をするとか、それくらいで十分楽しいから」

 

 せめて。これが普通で、日常になるように。

 それからは、取り留めのない話ばかりが続いた。

 

「───以上がわたしを筆頭としたAチームのメンバーになります。個性的かつ有能な人たちばかりでしたが、結局はわたしが偶然や操作の入る余地がない完全なる実力でナンバーワンを見事勝ち取りました」

「前に言われたこと気にしてるんでしょうけど、ますますアンタの成績が疑わしくなってきたわ。そんな連中の中ならどう考えてもドベじゃない」

「邪悪に染まる前のマシュが醸し出してた清楚感で試験官を籠絡したとか……?」

「先輩? わたしは今も清楚の化身ですよ?」

 

 やはり何度考えても分からない、マシュのAチーム主席獲得のことだったり。

 

「…………図書室行ったら、ダンテが嗚咽しながら号泣してたんだけど。読んでたのがぐりとぐらでビビったわ」

「ダンテさんは感受性豊かですからね。神曲では不義の悲恋をした女性の身の上を聞いて、あまりの悲しさに気絶したほどです」

「感受性豊かとかいうレベルじゃなくない?」

 

 ヘタレ極まるダンテの話をしたり。

 

「さっきリースさんが子どもたちって言ってたけど……何人いたんだろう」

「あのドスケベ精霊ですよ?」

「あのドスケベ精霊よ?」

「訊いた私が悪かったみたいですね……」

 

 色んなくだらない話をして、マシュは思った。

 ───この世界が良い。

 たとえどんなに完璧で、発展している世界線があったとしても。自分が身を置くことが叶うのなら、この場所で、この一瞬を、強く望みたい。

 人が傷つき倒れるなんて、そんな話は自分たちにはジャンル違いだ。

 くだらなくても馬鹿馬鹿しくても良い。それが良い。そんな世界が、こんな時間が、マシュ・キリエライトが切望する日常というものだった。

 

「お腹いっぱいになりました。次はどこに行きましょうか」

「そうね、ネンバトでもする? 私の最強デッキで捻り潰してあげるわ」

「あ、ごめん。リーダーと約束があるから私はまた後で」

「「────は???」」

 

 まあ、こんな悪夢は望んでいないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───その美しさに目を奪われたヒトがいた。

 ひとりは絢爛なる薔薇の皇帝。年齢も性別も関係なく、自分が美しいと感じたものをこそ全力で愛しむ彼女はいつだって可憐で華麗で苛烈だった。

 ふたりめは■■■■のマリア。救世主とともに在り続け、その死と復活を見届けた女。互いに娼婦の子として生まれ落ち、あの地獄をともに堪え抜いた。

 そして、最後のひとり。その記憶だけがどうしても──────

 

「…………ふむ、思い出せんな。漫画でも読むか」

 

 ざぱん、と波と波がぶつかり合い、飛沫となって弾ける。

 エレインが創り出した異界。どこまでも茫漠と続く海原の世界。青く澄み渡る空の真ん中に、ソフィアとサクラはいた。

 知恵の女神としての機能を詰め込んだ四冊の魔導書。自身の周囲に滞空するそれらの中から一冊を無造作に掴み取り、適当なページを開く。

 白紙のページに滲み出すようにコマと絵が浮かび上がり、目を通す度にめくっていく。その手つきは慣れていた。

 

「なに違法視聴してるんですかぁ〜? サボってる暇があるなら異界ぶっ壊すの手伝ってくれません?」

 

 サクラは頬を膨らませたむくれっ面で吐き捨てる。ソフィアは紙面から目を離さずに返した。

 

「それなら私の魔導書が代行している。とはいえ、これほどの規模となると相応の時間はかかるだろう。水の女神コヴェンティーナが全存在を懸けて創り出したこの異界はもはや特異点と表現しても良い」

「あなた、知恵の女神ですよね。持ち前の知恵でとっととティアマトを出してもらえると助かるんですけど」

「私は全てを知ることができるが、生憎全能ではないのでな。気長に待つことだ」

「…………ちぇっ。ところで、何の漫画読んでるんです?」

 

 ソフィアは能面を保ったまま、

 

「鼻毛を操る男が仲間とともに敵と戦う話だ。面白いぞ」

「その割には無表情じゃないですか」

「心の中では抱腹絶倒しているんだがな」

「そのツラ、叩きのめして笑ってるみたいにしてあげましょうか?」

 

 サクラは翼を大きく広げて威嚇する。

 びり、と空気を押し出し、波間を打つほどの重圧。それに晒されながらも、ソフィアは余裕を崩さなかった。

 

「この異界を崩したいと言うのなら、努力すべきは私ではなくお前だ。今まで、一度も本気を出していないだろう?」

 

 平然と告げられた言葉。

 サクラは翼を下ろし、口角を高く持ち上げる。

 

「へえ……知ってたんですね」

「というよりは、力の本質を見せていないと言うべきか。デミウルゴスとは物質界の創造主であり、真なる神の霊性を否定した偽神。霊性とは極端に大雑把に言ってしまえば、魔術世界の神秘と類似する概念だ」

 

 つまり。知恵の女神は初めて紙面から視線を外し、サクラを見据えた。

 

「───お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()ことができる。そこに例外はない。ティアマトの不死性さえもな」

 

 それは能力でも権能でもなく、理。

 造物主が物質界に規定したルール。

 この世界に霊性は、神秘は存在しない。

 なぜなら、物質界とはそういうものだ。目に見えない力はあっても、それは物質間で作用した現象に過ぎない。解明できぬ現象があるとすれば、それはただ人間が世界を暴いたと思い込んでいるか、新たな法則が隠れているだけだ。

 そんな、つまらなくて、淡白で、折り目正しい世界の体現者。それこそが神を詐称するサーヴァント、サクラの存在定義であった。

 

「ええ───そうですよ。でも、チートを使うなら遊び尽くした後の余興にすべきでしょう。私、ストーリーはじっくり読むタイプなんです」

「ならば、未来視(ネタバレ)の結果を伝えるのは控えておこう。レベル99の勇者の楽しみは、先の展開に期待することくらいだしな」

「理解が早くて助かります♡ ……それじゃ、ティアマトが脱出するまで寝てるんで。起こしてくれなかったらキレますから」

 

 サクラは空中に布団を敷き、アイマスクをつけると、布団の中に潜り込んで眠り始める。

 ソフィアは本に視線を戻す。その瞳はぼんやりと漫画のコマを追う。そして、ぼんやりと考え出した。

 ───物質界に神秘がなかろうと、この世界には魔術も英霊も存在する。

 その矛盾は、きっと。

 

「よし」

 

 ぱたん、と本を閉じる。左手にりんごを出現させ、右手に魔力で創り出したナイフを握る。

 赤く瑞々しい表面に刃を刺す。鮮やかな白刃は切り口に傷をつけることさえなく、逆にその反対側の皮を剥いてみせた。

 するすると内側から皮が剥かれていき、鮮やかな白色の果肉が手元に残る。ソフィアはそれに齧りつき、ため息をつく。

 

「……ん。やはり口に合わんな。知恵の女神としてこれはいかがなものか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルク研究施設。ノアが借りている部屋までの道を、立香はおそるおそる進んでいた。

 ついに来た。

 来てしまった。

 準備に抜かりはない。今ならガンマン以上の速度で杖を抜ける自負がある。いざという時はマシュとジャンヌを呼びつける用意も万全だ。

 ついでに髪型と服装を整え、シャワーも浴びてきたがこれらはあくまでついでである。本命なはずがないし本命なわけがない。

 余計な駆け引きは無用。一意専心の想いで立香は部屋へと雪崩れ込んだ。

 

「リーダー、今日はどんな悪行をやってるか見に来ましたよ!!」

 

 彼女は見る。

 天井を網のように埋め尽くす金枝。その至るところに翠緑の樹木が球形に貼り付いていた。緑の星の中に点々ときらめく白の光。ちかちかと点滅するそれは脈動する魔力の灯だった。

 まるで、御伽噺の魔法の森に迷い込んだかのような。

 視線を彷徨わせて、ノアを探す。部屋の奥。こちらに背を向けて、一心不乱に机にかじりついていた。

 黄金の枝は床にまで這っていた。立香は丁寧に枝を避けながら、ノアの横に忍び寄る。

 それで、後悔した。

 一面に広げられた紙上。隅から隅まで理解不能な数式と図形が行き交い、今もなおそれは増え続けている。ファミコンと同レベルの容量の立香の脳みそは即座に崩壊した。

 

「リーダー」

 

 が、この程度で屈するようでは到底マスターは務まらない。呼び掛けとともに肩を叩く。

 そうして、彼はようやく振り向いた。ウルクでどうやって手に入れたのか、黒縁の眼鏡を掛けている。

 普段とは違う姿に呆気に取られていると、ノアはペンを紙の上に放り、椅子を引いてくる。立香はその椅子に腰を落ち着けた。

 ノアは頬杖をついて、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「質問する権利をおまえにやる。さあ、訊け」

 

 いつにも増して不可解な言動。押し付けてくる権利とは義務に他ならない。が、あえてそれに乗ることにした。

 

「なんで眼鏡掛けてるんですか。視力悪いなんて話聞きませんでしたけど」

「俺の視力は数値じゃ計れねえ。マサイ族と勝負した時も俺に勝てるやつはいなかったからな」

「眼鏡を掛ける意味とは……!?」 

「これは俺が造った礼装だ。眼の保護はもちろん、疲労軽減にブルーライトカットまで完備済みだ。ついでに魔力を込めれば細菌まで見えるようになる。俺の目に写るおまえはもはや菌の化けも」

 

 言い切る前に、立香は神速で眼鏡を奪い取る。ノアは鼻を鳴らし、若干の不機嫌さを声音に混ぜる。

 

「もう一回質問する機会を与えてやる。次は外すなよ」

「……この部屋は何なんですか」

 

 そこで、ノアは口角を吊り上げた。

 

「よく訊いた。全生物最強アホ決定戦でミジンコと激闘を繰り広げたおまえにしては優秀じゃねえか」

「どんな世界の話ですかそれ!? むしろ激闘を通じてミジンコと友達になれそうですよ私は!!」

「やかましいぞ一位。俺が今まで何やってたかたっぷり説明してやるから、釈迦に説教垂れられてる弟子の気分で口を慎め」

「一位ってどういうことですか。まさかミジンコに勝ったんですか。私が全生物アホチャンピオンなんですか!?」

 

 ……そもそも、ノアが冥界に向かった理由は。

 サクラとソフィアから逃げるため、Eチームと女神二柱は冥界を利用してウルクの地下に転移した。

 その時、エレシュキガルは地面に穴を開けるという強引な手段を取った。結果、大地に満ちていたケイオスタイドが冥界に流入する羽目になったのだ。

 しかし、それこそがノアにとっては天恵であった。

 

「ケイオスタイドを見た瞬間、人類史最大の天才である俺は閃いた。こいつはヤドリギの肥料にできるとな」

「じゃあ、冥界にはあの泥を回収しに行ってたんですね。ラフムとか出てきませんでした?」

「多少はな。全員粒子魔術の実験台にしてやったが」

「というか、あんな泥ほんとに肥料なんかになるんですか? 触ったら汚染されるってイシュタルさんが言ってたのに」

 

 ケイオスタイドとは創世母神たるティアマトより零れる生命の原質。旧約聖書において、唯一神が最初の人間アダムを泥から創ったように、それはあらゆる生命の可能性を孕んでいる。

 なればこそ、ケイオスタイドは最上の肥料に成り得る。ありとあらゆる生命の情報がふんだんに詰め込まれた泥。世界中の農家が喉から手を出して求める価値があるだろう。

 だが、ケイオスタイドの利用には見過ごせない問題点があった。

 それは触れたものをティアマトの眷属に作り変えてしまうこと。サーヴァント、魔術師ならば多少の抵抗はできるものの、当然限界は存在する。

 

「ただ、ヤドリギってのは都合が良い生き物でな。寄生した植物から栄養だけを吸い取って、ぬくぬくと育つ居候以下の存在だ」

「まるでニートですね」

「ああ、だからこそティアマトの強制契約も無視できる。親から金は受け取っても命令は聞かないのと同じだ」

「ティアマトお母さんもヤドリギニートには弱かった、と……なんか現実味に溢れてて可哀想になってきました」

 

 立香はヤドリギの化け物に脛をかじられるティアマトの姿を想像して、いたたまれない気分になった。

 

「結果はこの通り。決戦には成長が間に合うはずだ。俺を褒め称えろ」

「まあ、すごいことは分かりますけど。ティアマトを倒す切り札がこんな賭けなんて、王様はギャンブラーなんですかね?」

「さあな、大方未来を視たんだろ」

 

 ノアは素っ気なく結論付ける。

 この男、自分に興味がないことに関しては塩対応の極みである。立香は椅子の上でもじもじと居直りながら、

 

「で、どうして私を呼んだんですか。まさかうんちく垂れ流すためじゃないですよね」

「いや、用はない」

 

 不意を突くような一言。立香はこてんと首を傾げる。

 

「もうすぐ三時のおやつなんで、戻っていいですか。それとも一緒に行きます?」

「だが断る。おまえはここにいろ」

「え〜……」

 

 用もないのに呼び出して。

 戻ろうとすれば引き止める。

 頭をほんの少し回して、気付いた。

 この人は、もしかして。

 ただ自分と一緒にいたいから、約束を取り付けたのではないか───?

 

「───ぐふぅっ!!」

「汚え!!」

 

 瞬間、立香は盛大に鼻血を噴き出した。

 ぼたぼたとこぼれ落ちる血を手でせき止めながら、溺れたような声音で言う。

 

「り、リーダー、ティッシュください」

「……詰めてやる。押さえてろ」

「乙女として鼻の穴を見られるのは───ッ!?」

 

 左手で顎をつまみ上げられ、右手で強引にちり紙を詰められる。あらゆる女子の特攻兵器とされる顎クイも、このシチュエーションでは形無しだった。

 鼻の穴まで覗かれて黙ってはいられない。立香はノアに掴みかかる。

 

「私の秘密を暴いた代わりにリーダーの鼻の穴も見せてもらいます! ほら、全てをさらけ出してください!!」

「おまえ如きに俺の鼻毛を見る資格があると思ってんのか!? 安心しろ、おまえの恥部はこれから全部俺が掌握してやる!!」

「はああ!? セクハラ発言極まってやがりますね!!今日という今日は許しませんよ!!」

「上等だ!! 今日こそは屈服させてやる!!」

 

 なんとかして鼻の穴を覗こうとする立香と、それを全力で防ぐノア。不毛な戦いは数分続き、互いに疲弊したところで床に倒れた。夕焼けの河川敷にありがちな光景である。そこで、ノアは切り出した。

 

「…………大体、代わりってんなら俺の方もそうだぞ。対等に話したいなら俺の要求を聞け、等価交換だ」

「ま、また貸し借りの話ですか……私が何かリーダーに借りた覚えないんですが」

「いいや、今も言った」

 

 立香は困惑の色を全面に押し出す。その様子を見て、ノアはぴしりと額を指で弾く。

 

「───名前で呼べ。敬語もやめろ」

 

 肩を掴まれて、引き寄せられる。

 囁くような言葉は、今までのどんな命令よりも。

 

「……い、いきなりですか」

 

 確かに、名前を呼んでほしいと言ったのは自分で、そうしたのはノアだ。彼の理屈で言えば、それは不公平というものなのだろう。

 でも、願ってもないこと。

 いつかは名前で。そんなことを前に想っていたから。

 ───ああ、もう、駄目だ。

 溢れて止まらない。抑えても滲み出る。

 熱くて苦しいこの想いを、吐き出したくてたまらない。

 どうしようもないから、自分も身を寄せて、彼の心臓の鼓動を確かめながら、

 

「まだ、みんなの前で変えるのは恥ずかしいから……もう少しだけ、二人きりの時だけ、そうさせて…………だめ、ですか?」

 

 途切れ途切れで、取り留めのない、決意のようなものを告げた。

 返答はない。言葉を咀嚼しているのか、気に入る回答を欲しているのか。胸元に顔を寄せながら待っていても、反応は返ってこない。

 すぅ、と小さく息を吸う音。顔を上げると、ノアはすっかり眠りこけていた。

 

(寝てる────!!!)

 

 この隙に鼻の穴を覗いてやろうか。

 そう思ったけれど、やめた。

 冥界へギルガメッシュを助けに行った時から働き詰めなのは彼も同じ。生み出したばかりの粒子魔術の使用もかなりの負担になっていたはずだ。

 だから、これくらいは寛大な心で許そう。

 くすりと笑いがこみ上げ、微睡みが訪れる。

 それで、思わず、隠していた想いがするりと抜け出した。

 

「…………好き──────好きっ…………」

 

 ふと、曖昧な意識の中で。

 心臓の鼓動が、早くなった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 与えられた時間は、あっという間に過ぎた。

 ウルク市民のみならず、ウル・エリドゥの人間全員が来たるべき滅びに備えて力を合わせ、史上最大の親殺しを決行する。

 その、前夜。

 この世のすべての財宝を蒐集した人類最古のジャイアンことギルガメッシュは、あろうことかその宝物庫の扉を民衆に向けて開放したのである。

 かつて、世界を覆うような大洪水が訪れた時。

 ギルガメッシュは洪水を生き残るため、職人たちに箱舟を造らせた。王はその仕事を労い、ワインを振る舞ったと言う。

 王と民の関係とは必ずしも一方的な支配によって成り立つものではない。王とは全ての采配を司る立場にして、全ての民から評価される立場でもある。

 徳なき王は王ではない。

 ティアマトの襲来を控えた前夜、万を遥かに超える民の全員に贈り物が届いた。

 それはEチームも例外ではなく。

 彼らの目の前には────鹿がいた。

 もしゃもしゃと部屋のものを手当たりしだいに貪り喰らうそれを見て、ノアは包丁を手に取った。

 

「とりあえずシメるか。三十秒で捌いてやる」

「ロースはステーキにして、脚は丸焼きにしましょう。ジャンヌさん、火の用意をお願いします」

「添え物はなすびで行きましょうか。どっちもこんがり美味しく焼き上げてみせるわ」

「鹿肉と人肉の食べ比べは遠慮しておきたいですねえ……」

 

 ギルガメッシュが送り届けてきたのは鹿だけではなかった。彼が引いてきたソリの中には無駄に豪奢な箱が六つ詰まっている。

 その傍らに添えられた粘土板。リースは書かれた文面を読み、

 

「その鹿はノアさんへの贈り物だそうですわ。なんでも、始皇帝に贈られた由緒正しき鹿だとか」

「始皇帝……中国の王様だったよな? そんな人に贈られた鹿とか、ノアにはもったいなさすぎるぞ」

「『ふむ、そうでもないかもしれないぜ? 立香ちゃん、漢文は習ったことがあるかな?』」

「まあ、一応はありますけど」

 

 ───春秋戦国時代を征した覇王、嬴政。始まりの皇帝には趙高という部下がいた。

 ある日、彼は皇帝への進物として鹿を献上したのだが、

 

〝馬です〟

〝馬って角あるんだ。さすがの朕もこれにはびっくり〟

 

 ……というやり取りがあったかは定かではないが、〝鹿では?〟と疑う始皇帝に対し、周囲の部下たちは趙高を恐れて〝馬である〟と答えた者と〝いや、鹿でしょ〟と答えた者とに分かれた。

 実はそれこそが趙高の策略。自身に追従して馬と答えなかった者たちを皆殺しにしてしまうのである。そうして、趙高にこびへつらう人間だけが残った。

 この故事は現代でも使われるある言葉の由来の一説として捉えられている。すなわち、

 

「『───馬鹿の語源になった鹿!! それを目にできるなんて、これはすごいことだぞぅ!!』」

「よし、今からあいつの王宮に殴り込む。全員ついてこい」

「お前ひとりでいけ。……贈り物全部こんな感じじゃないだろうな?」

「ひとまず開けてみましょうか。誰かは当たりを引くかもしれません」

 

 ダンテの提案を受けて、ノア以外の全員に箱が渡る。最初に意気揚々と箱を開いたのはマシュだった。

 手のひら大の箱を開け、中身をもう一方の手に着地させる。入っていたのはいくつかの褐色の粒だ。

 

「……これは一体────!!?」

「世界最古のなすびの種だそうですわ」

「リーダー、わたしも王宮のカチコミに付き合います」

「『ちょっと待った! 世界最古のなすびの種なんてほぼ確実に絶滅種だ、どこかの大学か研究機関に持っていったら大儲けできるぞ!?』」

 

 ロマンは興奮した様子で言った。たとえ研究価値がなくとも、普段食べているものの最初の姿を見たいと望む人間は少なくないだろう。なすびだとしても。

 マシュは意地の悪い笑顔で、ジャンヌに詰め寄る。

 

「どうやらわたしが初っ端から神引きをしてしまったようですね。幸運Eランクのジャンヌさんが何を引いたか見せてください。幸運Eランクの」

「この調子乗りなすびが……!! いいわ、よく見てなさい!!」

 

 がばりと箱を開け放つジャンヌ。中から出てきたのは、竜の逆鱗。本体から削り取られた今もなお強大な魔力を秘めた逸品であった。

 マシュは盛大にため息をつく。

 

「貴重なのは認めますが、どうせ周回したらいつでも集められ」

「おい焼くぞ」

「『……えー、二人がいつものじゃれ合いを始めたので、ペレアス夫妻一気にお願いします』」

 

 ペレアスとリースは各々に配られた箱を一息に暴いた。

 ペレアスに宛てられたのは二振りの剣。一方はエクスカリバーと同様の形状をしており、もう一方は簡素な拵えの剣。ダンテはペレアスの箱に備えられたお品書きを読む。

 

「騎士王なりきりセットエクスカリバーDXと、選定の剣の原典……のレプリカのようですねえ。魔力を込めれば少しだけビームが出るらしいです」

「ペレアス程度には相応しいじゃねえか。ひとり虚しく残尿ビームで遊んでろ」

「おうお前に引っ掛けてやるよ、そこに立ってろ」

「……リースさんは何が入ってたんですか?」

 

 リースはしょんぼりとした顔で手のひらを差し出す。手のひらには仏教の経典が載っている。

 

「〝煩悩に塗れた貴様は一度無の境地を味わえ〟と……屈辱ですわっ!! 私のは煩悩ではなく愛ですのに!!」

「どの口が言ってるんですか!?」

「三蔵がいないのが悔やまれるな。また召喚するか?」

「『ノアくん、残念ながらカルデアの聖晶石はあの一件から枯渇したままなんだ』」

 

 という話を聞きながら、ダンテはこっそりと自分の箱を開ける。幸運はEランクの上に、一度はギルガメッシュの制裁を喰らった身。大したものは入っていないだろうと思っていたのだが、

 

「───ギャアアアアアアアア!!!」

 

 絶叫して尻もちをつくダンテ。それ自体は珍しいものではないのだが、彼の人差し指と親指の間には誰が見ても異質と分かる鍵があった。

 白一色の鍵。素朴なそれは、そこに在るだけで空間を澄み渡らせるかのような、清浄な空気を放っている。

 ボロボロになったマシュとジャンヌは冷ややかな目つきで、

 

「ただの鍵じゃない。絶叫する価値なんてないでしょう」

「まったくです。せめて銀色だったらめくるめく狂気の世界を旅できたと思われます」

「とんでもない、これは天国の鍵ですよ!! 第一の弟子ペテロ様が授かったものです!!」

 

 救世主が初代ローマ教皇ペテロに与えた天国の鍵。その名の通り、天の国の門を開く道具であり、いつか人がその場所に到達することを約したモノ。

 最上級の聖遺物───そんな表現さえ陳腐に成り果てる代物だった。

 ノアは無感情に告げる。

 

「カルデアに持って帰るなよ。聖堂教会の奴らが大挙して乗り込んでくるぞ。埋葬機関とかいうイカれ連中が来るまである」

「言われなくてもそうします! 畏れ多いにも程があるので!!」

「でも、王様の贈り物を捨てたらまずい気が……」

「最悪の板挟み────!!!」

 

 床にうずくまるダンテ。いつもの発狂モードに入った彼を無視して、立香は箱を開けた。

 ぽすん、と広げた手のひらに袋が落ちる。

 袋の口を開くと、中には白い粉がぎっしりと詰まっていた。立香は最大級の笑顔で叫ぶ。

 

「───ホットケーキミックスだ!!!」

「…………人類最古のホットケーキミックスだそうです。先輩には最高のプレゼントかと」

「もう何でもありじゃねえか」

「ええ、ですが。贈り物というのはその人を深く知っていなければなりません」

 

 ダンテは震える手で鍵を掲げ持ち。

 

「王はそれだけ、私たちのことを見てくれていたのでしょう」

 

 ───王宮、玉座の間。

 今宵の王宮に人の影はない。普段ここで働くほとんどの人間がそれぞれの居場所に戻り、明日への短い平穏を過ごしていた。

 故に、玉座の間にいるのは王たるギルガメッシュと、側近であるシドゥリのみ。王は胡乱げに目を細め、呟く。

 

「シドゥリ。貴様にも褒美を与える。望んだものをくれてやろう」

 

 シドゥリは微笑みのままに頭を下げる。

 

「では、勝利を。此度の戦、どんな手を使ってでも勝利なさってください」

 

 どこまでもウルクを、世界を気に掛けた望み。 

 ギルガメッシュは獲物を前にした捕食者のように、獰猛な戦意を露わにした。

 

「───よかろう。その約束、けして違わぬことを誓おう」

 

 夜は過ぎ、滅びの足音はすぐそこに。

 世を創り、生命を産んだ母神との戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───夢を見る。

 あれは、いつのことだったか。

 ドイツの街で、賭場を巡り巡って。

 夕の光に染まる路地を歩いていた時。

 月明かりに照らされたアンナの姿を思い出して、唐突に告白した。

 

〝好きだ〟

〝はいっ!!?〟

 

 驚愕の表情で固まるアンナ。その処理落ち中に、追撃の言葉を叩き込む。

 

〝おまえの踊る姿が綺麗だった。それを踏まえると、普段もかなり、まあまあ……そこそこ悪くない。だから好きだ〟

〝さ、さいですか。……いやいやいや!! 年齢差!! 犯罪以外の何物でもない!! え、どうしよう、どうしたらいい!!?〟

 

  告白してきた相手に判断を求めるほどの錯乱っぷりだった。けれど、こいつに命令も頼みごともする気はなくて、単純な願いだけを伝える。

 

〝別に。どうもするな。死にたいおまえを止めるつもりはない。ただ、この言葉だけ受け取ってくれ〟

 

 アンナは十秒ほど悶え苦しむと、ほのかに頬を染めて、

 

〝…………受け取り、保留で〟

 

 どうして保留したのか、分かったのはアンナが死ぬ間際の瞬間だった。

 

〝本当に、ありがとう。───好きだよ、ノア〟

 

 最悪の一瞬で。

 最高の刹那に。

 最大の効果を発揮するように。

 その言葉を、返すために。

 まるで言葉による暗殺。

 とんだファム・ファタルだ。

 だから────だったら。

 俺も、そんな瞬間に返すしかない。

 そう、思った。

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